ZENSHIN 2000/08/07(No1968 p06)

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 基地撤去の奔流が日米帝を揺るがす

 厳戒破りサミット粉砕とどろく

 「帝国主義の戦争会議=沖縄サミット粉砕!」を掲げ、反戦共同行動委員会は結成以来最大の六百人の沖縄現地派遣団を組織して決起し、闘いの大爆発をかちとった。七・三少女暴行未遂事件や七・九ひき逃げ事件、サトウキビ畑での傍若無人の海兵隊演習など、たび重なる米軍犯罪と演習への沖縄人民の怒りと連帯し、七月二十日の嘉手納基地包囲「人間の鎖」大行動、二十一日の名護現地集会とサミット会場=部瀬名(ぶせな)への戦闘的デモ、二十二日の普天間基地撤去闘争と首里城晩餐(ばんさん)会粉砕闘争を連続的に闘った。全学連(大山尚行委員長)は、この闘いのために沖縄現地行動隊と決戦先遣隊がサミット戒厳令の重圧をはね飛ばして名護、那覇など各地で宣伝戦を行い、決戦本番を百八十人の部隊で牽引(けんいん)した。沖縄サミット粉砕闘争の大爆発は、日帝・森政権が狙った沖縄闘争解体、沖縄人民圧殺の策動を完全に打ち破り、普天間基地無条件全面撤去・名護新基地建設絶対阻止に向かって、沖縄闘争の永続的発展の展望を大きくこじ開けた。九州での外相会合と蔵相会合、沖縄での首脳会合という今回の一連のサミットは、帝国主義の危機と矛盾、とりわけ日米争闘戦の非和解的激化と戦争への動き、日帝の絶望的危機をはっきりと突き出した。米帝は危機的な「中東和平首脳会談」の合意に全力を注ぎつつ、クリントンの「平和の礎(いしじ)」演説で、「沖縄は日米同盟にとって死活的に重要」と宣言し、SACO(日米特別行動委)合意貫徹、沖縄基地強化の野望をあからさまにした。そして首脳会合では「朝鮮半島に関する特別声明」「中東和平など地域情勢に関する声明」を発表し、帝国主義各国が延命をかけて、朝鮮や中東やユーゴスラビアで侵略戦争を強行していく意図を露骨に表明した。闘う労働者人民は、これと真っ向から対決して闘いの大爆発をかちとった。

 20日・嘉手納

 2万7100人が基地包囲

 米兵犯罪に怒り燃える

 米帝のアジア・太平洋最大の侵略出撃拠点=嘉手納基地を「人間の鎖」で包囲する行動が、実行委員会(共同代表・佐久川政一沖縄大学教授ら六人)の主催により、サミット前日の二十日午後二時から行われた。面積約二千ヘクタール、周囲十七・四`の侵略基地は、これまで最大の二万七千百人の人間の鎖で完全に包囲された。
 沖縄労組交流センター、全学連を始めとする反戦共同行動委員会は六百人の大部隊で参加し、完全包囲の一翼を担った。
 反戦共同行動委は、正午頃から、基地北側の「安保の見える丘」から嘉手納町役場に至る平和市民連絡会の受け持ち地域に陣取った。このあたりは、コンクリートの高い塀にさえぎられて基地の中は見えない。しゃく熱の太陽がぎらぎらと照りつける中を、午後一待過ぎから独自の決起集会を開いた。
 東京反戦共同行動委代表で、派遣団長の三角忠さんは、「クリントンが訪日を遅らせるなど、サミットは沖縄県民の闘いによって足元からぐらついている。今日の行動を断囲成功させ、明日はサミット会場へ迫る闘いをやろう」と呼びかけた。さらに沖縄の労働者や本土から参加した人びとが次つぎと決意を語った。
 集会を開いている間にも参加者を乗せたバスが基地沿いの道路を続々と通過したくさんの市民団体がフェンス際に集まった。辺野古の「命を守る会」や「二見以北十区の会」などの名護ヘリ基地反対協は、予定を倍する大結集を実現し、早くから配置についた。
 いよいよ午後二時、第一回目の包囲行動の合図があった。基地の内側に向かって立ち、結び合った手を高く上げてアピールした。上空には報道のヘリコプターが五、六機も舞った。延々と続く人間の鎖。全学連の鎖には、在沖二十八年というアメリカ人の神父が飛び入りで加わった。
 二回目は二時半から、さらに三回目は三時から再び五分間ずつ手をつなぎあい、包囲を成功させた。
 沖縄と日本本土、そしてアジアと世界の人民が連帯して立ち上がり、米軍基地撤去の意思をたたきつけたのだ。

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 20日・嘉手納

 反基地の国際連帯を

 平和市民連絡会が集会

 北富士・天野美恵さんが発言

 二十日午後四時から、かでな文化センターで、「基地・軍隊に反対する平和交流集会」が、「沖縄から基地をなくし世界の平和を求める市民連絡会」の主催で開かれた。「人間の鎖」行動の熱気を引き継いで、行動を終えた千人を超える参加者が会場に詰めかけ、熱気にあふれた。
 第一部のアトラクションの後、主催者を代表してあいさつした中村文子さん(一フィート運動の会代表)は、「二十世紀は沖縄にとって受難の世紀だった。沖縄戦はその最たるものだが、あれだけの犠牲を払っても沖縄に平和は戻らず、全国の米軍基地の七五%を背負わされている。今日の包囲行動の共感を持ち続けて、ともに基地撤去へ歩もう」と呼びかけた。
 第二部で「沖縄からの報告」に立った新崎盛暉さんは、「沖縄サミットは、基地の県内移設の雰囲気づくりを狙うものだが、サミット直前に続発した米軍犯罪と南北朝鮮首脳会談はサミットを大きく揺るがしている」と現状を分析、さらに「この間の韓国やプエルトリコ、フィリピンの反基地闘争との交流の中で、沖縄基地問題を世界的広がりの中でとらえ、沖縄の孤立感を克服する契機が生まれている。今日の行動を第一歩とし、サミットを反転攻勢の契機として闘おう」と訴えた。新崎さんの提起は、会場全体の大きな拍手で確認された。
 沖縄と同様に米軍演習で住民が虐殺され、生活と生業が破壊されているプエルトリコと韓国の反基地闘争の代表が登壇した。怒りを込めて被害の状況を報告し、沖縄と連帯して闘う決意を表明した。
 第三部では、フィリピン、ハワイ、台湾、ドイツなどからの参加者に続いて、米軍演習と闘う北富士闘争の現場から、忍草母の会の天野美恵事務局長が発言した。天野さんは、「北富士は五十年間、基地反対・演習反対でゲリラを続けてきた。これからも沖縄と連帯し基地撤去のため、アジアの平和のために体を張って闘う」と発言した。会場から大きな拍手が起こった。
 最後に金城睦さん(弁護士)が閉会あいさつに立ち、「われわれはサミットに先制パンチを食らわせた。基地撤去を求める民衆の決起が、ほうはいと世界各地にまき起こっている。民衆の連帯の力が平和と人権の二十一世紀をつくる大きな力となる。頑張りましょう」と結んだ。
 反戦共同行動委は翌日のサミット粉砕闘争への決意をあらためてうち固めた。

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 20日・厚木

 厚木基地撤去を

 沖縄に連帯し3700人立つ

 七月二十日、神奈川県大和市の引地台公園で「沖縄嘉手納基地包囲に連帯し厚木基地撤去をめざす神奈川集会」が、神奈川平和運動センター、県民のいのちとくらしを守る共同行動委員会、基地撤去をめざす県央共闘の主催で開かれた。婦人民主クラブ全国協と百万人署名運動神奈川県連絡会もこの行動に加わった。集会参加者には、サミット反対を訴える労組交流センターのビラがまかれた。
 嘉手納基地包囲などの沖縄の闘いの大高揚は、本土の労働者人民の新たな闘いへの意欲を生み出している。この日の集会には、沖縄と結んで本土からも基地撤去の闘いをつくり出そうと熱望する厚木爆音訴訟団の住民を軸に、神奈川県内の各労働組合が呼応して、三千七百人が集まった。
 集会の冒頭、嘉手納基地包囲闘争の現場からの電話で基地が完全に包囲されたと伝えられると、大きな拍手がわき起こった。
 主催者あいさつをした神奈川平和運動センターの代表は「沖縄でサミットを開催する政府の意図は、米軍基地の固定化にある」とサミットを弾劾した。基調報告をした基地撤去をめざす県央共闘の代表は、厚木基地の飛行差し止めを訴え、「全国で基地撤去の運動を」と呼びかけた。
 集会後、厚木基地を南北からはさむ形で、二手に分かれてのデモに打って出た。基地のフェンスに達するとデモ隊は次々に立ち止まり、抗議の意思を込めた赤いリボンを結びつけた。
 闘争破壊のために押しかけたカクマルは、各労組の旗が林立する中、JR総連の旗も出せず、反革命的正体を労働者から糾弾され消耗しきった姿をさらした。

 県民大会受け日比谷で集会

 七月十八日、日比谷野外音楽堂で「基地はいらない沖縄県民大会に連帯しよう沖縄からのメッセージ中央集会」がフォーラム平和・人権・環境の呼びかけで開かれ、都高教、東水労や都内の自治労各単組などが結集した。
 集会では嘉手納基地包囲闘争への参加が呼びかけられた。集会後、参加者は「米軍基地撤去」などのスローガンを唱えて東京駅までのデモを貫徹した。
 労組交流センターはサミット粉砕を訴えて集会参加者にビラをまいた。

 

 

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