ZENSHIN 2000/03/06(No1947 p06)

ホームページへ週刊『前進』月刊『コミューン』季刊『共産主義者』週刊『三里塚』出版物案内販売書店案内連絡先English

週刊『前進』(1947号1面1)

 福祉切り捨てと対中国戦争挑発の石原打倒!

 介護保険に絶対反対の怒りを

 サミット厳戒体制をはねのけ名護新基地阻止の原点貫こう

 3月国鉄決戦と軸に春闘爆発へ

 3・12革共同政治集会に結集せよ

 日米争闘戦の激化の中で、日帝・小渕政権の危機はいよいよ深まり、階級決戦情勢は煮つまっている。介護保険絶対反対の労働者階級の怒りを巻き起こし、自自公政権打倒、石原打倒の衆院選決戦に総力決起しよう。岸本市長リコール運動の成功へ、急迫する名護現地の決戦にともに勝利しよう。この三月最大の山場を迎えた国鉄決戦、「日の丸・君が代」決戦を闘い、二〇〇〇年春闘を爆発させよう。三・五〜六部落解放同盟全国連大会に大結集しよう。三・一二革共同政治集会に結集し、二〇〇〇年決戦勝利とカクマル=JR総連打倒に向かって闘おう。

 第1章 ファシズムかプロレタリア革命か!

 オーストリアでの極右連立政権の登場は、世界が今や一九三〇年代的な大激動期に突入したことを示した。ナチスを礼賛する正真正銘のファシストが権力の座につくという時代が、ついに現実に始まった。第二次世界大戦前夜の一九三〇年代ドイツ−ヨーロッパを思い起こさせるこの事態は、全欧州と世界を震撼(しんかん)させている。
 これに対して、オーストリアの労働者階級人民は、直ちに激しい危機感と怒りを燃やして立ち上がっている。二月十九日には首都ウィーンで、「ファシズムの再来を許すな!」を合言葉に、連立政権打倒・極右政党の排除を求める二十五万人もの大デモがかちとられた。さらにパリを始めヨーロッパ各地で、抗議の集会、デモが闘われている。
 世界大恐慌と世界経済のブロック化、そのもとでの大失業攻撃の果てしない深まり、ユーゴスラビア侵略戦争に始まる新たな世界戦争の危機の切迫の中で、ファシストによる権力の強奪かプロレタリア革命か、という鋭い歴史選択が再び突きつけられているのだ。まさに〈世界戦争か世界革命か〉を真っ向から問う一九三〇年代的な階級的大激突の時代が本格的に始まったのである。この時代認識、時代感覚を、あらゆる闘いの基礎にすえて闘うことが求められている。
 この欧州情勢の基底では帝国主義間争闘戦が一層激化し、世界危機が急速に進んでいる。二月十八日発表された九九年の米貿易赤字は前年比六五・一%増、二千七百十三億jと過去最高を更新した。一方で、金利上昇、労働需給のひっ迫(賃金上昇圧力)、石油価格の高騰など、アメリカ経済のバブル崩壊の切迫はもはや誰にも明らかである。チェチェン情勢の進展、アイルランドやユーゴスラビア・コソボをめぐる危機の再燃に加えて、アジアではインドネシア、南北朝鮮、中国・台湾情勢が緊迫の度を深めている。
 こうした中で米帝は、二〇〇〇年国防報告で、米帝の世界支配を支えるものは軍事力だと露骨に宣言した。北朝鮮の危機と脅威、中国、ロシアの危機と脅威を叫び立て、欧州・中東とアジアの二つの地域で大規模な侵略戦争を同時に遂行する能力をもつことが不可欠であるとし、再び大軍拡に突き進む路線を明確にした。その戦略的な環として、東アジアでの米軍十万人の前方展開体制を何がなんでも維持することをはっきりと公言した。
 他方、中国スターリン主義は台湾白書(「一つの中国の原則と台湾問題」)をうちだし、三・一八台湾総統選に対する「武力行使」の軍事重圧を加えている。これに対して米帝は「九六年情勢を想起せよ」と激しい軍事介入の姿勢を押し出している。米中関係が危機と戦争的破裂をはらんで動いているのだ。
 これはまた、米帝による沖縄基地の絶対的確保の宣言であり、日米安保−新ガイドライン・SACOをテコに朝鮮・中国―アジア侵略戦争にのりだすという表明である。またそれ自身がきわめて激しい対日争闘戦なのだ。二月十八日訪米した河野外相に、クリントンは沖縄基地の戦略的重要性を強調し、沖縄サミットがその意義を確認する「良い機会」だと言い放った。サミットまでに沖縄の基地反対運動をたたきつぶし、名護新基地建設を軌道にのせよと日帝に迫ったのである。
 日帝・小渕政権は緊迫する朝鮮・中国侵略戦争情勢に対応するためにいよいよ絶望的に凶暴化し、戦後史を塗り替える大反動攻撃に突進している。沖縄サミットの貫徹=沖縄闘争の圧殺に帝国主義としての命運をかけ、それを日帝自身の侵略戦争体制確立、有事立法・改憲への突撃路と位置づけて全力で襲いかかっている。かつての沖縄戦や戦後の米軍への売り渡しと同様に、日帝のために沖縄は犠牲になれ、基地と安保の全重圧を進んで引き受けよと言っているのだ。そしてこの沖縄圧殺を、新ガイドライン攻撃貫徹の核心に据えているのだ。
 さらに、日帝の大資本が生き残るために、労働者階級の生活基盤を根こそぎ奪うすさまじい資本攻勢を展開し、福祉を始め人民の戦後的諸権利をあらゆる側面から剥奪(はくだつ)、解体する大攻撃をしかけている。社会保障制度の全面解体、増税と極限的な大衆収奪の攻撃が始まっている。
 だがこの攻撃は、何の抵抗もなくやすやすと貫徹されるのか。否だ。一九三〇年代的危機の本格的爆発に対する日帝支配階級の無準備性と、現実に進行する階級対立の非和解性からみるならば、現在の欧州以上の大激動、大激突情勢への突入は絶対に不可避なのである。小渕・自自公政権への人民の怒りは、現に地に満ちているではないか。民主党や日本共産党などの野党の無残な屈服と総転向の中で、逆に巨大な政治危機が急速に成熟しつつあるではないか。
 何よりも日帝・小渕自身が、自らの政権が噴火山上にのっていることをひしひしと感じ、だからこそ「解散・総選挙」の引き金をいつ引くべきかと動揺し恐れおののいているのだ。そしてこの政治危機をファシスト的に吸引しようと、全力を挙げているのが都知事・ファシスト石原だ。
 ファシスト勢力が右から反革命暴力をもって戦後体制を突き破ることを許すのか。それともわが革共同が先頭に立って巨万人民の抑圧されている階級的怒りとエネルギーを解き放ち、小渕・自自公と石原を打倒するのか。前者は侵略と戦争への道であり、後者は帝国主義打倒のプロレタリア革命への道だ。まさに、二〇〇〇年こそ真に歴史の転換点である。ここに闘う人民の未来をかけて、全力を挙げた壮大な階級決戦に突入しようではないか。

 第2章 介護保険実施中止へ労働者の反乱を

 小渕は今、野党の全面屈服と協力をテコに二〇〇〇年度予算案を昨年に続き史上最速で成立させ、その上で最も都合のよい時期とタイミングを選んで解散・総選挙に打って出ようともくろんでいる。
 介護保険制度の四月実施は、この衆院選決戦と完全に重なり、その最大焦点にますます浮上してきている。介護保険の正体が大増税と福祉解体であること、四十歳以上の全員が強制的に月々高額の保険料を取られるが、九割の人は掛け捨てになることなどが知られるにつれ、こんな制度は絶対反対だ、中止せよという大衆の声が高まっている。「年金で生活しているのに高い保険料をとられたら生活できない」という声、「今まで受けていたサービスを三月で打ち切ると言われた。必要な介護を切り捨てられたら生きられない」という切実な声が続々とわき起こっている。
 この大衆の声に具体的な形を与えるものこそ、長谷川英憲氏の呼びかける介護保険絶対反対の大運動だ。@「介護保険制度の四月実施中止!」A「一切の自己負担をなくし、介護は全額公費負担で」B「必要な人に誰でも必要な介護を! 十分な介護制度の確立を」という三つのスローガンのもと、東京・杉並を先頭に全国全人民のあらゆる怒りを結集し、介護保険を実際に中止に追い込む大運動をつくりだそう。
 日帝・厚生省は、「介護保険は福祉の切り捨てだ」というストップ介護保険杉並十万人署名運動の鋭い追及を前にして、許せないことに「サービス低下になるのはこれまで濃密な介護を受けていた人だ」と言い放った。この恥知らずな開き直りを断じて許すな。公的介護・福祉は労働者人民の権利、いのちの要求だ。四月実施への怒りの爆発は必至だ。階級的団結の力を武器に、非妥協的に闘いぬくなら絶対に勝てることを、すべての杉並区民、全国の人民に真っ向から呼びかけて闘おう。
 介護保険制度の導入は、同時に、日帝による戦後社会保障制度の全面解体の突破口である。日帝は今国会で、介護保険に続いて年金、医療、福祉制度全般の大改悪に踏み切ろうとしている。そのことごとくが、社会保障に対する国の責任を放棄して労働者人民を路頭にほうり出すものであり、同時に実質的な大増税の攻撃なのだ。
 世界大恐慌情勢の深まりと帝国主義間争闘戦の激化の中で、小渕政権は今日、日帝ブルジョアジーの延命のために国家財政を湯水のようにつぎ込んでいる。二〇〇〇年度予算案では国債依存度は第二次大戦中と同水準の三八・四%、国と地方をあわせた長期債務残高は六百四十七兆円とGDPを三〇%も上回る。しかも小渕政権の二年間に、新たに積み上げられた借金が百兆円を超えているのだ。
 大資本救済のための放漫財政が生んだこの天文学的な財政危機を、労働者人民の極限的な犠牲によって突
 6面につづく

------------------------TOP---------------------------

週刊『前進』(1947号1面2)

 日米指揮所演習許さぬ

 2・16 防衛庁などに抗議闘争

 ●東京
 二月十六日、この日から始まった日米共同統合指揮所演習に抗議して東京反戦共同行動委員会が六本木の防衛庁への弾劾に立った。
 まず、反戦自衛官の小多基実夫さんが、防衛庁前で庁内の自衛官に向かって、この日米演習は朝鮮侵略戦争のための演習であると暴露し、「このような軍事作戦の展開それ自身が戦争挑発そのもの」と弾劾した。
 続いて婦人民主クラブ全国協が「『国のため』といって労働者人民が犠牲になるのはもうごめんです。ましてや他国に攻め入って自国の利益にするなど言語道断です」と強く抗議した。さらに全学連は、「体を張ってでも日帝の朝鮮・中国侵略戦争発動を阻止する」と決意を突きつけた。
 最後に反戦共同行動委員会の申し入れを読み上げ、各団体の請願書を官房総務課の丸山にたたきつけ、「日米共同統合指揮所演習阻止!」と防衛庁中に響き渡るシュプレヒコールを行って抗議行動を貫徹した。
 ●広島
 広島反戦共同行動委員会は、陸上自衛隊第一三旅団が駐屯する広島・海田市(かいたいち)駐屯地への抗議闘争に決起した。
 一三旅団は、陸自の中で最も機動的な部隊であり、朝鮮・中国への侵略戦争の突撃部隊そのものだ。陸自第一三旅団に演習の中止を申し入れた。海田市駐屯地の田中業務室長は、最初は傲慢(ごうまん)な対応で臨んできたが、激しい抗議の迫力の前に沈黙し「旅団長にしっかり伝えます」と述べざるをえなかった。
 また前日の十五日には、山口・広島反戦共同行動委員会が、米軍岩国基地でのNLP(夜間発着訓練)弾劾行動を展開した。
 ●富山
 富山大学学生自治会と北陸労組交流センターは、陸自富山駐屯地に対し抗議と演習中止を申し入れた。
 広報担当官は「自分たちの部隊は民政支援中心だから新ガイドラインでどういう任務になるかはまだ考えていない」と言い逃れをしようとしたが、「民政支援」と言っても侵略戦争に動員されるのだと追及し、申し入れを貫徹した。

------------------------TOP---------------------------

週刊『前進』(1947号1面3)

 無差別虐殺やめろ

 ロシア軍のグロズヌイ占領

 東京・大阪で弾劾に立つ

 東京反戦共同行動委員会は二月十六日、ロシア軍によるチェチェンの首都・グロズヌイへの総攻撃と軍事占領を弾劾するロシア大使館への抗議行動に立った。
 前回の抗議行動では、警察権力・麻布署が申し入れの人数を制限するという許し難い対応をとった。しかし今回は、権力の弾圧態勢をうち破り、参加者全員で大使館前まで行って、断固たる抗議行動を展開した。
 全学連の学生が反帝・反スターリン主義世界革命の熱い国際連帯をかけ、「チェチェン民族の激しい抵抗を踏みにじり、指揮官から民衆にいたるまで無差別虐殺を強行した」「私たちはロシア軍による虐殺を絶対に許さない」と弾劾し、「ロシアはチェチェンからただちに撤兵しろ!」と強く申し入れた。
 他方、関西反戦共同行動委員会は同日、ロシア領事館へ断固たる弾劾闘争をたたきつけた。
 ロシア領事館は、前回に続き門を固く閉ざし誰一人表にも出てこないというふざけた対応に終始した。自らの不正義性を自覚するがゆえに、まともに対応することもできないのだ。
 事務局長の国賀祥司泉佐野市会議員が「ロシアの本当の目的は、チェチェンの民族解放闘争の圧殺、チェチェン武装勢力の総せん滅にある」と鋭く弾劾した。
 婦人民主クラブ関西協議会の仲間は「ロシアはチェチェン人民を虐殺し続け、街を破壊しつくし、数十万人にのぼる難民を生み出している。けっして許されない」と、ロシア軍の完全撤退とチェチェン人民の民族自決の要求の完全受け入れを要求した。

------------------------TOP---------------------------

週刊『前進』(1947号2面1)

 見え見えのカクマル隠し

 JR総連の「カクマル非難」 声明は何を意味するのか?!

 カクマル過疎支配の危機噴出

 国鉄闘争の不屈の展開は、国鉄分割・民営化を根底的な破産にたたき込むとともに、JR総連=カクマルにかつてない危機を強制している。JR総連=カクマルをめぐる重大情勢が起きている。彼らは今、資本・権力との結託を再強化して危機を突破するために、JR総連執行委員会声明まで出して“JR総連とカクマルは無関係です”などと必死に言いつくろっている。だが、こんな見え透いたペテンは誰にも通用しない。「国労解体」を叫び立て、ILO勧告に敵対し、日帝の侵略戦争に全面協力することを宣言したJR総連の反労働者的・反革命的方針こそ、彼らがカクマルであることの何よりの証拠だ。JR総連解体へ総決起しよう!

 第1章 JR総連=カクマル規定に絶望的悲鳴

 二月七日、JR総連執行委員会名で「組織混乱を意図した一連の組織介入と不審事に対する見解」なる声明が出された。そこには次のように書かれている。
 「一月八日JR東労組・東京地本の旗開きに、“激励”と称して『革マル派』を名乗る者たち(十数名)が押し掛けて来たのをはじめ、JRの職場・社宅やJR総連、加盟単組事務所へも押しかけてきている。私たちの制止や抗議を受け入れることなく執拗(しつよう)に繰り返されるそれらの行為は、明らかに正当な労働組合活動に対する妨害と言わざるを得ない」「私たちJR総連の会議を過去に盗聴したことがマスコミ等で報じられているとおりとするなら、全くもって許し難い行為である」
 「『革マル派』を名乗る者たちからの組合活動への妨害や『主張』なる怪文書(後述)による組織混乱・破壊活動が軌を一にして引き起こされた事に対して、昨年来の『JR総連=革マル』キャンペーンによるJR総連組織破壊攻撃を粉砕する闘いをさらに強化し……毅然として立ち向かうことを明らかにする」
 この事態は、カクマル=JR総連をめぐる重大な危機を突き出している。
 労働者人民のすさまじい怒りに追いつめられたJR総連=カクマルは、この間の権力・資本との一定の軋轢(あつれき)をなんとか解消し、関係の修復を図って、一層忠実な日帝の手先となることを申し出たのである。そのために、JR総連とカクマルは無縁であり、むしろ両者の間に「対立」があるかのような、見え透いた「自作自演」の芝居を打ってみせたのだ。
 かつて松崎は、「十年前にカクマルはやめた」とうそぶき、「社会主義とは決別した」などと言い放って、国鉄分割・民営化を率先推進する大裏切りに走った。今回の声明も、狙いはこれとまったく同じだ。
 JR総連=カクマルは、昨年六月にJR東資本との「安全宣言」なるものを締結した。大事故の続発を居直り、破産したJR体制の矛盾をすべて労働者に転嫁して、資本との結託の再強化を図ったのだ。十月の連合大会に際しては、「連合政治方針見直しに対する対案」を提出し、安保・自衛隊や改憲を容認し、日帝の侵略戦争に全面協力することを表明した。彼らはそこからさらに歩を進め、今回の声明を資本・権力に差し入れて、一層のファシスト的純化を遂げたのである。
 彼らは、この声明によって、権力に対しては「今後一切逆らいませんから、JR総連はカクマルだとはもう言わないで下さい」と泣きつく一方、JR総連内外の労働者に対しては「カクマル問題に言及することは許さない」と恫喝し、沈黙を強制しようとしている。
 この声明の本質は、カクマルを弾劾したり批判するものではさらさらない。そもそも、JR総連執行委員会はほぼ全員が根っからのカクマル分子で占められている。彼らにとって弾劾すべき対象は、あくまでも「『JR総連=カクマル』キャンペーン」であり、「国労やJR連合による組織破壊攻撃」なるものなのである。また、JR総連内部へのファシスト的な恫喝とタガハメなのである。
 だが、こんなことで労働者を黙らせることができると思ったら大間違いだ。国鉄労働者であれば、JR総連がカクマルによって牛耳られ、カクマルの延命のための反革命的道具とされてきたことは誰もが知っている。カクマルこそが、国労や動労千葉組合員の首を切り、職を奪い、ありとあらゆる不当労働行為に直接手を下してきたのである。JR総連傘下のカクマル以外の労働者もまた、カクマルにいいように利用され、さまざまな屈辱を強いられてきた。カクマルへの怒りと恨みは、すべての国鉄労働者の骨髄に染みている。
 JR総連=カクマルが「組織破壊を許すな」などとわめけばわめくほど、労働者の怒りはさらに激しくかき立てられるのだ。
 しかも、卑劣なことにこの声明は、JR総連があたかもカクマルによる盗聴の「被害者」であったかのように述べている。だが、語るに落ちるとはこのことだ。カクマルは「盗聴のカクマル」を自認したのだ。
 この声明でカクマルは、資本・権力との結託を再強化し、JR総連のファシスト的統制の強化を狙っている。だが、組合の公式機関でこうした声明を出したことは、彼らの浅はかな思惑を超えて、JR総連とカクマル組織そのものの危機と矛盾を一挙に激化させずにはおかない。
 今こそJR総連=カクマル、カクマル=JR総連の打倒へと、すべての労働者人民の大攻勢をたたきつけるべき絶好機なのである。

 第2章 JR総連の議案は『解放』のコピーだ

 JR総連=カクマルは、「JR総連=カクマルと言うのはやめてくれ」「JR総連はカクマルではありません」と絶望的な悲鳴を上げている。だが、そんな虫のいい話は絶対に通らない。彼らの言動そのものが、JR総連はカクマルにほかならないことを自ら確証しているからだ。
 二月三日のJR総連中央委員会で、彼らは次のような方針を決めた。
 「いわゆる『不採用問題』については解決済みの問題であり、ILO『中間勧告』に見られる事実誤認を正し、『ゴネ得』を許さず苦労した者が報われるよう、国鉄改革の完遂=完全民営化の早期達成に向け闘いを強化する」
 この方針のもと、JR総連は二月九日、国労不採用問題での中間勧告に抗議すると叫んで、ジュネーブのILO本部に押しかけた。
 ILO勧告は、闘争団を先頭とする国労組合員の必死の決起が、全世界の労働者の闘いと結合してかちとられた勝利の情勢である。JR総連=カクマルは、全世界の労働者を敵に回して、ファシストとしての正体をさらけ出したのだ。
 労働組合の名をかたりながら、こうした反労働者的・反革命的行為を平然とやってのける輩(やから)はカクマル以外にない。
 さらに、JR総連中央委員会の議案書には、カクマル『解放』とそっくり同じことが書かれている。「昨年暮、……連続した鉄道車両・施設への『爆発事件』が発生しました。……私たちは、一連の『爆発事件』の背後に……『謀略の影』を想起せずにはいられません。さらに警戒心を高め、組織破壊の尖兵(せんぺい)であるJR連合と、これに呼応する国労を解体するための闘いを強化する」
 JR総連にとって、今や「謀略論」はいくら破産していてもそのファシスト的組合支配を維持するための不可欠の要素になっている。JR総連への批判と弾劾を暴力的に封殺するためには、「国労は権力の謀略の手先だ」などと言いなしつつ、次々と「謀略物語」をデッチあげていく以外にないからだ。だが、これはカクマルのファシスト的やり方そのものだ。
 事実、カクマルは『解放』二月七日付で、「昨年暮から年頭にかけて、JRの車両や駅、施設において、何者かが仕組んだ“爆弾”事件が相次いで惹(ひ)き起こされた。これらの事件は、国家権力内謀略グループが仕組んだ謀略いがいのなにものでもない」「今回の三つの爆弾事件も、憲法の改悪に反対しているJRの労働組合に、あわよくば罪をなすりつけることをこそ狙って仕組まれた」とわめいている。カクマルとJR総連は、言っている内容もその口振りもまったく同じではないか!
 カクマル『解放』が「憲法の改悪に反対しているJRの労働組合」と呼んでいるのは、いうまでもなくJR総連のことだ。今日、JR総連は、戦争協力を公言し、反戦闘争への暴力的敵対を繰り返して、労働者人民から徹底的な指弾を浴びている。カクマルだけがそのJR総連を「憲法改悪に反対している組合」などと持ち上げているのである。ここにも、JR総連=カクマルが証明されている。
 一月末に全国のJR社宅に「主張」と題するビラが投げ込まれた。その内容は、昨年九月の東労組工務協大会での東労組会長・カクマル松崎の講演録である。JR総連執行委員会の声明は、それが東労組発行の『セミナー』六十号に掲載されたものとまったく同一だと認めている。
 この松崎反革命講演の内容も、松崎自身の言動によってJR総連がカクマルであることを裏付けている。

 第1節 改憲への屈服説く松崎講演

 そこで松崎は、国労組合員の不採用問題について、「三回、四回働く場を与えたのに拒否したんだから、それはそれなりに責任がある。いつまでも迷っていてはいけない」と言い放っている。解雇撤回などさっさとあきらめろ、ということだ。「三回、四回働く場を与えた」という言いぐさは「ILOは事実誤認している」という運輸省の反動的主張とまったく同じだ。
 さらに松崎は、「戦争を起こす準備はすべて完了しつつありますから、もう最後は三年先、憲法改悪です……今から先は真っ暗なわけです。真っ暗だということがよく見えている」などと叫び、“改憲は避けられないから反対するな、戦争にも協力するしかない、反戦闘争などたたきつぶせ”と労働者を恫喝している。
 そして、「権力の意を体して、権力者の言うがままに労働組合の仮面をかぶって、労働組合の看板を立てながら、労働組合のたたかいを破壊するためにのみうごめく集団との闘いは避けて通れない」などと叫び、国労と動労千葉の解体を絶叫しているのだ。
 だが、松崎よ。「権力の意を体して、労働組合の仮面をかぶって、労働組合の闘いを破壊する集団」とは、お前を頭目とするJR総連=カクマルの姿そのものではないか! こんな転倒したファシスト的言辞の中に、松崎はカクマルそのものであることがはっきりと示されているのだ。

 第3章 労働者人民の包囲でJR総連打倒を

 JR総連執行委員会声明は、彼らが陥っている危機の深さを示して余りある。
 JR総連=カクマルをこうした危機に追い込んだのは、何よりも闘争団を先頭とする国鉄闘争の不屈の展開だ。
 JR総連は、分割・民営化を率先推進し、資本との結託によってのみ延命を続けてきたファシスト労働運動だ。国鉄闘争こそが、このJR総連の反革命的原点を痛撃し、その正体を暴き続けてきたのである。
 さらに昨年のガイドライン反対闘争の大高揚は、JR総連のファシスト性を全人民にくもりなく認知させるものとなった。JR総連=カクマルは、この闘いを解体し、「JR総連だけが唯一の闘う組合」などという仮面を維持するために、五・二一ガイドライン反対集会や六・二四盗聴法反対集会に押しかけた。だが、“国鉄闘争に敵対するカクマル”“盗聴のカクマル”への労働者人民の怒りがたたきつけられ、彼らのもくろみはぶざまに破産した。
 これは、JR総連の危機を決定的に促進した。JR総連内部においても、カクマルへの疑問と怒りが噴出し始めたからである。
 さらに今日、国鉄闘争はILO勧告を勝利的にかちとり、五・二八反動判決を根底から覆すべき決定的局面を迎えている。国鉄闘争の新たな高揚と支援陣形のさらなる広がりが実現しつつある。このことが、JR総連=カクマルに大打撃を強制しているのである。
 そこで松崎とカクマルは、今回の執行委員会声明というファシストならではのアクロバット的手法で、JR総連=カクマルへの一切の批判を抑え込みにかかったのだ。だがそれは危機にかられたあがきであり、その矛盾と破産を一層拡大するものでしかない。
 JR総連=カクマルとJR資本・日帝権力は今、結託体制を再編強化し、なんとしても国労を解体し、国鉄闘争を押しつぶそうと企てている。これに対して宮坂・チャレンジ一派や革同上村派のような権力依存では、闘いに勝利することは絶対にできない。勝利の道は、危機にあえぐカクマル=JR総連の戦争協力路線への大転向、大裏切りに、労働者人民の怒りの嵐をたたきつけることである。今こそ国労の階級的再生をかちとり、JR総連=カクマル打倒、国労の組織強化・拡大へ全力で決起しよう。

------------------------TOP---------------------------

週刊『前進』(1947号2面2)

 JR総連

 ILOに押しかけ

 ファシストの正体暴露

 JR総連=カクマルは二月九日、「『国労・全動労への団結権侵害を改めよ』という勧告は出すな」と叫んでジュネーブのILO本部に押しかけた。「首を切られた労働者を救済するな」などと言い放つ労働組合がどこにあるのか。JR総連がファシスト組合であることを全世界にさらした前代未聞の暴挙である。怒りを込めて弾劾する。
 二月三日のJR総連中央委では、委員長の柴田がITF(国際運輸労連)のコックロフト書記長が非公式に次のように述べたとデマを並べた。@国労は一九八七年に判断を誤った。国労の責任は重い。A歴史はJR総連にある。私は日本のJR総連に学べと諸外国の005労組リーダーに言っている。B中間報告はJR採用とは言っていない。国労には交渉ごとだから妥協せよと助言している。C過去を忘れて未来を考えてほしい。
 しかし、同書記長の国労中央委での発言は、「千四十七人の方々が反労働組合的な差別を受けたことについて日本の司法制度がそれを救済するに十分でなかった」「ITFは皆さん方の闘いを全面的に支援する」というものだった。
 JR総連は「コックロフト書記長が国労中央委員会で『JR連合、JR総連、私鉄総連、連合で共同声明を作成したらどうか、誰が反対しているかが明らかになる』旨のあいさつをした。同人に真意を質す」(柴田)などとして、ILOに押しかける前にロンドンに立ち寄り、ITFに「抗議」する醜態まで演じている。
 しかし、その後の二月十四日付の高橋国労委員長あてのコックロフト書記長の書簡では、「東京滞在中に出席した幾つかの公的または私的な会合での私の発言が、数種類の解釈とともに出回っているとの情報に特に懸念を持った」と述べ、あらためて「国労の闘いへの支持」を表明している。
 JR総連=カクマルのコックロフト発言の偽造は明白だ。JR総連はILO最終勧告に心底恐怖しているのだ。政府、JR総連の敵対を許さず、国鉄闘争の勝利へ前進しよう。

------------------------TOP---------------------------

週刊『前進』(1947号2面3)

 74年1・24戦闘の時効成立指名手配打ち破る大勝利

 新たな対カクマル戦の強化へ

(一)
 革共同は、一九七四年一・二四対カクマルせん滅戦闘の戦士四人が、実に二十六年、四半世紀をこえる権力の指名手配攻撃を打ち破り、時効成立をもぎり取ったことを報告する。
 七四年一・二四カクマルせん滅戦闘は、横国大・東大の反革命カクマル分子を横国大と都内で攻撃し、一挙三人を完全せん滅した。これは反革命カクマルの白色襲撃への革命党の報復の強い決意と闘いを示す戦闘であった。日本階級闘争史上にさん然と輝く偉大な赤色テロル戦である。
 六九年と七一年の「二つの十一月決戦」へのK=K(警察=カクマル)連合による破防法弾圧と十二・四反革命襲撃(辻、正田同志虐殺)以来、カクマルは革共同にとどまらず闘う労働者人民への白色襲撃をほしいままにしてきた。これに対して戦略的防御・革命的対峙・総反攻完遂という戦争路線で闘ったわれわれは、七三年九・二一をもって革命的対峙段階を戦取し、土門、朝倉、楠、鶴田という組織中枢を始め、全国でカクマルを次々とせん滅していった。
 カクマルはこれに完全に追いつめられ、七四年一月十四日に破防法弁護団会議を襲撃するに至った。本多書記長と破防法弁護団への襲撃に対する革命的人民の怒りは、何ものも押しとどめられない激しさで爆発した。一・二四戦闘はこの白色襲撃を絶対に許さない闘いとして爆発したのだ。
 この戦闘は、「死」の前にたじろぐ日本階級闘争の限界を突破し、飛躍をかちとった闘いでもあった。カクマルは「暴力は人間を腐敗させる」などと言いつつ、革命的労働者人民への白色襲撃と虐殺をほしいままにしてきた。これに対し、反革命にせん滅戦闘を強制する報復戦の貫徹が革命運動と革命党を防衛し強化する闘い方であることをはっきり示したのである。
 七四年一・二四精神によってわれわれは対カクマル戦局の決定的転換をかちとり、カクマルの脆弱(ぜいじゃく)な反革命戦争戦略を根底から崩壊させた。これ以降われわれは革命的対峙段階から戦略的総反攻へと攻め上っていったのだ。
 われわれが二つの十一月決戦を闘い、権力に大量逮捕されている中での初期的な「優位」を使ってカクマルが開始した「革命党を権力と一体となって解体する」という反革命戦争路線は、ここに完全に挫折した。反革命カクマルは一・二四戦闘を正視できず、わが革命戦争の激しさと前進の前に、その後何の根拠もなく「勝利宣言」論を出す一方、革命党の赤色テロル戦を「権力の謀略」と言いなして戦争からの逃亡を開始した。
(二)
 この反革命カクマルへの正義の赤色テロル戦は、同時に日帝権力への激震となった。日帝権力はカクマルへの支援と励ましを込めて破防法型弾圧で革命党に襲いかかった。家宅捜索の際に前進社にいた全員を凶器準備集合罪で逮捕するというデッチあげ弾圧に出た(七四年二・四弾圧)。そして横国大戦闘に対して殺人罪で全国指名手配攻撃を行い、「内ゲバ殺人の犯人」のキャンペーンで、指名手配攻撃を受けた同志の家族を社会的に追いつめようとした。他方カクマルは、「ナーバス」で家族や労働者に襲いかかった。
 こうしたK=K連合の襲撃と弾圧をのりこえ、わが党は革命的内戦を一層激化させ、七五年三・一四反革命・本多書記長暗殺を見すえ、そそぎ、のりこえる闘いに決起していった。そして三里塚闘争を始め七〇−八〇年代の階級闘争と労働運動を根底において守り抜いてきた。二十年に及ぶ先制的内戦戦略の第一段階・第二段階を闘い抜き、九〇年天皇・三里塚決戦の戦取をもって五月テーゼへの前進をかちとったのである。
 一・二四戦闘から二十六年、ついにわれわれは指名手配攻撃に対して時効成立を強制して勝利した。
 一・二四戦闘を担い抜いた同志は、指名手配攻撃のもとで日本階級闘争の先頭で闘ってきた。(倉持嘉之同志は九〇年決戦において武蔵野市で逮捕され、懲役十二年の獄中闘争を現在闘い抜いている)
 一・二四戦闘とその戦士を守る闘い、指名手配攻撃下での二十六年にわたる非公然活動とその勝利は、日本階級闘争史上の新たな勝利の金字塔である。
(三)
 一・二四戦闘戦士の二十六年間の非公然活動の勝利の根拠は次の点にある。
 第一に、当事者自身が言葉に尽くせぬ困難や人格破壊的な重圧と対決し、それに勝利した成果である。あらゆる困難をものともしない戦闘性と不屈性、共産主義者としての革命的精神と中核派魂にその核心があった。日帝が二十四時間・三百六十五日、治安的に制圧する時空間の中に革命的時空間を確保し続け、四半世紀をこえて勝利したのは実に偉大なことである。
 第二に、これは広範な闘う労働者人民、市民の組織的闘いと協力を実現した党の非合法・非公然活動の勝利である。権力と反革命の二重対峙戦を先頭で闘い、権力と反革命から最も恐れられる同志を「大量に」守り抜く闘いは初めてのことであった。最初から勝利のマニュアルがあったわけではなく、悪戦苦闘をとおして当事者を先頭に全党が非合法・非公然活動に習熟し、組織活動を維持しながら闘い、闘いながら活動する地平を、確信をもって切り開いてきたのである。
 それはまさにわが党の歴史的飛躍であった。強まる日帝の戦争政策と革命党破壊攻撃に対して、これからますます輝きを放つ経験である。全党員がこの闘いに組織的に取り組み、自らの革命運動の経験として非公然党建設を闘い抜き、組織的に勝利したのである。
 一・二四戦闘の時効成立は敵権力への打撃であり、わが党への破防法適用攻撃や団体規制法(=第二破防法)、組対法攻撃を根底的に打ち破るものである。
 一・二四戦士の水嶋秀樹同志はその後、八八年九・二一千葉県収用委会長せん滅戦闘に関してさらにデッチあげ指名手配されている。闘いは継続しているのだ。今こそ組織建設のもう一つの柱としての非公然党建設、その防衛の闘いを強化しなければならない。
 第三に、こうした組織的取り組みは広大な人民の海によって支えられていた。闘う革共同に対する人民の信頼と協力は、権力の凶暴な弾圧攻撃を打ち破る根底的な力である。人民の海は、日帝の戦争政策への怒り、ファシストへの怒りの中で無限に広がっている。侵略戦争へ突き進む日帝との闘いを原則的に貫くためにも、非合法・非公然党の強固な建設が必要だ。その根幹をなす大衆闘争の全面的爆発を、今こそかちとらなければならない。
(四)
 今日、対カクマル戦は五月テーゼ下で新たな局面を迎えている。全党総武装−革命的武装自衛体制と革命軍の戦略的攻撃体制を土台に、戦略的意義のある大衆闘争の爆発をかちとり、ファシスト・カクマルを包囲・粉砕する闘いが戦略的に前進している。
 特に昨年、対カクマル戦は大前進を遂げた。「カクマル=JR総連」「JR総連=カクマル」が大衆的認識となり、大衆運動の敵としてのカクマルの姿が人民の中に鮮明になっている。
 ファシスト・カクマルは、人民を闘う主体として措定せず、情報操作の対象と考えている。それゆえ彼らは、闘いに決起した労働組合や個人にファシスト的情報かく乱と襲撃を企て、それに全力をあげている。
 カクマルは、自らは日帝の戦争政策に協力して生き残る路線を選び、日帝の侵略戦争推進に怒って決起した労働者・人民を脅迫し抑圧し襲撃し黙らせることだけを目的に、組織をあげて行動している。そのためにもカクマル組織を「謀略論」で染め上げ、黒田帰依運動を強め、ファシスト的打ち固めを図っている。
 戦争推進勢力・カクマル=JR総連を全人民の闘いの炎の中で打倒する情勢が到来した。戦争反対の大衆運動の破壊に走るカクマルの行動は、絶対に人民の総反撃を呼び起こす。革命党のファシストとの断固たる闘い、階級闘争を担う労働者人民への襲撃に対する断固たる報復戦、それを貫く党の存在と闘いがある限り、人民の怒りは必ずファシスト打倒へと爆発する。
 われわれはさらに戦略的威力のある戦闘的大衆運動を実現し、五月テーゼのもとでの対カクマル戦争を爆発させる。革命的武装自衛体制を強化し、カクマルを大衆的に包囲し、追いつめ、打倒しよう!
 「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱へ」「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の戦略的総路線のもと、大前進を開始しよう。

------------------------TOP---------------------------

週刊『前進』(1947号2面4)

 三一闘争

 鈴木経営が大破産

 都労委の審問から逃亡

 三一書房闘争の新たな局面が切り開かれた。二月十八日午後、東京都労委で三一書房労組の不当労働行為救済申し立ての第四回審問が行われたが、鈴木経営側代理人(さくら共同法律事務所)らは完全に立ち往生し、都労委にまで悪態をついて、なんと審問の途中であたふたと逃亡した。
 この事態は、三一書房労組が一昨年十一月十四日のロックアウト以降、一年三カ月以上団結を維持しぬいて鈴木経営を粘り強く追い詰めてきたことによってもたらされたものだ。
 鈴木経営は、一月二十六日の東京地裁内での鈴木への団交要求行動に打撃を受け、ボディガードの男たちを多数動員してきたが、組合側は支援を含め四十人近くが結集し、鈴木経営を圧倒した。
 審問は、組合側の古屋文人証人への主尋問の補充から始まり、鈴木経営の代理人青木弁護士による補充の反対尋問が行われた。前回まで四時間も反対尋問ならぬ引き延ばしを行った青木弁護士は、今回も論点をどんどん広げ、露骨な時間稼ぎに出た。「ここで論点を整理しないと何を争点にすべきかはっきりしない」「三一書房経営とは鈴木か菊地かいったいどちらか」などと。
 そもそも鈴木経営側は、“自分たちは三一書房労組に「被申立人」とされる立場ではない”などと主張して審問にも応じようとしなかった。しかし、都労委が三一書房・鈴木経営を対象に審問開始を決定するや、国労採用差別事件の地労委でのJRのように欠席すれば不利になると、大慌てで出席を通告してきたのだ。青木弁護士はためにする論を張っているにすぎない。
 これに対して公益委員が論点を整理し、「都労委はこの背景で(経営間の)民事訴訟があることには立ち入らず、不当労働行為があったかなかったかだけを調査する。当事者は、三一書房労組と株式会社三一書房だと認識している。青木先生のおっしゃる意味がわかりません。弁解やコメントする立場にない」と青木の蒸し返しを一蹴した。
 すると青木弁護士たちは荷物を片付け始め、「これ以上は審問に応じられない」などと捨てぜりふをはいて全員逃亡した。次回は鈴木本人が証人として呼び出される情勢だった。彼らは鈴木の都労委出席に恐怖して逃げ出したのだ。
 現に労働者が首を切られ、賃金も払われず、苦しんでいることこそが問題なのだ。都労委は、労働者救済機関として、この現実を救済するため審問開始を決断した。今年になってからも、さらに一人の組合員を懲戒解雇にするような鈴木経営こそ、徹底的に責任追及されなければならない。
 次回の都労委は、三月二十三日午後一時だ。支援も結集し、都労委闘争勝利へ突き進もう。三一書房労組と三一書房労組を支える会は、支える会結成一周年を記念し、三月十三日(月)に支える会総会と闘争報告集会を開催する。三月十三日午後六時半、文京区民センターに結集しよう。

------------------------TOP---------------------------

週刊『前進』(1947号3面1)

 日経連の賃下げ攻撃粉砕し国鉄決戦先頭に春闘爆発を

 連合と全労連の屈服許さず

  樋口 暁生

 革共同の二〇〇〇年決戦方針の真価をかけた情勢が到来した。小渕・自自公政権は沖縄サミットを最大の課題に、生き残りをかけた反動攻撃に打って出ている。衆参両院に憲法調査会を設置し、有事立法・改憲攻撃を本格化させ、大資本救済と賃下げ・首切り、福祉解体の経済戦略会議=日経連路線を激化させている。これに対してわれわれは介護保険四月実施中止を掲げて自自公・翼賛国会を解散に追い込み、ファシスト石原打倒・衆議院決戦勝利に全力で決起している。他方、春闘は本番に突入した。大転換した資本攻勢と対決し、春闘を再構築しよう! 以下、攻防の火点に焦点をあててみた。

 第1章 大失業と春闘破壊の攻撃強める日帝

 九九年度第V四半期の実質GDP成長率が前年同期比マイナス三・八%と大幅に落ち込み、完全失業率は九八年四月に四%台に乗ってから高どまりを続け、昨年は年平均四・七%、完全失業者は三百万人を超えて最悪となった。さらに失業統計では現れない派遣労働・パートタイム労働等の不安定雇用も拡大を続け、高齢者の就職難は生活を破壊し、若年労働者の失業率は九・七%に達している。勤労者世帯の実収入・可処分所得・消費支出は九七年以降毎年低下し(九八年でマイナス一・三%)生活の困窮はますます深まっている。
 他方、社会保障全般への攻撃が激化している。雇用保険料の引き上げ、年金の給付水準の引き下げ、医療保険料の切り上げなど一連の攻撃を許せば、高額の介護保険料ともども労働者への負担は過酷になる。
 政府や連合は「百万人雇用創出」などと言いつつ、実際には昨年六月発表の「緊急雇用・産業競争力強化策」に見られるように、労働者階級の切実な要求を踏みにじり、失業した労働者の救済ではなくむしろ雇用の流動化・不安定化を促進し、それを「雇用政策」などと言っている。その結果、雇用総数はジリジリと低下し、『経済白書』で言う企業内過剰雇用二百二十八万人が実際に失業に追いやられようとしている。
 また先の通常国会で成立した「産業再生法」は、戦後的な労働者保護の観点をかなぐり捨て、労働者を犠牲にして企業分社化、営業譲渡、設備廃棄などを促進する法律だ。「整理解雇四要件」を取り払い、今までにない大量の人員削減・解雇に道を開くものなのだ。
 また二〇〇〇年度予算案は過去最高の二十三兆四千六百億円の赤字国債を発行し、国の長期債務は四百八十五兆円で、公債依存度は四〇%に迫る。この未曽有(みぞう)の財政危機を労働者階級への犠牲転嫁で乗り切ろうとしている。
 こうした情勢の中で日経連は、帝国主義間争闘戦の激化を「グローバルスタンダード」下の競争と規定し「国際競争力強化のためには高コスト構造からの脱却」が必要だなどと言って三つの過剰論(債務・設備・雇用)を展開し、猛然と賃下げと春闘破壊に踏みだした。

 第2章 労問研報告に「認識共通」と屈する連合

 奥田碩日経連会長は一月の臨時総会冒頭で、全面的な大失業攻撃への今ひとつの大転換を宣言した。“日本経済が死ぬか生きるかの瀬戸際にあって、悠長に迷っている場合ではない。アメリカと競争して勝つ以外にない”“勝たなければ経営者ではない。退陣せよ!”と。
 奥田は昨年五月就任いらい、全国各地を回り、ブルジョアジーに対して九〇年代の日本のあり方を「失われた十年」としてそこからの脱却を力説し、「ここから二年から三年でわが国の二十一世紀を決める」と意識転換を図ってきた。
 その中身は経済戦略会議の路線そのものであり、労問研報告にある「不安の経済から自信の経済へ」「嫉妬の経済から賞賛の経済へ」「結果の平等から機会の平等へ」は、これを表現したものだ。要するに労働者に対して、“失業するのは自分に「能力」がないからだ。嫉妬するな。「セーフティネット」(安全網)で死なない程度に救済するから、「エンプロイヤビリティ」(雇用される能力)を身につけて繰り返し競争社会に挑戦しろ。他人を蹴落としてのし上がる人間こそ本来の「人間」であり賞賛されるべきだ”と言っているのだ。こんな「人間の顔をした市場経済」論など許してはならない。
 「グローバルスタンダード」とは、アメリカ帝国主義の世界支配への「基準」である。労問研報告に掲載されている主要指標が昨年までとは一変して、異様なまでに日米比較を載せているのは、日帝がアメリカとの争闘戦に身構えていることを示している。
 「勝ち組み」を代表するトヨタ資本は、日帝の対米争闘戦での不徹底性を問題にしている。“アメリカでトヨタはなぜ勝ったのか、なぜ日産は負けたのか。日産のようになりたくなかったら、トヨタの勝ち方を日本でやれ。旧態依然としたやり方ではこの転換はできない、今までの労使関係を破壊して、新たな労使関係へ転換せよ。勝ち組に屈服し、一体となる労働組合だけが生き残ることができるのだ”と。労問研報告は連合を始めとした労働組合のさらなる屈服を強烈に迫っているのである。そして、アメリカに勝つためには、労働者は低賃金に甘んじよ、反対する労働者を統制せよ、と労働組合に資本の先兵になることを強要しているのだ。
 こんな反労働者的な労問研報告に対して、連合の笹森清事務局長は、「連合の基本認識とも共通する部分が多く、春季生活闘争のスタートに当たって、こうした理念が鮮明に打ち出されたことは評価したい」との談話を発表し、奥田提案に恭順の意を表した。連合は奥田日経連と運命共同体でいく、資本と組んで賃下げ合理化に協力し、対米争闘戦にうちかつ組合になる、と表明したのである。
 ここに至るあらかじめの屈服宣言が、実は連合第六回大会「新政治方針」であり「二十一世紀の新しいワークルールの構築に向けて」であった。
 「新政治方針」の九三年「旧政治方針」との違いは、ソ連崩壊後の世界認識を一変させ、アメリカとの争闘戦に打ち勝つために資本ともども打って出ようと方針を転換したことにある。だからこそ連合が新ガイドラインにもとづく戦争協力、改憲・有事法制へすすむのは必然だ。
 カクマル=JR総連は、この連合「新政治方針」を積極的に受け入れた「対案」を提出し、安保を認め、戦争協力を宣言した。戦争協力のカクマル=JR総連の解体・打倒こそ戦闘的労働運動の課題である。

 第1節 「日本型ワークシェア」粉砕を

 「新政治方針」と一体で「二十一世紀の新しいワークルールの構築に向けて」が打ち出された。それは経済戦略会議=日経連路線そのものであり、失業を生み出す資本への怒りはひとかけらもなく、失業の原因を労働者の「自己責任」に求める「エンプロイヤビリティ」論や、労働者に大失業を強制する「セーフティネット」論を満展開している。その結果、「日本型ワークシェアリング」が打ち出されている。笹森の「共通の認識」などという発言はこれらの考えをあけすけに表明したものだ。
 こうして、日経連は昨年まで七年連続のベアゼロから、ついに歴史上初めて「賃金引き下げ」に踏み込んだ。賃下げはベアゼロとはまったく違う。労問研報告では「高コスト体質からの脱却」と「企業における高コスト構造改革」として打ち出されている。要するに、“争闘戦に打ち勝つにはいままでのリストラによるコスト切り下げだけでは限界にきた。今度は賃下げをやってでもコストを下げるしかない”ということだ。雇用破壊、賃金破壊を、「日本の物価は世界一高い」などというデマで強行しようという攻撃だ。
 しかも、“日本はすでに国民所得に対する税金や社会保障費、さらには財政赤字分などの潜在的国民負担率は所得の過半に達している。高コストの硬直化した体質に陥っている、これを資本の参入によって打破せよ”などと言っている。国民所得などと言っているが、要は社会保障などの企業負担が過大だ、と悲鳴を上げているのだ。
 そのために、「社会保障の構造改革」と言って戦後の福祉・年金・医療など社会保障制度全般の破壊を政府と一体で強行しようというのである。行財政改革・公務員削減と賃下げを断行し、介護・福祉を破壊して民間資本の利潤追求の場にし、結論は総額人件費の抑制、すなわち賃金の引き下げを狙っているのだ。
 奥田は、九五年の日経連「新時代の日本的経営」型の終身雇用制の解体と不安定雇用化は着実に進行している、「ラッパ型」成果主義賃金体系へソフトに着地しているなどと、連合の屈服・協力で戦後の労資の力関係を破壊してきたと居丈高に宣言する。しかしそれだけではもはややっていけないと、「雇用か賃下げか」を労働者階級に迫り、「雇用形態の多様で柔軟なワークシェアリング」を打ち出してきた。
 日経連のいう「賃金・労働時間を多様かつ適切に配分した多様で柔軟なワークシェアリング」とは、不安定雇用化と労働強化などの労働条件悪化と賃下げでしかない。月給制を解体して時間給制にし、労働時間の削減に対応した賃金カットの提案である。連合・全労連は完全にこの土俵の上で踊っている。(前号参照)
 今こそワークシェアリング絶対反対を掲げ闘おう。

 第3章 一律大幅賃上げが労働者階級の立場

 八日の私鉄に始まり、自動車、鉄鋼、造船重機、電機大手とつづき賃上げ要求を提出した。金属労協を中心に三月十五日に一斉に集中回答日を設定した。
 連合は二〇〇〇年春闘を@「雇用・生活における危機突破」春闘、A内需拡大論に立った「デフレ脱出−自律的経済回復」春闘として位置づけ、重点課題として「賃上げ、時短、政策・制度、雇用とワークルール」の四本柱を立てて闘うとしている。
 賃上げについては賃金体系維持分としての定昇もしくは定昇相当分を前段交渉として主要産別の回答を引き出し確保する第一段と、その後に生活維持・向上分のベア一%を上積みした本格交渉を到達水準として最終妥結とする。つまり「定昇確保→ベア上積み」という二段階方式をとるとしている。これは九九春闘で定昇制度がない組合に「定昇割れ」が続出したためだが、こんな小手先で賃下げ攻撃は突破できない。
 また三十五歳に加えて三十歳標準労働者と「生産技能職」「事務・技術職」それぞれの到達目標を分けた。これも格差是正を最大の目標にしてきた個別賃金方式が破産的事態になったためである。これを突き詰めれば職種ごとに細分された銘柄別賃金要求となり、統一要求が解体される。連合の掲げる産別自決論、単組自決論、隔年春闘論など春闘改革論は、すべて許しがたい春闘の解体である。
 全労連も遂に今春闘は統一要求を掲げず、「だれでもどこでも一万五千円」なる陳腐な方針をだした。そもそも責任ある春闘など何一つ展開してこなかったのだが、この屈服に現場からの不満が噴出している。
 われわれのスローガンは大幅で全面的な賃上げ統一要求、すなわち「一律大幅賃上げ」である。賃上げは労働者が生きるためのぎりぎりの抵抗闘争である。労働者は闘わなければ生きていけない。従って必ず反撃は組織される。すでにナショナルセンターの枠を突破してストライキを始めとする実力闘争が開始されている。
 労働者にとって賃金は資本との力関係で決定する。賃金闘争の原則に立ち返って闘おう。問題は、労働者の怒りと要求をだれが組織するかである。新潮流運動による「一律大幅賃上げ」の「春闘再構築」が切望されているのだ。
 この闘いの先頭に国鉄決戦が立っている。国労中央委員会での改革法承認策動を粉砕した地平に立って、国鉄改革法絶対反対を鮮明に、ILO勧告をも武器にして五・二八反動判決と闘おう。
 全国各地で「日の丸・君が代」闘争が火を噴いている。都労連は秋闘への報復的大量処分をはねかえして、人事考課四月実施阻止の都高教二時間ストに突入する。全逓は郵政民営化・郵政課五千人削減との正面激突に入る。四大産別決戦を軸に果敢に春闘を闘い抜こう。

------------------------TOP---------------------------

週刊『前進』(1947号3面2)

 ストップ介護保険 現場の労働者に聞く −1−

 ホームヘルパー Aさん

 低下する介護サービス

 金がないと受けられず

 介護保険制度によって何が引き起こされようとしているのか、今号からシリーズで現場労働者のインタビューを始めます。(編集局)

 第1章 ■破壊される介護

 ||介護現場の労働者から見て介護保険制度はどういうものですか。
 私は区で働いている公務員のヘルパーです。在宅介護を行っている立場から、今度出されている介護保険制度をみると、今までの福祉よりもっと低水準な介護しか保障されないことが、すごくよくわかります。
 私たち労働者が介護保険のどこに一番怒っているのかと言ったら、実際にサービスが低くなるということです。ホームヘルパーの滞在時間にしても、今までは三時間、二時間、重度の人であれば九時間という在宅介護が保障されてきました。それが介護保険になったら三十分、一時間、最高で一、二時間という形になろうとしています。
 だから今までホームヘルプをしてきた私たち労働者にとっては、“私たちホームヘルパーに一体何をしろと言うのか、三十分で”という怒りがあります。
 実際に家事援助で行って、掃除・洗濯・調理をやった場合、今までだったら、ヘルパーが車椅子を押しながら、その利用者が買い物に出かけるわけですよね。商店街を夕食の買い物をして、自分が何を今日作ってもらいたいかということで品物を選んで、ヘルパーに調理を頼むとか、その間に洗濯機を回している。そこには、高齢者が自分で今日は何をするかということを選べる、自分の生活があるわけですね。
 介護保険になったら、そんな時間的余裕がないですよね。私たちは実際、介護時間は二時間だけど、ほとんど遅れて帰ってきます。あれもこれもやらなくてはならないということがあって、自分の休み時間をつぶしてやってきている。
 人間相手ですから、行った先で、びしょびしょに失禁していて全部取り替えなければならないとか、そういう状況がありますよね。行ってみないとわからない状況があるわけですよ。
 私たちが利用者の生活を何とか援助してきたことが介護保険制度になったら全部破壊されるわけです。
 それから介護保険制度になったら、誰も利用者のキーパーソンになる人がいなくなるのではないかと思っています。家族に介護者がいるとかいないとか、日中は利用者一人であるとか、そういう家族構成や、利用者の精神状態を総合的に見ながらこの人に何が必要なのかを判断する、そしてヘルパーだけがかかわるのではなくて、訪問看護や理学療法士も入れながらその人の介護をしていく、そういう視点を持ちながらヘルパーは働いているわけです。
 介護保険になったら、ケアマネージャーがケアプランを立てることになるわけですが、ケアマネージャーも忙しくて一人で四十人も五十人も抱えている中でヘルパーを動かしていくわけで、本当に一人の人のキーパーソンになることは無理だと思います。
 また、私たちヘルパーが怒っているのは、介護報酬の身体介護は四千二十円、家事援助は千五百三十円という決め方ですね。その差はいったい何なんだと。身体介護が大変で、家事援助が大変でないなんていったらまったく違う。専門的知識が必要というのだったら食事を作る方がもっと大変です。糖尿病とか人工透析をしている人とか、塩分や水分がどれくらいと計算しなければならない。

 第2章 ■福祉がなくなる

 ――利用者の経済的負担の点ではどうですか。
 介護保険は、そこが一番の問題点だと思うんですが、お金がなければサービスを受けられないという、とんでもない事態が出てくるということですね。
 今までは措置制度ですから、公費負担のもとで行われてきました。現在ホームヘルプを受けている人の八割が低所得の人で、無料で介護を受けています。それが介護保険制度になったら、保険料プラス利用料の一割負担がかかるということで、そのお金が払えない人たちが膨大に出てくると予想されます。無料でホームヘルパーを利用している人であっても、どれだけ自分の生活を切りつめて生活しているのかという実態を私たちは見ていますから。
 中間の所得の人たちは、自己負担があってお金がかかるから家族が介護して、ホームヘルプの利用を控えています。介護保険になってますます負担が増えれば介護サービスを受けられない人が多くなります。
 結局、福祉が切り捨てられて高齢者が必要な介護を受けられず、死にいたらしめられる人が出てくることになりますね。

 第3章 ■現場失う労働者

 ――介護労働者の問題という点ではどうですか。
 大きな点は、一つは不安定雇用の労働者が膨大に増えること、二つには公務員のヘルパーの現場がなくなるということです。民間業者に全部任せるということになりますから。
 介護保険の仕事をするためには指定居宅サービス事業者の資格を受けなければなりません。それを区は受けていません。介護保険になったら全部民間業者に投げ出すということです。現在、公務員ヘルパーは、訪問調査とか後追い調査などもやっていますが、今後は、現場に行って高齢者のホームヘルプをする業務は全部なくなるわけです。
 区は介護指導という職を新たに設け、一部のヘルパーを転職させた。介護指導というのは、介護の指導とか調査、苦情処理なんですけど、要するに公務員ヘルパーは介護保険によって「現場」を失うわけです。
 許せないのは、連合や全労連が、介護保険に反対せず、「公務員の労働条件を守る」といってヘルパーたちの声を押しつぶして公務員ヘルパーから「現業」の仕事を奪ったことです。
 不安定雇用の問題にしても、ヘルパーにとってはあっちに行って一時間、こっちで三十分、こっちで一時間というのは地獄なんですよ。今だったら事業所のヘルパーや登録ヘルパーの人も区の委託だから区で援助計画をつくっていますから、基本的に一カ所二時間という介護時間になっていますけど。
 私たちは、四月が近づけば高齢者の苦情でパンクするのではないかと思っていました。しかし、必ずしもそうなっていない。それは、介護を受けている高齢者は弱い立場に置かれていて声を上げづらいということがあると思う。「別れるのが寂しい。介護保険になったらしかたないけど、四月まではお願いします」と言ってくる人もいます。だから私たち労働者が先頭に立って、自分たちの生活の問題として介護保険を中止させるまで頑張らなければならないと思います。

------------------------TOP---------------------------

週刊『前進』(1947号3面3)

 ゛ILO勧告履行せよ″

 国労 闘争団先頭に決起

 国労は、ILO(国際労働機関)勧告を武器にして大衆行動を展開している。
 二月十六日、朝から争議組合などによる「権利総行動」が繰り広げられ、昼には新宿駅南口のJR東日本本社前に集結し、国労闘争団の上京団を先頭に「JRはILO勧告に従え」「不当労働行為をやめろ」とシュプレヒコールを上げた。
 午後六時半から、国労東京地本主催の「政府はILO勧告を履行せよ! 二〇〇〇年春闘で生活改善を! リストラ・首切りNO!/国鉄闘争勝利二・一六総決起集会」が千代田公会堂で開かれ、八百人余が集まった(写真上)。
 上京闘争団が全員壇上に並び、東京闘争団の代表が「二月十六日はJRの採用通知が渡されなかった屈辱の日だ。この日から、JRに復帰する誓いを立てて闘ってきた。ILO勧告は、解決を図る責任が日本政府にあり、当事者がJRであることを明確にした。五・二八判決がILO条約に違反し、東京高裁の判決が条約に沿ったものになるよう求めている。運輸省は国労に対して条件を押しつけてきたが、いかに道理がないかを明確にしている。勧告を生かし、職場復帰まで闘い抜く決意だ」と訴えた。
 二十一日には、国労東日本本部は、春闘第二次総行動として三百人余が決起し、新橋の国労本部前から東京高裁に向けてのデモ行進を行い、「東京高裁はILO勧告に従って五・二八東京地裁判決を取り消せ」と訴えた(写真下)。
 三月、闘争団の上京団を始めとする行動への支援を強めよう。

------------------------TOP---------------------------

週刊『前進』(1947号3面4)

 〈投稿〉

 障害者福祉会館で

 民間委託を阻止

 昨年十一月、東京都港区にある障害者福祉会館(障館)の民間委託の二〇〇〇年四月実施が阻止されました。
 障館は、「『障害者』が使いやすく、安心して活動できる施設がほしい」という「障害者」の長年にわたる運動の末に美濃部都政時代の七五年に都内で唯一の「障害者」の総合館として開設されました。以来二十五年、「障害者」運動の拠点として、またさまざまな文化、サークル活動の場としての役割を果たしてきました。
 東京都は昨年四月、十カ所の「障害者」施設の事業団委託強行に続き、障館の本年四月民間委託方針を打ち出しました。これに対し障館を利用するいくつかの「障害者」団体の呼びかけで反対運動が始まり、九月には会が結成されました。
 その中で、八月には十八団体による福祉局への申し入れ、十月には委託強行の姿勢をあくまで変えようとしない都に対して石原知事ならびに福祉局への抗議、申し入れ行動が行われました。十一月に入って始まった委託反対の署名運動は障館の利用者を中心にわずか三週間で千三百十六人に達したとのことです。
 反対運動の大きな広がりにあわてた福祉局は、八月末になってそれまでの「委託の是非についての交渉には応じない」という態度を変え、すべての利用者を対象にした「話し合い」の場を設定せざるを得なくなりました。そして、「委託後のサービスと予算については現行水準を維持する」などとその場しのぎのペテンで反対運動の分断と沈静化を図ろうとしてきました。
 しかし、「話し合い」の中では福祉局に対する不信や怒りが次々とたたきつけられ、委託反対の声が全体を圧倒したのです。利用者である「障害者」を丸め込めると考えていた福祉局の差別的思惑は完全に粉砕されました。
 追いつめられた福祉局は「利用者の合意を得ないまま委託強行はしない」というポーズすらかなぐり捨てて利用者との「話し合い」を一方的に打ち切り、一部の「障害者」団体とのボス交で事態の打開をはかろうとしてきました。しかし結局、十一月十六日になって「障館の来年四月の民間委託は時間的に不可能。一年延期する」と発表せざるをえませんでした。
 石原都政の下で激しく進行する福祉切り捨て・生活破壊の中で、延期とはいえ民間委託攻撃をいったん阻止したことの意義は非常に大きいと思います。
 今回の勝利のポイントは、障館の民間委託が必ず都全体の大々的な福祉切り捨てにつながるという利用者=「障害者」の危機感と怒りを広汎に結集することに成功した点にあると思います。もうひとつは、都に働く労働者と連帯して運動が進んでいったことだと思います。決定的だったのは石原の賃下げ攻撃に対するストライキを含む十一月の都労連の闘いの爆発でした。そのまっただ中で委託攻撃は最後的に粉砕されたのです。
 (A・S)

------------------------TOP---------------------------

週刊『前進』(1947号3面5)

 都労連529人処分弾劾

 秋闘への報復弾圧

 東京都は二月十六日、九九秋闘ストと都民広場座り込みを理由に、都労連本部と傘下組合役員など五百二十九人に大量の不当処分を強行した。都労連の佐野副委員長に二十四日、砂金書記長に二十一日の停職を最高とする停職八十七人、戒告五十一人、訓告二百八十九人、厳重注意百二人の重い処分である。都労連と傘下の組合は直ちに都人事委員会に提訴するとともに、抗議の声明を発表した。
 今回の大量不当処分は、都職員に対する大幅賃下げ・大リストラの攻撃に対して、労働者の生活と権利を守るために立ち上がった都労連労働者に対する断じて許すことのできない不当弾圧である。絶対に粉砕しなければならない。
 都・石原知事は当初、一般組合員を含む三千五百人に対する大量報復処分を狙っていたが、都労連十万労働者の巨大な戦闘力、怒りの爆発に恐れおののき、役員までの処分にとどめざるをえなかった。都労連解体を狙うファシスト石原と、都労連労働者の力勝負がぎりぎりと継続し、闘いの展望は確固として存在しているのである。
 大量不当処分粉砕、都労連の強固な団結をかちとろう。人事考課導入阻止、事務次官通達粉砕の三月都高教ストを断固貫徹しよう!

------------------------TOP---------------------------

週刊『前進』(1947号4面1)

 3・26三里塚に全国から総結集しよう

 暫定滑走路粉砕、小見川県道迂回道路5月着工阻止せよ

 成田軍事空港建設を打ち砕け

 斉田 猛

 二〇〇〇年は、世界大恐慌情勢が本格化し、帝国主義の分裂化・ブロック化が進み、現代世界の危機が帝国主義的侵略戦争となって顕在化する歴史的な転回点の年となる。中国の大乱情勢をもにらんで朝鮮侵略戦争政策を強める米帝は、世界大戦級の侵略戦争の体制をもって他の帝国主義に対する争闘戦を強めている。この米帝の争闘戦に対応できる侵略戦争国家体制の確立に向かって、二〇〇〇年は日帝が絶望的飛躍を試みようとする年となる。この日帝の反動攻撃に対してわれわれは、衆院選決戦勝利、名護新基地建設阻止・沖縄サミット粉砕の闘い、労働戦線における新潮流運動の推進という三大決戦、そして五つの政治決戦、四つの産別決戦として二〇〇〇年決戦を闘い、前進している。以下、二〇〇〇年決戦における三里塚決戦の戦略的重要性を明らかにするとともに、「暫定滑走路建設粉砕、迂回(うかい)道路五月着工阻止! 三・二六三里塚全国集会」への総決起を全国の労働者、農民、学生、市民に訴える。

 第1章 日帝の戦争体制づくり阻み非和解的に対決する三里塚

 日帝・小渕政権は、三里塚闘争解体攻撃を侵略戦争体制構築の重要な戦略的環として位置づけている。それは、三里塚闘争が日帝の戦争体制づくりを打ち砕く決定的に重要な戦略的位置を持っているからだ。
 三里塚闘争は、日帝の戦後最大級の国家プロジェクトを三十四年間も阻止し続けている。これは日帝の支配が首都圏の一角で貫かれていないことを意味する。
 その象徴が一九八八年九・二一戦闘(千葉県収用委員会会長せん滅)による収用委員会解体であり、収用委員会が今日も再建できていないという現実である。日帝がその権力機構の一角を人民の実力決起で切り落とされたまま十二年間も復活できていないという事態は、戦前戦後をつうじて例がない。
 この一事をとって見ても、日帝・国家権力にとって三里塚闘争が持つ“危険性の度合い”は明白である。こうした闘いを放置しておいて、人民を総動員しなければ成り立たない戦争体制づくりがおよそ不可能であることは明らかだ。
 さらに、三里塚闘争には七〇年安保・沖縄闘争の全要素が引き継がれ、発展させられている。帝国主義打倒のイデオロギー、国家権力に対する非妥協的な対決の思想、社会党・日本共産党・反革命カクマルの追放・排除、実力闘争・革命的武装闘争の堅持・発展(帝国主義に対する恒常的な内乱)、圧倒的な正義性、帝国主義に対する農民階級の怒りの発露、労働者階級との連帯の追求……。
 特に決定的なことは、三里塚闘争が七〇年闘争の地平を堅持し、動労千葉との労農連帯を打ち固めて、日帝・中曽根政権による八〇年代の政治反動を断固として打ち破って発展していることである。
 八〇年代、社会党や共産党、新左翼諸派がおしなべて中曽根の「戦後政治の総決算」攻撃と国鉄分割・民営化攻撃に屈服し、日帝に白旗を揚げて転向し去った。この中で動労千葉と三里塚闘争のみが、反帝国主義・反権力の闘いの地平を一ミリたりとも明け渡さずに中曽根と真っ向から対決し、勝ち抜いた。八五年十・二〇戦闘、十一・二九戦闘がその頂点である。こうした闘いの上に九〇年天皇・三里塚決戦勝利の金字塔が打ち立てられたのだ。
 日帝の戦争体制づくりと三里塚闘争の存在はまさに非和解的なのである。
 三里塚闘争は、一地域の空港反対闘争でありながら、その革命的な質の高さによって、全人民的反乱の象徴の意味を持っている。
 三里塚闘争を守り発展させる闘いは、日帝の戦争体制づくりを打ち砕く決定的で戦略的な位置を持つ。その意味で二〇〇〇年決戦の勝利にとって三里塚闘争の爆発は不可欠なのである。

 第2章 3700bの軍用滑走路で巨大な兵站基地になる成田

 暫定滑走路建設は、人民の内乱的な闘いを破壊しようとする攻撃であると同時に、成田空港の軍事基地としての機能を拡大しようとする攻撃である。暫定滑走路計画が実際には四千b級(三千七百b)の巨大滑走路プロジェクトであることがますます明らかになってきている。
 空港公団は一月十八日、成田市のホテルで「平行滑走路着工報告会」なる祝賀会を行った。これは、「暫定滑走路」と称してきたものが実は「平行滑走路」のための着工攻撃であったことを自己暴露するものだ。「地権者の合意なしには平行滑走路の着工はしない」としてきた“公約”を公然と踏み破るものである。
 これは、暫定滑走路が実は三千七百bの滑走路計画であることを明らかにしたということなのである。
 ここで空港公団が「平行滑走路建設」と言っている意味は、元の二千五百b滑走路を北側に八百b伸ばし、平行滑走路用地の南側に完成している四百bのコンクリート舗装を加えて、計三千七百bの滑走路にするということなのである。
 三千七百bという滑走路は軍事用以外に必要ではなく、日本では成田空港のほかには沖縄嘉手納基地にしかない。米軍横田基地でも三千三百五十bである。
 朝鮮侵略戦争勃発(ぼっぱつ)時に成田空港が、米本土から増派される五十万人規模の兵員と五十万d規模の軍需物資を受け入れる中軸的空輸基地になることは確定しているが、滑走路一本の成田空港の現状では、その機能を果たせる保証はない。
 九一年湾岸戦争において、成田と同じ機能を満たしたサウジアラビアのダーラン空港でさえ、成田空港の数倍の容量を持ちながら、たびたび飽和状態に陥っているからだ。
 この危機感から米軍や自衛隊は、もう一本の四千b級滑走路の必要性を叫んでいるのだ。暫定滑走路建設には、こうした戦略空輸の受け入れ体制を万全にしようという軍事目的が隠されていると見て間違いない。
 さらに成田空港は、在日米陸軍司令部と兵站(へいたん)司令部(第一七地域支援司令部)がある座間基地(神奈川県)と連携して、朝鮮有事の最大の後方支援基地に位置づけられている。首都圏には、第五空軍司令部のある米軍横田基地、在日米海軍司令部のある横須賀基地が配置され、東京・市谷には自衛隊の司令部が置かれている。
 これら基地群総体が朝鮮侵略戦争計画「5027」発動の中枢部門を担うのであるが、その中で成田空港は兵站部門の中軸を占め、朝鮮人民虐殺の拠点となるのである。後方支援基地・成田を起点にした鉄道、高速道路、幹線道路は米軍と自衛隊に占領される。民間車両は軍事物資と兵員の優先使用のために通行禁止にされる。こうして首都圏全体が参戦状態になる。これが侵略戦争に加担するということの現実なのだ。
 首都圏に軍事中枢機能が集中しているからこそ、その一角にある成田空港に後方支援司令部機能が設置されるのだ。
 「暫定滑走路は軍用滑走路だ」「成田軍事空港の建設を許すな」「朝鮮人民虐殺の基地にするな」のスローガンを掲げて三・二六三里塚全国集会への大結集をかちとろう。

 第3章 地権者たたき出しのために家の10b先で迂回道路工事

 暫定滑走路攻撃の現状はどうなっているか。
 運輸省・公団は、暫定滑走路を建設するための農民殺しの攻撃を全面化している。昨年十二月三日、暫定滑走路の着工を強行し、今年一月からは暫定滑走路を「平行滑走路」と言い換えて、二千百八十bの「暫定」ではなく、二千五百bの「平行滑走路を造るのだ」と公言し始めた。
 「平行滑走路建設にあたっては地権者との合意をもって行う」とした円卓会議最終報告の公約も踏みにじって恥じない運輸省・公団のやり方は、「戦争体制構築のためには何でも許される」と言わんばかりの強権的な手法である。
 暫定滑走路建設の攻撃が労働者人民の最強の反戦闘争の破壊を狙った策動であることを明らかにし、二〇〇〇年決戦の一環として闘わなくてはならない。
 運輸省・公団は三里塚闘争破壊に向けて次のような攻撃をかけている。
 第一は、五月と銘打った迂回道路の着工攻撃である。迂回道路とは、暫定滑走路建設のために小見川県道を一時的に迂回させるための道路である。小見川県道は滑走路と平面で交差するため、トンネルを掘って地下を通過させるようにしなければならない。その工事期間中の「仮の道路」が迂回道路だが、この道路建設自身が地権者たたき出しのための地上げ屋的工事なのである。別掲の地図にあるように民家から十b足らずのところまでわざわざ湾曲させている。
 そもそもこの道路は本来必要ない。新たにできるトンネル化した小見川県道は現在の県道よりも北にずらして建設するため、小見川県道を通したままで工事は可能だ。運輸省・公団は「迂回道路を生活道路に転用するために必要」などと言っているが、廃止の予定になっている現在の小見川県道をそのまま生活道路として使えば、迂回道路など造る必要もないのだ。
 ただただ民家を脅かすために道路を造り、農民を追い出そうとする暴力団地上げ屋以上の悪質な工事である。許してはならない。
 第二は、「地上四十bに飛行機を飛ばす」「軒先数bに飛行機を自走させる」という脅迫を強めていることである。
 東峰住民の質問状に対する回答で公団は、「暫定滑走路建設をやめるつもりはない」「移転しなければ頭上四十bから大騒音が降りかかることになる」「騒音がそんなに不安なら健康診断をしてやる」と言い放ち、東峰地区の住民を人体実験のモルモットにする意図を公然化させた。要するに帝国主義国家の利益のためには農民、人民など虫けら以下だと言っているのだ。こうした農民無視に全人民の怒りをたたきつけよ。運輸省・公団の農民殺しどもに鉄槌(てっつい)を打ち下ろせ。
 第三は、地権者への切り崩し攻撃である。公団と成田市は、焦点となっている東峰の切り崩しに躍起になっている。そのために脱落派の三里塚物産(らっきょう工場)、平野靖識(日中)、元労学連・樋ケ(ひのけ)守らを先兵に、成田市をとおして「生活問題」を口実とした「話し合い」攻撃をしかけ、部落丸ごとの“転向”を策動しているのである。
 また成田市長・小川国彦は、大清水部落の自派の運動員をなんと北原鉱治事務局長宅に差し向け、「そろそろ闘争をやめる潮時では」との転向誘導を行い、追い返された。
 暫定滑走路建設に加担する者はすべて運輸省・公団と同罪である。
 第四は、警察権力の弾圧策動である。とりわけ全学連現闘を始め現地支援への攻撃が強まっている。私服警察車両による追尾攻撃を激化させ、検問を頻繁にくり返し、口実ならざる口実をもって、闘争体制を破壊しようと狙っている。いかなる弾圧も粉砕し、闘争体制の強化をかちとろう。
 このような攻防の中で、反対同盟はこれまでにもまして意気軒高と暫定滑走路粉砕に向かって決起している。運輸省・公団の攻撃が凶暴であればあるほど、権力の危機を見ぬき、勝利の確信をますます深めているのだ。「ジャンボ機が離発着できない暫定滑走路など造っても使えない」「暫定滑走路はやがて立ち枯れ、廃港への一里塚となるに決まっている」――これが反対同盟の確信である。
 二月十三日に「故市東東市さん追悼一周年の集い」が行われた。「テコでもこの地を動かない」とあいさつした市東孝雄さんを始め反対同盟は、戦闘的な決意のもとに二〇〇〇年三里塚決戦を闘いぬく闘魂を示した。同十六日には、運輸省を相手取って「暫定滑走路工事認可取り消し訴訟」を千葉地裁に提起し、記者会見で暫定滑走路の違法性、不当性を訴えた。
 反対同盟の決起を支えている核心は「反戦・反権力の砦(とりで)を守る」「二度と侵略戦争を許さない」という決意である。暫定滑走路建設粉砕・小見川県道迂回道路五月着工阻止を訴えて闘う反対同盟と血盟にかけて連帯し、決起しよう。

 第4章 現地攻防とゲリラ戦を貫き労働者人民の大結集運動を

 われわれは二〇〇〇年決戦において、衆院選決戦、沖縄決戦、労働運動の新潮流運動の発展という、三大決戦の勝利を最大の課題として前進する。さらに、三里塚二〇〇〇年決戦の勝利をなんとしても実現する。
 「暫定滑走路粉砕・迂回道路五月着工阻止」に向けた任務を確認したい。
 第一の任務は、三里塚現地で闘われる三・二六全国集会に一人でも多くの労農学を結集することである。
 運輸省・公団、地元反動自治体は「十万人署名運動」なる反革命的地域運動を組織し、あまりにも不正義な「暫定滑走路着工」を正当化しようとしている。しかし、これこそ地元エゴであり、利権運動である。
 三・二六集会は、反対同盟の闘いがどれほど全人民の普遍的利益を実現する正義の闘いであるかを、労働者人民の結集力という形で国家権力と地元反動につきつける集会である。反対同盟の発行した「反対同盟新聞」第五号を武器に、労働組合、大学、地域グループ、市民、農民の中に分け入り、三・二六結集運動を組織しよう。
 第二の任務は、現地攻防に勝利することである。暫定滑走路建設は、失敗したら後がない運輸省・公団にとって瀬戸際の攻撃である。その分だけ危機的であると同時に凶暴で執拗(しつよう)だ。敵のわずかな攻撃の兆候をも見逃さず、間髪を入れない的確な反撃を加え、反対同盟と地権者を守るために日々闘おう。
 まず、生活・営農破壊の脅威にさらされる反対同盟と地権者農民を守り支えることである。さらに、空港公団、成田市、千葉県に対する政治的反撃と報復の闘いをやりぬくことである。
 第三の任務は、革命的ゲリラ戦の一層の爆発を実現することである。暫定滑走路建設ほどあからさまな農民殺しの攻撃はない。われわれはこのような暴虐を革命党の名にかけて断罪する。ここまで理不尽な暴挙を強行する日帝・運輸省、公団、反動分子に対しては、いかなる反撃をも行使する権利を有する。革命軍は、人民の護民官として苛烈(かれつ)きわまりない戦闘を貫徹するであろう。
 第四の任務は、反革命カクマルを始め闘争破壊分子の三里塚潜入を断固として粉砕する闘いである。
 以上の任務をやりぬき、三・二六全国集会の成功をかちとろう。暫定滑走路建設粉砕・迂回道路の五月着工阻止へ前進しよう。

------------------------TOP---------------------------

週刊『前進』(1947号4面2)

 「障害者」の生存権奪う介護保険 〈下〉

 公的保障の権利が奪われ福祉が利潤追求の手段に

 関東「障害者」解放委員会

 第1章 「措置から契約へ」と「福祉は金で」の攻撃

 第二に、介護保険制度の導入は、戦後社会保障制度―「障害者」福祉の基礎をなしてきた公費制度(措置制度)の解体をとおして、憲法二五条に規定されている生存権のもとにおける「障害者」の生存権を否定するものである。
 戦後社会保障制度は、人民の生活保障を国家に義務づけた憲法二五条の生存権の規定に基づいて、社会福祉事業法のもとで措置制度を基礎に成立してきた。
 「措置から契約へ」をうたった介護保険制度の導入は、この社会福祉を「国家の義務」から「国民の責任」へと原理的に転換し、公費制度(措置制度)から保険制度に転換するものである。それだけでなく、福祉に市場原理を持ち込み、資本の利潤追求の場に変えてしまおうというものである。「福祉は金で買え」というのだ。
 しかし、社会福祉は資本主義が必然的に生み出す貧困問題とそれに対する救貧対策を出発点とし、基礎としている。資本主義社会では生産手段が奪われ、労働力さえも商品化されている。労働力商品が売れず、金がなければ生きてゆけない。だからこそ福祉が必要なのだ。特に「労働能力のない者、劣る者」として生産過程から排除されてきた「障害者」にとって、戦後社会保障制度―「障害者」福祉政策のもとにおける公的保障は、なくてはならない生活基盤だ。
 日帝・厚生省は、近年、日本の労働者人民の所得水準は国際的にも高く、「措置から契約へ」移行する条件は十分にあると宣伝してきた。「障害者」についてさえ、八五年の障害基礎年金の発足などをもって所得保障が充実したかのようなキャンペーンを展開してきた。だが、それらはまったくのうそだ。二九年型世界大恐慌の到来と帝国主義の一大資本攻勢による失業者の増大や年金法改悪攻撃の中で、「福祉を買える」のはひと握りの富裕な層だけである。大半の人民は高額の自己負担に耐えられなくなっている。
 介護保険制度は、社会福祉で命をつないでいる「障害者」に“死ね”と言うに等しい、断じて許しがたい攻撃なのだ。
 忘れてはならないのは、措置制度が「障害者」の施設入所において日帝の強制隔離政策の根幹を担ってきたという反動的側面である。「障害者」にとって措置制度は、公費保障制度であると同時に、一切の決定権を行政が握る行政処分として、日帝・厚生省による「障害者」の社会からの排除、隔離・抹殺制度をも意味した。
 日帝・厚生省は九〇年以降、「施設収容から在宅福祉へ」という政策転換を行ったが、その本質は福祉切り捨て攻撃であった。この本質を塗り隠すために、措置制度のもとでの「障害者」施設の非人間的現実に対する「障害者」の怒りや「地域社会で生きたい」という要求にこたえるかのようなポーズをとって、「施設から在宅へ」をスローガンに幻想をあおってきた。
 介護保険制度においても「税としての措置制度」に対比させて「権利としての保険制度」をうたい、「契約制度では利用者に権利性と選択性が生まれる」などとして、あたかも保険制度、契約制度において初めて「障害者」や高齢者に権利性が保障されるかのようなキャンペーンを張っている。だが、これもまったくのペテンである。
 本来「税による措置制度」によって公的保障を受けること自体が「障害者」、労働者人民の当然の権利なのだ。
 日帝は、措置制度を解体する目的でこれを「批判」し、自ら「障害者」隔離政策をとってきた責任を塗り隠し、施設収容における措置制度批判を前面に押し出している。だがその最大の狙いは、措置制度がもつ公的保障制度=「国家の責任」という性格の否定にある。まさに介護保険制度の導入は、人民の生存の保障を国家に義務づけた憲法二五条の生存権の否定であり、「福祉における改憲」なのだ。公的保障の否定は「障害者」の生存権の否定である。敵に絶対にだまされてはならない。

 第2章 「障害者」福祉の解体狙う石原都政許すな

 第三に、介護保険制度の導入は、社会福祉基礎構造改革のもとで、「障害者」在宅介護のみならず「障害者」福祉全体の本格的切り捨てに道を開く攻撃である。
 すでに自自公政治を右から先取りする石原都政は、「介護保険制度に伴う現金給付事業の見直し」と称して、重度心身障害者手当、心身障害者福祉手当、心身障害者医療費助成制度の予算削減方針を打ち出し、今後の「見直し施策」として全身性障害者介護人派遣事業や精神障害者共同作業所運営費補助などをあげ、この打ち切りを狙っている。都労連を始めとする労働者階級の闘いと連帯して粉砕しよう。

 第1節 ナチスと同じ優生攻撃激化

 第四に、介護保険制度の導入は、「障害者」を「価値なき命」として抹殺するナチス型優生攻撃の激化につながっている。
 介護保険制度には、介護サービスを充実させようとすれば保険料がアップするという対立的な矛盾がある。「障害者」在宅介護サービスが介護保険制度に移行させられようとしているが、「障害者」介護の充実を図るために保険料が引き上げられれば、その保険料を払う労働者人民の家計が圧迫される。日帝はこうした構造をつくろうとしているのだ。
 介護保険制度は、大衆収奪の強化だけでなく、「障害者」と労働者を分断し、介護保障を要求する「障害者」の声を抑圧する政策である。利用料も同時にアップするため、「障害者」自身も介護の充実を要求しにくくなる。
 日帝の狙いは、「障害者」の存在は労働者の家計を圧迫している、そのような「価値なき命」は抹殺すべきだという、三〇年代のナチス・ドイツ同様の「障害者」に対する差別主義を扇動することである。すでに新安保ガイドライン攻撃のもとで出生前診断や「脳死」―臓器移植攻撃などが激化している。その行き着く先は尊厳死―安楽死攻撃だ。
 こうした日帝の「障害者」抹殺攻撃の頂点をなすものこそ、ファシスト石原が昨年府中療育センター視察時に行った、「『障害者』に人格はあるのか」「安楽死につながる」という許しがたい「障害者」差別の扇動である。まさにファシスト石原の打倒は「障害者」の未来をかけた闘いなのだ。「障害者」と労働者の団結した力で闘っていかなければならない。

 第2節 福祉労働者の労働条件悪化

 第五に、介護保険制度の導入は、自治体の公務員ヘルパーを廃止し、介護の担い手を民間企業の非常勤ヘルパーにすることによって、福祉労働者の労働条件を一層劣悪なものにしようとしている。
 日帝ブルジョアジーは、シルバーマーケットで二百万人の雇用を創出すると言っているが、その実態は低賃金、不安定雇用、使い捨ての介護労働者の膨大な創出にほかならない。すでに福祉労働の現場の圧倒的な部分は、民間の非常勤・不安定雇用の労働者によって担われている。日帝は、こうした劣悪な労働条件のもとにおかれている福祉労働の現実をますます悪化させようとしているのだ。

 第3節 厚生省支持の政策参加潮流

 第六に、介護保険制度の導入は、「政策参加」の名のもとに「障害者」運動を日帝に屈服させ、「障害者」ケアマネジャーへの取り込みなどをもテコに推進されている。
 しかし、今日こうした厚生省を支持する政策参加潮流をのりこえる「障害者」の闘いが始まっている。介護保険の正体が明らかになるにつれて、第三次安保・沖縄闘争の高揚と一体となった「障害者」の生きるための根底的決起が生み出される情勢を迎えている。
 介護保険制度の四月実施中止、介護保険制度廃止に向けて闘おう。介護は全額公費負担で保障せよ。だれにも必要な介護を! 長谷川英憲氏の衆議院議員当選をかちとろう。

------------------------TOP---------------------------

週刊『前進』(1947号5面1)

 『解放』新年号を徹底追撃する

 黒田の綱領的理論的破産と敗北を枝折論文が全面自認

 仲山 良介

 九九年の階級闘争の現実の中で、反革命カクマルは、一方では、革共同との戦争的・政治的対峙戦において破産につぐ破産を強制され、他方では、JR総連の露骨な戦争協力宣言と安保・自衛隊容認への大転向(連合・新政治方針支持の表明)によって、かつて経験したことのないレベルでの組織的危機にたたき込まれた。カクマル反革命通信『解放』二〇〇〇年新年号はこの現実をまともに見据えることもできない反革命指導部の心理状態をストレートに表現している。巻頭の無様としか言いようのない長大駄文の筆者は、現実から昇天してしまいたい願望にとりつかれ、まったく足が地に着いていない。それは、日本階級闘争の「地上の現実」から雲の中の世界へ昇天・召還・逃亡した見事なまでに空疎な文章である。実践的には、日帝国家権力への完全な降伏宣言以外の何ものでもない。

 第1章 99年におけるカクマルの破綻とかつてない危機

 われわれは、本紙新年号(革共同政治局一・一アピール)で明言しているように、二〇〇〇年決戦は実は三大決戦と表裏一体のものとしてカクマル反革命との歴史上最大の決戦となることをはっきりと見据え、あらゆる戦争的展開に備え、構えきっている。そして何よりも昨年以上に、カクマルどもを逃れられない接近戦に引きずり込み徹底的に惨めな破産を強制し、戦争的にたたきのめしていく決意を固めている。
 カクマルは今年の新年号で一行の中核派批判もできなかった。それでいて革共同の総選挙決戦への挑戦に対して機関紙上で「無謀な総選挙決戦に打って出た中核派」(反革命通信二月七日付一六○五号大沢論文)などと言っている。こんな脆弱(ぜいじゃく)な精神をさらけ出しているようでは、闘いの現場における勝敗はあらかじめ決まっているとすら言える。
 カクマルの九九年における破産と危機が闘いの現場で具体的に、そして象徴的に突きつけられたのは、六月二十四日の日比谷野音の組対法(盗聴法)粉砕闘争であった。
 JR総連は、この闘争が反革命的盗聴・闘争破壊集団カクマルを寄せつけずに大高揚をかちとっていることに激しい危機感を持ち、千人以上の組合員を動員して集会場に押し掛けた。
 ところが、JR総連=カクマル、カクマル=JR総連であること、JR総連は日帝の新ガイドラインに基づく戦争発動に協力することを宣言していること、そして何よりもデマゴギッシュな謀略論を手段としてJR総連を牛耳る松崎明(カクマル副議長)自身が盗聴・窃盗そして反革命テロなど非合法軍事作戦の指令を出していることなどは、闘う労働者人民にはすでに自明のことであった。
 したがって、当然にもカクマルの白色テロ部隊とともに、JR総連の集団もまた闘う人民の怒りの激しさの前に会場へ入ることができなかったのである。日比谷野音からハミダシたJR総連の集団は、数時間も会場の外で立ちつくすだけという惨めな状態にたたき込まれた。
 この冷厳な事実は決定的な一撃となってカクマル=JR総連を打ちのめした。日比谷野音に駆けつけた松崎も顔面蒼白(そうはく)となったが、時すでに遅し、JR総連は二度といやすことのできない決定的な傷を受けてしまったのだ。
 カクマルは、七月に入って、この敗北を取り返すための、基調報告のない決意表明だけの異様な反革命決起集会をやった(七・一四日比谷野音)。朝倉と西条が登場して、中核派との武闘を含む闘いの決意(JR総連防衛のためには血も流す)を表明して見せた。そして、六○年闘争や七○年闘争における動労の役割、松崎の偉大さを必死で確認し、歯の浮くような賛辞を述べたてたのである。
 だがこの後もカクマルは、七〜八月、そして九、十、十一月の全過程で必死の絶望的反革命策動を展開したにもかかわらず、ことごとく破産し、次々と追いつめられていったのだ。
 十月連合大会においてJR総連は戦争協力路線への全面的転換を最終的に表明した。カクマルは「安保・自衛隊の容認」を含むこの転換を公然と擁護した。
 このように、JR総連の利害(JR東資本との労資結託体制の死守)こそがすべてと確認しながら、JR総連の存在そのものをカッコに入れ、まるでそのような「労働組合(じつは現代版産業報国会そのもの)」など存在しないかのような調子で、「連合十年の負の歴史を断ち切ろう」「救国産報運動打破」などと破廉恥な言辞を吐いたのが十二月カクマル政治集会であった。
 カクマルは、こうしたアクロバットの中で二〇〇〇年を迎えたのである。反革命カクマルの、反革命としての実践的本質と「左翼」=マルクス主義者であるかのような「形式=たてまえ」との矛盾はかつてなく強まっている。労働者組織、学生組織そして地方組織のすべてがこれまで以上の危機と混乱に突入していくことは避けられない。
 そしてそこからでてくる反革命エネルギーが絶望的凶暴化を促進することも避けられない。二〇〇〇年決戦はそのような意味でも対カクマル決戦そのものとならざるを得ないのである。

 第2章 「マルクス思想」へと逃げ込みマルクス主義を否定

 カクマル新年号巻頭駄文は、そのまとめの部分で、「マルクス思想は……時代をこえて、……労働者階級によってうけつがれ、生きつづける革命的思想なのである」という黒田の言葉を引用している。
 ここで注目してほしいのは、「マルクス思想は……革命的思想」と言っていることである。マルクス主義でなく「マルクス思想」なのである。これはどういうことか。労働者階級の自己解放の理論と思想としてのマルクス主義ではなく、「マルクスという人の思想」を「時代を超えたもの」としてとらえようと確認しているということである。
 これは、要するに、「マルクスという人の思想を受け継ぎ現代に発展させた黒田思想=カクマル思想は永遠である」ことを確認しようということなのである。(黒田についても、黒田理論の破産を事実上認めながら、その思想の核心部分は生き続けるはずだというような情けない言い方になりつつあるのだが、それは後でふれる)
 実際、カクマル議長植田は「新年のあいさつ」で次のように書いている。
 「われわれは、資本制社会を根底から転覆するために、マルクスが明らかにしわが運動の先達が磨きあげてきた〈変革の哲学〉をば場所的・現在的にわがものとして、全世界の労働者階級の階級的自己解放の闘いの前進を雄々しくきりひらくのでなければならない」 
 これは、マルクス思想とは黒田思想そのもののことだという確認にほかならない。「マルクスのマルクス主義」などと言ってみたところで、それは、黒田によって「受け継がれ」、似て非なるものに「換骨奪胎」する作業をほどこされた「マルクス思想」(つまり黒田思想)のことなのだ。
 カクマルはいまや、“たしかにマルクス主義は破産したけれどもマルクスのイデーは黒田の理論と思想のなかに生きている”とつぶやくことしかできないのである。
 しかもこの場合、重要なのは、ソ連スターリン主義の歴史的破産・ソ連の崩壊=マルクス主義の破産というブルジョア的キャンペーンにカクマル=黒田が完全に参ってしまっていることである。つまりカクマルは、労働者階級はブルジョアジーを打倒し自己の権力を樹立して、階級の存在そのものを廃止する共産主義をみずから建設していくというマルクス主義者の確信にとって肝心のことを口にすることができないのである。
 カクマルはそもそも、第二インターの日和見主義=社会排外主義と対決して、マルクス主義を革命的に復権・貫徹するものとして、レーニン・ボルシェビキに率いられて、ロシアのプロレタリアートがロシア革命をやったこと自体が間違っていたのではないかという「思想」に完全にとりつかれてしまっているのだ。
 だから、植田=カクマルが「資本制社会を根底から転覆する」などと言っても、プロレタリア革命を問題にしているのではない。ただ、旧ソ連圏の混乱と危機を前にして、「それでもマルクス思想は生きている」「思想の転覆こそが必要」とつぶやくのがやっとであるということなのだ。
 今年のカクマル新年号の中の枝折進論文(ソ連・東欧と中国の市場経済化十年の「矛盾を克服する道」を論じようとしたもの)では、最後の言葉が次のように締めくくられている。
 「いまこそスターリン主義の呪縛(じゅばく)を断ち、マルクスのイデーをもって共産主義の理想をよみがえらせ、旧ソ連圏のすべての人びとにたいして真の解放の道をさししめすために、われわれは奮闘するのでなければならない」
  旧ソ連東欧諸国と中国の経済を論じているからこのような結びになっているのか? そうではないのである。
 巻頭駄文も、基本構造としてまったく同じような論じ方をしている。
 「九一年の予期せぬソ連倒壊」によって、「二十世紀末の現代世界に一時的に跋扈(ばっこ)したのが『豊かさ』を生む『市場経済』という幻想」だった。しかし、ロシアや東欧諸国の市場経済化は豊かさを生まず、「悲惨な歴史的現実」を「浮き彫りに」している。したがって、マルクスのイデーはやはり生きているというのである。ここでもかしこでも、旧ソ連圏における「市場経済化の実験」の破産からやっとのことで「マルクス思想の有効性」を引き出すという論理構造になっているのだ。
 すでに本紙一九四四号中津次郎論文でも指摘されているが、カクマルは今年の新年号で、帝国主義の危機と矛盾を正面から問題にすることを一切やらなかった。いやできなかった。むしろそれを覆い隠すためにただ旧ソ連圏の「悲惨な現状」を対置することしかできないのだ。
 スターリン主義の歴史的破産の中で、現代帝国主義の延命の諸方策がことごとく行き詰まり、今や帝国主義そのものが死の苦悶(くもん)にあえいでいること、したがって、労働者階級人民もまた闘って帝国主義を打倒することなしには生きられない歴史的情勢が到来していること、そしてそれとの世界革命的関連の中でこそ旧ソ連圏の「悲惨な現状」の革命的突破も可能となること||マルクス主義者であれば今まさに語らなければならないのはこのような世界観つまり反帝・反スターリン主義の理論と思想なのだ。
 ところがカクマルは、マルクス主義者が今語るべき肝心のことについては一言も語ることができないのである。

 第3章 黒田理論の破産の隠蔽を図る「市場経済化10年」論

 ところでまだ先がある。
 歴史的に破産した旧ソ連圏の現状についてカクマルはどのように語っているのかという問題だ。じつはこのこと自体が決定的な問題性をさらけだしている。
 カクマルは、八九〜九一年のソ連・東欧スターリン主義の崩壊過程で、それまでの「強大なソ連が帝国主義を圧倒して世界を征服しつつある」という赤色帝国主義論的世界認識から一転して、世界は一元的に市場経済によって制覇される、ロシアを先頭に旧ソ連圏でもただちに資本主義が復活し価値法則が貫徹するとわめきだした。カクマルにとって、倒壊するはずのない強大なソ連がまさに歴史的に破産・崩壊したことの衝撃は決定的だった。その反動で、黒田は“ただちに市場経済で価値法則だ”などとけたたましくわめきたてたのである。
 われわれは、スターリン主義的残存物の膨大な堆積の問題がある以上そう簡単にいくものではないし、帝国主義にも万能の力があるわけではない、ロシア革命後の世界史的過渡期の時代的本質的規定は続いている、したがって反帝・反スターリン主義世界革命の一環としてのロシア・旧ソ連圏における第二革命だけがこの危機と混乱を突破することができるのだというあまりにも当然の指摘をした。九一年前後に行われたこのきわめて重要な「綱領的論争」において黒田=カクマルは完全に破綻(はたん)・敗北したのだ。
 現在のカクマルは、そのことには口をぬぐい、破廉恥にも、ロシアと旧ソ連圏諸国における市場経済化の実験は十年が経過してすべて破産した、それはもともと無理だったのだなどと語っている。
 カクマルの理論(黒田思想)とはもともとその程度のものでしかないのだとは言え、それにしてもひどい。カクマル=黒田は、八九〜九一年の時点で綱領的イデオロギー的に二重の意味で破産したのである。第一に、ソ連スターリン主義が歴史的に破産・崩壊したという事実そのものにおいて、強大なソ連が帝国主義を圧倒して世界を制覇するという党是的世界認識そのものが大パンクした。(その結果が、「ナショナリズムの相互衝突」論でくるんだ今の「新東西冷戦」論である)。第二に、破産したロシアと旧ソ連圏諸国はたちまち資本主義化=市場経済化し、世界は一元的市場経済の時代(資本主義の大繁栄)に突入するという見通しが大破綻した。結局この両者は、同じ一つの破綻の両面にすぎない。より根源的なところでまとめれば、黒田のエセマルクス主義の完全なパンクということである。
 ここでの第二の点について、枝折の論文では、「旧スターリニスト・レジームの“遺制”が広範かつ大幅に温存され物流機構・インフラの未整備と生産基盤じたいの劣悪性を抱えたままであることからして、たとえ価格の自由化などが断行されたとしても『市場機構』がマトモに――資本主義的な価値法則の貫徹の場としては――機能するはずがないのである」などと語っている。しかし、今ごろになってこう言うのは、後知恵でしかない。
 「はずがない」のに、カクマルは、いや黒田は、けたたましい調子で「明日から価値法則が貫徹する」と叫んだのはなぜか。これは、その時はそう思ったからだではすまないことなのだ。「マルクス主義者」としては生き死にのかかった発言であったはずなのだ。
 現在のカクマルは、このようにソ連・東欧の「市場経済化の全破綻」を語ることによって、十年前に黒田があれほど激しくわめいたことをあっさりと否定している。つまり黒田理論がことごとく破産したことを認めている。これはカクマルにとってはどうでもいいことではない。絶対無謬(むびゅう)であるはずの黒田の決定的破産であるからである。
 【カクマル内における黒田無謬論との関係で重要な今一つの決定的破綻点は、神戸謀略論の破産である。だがこれについてはここでは言及しない】
 中国については、枝折はスターリン主義体制のままで市場経済化に成功していると描いている。ただ問題なのは、市場経済化が生み出す弊害を解決することができないでいることであると言うのだ。枝折は言う。
 「(北京官僚は)『市場経済化』促進によって肥大化してきた“資本主義的諸矛盾”にたいして、これを『社会主義的』に解決し止揚する術(すべ)を知らない。これはなぜか。その根拠は、北京官僚の毛沢東主義にたいするオルターナティブとしての生産力主義そのものにある。一定の社会経済構成、たとえば過渡期社会において生産諸力が変革されて技術的構成に変動が生じたような場合に、どのように生産諸関係を変革してゆくのかということは、マルクス主義者が研究しなければならない第一級の課題である」
 ここでは、中国の場合、スターリニスト官僚がスターリン主義的国有経済を強化するために市場経済化を推し進めて基本的に成功している、そこから生まれてくる弊害をどう解決するかが残された課題(社会主義的課題)であるという認識が披瀝(ひれき)されている。
 カクマルは、残存スターリン主義中国の破綻とのりきり策動を、歴史的に破綻したスターリン主義の反革命的・反人民的あがきとしてではなく、「社会主義建設」のあり方としてとらえているのである。このような中国経済の市場経済化成功論が、二十一世紀の冒頭における中国の超大国化とアジア支配の脅威論と一体のものとして展開されているのである。
 【カクマルは、日帝の「今日版大東亜共栄圏」は中国との勢力圏争いだという認識なのである】
 カクマルは、このような中国経済に関して、生産力主義にかたよらずに、生産力の発展に照応した生産関係の変革を実現していくにはどうしたらよいかを研究すべきであるなどと言っている。こんなことはかつてのカクマルは言わなかったことである。
 それは、黒田の「世界に冠たる過渡期の法則論」(それ自体が低水準無内容であり、実践的には反革命的なものであるが)を足蹴(あしげ)にしているというだけではない。生産力の発展と生産関係の変革の問題を切り離して、それをスターリン主義官僚の側からどのように結合すべきかを研究するという形で論じているものであって、構えにおいても内容的にもおよそマルクス主義的ではない。ちょうど、資本家が合理化を論じるような反階級的なスタンスでものを言っているということが明白だ。
 この枝折という筆者はマルクス主義の鼻輪すらも取り外して、その重さからすっかり解放されてしまった輩(やから)のようだ。

 第1節 プロレタリア革命を完全に否定

 結論にかえて、次のことを確認しておきたい。カクマルは、旧ソ連・東欧そして中国の現状を論じて、驚くべきことに、反帝・反スターリン主義世界革命の一環としての第二革命の問題を提起することを完全に否定し放棄している。中国スターリン主義の打倒すらも提起せず、経済的成功にともなう弊害の社会主義的解決について「進言」している始末である。
 これは、これまで帝国主義打倒に対置してスターリン主義打倒を対抗的に持ち出してきたカクマルの論理に即してとらえるなら、もはやどんな意味でもプロレタリア革命を論じることをやめたということである。
 右の引用で、生産力の発展に対応する生産関係の変革の研究が必要であると言っているのは、それに完全に見合っている。「生産力と生産関係の矛盾」を資本主義の革命的変革の問題としてではなく、合理化にともなう上からの(資本や工場経営者またはスターリン主義官僚などによる)生産関係の「変革」問題にきり縮めてしまったのである。これは、従来の黒田=カクマルの理論的定式化との関係からいっても、大きな逸脱である。
 プロレタリア革命を否定した労働者解放論を、マルクス主義の革命的精髄を抜きさった「マルクス思想」として、したがって、ファシスト労働運動理論としてもてあそぼうとしているのが今のカクマルなのだ。絶対に許してはおけない。
 カクマル反革命は、世紀の転換点でとんでもない迷走に突入しつつある。絶好のチャンス到来である。二○○○年決戦の中で、三・一四復讐戦貫徹・カクマル完全打倒へ大きな前進をかちとろう。

------------------------TOP---------------------------

週刊『前進』(1947号5面2)

 全学連沖縄現地行動隊

 名護奮戦記

 印象に残ったおばーの怒り

 法大 1年 R・H

 私たち沖縄現地行動隊は、主に宣伝カーとビラまき隊に分かれて名護現地で活動しています。私は宣伝カーのウグイスを二週間ほどやってきました。
 宣伝カーは名護市内全域を回っています。“振興策は沖縄を基地に縛りつける麻薬でしかない”、“基地が移設されてしまうとやんばる全体がアメリカ海兵隊の一大軍事拠点にされてしまう”など基地の性質について暴露し、日本政府の言いなりになって基地を受け入れた岸本市長への弾劾と“市長リコールを成立させれば、基地の移設はストップできる”と呼びかけています。
 住民の反応はさまざまです。岸本市長の受け入れ表明後ということもあってか、私が前回来た十二月前半より反応が鈍いというのは否めません。でもある住民の方が話してくれたのですが、「基地に賛成なんて人は一人もいない」、雇用問題や地域振興との関係で、基地受け入れに賛成せざるを得ない状況に追い込まれているのです。“だれが沖縄をそういう状況に追い込んでいるのか? 日本政府による沖縄差別政策の結果ではないのか?”と、私たちが訴えていくのがとても重要だと思いました。
 もちろん良い反応もあります。東海岸のほうでは、お店の人が出て来て、ジュースや紅いもを差し入れて、「いくら金をもらっても基地ができたらまともな生活はできない。基地は絶対に反対だ」と話してくれました。家の中から顔を出して手を振ってくれる人がいたり、農作業中の人、建設作業中の人が手を休めてこちらに手を振ってくれることもありました。
 また市街地では、車からクラクションを鳴らして手を振ってくれる人や、止まっている時に「リコールはどうやったらいいのか?」と尋ねてくるおじーもいました。こちらに声をかけてきたおじさんが、「基地はいらない。自分は名護の者ではないけれど、基地は県全体、国全体の問題だ。野中も許せない」と話してくれたこともありました。
 基地絶対反対だと言う辺野古のおばーが「前回の市民投票の時は、賛成・反対でうちのきょうだいの仲まで引き裂かれた。だからこそ、本当に基地の押しつけは許せないんだ」と話してくれたことは、強く印象に残っています。
 市民は“二分されたくない”ということを強く感じています。私たちの宣伝によって、その怒りを稲嶺知事や岸本市長、日本政府への怒りとして解き放っていかなくてはなりません。
 私は今回、伊江島を始めいくつかの平和資料館などを訪れる機会があり、沖縄戦のことを初めて詳しく知りました。沖縄戦の現実を知って、あらためて基地の現実を考えた時、今でも沖縄に犠牲を強要する日本政府に対して本当に怒りがわいてきました。そしてそういう歴史を背負った沖縄で今、基地反対の闘いを担うことの重大さを強く感じました。沖縄の問題は全国の問題、私たち一人ひとりの問題です。私も沖縄の闘いとずっと連帯して頑張っていこうと思います。

------------------------TOP---------------------------

週刊『前進』(1947号5面3)

 2000年日誌 阻もう! 戦争への動き

 2月16日〜22日

 「朝鮮有事」日米指揮所演習

 クリントン 沖縄基地固定化発言

●日米共同指揮所演習始まる 自衛隊と米軍が、朝鮮半島有事の「周辺有事」に備えた初の日米共同図上演習を強行した。統合幕僚会議、陸・海・空各幕僚監部など約五千人、在日米軍司令部など約千三百五十人が参加し、コンピューター・シミュレーションや地図上で作戦を展開した。演習は北朝鮮が韓国へ侵攻するシナリオ。日本国内に「不審船」が侵入、工作員が県庁を爆破したり、警察官を射殺したりし、首相が治安出動を命令、自衛隊と警察が施設防衛を行うなどを想定している。自衛隊の治安出動が演習で実施されるのは二十六年ぶり。演習は今月二十四日まで(16日)
●参院憲法調査会始まる
 参院憲法調査会が初会合を開き、各委員の憲法観の表明や今後の議論の進め方などに関する自由討議を行った。自民、自由両党は、「改正」を念頭に一年半から二年をめどに一定の方向を示すなど議論を急ぐべきだと主張した。(16日)
●米「思いやり予算」現状維持要求 タルボット米国務副長官、キャンベル国防副次官補らが来日、政府・与党サイドと相次いで会談し、「(在日米軍駐留経費負担を)減額するのはおかしい。(米軍駐留は)慈善事業でやっているのではない」「日米同盟関係維持に必要な措置だ」などと、駐留経費の日本側負担(思いやり予算)の現状維持を強く求めた。(16日)
●防衛事務次官が名護訪問
 佐藤防衛事務次官が16日に岸本名護市長と会談し、翌日には県庁で稲嶺沖縄県知事と会見した。(16日)
●自衛隊にサイバーテロ対処部隊 防衛庁が二〇〇一年度からの次期中期防衛力整備計画(次期防)でコンピューターシステムに対する攻撃に対処する部隊を自衛隊に新設する方針を固めた。佐藤防衛事務次官が明らかにした。(17日)
●衆院憲法調査会始まる
 衆院憲法調査会で初の討議が行われ、与野党六党が同調査会の運営に関する所信を表明した。今後は、現行憲法の制定過程について参考人を呼びながら議論を進めることを決定。自由党の野田前自治相は「三年目には新憲法の概要を示し、五年目には新憲法の制定を図る」と発言。(17日)
●反対協が受け入れ撤回を申し入れ 米国防長官が日米防衛首脳会談で普天間飛行場代替施設の十五年使用期限を明確に拒否していた問題で、ヘリ基地反対協が名護市役所で、市当局に対し、岸本市長の受け入れ条件が否定されていると、普天間飛行場の移設の受け入れ表明の撤回を申し入れた。(18日)
●クリントンが「沖縄の戦略的価値」発言 訪米した河野洋平外相が、クリントン米大統領、バーガー大統領補佐官(国家安全保障担当)と会談し、クリントンはサミット沖縄開催を「日米関係が戦略的見地から重要であることを示すよい機会だ」と述べた。この「沖縄の戦略的価値」発言について、米軍基地の固定化を前提にしていると沖縄で怒りの声があがっている。また普天間飛行場移設問題に関して、バーガー補佐官は「代替施設を軍民共用にすることを支持する用意がある」と述べ、思いやり予算と沖縄基地の重要性を強調した。(18日)
●石垣市議会が抗議決議
 普天間基地所属の米軍機が石垣空港に強行着陸した問題で、石垣市議会は臨時議会を開き、米軍に対する抗議決議と内閣総理大臣などへの意見書を全会一致で可決した。(18日)
●陸自が師団機能を再編
 防衛庁が陸上自衛隊の九個師団・六個旅団体制への再編に伴い、南関東と近畿の二個師団を都市部のゲリラ戦などに対応する「政経中枢師団」とするほか、中部・北陸の師団など六つの師団・旅団を他地区への増援任務を担う「戦略機動師団・旅団」と位置づける方針を固めた。また、対ロ中心の北海道への戦力集中を見直し、北海道の二個師団を旅団化する。これは朝鮮半島有事などに対応するシフトの一環。(19日)
●普天間代替期限、ゼロ回答 河野外相がオルブライト国務長官と会談し、米軍普天間飛行場代替施設の十五年期限問題を取り上げたが、オルブライトは「日米安保共同宣言を踏まえて協議したい」と、事実上のゼロ回答を示した。(20日)
●署名受任者900人に
 ヘリ基地反対協が幹事会を開き、岸本名護市長のリコール運動について協議、「署名を集める受任者の数を現時点で九百人確保」と発表した。(21日)
●中国、サミット不参加を表明 サミットへの中国参加問題について、朱邦造・中国外務省報道局長が北京で「中国はサミットおよび関連の行事に参加する意思はない」と不参加の方針を明確に表明した。(22日)
●中電が芦浜原発の計画を断念 北川正恭・三重県知事が計画の「白紙撤回」を求める見解を示したのを受けて、中部電力は三重県の南島町と紀勢町にまたがる芦浜原発の立地計画を断念したと発表した。(22日)

------------------------TOP---------------------------

週刊『前進』(1947号6面1)

 1面からつづく

破すること、そのために福祉を切り捨て、公務員労働者の大量首切りを強行し、さらに労働者人民へのあらゆる形をとった大増税政策に踏み切ること、これが日帝・小渕の構想だ。
 ここで、今日石原がふりかざしている外形標準課税の本質が、実は商店や町工場などの中小零細事業者に対する「第二消費税」とも言うべき大増税にあることを指摘しなければならない。すなわち、現在の事業税が法人や自営業者の所得に課税され、赤字の場合には課税されないのに対して、外形標準課税は資本金や売上金額などを標準に、所得の有無やその大きさとは無関係に課税される。このため、赤字の中小零細企業からも無慈悲に徴税することが可能となる。
 日帝政府・自民党はそもそも、この外形標準課税を全国一律・全業種に導入し、かつ法人税の減税と抱き合わせることで、莫大(ばくだい)な利潤を上げている大企業の税負担を減らす一方、消費税率のアップと並んで税収の「安定的確保」を狙う計画を立てていた。今回の石原による外形標準課税の導入は、実はこの戦時型の大衆課税、人民への大増税の突破口を、きわめてファシスト的手段で開くものである。大銀行への民衆のあまりにも当然の怒りを反動的ペテン的に利用して、実際には人民大衆をファシスト的手法であざむき、日帝がやりたくてもやれずにきた大攻撃の扉を一気に開こうというのだ。
 この石原は、福祉を全面的に切り捨て、労働者への賃下げと首切りを強行し、今また「中華帝国を分裂させよ」(『諸君!』三月号)などと叫んで、中国への戦争挑発に出ている憎むべきファシストである。
 ところが、民主党や日本共産党を含む全政党が、この石原にもろ手を挙げて拍手喝采しているのだ。とりわけスターリン主義・日本共産党による石原賛美は断じて許せない。
 小渕・自自公政権と対決し、ファシスト石原と対決できるのは、わが革共同と、都政を革新する会の長谷川英憲氏だけだ。介護保険絶対反対を貫き、小渕や石原と闘って、労働者人民のいのちと暮らしを守る真の代表として長谷川氏を絶対に国政に送り出そう。

 第3章 岸本市長リコール貫徹へ前進しよう

 沖縄・名護をめぐる情勢は、この三月、いよいよ死活のかかった重大決戦の渦中に突入した。岸本名護市長は稲嶺県知事や日帝・小渕と一体となり、リコール運動への恐怖と敵意をむきだしにして、あらゆる手段でこれをつぶすことに全体重をかけている。リコール闘争が貫かれ、勝利することはサミットそのものを直撃し、日米安保が大破綻(はたん)に直面する重大情勢が生み出されることを意味する。だからこそ日帝は、名護現地の闘いを圧殺しようとサミット厳戒体制の重圧を加え、必死の形相で襲いかかっている。
 だが、ヘリ基地反対協や東海岸の住民を始めとした闘う名護市民の基地絶対反対の意思は、岸本一派のどんな脅しや札束によっても揺らぐものではない。名護に全重圧を集中して暴力的に窒息させようとあがく日帝の卑劣な攻撃を、沖縄と本土を貫く人民の総決起によって打ち砕き、今こそ普天間基地の県内移設反対、名護新基地建設阻止の原点に立って闘いぬかなければならない。
 米帝はすでに本年一月の日米防衛首脳会談で、稲嶺が「基地受け入れの条件」とした十五年の使用期限を明確に拒否した。にもかかわらず日本政府はそのことを隠し、沖縄にこれまで以上に一切の犠牲を差別的に押しつけ、沖縄人民を分断して沖縄サミットと名護新基地建設の強行に突っ走っている。断じて許すことはできない。
 今こそ闘う名護市民への激励と資金カンパを全国から集中しよう。全学連現地行動隊を先頭に、リコール署名達成、岸本市長リコールの大成功へ、この三月を最大の決戦として闘い勝利をもぎとろう。
 この闘いと結合し、暫定滑走路建設阻止の三・二六三里塚全国集会に反対同盟と固く連帯して総決起しよう。朝鮮侵略戦争のための日米指揮所演習を弾劾し、新ガイドラインと闘う百万人民の大統一戦線のさらなる発展をかちとろう。「日の丸・君が代」の強制粉砕へ、闘う教育労働者と地域住民と部落大衆の一体となった力で今春の卒業式・入学式闘争を闘いぬこう。広教組・広高教組への組合破壊を狙う凶暴な処分攻撃を許さず、全国の教育労働者と人民の団結した力ではね返そう。
 国鉄闘争はこの三月、国鉄改革法承認撤回、五・二八反動判決粉砕の成否を分かつ重大な決戦局面を迎えている。
 闘争団を先頭に、闘う国鉄労働者は、千四十七人の解雇撤回・原地原職奪還、ILO最終勧告戦取へ向かって、日帝・運輸省、JR資本、JR総連=カクマルを追いつめる闘いに、決意も新たに決起を開始した。危機にかられた日帝は土壇場に立たされているがゆえに、国労本部の宮坂・チャレンジ一派と革同上村派を使い、必死に国労解体へのあがきを強めている。
 ILO勧告をも武器に、国鉄改革法承認の五・二八判決を覆す闘いを断固貫いて、国労本部の裏切り路線を最終的に粉砕し、本部の総退陣と闘う新執行部の確立をかちとろう。
 この国鉄決戦を先頭に、二〇〇〇年春闘を戦闘的にうちぬき、階級的団結の圧倒的な強化を全産別で闘いとろう。闘う労働組合の総結集による新潮流運動の大前進をかちとろう。
 三月五日、六日の部落解放同盟全国連第九回全国大会は、日帝の部落差別攻撃の歴史を画する激化の中で三百万部落大衆の日帝権力への差別徹底糾弾の根源的な怒りを解き放つ歴史的な大会となる。部落大衆との血盟にかけて、ともに大会への大結集をかちとろう。
 この激戦激闘のまっただ中で開催される三・一二革共同政治集会は、革共同の飛躍と二〇〇〇年決戦の勝利をかけ、二十一世紀初頭の日本革命勝利への展望を示す歴史的な集会だ。
 反革命カクマルによる七五年三・一四本多書記長虐殺から二十五年、カクマル=JR総連がついに日帝の侵略戦争への全面協力を宣言した中で、三・一四復讐戦貫徹・カクマル完全打倒の決定的チャンスが訪れている。労働者階級の敵、カクマル=JR総連を闘う全人民の力で打倒し、二〇〇〇年決戦勝利の大道を切り開こう。

------------------------TOP---------------------------

週刊『前進』(1947号6面2)

 3・8国際婦人デー闘争のために

 衆院決戦と沖縄闘争の勝利へプロレタリア女性の総決起を

 山崎 ますみ

 大恐慌と戦争の時代、それは「世界戦争か世界革命か」の時代である。世界史的激動期の中で迎える本年三・八国際婦人デーを、プロレタリア女性の新たな歴史的闘いの出発の日としよう。衆院選決戦勝利と沖縄闘争の爆発へ、闘う女性の総決起をつくりだそう。

 《3・8国際婦人デー》1910年、ドイツの女性革命家クララ・ツェトキンの提唱により、世界の労働者階級が女性解放と反戦平和のために闘う国際連帯の日として設定された。1917年3月8日(ロシア暦2月23日)のペトログラートでの国際婦人デーのストとデモは、ロシア2月革命の突破口を切り開いた)

 第1章 女性の大衆的決起が時代のカギ握る

 米・日帝国主義の朝鮮・中国−アジア侵略戦争が歴史的に切迫している。この中で日帝は、日米新安保ガイドライン体制のもと、侵略戦争国家体制の確立とアジア勢力圏化に向かって、ますます暴力的突破を図ろうとしている。
 それは労働者階級人民にとっては、今までどおりには生きていけないということだ。今や、「労働者を食べさせられない資本主義、戦争しか延命の道がない帝国主義を打ち倒せ! プロレタリア世界革命を!」の叫びが、あらゆる水路から、ストレートにわき起こる時代が来ているのだ。
 この中で、一切の矛盾が女性労働者、労働者家族に押しつけられ、膨大な女性が社会的労働の場に引き出されている。だがそれは他方で、プロレタリア革命の主体としての女性労働者(資本主義社会の墓掘り人)の登場を準備するものでもある。女性たちが政治性、社会性を奪い返し、階級的団結を獲得する過程が、巨大なスケールとテンポで始まっているのだ。
 一九二〇年の国際婦人デーに際し、コミンテルンは全世界の勤労婦人に向けて次のようなアピールを発した。ここには一九一七年ロシア革命の息吹と女性解放闘争へのレーニンの指導理念が貫かれている。
 「一九一四年に開始された強盗戦争(第一次世界大戦)の最初の瞬間から、全世界の勤労婦人はこの戦争に反対して行動した。婦人労働者は、息子や兄弟を迫りくる災禍から身をもってかばうために突進した」
 「イタリアの婦人労働者は、軍用列車の進行を阻もうとして、線路上に身を横たえた。ロシアの婦人労働者は、帝国主義的殺戮(さつりく)に抗議するため、真っ先にペトログラートの街頭に出た。プロレタリアートがカール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクの虐殺下手人である社会排外主義者に反対して立ち上がったとき、ベルリンの婦人労働者は英雄的にバリケードで闘った。ぺトログラートの婦人労働者は、男子労働者と肩をならべて、武器を手に(革命に勝利した)自分たちの都市を守り、驚嘆すべき勇気をあらわした」
 「全世界で勤労婦人は二重の抑圧を受けている。すなわち、プロレタリアとして、また婦人として。革命後のソビエト・ロシアにおいてのみ、婦人は隷属から解放された。労働者政府のみが、婦人の権利を制限するあらゆる法律を廃止した。われわれはこれ以上資本の奴隷でありたくない。全世界にわたって労働者のソビエト権力を建設しよう。そして婦人労働者は、闘うプロレタリアートの最前列に進むだろう」
 このロシア革命の現代的復権と継承を今こそ掲げ、とりわけ女性の大衆的決起が時代変革のかぎを握ることを熱烈に訴えていかなくてはならない。「撃つなら撃て、わが旗を守る!」とコサック兵の銃をわしづかみにし、二月革命ののろしを上げ、決然と進んだロシアのプロレタリア女性たちの熱い血潮は、今われわれの中に脈打っている。

 第2章 介護保険制度中止は人民のいのちの叫び

 二〇〇〇年国際婦人デーの第一の任務は、衆院選決戦の勝利に死力を尽くすことである。今次衆院選はまさに、自自公体制の承認か打倒かをかけ、二十一世紀の日本の行方をかけた大決戦となっている。
 この衆院選決戦は何よりも、介護保険制度の根本的転覆をかけた決戦である。なぜなら介護保険制度の導入こそ、今日の日帝の大反革命攻撃の死活的な一環であり、かつその破綻(はたん)点だからである。しかもすべての労働者人民と女性が、抜き差しならない大問題としてひしひしと感じているテーマそのものだ。
 その攻撃の核心のひとつは、恐るべき大衆収奪=大増税ということである。四十歳以上の全員から死ぬまで保険料を取り立てる。四十〜六十四歳は賃金から、六十五歳以上の人はわずか月一万五千円の年金からも天引きする。しかも世帯主が全員分を払わされる。払わなければ介護は受けられず、健康保険証まで取り上げる罰則付きだ。
 いまひとつは、根本的な福祉切り捨ての攻撃だということである。保険料を払っても、要介護認定されたわずか一二〜一三%の人しか介護を受けられない。四十歳以上では九五%がかけ捨てになる。現在ヘルパー派遣を受けている人のうち約四万人は打ち切られ、特別養護老人ホームに入っているうちの約一万五千人が追い出される。
 さらに要介護認定を得られても、高額な自己負担に耐えられず、介護サービスが受けられない人が続出するのだ。
 これらは、戦後の社会福祉制度の根幹を解体するものである。介護が民間業者による営利の対象にされるのだ。世界で唯一介護保険を導入し、日帝が手本にしているドイツでは、企業利益のために質的低下が進行し、虐待による殺人までが横行している。
 今や介護保険の破産は不可避である。多額の保険料は強制徴収されながら、これまでの介護も大幅に切り捨てられるのだ。それでもなお労働者がおとなしくされるがままになるなどということは絶対にない。大混乱となって爆発する。
 それだけではない。社会保障政策による「安全弁」が壊れ、資本主義の幻想がはげ落ち、プロレタリア革命の現実性が労働者階級人民をとらえる。労働者人民は生きるために必ず闘いに立ち上がる。

 第1節 「介護の社会化」は大ペテン

 介護保険は、そのデマゴギッシュな宣伝とは裏腹に、高齢者とその家族の「介護負担」を一層激しくする。働きに出たうえで家事・育児・介護を担う女性たちの切実な「介護の社会化」の要求は、完全に「民活」「企業の利益」にすりかえられている。
 今日、労働者家族にあっては女性も雇用労働者(二千万をこえる)となり、家族成員の働ける者全員が働くことで初めて家計が成り立っている。そして高齢者の多くは独居であり、独居の多くは女性である。実に高齢者世帯の七六%が非課税世帯であり、単身女性世帯は五〇%以上が年間所得百五十万円未満の低所得層なのである。
 さらに現在寝たきりの高齢者の家族介護をしている人の八五%が女性であり、子の配偶者=「嫁」が多数を占めている現実がある。
 介護保険はこうした現実を何ひとつ解決しない。それどころか、家事援助のためのヘルパー派遣を独居に限るなど、これまでの家族介護をかろうじて支えてきたヘルパー派遣さえ切り捨てるのだ。これでは「家族がいるのに施設に預けるなどもってのほか」ということにますますなっていく。
 金がなければ介護は受けられないという現実がつくりだされる中では、介護の矛盾はこれまで以上に高齢者とその家族、とりわけ女性に集中する。まさに「家族介護」も「介護の社会化」も、どちらも破壊するのが介護保険制度である。
 ところが政府は、樋口恵子が代表を務める「高齢社会をよくする女性の会」など一部の女性団体をだまし、取り込んで、「女性を介護から解放することが介護保険の趣旨」と語らせている。また日本共産党・新婦人を始め多くの女性団体が、介護保険推進派に転落している。こうしたイデオロギー的混乱から女性たちを奪い返し、女性の真の階級的怒りを解き放たなくてはならない。
 さらに、介護現場は圧倒的に女性の職場である。行政と社会福祉協議会による常雇用ヘルパーのリストラ攻撃が襲いかかっている。他方で「雇用創出」の名による低賃金で無権利の介護労働者が大量に育成されている。在宅ヘルパーは直行・直帰型雇用で、あらかじめとことん団結が破壊されており、短時間・不安定・無権利労働の典型だ。最低賃金以下の時間給五百円という募集がまかり通っている。ヘルパーの組織化は重要な闘争課題である。
 また第二次入管基本計画において、外国人労働者を介護労働分野に受け入れる技能実習制度の拡大が検討されている。新たな「強制連行」「強制労働」を許さず、連帯した闘いをつくり出さなければならない。

 第2節 「家族介護は美風」あおる亀井

 こうした中で、亀井静香自民党政調会長は「家族介護は日本的美風」と言い放ち、超反動的イデオロギー攻撃に出てきている。だがこれは、戦前と同じ道を行くものだ。
 戦前の日帝は、一九三〇年代の大恐慌と大失業のもとで、「東洋的家族制度による扶養関係があるから、帰農する者は失業者ではない」として救済の対象としなかった。だが当時の日本の農村は、養蚕などの貿易が破綻し、農家の現金収入は途絶し、前借金がふくれあがっていた。三一年に凶作が襲い、農村は飢餓状態に陥った。当時の軍隊では戦闘での戦死者より病死が多かったほどである。
 この中で一九三八年、国民総動員法と同時に厚生省が設置され、国民健康保険法が制定された。そして日帝はあの絶望的で凶暴なアジア侵略戦争にのめり込んでいったのだ。この歴史を繰り返そうとすることを断じて許すことはできない。
 「介護の社会化」は、家事・育児の社会化とひと連なりの、資本主義・帝国主義を打倒したプロレタリア独裁下においてこそ現実に問題となるテーマなのだ。日帝による「国家の危機」の恫喝に屈せず、革命的祖国敗北主義を貫き、天皇制・天皇制イデオロギーおよびそれと一体の家族制度・家族イデオロギーに立ち向かう、真の階級性がなければ闘えない。
 したがって、この問題はすぐれて労働者人民の階級意識と価値観をめぐる闘いである。「労働者の貧困は労働者の罪」であろうか、否だ。失業と貧困は資本主義の必然的産物である。まるでネズミを駆除するように貧困な民衆を「退治」しようとするブルジョアジーに対して、イギリスの労働者階級は「尊厳ある埋葬」を求めて闘った。以来、パリコミューンとロシア革命というプロレタリア世界革命の現実性の時代の中で、社会保障制度が生み出されたのである。
 日本でも、健康保険の政府・資本家による保険料全額負担などを要求して、一九二七年神戸で二万六千人の労働者が五分間ゼネストを打ち抜き、実際に一万人が保険料を全額資本家負担とすることに成功した。
 さらに戦後階級闘争の中で「障害者」解放闘争がかちとってきた地平、すなわち被介護者が自分の意思を実現する手段として地域社会の中で生きていく介護保障をかちとり、人間的主体性を奪還してきたことを決定的に重視しなければならない。単なる「ゆりかごから墓場まで」の所得保障をこえ、人間としての生存権として福祉をかちとってきたということである。
 これらの闘いを引き継ぎ、発展させ、介護保険の中止を求める巨大な大衆決起の先頭に立とう。そのうねりの中から長谷川英憲さんの当選をかちとろう。

 第3章 沖縄の女性の反基地闘争にこたえ闘おう

 二〇〇〇年国際婦人デーの第二の任務は、名護新基地建設阻止・沖縄サミット粉砕闘争に猛然と決起することである。
 まずはっきりさせたいことは、名護の闘いは、岸本リコール運動の開始によってすでに重大段階に突入していることだ。追い詰められた小渕らは、政権をあげて岸本を支援し、「サミット前決着」をふりかざして反対派のリコールつぶしに突っ込んできている。
 十年で一千億円という振興策と引き換えに巨大な軍事基地を押しつける日帝政府に対して、「米軍基地が繁栄をもたらすというのなら沖縄は全国一豊かな県になっていた」(現地高校生)と、名護市民は怒りを爆発させている。すさまじい重圧をはね返しつつ、市民投票時をすでに上回る受任者を獲得し、一歩も退かずに闘いぬいている。
 中でも女性たちが情勢を切り裂いて、島ぐるみ決起・家族ぐるみ決起をつくりだしていること、その先頭に三十代の女性が立っていることは重要である。タライを頭に「基地はいらんかね」と売り歩き、箒(ほうき)で基地を掃き捨て「基地を放棄しなさい」と迫り、箒を逆さに「蜂起だ!」と天に突きあげる女性たちのパフォーマンス(昨年十・二三県民大会)は、「またしても沖縄を孤立させるのか」という本土プロレタリアートへの糾弾であり、分断をのりこえてともに闘おうという連帯の呼びかけである。
 普天間基地名護移設・新基地建設阻止、岸本リコールの貫徹へ、日本−沖縄関係の革命的変革をかけて、本土プロレタリアートの総決起をかちとろう。七月沖縄サミット粉砕の大闘争を、沖縄人民との熱い合流をかちとって実現しよう。
 現地はすでに厳戒体制にある。日帝権力は、サミット本番には全国から二万人の警察官と海上保安庁を動員して警戒にあたると発表している。集会やデモはどんな手段を使ってでも禁止しようと必死になっている。あらゆる弾圧を打ち破り、戦闘的で大衆的な大デモンストレーションをかちとり、侵略戦争反対・侵略基地撤去、帝国主義強盗どもの沖縄・名護サミット粉砕を全世界に発信しよう。
 この闘いは、日本革命−世界革命を直接切り開く戦略的大きさをもっている。
 沖縄基地は、米帝・米軍にとっては、第二次世界大戦で血を流して奪い取った「戦利品」である。それが今、日帝のアジア勢力圏化を阻止し、朝鮮・中国―アジアへの新たな一大侵略戦争を遂行する戦略上のかなめとなっているのだ。
 日帝は、日米争闘戦の激化の中で帝国主義として生き残るために、現在の力関係のもとでは、日米同盟、日米安保体制の強化という形式をとって、戦争国家への命がけの飛躍をとげる以外ない。だからこそ、そこから生じる全矛盾を沖縄に強制し、半ば国内植民地のように沖縄を差別的に扱うことですべてをのりきろうとしてきている。
 だが、九五年以来の闘いは、沖縄の米軍基地撤去の闘いが、日米安保の矛盾点をつきまくり人民の実力で安保粉砕をかちとるという位置にあることを突き出した。今こそ「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の戦略的総路線の実現に向かって、日帝の危機をとことん促進し、日本革命への大道を切り開こう。

 第4章 女性解放戦線をめぐる闘う新潮流の前進を

 二〇〇〇年国際婦人デーの第三の任務は、連合とその先兵カクマル=JR総連を打倒し、労働運動の新潮流運動の前進のために決起することである。
 日米新安保ガイドライン体制は、女性解放戦線・婦人運動に対しても徹底的な解体・絶滅攻撃として襲いかかってきている。「戦争を二度と繰り返してはならない」と帝国主義者の前に立ちはだかってきた女性たちの運動と組織を葬り去ろうと、国益擁護・祖国防衛の思想のもとに女権拡張論を取り込み、絞め殺そうとしているのである。その最先兵となっているのがJR総連=カクマルである。
 社・共など既成婦人運動やフェミニズムの潮流が闘えなくなった根拠がここにある。
 彼女たちは、ガイドライン体制下の愛国婦人会の現代版ともいうべき攻撃である「男女共同参画社会基本法」を支持し、促進する立場に立っている。「結果の平等でなく機会の均等を」という均等法攻撃にもイデオロギー的に屈服し、労基法改悪、派遣法改悪に手を貸している。そして、天皇制に反対するのではなく「皇位継承権を女性にも認めよ」と主張し、「政党党派を問わず女性議員を」と大阪府知事選では通産官僚の太田房江を推薦するなどの腐敗を一層深めている。
 だが、プロレタリア女性の怒りを押しとどめることはもはや誰にもできない。日帝政府・資本の戦争と大失業の攻撃、女性差別・抑圧と分断・支配・動員の攻撃は耐え難いものになってきているのだ。九九年、明らかに情勢は一変した。新ガイドラインに反対する百万人署名運動や「日の丸・君が代」との闘い、十一・七労働者集会を始め、女性たちの新たな闘いがいたるところで始まっている。
 問題は誰がこの闘いに責任をもつのかということだ。婦人民主クラブ全国協議会と全国労組交流センター女性部を先頭とした闘う女性たちが、介護保険を始めとした圧倒的多数の労働者人民の「パン」の領域に明快な階級的回答をもって闘えば、その闘いは階級的結集軸を得て、一気に拡大することは間違いない。帝国主義者を立ち往生させることすら可能である。
 その時、女性解放戦線における革命的新潮流が実際の主流派として登場し、それが労働戦線における連合=JR総連打倒の新潮流運動の発展をも一層促進するものとなる。圧倒的なプロレタリア女性は闘いの場を求め、呼びかけを待っているのだ。
 二〇〇〇年国際婦人デーの第四の任務は、労働者細胞建設を基軸に党建設を強力に推進することである。
 今こそ党が自己を確立し、共産主義的政治の全体性をもって労働者階級とプロレタリア女性大衆の中へ入り、とけこみ、ともに呼吸する中で学び、そこで自己を表現し貫く「真の闘う大衆」ともなれる力を培っていくことである。
 反帝国主義・反スターリン主義プロレタリア世界革命の勝利へ、三・八国際婦人デーを革命的女性解放闘争の飛躍をかけて闘い、二十一世紀へ突入しよう。

------------------------TOP---------------------------

週刊『前進』(1947号6面3)

 「日の丸・君が代」反対

 2・11千葉で大集会

 〈投稿〉 T・M

 二月十一日、千葉県高教組の主催で行われた「二・一一『日の丸・君が代』強制反対千葉県民集会」に参加しました。
 集会の始まる前に千葉駅に着くと、駅前から会場の千葉市民会館まで、何十台もの右翼の街宣車両が連なって、「非国民は日本から出ていけ」などと大音響でがなりたてていました。「こんな連中がいると、参加する人がプレッシャーで大変じゃないかな」とちょっと心配しながら会場に入りましたが、中に入ったらもうものすごい熱気。妨害などものともせず、続々と集まっています。
 冒頭、千高教組の本間委員長が発言しました。「『日の丸』をあげない自由、『君が代』を歌わない自由をあらためて確認したい。思想の自由、良心の自由は、なんぴとも侵すことができない永久の権利です。日本は新ガイドライン関連法で、集団的自衛権の壁をのりこえてしまいました。『日の丸・君が代』の法制化は、天皇制の国への逆戻りであり、不敬罪の復活、そして行き着く先は憲法改定です。『教え子を再び戦場に送るな』を合言葉とする組合として、黙って見過ごすことはできません。二月三日に『日の丸・君が代』反対の意見広告を新聞に掲載しましたが、多大な賛同を頂き、また続々と反響が寄せられています。私たちの運動は確かに前進しています」
 続いて大田昌秀・前沖縄県知事が、「沖縄と『日の丸・君が代』」と題して講演しました。大田前知事は、天皇制教育のもとで鉄血勤皇隊の一員として戦争に動員された当事者として、「戦争はある日突然起こるのではありません。日ごろから人間を凶器に変えておく、そのための教育を許してはいけない」と訴え、復帰闘争で「日の丸」を掲げた沖縄県民の思いや、沖縄戦と戦後の沖縄の歴史について、熱弁をふるいました。
 続いて千高教組の各分会が発言。組合丸ごとで「日の丸・君が代」強制に反対するために研修期間を設定し学習会、上映会を積み重ねている分会や、三年生が自分たちで全生徒からアンケートをとり、話し合いを重ね、生徒主体の卒業式を行っている学校など、生き生きとした闘いが報告されました。最後に、参加者が千二百人を超えたこと、意見広告の賛同人も二千四百人を超えたことが報告されました。
 集会後、繁華街を通って千葉駅まで一時間ほどのデモをしました。右翼車両がデモ隊に突っ込んできましたが、デモ参加者はビビるどころかまったく逆に意気高く右翼と対決。脅せば人民は屈すると思っている右翼や権力者には、こんなに誇り高く闘う人たちの思いは絶対にわからないのです。「『日の丸・君が代』強制反対」「教え子を戦場に送らないぞ」と訴えました。
 集会に集まった人たちの思い、闘いの炎は、どんなことがあっても消すことはできません。卒業式、入学式に向けて、さらに頑張りましょう。

------------------------TOP---------------------------