ZENSHIN 2000/07/10(No1964 p08)

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週刊『前進』(1964号1面1)

 国政初挑戦で22,799票獲得

 森自公政権・ファシスト石原伸晃と全面対決

 衆院選決戦の歴史的地平から沖縄サミット粉砕に総決起を

 介護保険廃止の全国運動発展へ

 東京八区(杉並区)における衆議院選挙決戦は、長谷川英憲候補が国政初挑戦で二二、七九九票を獲得した。他候補は、自民党・石原伸晃が一〇五、七七九票、民主党・片山光代が七七、一三二票、日本共産党・山崎和子が三六、五四六票であった。勝利を目指した全党全人民の総決起にもかかわらず当選にいたらなかったことはきわめて残念であり、この上なく悔しい。だがあらためてこの二二、七九九票が杉並区民、革共同と全国の闘う労働者人民の渾身(こんしん)の決起でかちとった得票であることを考えたとき、その意義は計り知れないほど大きい。長谷川候補に投じられた一票一票は本当に価値ある重いものである。わが革共同は、今回の衆院選決戦を戦後最大の政治決戦として闘いぬき、敢然と国政の場に挑戦して本格的な労働者人民の党への飛躍の突破口を開いた。われわれはこの点について確固たる確信を持ち、これからさらに開始した蜂起戦を断固として貫く。勝負はこれからである。森・自公政権打倒の闘いと介護保険廃止の住民運動を発展させ、民主党や日本共産党に代わる真の野党、真の労働者人民の党として飛躍する決意である。

 第1章 民主と共産の屈服のりこえ闘う労働者党への地歩築く

 わが革共同は、衆院選決戦、沖縄サミット粉砕決戦、戦闘的労働組合の総結集で新潮流運動の爆発的発展をかちとるという二〇〇〇年の三大決戦の中で、衆院選決戦を戦後最大の階級決戦、政治決戦として位置づけて闘い抜いてきた。昨年夏、衆議院選挙への挑戦を決定して以来、長谷川英憲候補を先頭に全党全人民の総力をあげて必勝を期して闘い抜いてきた。
 日本帝国主義は、米帝の対日争闘戦と朝鮮・中国侵略戦争策動の本格的な激化の中で深刻な政治危機を爆発させてきた。日帝はその絶望的突破をかけて、自自公翼賛体制を形成し、周辺事態法(新ガイドライン関連法)の強行以来、国旗・国歌法の強行を始め、組織的犯罪対策三法、団体規制法=第二破防法、あるいは産業再生法や労働法制の改悪によって資本の救済のために労働者人民に一切の犠牲を転嫁する大反動攻撃を強行してきた。今回の衆議院選挙は、日帝がその政治危機を超反動的に突破し、沖縄サミットの強行からさらに有事立法・改憲、朝鮮・中国―アジア侵略戦争参戦へと突き進む巨大な反動攻撃そのものとしてかけられてきたものであった。
 だが、労働法制の改悪や首切り・リストラ、福祉の切り捨て、社会保障の全面解体を始め、一切の犠牲を労働者階級に転嫁しようとする攻撃に対して、さらには侵略と戦争に突進しようとする攻撃に対して、労働者人民の怒りは極限的に高まっている。
 革共同は、日本の政治が、階級闘争の現状が、確実に新しい局面に突入していることを肌身で感じ、党の総力をあげてこの政治決戦に決起した。われわれにはその中で労働者人民とともにこの反動攻撃をうち砕き、階級闘争の新たな段階を切り開くことが求められていた。この状況の中で、今回の総選挙では森・自公(保)政権にノーをたたきつけ、政権からたたき落とすことが求められていた。何よりも、自公のファシスト先兵である石原慎太郎と伸晃の打倒が求められていたのである。
 だが、自公(保)与党三党に対して労働者人民の怒りがわき上がっているにもかかわらず、民主党や日本共産党の野党が総屈服し翼賛化し、真の野党が存在しないということに労働者人民の怒りと苦悩があった。
 わが革共同は、ここで敢然と名乗りを上げ、国政選挙に初挑戦し、文字どおり全党全人民の総力をあげた蜂起戦として闘い抜いた。勝利を求めて持てる力をすべて出し切って闘い抜いたのである。
 結果は確かに厳しいものであった。しかし、二二、七九九票という得票は、われわれが転向と総屈服の日共や民主党をのりこえて、あくまでも自公政権打倒、ファシスト石原伸晃打倒を真っ向から掲げ、闘って、闘って、闘い抜いてかちとった得票である。介護保険闘争を大衆闘争として爆発させ、住民の怒りを解き放つ中で獲得した、重く価値ある一票一票である。
 とりわけ、小選挙区制という革命党や小政党にきわめて不利な選挙制度の中で、それと敢然と闘い抜いた。小選挙区制は、本質的にブルジョア独裁を貫き、革命党の登場を阻止する目的を持ったものであり、きわめて不公平で反民主主義的な選挙制度である。さらには警察権力の長谷川事務所や区民宅への度重なる家宅捜索攻撃などの弾圧と反動キャンペーンを打ち破って、この二二、七九九票という得票をかちとったのである。
 そうした点からいえば、この二二、七九九票という得票には大きな重みと価値があり、長谷川候補と都政を革新する会と革共同が、「真の野党」として社会的登場をかちとったということにきわめて大きな意義があるのだ。革共同が、本格的な労働者住民に根ざした党としての第一歩をかちとったということが確信を持って言えるのである。
 今回の総選挙の結果全体を見るならば、自公(保)与党三党への労働者人民の怒りは強く、かろうじて安定多数を確保したとはいえ、与党三党で六十五議席も減らし、自民党だけでも三十八議席減という大敗北であった。
 しかし、改憲の党である民主党は、課税最低限の引き下げや福祉切り捨てなど自民党以上に労働者民衆からの収奪を強める政策を打ち出し、その反労働者性、反人民性をあらわにした。
 さらに日共は、民主党を中心とした政権参加への願望のために転向と裏切りを重ねた。介護保険賛成に転向し、消費税率引き下げのスローガンをおろし、有事には日帝が自衛隊を使って戦争することを認めるという大裏切りを行った。
 こうした中で自公政権に怒る労働者人民は、投票すべき野党が存在しないという状況を突きつけられ、これだけ森・自公政権への怒りが強いにもかかわらず、多くの労働者人民が今回も投票を棄権するという事態となって現れた。したがって、民主党は議席を伸ばしたとはいえ百二十七議席にとどまった。しかも民主党の一定の議席増は、自公政権に対するアンチとして選択された結果にすぎない。さらに転向と変質の日共は大きく議席を減らすという敗北を喫したのである。
 この選挙結果は、自公(保)がかろうじて安定多数を得たことをもって、森・自公政権が信任され、有権者が「変化を望まなかった」というようなものではまったくない。
 大都市を中心に自民党の大物がバタバタと落選し、比例区で民主党が自民党を上回ったことなどに示されるように、労働者人民は明白に自公政権にノーを突きつけたのである。
 野党性すら喪失した民主党や日本共産党の総屈服と無力化、そして小選挙区制自体の反革命性に助けられて、「与野党逆転」がまぬがれたというにすぎないのだ。しかも総選挙の結果を経て、日帝の体制的危機、政治的危機はむしろ一層激化していく。
 階級決戦、政治決戦の決着はまったくついていない。階級情勢は一九三〇年代的な内乱的激突を一層強めていく。「連帯し侵略を内乱へ」の旗のもとに、〈党の蜂起〉と〈大衆の蜂起〉を正しく結合し、反ファシストの統一戦線を発展させ、絶望的危機にのたうち凶暴化する帝国主義を打倒し、労働者人民の勝利を切り開くために、いよいよ奮闘し闘いぬく時である。
 衆院選決戦への総決起から、森・自公政権打倒へ新たな進撃を開始しよう。

 第2章 介護と福祉要求し始まった自主的な住民運動の感動性

 今回の衆院選決戦で切り開いた地平はきわめて大きく歴史的なものである。われわれは圧倒的な確信を持ってこの点を確認することができる。
 衆院選決戦においてわれわれは、介護保険制度絶対反対の闘いを大衆闘争、住民運動として全力で取り組んできた。日帝が、労働者人民を食べさせていくことができないと反革命的に宣言し、大失業と福祉切り捨てと社会保障の全面的解体の攻撃をかけてきている中で、われわれは、労働者人民、労働者家族の生きる権利、いのちの要求として介護保険の廃止を訴え、多くの住民の力強い共感を得て、短期間のうちに自主的で大衆的な住民の決起が開始されたのである。
 九七年のアジア経済危機、日帝経済危機による二九年型世界大恐慌過程への突入は、バブル崩壊以降の経済危機に苦しむ日帝経済を深刻な恐慌状態の中にたたき込んだ。これに対して日帝・小渕政権は、膨大な国債の垂れ流しにより景気対策と称して大企業救済、金融危機突破のための財政資金をつぎ込んできた。それによって国家と地方財政の借金が合わせて六百四十五兆円を超えるにいたったのである。
 日帝は今、朝鮮・中国侵略戦争への参戦のために、あるいは追加的な景気対策のために、労働者人民への収奪と大増税を強めようとしている。消費税率の大幅アップや社会保障の全面的な解体が策動されている。
 介護保険制度の導入は、日帝が介護・福祉のための支出を大幅に削減し、保険料という形で労働者人民に大増税を強制し、他方で福祉は根本から切り捨てるものである。そして従来は公費負担で行われていた介護を民間ビジネスにゆだね、利用者から一割の利用料を徴収することによって金のないものからは介護を奪う攻撃としてかけられてきた。介護保険の導入は、医療や年金を始めとした社会保障全体を解体していく突破口として位置づけられたものである。それはまさに金のない高齢者、プロレタリア家族に対して“死ね”というに等しい攻撃である。
 われわれは、本格的な労働者人民の党への飛躍をかけて衆院選決戦に断固として決起し、しかも絶対必勝を目指して闘うことを決断することによって、労働者人民のあらゆる生活の領域を対象化し、それを階級闘争・革命運動全体の関係の中で明らかにし、労働者住民の要求を革命的に貫く立場で闘った。その中から〈平和・くらし・福祉・教育・いのち〉として選挙綱領・公約をまとめた。とりわけ介護・福祉の問題を、労働者とその家族の生きる権利、いのちの問題として据えきり、プロレタリア革命の綱領的・戦略的課題として位置づけたのである。そして、介護保険廃止の闘いを全力で全面的に訴えることをとおして、高齢者を始めとした住民の力強い自己解放的決起がかちとられたのである。
 今、日本の労働者人民によって強く求められているのは、日帝経済危機の深刻化と自民党を中心とした支配階級による労働者人民への戦争と大失業と福祉切り捨ての攻撃に対して、この時代を打ち破る新しい潮流、新しい政党、新しい労働者人民の党である。
 長谷川候補と都革新を先頭に、今回の衆院選決戦においてわれわれは介護保険廃止の闘いを大衆闘争として組織し、自公政権とファシスト石原伸晃に真っ向から対決して闘う新しい理念、まったく新しい考え方、方法を持っている政治勢力として登場したのである。それは、一言でいえば、住民・労働者人民の怒りと要求を、民衆自身の自己解放的な決起、大衆闘争として組織し創造したということである。
 今までのすべての野党が労働者民衆に失望しか生み出さず、民衆から見放されているのは、この原理を否定しているからだ。大衆闘争を真正面から組織し、そうした民衆の闘いと結合して日帝の反動攻撃を打ち破ろうとする政党が存在しないということに、労働者民衆にとって現在の時代の閉塞(へいそく)感がある。
 長谷川候補と都革新、そして革共同は、今回の衆院選で、民衆が立ち上がって要求を主張し反動を粉砕する闘いと結合し、民衆自身の自己解放運動を原理とする政党、その先頭に立つ政党として登場したのである。この力こそ、時代を変え、歴史を切り開く力なのである。われわれは、今回の衆院選決戦を真の意味で
 8面につづく〜1面からつづく
路線的・綱領的実践として闘ったのである。
 介護保険制度絶対反対、福祉と介護を取り戻す闘いを、このような綱領的・路線的実践として闘い、その爆発をかちとったのであり、その意義は計り知れないほど大きい。短期間のうちに直接的に衆院選勝利に結びつくまでにはいたらなかったとはいえ、数カ月の苦闘の中で千人になんなんとする会員の“いのちの叫び”として「介護と福祉を要求する杉並住民の会」が結成され、長谷川候補の当選へ先頭に立って闘うという決起がかちとられたのである。
 われわれは、今回の衆院選で党的力量や選挙闘争戦術などでの飛躍の必要性と同時に、労働者住民自身の大衆闘争の爆発をかちとり、それと結びついて選挙戦を闘うという、既成の党派をうち倒して勝利していく戦略的方向性をはっきりとつかんだのである。
 われわれは、衆院選で掲げた“公約”を断固として果たすために、こうした住民決起と固く結びながら、介護保険制度廃止まで全力をあげて闘うこと、住民運動を全国的運動として発展させていくことを誓う。この介護保険制度廃止の闘いの中に、革命党が労働者住民と結びついていく巨大な水路があるのだ。またそこに革命的議会主義を豊かに発展させていく道が切り開かれているのである。

 第3章 自公政権とファシスト石原の戦争政治うち破る決戦へ

 われわれは今回の衆院選への挑戦で開始した蜂起を断固として貫き、次なる挑戦で必ず勝利する決意である。そして今回の衆院選でその勝利への確固とした歴史的地平を切り開いたのである。
 今回の衆院選の結果、日帝の体制的危機、政治危機はますます深まった。何よりも、森・自公政権に対する労働者人民の怒りがますます高まっている現実が日帝に突きつけられている。今後さらなる経済危機・政治危機の激化、帝国主義間争闘戦の激化の中で日帝を根底から揺るがす階級的激動は不可避である。森・自公政権とファシスト石原都政による新ガイドライン発動のための有事立法・改憲攻撃、九・三治安出動演習、リストラ、福祉切捨て攻撃と闘い、石原親子を先頭とするファシストの台頭を粉砕する闘いに総決起しなければならない。
 森・自公政権を絶対に打倒し、階級決戦をさらに貫き、一九三〇年代的な内乱的階級激突になんとしても勝利しなければならない。今こそ革命党=革共同の大飛躍の時である。
 われわれは、今回の衆院選決戦で切り開いた労働者人民自身の自己解放性を原理とした運動の本格的形成、党と大衆の生きた交通関係・結合をさらに発展させていく。本格的な労働者人民の党の建設を断固として推進する。労働者階級の台頭と大衆的決起、これこそ帝国主義とファシストがもっとも恐怖し、ファシストとの闘いを勝利に導く大道である。
 直接的には、〈平和・くらし・福祉・教育・いのち〉の公約を全面的に実行していく。何よりも、介護保険制度廃止の住民運動、大衆闘争の発展、社会保障制度解体攻撃との闘いの全面的発展をかちとることである。「労働者の中へ」をさらに推進し、階級的労働運動の前進のために全力で決起する。
 さらにファシスト石原打倒をますます高く掲げて、労働運動、地域活動での実践を直ちに開始する。こうした闘いをとおして開始した蜂起戦を断固として貫き、次なる挑戦で絶対に勝利する決意である。

 第4章 戦争と沖縄圧殺のサミット粉砕する戦闘的な大デモを

 戦後世界体制は、ソ連スターリン主義の崩壊のもとで帝国主義の基本矛盾の全面的爆発の時代が到来し、帝国主義の分裂とブロック化、帝国主義間争闘戦の激化の時代が到来している。その中で九七年アジア経済危機、日帝経済危機によって二九年型世界大恐慌の過程へと完全に突入している。すでにアメリカ経済のバブルは確実に崩壊を開始しており、世界全体を覆い尽くす大恐慌が完全に不可避となっている。
 帝国主義のもとで収奪、抑圧されてきた新植民地主義体制諸国がこの帝国主義世界経済危機に直撃されて塗炭の苦しみにたたき込まれ、その中で民族的決起が澎湃(ほうはい)とまき起こり、民族解放・革命戦争的決起として爆発しようとしている。
 帝国主義世界支配体制の危機は、アジアを始めとして帝国主義間争闘戦が軍事的対立を含んだものとしてますます深まっていく情勢を進行させている。その最大の帝国主義間争闘戦として日米争闘戦が激しく進行し、それが朝鮮・中国―アジア侵略戦争を歴史的に切迫させているのである。
 南北朝鮮首脳会談の本質は、双方の体制の延命、南北分断体制の延命のための政治的な協商である。だがそれは双方の思惑をも超えて、東アジアにおける戦後体制の崩壊と米日帝の朝鮮・中国侵略戦争の歴史的切迫を激しく促進せざるを得ない。そして同時に、それ自身が南北朝鮮人民の南北分断打破・革命的統一への決起の弁を開いた。統一を求める朝鮮人民の巨大なエネルギーは、南北の政権の抑圧と裏切りを打ち破り、巨大な奔流となって爆発することは不可避だ。
 このような中で日帝は、沖縄圧殺の帝国主義の戦争会議=沖縄サミットに全力をあげようとしている。米日帝が朝鮮・中国―アジア侵略戦争へと突進しようとする歴史的攻撃を絶対に粉砕する必要がある。
 われわれは、衆院選決戦の切り開いた歴史的な地平を引き継ぎ、七・一国労臨大をめぐる国鉄決戦への決起を引き継いで、直ちに沖縄サミット粉砕決戦に全力で決起しなければならない。サミット会場に向かう戦闘的大デモンストレーションを爆発させ、帝国主義の戦争会議を粉砕せよ!
 衆院選決戦が切り開いた森・自公政権打倒の闘いを二〇〇〇年決戦の一層の爆発と勝利で前進させよう。
 党建設の闘いとして、夏期一時金カンパ闘争と機関紙拡大闘争に全力をあげよう。七・三〇東京(千代田公会堂)―八・五関西革共同政治集会の大成功に向け闘い抜こう。

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週刊『前進』(1964号2面1)

 自公政治ノー・介護保険廃止の旋風

 22、799票土台に次の闘いへ

 長谷川英憲さんが決意語る

 真の野党の登場かけ闘った介 護保険廃止へ全力尽くす

 長谷川英憲候補を押し立てて国政に挑戦し全力で闘い抜かれた衆院選決戦は、巨大な地平を切り開いた。長谷川さんに、その総括と、次の闘いへの決意を語ってもらった。(編集局)

 森・石原打倒を真正面に掲げ

 今回、国政に初挑戦し、全力で闘い抜きました。ご支援をいただいた皆さんに心からお礼申し上げます。
 あくまでも石原伸晃候補打倒をめざして総選挙を闘ったわけですから、結果については本当に悔しい思いです。特に、介護保険闘争を闘う住民の皆さんの思いにこたえきれなかったことは残念でなりません。
 しかし、総選挙という一大政治決戦を皆さんとともに総力でやり抜いたという実感、充実感は全身で感じています。開始した蜂起を最後までやり抜き、自民党・石原伸晃氏打倒まで闘う決意をまず明らかにしておきたいと思います。
 今度の総選挙では、深刻な内外危機の中でますます反動化する森・自公保政権を打倒することが求められていました。森政権は、「天皇を中心とする神の国」などの暴言を繰り返しながら、小渕政権以上の反動性で、戦争のできる国への飛躍と、一大資本攻勢を押し貫こうとしています。
 これと本当に対決する野党、真の野党の登場が求められた。私たちはそれをかけて全力で闘い、大きな成果をつくり出しました。
 既成の野党はますます野党性を失っている。総選挙の過程で、日本共産党は「有事の際には自衛隊の使用を認める」と言い出した。「政権与党に入れば安保を認める」というところから、ついに実際の戦争を認めるところに行き着いた。民主党は改憲を主張する政党であり、低所得者への大増税を唱えるに至っている。民主党はもとより共産党も、もはや決定的に体制内化しています。
 私たちは、森・自公政権打倒、自民党・石原伸晃候補打倒を鮮明に打ち出し、正面きって対決しました。民主党、共産党は石原打倒ということはおくびにも出さなかった。私たちだけが、東京八区で権力を争い、自民党を打倒する立場をはっきりと打ち出して闘ったのです。
 この闘いが、初めての総選挙への挑戦で二二、七九九票の熱い支持を獲得した。私たちが真の野党としての登場を果たしたこと、これが総選挙決戦の大きな成果です。

 住民の自主的決起切り開く

 総選挙への挑戦をとおして、介護保険闘争の大衆的な爆発の道を切り開くことができました。
 介護と福祉を要求する杉並住民の会の自主的な決起と結んで、その人たちの要求を実現する政党、候補として立つことができた。
 真の野党と言う場合、一番大きな問題は、民衆の決起を確信することができるのかどうかなんです。正しい主張をすることと同時に、その主張を民衆が自分の要求としてとらえて自主的に決起することへの確信を持つ。民衆は、いのちの要求のもとに団結し、組織をつくり、運動を起こし、自分たちの勝利のために全力を尽くす。それを信頼し、確信を持って闘うのが真の野党の条件です。
 実際に、介護保険闘争として大衆的な決起が杉並で開始された。だから私は、「真の野党の登場」ということを、迫力を持って、現実の裏付けに支えられて訴えることができました。
 選挙戦の最終日に、住民の会の人たち数十人がたすきを掛けて駅頭に並んで訴えた。この姿は、大衆闘争がどれだけ勇気をみんなに与えるかを示したと思います。聴衆にも自己変革を迫るものでした。私たちの後に阿佐ケ谷駅で街頭演説をした石原陣営に動員されて来ていた人の中からも、「石原支持から長谷川支持に変えました」という人が出てきたんです。大衆的な決起の力が、こういう事態を生み出している。
 衆院選は誰が権力を握るかを決める選挙ですから、「長谷川の政権構想は何か」が問われました。私の政権構想は、こういう大衆の闘いと結び、全国に広げて、労働者住民の権力を打ち立てるということです。
 これは誇張でもなんでもない。実際に、革命的議会主義の挑戦を何度も繰り返して、ついには大衆的な蜂起で権力を打倒する。だから、開始した蜂起はやり通さなければならない。その第一歩を切り開いた。二二、七九九票を獲得して真の野党として登場し、大衆運動も形成した。
 住民の会の運動を杉並から開始した以上、介護保険廃止まで闘わなければなりません。まず杉並でこの運動を大きく強くするとともに、全国に広げて、介護保険廃止の展望を開くことが絶対に必要です。
 自主的な住民運動として、いのちの要求を掲げ、団結して運動をつくりあげていくという点でも、まさにこれからが正念場です。
 住民の会は、これからさらに地域に根ざした運動を広げていこうとしています。そういう運動が始まっていることに大きな可能性があるし、私たちにとっての試練もある。運動を全国に広げなければ要求は実現できませんが、介護保険制度の破綻(はたん)性も明白にある。実際に全国的な闘争になれば、廃止に追い込む可能性も出てきます。
 また、住民の会の運動は階級の最も基礎的な団結をつくり出す闘いです。今回私は多くの労働組合の推薦と労働者の昼夜を分かたぬ支援をいただきましたが、福祉の問題をも正面課題として取り組む闘う労働運動をつくり出すために、奮闘したいと思います。

 次には必ず石原氏を倒す

 総選挙に挑戦すると決断したことの意義とすさまじさを、選挙戦を闘い抜いてあらためて実感しています。この挑戦を避けて、革命的議会主義を貫いたとは言えません。
 小選挙区制とは、小政党にあらかじめ立候補を断念させる制度なんです。一人しか当選できないわけだから、大衆的な決起の可能性を確信して、自民党を倒すという目標を立てない限り挑戦できないわけです。
 今回、その地域の主流派を決める性格を持つ選挙で、真の野党、権力と真正面から対決して大衆の力でそれを打倒する野党として自らを押し出して闘った。
 国政選挙は、まったくゼロからの闘いでした。前回の選挙では、長谷川と書いた人は一人もいない。そこから始めて、二二、七九九票をかちとった。
 これを土台にして、二十一世紀の政治選択、党派選択を問いかけていく。
 石原陣営は、私たちを敵として認識して構え直したと思います。石原都知事や石原伸晃氏らのファシスト勢力の台頭を許さない闘いは、総選挙の後が大事です。九・三自衛隊治安出動演習で、自衛隊は朝鮮人・中国人・アジア人民をせん滅する軍隊として登場しようとしている。九・三の闘いはきわめて重要です。
 沖縄の選挙結果も、名護新基地反対という住民の声の勝利を示しています。
 総選挙に挑戦して切り開いたものは、沖縄サミット粉砕決戦、国鉄決戦を始めとする闘う労働運動の全国ネットワークをつくり出す闘いに直結している。これらの闘いを全力で闘って、次回は必ず石原伸晃氏を倒して勝利する決意です。

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週刊『前進』(1964号2面2)

 阿佐ヶ谷・高円寺両駅で大街宣

 「いのちの叫びを国会に」

 「住民の会」も懸命に支持訴え

 長谷川英憲候補は、衆院選決戦を全力で闘い抜き、国政への初挑戦で二二、七九九票を獲得した。
 森・自公政権ノー、介護保険廃止、「いのちの叫びを国政に」と訴える長谷川候補の政策は、多くの区民の心をとらえた。介護と福祉を要求する杉並住民の会の自己解放的な決起が、長谷川候補の闘いと緊密に結びつき、住民自身の真の代表として長谷川候補を国政に送ろうという自主的な運動が力強く展開された。
 住民の会は、地域で網の目のように集会を行い、着実に長谷川支持を拡大した。住民自身が先頭に立って選挙戦を闘った。
 長谷川陣営は、候補者を先頭に連日の激闘を闘い抜いた。杉並の商店街の隅々を、「自公にノー」「介護保険はただちに廃止」と書かれたのぼりを立てて、運動員が練り歩いた。長谷川候補の宣伝カーは、区内を駆けめぐり、声を限りに長谷川支持を訴えた。
 有権者の一人ひとり、地域の一軒一軒にビラが配られ、支持を訴えた。
 こうした闘いの一つひとつが、既成政党との激しいぶつかり合いの中で貫かれた。長谷川候補に寄せられた二二、七九九票は、その一票一票がいのちの叫びであり、既成政党を見限っての本当に価値のある重い選択なのである。
 国政に初挑戦し、総力を挙げて闘い抜いて、“真の野党”の登場へ、歴史的な地平を切り開いたのだ。

 駅頭埋めた白いタスキ

 自民党のファシスト石原伸晃と全面対決した長谷川陣営の闘いは、杉並全区に大きな旋風を巻き起こした。長谷川候補の演説は街頭を熱く塗り替えた。
 選挙戦最終日の二十四日夕方、長谷川候補は阿佐ケ谷駅南口と高円寺南口で最後の訴えを行った。
 午後五時二十分、長谷川候補の宣伝カーが阿佐ケ谷駅南口に到着すると、集まった支持者から大きな歓声と拍手がわき起こった。
 介護と福祉を要求する杉並住民の会の会員が、「介護保険は廃止に」「いのちの叫びを国政に」と書かれた白いたすきを身につけて駅頭に勢ぞろいした。民衆の生きるための要求と闘いこそが、長谷川候補を押し上げた力であった。駅頭を埋めた住民の会の姿は、長谷川候補が民衆と最も奥深く結びついた候補者であることを鮮やかに示した。
 長谷川候補がマイクを握り、力を込めて訴えた。
 「自民党を中心とする三年八カ月の悪政に皆さんが審判を下す重大な選挙です。皆さんの自公政権への怒りをひしひしと感じています。皆さんは今、必死になって自分の一票で政治を変えようと考えている。しかし、自民党の政治に一矢(いっし)報いるための野党がいない。だが、この八区は違います。自民党と徹底的に対決してこれを倒す気概のない政党に取って代わって、この長谷川が石原伸晃候補と真正面から闘いを挑んできました」
 「自民党の悪政、福祉と介護の切り捨てによって高齢者が自ら命を絶っている。働く人にとっても、失業率は最悪だ。石原さんはこの悪政に賛成しろと言っている。どうしてそんなことができるでしょうか。福祉の切り捨てに怒りをもって立ち上がった住民の会の皆さんの運動こそ、福祉を取り戻し政治を変える力です。長谷川には、石原候補のように金も地盤も看板もタレントの力もありません。しかし、私には石原さんにないものがある。それは住民の力です。いのちの一票を長谷川に、杉並から自民党を打ち破る大きな流れをつくり出しましょう」
 「石原伸晃候補と真正面から対決することが東京八区の選挙戦の核心です。自民党ノー、石原ノーの気持ちをしっかり形に表そう。石原さんと決めた人も考え直してほしい。石原さんについていったら二十一世紀は真っ暗です。彼は神道政治連盟の一員です。森首相と一緒になって『天皇中心の神の国』を実現しようとしている人です。『三国人』という差別暴言を繰り返し『自衛隊は国軍たれ』という石原知事とともに、東京から日本を変えると言っている。長谷川は、石原さんを倒して、平和のために全力を尽くします」
 演説を終えた長谷川候補は、住民の会の人びとの中に分け入り、一人ひとりと固い握手を交わした。
 長谷川候補の演説に多くの区民が足を止めた。次第に聴衆の数が増えていく。ビラを配布していた長谷川陣営の運動員と熱心に討論する区民の姿も見られた。
 住民の会の人びとが宣伝カーの前に並んだ。一人ひとりの表情に、人生をかけて決起し、全力で闘い抜いている自信と解放感があふれている。
 住民の会の世話人が応援演説を行った。「私がここに立ったのは、今の政治があまりにひどい、むごい、汚いからです。政府は、福祉に予算をたくさん出しているからもういいと言って介護保険を導入した。しかし、日本は私たちがつくり出した国民総生産の一一%しか福祉に回していない。政府は、思いやり予算と言って米軍へ軍事援助している。このことに憤りを覚える。私たちは、選挙が終わっても運動を長く続ける」
 続いて、住民の会の人びとが次々にマイクを握り、「フレーフレー長谷川」と長谷川候補にエールを送った。住民自身の自発的な決起を生み出した今回の選挙戦を象徴する、実に感動的な場面だった。

 石原支持やめ長谷川に

 東大阪から、部落解放同盟全国連委員長で東大阪市議の瀬川博さんが応援演説に駆けつけた。瀬川さんは、「日本の政治は戦争に進んでいる。森首相や石原知事の差別暴言は絶対に許せない。長谷川さんは横暴な政府に対して堂々とものを言える人だ。森首相は『まだ決めていない人は寝ていればいい』と言ったが、みんな起きて、あす投票に行って長谷川と書いて下さい」と熱を込めて呼びかけた。
 都革新後援会の会長は、「石原候補は前回の選挙で消費税を見直すと言って五%に上げた。今度は『強い意志で財政再建』と言っているが、それは七%に上げるということだ。そんな『強い意志』など持ってほしくない。自民党を打ち倒そう。長谷川を国政に送って下さい」と訴えた。
 三一書房労組の三角忠委員長は、「たった一人でも労働者の叫びを体現する議員を生み出すことが、戦争と大増税に向かう政治を阻む第一歩。福祉を切り捨てる政治は、お年寄りに死ねと言うだけでなく、若者を戦争に駆り出すものだ。リストラと闘う労働者として訴えます。長谷川への一票でこの世の中を変えよう」と声を張り上げた。
 西村綾子相模原市議は「労働者住民を代表する政党がなくなった今、長谷川さんを国会に」と訴え、結柴誠一杉並区議は、「あとひと押し、あとふた押し。最後の力を振り絞って石原候補を倒し、なんとしても勝利しよう」と訴えた。
 支持者から、「長谷川頑張れ」「石原に負けるな」という大きな激励の声が上がった。
 午後七時、長谷川候補は地元・高円寺で最後の訴えを行った。住民の会を先頭に、多くの支持者が高円寺駅南口を埋めた。若者のグループが「介護保険ノー」「石原ノー」と歌って長谷川候補を応援した。
 長谷川候補が、声をからして訴えた。
 「選挙戦を闘い抜き、大きな手ごたえを感じている。しかし、相手は現職の石原候補です。必死に追いかけなければなりません。この選挙は、長谷川か石原かの対決です。いのちとくらしを守ろう、いのちのネットワークを張り巡らそうと立ち上がった住民の会の皆さん、こういう住民の運動、住民の団結こそが政治を変える力です。私はこの力を何よりも大切にし、この運動を全国に広げたい。私は、こうした新しい力を解き放つために選挙に打って出ました」
 「民主党も共産党も福祉の問題では自民党と一緒です。彼らは石原候補を倒そうと思っていない。これでは政治は変えられない。私は住民の会の皆さんと力を合わせて福祉とくらしを取り戻します。なんとしても勝たせて下さい」
 小雨の降りしきる中、支持者は真剣に長谷川候補の演説に聴き入った。多くの区民も、足を止め演説に耳を傾けた。
 演説を終えた長谷川候補が聴衆に分け入ると、一人の区民が長谷川候補に駆け寄った。「私は石原さんに投票しようと思っていたけれど、さっきの話を聞いて長谷川さんに変えたんですよ」と言って、長谷川候補と固く握手を交わした。長谷川候補の後に阿佐ケ谷で演説会を予定していた石原陣営に動員されてやって来たが、長谷川候補の演説を聞いて考えを変えた、演説をもっと聞きたくて阿佐ケ谷から高円寺まで足を運んだという。
 長谷川候補の街頭演説は、民衆の心を根底から揺さぶり、最も奥深いところで民衆の支持を獲得していったのだ。
 住民の会の会員が次々と応援演説を行った。住民の会の会長は、「私たちは自信を持って住民の会の名乗りを上げた。老人は元気を出そう。みんなが元気を出そう。私たちの世の中です。権力をかさにきる石原候補ではなく、長谷川さんを国政に」と力強く呼びかけた。
 ある会員は、「住民の会という素晴らしい会ができ、長谷川さんが手をさしのべてくれた。介護保険でどれだけの犠牲が出ているのか。福祉を削って戦費に回す悪政を進める政府の代表・石原候補に入れてはならない。迷うことなく長谷川に」と訴えた。
 「私たちは長谷川さんに願いを託した。ぜひ当選させたくて、みんなで駆けつけた」「明日はどうか長谷川さんを当選させていただきたい。長谷川さんが国会に出なければ高齢者、『障害者』、労働者の声は政治に届かない」という住民の訴えが続いた。
 都革新後援会の会長や三角忠三一書房労組委員長、国賀祥司泉佐野市議、西村綾子相模原市議、新城節子、結柴誠一両杉並区議も、全力で長谷川候補への支持を訴えた。
 住民の会の人びとが、「フレーフレー長谷川」と声援。聴衆から「石原倒せ」の声が上がった。若者たちも「長谷川さん頑張れ」と大きく手を振った。

 ゛演説聞いて希望湧く゛

 長谷川候補の闘いは、民衆に大きな自信を与えている。当選に届かなかったとはいえ、長谷川陣営の必死の闘いと訴えは、労働者民衆に「悪政の限りをつくす自公政権は民衆の力で倒すことができる。その力は私たちの中にある」という自覚を、深く、幅広く呼び覚ましているのである。
 投票日当日、都革新事務所に長谷川候補に票を投じた一人の区民からファックスが送られた。「早速、投票へ行ってきました! 先日、JR西荻窪駅での演説を聞いて希望が湧きました。何を信じて良いかわからない日本社会にあなたのような政治家がいた事、お会いできた事がうれしかったです。一人一人の一票が集まって大きな力になるのを祈っています」
 選挙後、区民からは「結果は残念だが、闘いはこれからだ」「介護保険廃止の闘いは今からが本番だ」「今度こそ石原を倒してほしい」という声が続々と寄せられている。
 長谷川候補に票を投じた一人ひとりの区民が、悔しさをかみしめつつも、次の闘いを決意しているのだ。
 二二、七九九票の負託にこたえ、「真の野党」として今こそ奮起することが鋭く突きつけられている。沖縄サミット粉砕決戦、国鉄決戦勝利を始めとする闘う労働運動の新潮流形成の闘い、九・三自衛隊治安出動演習阻止闘争に全力で決起し、森・自公政権打倒、ファシスト石原都政打倒へさらに闘い抜こう。

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週刊『前進』(1964号3面1)

 6・23沖縄反サミット訴えデモ

 ”名護新基地許すな”

 「慰霊の日」に反戦の誓い

 六月二十三日、糸満市摩文仁で開かれた沖縄県主催の全戦没者追悼式であいさつに立った森に、参列者から「『神の国』発言で安らかに眠れないぞ!」と、沖縄の怒りがたたきつけられた。その午後、森は「英霊のみ霊に哀悼をささげた」とうそぶいた。他方、県の招きで在沖米軍トップ、四軍調整官が初めて追悼式に出席した。また、同日午前より米軍はキャンプ・ハンセンで激しい実弾演習を繰り広げ、山火事を発生させた。七月沖縄サミット粉砕は全人民の課題である。こうした中で、沖縄人民の米軍基地撤去、名護新基地建設絶対反対の思いは、六・二五総選挙で普天間基地県内移設反対を公約に掲げた候補の圧勝に結実した(沖縄三区)。六月二十三日、沖縄現地の闘いを取材した。(本紙・室田順子)

  “G8いらないよ”那覇国際通りに響く 

 六月二十三日夕、那覇市牧志公園で沖縄サミットに反対する実行委員会(呼びかけ/西尾市郎、知花昌一、島田善次、まよなかしんや、島田正博の各氏)主催の六・二三反サミット反基地行動が闘われた。
 「G8の身がってを許すな! 米軍基地の永久固定化に反対しよう!」の横断幕が掲げられた。集会のオープニングにマヨナカシンヤさんの「G8サミットいらないよ! 沖縄の未来と子どもたちに軍事基地はいらない!」の歌声が響きわたった。
 司会の西尾市郎牧師は、「G8は世界の富を確保する武器輸出国であり、これまで戦争を推し進めてきた国々です。一年前にはコソボに対する空爆がありました。そのG8が来るわけです。そんな中で黙っておれないわれわれは、あるいは少数者かも知れませんが、観察している限りみんなサミットなんて反対なんです。状況を切り開いていく私たち少数者の運動は重要です」とあいさつ。
 呼びかけ人を代表して島田善次さんが緊迫した面持ちで訴えた。「サミットと基地はリンクしないと言っているが、明らかにリンクしている。(県主催の追悼式には)今年から四軍調整官も出てきています。これは沖縄に対する地ならしです。そういう中でサミットを正面から撃つ、批判の声を上げる、行動することです。声を上げない民は滅びる。頑張りましょうよ」
 実行委員会の参加団体から発言が行われた。まず一坪反戦地主会北部ブロックを代表して安次富浩さんが名護の状況を踏まえた報告と決意を語った。
 「名護にヘリ基地を押しつけるためにサミットを部瀬名にもってきている。このG8台風が名護から去った後、次に来るのは普天間基地押しつけだ。私たちは絶対に名護・辺野古への基地押しつけを拒否します。命を守る会はクリントンに普天間基地をアメリカにもって帰ってくれと直訴をする。森首相には安保が必要ならヤマトにもっていきなさい。これが偽らざる心境です」「このサミット期間中に真っ向から闘い、アジアの平和を阻害する米軍基地をなくしていく闘いを進めていきましょう」
 アイヌ民族と連帯する沖縄の会、アジアと連帯する沖縄集会など次々と闘う決意が明らかにされた。
 沖縄労組交流センターの代表は、県主催の追悼式への森参列、米四軍調整官の初の招請を弾劾し、「七月二十日の嘉手納基地包囲闘争をなんとしても成功させ、その力でサミット反対の大きな声を沖縄から上げていこう。アジア人民との連帯をかけて全力で頑張ろう」と力強く訴えた。
 最後にシュプレヒコールを上げて国際通りへデモは出発した。ギターを抱えたマヨナカシンヤさんが歌でデモ隊を引っ張る。私服警官による不当な弾圧を一切許さず、元気なデモが進んだ。混み合う沿道から少年たちが手を振って声援。六十人ほどのデモ隊が大きな存在感をアピールした。
 デモ終点の県庁前で、西尾さんが「日米政府にだまされちゃならない。沖縄の基地はいらない、米軍基地は出ていけという基地包囲を沖縄の民衆の力で成功させていこう。第三回、第四回に向けて行動を進めていこう」と次の行動を提案し、昼間の国際反戦沖縄集会から引き続いた一日の闘いをしめくくった。

 国際反戦集会開く“連帯し基地なくせ”

 「世界の武器輸出国の首脳たちが、もうすぐこの地に揃(そろ)います。……沖縄戦では武器が『鉄の暴風』となって……二十万余の人たちがその犠牲になりました。その事実を無視しサミットを開催することは、私たちにとってこれほど屈辱的なことはありません」(集会アピールより)
 沖縄戦終結から五十五年目の六月二十三日、沖縄一坪反戦地主会を中心とする実行委員会主催の第一七回国際反戦沖縄集会が糸満市にある「魂魄(こんぱく)の塔」で開かれ、約四百人が集まった。沖縄労組交流センター、全学連現地行動隊は「基地押しつけと戦争のためのサミット反対!」「米軍基地の県内移設反対」ののぼり旗を掲げともに闘いぬいた。
 昼前、灼熱(しゃくねつ)の太陽のもと、ひめゆり公園近くから魂魄の塔まで平和行進し、塔の前で「再び私たちは立ち上がる」と題された集会アピールを糸数慶子さんが読み上げ、参加者全員で黙とうした。
 昼食後、海勢頭豊さんが平和のメッセージを歌い、集会が始まった。冒頭、一フィート運動事務局長の中村文子さんが主催者代表としてあいさつし、「天寿を全うしたいという願望を阻害する最たるものが戦争です。沖縄戦を忘れてはいけない。世界の平和を築くために皆で頑張りましょう」と切々と訴えた。
 「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」とともに参加した韓国、フィリピン、プエルトリコなどの女性たちが、基地と闘う沖縄への熱い共感を表明し、盛んな拍手が送られた。
 辺野古の命を守る会・ジュゴンの会の嘉陽宗義さんは、「朝鮮に何をしたか、中国では南京大虐殺、これを誰がした。日本はまず罪を償うべきだ」と訴え、七月二十一日までにクリントン大統領と森首相あてに請願署名を集めて直訴すると表明。那覇軍港の浦添移設に反対する市民の会、ヘリ基地反対協からの現地報告もあり、平和祈念資料館問題も提起された。
 杉並星野文昭さんを救う会会員の声楽家が星野暁子さんとともに参加し、歌でアピール。さわやかな歌声が風に乗って流れた。
 最後に、一坪反戦地主会の新崎盛暉代表世話人が閉会のあいさつに立ち、「今年の県の慰霊祭にはなんと米軍の四軍調整官が招待され、軍事同盟が登場している。基地の整理・縮小・撤去をめざし、七月二十日に会いましょう」と嘉手納基地包囲闘争を訴えた。
 七月サミット決戦に向かって、沖縄の闘いは確実に熱く燃え始めている。

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週刊『前進』(1964号3面2)

 石原の「9・3防災訓練」=治安出動演習を阻止せよ

 職場・地域から怒りの反撃を

 自衛隊四千〜五千人を動員する九・三「東京都総合防災訓練」が計画され、強行されようとしている。「ビッグレスキュー東京2000〜首都を救え〜」と題したこの演習は、昨年五百人規模の自衛隊が参加して行われた防災訓練とは、質も規模も決定的に異なる治安出動演習そのものである。新ガイドラインを発動し、朝鮮・中国侵略戦争を強行するために、首都を三軍が制圧する戦争訓練を「防災訓練」の名に隠れて強行しようという、かつてない大反革命攻撃である。これに対して、都庁職、練馬区職労などの労働組合が「演習反対」の決議を上げ、闘いは前進している。全都の労働者は職場から地域から反撃に立とう。反対決議を上げ、都・石原に中止要求を突きつけ、九・三演習を絶対に中止に追い込もう。

 防災隠れみのに市街戦演習

 「これは治安訓練ではないのか」という労働組合の追及に対して、石原知事は「治安訓練ではなく、総合防災訓練である」と言い抜けようとしている。だが、それはまったくペテンだ。
 そもそも四月九日の自衛隊式典で、石原は朝鮮人・中国人に対する許しがたい排外主義扇動を行い、その上で自衛隊に向かって「三軍大演習を」「皆さんに出動願って……治安の維持もひとつの大きな目的として遂行していただきたい」と、九・三演習は軍事演習であり、その目的は治安維持にあることをはっきりと述べているのだ。
 さらに演習の中身を検証すれば、軍事演習、治安訓練であることはあまりにも明らかである。
▼動員規模と指揮
 まず、自衛隊の参加人員が四千〜五千人であり、昨年(五百人)の十倍近くである。そして、昨年までは陸海空ばらばらに参加して他機関との連携もなかった。ところが今年は統幕議長が統裁官となって陸海空を統合的に指揮し、そのもとで警察や消防、都庁職員、民間人が動く。
▼反人民的な演習内容
 「目玉となるのはやはり銀座における初動対応訓練でしょう」(鈴木正巳都総務局災害対策部副参事)
 演習内容は銀座の目抜き通りである中央通りを全面的に封鎖し、人も車もシャットアウトする。
 地下通路で有毒ガスが発生したとの想定で、自衛隊の化学防護車が出動する。自衛隊は警察や消防と協力し、ビルの内外や地下通路の被災者を救助する。道路上には自衛隊の装甲車が出動し、障害物などの撤去作業を行う。上空には自衛隊の偵察機やヘリコプターが飛び交い、現場の状況を把握する。
 さらに銀座から目と鼻の先の晴海埠頭では、海上自衛隊の輸送艦による「部隊進出訓練」も行われる。
 銀座は野戦服と、化学戦用の防護服に身を固めた自衛隊員であふれることになる。街には装甲車のキャタピラーの轟音と、ヘリコプターの爆音が響くはずだ。(『週刊宝石』六月二十九日・七月六日合併号より)
 この演習内容を見れば、戦争訓練、治安訓練そのものではないか。
 自衛隊OBは「治安訓練も防災訓練もやることは同じ」「抵抗の少ない防災訓練を隠れみのとすれば、自衛隊は普段はできない市街地訓練を堂々と展開できる」と述べている。(同)
 しかも、このような「初動対応訓練」は銀座だけではない。住宅密集地である荒川区の白鬚(しらひげ)橋周辺、江戸川区葛西でも同様の訓練が行われる。さらに、開業前の地下鉄大江戸線を使って、練馬駐屯地の自衛隊を練馬から江東区木場まで輸送する訓練も行われる。

 パラシュート降下訓練も

 一部の演習計画が都民には公表されていないことが暴露された。左の表を見てほしい。★印の五項目は、都の幹部に配布された資料にのみ記載されていて、ホームページなどで公表した資料には含まれていない。
 「パラシュート降下による偵察活動訓練」などは、到底「防災訓練」とは言えない。しかもパラシュート降下ができる自衛隊の部隊は、習志野の第一空挺団だけだ。この部隊は猛訓練を積んだ「最強の治安部隊」と言われている。
 さらに、江戸川沿いの篠崎会場では、渡河訓練(架橋訓練ではない!)まで計画されている。露骨な戦争訓練そのものではないか。
 実際、石原は次のような発言までしているのだ。
 「三軍を使った災害時の合同大救済訓練をやってもらいたい、東京を舞台に。(中略)それは同時に、北朝鮮とか中国に対するある意味での威圧になる。やるときは日本はすごいことをやるなっていう。だからせめて実戦に近い演習をしたい」(『VOICE』九九年八月号)
 石原はわざわざ「実戦」=戦争という言葉まで使っている。この演習の準備のために、元陸上自衛隊北部方面総監の志方俊之を昨年十一月に東京都参与に任命したのだ。

 自衛隊は「戦争と治安」の軍隊

 自衛隊が大災害の時に役に立つというのは、まったく幻想でしかない。憲法違反の、侵略的、反人民的な正体をごまかすための「隠れみの」でしかない。
 九五年一月の阪神大震災の時も、「自衛隊はただ見ているだけだ」と非難の声が上がった。救援の実動部隊は四千人で、ほかに一万二千人が「待機部隊」として出動した。この待機部隊とは「治安任務」に出動していたのである。
 この事実は、帝国主義軍隊が本質的に反人民的な軍隊であり、外への侵略戦争と国内での治安出動部隊として存在していることをあからさまに示した。
 このとき、当時の西広整輝防衛庁顧問は、次のように述べている。「そもそも大規模災害時に自衛隊に大きな活躍を期待されても、できるわけがない」「だれでもやれる仕事を自衛隊が警察の監督下でやる必要は全然ない」「自衛隊の基本はあくまで国防です」「民間で代替可能な土木技術などと違って、戦闘力はほかに代わるところがない」(九五年二月十八日付朝日新聞、なお労組交流センターブックレットナンバー12・藤井治夫著『阪神大震災と自衛隊』参照)
 西広は、自衛隊の任務は「国防」であり戦闘をすることだ、自衛隊の仕事は人命救助ではなく、戦争をすることだ、と言いきっている。これが自衛隊=軍隊の本音だ。
 九・三大演習が帝国主義体制を守る治安演習であることは、演習の名称にも明らかではないか。「ビッグレスキュー……(帝国主義の)首都を救え」であって、けっして「都民を救え」ではないのである。
 二月十六日には、「武装ゲリラが難民に紛れて日本の各地で、原発や空港、浄水場などを占拠、警察と銃撃戦を展開」などという想定で在日米軍と自衛隊の日米共同統合指揮所演習が行われた。三月二十三日には福井県の敦賀半島で、自衛隊と国が主体となり、地元住民や自治体を動員しての治安出動訓練が、「原発防災」を隠れみのに大々的に行われた。
 自衛隊は次期中期防(二〇〇一〜〇五年度)で陸上自衛隊に対ゲリラ戦の特殊部隊を創設することや、治安出動時の武器使用基準をエスカレートする方針を固めた。また治安出動に関する警察との現行協定を改定し、自衛隊を主力とし、警察をその補完と位置づける新たな協定を年内に結ぶ計画である。これは労働者人民の反戦闘争の爆発に対して、制圧とか鎮圧ではなくて、武器を使った「せん滅」戦で対応することへの転換を意味する。

 侵略戦争体制づくり許すな

 このように新安保ガイドラインのもとで、朝鮮・中国―アジア侵略戦争の体制づくりが急ピッチで進められているのだ。石原は、そのファシスト的先兵だ。
 関東大震災時(一九二三年)の朝鮮人・中国人大虐殺の歴史の繰り返しを、労働者階級は絶対に許してはならない。闘う朝鮮・中国|アジア人民と連帯し、職場・学園・地域から嵐(あらし)のような闘いを巻き起こし、九・三演習を中止に追い込もう。ファシスト石原を打倒しよう。

訓練会場と主な訓練項目・内容

  訓練の分類」 会場名 主な訓練項目・内容
テーマ別訓練 1初動対応訓練 銀座 ★警視庁の先導による自衛隊の部隊進出
○警察・消防・自衛隊の 3機関連携によるビル内外及び地下街被災者救助・避難訓練
○警察・自衛隊・道路管理者等による道路障害物除去訓練
白髭西 ★パラシュート降下による偵察活動訓練
★空路等を活用した部隊の進出訓練
○警察・消防・自衛隊の3機関連携による実際の住宅を活用した被災者救助訓練
○消防・海上保安庁・自衛隊等による被災者の後方搬送訓練
○河川管理者・自衛隊等による仮堤防の築造訓練・土のう積み等による決壊防止訓練等
葛西 ○警察・消防・自衛隊等による被災者救助訓練
○警察・自衛隊・道路管理者等による道路障害物除去訓練
○避難道路確保のための一斉放水訓練
2生活支援・体験訓練 木場 ○都営地下鉄大江戸線を活用した自衛隊の部隊進出訓練(練馬駐屯地→都立木場公園)
○給食・給水・入浴等の生活支援資器材や車両等の展示・搭乗体験訓練
舎人 ○給食・給水・入浴等の生活支援資器材や車両等の展示・搭乗体験訓練
駒沢 ○大型ヘリによる医療資器材の空輸・搬入
○給食・給水・入浴等の生活支援資器材や車両等の展示・搭乗体験訓練
都庁 ○救出・救助訓練
○給食・給水・入浴等の生活支援資器材や車両等の展示・搭乗体験訓練
立川 ○救援物資の輸送中継等の後方支援活動訓練
3部隊集結訓練
3部隊終結訓練 篠崎 ○自衛隊の応援部隊の集結・キャンプ設営・夜営訓練
★自衛隊機による救援物資投下訓練
★自衛隊による渡河訓練
○機関をまたがる航空機の運行統制訓練
合同訓練(中央会場) 晴海 ○ライフライン機関等を含む全参加機関の訓練を集約した訓練
○海上自衛隊輸送艦による自衛隊の部隊の進出訓練
○警察・海上保安庁の舟艇による水難救助訓練
○海自自衛艦・海保巡視船の艦船内医療施設を活用した災害医療

*各訓練においては、できるかぎり都各局・他機関等の参加を図る予定

★の5項目は、都の幹部向け資料にのみ記載されていて、都民向けの公表資料には載っていない。

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週刊『前進』(1964号3面3)

”JRに責任あり”

 闘争団・支援が緊急集会

 六月二十七日、「JRに『法的責任』あり! 国鉄闘争の勝利をめざす緊急決起集会」が労働スクエア東京で行われた。
 この集会は、「JRに法的責任なし」と認める臨時大会に突き進む国労中央の転向と裏切りに怒りを燃やす支援の労働者や学者・文化人の呼びかけで開かれた。闘争団を先頭に国労や動労千葉の組合員、東京清掃労組を始め都職労の労働者などが続々と結集した。
 呼びかけ人の東京清掃労組の代表は、「いったんJRに法的責任はないと認めれば、国労は二度と立ち上がれなくなる。これは国労だけの闘いではない。私たちは、単に気の毒な人を助けようと思って支援してきたのではない。自らの闘いとして、日本の労働運動の大きな展望を開くために取り組んできた。東京清掃はJRに責任ありの立場から、今後も支援・連帯し続ける」と訴えた。
 労働法学者の佐藤昭夫早稲田大学名誉教授は、「政府・与党はJRの違法行為を見逃しているだけでなく、国労の運動方針に干渉して『JRに責任はない』と言わせようとしている。団結権を否定する行為だ。一方、国労本部は、大衆的な討議もせずに臨大を開こうとしている。これを許さない運動を広げていただきたい」と訴えた。
 次いで国労闘争団、動労千葉争議団、全動労争議団の労働者が壇上に並んだ。
 北海道の闘争団の労働者は、「このままでは国労は自滅の道を突き進む。支援への重大な背信行為だ。私たちは人生をかけて闘ってきた。汚点を残さない闘いをしたい。臨大の延期と四党合意の撤回を求める。ILO最終勧告を求め、大衆闘争を起こすのが解決の早道だ。納得できる解決のため、武装解除せずに闘う」と決然と発言し、惜しみない拍手を浴びた。
 九州の闘争団の労働者は、「マスコミは北海道と九州の闘争団に温度差があると書いているが、この十三年、闘争団は上京行動をしてお互いに腹固めをしてきた。温度差は一切ない。臨大の中止を求める。闘いを継続し、勝利をかちとる」ときっぱりと述べた。
 動労千葉争議団の労働者は、「動労千葉は分割・民営化に対し二波のストを闘い、二十八人が解雇、十二人が清算事業団に送られた。自分の解雇撤回だけでなく、全国で首を切られ、苦しめられている労働者の権利のために闘ってきた。JRに責任なしと国労が大会で決定するのは動労千葉として絶対に許せない。JR総連はガダガタで反撃のチャンスだ。闘う労働運動をつくろう」と発言した。国労闘争団と動労千葉争議団が、心の底からのエールを交換しあったのだ。
 さらに、「名誉回復、職場復帰、ここは一歩も引けません」と訴える国労闘争団の家族からのメッセージが読み上げられた。
 集会アピールが採択された後、都職労の代表が閉会あいさつをし、「何もやらずに悔いを残すより、力を尽くすべきと考えて呼びかけ人に名を連ねた。お互いに勇気を共有して、この局面の転換を図りたい。闘争団・家族が納得できる解決を」と訴えた。
 闘争団を始め国労組合員と支援の労働者が、国労中央の裏切りを断じて許さず、臨大決戦を闘う決意を固めた集会となった。
 (投稿 民間労働者K)

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週刊『前進』(1964号4面1)

 本部を総辞職させ闘う全逓への改革を

 全逓第54回定期大会に向けて訴える

 「総合生活支援ネットワーク事業」路線=民営化推進方針粉砕せよ

 マル青労同全逓委員会

 全国の全逓組合員の皆さんに訴える。全逓第五四回定期全国大会が七月十二〜十四日に広島・広島国際会議場で開催される。今大会で全逓中央本部は、二〇〇一年「郵政事業庁」―二〇〇三年「郵政公社」化に向かって、「総合生活支援ネットワーク事業」路線=郵政民営化推進の方針を全面化させようとしている。そのために全員解雇―選別再雇用を狙う「ニュー・ユニオン」方針を徹底化し、労働組合としての自己解体を一層推し進めようとしているのだ。今大会で策動されている竹林―菰田の新執行部人事は、こうした超反動方針を、現場労働者の怒りを抑えつけて「トップダウン」で強行しようとする全逓史上最悪の体制である。断じて許してはならない。全国の職場で苦闘している組合員の皆さん! すでに、二月の第一一三回中央委員会で、現場の全逓組合員の怒りが中央委員の発言をもとおして噴出し、連合全逓路線の破産を突き出している。この職場の怒りをさらに組織し、現本部執行部を総辞職させ、竹林―菰田執行部策動を粉砕し、裏切り者の連合全逓中央を打倒しよう。今こそ全逓を職場の組合員の手に取り戻そう。

 第1章 森・自公政権打倒する階級決戦に総決起を

 まず、今次全逓大会をとりまく情勢と、今大会のきわめて重要な位置について確認したい。
 第一に、六月二十五日の総選挙において、森政権の与党・自公保が大幅に議席を減らし、日帝の政治危機が一層深まったことである。労働者人民は、森・自公政権に明確にノーを突きつけた。とりあえず三党で議会内の「安定多数」を確保したことをもって森続投となったが、森政権は政治的・経済的危機にのたうち、帝国主義間争闘戦が激化する中で、新安保ガイドライン=戦争国家化、有事立法・改憲攻撃と労働者人民に対する大失業攻撃をますます強めようとしている。そして、もはや従来のような統治能力を失った日帝は、労働者支配のあり方を転換し、一大資本攻勢と労働運動圧殺の攻撃を強めてくる。これとの階級決戦がいよいよ激化するのだ。
 総選挙を受けた六月二十六日の自公保三党「連立合意書」で、とりわけ「行財政改革が重要」と確認したことは重大である。新たな森・自公政権のもとで、行革―郵政民営化攻撃が激化しようとしているのだ。
 一方、労働者人民の森・自公政権への怒りは、さしあたって民主党を押し上げた。だが、民主党は、有事立法・改憲の党であり、福祉・社会保障解体の党である。また、六月十六日に打ち出した「財政再建策」で「国家公務員の人件費の三割削減」を主張している。全逓中央が連合の先頭に立って支援した民主党とは、労働者階級の利害とは相入れない政党なのだ。
 さらに、日本共産党が、この民主党にすり寄り、野党性を完全に捨て去った。
 われわれは今次総選挙において、東京八区(杉並区)の長谷川英憲候補を押し立て全力で闘いぬき、国政初挑戦で歴史的な地歩を築いた。この地平に立って、さらに森・自公政権打倒に向かって全力で闘いぬかなければならない。七月沖縄サミット粉砕決戦から十一月労働者集会に向けて、闘う労働運動の新しい潮流を発展させ、その中で闘う労働者の党をつくり出さなければならない。
 第二に、こうした中で、労働運動をめぐる大流動化と大激突の情勢が訪れていることである。とりわけ国鉄をめぐる情勢は重大である。国労に対して「JRに法的責任なし」と首切りを容認することを臨大で決定せよと強制した「四党合意」は、全労働者にとって絶対に許されない。これを受け入れた国労中央を徹底弾劾する。
 連合全逓中央は十年前に四・二八被免職者の切り捨てを強行したが、闘う全逓労働者は、これに抗して四・二八反処分闘争を被免職者とともに闘いぬいてきた。この闘いを含め戦闘的・階級的な労働運動を解体することが、国労に対する「四党合意」の狙いなのだ。今日、郵政民営化攻撃と闘う全逓労働者にとっても、絶対に認めることはできない。闘う全逓労働者は、国労闘争団や動労千葉を始めとする国鉄労働者と連帯して、国鉄決戦勝利へ闘いぬかなければならない。
 そして、わが全逓労働者が連合指導部に対して大反乱を開始し、連合全逓中央を打倒する闘いは、国鉄労働者の闘いと並び、連合八百万労働者の一大反乱と日本労働運動の再生に向けた最先端の闘いである。その意味でも、七・一国労臨時大会の決戦に続く、全逓大会の位置は大きい。

 第2章 職場で強まる攻撃に組合員の怒りが爆発

 第三に、郵政職場で強まる攻撃に対する怒りが、連合全逓指導部に対する怒りの反乱として噴出していることである。
 ここで、全国の職場で発生している事態をはっきりとさせよう。
 九八年から始まった「新郵便処理システム」は千百の局に千七百三十台の新型区分機を導入し、八千人の労働者を減員する大合理化攻撃である。新型区分機の道順組立率を九〇%と設定し、八千人の減員を強行しているが、機械は六〇%しか区分能力がない。このために集配課の労働条件はさらに悪化し、超勤一、二時間は当然となっている。郵政省は新型区分機の配備基準を一日あたり三万通から二万通に下げ、導入局をさらに増やすとしている。混乱はより全国化し、減員数も一万人以上となることは明らかだ。
 九六年に東京から始まった「人事交流」=強制配転は全国化し、職場の団結破壊、組合つぶしの攻撃となっている。管理者は不当労働行為のやり放題だ。人事交流は今や組合員の憎悪の的となっている。それだけではない。人事交流によって数十名の仲間が自殺に追い込まれ、数え切れない仲間が退職させられている。まさに人事交流は労働者殺しだ。あまりにも露骨な労務政策攻撃であるがゆえに、人事交流はすべての職場で業務混乱を引き起こしている。九八、九九年、東京・中野の局で年賀状の元旦持ち出し一〇〇%に失敗したのはその実例である。
 九九年から始められた郵便課五千人減員、非常勤職員への置き換えの攻撃は、全国の八十四の地域区分局と十五の一般局で行われている。来年三月には、実に職員のうち七〇%が非常勤職員となる郵便課ができる。「去るも地獄、残るも地獄」の職場とはこのことだ。郵政省は続いて、定員が百人以下の郵便課でも、そして集配課でも、この「本務者の減員と短時間・非常勤への置き換え」をやろうとしている。
 九六年から三年で全国の総合局に導入された総合担務制は、どこの職場でも労働強化と業務混乱を引き起こしている。総合区をつくり、一人の労働者に集配と保険、貯金をやらせることなど、物理的に不可能である。試行段階での強力な反対の声を無視して強行実施したことに、全国の職場で怒りが噴出している。
 今、全国の職場は監視と管理、業命と処分という組合員にとっては耐えがたい職場となっている。服装、言動、そして業務上のミスすらが処分の対象とされている。「特選小包を買わなければ人事交流だ」などと、営業も労務管理の攻撃に使われている。これらの郵政省の攻撃に対し、組合員の怒りは爆発寸前である。そしてこの怒りは、これらの攻撃を積極的に容認している全逓中央に対しても向けられているのだ。「組合は何を考えているんだ。お前らはどっちを向いているんだ」と。
 こうした怒りが一一三中央委で爆発した。中央委員の発言がすべて、本部方針に対する疑問と不信、不安の発言であった。
 「公社移行時に全員が一緒に行けるのか率直な不安がある」「省の経営責任を厳しく問う必要がある」「管理体制のみを強く求める職場に働きがいや生きがいは見いだせない」「省の施策に賛成するがゆえに組合員にとって組合の存在意義がわかりにくい」「離籍専従役員は現場を離れて長い。研修を取り入れ現場との往復運動を(中央本部は現場におりてこい、ということ)」
 これらの中央委員の発言は、職場の組合員を苦しめている郵政省の施策、攻撃が、中央本部の積極的な容認と加担によってなされていることへの疑問と不信、不安に基づいてなされたものである。全逓中央に対する職場組合員の離反は決定的に進み、全逓中央を使った郵政省の労働者支配は破綻(はたん)しているのである。
 この一一三中央委に示された情勢はさらに進んでいる。まさに、七八越年反マル生闘争を超える実力闘争として爆発する情勢なのである。今大会での一層の怒りの爆発は不可避である。今こそ、組合員の怒りの決起で、本部を総辞職させ、労働者のための労働組合=闘う全逓への改革をかちとろう。

 第3章 「ニュー・ユニオン」は全員解雇-選別再雇用

 今大会で全逓中央が提起している運動方針案は、断じて許すことができない。
 その反動的核心は、二〇〇三年「公社」化に向けてた「『国営の新たな公社』の制度設計」である。一一三中央委で打ち出された「総合生活支援ネットワーク事業への飛躍」へ、「政策提言の実現に向けて、この一年間、運動のすべてを集中し、組織の総力をあげて」取り組むとしている(第1号議案・二〇〇〇年度運動方針案) 。
 「総合生活支援ネットワーク事業」とは、昨年七月に郵政審議会が出した「コンビニとのすみ分けは可能か」という郵便局ネット戦略と同一で、「郵便事業は成熟しており成長は望めない」ということを共通認識にして書かれている。いわば郵便局のコンビニ化を推し進めるというものだ。そのための「政策提言」を行うというのだ。
 全逓中央の言う「政策提言」とは「民営化提言」なのである。
 その上で、「第1号議案付属方針その1」として、「全逓がめざす『国営の新たな公社像』の基本的な考え方」を出している。
 「郵政事業もいろいろな形で変化するのは当然。世界的に生き残れる郵便事業体はいくつもない。客観的にそうした状況にある」(『公益企業レポート』一月二十日付)と、郵政民営化を公然と認めている高頭委員長が、「国営の新たな公社像」方針を提起するのは実に奇妙なことである。全逓中央は新公社を民営化と考えているのである。本心は賛成なのである。しかしそれを口に出すことは絶対にできない。口に出したとたんに十六万全逓組合員の怒りが爆発して、中央本部が吹っ飛んでしまうことを知っているからである。
 この「付属方針その1」の基本は、前述の「総合生活支援ネットワーク事業」であり、「強まる競争・競合」という「周辺環境に対応できる経営を行うのにふさわしい経営組織とする立場で制度設計を行う」というものである。
 具体的には、「(中央省庁等)改革基本法第三三条の規定に忠実な経営組織」としている。
 改革基本法とは、九七年十二月の行革会議「最終報告」を法律化したものであり、日本を戦争ができる国家へ改革する目的を持って、首相権限と内閣機能の強化、省庁再編と、公務員の二五%の首切りと労働運動解体を打ち出したものだ。郵政事業は、「郵政省を総務省に統合した上で、企画立案部門と放送・通信の規制、産業振興部門は総務省の内局とする。外局として郵政事業庁を置き『三事業一体・国営維持』で二〇〇三年に郵政公社に移行する」となった。
 この「最終報告」に対し、自民党・小泉は「五年後に新公社だろうがなんだっていい。ベルリンの壁と一緒。一つ崩れたら後は止まらない」と、これが民営化の始まりであることをあけすけに述べた。
 実際、新たな公社では独立採算制のもと、@自律的・弾力的な経営、A企業会計原則、B中期経営計画と業績評価を実施するという、完全に民営化の経営手法が導入されることになった。これが改革法第三三条に規定された中身だ。
 郵政省と全逓中央は「郵政三事業の郵政公社への移行で民営化しないことが確定し、国営形態は維持された」と主張している。しかし、郵貯の全額自主運用や民間宅配企業の郵便への参入、企業性の追求などが盛り込まれていることを見ても、「民営化そのものの国営」であり、改革関連法の手直しによって一挙に民営化へ進んでしまう事態なのである。
 さら「最終報告」は、「郵政公社については引き続き経営形態のあり方を見直す」となっているが、原案ではストレートに「郵政公社に移行した後、民営化することを検討する」となっていたのだ。
 日本帝国主義・支配階級は、日帝の経済危機、財政危機の面からも、また、行革攻撃の狙いである労働運動解体ということからも、郵政民営化に突き進まざるを得ないのだ。郵政省と全逓中央の「郵政民営化はない」論は全逓組合員を武装解除させるための大ウソである。支配階級の戦争を行える国家づくりのために、郵便局の職場が、われわれ労働者の首が奪われようとしているのである。
 全逓中央が民営化攻撃に対して「国営形態の維持」を主張する本当の目的は、民営化後における労働貴族としての地位延命ということのみである。この点で、郵政官僚の権益死守と利害は完全に一致しているのだ。「労使共同」や「オール郵政」という言葉が飛び交う「行革対応」はそのことを示している。
 人事交流=強制配転という攻撃にさらされていようとも、職場の組合員の階級性は解体されてはいない。この組合員の怒りの爆発をなんとか押しとどめ、新公社の民営化に持ち込もうとして全逓中央が出してきたのが、「行革対応第四ステージ」の最悪の方針としての「国営の新たな公社像」である。行革関連法で新公社は国営となった、もう「民営化反対」の闘いは必要ない、組合員は新公社像考え運動をすればよいと組合員に武装解除を迫るとんでもない方針である。
 この「行革対応第四ステージ」=「総合生活支援ネットワーク事業」路線=民営化推進方針を怒りの総決起で粉砕し尽くさなければならない。

 成績主義へと賃金体系改悪

 また、全逓中央は「付属方針その2」として「新たな処遇について」を出している。これは昨年の五三回大津大会で決定された内容(「結果の平等から機会の平等へ」「仕事に対する関与・貢献度合」「努力と結果が公正に報われる処遇」という名で、現在の賃金体系を全面的な成績主義の賃金体系へ改悪することを全逓中央が労働組合の名で郵政省に要求し、組合員を差別と分断、平等から競争へ駆り立てるという、とんでもないもの)に基づいている。
 そして、郵政省が昨年の四月に提示した「新給与構想」(マンパワー高揚等のための給与制度改善構想)と突き合わせをして、労使合作の賃金体系改悪を行う、と提案している。全逓中央は成績主義の賃金体系を要求し、職場の組合員の団結を金を利用してでも破壊しようとしているのだ。

 トップダウンで全逓解散も

 さらに、全逓中央は、「二十一世紀の扉を開く大きなキーポイント」として、「より高次な労使関係を築くことと一産業一組織の『ニュー・ユニオン』を実現すること」を強調している。
 「ニュー・ユニオン構想」とは、九六年甲府大会で打ち出されたものだが、今日、「ニュー・ユニオン」の目的は全逓と全郵政との合併方針一本になった。確かに全逓中央と全郵政中央との違いはまったくないほどに全逓中央は変質してしまっている。しかし職場においては、組織拡大でぶつかり、団結と権利と労働条件にこだわりきる全逓組合員にとっては、全郵政との合併を認めることはできないのだ。
 これに対して、全逓中央は、昨年の大津大会前後から「郵政公社発足時には今の労働協約は全部破棄される」「全員が郵政公社に行けると思うな」(菰田中執ほか)と言い始めている。この発言は、郵政公社化が全員解雇―選別再雇用の攻撃であることを示すものだ。「ニュー・ユニオン」とは労働組合として、闘う労働者の排除と大量首切りを進める方針に転化した。
 そして、全逓中央は、「ニュー・ユニオンは、吸収でなく、合併・統一でもなく、全逓でも全郵政でもない。全逓は社会主義も捨てたが、旧態依然で変革できなかったところは取り残される。職場討議をして積み重ねるということではなく、トップダウンで決めることもありうる」(竹林書記長)と言う。二〇〇一年にも、「トップダウン」でニュー・ユニオンを強行しようとしているのだ。これが、「二十世紀の清算」ということなのだ。
 だが、職場討議もできないということは、現場労働者の怒りを恐れているということだ。怒りの決起で粉砕することは可能なのだ。
 全逓解散―ニュー・ユニオン結成、全員解雇―選別再雇用をたくらむ全逓中央を打倒しよう。

 第4章 「竹林-菰田新執行部」策動を打ち砕こう!

 運動方針案の批判の最後に、これらの全逓中央の裏切り路線を決定づけた「ZENTEI・ビジョン21」を批判する。
 これは、九五年徳島大会において、日経連の「新時代の日本的経営」報告を受けて、終身雇用制や年功序列賃金の解体、二千万人首切りの日経連路線を労働組合として実践する立場から出されたものだ。
 さらに昨年の大会の運動方針案では「全逓は日本の平和と安全に重大な事態が発生した場合に、新ガイドラインを実効あるものとするための法整備が必要であるとの基本認識に立つ」と、有事立法から労働者の戦争動員法まで要求している。まさに、連合政治方針を最も反動的に推進しようとするものだ。
 企業防衛と国家防衛の立場に立つ帝国主義労働運動への道を、全逓中央は「ビジョン21」をもって意識的に歩み始めたのである。まさしく全逓中央は労働者階級の敵となったのである。
 全国の十六万全逓組合員の皆さん。全国の職場で怒りを組織し、全国大会で民営化推進方針を粉砕しよう。「ビジョン21」「ニュー・ユニオン」方針を破棄し、全郵政との合併を粉砕しよう。「トップダウンで二〇〇一年度ニュー・ユニオンの実現」をたくらむ「竹林―菰田新執行部」策動を打ち砕こう。現執行部を総退陣させよう。戦争協力の全逓政治方針を粉砕し、労働組合は戦争を拒否する宣言を行おう。沖縄、ヒロシマ・ナガサキの闘いに全力で取り組もう。
 四・二八被免職者を守りぬき、反処分闘争を組織で取り組もう。闘う“権利の全逓”、労働者のための労働組合への改革を組合員の力でかちとろう。闘う労働運動の新潮流をつくろう。
 マルクス主義青年労働者同盟全逓委員会に結集し、ともに闘おう。


運動方針案の反動性のポイント

〔第1号議案・2000年度運動方針 T 提案にあたって(抜粋)〕
 (1)21世紀の扉を前に、いま改めて全逓の進むべき課題について提起します。「ZENTEI・ビジョン21」を策定して様々な変革に対応してきましたが、この中期方針により、今後も主体的に変革期のリーダー役を担います。
 (2)今年度の最大の課題は、「国営の新たな公社」の制度設計のとりくみです。私たちは今春の第113回中央委員会で、「国営の新たな公社」における事業政策論として、「総合生活支援ネットワーク事業への飛躍」を示しました。今後、政策提言の実現に向けて、この1年間、運動のすべてを集中し、組織の総力をあげてとりくみます。
 (3)21世紀の扉を開く大きなキーポイントに、新たな「労使関係」の構築があげられます。私たちは、「対立・抵抗」型の運動を推進してきた経験を持ち合わせています。しかし、時代背景は、これまでの「労使関係」のあり方を根本から見直すことを問いかけています。私たち自身も20世紀の清算を行い、21世紀の第1歩を踏み出す必要があるものと考えます。「共生・強調」のスタンスで、より高度な労使関係を築くことと一産業一組合の「ニューユニオン」を実現することを明らかにします。

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週刊『前進』(1964号4面2)

 2000年日誌 阻もう!戦争への動き

 6月20日〜27日

 サミットへ基地反対の署名

 総選挙で自公保が65議席減

●クリントンが摩文仁で演説へ クリントン米大統領が七月の沖縄サミット出席に際し、糸満市の摩文仁(まぶに)の丘にある平和祈念公園を訪れ、沖縄県民に向けて演説する方針を固めたと、米政府当局者が明らかにした。また沖縄が米軍駐留を受け入れ、世界の平和維持に貢献しているとの立場から、県民に謝意を示すとみられることから、「失礼だ」など批判の声があがっている。(20日)
●在沖米軍、縮小ならずと森 森首相は、南北朝鮮首脳会談が沖縄の米軍基地問題に与える影響について「国際情勢の行方を見極める必要がある。在沖米軍が地域の安定と平和に寄与している実態も十分認識しなければならない」と米軍基地の縮小につながらないとの考えを示した。(21日)
●大学入学前に自衛隊にと森 森首相は講演で、大学の九月入学を検討する考えを示し、「(高校卒業から)大学入学までの五カ月間に、ボランティアをやるとか、自衛隊に入ってみるのもいいかもしれない。教育改革国民会議に参考にしていただきたい」と述べた。(21日)
●「普天間」移設反対で署名 米軍普天間飛行場の移設に反対する名護市辺野古の命を守る会が、首相と米大統領にあてた請願署名を集め始めた。沖縄サミットまでの一カ月間で署名を募る。米大統領あての請願は「名護市民投票では、反対票が過半数を占めた。民主主義を否定することは許されない」と強調、移設計画の中止と、普天間飛行場を「自国へ持ち帰ること」を求めている。(21日)
●海上警備本部を設置 沖縄サミットで海上警備を行う第一一管区海上保安本部が「九州・沖縄サミット海上警備本部」を設置した。巡視船艇約百四十隻を繰り出すなどの警備方針を打ち出している。(21日)
●オルブライト訪韓 オルブライト米国務長官が金大中・韓国大統領と会談、日本とともに緊密な三国協調態勢を維持して北朝鮮外交を続ける方針を確認した。韓国内で撤退・削減論が出ている在韓米軍については「不適切で時期尚早」と述べ、現勢力を維持する考えを示した。(23日)
●沖縄で「慰霊の日」 沖縄で、沖縄戦の組織的戦闘が終わった日とされる「慰霊の日」を迎えた。県主催の沖縄全戦没者追悼式が糸満市の平和祈念公園で開かれ、森首相が参加。また在沖米四軍調整官が軍服姿で初めて出席した。(23日)
●英霊に哀悼ささげたと森
 沖縄全戦没者追悼式に参列した森首相は、名古屋市の街頭演説で、追悼式に参加したことに触れ、「国民を代表して英霊のみ霊に哀悼の意をささげて参りました」と述べた。(23日)
●米国防総省が中国軍事力を報告 米国防総省が中国の軍事力に関する報告書を公表した。中国と台湾の紛争に第三国(米国)が介入した場合、中国が、第三国の部隊に先制攻撃をかけることを計画していると分析。また、中国が台湾海峡で二〇〇五年以降に制空権を握る可能性があると指摘している。(23日)
●キャンプ・ハンセンで山火事 沖縄県恩納村のキャンプ・ハンセン内演習場レンジ7付近で、実弾射撃演習訓練による火災が発生した。(23日)
●国際女性サミット 沖縄県総合センターで、基地・軍隊を許さない行動する女たちの会などの主催の「国際女性サミット」が開かれた。女たちの会の高里鈴代共同代表は「沖縄がサミット開催地に選ばれたのはよいことなのか。サミットで基地の固定化など、問題がさらに深刻化するのではないかとの疑問もある」とあいさつした。(24日)
●在韓米軍の堅持強調 クリントン米大統領が朝鮮戦争五十周年記念式典で演説し、「米国が朝鮮半島に軍隊を駐留させることで平和が保たれてきた。朝鮮半島はまだ緊張状態にある」と三万七千人の在韓米軍の維持を強調した。(25日) 
●「在韓米軍、統一後も必要」と金大中 韓国の金大中大統領は、朝鮮戦争勃発五十周年記念式典で演説し、朝鮮半島の統一が実現した後も、アジア・太平洋地域の安定のためには在韓米軍が必要だ、との見解を示した。(25日)
●第42回総選挙で自公保が激減 第四十二回総選挙が、全国三百の小選挙区と十一ブロックの比例区(百八十)で投票、即日開票された。自民党の議席数は二百三十三議席となり、選挙前より過去最大の三十八議席の議席減となった。民主党は三十二議席増の百二十七議席。公明、共産、保守党は大幅に議席数を減らした。社民、自由党は議席を増やした。(25日)
●石原都知事が自衛隊に派遣要請 東京都の伊豆諸島・三宅島で火山性地震が活発化している問題で、石原知事が陸海空の三自衛隊に対して災害派遣要請をした。要請を受けた海上自衛隊は、輸送艦「さつま」など、護衛艦や掃海母艦など九隻を三宅島周辺海域に待機させた。(27日)

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週刊『前進』(1964号5面1)

 新刊紹介

 淡路島住民の成田・関西空港闘争

 三里塚と共に三十年

 永井満著 御茶ノ水書房発行/本体1500円

 反対同盟と一心同体三里塚闘争の入門書

 三里塚決戦勝利全関西実行委員会の代表で、淡路町空港反対同盟代表の永井満さんが、三里塚闘争とともに歩んだ三十年をつづった本が出版された。帯に「わが心は三里塚」と大書されている。永井さんの万感の思いの込もったこの言葉に凝縮されているように、まさに永井さんの一九七〇年以来の三十年は、三里塚反対同盟と一心同体で切り開いてきた歴史である。

 淡路闘争の地平

 本書はまず、淡路島の空港反対闘争の歴史を明らかにしている。六〇年代の政府の計画では、淡路島は四本の滑走路の巨大国際空港と津名CTS(原油貯蔵基地)と石油パイプラインの島に大改造=大破壊されようとしていた。これらの計画を粉砕する闘いの先頭に立った永井さんの奮戦が描かれている。
 九五年一月に阪神淡路大地震が起こったが、この時、石油タンク建設予定地だった埋め立て地は、不等沈下を起こしていたる所で砂が吹き出す「液状化現象」を起こした。永井さんは、「もし、津名町に十万トンのタンク五十基が建設されていたら、どうなったか」と問い、「神戸をはじめ、大阪湾岸一帯の都市はすべて火の海になっていたであろうというのは、決して大袈裟(おおげさ)な言い方ではないのだ」(三五ページ)と総括している。衝撃的な事実である。CTS計画を粉砕した闘いが、いかに大きな意味をもっていたかが分かる。

 常に自ら先頭に 

 こうした淡路と関西の闘いは、三里塚と共闘し三里塚に学ぶことによって可能となった。文字どおり「淡路を第二の三里塚に!」というスローガンで闘い、勝利したのだ。永井さんは二章以下で、この三里塚の闘いの意義を全面的に明らかにしていく。
 三里塚闘争三十年の節目節目の重大局面には必ず現地に行き、反対同盟を激励し、自ら先頭に立つ永井さんの姿があった。三里塚闘争が困難にぶつかった時、永井さんは真っ先に駆け付け、ともに悩み、ともに考え、行動をともにした。大きな岐路に直面していつも闘う道を選択してきた。
 七一年の第一次、第二次代執行、七七年の四・一七大集会と五月の鉄塔決戦、七八年の開港阻止闘争、八二年の石橋脱落との闘い、九〇年の天神峰現闘本部封鎖に対する闘い、そして九九年末の暫定滑走路着工阻止闘争など。これらの闘いの臨場感がビビッドに伝わってくるほどに描かれている。とても詳しく覚えておられることに感嘆するが、それは闘いの渦中に自らの生死をかけてきた人ならではのものだと思う。
 「局面局面で国家権力の圧倒的な物量のまえに、機動隊に攻め落とされるとか、暫定開港を許すことなどがあったが、反対同盟のすごいところは、それでも微動だにしない、そんなことで、全くぐらつかないことである」(一〇〇ページ)。こう反対同盟の楽天性、勝利への不動の意志をたたえているが、それは永井さん自身のものでもある。
 永井さんと三里塚のかかわりは、もはや「支援」の域を超えていた。三里塚を自分の闘いとして闘うという三里塚勢力の手本を自ら示す闘いだった。
 本書では、三里塚勢力−−三里塚を反戦・反権力の砦(とりで)として、その勝利のために闘ってきた動労千葉、北富士を始め全国の闘う人びととの交流も活写されている。

 戸村精神を体現

 三里塚の不屈さの秘密は何か。それは故戸村一作委員長から学んだ「階級敵に対する憎しみ」だと言う。戸村さんの追悼の文章(七九年十一月)で、永井さんは言っている。
 「国家権力の不義不正、暴虐を厳しく暴き、糾弾し、これに抗して起ち上がった三里塚農民の闘いこそ正義の闘いである。歴史をつくり変え、人民の新しい歴史をつくり出す闘いである。三里塚農民の闘いを支援せよ、共に闘いに起ち上がれ! 時にははげしく迫る戸村氏の言葉を、私はさながら預言者の声をきく思いで息をつめて聴いたのであった。そのときから、私の闘いは始まったのである」(一三三ページ)
 永井さんはキリスト者(牧師)として、戦争に協力したキリスト教の歴史を繰り返さないという強い決意を込めて闘ってきた。戸村委員長との関係もキリスト者同士の強い絆(きずな)で結ばれている。永井さんは戸村さんの魂に触れ、それを今日まで受け継いでこられた。そこに闘いの使徒、伝道者の姿を見るのは私だけではないと思う。
 本書を読むと、三里塚の三十五年の不屈の闘いが日本の歴史の中でいかに巨大なものを築き上げてきたかを実感できる。関実という最も強力な援軍の指導者の総括として、三里塚闘争の意義が縦横に語られており、そういう意味で、三里塚闘争の最も的確な入門書となっている。といっても堅い論文ではなく、いわばざっくばらんな語り口で説き明かされていて、実に分かりやすい。
 本書の全体をとおして、長期強靭(きょうじん)に不屈に闘うことの意義を教えられ、誰もが勇気づけられる。一人でも多くの人が読み、そして周囲の人に薦めて、本書が三里塚闘争の勝利と全国の人民の闘いの勝利のために威力を発揮することを期待する。
 (高田隆志)

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週刊『前進』(1964号5面2)

 夏期一時金カンパのお願い

 自公政権打倒−サミット決戦の大爆発へ一層のご協力を

 革命的共産主義者同盟

 衆院選決戦の地平引き継ぎ

 全国の同志、支持者、読者の皆さん。衆院選決戦―東京八区(杉並区)の長谷川英憲候補必勝をかけた決戦への決起、支援・協力、ほんとうにありがとうございました。心より御礼申し上げます。
 革共同は長谷川候補を押し立てて衆院選に初挑戦して、介護保険廃止を闘う区民と心をひとつにして、「自公政権を倒そう」「ファシスト石原伸晃を倒そう」と訴えて全力で闘い抜きました。しかし、当選を果たせず、皆さんの熱い期待にこたえることはできませんでした。本当に残念で、悔しくてなりません。
 しかし戦後最大の政治決戦としての衆院選決戦に、ひたすら勝利を求めて党と人民の持てる力の一切を結集して闘い抜いたからこそ、わが革共同は、確信をもって次のように言い切ることができます。
 長谷川候補に寄せられた二二七九九票の一票一票は、「福祉・くらし・平和を守る長谷川」か「福祉切り捨て、大増税と戦争の石原」かを真っ向から問う、ファシスト石原伸晃との激烈な政党間党派闘争によって獲得したものであり、投票した労働者階級人民の側から言えば、二二七九九票のすべてが、人生をかけた重く意義ある歴史的選択としてあったのだ、と。
 さらに、東京八区のすべての動向は「長谷川か石原か」の激突に規定されて、民主党や日本共産党は選挙戦情勢からはじきとばされ、およそ情勢決定要因とはなりえなかった、と。
 このことは、石原伸晃の選対本部が最初から最後まで「長谷川陣営がどこまで票を伸ばすか」の一点に関心を集中していた事実の中にも明らかです。
 今衆院選は、二九年型世界大恐慌の危機と日米争闘戦の激化の中で、小渕や竹下、梶山の死に示されるように、日帝ブルジョアジーが統治能力を失いかけるほどの体制的危機を迎え、自民党が「背水の陣」を敷いて臨んだ選挙でした。
 自公は対立候補を蹴落とすために、なりふりかまわず非合法的な手段にすら訴えました。杉並では、警察や防犯協会まで動員して「石原に入れろ」と恫喝して回りました。全国いたる所で、一九三〇年代型の内戦的選挙となったのです。
 民主党も日本共産党も、この自民党の反革命攻勢に震え上がり、おたついて逃げ出しました。「自公を倒そう」という労働者階級人民の闘う気運がかつてなく高まったにもかかわらず、民主党が微増にとどまり、日本共産党が惨敗した核心はここにあるのです。
 革共同は、社・共に代わる労働者階級の党への発展をめざすものとして、この激闘に身を投じて、石原伸晃のファシスト的突出と切り結び、最初から最後まで先制的、攻勢的に闘い抜きました。そして、労働者階級の自己解放的決起に強い確信をもって、介護保険撤廃闘争を画期的な住民運動として創造してきました。
 そうやって闘って闘って闘い抜いて得た結論は、「革共同よ、もっと大きくなれ。強大に党勢を拡大せよ」ということです。
 そのためにも財政基盤が死活的です。次なる挑戦のために、より一層の選挙闘争資金カンパを寄せられることを心より訴えます。

 沖縄サミット粉砕へ決起を

 今回の衆院選で問われた「自公政権打倒・ファシスト石原打倒」をめぐる支配階級と労働者階級人民の攻防にはまだ決着はついていません。ただちに第二ラウンドに突入しなければなりません。その決戦場は七月沖縄サミット決戦です。
 闘いの号砲は、衆院選・沖縄三区における基地反対派候補の勝利によっても打ち鳴らされました。これは「(普天間基地は)県内移設ではなく、全面返還を求めていきたい」と宣言しての勝利です。ヘリ基地反対協は、衆院選での勝利に勢いづき、基地建設反対署名運動を開始することを明らかにしました。全国から集めた警察力の重圧で基地反対の声をつぶそうという「サミット戒厳令」に大きな風穴が開いたのです。
 他方で、南北朝鮮首脳会談に示される東アジアでの世界史的激動が始まっています。今回の会談を引き金に、南北朝鮮支配層の思惑をはるかに超えて、在日朝鮮人を含む朝鮮人民の自己解放闘争が爆発することはすう勢として不可避です。すでに南朝鮮・韓国では、在韓米軍撤去闘争が激しく闘われています。この闘いの波は、沖縄闘争にも強烈な衝撃となります。六月二十三日には、韓国の反基地運動と沖縄の反基地運動との感動的な交流がかちとられています。
 朝鮮人民、沖縄人民の怒りの矛先は、新安保ガイドラインに基づいて沖縄米軍基地を強化しようとする米日帝に向けられています。
 米大統領クリントンは、サミットの際に、糸満市の摩文仁(まぶに)の丘を訪れて、「沖縄県民が米軍駐留を受け入れ、世界平和に貢献していることに謝意を表明する」などという沖縄人民を愚弄(ぐろう)し、米軍居座りを居直るメッセージを発しようとしています。この暴挙をどうして許せるでしょうか。
 また、森首相が六月二十三日に沖縄を訪れて追悼式に参加した後、街頭演説で「英霊の御霊に哀悼の意をささげてきた」という暴言を吐きました。沖縄戦によって、当時の県民の三分の一にあたる十六万人もの沖縄人民が殺されたのは、天皇制を護持するための「捨て石」にされたからではありませんか。「英霊となれ」とは、沖縄人民に「天皇を守るためにもう一度命を差し出せ」と言っているのに等しいのです。森の追悼式における発言に対しては、参加者から怒りの弾劾がたたきつけられました。
 今こそ沖縄人民と固く連帯した本土人民の決起が求められています。大挙して沖縄にかけつけて、サミット粉砕の戦闘的な実力デモをたたきつけましょう。
 この闘いの成否は、皆さんが寄せて下さる「沖縄決戦渡航カンパ」にかかっています。ぜひとも圧倒的な一時金カンパを寄せられることを訴えます。

 国鉄決戦闘い労働者集会へ

 わが革共同は、二〇〇〇年決戦を総選挙―沖縄サミット―国鉄決戦の三大決戦を一体のものとして闘い抜いてきました。とりわけ、総選挙決戦の渦中で、国労本部が「国労は臨時大会を開き『JRに法的責任はない』ことを明らかにする」という「四党合意」を受け入れた暴挙を徹底弾劾し、裏切り者を打倒して、闘う国労を再生する闘いに猛然と決起し、七月一日の国労臨大をめぐる攻防に上りつめてきました。
 なぜ今日まで闘争団が、がんばってこれたのでしょうか。それは、国鉄分割・民営化に際して、国鉄を去ることを余儀なくされた二十万人の労働者や、自殺に追い込まれた二百人余の労働者の生きざまとそれぞれの思いを自分たちが背負っているのだと、千四十七名の一人ひとりが確信してきたからです。この闘争団のがんばりに心を揺り動かされて、連合傘下を含めて多くの労働組合が闘争団を支援してきたのです。
 チャレンジ・グループや上村革同は、この闘争団のがんばりに示される労働者階級の自己解放的決起を信じていないのです。労働者階級が階級的に団結したときにものすごい力を発揮することを信じていないのです。だから彼らは「国家権力といくら闘っても勝てっこない」「今が解決のラストチャンス」と言いながら政府とJR資本に白旗を掲げて無条件降伏しているのです。こんな連中が国鉄闘争とすべての労働者階級の未来を決めることなど絶対に許してはなりません。転向した裏切り者はたたき出し、闘う新たな指導部を確立する以外に、勝利の道はないのです。
 革共同は国労臨大決戦を全力で闘い、闘争団を守り抜き、国鉄決戦に勝利し、この闘いを基礎として、闘う労働運動の新潮流をひと回りもふた回りも大きくする闘いに全力をあげます。この闘いは、臨大決戦を闘い抜いた今こそ本番です。十一月労働者集会の大成功を必ず実現します。
 もっと多くのJR職場にビラをまき、もっと多くの支援労組にビラをまき、オルグに入っていく必要があります。そのために圧倒的なカンパを是非とも寄せて下さい。
 いよいよ一時金支給の時期です。ほとんどの職場で、リストラと賃下げの攻撃が強まり、今夏一時金が大幅ダウンしていることは、私たちも重々承知しています。労働者階級が生きていくための最低限の不可欠の命綱である賃金が引き下げられることは、「もうこれ以上、資本家の言いなりになる必要などない」ということを、労働者に日々感じさせているのです。
 今こそ労働者階級がマルクス主義をわがものとし、「資本主義にノー」を突きつけて闘うことが求められています。夏期一時金カンパ決戦は労働者階級の自己解放的な決起を生みだすチャンスでもあります。まわりの人にカンパを訴え、去年に倍するカンパを集めようではありませんか。
 夏期カンパ決戦をやりぬき二〇〇〇年決戦の一層の勝利を切り開きましょう。

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週刊『前進』(1964号5面3)

 ”石原やめろ”とどろく

 都庁へパラソル大行進

 六月九日、「石原やめろネットワーク」が主催したパラソル大行進に参加した。梅雨入りしたばかりの東京は、パラソルの似合う雨模様だった。そのうえ雲がぐんぐんと飛んでいくほどの強風だった。
 金曜日の午前十一時半、新宿の歌舞伎町近くの大久保公園に集まった。色とりどりのパラソルを広げた参加者を前に、共同代表の辛淑玉(シンスゴ)さんが「私は石原のようないじめっこはきらい。なんの権利もない外国人をたたく石原にいやだと訴えていこう」とあいさつ。チャンゴを打ち鳴らす農楽隊を先頭に、「外国人差別・排外主義−暴言を撤回も謝罪もしない石原都知事は謝罪しただちに辞職せよ!」の横断幕を広げて大行進は出発した。
 マンションの三階、四階から鈴なりの人たちに見送られ職安通りから大久保通りへ進んだ。遅れてデモに追いついた人や沿道からの飛び入りもあり、隊列を増やしながら新宿へ、参加者は三百五十人になった。先頭を行く移住連の外国人労働者がもったショッキングピンクのメッセージボードが鮮やかに映える。「ノーノー石原! 石原やめろ!」の声が元気よく響き、折からの突風でビニールの傘が一斉に宙に舞う場面もあった。
 都庁をぐるりと周回して新宿中央公園へ向かった。都知事室からもデモが見えるはず、怒りの声が聞こえるはずだ。それとも石原知事、聞こえぬふりですか?
 都庁内の都民ひろばに移って、その場で集会が開かれた。石原やめろネットは五月二十九日、再度の公開質問状を石原都知事に提出した。その回答を、この日の午後一時に受け取ることになっている。共同代表の朴慶南(パクキョンナム)さん、宮崎学さんら六人の代表が都庁内に入った。
 同ネットが四・九石原暴言の直後に行った公開質問状への知事側の回答は、「知事のマスコミへの説明をもって回答とする」という許せないものだった。
 午後一時半、日本で労組を結成して闘っている外国人労働者が発言し、歌なども交えながら集会を続けていた都民広場に代表団が戻ってきた。朴慶南さんが早速怒りを込めて、「知事はテレビで見解をしゃべったので、これ以上は話す必要がないというものでした」と知事室長の回答を報告した。そして「私たちの後ろには知事の発言に傷つき、怒っている人たちがいます。都知事がいくら自分は差別していないと言おうが、発言のあと外国人が暴力を受けている。ちゃんと答えてほしいと強く申し入れました」と語った。
 宮崎学さんも、「石原知事の『三国人』発言以降、いろんな問題が噴出している。全体主義的な国家への回帰が始まっている。『神の国』発言も同根であり、日本は神の国なら他の国は悪魔の国であるという排外主義の最たるものであるだろう。闘いの輪を広げて、具体的に行動していこう」と訴えた。
 最後に、七月十四日に予定される大集会への結集が呼びかけられ、九月へ向かっての行動が提起された。
 パラソルを都庁に向かって突き上げてシュプレヒコール。「ノーノー石原! 石原やめろ!」。九・三自衛隊治安演習を許さない大きなエネルギーの高まりを感じた。この怒りをストレートに解き放ち、石原知事に迫っていきたい。
 (投稿/山岸いずみ)

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週刊『前進』(1964号5面4)

 コミューン8月号

 森暴言を弾劾する

 石原の「三国人」発言につぐ森の「神の国」発言、「国体」発言は、帝国主義の朝鮮・中国侵略戦争にむけての戦争会議である沖縄サミットを目前にして、日帝が激しい危機感と焦りに駆られていることを衝撃的に露呈したものだ。
 今特集では第一章で、この間の一連の森暴言と居直りの意味するものについて、徹底的に暴露・弾劾した。同時にそれが体制的危機の反革命的のりきりのために、天皇制ボナパルティズムの再確立をめざして突進しはじめた日帝の本音そのものであることを明らかにした。また森暴言に対する野党、とりわけ日共の全面的屈服の姿勢についても明らかにした。第一章の末尾には、この間の一連の森暴言に関する資料と森の腐敗した反動的政治家としての経歴を掲載した。
 第二章では、沖縄サミットが戦争会議であることをまず徹底的に確認した上で、第一節で沖縄でのサミット開催が決定された昨年四月以降の悪らつな名護新基地建設攻撃と、それに対する沖縄人民、名護市民の闘争の切り開いた地平を明らかにした。第二節では九五年九・四の米兵による少女暴行事件以後の米軍基地撤去の闘いを軸とする沖縄闘争の激動の五年間を整理し、沖縄サミット粉砕闘争の重大性を明らかにした。
 翻訳資料は、激化する帝国主義間争闘戦と侵略戦争をより凶暴に遂行するための米帝の新たな戦略と、軍拡、全国家的改造の必要性を打ち出した「米二十一世紀国家安全保障委員会の第二段階レポート」を掲載した。

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週刊『前進』(1964号6面1)

 沖縄圧殺の「帝国主義の戦争会議」=サミットを粉砕せよ

 南北首脳会談は何をもたらすか

 東アジアの戦後体制の大崩壊と朝鮮・中国侵略戦争の歴史的切迫

 坂本千秋

 七月沖縄サミットを前にして、アジアと世界の激動は深まっている。南北朝鮮首脳会談は、戦後世界体制の決定的かなめであった朝鮮南北分断体制がついに大動揺と崩壊の過程に突入したことを示した。それは、南北両政権の思惑をはるかにこえて、朝鮮人民の南北分断打破=革命的統一への熱い思いをせきを切って解き放つものとなっている。同時に、この東アジアにおける戦後体制の崩壊的危機に対して、日米帝国主義による勢力圏の再分割をかけた争闘戦が決定的に爆発しようとしている。米日帝による朝鮮・中国情勢への介入と新たな凶暴な侵略戦争への攻撃は不可避だ。それは、体制崩壊の危機に直面する中国・北朝鮮スターリン主義の延命へのあがきと一体で、世界戦争の瀬戸際に再び全人民を引きずり込むものだ。闘う朝鮮・中国|アジア人民と固く連帯した日本労働者人民の階級的大決起が、今こそ本当に求められている。その一切をかけて、七月沖縄サミット粉砕決戦に立ち上がろう。

 第1章 金大中-金正日の協商会議は双方の体制延命こそが狙い

 六月十三日から十五日にかけて行われた韓国大統領・金大中の北朝鮮訪問と南北朝鮮首脳会談は、朝鮮半島と全アジア、世界を新たな激震にたたき込むものとなった。第二次大戦の戦後処理と一九五〇年の朝鮮戦争によって生み出された朝鮮半島の南北分断体制がついにその行きづまりを全面露呈し、危機と矛盾の爆発、大崩壊を不可避とする過程に突入した。
 言い換えるなら、朝鮮半島全域が、新たな革命的激動の真っただ中に突入したことがはっきりと示されたのである。
 金大中と金正日による初の南北首脳会談の実現と共同宣言の発表はその意味で、これまでしばしば繰り返されてきた南北政権間の何の実質も伴わない「交流・和平」の掛け声とは画然と異なる、決定的な情勢の到来である。
 両者はそこで@「統一問題の自主的解決」を確認し、A南側の連合制による統一案と北側の連邦制による統一案との間には共通性があり、この方向で統一をめざすと宣言した。さらに、B離散家族の再会と非転向長期囚問題の解決、C北朝鮮の社会資本整備への韓国政府による協力など、経済協力と社会・文化交流の推進、Dこれらを実施に移すための当局者対話の早期開催について合意した。金正日のソウル訪問も共同宣言の中に盛り込まれた。
 同時に開催された南北間の経済協力に関する協議には、韓国の主要財閥のトップクラスが出席。韓国企業の北朝鮮進出を促進するための投資保護協定や二重課税防止協定の締結に向けた協議を開始した。当面する協力事業の筆頭には、朝鮮戦争で断絶されたままになっていた、中国との国境地帯にある新義州と南のソウルを結ぶ鉄道(京義線)の復旧が挙げられている。
 この南北共同宣言と、金正日によるピョンヤン空港での異例の出迎えと両首脳の握手、続く宴席などでの巧みな「和解」の演出は、“これで朝鮮半島に平和が訪れる”という大いなる期待を一斉に呼び起こすものとなっている。
 だが、この首脳会談自体は、後述するように、韓国・金大中政権と北朝鮮スターリン主義・金正日体制の双方の、“体制的危機のりきりのための政治的協商”という本質をもつものである。あくまで分断体制の延命のためのものであり、朝鮮人民の真の統一と平和への願いを体現したものでは断じてない。
 だがしかし、いったんものすごい勢いで呼び起こされた統一への期待を、もはや再び抑え込むことはけっしてできない。在日を含めた南北朝鮮のすべての人民が「ついに時代を変える時がきた」と感じて動き出している。それは今や、南北両政権の思惑や、裏切りと闘争圧殺などはるかに超えて、帝国主義とスターリン主義のもとで約半世紀もの長期にわたって抑圧され続けてきた全朝鮮人民の南北分断打破=革命的統一への熱い思いと自己解放へのエネルギーを、一気に、爆発的に解き放つものとなりつつある。ここに、今日の情勢の最も決定的な核心問題があるのだ。
 すでに南朝鮮・韓国では、米軍演習の中止と在韓米軍の撤退を求める労働者・学生の闘いが、この南北首脳会談をも新たな引き金として激しく燃え上がっている。ソウル近郊の梅香里(メヒャンリ)では、五月八日に演習中の米軍機の爆弾投下によって多数の農民が負傷したことに人民の怒りが爆発し、デモ隊が連日、米軍基地を包囲し、機動隊との激突を繰り返す大闘争に発展してきている。
 米帝と日帝は、事態のこのような発展に恐怖し、危機感をつのらせている。とりわけ米帝は、台湾総統選での国民党の敗北に続いて、朝鮮半島においても情勢が自らのコントロールの範囲を明らかに超えて進み始めたことに衝撃を受け、帝国主義的介入と事態の制圧、人民の闘いの圧殺のために全力を挙げた動きを開始した。
 米帝は直ちに、国務省や国防総省の記者会見で、「北朝鮮の脅威は消えていない」「朝鮮半島の統一後も在韓米軍の駐留は続ける」と挑戦的に宣言した。六月二十二、二十三日にはオルブライト国務長官が中国と韓国にのりこみ、「在韓米軍三万七千人は東アジアの安定のために必要」で、撤退も削減もしないことを金大中にあらためて確認させた。さらには、クリントン米大統領が沖縄サミット時に沖縄戦犠牲者の慰霊碑がある摩文仁(まぶに)の丘で、沖縄米軍基地の戦略的意義を強調する演説を行うと発表した。
 さらに日帝は、米帝以上に焦りを深め、七月沖縄サミットの最大議題として朝鮮問題を取り上げることを表明した。日帝は、北朝鮮への敵視と排外主義を米帝以上に徹底してあおる政策をとってきた中で、「このままでは日本だけが取り残される」(外務省)と危機感をつのらせ、むきだしの政治的軍事的介入への衝動を限りなく強めている。
 これらの全情勢は明らかに、この朝鮮半島情勢と中国・台湾情勢を最先端として、東アジアの総体がこれまでとはまったく異なる巨大な危機と激動の過程に入ったことを示している。第二次大戦後の帝国主義のアジア支配を支えた一切の戦後的枠組みが、その中心部から瓦解(がかい)する時代を迎えたのだ。南北朝鮮首脳会談はまさにその最後的な引き金を引いたのだ。
 これから始まる南北共同宣言の「合意」を実施に移していくプロセスは、その一つひとつが、朝鮮人民の統一要求との真っ向からの激突となる。それが裏切られ闘いが抑圧されるたびに、朝鮮人民の根底からの怒りがいよいよ爆発していく情勢に入るのだ。それは、北朝鮮スターリン主義・金正日体制の崩壊的危機と韓国の国内危機の一層の爆発をもたらす。
 さらには、中国スターリン主義の大崩壊の危機、ロシア危機、インドネシアなど東南アジアでの危機の再燃とも連動し、米日帝による朝鮮・中国侵略戦争への凶暴な突進と、アジアの再分割をめぐる帝国主義間争闘戦にいよいよ拍車をかけていくのである。
 朝鮮・中国―全アジアは今や完全に、一九三〇〜四〇年代をもはるかに上回る大激動の渦中に突入したと言える。〈戦争か革命か〉が真っ向から問われる時代が再びやってきたのだ。
 このことをより明確にするために、今日の朝鮮危機の核心問題について、いまひとつ踏み込んで明らかにしていきたい。

 第2章 深まる韓国・北朝鮮危機と南北分断体制の根底的動揺

 第一にはっきりさせなければならないことは、金大中=金正日会談の本質である。それは、今日ふりまかれているような、朝鮮半島に「統一と平和」を真にもたらすものではまったくなく、またそのように努力する立場から行われたものでも断じてない。
 その核心は、南朝鮮・韓国と北朝鮮スターリン主義の国内危機・体制的危機が双方ともに深刻化する中で、南北の両政権がそれぞれの危機のりきりと延命のために、思い切った政治的取引に踏み切り、一定の協商関係の形成に動いたということにほかならない。そのことは、この首脳会談に至る経緯とその内容をみれば明白である。
 今回の南北首脳会談は、三月九日の金大中韓国大統領の「ベルリン宣言」に始まった。金大中はそこで「北韓の経済的困難の克服を助ける」と称して、北朝鮮の社会資本拡充のために大規模投資を行う用意があり、そのためには「統一よりも冷戦終結と平和定着」を当面の目標にすべきだと提案した。そして北朝鮮当局との秘密接触を重ね、四月十三日の総選挙をにらんでその直前に首脳会談の合意成立の電撃発表を行った。この発表は、「これで北朝鮮特需が可能になる」という大々的なキャンペーンと一体で行われた。
 これに先立つ本年年頭の演説で金大中は、「南北経済共同体」の建設構想を打ち出している。そこでは、南北は「資本、技術、土地、労働力を結合」することで「互いに経済的利益を得られる」としている。これは、北朝鮮の土地と豊富な地下資源、労働力を韓国資本の新たな搾取と収奪の対象にしていくということである。金大中政権と五大財閥を先頭とした韓国支配層が、今日の韓国経済の行きづまりとそれがもたらす国内危機の打開を、いわゆる「太陽(包容)政策」のもとで、この「北朝鮮特需」の一点にかけたことを示すものである。
 すでに九七年以降の金融・経済危機爆発の中で、韓国企業は、労働者階級への大量首切り・リストラの大攻撃に訴えると同時に、一部生産拠点の北朝鮮への移転にこぞって食指を動かし始めている。「北朝鮮は言葉が通じるし、人件費は韓国の十分の一。不良品の発生率は三%未満で中国製に勝る。納期の遅れもない」(北朝鮮進出企業関係者の証言、六月九日付朝日新聞)というのがその本音だ。
 そのために最大のネックになっているのが鉄道・電力・港湾などの北朝鮮のインフラ整備だ。これを韓国政府の協力と主導で行い、韓国資本にとっての新たな市場にもしていくと同時に、北朝鮮経済のヘゲモニーを奪い、手中に収めていく――これが「北朝鮮特需」論の最大の狙いだ。
 この背景には、今日の韓国経済の深刻な危機の継続がある。韓国経済は昨年、経済成長率が一〇・七%を記録したことで九七年以来の危機を脱したと宣伝されているが、その内実は、企業の外資への投げ売りによる帝国主義資本の大量導入と、同じく大量の国家資金の投入、そのもとでのIT(情報技術)関連投資を中心とした株投資ブーム=一種のミニバブルの創出や、労働者への極限的な犠牲転嫁などによってかろうじて支えられているにすぎない。
 その裏側では、韓国最大の財閥・現代グループが本年五月に資金難から経営破綻(はたん)の寸前に追いつめられたことにみられるように、不良債権のさらなる増加や巨額の対外債務の急増という現実がある。米帝経済や世界経済の動揺によって外資の再引き揚げが起きたり、対米輸出の鈍化に直面すれば、直ちに株価暴落と新たな金融・経済恐慌の爆発が避けられないというきわめて不安定な状態だ。他方で所得格差の拡大と労働者人民の失業・貧困はますます深刻化し、階級対立は激化・非和解化の一途をたどっている。
 こうした中で金大中は、労働者人民の怒りをそらすためにも、南北会談に政権の延命をかけてのめり込んだのだ。
 これに対して、北朝鮮スターリン主義が新たな対外政策への思い切った転換と踏み切りを行ったことが、今回の首脳会談の背景にある。そこには、北朝鮮スターリン主義・金正日体制の危機が一層深まり、もはや他に出口がないところに完全に立たされたという、きわめて絶望的な姿がある。
 北朝鮮経済は昨年、経済成長率が十年ぶりにプラスに転じたと報道された。九〇年代に入って以来、毎年マイナスに次ぐマイナスを記録してきた歴史にようやく歯止めがかかったとされるが、GDP(国内総生産)の規模は八九年の七五%という水準に落ち込んだままである。世界革命とマルクス主義、共産主義を完全に否定し歪曲した金日成・金正日の「主体思想」にもとづく「ウリ(われわれ)式社会主義」の建設という、極度に破産的なスターリン主義的国内建設路線のもとで、農業生産の破産が深刻な食糧危機を引き起こし、エネルギー不足が頂点に達している。
 この間の生産の回復は、九九年の一年間で六億六千万jに達した外部からの食糧・燃料支援、昨年始まった金剛山観光事業に伴う韓国からの開発資金投入などが、経済の再建に一定の役割を果たしたからにすぎない。
 こうした北朝鮮スターリン主義の経済危機は、米帝による戦後アジア支配の最大のかなめだった帝国主義とスターリン主義による朝鮮半島の南北分断体制のもとで、三八度線をはさんで巨大な米軍事力との対峙・対決を強いられることによって一層深刻化し続けてきた。ソ連・東欧の崩壊は、そこに決定的な打撃を加えた。体制存亡のふちに立たされた金日成・金正日は、残された最後の手段として反人民的な核(武装化)政策に突き進み、それをテコに米帝との取引関係の形成を狙う冒険主義的な瀬戸際政策にのめり込んだ。
 米帝はこの北朝鮮スターリン主義の危機をみすかし、すさまじい戦争的重圧を加えて北朝鮮国家の反革命的転覆を狙う攻撃をしかけるとともに、北朝鮮を米帝の帝国主義的制圧力のもとに政治的にもからめとるために、「九四年米朝合意」の枠組みを設定した。
 だが北朝鮮の核開発放棄の代償として米帝が約束したKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)による軽水炉建設は、当初の二〇〇三年の完成予定から遅れに遅れ、今日まったく暗礁にのりあげている。このことが北朝鮮のエネルギー危機をますます深刻化させ、経済全体をどんな自力再建も不可能なところにたたき込んでしまっている。
 こうした中で、北朝鮮スターリン主義・金正日は、自らの独裁体制の存続のためにも対外政策上の思い切った踏み切りを行い、南朝鮮・韓国を窓口とした帝国主義資本の導入を受け入れる以外ないところに完全に追いつめられたのだ。
 南北会談に先立つ金正日の訪中やロシアとの関係の再強化、イタリアその他の諸国との国交樹立やARF(ASEAN地域フォーラム)への参加などは、そうした背景のもとに展開されてきたものである。その最大の柱として、金正日自らが、金大中との会談とその「南北経済共同体」提案を受け入れる決定を下したのであった。
 したがって、「統一と和平」への南北間の合意とは、あくまで南北双方の反人民的な支配体制の延命と維持のために、その限りで一定の「平和共存」関係を取り結ぶというものでしかない。南北朝鮮人民・在日朝鮮人民が戦後半世紀にもわたって心の底から希求し続けてきた、民族の統一と団結の回復への切実な思いとはまったく相反するばかりか、それを踏みにじるものだ。「ゆるやかな連邦制案」などと称して、実際には南北分断体制の危機のりきりと半永久的固定化をめざすものであり、真の革命的統一をめざす朝鮮人民の決起に真っ向から敵対するものなのである。

 解放を求める人民との矛盾

 第二にはっきりさせなければならないことは、金大中と金正日が選択したこの反人民的な路線はしかし、今日彼らが直面している危機を根底的に突破しうるものでは断じてないということである。いや逆に、真の統一と自己解放を求めて決起する全朝鮮人民との間にいよいよ非和解的な矛盾がつくりだされてくる中で、南北双方の体制的危機、朝鮮南北分断体制そのものの危機と破綻を一層、泥沼的に深めるものである。
 その第一は、北朝鮮スターリン主義の体制崩壊の危機の切迫である。北朝鮮スターリン主義がこれまで、「開放」政策の採用をかたくなに拒否し続けてきたのは理由のないことではない。いったん外部への扉を開け放てば、韓国政府・企業を窓口として、帝国主義資本が大量の「モノと人」を伴ってとうとうと一挙に流れ込む。それは、これまでとは比較にならない巨大なスケールで人民の生活と意識に影響を与え、「ベルリンの壁」崩壊のような体制破壊的な作用をもたらすのだ。
 そして、金正日政権のもとで極度に抑圧され続けてきた人民の怒りとエネルギーの噴出の契機を、いたるところに、圧倒的につくりだすものとなっていくのである。
 その第二は、朝鮮人民の統一への願いが炎となって燃え上がる中で、南北分断体制の反人民性があらためて決定的に突き出され、その背後にある米帝・日帝の存在が一切の元凶として前面にあぶり出されてくることだ。
 朝鮮人民の南北分断打破=革命的統一の闘いは、究極的には、この闘いに敵対する南の金大中政権と北の金正日政権をともに打倒する闘いとして発展する以外にはない。さらには、この南北分断体制を一貫して支える最大の柱であり、朝鮮人民のあらゆる苦しみの真の元凶である、米帝を基軸とした帝国主義の世界支配を根底から覆す闘いとして発展する以外にはないものである。
 それはきわめて困難な闘いであるが、戦後世界体制の成立における朝鮮南北分断体制の歴史的位置は、闘う朝鮮人民を、全アジア人民、世界人民の解放闘争の最先端を担う位置に否応なしに立たせているのだ。だが今、南北首脳会談の衝撃を受けて新たに開始された朝鮮人民の不屈の闘いは、この困難を必ずや突破して世界を揺るがす闘いに発展するであろう。問われているのはただ二つの点だ。
 すなわち、一つはその闘いを指導する〈党の問題〉であり、いま一つはこの朝鮮人民と固く連帯して進む日本労働者階級人民の、帝国主義のど真ん中からの蜂起である。
 今日、在韓米軍の撤退要求と日米安保ガイドラインの粉砕が、朝鮮人民の闘いの大きな課題に浮上してきたことはその意味できわめて重大である。この闘いに断固として連帯し、沖縄闘争、ガイドライン闘争のさらなる発展と勝利を切り開くことは、今やすべての闘う日本労働者人民の絶対不可欠の課題であることを、固く確認して進まなければならない。
 その第三は、この朝鮮統一問題をめぐる南北両政権の危機の進展と人民の闘いの発展は、その危機と激動の全アジアへの波及を不可避に呼び起こしていくということである。
 何よりも、帝国主義とともに朝鮮半島の南北分断体制を自らの存立と延命のよりどころとしてきた中国スターリン主義の危機は、これによって一気に重大段階に突入する。中国・台湾情勢への連動は避けられない。さらに中国のWTO(世界貿易機関)への加盟は、中国全土をこれまで以上に帝国主義資本のえじきとして差し出すものとなり、この面からも体制の危機を決定的に促進するものとなろうとしている。
 さらに、インドネシアで、フィリピンで、アジア・太平洋各地で、内乱・内戦的な情勢が激化している。これが一層促進される。残存スターリン主義を巻き込んだアジア新植民地主義支配体制の崩壊的情勢は、帝国主義の侵略と闘うアジア人民の民族解放・革命戦争の新たな発展をつくりださずにはおかない。今やアジアにおける革命的情勢の成熟が、日一日と深まっていく時代を迎えたのだ。

 第3章 米日帝の戦争攻撃を粉砕し「連帯し内乱へ」貫き闘おう

 第三にはっきりさせなければならないことは、こうした南北朝鮮首脳会談とその波及が直ちに、米・日帝国主義の激甚な反応を呼び起こし、朝鮮・中国侵略戦争の歴史的切迫情勢を決定的に促進するものとなっていることだ。ここに最大の問題がある。
 今回の南北会談とその合意は、対北朝鮮政策をめぐる米日韓の緊密な一致と意思統一のもとに行われたものではない。そこには明らかな「ズレ」が存在している。とりわけ米帝は、今回の南北会談が米帝の朝鮮・中国侵略戦争政策の枠組みから外れたところで、米帝のコントロールのきかない形で進んだことに、すでに述べたように激しい危機感を燃やしている。そして情勢のヘゲモニーを奪い返すために、あらゆる手段を駆使した帝国主義的けん制と介入に全力で動き出している。
 米帝の朝鮮・中国侵略戦争政策は、帝国主義の危機が世界大恐慌とブロック化、新たな世界戦争の現実化として全面爆発する時代に突入した中で、米帝が他帝国主義を圧倒し、先制的にたたきつぶして世界の再分割戦に勝利していくための、その中心にすえられている政策である。その本質と焦点はアジア支配をめぐる対日争闘戦にある。
 米帝はそこで、中国、北朝鮮というアジアの残存スターリン主義の崩壊的危機をにらみ、その体制転覆を戦略的柱にすえて、米帝にとって最も都合のよい時期と方法を選んで侵略戦争に突入しようと策動してきた。同時に、その戦争政策が生み出す巨大な軍事重圧のもとに相手を屈服させ、からめとり、東アジア全体の政治的制圧とそのもとでの新植民地主義的侵略の強化を画策してきた。そのために沖縄米軍基地を半永久的に確保し、日米新安保ガイドラインを締結し、東アジア米軍十万人体制を展開し続けてきたのである。
 この米帝にとって、自らのコントロールを離れたところで南北朝鮮間の独自の交渉が進むことなど、絶対に認められないことなのだ。なぜならそれは、今日の日米争闘戦の激化のもとでは、米帝のすきをついた日帝の対米対抗的な独自のアジア再侵略と戦争国家化への凶暴な突進を必ずや呼び起こすからである。
 米帝は今日、「二十一世紀国家安全保障委員会報告」や、国防総省の「統合ビジョン二〇二〇」、同諮問機関の「二〇二五年のアジア」と題する報告で、米帝の世界軍事戦略上の最大の重心を欧州から東アジアに移すことを宣言した。そこでは朝鮮半島の統一や中国との戦争、日帝の核武装化などが具体的に想定され、これへの対応が叫ばれている。米帝は本気でアジアにおける世界大戦級の大戦争に突入することを考え、これへの準備に全力を挙げてきているのだ。
 南北朝鮮首脳会談は、この米帝の世界戦争策動に決定的な拍車をかけるものとなった。米帝は今や、「旧ソ連の例をみれば、変革はいったん始まると、非常に早く進む」(ベーコン米国防総省報道官)と、北朝鮮スターリン主義の崩壊が遠くないことを想定し、いつでも軍事行動に移れる体制をとると事実上宣言している。
 欧州帝国主義やロシアも、米帝のこの動向をにらんで、朝鮮半島情勢への介入と発言権を確保するための動きを強めているのである。プーチン・ロシア大統領の北朝鮮訪問は、その一環にほかならない。
 そして、この情勢において、帝国主義として絶望的な焦りと最大の危機感をつのらせているのが、日帝である。
 日帝は、米帝の行う朝鮮侵略戦争を同時に日帝自身の行う戦争として、そこへの主体的積極的参戦をとおして改憲と有事立法、戦争国家への反動的大転換の道を開こうとしてきた。日米安保ガイドラインをテコとして、米帝・米軍の「後方支援」の形をとりつつ、日帝・自衛隊の独自の朝鮮出兵と武力行使への突撃路を切り開くことを狙ってきた。そのために「朝鮮有事=日本有事」を宣伝し、北朝鮮スターリン主義への排外主義を最大限にあおり立てる政策を米帝以上に意識的にとってきたのである。
 この立場から日帝は、「ミサイル問題」や「拉致(らち)疑惑問題」をことあるごとに持ち出しては、北朝鮮への戦争的重圧を意図的に強める政策をとり続けてきた。だが南北首脳会談によって生み出された新たな情勢は、こうした日帝の立場を破産に追い込み、はじきとばしてしまおうとしているのだ。
 このことは、日本の労働者階級人民に、きわめて重大な階級的課題と歴史的責任をつきつけている。
 第一に、日帝の政治危機、体制的危機はこの中でいよいよ決定的に進む。第二に、日帝支配階級の絶望的な危機感と焦りの中から、一九三〇年代をも上回る対外侵略への激しい、これまでをもはるかに上回る凶暴な衝動が噴き出してくることが不可避である。石原や森の暴言に示されたように、朝鮮・中国―アジアへの再度の侵略戦争と戦前的な天皇制ボナパルティズム国家の復活への動きに、いよいよ拍車がかかっていくということだ。
 六月総選挙の結果と森政権の続投は、日本階級闘争が、まさにこれから、そうした一九三〇年代的な内乱的激動情勢の真っただ中に入っていくことを示すものである。この内乱的激動を、同時に日帝打倒へのかつてない革命的情勢の成熟としてとらえ、今こそ闘う朝鮮人民、アジア人民と連帯して突き進む時が来ているのだ。
 「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱へ」「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」――この〈二つの連帯戦略と一つの打倒戦略〉を高く掲げて、米日帝の朝鮮・中国侵略戦争絶対阻止へ、断固とした闘いを開始しよう。
 衆院選決戦の歴史的地平を引きつぎ、森・自公政権打倒、沖縄サミット粉砕の決戦に総決起し、世界にとどろく戦闘的大デモを闘おう。

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週刊『前進』(1964号7面1)

 沖縄圧殺の「帝国主義の戦争会議」=サミットを粉砕せよ

 全国から沖縄現地に総結集し

 世界揺るがす戦闘的大デモを

 日帝・森の「侵略戦争宣言」粉砕へ

 「平和と安定」掲げ侵略戦争

 七月二十一日から二十三日まで沖縄県名護市の万国津梁館で開かれる主要八カ国(G8)首脳会合(沖縄サミット)の日程が決まった(日程表参照)。これに先だって、八日には福岡市でG7蔵相会合が、十二日から十三日まで宮崎市でG8外相会合が開かれる。
 沖縄サミットでは、七つの帝国主義国家とロシアの頭目が、「世界の平和と安定」のために、紛争予防、軍備管理・軍縮問題、地域情勢や情報技術(IT)問題を討議し、合意文書を採択し、発表するという。
 帝国主義やロシアは、沖縄サミットで何をしようとしているのか。それは帝国主義各国が生き残りと延命をかけて、世界の市場と資源を奪い合うことだ。帝国主義同士が死活をかけて抗争することだ。帝国主義が世界の新植民地主義体制諸国の人民からの搾取と収奪を一層強めることだ。その帝国主義の支配が破綻した地点で、帝国主義やロシアのいう「地域紛争」が発生するのだ。帝国主義やロシアがその「地域紛争」を軍事的に制圧すること、すなわちユーゴスラビア爆撃のような侵略戦争を行うことを「世界の平和と安定」と呼んでいるのだ。
 アメリカ帝国主義は、自らが生き残り、世界支配の覇権を打ち立てるために、アジアにおける排他的な軍事的覇権の確立に向かって動き始めた。それを「アジア重視への転換」と称している。ヨーロッパの帝国主義は、南東欧の勢力圏化とそこでの侵略戦争遂行のために、EU緊急展開軍と治安警察部隊の創設に動き始めている。
 日本帝国主義は、日米新安保ガイドライン体制を構築し、再び朝鮮・中国−アジア侵略戦争に踏みだそうとしている。
 戦後体制は東アジアを焦点に最後的崩壊過程に突入している。帝国主義が戦後蓄積してきた全矛盾が噴き出そうとしているのだ。それは、残存スターリン主義諸国や新植民地主義体制諸国の存立の条件をことごとく奪い取るものとなるであろう。
 世界は、二九年型大恐慌の奈落の底への転落を深め、帝国主義の侵略戦争と、帝国主義同士の対立・抗争の世界戦争への転化に向かって突き進んでいる。
 帝国主義が大恐慌と戦争によって、世界の労働者階級人民にその犠牲を強制しようとしているのである。沖縄サミットはその歴史的転換点を画するものになろうとしている。全世界の労働者階級人民、被抑圧民族人民は、団結して大恐慌と戦争の元凶=帝国主義を打ち倒すために闘おう。

 「朝鮮」を議題に再侵略策す

 帝国主義の戦争会議・沖縄サミット粉砕を掲げ、戦闘的な総決起をかちとることは、日本の労働者階級の国際主義的責務だ。
 それは、アメリカ帝国主義やヨーロッパの帝国主義と並んで、ほかならぬ日本帝国主義が沖縄サミットで朝鮮・中国−アジア侵略戦争突入を宣言しようとしているからだ。世界大恐慌過程の深まりの中で、日帝が生き残る道は、アジア侵略と勢力圏化以外に残されていない。台湾、朝鮮、中国東北部の植民地化とそこを前線拠点にした、中国への全面的な侵略戦争、アジア太平洋への侵略戦争、そして第二次世界大戦に突入していったあの十五年戦争の歴史を再び繰り返すことを沖縄サミットで宣言しようというのだ。
 今度こそ、日本労働者階級は、「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」のスローガンのもとに総決起し、日本帝国主義を打倒しなければならない。
 日帝は、南北朝鮮首脳会談を受け、「紛争予防・地域情勢」で朝鮮半島問題を首脳会合のテーマに取り上げ、「特別声明」を出そうと画策している。日帝は、独自の朝鮮半島政策をもって、朝鮮再侵略を狙っているのである。日朝国交正常化や朝鮮半島をめぐる六カ国協議(日、米、中、ロ、南北朝鮮)、さらには「南北経済交流」などを水路にして新植民地主義的再侵略に道を開こうとしているのである。
 かつて日本の労働者階級が、十五年戦争を阻止しえず、日帝による朝鮮・中国−アジア侵略戦争によって数千万人のアジア人民を虐殺し、侵略しじゅうりんした歴史を断じて繰り返すな。今度こそ、闘うアジア人民と連帯し、日帝の朝鮮・中国−アジア侵略と侵略戦争を阻止し、日帝を打倒しなければならない。第一次世界大戦が生み出した帝国主義の危機をロシア革命に転化したロシア労働者階級の歴史的事業を引き継ぎ、必ずや勝利しよう。

 森の「英霊」発言に怒りを

 そのためにも、沖縄人民と連帯して、沖縄現地でこそ、戦争会議・沖縄サミット粉砕の大デモンストレーションをたたきつけることが求められている。
 日米帝国主義が、新安保ガイドライン体制の発動をもって、朝鮮・中国−アジアに侵略戦争を強行するとき、沖縄米軍基地こそその最大拠点となる。沖縄には、沖縄戦−米軍占領下での土地取り上げによる基地建設、日米安保体制のもとで米軍基地の強化・固定化を押しつけてきた歴史がある。日米帝は、今度は新安保ガイドライン体制のもとで、侵略戦争と新基地建設の犠牲を強要しようとしているのだ。そのためにこそ、サミットの沖縄開催に踏み切った。これは沖縄圧殺の攻撃そのものだ。
 しかも、あろうことか、クリントン米大統領は沖縄戦の最激戦地であった糸満市の摩文仁(まぶに)の丘にある平和祈念公園を訪問し、沖縄が米軍駐留を受け入れ、世界平和維持に貢献しているとし、沖縄県民に謝意を表すというのだ。
 帝国主義による戦争の犠牲者の前で、沖縄人民にもう一度“戦争と基地の犠牲を受け入れ続けよ”“帝国主義の戦争に貢献せよ”とクリントンに演説させることなど絶対に許さない。クリントンを摩文仁の丘に一歩たりとも踏み入れさせてはならない。
 また、六月二十三日に沖縄全戦没者追悼式に出席した森喜朗はその日の午後、名古屋市の街頭演説で「国民を代表して英霊の御霊に哀悼の意を捧げて参りました」と発言した。帝国主義の戦争犠牲者を「英霊」と呼び、再び日帝の侵略戦争の先頭に立ち、「天皇を中心とする神の国=日本国家」のために貢献せよと言い放ったのである。
 沖縄サミット攻撃の正体はあまりにも明らかだ。森やクリントンが朝鮮・中国−アジア侵略戦争を宣言することを絶対に阻止しよう。沖縄人民の反対の声を圧殺して名護新基地を押しつけ、新安保ガイドライン体制のもとに沖縄人民を組み敷こうとする攻撃を実力で粉砕しよう。
 沖縄人民と連帯して沖縄サミット粉砕決戦に総決起しよう。反戦共同行動委員会が呼びかける七月十九日の那覇市内デモをかわきりに、二十一日サミット会場を直撃する名護市内デモを空前の戦闘的デモとしてかちとろう。このサミット粉砕デモを頂点に、二十三日のサミット閉幕にいたるまで連日大衆的に、戦闘的な行動を繰り広げよう。
 帝国主義の戦争宣言に対して、「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の旗を高々と掲げ、権力の超厳戒体制を打ち破り、カクマルの敵対を粉砕して、全世界を揺るがす戦闘的デモを実現しよう。

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週刊『前進』(1964号7面2)

 7・20嘉手納基地を包囲しよう

 反戦平和の発信を

 必ず島ぐるみの闘い生む

 元沖縄軍用地違憲訴訟支援県民共闘会議議長 宜保幸男さんに聞く

 七・二〇嘉手納基地包囲「人間の鎖」行動へ、全国からの結集を呼びかけている宜保幸男さん(元沖縄県高教組委員長、元違憲共闘議長)にお話をうかがった。「必ず民衆は立ち上がる」と確信を持って訴える宜保さんのアピールにこたえ、全力で沖縄現地へ結集しよう。(文責・編集局)

 機能強化する基地県内移設

 −−サミットは、なぜ沖縄開催ということになったのでしょうか。
 沖縄の米軍基地をめぐって起きている問題を政府がどう抑え込んでいくか、ということがサミットの沖縄開催を決めた一番大きな理由だと思います。SACOの最終報告が出て、膠着(こうちゃく)状態になっている。九五年の少女暴行事件以来、基地の整理・縮小は、私たちをなだめるために言わざるをえなくなったが、県内移設がその条件として入ってきた。この県内移設は、運動の状況などを見て、サミットとか経済振興策とかのほかの条件がなければ、到底不可能です。
 クリントン大統領が「基地問題が解決しなければ、沖縄サミットに行きたくない」と言ったあと、形の上ではバタバタと稲嶺知事、岸本名護市長の受け入れ表明ということがあり、また建設位置も決まったかのような状況になっています。
 −−基地の県内移設の問題点はなんでしょうか。
 ここで大きな問題になるのは、日本が敗戦後、経済大国さらに軍事大国になって、米国と結んでやっていることです。日本の戦前回帰とからんで、アジア太平洋地域の人びとは、もう一回アジア太平洋地域に植民地的、侵略的なことをしてくるんじゃないかと思っています。経済的にはすでにやっているわけです。
 日本が戦前・戦中・戦後に、アジア太平洋の人たちに行った行為についてきちんと謝罪し、補償して責任をとり、けじめをつけなければいけません。米軍基地の問題は、アジア太平洋地域全体の人の理解を得て、民衆同士の交流が基礎にならないと駄目です。
 私たちは、韓国や朝鮮、中国、台湾、フィリピンその他のアジアの民衆レベルの人びとに年に何回か沖縄に来てもらって、そして私たちも出かけていって、直接、対話をするということをしています。アメリカや日本の被害を受けている人たちは、今もなおいらっしゃるわけですから、私たちは私たちの課題を、東南アジアの人たちは東南アジアの持っている課題を、そしてアジア全体の人たちの持っている日本への課題を、一緒に解決のために連帯して頑張ると、このことが非常に大事なことです。
 米軍基地は一番いいのはなくすこと、次にアメリカに持ち帰ってもらうこと、それができなければ、あえて言いますが本土の方に持っていってほしい。
 県内移設について彼らは「基地の整理・縮小、統合」と言います。「統合」というのは、いろいろな機能を集中して強化していくということです。キャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブ、北部訓練場など海兵隊の基地・訓練場があり、また大浦湾、金武湾にも接続していて上陸演習もできるところに、今ある普天間基地の機能を持ってくれば、軍事的な機能は数倍どころか何十倍も強化されます。
 大浦湾には、米軍が占領中に軍港をつくろうとしたが、民衆の抵抗のために頓挫(とんざ)したのです。今度は、日本政府が大々的に力を貸して、新しい基地をつくろうとしている。
 キャンプ・キンザーも生かしたいということで、那覇軍港を浦添にもっていけば、キンザーは兵站(へいたん)基地ですから、すぐに結びつく。
 今の那覇軍港では大きな原潜、空母はUターンできません。年間十数隻、それも輸送船しか入港しない。多くの輸送船も安謝港に陸揚げして、それで浦添まで運んでいる。そんな状況ですから、那覇軍港は彼らとしても厄介ものになっていた。それがSACO報告でようやく落ち着くことになった。
 米軍が占領中に沖縄基地を再編・強化して、近代戦争に対処できるような基地に造り替えようとした計画が三十年、四十年経って、またぞろ芽を出してきたと考えたらいいと思います。

 戦争のための沖縄米軍基地

 −−沖縄の米軍基地の役割はどういうものですか。
 沖縄基地が果たしている役割は、胴体、腕力です。頭脳は東京にあります。暴力が沖縄から外に出て、悪さをしていく。この悪さは人命を損なう悪さで、最大の被害を与える。最初は「極東の範囲」ということで朝鮮戦争をやり、次にベトナムに行った。ベトナムは「極東」の範囲に入っていなかったから、フィリピン沖で部隊名を変えて、ベトナムに送りました。
 そして、復帰したあとは八千〜九千人の海兵隊を中東に送った。嘉手納基地からもF15戦闘機が何十機か行った。昨年はユーゴスラビアのコソボにも行っている。イラクやコソボでは、沖縄に保管していた劣化ウラン弾を使用した。
 一番心が痛むことは、私たち自身が沖縄戦で体験したこと、軍隊のために、国益のために庶民が一番の被害者となっていることです。近代戦争では、局地戦であっても最も大きな犠牲を受けるのは民衆です。そうしたことが、沖縄から出ていった米海兵隊などによって引き起こされている。
 沖縄の米軍基地が戦争のために使われていることが、いたたまれないわけです。だから基地反対運動をやっている。
 また、外に向かって侵略する軍隊は、人殺しのストレスから、後方の沖縄でも犯罪を行い、沖縄の人たちの人命を奪ったり、人権を侵害したりする。こういう犯罪が枚挙にいとまがない。
 外にも大きな被害、内でも被害が出る。こういうことから、沖縄と日本全体から、米軍基地は絶対になくしてほしい。本土の人たちも僕たちが今抱えている苦しみ、基地があることによって受けているすべての苦しみに共感して、基地を取っ払うために一緒に本気で頑張ってもらいたい。
 私が強調したいのは、日本国民は少数派の意見をどう考えるのかの問題です。少数意見が多数意見になって、歴史は進歩、発展してきているわけです。だからそのあたりを国民全体としてどう考えるのか。基地問題であれば、沖縄という離島に集中しているために全国的な問題になりきっていないが、では沖縄の基地を東京のど真ん中に持ってきたら、日本全体はどういう反応を示すのか。
 本土全体として、それを代表する国会、行政府を見ている限り、今の段階では非常に残念だが、悲観的に見える。しかし、それでも私は、本当の意味での民主主義、主権在民、基本的人権の尊重、平和主義、地方自治、すなわち沖縄の主体性やそれぞれの地域の主体性を尊重しあう国が、国民全体の力で下からできあがっていくことに期待したいし、国民は必ず立ち上がるということに信を置いて、頑張り続けていきたいなと思っています。
 −−新基地建設問題はサミット後に持ち越されたのでしょうか。
 運動はサミット後に先送りになったとは思いません。県内の運動があったからサミット後になったわけです。ただこの場合、痛み分けだと思っています。
 選挙や政治は非常に重要な要素だが、それが中心になる限りは、基地問題は解決されないと思います。沖縄の民衆がどう考え、どう動いていくのかということです。そこを抜きにして最終的決着を彼らが急ぐのなら、私たちが島ぐるみの闘争を組んでつぶす結果になるでしょう。私は、それだけ沖縄県民を信頼します。今までの闘いの中でも、非常にきわどい正念場の問題については、島の人間の誇りにかけて反対し、それをくい止めてきたわけですから。だから、今後もそういうことになると思う。
 民衆の闘いが基底にあって、民衆の動向が政治をも動かす。今回、大田さんが敗れ、稲嶺さんが勝ったのはひとつの現象として深刻な影響を与えることはあるが、これに負けて私たち民衆の闘いがすぼめば、当然この政治の結果どおりになるでしょう。だが、私たちが立ち上がって、きちんとした闘いの道を進めば、いくら稲嶺さんが基地受け入れを願おうが、できないのです。
 基地問題は、政治を超えた民衆の結束を、いわゆる島ぐるみの闘いを生む力を持っているのです。今、日本政府は、金をばらまいたりして、分断することに非常に力を入れているし、これに手を貸す人たちもいますが、庶民も揺れ動きながらも、必ず正しい方向に行くだろうと思います。

 民衆の闘いでサミット後に

 −−民衆の闘いが決めるということですね。
 これを強調したのは、サミットまで決着つけさせなかったというのは、民衆の闘いの成果だということです。だから政治的に痛み分けがあるということです。これは「どえらい」と言って評価しておかんといかんです。甘く評価したらシッペ返しをくいます。相当大きな痛手をこうむります。しかしそれでも中心的な課題では、結局そのまま決着をつけさせないで、サミット後に持ち越した。
 それから次に、沖縄にとっては命にも代えがたい問題ですが、沖縄戦の問題です。明治の琉球処分、沖縄戦、戦後の米軍占領、われわれの生き方、人間の尊厳にかかわる歴史がある。これについては大田さんの時に新資料館を建設してやろうとしたんだが、途中で稲嶺さんに代わって皇国史観にのっとって変えようとした。ここには自民党の意向が働いていますね。自民党が日本全体の資料館を調べて広島、長崎、大阪、神奈川、あと沖縄ね、この五つは偏向の戦争資料館であると、だからこんなものはつぶすか、直すか、全面的にあらためさせると。沖縄もそういうことで、稲嶺知事になったものだから、ダダーッとやろうとした。しかしこれは県民総体が短期に盛り上がって、世論調査で八〇%を超えて反対の声が上がりました。
 八〇%もいくということは、保守・革新の問題じゃない。彼らは保守・革新という図式で、「批判する人たちは革新だ」と言うけれど、そうはいかない。
 政治の季節が終わって、そしてサミットも終わってきますと、基地問題について、行政サイドの人は今さら口を閉ざすわけにはいかんわけです。先に金をもらっちゃっていますから。まあ、奴隷と言った方がいいかな。庶民はそうじゃないわけです。これは自由に判断できますから。当然サミット後に冷静に判断するんじゃないでしょうか。
 基地問題というのは、資料館問題、復帰問題と同じように、政治を超える。政治を超えて、沖縄県民の島ぐるみの課題です。そういった庶民の奥底にある、方言では「まぶい」と言いますが、日本語に直すと「真振(まぶり)」ですね。間接的に訳すと「たましい」です、「たましい」とはちょっと違うんですけど。これを私たちは「まぶいを持っている」とか「まぶいを落とす」とか言います。いま沖縄人はまぶいを落とし始めています。この根っこにあるものを落とし始めている。これを今度は拾わんといかんのです。人間の心は、拾うことも、落とすこともできる。落としたら迷うわけです。拾ったら真人間になるわけですね。
 今後の闘いの中でも、沖縄に住んでいる者の良心が問われます。しかし、こういうときは必ずまた、大きな裏切り、大きな分裂が起こることも覚悟しなければなりません。島ぐるみの土地闘争の時も、復帰闘争の時も起きているわけです。
 今後の闘いの展望は、やはり粘り強く闘うということです。運動には浮き沈みがありますから、個人個人その運動に携わっている人は非常にきついわけです。だから焦燥感にとらわれたりする。こういうときは、みんなの知恵を借りて、みんなで力を合わせて、少しずつでもいいから前に進むということです。そういう粘り強さが必要です。
 いま、現象的には沖縄はやられっぱなしなんです。こういうときは、こっちが痛んでくるわけです。中で批判はやり合ったとしても、進むときに、力として支えあってやっていけるかどうかということです。やられっぱなしのこういうときこそ、分散、裏切り、分裂が起きますから団結を固めていかんとダメです。
 それともう一つ、大事なことは民衆を大事にするということです。そうすれば、私はサミット後、基地問題は膠着状態に入ってしまうと思う。それで基地はまた二十年、三十年できないということになります。

 政府の口約束は果たされぬ

 −−名護新基地の使用期限の問題、使用協定の問題が出てきていますが。
 十五年問題とか、地位協定のこととか、沖縄ではアメリカ軍が口約束したり、日本政府が約束したことで果たされたことはないわけです。基地をめぐって、犯罪があって抗議すると「綱紀粛正します」と言う。いままで何千回言ったか、「綱紀粛正します」と。それから「基地を整理・縮小しなさい」と言ったら「整理・縮小に努力します」と言っているわけです。
 僕は地位協定が僕たちの立場に立って改定されることは賛成です。十五年使用期限問題も、本当に十五年で返すというんだったら、「はい」と言います。
 ところが、こういうのは全部ウソだということをこの五十年、六十年、骨身にしみているわけです。「人を信じないのか」と言われたって、いままでアメリカも日本政府も、信じられないようなことばかりをやってきたのです。だから、信じない。
 −−今後の闘いを前進させるために全国の闘う人びとに一言お願いします。
 今の段階では、嘉手納基地包囲が成功すること、これが次の闘いのバネになると思っています。「平和の発信」という言葉は私も賛成です。相手も使うし、私も使うわけです。ただこのごろはやはり「反戦平和」と入れんといかんと思います。あの人たちは戦争に賛成して「平和」と言っている。僕たちは戦争に反対で「平和」と。これは全部、サミットの声明で正体が分かりますから。やはり、沖縄人が願う平和の発信と彼らとは違うんだと。
 基地包囲の成功は、県民に与える心理的な影響がものすごく強い。「ああ、この運動体というのは、まだ信頼できる。崩れていない」と。「よし、おれたちも支えて、今から頑張り直そう」と。これは、ひとつの大きな転機になります。
 だからこの基地包囲は、どんな妨害があっても、弾圧があっても、絶対に成功させないといけない。嘉手納付近に野宿してもやらなければなりません。寝ても大丈夫です。ハブは出てきませんから。
 本土の人たちは、厚木であれ、横田であれ、一回、包囲してほしい。
 それからもう一つは闘い方です。沖縄では、私はよく「不服従、非協力、非暴力」と言いますが、これが原則です。もう一つは、あれこれからめないということです。「サミット反対・基地包囲」とか、「基地反対・サミット反対」とか、からめない。
 私なんかは、課題別と言います。だから、わざわざ県内移設反対とは別に基地包囲の実行委員会をつくったわけです。これの積み重ねで、沖縄の運動がもってきた。復帰以前はまだもっと強かったんですが、復帰後は違憲共闘で最後ですよ。それ以降は、革新共闘的ではあるが弱いです。課題別と言っても、本土系列の波が全部入っていますから。連合と全労連ですね。政党も全部縦の系列で入っていますから、弱いんです。それをまとめるのが課題です。非常に県民要求に根ざしている課題です。
 そのあたりは理解してもらいたいと思います。

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週刊『前進』(1964号8面1)

 マルクス主義を学ぶ

 マルクス・エンゲルス『共産党宣言』(その3)

 「基本文献シリーズ」に取り組んで

 現代こそ輝く世界革命の思想

 宗教、道徳、哲学、法などのイデオロギー性

 課題10 宗教、道徳、法律などのイデオロギー形態についてのマルクスの批判の要点をまとめて下さい。
 ■「一つの時代の支配的思想は、つねに支配階級の思想でしかなかった」――ここにマルクスの批判の核心がある。
 人間の意識は、人間の社会的あり方が変われば変化する。ある時代の人間の観念や思想などは、いかにそれが精緻(せいち)に展開されようとも、歴史を超越した永遠の正しさを持つものではあり得ない。
 しかも、物質的な生産を支配しているものが精神的な生産をも支配する。経済的に支配するものが政治権力をも支配し、伝達機構(メディア)や教育機構をも支配して、支配階級に奉仕するイデオローグの養成を進めていく。精神労働は、経済的に支配する階級によって独占され、支配される。したがって、その時代の支配的な思想は必然的に支配階級の階級的利害を表現したものになる。
 ここから言えることは、人間の意識(精神的労働)の産物である思想があたかも自己運動して歴史がつくられてきたなどというのは、歴史的社会的産物としての思想の本質を逆転させてとらえる、歴史の観念論的な見方だ。これは、精神的生産は物質的生産の社会的なあり方に規定されていること、階級社会においては人間の肉体労働と精神労働とが分裂していることを自覚できないことを告白している。
 たしかに歴史における思想上の争いは対立する階級間の闘争の表現であり、旧社会を変革しようとする革命的思想は革命の遂行にとって大きな役割を果たす。しかし、思想が新たな階級と闘争を生み出すわけではない。歴史上新たな搾取形態が展開される中で生まれ出た新たな階級にとっての利害と関心を表すもの、すなわち旧体制の支配的利害との対立のイデオロギー的表現として、新たな思想が生まれてくるのである。
 さらに「永遠に変わらぬ真理」があるという見解があるが、この「真理」なるものは、長い階級社会(そのあり方には変遷がある)の歴史的展開の中で階級支配を正当化するために形成・維持されてきたものにすぎない。ブルジョア社会も階級社会だから、ブルジョアジーは、その階級利害に正当性を持たせて社会の普遍的利害として押し出す必要に迫られ、階級支配の維持のために支配階級にとって都合の良い価値基準、考え方を歴史を超えた「真理」として主張するのだ。
 宗教、家族、国家、法、道徳、科学、芸術などの基本的あり方は、階級社会に規定されているが、資本主義社会において一階級の特殊利害を一般利害としての装いを持たせる巧妙さにおいて最も完成された姿をとっている。それらは本質的に、プロレタリアートを搾取するブルジョアジーの利益のためのものという規定性の上に立っている。それらは、人間社会の疎外された形態としての階級社会を基礎にしており、その内部に一面的ではあっても潜んでいる発展性が疎外されていたりしている。
 プロレタリア革命の勝利、それを転換点とした階級の廃絶の進展の中で、人間の肉体労働と精神労働の分裂の止揚が進むとき、これらの廃棄や死滅、またはそのあり方の根本的な変革がなされていく。
 今日、プロレタリアートにとって、その存在を規定している資本による労働の搾取という根本的な事実を認め、その廃絶を目指す闘いの必然性を明示する思想と理論(マルクス主義)のみが、プロレタリアートの解放にとって力をもった「真理」なのである。
(衣笠 徹)

 プロレタリア独裁下で公的権力は政治性失う

 課題11 プロレタリア独裁の進展の中で「公的権力は政治的性格を失う」とはどうい005う009ことか述べて下さい。
 ■プロレタリアートは、ブルジョアジーを打倒するとともに始まる過渡期においては、資本の収奪(生産手段のプロレタリア的な国有化)を手始めとする資本主義的生産関係の解体と組み替え、そして階級支配の根絶を切り開くプロレタリア独裁権力を必要とする。
 この過程は、発展が進むに従って、従来の資本と賃労働を軸にする生産諸関係の廃止、したがって階級対立の存立条件と階級一般の廃止を実現し、すべての生産を「結合した諸個人」としての社会の手に集中させるようになっていく。その地点では、もはやブルジョアジーを抑圧し続けるための組織された暴力としての政治的国家は必要でなくなる。そこには他人を搾取するような力を持つことのない諸個人の結合した協力体、すなわち「一人ひとりの自由な発展が、すべての人びとの自由な発展の条件になるような協力体(アソシエーション)」が登場してくる。
 この「組織された暴力」、他の階級に対する強制力は、公的権力(=国家)として政治的性格をもっている。これが消滅していくこと(これはまた「プロレタリア国家」の消滅でもある)は、社会が過渡期から抜け出し、共産主義が始まっていくひとつの指標となる。むろんそれは、国家的対立の廃絶に伴う軍事力の消滅という問題を当然にも含む。国家の死滅の後には、主に経済過程を管理する社会的機能が残る。
 軍事力の廃棄ということからも明らかなように、国家の死滅は、プロレタリア独裁権力の世界的確立=世界革命の達成という条件と不可分であり、国家間対立や民族間の対立が廃絶され、全世界的な意味での恒久平和の中で物質的生活の社会的生産における共同性が実現されることを条件としている。共産主義への移行とは、世界的に実現されていくものだからである。
 このような見地からすれば、巨大な軍事力と人民に対する巨大な抑圧力をその存立条件としていたソ連スターリン主義(中国スターリン主義も基本的に同様)が「(過渡期から抜け出して)社会主義社会に到達した」などというのはまったくのでたらめである。それは、世界革命を裏切ったスターリンの「一国社会主義論」によるロシア革命(共産主義に向かっての過渡期の開始)の反革命的な歪曲であり、マルクス主義の破壊の産物にほかならない。
(古田康夫)

 『党宣言』の今日的な意義はどこにあるか

 課題12 『共産党宣言』の今日的な意義を述べて下さい。
 ■マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』で、資本主義社会の転覆=プロレタリア革命をとおして共産主義社会建設へ進むことができる主客の条件が資本制生産そのものの中から生まれてくることをはっきりさせるとともに、この全体の過程を貫くエネルギッシュな活動の核心がプロレタリアートの自己解放闘争にあることを鮮明にした。この点に『宣言』が今日においても、いや今日においてこそプロレタリアートを奮起させる力がある。
 ソ連スターリン主義の崩壊をもって、ブルジョアジーとその取り巻きたちは「社会主義に対する資本主義の最後的な勝利」などと言ったが、それは的はずれであり、ぬか喜びでしかなかった。破産したのは、マルクス主義や共産主義の原理ではなく、プロレタリアートと被抑圧民族の闘いに不信感をもち、「一国社会主義論」(世界革命の放棄)とそれに基づく過渡期の反革命的歪曲によって彼らの闘いを一貫して裏切り、圧殺してきたスターリン主義であった。スターリン主義は、帝国主義との対峙の重圧の中で一国社会主義的根本矛盾を爆発させ、ついに崩壊したのである。
 他方、そのスターリン主義の裏切りに助けられて第二次大戦後の戦後革命の危機をのりきってきた帝国主義の世界体制は、当然にもソ連スターリン主義の崩壊と同時に自らも危機をあらわにする過程に入った。今日、帝国主義の世界経済は、過剰資本、過剰生産力の圧力の中で大恐慌を現実化させつつあり、世界戦争爆発の危機を深めている。こうした帝国主義の危機の爆発を根底から解明し得るものはマルクス主義(とそれを引き継ぐレーニン帝国主義論)以外にない。
 マルクスが原理的に解明した資本主義の基本矛盾は、帝国主義段階の中で大恐慌と世界大戦、世界再分割戦を引き起こし、その後も新植民地主義体制をめぐる絶え間ない侵略戦争、核の支配、そして環境破壊や人間関係の歪みなどをつくり出し、いままた大失業、勢力圏確保をめぐる侵略戦争、幾億もの新植民地主義体制諸国人民の飢餓を引き起こし、世界戦争勃発(ぼっぱつ)の危機を激化させている。資本主義―帝国主義は、世界戦争を何回も繰り返し、何億もの人間の飢餓や失業の発生を止めることができない。いま現れているこうした事態は、完全に資本主義社会―帝国主義社会の歴史的生命力が尽きてしまっていることを明らかにしている。
 「アメリカの繁栄」といわれているが、その中身は他の帝国主義に対する分捕り戦の強化であり、資本の搾取の激化によるアメリカの労働者のひどい低賃金と貧富の差の激しい拡大でしかない。まさに、新植民地主義体制諸国の人民の飢餓の増大だけではなく、帝国主義国でも窮乏化が進んでいるのだ。『ニューズウィーク』誌が『共産党宣言』を引用してプロレタリア革命への危機感を表明していることの中にも、この「繁栄」の実態の危機性とマルクス主義の原理の正しさが示されている。
 ところでマルクス、エンゲルスの思想は、「人格の尊厳を交換価値に解消し」(『共産党宣言』)てしまった資本主義社会の存立を「永遠」化したうえで、そこでの資本の利潤の増大の効率的方法を追求することを目的とする「経済学」(=近代経済学)とは根本的に異なる立場と射程を持っている。マルクスの解明した「資本の搾取」という根本的事実から目を背けて、資本の腐敗と行をともにした近代経済学は、「ヘッジファンドに失敗したノーベル賞経済学者」という漫画を生み出したにすぎない。
 しかし、この腐り切った資本主義−帝国主義の社会は、その矛盾の深まりの中でプロレタリアート人民の決起をあらためて呼び起こさざるを得ない。世界的なプロレタリアート人民の自己解放闘争の力は、帝国主義の全世界に対する搾取や収奪の極限的な強化の中で、プロレタリアートの実体的拡大と怒りの強まりによって増大しつつある。
 いまや、「支配階級よ、共産主義革命のまえに震えあがるがよい」と宣戦布告した『共産党宣言』の革命的精神をすべてのプロレタリアートのものとし、資本主義−帝国主義の支配にとどめを刺す新たな歴史的情勢が迫っているのである。
(野添博行)

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週刊『前進』(1964号8面2)

 沖縄サミットに異議あり! 4

 部落解放同盟全国連合会委員長

 瀬川博さん

 沖縄への犠牲を許さず人民の生きる権利守る

 また戦争の足音

 知花昌一さんが日の丸を引き下ろす闘いをやったときに、沖縄に行きました。その時に、基地がこんなにも広いものかと実感しました。チビチリガマでの「集団自決」の歴史を聞いて、天皇制の教育が本当に恐ろしいものだと知らされました。敗戦の時に、天皇が“もう一度戦果をあげてから”と言って沖縄戦を強いたのでした。これが天皇制のもとで、天皇制に命を投げ出すことを教育された結果だったのです。
 この時以来、沖縄だけを犠牲にすることは絶対に許さない、と強く思い続けてきました。日の丸に賛成できないことには、理由があります。そこには、戦争に対して、天皇制に対して深い怒りがあるのです。
 だから、森首相の「日本は天皇を中心とした神の国」だという発言を聞いた時、心の底から許せないと怒りがわいてきました。森首相は、もう一回同じことをやらせるつもりなのか、また国民を戦争に引きずり込もうとするのか、ということです。
 現実を見れば、ガイドライン法や「日の丸・君が代」法、盗聴法や国民総背番号制度などが国会を通過しました。これらは全部、戦争中の時代と同じではないですか。有事立法、これも戦争のためのものです。戦争の足音がそこまで近づいていると言わなければなりません。

 基地を押しつけ

 こうした時に、沖縄でサミットが開かれようとしています。サミットというのは、参加各国が自分の利害をとおすためのものであることは明らかです。小渕前首相の葬儀のときの弔問外交をみればわかります。それは政府が言っているように平和を目的とするものでしょうか。そうではありません。去年のサミットでは、参加国のほとんどの国がユーゴスラビアへの爆撃を行ったではないですか。
 今度の沖縄でのサミットは、沖縄に基地を押しつけるサミットになる。その沖縄の基地から出かけていって戦争をやることになる。戦争のための沖縄サミットということです。戦争の犠牲を沖縄に押しつけるということです。サミットの目的はそこにあります。
 本土の人間は、犠牲を沖縄に押しつけて、黙っていてよいのでしょうか。帝国主義が犠牲を沖縄に集中し、それで帝国主義が成り立っていく。それをサミットで押し通そうとしているのです。
 アメリカにしても日本にしても、沖縄の米軍基地がなかったら成り立たないと自分で言っているではないですか。「平和のためのサミット」などというのはウソです。そんなサミットは絶対に許せません。戦争のためのサミットには絶対反対です。また、戦争の犠牲を沖縄に押しつけるサミットに反対です。

 全国連は先頭で

 解同全国連は反戦に取り組み続けてきました。ガイドラインや戦争の問題では絶対に譲れません。全国連は、六月十日の中央執行委員会で「沖縄サミットに反対し、現地集会に数百人規模で派遣する」ことを決定しました。
 部落差別で虐げられてきた私たちには、沖縄に対する差別的取り扱いはすぐにわかります。ところが、解放同盟本部派は、「予算がおりなくなる」と言って反戦の運動をしません。彼らは部落民の生活のために闘おうとしません。自分たちの利権のことしか考えていません。金で転んで、あとの人はどうなってもいいとという考えなのです。自分の欲得や金に惑わされない思想が大切なのです。
 反戦の運動、部落民の生活を守る運動の原点を忘れてはだめです。原点に返って闘わなければいけない。平和を願って闘う人がいなくなれば、再び国民は戦争の犠牲になります。政府が戦争を押しつけようとしても、それができないのは反戦の運動があるからなのです。
 今、ものすごいスピードで日本は戦争に向かって進んでいます。「日の丸」教育とは、その旗のもとにほかの国の人を平気で殺せるようにしようという教育です。そんな教育が今後まかりとおったらと考えると、本当に怖い。
 荒本では、中学生が先頭に立って、「日の丸・君が代」反対で闘っています。こういう時代だからこそ、反戦の闘いが必要なのです。沖縄や三里塚を中心にして、狭山闘争、同和住宅家賃値上げを許さない闘い、介護保険制度に反対する闘いなどを大きく、強くしていく時です。
 今こそ、頑張らなければなりません。人民の生きる権利を本当に守るために頑張りましょう。二度と戦争を許さないためにも、沖縄の人びとと一緒になって、サミット反対の闘いに立ち上がりましょう。

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