ZENSHIN 2000/10/30(No1979 p06)

ホームページへ週刊『前進』月刊『コミューン』季刊『共産主義者』週刊『三里塚』出版物案内販売書店案内連絡先English

 

週刊『前進』(1979号3面1)

国労闘争団労働者は訴える
 ”四党合意は撤回すべき”
 「解雇撤回」の一点で団結を 

 「四党合意」をめぐる国労の「一票投票」の結果を受けて、圧倒的多数の闘争団が「四党合意」撤回、大会決定阻止を訴えて闘っている。十月二十八、二十九日に開かれようとしている国労定期全国大会に向けて、二人の闘争団員に闘いの決意を聞いた。編集局の責任でまとめました。(編集局)

 北海道 Aさん 「一票投票」は大善戦だ反対派が国労担う決意

 「一票投票」の結果は結果だけど、それは決定ではないし、各地方でチャレンジだとか革同が権力を握っている中で、おれは大善戦したと思っていますよ。五五%なんて過半数に毛の生えたような票で押し通そうなんて無理です。八割方というのなら、おれたちもガクッとくるけれど。
 JRの組合員の声は、「闘争団が決めることだ」というのが圧倒的です。それに、いまだに職場で差別されているんだから、「JRに責任なし」はいただけない。おれは、何々グループに言われたから「○」とか「×」とかじゃなくて、自分がこれまで闘ってきたことを考えれば、おのずから結論が出るだろう、と言いました。
 やっぱり、職場にこんなにも亀裂を生んだ元凶である「四党合意」は引っ込めるべきだ。何のために「総団結」を訴えているのか。今、亀裂が入っているからでしょう。その亀裂を生んだのは「四党合意」なんだから、それは引っ込めなければ団結できない。組合員同士が口もきけなくなる。それは本部がこういうものを出したからだ。
 もろ手を挙げて賛成した人はだれもいない。反対した人は「こんなものは許されない」とはっきりしている。ところが賛成する人たちは、その後に「しかし」とつける。これが良くない。屈辱的だと言っていて、なんでけらないんだ。「改革法承認」から「四党合意」まで、こうやってひれ伏しているけど、労働者としての意地がないのかと思うよね。国鉄労働組合は右に急カーブばかりで。
 支援共闘の組合を回っていると、機関と機関との話し合いの場では「それは国労が決めることでしょう」と言います。しかし、「政党が労働組合にこうしろと言うのはおかしいぞ」とみんな思っています。それを国労は「はい」と言ってくるんだから、「どうなっているんですか。裏があるんじゃないか」と。
 五・二八判決から「補強五項目」のあたりで仕組まれていた。あのころ、「地裁で負けた方が解決が早まる」という話がチャレンジあたりから出ていた。早くおれたちを整理して、JR連合と一緒になる。その時、おれたちは国労組合員の資格がなくなっている。騒ぐのは切っておくと。もう待てないと相手から言われているのかもしれない。
 「四党合意をけって展望があるのか」と言う人がいるけれど、あれは旗を降ろしたい人の逃げ口上だ。焦っているのは敵なんだ。そこを分かっていない。けることを相手が恐怖している。それなのに、国労の側が脅えきっている。本末転倒だね。交渉のテーブルどころか「はいこれだよ」で終わりなのに。
 「力関係がこうだから、四党合意しかないんだ」とも言うけれど、巨象にアリのような関係で闘いは始まっている。「力関係」と言うなら、始めから闘いをやめるべきだったんだ。
 「改革法承認」の時も「苦渋の選択」、今度も「苦渋の選択」。何回やればいいんだ。ひどいものが出たら、ければいいと言う人もいるけれど、「JRに責任なし」を認めて、裁判も取り下げて、何を手がかりに闘うのか。今度は、やっぱり「責任がある」と言うんですか。そんなことが成り立たないのは子どもでも分かるでしょう。
 当面の定期大会、なんとしてでも原案否決で頑張らなければならない。「×」を書いた人たちが、今度は国労運動を担っていくという決意でやっていかなかったらダメだと思いますよ。
 ただ、闘争団の中には「おれたち闘争団のせいで大会を壊されたと言われたくない」という気持ちがあるんだね。ここまで来たんだから、そんなことを言ってられない。とにかく「四党合意」を撤回させること、機関決定を阻止すること、これしかない。
 本部が「四党合意」を受けてくるという弱さをつくりだした、五・三〇以前の闘いのあり方、大衆行動が弱かったことを、闘争団としても総括しなければならない。おれたちの敵は本来は政府やJRだ。敵と闘うべき時に、国労本部との闘いで、どれだけ無駄な時間を過ごしてきたか。本当に悔しいですよ。
 JRではメンテ合理化(保守部門の全面外注化)が問題になっている。職場がなくなるわけだから、スト一発打てないようじゃしょうがない。国労本部は、「採用差別の問題で大事な時期だから」と闘争団のせいにして、この間、闘いをやってきてない。
 闘争団ははっきり言って、ほっぽり出されても頑張れる。問題はJR本体がどれだけ頑張るかです。JR総連やJR連合と同じになって、どうして組織拡大ができるんですか。今、労働者は闘いを求めているんです。最近、労働組合は、要求は闘ってかちとるものだということを忘れているけれど、国労が一番忘れているんじゃないか。
 十一・五労働者集会を成功させてほしいですね。
 おれも好き嫌いはあるし、行きたくない集会もある。だけどそんなことを言っている時じゃない。いくつもの闘争団の旗を立てるべきですよ。動労千葉も全動労も国労闘争団も、「解雇撤回」の一点で団結すべきだ。ぜひ多くの闘争団にも参加してほしいよね。

 北海道 Bさん 強引に通せば禍根残す闘う路線は曲げられぬ

 「一票投票」は「賛成」が過半数からわずか五%しか上回っていない。この結果で「四党合意」が信任されたと言うには無理がある。執行部が強引に「四党合意」を通そうとすれば、また混乱を招いて禍根を残すことになります。
 そもそも事の発端は、完全な路線の変更を執行部だけで受け入れたところにあるわけだから、中央執行委員会として「四党合意」の受け入れを戻すのが最も民主的だと思います。
 ただ、執行部の「見解」はトーンが落ちていると思います。完全に失敗したということが表れている。マスコミでも「七〇%、八〇%とれる思惑があったようだ。しかし結果としてあの数だ。執行部はそうとうショックを受けている」と言っている。もうひとつは、政府やJRが「良くやった」と拍手しているのか、「こんなものでは今の執行部を相手にできない」と思っているのか。少なくとも拍手はしていない。
 マスコミは、「四党合意」イコール「解決案」という言い方をしている。「四党合意」とは「解決案」でもなんでもなくて、「JRに法的責任なし」を認めろということなのに。
 闘争団でも、反対してたのに、上村学校(革同)の意志統一で手のひらを返して「賛成」に回った人がいる。「おれはもう年だから、戻れなくてもいい。若いやつを一人でも二人でも戻したい」と団員をオルグしたようです。三好先生(北海道教育大元教授)が「解決金は四けた。復帰は三けた。数字は一ではない」と言って、それを信じている人も多い。革同ルートの話だけど、どこからの情報かも分からない。上村副委員長あたりは「確証がある」と言うだけだ。ダメだったら責任をとって辞めると言ったって、そんなものは許せない。
 年配者には「生活が苦しい」と言う人はいます。そういう弱さを突いてきた。本物のえさではなくて毛針みたいなえさでね。
 それにしても、五五%しか「賛成」がいなかった。国労組合員の意識はたいしたものだと思いますよ。組合員は、率直に言って、自分の生活と闘いをてんびんにかけざるを得ない。今の執行部もそのことを知っていて、組合員の弱さを利用した。逆に組合員を指導すればいくらでも強くなるのに。きわめて悪らつだ。それでも五五%というのは、さすが国労だ。
 闘争団というのは、やはり日本労働運動の象徴だと思うんです。分割・民営化の時に、国労つぶしは総評つぶしだ、それを許さない、闘う労働運動を構築しようと覚悟したわけだからね。つらいけれど、その覚悟を貫き通すしかないじゃないですか。相手も金とかの問題じゃなくて、どうやってその路線をつぶすかというところに力を入れているわけだから。
 最終的には「補強五項目」だ。国労の存亡がかかっているときに、一千万円やるから路線を曲げろと言われても、曲げられない。
 闘争団を支援している人びとは、さまざまな思想を持っている。カクマル以外は。その意味では「解雇撤回・JR復帰」の闘いはあらゆる人を集め得る要素を持っている。だからつぶしたいんです。
 もうちょっとの辛抱なんだ。やはり指導部の問題ですよ。指導部がどうやって組合員を引き上げていくか。組合員はそうするとついてくるし、そうでない指導部は辞めさせるしかない。年をとってきて、闘争をそろそろたたみたい、小銭をもらってゆっくりしたいという気持ちは分かります。だけど指導部が自分の目的と闘争全体の目的をごっちゃにしたらダメだと思うんです。僕はどんなことがあっても生き方として最後まで運動をやっていこうと思う。もうやめたいというなら、静かにやめていけばいいんだ。それを、「四党合意」はみんなの幸せのためだみたいに言って、引き連れていくんだから、それは犯罪的だよね。
 一方で「団結」と言いながら、七・一を極端に「暴力」だと批判する。そもそも五・三〇自体、本部はペテンにかけてきた。これをのめば解決案が出ると言いながら七・一を迎えた。物事の発端はそこにある。だから五・三〇以前に戻して議論するしかない。
 五・三〇の時は、僕は基本的には認めたくないけれど、解決案が出て判断すればいいと思った。それが間違いだった。決意を固めて反対を表明した。
 もう少し頑張って闘争団の闘いの成果とか反省点をきちっと出して、その上に立って反対なんだということを各闘争団、活動家が出すべきだと思う。
 大会では、万が一にも闘い続ける部隊を力をもって切り捨てるという最悪の事態だけは避けたい。闘争だから敗北することはあるけれど、そういうやり方は自殺になるからね。
 大手の民間労組では、首切りに反対する場合は個人で孤立してやらなければならない。国労の場合は国労本体が闘い、そこに闘争団がある。首を切られたけれどそう不幸ではなかった。労働者にとって最も不幸なのは、首を切られて、しかも本体からも切られることです。そうならないことを願っています。なんとしても頑張ります。
 

TOPへ