ZENSHIN 2000/10/23(No1978 p06)

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週刊『前進』(1978号2面2)

10・6東京集会 ”1047人の闘い守れ”
 国鉄闘争勝利へ最大の正念場 320人が決意も固く誓う

 十月六日、シニアワーク東京で「許すな! 『四党合意』/守ろう! 千四十七名を/国鉄闘争勝利東京集会」が実行委員会の主催で開かれ、三百二十人が結集した。
 集会には、一票投票を強行した国労中央への怒りと、四党合意を粉砕するという決意がみなぎった。
 呼びかけ人としてあいさつをした佐藤昭夫元早大教授は、一票投票について「一方的な情報操作にもかかわらず一万以上の批判票が出た。全組合員の意思の集約はできなかった。四党合意反対という組合員の意識が把握されただけだ」と述べ、「四党合意は、不当労働行為の犠牲者にそれがなかったと言わせるもの。闘争団の人生をかけた闘いを踏みにじることは許せない。多数決で決めていいものではない。四党合意をいかに否定するか、今後の闘いが大切だ」と訴えた。
 呼びかけ人の宮島尚史元学習院大教授は、「新しい労働委員会闘争が全国で起こっている。この闘いを自信をもって展開しよう」と呼びかけ、「本部のしていることはミロシェビッチを思わせる」と国労本部を弾劾した。
 作家の宮崎学さんも、呼びかけ人として「四党合意に反対する意思を貫徹するだけだ。臨時大会で示した闘う意思を定期大会でも示すべき。その中で歴史が変わる」と訴えた。

 闘争団の熱い思いにこたえ

 集会の熱気が高まる中、闘争団の労働者が発言した。「『JRに責任なし』は認めたくないし、認めるべきでない。本部は直角に右にかじを切っているが、国労には直進しかない」「四党合意は二度の臨大で否決されている。こんなものは引っ込めるべき。定期大会までの二十日間が正念場だ。精一杯頑張りたい」と決意を述べた。
 続いて、四党合意撤回の地労委闘争に立ち上がった国労組合員が登壇し、「一票投票は、やり方も結果も一切無効だ」と宣言した。そして、「自民党、運輸省、JRは、本部に対して定期大会で四党合意を決定し、反対派の息の根を止めてこいと迫っている。これに対してどう闘うのか。労働委員会闘争を全国、全地本に広げて定期大会になだれ込む。決戦を勝ち抜く最大のポイントがそこにある」と訴えた。
 最後に、JR総連との組織攻防戦を貫き、「シニア協定」−全面外注化攻撃を阻止するためにも、定期大会で闘う新執行部を打ち立てようと訴えた。
 動労千葉の田中康宏書記長が「国鉄闘争の現局面とわれわれの任務」と題して講演した。田中書記長はまず、「賛成しなかったら分裂だという脅しの中で一票投票が強行された。明らかに不正もあった」と弾劾し、「一票投票で、四党合意推進派がインチキではあれ初めて『正当性』を持った。この現実を直視しなければ、敵の密集した反動を打ち破れない」と鋭く問題を提起した。
 「国労本部の政治解決路線は、現場の闘いをぬきにした嘆願方針だ。和解のために現場の闘いは抑えられた。千四十七人の闘いは組織全体の闘いとして進められてきたのか。一票投票はそういう問題を突き付けた」「闘争団は渾身(こんしん)の力で立ち上がった。これにこたえて四党合意の問題を大衆的に議論した地本では、反対票が圧倒した。現場のすみずみに分け入って議論することが必要だ。それが国労を生まれ変わらせる力になる」
 そして、「闘争団の闘いを土台から支えるのが労働委員会闘争だ。本部は、四党合意受け入れと裁判取り下げにしゃにむに進もうとしている。これに対抗する地労委闘争の意味は大きい」と訴えた。
 また、九州労からの大量脱退などJR総連が崩壊状況に入っていることを報告し、JR総連解体の決戦に入ると決意を述べた。最後に十一・五労働者集会への総決起を呼びかけた。

 11・5総決起へ行動方針提起

 大阪から港合同の労働者が駆けつけ、「大阪から始まった地労委闘争は全国に広がろうとしている。四党合意はあからさまな不当労働行為だ。しかし、この中に敵の最大の弱点がある」「国が違法行為をしていいのか、不当労働行為をしていいのか。中曽根は労働委員会に出てこい!」と熱烈な檄(げき)を飛ばした。
 賛同労組の決意表明では、教育労働者、自治体労働者、医療労働者、全逓労働者とスタンダード・ヴァキューム石油自主労組の代表がそれぞれに発言した。
 三一書房労組の三角忠委員長が行動提起をし、@国労定期大会への総結集、A労働委員会闘争への支援運動、B十一・五労働者集会への総決起を訴えて、団結ガンバローを行った。
 この集会には二十団体、五十個人が賛同し、闘う労働運動の新潮流が着実に発展していることを示すものとなった。東京労組交流センターは集会の成功のために全力で奮闘した。十一・五労働者集会の大結集へ、橋頭保が築かれた。

 

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