ZENSHIN 2000/02/14(No1944 p08)

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週刊『前進』(1944号1面1)

 革共同の2月アピール

 自自公翼賛国会は解散せよ

 名護市民と侵略基地は共存できぬ

 国労「年度末決着」粉砕の地平から「日の丸・君が代」−春闘決戦へ

 小渕・自自公政権は、「沖縄サミットの成功」を最大課題にして、帝国主義としての生き残りをかけた戦争と大失業と福祉解体、有事立法・改憲の一大攻撃に出てきている。この攻撃を迎え撃つ二〇〇〇年決戦は、@衆議院選挙闘争、A岸本名護市長のリコール運動の開始で決戦に突入した名護新基地建設阻止・沖縄サミット粉砕闘争、三里塚暫定滑走路建設阻止の闘い、Bさらに闘う労働運動の新潮流形成の三大決戦を軸にした激しい攻防に突入した。日帝権力は、沖縄サミットに向かって「七・二一体制」ともいうべき弾圧体制を強め、カクマル反革命は危機にかられた闘争破壊策動を激化させている。こうした密集する反動を打ち破り、一月闘争で始まった三大決戦の大衆的爆発を、衆院選決戦勝利への総決起を突破口に何がなんでもかちとるために、あくなき攻勢を実現しよう。横暴きわまる小渕・自自公の翼賛国会は直ちに解散せよ! 介護保険四月実施中止へ、杉並と全国で労働者人民の怒りを巻き起こそう。

 第1章 小渕自自公への怒りを衆院選決戦勝利へ

 二月闘争の第一の課題は、衆議院の解散切迫情勢を見据え、長谷川勝利のために全力で総決起することである。
 国会は、単純小選挙区制が狙いの衆院定数削減法案の強行採決によって、解散不可避の情勢に突入した。小渕首相の施政方針演説は、憲政史上初めて全野党欠席のまま強行され、参議院でも定数削減法案が委員会審議もなしに本会議で強行採決され、成立した。議会制民主主義の解体、事実上の大政翼賛会化とも言うべき許しがたい事態だ。さらに小渕は「与党だけでも予算を決める」と公言し、野党抜きの予算審議まで強行している。小渕の答弁は、改憲や有事法制、PKO五原則見直しの質問に「どんどんやりましょう」と答えるなど超反動的だ。
 今こそ労働者人民の心の底からの怒りを巻き起こし、総選挙で小渕・自自公政権に大鉄槌(てっつい)を食らわしてやらなければならない。
 今回の総選挙は、自自公体制の承認か打倒かをかけた、二十一世紀の日本の行方を決する大決戦である。革共同は、二十一世紀に向かう真の労働者党としての飛躍をかけ、東京八区(杉並区)から立候補を予定している長谷川英憲さんの勝利のために全力で総決起することをあらためて宣言する。「介護保険制度四月実施を中止せよ」「福祉は権利」を真っ向から掲げ、自自公打倒の最先頭に立つ。

 第1節 小渕施政方針演説の許しがたい超反動性

 小渕は、施政方針演説で二〇〇〇年の課題として、@「教育改革」を宣言し、教育基本法に手をつけることを「最重要課題」と表明。さらにA「財政再建は景気回復後」にするとし、大企業救済のために国債増発による公共投資拡大の大型赤字予算の継続と「構造改革」と称する賃下げ・大量首切り攻撃を強めること、Bまた介護保険導入や年金・医療保険制度の改悪など戦後的社会保障制度の解体を進めること、Cとりわけ沖縄サミットに全力をあげ、SACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)最終報告に沿って沖縄の反基地闘争をたたきつぶして普天間基地の名護移設を強行することを表明した。
 小渕・自自公政権は、戦争と有事立法・改憲を狙う超反動政権である。一月一日の年頭記者会見で小渕は、「(改憲について)二〇〇〇年が正々堂々と与野党を含めて議論する年になったのは意義深い」と発言した。一月二十日には衆参両院で憲法調査会が設置され、改憲への動きがいよいよ本格化している。また一月四日には、瓦防衛庁長官が「(有事立法について)研究にとどまらず、その結果に基づき法制が整備されることが望ましい」との年頭あいさつを行った。八日には自由党が改憲手続きなどを決める「憲法改正国民投票法案」を通常国会に提出する方針を固めた。また何よりも、小渕が施政方針演説で教育基本法改悪を狙った「教育改革を最重要課題」としたことは決定的に重大である。
 そして「経済再生内閣」と銘打って登場した小渕・自自公政権は、戦争国家・アジア大国化をめざし、金融資本・大企業の延命のために一切の矛盾と犠牲を労働者人民に転嫁し、失業と生活破壊を強制する極悪政権である。施政方針演説でも「景気回復と構造改革の二つをともに実現する」として、なりふりかまわない攻撃に出ることを公言している。
 この間、小渕・自自公政権は、公共事業拡大の大型赤字予算を組み、七十兆円もの金融資本救済資金を準備し、すでに数十兆円もの税金を投入してきた。そのため債務残高六百四十五兆円(二〇〇〇年度)という借金大国に転落し、国と自治体は破滅的な借金漬けになっている。
 一方、労働者人民には、賃下げと失業、社会保障制度の解体と増税による生活破壊を強制し、働く権利、生きる権利までも奪おうとしている。介護保険の四月実施、支給開始年齢を六十歳から六十五歳へ引き上げる年金制度の改悪や高齢者医療費を引き上げる医療保険制度改悪、さらには日本版401Kといわれる確定拠出型年金制度の導入や、雇用保険料の引き上げまで画策している。
 自自公政権の先兵である東京都の石原知事は、このファシスト的先兵として、高齢者医療費助成と高齢者福祉手当の廃止、シルバーパスの全面有料化、重度心身障害者手当の改悪など全面にわたる福祉切り捨て攻撃を加えてきている。

 第2節 介護保険の4月実施は中止以外にない!

 介護保険四月実施は、こうした攻撃の最大の焦点である。この問題を総選挙闘争の最大のテーマとし、介護保険四月実施を中止に追い込むために全力で奮闘しなければならない。東京・杉並で開始された「ストップ介護保険杉並十万人署名運動」をあらゆる地域で推し進め、介護保険反対の人民運動をつくりだそう。
 介護保険の本質は、福祉の根本的切り捨てであり、「福祉は権利」として戦後、労働者人民がかちとってきた社会保障制度のあり方を根本から解体し、人民から「第二の消費税」ともいうべき高額の介護保険料を強制的に取りたて、介護を奪い、福祉を民間ビジネスの営利事業に転化し、大資本の食い物にする断じて許せない攻撃である。
 このような介護保険が実施されることになったのは、当初反対していた日本共産党が推進に回り、「福祉の党」を自称してきた公明党が賛成したからだ。連合と民主党は介護保険推進の急先鋒(せんぽう)であり、介護保険突破議員連盟代表の自民党・石原伸晃は最も強硬な推進派だ。労働者人民が、高齢者や「障害者」が生きていくためには、介護保険の四月実施は絶対に中止以外にはない。それができるのは、「福祉は権利」「介護は全額公費負担で」と訴える長谷川英憲さんだけである。長谷川さんを労働者人民の真の代表として国会へ送り出そう。

 第2章 国策の犠牲を強いる岸本市長リコールを

 二月闘争の第二の課題は、二〇〇〇年の最大の決戦として、沖縄サミット粉砕の闘いをしっかりと据え、その勝利をかちとるための突撃路として、名護新基地建設を名護−沖縄人民と連帯して阻止する闘いに全力で総決起することである。
 沖縄サミットは、二〇〇〇年における帝国主義の、とりわけ日帝の最大の反革命イベントである。米欧日帝国主義は、世界経済が二九年型世界大恐慌の現実化過程に突入した中で、中国など残存スターリン主義やロシアを引き込みながら一大争闘戦を激烈に展開している。この争闘戦は、自国帝国主義が生き残るためには、一つや二つの帝国主義をつぶしてもかまわないという激しさで進められている。日帝・小渕は、失敗すれば日帝は滅びるかも知れないというすさまじい危機感を背景に、沖縄サミットの「成功」に全力をあげているのである。

 第1節 サミット粉砕決戦の巨大な戦略的意義

 日帝・小渕は、「沖縄から平和を発信する」などといううたい文句とはまったく逆に、沖縄サミットの「成功」をテコに、沖縄を日米帝の朝鮮・中国−アジアへの侵略戦争の最前線出撃基地として半永久的に強化・拡大・固定化することを宣言しようとしている。そのために厳戒体制を敷き、あらゆる手段を使って普天間基地の名護移設反対闘争を圧殺し、それをテコにガイドライン体制を固め、戦争国家を築き、アジアの大国として凶暴な姿をむき出しにしてきている。
 革共同は、沖縄サミットを断じて許さない。それをテコに沖縄の反基地闘争を圧殺する攻撃を絶対に許さない。いかなる弾圧も恐れず、サミット厳戒体制を突き破って沖縄現地に闘う労働者人民の一大結集をかちとり、「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒!」「闘うアジア人民と連帯し、朝鮮・中国−アジアへの侵略戦争を絶対に許さない!」と高らかに宣言する一大闘争、一大デモストレーションをたたきつけ、帝国主義の強盗どもの会議を粉砕する決意である。
 この闘いは全世界を揺るがし、暫定滑走路建設阻止の決戦に突入した三里塚闘争や、北富士闘争を始め全日本の反基地・反空港闘争と革命的に連帯し、新安保ガイドライン体制に風穴を開け、日帝・小渕を自自公翼賛体制もろとも吹き飛ばす闘いに必ずなっていく。
 普天間基地の名護移設・新基地建設に反対する沖縄の闘いは、岸本名護市長リコール運動の開始によって重大段階に突入した。追い詰められた小渕政権と岸本市長は、リコールつぶし、岸本後援会拡大運動で対抗し、「二月市長辞任・三月出直し市長選」をも構えて闘争破壊に躍起になっている。小渕政権は、政権をあげて岸本を支援し、反対闘争を挫折させ、沖縄の反基地闘争を圧殺しようとしているのだ。
 名護市長選は、沖縄の反基地闘争の帰すうを決し、沖縄サミット粉砕決戦の成否がかかった闘いだ。小渕政権が、沖縄サミットをテコにSACO最終報告の貫徹に全力をあげていることに対し、沖縄人民の命をかけた訴えを受けとめ、「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の闘いとして大爆発させなければならない。
 小渕政権は、十年で一千億円を投入する「特別振興策」発表に続き、さらに「沖縄県雇用特別対策」や「沖縄県北部地域特別対策」など雇用対策、地域振興と称して金をばらまいている。
 しかし、「思いやり予算問題」や「十五年の期限付き使用問題」に示されるように、日米争闘戦が激化し、日米安保自体が矛盾を深める中で、沖縄を基地の島としてこれまで以上に安保の犠牲にし、じゅうりんする差別的やり方がたやすく通用するわけがない。だからこそ日帝は、沖縄の闘いの圧殺に全力をあげざるをえず、それがますます沖縄人民の怒りの決起を巻き起こすものになる。今こそ沖縄人民の闘いと連帯し、米軍基地撤去、沖縄サミット粉砕の猛然たる怒りの決起をたたきつけて闘う時だ。
 名護市民とともに、岸本をリコールに追い込み、名護市長選を衆院選決戦と一体の闘いとして、沖縄・全国の労働者人民の力で勝利させよう。この勝利によって、名護新基地建設を阻み、ここから沖縄サミット粉砕の突撃路を切り開こう。名護市民、沖縄人民と連帯し、岸本リコール・名護市長選勝利へ、沖縄サミット粉砕へともに総決起しよう。
8面につづく〜1面からつづく

 第3章 中央本部総退陣こそ国労の闘う再生の道

 二月闘争の第三の課題は、新潮流運動の大前進を切り開くことである。
 一・二八国労中央委員会闘争は、闘争団を始めとした闘う国労組合員の怒りの決起によって、日帝権力に屈した宮坂・チャレンジ一派、革同上村派が牛耳る国労本部の「年度末決着」路線を根底において打ち破る突撃路を開いた。
 国労本部は、二階運輸大臣の“『運輸省メモ』を受け入れて闘争団を切り捨てる決断をせよ”(十二月二十七日)という恫喝に屈し、闘争団を切り捨て国鉄闘争を最後的に売り渡すために何がなんでも「年度末までに千四十七人問題を決着」させることを中央委員会決定にしようとしてきた。これに対して闘争団を始めとした闘う国労組合員は、「年度末決着」路線の反動性を徹底的に暴き出し、これを粉砕し尽くす突破口をつくり出した。そのことによって国鉄闘争をここで一気に解体しようとした日帝の反革命策動を挫折させたのである。
 日帝権力の宮坂・チャレンジ一派、革同上村派を引き込んだ国鉄闘争解体策動は、闘争団を先頭に国労三万組合員があくまで原則的闘いを貫く限り絶対に成功しない。中央委員会闘争はそのことにますます確信を与えるものであった。今や国労本部執行部は総退陣しかない。闘いは本当にこれからだ。戦闘体制をいささかも緩めることなく、「年度末決着」路線を粉砕し尽くし、国労三万の力で執行部を総退陣に追い込もう。この闘いの中からなんとしても原則的に闘う新たな執行部をつくり出そう。
 そのためにも、三月ILO最終勧告をを武器にして五・二八反動判決を打ち破っていく闘いへの総決起をかちとることが求められている。すでにILO勧告を広め、政府・JRに勧告の順守を迫るアピール賛同運動、緊急署名運動が、全国の組合・職場に広がっている。
 この闘いの前進は、五・二八反動判決を打ち破り、国鉄闘争の反転攻勢と国労の階級的再生をかちとっていく力を必ず生み出す。闘争団、国労組合員、さらに共闘の中に「これで五・二八反動判決を覆すことができる」という自信に満ちた声が次々とあがっている。ILO勧告は、「補強五項目」「改革法承認」とはまったく相入れない。だから、賛同運動、署名運動の前進は、国労本部の思惑をこえ、その裏切りを大衆的に暴き、粉砕する力に絶対になっていく。
 しかもこの闘いは、国労内部から生まれた投降集団である宮坂・チャレンジ一派、革同上村派、さらにJR総連=カクマルに大打撃を強制する。
 宮坂・チャレンジ一派、革同上村派は、「ILO最終勧告を求めず年度末解決へ」などというとんでもない反動的立場を表明している。ILO最終勧告を、五・二八反動判決を覆し、五・二八判決以降強まった団結権破壊の攻撃を打ち返す武器にしようとするのではなく、国鉄闘争の反動的幕引きのために売り飛ばそうとしているのだ。また他方でJR総連は、ILO本部に抗議要請行動を計画し、権力・資本の手先、ファシスト組合としての正体をむき出しにしている。
 いよいよ国鉄闘争の反転攻勢に打って出る時だ。国労本部の「年度末決着」路線を徹底粉砕し、国労執行部総退陣・闘う新たな執行部をつくり出そう。JR総連=カクマル打倒の組織戦とILO勧告を武器にした五・二八反動判決粉砕の闘いを両軸に、今こそ「解雇撤回・地元JR復帰、高裁闘争勝利」へ決起しよう。

 第1節 賃下げ宣言の労問研報告と戦闘的対決を

 国鉄決戦を突破口に、階級決戦情勢を迎えた日本労働運動はいよいよ反転攻勢の時を迎えている。
 その当面する課題は、日経連「労問研報告」路線と対決し、二〇〇〇年春闘勝利、「日の丸・君が代」強制反対闘争、都労連攻防、国鉄そして全逓をめぐる攻防に勝利し、闘う労働運動の新潮流形成の大前進をかちとることである。
 今年の日経連「労問研報告」は、「国と企業の高コスト体質の是正」と称して戦後史上初めて「賃下げ」とワークシェアリング、「リストラ=大量首切り」の強行を宣言し、労働者階級に対して「構造改革」と称する一大資本攻勢に訴える大攻撃である。日経連は、この報告に基づいて「生産性向上が見込めぬ以上、賃上げは困難」とし、春闘での賃下げ方針を打ち出してきた。これに対し連合は、「(労問研報告は)連合の基本路線とも共通する部分が多く、春季生活闘争のスタートにあたって、こうした理念が鮮明に打ち出されることは評価したい」と賛美し、今春闘方針を「定昇二%+ベア一%=三%要求」として、日経連の戦後史を画する賃下げ・リストラ攻撃に全面屈服している。
 日帝の大失業と戦争の攻撃の最大のネックは、国鉄分割・民営化による総評解散・連合化から十余年たった今も、労働者階級全体を連合の帝国主義的労働運動路線のもとに制圧・翼賛化できていないところにある。このもとでは、日帝の攻撃は絶えず労働者階級の怒りの抵抗と反撃にさらされる。だから日経連は、五・二八判決を突破口にして国労解体、労働法制解体攻撃を激化させ、特に労働者・労働組合の団結と団結権を解体することに攻撃を集中しながら、他方で「人間の顔をした市場経済」「結果の平等ではなく、機会の均等を」などと言い、労働者を弱肉強食の競争社会にたたき込み、「競争を勝ち抜く努力をしないものまで保護することはやめよ」と主張し、賃下げ・首切り攻撃に出ているのだ。
 現下の階級攻防の環は「誰が労働者階級を獲得するのか」ということである。
 見よ。日帝ブルジョアジーは、全力をあげても、いまだ国鉄闘争を解体できないでいる。連合やJR総連の雪崩を打った翼賛化にもかかわらず、昨年五月二十一日の陸海空港湾労組二十団体を中心にしたガイドライン反対五万人集会、動労千葉の「戦争協力拒否宣言」、石原都政の賃下げ・大量首切り攻撃と闘う都労連の闘いの高揚、広教組・広高教組を始めとした教育労働者の「日の丸・君が代」強制反対闘争、沖縄の名護新基地建設阻止・沖縄サミット反対の労働者の決起など、今や労働者階級の深部からの決起が巻き起こり始めている。階級的労働運動路線派が大失業と戦争の攻撃と全面対決し、連合の帝国主義的労働運動やJR総連のファシスト労働運動を打ち破って前進するならば、労働者階級を真に獲得するチャンスが生まれているのである。
 昨年十一月八日に動労千葉、全国金属機械港合同、全日建運輸連帯関西生コン支部の三労組が呼びかけた「闘う労働組合の全国ネットワークをつくろう」という新潮流運動は、その運動が全国的うねりとなって開始されたことを示すものである。闘う労働者・労働組合は、国鉄闘争を軸に、十一月労働者集会に向かって闘う労働組合の全国ネットワークづくりを大前進させよう。これを核に今こそ階級的労働運動の総結集をはかり、労働者階級の総反撃を開始する時が来たのである。
 広島県高等学校教職員組合に対する千三百十一人の大量処分攻撃は、「日の丸・君が代」強制反対の闘いに対する不当な報復処分である。「教育改革を最重要課題」と掲げた小渕・自自公政権は、「教育改革国民会議」を発足させ、教育基本法改悪による戦後教育の解体=教育勅語の復活を狙っている。東京都の「人事考課制度」=新勤評四月実施は今回の大量処分と一体である。「日の丸・君が代」強制反対と教育基本法改悪阻止闘争の全国的高揚をつくり出そう。「人事考課制度」四月導入に反対しよう。

 第2節 福祉解体と賃下げ・首切りの石原打倒!

 福祉切り捨てを強行する石原都政は、同時に「財政再建推進プラン」に基づく「五千人削減」の具体化として、二〇〇〇年度に都職員二千百三十八人の首切り方針を打ち出してきた。この攻撃は、現業部門を公務労働からはぎ取り、都労連そのものの解体を狙う攻撃である。断固対決し、昨年を上回る都労連労働者の怒りの決起で石原都政を打倒しよう。
 さらに郵政民営化攻撃と全逓中央の「ニューユニオン」攻撃と対決する、闘う全逓労働者の闘いを前進させよう。民間、中・小、未組織の労働者の闘いの前進をかちとろう。
 今こそ「日経連労問研報告」路線と対決し、二〇〇〇年春闘を「一律大幅賃上げ」を掲げて闘おう。連合のファシスト突撃隊JR総連=カクマルを打倒して進もう。その中から「資本主義にノーと言える労働運動」、闘う労働運動の新潮流をつくり出そう。
 自自公翼賛国会は解散せよ。衆院選決戦勝利へ総力決起しよう。
 三大決戦の激闘の中でこそ、財政決戦と機関紙拡大、党勢拡大の闘いを断固としてやりぬこう。

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週刊『前進』(1944号1面2)

 ヘリ基地反対協

 新潟・巻町の経験に学び

 リコール成功へ集会

 ”岸本市長に命は託せぬ”

 二月一日、「リコールを成功させよう! ヘリ基地反対協学習会」が、名護市の大中公民館で開かれ、市民ら二百人が集まった。都政を革新する会の新城節子杉並区議も駆けつけた。(関連記事2面)
 名護は岸本市長に対するリコール運動の真っ最中だ。ヘリ基地反対協は、リコール(解職請求)署名に向けて受任者集めを開始、一月二十六日からは「民意を裏切る公約違反の市長を替えよう! 市長が替われば基地建設は止められる」と訴える三つ折りのリーフレットを全戸配布し、受任者公募に入っている。
 集会冒頭、新城春樹共同代表が主催者あいさつに立ち、「戦後五十年余り、全国の七五%もの基地を抱えてきた沖縄が、『整理・縮小』という名で基地の県内たらい回しを行おうとしている。ここでとどまることなく、しっかり根を張った息の長い運動に立ち上がっていこう。原発反対の町長をかちとった新潟・巻町の経験をしっかり勉強しよう」と呼びかけた。
 原発建設に反対し、住民投票とリコール運動を闘いぬいて勝利した新潟・巻町住民投票を実行する会の佐藤勇蔵さんが紹介され、講演が始まった。
 人口三万人の巻町で原発推進の町長と対決し、町長をリコール、辞任に追い込んだのが九五年。さらに九六年には原発建設の是非を問う住民投票を全国に先駆けて実施し、六〇・九%の反対で勝利した。昨年夏には原発予定地とされた町有地の一部を反対住民に売却し話題になった。佐藤さんは誘致問題が起きた当初から二十年間闘い、九七年の名護市民投票の際にも名護を訪れている。
 「原発は基地問題と似ている。危ない原発も過疎地ならいいだろうと。安全なら東京に造れというと『東京で原発事故が起きたら大変なことになる』と豪語した。差別です」
 そして住民投票、町長リコールへ。「町長が憎いわけではない。原発を造らせないために署名が必要なんだと、二度三度訪ねて説得して回った」「住民投票ができた時はびっくり、巻町民に感動した」。佐藤さんは最後に「住民投票の結果を守る義務が町長と町当局にある。これは覆せるものではない」と確信をもって断言した。
 会場からは「具体的にどういう人たちが運動を担ったのか」「リコールを周知徹底させるためのノウハウを教えて」など具体的な質問が続いた。佐藤さんは、「折り鶴やハンカチに思いをつづり、それを一つにつないだ」などの創意工夫あふれる闘いを紹介し、「奇跡のような大逆転も声なき声が動いた結果。女性が奮い立ち、子どもが話し、飲み屋でも原発が話題になった」と署名が地域全体を変えていったことを力説した。
 米軍基地の県内移設を許さない南風原町民の会が「町民アピール」を読み上げ、神戸から駆けつけた被災者は熱い連帯を語った。
 まとめのあいさつで安次富浩共同代表は、「予想以上の受任者が集まっている。『辺野古に新たなヘリ基地は造らせない』という二年前の市民投票の思いは今でも生き続いている。だからこそ日本政府は、名護をサミット開催地にするという形で市民に圧力をかけた。そして岸本市長は十カ年に一千億円という振興策で基地を受け入れた。思いやり予算は年間二千六百億円、最近は海兵隊の予算が余ったから従業員を百人二カ月だけ雇用するという。こんな差別的なやり方をわが岸本市長は容認している」と弾劾した。
 さらに、「辺野古区長の(自殺未遂の)痛ましい事件が起きた。私たちは命を大切にしよう、子々孫々のために平和な名護をという思いで今闘っている。この最中、政府、稲嶺県政、そして岸本市長のような暴挙が、区長に重圧としてのしかかっている。この責任は日本政府であり、稲嶺県政であり、岸本市長だ。市長は責任をとって辞めるべきだ」と訴えた。
 しかし今、岸本は後援会を立ち上げ選挙体制づくりに励んでいる。「佐藤さんの経験に勇気をもらった。リコールを成功させんといかん。ヘリ基地はノーと言える市長を私たち手で誕生させよう」と結んだ。
 最後に荷川取副代表が「自分たちの声を、体を、汗を流しながら闘いを進めていけば必ずや勝利できる」と、力強く団結ガンバローの音頭を取った。
 全学連現地行動隊、沖縄労組交流センターの労働者は連日、リコール運動を訴え、名護市内を駆けめぐっている。闘う沖縄人民、名護市民と連帯し、新基地建設阻止、沖縄サミット粉砕を全力で闘いぬこう。

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週刊『前進』(1944号2面1)

 「年度末決着」路線に怒りが噴出 国労中央委

 闘争団切り捨て策動許さず

 ”運輸省案きっぱり拒否を”

 ILO勧告武器に反転攻勢へ

 一月二十八日、国労第一七一回拡大中央委員会が東京・新橋の交通ビル(国労本部)で行われた。ここで国労中央は、日帝・国家権力に最後的にひれ伏し、「運輸省メモ」を丸のみし、闘争団を切り捨てる「年度末決着」を策してきた。これに対して闘争団を始めとする多くの中央委員の怒りの声が上がり、傍聴制限を打ち破って会場を埋め尽くした組合員の嵐のような弾劾がたたきつけられた。その結果、国労中央の「年度末決着」路線の反動性は徹底的に暴かれ、破産を突きつけられた。この中央委攻防をとおして、三月ILO(国際労働機関)最終勧告をかちとり、五・二八反動判決を転覆し、解雇撤回・地元JR復帰を闘いとる国鉄闘争の反転攻勢は、戦争と大失業攻撃に反撃する最先端の闘いとして、明確に新たな発展段階に入った。だが一方で、国労中央はなおも「年度末決着」へとなりふり構わず突進しようとしている。これを許さず、「年度末決着」路線粉砕、国労中央―高橋・宮坂執行部総退陣へ闘おう。

 第1章 社民・伊藤が屈服迫る

 国労中央委に向けてきわめて緊迫した情勢が到来していた。昨年十二月二十七日、国労中央の「早期解決」の要請に対して二階運輸相が「双方が今決断の時だ」と答えた。われわれはこれが「運輸省メモ」丸のみを国労に迫ったものであり、日帝・国家権力が最後的に国鉄闘争解体に踏み切ったものだと弾劾した。
 一方、日帝権力に降服した国労中央は、「ILO勧告を生かす」と言いながら、さらに日本政府に打撃になる最終勧告が出る前に決着をつけてしまおうという「年度末解決」=三月決着を打ち出してきた。
 今次中央委は、この「年度末決着」路線をめぐる大激突となった。
 議長を務めたチャレンジ一派の盛岡地本・高橋は、冒頭、「相手側から、国労内の意見対立が解決交渉テーブルづくりの障害になっているとの話がある。ILO理事会までに解決できるよう一枚岩の団結を」と、屈服路線で一致すべきと発言。高橋委員長のあいさつも、「三月のILO理事会の勧告が出る前までに」というものだった。
 チャレンジ一派らの反動的狙いを露骨に代弁したのが、社民党・伊藤副党首の来賓あいさつだ。伊藤は、「デリケートな詰めの段階に入ったので、全部申し上げるわけにはいかない」としながら、ただただ「今、解決をしなければならない時、今が打開の時」と繰り返した。「テーブルを間もなくスタートさせたい。入り口のところで、建前でうまくいかないというのは許されない」。“ツベコベ言わずに「運輸省メモ」を受け入れろ”と迫ったのだ。
 伊藤は、自分が細川内閣の運輸大臣だった時の政務次官が現大臣の二階だという関係で解決できるかのように言う。だが、二階は一月二十一日の記者会見で「今現在は残念ながら何も見えておりません」と言明していた。そもそも「年度末決着」とは、始まったのか始まらないのかもわからない自社協議なるものに一切をゆだね、あらかじめどんな内容でも屈服するという代物だった。
 チャレンジ一派は、こうした「年度末決着」を強引に決定させようとした。
 北海道本部・藤原中央委員などは、「三月にILO理事会が開かれるが、政府はさぼっていて、最終勧告を出させようとしているのか。最悪の事態は避けなければならない」と許せぬ言辞を吐いた。「ILO最終勧告を求めない」と言明していた寺内北海道本部委員長らの意を受けた発言である。これがチャレンジ一派の本音なのだ。
 また、革同上村派も「伊藤副党首のお話をうかがって、本当に最大のチャンスが来ていると実感した」(広島地本の斎藤中央委員)、「(改革法承認で)総団結した結果が、ILO勧告となった。年度内に決着をつける決意を固め合うことが重要だ」(近畿地本・田中中央委員)などと、チャレンジ一派と一体化し、社民党に露骨にすり寄る始末だった。
 だが、討論の最後に発言したチャレンジ一派の長野地本・吉田中央委員は、まったくグラグラで、「『三月決着』という議論がされているが、三月には決着するという提起ではない。相手があることで、そんなに簡単にはいかない」と、「年度末決着」の破産を認めざるをえなかった。チャレンジ一派自身の動揺が浮き彫りになったのだ。
 だが、このチャレンジ吉田らの動揺は、このままでは反動的決着がうまくいかないという焦りから生じたものである。「闘い続けたけれども国労がなくなってしまうという結果は避けなければならない」と、一刻も早く闘争団を切り捨て、争議組合であることをやめてJR連合と合流するという路線に変わりはない。
 これを受けた宮坂書記長の集約は、「年度末決着うんぬんという議論がある。言葉のアヤではないが、次のILO理事会が三月十六日から三十一日まで開催される。そこで、中間勧告に基づく、政府の主導での話し合い開始を求める、解決を図っていく、目に見えた動きをつくり出していこうと申し上げているので、ご理解いただきたい」などと、あいまいな表現でごまかしつつ、破産を開き直り、あくまでも「年度末決着」に向けて突き進むことを表明したものだった。
 重大なことは、この書記長集約を始めとして、彼らは「運輸省メモ」を拒否していないということだ。「運輸省メモ」を拒否すべきだという相次ぐ意見に対して、宮坂は「われわれ国労側も話し合い解決に向かっての考え方を披瀝(ひれき)してある。双方の意見には隔たりがあるのは事実だ」などと言うのみで、拒否とは絶対に言わなかった。「国労の考え方」とは、「JRの法的責任の有無はともかく、人道的観点からの解決策を話し合う」というものである。JRの不当労働行為責任は問題にせず、国労の側から「運輸省メモ」の基本線を認めてしまっているのだ。
 このような反動的な「年度末決着」路線粉砕へ、さらに猛然と闘わなければならない。

 第2章 本部批判の発言続々

 他方、闘争団を始め多くの中央委員は、鮮明な本部批判の論陣を張った。主な発言を紹介しよう。
 「一日も早い解決を望むが、国労自らが年度末という時限を切っていいのか。譲れない中身が闘争団にはある。時限を切って自ら縛ってはいけない。旭川の九つの闘争団の連絡会は、あらためて採用差別・不当労働行為との闘いの当事者は闘争団だと確認した」「ILOは当該労働者に公正な補償をするよう勧告している。公正な補償の中身は、未払い賃金の支払い、既得権を伴った労働者の職場復帰というのが結社の自由委員会の見解だ。まさに国労の全面解決要求や闘争団の要求とまったく合致している。『人道上の解決』や『新規採用』ではない。したがって、運輸省案をきっぱり拒否すべきだ。原則に立ち返って、ILO勧告をしっかり生かそう」(北海道本部・旭川闘争団)
 「ILO勧告の内容は、運輸省の考え方を受け入れなければ交渉しないという政府・JR会社の不当・不遜(ふそん)な態度を完全に否定している。三月までに最終勧告を出させるためにさらに奮闘したい。全国闘争団は、労働委員会制度を守り、東京高裁で逆転勝利判決を闘い取ることを確認した。闘いの基本は、政府・JRの不当労働行為責任を追及することだ。闘争団の要求は、ゴネ得ではない。三百九十億円の要求は妥当性がある。本部の対応は裏目、裏目の対応だった。毅然(きぜん)とした対応をすべき。イエス、ノー、メリハリのきいた態度をとるべきだ」(闘争団全国連絡会・神宮議長)
 「国鉄改革法を認めることは、今でも納得がいかない。昨年の自民党、自由党への念書、運輸省と本部のやりとりの中身は、『東京地裁判決に従え』『人道上の問題だ』と。これも納得がいかない。不当労働行為は絶対に許さないことが国労の基本要求だ。人道的問題に片づけられてはならない」(高崎地本)
 「要求を出さないでは団結はできない。『ラストチャンス』と言う人もいる。『この機会に国労の無理な要求を出したり、騒いだら、相手側が話し合いを拒否して壊れてしまう。大きなチャンスを逃してしまう』との意見も聞かれる。どうにもならない解決案などで組織がグチュグチュになってしまわないかと危惧(きぐ)の念を抱く。本部は交渉があまりうまくない。相手側のペースに乗せられたこともあったのではないか」(千葉地本)
 「解決に向けた動きが止まっている理由が『国労とJR各社の話し合い開始について』の運輸省四項目を国労が認めないからだと言われているが、ILO中間勧告によれば、『JRに責任がないことを認めろ』『人道的観点からの新規採用という枠組みを認めろ』『裁判を下ろせ』いう提案は粉砕された。本部はこの四項目をきっぱり拒否し、政府・与党を追い込み、一日も早い解決交渉を設置するように求めるべきだ。解決の最低条件は、不当労働行為を認めさせ、解雇撤回をかちとることにある」(東京地本)
 「『三月決着論』先にありきではとても国労の団結は守れない。ILO勧告を最大限の武器にして、司法も行政も立法もJRも追い込む大事業をやらなければならない」(名古屋地本)
 「ILO勧告は、運輸省案を完全に吹き飛ばすものだった。原動力は闘争団の不屈の闘いだ。名実ともに武器として活用することが重要だ。十二月二十七日の要請で『双方が今決断の時』など言われるが、それは運輸省案を指していることは間違いない。運輸省案を認めた上での解決とは、勧告に反するばかりか、次の展望を見つけられない。社民党・伊藤副党首から解決間近と言われているが、国労要求を出さずに解決ということはない」(東京地本)

 第3章 高橋・宮坂執行部総退陣させ今こそ国労の階級的再生を

 中央委には、ITF(国際運輸労連)本部のコックロフト書記長らが駆けつけ、ILO勧告を全面的に支持し、「最終勧告は中間勧告で示された基本的な骨子からずれることはない」「最終的に解決されるまで、日本政府が恥と感じるようなプレッシャーをかけ続けていきたい」と述べた。また、JR総連指導部
とも会ったことを明らかにした上で、国労を全面的に支援することを表明した。
 来賓あいさつでは、とくに都労連の矢沢委員長が、「都労連の活動家が国労に注目し、『闘いの火を燃やしてこい』と言われて来た」と激励した。
 ILO勧告を機に、国際的にも国内的にも国鉄闘争へのかつてない注目と期待が集まっている。中央委は、国労中央の「年度末決着」路線の不正義の対極で、国鉄闘争の正義とその発展の展望を大きく示した。
 一・二八国労中央委の決戦は、その激しい激突をとおして、帝国主義的労働運動か階級的労働運動かの分岐を鮮明に突き出した。
 昨年三・一八臨大強行から一年、国労総体を帝国主義的労働運動派が制圧し、最後的に変質させ、解体しようとする策動は、根底的に打ち破られつつある。現場組合員の闘う力は健在であり、闘争団を先頭に、新たな闘いへの意欲と熱意はみなぎっている。この力こそが、国労中央の反動的決着策動を阻んでいるのである。だが、本当の決着をつけるのはこれからだ。
 いよいよ、国労中央―高橋・宮坂執行部の総退陣、闘う新たな執行部の樹立が待ったなしに求められる段階に入った。
 三月ILO最終勧告を、国鉄闘争と労働者階級全体の団結と闘いの武器として一大反転攻勢に立とう。このことを心から恐れる権力とJR、JR総連=カクマルは一層密集して襲いかかってくるだろう。だが、何者もこの決起を押しとどめることはできない。
 この国労組合員の闘いは、全労働者階級の決起を引き出し、自自公政治を打ち破り、衆院選挙決戦、沖縄闘争などの二〇〇〇年決戦の勝利を必ずこじ開けるものになる。国鉄闘争を突破口に、二〇〇〇年春闘に決起しよう。貨物を始めとする春闘ストライキを実現しよう。階級的労働運動の再生をかちとり、連合=JR総連を打倒し、新潮流運動の壮大な発展を切り開こう。

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週刊『前進』(1944号2面2)

 名護&サミット決戦レポート

 リコール運動つぶしと激突

 日帝の沖縄サミット・名護新基地建設(SACO貫徹)攻撃との闘いは、衆議院の解散・総選挙情勢と連動しながら、二月冒頭に決定的局面を迎えた。
 七・二一沖縄サミットというデッドラインを設けた日帝・小渕は、年明け以後、稲嶺県政と岸本名護市政のしりをたたいて、名護新基地建設とサミット翼賛運動への県民動員に躍起になっている。三月下旬には、サミット主会場の万国津梁(しんりょう)館の完成・視察を名目に小渕自らが訪沖しようとしている。

 第1節 7・21体制づくり

 帝国主義首脳会議である七月沖縄サミットに対して全世界の労働者階級と被抑圧人民は、昨年のケルンサミット、シアトルでのWTO会議での大闘争に続いて怒りの総決起を図ろうとしている。沖縄サミットが日帝と日本労働者階級・沖縄人民との対決にとどまらず国際的なスケールの帝国主義対人民の対決の場となることは間違いない。
 日帝・国家権力は、自ら設定した沖縄サミットが人民の怒りの包囲でズタズタに粉砕されることに恐怖し、これをのりきるために「七・二一体制」というべき大治安弾圧体制を敷こうとしている。
 日帝は、小渕訪沖を次の節目に、沖縄サミット開催・普天間名護移設=SACO貫徹の攻撃を激化・エスカレートさせている。一月下旬に訪沖した河野外相は、普天間基地代替施設の「十五年使用期限の棚上げ」を明言した。河野はSACO貫徹が「沖縄基地問題解決の唯一の道だ」と沖縄人民を恫喝したのだ。
 日帝の手先・稲嶺の反人民的戦争県政は、おぞましい限りを尽くしている。一月二十三日、沖縄県サミット推進県民会議が、「サミット・クリーン作戦」と称して道路清掃に二万四千人を動員した。また、県(県警)は、サミット時の「沿道警備の都合」で沿道のサトウキビを丸ごと買い上げるという。
 他方で、日帝と稲嶺県政は、この間の特別振興策に加え、沖縄県雇用特別対策、同北部地域特別対策を打ち出した。「高失業率の打破」という大ウソで誕生した稲嶺県政の危機が背後にある。しかしより本質的には、SACO粉砕・名護新基地建設阻止の闘いの中軸を担う沖縄の戦闘的労働運動・労組への攻撃の強化である。七月サミットに嘉手納基地包囲をたたきつけようとしている沖縄労働者人民・労組の闘いを圧殺しようとする攻撃の一環である。

 第2節 岸本リコールへ

 サミットをめぐる闘いの全成否を決める位置にあるのが名護における岸本市長リコールの闘いである。
 日帝・小渕政権と自自公体制は、沖縄圧殺攻撃に政権はもとより国家体制の命運をかけている。その一切をかけて、二月岸本名護市長辞任・三月出直し市長選挙に出ようとしている。岸本一派は、反動的攻撃を大々的に展開し始めた。一月二十五日、辺野古区行政委員会は、「条件付き受け入れ決議」を全会一致で強行した。他方では、岸本一派によるリコール運動つぶしが、「岸本市長続投要請署名運動」「岸本後援会入会運動」などの形で公然化している。二月八日には「岸本市長就任二周年激励会」と称して「三千人を集め」事実上の選挙戦総決起大会を開催しようとしている。
 これに対して、ヘリ基地反対協議会(安次富浩、新城春樹共同代表)は一月二十五日、いよいよ岸本市長のリコール(解職請求)署名を集める受任者の公募を開始した。六百人を目標にしたこの受任者集めが署名運動の成否を決定する。
 二十五日には、新城代表らが名護市の街頭でマイクを握り、受任者公募活動の先頭に立った。反対協は「なぜ、市長リコールか?!||このままでいいのか、名護市!」というリーフを各戸に配布した。闘いは本格的に始まった。
 名護決戦情勢は、二月、いよいよ真剣勝負に入った。衆議院解散・総選挙情勢と名護情勢は今や完全に連動し、二月最初の一週間が決定的となった。
 全国から名護の友人・知人に連絡し、「受任者になろう」と呼びかけ、リコール署名を集めるようにと訴えよう。また、辺野古情勢は区民二分の激戦過程に突入した。全力で命を守る会、ジュゴンの会を激励・支援しよう!
 反革命カクマルは日帝の手先、稲嶺・岸本の手先としての本性をあらわに、リコール運動は「まったく無力であるばかりか犯罪的なシロモノ」(カクマル『解放』一月三十一日付)とわめき、これまででも最大級の悪罵(あくば)を名護ヘリ基地反対協に投げつけた。反革命カクマルの敵対を粉砕して、岸本リコール貫徹=岸本市政打倒にまなじりを決して決起しよう。
 全学連沖縄現地行動隊を先頭に、七月沖縄サミット粉砕・二〇〇〇年決戦の命運を決する二〜三月名護決戦へ全国から総決起しよう!

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週刊『前進』(1944号2面3)

 資本攻勢&労働日誌

 1月14日〜31日

 ●都が2138人削減案を決定

 ●NEC、東芝で成果主義賃金

 ●校長権限強化へ規則改悪

 連合がワークシェアを容認

●14日 法務省は、「会社分割」を容易にする商法改定要綱案をまとめ、法制審議会商法部会に示した。2月の答申後、法案提出へ。
◇法務省が8年ぶりに見直している外国人労働者受け入れ政策の指針「第2次出入国管理基本計画」案で、技能実習の職種を大幅に増やし、就労期間の延長を図る。
●15日 東京都は、来年度都職員全体の職員数を2138人削減することを決めた。(表参照)
●16日 NECは10月から労働組合員を対象に、定期昇給から年功的な要素を排し、成果主義を徹底した賃金制度を導入することが明らかになった。
●17日 厚生、労働、大蔵、通産の4省は、今国会提出予定の確定拠出型年金(日本版401kプラン)法案の施行時期を2001年1月とし、当初予定の今秋から先送りする方針を固めた。
●18日 21世紀の社会保障制度の枠組みを検討する「社会保障構造のあり方について考える有識者会議」(首相の私的諮問機関)が初会合を開いた。
◇小渕首相は、産業競争力会議の第8回会合で、産官学の協力体制を強化する「産業技術力強化法案」を20日召集の通常国会に提出すると表明した。
●19日 電機連合傘下の15前後の主要労資が雇用を段階的に65歳まで延長することに合意する見通しになったのに続き、ゼンセン同盟傘下の繊維・アパレル17社が60歳以降の雇用延長に大筋合意した。
●20日 文部省は新年度から学校教育法施行規則を改め、「職員会議」について「校長が主宰するもの」と初めて明記、校長と職員会議の意見が対立しても校長の意思が優先される法的根拠を与えた。
●21日 連合と日経連による春闘をめぐる初のトップ会談が開かれ、連合側は緊急避難的な措置としてのワークシェアリングのあり方の検討に着手することを明らかにした。
●25日 労働省は沖縄県に対象を絞った雇用の重点対策に乗り出す。政府の「沖縄経済振興21世紀プラン」にあわせたもの。
●26日 中央職業安定審議会が、牧野労相に「雇用保険法等の一部を改正する法律案要綱」について、労働省案を妥当と認める答申を発表。労働省は法律案を作成し、今通常国会に提出予定。
◇エッソ石油、ゼネラル石油、モービル石油、東燃は各社が設備やサービスを提供しあい、対価を支払う「サービス総合提供契約(MSA)」を結び、6月1日付で事実上、事業統合すると発表。人員の約2割の早期退職を募集する。
●27日 電機連合が中央委員会を開催。鈴木委員長は「失業者を一人でも減らすため、組織労働者としてワークシェアリングの採用に賛同するのは当然だ」と強調。
●28日 日本たばこ産業(JT)が国内約2万人の社員数を向こう5年以内に、2〜3千人程度減らす大規模なリストラ案をまとめた。
◇経営再建中の日産自動車は、鋼板の調達先を新日本製鉄、川崎製鉄、NKKの3社に絞ることを内定。鉄鋼再編を促す可能性も。
●31日 東芝は成果を上げれば標準社員の1.6倍の年収を受け取ることができる成果重視型の新賃金制度を4月から導入する。
東京都の職員定数と削減数
部  門 来年度定数 本年度定数 減少数
知事部局    35413    44709  9296
 (清掃事業の区移管分7994人を除くと)1302
公営企業    18039    18254   215
学校職員    62713    63299   586
警察関係    44524    44544   20
消防関係    17998    18013   15
総  計   178687   188819  10132
    (清掃事業の区移管分を除くと)2138

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週刊『前進』(1944号2面4)

 教研集会へビラ

 金沢カクマルを圧倒

 一月二十二日から二十五日まで金沢市を中心に日教組の第四九次教育研究全国集会(日教組教研集会)が開かれた。全国から四千人の教育労働者が結集した。
 今回の教研集会には、「時代の変化と社会の要請にこたえる教研活動」という日教組本部のパートナー路線をのりこえて、今春の「日の丸・君が代」闘争をどう闘うのか、広島、東京、神奈川、大阪などで始まっている組合破壊の攻撃とどう闘うのか、をめぐる分科会での激しい論議や自主的な交流が展開された。
 集会の初日の二十二日朝、闘う労働者・学生は、全国から結集した教育労働者に対する大情宣活動を金沢駅前で展開した。
 「『日の丸・君が代』強制と徹底対決しよう」「沖縄闘争と連帯し、自自公政権の有事立法・改憲攻撃うちやぶろう」「広島高教組への不当大量処分弾劾」の見出しが躍るビラが吸い込まれるように手渡された。「沖縄米軍基地移設反対」七十万署名も行われた。
 権力の庇護(ひご)のもとで「日の丸・君が代」賛成のビラまきをしていたカクマルを一瞬のうちにはねとばして圧倒的な宣伝活動を貫徹した。

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週刊『前進』(1944号3面1)

 「日の丸・君が代」決戦勝利へ階級的団結を強化し闘おう

 教育基本法改悪を絶対許すな

 日帝・小渕政権は、今次通常国会を「教育国会」と銘打ち、教育基本法の改悪を真正面から掲げ、三月には「教育改革国民会議」を発足させようとしている。昨年来、反動マスコミが広島、三重、東京・国立、大阪・豊中などへの攻撃を繰り広げているが、このキャンペーンを予算審議で取り上げることも策動されている。さらに昨年八月の「日の丸・君が代」法制化以降、全国各地で「日の丸・君が代」強制の攻撃が始まっている。いよいよ今春卒・入学式での「日の丸・君が代」決戦を最大の焦点とする、教育と教労戦線をめぐる階級的大激突が開始された。この決戦に、教育労働者を先頭にすべての労働者人民が総決起することを訴える。

 第1節 広高教組1311人への大量処分粉砕へ

 全国で「職務命令・処分」をふりかざした「日の丸・君が代」攻撃が始まっている。早いところでは二学期末から職員会議で卒業式原案討議が始まり、「校長権限」で「国旗・国歌」指導を強制する攻撃に対して、現場教育労働者が反撃に立ち上がっている。決戦は始まっているのだ。
 その中で広島県教育委員会・辰野は十二月二十八日、広高教組千三百十一人の大量処分を打ち出した。教委側からの要請で七二年以来慣行となってきた「破り年休」問題を取り上げ、過去一年の組合機関会議への出席の報告を強要するという不当な支配介入を行い、「記憶にない」などと記入した組合員を対象に、まったく不当な「懲戒戒告」処分を強行したのだ。
 広教組に対しては、同一校十年以上勤務の労働者を強制的に行政区域外に配転する広域異動攻撃が打ち出され、三原地域を始め闘う拠点地域の解体を狙った攻撃がかけられている。
 これらは「日の丸・君が代」絶対反対を貫く広教組・広高教組への超反動的な報復処分であるが、同時に、昨春過程での校長への大量処分だけでは両教組の闘いを抑え込むことができなかった結果であり、敵の攻撃の破綻(はたん)を示すものにほかならない。両教組は現場組合員の怒りを組織し、第一次分で一万六千筆に達する辰野解任要求署名を集め、処分撤回闘争に立ち上がっている。この反撃を支援し連帯して、全国の職場で総決起しよう。
 「日の丸・君が代」決戦は、自自公総翼賛体制のもとでの帝国主義による労働者階級人民への総攻撃と対決し、朝鮮・アジアへの侵略戦争攻撃を阻止していく闘いであり、「ガイドライン体制下の階級闘争、労働運動」そのものである。われわれは、一つひとつの階級決戦課題が戦争国家体制づくりと戦争を許すのかどうかをかけた決戦であることを明確にし、同時にその闘いをとおして階級的労働運動の前進をかちとっていかなければならない。
 「日の丸・君が代」決戦を、学校現場・職場分会での攻防を基礎としながら、政治決戦として、組織決戦として闘い抜こう。
 第一に、この決戦が新ガイドライン体制との闘いであることを明確にして闘うことだ。「日の丸・君が代」決戦とは「教え子を再び戦場に送るな」の闘いそのものであり、同時に「闘うアジア人民、闘う沖縄人民と連帯した闘い」だ。
 「日の丸・君が代」決戦は、「国旗・国歌」法制化以来、産別課題の位置をこえて全階級的決戦課題へと押し上げられてきた。この大攻撃に対して、教労戦線を軸として、壮大な大衆決起をつくり出していこう。

 第2節 「教育改革」と対決し゛第二の勤評闘争゛を

 第二に、この決戦は教育基本法改悪攻撃=改憲攻撃との闘いである。〈戦後教育の憲法〉と言われてきた教育基本法の改悪を明言し「教育改革」を最重要課題に掲げる小渕・自自公体制の打倒の闘いとして、「日の丸・君が代」決戦を闘い抜かねばならない。
 日帝・小渕と文部省による教育と教育労働運動への攻撃は、「日の丸・君が代」を押し立てながら、全面的である。広島や三重では日常の当たり前の組合活動への攻撃が打ち出され、解放教育や平和教育の実践の解体が策動されてきた。
 さらに、石原都政は新勤評=「人事考課」四月実施を打ち出し、大阪府もその来年施行に向けた検討を通告してきた。これは成績主義賃金導入の攻撃であるが、都教育長が「いわゆる『勤評闘争』以来四十年余りにわたり、私ども教育行政に携わる者にとりまして懸案とされてきた人事管理上の課題でございました」と言っているように、勤評闘争と日教組運動の全地平の解体を策す暴挙だ。
 また文部省の省令改悪により、校長権限強化のための「学校評議員制度」、職員会議の「補助機関」化、学校管理規則の改悪が全国化しようとしている。主任制度の中間管理職化ももくろまれている。
 かつての勤評闘争は「勤評は戦争への一里塚」を合言葉に労働者、地域住民、生徒の総決起で闘われた。日教組の種々の教育運動もこの地平のもとに打ち立てられた職場支配権を基礎にかちとられてきた。同時に勤評闘争は、六〇年安保の壮大な決起を準備した闘いであった。だからこそ今、新ガイドラインのもとで勤評闘争の地平の全面解体攻撃がかけられているのだ。
 第三次安保・沖縄闘争の本格的実現をかけて、「日の丸・君が代」決戦と新勤評攻撃との闘いで「第二の勤評闘争」を切り開こう。
 第三に、階級的労働運動の発展をかけ、日教組運動の未来をかけて総決起しなければならない。

 第3節 闘う日教組運動の防衛と再建をかけて

 「日の丸・君が代」攻撃とは、何よりもまず、「教え子を再び戦場に送るな」を掲げ、反戦闘争と階級的路線が脈々と息づいている日教組運動の解体攻撃である。侵略戦争を許さない戦後の労働運動を体現し、これを牽引(けんいん)してきた日教組運動の解体を許してはならない。階級的労働運動の未来をかけ、国鉄決戦とならぶ階級的決戦として、この組織戦にかち抜かなければならない。
 その際、国鉄決戦がそうであるように、われわれには「日の丸・君が代」決戦に責任を取りきる決意だけでなく、四十万日教組の全体を防衛し、獲得する立場と構えが求められる。
 日教組中央は、昨年の三月中央委と六月大会で、「日の丸・君が代」闘争方針を復権させ、ガイドライン闘争と国会闘争に一定の取り組みを行い、左旋回を示してきたが、八・九法制化以降、再び連合路線を強めている。十月中央委では「日の丸・君が代」闘争について、「『日の丸・君が代』の法制化にともなって、『国旗・国歌』の取り扱いについては…十分な話し合いを基本として、地域や学校現場での対立と混乱を増幅させないようとりくみ…」と、方針を大きく後退させている。
 そのもとで、三重県教組は「職員会議で議決せず、最後は校長に判断をゆだねる」とあからさまな屈服方針を打ち出し、大阪教組も「統一対応」の名目で現場の闘いを抑制することに必死で、歴史を正しく教えることだけが現場での具体的方針とされている。
 しかし、その制動をのりこえて闘いが現場で貫かれている。われわれは、連合の新政治方針にもとづく翼賛路線と対決し、日教組中央、各県教組執行部の屈服・裏切りをのりこえ、現場組合員と職場の団結に依拠し、闘う日教組の復権に向けて総決起しなければならない。その闘いの中で、広島の同志たちが常に「われわれが執行部ならどう闘うのか」という立場から闘いを牽引し、勝利を実現してきたことに学び、全国の教労戦線において飛躍を実現しなければならない。
 この飛躍をとおして、教労戦線に強大な細胞建設を推し進めよう。
 第四に、「日の丸・君が代」決戦を、部落解放同盟全国連合会を先頭とする闘う部落大衆との共同闘争として闘い抜くことである。
 「日の丸・君が代」攻撃は天皇制・身分的差別への屈服強要の攻撃であり、ガイドライン体制下で差別攻撃を激化させる大反動攻撃である。したがってこの闘いは、部落大衆にとっても死活をかけた決戦である。ところが、屈服と翼賛化を深める解同本部派のもとで、十一月天皇式典に際して隣保館に「日の丸」が掲げられ、支部容認のもとで同推校が率先して「日の丸・君が代」実施を進める事態が始まっている。これに対して解同全国連中執は、差別糾弾闘争の復権をかけて「日の丸・君が代」闘争に総決起する方針を確立し、第九回大会にむけて闘いを開始した。
 この闘いと連帯して「日の丸・君が代」闘争への総決起を実現し、矢田・八鹿差別事件をのりこえる、部落大衆と教育労働者との真の共同闘争を実現していかなければならない。

 第4節 〈階級的団結の力〉の強化こそが勝利開く

 最後に、階級的団結を打ち固め、教育労働者が新潮流運動の最先頭に立って闘うこと、そして今教育現場にかけられている重圧をはねのけ、勝利の展望を真剣に、生き生きと提起することの死活性を確認したい。
 広島・北海道・東京・神奈川・三重・大阪・奈良・兵庫の八都道府県を中心に、全国の学校現場で反撃が闘われている。しかし、教組の機関会議では闘いの情報は回されず、「大量処分」やマスコミキャンペーンで「厳しい情勢」だけが紹介され、教育委員会と管理職からの職務命令の重圧と「処分されても犠救はない」という連合執行部の脅しが繰り返されている。
 ここで重要なことは、懲戒処分をちらつかせる行政権力や右翼テロという天皇制攻撃の本質である暴力的攻撃と連合支配に対して、教育労働者は何をもって対決し、勝利することができるのか、ということだ。
 それは〈階級的団結の力〉だ。日教組の階級的団結は、戦後史をとおして侵略戦争を許さない最大の力となってきた。だからこそ、日帝はその解体のために半世紀を費やしてきたし、今その解体に向かって総攻撃をかけているのだ。このことの中に、実は勝利の展望が示されている。
 階級的な団結をもって闘うならば、天皇制のイデオロギー攻撃を打ち砕くことができるし、「職命・処分」攻撃を跳ね返すこともできる。われわれは、階級的団結の力を強めて「連帯し侵略を内乱へ」の闘いに発展させ、この階級的団結の基礎の上に立って、労働者階級解放の闘いを実現していくのだ。三労組の呼びかける十一月労働者集会の大結集の実現へ、教育労働者は新潮流運動の最先頭に立って闘おう。
 以上の立場を明確にして、われわれは、すべての人民の先頭で「教え子を再び戦場に送るな」の闘いを貫き、二〇〇〇年決戦を切り開く決意である。
 〔マル青労同教育労働者委員会〕

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週刊『前進』(1944号3面2)

 2000年決戦に進撃開始

 中四国革共同集会開く

 一月二十三日、革共同中四国政治集会が、広島市のワークピア広島(旧労働会館)で二百五十人の結集をもってかちとられた。多くの新しい青年労働者・学生の参加が、九九年の闘いの前進を明確に示していた。
 まず冒頭に、長谷川英憲さんからの衆院選決戦の必勝をかちとろうという力強いメッセージが紹介され、圧倒的拍手で確認された。
 連帯のあいさつに、九九年をともに闘った人たちが登壇し、二〇〇〇年決戦への共闘を力強く訴えた。反戦被爆者の会の大槻泰生会長、大手術を終え復帰した全国被爆者青年同盟の友野幽さんは、東海村臨界事故での大内さんの虐殺と日帝の核武装政策を糾弾し、先日亡くなった伊藤サカエさんの遺志をも継いでヒロシマ・ナガサキの原点に立って闘うことを宣言した。
 闘病に勝利し駆けつけた部落解放同盟全国連合会の亀井廣敏副委員長は、全国連第九回大会への結集と狭山新百万人署名運動への取り組みを熱烈に訴えた。また動労西日本の労働者が、新合理化攻撃と対決しJR総連=カクマルを一掃しようと呼びかけた。広島「障害者」解放委員会は労働者階級と連帯し二〇〇〇年決戦を先頭で闘う決意を述べた。最後に富山保信さんが、ガイドライン下の救援闘争の重要性を訴えるとともに、自らの再審闘争を貫徹する決意を表明した。
 さらに三里塚反対同盟の北原鉱治事務局長、革共同沖縄県委員会、星野救援運動の星野暁子さんからのメッセージが紹介された。
 続いて革共同を代表して仁科一同志が、「『二つの連帯戦略、一つの打倒戦略』掲げ、二〇〇〇年決戦に勇躍進撃しよう!」と題して基調を報告した。
 仁科同志は、世界大恐慌と分裂・ブロック化の危機を深める帝国主義の侵略戦争・世界戦争を世界革命に転化するときが来た、「二つの連帯戦略、一つの打倒戦略」は二〇〇〇年決戦(−二十一世紀初頭の階級闘争)の現実的テーマである、『前進』新年号が提起した三大方針をもってこの戦略を実現していこう、と問題の核心を提起した。これを踏まえ、沖縄、国会、国鉄を始めとする労働戦線など二〇〇〇年決戦がすでに激しく幕を開けたことを指摘し、あらためて決戦への決意を呼びかけた。
 さらに、今こそ党の時代認識を大胆に労働者の中へ持ち込もうと呼びかけ、その核心中の核心は中国問題にあることを力説した。ひとたび中国大乱となれば、その破局のスピードと規模は何人の予測をも超えたものとなると指摘し、ここをにらんで突出する米・日帝国主義の朝鮮・中国−アジア侵略戦争を、アジア人民と連帯して世界革命=日本革命へ転化しなくてはならないと、力強く訴えた。そしてこの現実の最大の火点が沖縄サミットをめぐる攻防であると指摘した。
 日本階級闘争が戦後最大の決戦期を迎え、有事立法・改憲に突き進む自自公・小渕政権への反転攻勢のチャンスは圧倒的にあることを、九九年闘争の総括をとおして明らかにした。
 仁科同志は、二〇〇〇年決戦の柱である三大方針の重大性について、@衆院選を介護保険問題を最大のテーマとして闘い、社会保障制度の領域を日共と公明党から奪い取って日本階級闘争の最大のテーマに転化して勝利することが第一の任務であること、A沖縄−本土の連帯で沖縄サミット粉砕・名護新基地建設阻止をかちとることが米日帝の朝鮮・中国侵略戦争を内乱に転化する環中の環であること、B国鉄、都労連、「日の丸・君が代」、全逓決戦を先頭に、連合=JR総連・カクマルの「政治路線」(祖国擁護への大転向)と対決し打倒する闘いが現実の死活的テーマとなった、と訴えた。
 最後に、レーニン主義の党こそ勝利を保証するかぎであることを強調し、労働者自己解放性への確信のもとに反スターリン主義・革命的共産主義の労働者党建設に勝利しようと呼びかけた。全参加者は圧倒的拍手でこの提起を確認した。
 マルクス主義青年労働者同盟の同志からの決意表明が行われた。「日の丸・君が代」攻撃と不屈に闘う教育労働者委員会、人事交流−組合破壊を許さず闘う全逓委員会、再合理化・リストラ攻撃と闘う電通委員会、ガイドライン下で強まる「二重の抑圧」攻撃と闘う女性労働者、団結で首切り・リストラに立ち向かう未組織労働者の仲間が、力強くアピールした。
 さらに全学連反戦日本原現地闘争本部、マルクス主義学生同盟中核派の仲間から決意が表明された。
 広島県警と公安調査庁は会場周辺への張り込み体制を敷き、参加者のガラス張り化と集会破壊をたくらんだが、完璧な結集・解散戦争によって粉砕された。また武装自衛によって反革命カクマルも指一本触れることはできなかった。
 こうして中四国の闘う労働者・学生は二〇〇〇年決戦へいよいよ本格的一歩を踏み出した。

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週刊『前進』(1944号3面3)

 革命党への適用の”予行演習”

 団体規制法(第2破防法)の発動=観察処分決定を弾劾する

 公安審査委員会は、宗教の形態をとった新型のファシスト集団・オウム真理教(「アレフ」に改称)に対して団体規制法(第二破防法)第五条に基づき、公安調査庁の請求どおり三年間(法律に定められた最長)の観察処分を決定し、一月三十一日に公安調査庁とオウム真理教に通知した。二月一日には官報に公示した。週内にも立ち入り検査を行うとしている。当初二月四日と言われていた決定を早めての決定であり、日帝が一日も早く発動の既成事実を作ろうという意志を表明したものである。
 これは、本質的に言って日帝・国家権力による革命党組織に対する弾圧攻撃のためにする攻撃であり、断じて許すことはできない。これはオウムを口実にし活用して、実は革共同に対する団体規制を行う突破口としようとするものである。さらには労働組合を始めあらゆる民主的運動に牙(きば)をむいてくるのである。文字どおり革命党壊滅攻撃の予行演習である。日帝の朝鮮・中国−アジア侵略戦争への踏み切りの中で、第二破防法を発動することで戦時治安弾圧体制をつくろうとするものだ。
 団体規制法は被害者救済法とともに、小渕政権によって昨年十一月二日、臨時国会に提出され、スピード審議で十二月三日には強引に成立させられた。
 日帝は、オウム真理教に対する恐怖心をあおり、「オウム排斥」の住民運動を組織し、オウムを取り締まるためなら何でも許せると「世論」を誘導して、いわばオウムを奇貨として、革命的左翼に対し団体規制法を思いのままに駆使していこうとしているのだ。それによって、わが同盟に対する九〇年破防法適用策動の破産以来、いわば死に体となってきた破防法と公安調査庁をよみがえらせようということなのだ。
 観察処分の決定で、立ち入り調査が始まり、報告義務を負わせ、結局再発防止処分に行き着く一連の団体規制法発動過程をとおして、公安調査庁の実質を伴った弾圧機関としての力を回復させ、革命党弾圧に有効な組織にしていこうとしているのだ。
 日帝権力の狙い、団体規制法攻撃の本質を明確にさせ、全力で反撃に立ち上がろう。革命党解体の攻撃が同時にすべての労働運動、市民運動をも圧殺していくものとなるのは明らかである。広範な人民とともに闘いを巻き起こそう。

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週刊『前進』(1944号3面4)

 共同行動

 緊急行動に立つ

 公安審査委に申し入れ

 公安審査委員会がオウム真理教に対する観察処分の決定を下した一月三十一日、破防法・組対法に反対する共同行動は、憲法、刑訴法を踏みにじり、警察と公安調査庁に令状なしの家宅捜索を認める観察処分決定を絶対に許してはならないと、朝から緊急行動に立ち上がった。
 出勤時、地下鉄霞ケ関駅の出入り口に陣取った共同行動は、「本日、公安審による『観察処分』の決定を許すな/公安審に抗議の声を!」と訴えるビラ数千枚を配布した。
 続いて全員で公安審査委員会に行き、「直ちに手続きを中止し、請求を棄却せよ」と断固とした申し入れを行った。応対の職員は、「『本日決定する』との報道があるがどうか」などの質問に対して、「知らない」を連発し、不誠実な対応に終始した。この対応の中に、支配秩序維持のためなら労働者人民の人権を平然と踏みにじって恥じない帝国主義者のおぞましい姿が示されている。共同行動は、怒りのシュプレヒコールで公安審を弾劾した。
 続いて共同行動は有楽町マリオン前に移動し、観察処分決定に突き進む公安審弾劾の街頭宣伝を行った。
 観察処分決定を受けて警察と公安庁は直ちに全国三十カ所の令状なし家宅捜索を強行する構えである。さらに再発防止処分へ移行することも狙っている。警察による住民の反オウムへの動員、地方自治体の違憲・違法の住民登録拒否は、支配に逆らう者に人権を認めない、抹殺するという戦時治安体制の本質を示している。その頂点が団体規制法(第二破防法)発動であり、それをあらゆる民主的団体や労働組合などに適用する突破口を開くことを、絶対に許してはならない。

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週刊『前進』(1944号3面5)

 ”盗聴法を廃止に”

 実行委員会の運動始まる

 有楽町で街頭署名

 組織的犯罪対策三法のうちの盗聴法は今年八月に施行されようとしています。他の二法は施行済み。施行前に盗聴法を廃止に追い込もうと、盗聴法廃止を求める署名実行委員会の初めての街頭署名が、一月二十九日午後、有楽町のマリオン前で行われました。(写真)
 実行委員会の労働者や市民ら約四十人が、ゼッケンや工夫をこらしたかぶりもの姿で立ち、廃止署名への協力を求めると、家族連れやサラリーマンが次々に署名に応じていました。
 署名運動呼びかけ人で作家の宮崎学さんがマイクを握り、「漠然とした不安をあおって国家の強権化を狙う動き」に警鐘を鳴らし、「法案を通した八代英太、与謝野馨を必ず次の選挙で落選させよう」と訴えました。同じく呼びかけ人の海渡雄一弁護士は、「DVD−ROMで警察は市民の会話を根こそぎ記録しようとしている」と暴露し、「警察の不祥事、捜査資料悪用は、盗聴法で警察にプライバシーに触れる機会を与えたらどうなるかをよく示している」「悪いものはなくしていくのが署名運動」と盗聴法廃止署名運動への参加を力強く呼びかけました。警察の違法盗聴の被害者である緒方靖夫議員も「盗聴法廃止で力関係を変えよう」と訴えました。
 実行委員会に参加する労働者や市民も次々にマイクを握り、労組交流センターの労働者は、令状主義の原則を破壊する盗聴法を廃止しようと訴えるとともに、労働運動を進める立場から、「労働運動、市民運動を抑圧する組対法三法を丸ごと廃止へ」と強烈に訴えていました。
 組対法の国会通過後も、労働者、市民の関心と不安、怒りはけっして低下してはいないことが、次々に署名に応じる労働者らの姿を見て実感できました。この力を広げていけば、組対法三法廃止をかちとれると確信を固めて、街宣を貫きました。
(投稿 東京 Y・H)

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週刊『前進』(1944号4面1)

 7・7路線と入管闘争の敵対者に転落した白井朗を粉砕せよ

 反党転向分子の革共同破壊許すな

 西山 信秀

 はじめに

 革共同から脱落・逃亡し、権力に投降した白井朗=山村克は、今や革共同憎しの一点のみで行動する反革命転向分子、私怨(しえん)・怨恨(えんこん)を自己増殖的に肥大化させた前代未聞の反党裏切り者に成り下がってしまった。暴露と称するデマを書き連ねたパンフ(二冊の赤パンフ)をばらまき、もみ手をして権力とファシスト・カクマルに自分を高く売り込もうと必死になっている。白井には、かつて革命的共産主義運動の指導部の一員であったという矜持(きょうじ)などはもはやみじんも残っていないようだ。最後の人間的な節度すらも投げ捨てたとしか考えられない。
 白井にとって一番の頼りは、現代のファシスト=反革命カクマルである。白井は、カクマルこそが自分の反革命的な革共同破壊のうごめきの一番の理解者であることをよく知っている。案の定、カクマルは直ちに白井の名をかたって、党と大衆運動の破壊のためにうごめいた。その一つが、「百万人署名運動を発展させ白井政治局員を支持する会」を名乗った、百万人署名運動の諸人士に対する破壊策動であった。白井の名を使ってカクマルどもがうごめくというおぞましい光景が現出した。白井はそれを知って「我が意を得たり」とほくそ笑んだ。
 次にカクマルは、白井の名をかたって革共同をおとしめるためのデマを詰め込んだ青パンフを作成して全国各所に送りつけた。われわれは、それが白井の名をかたったカクマルが作成したものであることを直ちに暴露し、実証した。
 カクマルが白井に代わって、白井を名乗って策動していること、白井の意図を実行に移そうとするものはカクマルだけであることが暴き出されると、白井はカクマル以上に打撃を受けた。白井は、この後の反革命策動の余地を残すために、青パンフはカクマルが発行したものであるという無責任な声明を発して、カクマルを非難しているかのような装いをとろうとしている。
 だが、白井の存在そのものが、革命党と戦闘的大衆運動、階級的労働運動の発展に対する敵対・妨害者でしかないことは、今や誰にとっても明白である。われわれは、革共同から逃亡しただけでなく、恥知らずにも党と革命運動の破壊のためにうごめいている白井の存在そのものを許さない。白井は、党内に「残存」しているときから、故本多延嘉書記長をおとしめて平然としているような人格であったが、今やそれは腐敗の極みに達している。われわれは、二十五年目の三・一四を前に、反革命に転落した白井の存在そのものを許さないという固い決意を全社会に宣言する。
 白井は、権力への投降と同時に『二〇世紀の民族と革命』という反革命的な本を出版して、自分の腐敗したイデオロギーを満天下にさらけ出している。この本は、もともと今から十年前に、白井が突然持ち出して党の出版物にせよと要求し、あまりに反マルクス主義的であるために政治局で討議の末拒否された原稿を元にしている。政治局は、内容のあまりのデタラメさに衝撃を受けたが、それでも可能な限り真摯(しんし)に討論した。白井は、討論の結果、自分の誤りと逸脱を認めたが、しかしそれ以後、繰り返しこの変節したイデオロギーを持ち出そうとする誘惑に駆られるという状態に陥ったのである。
 その前提には、すでに八〇年代において、白井の革命家・革命的共産主義者としての思想的・人間的支柱が崩れてしまっていたということがある。 白井は、組織的無責任を決め込みながらマルクス主義、唯物史観を否定するところまで思想的変節を進行させてしまっていたのである。
 われわれは、必要なかぎりその過程での討論を公開することを決めている(『共産主義者』一二三号掲載の文書など)。それは、権力・カクマル反革命との長期にわたる革命的内戦の渦中で革命党の内部から生み出された腐敗物としての白井問題に革命的に決着をつけるための闘いのひとつである。われわれは、これはこれで徹底的にやり抜くことを決意している。
 さて、白井の腐敗したイデオロギーの中心内容は民族問題にある。白井は、反スターリン主義・革命的共産主義者として、現実の組織的実践の中で、労働者階級の階級的解放(階級的=普遍的解放)の立場から民族問題との主体的格闘をやり抜くことそのものを放棄し、スターリン主義の反革命性と歴史的破産の現実にただただ絶望し、スターリン主義=マルクス主義としてしまうところまで変節・変質してしまったのである。そうした白井の転向と腐敗を最もよく示しているのは、白井がこの反革命的「著作」中で何か事のついでのように行っている「在日朝鮮人問題」への言及である。それは以下の部分である。
 「『言語と共感』規定が民族を捉える有効性をもつのは、在日朝鮮人を考えてみるとよく判る。こんにち在日朝鮮人・韓国人の二世・三世の青年にあっては朝鮮・韓国語を話せる人が少なく(かんたんな日常会話のレベルを含めて韓国人青年の場合約一割)、日本帝国主義の同化政策によって言語は日本語に同化しつつあるが、民族的共感の絆によって堅く結びついている。なぜなら在日韓国人は日本国籍はおろか市民的権利を認められず、日本人とはまったく異なった歴史的な共通の体験・共感(在日に帰属する意識)が民族的帰属を意味する。在日朝鮮人はもっと差別されている。一九四五年八月一五日日本国民が敗戦を悲しんでいたとき、在日朝鮮人・中国人が『ついに解放の日がやってきたのだ』と万歳を叫んだまったく対照的な態度のなかに、抑圧民族と被抑圧民族の民族的共感の決定的な相違、歴史的な共通体験の対照性をみることができる」 
 これは、白井の七・七問題への完全な無知と無理解(もともとの無知・無理解ということを含む)を示しているだけでなく、現在の反革命的腐敗を集約的に表現しているものとして、絶対に看過できない。これは単なる世迷い言ではなく、入管闘争への現実的・実践的な断じて許しがたい反革命的敵対である。われわれは、まずこの点を徹底的に明確にしていきたい。
 以下、この部分に焦点を当てて壊滅的に批判・断罪する。

 第1章 T実践的な立場の完全な喪失を自己暴露した「民族問題論」

 白井朗のインチキで反革命的な著作『二〇世紀の民族と革命』の中には、入管闘争についての記述はわずかたった八行しかない。革共同が民族問題について論じるとき、「七〇年七・七自己批判」にふれることなしには論は進められない。入管闘争の主体的契機とその実践上の問題の掘り下げ抜きには、日本階級闘争―国際階級闘争というテーマ、民族解放闘争―民族解放・革命戦争という壮大なテーマには入り込めない。白井朗にはこのことがまったく分かっていない。いや、分かっていないというよりは、白井は入管闘争の敵対者・破壊者として登場しているのだ。
 この八行の記述の中で、それは満展開されている。
 白井は依然として自らをマルクス主義者であるかのように装っているが、そこには革命的・実践的立場はどこにもない。
 「七・七自己批判」には、日本階級闘争における主体的・階級的契機としての入管闘争、在日朝鮮・中国|アジア人民の主体的措定ということが決定的な問題としてはらまれている。そこをすり抜けた民族解放闘争への接近ということはわれわれにはありえないのだ。「七・七自己批判」においてわれわれはそこを徹底的に掘り下げ、討議しつくした。入管闘争の契機を蒸発させてしまっては「アジア人民との連帯」は空語になってしまうことをわれわれは肝に銘じたのである。
 ところが白井は、「七・七自己批判」を今や革共同に敵対するための道具として利用できるかのように錯覚しているのだ。七○年当時から今日まで、白井は自らの責任にかけて「七・七自己批判」について語ったことは一度もない。自らの自己批判として「七・七自己批判」を措定したものなどまるでない。したがって入管闘争について論じたことなどない。 白井は清水丈夫同志に向かって「七・七自己批判」の立場がなくスターリン主義だとわめいているが、「七・七自己批判」の利用主義とは実は白井自身のことなのだ。被抑圧民族人民の立場に乗り移り、そこから「七・七自己批判」をまるで他人事のように語るのである。
 『二〇世紀の民族と革命』の後半部分のわずか八行の在日朝鮮人民についての記述は、@在日朝鮮人民が朝鮮民族の一翼をなす存在であること、A日帝による朝鮮の植民地支配と強制連行などによって在日朝鮮人民が日本の地に存在するようになったこと、B戦後の朝鮮戦争などによって在日を余儀なくされ、その結果、祖国の朝鮮人民と分断され、南北分断が日本における在日の分断となり、また日本人民との分断のもとにおかれ、日本帝国主義による植民地主義的な苛烈(かれつ)な弾圧体制―入管体制下におかれて、すさまじい苦闘を強いられていること、Cその中で在日朝鮮人民がたくましくしたたかに生き抜き闘い抜いていること――などがまるで措定されず、すっぽりと抜け落ちてしまっている。
 南北の朝鮮人民と在日朝鮮人民(そして在旧ソ連、在中国の朝鮮人民も)は、それぞれ帝国主義(とスターリン主義)の戦後支配の中で分断されていても、朝鮮の民族解放闘争の主体として一体の存在である。白井の言う「在日朝鮮人を考えてみると」というのは、こうしたことがらの上で初めて成立することであり、それは七〇年七・七の際にもそうであったように、今日の生々しい現実そのものなのであり、けっして前提化したり、棚上げしてはならない問題なのだ。
 白井は「言語と共感」の問題として民族問題を論じようとして、その中で在日朝鮮人にふれているが、実は在日朝鮮・中国―アジア人民の苦闘と日本人民としての階級的立場からのそれへの接近、連帯の具体的実践の格闘をとおしてしか、このテーマへは立ち入れないのである。白井の実践と実践的立場の喪失は、最も端的に入管闘争への敵対として現れる。入管闘争への敵対はアジア人民、在日アジア人民への敵対であり、日本プロレタリアート人民のプロレタリア自己解放闘争への敵対・破壊なのだ。
 ところで、この八行の中には「在日朝鮮人」はあっても、「在日中国人民」「在日アジア人民」は皆無である。ここにも白井の入管闘争に対する無知がさらけ出されている。白井の民族問題への接近が、帝国主義国のプロレタリアート人民出身の共産主義者として「七・七自己批判」を実践する立場に立ちきったものでないことは明らかなのである。
 以下、八行の記述内容の反革命性を具体的に検討する。

 第2章 U同化・帰化攻撃に完全屈服し日本国籍の取得要求する白井

 (1)白井朗は、在日朝鮮人についての八行の記述で、「民族的帰属」や「民族的共感」について語ろうとして完全に破産している。いわく、「日本人とはまったく異なった歴史的な共通の体験・共感(在日に帰属する意識)が民族的帰属を意味する」と。「在日に帰属する意識が民族的帰属」とはいったいどういうことなのか。日本に(ほかならぬ朝鮮を植民地支配した日帝のもとに)存在することそれ自体についての意識が民族的帰属なのか? これでは何も言ったことにならない。
 在日朝鮮人民は、こうした分断下の抑圧体制下で生き抜く中で、朝鮮民族とは何か、在日するとはどういうことか、激しい差別の中で自分の存在を問い、苦闘しつつ、日本―日帝下で存在しているのである。在日朝鮮人民の一人ひとりが筆舌に尽くせぬ苦闘と格闘の中で生きているのである。それは「(在日としての)歴史的な共通の体験・共感」とさらりと言えるものではない。進行形の現実の問題そのものとしての「歴史と現実」であり、このような完了形で述べられるようなものではないのだ。
 まさに、在日することと朝鮮人であることとの分断的・分裂的現実との格闘にその火点があり、民族解放・自己解放的決起の根底性があるのだ。そしてこの格闘・苦闘は「体験・共感」などという生やさしい言葉などでくくれるものではない。ここに白井の階級的感性の喪失がある。      
 さらに、この記述にある「日本人とはまったく異なった」という言いまわしの中には、日本プロレタリアート人民への、その階級性への不信と絶望がはっきりと語られている。いや、もっと言えば、この白井の記述はプロレタリアート人民の根源的な階級性の否定を目的とするものであるとさえ言えるのである。「日本人はダメで、朝鮮人は……」とするこのようなあまりに軽薄な立場は革共同のものではないし、「七・七自己批判」の立場でもない。七〇年十月二十六日付本紙五〇六号論文(清水丈夫選集第二巻所収)や本多延嘉同志の提起した民族解放・革命戦争の五つの内容を全面否定するものなのである。
 それはまた、闘う在日朝鮮・中国―アジア人民のとる立場でもない。在日アジア人民からの日本プロレタリアート人民への糾弾は、根底的連帯を求めているものであり、たとえ絶望的・断絶的表現をとったとしても、それは怒りのあまりの大きさからくるものであり、スターリン主義的歪曲に基づくものがはらまれているからである。問題は、反スターリン主義・革命的共産主義の立場からアジア人民、在日アジア人民の批判と糾弾をわれわれはいかに受け止めるのかということなのである。
 そもそも白井は五〇六号論文や本多同志の「レーニン主義の継承か解体か」を本当に学んだのかと言いたい。そこには、帝国主義国のプロレタリアート人民の階級的自己解放性への確信を根底に据えた、共産主義者の立場からする階級的自己批判が、そしてアジア人民・被抑圧民族との連帯の闘いの意義が、生き生きと実践的に述べられているではないか。「被抑圧人民の自己解放の闘いと帝国主義的抑圧民族のプロレタリアート人民の解放闘争=革命闘争との本質的連帯性・相互規定性」(五〇六号論文)ということである。
 「在日に帰属する意識」とは、ストレートに言えば日本に存在する(し続ける)ことにおける問題であり、先に述べたように、まさにここに入管闘争のもつ意義を階級的にとらえ返す意味があるのだ。入管闘争への主体的接近は、在日朝鮮・中国―アジア人民の存在と闘いの主体的措定という問題なのである。これこそはまさに日本のプロレタリアート人民が帝国主義の民族抑圧と主体的に格闘する出発点をなす第一の対象なのだ。だからこそ白井は、この「民族的帰属」ということを入管闘争の破壊の論述の環に据えているのだ。次にそれを具体的に展開してみる。
 (2)この白井朗の八行の反革命的記述の中で、最も際だっているのは「在日韓国人は日本国籍はおろか市民的権利を認められず」としている個所である。これが先の「民族的帰属」につながるものであることから、この部分は白井のここでの主張の核心をなすといえる。
 入管闘争を闘う者であれば誰でもここははっきりする。「日本国籍はおろか」などと、日本国籍を獲得することを入管闘争の目的にする者などどこにもいない。これに続けて「市民的権利」としているのはどういうことか。在日朝鮮人は市民的権利を日帝政府によって与えられていない、日本国籍さえ与えられていない、と白井は言っているのだ。入管闘争の目的は市民的権利の獲得の一環として日本国籍を取得して日本国民になることだ、ということだ。これでは法務省官僚の坂中英徳の言う「これ以上の権利がほしければ帰化しなさい」と同じではないか。
 戦後一貫して闘われた在日朝鮮人(在日朝鮮・中国―アジア人民――以下同じ。ここではさしあたり朝鮮人をとりあげる)の入管体制との激しい闘いは、白井においてはどのように総括されて「日本国籍」などということが出てくるのか。在日朝鮮人民は「日本国籍を始めとする市民的権利」を要求して闘ってきたのか。朝鮮籍や韓国籍に分断され、果ては日本国籍を強要される大攻撃の中で、在日しながらその民族的=人間的権利を要求し、自ら闘いとってきた歴史と現実から総括したとき、そして日本人民の階級的立場からそれを受け止めたときに、どこから入管闘争の方針や目的として「日本国籍」という言葉が出せるのか、ということだ。
 日本国籍(の強要)は日帝の攻撃そのものであり(でなければ追放)、在日朝鮮人民の闘いはこれとの闘いの歴史と言えるのだ。白井の言うような、在日朝鮮人には日本国籍が与えられていないことが最大の差別であり民族抑圧であるというような転倒は、入管闘争に身を置いたことのない者の立場、はっきり言えば入管闘争を破壊することを目的とした者の言動にほかならないということなのだ。
 (3)この問題をさらに深めるために、白井朗のこの八行中の最も反動的なトリックを暴いてみる。
 (2)で引用した部分の前後は「こんにち在日朝鮮人・韓国人の二世・三世の青年にあっては朝鮮・韓国語を話せる人が少なく(かんたんな日常会話のレベルを含めて韓国人青年の場合約一割)、日本帝国主義の同化政策によって言語は日本語に同化しつつあるが、民族的共感の絆によって堅く結びついている。なぜなら在日韓国人は日本国籍はおろか市民的権利を認められず、……在日朝鮮人はもっと差別されている」となっている。
 ここでまず確認したいことは、革共同は一貫して在日朝鮮人と表現しているということである。歴史的・今日的経緯をふまえてそうしている。これについては白井が革共同の一員であったときにも、当の白井から変更や討議の提案がなされたことは一度としてない。当然にもわれわれはこうした分断の現実の物質化の進行に屈服する立場ではないからだ。しかし、もとより今日の在日朝鮮人民が自らを韓国人と表現することを否定したり、屈服だとして批判することは、誤りである。われわれはそうした立場ではないことは明らかである。
 白井は、トリック的に韓国と朝鮮を使い分けて衒学(げんがく)的に惑わそうとしているのである。ここでこの朝鮮籍・韓国籍をめぐる闘いについて、若干振り返ってみる。
 在日朝鮮人が日本国籍から離脱したのはいつなのか。直接には一九四五年八月十五日を出発点にして、日本国籍から離脱することになった(「第三国人」などという差別語とともに、そして植民地人民としての協和会手帳からの離脱として)。そして、一九五二年四月二十八日のサンフランシスコ条約発効によって、形式的関係としては完全に外国人として確立する。つまり強制連行の歴史の反動的・帝国主義的清算だ。もちろん当時真っただ中にあった朝鮮戦争も関係する。この過程が中間的過程である。
 この過程は、出入国管理令、法律一二六号(注)、外国人登録法の成立(一九五二年四月二十八日)過程でもある。そしてこの一九五二年四・二八という時点では、在日朝鮮人の圧倒的多数が朝鮮籍だった。韓国籍はほんの一部であった。
 注 法律一二六号 サンフランシスコ条約とともに制定された「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律」。その二条六項は、四五年九月二日以前から日本に引き続き在留している朝鮮人・中国人(及びその子孫)の法的地位を、「別に法律で定めるところにより、その者の在留資格及び在留期間が決定されるまでの間、引き続き在留資格を有することなく本邦に在留することができる」とした。
 ところが一九六五年締結の日韓条約と日韓法的地位協定に基づいて協定永住権攻撃が加えられていく。日帝による民族抑圧攻撃として国籍による差別・分断攻撃、つまり協定永住権をとるには朝鮮籍を捨てて韓国籍を取得せよ、協定永住権は在留資格(日本に在留する資格!)が有利である(例えば退去強制条項などで)とする大攻撃である。しかも申請すればほとんど許可するとして、それまでの永住権申請のすさまじく差別的で困難な条件をほとんどなくし、朝鮮籍を抹殺しようとしたものであった。
 そしてこの協定永住権申請の期限を一九七一年一月十六日として、大分断攻撃に出てきたのだ。これに対して韓国籍から朝鮮籍への国籍書き換え闘争が福岡県田川市などで激しく闘われたのだ。そして七一年一・一六をもって比率が転換し、韓国籍取得者が五〇%を初めて超えたのだ。
 ここには今ひとつの問題がはらまれる。日帝政府が、そもそも朝鮮(籍)は記号であって、国でないとする差別的攻撃を加え続けていたことである。
 さらに国籍問題をめぐる日帝の攻撃としては、八二年の入管法(出入国管理及び難民認定法)制定攻撃の際に特例永住制度を持ち込み、一二六号者抹殺の攻撃に打って出ている。日帝の植民地支配と強制連行の生き証人という性格をもつ一二六号者の抹殺攻撃こそ、入管法制定攻撃の核心としてわれわれは総括した(ちなみに、一二六号者の大多数は実は朝鮮籍であった)。そして九〇年代に入って入管特例法によって在日のすべてを一括して特例永住権として在留資格化し、入管法を事実上二元化し、在日をアジア人労働者など他の外国人(その大多数は朝鮮人・中国人である)と全面的に区別することとした。
 こうした経緯が朝鮮籍・韓国籍、永住権をめぐる激突としてあったということである。また、この朝鮮籍・韓国籍、永住権というものが、さまざまに差別的に細分化された在留資格(日帝はこれらを恩恵として与えるとしているのだ)の頂点であることは言うまでもない。
 したがって、この経緯の中心には朝鮮籍と一二六号者の法的存在の抹殺、歴史の抹殺という攻撃があり、韓国籍(協定永住権)に換えさせる攻撃が日帝の国籍をめぐる攻撃であったということだ。白井朗はこうしたことをすべて吹っ飛ばして(無視・抹殺して)朝鮮、韓国などと言っている始末なのである。これが日帝の排外主義的な分断攻撃への日本人・白井の屈服と加担ということなのだ。
 (4)前項の続きとして、在日朝鮮人の日本籍取得という問題について。
 日帝の攻撃は八二年入管法から九一年入管特例法までの間に大幅に変更された(われわれは坂中論文路線と言っている)が、それまでは日本国籍取得(いわゆる帰化)にはさまざまな難条件が差別的に課されていた。日帝への徹底的な屈服が日本籍取得の条件とされていたのだ。申請しても数年間の調査という弾圧的圧迫を経て、それでも限られた人にしか発行されなかった。在日関係諸団体は、同化・帰化攻撃に屈するなと、この攻撃と猛然と闘ったのである。
 八〇年代以降、特に九〇年代に入ってからは、簡易帰化制度(と国籍法の変更)の導入で日本籍取得の条件が著しく「緩和」されたが、これが日帝による同化攻撃であることは明らかではないか。日本籍化とは、在日朝鮮人から朝鮮籍や韓国籍をさえ奪う攻撃であり、戦後闘い続けてきた在日朝鮮人の民族的あり方を奪う大攻撃である。追放(退去強制)を柱とした同化攻撃の満展開が今日の日帝の在日朝鮮人への入管攻撃なのだ。
 だから、ここで白井が言う「日本国籍を与えることが市民的権利」というのは、日本帝国主義の論理―攻撃そのもの、それと一体なのである。「民族的帰属心」とか「帰属」とか、「共通の体験と共感」というものは、朝鮮籍で生き抜く、韓国籍を守り続けて闘い抜くということが在日朝鮮人の民族的に共通の共感として総括されるということであって、白井のように「日本国籍はおろか」などという言い方にはけっしてなるはずがないのだ。白井は無自覚に言っているのではないことは明らかである。
 白井の反革命的トリックはここにある。「朝鮮人・韓国人」として分断を積極的に承認しておいて、その上で、いわゆる朝鮮語を話せる人が韓国人青年(朝鮮人青年ではないことに注意されたい)の場合一割だと言っているのである。ここで朝鮮籍の在日を白井にならって朝鮮人とした場合、そのほとんどの人は朝鮮語を話せる(民族学校での学習の結果)からである。
 ここでは母語(これは議論の余地ある問題だが、ここでは母語とする)としての朝鮮語を奪われていることが白井の議論の立脚点であり、その例を引き出すためには朝鮮人と韓国人に分けて、韓国人青年を対象とする手法をとる必要があったからなのである。しかもここには、朝鮮語を話せないことへの、日帝の攻撃に対する怒りのかけらもないのだ。そして「在日朝鮮人はもっと差別されている」と、初めて差別という表現が出ているが、怒りはまったくなく、どのように差別されているのかが出されていない。むしろ出さないことに白井の反革命的狙いがあるということである。出せば韓国籍を抽出したことの矛盾が噴出してしまうからである。

 第3章 V入管闘争における在日アジア人民の主体的措定とは何か

 (5)次に、「日本帝国主義の同化政策(攻撃ではないのだ!)によって言語は日本語に同化しつつある」という記述をみてみる。
 ここにも怒りがまったくない(連帯の立場がない)。この場合は「同化政策」と「日本語に同化」は意味するところが違うものとなっているが、同じ言葉を使うことで混乱させようとしている。しかし言語表現上の問題ではなく、入管闘争における同化の場合、その内容は明らかである。つまり白井は「日本語に同化」とすることで在日朝鮮人の屈服(韓国籍として)を言っているのだ。白井が同化攻撃を承認し賛成していることがここでさらに明らかとなったということである。
 そこで先の「日本国籍はおろか市民的権利さえ」に戻ってみる。白井は、日本国籍を認めないことは日帝の攻撃であり、最大の差別であり、日本国籍の取得は同化でないと言ってしまっているのだ。つまり、すべての在日朝鮮人を日本籍にすることを要求しているのだ。朝鮮民族への日帝の差別抑圧攻撃と対決するのではなく、在日は日本籍をとって、その中で民族的あり方を貫いていけばよい、と説いているのである。入管闘争の敵対者・破壊者そのものではないか。
 ところで、論理的にも実態的にも、言語(日本語)が同化していて他はそうでないというのは論証が難しい。無理が生じる。そこで、かの韓国籍と朝鮮籍のトリックが必要となるのである。白井が目的とするのは「七・七自己批判」の継承ではなく、その解体であり、〈闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ〉という革共同の連帯綱領の革命的現実化・物質化の破壊であり、その実践である入管闘争への敵対なのだ。
 (6)在日朝鮮人とはどのような存在か。その存在を主体的に措定するとはどういうことか。
 在日朝鮮人とは、日本帝国主義の植民地支配の結果、そして強制連行などによって渡日し、在日することを余儀なくされた人びととその子孫である。戦後も、戦後革命期と朝鮮戦争などの結果、そして南北分断の結果、日本にとどまらざるをえなくなり、生活実体が積み重ねられ、世代を重ねた人びとである。帝国主義とスターリン主義の、とりわけ日帝の問題の大きさがそこにある。さらに入管法を法制的主柱とする差別、抑圧、分断・同化・追放の入管体制の中で、日帝の植民地主義的圧制下で生き抜き闘い抜く存在である。そして、この生き抜き闘い抜く存在ということがポイントなのだということである。
 日本帝国主義の激しい民族抑圧と差別の中で、入管攻撃の中で、生きかつ闘うことはけっして生やさしいものではない。日帝の植民地支配の歴史や強制連行の歴史と入管攻撃の諸実体(自らに加えられている)によって幾重にも分断された現実の中では、「在日の体験」は、白井などが言うところの「共通の歴史的体験」としては単純に普遍化・一般化できないのである。日帝の入管攻撃と激しく闘い、血を流して、言語であれ、歴史であれ、分断の現実であれ、それらを追体験しつつ学習し獲得してきた(第一世代からすれば守り抜いてきた)ことによって、初めて共通の歴史的体験にたどりつくのだ。これ自身が生きることであり、生きることが闘うことなのだ。
 朝鮮民族の一翼として在日朝鮮人であり続ける闘いということ、その激しい、厳しい闘い、尊厳あふれる闘いの中に圧倒的自己解放性があるのだ。そして日本プロレタリアート人民はここに触れてその階級性を呼び覚まし、帝国主義国の人民としての自らの存在を自覚するのである(階級性の鮮明化|五〇六号論文)。
 だが白井朗は、在日朝鮮人が今日、世代を重ねて五世・六世の世代にまで至ろうとする中で、在日朝鮮人であり続けることへのこれらの人びとの主体的苦闘と格闘を抹殺し、何ひとつ措定も理解もしていない。「二世・三世の青年の同化」と言い放つことによって、民族意識や帰属意識が後退し同化傾向が著しい、という帝国主義イデオローグどもがふりまく悪質な俗説に乗り移り、オルグされて、その立場から在日朝鮮人を「同化」としてしまっているのだ。
 しかし、五〇年代の外登法闘争を引き継いだ、八〇年から始まる反外登法・指紋押捺(おうなつ)拒否闘争や、国籍差別条項撤廃闘争などの新たな在日朝鮮人の闘いは、スターリン主義的な在日論や民族論をのりこえようとする闘いとして、朝鮮籍、韓国籍の人も、そして日本籍の人も、人間として朝鮮人として日本で生きることを、言葉を奪われている現実も歴史も含めて在日朝鮮人としてこれでいいのか、どうしたら在日朝鮮人の生き方になるのかという苦闘の中で生き方を選択しているのである。こうした苦闘を「朝鮮系日本人」論として反動的に取り込み、反外登法闘争、指紋闘争、国籍差別条項撤廃闘争を解体しようとするものこそ、坂中路線と言われる同化攻撃なのである。
 白井の「同化」の主張は坂中と一体のものとなっているのだ。白井の言う「歴史的な共通の体験・共感」や「在日に帰属する意識」は、そもそもが上述のような経緯や内容をふまえてのものでなく、問題を逆転させて言われているものなのだ。在日的帰属がイコール民族的帰属などというものではなく、在日朝鮮人にとっては、分断された現実をのりこえて自己解放・民族解放をかちとろうとする主体的闘いそれ自体が在日するということなのである。
 (7)ここで国籍差別条項の問題について若干ふれておきたい。
 いわゆる国籍(差別)条項問題というのは、朝鮮籍や韓国籍などの外国籍であることを論拠にした民族差別条項が、国家的政策やそのもとで組織された民間的現実の中にあるということである。そして、この国籍条項に基づく差別や差別政策をひっくり返し、撤廃させる闘いを、国籍条項問題とか国籍条項(撤廃)闘争として総称している。
 国家的・政策的差別としては、公務員や教員の採用問題や、就学・入学を始めとする学校教育問題などがあり、民間における国籍差別という点では、住宅入居の差別(「外国人お断り」)や就職差別、結婚差別などが挙げられる。入管闘争史上著名な日立の就職差別事件などはその一例であり、完全に勝利した重要な闘いとして総括されている。そして、この国籍差別という問題は枚挙にいとまがなく、ある意味では在日問題のほとんどすべてが国籍差別問題であるとも言えるのである(入管法、外登法をみよ)。
 今日、国籍条項をめぐる闘いが全国情勢化している。高知や武生(福井県)、川崎、東京、大阪、京都など全国の至るところで闘われており、一定の前進を当該の人びとの粘り強い闘いでかちとっている。他方、裁判や自治体交渉などで、また法務省官僚・坂中や自民党議員などから、権力行使にかかわる職には就かせない、その職に就きたければ日本国籍を取れ、とする攻撃がある。
 この激突こそ、在日問題の日帝との具体的攻防の最大の火点ともいえる。あらゆる権利を求め、国籍条項のすべての撤廃を求める闘いは、植民地支配と強制連行の歴史の民族的清算の要求であり、戦後の植民地主義的な入管体制を粉砕する決定的水路をなす重要な闘いである。白井が言うところの「日本国籍はおろか市民的権利さえ」などとは、およそ次元の異なる重大な闘いである。
 われわれは、ここで粘り強く闘っている当該の人びととその闘いから学び尽くしつつ、国籍条項撤廃闘争を入管闘争の中でしっかり位置づけ直して闘っていくものである。
 また、現在の情勢下では、いわゆる参政権問題が重大な政治問題となってきている。国会に提出され審議される問題として、大テーマ化している。これは、政府や自民党の言うように、文字どおり権力行使をめぐる問題であり、したがって国籍差別条項の頂点をなす最大の政治的テーマなのである。そして参政権というときには、それは国政も含むすべての選挙権と被選挙権の問題であることは言うまでもないことである。
 しかし、今問題にされ議論されているのは、国政を除く地方参政権の問題であり、被選挙権を排した投票権−選挙権のみである。しかもこれらは永住権をもつ外国人に限定してのことである。すなわち参政権―地方参政権をめぐる現在の議論は、国籍差別条項があくまで前提とされているということだ。
 さらにこの地方参政権問題は、坂中路線に基づく同化政策の一環として加えられている攻撃であり、そのために国籍条項をほんの一部変更するだけのものなのである。日帝の新安保ガイドライン体制下での在日への治安政策、戦争総動員政策へと向かう攻撃である。議論の中で、参政権を与えるなら朝鮮籍を排除せよという見解や、国政にかかわれば徴兵問題になるので反対、などとする見解があることをみれば、それは一層はっきりしてくる。【なおガイドライン下における日帝の入管攻撃の核心には九七年と九九年の二度にわたる入管法・外登法改悪とその実施があり、二〇〇〇年三月に策定される第二次入管基本計画の攻撃があるが、これについては別の機会に論じる】
 なお在日のスターリン主義指導部は、その内政不干渉路線によって、参政権取得は内政干渉であり国籍条項には反対せず運用の問題とするなどとして、参政権は同化そのものであると非難する完全に誤った反動的立場に転落している。また公明党が地方参政権推進を積極化しているのは自らの得票を伸ばすためであり、入管法・外登法改悪時の裏切りに怒る創価学会信者対策なのである。国籍条項闘争(参政権問題を含む)は入管闘争の中で重大な政治課題となっている。われわれもとことん粘り強く闘っていかなければならない。
 (8)白井の記述に戻って、八行の中の最後の三行について。
 「一九四五年八月一五日日本国民(ママ!)が敗戦を悲しんでいたとき、在日朝鮮人・中国人が『ついに解放の日がやってきたのだ』と万歳を叫んだまったく対照的な態度のなかに、抑圧民族と被抑圧民族の民族的共感の決定的な相違、歴史的な共通体験の対照性をみることができる」と白井は言う。これはいったいなんなのだ、と言いたい。
 ここには白井朗の言わんとする反動的主張がくっきりと出ている。要するに日本人(労働者階級)は敗戦を悲しんだということのみを、朝鮮人・中国人の態度に対比して強調しているのである。ところで「八・一五に日本人が敗戦を悲しんでいた」というのは右翼少年などのことであり、それらがふりまく悪質な反動的俗説(石原慎太郎や小林よしのりに代表される)ではないのか。また白井自身の当時の心象ではないのか。
 実際には、自らが侵略戦争に動員されてしまい、その結果多大な犠牲をアジア人民に強いてしまい、果ては自らも犠牲になった労働者人民にとって、これで戦争が終わり、もう殺し殺されずにすむという安堵(あんど)感や解放感が強くあったのではないのか。右翼や軍国少年の一部に放心状態があったとしても、一般的に「日本の人民は敗戦を悲しんだ」としてしまうのは作りごとであろう。そのことは戦後革命期に直ちに決起していった労働者人民をみれば明らかなのである。
 問題なのは、その先頭で闘い抜き勝利に導いていく党の問題ではなかったのか。白井は、党は問題ではなく階級がダメだと言いたいのか。
 他方で、当時の朝鮮人、中国人がものすごい解放感をもって万歳を叫んだのは事実であり、例えば府中刑務所で日本共産党員の出獄を出迎えたなどの有名なエピソードにみられるが、それは日本プロレタリアート人民への強い連帯――とりわけ当時は労働者階級の唯一の前衛党とされていた日本共産党とその指導への期待と連帯――からのことではないか。朝鮮人民、中国人民の祖国建設−民族解放の熱望は、日本プロレタリアート人民による日帝打倒の完遂への連帯であり、戦後革命期の日本でのすさまじい決起こそそれではないか。
 白井は右翼少年などの反動的で薄っぺらな俗説を自説としているにすぎないのだ。こうした俗説で階級性への絶望や不信を論証しようとは、自称「理論家」の恥ではないか。実践的には反革命そのものだ。
 (9)最後に、『二〇世紀の民族と革命』と同時に出した赤パンフで白井が「七・七自己批判」に関して「入管令改悪の問題」としていることを批判する。
 これは単なる事実誤認ではない。白井の無知、不勉強ということでもない。「七・七路線」への敵対そのものである。
 七〇年に問題となったのは、入管法が国会に提出されようとしており、日帝のアジア侵略の決定的情勢下での重大な政治課題になったからである。入管令というポツダム政令の敗戦帝国主義のくびきを取り払い、日帝が再び侵略帝国主義へと向かっていく攻撃の一環であり(六九年佐藤訪米と日米共同声明、安保の自動延長、ベトナム戦争、沖縄奪還闘争)、だからこそ日韓条約―日韓闘争の総括と日韓法的地位協定の問題が日本の革命的左翼に突きつけられたのだ。入管令の改悪問題とは白井よ、よくも言ったり、ではないか。
 また『二〇世紀の民族と革命』で「日本国籍はおろか……」となっているところを赤パンフでは、在日朝鮮人は「日本国籍を奪われ」たと記述している。「奪われた」から取り戻す、つまり日本国籍を取ることが在日の「民族的共感」とはっきり記してあるのだ。なんという反革命的見解か。入管闘争の現場に一度でも身をおいた者なら絶対に出てこない言辞である。反革命カクマルかと見まごうばかりである。この赤パンフの入管闘争の項こそ、帝国主義的民族抑圧の側に立つ者としての白井の入管闘争への露骨な敵対者、破壊者ぶりを鮮やかに示している。本で粉飾をこらそうとして破産した真の反革命の姿がこの赤パンフにあるからである。

 第4章 W革共同の7・7路線を貫き帝国 主義的民族排外主義と闘おう

 (1)白井朗は『二〇世紀の民族と革命』の序章で、在日朝鮮人作家・金石範氏の文章を引用している。しかし、この引用は白井の自説を逆に批判するものとなっている。
 金石範氏は「私は日本の若い友人に民族主義者だといわれることがあるが、そうだと答える」と言った上で、「それは同時に民族主義超越の立場」であり「インターナショナリズム実現」の立場であると言っている(「いま『在日』にとって『国籍』とは何か」『世界』九八年十月号より)。これは金石範氏の、スターリン主義の残滓(ざんし)をもちつつも、プロレタリア世界革命を求めてやまない連帯のアピールである。白井はこうした金氏のような闘う在日アジア人民の糾弾やアピールに迎合的にのっかり、そこから帝国主義国プロレタリアートの階級性に不信をもち、それを否定し、国際主義的階級的連帯の闘いを破壊しようとしているのだ。
 「七・七自己批判」は反スターリン主義・革命的共産主義運動にとって、日帝のアジア侵略との全面的対決にとって絶対不可欠の思想的実践的立場と内容の獲得を迫るものであった。それは同時に、反革命カクマルの帝国主義的民族排外主義との対決や、民族・植民地問題におけるプロ(親)スターリン主義や毛沢東派スターリン主義との対決を不可避としたのだ。アジア新植民地主義体制諸国人民の民族解放闘争に迎合し、のっかり、それに乗り移って革共同の反帝・反スターリン主義綱領を否定する第四インターやML派などの中間諸派との党派闘争の烈火の中で、「七・七自己批判」は実践されていったのである。
 だが白井朗は、今や反スターリン主義・革命的共産主義を捨て、革共同を捨て、革共同破壊を目的として活動し、入管闘争に真っ向から敵対する者、反革命に転落したといえるのである。
 (2)革共同の「七・七路線」は、五〇六号論文以来一貫して守り抜かれ、新たな世代に継承されつつ大発展の情勢を迎えている。ここでは本稿のまとめとして、清水丈夫選集第二巻の序文第三章「七・七問題―帝国主義的民族排外主義とのたたかいの革命的意義」の第八節を全文引用する。【なお革共同の「七・七路線」を学ぶ上では、この第三章全文―序文全体を読み、学習してほしい】
 「われわれは、在日朝鮮・中国―アジア人民への日帝の入管攻撃、日帝の帝国主義的民族抑圧やアジア侵略の攻撃全般とたたかう義務がある。このことはきわめて厳しい階級的倫理性の問題ですらある。われわれは、階級的倫理性ということには生命をかける重さがあると同時に、そこには革命論的な意味があることを確認した。
 すなわち、この質がたたかいのなかに貫かれることをとおしてきりひらかれる地平のうえに、在日朝鮮・中国―アジア人民との関係がきずかれ、そこから学び、教えられ、助けられることは無限にあり、そのことが日本のプロレタリアート人民の階級闘争自体の革命的爆発的発展へとつながっていくものとしてあるのだ。階級的倫理性ということのなかには、学び・助け合う真の連帯関係ができるという質と内容があり、それは階級闘争の発展にもものすごい力を与えるものがあるのだ。
 プロレタリアは本質的に階級的=国際的、国際的=階級的であるというのはレーニンの名言である。じつに国際的であることなしに一〇〇パーセント階級的であることはありえないし、逆もまたしかりである。これこそ世界革命の突破口としてのロシア革命をやりぬいたレーニンの思想にほかならない。
 国際主義的存在であり世界史的存在であるプロレタリアートは、世界革命以外に自己解放の道はない本質的に革命的な階級であり、自国の資本と権力とのたたかいを基盤にしながら、自己のたたかいが世界的な関係のなかにあること、自己が国際的部隊の一翼であることを自覚したとき、国際主義的精神に燃えて根源的な力を発揮するのである。自分の国の革命のためにとどまらず、他の国の革命のために自分のたたかいが必要だと自覚したとき、その力は二倍化・三倍化する――それがプロレタリアートのたたかいの本質なのだ。
 しかしながら、日本のプロレタリアート人民は、社・共のもとでこの革命的実感をほとんどつかむことができないまま今日まできている。
 日朝人民の場合をとって考えてみよう。日本のプロレタリアート人民が朝鮮人民のたたかいの歴史と現実を知り、学び、真の敬愛をもって朝鮮人民に接することを求めるようになったとき、そして朝鮮人民と心がかよいあう関係を形成し、日朝間の歴史的な諸問題がプロレタリア的に真に解決される展望が開かれたとき、日本のプロレタリアート人民の生まれ変わったような決起がかちとられることは不可避なのだ。
 『闘うアジア人民と連帯し』というスローガンはこういう意味をもつものであり、これ自身が戦略的な規定であり内容なのだ。これをたんなる修飾句や『倫理的前提』(かっこに注意)ととらえたり、あるいはそれまでの路線が少し深められたものとしてしかとらえられないということでは不徹底であり不十分なのである。
 ここで言っていることは、連帯そのものが革命の目的だということである。連帯ということは国際主義ということであり、世界革命をともにたたかいとるということだからだ。だから、これは世界革命―日本革命ということを意味するものなのだ。
 さらに言えば、それまでの『日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ』というスローガンは日本革命を規定するものにとどまっていたのであり、『闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ』というスローガンになることによって、世界革命(直接的にはアジア革命)と日本革命の双方を戦略的に路線的にあらわすものとなったのだ。この意味においてわれわれは、七・七自己批判をとおして七〇年安保・沖縄決戦の前半期と後半期とのあいだにおいて質的大飛躍と発展をなしとげたのである。
 世界革命の一環としての帝国主義打倒のプロレタリア革命と、世界革命の一環としての民族解放闘争=帝国主義打倒の民族解放・革命戦争との真の一体的前進と結合・合流の実現というのは、まさにプロレタリアートの国際主義的本質の現実的具体化そのものであるが、このことを真にかちとるためには七・七自己批判の視点、血債の思想の戦略的位置づけというものが必要だったのだ。そのことによって世界革命をめざす運動がはじめて実現できるのである。
 すでに述べたように、朝鮮人民と日本人民が真に連帯感をもつという状況は、すでに双方において革命の突破口が開かれ、勝利への一大前進がきりひらかれていることを意味する。国際連帯は友好祭などではない。国際連帯はその真の姿においてはプロレタリアートの力を数十倍にも高めるものであり、たたかいを幾何級数的に拡大させ、勝利に導いていくものとなるのだ」
 どうであろうか。白井朗の「七・七自己批判」の否定、入管闘争への敵対・破壊ぶりがくっきりとするではないか。これ以上の白井批判はない。
 白井朗の入管闘争への敵対、破壊を粉砕し、二〇〇〇年入管闘争の発展をかちとろう。白井朗の革共同破壊攻撃を徹底的に粉砕しよう。
 新年号で提起された二〇〇〇年決戦方針の勝利をかちとろう。

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週刊『前進』(1944号5面1)

 橋本裁判

 検察官控訴は違憲

 臭気選別の新手口許すな

 この冬一番の寒波が襲った一月二十一日、大阪高裁で橋本裁判の控訴審第二回公判が行われた。
 橋本裁判は、九三年四月の天皇の初めての沖縄訪問を弾劾する京都の天皇関連社寺への火炎ゲリラ戦闘に打撃を受けた日帝・国家権力、京都府警が、橋本利昭同志をゲリラ戦闘の「実行犯」としてデッチあげ逮捕・起訴したことから始まった。一審では、九四年三月以来、五年近い審理の後の九八年十月二十二日、橋本同志は完全無罪をかちとった。
 この無罪判決に対し、検察官は、「犬の臭気選別」をデッチあげの手段として今後も維持するために、不当にも控訴した。一審無罪判決に対する検察官控訴は、近代刑事法の原則である「一事不再理」「二重危険禁止」の原則を破壊するものであり、米英法などでは原則として禁止されている。いったん裁判の場で自らの無実を証明した者が二度も三度も同じ罪を問われる危険にさらされてはならないのだ。
 しかし、日帝・最高裁は、一九五○年九月二十七日の大法廷判決で、一審・控訴審・上告審は一つの裁判過程で「継続せる一つの危険」にすぎないと強弁して検察官控訴を認め、この原則を規定した憲法第三九条(刑罰法規の不遡及=ふそきゅうと二重処罰の禁止)を完全に踏みにじった。これによって、甲山裁判、富山裁判、神藤裁判のように検察官の控訴権の乱用が常態化しているのだ。
 検察官控訴の不法・不当性は、控訴審で新たな「証拠」を捏造(ねつぞう)することにもある。控訴審で提出された証拠について、被告は一回しか弾劾の機会を持てない。逆転有罪判決が出れば、被告が再度、控訴することもできない。被告に十分な防御の機会を与えるための三審制が事実上破壊されるのだ。日本の刑事裁判における有罪率九九・八%がこれによって維持されているのである。
 また、その間、被告を裁判に長期間拘束し、被告人の迅速な裁判を受ける権利(憲法三七条)も踏みにじっている。無罪判決に対する検察官控訴は、絶対に許せない。完膚なきまでに粉砕あるのみだ。
 今回の公判は、一審判決で破綻(はたん)が明らかになった臭気選別を「改善した」新しいやり方と称して、一審判決後に別の犬と橋本同志とは関係のない別人の臭気を使って行った「実験」の「実験選別の記録」(報告書とビデオ)を検察官が「証拠」として出し、それに基づいてT訓練士を尋問するものだった。T訓練士は、橋本同志に対する「臭気選別」の犬の指導手を勤めた人物である。
 検察官は、この尋問をとおし、この新しいやり方での「臭気選別」では、@T訓練士は囲いの中にいて配布作業を見ていないから事前に答えを知ることはできず、また、答えを知っている配布者などが選別中は小屋に入っているから、犬は純粋に臭気だけで選別していること、A橋本事件選別の使役犬マルコおよびペッツオは、この「実験選別」の使役犬アルノと同等の訓練を受けた完成された選別犬であること、Bしたがって、この新しい方式の選別でも、マルコ、ペッツオは同様の結果を出すことをT訓練士は確信していることなどを証言させた。
 原審判決は、(イ)T訓練士が答えを知っている可能性を否定できないこと、(ロ)T訓練士の動作から指図・誘導の疑いがあること、(ハ)答えを知っている関係者が多数立ち会っていることなどから、クレバー・ハンス現象の回避ができていないこと、さらに、使役犬が臭布配布中、配布者の動きを振り返ってみているからカンニングの可能性があること、臭布の封入期間が有意に差を付けられていることから臭いの濃度の違いで選んでいる可能性を否定できないことなどを指摘し、「臭気選別」の信用性を否定した。
 検察官は、このT証言によって原審判決が指摘したこれらの点に反論し、アルノにできることはマルコ、ペッツオにもできるという「論法」で、犬に「臭気選別」能力があることを主張しようとしているのだ。このデタラメな論法によってしか、検察官は控訴を維持できないのである。
 次回公判では、一時間弱がこの検察官主尋問の続きに当てられ、その後に弁護側反対尋問に突入する。弁護側反対尋問では、T証人のインチキぶりを暴き、検察官のこのデタラメな「論法」を粉々にうち砕かなければならない。次回公判に結集し、ともに闘おう。

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週刊『前進』(1944号5面2)

 コミューン3月号

 日帝の侵略の歴史

 今号の特集も、前号に引き続きインドネシア問題を論じた。
 前号二章に続く第三章は、第二次大戦時の日帝のインドネシア侵略の恐るべき現実を具体的事実に基づいて明らかにした。われわれは、日本軍軍隊慰安婦とされた人びとを先頭とする闘うアジア人民の決死の告発をしっかりと受け止め、日帝のアジア侵略と闘っていくために、この時期のインドネシアや東ティモールでの日本帝国主義軍隊の虐殺行為と残虐な民族抑圧の歴史を直視しなければならない。
 第四章は、戦後の日帝のインドネシア侵略の歴史を、戦後賠償問題、投資政策やODA政策の展開過程などの分析を軸に明らかにした。同時に、日帝のインドネシア侵略政策がスハルト独裁体制を育成・支援するものであったこと、そしてまたそれがインドネシア危機激成の主要な要因であったことも明らかにした。
 翻訳資料は、前号掲載の米帝の戦略文書「二十一世紀の米国の安全保障」の続きである。この文書は、ロシア、中国の体制崩壊、そして独帝、日帝と米帝の激突の可能性を露骨に述べており、米帝の世界戦略を分析するうえで重要な参考文献である。
 政治資料は、厚生省が官報で告示した「介護保険法のあらまし」と、〈労働者保険に関するレーニンの態度〉を明らかにした、「ロシア社会民主労働党第六回全国協議会」で採択された論文を掲載した。

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週刊『前進』(1944号6面1)

 総括も方針もない『解放』新年号の惨状

 帝国主義擁護と中ロ脅威宣伝の「新東西冷戦論」で大混乱へ

 戦争協力に転落したカクマル

 中津 次郎

 二〇〇〇年は、革共同の大飛躍と世界革命・日本革命への展望をかけた歴史的決戦の年である。日帝の朝鮮・中国―アジア侵略戦争体制づくりと資本攻勢の嵐に真っ向から立ち向かい、二〇〇〇年決戦の勝利を全力でかちとろう。この時、ファシスト・カクマルは反革命通信『解放』新年号で、日帝との対決からの全面逃亡、二〇〇〇年階級決戦への敵対をあらわにした。カクマルは路線的・組織的危機を深めながら、戦争協力勢力として「中国脅威」論の排外主義宣伝を行い、「中国の台湾併呑の野望」などと叫びたて、日帝の朝鮮・中国―アジア侵略戦争のファシスト的先兵の役割を担おうとしている。ファシスト・カクマル=JR総連完全打倒へ攻め上ろう。

 第1章 大衆運動への敵対も「神戸謀略論」も破産

 『解放』新年号巻頭論文はそのリードで、「いま、たしかに、〈新世紀〉への転回の予兆をはらむ労働者・人民の新たな階級闘争が勃興しつつある」などと、九九年の階級闘争の高揚にファシスト的な危機感をあらわにしている。これは昨年の『解放』新年号で「政治危機や政府危機はどこにもない」などと反革命的な確認をしていたのと比べると、決定的な違いである。これだけでカクマルにとっては戦略的敗北に等しい。実際彼らは、九九年の階級闘争の新たな大衆的高揚に反革命の側から巻き込まれ、深刻な綱領的・路線的・組織的危機を深めてしまったのである。
 だから、カクマルは階級闘争の高揚を渋々と認めるふりをした上で、すぐあとに「けれども、これらの反逆や反抗は……プロレタリア前衛党の不在のゆえの方向性喪失と限界を刻印されているのだ」と言って、その全面的否定にかかるのである。ここにカクマルの反革命的正体がはっきりと示されている。
 この階級闘争への敵対宣言で始まる『解放』新年号の第一の反革命的特徴は、日帝との闘いからの完全な逃亡宣言だということである。
 四ページにわたるだらだらとした巻頭の駄文、カクマル議長・植田琢磨の年頭アピール、そして二ページずつの中国とロシア・旧スターリン主義圏の動向にかかわる論文のすべてが、日帝の現在の攻撃や切迫する階級的課題について、まったく言及していない。新ガイドライン体制との闘いも、沖縄サミット粉砕闘争の提起も、まったくない。日帝の攻撃の暴露とこれへの闘いを呼びかける企画・論文が皆無なのである。
 これは、日本階級闘争からのあからさまな転向・逃亡・脱走の宣言である。どんな意味でも日帝権力との対決を避けて、その忠実な先兵となって延命しようという反革命宣言にほかならない。
 これは昨年のJR総連の安保・自衛隊容認、戦争協力路線への大転向と完全に対応するカクマルの党的決断である。九九年決戦で階級闘争の激動に巻き込まれ、その反革命的介入路線が大破産し、組織内に再び「左翼組合主義的偏向」まで生み出したことに打撃を受け、大衆闘争の発展につながる一切のものを排除しようとしているのだ。

 第1節 自国帝国主義=日帝と闘わないためのユーゴ論

 カクマルが昨年の闘いにすっかり消耗していることは、昨年一年間を貫く階級的対決軸であったガイドライン決戦についての総括がゼロであることに示されている。巻頭の駄文の全体をとおして、「今年前半の中心軸であったユーゴ反戦闘争」への得手勝手な言及があるのみで、そのほかの総括は一切ない。しかも、ユーゴスラビア爆撃に対して自国政府を倒すために決起しなかったヨーロッパ左翼を弾劾することが日本階級闘争の最大のテーマであったかのような、あきれた「総括」をしているのだ。
 それでは、昨年後半にはカクマルはどうしていたのか。前半でガイドライン闘争、組対法反対闘争、「日の丸・君が代」闘争など連続する大衆闘争で悪夢のような闘争的破産に直面したカクマルは、このままでは大ピンチとばかりに、闘う勢力への憎むべき白色テロ策動に全力を挙げたのだ。ニセ白井パンフのねつ造・ばらまき、十一月労働者集会の破壊策動、新ガイドライン反対の百万人署名運動へのニセビラを使った脅迫・敵対などにのめりこんでいたのである。
 だから秋以降の『解放』は、きわめて無内容・無方針で、大衆闘争を組織する構えも何もない、いい加減なものにますます転落してきたのだ。行動方針を提起し、それに向かって宣伝・扇動していくということも投げ捨て、他団体の闘争に押しかけて妨害したり、卑劣な白色テロ的手段で、闘う労働者人民への脅迫を策動してきたのだ。
 こうしたカクマルの策動は、人民の怒りの反撃によってことごとく粉砕されたとはいえ、絶対に許すことのできないものである。
 このような、昨年一年間をとおして一層深まったカクマルの危機と反革命性を凝縮したものが、『解放』新年号なのである。巻頭の駄文は、カクマルが日帝権力と闘うつもりがまったくないことを権力に表明したものであり、大衆闘争への反革命的敵対と破壊のみがカクマルの唯一の方針であることを示すものだ。
 今年、帝国主義との重大な対決軸であり、すでに激しく闘われている「名護新基地建設阻止・沖縄サミット粉砕」闘争の提起がまったくゼロである。カクマルは、沖縄人民とともに新基地建設阻止、沖縄サミット粉砕へ闘う決意も内容も、ひとかけらもないのだ。ただ本土から沖縄に学生カクマルを投入して、闘争破壊のためだけに介入しようとしているのである。
 さらに、昨年も引き続き総力を挙げて展開したはずの「神戸謀略論」デマ運動について、一言の総括もない。これはカクマルの完敗の自認である。革共同の暴露と革命的批判が、カクマルの「神戸謀略論」デマ運動にとどめを刺したのだ。このことを圧倒的な勝利感をもって確認できる。
 この「神戸謀略」デマ運動の大破産について、カクマル議長・植田は「われわれが展開する種々の実践はつねに必ず成功するとはかぎらない。失敗や過誤をおかしながらも……」などと黒田の言葉を引用して、カクマル組織の動揺を必死で抑え込もうとしている。われわれはさらに「権力の謀略」論デマのファシスト性を暴き出し、追撃しなければならない。
 ところで植田の「年頭アピール」のお粗末さ、空疎さ、無展望・無方針は驚くばかりである。階級闘争の実践的な諸問題にはまったくふれないで、「大きなこと(世界観的なこと)」を言おうと力んでいるが、「新東西冷戦論」での動揺をさらけ出し、パンク寸前である。資本攻勢への怒りや労働者階級の闘いへの共感などひとかけらもない。
 しかも植田は、国際スターリン主義の歴史のようなものを語ろうとしているが、反スターリン主義ではなく、ほとんどプロ(=親)スターリン主義である。ソ連が第二次世界大戦に「勝利」したということを、スターリン主義の世界革命の裏切り、帝国主義戦争への参戦という犯罪性を弾劾することなく肯定している始末だ。

 第2章 議長・植田は「新東西冷戦論」でグラグラ

 カクマル『解放』新年号の第二の反革命的特徴は、昨年以上に懸命に「新東西冷戦論」を強弁していることである。この間の帝国主義間争闘戦のすさまじい展開と、何よりもわれわれのイデオロギー闘争によって「新東西冷戦論」がグラグラになっているからこそ、その維持に必死になっているのだ。
 カクマルはユーゴスラビアをめぐる情勢について次のように言う。
 「アメリカ帝国主義クリントン政権が……ユーゴ侵略戦争に踏み切ったのは、根本的には……中・露両国権力者が国際的な“反米”包囲網の形成をおしすすめていることへの危機感にもとづく」
 「『二十一世紀の超大国』をめざす江沢民の中国が破産国ロシアとともに“反米”包囲網をはりめぐらす策動を強化していることからして、これにたいする危機意識に燃えてクリントンのアメリカ帝国主義が〈法と正義〉とか〈人権・人道〉とかの名においてユーゴ、イラク、北朝鮮などの『ならず者国家』の掃討戦を強行しているにすぎない」
 このような「中国脅威論」を何度も繰り返している。一方で「アメリカ帝国主義の侵略戦争」などと言ってはみたものの、要は「中国・ロシアの対米包囲網づくりこそが戦争の根源だ」と言うのだから、帝国主義の軍事行動は防衛的なものとして正当化されてしまうのだ。
 だが、ユーゴ侵略戦争の現実そのものが中国やロシアの力の限界を突き出したことに直面して、カクマルはグラグラになっているのだ。議長・植田は「年頭アピール」で、次のように言って、事実上「新東西冷戦論」を否定し、その破産とカクマルの混乱・動揺ぶりを自己暴露している。
 「現代世界は『新東西冷戦』の様相を呈しているかのようであるけれども、だがしかし、この中国・ロシアとアメリカ帝国主義との軍事力およびその経済力の差は覆うべくもないのである」
 「新東西冷戦の激化」を何度も何度も強調している巻頭の駄文と同じ紙面で、カクマル議長を名乗るやからが、これを事実上否定しているのだ。まったくこっけいではないか。
 また、『解放』一月十七日付号の「中央労働者組織委」論文では、「アメリカ帝国主義の『日本乗っとり』策動」への反米愛国主義的な危機感を前面化させている。ここでも「新東西冷戦論」の枠組みなどは完全に吹っ飛んでいるのだ。このように、植田を筆頭に各筆者によってもバラバラで、一個の政治党派の情勢認識として、自信と確信をもって押し出すものとは、まるでなっていない。
 結局、カクマルはこうした危機を一層深めながら、権力の手先、白色テロ集団としてますますのめり込んで行くしかないのである。
 カクマルはユーゴ侵略戦争の結果、「新東西冷戦」は一層深まり、これが世界戦争の「実在的可能性」を現実性に転化するかもしれない、などと言っている。そう言いながら、何の迫力も実践的構えもない。要するに「新東西冷戦論」の実践的狙いは、帝国主義の基本矛盾の爆発を絶対に認めない、帝国主義とは絶対に闘わないという一点にあるのだ。
 米帝・NATOのユーゴ侵略戦争の世界史的意味は、帝国主義間争闘戦とブロック化の巨大な動きが最深の原動力となって、スターリン主義の崩壊がつくりだした世界編成上の流動地帯、すなわち帝国主義の世界支配の破綻(はたん)点をめぐって、帝国主義の侵略戦争がついに開始されたということである。
 カクマルはそれを絶対に認めたくないために「新東西冷戦の激化」ということにしてしまうのだ。この場合にカクマルは米帝が「ユーゴ内宗教=民族戦争」を鎮(しず)めるために行動すること自体はよしとしているのだ。ただ、そのやり方が一方的で、あまりに軍事的であることに問題があるというだけだ。
 カクマルは“アメリカとNATOが掲げる〈人道〉とか〈法と正義〉とかいうものはブルジョア的理念にすぎない、アメリカの国家的利益をグローバルに貫徹するためのものなのに、それがヨーロッパの左翼には分かっていないから帝国主義の侵略戦争に屈服しているのだ”などと批判している。だが、こんな批判はインチキだ。「カクマル=反革命」を自己暴露するものでしかない。
 核心問題は、ユーゴ侵略戦争が帝国主義の世界再分割戦、勢力圏争奪戦として開始されたということ、帝国主義がその体制の生死をかけて激突過程に突入したとき、革命党と労働者階級が革命的祖国敗北主義の立場を貫きとおすことができるかどうかという問題なのだ。「人道」とか「法」とか「正義」の理念のブルジョア性を理解すれば、それで自国帝国主義打倒の立場に立てるというような問題でないことは明らかだ。
 現に、そのようなエセ「理論」をもってヨーロッパの左翼に「説教」しているカクマル自身が、自国帝国主義打倒の闘いに真正面から敵対しているではないか。JR総連=カクマルは日帝の自衛権=侵略戦争の権利を承認して、戦争協力を誓ったではないか。カクマルの主張は、すべて帝国主義戦争の擁護論である。

 第1節 ナショナリズムの相互衝突論のファシスト性

 またカクマルは、ユーゴ情勢をめぐって、“新東西冷戦と宗教=民族戦争の激発が相乗化して世界の戦争的危機が激化している”と、「宗教=民族戦争」を自立的にとりあげて世界戦争の要因としている。だが、これもまた帝国主義イデオロギーに対する屈服である。
 ユーゴにおける民族的対立は、旧ユーゴおよびバルカン半島をめぐる米帝とドイツ帝国主義などの勢力圏争奪戦のてことして利用され、激化してきたのである。このことを抜きにして、「民族的=宗教的対立」を自立化して論じ、それに外部から帝国主義が軍事介入したかのようにいうことは、帝国主義の侵略戦争美化論にしかならないのだ。
 米帝はこの地域で、あくまで米帝主導のもとにユーゴ侵略戦争を強行することが必要だったのだ。それは米帝にとって、欧州帝国主義諸国の通貨統合(ユーロ)がもつ本質的な対米ブロック的動向が大きな脅威であり、この侵略戦争によって米帝がロシア、欧州、中央アジア、さらにはユーラシア大陸全体にわたる主導権を確保する狙いがあったからである。
 こうしたことに一切ふれないカクマルの「民族=宗教戦争」論は、まったく帝国主義擁護論でしかない。
 カクマルのようにスターリン主義の歴史的破産と、それをも条件としつつ爆発している帝国主義の矛盾を軸に据えないで、民族的=宗教的対立や「ナショナリズムの相互衝突」論として論じてしまうことは、レーニン帝国主義論と唯物史観・マルクス主義を投げ捨てたファシスト的世界観なのだ。
 カクマルは十年前のソ連崩壊と同時に綱領的・理論的な自分なりの心棒すらをも喪失してしまった集団だから、平気でハンチントン風の「文明の衝突」論的世界観に乗り移ってしまい、そこから不可避的に“アングロ・サクソンによる文明・価値観の押しつけを許すな”などという反米愛国主義に転落してしまうのである。
 昨年秋のWTO(世界貿易機関)閣僚会議の決裂について、『解放』新年号巻頭論文は次のように言って、反米愛国主義を全面化させている。
 「今やアメリカのこのような傲慢で身勝手なふるまいにたいして堪忍袋の緒を切らしてしまったがゆえに、発展途上諸国だけでなくEUや日本の権力者もまた公然と反旗をひるがえすにいたっているわけなのである(真夜中の『非礼』な電話一本でひっくりかえすことができるとクリントンがタカをくくっていたオブチもまた『反ダンピング協定見直し』をひきさげることを拒否した)」
 いったい、これは何だ! 「日本の権力者」や小渕に、カクマルはすっかり共感し意気投合している。
 ここで日帝は、一方的な「被害者」とされている。日帝が帝国主義間争闘戦の一方の当事者としてアジアの労働者人民を飢餓的低賃金で搾取し、膨大な超過利潤をあげていること、この日帝がいまアジア侵略戦争に突き進もうとしていることに、怒りも批判もない。
 いや、それどころではない。これは「大東亜共栄圏」の思想である。「発展途上諸国」と日帝を同列に並べて「アメリカの傲慢で身勝手なふるまい」との共同の対決を呼びかけているのだ。帝国主義的な反米愛国主義そのものだ。

 第3章 JR総連を擁護するインチキ「連合批判」

 カクマル『解放』新年号の第三の反革命的特徴は、JR総連の戦争協力への大転向を強烈に意識して、これを全面的に支えるためにペテン的な連合批判をデッチあげようとしていることである。
 新年号を前後して、カクマルは毎号のように「連合批判」を続けている。一五九九号の大瀬健三論文(十二・五カクマル政治集会での報告)、一六〇〇号(新年号)の巻頭論文、一六〇一号の笠置高男論文、一六〇二、三号の中央労働者組織委論文などである。
 分量だけはやたらと長いこれらの冗舌な連合批判論文の共通の特徴は、労働者階級がそもそも日帝のどういう攻撃と今直面しているのかを絶対に語らないことだ。それによって成り立っている「批判」なのだ。
 帝国主義の攻撃を絶対に語らず、それが強行されることを不動の前提としながら、それと関係がない形で連合を批判しているのである。そのために『解放』新年号企画からも帝国主義の攻撃の暴露を追放してしまった。そして、日帝の攻撃およびこれとの闘いから「解放」された地点から、連合の翼賛運動への転落を「労組のブルジョア的変質」などと言って批判するポーズをとっているのである。

 第1節 JR総連は連合の反革命的先兵

 こんな「批判」は、全然批判ではない。連合「新政治方針」へのJR総連の「対案」が全面的賛成・推進論であったのと同様に、カクマルの「連合批判」は、ファシスト的積極性をもって連合の大転向を促そうというものなのだ。
 カクマルは連合について「救国産報運動をくりひろげてきた」「階級協調主義」「連合傘下の労組ダラ幹どもは、生産性向上とそのための合理化・労務管理強化に協力してきた」などと批判している。
 だが、JR総連=カクマル松崎はいったい何をやってきたのだ? 国鉄労働者二十万人首切りの分割・民営化の先兵となり「JR東日本を世界一の大会社にする」と叫んで大合理化、労働強化、生産性向上運動に労働者を駆り立ててきた張本人ではないか。賃金半減の「ワークシェアリング」の推進を、連合よりもずっと早く提唱してきたのは、カクマル松崎ではないか。資本と労働者の階級的対立、階級的搾取関係を否定する労資結託の「ニアリーイコール」論を掲げて、まさに連合の「ステークホルダー」論を一歩先を行って実践してきたのは松崎とJR総連=カクマルなのだ。
 カクマルこそ、連合の戦争協力路線、「産業報国会」化への大転向のファシスト的先兵なのである。
 だが、これほど繰り返し連合批判をしていながら、「戦争協力宣言」を打ち出した連合の新「政治方針」を、正面から批判しようとしない。
 なぜか? それは、JR総連の大転向が、同時に問題となってしまうからだ。だから、この領域では連合へのペテン的批判すらカクマルにとって「危険」なのであり、できるだけ“そっとしておきたい”のだ。
 われわれはJR総連の「対案」が連合新政治方針に何も反対していないこと、それどころか「新世界秩序の形成」という名のもとにブロック化をめざす帝国主義の侵略戦争と戦争準備に全面的承認を与え、安保と自衛隊を容認し、「国連決議による軍事行動」を支持したことを暴露し弾劾してきた。そして、これはカクマルのJR総連政策の結果であり、カクマルが「党」の基本政策としてJR総連の大転向を全面的に承認したものとして弾劾してきた。
 これに対しカクマルは、われわれの全面的批判に大打撃を受け、すっかり消耗して、連合の新政治方針そのものに触れることを避け、逃げ回ってきた。
 カクマルよ、JR総連を「戦闘的労働組合」というのなら、われわれの批判に反論し、真正面からJR総連の対案を弁護してみたらどうなのだ。
 『解放』新年号は、カクマルの「党是」である「権力の謀略」論デマについて一言も触れられず、また、わが中核派への「批判」も皆無という、まったく元気のない代物だ。九九年の大衆闘争をめぐる激突で完敗し、中核派からの戦争的・政治的・イデオロギー的大攻勢に追いつめられ、暗澹(あんたん)たる気持ちで二〇〇〇年を迎えたカクマルの、打ちひしがれた心情が透けて見えるようだ。
 だからこそ、この二〇〇〇年、カクマルの一層の白色テロルへののめりこみは不可避である。カクマルの白色テロルと大衆闘争への敵対を断じて許さず、二〇〇〇年決戦の戦闘的大衆的爆発をかちとろう。
 カクマルの闘争破壊策動を粉砕して、昨年をこえる大衆闘争の戦闘的爆発を実現したとき、カクマルは必ず大破綻に突入する。二〇〇〇年を沖縄、国鉄・都労連・労働戦線、学生戦線、介護保険などをめぐる闘いで、この大破綻を反革命カクマルに突きつける決戦の年としよう。

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週刊『前進』(1944号6面2)

 2000年日誌

 阻もう!戦争への動き

 1月26日〜31日

 陸自に”対ゲリラ特殊部隊”

 団体規制法で観察処分発動

●陸自に研究本部新設 防衛庁は、生物化学兵器による攻撃や限定的なテロ攻撃への対処方法などを一体的に研究するためと称する研究本部を陸上自衛隊に設置するなどの防衛庁設置法等改正案をまとめ、自民党国防三部会の了承を得た。研究本部は、陸自の幹部学校や科学学校、衛生学校など十三の学校の調査、研究部門を統合し、朝霞駐屯地に設置する。(26日)
●「参院の将来」懇が基本方針 参院議長の私的諮問機関「参院の将来像を考える有識者懇談会」が四月に予定している参院改革に関する答申をまとめ、参院の首相指名権の廃止など改憲を伴う改革の具体案を盛り込んだ。参院選挙制度などについて検討を加え、最終案をまとめる。(26日)
●辺野古に水陸両用装甲車
 名護市辺野古のキャンプ・シュワブで米軍が水陸両用装甲車を使った演習を行った。参加したのは第三海兵師団戦闘強襲大隊四十二人。機銃を積み込んだ九台の水陸両用装甲車が沖合の海上から独特のキャタピラー音とともに上陸する場面もあった。(26日)
●山崎派「改憲」を公約に
 次期衆院選では「憲法改正」を選挙公約にと自民党山崎派が総会で申し合わせた。憲法調査会が設置され憲法論議が今後活発化することをにらみ、改憲論と護憲論が混在する自民党内で「憲法改正のイニシアチブをとりたい」(山崎拓・元政調会長)との狙いによるもの。(27日)
●艦載機訓練中止求め嘉手納で臨時議会 米軍嘉手納基地を拠点に、米海軍第五空母航空団所属の空母キティホーク艦載機などによる戦闘訓練が二十四日から続き、周辺地域の爆音被害を増大させている問題で、嘉手納町議会が臨時議会を開き、訓練の中止を求める抗議決議と意見書を全会一致で可決した。議会終了後、全議員が嘉手納基地を見渡せる同町屋良の通称「安保の見える丘」で訓練反対の横断幕を掲げ、シュプレヒコールをした。(27日)
●施政方針演説強行 国会で衆議院比例区定数削減法案の衆院本会議採決に反発する野党が欠席する中、小渕首相が施政方針演説を強行した。演説では内閣の最重要課題として抜本的な教育改革や七月の主要国首脳会議(沖縄サミット)の成功などをあげ、「教育改革国民会議」の設置や幅広い憲法論議を期待するなどとまとめた。(28日)
●陸自に対ゲリラ特殊部隊
 防衛庁が次期中期防衛力整備計画(次期防・二〇〇一−五年度)に、武装ゲリラの襲撃に備えるとして「低強度紛争対処」なる新戦略を導入し、新たな、“特殊部隊”の編成を盛り込む方針を固めた。対処部隊は三個中隊(五百人規模)。いわゆる有事の際、原発や空港・港湾施設、在日米軍や自衛隊基地などの重要施設を防護するほか、国内に設けられた敵のゲリラ活動拠点を捜索し、破壊することを想定。(28日)
●北谷町議会でも訓練中止決議 北谷町議会が臨時議会を開き、嘉手納基地の艦載機訓練の中止を求める抗議決議と意見書を全会一致で採択。同訓練は二十八日で終了した。(28日)
●演習で山火事 恩納村南恩納のキャンプ・ハンセン演習場レンジ7で、実弾演習による火災が発生した。米軍の報告では山林や原野など約二千平方bを消失した。出火原因は、八四_ロケット砲弾(対戦車砲)の発射訓練。(28日)
●予備自衛官を民間公募
 防衛庁が退職自衛官を対象にしてきた予備自衛官制度を見直し、一部を民間から公募する新制度の検討を始めた。二〇〇一年度からの次期防衛力整備計画で正式決定し募集を開始したい意向だ。大学生、会社員などが対象になる。(29日)
●日出生台演習反対で1万人集会 大分県・日出生台演習場で二月三日から始まる在沖縄米海兵隊の実弾砲撃訓練を前に、地元玖珠町で連合大分などの主催の反対集会が開かれ、約一万四百人が参加。(30日)
●オウムに観察処分 公安審査委員会が団体規制法(第二破防法)に基づく公安調査庁長官の請求を認めオウム真理教(アレフに改称)に対する三年間の「観察処分」を決定した。二月一日の官報の公示と同時に効力が生じた。これを受けて公安調査庁と警察は、教団施設数カ所の立ち入り検査を実施する。(31日)
●辺野古区長が自殺未遂
 政府が普天間飛行場の移設先として決めた名護市辺野古区の区長が自宅で毒物を飲んで自殺を図り病院で手当てを受けていたことがわかった。区長は「ヘリポート問題で悩んでいた」と答えている。(31日)
●2つの検討本部が発足
 沖縄振興開発検討推進会議が普天間飛行場の移設に伴う「北部振興検討本部」と「ポスト三次振計法制検討本部」を同推進会議の下に設置。小渕首相は衆院で「沖縄振興新法の実現も視野に入れつつ、目下そのあり方について調査、審議しているところである」と述べた。(31日)

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週刊『前進』(1944号7面1)

 福祉は労働者人民の命の要求

介護保険の4月実施中止を

 衆院選決戦勝利へ総決起しよう

 坂本 千秋

 本年四月から実施されようとしている介護保険制度は、これまでの介護・福祉を打ち切り、高齢者とその家族をこのままでは生きられないという状況にたたき込む恐るべき制度だ。この介護保険導入を突破口に、医療、福祉、年金など社会保障制度の全般にわたって労働者人民の戦後的諸権利を奪い尽くす攻撃が激化しており、これとの対決が今日の日帝と人民との鋭い政治的対決点、一大社会問題に浮上している。「社会保障制度改革」を掲げて攻撃の先頭に立つ小渕・自自公政権はもとより、介護保険推進の急先鋒(せんぽう)である民主党・連合、介護保険反対から今や賛成派に転向した日本共産党を始めとするすべての野党、そして何よりも小渕政権以上に福祉切り捨て攻撃の最先端を走るファシスト都知事・石原を打倒して、闘う人民の階級的団結の力で労働者人民の日々のいのちと暮らしを守りぬくために、今こそ総決起することが求められている。切迫する衆院選は、その最大の決戦の場だ。「介護保険絶対反対・介護は全額公費負担で」を真正面から掲げて闘う長谷川英憲さん(東京八区・杉並)を先頭に、介護保険四月実施を中止に追い込む大運動をつくりだし、衆院選決戦の勝利で小渕・石原を打ち倒そう。この闘いは、日帝の戦争政治や大失業攻撃を打ち破る闘いと一体であり、それと並ぶ大闘争だ。沖縄や三里塚や国鉄や「日の丸・君が代」をめぐる闘いと結合し、日帝の福祉解体攻撃を粉砕する巨大な闘いを切り開こう。

 第1章 戦後的社会保障制度の全面解体を狙った攻撃

 介護保険制度の四月実施が迫る中で、「保険あってサービスなし」というその反人民的正体は今や次々と明るみに出されている。高齢者とその家族を始めとして、人民の不安と怒り、危機感はいやが上にも急速に高まっている。
 介護保険制度とは何か。その本質は、高齢者介護と福祉の全面的な切り捨てである。従来の公的福祉を解体して、福祉は権利ではない、金で買えとすべての人民に迫るものだ。人民から「第二の消費税」とも言うべき高額保険料を毎月強制的に取り立て、しかも介護は量的にも質的にも低下させ、あるいは打ち切るという国家的詐欺行為にも等しいものだ。さらに、民間企業の福祉への参入により、福祉を営利事業化し、大資本の食い物にしていく実に許せない攻撃だ。
 四月実施の強行がかつてない社会的大混乱を引き起こすことはもはや不可避だ。しかも日帝は、この混乱をのりきる手段など何ひとつ持っていないし、介護をめぐる人民の切実な要求に対して結局はそれをむきだしの暴力で抑え込む以外に対応のすべを持たない。大衆的怒りの一層の大爆発は不可避である。
 介護保険の四月実施中止を求める闘い、介護保険に反対し「介護は全額公費負担で」を求める闘いは、こうした中で決定的に重大な位置をもっている。その成否は、今後さらに激化してくる医療・福祉・年金問題など、戦後の社会保障制度全体を解体する攻撃との大闘争の成否に直結する。さらに消費税の引き上げを始めとした大増税との闘いに直結する。
 世界大恐慌の危機にあえぐ帝国主義が、その一切の矛盾を労働者階級の犠牲に転嫁し、大量首切り・賃下げとすさまじい大衆収奪・増税によって労働者人民の生活を極限的に破壊しつつ、大資本の救済と延命を図ることを許すことはできない。しかも、今日大問題化している日帝の経済危機・財政危機は、資本主義・帝国主義の基本矛盾の爆発に基づく根底的なものであり、小渕や石原がどのようにあがこうと、結局は軍需経済と侵略戦争―世界戦争の破滅の道にのめり込む以外にないものだ。このような帝国主義を打倒する以外、労働者人民の生きる道はない。介護保険問題は、この巨大なテーマをすべての人民につきつけている。

 第1節 橋本の「六大改革」

 まず、介護保険制度の導入が戦後社会保障制度の全面解体への突破口であることをはっきりさせよう。
 日帝による戦後社会保障政策の根本的転換は、一九八九年の「高齢者保険福祉推進十カ年計画」(ゴールドプラン)の策定と九〇年の福祉関係八法の改悪強行に始まる。だが現実に一大攻撃が本格的に開始されたのは、九七年に橋本政権が「六大改革」を打ち出して以降である。
 橋本の「六大改革」路線とは、@「行政改革」A「財政構造改革」B「経済構造改革」C「金融システム改革」D「社会保障構造改革」E「教育改革」の六つの面で、戦後的諸制度の反動的解体と大再編を打ち出したものである。
 この攻撃は、激化する帝国主義間争闘戦の中で日帝が死活をかけた延命策としてある。第一に、日米新安保ガイドライン攻撃として開始された米日帝による朝鮮・中国―アジア侵略戦争への日帝の主体的参戦を可能にするための、国家大改造=戦争体制づくりの攻撃と深く連動したものであった。第二に、より直接的には、日帝ブルジョアジーによる労働者階級への一大資本攻勢、すなわち終身雇用・年功賃金体系の破壊と戦後的労資関係の解体一掃をめざす攻撃と結びついて仕掛けられてきたものであった。
 とりわけ「社会保障改革」と「行政改革」「財政改革」は一体であり、ひとことで言えば、福祉の大幅切り捨てと公務員労働者の大量首切りによって当面する国家財政の危機を突破し、併せて大増税への道を開くことで将来の軍事費膨張・戦争財政への転換に備えようとしたものである。そしてその「改革」を実施に移す第一弾として、第一に消費税の五%への引き上げ(九七年四月)が強行され、第二に、老人医療費の抑制と「障害者」への差別・抹殺攻撃を柱とした医療・福祉制度の大改悪や、年金制度の改悪が着手され、第三に、介護保険法の成立(九七年十二月)が強行され、恐るべき攻撃がどしどしと進行し始めた。
 だがこの橋本政権による「六大改革」は、その中心になっていた「財政改革」が財政構造改革特別法(九七年十一月)を成立させたとたんにそれを凍結するしかない事態に追い込まれたように、日帝の金融恐慌の爆発過程への突入の中でいったん挫折する。橋本に代わって登場した小渕政権は、金融資本と金融制度救済のために公的資金を湯水のように注ぎ込むことに全力を挙げ、そのことによって日帝国家財政の危機は一気に破滅的なレベルにまで突き進んだ。
 この天文学的な財政危機はもはや、なんらかの小手先の政策によって打開できるようなものでは断じてなく、小渕は、そのすべてを極限的な大衆収奪・増税と労働者人民の生活破壊に一層むきだしの形で転嫁する以外になくなっている。そしてその最大の的を、社会福祉の打ち切り―戦後社会保障制度の全面解体に絞り込んで、襲いかかってきているのだ。
 その第一の突破口こそ、今回の介護保険制度の四月実施強行なのである。
 この福祉、社会保障をめぐる闘いは、すべての労働者人民にとって死活にかかわる大問題である。また、革命党が本来避けて通ることのできない巨大なテーマである。すなわち、労働者階級の独自的利害としても緊急の課題であるとともに、その独自利害をもこえて、高齢者問題、「障害者」問題を始めとする帝国主義の差別と抑圧の問題、家族問題、国家財政を始めとした国家のありようの問題、自治体問題、地域問題などなど、今日の社会における人民の生活の全領域に関わる一個の戦略的テーマなのだ。
 つまり、労働者階級自身の文字どおりの生き死にをかけた課題でありながら、同時に狭い意味での階級的利害をこえた全社会的・全人民的な課題である。また、プロレタリア人民大衆の生活と生存のための日常的闘いであって、なおかつ鋭い政治闘争的テーマとして闘わなければならないし、また闘えるという、きわめて重要な課題なのである。
 この領域への本格的挑戦が今日、介護保険問題をとおして待ったなしにつきつけられてきているのだ。

 第2章 資本主義への幻想砕き階級闘争が非和解化へ

 社会保障問題とは何か。それが今日の帝国主義の危機の時代への突入の中で、これほどまでに重大問題化してきたのはなぜなのか。
 今日、巨大な機構とまでなっている社会保障制度とは、「死滅しつつある資本主義の時代」としての帝国主義の時代、その危機と矛盾の爆発の中で、ロシア革命の与えた巨大な影響と、そこに始まるプロレタリア世界革命の現実性の時代の中で生み出されてきたものである。一九二九年世界恐慌の爆発によって始まった一九三〇年代階級闘争の激動および第二次大戦を経て、戦後革命の敗北と引き替えに、戦後の「福祉国家」がもたらされてきた。
 その破産と崩壊的危機が、今日の帝国主義の危機と腐敗を最も鋭く突き出すものとして、国家と社会を揺るがす大問題に転化し始めているのである。
 二九年恐慌に始まる一九三〇年代の未曽有(みぞう)の経済的・政治的・社会的危機に際して、帝国主義は、戦争へと突き進みつつ、一方でボナパルティズム的あるいはファシスト的な形をとった労働者階級への圧殺の攻撃、内乱・内戦的攻撃を激化させ、他方で予防反革命的な立場からの社会福祉政策の一定の採用を世界的規模で展開してきた。
 第二次大戦後の社会保障制度確立の出発点とされている一九三五年のアメリカの社会保障法と、一九四二年のイギリスのベバリッジ報告は、失業や病気や老年退職その他によって労働者やその家族が収入の道を失い、路頭にほうり出されることに対して、国家が最低限の所得保障を行うことによって社会秩序を維持するという道を開くものであった。それは、その対極で進行したナチス・ドイツによるワイマール共和国の解体と表裏一体の関係にある。労働者の四人に一人が失業するという大恐慌下のアメリカに典型的に示されるような帝国主義の絶望的な危機の進展と、一九三〇年代ヨーロッパを覆い尽くした階級闘争の内乱・内戦的な血みどろの発展――まさに「戦争か革命か」が直接に問題となるような世界史的激動の中から、今日の帝国主義国における社会保障政策の原型が生み落とされてきたのである。
 そこには二重の階級的性格がある。ひとつは、この社会福祉・社会保障制度の確立は、一九一七年ロシア革命とそれを引き継ぐ三〇年代階級闘争のまっただ中で、国際プロレタリアートが世界革命に向かって血を流して闘いぬく中で初めて現実化し、物質化されてきたものだということ。だが他方ではその敗北、つまりロシア革命のスターリン主義的変質と三〇年代階級闘争および戦後革命の敗北のもとで、帝国主義が労働者人民の不満と怒りを体制内に吸収してその決起を抑圧するための、いわば体制の「安全弁」として確立され機能してきたということ。この二重の側面があったのである。
 あえて言えば、革命への恐怖が帝国主義をして社会保障政策を展開させてきた最大の原動力であったということだ。危機に立つ帝国主義ブルジョアジーにとっては、人民に資本主義社会への幻想を与え続ける政策として、労働者階級の社会福祉的要求を帝国主義の側から取り上げる必要があったのだ。逆に言えば、その社会保障政策が破綻(はたん)し不可能化するということは、資本主義への幻想を決定的に打ちき、革命の現実性を一挙に引き寄せるものとなるという階級的性格をもともと刻印されているのだ。
 戦後革命の敗北以降もてはやされてきた「福祉国家」なるものは、スターリン主義の裏切りによってかろうじて延命した帝国主義が、アメリカ帝国主義を軸とした戦後の帝国主義世界体制の特異な形成と発展のもとで一定の長期にわたる「繁栄」を実現し、その中で維持されてきたものである。それは戦後の労働者人民の切実な具体的要求と闘いによってかちとられてきたものではあるが、そこにはやはり、労働者階級の階級意識をくもらせるものが同時に含まれていたことも事実なのである。
 しかし、今日、帝国主義の社会保障政策が根底的に挫折し、それをほうり出すしかないという事態に立ち至ったということは、問題の性格を新たな次元に押し上げるものだ。それは帝国主義が、もはや労働者人民に対して「ムチとアメ」の双方の政策を展開していく余裕を失い、もっぱらむきだしの凶暴な搾取と収奪、弾圧と抑圧の政策に唯一依拠するしかなくなったことを示している。このことは直ちに、一九三〇年代へのラセン的回帰、すなわち労働者人民の怒りが帝国主義打倒の闘いとして爆発する階級闘争の新たな激動的発展の時代を、不可避にたぐり寄せるものなのだ。

 第3章 プロレタリア革命戦略の一環に位置づけ闘う

 帝国主義の社会保障政策の行きづまりは、歴史的には七四―七五年恐慌と帝国主義世界経済の長期大不況過程への突入とともに始まった。一九八一年にOECD(経済開発協力機構)が「福祉国家の危機」を警告し、帝国主義はその「福祉負担」をもうこれ以上続けられないと宣言した。そしてイギリスのサッチャー政権やアメリカのレーガン政権を先頭に、戦後的階級関係の転覆を狙う攻撃が激化し、社会保障費の削減と人民の諸権利剥奪の攻撃が、労働組合・労働運動への破壊攻撃と一体で激しく展開されてくる。
 この八〇年代の英帝・サッチャー政権などに代表される攻撃は、福祉や年金など公的社会保障制度それ自体を「社会主義的なもの」「人民の甘えと悪平等を生み出すもの」として、真っ向から敵視し、否定・解体の対象とした。「市場原理」万能論をふりかざして、資本主義の弱肉強食の競争原理をむきだしにした中に全社会をたたき込み、公共部門の民営化、各種の「規制緩和」の推進、社会保障給付の大幅削減、低所得者層の切り捨てと大衆増税などの政策を次々と打ち出し、暴力的に貫徹していったのである。
 その結果は、貧富の差と社会的差別のすさまじい拡大であり、最低生活すら維持できない貧困層の激増であった。ひとことで言えば、「富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなる」といった状況がつくりだされていったのである。それに伴う社会的諸矛盾の拡大の中で、サッチャーの「改革」は挫折し退陣を強いられた。米帝の場合は、対日対欧の帝国主義間争闘戦の上に成り立つ米帝経済のバブル的繁栄の中で、その破綻が塗り隠されているが、バブルの崩壊とともに隠された矛盾が最も激烈な形で爆発することは明白である。
 日帝が今日開始している「社会保障構造改革」とは、実はこのサッチャーの政策を下敷きにしたものである。日帝の場合、八〇年代の中曽根政権のもとで「戦後政治の総決算」をスローガンにレーガン、サッチャー的な攻撃への踏み込みが軍事大国化攻撃と一体で開始されるが、日本労働者階級の戦闘性を解体しきれない中でいったん挫折し、この領域での本格的な対決は九〇年代に持ち越されてきているのだ。

 第1節 新制度の破産は必至

 日帝の戦後の社会保障政策の展開は、戦後革命期をへて、一九六〇年代以降に本格化し、年金給付=老後の所得保障を含めた社会保障制度が「西欧並み」の水準として成り立ったのはようやく七〇年代に入ってからである。一九七三年に田中内閣のもとで「福祉元年」が宣言されたが、それは七四―七五年恐慌によって米欧帝国主義が戦後の福祉政策を大転換していくまさに直前のことであった。日帝にとって、革命的左翼を先頭とした七〇年安保・沖縄決戦の大高揚によって生み出された国内階級支配の重大な危機をのりきり、労働者階級の戦闘性の抑制と抱き込みを図るためには、社会保障費の増大がむしろ必要とされたのである。
 このことは、七四―七五年恐慌脱出のための大型公共投資の継続とも重なって、日帝の財政赤字の雪だるま式拡大をつくりだしていくのであるが、その解決を消費税導入で図ろうとして大平内閣は失敗した。一九八二年末に首相に就任した中曽根は、「枯れ木に水をやる必要はない」という暴言を吐いて「年金と老人医療の見直し」を打ち出し、政策の転換にのりだすが、大衆的怒りの爆発の中で社会保障制度の根幹に手をつけることはできないままに終わった。その後の総評解体・連合化の達成にもかかわらず、国内階級支配におけるこの日帝の本質的な脆弱性は、依然として打開されない状態が続いたのである。
 したがって日帝が本格的にこの領域での攻撃に着手するのは、九〇年代に入ってからであり、その具体的な物質化は橋本政権による「六大改革」に始まる。九七年の介護保険法の成立こそその実質的突破口であり、今日、その実施が一切を決する最大の焦点となっているのだ。
 日帝は今、介護保険制度の実施強行に積年の課題の突破をかけて猛然と突き進んでいるが、重要なことは日帝はあまりにも立ち遅れ、すでに矛盾を激化させてしまっていることだ。新制度の恐るべきでたらめさ、破産性は実施の前から明らかであり、これからますます問題は大きくなっていく。九七年から始まる世界恐慌的危機の爆発が、たとえペテン的にもせよ何らかの整合性ある政策を展開する余地をすでに日帝から奪い去ってしまっており、最初から破綻しているものを「改革」と称して人民に押しつけるしかなくなっている。
 介護保険実施をめぐるこの間の政府・与党内部のあつれきや、保険料徴収の半年間凍結などの見えすいた手直しと動揺の根幹にあるのは、まさにそうした日帝の危機の深まりなのである。
 日帝は、国家財政の破綻と年金や医療保険の財政的破綻が社会保障制度の基礎を揺るがしているとして、労働者人民の譲歩を一方的に迫っている。だがそもそも、帝国主義の体制的危機の革命的情勢への転化に対する予防反革命の手段でもある社会保障政策を、危機の深刻さゆえに切り捨てることは、ブルジョアジーの側からみてもまったく破産的で危機的なことなのだ。しかも、やろうとしていることは八〇年代にサッチャー政権がやったことの引き写しにすぎず、すでにその破綻が歴史的に明らかになっているものでしかない。介護保険について言えば、日本がモデルとしたドイツの介護保険は、九五年の導入からわずか五年で、高齢者・「障害者」への公然たる抹殺攻撃の手段に転じてしまっている。
 革命党がこの問題を本格的に取り上げ、プロレタリア革命の戦略の一環に正しく位置づけて闘いぬくならば、攻撃を粉砕し、逆にそれを日帝打倒に向けた労働者階級の総反撃に転化して闘うことは必ずできるのである。今こそその闘いの火ぶたを切るときだ。

 第4章 福祉は権利−労働者の生存権そのものである

 最後に、この闘いがすぐれてイデオロギーをめぐる闘いであり、労働者人民の階級意識と価値観をめぐる闘いとなることをはっきりさせなければならない。
 何よりも、福祉は労働者人民のいのちの要求である。資本主義社会において、資本の苛酷な搾取のもとに置かれた労働者階級が自らと家族の最低限のいのちと暮らしを守るために、長い血と汗の闘いによってかちとってきた譲ることのできない権利、「生存権」そのものだ。
 失業と貧困の問題は、労働力商品化の上に成り立つ資本主義社会が必然的に生み出す社会問題である。そこでは、生産手段から切り離されている労働者階級は、自らの肉体に付随した労働力を日々売って生きる以外に他の一切の生活手段を持たない。老齢や病気などで労働能力を失った労働者や、「障害者」などは、「資本にとって価値のない者」として本質的にその存在意義を認められず、実際にも生産過程から排除されて「生きる権利」そのものを最初から奪われる状態に置かれている。
 しかも資本主義社会は、相対的過剰人口=失業者および潜在的失業者を不断に生み出すことにより、労働者階級全体への搾取を絶えず強化していく。資本主義の帝国主義段階への移行は、失業および貧困の飛躍的増大と社会的差別の拡大をもたらし、耐えがたいまでに激化させるものとなっていく。
 そこでは労働者が実際に資本家から受け取る賃金は、労働者階級が団結して闘わない限り、自分自身と家族の切実な生活要求を満たすにはとうてい足りない水準に繰り返し引き下げられていく。したがって労働者は、自らの賃金の中から老齢や病気や不慮の事故・災害や失業などに備えておく可能性を、そもそも初めから奪われているのだ。
 レーニンとボルシェビキ党は、一九一二年の「国営労働者保険」をめぐる闘いにおいて、@労働者が労働能力を失うすべての場合や失業した場合に、A国家と企業主の全額負担による労働者への所得保障を要求し、B保障は労働者自身とその家族の全部を対象に、C賃金の全額補償を原則とすること、D保険組合をツァー政府の官吏や警察の監督下ではなく労働者の自治管理のもとに置くことを提起した。この要求と立場はロシア革命の勝利を経て、第二次大戦後に至る労働者階級の国際的な闘いの中に受け継がれていくのであるが、それはまさに右のような階級認識にもとづいていたのである。
 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という憲法二五条も、そうした国際階級闘争と、それを引き継ぐ日本労働者人民の戦後革命の高揚の中で、その敗北の代償として獲得されたものなのだ。
 さらにこの「福祉は権利」という思想に関していまひとつ重要なことは、一九六〇年代後半から七〇年代にかけて「障害者」解放闘争が闘いとってきた歴史的な地平である。帝国主義のもとで「障害者」に対して加えられ続けてきた社会からの排除・隔離と抹殺の攻撃に対して、「重度障害者」を先頭とする「障害者」自身の人間的主体性の奪還をかけて、「人間社会で生きる権利」を地域での自立生活闘争として実力でもぎとってきた闘いである。
 福祉が労働者人民の権利であり、いのちの要求であるということの中には、これらのことがすべて含まれているのだ。
 だが、今日の日帝の攻撃は、この地平をすべて根底から覆すものである。それは、“福祉は国が恩恵として人民に与えてきたものだ、国家財政が破綻した以上はもはやその継続はできない、人民は甘えを捨てよ”として、すさまじい反革命恫喝をもって労働者人民に襲いかかるものとなっている。さらには、「自己責任・自助努力」の言葉に示されるように、資本主義・帝国主義が不可避に生み出す労働者人民の失業と貧困の問題を、結果と原因とをすりかえて、失業や貧困に陥った当の労働者人民自身の責任として非難し追及するという許しがたい攻撃となっているのだ。
 帝国主義は恐慌・大失業と戦争によって大量の人民の生活を破壊し、路頭に放り出していきながら、その放り出された人民の存在と闘いを恐怖し、憎悪と抹殺の対象にしていく。そのために「障害者」差別、部落差別などのあらゆる社会的差別や帝国主義的民族排外主義を総動員し、あおりたて、人民を限りなく分断していこうとしている。公的福祉を解体し、福祉の現場に資本主義の弱肉強食の原理を全面的に持ち込む攻撃は、その最大の突破口なのである。
 実際にもそれは、大量首切り・賃下げや戦後労働法制の解体攻撃と一体となって、労働者階級の生活を一気に十九世紀的な恐るべき水準に引き戻すものとなりつつある。
 介護保険推進派が掲げる「公的福祉ではなく介護の社会化」へ、「国家義務から相互扶助へ」というデマゴギッシュな宣伝・扇動は、この露骨な福祉切り捨てと労働者人民への責任転嫁を覆い隠す実に卑劣で恥知らずなペテンだ。今こそ怒りを込めてこのデマ宣伝を打ち砕き、労働者階級の歴史的闘いとその魂を復権して、日帝の福祉解体攻撃を粉砕する闘いに猛然と立ち上がらなければならない。
 「介護保険制度の四月実施中止」「福祉は権利、介護は全額公費負担で」を求める闘う杉並区民と長谷川英憲さんを先頭とした介護保険反対の運動は、その先頭に立つ闘いであり、日帝の戦後社会保障制度解体の大攻撃と対決して闘う人民の新たな広大な戦線を切り開くものである。さらには資本主義・帝国主義とその国家・社会に対する根底的な批判、プロレタリア革命勝利への展望を切り開くことに直結していく闘いなのだ。
 この闘いの大発展をつくりだすために、渾身の力を発揮して闘おう。医療・福祉労働者や自治体労働者を先頭に、介護保険粉砕をすべての闘う労働運動の課題とし、労働者人民全体の死活のかかった闘いとしよう。地域の人民の団結した力と要求によって、介護の切り捨てを断じて許さず、必要な介護を全額公費負担で実際にかちとる闘いをつくりだそう。
 衆院選決戦をその最大の決戦として、全力で闘い、小渕・自自公政権打倒とそのファシスト先兵=石原都政打倒への一大突破口を切り開こう。東京八区(杉並)で自自公の推す石原伸晃(石原都知事の息子)との激突に勝ち抜き、介護保険推進の民主党・連合や日共スターリン主義を打倒して、長谷川英憲さんを真の労働者人民の代表として絶対に国会に送り出そう。

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週刊『前進』(1944号7面2)

 機関紙活動 実践の中から

 『前進』で細胞づくりを実践

 関西 上田貴夫

 私の職場ではここ数年、資本の労働強化や組合つぶしの攻撃が激しく襲いかかっています。組合の団結を守り、資本の攻撃をはね返していくためには、職場に党の細胞をつくることだと決断し、昨年の春からそのための計画を立てて実践を始めました。
 まず、組合の活動家をリストアップし、すでに『前進』の購読者となっている人を対象にした読者会を始めるとともに、『共産党宣言』の学習会への参加を呼びかけました。さらに、これまで組合活動の面では比較的低調だった青年層に重点を置いてオルグリストをつくり、『前進』のバラ売りを始めました。
 読者会や学習会を始めた時は、みんながついてきてくれるかどうか不安がありましたが、杞憂(きゆう)にすぎませんでした。仕事が終わってヘトヘトになっているのにほとんど欠かさず参加してくれる仲間の姿を見ると、あらためて「労働者階級こそ革命的階級である」ということを感動をもって実感します。
 秋になって、読者会や学習会に参加している仲間が中心になって、資本の悪辣(あくらつ)な組合つぶしに断固として反撃に打って出ました。組合執行部が意気軒高と闘っている姿を見て、職場の仲間の組合を見る目もそれまでとは格段に違ってきました。役員選挙もかつてない高得票で勝利し、とりわけ青年層が「自分も一緒に闘いたい」と熱心に組合活動に参加してくるようになりました。
 そして、それまで定期購読をしぶっていた青年層のリーダーの一人を読者に獲得することができました。彼が読者になったことで、年末には彼の仲間も引き入れて、青年層を中心とした読者会を新たに始めることもできました。
 資本の攻撃が激しくなったからといって、けっして労働者は屈服することはない、むしろ資本への怒りを燃え立たせ、闘いを求め、立ち上がるのだということを本当に実感しました。
 私の職場の闘いは、まだ始まったばかりです。『前進』で職場に細胞をつくるという目標をしっかりと持ち、具体的な計画を立てて実践すること、同時に組合の団結を守り、階級的原則を堅持して資本の攻撃と不屈に闘いぬくこと、この二つの闘いをしっかりと結びつけて闘いぬくなら、必ず勝利することができると確信を深めています。

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週刊『前進』(1944号8面1)

 第2次入管基本計画許さず階級的共同闘争の発展を

 2000年入管闘争のために

 世界情勢、とりわけアジア情勢の大激動の中で二〇〇〇年を迎えた。体制的危機、分裂化とブロック化を一層深める各国帝国主義は、アジアを主要な戦場として争闘戦を非和解的に激化させている。重大な歴史の分岐点に立つわれわれは、「二つの連帯戦略と一つの打倒戦略」を真っ向から掲げて二〇〇〇年決戦にうって出ている。帝国主義の崩壊的危機ゆえに噴き出してくる排外主義と差別主義の扇動を許さず、労働者階級人民の国際的=階級的決起の先端的闘いとして、入管闘争を全力で闘いぬこう。
 佐久間祐

 第1節 戦争国家化と一体で強まる入管攻撃

 二月十八日に昨年ガイドライン国会の最終局面で強行採決された改悪入管法が施行される。
 九九年、入管闘争は大きな地平を切り開いた。ガイドライン発動体制、すなわち参戦国化に向かう体制として入管体制が再編されていくことに対して、ガイドライン攻撃の一環として位置づけ、闘いぬいた。それを同時に、組織的犯罪対策法や団体規制法(第二破防法)という形で在日朝鮮人・中国人を新たな治安法攻撃の中に組み込み、予防反革命的に管理していこうとする日帝の攻撃と真っ向から対決する闘いとして貫いたのである。
 日帝の外登法・入管法―入管体制は本格的な戦時入管体制に変貌(へんぼう)しようとしている。
 昨年九月、在留特別許可を求めて入管に出頭した二十一人のイラン人家族らに対して、二月二日、法務大臣・臼井がまずイラン人家族三人への在留特別許可を決定したことが報じられた。同時にビルマ(ミャンマー)人家族三人に不許可決定を下し、そのまま収容した。
 法務大臣が「人道的な立場を配慮しながら検討した結果、適切な結論を得た」と語っているが、果たしてそうだろうか。在留特別許可を部分的でももぎりとったことは、アジア人労働者自身の闘いの成果であることは言うまでもない。しかし二十一人の中で選別的に許可、不許可が分かれていることが示すように、裁定はあくまで法務大臣の自由裁量の枠内で行われた。「外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由」という日帝の入管体制の本質が貫かれているのだ。さらに、このような分断を持ち込むことをとおして、外国人労働者を日帝のもとに屈服させ融和していくことを激しく推進しようとしていることを示している。
 「人道的」装いこそとっているが、本質はまったく変わらない。いやむしろ戦時入管体制への本格的突入に向かった転換の一つであることをはっきりさせておこう。
 今日の入管攻撃の第一は、日帝が朝鮮・中国―アジア侵略戦争への本格的な戦争準備に踏み切ったことに伴って入管体制が侵略戦争推進のためのものに大きく変貌しようとしていることである。
 日帝は昨年五月の周辺事態法の強行成立後、すさまじい勢いで戦争体制構築を進めている。戦前の国家総動員法にも等しい周辺事態法は日本の社会を根底からつくり変えようとしている。さらに、戦後民主主義のもとで獲得してきた労働三権や社会保障制度を始め既得権をことごとく破壊する攻撃が強まっている。
 朝鮮・中国侵略戦争に向けた日米韓の軍事演習がほとんど日常的に行われている。そして日米軍事演習と一体となった自衛隊と海上保安庁、警察による海上警備(訓練)や海岸警備などが激しく展開されている。昨年十二月には防衛庁と海上保安庁による「不審船に係わる共同対処マニュアル」が策定された。昨年から日韓米による軍事演習が激しく展開されており、戦争情勢を突き動かすものとなっている。二月十六日には防衛庁で朝鮮侵略戦争の日米共同指揮所演習が行われようとしている。
 今日の入管攻撃の第二は、日帝が侵略戦争を遂行するための軍事徴用ともいえる〈現代の強制連行〉としての労働政策を打ち立てたことである。
 三月にその全容が発表される第二次入管基本計画は重大である。外国人労働者の円滑な受け入れ、「不法滞在」者問題、国際犯罪組織問題などを内容とするとされているが、完全に戦時労働力政策を明らかにするものとして徹底的に弾劾しなければならない。
 三月の発表を待たずして、「技能実習」制度を農業・ホテル業などに拡大すること、介護労働への導入を検討することなどが打ち出されている。
 おりしも国連経済社会局による人口動態推計の概要が発表された(最終発表は三月)。これによれば、日本は、九五年の労働力人口八千七百万人を維持するためには、二〇五〇年までに計三千三百万人、平均すると毎年約六十万人の移民受け入れが必要だとしている。大失業攻撃が吹き荒れる中で、これまで以上に最底辺労働力として外国人労働者を使い捨てにしていこうというのである。
 九州の行政監察局の調査でも、研修生受け入れ企業の三分の二が、契約より安い賃金で働かせたり、現物支給で賃金をカットしていたという人権侵害が明らかになっている。
 日帝は、八〇年代の外国人労働者激増に対して、九〇年入管法改悪で研修生の在留資格を設けて、単純労働力導入を公然化させた。そもそも労働省は公式には単純労働力としての外国人労働者の受け入れを禁止してきた。しかし現実の資本の要求のまえに「研修生」の名目で徹底的に低賃金労働者として外国人労働者を導入したのである。さらに九二年、入管基本計画で「技能実習制度」を打ち出し、外国人労働者から搾取と収奪を強めていったのである。
 今日の入管攻撃の第三は、具体的な入管弾圧の激化である。
 昨年九月に発表された警察白書は、「近年、来日外国人による悪質かつ組織的な犯罪が急増している」「我が国の治安に対する重大な脅威」であるとして外国人犯罪者キャンペーンを展開している。本国への送金を犯罪としてすえ、「地下銀行」として弾圧していることが毎日のように報道されている。
 また昨年来の特徴として、子どもの収容が激増していることは重大である。たとえば昨年一年間だけで大阪府下で「中国人帰国者の子」の家族を偽装したとして入管に収容された子どもは二十人を超えると言われている。
 さらに入管収容所での処遇問題、長期化の問題は、収容者の人権を抹殺する重大な問題である。昨年七月の法務省発表では「半年以上三年未満の長期収容者」は三十五人、六カ月未満の収容者は千百五十五人とされている。
 エチオピア出身のソロモン氏は、収容中に中耳炎にかかったのに適切な治療を受けられず放置された結果、右耳の聴力を失い、これに抗議して国賠訴訟に踏み切った。牛久収容所(茨城県)では、「日本政府、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の、難民申請者に対するやり方に我慢できない」とハンストを貫いていたイラン人を、一年以上収容していたにもかかわらず、突然強制送還するという事態が引き起こされた。
 今日の入管攻撃の第四は、在日朝鮮人・中国人への坂中路線による同化・融和攻撃が激化していることである。ガイドライン情勢と一体となって「北朝鮮脅威論」のキャンペーンがはられ、朝鮮総連に対する日常的な排外主義的攻撃が展開されている。この対極にあるのが、親日派としての同化・融和の攻撃である。
 今国会での重要法案として外国人の参政権問題があるが、これ自身が在日に対する大攻撃である。自自公案は「外国人登録原票の国籍の記載が国名によりされている者に限る」となっており、朝鮮籍を完全に排除するものとして出されている。
 今日の入管攻撃の第五は、戦争責任・戦後補償をめぐる情勢である。日帝は、裁判での被害者たちの身を削るような訴えをことごとく踏みにじり、要求を退ける判決を次々に出している。果ては戦後補償を要求することが「新たな日中戦争の原因になる」などと言いなして、一切の責任を被害者たちに転嫁しようとしている。
 その上、「戦後補償法」「戦争被害調査法」などの立法化要求を逆手にとって、一律二百万円で清算しようとしている。軍隊慰安婦とされた女性たちの激しい怒りと日本の労働者人民の闘いによって、民間基金を完全に破産させた地平に立って、日帝の札束攻撃を葬り去ろう。

 第2節 改悪入管法弾劾、「常時携帯」撤廃へ

 昨年八月十三日、ガイドライン国会の閉会日に自自公三党で強行採決した入管法と外登法の改悪は、周辺事態法を柱とする戦争体制構築攻撃の重大な一環である。
●入管法の改悪点
〈不法在留罪の新設〉
 これまでの入管法では、正規の在留資格を取得せずに(パスポートを持っていなかったり偽造していた場合など)入国した場合、「不法入国罪」が適用され、「三年以下の懲役もしくは禁固または三十万円以下の罰金」が適用され三年で時効となっていた。今回新設された「不法在留罪」は「不法入国」後の在留そのものを犯罪とするもので、日本にいる限り時効がない。
 法務省は「不法在留行為は適正な出入国管理の実施を妨げているのみならず、我が国の社会、治安に悪影響を及ぼしている」ということを新設の理由としているが、実際は「朝鮮半島からの大量の避難民が日本に流入し在日朝鮮人と結びついて日本有事になる」(梶山発言)ことへの予防的対応である。
〈再上陸拒否期間の延長〉
 入管法二四条によって退去強制になった場合、一年間の再上陸拒否期間が決められているが、これが五年に延長された。現行でも一年で再上陸を認められる場合は少なく、三年から四年以上かかっているのに、五年間への延長は、事実上、半永久的に再入国ができなくなるのでは、という危惧(きぐ)もある。この点では国際結婚の家族的紐帯を破壊する攻撃として、国会での公聴会でも当事者から訴えられ、「在留中に生じた家族的結合等の実情を十分考慮すること」という付帯決議がつけられた。
〈再入国許可の有効期間の延長〉
 再入国許可の有効期間が現行一年から最高三年に延長、さらに理由次第では一年延長が可能となった。
●外登法の改悪点
 在日朝鮮人・中国人の営々たる闘いの中で指紋押なつ制度が全廃となった。しかし、九二年国会付帯決議で明記された常時携帯・重罰制度に対する見直しについては完全に踏みにじった。
 小渕は「常時携帯義務については不法入国者や不法残留者が多数存在する今日の状況の中では、これを廃止することはできない」と答弁、さらに入管局長・竹中も「入管法違反の疑いのある外国人に対してまずやることは、外登証の提示を求めること」と答弁している。あくまで常時携帯義務に固執する日帝・法務省の意図はあまりにも明らかである。「不法在留」罪を摘発するためのてことして外登証の常時携帯・提示義務が行使されるのであり、ここに同時改悪の意図が明白に示されている。
 指紋押なつ拒否闘争の完全勝利の上で、常時携帯・重罰制度撤廃を実現する長期強靭(きょうじん)な反外登法闘争は、いよいよこれからが本番だ。

 第3節 入管体制との恒常的な闘い強めよう

 二〇〇〇年の入管闘争の課題は第一に、外登法・入管法―入管体制粉砕の闘いをこれまで以上に粘り強く闘いぬくことである。指紋全廃を実現した地平をさらに発展させ、常時携帯制度を粉砕するまで止むことのない闘いを全力で闘おう。
 第二の闘いは入管体制の実体としての収容所に対する闘いを推し進め、長期収容者への具体的な支援の闘いを地域闘争として推し進めることである。
 東日本入管センター(茨城県牛久市)、西日本入管センター(大阪府茨木市)、大村入国管理センター(長崎県大村市)に加えて、羽田空港のすぐ近くに新たな入管収容所を建設する計画に対して、原則的な闘いを展開していかなくてはならない。これは石原都知事の羽田空港国際化の動きと連動しており、日帝の朝鮮・中国|アジア侵略戦争に対応したガイドライン攻撃である。
 第三に、第二次入管基本計画の実施に伴って引き起こされるであろう具体的実態をめぐる闘いを周到に闘うことである。まさに〈現代の強制連行〉が本格的に開始されるという歴史的時点に立って、強制連行・強制労働を絶対に許さない日本の労働者人民の闘いが求められている。
 第四に、国籍差別との闘いである。入管体制こそ国籍差別そのものであることをはっきりさせなければならない。日立就職差別裁判闘争を先駆とした国籍差別・国籍条項撤廃の闘いは根底的な人間的、民主主義的要求であり、同時に、入管体制を粉砕する闘いである。
 国籍による差別は「それがいやなら日本国籍をとれ」とする坂中路線の柱なのであり、だからこそ在日朝鮮人・中国人の国籍条項撤廃の闘いは日帝と入管体制を揺るがすテーマであることをはっきりさせよう。差別条項を一ミリたりとも許さず、すべての在日朝鮮人・中国人に人間的・民主主義的権利を実現するために闘おう。
 第五に、戦争責任・戦後補償の闘いである。軍隊慰安婦とされた女性たちを始めとする戦争被害者、犠牲者の要求を百パーセント実現するために、原則的闘いを推し進めることである。
 こうした闘いを三大決戦の一環として、また三大決戦と結合させて全力で推進しよう。
 米・日帝国主義の争闘戦が、いよいよ中国・朝鮮を火点として爆発しようとしている。中国大乱の情勢がアジアの激動を促進しているのであり、朝鮮・中国―アジア侵略戦争情勢をますますたぐり寄せている。三月台湾総統選挙をもテコとする中台情勢の緊迫化、カルマパ十七世亡命問題、そして国内階級闘争の本格的高揚、こうした中国の危機的な動向は、朝鮮半島の危機にも波及していくことは必至である。インドネシア、タイ、ビルマ(ミャンマー)など、民族解放闘争的契機を含めて新たな変革の胎動が始まっている。
 こうした中で米日帝は、朝鮮・中国―アジア侵略戦争のために沖縄の軍事基地を半永久的に強化しようとしているのである。
 七・七路線の実践的貫徹をかけて、二〇〇〇年決戦を闘いぬこう。「二つの連帯戦略と一つの打倒戦略」を貫き、沖縄サミットを粉砕しよう。衆議院選挙を闘いぬき階級的共同闘争の力で、闘う国会議員を生み出そう。

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