ZENSHIN 2000/07/31(No1967 p06)

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週刊『前進』(1967号1面1)

 国労臨大の続開絶対阻止を

 闘争団切り捨てる本部執行部は総退陣せよ

 8・6−8・9反戦反核行動を闘い石原の9・3治安出動演習阻止へ

 革共同集会の大成功かちとれ

 沖縄サミット粉砕の決戦は、七・二〇嘉手納基地包囲と七・二一名護市サミット会場へ進撃する反戦共同行動委員会の戦闘的大デモを頂点に、歴史的爆発をかちとっている。闘う沖縄人民と全国から結集した労働者・学生は、日帝権力の総力を挙げた戒厳令的弾圧体制を実力で突き破って総決起し、沖縄現地を連日、「戦争会議粉砕! 米軍基地撤去!」の怒りのるつぼにたたき込んでいる。米帝・クリントンと日帝・森政権は大打撃を受けて危機を一層深めることは確実だ。この勝利の地平の上に、二〇〇〇年決戦の後半戦へ、決意も新たに進撃しよう。何よりもまず、七・一臨時大会での国労闘争団と組合員の「四党合意」粉砕の歴史的決起を「暴徒」呼ばわりする国労本部を断じて許さず、続開大会の強行阻止、執行部総退陣を求める闘いに全力で立つことだ。さらに、八・六広島−八・九長崎反戦反核闘争に決起しよう。東西革共同政治集会に総結集し、今秋決戦勝利の路線を打ち立てよう。

 第1章 沖縄サミット粉砕と基地包囲する大闘争

 七月十五日の七千人の県民大会、二十日の嘉手納基地包囲の二万七千百人の決起に始まる沖縄現地での闘いの爆発と、全国から結集した人民との合流のもとに十九日から五日間にわたって闘い抜かれているサミット粉砕・基地包囲の大闘争は、日本プロレタリアート人民の闘いを新たな段階に押し上げるものとなっている。
 この闘いは、サミットの戦争会議としての正体を世界人民の前に暴き、米軍基地全面撤去を求める沖縄人民の正義の闘いが、在韓米軍の撤退を求める朝鮮人民の闘いと並んで、帝国主義のアジア支配を覆す決定的な位置をもつ闘いであることを突き出した。
 サミットが打ち出している「紛争予防」「世界の安定」というスローガンこそは、まさに朝鮮半島で、ユーゴスラビアで、中東で、さらに世界のいたるところで、帝国主義が相互に争闘戦を激化させながら、いよいよ世界再分割のための新たな侵略戦争に突き進もうとしていることを示した。それは同時に、NMD(米本土ミサイル防衛)構想をめぐる帝国主義諸国およびロシアの対立と抗争が示しているように、新たな世界戦争への道であり、核戦争への道だ。
 沖縄サミットを前にして行われたキャンプデービッドでの米帝による「中東和平」交渉も、米帝のパレスチナ解放闘争圧殺の政策が大きな暗礁に乗り上げていることを示している。今や朝鮮でも中東でも、米帝を軸とした戦後の帝国主義世界支配が崩壊する大激動の情勢を迎えたのである。
 これに対する米帝の激しい危機感と焦り、帝国主義間争闘戦の全面爆発と戦争への攻撃の中で、自らの根底からの解放を求める国際プロレタリアート人民の歴史的決起への突破口が、ここ沖縄の地から力強く切り開かれようとしているのだ。それは、米帝とともに何よりも日帝を直撃している。森政権の危機は、さらに決定的に深まった。
 「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」という、〈二つの連帯戦略と一つの打倒戦略〉を今こそ断固として貫いて闘う時だ。
 沖縄闘争、ガイドライン闘争、朝鮮侵略戦争阻止の闘いのさらなる発展をかちとり、有事立法・改憲阻止へ進撃しよう。森・自公保政権による戦争と大資本救済のための労働者人民への極限的な犠牲転嫁と生活破壊の攻撃を許さず、国鉄決戦を軸に階級的労働運動の再生をつくりだして闘おう。九・三治安出動演習阻止へファシスト石原との対決を圧倒的に強めよう。

 第2章 7・1上回る大反撃で「四党合意」を葬れ

 沖縄サミット決戦の大爆発と勝利をひきついで直ちに突き進まなければならないのは、国労をめぐる再度の決戦である。
 七・一国労臨時全国大会での「四党合意」採決強行が闘争団を先頭とした組合員の怒りの爆発によって阻止された。このことは、国労本部による闘争団切り捨ては国労の死であり断じて許さないという全組合員の強烈な意思が、まさに大会の場において真っ向からたたきつけられたことを示すものである。

 国労の破壊者は本部執行部

 だが国労本部は、あろうことか、逆に闘争団を「大会破壊者」「暴徒」呼ばわりし、続開大会を開いて何がなんでも「四党合意」受諾を強行しようと、あがきにあがき回っている。
 七月三日の国労中執見解を始めとした、チャレンジ一派と革同上村一派による闘争団への卑劣な誹謗(ひぼう)中傷とデマ宣伝を断じて許すな! 彼らは自らが牛耳る国労の各エリア本部、地方本部などの機関を私物化し、その名をかたって、「支援を装った妨害勢力と一部闘争団組合員による大会破壊の暴力行為」などと、事実をまったく歪曲した悪質なデマ宣伝を流し、闘争団への敵意をむきだしにしている。さらには闘争団の物資販売を地本などから締め出す動きさえ開始し、「誰のおかげで食っているのか」という許しがたい反革命的恫喝に出てきている。
 その一方で、政府・与党に対しては、「四党合意」の採決強行が粉砕されたことを「衷心よりお詫(わ)びいたします」(七・三中執見解)と、平身低頭しているのだ。闘いの継続を必死で訴える闘争団とその家族、心配して大会の現場にかけつけた多くの国労組合員に悪罵(あくば)を投げつけておいて、千四十七人の不当解雇を強行した張本人である日帝政府と自民党に、なぜ謝罪しなければならないのか。この一点をとっても、国労本部が今日、いったい誰の立場に立って行動しているのかは明らかである。
 そこには、解雇された仲間を思いやる労働者としての感性のひとかけらも存在しない。闘争団とその家族の闘いを裏切り、一日も早く切り捨てることを願い、十三年間の不屈の闘いに対してひたすら憎悪といらだちをつのらせてきたその本音が、今や隠しようもなく吐き出されたのだ。
 八月上旬にも強行が画策されている国労臨大続開大会を絶対に許してはならない。続開大会を開くこと自体が、国労の団結を破壊し、大会の場を闘争団への反革命襲撃の場に転化して国労を分裂させ解体するものだ。七・一を上回るすさまじい総決起でこの恥知らずな策動を粉砕し、「四党合意」の息の根を最終的に止めて、現執行部の総退陣と闘う新執行体制の確立へ、今こそ断固として前進しなくてはならない。

 闘争団の決起こそが正義だ

 まず第一にはっきりさせなくてはならないことは、七・一臨大の強行こそ最大の暴力であり、国労本部こそ国労の団結を破壊し国労に分裂をもちこんだ張本人であるということだ。
 七・一臨大で噴出したものは、「四党合意」の核心である「JRに法的責任なし」は天地が裂けても認められない、これを認めたら国労が国労でなくなるという、全組合員の必死の思いと決意である。「三度目の首切り」をこともあろうに国労本部から強いられようとしたことへの、闘争団と家族の全人生をかけた必死の告発と弾劾の訴えである。不当労働行為をしたい放題やって首を切った者がその責任を完全に逃れ、解雇された者は汚名をそそぐこともできないまま十三年間の命をかけた訴えを踏みにじられる。その「四党合意」を飲めということ自体がとんでもない暴力なのだ。
 こんなことを許したら、JR本体の労働者も、職場に吹き荒れる差別・選別と合理化の嵐(あらし)に対して今後一切闘えなくなる。国労三十六闘争団のうち二十一闘争団が臨大の中止を真っ向から要求し、全国の支部・分会始め一般組合員から反対意見書が殺到したのは当然である。
 にもかかわらず、本部機関を握ったチャレンジと革同上村一派はこれらの声を鉄面皮にも無視し、何よりも不当解雇された当事者である闘争団の大多数が絶対反対を表明していることを百も承知の上で、政府・権力の指示のもとに臨大の強行に突き進んだのだ。
 しかも国労本部は、大会当日の闘争団と家族の血を吐くような訴えにまともに向きあうことすら拒否し、会場前に集まった組合員になんと機動隊を差し向けて大弾圧を画策するということまでやったのだ(この時不当逮捕された一人の組合員は不屈の闘いを貫き、仲間の力によって奪還された)。国家権力・機動隊が組合員を強制排除しようとする中で開かれる大会! こんな「労働組合の大会」がどこにあるのか。国労の歴史にはこんなことは断じてなかった!
 まさに七・一臨大とは、本質的にも現実的にも政府・権力に最初から完全に強制され支配された大会としてあったのだ。
 これに対して、ずたずたに引き裂かれようとしていた国労の団結と旗をぎりぎりのところで守ったものこそ、闘争団を先頭とした決起であった。「演壇占拠」こそ国労を自己崩壊と解体のふちから救いだし、その闘う労働組合としての誇りと原理原則とを最後の一線で守り抜いた、圧倒的に正義の闘いだ。このことを何をおいても徹底的に明確にしなければならない。

 本部の路線は破産している

 第二に、国労本部の裏切り路線はすでに完全に破産してしまっているということである。何よりも七・一の十三時間にわたる死闘が、「四党合意」の反革命的根幹をすでに基本的に粉砕している。
 そのことは、日帝・運輸省自身が「形式的に組合が四党合意を認めても、過半数の闘争団が闘いを続けるようなら本当に解決したといえるのか。四党合意は何だったのかという話になりかねない」(『エコノミスト』七月十八日号)と言っていることからも明らかだ。さらに、七月五日のJR連合の定期大会で会長の葛野が、国労臨大で「四党合意」承認を強行できなかったことは「協力を得た団体、個人に大きな失望を与えた」と発言し、国労本部の策動が実際にはJR連合との合作であったことを自認し、その打撃感を吐露していることからも明白だ。
 日帝政府・運輸省、JR資本、JR連合などが「四党合意」にかけた狙いは、この機に国労闘争団と国労を解体し、千四十七人の存在と闘いを全面圧殺して、総評解散後の戦闘的労働運動の最大の結集軸となっていた国鉄労働運動の最後的解体にのりだすことにあったのだ。それなしにJRの完全民営化はありえず、また今日の激化する階級対立の中で深まる日帝の政治危機をのりきれないという判断があったのである。しかも、五・二八反動判決を否定したILO(国際労働機関)の最終勧告が迫る中で、敵の側には一刻の猶予もなかった。
 だが、与党三党が社民党を抱き込んで策動した「四党合意」は、闘争団の不退転の決起と国労組合員の大決起、都労連など国鉄労働者と連帯して闘う労働者階級の新たな決起を呼び起こすことで、その核心において大破産してしまった。もはや政府・与党には「政治の責任で解決」のペテンをこれ以上装う義理はさらさらなくなった。
 にもかかわらず国労本部があくまで続開大会にこだわる理由はただひとつだ。日帝権力・JR資本に身も心も売り渡した者として、自らの手で国労の団結を最後的に解体し、それを手みやげにJR連合への合流を図ろうということだ。この卑劣きわまりない裏切りと転向の策動を真っ向から暴き、断罪して総決起しなければならない。
 第三に、この激突はもはや単に国労内の問題にとどまるものではないということだ。全産業に吹きすさぶ大量首切り・リストラ攻撃に対して、解雇された仲間を守り抜いて断固闘うのか、切り捨てて敵に降伏するのかという、労働運動全体の未来を決する大問題が、ひとえにこの国鉄決戦の成否にかかっている。
 七・一臨大に対して、国労内からだけでなく、東京清掃労組や都労連など全国の闘う労組、国労OB、学者・文化人の中からも、国労本部を批判し闘争団を激励する声が次々と上がっているのは、まさにこの一点にかかわっている。
 今日の一大資本攻勢のまっただ中で、労働組合が解雇撤回のために団結して闘うことを放棄してしまったら、後に何が残るのか。労働者は、文字どおり資本の奴隷としてあらゆる搾取と収奪の犠牲にされ、最後は戦争に駆り出される以外ない。国労本部の裏切りを断罪して国労の階級的再生を闘いとることは、この道を絶対阻止する日本労働運動の新たな砦(とりで)を確固として打ち立てることにつながるのだ。
 それは同時に、危機に立つJR総連=カクマルのファシスト労働運動を決定的に打倒して、JR本体労働者の中に新たな階級的決起を大量につくりだしていくチャンスでもあるのだ。
 臨大の続開を断じて許すな! 国労本部を闘争団と全国労組合員、支援の怒りの声で包囲し、続開大会を阻止する闘いに立とう。すでに正義の闘争団を先頭に、国労内外で大反撃が始まっている。七・一を上回る決起で「四党合意」を葬り去り、宮坂・チャレンジと革同上村一派を打倒し追放して、真に闘う新たな執行部を打ち立てよう。今一度の決戦に絶対に勝利しよう。

 第3章 ファシスト石原知事を労働者の力で倒せ

 この国鉄決戦と並行して、衆院選決戦での奮闘と沖縄サミット決戦の爆発をひきつぎ、森・自公保政権打倒、ファシスト石原打倒への闘いを、さらに断固として推し進めなければならない。
 とりわけ九月三日に予定されている自衛隊三軍を大動員した首都制圧の治安出動演習は、日帝が新ガイドラインの発動として強行しようとしている侵略戦争シナリオの一環として、自衛隊の大規模な治安出動を実施に移すものである。首都に事実上の戒厳体制を敷き、ファシスト石原知事が四・九に行った「三国人」という朝鮮人・中国人、アジア人民に対する極悪の排外主義的デマとテロルの扇動を一層大々的に繰り広げ、自治体・民間を含めたあらゆるものを武装した軍隊の統制下に置いて動員し、全人民を制圧しようとする大攻撃である。
 石原は、この演習をとおして「自衛隊を国軍として国家の中心に据える」とも言い放っている。演習自身が石原と自衛隊三軍による一種のクーデターだ。有事立法・改憲に直結する大攻撃として、絶対に粉砕しなければならない。
 都労連の闘う労働者はすでに、組合決議をもって続々と九・三演習反対の闘いに立ち上がり始めている。ファシストを打倒できる最大の力は、労働者階級の決起である。首都の労働者階級人民の総力で治安出動演習を粉砕し、石原打倒の闘いに立ち上がろう。戦争挑発と首切りと福祉切り捨ての石原が、これ以上、首都の権力の座に居座り続けることを絶対に許すな!
 さらに、闘う朝鮮人民、沖縄人民と連帯し、沖縄闘争、ガイドライン粉砕闘争のさらなる発展をかちとろう。八・六広島―八・九長崎反戦反核闘争を、サミット決戦に続くその新たな闘いの第一波として、昨年をも上回る大結集を実現して闘おう。とりわけ闘う教育労働者はその最先頭に立とう。また、今年の八・一五を、有事立法・改憲攻撃粉砕と帝国主義戦争を二度と繰り返させないための全労働者人民の誓いの日として闘おう。
 これらすべての闘いの勝利を切り開くかぎこそ、革共同の革命党としての飛躍的前進である。深まる日帝の体制的危機と革命的情勢の急速な接近の中で、スターリン主義の裏切りを打倒しのりこえて、資本主義・帝国主義の危機をプロレタリア革命の勝利に転化することのできる真の革命党の登場が、今こそ決定的に求められているのだ。衆院選決戦で挑戦した地平をさらに発展させて闘おう。
 全党の同志、そして闘う労働者人民は、東西革共同政治集会に総結集し、二〇〇〇年決戦前半戦の切り開いた偉大な地平を総括し、二十一世紀へ向けた闘いの課題と路線をともに確認して、夏から秋の後半決戦に勇躍、打って出ようではないか。
 さらに、夏期一時金カンパ闘争を最後まで貫徹すること、機関紙拡大闘争の一層の前進を闘いとることを熱烈に訴える。

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週刊『前進』(1967号1面2)

 基地とサミットに怒り

 米兵事件緊急抗議 県民大会に7千人

 七月十五日夕、「米兵によるわいせつ事件糾弾及び連続する事件・事故に抗議する緊急県民総決起大会」が、宜野湾市海浜公園の野外劇場で開かれ、七千人が怒りに燃えて結集した。
 「口先だけの綱紀粛正はもう聞きたくない」「何度繰り返すのか」||沖縄県民のこの深い怒りに、稲嶺知事はまともに答えようともせず、゛サミット前に米軍抗議の県民大会は好ましくない”と判断し、「各界各層を網羅した県民的な大会ではない」として出席を拒否した。県民の生命より米軍基地が大事なのか!
 名護市辺野古の命を守る会は「ジュゴンの住む美(ちゅ)ら海にヘリ基地はいらない」という横断幕を広げ、真剣な面持ちで最前列に陣取った。
 開会あいさつで、平和運動センターの仲宗根義一事務局長が「県はどこを向いているのか」と稲嶺県政を批判した。
 大会実行委を構成する平和運動センター、統一連、県労連、平和市民連絡会、連合沖縄の五団体を代表して、玉城清連合沖縄会長が「米軍基地の現状にメスを入れない限り事件・事故の再発防止はできない」と訴えた。
 壇上には、大田昌秀前知事や市村長、国会議員、県会議員などが多数並んだ。
 最初に、女性代表として基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表の高里鈴代さんが「いつまでこの島は、このような恐怖とすさまじい暴力の島でなければならないのか。私たちは後ろには下がらない。軍隊を撤退させ、人間の島の回復に向かっていきましょう。新しい基地を許さない決意で、ともに取り組みましょう」と発言。
 自治体首長を代表して親泊康晴那覇市長が、「再発防止には、その根源となっている米軍基地の整理・縮小、撤退を強く要求する方向で県民を結集しなければならない」と訴えた。
 六月に当選を果たした東門美津子衆院議員は「基地との共生はごめんです。基地のない沖縄、基地を撤去するためにがんばろう」と訴え、島袋宗康参院議員、照屋寛徳参院議員も決意を述べた。
 「子どもたちへ手渡していこう、それは沖縄の闘う誇り」と歌った喜納昌吉さんは、最後に「きょうは民主党さんも、社民党、自民党さんも来てますからね、次からは堂々と基地に反対して特措法を廃止にしてほしい」と一言鋭く要求。
 @被害者とその家族および関係者に対する謝罪と誠意ある対応と行動、A米軍基地の整理・縮小の促進、B日米地位協定の抜本的な見直しを早急に図ることなど、四項目の要求を盛り込んだ「抗議・要求決議」を満場一致で確認した。
 「団結がんばろう」の後、市民連絡会の金城睦代表世話人が閉会あいさつをし、「七千名の心はアメリカ軍に対する沖縄県民の叫びだ。沖縄からすべての基地を整理・縮小してほしい。沖縄に駐留するすべての兵隊をなくすことだ。あるアメリカの学者が、サミットのG8のGはギャングのGだと言った。コソボ紛争をし、チェチェン攻撃を加え、新ガイドラインや周辺事態法をつくって戦争の準備をしている人たちばかりだ。平和な沖縄、米軍犯罪のない沖縄をめざすわれわれは、世界に向かって沖縄が平和と連帯の中心地であることを堂々と示そう」と力強く訴えた。
 沖縄労組交流センターと全学連沖縄現地行動隊、沖縄サミット粉砕決戦の先遣隊は総勢五十人で参加した。「七・二一サミット会場=部瀬名への大デモに立ち上がろう!」と呼びかけた沖縄労組交流センターのビラは、圧倒的な共感をもって受け止められた。
 全学連は十六日那覇市内、十七日名護で街頭宣伝を貫徹した。
 他方、カクマルは「サミット・フィーバーが演出されている」などと言い、沖縄人民の闘いが今やサミットを噴き飛ばす勢いで進んでいる中で、屈服し消耗しきった姿をさらけ出した。

 「デモ禁止」と不当捜索弾劾

 七月十七日、反戦共同行動委と沖縄労組交流センターは記者会見を行った。
 サミット会場の部瀬名に向けたデモは、申請から約一カ月たっても、いまだ許可されていない。関西反戦共同行動委の仲宗根朝寿事務局次長が「実質的なデモ禁止攻撃だ」と弾劾。また、この日早朝の沖縄労組交流センターほか三カ所への不当な家宅捜索についても語気を強めて弾劾した。
 同席した沖縄県反戦の代表は、度重なる家宅捜索と警察による二十四時間の尾行は「反戦反基地闘争に対する悪質きわまる妨害だ」と怒りを込めて訴えた。

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週刊『前進』(1967号1面3)

 2000年決戦後半戦へ勝利開く大カンパを

 帝国主義の抑圧に苦しみ、怒り、人間らしい未来を求めて闘うすべての皆さん。腐りきった日本帝国主義を打倒するため、生活の厳しさの中で、なおかつ圧倒的な闘争資金カンパを革共同に寄せていただくよう、あえて皆さんに訴えます。
 私たちは、二〇〇〇年冒頭から必死の闘いを貫いてきました。長谷川英憲候補を押し立てて衆院選決戦に決起し、自公政治ノー−ファシスト石原打倒を真正面に掲げ、介護保険制度の廃止を訴えて闘いました。残念ながら当選に至らなかったとはいえ、二二、七九九票の貴重な票を獲得しました。私たちは、次期総選挙にも断固として挑戦する決意を固めています。そのためのスタートも、すでに切られています。
 七月一日の国労臨大決戦は、日本労働運動史上、金字塔をなす画期的な闘いとなりました。政府・運輸省、JR資本の手先となって闘争団を切り捨て、国労を解体し、連合化させようとする国労本部のたくらみを打ち破り、「JRに法的責任なし」という大会決定を阻止しました。国労本部はあくまで続開大会を強行しようとしていますが、「四党合意」は崩壊寸前です。労働者階級の巨大な反乱の扉がついにこじ開けられたのです。
 今日、国労と国鉄闘争支援陣形、日本労働運動全体を巻き込む一大激突をはらみながら、事態は進行しています。戦争と大失業の攻撃が嵐のように押し寄せてくる時代に、なんとしても階級的・戦闘的労働運動を荒々しく復活させなければなりません。
 沖縄人民は、米兵による七・三少女暴行未遂事件に対して、「基地がある限り安心して暮らすことはできない」と怒りの声を上げています。七月十五日の緊急県民大会には七千人が結集し、二十日には二万七千百人が嘉手納基地包囲闘争に決起しました。サミットを直撃するこの闘いに、日帝・森政権と稲嶺県政は心底から震え上がっています。沖縄人民の闘いが九五年をも上回る根底的・徹底的な反基地闘争として燃え上がっていくことは不可避です。
 国鉄決戦や沖縄サミット粉砕決戦の爆発は、労働者人民の根源的な階級性、戦闘性の素晴らしい発露です。私たちは、こうした労働者人民の決起を固く確信し、闘いを呼びかけ、その最先頭に立ち続けてきました。革共同の情勢認識の正しさ、闘争路線の的確さとひたむきな努力が、こうした情勢を押し開いたと私たちは確信しています。
 皆さんに、あらためて心からお願いします。革共同へ巨大な決戦資金カンパを寄せて下さい。
 私たちは二〇〇〇年決戦の後半戦を猛然と闘い抜きます。皆さんの力を革共同に結集し、二十一世紀を革命の時代、労働者の時代として切り開こうではありませんか。

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週刊『前進』(1967号2面1)

 「4党合意」打ち返したことは歴史的壮挙

 国鉄闘争の現局面と展望 7・15動労千葉を支援する会総会での提起

 続開大会中止に原則にもどろう

 中野洋動労千葉委員長が語る

 七月十五日、「動労千葉を支援する会」は二〇〇〇年度の総会を開いた。竣工なった「DC会館」に動労千葉組合員と支援の労働者ら百人が集まり、動労千葉と国鉄闘争を支援する運動の強化を誓い合った。総会では、国労闘争団の労働者が連帯のあいさつを行い、七月一日の国労臨時大会を受けて「闘争団は意気軒高だ。ともにスクラムを組んで闘う」と訴えた。これを受けて、動労千葉の中野洋委員長が「国鉄闘争の現局面と展望」と題して動労千葉からの報告を行った。中野委員長は、闘争団を先頭とした臨大の闘いを支持し、ともに闘う立場から、国労に問われていること、勝利の展望を明らかにした。以下、その要旨を紹介する。(編集局)

 「7月1日」に誰がダメージを受け誰が元気になったか

 二〇〇〇年七月一日、東京のど真ん中で、二十一世紀の日本の労働運動の命運を決する出来事が起こりました。それが、いわゆる「四党合意」を受諾するのか否かの、国労臨時大会をめぐる攻防です。
 何はともあれ反動派の、敵のもくろみをいったん粉砕したわけだから、大変な勝利の地平を切り開いたと大胆に総括すべきだと思います。これで国鉄労働組合という日本の戦後労働運動のしにせの労働組合が首の皮一枚でつながったということだけではなくて、日本の労働運動が闘う労働組合を新しくつくりあげる大きなきっかけをつくった。あわせて二〇〇〇年にかけた支配階級のもくろみを粉砕することに成功したのではないか。そのくらいでかい意味があると思います。
 七月一日に起こったことは、五月三十日に与党三党と社民党がつるんで「JR不採用問題」つまり千四十七名問題の「打開案」をまとめ、この「四党合意」を国労本部だけでなく国労全体の方針にするために臨時大会が招集されたことに端を発します。
 「四党合意」の中身は、「JRに法的責任がないことを認める」ことです。国労もわれわれも国鉄改革法のもとに差別・選別され、多くの仲間が解雇された。これを国家的不当労働行為と断罪して闘ってきた。「JRに法的責任がないことを認める」とは、明らかに国労の全面的な屈服に等しい。「国鉄改革法承認」を九九年三月十八日に臨時大会を開いて決めているから、政府にも責任がない。JRにも責任がない。そういう方針を国労中執が臨大で提案すれば大変なことになる。国労の在り方を根本的に転換させることになるから、当然、国労内外で大変な動きがある。
 問題はそれにとどまるのか。明らかにこの攻撃は、階級的な、つまり資本に対して闘おうというものを日本労働運動の中から完全に奪ってしまう攻撃です。この攻撃と、国労臨大をめぐって激突した。日本の労働運動に計り知れない影響を与えざるを得ない。
 ですから当日、国労組合員だけでなくて、国労を支援してきた多くの労働組合・労働者が集まった。異例のことだ。みんな直感的に、国鉄闘争の終止符が打たれたら日本の労働運動はどうなるのかと考えた。連合支配下で権利を奪われ、好き勝手に首を切られ、なんとかしようと思っている労働者は日本中に無数にいる。そういう労働者を、大きな幹に結集した時に巨大な力を発揮する。国労はそういう存在になっている。
 敵の側は、与党、社民党、JR資本、JR連合、そしてちょっとスタンスは違うがJR総連カクマル。その意を受けた国労本部、チャレンジグループ、日本共産党・革同の上村グループ。これに闘争団を先頭として猛然と反発する勢力が存在している。機関では少数派だが、国労二万八千の勢力全体では多数派だ。
 つまり、敵の攻撃と、それを国労内で手引きする連中と、それに反対する闘争団を先頭とした現場組合員、その勢力の中には動労千葉や国鉄闘争を支援する労働者・労働組合も存在している。そういう構造の激突が七月一日、朝八時半から夜九時すぎまで十三時間にわたって続いた。
 結果として、闘争団の諸君たちを先頭に最後は「演壇占拠」を敢行した。そこまで行ったのは、朝からの闘い、「四党合意」が出て一カ月、特に大会前一週間ぐらいの闘い、家族会の訴えなど、いろんな要素が「演壇占拠」という形でシンボライズされた。全体の総和の闘いが「演壇占拠」として実現されている。その「演壇占拠」で「四党合意」が粉砕されたわけです。
 形式的には「休会」ですから続開大会をいつでも開ける。だけど、この国家権力あげての攻撃を一応打ち返したことは、歴史的な壮挙です。
 もし「四党合意」が「多数決」で押し切られたら、今ごろ国労本部は裁判をどんどん下ろす状況に入っている。JR総連の組織攻撃は一気に火を噴くだろう。やはりここで押し返したことは非常に重要な意味を持っていると私は見ている。
 現象的には「休会」になりましたけれど、「四党合意」を葬り去ったことの意義を、国労組合員だけじゃなくて、日本の労働者たちは拍手喝采(かっさい)しています。
 このことによって決定的にダメージを受けたのは誰なのか。一番消耗しているのは野中(自民党幹事長)であり、運輸省です。
 一番元気になっているのは闘争団でしょう。労働者は負けることが多いけれど、やはり勝つことが大事なんだ。国鉄労働組合は久方ぶりに勝ったんじゃないですか。だから、大衆的には必ず活性化します。国労を取り巻く労働組合や文化人たちもホッと胸をなで下ろし、「よーし、これで行けるんじゃないか」という感じになっている。この構図を見れば、誰が勝ったか、誰が正しいかもはっきりしている。これほど正義のある闘いはないし、これほど正当性のあるものはないと思います。
 この緒戦の勝利を確信し、この次やるなら二千、三千決起する。そうするためにどうするかが当面の大きな課題だと思います。
 「四党合意」をめぐる国労サイドの議論を聞いておかしいと思うのは、これを「解決案」と考えていることです。たてまえは「JR不採用問題の打開について」という形をとっているけれど、「解決案」でも何でもない。これは明らかに闘争団を解体する、国労を変質・解体する敵の攻撃であることをはっきりさせることが大事だ。

 首切り容認派と絶対反対派の対立は非和解的な関係だ

 なぜならば、この「四党合意」を受諾することは、首切りを承認することになるんです。だから、七月一日は、首切りを認める側と首切りを認めない側との闘いだったわけです。これは非和解的関係である。労働組合は大衆組織ですから、いろんな考え方をもっている勢力がいて、一つの方針を形成するために何回も討論することが大事です。しかし、首切りを認めるか認めないかはイデオロギーの違いだとは思わない。首切りを認めるサイドに立つのなら、労働組合の外に出てもらわなければならない。
 「JRに法的責任がないことを認める」とは、現に千四十七名が整理解雇されているんだから、それを認めることになる。この方針をあえて採って全国大会を招集するということは、国労は分裂してもいい、亀裂が生まれてもいいということを前提としない限りできないですよ。
 仮に組織的分裂まで行かなくたって、埋めがたい溝ができることははっきりしている。そういうことをやるのは労働組合の指導者としては愚の骨頂ですね。労働組合とは団結がすべてです。すべての闘いは団結を強化するためにやる。団結なんかぶっ壊れていいと考えるんだったら、労働組合ではないですよ。
 こういうことをやるということは、何らかの別の意図=利害があるということです。国労の団結を考えたらこんなことはできない。七月一日当日、社会文化会館に行った人は分かると思うけど、国労組合員同士が憎しみあっている。党派対立があって、それがぶつかることはわれわれも経験している。そうではない。現場の組合員と機関役員の対立なんです。続開大会をやったらもっと増幅されますよ。これはもう、労働組合とは別の立場に立っている人以外にはできない。
 しかも、今度の臨時大会は、権力側に要請されたわけだ。国鉄労働組合が自主的に主体的に招集した大会じゃないんです。
 だから夕方まで大会を開けなくて、「中止」だとか出ましたけど、国労本部は絶対に中止できない。なぜなら裏にスポンサーがいるから。自分たちの判断でやめるとかできない。この一点をとっても不正義きわまりない。
 だから現場の組合員が、この大会を中止しろ、延期しろというのは当たり前。労働組合は自らの判断で方針を決める。それが労働組合です。他人に言われて決めるような労働組合は、自らが労働組合ではないことを認めたということでしょう。認めたいやつらは、国労はもう国労でなくなってもいいと思っているからやったんです。JR連合と一緒になって連合に行けばいいと思っているからやった。
 いまひとつ、日本共産党・革同の上村グループがこの急先鋒(せんぽう)です。ただ、全労連も真っ二つです。共産党も「四党合意」をめぐって見解をいまだ出していない。だけど、国労内の共産党は最強硬派です。
 全労連だけでなくて、あらゆる戦線で、国労の態度をめぐってどういう立場をとるのかで分岐が起きている。そのくらい国労の存在、去就が重大な意味を持っていることを、特に国労の組合員は認識しなければならない。そういうことが分からない幹部を吹っ飛ばさなければダメだ。そうじゃないと国労は前進しないですよ。
 七月一日以降、「演壇占拠」を「暴力行為」とするキャンペーンが国労の中で出ています。中央執行委員会の声明やエリアの機関がさかんに言っている。自分たちの組合員に「暴徒」という言葉を吐いている。

 「演壇占拠」は国労を紙一重で守った正義の闘いである

 労働者大衆が自分の生き死にがかかったことに黙っていていいのか。権力を持っている側は何をやってもいいのか。権力を持った連中が無法なことをやることに対して、ささやかに抵抗する。それを「暴力」だと言って軍事力を発動する。ベトナム戦争しかり、ユーゴスラビアだってそうだ。やらざるを得ないところに追い込んで、「暴力」だと言う。これは帝国主義者の論理なんだ。
 国労の中央本部の権力を握っている者たちは、闘争団の三分の二以上も反対しているのを承知しながら大会を強行して、それに反対したら、これを「暴力」だと言う。彼らは機動隊まで導入して会場に入ろうとした。それで組合員がパクられている。そういうことをやって、闘争団が演壇に殺到したことを「暴力行為」なんて言う権利がどこにあるんだ。
 「だけどやっぱり暴力はまずいよ」と言う客観主義者がいる。「本部も悪いけど、あの暴力も悪い」と。そんな言い方はない。どっちかに立つしかないんです。本部が悪いからこういうことが起こったんです。
 私は、「演壇占拠」は、全体の行動の総和だから、これは正義であると断々固として宣言することが必要だと思います。臨大強行こそ、巨大な暴力である。これを弾劾しなければならない。

 闘争団こそ「国労の宝」だ

 闘争団を先頭とした国労の諸君は、国労を紙一重のところで守ったんです。
 もう一つ、僕は見ていてやっぱり国労組合員の底力はすごいと思った。僕は本当に感動したね。組合員たちがあそこまで体を張る。こういう組合員がどのくらいいるかによって、その労働組合の力は決まる。さすが国労だ、国労の現場は腐ってないと思ったんです。
 それとやっぱり、闘いは活動家、リーダーをつくりあげるなと思った。家族だってそうです。闘争団の人たちを見ても、本部に来て執行部が務まるような人がどんどん輩出されている。そういう活動家を生み出してくる闘争団は、「国労の宝」じゃないですか。
 次に展望をはっきりさせて闘わなければならない。「四党合意」を粉砕したことによって、「解決水準」が上がっている。本質的にそういうことなんです。
 今の国労のやり方は、労働組合の基本的在り方を逸脱している。今度は間違った、迷ったということが、組合員大衆の声、力で分かったわけだ。そしたら原則に戻らなければならない。これが一番問われている。具体的には続開大会をやらないことです。大会代議員選挙をやって、定期大会で決着をつける。誤りを犯したわけだから、総辞職するのが当たり前だと思うけれど、少なくともまずそれが必要だということです。
 それから、敵の弱点を見極めること。今、困っているのはどっちなのか。向こうの方が困っているんだ。「完全民営化」の法律が出されると言われているけど、千四十七名闘争という国鉄分割・民営化反対闘争が残っていたら、「完全民営化」は成り立たない。敵は困っている。だから国労幹部の屈服ぶりを見据えて、「四党合意」まで来たんです。
 JRだって貨物は赤字で、三島もそうだし、何よりも列車がまともに動かない。向こうの中に十何年間かの矛盾が集中している。今、敵の最大の弱点はJR東日本です。

 「四党合意」を粉砕したことで「解決水準」上がっている

 もう一つ、誰に依拠して闘うのか。政府・自民党に依拠してはダメだ。労働組合が依拠するのは組合員、支援してくれる労働者。ここに依拠する以外にない。
 労働者の要求は、力関係によって決まるということです。「四党合意」粉砕は国労が自分たちの力を発揮した初めてのことなんです。国労の組合員が団結して、指導部がちゃんとした方針を出せばあらゆることができる。支援組織も大きくしていったら無限大の力を発揮する。その時に初めて敵は譲歩するんです。そういう意味で「四党合意」粉砕は「解決水準」を上げると言っているんです。
 何はともあれ、国労が闘う指導部を形成するということです。「八・三〇申し入れ」以前の九六年の状態からもう一回出発した方がいい。この四年近い歳月は、国労の屈服の歴史です。これを元に戻す。最低でも昨年の臨大の「改革法承認」の前の状況に戻す。それをやったら、あと数年、遅くとも五年以内にもう一回山場が来る。そういう立場から闘う執行部を形成することはまったく可能であると思っています。

 闘う労働運動の形成と一体

 最後に、動労千葉の闘いですけれど、新「DC会館」をつくりました。ここを拠点に二十一世紀に羽ばたいていく。JR総連を解体して、若い労働者を結集したいと思っています。
 その上で、国鉄闘争の勝利は、闘う労働運動をどう形成していくのかという運動と表裏一体です。その運動の前進に応じて国鉄闘争の勝利の度合が決まる。国労や動労千葉が中心となった運動がどんどん広がることが敵に脅威になるわけだから。そういう意味で、十一月の動労千葉と全国金属機械港合同、全日建運輸連帯関生支部の三組合が呼びかける集会に、今年はなんとしても五千人を集めたいと思っています。

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週刊『前進』(1967号2面2)

 資料

 「解決案なき臨時たいかい」の再開に反対し

 国労の良心に訴えるアピール

 七月十一日、全国の国労闘争団が連名で「『解決案なき臨時大会』の再開に反対し、国労の良心に訴えるアピール」を発し、国労本部に臨大再開に反対する申し入れを行った。闘争団のアピールを紹介します。(編集局)
 七月一日の第六六回臨時全国大会は、大混乱の末、休会となった。この事態を招いた原因は、具体的な解決案も解決交渉の進展もないまま臨大開催を強行し、「JRに法的責任がない」ことだけを決めようとした本部執行部にあり、本部はその責任を痛感すべきである。
 本部は、「四党合意」の翌五月三十一日に開かれた全国代表者会議の中で、「七月一日を目処にして解決作業の促進を求めていく」「七月一日に予定している臨時大会の中では、法的責任がないことの確認だけではなくて、包括的な打開に向けて努力をしていきたい」と答弁したが、七月一日に至るも、交渉の進展状況、包括的な打開の中身をついに示すことができなかった。
 「四党合意」は運輸省がつくったという自民党の四項目の丸呑みではないか、という疑問に対し、本部がそれを否定してきた唯一の理由は、「自民党・社民党トップの決断」により「並行して解決作業が進む」ということであった。しかし、その「約束」が実行されないにもかかわらず、本部は、まず国労が「JRに法的責任なし」を決定し、自らが「国労に屈伏を迫るもの」と評価してきた四項目を丸呑みしようとする臨大開催を強行したのである。
 また、臨大直前の六月二十九日になってようやく「臨時全国大会方針(案)」を決定し、その中ではじめて「解決交渉にあたり゛法的責任がないことを認める”ことは、苦汁の選択である」という見解を示したことも、この間極めて不誠実だった本部の姿勢を象徴的に表している。
 自民党の数の力によって国鉄改革法案が可決され、私たちは国労所属だけを理由としてJRから採用差別を受けた。JRで働きたいという私たちの意思は無視され、権力側の勝手な都合で職場を追われ、労働者としての誇りを踏みにじられ、家族を含めた将来を奪われた。その一方的なやり方に対する怒りこそが、十三年余の闘いの原点である。
 当事者に一言の説明もなく「四党合意」を了承し、一度も胸襟を開いて話し合おうとしないまま臨大開催を強行した本部に対し、「私たちの人生を勝手な都合で決めないでください」と叫んだ家族の思いは、私たち闘争団の共通の思いである。
 私たちは、十三年余にわたり国鉄闘争に支援を寄せていただいた支援、共闘のみなさんの思いを裏切ることはできない。
 労働争議の解決局面では、和解協定書の一言一句に至るまでぎりぎりの攻防が行われる。それは、当該の権利回復のためばかりではなく、解決の仕方や水準が他の争議や労働者に与える影響を考慮するからであり、支援者に対する誠意でもある。まず国労が「JRに責任がない」ことを認めてしまうことが、国鉄方式のリストラが広がりつつある状況の中でいかに悪影響を及ぼし、支援者を裏切ることになるかを私たちは忘れてはならない。
 また、国鉄闘争を当該として闘っている他組合への配慮もけっして怠ってはならない。
 私たちはいま一度、すべての国労の仲間の良心に訴える。労働組合としてやってはならないことはやってはならない、越えてはならない一線は越えてはならないということを。
 私たちは本部に強く求める。具体的な解決案がないまま臨時大会を再開する愚を犯してはならないことを。
二〇〇〇年七月十一日

国労稚内闘争団・団長 池辺哲司/国労音威子府闘争団・団長 鈴木孝/国労名寄闘争団・団長 西原順一/国労旭川闘争団・団長 内田泰博/国労深川闘争団・団長 瀬古勝利/国労留萌闘争団・団長 田辺和憲/国労紋別闘争団・団長 清野隆/国労北見闘争団・団長 前北富雄/国労美幌闘争団・団長 高橋修/国労帯広闘争団・団長 馬渕茂/国労函館闘争団・団長 西村昭英/国労静岡闘争団・野田紀泰/国労筑豊闘争団・団長 土村学/国労鳥栖地区闘争団・原田亘/国労熊本闘争団・団長 平嶋慶二/国労大分闘争団・赤峰正俊/国労鹿児島地方闘争団・団長 山内勇/国労川内班闘争団・団長藤崎久/国労鹿児島班闘争団・団長 垂脇道男/国労志布志班闘争団・団長 鶴巣繁啓/国労姶良伊佐班闘争団・団長 岩崎松男/国労都城班闘争団・団長 新原俊弘/国労宮崎班闘争団・団長 松村秀利

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週刊『前進』(1967号2面3)

 資本攻勢&労働日誌

 7月1日〜16日

 ●私鉄総連も春闘見直し

 ●出版労連が個人加盟方針

 ●地労委に個別紛争処理案

 電機連合が消費税10%提案

●1日 国労の臨時大会で、闘争団の怒りが爆発し、「休会」に。
●4日 東芝、富士通、石川島播磨重工業の3社は、計約160人の生産現場の労働者をトヨタ自動車に応援のため派遣したことを明らかに。労組も容認していることから派遣が再び増加する可能性。
●5日 電機連合が7日まで3日間定期大会。@2002年から、2年サイクルの労働協約春闘に移行する方針を正式に決めた。春闘に大きな影響を与える電機が、鉄鋼に次いで隔年春闘に移行することで春闘解体を推進。A「年金改革素案」も提起。報酬比例部分を廃止し、財源は10%程度の目的消費税の導入を提言。B「第5次賃金政策(草案)」を提起し、職種別横断賃金を要求していく方向を確認。鈴木委員長発言は別掲。
◇JR連合の葛野会長は、定期大会であいさつし、国労の臨時大会が休会となったことについて「大きな失望を与えた」と発言。
●6日 JAMは7日まで、中央委員会を開き、2000年春闘の総括を確認。服部会長は゛春闘終焉”論に対し傘下労組の怒りが高まる中で、「賃金こそ働く者にとって最大の関心事であり、賃上げは永久不変の運動だ」と述べた。
●8日 日本労働弁護団は、全国26カ所で「リストラ・倒産110番」を実施。東京や大阪などで422件の相談が寄せられた。最も多かったのは解雇をめぐる相談。
●10日 日教組が12日まで3日間定期大会を開いた。(3面参照)
●11日 保岡法相は、株式会社に関する法制度(会社法制)を全面的に見直し、2年後をめどに商法改定を目指す方針を明らかに。
◇2001年4月に経営統合する三和銀行、東海銀行、東洋信託銀行の3行は、今後6年で約5600人の労働者を削減すると発表した。
●12日 全逓が14日まで3日間定期大会を開いた。(3面参照)
◇私鉄総連が、14日まで3日間定期大会を開いた。坪根委員長は、定期昇給制度の導入や、一人平均ベア方式(これまでは定昇込みの平均賃上げ方式)の導入などを柱とする春闘改革案を提示した。
●13日 99年度の健康保険組合の赤字が過去最大の2000億円に達することが、健康保険組合連合会の決算見通しで明らかになった。
◇自己破産申し立てで店舗閉鎖の木更津そごうと長野そごうは計300人の全従業員を12日付で解雇。
●14日 出版労連が15日まで定期大会。全印総連との組織統一と「個人加盟組織」「同一価値労働同一賃金」への転換を打ち出した。
◇東京商工リサーチ発表の上半期の企業倒産状況によると、倒産件数は前年同期比31.6%増の9160件となり、戦後4番目の高水準。
●16日 全国労働委員会連絡協議会は、都道府県の地労委に個別紛争の調停や仲裁を担う権限を持たせる改革案をまとめた。(朝日)

 電機連合定期大会における鈴木発言
●春闘終焉論を積極主張
 産業の枠を超えた「上げ幅春闘」は終焉せざるを得ない。
●ベア・ゼロに走った資本を擁護
 ベア・ゼロは、経営者が従業員を大事にしなくなったからというよりも、……株の配当が無配でも従業員の処遇改善をしてきた経営施策が、許されなくなりつつあるという現実から。
●成果主義賃金を積極容認
 各企業においては成果主義、業績評価主義を含む新しい賃金システムを導入。労働組合は反対するのではなく、苦情が出た場合のケアに全力を注ぐ。組合員間の所得格差は拡大していく。
●年金改悪の先兵に
 (年金の)「報酬比例部分」を廃止し、財源を「目的消費税」とする。

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週刊『前進』(1967号3面1)

 全逓広島大会

 「ネット事業」路線に怒り

 ニューユニオン阻止へ 被免職者ら決起集会

 全逓第五四回定期全国大会が七月十二―十四日、広島で開催された。
 マル青労同全逓委員会は大会初日、会場の国際会議場に断固登場し、大会参加者に「本部を総辞職させ闘う全逓への改革を」「『総合生活支援ネットワーク事業』路線=民営化推進方針を粉砕せよ」と呼びかけたリーフレットを配布した。労組交流センター全逓部会や四・二八連絡会を始め、全逓本部の裏切り方針に反対する現場労働者が全国から結集し、次々にビラがまかれた。われわれのリーフが熱心に読まれ、二千部の大半をまききった。
 正午より、四・二八被免職者当該と現場労働者代表による全逓本部への申し入れ行動が行われた。前野総務部長は、昨年の申し入れにまともに対応せず、弾劾されたのに懲りて、三人だけに制限した。「全逓本部が四・二八被免職者を切り捨てたことを謝罪し、不当な制限をやめ、組織として裁判に再び取り組め」と要求したが、「申し入れの内容は後任に引き継ぐ」との無内容な対応に終始した。
 本部に対する怒りのシュプレヒコールの後、中四国の全逓労働者の司会で昼休み集会が約百人の参加で開催された。まず、昨年大津大会闘争の共闘陣形の発展の上で昼休み集会がもたれていること、この集会の参加者が本当の現場の代表であることが提起された。
 四・二八連絡会の代表は、人事交流を弾劾し、九月二十日に開かれる四・二八裁判への結集を訴えた。
 四人の被免職者が発言に立ち、大崎局の神矢さんは「全逓が連合参加を決め闘いを終結させようとしたが、私たちは反マル生闘争を守り抜いてきた。四・二八闘争と反合理化闘争を一体で進めよう。組合を労働者の手に取り戻す闘いを進め、反転攻勢に出よう。国労大会で合意を阻止したような闘いを全逓でもつくり出そう」と力強く訴えた。
 分限免職と闘う芦屋局の高見さんは、「現場では、合理化や強制配転によって腰痛症や『精神障害』の人が増えている。私は『精神障害』を口実に首を切られた。大阪高裁では逆転判決で負けたが、四千名近くの署名を集めた。最高裁に向けて再度の署名を取り組む」と提起した。
 現場を代表して四人が発言。東北の仲間は「『国営の新たな公社』は人員削減、大合理化だ。『総合生活支援ネットワーク』は現場の団結を破壊し、合理化を推進するものだ。人事交流と総合担務制をやめさせろ。ニュー・ユニオンに反対し、全逓の旗を守り、団結して闘おう」と訴えた。
 東京の仲間は、「この三年間で五百人に上る減員で労働条件は悪化の一途だ。こんなことは許せない」と、二〇〇三年に向かって闘う決意を明らかにした。
 関西の仲間は、「人事交流で飛ばされた元の同じ職場の仲間とともに参加した。沖縄サミット闘争に職場から代表を送って闘う。今大会を一一三中央委を上回る内容で勝利しよう。国労の仲間に続き、連合全逓中央を打倒しよう」と、全逓労働者の決起への確信に満ちた決意表明を行った。
 大会前夜には、労組交流センター全逓部会の全国総会が開催された。地元の労働者の基調報告を受け、全国大会闘争を先頭で闘う決意を固めた。また、八・六ヒロシマ大行動に、再び全国から広島に結集しようと確認した。
 今大会に向けて、全国で代議員選挙闘争を闘い、全逓改革運動の前進を反映して、多くの地方で得票を伸ばした。統一戦線陣形も拡大し、広島には多くの新しい仲間が結集した。現場労働者は健在だ。

 新執行部に多くの不信任

 大会では、高頭委員長があいさつで「労労関係も対立の時代は終わった。過去の行き過ぎた運動を克服し、真心から全郵政の皆さんと一緒に二十一世紀の展望を共有したい」と述べ、全郵政との統合による全逓解体方針を露骨にした。
 これに対して、本大会前の労働条件委員会を含め、多くの代議員から疑問・不信・怒りの発言がたたきつけられた。石川委員長、竹林副委員長、菰田書記長らの新執行部が選出されたが、不信任票が菰田らに多数突きつけられた。
 この新体制は、郵政民営化とニュー・ユニオンを暴力的に推進する極反動体制である。同時に現場労働者の怒りに追いつめられた危機的体制でもある。今こそ連合全逓指導部を打倒し、全逓改革を推進しよう。
 (全逓労働者M)

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週刊『前進』(1967号3面2)

 "パートナー路線を改めよ"

 日教組大会で本部に反旗

 全国闘争求める声相次ぐ

 七月十―十二の三日間、日教組第八八回定期大会が開かれた。日教組本部が文部省とのパートナー路線にますますのめり込み、総屈服の姿勢をあからさまにする一方で、これに対する公然たる反旗がひるがえった大会であった。
 大会の争点の第一は、激化する「日の丸・君が代」強制攻撃との対決である。
 日教組本部は昨年の大会では、組合員の怒りの中、九五年のパートナー路線への転換以来初めて「日の丸・君が代」強制・法制化反対を運動方針に復活させた。しかし今大会では再び後退させ、「地域や学校現場での対立と混乱を増幅させないようとりくむ」という屈服方針を打ち出した。
 これに対して、辰野教育長らによる平和教育破壊と対決してきた広島の闘い、新聞意見広告と県民集会を成功させた千葉高教組の闘いなどが報告された。東京教組の代議員は国立の闘いを報告し「『日の丸・君が代』強制に対しきちんとした対応を」と訴え、「本部は文部省の実施状況調査の中止を求めよ」(神奈川高教組)などの声が上がった。
 さらに議案の修正案として「一部地域において」の言葉を「全国的に『日の丸・君が代』が強制され」と変更する修正案が二十七単組から共同提出され、採決で代議員の三分の一をこえる賛成を得た。
 争点の第二は、教育基本法改悪−「教育改革国民会議」に対する態度である。
 本部は議案に「『はじめに改定ありき』の教育基本法改悪には反対する」としたものの、「教育改革国民会議」に「『意見反映等、関与していく』のが基本的スタンス」という度し難い対応を示した。これに対して広教組、広高教組、千葉高教組、福島県教組、佐賀県教組、北海道教組が教育改革国民会議の解散を求める修正案を提出した。代議員も「全国的な取り組みを」と闘う方針を求めた。
 争点の第三は、新勤評攻撃や管理規則改悪など、管理強化と権利はく奪の攻撃をめぐる問題である。
 本部は、これらの攻撃に対しても「反対」の立場表明すら放棄し、逆に定期大会を二〇〇一年度から隔年開催とすることを提起・決定して組合民主主義を一層形骸化しようとしている。
 これに対して「新たな勤評攻撃に日教組として反対の立場を鮮明にさせ、全国的な取り組みを」(広教組)、「賃闘が各個撃破されている現実を打ち破るために全国統一闘争の強化が必要」(千葉高教組)など、全国統一闘争の必要性、死活性を訴える発言が相次いだ。
 第四に、「教え子を再び戦場に送るな」を掲げる闘いの強化を訴える発言が多くなされたことである。
 広高教組は「辰野教育長は『国のために命を惜しまない』人間像をめざし、そのために組合をつぶそうとしている。きっちり対峙して国民的な運動をつくらなければ『戦場に再び教え子を送ってしまった僕ら』になりかねない」と訴えた。
 また、沖教組は「方針に『日米安保条約の廃棄をめざし』という十三文字を挿入して欲しい。沖縄全島が今、女子中学生わいせつ事件に対する怒りで煮えたぎっている。この状況を脱するには米軍基地撤去以外ない。日教組は安保条約の廃棄をめざす方向性をはっきりと指し示すべきだ」と訴えた。こうした危機感と怒りに突き上げられ、『米兵による少女わいせつ行為事件の徹底追及と米軍基地の縮小・撤去を求める特別決議』が採択された。
 第五に、本部の裏切りに怒り、パートナー路線撤回の修正案が真っ向からたたきつけられたことである。
 広教組は「文部省より天下った辰野教育長の悪事を見ても文部省にパートナーシップの気がないのは明白だ。片思いのパートナーシップの方針を改め、文部省と対等な立場で対峙する方針の確立を求める」と訴え、スローガンから「社会的パートナーシップを確立し」の削除を求める修正案を、広教組、広高教組、鳥取県教組、鳥取高教組で共同提出した。
 広島の闘いに続き、「日の丸・君が代」攻撃、教育基本法改悪攻撃と全面対決し、新勤評攻撃やさらなる管理強化の攻撃を打ち破って闘おう。日本共産党とカクマルの敵対を粉砕し、八・六広島―八・九長崎を闘い抜き、十一月労働者集会に教育労働者の大結集を実現しよう。

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週刊『前進』(1967号3面3)

 交流センター女性部大会

 組織2倍化へ熱気

 国労、沖縄闘争と連帯

 七月一、二日の二日間、全国労働組合交流センター女性部の第七回定期大会が千葉市内で開催され、全国から多数の代議員と傍聴者が参加した。初日は国労臨時大会の開催日であり、闘争団・家族会、国労組合員の闘いがリアルタイムで報告され、全国から参加した女性部員は闘争団・家族会に連帯して闘うという決意あふれた大会となった。
 自治体労働者の司会で議長団などを選出した後、女性部長があいさつした。
 女性部長は、「『JRに法的責任はないということを決める』ということは、国労だけでの問題ではない。気持ちの半分は(臨大会場の)三宅坂にある」と連帯の決意を語った。さらに、職場のすさまじい合理化攻撃を暴露し、「こうした時代は戦争の時代でもある。特にリストラの先端に女性労働者がいる。生活に根ざし、命を守ることに根ざした女性たちをいまこの『剣が峰』のなかで組織し、どうしたら勝っていけるのかをこの第七回大会でつくりあげていきたい。資本も大きな力をちょっと加えればガラガラとくずれる時代でもある。私たちは次の二十一世紀を切り開く力をもっている」と力強く訴えた。
 佐藤芳夫全国労組交流センター代表の「交流センター運営委員の半分を女性部員が担おう」という女性部への期待をこめたメッセージに拍手が鳴り響いた。また関東地協・千葉交流センターがあいさつした。
 沖縄労組交流センターの女性労働者が特別報告を行った。沖縄NTT資本のすさまじい労働実態とそれに対するパートの女性たちの闘いを生き生きと報告し、同時にサミット直前の沖縄の現状と闘いも報告した。
 執行部が、九九年度の活動報告と二〇〇〇年度運動方針、@有事立法・改憲阻止、沖縄サミット−名護新基地建設阻止、ガイドライン−戦争協力を拒否しよう、A大失業攻撃にたち向かう職場闘争と職場・地域の組織化に取り組もう、B国鉄、都労連の闘いを軸に階級的労働運動の再建と新潮流運動をつくりだそう、C十一月労働者集会の五千人結集を実現し、「闘う労働組合の全国ネットワーク運動」の大発展を切り開こう――の四点と、それを踏まえた具体的闘い、@ 階級的労働運動をつくりだす闘い、A反戦・政治闘争、B組織拡大・強化――を提案した。
 代議員・傍聴者二十六人が、活発に質疑討論を行った。関西、東京、中四国の女性部は、職場聴き取り学習会、パート労働者の交流会、通信の発行など独自活動を報告した。ED争議の勝利の報告は職場闘争組織化の大きな教訓を示した。
 「日の丸・君が代」攻撃との闘い、組合権力をにぎる闘い、均等法攻撃との闘いなど、すべての報告が、第五回大会をもって踏み出した〈職場実践・組織化〉の取り組みの着実な前進を示した。
 また、連合傘下の労働組合本部を担う女性労働者は、「連合に対し方針を提起できる力をつけなければならない」と提起し、交流センター女性部の課題が鮮明になった。
 議案、大会スローガン、大会宣言を採択した。最後に、新女性部長を始めとした役員を選出し、二〇〇〇年度の闘う女性部の執行体制を確立した。
 大会二日目の最後に、中野洋代表が報告し、国労臨大の「四党合意」は粉砕されたこと、国政に挑み、労働者の団結を固める総選挙闘争として取り組んだことを明らかにした。そして、沖縄サミット反対大デモ、八・六ヒロシマ大行動、九・三に石原と対決し、十一月労働者集会に攻め上っていこうと訴え、「女性部は交流センターの発展の主力になろう」と結んだ。

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週刊『前進』(1967号3面4)

 石原都知事にNO!

 多民族文化集会に550人

 七月十四日午後六時三十分から、東京の中野ゼロ大ホールで、様々な民族の労働者、市民五百五十人が参加し、「七・一四石原都知事にNO! 多民族多文化大集会」が開かれました。
(写真)
 まず、ビデオが上映され、「三国人」発言など石原の暴言と居直りをニュース報道や抗議闘争の映像、インタビューなどで検証・弾劾しました。
 司会の朴慶南さんが、「質問状に対する都知事の回答に誠意のかけらもなかった。危険性最悪の石原都知事を絶対に許せない」と怒りを込めて弾劾するとともに、「“多民族は楽しい”という集会にしていきたい」と集会の狙いを簡潔に提起しました。
 ピースボートの青年による「ユネスコ平和ダンス」が会場をわかせた後、一回目の二分間スピーチに移り、大学で“マイノリティと文化”を講義している田中優子法政大教授が、「日本文化は中国など多文化がつくってきたもの」、ところが「石原知事は人間の差別性をあおって行動に結び付けようとした。犯罪的行為。こういう人を指導的位置に置いてはいけない」と強く訴えました。
 ジャーナリストの大谷昭宏さんは、「東京は寂しい街になった」と石原弾劾に立ち上がろうとしない都民を叱咤(しった)しました。ジャーナリストのトニー・ラズロさんは、多民族社会の楽しさ、強さを強調し、「石原をやめさせ、安全な楽しい東京を今日からつくろう」と呼びかけ、盛んな拍手をあびました。
 人材育成コンサルタントの辛淑玉さんは、「石原は三宅島で『石原歓迎のために掃除をさせた』と役人を罵ったがそうした事実はなかった。不正確な情報でたたいて大衆受けを狙う」と、デマゴーグ石原の正体を鋭く暴露するとともに、八月十五日から計画している「多文化探検隊」、九月二日の「多文化・多言語防災実験」への参加を呼びかけました。
 CILくにたち援助為センター代表の安積遊歩さんは、石原の「障害者」差別発言を弾劾し、「戦争中の独裁者のよう」と怒りを込めて訴えました。
 松崎菊也さん、石原にふんした石倉直紀さんのコントが、会場に笑いをまき起こしました。「踊るリコール」と題するダンスに続いて、「多国籍・多文化都民による都知事立候補立会演説会」では、六人の外国籍都民が「外国人の安全を保障する警察を」「外国人のための健康保険を」など、それぞれの思いを訴え、会場の拍手で全員の「当選」を確認しました。
 二回目の二分間スピーチでは、福士敬子都議、曽根はじめ都議が九・三治安出動訓練を弾劾、保坂展人議員、福島瑞穂議員からのアピールが代読されました。
 作家の宮崎学さん、辛淑玉さんが行動方針を提起し、九月三日の治安出動訓練の様子をインターネットをつうじて世界に発信していこう、三日午後に石原に反対する人びとが一堂に会する大集会を開こうと呼びかけ、すでに二十数人の文化人、学者、議員が呼びかけ人に名を連ねていることを報告しました。
 在日三世の女性が、「多民族・多文化東京七・一四宣言」を読み上げました。
 最後に、李政美さんのミニコンサートが、会場の感動をよびました。
 コントなどを混じえ、アピールを受ける中で、石原が排外主義・差別主義の最悪のファシスト、デマゴーグであることを痛烈に実感し、九・三治安出動訓練を許さず、石原をやめさせるまで闘う決意を一層固めました。 (投稿 H・Y)

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週刊『前進』(1967号3面5)

 忍草母の会

 全国キャラバン迎えて

 自衛隊に申し入れ

 七月十三日、忍草母の会は、とめよう戦争への道! 百万人署名運動が全国キャラバンの一環として北富士忍草母の会を訪れたのを受けて、自衛隊北富士駐屯地に対する申し入れ行動にともに決起した。
 午後四時過ぎ、母の会の天野美恵事務局長を先頭に自衛隊北富士駐屯地に押し掛け申し人れ行動に来たことを告げ、応対にでてきた鈴木久司令警務室長に対してきちんとした会見の部屋を設けて申し入れを受けるように要求した。
 鈴木は、硬直的に拒否しようとしたが、母の会を先頭にした申し人れ行動参加者の追及に押されて駐屯地司令に伺いをたて、あらためて拒否するという動揺ぶりを示した。
 まず、百万人署名山梨連絡会が、十一月に北富士演習場で強行されようとしている在沖米海兵隊の県道104号越え本土移転演習の中止と新安保ガイドラインに基づいた「周辺事態」を想定した日米共同演習及び自衛隊演習を中止するよう申し入れた。さらに沖縄の名護新基地建設を中止するよう申し入れた。
 続いて西村綾子婦人民主クラブ全国協代表が申し入れ書を読み上げた。七月三日の沖縄での女子中学生に対する米兵の暴行未遂事件を弾劾し、さらに忍草母の会の五十年にわたる入会権を掲げた闘いが全国の反戦反基地闘争の原点であり、闘いの圧殺を許さないという宣言をたたきつけた。
 さらに百万人署名運動・梨大生の会と都留文科大学生活協同組合労働組合が申入書を読み上げ、申し入れに対して必ず回答するように要求した。
 申し入れ行動の後、檜丸尾入会の森に場所を移して全員でバーベキューを囲んで交流を深め、ともに闘う決意をがっちりと固めた。
 また、これに先立って、百万人署名運動山梨連絡会と梨大生の会が山梨大学と甲府駅前で署名活動を行い、梨大では一時間で四十人の署名を集めた。(T)

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週刊『前進』(1967号3面6)

 三一闘争

 昼デモに120人

 支援共闘会議主催で

 鈴木経営を追撃

 七月十一日正午すぎ、三一書房争議支援共闘会議(出版労連・日本マスコミ文化情報労組会議・東京地評・文京区労協・三一書房の良心の灯を支える表現者の会・弁護団・三一労組)主催、三一書房労組を支える会後援で千代田区にある鈴木経営仮事務所への包囲闘争が闘われ、昼休みにも関わらず、約百二十人の労働者が参加し戦闘的に闘い抜かれた。
 午後零時十五分から市ケ谷の東郷公園で決起集会が開かれた。最初に支援共闘会議議長があいさつ。「今日の闘いを鈴木経営を団体交渉に引き出し、彼らの責任を全面的に認めさせるきっかけにしよう」と闘争の意義を力強く語った。
 続いて三角忠・三一書房労働組合委員長が経過報告を行った。「昼前に、仮事務所に団交要求にいったが居留守を使っている。五月十九日に鈴木社長を仮事務所前の路上で捕まえ、追及をした。それ以降逃げ回っている。居直りを許さず団体交渉に応じざるをえないように今日のデモで弾みをつけたい」と闘いの決意と方向を提起した。
 「解雇撤回・闘争勝利」のシュプレヒコールとともにデモに出発。昼休みの労働者が一斉に注目する。鈴木経営が逃げ込んだコーポ麹町の前では、声高に「鈴木経営は組合との団交に応じろ」「組合を排除した業務再開を許さないぞ」とシュプレヒコールをあげた。
 三一労組は、一昨年十一月のロックアウト、組合員三人の不当解雇から二十カ月、相次ぐ不当解雇にもめげず、『十七歳のバタフライナイフ』を組合発行第一弾として刊行、職場を確保しつつ、自活体制を確立して闘い抜いている。
 一方鈴木経営は、五月二日にはさくら共同法律事務所の全弁護士が三一争議の全係争事項から辞任し、逃亡した。都労委での敗勢的事態など破たんが始まっている。三一闘争への支援をますます強化しよう。

 三一書房労組が発した書籍販売への協力要請の一部を紹介します。(編集局)
 組合出版第一弾『十七歳のバタフライナイフ』購入のお願い
 三一書房労働組合
  執行委員長 三角忠
 今般、表現者の協力の中から、新たに呼びかけ人に加わってくれた宮崎学さんと、会結成以来、呼びかけ人の中心として壇上からも組合支持を熱っぽく訴え続けてこられた別役実さんのお二人が、雑誌「論座」に発表した犯罪対談をベースに『十七歳のバタフライナイフ』を、三一書房労働組合発行で七月十日に出版(発売元・青林工藝舎)しました。このような表現者の厚意に報いるためにも、貴組合・団体を始め多くの労働者にまとめて読んでもらいたいと切に願います。
●申し込み 三一書房労働組合 〒一一三―〇〇三三 文京区本郷二―十一―三
電話 〇三(三八一二)三一三二
ファクス〇三(三八一二)三一一九
●定価 本体千四百円+税

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週刊『前進』(1967号4面1)

 迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判

 13年の不当長期勾留を弾劾し無実の4同志保釈の大運動を

 獄中非転向の革命家の抹殺許すな

 無実を争えば保釈を拒否する拷問的弾圧

 迎賓館・横田爆取(爆発物取締罰則違反)デッチあげ裁判を闘う須賀武敏同志、十亀弘史同志、板垣宏同志に対する不当な超長期未決勾留は、一九八七年十月の不当逮捕以来この七月で十二年九カ月となった。一審だけで足掛け十四年もの長期勾留は、他に類例がない。
 同じく迎賓館・横田裁判で、三同志とは分離された公判闘争を闘う福嶋昌男同志への勾留は、一九九三年三月の不当逮捕以来七年四カ月となった。逮捕に先立つ指名手配の期間を加えれば、実際にはやはり十三年近く自由を奪われた生活を強いられている。
 この長期勾留は、無実を訴えて不屈の獄中闘争、裁判闘争を闘う四同志への、司法権力の敵意をむきだしにしたものだ。非転向の革命家に対する政治弾圧であり、許すことのできない極悪の人権侵害だ。
 東京地裁は今春、四同志の保釈請求を却下し、東京高裁もこれへの抗告を棄却した。一昨年以来、三度目の保釈却下である。とりわけ東京高裁の抗告棄却決定は「不当に長期にわたる勾留とは言えない」と真っ向から開き直る許しがたいものだ。
 この高裁決定が最大の理由として挙げているのは、被告・弁護団が裁判を「執拗(しつよう)に争い」、その結果、裁判が超長期化しているということであり、それに伴う不利益はすべて被告人が甘受すべきだということである。
 だが、四同志は無実なのだ。四同志は、わが革命軍による一九八六年五月四日の迎賓館へのロケット弾戦闘と同年四月十五日の米軍横田基地に対するロケット弾戦闘には一切関与していない。警察・検察は、須賀同志、十亀同志、板垣同志の三同志が八六年十月の岩手爆取弾圧(爆発物製造容疑)で逮捕・起訴され、獄中にあったことを唯一の根拠に、何の証拠もないまま迎賓館・横田戦闘の「犯人」とする政治的デッチあげに踏み切った。そして同時に福嶋昌男同志をデッチあげ指名手配したのだ。
 無実の被告人が不当なデッチあげ弾圧と全力で闘い、裁判で徹底的に争うのは、あまりにも当然ではないか。裁判の異様な長期化はひとえに、検事がデッチあげの破綻(はたん)を認めず、とっくに破産した検察立証をずるずると引き延ばしていることによる。それを裁判所が公然と容認してきたのだ。
 東京高裁の決定には、被告人が無実を争えば保釈しないという、司法の「公正・中立」の建前の最後の一片をも公然と投げ捨てた恐るべき論理が貫かれている。
 しかも四同志は、長期の未決勾留と獄中医療の劣悪さのために、全員が健康を害している。特に須賀同志は、九八年二月の腰椎間板ヘルニア発症以来、必要な治療がまったく受けられない中で、すでに二年半近くにわたって歩行困難な状況を強いられている。毎回の公判にも車いすで出廷し、痛みのために途中で退廷するしかない。無実を争っているのに、裁判を受ける権利すら事実上奪われている状態だ。
 今年二月、被告・弁護団の必死の闘いによって外部の医師による須賀同志への医療鑑定がかちとられた。そこでは、通常のヘルニアでは考えられないほど広範囲の「下肢筋力低下、筋委縮、感覚障害」が起きていることが確認された。狭い独房に閉じ込められ、ほとんど寝たきりの生活を強いられていることが不可避にもたらしたものだ。東拘当局は、牽引(けんいん)療法や深部熱療法など、鑑定書に列挙された治療法の大半を拒否し続けている。
 東京地裁・高裁は、この医療鑑定結果をもまったく無視して保釈拒否の決定を下したのだ。獄中同志の健康が破壊されているのを百も承知で長期勾留を居直り、「外に出て治療を受けたければ無実を争うのをやめよ」と宣言してきたのだ。
 これはもはや事実上の拷問だ。デッチあげ弾圧と闘うこと自体を国家権力による「懲罰」の対象とし、屈服・転向を強要し、「いやならどこまでも勾留し続けるぞ、体がボロボロになってもいいのか」と脅迫しているのである。しかも、裁判所がその最も凶悪な手先となって獄中同志に襲いかかっているのだ。怒りを抑えることはできない。

 司法制度改革と一体起訴されれば即有罪

 この攻撃はさらに、政府・自民党が今日狙っている司法制度の大改悪の攻撃とも完全に一体である。ひとことで言えば、起訴したが最後、無実・無罪を絶対に争わせないという攻撃である。警察・検察が逮捕し起訴した者が裁判で無罪になるなどもってのほかとして、裁判を闘う権利そのものを奪おうとする攻撃だ。
 五月十八日、自民党の司法制度調査会が「二十一世紀の司法の確かな一歩」と題する司法制度改革に関する報告書を提出した。そこには次のように書かれている。
 「国民が注目する一部の重大事件にあっては、第一審の審理だけで五年を超え、さらには十年以上の長期間を要する事件が見られ、国民の刑事司法に対する信頼を損なう一因となっている。これらの事件について、いかにして迅速な裁判を実現していくかが大きな課題である」
 ここで問題にされている「一部重大事件」の裁判とは、迎賓館・横田裁判のことなのである。現在、一審だけで十年以上もかかっている裁判はほかにはない。実際に同調査会の会合で法務省は、迎賓館・横田裁判とオウムの麻原裁判の二つを挙げて、「なぜ早期に有罪にできないのか」と名指しで攻撃したという。
 そして、「迅速かつ実効性のある裁判」を実現するためと称して、「原則として二年以内に第一審判決がなされるための態勢の整備を五年を目途に実現する」としている。事実審理の期間に上限を設け、「計画審理・集中審理」を行い、裁判所の訴訟指揮権を強化する、被告・弁護団が裁判所の強制的指揮に従わない場合は、法廷侮辱罪などの制裁措置を導入して従わせる、というのである。
 そのために弁護士への国家管理体制をも強化し、弁護士事務所の法人化・統合化や刑事弁護専門の常勤弁護士制度の導入を推進するという。現在のように良心的な弁護士が金にならない冤罪事件や公安事件の弁護を自らの正義感に基づいて引き受けることが、事実上できないシステムにしてしまおうとしているのだ。
 これはとんでもない攻撃である。そもそも迎賓館・横田裁判がこれほどまでに長期化している最大の原因はどこにあるのか。この裁判がデッチあげであり、裁判所が公然とその加担者に転落していることにある。
 日帝権力は、四同志を爆発物使用の「事前共謀」容疑で起訴しながら、〈いつ、どこで、誰と、どのように共謀したのか〉という具体的事実を今日に至るもまったく明らかにできない。同志らの関与を立証する直接証拠が何もないことは、第一回公判の冒頭から検察も裁判所も認めている。先の東京高裁の保釈却下決定さえも、「目撃者等の直接的な証拠がないため」「間接事実の積み重ね」による立証となり、そのために検察立証が困難化していることをはっきり認めているのである。
 ここでいう「間接事実」とは、四同志が中核派の一員であり、特に福嶋同志を除く三同志は岩手弾圧で逮捕された「前歴」があるというにすぎない。法廷に出された「間接証拠」の大半は、岩手借家からの押収物だ。だが岩手借家は迎賓館・横田戦闘の何カ月も後になって設置され、両戦闘の当時には存在していなかった。そこでの押収物をいくら調べても、予断と偏見をあおりこそすれ、それを両戦闘と結びつけることなどけっしてできないのだ。
 したがって、検察の有罪立証は不可能であり、そのことは公判の開始時から明白なのである。本来なら起訴自体が不当として、公訴の棄却(裁判の打ち切り)が即刻宣言されるべきなのだ。さもなければ、「疑わしきは罰せず」という憲法と刑事訴訟法の原則にのっとって、直ちに無罪判決が出されて当然なのだ。裁判所自身が法を守って行動するならば、とっくに裁判は終わり、被告は釈放されているはずなのだ。
 だが、自民党の掲げる「迅速な裁判」「司法制度改革」はまったく逆に、証拠をめぐって争わせるから裁判が長引くとして、事実審理そのものを形骸(けいがい)化して、「早期有罪判決を出せ」と裁判所に迫るものである。
 こんな「改革」を許したら、人民は権力に不当逮捕されて起訴されたら最後、自動的に「有罪」となるほかはない。警察に疑われたらそれで終わり、ということだ。裁判はただ、刑の確定と執行のための単なる手続きに変質してしまう。
 この背後には日帝権力の絶望的なまでの焦りがある。一九八六年の迎賓館・横田戦闘は、日帝の首都厳戒体制を突き破って東京サミットを直撃し、当時の中曽根政権と米帝・レーガン政権、英帝・サッチャー政権などに大打撃を与えた偉大な戦闘だ。日帝権力は、国家的威信をかけて四同志デッチあげの大弾圧に踏み込んだ。その弾圧が四同志の不屈の闘いによって総破産の危機に直面する中で、日帝は今や戦後司法制度を根幹から解体しようと突き進んでいるのだ。
 そのために、裁判長期化の全責任を恥知らずにも被告・弁護側になすりつけ、同時にそれを保釈拒否の理由にしてきたのだ。実に卑劣なやり方ではないか。

 戦時型の弾圧体制へ予防拘禁の復活狙う

 保釈拒否を始めとした四同志へのあまりにも非道な諸攻撃は、日帝が今日、新安保ガイドライン体制下で画策している戦争国家への大転換攻撃の中で起きている。これ自体が有事立法・改憲攻撃の一環である。この重大性をしっかりと見据えなくてはならない。
 日帝は昨年、周辺事態法など新ガイドライン関連法と一体のものとして組織的犯罪対策法と団体規制法(第二破防法)の制定を強行した。破防法団体解散条項の全面発動が人民の闘いによって阻まれる中で、この壁を新法の制定で突破しようと画策したのだ。破防法の不十分さを補い、労働運動、反戦闘争など一切の大衆運動、反政府闘争の圧殺と戦前の特高警察の復活を狙ってきたのである。
 その本質は、一切の戦後民主主義的な諸制度や価値観をことごとく否定し、解体・一掃することにある。その廃虚の上に新たな侵略戦争に全人民を総動員しようとしている。再び天皇と日帝のために身も心も投げ出すことをすべての労働者人民に強要し、少しでも抵抗する者を容赦なく監獄にぶち込める体制をつくり出そうとしているのだ。
 すでに、司法制度改悪とともに少年法の改悪や成立したばかりの組対法の再改悪が今後の日程に上っている。昨年の組対法制定時には見送られていた刑事免責制度の導入や「共謀罪」の新設などが策動されている。刑事免責制度とは、逮捕された者が転向し捜査に協力して仲間を売れば、その者の刑事責任は問わないとするものである。「共謀罪」は、実行行為とは無関係に「謀議した」というだけで処罰の対象にするというものだ。まさに四同志のようなケースを証拠がまったくなくても有罪にする道を開くものである。
 また、冤罪を生む温床になるとして過去に何度も葬り去られてきた拘禁二法が、今秋以降に再び焦点化してくると言われている。さらに、東京拘置所の建て替えに伴い、窓から外の景色が一切見えず、日の光もささない部屋に獄中者を閉じ込めようとする攻撃や、領置品(私物)の所持制限など、獄中弾圧が一層エスカレートしている。
 日帝はこれらを、地下鉄サリン事件を起こした宗教の形態をとった新型のファシスト集団・オウム真理教への労働者人民の怒りを最大限に利用して、オウムへの適用を絶好の水路、口実として推進しているのだ。
 獄中四同志に対する「起訴すなわち有罪」「無実を争えば保釈しない」という攻撃は、すべての闘う労働者人民に対する弾圧攻撃の突破口として仕掛けられている。在日アジア人民に対しては、一層凶暴な攻撃が入管体制下の治安弾圧として襲いかかっている。
 東電女性社員殺害事件の「犯人」にデッチあげられたネパール人男性、マイナリさんに対する日帝・司法権力の許すことのできない人権侵害は、その最たるものだ。一審無罪の判決が出たにもかかわらず、東京高裁と最高裁は、検事控訴に伴うマイナリさんの勾留継続を決定した。最高裁は、「裁判所が勾留の必要を認めさえすればいつでも勾留できる。勾留の時期に制限はない」と言い放った。一審の無罪判決については、なんと「勾留を判断するときに慎重に検討すべき一事情にとどまる」と言っているのである。
 ここでは、マイナリさんが在留資格を持たない外国人であることが、その人権を一切否定してかまわないことの最大の理由になっている。「不法入国の外国人はみな犯罪者」と極悪の排外主義をあおる石原都知事のファシスト的扇動のまっただ中で、それと一体のものとしてこの決定が下されているのだ。
 この弾圧と排外主義攻撃の先頭に立った東京高裁刑事四部・高木裁判長は、昨年七月に狭山再審請求を棄却した裁判長だ。この決定に先立って、無罪判決が出た以上被告は釈放すべきとの当然の決定を出していた同高裁の木谷判事は、その後、定年まで二年半を残して突然の退職を強要されている。侵略戦争と有事立法・改憲へ突き進む森政権と首都の権力を握ったファシスト石原のもとで、司法の反動化が最後の一線を越えて進もうとしている。
 日帝・司法権力が四同志デッチあげの破産を絶対に認めず、保釈拒否を真っ向から宣言していることは、その中心に位置する攻撃にほかならない。そこにあるのは、獄中非転向の革命家の存在と闘いに対する日帝の深刻な恐怖であり、戦時下の「予防拘禁」という考え方だ。革命運動や戦闘的労働運動、在日朝鮮人・中国人−アジア人民を「内乱勢力」として抹殺の対象とすることなしに、日帝は新たな侵略戦争への道を突き進めないのだ。
 迎賓館・横田の獄中四同志奪還の闘いは、この攻撃と真っ向から激突し、粉砕していく闘いである。組対法・団体規制法粉砕の闘いの発展と固く結合して、無実の四同志保釈奪還の大運動をつくり出そう。

 全法曹界を揺るがす一大闘争まき起こせ

 すでに、爆取に反対する会の諸人士を先頭に、多くの弁護士、学者・文化人、宗教者による保釈要求の十万人署名運動が呼びかけられている。「無実を争えば保釈しない」という裁判所による人権侵害に、多くの人が「明日はわが身」の危機感と怒りをもち、闘いの呼びかけにこたえて続々と立ち上がっている。
 何よりも、獄中四同志が日帝権力に火のような戦闘宣言を発して最先頭で不屈の決起を貫いていることが、検察と裁判所、法務省、政府・自民党を震撼(しんかん)させ、激しく追い詰めているのだ。自民党の名指し攻撃の開始はその証左だ。
 まさに個々の革命家、革命党が、自らに加えられた弾圧に断じて屈せず、自己の全人格・全人生をかけてこれとの絶対非和解の死闘を貫く中でこそ、全人民にかけられてくる弾圧を跳ね返し、労働者人民の権利を守り抜く闘いを真に前進させることができるのだ。四同志を始めとした革共同の全獄中同志がこの闘いを徹底して貫いていることが、今日のあらゆる階級闘争、大衆運動の前進を根底で支えているのである。
 このことをあらためて確認し、今こそ迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判を闘う四同志の保釈を絶対にもぎとり、それを突破口に星野文昭同志など全獄中同志奪還の闘いに勝利しよう。あらゆるデッチあげ弾圧を粉砕する闘いに立ち上がろう。

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週刊『前進』(1967号4面2)

 デッチあげ弾圧を粉砕して

 非公然闘争は「連帯し侵略を内乱へ」を実現するテコ

 高田 武

 国家権力によるデッチあげ指名手配攻撃を十五年にわたる闘いで完全に跳ね返した高田武同志から、新たな闘いへのアピールが寄せられました。 (編集局)
   *   *    
 全国の同志の皆さん! 
闘う労働者・農民・学生・人民の皆さん! 私は、一九八五年の四・一二成田・羽田両空港同時ロケット弾戦闘へのデッチあげ指名手配弾圧を粉砕して、再び皆さんの闘いの場に戻ってきました。気分は最高にさわやかです。

 デッチあげの責任とらせる

 まず、弾圧粉砕の勝利を確認します。そして、私は、デッチあげ弾圧そのものの責任を絶対にあいまいにしないことをはっきりさせます。
 デッチあげ弾圧をやった国家権力の歴代の最高責任者、直接の権力機関の責任者、警察および司法行政の執行者に必ず等価報復を行うことを宣言しておきます。「デッチあげ」という人民に対する国家犯罪をなした者への責任を、直接、具体的に取らせるということです。「治安機関に守られているから」と、高をくくらないほうがいい。やったこと、やっていることの事実は消えない。
 国家犯罪の責任はデッチあげだけではない。すべての悪行の責任を取らせるということです。アジア人民への戦争責任の放棄と居直り。人道だの自衛権だのというペテンのもとで沖縄基地を強化し、戦争法を整備し、戒厳体制のための有事立法や改憲のたくらみ。戦争への人民の動員の準備。住民投票の声を聞かず、人民への盗聴や監視の強化。日の丸、君が代に反対する教員の処分。リストラや自殺の強制。無罪にしたネパール人の再勾留。無実であることがわかった人に公訴取り下げもせず、最後の判決公判をも強制。デッチあげで無期懲役にされている星野文昭さんの再審請求の棄却。爆取被告への十三年にも及ぶ超長期勾留への保釈請求の却下、などなど。違法・不当な国家犯罪は許さないということだ。
 グローバル化だの、規制緩和だの、IT革命だの、個人責任だのと言いなして、世界に飢餓と貧困を拡大し、核武装や戦争を進め、生命や共同体や環境を破壊して居直っている責任だ。世界を貧困や飢餓、失業や戦争に追い込んでいる世界政治の責任だ。森にも、石原にも、アキヒトにも、クリントンにも、ビル・ゲイツにも、ジョージ・ソロスにも、社会を腐敗させている責任、彼らの卑劣な生きざまへの責任を取らせるということです。この、デッチあげの責任はそのひとつでしかない。その等価報復をするということです。等価報復は、彼らにとって自業自得でしかない。それが世界革命のひとつの姿だということです。

 人民の海に支えられた勝利

 このデッチあげ弾圧粉砕の意味をあらためて確認します。
 第一に、この勝利は、日帝・国家権力に対する革命党と全人民の勝利です。人民の海に支えられた党の非公然組織とその闘争の勝利です。戦争の時代に革命が前進する非公然闘争の勝利です。いわば戦前の共産党を壊滅した全国一斉弾圧である「三・一五」型弾圧を跳ね返す非公然闘争の勝利です。そして「連帯し侵略を内乱へ」の戦略を実現する非公然活動の勝利です。総じて、党と人民が武装して闘い、支配階級の治安弾圧を闘う力に変えて、革命に勝利する非公然闘争の勝利です。
 第二に、具体的に、一九八五年四・一二ロケット弾戦闘の勝利の完成です。闘いを貫徹した革命軍のあらためての歴史的勝利です。革命軍は、この四・一二戦闘で成田と羽田の両空港を機能停止させ、息継ぐ間も与えず、同年の秋から冬へ、九・三、十一・一と成田空港実力封鎖のロケット弾戦闘をたたきつけて、日帝・中曽根の二期着工攻撃を不可能にしたのです。さらに、同年、十・二〇の歴史的な大衆的三里塚蜂起戦と十一・二八−二九の動労千葉の革命的ストライキに連帯した浅草橋戦闘を爆発させました。そして、翌一九八六年の米帝のリビア空爆糾弾の横田基地へのロケット弾攻撃、さらに世界を震撼(しんかん)させた五・四迎賓館ロケット弾戦闘の東京サミット粉砕への道を進んでいったのです。革命軍と非公然活動は、後の一九八八年に千葉県収用委員会の解体を戦取し、この一連の革命的武装闘争への破防法準備をも粉砕して、日帝・中曽根に成田二期工事着工の不可能をつきつけて、その勝利を完成させたのです。
 第三に、「三里塚軍事空港絶対反対」を掲げた三里塚農民の階級性を体現した勝利です。日帝ブルジョアジーの軍事大国化とアジア侵略のための農地強奪・農民圧殺攻撃と対決し、「話し合い拒否」「実力闘争」「農地死守」を掲げてたたかう三里塚農民の怒りと正義を貫いた勝利です。一九八三年三・八分裂の組織破壊攻撃を跳ね返して、農民として、人間として、命と人生をかけて、労働者人民と連帯し、日帝にあらかじめの敗北を強制している三里塚農民の絶対的勝利性の証(あかし)です。核心は、闘う三里塚農民の信頼を得る革命運動の勝利ということです。私の十五年間も三里塚農民とともにありました。
 総じて、三里塚農民、沖縄人民、国鉄を始めとする労働者人民の闘いと、これに連帯した非公然闘争と革命的武装闘争の勝利です。八○年代の中曽根の「戦後政治の総決算」「シーレーン防衛」「左へウイングをのばす」という戦争のできる国づくり攻撃を粉砕し、日帝ブルジョアジーに今日の自自公政権破綻(はたん)に見られるような階級的重しを強制している勝利です。ここに、日帝の歴史的敗北の不可避性の根拠もあるわけです。さらに、七○年代−八○年代のせん滅戦争をとおして、革命的内戦に敗北し、謀略論と黒田忠誠運動に癒(いや)しを求めるファシスト・カクマルの敗北の根拠もここにあるわけです。

 闘うアジア人民と連帯を

 私は、この世界革命の勝利のために闘う決意をあらためて固めています。闘いの勝利のためには、非公然・非合法(革命的武装闘争)の闘いと大衆の街頭への進出とともに、闘うアジア人民との結合がなんとしても不可欠です。なぜなら、日帝の歴史的制約の核心にあるものは「アジア人民の怒り」だからです。闘うアジア人民との連帯なしに、日帝の歴史的制約=戦略的弱点を撃つことができないからです。
 何ひとつ隣人への償いをしようとしない日帝、排外主義と虐殺でのりきるしかない日帝を打倒できるのは、アジア人民の怒りと日本人民との結合です。それが「連帯し侵略を内乱へ」の内容です。反対にファシスト石原登場の意味は、日本人民とアジア人民との連帯を断ち切り、日本人民を不安と絶望に陥れ、ファシズムに駆り立て、アジア人民虐殺の侵略戦争へ動員することだからです。
 革命的情勢の切迫がつきつける意味からしても、あらかじめ階級決戦が到来するわけではない。人民がアジア人民虐殺のために排外主義的に動員される情勢でもあるわけです。人民が動くものは何か。連帯か、排外主義か。血債か、虐殺か。長谷川さんか、石原か。
 主体的にも、世界史的にも、あとのない情勢です。問われているのは、人民一般ではなく、われわれであり、共産主義だということです。主体的問責なしに客観的な決戦期の到来はないということです。世界史的には、スターリン主義の裏切りの責任をわれわれが取ることです。主体的には、われわれ革命的共産主義者が人民の信頼を得ることです。
 これらの課題を通底しているものは、世界の人民の信頼を得られて初めて革命運動が革命運動たりうるということです。労働者的感性からいえば、五月テーゼの実現の要(かなめ)がここにあるということです。わたしの十五年間の非公然闘争の総括のよりどころもここにあります。

 15年間の支援に心から感謝

 私は十五年間、楽しく闘ってきました。敵との死活をかけた攻防の中で「人民の信頼に支えられた革命運動」を実感していました。
 一九七一年渋谷暴動闘争へのデッチあげ指名手配と三十年間も闘う大阪さん。一九七四年に横浜国立大学で反革命カクマルをせん滅した一・二四戦闘への指名手配攻撃と二十六年間も闘いぬいた田口さん、大形さん、小林さん、水嶋さん、浦山さん、倉持さん、片山さん、それに星野さん。彼ら先達の強靱(きょうじん)で先駆的な闘いに支えられました。私は、彼らが踏み固めた道を歩んできたのです。
 とりわけ、私は、つれあいの高田裕子さんに支えられました。私の指名手配と同じ一九八六年に岩手爆取弾圧で逮捕された彼女の獄中や法廷や『寒梅』の闘いをとおして、私は勇気と力を与えられてきました。爆取弾圧と闘う川崎さん、今なお獄中にある須賀さん、十亀さん、板垣さん、福嶋さんの闘いに考える力を与えられました。革命軍の皆さん! 必ず最後の勝利をともに手にしましょう。
 全国の闘う人民の皆さん、友人の皆さん、十五年間、私を支えていただいてありがとうございます。心から感謝します。人民の信頼に支えられた革命運動−−これがわたしの原動力です。
 お会いすることを楽しみにしています。

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週刊『前進』(1967号5面1)

 有事立法・改憲攻撃粉砕へ

 「8・15」55周年の闘い突破口に歴史的な大闘争まき起こそう

 憲法闘争の破壊策すカクマル

 二〇〇〇年の八月十五日は、日本の労働者階級人民にとって特別の意味を持つ日である。一九四五年の八月十五日から五十五回目の八月十五日である。この日をどう迎えるのか、この日をどのような日としなければならないのか。この問いに真正面から答えなければならない。「戦争と革命の二十世紀」最後の年である二〇〇〇年の八月十五日を、反帝国主義・反スターリン主義世界革命勝利の二十一世紀への決定的な転換点にしなければならない。いま世界は、一九二九年型世界大恐慌過程が始まり、帝国主義間の死活をかけた争闘戦が激化し、分裂化・ブロック化を深め、第三次世界大戦の爆発へと向かいつつある。その根源である帝国主義を打倒し、労働者階級の輝かしい未来を切り開こう。二〇〇〇年八・一五とこの日の闘いを労働者階級人民の新たな誓いの時としなければならない。

 再び到来した世界戦争危機をプロレタリア世界革命へ

 いうまでもなく、一九四五年八月十五日は、日本帝国主義が、ポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦の敗北を内外に明らかにした日である。それから五十五年を経た今日、延命した日本帝国主義は、再び朝鮮・中国−アジアへの勢力圏化と侵略戦争に死活をかけて乗り出している。そして再び、日本の労働者階級人民を帝国主義の侵略戦争に動員しようと策動している。
 八・一五は、日帝支配階級にとっては、米帝を始めとする帝国主義ブロック(とソ連スターリン主義)=連合国に対して、自らの軍事的敗北を受け入れた日であった。それは、日帝にとって延命と再建への出発の日でもあったのだ。
 他方、日本の労働者階級人民にとっては、戦後革命への決起と、二度と自国帝国主義の侵略戦争を許さないことを固く決意した日であった。そして、朝鮮、台湾、中国東北部の人民にとっては日帝の植民地支配からの解放の日であり、アジア人民にとっては日帝の軍事占領・支配からの解放の日であった。
 この「八・一五とは何か」を重大な対決点のひとつとして、戦後日本階級闘争は営々と闘い続けてこられたのである。第二次世界大戦を不可避とした日本帝国主義の延命と再建を許すのか、それとも侵略と植民地支配と戦争を不可避とする帝国主義を打ち倒すのかをめぐって、階級的攻防が続いてきたのである。「八・一五とは何か」ということの中に、戦後階級闘争の原点中の原点があるといってもいいのである。
 「八・一五」以後、戦後革命が敗北し、日帝の延命と再建を許してしまった最大の主体的要因は、日本共産党スターリン主義にある。第二次世界大戦を帝国主義者と口裏を合わせて「民主主義対ファシズムの戦争」と規定し、米占領軍を「解放軍」と規定して戦後革命の高揚に敵対し、裏切ったのは日共スターリン主義だった。
 だが、第二次世界大戦こそ、一九二九年世界大恐慌に始まった帝国主義間の抗争の激化が、為替の切り下げと高関税競争、排他的ブロック化へと突き進み、米帝、英帝を始めとするブロック(連合国)と日帝、ドイツ帝、イタリア帝を始めとするブロック(枢軸国)の間の軍事的激突として爆発したものであった。レーニンが第一次世界大戦の爆発に対して、帝国主義間の死活をかけた激突に世界戦争の根源があると指摘したとおり、帝国主義が帝国主義であるかぎり、その矛盾は世界戦争として爆発せざるをえないことを、再び実証したものだったのである。
 スターリン主義は、この帝国主義戦争を「民主主義対ファシズムの戦争」と規定し、一方の帝国主義ブロックに参加してスターリン主義として延命を図るという度し難い態度をとったのだ。レーニンは、帝国主義戦争に対して労働者階級がとるべき態度についても、「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」「帝国主義戦争を強行する自国政府を打倒せよ」でなければならないことを提起し、そしてそれを実践してロシア革命を勝利に導いたのである。
 プロレタリア世界革命によってのみ帝国主義戦争を根絶することができるというこのレーニンの教えを、「七・七自己批判」路線のもとに、日本階級闘争に復権したのは反スターリン主義・革命的共産主義であった。
 九七年に始まった日本発・アジア発の世界恐慌過程が深まり、米株価暴落などを契機に二九年型世界大恐慌へと転落しようとしている。再び帝国主義の世界戦争を許してはならない。今こそ、反スターリン主義・革命的共産主義の真価が問われている。
 二度とあの「八・一五」の再来を許さぬ道、反帝・反スターリン主義世界革命を提起し、必ずやそれを実現することを宣言する日として二〇〇〇年八月十五日を迎えなくてはならない。

 沖縄米軍基地撤去・在韓米軍基地撤去の闘いと連帯して

 二九年型世界大恐慌過程の深まりの中で、日帝は新安保ガイドライン体制の構築をとおして、独自の侵略戦争遂行国家、軍事大国化への反動的飛躍の道を進み始めている。それを背後から促進しているものは、帝国主義の基本矛盾が爆発しつつある中で、生き残りをかけた帝国主義間の争闘戦が激化していることである。とりわけアジア太平洋の勢力圏化をめぐって、日米帝間の争闘戦が日々激しく展開されていることだ。
 米帝は、「アジア二〇二五」や「ジョイント・ビジョン二〇二〇」などで、二十一世紀の世界戦略を策定し、世界支配の重点をアジアに転換することを公表している。米帝は、中国大乱情勢に身構え、朝鮮半島の米帝的制圧に全力を挙げ、日帝の台頭を押さえつけると宣言しているのである。日帝は米帝のこうした動きをにらみつつ、独自のアジア勢力圏化と新安保ガイドライン発動に向かって突き進んでいる。
 こうした情勢のもとで迎える「八・一五」には、二度と日帝の朝鮮・中国−アジア侵略戦争を許さないという日本労働者階級人民の階級的立場を鮮明に打ち出すことが求められている。
 日帝は十九世紀の終わりから二十世紀の前半にかけて、「日清戦争」、日露戦争、第一次世界大戦、中国侵略戦争、第二次世界大戦と戦争を繰り返した帝国主義である。そして、台湾、朝鮮、中国東北部を植民地として支配し、中国人民、朝鮮人民からすべてを奪い取り、虐殺と搾取と収奪を徹底的に行った。その日帝が戦後、米帝を始めとする連合国やアジア人民、そして日本の労働者階級人民によって制約されてきたすべてのものを破棄して、再び侵略と戦争に乗り出そうとしているのだ。今日におけるその最大の階級的攻撃こそ、日帝・森政権による有事立法・改憲攻撃である。
 日米帝のこうした動向に対して、アジア人民は侵略と戦争の帝国主義の支配を転覆し、民族の解放をかけて闘いに立ち上がっている。南朝鮮・韓国の労働者人民の在韓米軍基地撤去闘争こそ、その先頭をなす闘いである。闘うアジア人民と連帯し、米軍基地撤去を求めて立ち上がる沖縄人民と連帯して、今こそ決起するときだ。
 日本の労働者階級人民は今こそ「八・一五の原点」
に立ち戻って、有事立法阻止・改憲策動粉砕の歴史的な一大闘争を巻き起こさなくてはならない。
 「戦後五十年を問う八・一五労働者市民の集い」全国統一実行委員会が呼びかける「二〇〇〇・八・一五労働者市民の集い−『神の国』と軍靴−歴史はくり返すのか−」(なかのZERO小ホール)に参加し、改憲策動粉砕・有事立法阻止の闘いの戦列を本格的に形成するために全力を尽くして奮闘しよう。

 日共スターリン主義打倒し2000年決戦の勝利へ

 世界恐慌過程の深まりの中で、強まる日帝の侵略と戦争の攻撃を「連帯し侵略を内乱へ」に転化するためには、日本共産党スターリン主義を打倒して前進することが絶対に必要である。
 日共は日帝の延命に手を貸してきたばかりではない。世界恐慌の深まりと日米争闘戦の激化で存亡の危機に追い詰められ、死の苦悶(くもん)にあえぐ日帝に対して、日共は、労働者階級の決起を封殺し日帝を救済する、日帝の最後の番兵としての立場を明確にしている。労働者階級が勝利するためには、日共を打倒して進まなければならない。
 また、労働者階級のもうひとつの重大な敵は現代のナチス=ファシスト・カクマルである。カクマルは九九年新ガイドライン闘争の爆発に決定的に追い詰められた。
 戦後帝国主義世界体制が崩壊過程に突入し、日帝は帝国主義としての生き残りをかけて、ガイドライン攻撃を加えてきている。これに対して、連合は九九年十月大会において、日米安保条約、日米軍事同盟、自衛隊、在日米軍基地、沖縄米軍基地の一切を積極的に承認した。そうすることで、改憲の必要性を唱え、有事立法の必要性さえ打ち出した。
 これに対してJR総連=カクマルが提出した「対案」は、連合の新政治方針に賛成し、推進するものでしかなかったのだ。連合の「改憲提案」に賛成し、日帝のアジア勢力圏化と侵略戦争の準備に賛成し、日米安保条約と自衛隊を公然と承認する立場を打ち出したのである。
 連合が帝国主義的労働運動の立場を公然と宣言したことに対して、JR総連=カクマルは、ファシスト労働運動の立場から、日帝の体制的危機を救済することを宣言したのである。
 このJR総連=カクマルが、にわかに「改憲阻止」なるものをペテン的に掲げてうごめき始めている。「憲法九条−世界へ未来へ連絡会(九条連)」を押し立てて「改憲阻止」をわめいているのだ。
 このJR総連=カクマルの「改憲阻止」闘争打ち出しの狙いは、二〇〇〇年決戦として、九九年新ガイドライン闘争を引き継ぎ、発展しつつある労働者人民の新たな安保・沖縄闘争に反革命的に介入し、改憲阻止闘争を破壊することにあるのだ。断じて許すな。粉砕あるのみだ。
 二〇〇〇年決戦は、衆院選決戦、国鉄決戦、サミット粉砕決戦と勝利的に前進してきている。二〇〇〇年決戦の後半戦は、国鉄決戦のさらなる前進、九・三首都治安出動演習阻止闘争の爆発、そして十一月労働者集会の成功へと突き進んでいかなければならない。
 二〇〇〇年八・一五闘争を二〇〇〇年決戦後半戦と有事立法・改憲阻止闘争への総決起の場としよう。体制的危機を深める日帝の侵略と戦争、反動と暗黒支配への反革命的策動に対して、闘うアジア人民の決起に連帯し、労働者人民の総決起をつくりだそう。
 帝国主義に対する労働者人民、被抑圧民族人民の闘いに敵対し、帝国主義の救済者として立ち現れる日共スターリン主義を打倒し、現代のナチス=ファシスト・カクマルを打倒して、二〇〇〇年決戦の後半戦を「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」「米軍基地全面撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の総路線を貫いて進撃しよう。
 死の苦悶にあえぐ帝国主義を打倒し、二十一世紀を反帝・反スターリン主義世界革命の勝利の世紀とするために総決起しよう。

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週刊『前進』(1967号5面2)

 8・6−8・9闘争へ 被青同のアピール

 「核と戦争」に絶対反対し今度こそ命がけで立とう

 ガイドラインで核武装策す

 戦後、基本的に延命した帝国主義の基本矛盾が第三次世界大戦・核戦争として爆発していく過程が激烈に始まっている。
 米軍・NATO軍は、イラク・中東侵略戦争で九十五万個(九一年)、ユーゴスラビア侵略戦争で十万個(九九年)の劣化ウラン弾を撃ち込んだ。放射能障害は今もイラク人民、ユーゴ人民を襲い、米兵とその家族をも白血病や遺伝性障害で苦しめている。これが帝国主義だ!
 二九年型世界大恐慌におびえる米帝は、ロシアの取り込みを策し、中国大乱情勢をにらみ、「朝鮮半島統一後も米軍を残留させる」と朝鮮半島の米帝的支配を宣言。中国スターリン主義との核戦争をもはらんだ世界大戦級の戦争を決断し、同時に日帝の核武装化を封じ込め、日帝の軍事大国化−アジア勢力圏化をたたきつぶす狙いを隠さない。米帝クリントンの「北朝鮮のテポドン2の脅威」論がNMD(米本土ミサイル防衛)配備の口実にすぎないことは明らかだ。
 一方、日帝は日米対立の非和解性を突きつけられ、
新ガイドライン法を強行成立させ「戦争のできる国」「戦争をする国」へと絶望的な突進を開始した。これと一体のものとして、日帝は独自の対米対抗的核武装を決断した。
 日帝は、自らが核兵器を持つことぬきには対米対抗は不可能と考えている。九八年、大森内閣法制局長官(当時)は、「法的には核兵器の使用は可能だ」と核戦争と核武装を肯定した。
 九九年東海村JCO臨界事故で大内さん、篠原さんを虐殺し、多くの被ばく者を出したにもかかわらず、高速増殖炉もんじゅ再稼働を策動(五月の原子力開発利用長期計画第三分科会報告)。RETF(高速増殖炉用再処理工場)でもんじゅのブランケットからスーパー核兵器級プルトニウム(九八%)を抽出することを狙っている。
 ファシスト石原は右側から核タブー突破の攻撃を強めている。断じて許すな!
 二十一世紀||体制的危機にあえぐ日帝は、再びわれわれを戦争の地獄に引きずり込もうとしている。「核と戦争に絶対反対!」の闘いをたたきつけろ!

 被爆者は戦争と核の告発者

 瞬時に放射線に貫かれ、襲いかかる原爆症への呪(のろ)い、蛆(うじ)に肉体を蝕(むしば)まれる痛み、屁(へ)をひる力さえ失い、やがて死んでいった夥(おびただ)しい人、ひと、ヒトそして子どもたち。被爆二世、三世、次世代にまで及ぶ原爆の刃(やいば)。戦争を起こした者どもへの天をつく怒り、天皇と天皇制への恨みつらみ(アキヒトよ、逃れられると思うな!)、侵略の銃をとったことへの悔恨の逆巻く中、生き残ったヒロシマ・ナガサキは「過ちはくり返しませぬ」と、猛然と死者たちとアジア人民に誓ったのだ。
 だが、この地獄がイラクでユーゴで再現し、さらに東北アジアで、より拡大された形で現出しようとしている!
 被爆者は、戦争と核の告発者だ。
 被爆者の生存自身がそうであるがゆえ、日本帝国主義者はアジア侵略戦争(核戦争)のために、被爆者が一日でも早く死に絶えればいいという見殺し政策をとってきた。他方、原爆の犠牲を「平和のための尊いもの」、「国を挙げての戦争だったからやむを得ぬ」(天皇ヒロヒト)もの、だから「受忍」(茅答申)しろという、「英霊化」攻撃を強めてきた。
 この被爆者抹殺・差別・分断・英霊化攻撃と対決できず「核戦争をもたらしたものに対し戦争責任・被爆責任を追及することのできない運動は、再び核戦争をもたらそうとしているものに対して闘うことはできない」(九九年深沢明夫論文)。被爆者の闘いを疎外し続けてきた既成原水禁運動は、現実に迫りくる戦争と核の前に闘えずに死んだ。
 巨大な死の破壊力を前にして、われわれがとるべき道は何か。それは、核開発による恐怖の均衡をつくり出すことでも、体制内改良主義的・議会主義的コースを模索することでもない。ただ帝国主義国においてプロレタリアートの階級性を革命的内乱として実現していく道以外にない。

 反戦反核闘争爆発かちとれ

 「ヒロシマ・ナガサキをくり返すな!」||被爆した労働者民衆が原爆地獄から発した言葉は、「戦争絶対反対」の心底からの誓いであり、「再び侵略の銃をとるな!」という鮮烈な呼びかけである。
 「くり返すな!」とは、反戦的即自性を闘うアジア人民との国際主義的連帯に連ね、「自国政府の敗北を促進し、戦争を内乱に転化する」立場へと不断に高めてゆく闘いの展望を内包するスローガンなのである。戦争・核戦争に連なる一切の現れと不断に闘ってきた日本労働者階級人民の階級的エネルギーを解き放ち、新たな「十五年戦争」を阻む創造的な闘いのスローガンなのだ。
 日帝が労働者階級人民を統合し、不条理な「十五年戦争」=新たな侵略戦争へ駆り立てるためには、それに積極的に命をかけ得るイデオロギー(魂)が不可欠だ。日帝は「神の国」なるデマゴギーにすがりつく以外にない。天皇制(白色テロル)だ。この行き着く先がヒロシマ・ナガサキであった。このことを絶対にあいまいにしてはならない。逆に「日の丸」「君が代」を切り口に、新たなファシストをも動員したこの天皇制・天皇制イデオロギー攻撃との死闘戦に打ち勝つならば、戦争を絶対に止めることができる。その強力な武器が「くり返すな!」なのである。
 だからこそ、「教え子を再び戦場に送るな!」と決起した教育労働者(とりわけ被爆地・広島)の教育基本法解体=教育勅語・天皇制国家復活攻撃との闘いは、動労千葉、国労闘争団を先頭とする国鉄労働者の闘いと並ぶ労働運動の新潮流をめぐる階級攻防の最先端に位置しているのだ。勝利に向かって断固支援・連帯を強めよう! 「神の国」暴言の森の来広を絶対許すな! 今夏八・六−八・九の爆発をかちとろう!
 今や階級闘争は三〇年代的危機=戦争と革命の時代への突入を開始した。「戦争反対を軍隊で鎮圧を」と叫び、在日朝鮮人・中国人虐殺を扇動するファシスト石原が、都知事の権力をふりかざして、自衛隊三軍による九・三首都制圧・治安出動演習を強行しようとしている。断固粉砕せよ!
 衆院選決戦、「沖縄サミット粉砕! 名護新基地建設阻止!」の闘いの爆発、動労千葉、国労闘争団を先頭とする労働者の不屈の決起に熱く連帯し、被爆五十五周年の今夏八・六−八・九反戦・反核闘争、「くり返すな! アジア侵略、オキナワそしてヒロシマ・ナガサキを!」を突破口に「九・三自衛隊治安出動演習粉砕! 有事立法・改憲策動阻止!」、十一月労働者集会へ攻め上ろう!
 「二つの連帯戦略、一つの打倒戦略」の実現をかけて、二〇〇〇年決戦の後半戦に勇躍進撃しよう! 日本労働者階級の矜持(きょうじ)にかけて、今度こそ命がけで戦争を止めよう!

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週刊『前進』(1967号5面3)

 2000年日誌 阻もう! 戦争への動き

 7月11日〜18日

 ゛駐留米軍の重要性″を強調

 緊急県民大会に7000人結集

●在韓・在日米軍駐留の重要性強調 沖縄サミットに合わせて開かれる日米首脳会談で、東アジアの安定のため、在韓・在日米軍駐留の重要性を明確に表現する合意が発表されることが明らかになった。@米国の軍事的プレゼンスが朝鮮半島の安定、和解に寄与し、今後も貢献する、A将来の東アジアの安定に向けて日米安保、米韓安保が重要な役割を果たす、との判断を押し出す。(11日)
●沖縄の戦略的重要性増す
 米国防総省で東アジア太平洋問題を担当していたキャンベル前国防次官補代理(戦略国際問題研究所上級副所長)は、沖縄の米戦略上の位置づけについて「朝鮮半島や台湾海峡をめぐる難しくダイナミックな状況の中で、沖縄の米軍基地は皮肉にも冷戦時代より重要性を増している」との見解を示し、「(沖縄県民の感情を考えると)だれも言いたくないことだが、それが現実」と言明。(13日)
●名護新基地協議機関年内設置が目標 中川秀直官房長官は記者会見で、名護新基地の工法、規模などを検討する国、県、名護市による協議機関について「(移設先を決定した)昨年十二月の閣議決定から一年以内という目標でやるべきだ。時間をかけるのは許されない」と年内をめどに設置を急ぐ考えを初めて明らかにした。(13日)
●自衛隊機がオーバーラン
 午後一時四十分ごろ、航空自衛隊那覇基地のT4練習機(乗員二人)が那覇空港に着陸する際、停止地点を大幅に越え、滑走路をオーバーランする事故が起きた。この事故で滑走路は十五分間閉鎖、民間機に最大三十分の遅れが出た。(13日)
●経団連会長が改憲を主張
 経団連の今井敬会長は、記者会見で「特に(戦力の保持、交戦権を否定している)憲法九条二項については実態に合うように直した方がいい」と強調。(14日)
●米兵ひき逃げで抗議決議   
 沖縄県議会の六月定例会は、在沖米軍兵士によるひき逃げ事件等に関する意見書と抗議決議、日米地位協定の見直しに関する意見書などを全会一致で可決。県議会は五日、米兵による暴行未遂事件に対する抗議決議と意見書を可決したばかり。同一議会で二つの抗議決議案を可決する異例の事態となった。(14日)
●嘉手納の通常訓練中止
米空軍嘉手納基地報道部は、沖縄サミットへの対応として@通常訓練を十九日から二十四日まで全面的に中止する、A嘉手納ラプコン=航空機進入管制レーダーシステムをバックアップするレーダーを初めて運用すると発表した。クリントン大統領を万全の態勢で迎えるための措置。(14日)
●盗聴法8月15日施行 昨年八月に成立した盗聴法(通信傍受法)の施行期日を今年の八月十五日とすることを政府が閣議決定した。(14日)
●緊急県民大会に怒りの7千人 沖縄市内で相次いで発生した米兵の犯罪に抗議する緊急の県民総決起大会が宜野湾市海浜公園野外ステージで開かれ、約七千人が参加した。大会では、@被害者とその家族および関係者に対する謝罪と誠意ある対応と行動、A米軍基地の整理・縮小の促進、B日米地位協定の抜本的な見直し、などの四項目の要求決議を採択し、日米両政府に送付することを決めた。(15日)
●国産対戦車ヘリ検討 防衛庁は、陸上自衛隊の対戦車ヘリコプターAH−1Sの後継機種について、米国製機の導入と並行して、国産対戦車ヘリコプターの開発も進める方向で検討に入った。(16日)
●普天間基地はサミット期間中も訓練実施 米海兵隊報道部は、サミット期間中の普天間飛行場の運用について「通常どおり訓練を行う」と表明。米空軍嘉手納基地のジェームス・スミス司令官は「米軍関係者の犯罪率は県民の平均より低いのに、誤解があるようだ。七千人規模の抗議集会の声は県民すべての意見ではない」と開き直った。(17日)●「思いやり予算」年間30億円削減へ 来年三月で期限切れとなる在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)の特別協定改定をめぐる日米協議は、事務レベル折衝で、日本側の負担を年間二十五億−三十億円削減することで大筋合意した。二十日の日米首脳会談で、日米安全保障協議委員会(2プラス2)を九月に開き正式合意する方針を確認する見通し。(17日)
●自衛隊多国間訓練参加へ
 海上自衛隊は、今秋シンガポール沖で予定されている多国参加型の「西太平洋潜水艦救難訓練」に参加することを表明した。近く開かれる予定の調整会議に幹部を派遣する。(18日)
●「15年期限は不適切」 
キャンベル前国防次官補代理は、名護新基地に十五年の使用期限を設けるという沖縄県側の条件について「不適切な考え」と述べ、米政府として受け入れる余地のないことを強調した。(18日)

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週刊『前進』(1967号6面1)

 『新訳 ドイツイデオロギー』

 従来の諸訳超えた歴史的事業

 マルクス主義の原典本来の姿が世界で始めてよみがえった

 中嶋 晃

 〈マルクス主義原典ライブラリー〉シリーズの第二弾として『新訳 ドイツ・イデオロギー』を発行した新訳刊行委員会から寄せられらた投稿を掲載します。(編集局)

 スターリン主義の改ざんをのりこえ

 この七月、わが新訳刊行委員会は、〈マルクス主義原典ライブラリー〉シリーズの第二弾として、待望の『新訳 ドイツ・イデオロギー』をついに刊行した。『新訳・共産党宣言』(九七年三月刊)に続く、歴史的事業の実現である。
 われわれは、ソ連スターリン主義の崩壊(九一年)にともない、帝国主義ブルジョアジーによって「共産主義の終焉(しゅうえん)」が声高に叫ばれる中、〈本物のマルクス主義の原点からの復権〉の作業に全力をあげてきた。その闘いがこのたび、『新訳 ドイツ・イデオロギー』の刊行という形で決定的に実を結んだのである。
 『新訳・共産党宣言』にしても『新訳 ドイツ・イデオロギー』にしても、スターリン主義との重大な闘争であった。しかし、『宣言』の場合には、ドイツ語の完成したテキストというものがあり、「政治的誤訳」に対する闘いが第一義的であった。それに比べて、『ドイツ・イデオロギー』の場合には、一層重大な問題が横たわっていた。すなわち、スターリン主義による原稿改ざんという問題である。
 そもそも『ドイツ・イデオロギー』(一八四五年十一月末〜四六年夏執筆)は、全体としては六百ページにも及ぶ膨大な二巻本であるが、マルクスとエンゲルスの生前には、ごく一部を除き出版されなかった。しかも、論点が凝縮されて提起されている第一巻第一章(いわゆるフォイエルバッハ章)については、出版の見通しが立たなくなってマルクスとエンゲルスが仕上げの作業を中断したままの状態で残された。これにつけこんで『ドイツ・イデオロギー』を徹底的に改ざんし、反革命的に政治利用したのがスターリン主義者だったのである(アドラツキー版の編集)。
 アドラツキー版とは、一九三二年にソ連のマルクス・エンゲルス研究所所長のアドラツキーがテキストを改ざんして編集した『マルクス・エンゲルス全集』(いわゆる旧MEGA)第一部第五巻に収録されているものをさす。アドラツキー版は、「社会主義の祖国=ソ連邦」の威光を背景に国際的権威をもって流布され、したがって戦後日本における『ドイツ・イデオロギー』の翻訳も、ほとんどすべてがこれをもとにしてなされてきた。
 では、アドラツキー版によるテキスト改ざんとはどのようなものか。それは、スターリン主義者自身、そのあまりの改ざんを維持できなくなり、一九六五年になって『ドイツ・イデオロギー』「第一巻第一章」の新編集版を出版したときに、編集者のバガトゥーリアがアドラツキー版について次のように述べたことからもうかがい知ることができる。
 「第一章のテクストは約四〇の断片に区分され、それら相互の配置は変更された。そして欄外の書込みは表題と解釈された。テクストのこのような編成変えの結果、研究と叙述の内的論理が破壊され、存在していた連関がたちきられ、不自然なものに取りかえられ、さらにいくつかの場合には架空のものにさえかえられている」(花崎皋平訳『〔新版〕ドイツ・イデオロギー』合同出版 一九三n)
 われわれがこれまで『ドイツ・イデオロギー』を読んだときに、文中の方々で革命的な文言に出会い、非常に深い内容に感銘を受けながらも、論旨の展開という点では断絶がありよくわからないという印象をもったのはそのためである。『ドイツ・イデオロギー』の原稿が不完全だからではなく、スターリン主義者が徹底的に改ざんを施した結果として、わからなくなってしまったのである。
 ただし、アドラツキー版の『ドイツ・イデオロギー』を読んだ場合に、特徴的なことがある。それはやはり、所有形態論(氏族所有→古代的な共同体所有→封建的所有→〔資本主義〕→〔共産主義〕)が全体の軸として強調されるように「編集」(=改ざん)されているということである。これはもちろん、十分意図されてそうなっているものにほかならない。

 実践的唯物論者=共産主義者の宣言

 もともと本来の『ドイツ・イデオロギー』とは何か。それは端的に言って、フォイエルバッハを含むヘーゲル左派(ひいてはヘーゲルを頂点とするドイツ観念論総体)との完全な決別・自己清算であり、マルクスとエンゲルスの両者による「実践的唯物論者つまり共産主義者」(本訳書 一八n)の宣言であり、その内容的具体化としての、プロレタリアートを主体とする歴史的変革の実践(プロレタリア革命)論の提起とプロレタリア革命の必然性(=世界史的根拠)を明らかにするための史的唯物論(つまり歴史への唯物論の適用)の積極的展開の試みにほかならない。
 つまり、マルクスとエンゲルスは、『経済学・哲学草稿』(一八四四年)までの蓄積と成果をふまえ、またその後の経済学研究を引き継いで、『ドイツ・イデオロギー』において、『共産党宣言』(一八四八年)としてひとまず結実する〈マルクス主義のマルクス主義としての確立〉に向けて、明らかに巨大な飛躍をなしとげたのであった。
 そして、その史的唯物論ないし唯物史観の核心は何か。それは、〈変革対象である現実世界=資本主義社会の全面的解明にむけた、資本の生成・発展→資本主義の成立の歴史を貫通軸とする、人類社会の歴史的・総括的解明〉の試みであり(*)、その結論は、〈資本主義(大工業)は、客体的にも(巨大な世界的生産力)主体的にも(プロレタリアートの世界史的形成)必然的に共産主義を準備しているから、プロレタリアートは自らの主体的実践によって革命を闘いとらなければならない〉というものである。
 ところが、スターリン主義者はテキストの改ざんによって、このような『ドイツ・イデオロギー』の基本構造を破壊しつくし、マルクス『経済学批判』(一八五九年)の序言における、いわゆる「唯物史観の公式」の把握の完全な客観主義的・公式主義的歪曲とあわせて、史的唯物論(ないし唯物史観)をきわめて一面的な「生産力の発展に照応して生産関係は変化する」論へと歪小化したのであった(一九三八年のスターリン「弁証法的唯物論と史的唯物論」)。
 同時に、『ドイツ・イデオロギー』において基軸的に提起されている、世界(史)的存在としてのプロレタリアートの革命性・階級的自己解放性は、完全に否定された。
 こうして『ドイツ・イデオロギー』は、マルクス・エンゲルスの論旨とはまったく逆に、プロレタリアートの革命的実践を否定するための書に仕立て上げられたのである。これがスターリン主義者(アドラツキー版)によるテキスト改ざんの本質である。もとより、こうしたテキストの改ざんにしても史的唯物論の反動的歪曲にしても、スターリン(主義者)による一国社会主義建設と平和共存路線(帝国主義との)を理論次元で合理化してゆくためのイデオロギー的措置であった。
 それでは、スターリン主義者の枠内での手直しであるバガトゥーリア版はどうだろうか。確かにバガトゥーリア版においては、アドラツキー版におけるようなめちゃくちゃな切り張りは行われていない。しかし、所有形態論について述べている原稿の一部を冒頭部分に配置するといった重大な問題点をもっている。
 だが、それ以上に決定的な問題は、『ドイツ・イデオロギー』についてのとらえかたである。バガトゥーリアは、「『ドイツ・イデオロギー』の真の特質は……生産諸力と生産諸関係の弁証法を……定式化したこと」(花崎前掲書 一九一n)と述べている。つまり、プロレタリアートの革命的実践の意義の否定という意味でも、史的唯物論の反動的歪小化という意味でも、アドラツキー版やスターリン「弁証法的唯物論と史的唯物論」の底に流れる考え方となんら変わりはないのである。
 むしろバガトゥーリア版の本質は、スターリンの死(五三年)やハンガリー革命(五六年)、中ソ対立の顕在化(六〇年代)などの中でドラスティックに進展した国際スターリン主義の権威失墜を背景に、危機に立つスターリン主義がスターリン主義の理論的根幹を防衛するために行った手直しであり、弥縫(びほう)策であるというところにあるのだ。
 しかも肝に銘じなければならないことは、今われわれが直接相手にしているのは、「アドラツキー版の改ざんを克服した」と称するこのバガトゥーリア版ないしその類書(具体的には、日共系の新日本出版社刊・服部文男監訳の『[新訳]ドイツ・イデオロギー』など)であるということである。
 *したがって、経済学と史的唯物論の関係は、区別と連関の、相互促進的・相互確立的な円環関係にある。

 正確な新編集、平明な文書、独創的試み

 それでは、今回の『新訳 ドイツ・イデオロギー』の特徴はどのようなところにあるのだろうか。
 第一に、正確な新編集である。廣松渉の成果(一九七四年に河出書房新社から出版されたドイツ語と日本語の二冊組み)を引き継いで、アドラツキー版はもとよりバガトゥーリア版も打破し、さらに廣松がなしえなかった点にも新たに踏み込んだということである(詳しくは「訳者あとがき」を参照)。しかもわれわれは、この新編集の是非について広く世に問うことにした。原稿の用紙番号およびページ番号を本文のページ下に表示したのは、そのためである。
 第二に、平明な文章である。ただしこれは、「難解な文章をこの際思いっきり砕いた」ということではない。むしろ、哲学的に語られているところは哲学的に、普通に語られているところは普通の言葉で、というオーソドックスな原則を貫いた。いわば、正確で平明な文章ということである。この点に関連して、翻訳途中の試行版の検討について諸戦線や研究会など実に多くの同志たちの温かい助言と協力を得たことを明記し、この場を借りて謝意を表しておきたい。
 第三に、目次の工夫である。『ドイツ・イデオロギー』「第一巻第一章」は完成原稿ではないために中身と原稿構成の双方を明示することが必要と考え、いわゆる「内容編成」を軸としつつ、同時に原稿構成についても表示する独特の目次を工夫した。これは、これまでのいかなる翻訳もなしえなかった独創的試みである。
 第四に、マルクスが執筆した語句・文章の取り扱いである。原稿は主にエンゲルスによるものであるが、マルクスもかなりの個所で手を入れている。きわめて膨大な書き込みを行っているところもある。われわれは両者のこの「討論」−共同作業を重視し、どこがマルクスの書き込みなのか明確にわかるように編集した。
 第五に、哲学的な内容を扱っている『ドイツ・イデオロギー』を正しく理解できるように、さしあたりそのために必要と思われる最低限の用語解説を行うこととした。
 第六に、五十四ページに及ぶ「訳者あとがき」である。新編集の意義やマルクス主義における『ドイツ・イデオロギー』の位置を明らかにし、さらにマルクスのフォイエルバッハ・テーゼについても詳しく論究するなど、きわめて充実した内容となっている。

 カクマル黒田哲学粉砕へ強力な一撃

 『新訳 ドイツ・イデオロギー』は、以上のようなすべての特徴からして、アドラツキー版に基づく岩波文庫(古在由重訳 絶版)や国民文庫(真下信一訳)などはもとより、バガトゥーリア版系の新日本出版社『[新訳]ドイツ・イデオロギー』などを根本的にのりこえたものとなっている。したがってまた、そのような武器を手にしたわれわれは、スターリン主義による史的唯物論の歪小化、マルクス主義の歪曲を根本的にのりこえる決定的拠点をも確保したのである。
 わが『新訳 ドイツ・イデオロギー』はまた、史的唯物論やマルクス主義をもてあそぶ悪質な「観念論」である「黒田哲学」を徹底的に粉砕してゆく強力な武器でもある。清水丈夫選集第四巻の序文は、「われわれは……〔カクマルの〕史的唯物論での破綻(『社会観の探求』の問題性)や実践論の反革命的本質などいわゆる哲学の領域でもさらに決定的な一撃を加えていく」(一五二〜一五三n)と述べている。今回の新訳本が切り開いた画期的な管制高地の上に立って、反革命「黒田哲学」をさらに粉々に打ち砕いていくことができるであろう。
 『新訳 ドイツ・イデオロギー』の発刊とその積極的活用は、われわれがこの間、力強く推し進めているマルクス主義復権の闘いをさらにいちだんと高い地平に押し上げる。そしてその闘いは、そのまま対日共・対カクマルの革命的党派闘争でもある。この二〇〇〇年決戦に断固として勝利しよう。
(現代文化研究所発売 本体千百円)

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週刊『前進』(1967号6面2)

 国政へ初挑戦 衆院選を闘って

 人生かけ決起した人たちと出会って

 津島 聡史

 九九年十月から二〇〇〇年六月まで九カ月間、杉並での衆議院選挙戦を全力をあげて闘いました。残念ながら今回は勝利をかちとることはできませんでしたが、次の勝利を実現するための橋頭保をつくることができたと実感しています。
 なによりも、介護保険制度に反対し、労働者住民自身の命を守るための怒りの決起が大衆的に開始されたことが決定的です。
 九九年十月から、杉並区主催の説明会に対する闘いを取り組んで、介護保険制度反対の大衆的宣伝・扇動を展開してきましたが、四月の制度実施以降に介護保険に対する怒りが爆発しました。こうした中で、多くの人びとと出会いました。
 「今まで共産党を支持してきたが、介護保険に反対しない共産党はおかしい」と批判して、長谷川さんの応援に立ち上がった人たち。「民主党と生活ネットは自分たちのことしか考えていない。本当に困っている老人や介護に困っている人たちのことを考えていない」と長谷川さんを応援すると決めた人たち。「今の自民党のやり方では、日本の国と社会は滅びてしまう。もっと人間を大事にする長谷川さんを応援する」と決めた人たち。「団地の中で創価学会を信じてきたが、介護保険制度に反対している長谷川さんを今回は応援する」と決めた人たち。||こうした多くの人たちと出会うことができました。それぞれの人びとが人生をかけた決起として街頭でも公然と長谷川さんを応援しました。
 私自身、本当にその自己解放的決起に感動しました。それだけでなく革命党と革命家としての責任を痛感しました。開始された蜂起の勝利を実現するまで闘いぬく決意です。
 さらに、全国の闘う同志とともに闘えたことは貴重な経験でした。自分に欠けているものを学びながら、自分自身とわが党の革命党としての飛躍をかけた建設をかちとるものとして選挙戦を闘いました。全国の同志の皆さん、次の勝利を実現するために頑張りましょう。

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