ZENSHIN 2000/12/04(No1984 p06)

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週刊『前進』(1984号1面1)

臨検法案粉砕・改憲阻止へ 11・30憲法調査会 ファシスト石原の参加粉砕しよう
国労解体と安保・自衛隊賛成叫び大分裂突入のJR総連打倒せよ
 12月国労続開大会策動を許すな

 加藤紘一の森退陣要求を発端とする日帝・自民党支配体制の危機と、アメリカ大統領選挙の混乱は、米帝と日帝がともに一段と体制的危機を深めていることを突き出した。しかも、政治と経済が相乗的に危機を促進する形で事態は進行している。ソ連スターリン主義崩壊後、全面化した帝国主義の基本矛盾の爆発が、帝国主義間争闘戦の非和解的激化、帝国主義の侵略戦争―帝国主義間戦争として爆発する方向に向かって、内外情勢は一段と重大な段階に突入したのだ。帝国主義の危機は、新植民地主義体制諸国や旧スターリン主義圏、残存スターリン主義圏をも巻き込みながら進行している。南北朝鮮情勢を始め、中国、フィリピン、インドネシア、パレスチナ、ユーゴスラビアなど、文字どおり全世界が大激動し労働者人民の闘いが爆発している。まさに世界史は、二十一世紀の幕開けを前に、帝国主義の終焉(しゅうえん)をもたらすかつてない激動過程に入ったのだ。今こそ一切の反革命、ファシスト勢力を粉砕し、闘うアジア人民と連帯して日本帝国主義を打倒し、プロレタリア世界革命の勝利の二十一世紀へ突き進む時だ。朝鮮・中国・アジア侵略戦争のための戦争法案=臨検法案参院採決阻止へ全力決起しよう。十一・三〇憲法調査会へのファシスト石原の参加を断じて許すな! 十二・三三里塚闘争、「四党合意粉砕」の国鉄決戦を闘いぬこう。労働者党建設の一層の飛躍をかけて十二月決戦に総決起しよう。

 第1章 絶望的な危機深める森反動政権打ち倒せ

 野党の森不信任案提出の動きにのっかった加藤紘一の森退陣要求は、自民党崩壊の危機感にかられた野中らのなりふり構わぬ巻き返しに加藤・山崎がぶざまに屈服することで、まったくの茶番劇に終わった。
 この一連の経過は、すでに単独で政権を掌握する力を失っている自民党の政治支配が、恐慌過程の深刻化と日米争闘戦の激化で、ついに最後的な崩壊過程に入ったことを示している。もはや日帝支配階級は、旧来の自民党的な政治支配のあり方では延命できないほどに追いつめられ、より一層の強権的、超反動的な政治支配体制の確立の衝動を強めているのだ。
 日帝経済はバブル崩壊以降十年、大不況と恐慌状態からまったく脱出することができない。それどころか、今年に入って一層危機を深めている。株価は経済の変化を先取りすると言われるが、東京株式市場の株価は年初から四千円以上も低下し一万四千円台になっている。とりわけ四月の森政権発足以降、外国人投資家(実質的には米帝とEUの大資本)による対日争闘戦的な日本株売りが進んでいる。四月以降の外国人投資家による日本株売り越しは三兆円を超える。
 米欧資本は、日帝の政治・経済危機、森政権の弱体さを徹底的につきまくって攻勢をかけ、日帝企業をたたき、経営危機に追い込み、企業買収(買いたたき)などの荒っぽいやり方で莫大な利益を上げている。まさに米欧の帝国主義資本が、国際帝国主義の最弱の環=日帝の危機をついて、弱肉強食の争闘戦をしかけているのだ。
 加藤は「今の政治状況がこのまま進むと、日本は危機に陥り、この国は壊れてしまう。世界における日本の存在も薄くなる。この状態をなんとか変えなければならない」(十日)として森下ろしに動いた。そして「政府が手を打てば何とかなるという幻想を国民に与えるべきではない」と言って、一層の行財政改革、規制緩和などの「構造改革」を主張し、国債大量発行に反対した。
 だが、日帝経済の危機は「景気回復」の政府宣伝とは裏腹にますます深刻化している。生命保険会社の相次ぐ経営破綻(はたん)、熊谷組などのゼネコン危機に見られるように、政府が国債を大量発行し、資金をばらまいてテコ入れしなければ、たちどころに倒産続出、恐慌激化は必至の状態にある。
 この圧力も強烈に働いて、自民党主流派の切り崩しが加藤・山崎を吹っ飛ばした。だが、それは逆に日帝の政治と経済の危機をさらに絶望的に激化させるものでしかなかった。
 不信任案否決直後の二十一日の東京株式市場は、米帝の株下落とも連動して、一万四四〇〇円近くまで下がった。大部分の銀行と生保が株式含み益を失い、含み損を抱え込む危機的状況である。さらに下がれば、体力の弱っている生保、ゼネコン、流通などで倒産が続出する状況だ。

 大失業と戦争

 結局、どんなにあがいても日帝の政策展開が早晩行き詰まり、一層の矛盾の爆発と破局に突入していくことは明らかである。日帝はすでに長期債務六百四十五兆円という世界最悪の財政赤字国家に転落している。
 そうした絶望的な危機の中で、森政権は一層凶暴化して労働者人民への大攻撃をかけてきている。また、新「大東亜共栄圏」=アジア侵略戦争を公然と提唱し、そこにこそ日帝の危機突破の道があるなどと扇動する石原慎太郎のようなファシストが台頭し、改憲=九条破棄の衝動が決定的に強まっているのだ。
 帝国主義は、最後は労働者階級への大失業攻撃と「軍需景気」と戦争以外に他のどんな方策もない。
 だが、それは労働者人民の怒りと闘いに必ず火をつけるものである。内閣支持率わずか十数%という世論調査結果に示されるように、森自公保政権への労働者人民の怒りは、圧倒的である。同時にそれは、こんな超反動の森政権を倒せない無力な野党への不信としても爆発している。
 衆院東京二一区補選や長野県知事選、栃木県知事選(六党推薦の現職が無党派新人候補に敗れた)が示したことは、多くの人民が既成政党に愛想を尽かし政治の変革、行き詰まった社会の変革を求めているということである。その根底には大資本攻勢による賃下げ、雇用不安、生活破壊への怒りが充満している。
 今こそ、森政権打倒、改憲阻止へ労働者人民の総決起をかちとろう。

 米大統領選は何を示したか

 米大統領選の大接戦とその後の混迷が突き出したものも、バブル経済のもとで蓄積されてきた米帝の体制的危機、国内階級対立、民族的人種的対立とその矛盾の深刻さである。
 「IT革命」「好景気」が宣伝される裏側では、首切り、賃下げ、不安定雇用化のあらしが吹き荒れ、膨大な労働者層が貧困・飢餓にたたき込まれている。貧富の社会的格差がかつてなく極端化している。生活のために二つ以上の仕事をかけ持ちする「ムーンライター」と呼ばれる労働者は、千六百万人を超える(民間調査機関)。歴史的な低賃金化、貧困化が進んでいるのだ。
 こうした背景のもとで、民主・共和両党への不信が拡大し、大統領選の投票率は五〇%にとどまった。民主党ゴアは社会保障重視などリベラル路線を、共和党ブッシュは「思いやりのある保守主義」なるものを打ち出し、必死で労働者人民の取り込みを図った。
 だが、投票後二週間たってもなお当選者が決まらない混迷のもとで、階級支配の危機と米バブル経済の崩壊過程への突入はいよいよ明白となっている。今春のインターネット関連株の暴落から始まった株下落が、九〜十月には米帝を代表するハイテク企業株、金融株など米株価全体に広がった。景気の減速、原油高、ユーロ安による対欧輸出への打撃も加わって企業収益の鈍化と株下落が相乗化している(本紙前号の島崎論文参照)。米バブル経済の崩壊は、二九年型世界大恐慌の本格的な爆発の引き金を引く。
 どちらが次の大統領になるにせよ、米帝は労働者階級への一層の犠牲転嫁と、侵略戦争、世界戦争に突き進んでいく以外にない。米帝による対日争闘戦は、まさに米帝自身の死活のかかったものとして、経済と軍事をからめて激烈化することは明らかである。
 アメリカ労働者階級は、こうした支配階級の大攻撃に対し、労働運動の新たな高揚をもって反撃に立ち上がっている。二、三月のシアトルのボーイング社工場一万七千人の四十日間の長期ストに続いて、八月以来マサチューセッツ州の軍事産業レイセオン社での大規模スト、ロサンゼルスのバス・地下鉄・自治体労働者のスト、ニューヨーク州での教育労働者三千七百人のストなどが、労組委員長の逮捕・投獄をもはねのけて闘われている。米国内階級闘争の一層の激動化は確実だ。
 闘いは、インドネシア、フィリピン、南朝鮮・韓国を始め、アジアでも燃え広がっている。韓国・金大中政権の金融・企業改革は、大失業、低賃金、不安定雇用化の攻撃として労働者階級に襲いかかっている。三日に発表された五十二企業の強制整理で五万人、大宇自動車の倒産で二万人、大宇の下請け企業で約六十万人の労働者が新たに失業の危機にさらされている。
 民主労総と大宇自動車労組は闘争宣言を発し、十二日に開かれた「全国労働者大会」には三万人が結集、集会後のデモで警官隊と激突した。韓国労総も十二月上旬にゼネストを決行しようとしている。
 すべての労働者階級人民は、闘うアジア人民と連帯し、日帝の朝鮮・中国―アジア侵略戦争を絶対阻止するために闘おう。〈恐慌と大失業と戦争の時代〉を帝国主義打倒の新たなプロレタリア世界革命の時代に転化するために闘おう。

 第2章 カクマルがJR総連OBを拉致・監禁!

 自民党支配の絶望的危機と、既成野党や連合の無力と反労働者性が突き出されている中で、労働者階級が団結して立ち上がれば、必ず勝利できる条件が日増しに成熟している。
 とりわけ日帝の労働者支配の反動的根幹をなしてきたファシスト・カクマル=JR総連が分裂し大崩壊の危機に突入したことは決定的に重大である。日帝の労働運動破壊の先兵を打倒・一掃する絶好機が到来しているからである。
 黒田・カクマルによる坂入充(JR総連OBカクマル)の拉致・監禁事件が発覚した。坂入は、カクマルが反革命通信で弾劾した「南雲」と同一人物だ。「会長(松崎)は過去の人だ」とか「山本勝彦(黒田)は変質した」とJR総連内部で言いふらし、「JR総連下部メンバーに反感を植えつける」ことをやってきた人物である。カクマルは黒田の指示で、この坂入を拉致・監禁するという白色テロによって、総離反したJR総連カクマル「ダラ幹」グループを脅迫し、屈服させようとしている。
 事態はその後さらに発展し、JR総連による埼玉県警への告発と、小田(JR総連委員長)らに対するカクマルの白色テロ宣言という全面的な泥仕合に発展している。(2面参照)
 まさにカクマル=JR総連打倒・解体の歴史的チャンスの到来だ。カクマル=JR総連の分裂、大崩壊の危機は、黒田=松崎の反革命的労働運動路線(国鉄分割・民営化攻撃の先兵化)の全面的破産を突き出すものである。そして、不屈に闘われてきた国鉄闘争の勝利性、正義性を敵の側から証明するものだ。今こそ、カクマル完全打倒、ファシスト労働組合=JR総連打倒、国鉄決戦勝利へ大攻勢をかけよう。
 一方、日共スターリン主義は、資本主義の危機の時代に帝国主義への屈服、大転向を一層深め、帝国主義の延命に手を貸そうとしている。それが二十日から開かれた二二回大会での党規約全面改定と大会決議の反革命路線だ。
 党大会決議案で、「アメリカ追随の金融政策、通貨政策、貿易政策からの脱却をはかり、対等・平等の日米経済関係を築く」などと帝国主義的国益主義への転落を全面開花させている。また、「当面の改革の内容は、資本主義の枠内で、どの分野でも民主主義が貫かれ、『国民こそ主人公』といえる新しい日本をつくるということ」などと、「資本主義の枠内での改革」路線を前面化し、プロレタリア革命への敵対をあらわにした。
 同時に日共は、日米争闘戦の激化の中で日帝の国益を主張し、そのために自衛隊も承認し、新ガイドライン下の朝鮮侵略戦争攻撃の激化に呼応して、「必要に迫られた場合には、自衛隊を国民の安全のために活用することは当然」ということを積極的に承認した。これがたとえば「不審船事件」のように「自衛」の論理をもってする日帝の軍事行動を支持し、朝鮮侵略戦争を積極的に支持していくものとなることは火を見るよりも明らかだ。
 だが、このあまりにも露骨な大転向に、労働者党員や全労連内部からも批判が噴出している。国鉄闘争の爆発と新潮流運動の前進は全労連を揺り動かし、労働運動において日共の危機は決定的に深まっている。

 野党の総転向

 既成野党はなぜ総屈服し、また無力なのか。なぜ国益主義に巻き込まれるのか。資本主義の枠内でしか問題を考えられないからだ。資本主義そのものが土台から腐り、崩れ始めているのに、どんな改善策を出そうともまったく無力であり、転向を深めるしかない。
 求められている闘いは、「資本主義にノー」と宣言できる階級的労働運動であり、その立場に立った戦闘的大衆運動だ。また労働者階級の生活と権利を守り、全世界的な労働者階級解放のために闘い、勝利できる党をつくることだ。革命党こそ、労働者階級の最高の団結形態であり、意識形態であり、組織形態なのだ。
 IT化を決定的なテコとする大リストラ、賃下げと不安定雇用、さらに競争原理で労働者を分断する能力・実績主義賃金の攻撃は、これまでの労働者の生活と労働のあり方を根本から破壊するものであり、必ず怒りの大爆発を引き起こさずにはおかない。いや、それはもう爆発し始めた。連合を使った日帝の労働者支配は、ガタガタに揺らいでいる。闘う新潮流運動の圧倒的な飛躍の条件が生まれているのだ。国鉄決戦の爆発と十一・五労働者集会の大高揚は、その始まりを示すものだ。
 だからこそ「四党合意」受け入れによる国労闘争団の切り捨て、国鉄闘争の終結を断じて認めるわけにはいかない。権力に屈服を深め、JR連合との合流を策動する宮坂・チャレンジ、革同上村一派ら現執行部を「四党合意」もろともに打倒し、国鉄闘争の勝利をめざして闘う新執行部を確立しよう。闘争団を守りぬき、労働委員会闘争支援の陣形を拡大しよう。
 十二月国労続開大会強行の策動を粉砕し、「四党合意」の受け入れを迫るILO勧告をぶっ飛ばして、「敵よりも一日長く」の不屈さ、労働者魂を発揮して闘おう。

 党建設に全力

 革命的大衆行動を爆発させ、日共、カクマルを打倒し、都議会に、国会に革命的議員を登場させ、階級闘争の断固たる主流派に躍り出ることを全力でやり遂げなければならない。そうした地平への飛躍をかけて、来年七月の都議選に絶対勝利し、有事立法・改憲阻止決戦の大爆発を必ず実現しよう。沖縄闘争を前進させよう。
 臨検法案は今週に最大の山場を迎える。実質審議抜きの与野党総翼賛的な戦争法案の参院採決・成立策動を絶対阻止しよう。十一・三〇憲法調査会へのファシスト石原の参考人出席を粉砕せよ。
 日帝・森の「教育改革」攻撃は、教育基本法を改悪し、奉仕活動を義務化し、差別・選別教育を強め、さらに教育労働運動を解体して改憲への道を開こうとするものだ。絶対に粉砕しよう。全学連を先頭に、国公立大の独立行政法人化を阻止しよう。
 暫定滑走路工事粉砕へ、十二・三三里塚闘争に決起しよう。
 十二月の最大の決戦として年末一時金カンパ闘争、『前進』拡大闘争を軸に、学習会活動など党建設の闘いを全力でやり抜こう。

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週刊『前進』(1984号1面2)

臨検法案参院採決阻止へ 反戦共同、怒りの緊急デモ

 森内閣への不信任決議案をめぐる一連の動きは、自民党時代の終わりと日本帝国主義の危機の深刻さを浮き彫りにした。一方で、衆院安全保障委員会と衆院本会議は、船舶検査=臨検法案を強行可決し、参院に送付した。日帝の戦争政治はますます加速している。
 今こそ反動と戦争政治の森政権に対して、労働者人民の怒りをたたきつけるときだ。森政権を打倒し、臨検法案成立を阻止しよう。

 労働者党の必要を実感 11・21緊急闘争 

 反戦共同行動委員会は、連日の国会闘争を闘い抜き、二十一日に首都圏緊急闘争を闘った。
 二十一日夕、東京・渋谷の宮下公園で、反戦共同行動委員会は臨検法案成立阻止の首都圏緊急闘争に立ち、六十五人が集まった。
 「自民党の時代は終わった」「今こそ本当の労働者党が必要」。労働者・学生は、新たな闘いの意欲に燃えて闘争に結集してきた。
 沖縄のたたかいに連帯する東京会議の狩野正幸さんが「許しがたい戦争法案を審議ともいえない審議で成立させようとしている。国会に闘う勢力がいない。私たちの闘いにかかっている。そういう中で緊急闘争を呼びかけた。廃案まで闘い抜こう」と司会あいさつし、集会が始まった。
 続いて、不信任決議をめぐる深夜の国会傍聴席で書いたという百万人署名運動事務局長の西川重則さんのメッセージが紹介された。
 「議会制民主主義の墓穴を国会議員自ら掘っている場面を見ながら、私は、もうひとつの案件の行方を案じつつ、傍聴を繰り返してきた。船舶検査活動法案の行方である」「改憲阻止・戦争への道を許さない私たちの責任は重大である」
 次に、国労共闘の労働者が「きな臭い戦争への道に立ちはだかるのが国鉄闘争だ。政府・運輸省を攻め、続開大会では四党合意にトドメを刺すために全力で闘う」とアピールした。
 結柴誠一東京反戦共同事務局長が基調報告。「不信任案は加藤らの屈服で否決された。自民党の内からの変革という幻想は完全になくなった。自民党危機を覆す民衆の決起を実現しよう。臨検法案は『安保条約の効果的運用』をうたい、『周辺事態』をこえて戦争発動を狙っている。『武器使用』も明記している。衆院での採決に怒りを燃やし、参院での闘いに決起しよう」と訴えた。
 さらに部落解放同盟全国連、婦人民主クラブ全国協、青年アジア研究会が決意表明。最後に全学連が、「東北大学で今日、『国立大学の独立法人化阻止』を掲げてストライキを敢行、貫徹した。三十日の憲法調査会への石原出席弾劾闘争を学生は最先頭で闘う」と力強く決意を語った。
 渋谷を一周するデモでは、「森政権打倒、臨検法案阻止」を訴える隊列に注目と共感が集まった。 

 委員会採決に怒りの声 11・16国会前 

 船舶検査法案の委員会採決弾劾! 戦争法案を許さないぞ!||十六日午後六時前、強行された衆院安全保障委員会での臨検法案の採決に対して、反戦共同行動委員会は怒りのシュプレヒコールをたたきつけた。
 反戦共同行動委員会はこの日、全学連を先頭に国会前に横断幕を広げて座り込み、ビラをまいて委員会採決阻止を闘った。
 昼休みには、「とめよう戦争への道! 百万人署名運動」が、衆院議長あての「船舶検査」法案反対署名を提出した。三万八千二百七十七人分の署名を受け取った沖縄選出の東門美津子議員は、安全保障委委員として「勇気づけられ、最後まで頑張ります」と決意を述べた。

 本会議強行可決を弾劾 11・17国会前 

 十七日、反戦共同行動委員会は朝から国会前ビラまきと座り込みに決起した。午後一時から開会された衆院本会議にシュプレヒコール。しかし衆院本会議は、二十分にも満たない短時間で臨検法案の採決を強行し可決した。野党の反対討論は、自由党が「こんな法律では生ぬるい」、日本共産党は「アメリカの戦争への自動参戦に反対」、社民党は「アジア危機が緩和しているから必要ない」。いずれも戦争発動を狙う臨検法案の核心をそらす許しがたい主張だ。反戦共同行動委は、翼賛国会に対して衆院議面前で怒りのシュプレヒコールをたたきつけた。

 採決に抗議し難波駅頭街宣 関西反戦共同行動委

 十七日の臨検法案の衆院本会議採決強行を弾劾して、関西反戦共同行動委員会は翌十八日夕、大阪・難波駅頭で緊急街頭宣伝に立った。緊急の行動に三十人が集まり、ビラと街頭演説でアピールした。
 「自民党内権力抗争の裏側で、与野党が一緒になってこうした戦争法案をたった数回の審議で通過させている現実を許してはならない」と訴えた。さらに「臨検法は自衛隊の無制限の武力行使を可能とする戦争法案そのものであり、憲法改悪、教育基本法改悪の動きと一体で、労働者人民を再び侵略戦争に動員するものだ。廃案へともに闘おう」との訴えに、急ぎ足を止めて聞き入る人も多く、土曜の夜、人でごった返す駅頭でひときわ注目を浴びた。

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週刊『前進』(1984号1面3)

21世紀の勝利へ共に闘う熱い大カンパを

 革共同とともに闘う同志、支持者、読者の皆さん。熱い連帯を込めて、今世紀最後の年末一時金カンパを訴えます。
 帝国主義の時代として始まった今世紀は、冒頭から戦争と革命の世紀としてその幕を切って落としました。第一次世界大戦とロシア革命、ドイツ革命の敗北と第二次世界大戦、戦後革命の敗北と戦後世界体制の成立、そして革命を裏切り続けてきたソ連・東欧スターリン主義の崩壊と同時に進行してきた帝国主義間争闘戦の激烈化、全面化。
 世界恐慌をはらみ、腐敗し崩壊過程に突入した戦後体制に対して、今こそ「万国の労働者、団結せよ」のプロレタリア世界革命に勝利し、プロレタリア政治権力の樹立とプロレタリア的生産の組織化と創造を対置しなければなりません。来るべき二十一世紀をプロレタリア世界革命の完遂の世紀として、革共同とともに闘い、勝利の旗を打ち立てましょう。
 日本の地において、戦後革命の敗北をのりこえ、日本共産党と決別し、革共同は反帝国主義・反スターリン主義の産声をあげました。社・共をのりこえ、六〇年、七〇年闘争を闘い、カクマルと国家権力との三十年に及ぶ内戦を貫き、その血と汗の階級的実践の中から綱領的深化をかちとってきました。九一年五月テーゼ―九五年一九全総路線の確立こそ、日本労働者階級が手にした二十一世紀に向けての日本革命の「勝利の如意棒」にほかなりません。
 世界と日本の階級闘争は風雲急を告げています。大統領選の政治的大混乱に象徴されるように米帝危機は極点に達し、バブル崩壊・ドル大暴落は間近に迫っています。全世界で民族解放の闘いが火を噴き、帝国主義の足元で労働者人民の闘いが爆発し始めました。二十一世紀を侵略戦争の元凶である帝国主義打倒の世紀たらしめる世界史的条件が成熟しつつあることを、革共同は高らかに宣言し、ともに決起することを訴えます。
 森政権が末期的危機に陥り、日帝危機は新たな爆発を開始しています。一層の転向路線を歩む日本共産党をも含む既成政党の再編・合従連衡は、日帝危機の新たな導火線以外の何ものでもありません。革共同の歴史的使命が問われ、その飛躍が一切を決するような階級情勢の到来が、刻一刻と切迫しています。
 革共同に力を与えて下さい。年末一時金カンパにご協力下さい。
 来年二〇〇一年は、恐慌・大失業に抗する国鉄決戦を先頭とする労働戦線での闘い、ファシスト=石原との対決の都議選決戦がひかえ、沖縄闘争、三里塚闘争は正念場となります。労働者人民の階級的力量と革共同の底力が試される一年です。必ず勝利しましょう。
 プロレタリア世界革命の真紅の旗を掲げて、労働者階級とともに二十一世紀を切り開く革命的労働者党=革共同への熱烈な年末一時金カンパをお寄せ下さるよう、心からお願いします。

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週刊『前進』(1984号2面1)

政府と国労執行部の画策でねじ曲げられたILO勧告
 四党合意粉砕へ決意新たに

 十一月十六日、ILO理事会は国労、全動労のJR不採用事件についての勧告を採択した。勧告は、日帝政府による反動的な巻き返しと、それと連携した国労本部の裏切りによって大きくねじ曲げられ、矛盾に満ちた内容に変えられた。日帝権力と国労本部は、この勧告をもテコにあくまで国労組合員に「四党合意」を強制しようとたくらんでいる。この策動を断じて打ち砕かなければならない。

 ウソとペテンの政府「追加情報」

 今回のILO勧告は、大きく二つの点で、昨年秋の中間勧告をねじ曲げる反動的なものとなった。
 一つは、「国労及び全動労の組合員の多くは、他地域への広域異動を拒否したためにJR各社に採用されなかったと考えられるので、反組合的な差別行為の問題が生じていると言うことはできない」というILOの判断が示されたことである。二つ目は、「四党合意をすべての関係者が受け入れるよう促す」とした勧告の内容だ。
 ILO勧告をこのように歪曲させたのは、何よりも日帝政府によるでたらめな「追加情報」の提供と、ILOへの恫喝である。
 そもそも日帝政府は、国労によるILOへの申し立て以来、ILOが求める情報提供をしぶり、審査を妨害して、勧告発出を引き延ばそうと策動し続けてきた。しかし、昨年秋の中間勧告に大打撃を受け、慌ててILOへの反動的巻き返しを強めたのである。
 政府は、中間勧告がJR不採用の理由について追加情報を提供するよう求めていたことにつけこんで、ウソとデマに塗り固められた「追加情報」を次から次へとILOに送り付けた。
 そこで政府は、「JR北海道、JR九州によって採用されるべき人数は、これらの会社の資金繰りが悪化することが予想されたため、当初から限定されざるをえなかった」「国労及び全動労と異なる組合の組合員の多くがJR各社に採用された理由は、それらの組合員は広域異動という国鉄の計画を受け入れたが、国労及び全動労は受け入れなかったから」などというでたらめな主張を展開した。
 日帝政府は、゛動労や鉄労は広域異動に応じて本州JRに採用されたから採用率が高くなるのは当然だ″というへ理屈でILOをたぶらかした。だが、問題は地元JRへの採用において厳然とした組合間差別があったという事実である。
 「広域異動に応じなかったから地元JRへの採用率も低くなる」などという言い分は、゛分割・民営化に賛成したかどうかで組合間差別をした″と自認しているに等しい。
 しかも、絶対に見過ごせないのは、広域異動が分割・民営化への屈服のあかしを迫る踏み絵であり、「労使共同宣言」を締結した動労カクマルを先兵に、「血の入れ替え」と称する国労破壊攻撃として強行されたということだ。国労組合員を本務から排除して人材活用センターに収容した国鉄当局の仕打ち、今日も続くJRによる配属差別の根底にあるものこそ、広域異動をテコとした「血の入れ替え」攻撃であった。
 だからこそ広域異動を拒否した国労組合員に向かって、「広域異動に応じなかったから不採用になった」と言い放つ政府の「追加情報」こそ、国家的不当労働行為の最も悪質な開き直りなのである。こんな方法でしか、政府はILO勧告を歪曲することができなかったのだ。
 日帝は、こうした超反動的な主張を押し通すために、ILOへの分担金支払いの停止という、卑劣な財政的恫喝さえ加えた。こうした強盗まがいの方法で、日帝は「組合差別はなかった」という勧告をゆすりとったのだ。

 JRの責任追及を放棄した結果

 ILO勧告の歪曲を許したもう一つの原因は、国労本部の裏切りにある。
 政府は、ILOへの「追加情報」で、採用差別の責任はJRにはないという五・二八判決の論理を繰り返し、「国労及び全動労が求める原地原職復帰は法制度を否定するもの」と決め付けている。そして、「人道上の観点から政治解決を図るしか方法はない」として、「四党合意」が唯一の解決策だと居直っている。
 この日帝政府の言い分に「根拠」を与えたものこそ、「四党合意」の受諾に突き進む国労本部の裏切りにほかならない。゛国労も人道的解決を望んでいる″という構図は、国家的不当労働行為の責任追及を免れたい日帝政府に絶好の逃げ道を与えた。
 今回のILO勧告が示しているのは、「JRに法的責任なし」を認めた瞬間、分割・民営化以来の一切の不当労働行為は、事実としてもなかったことにされてしまうということだ。
 ILO勧告の歪曲に手を貸した現本部を、今すぐ辞めさせなければならない。

 「公正な補償」は「合意」拒否から

 だが同時に勧告は、歪曲され矛盾に満ちた内容ではあるが、「ILO九八号条約が示す反組合的差別行為に対する保護は、採用時及び雇用終了時を含む雇用期間中のいかなる時の反組合差別行為に対しても保護を保証するという原則を喚起する」と述べ、採用差別は許されないという立場を重ねて表明している。また、「関係する労働者が適正に補償される解決に到達するため」昨年秋の中間勧告を「想起」するよう政府に求めている。
 そこには、「四党合意が唯一の解決策だと言うのなら、日本政府はそれによって当事者に満足のいく公正な補償を必ず実現してみせよ」という含みがあることも事実なのである。
 だが、はっきりしているのは、「四党合意」から出てくるものは闘争団の切り捨てとゼロ回答でしかないということだ。「公正な補償」や「当事者に満足のいく解決」は、「四党合意」を粉砕することによってのみ実現できる。
 ILOは、ロシア革命に対する国際ブルジョアジーの反革命として生み出された面を持っている。労働者階級にとって全面的に依拠できる機関ではもちろんない。だがそれは、労働者階級の闘いが団結権をもぎり取り、その承認を帝国主義に強制したことの現れでもある。だから、ILOが階級闘争の一定の局面で労働者階級にとって有利に作用することもありえるということだ。
 ILO勧告は、その矛盾だらけの内容によって「四党合意」の反動性をはっきりと突き出した。日帝権力は、ウソとペテンを重ねて「四党合意で人道的解決を図る」と言いつくろった。だがそれは、分割・民営化という巨大な国家的犯罪を一層きわだたせるものになったのだ。「四党合意」を徹底的に糾弾し、根底的に粉砕しつくす中にこそ、勝利の道がある。今こそ決意を固めて闘おう。

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週刊『前進』(1984号2面2)

「坂入拉致」事件でカクマルとJR総連が大分裂に突入
 「黒田は変質した」と言った「南雲」は坂入だった!
 黒田が内部テロを指令 木下ら幹部が監禁首謀 『解放』が自認

号既報)。坂入は松崎に次ぐJR総連カクマル組織の大幹部だ。カクマルは、坂入がJR九州労の大量脱退だけでなく、JR総連カクマル組織の総体をカクマル中央=黒田から離反・分裂させている首謀者であると断定し、黒田の指示で坂入を拉致・監禁し、抹殺することを狙っているのだ。これに対してJR総連が警察権力に告発状を出し、カクマルが『解放』紙上でこれを弾劾するという新たな泥仕合が始まった。黒田=松崎路線が破綻(はたん)し、ついにカクマルとJR総連が全面的な戦争状態に入った。JR総連の大分裂・大崩壊の過程が不可逆的に進んでいるのだ。ファシスト・カクマルとJR総連を労働者人民の怒りの決起で打倒し、国鉄決戦勝利を切り開く絶好機である。

 「テロ集団革マル」とJR総連が弾劾決議

 JR総連は、十一月十三日付『JR総連通信』bS35で、「『革マル派』による坂入さん拉致・監禁を許すな! 坂入さんをただちに返せ!」と、この事件を暴露した。(資料別掲)
 坂入は、他のJR総連カクマルメンバーとの秘密会議に行こうとしたところを、カクマル白色テロ部隊に捕捉され、拉致・監禁されたのである。
 坂入は、国労上野支部(取手駅、下十条電車区、南浦和電車区)出身の古参カクマルであり、カクマル国鉄委員会で松崎に次ぐ位置にあった。八六年には国労解体のために「真国労」を結成した。分割・民営化後は、JR総連・東労組のカクマル幹部として悪行の限りを尽くし、今年三月に退職した。坂入が編集に携わっている『自然と人間』は、JR総連本部・目黒さつき会館に事務局を置く、カクマル・フラクの機関誌的位置付けをもつ雑誌だ。
 坂入の拉致後に自宅に電話をかけた「浅野」とは、国労新橋支部(田町電車区)出身の浅野孝(六一)だ。「真国労」の副委員長となったカクマルである。
 JR総連は、十五日に単組・地協代表者会議を開催し、「家宅侵入・暴力・窃盗を繰り返すテロ集団『革マル派』による労働運動への支配・介入を弾劾する特別決議」を上げた。
 そして十六日、小田裕司委員長の名をもって埼玉県警に告発状を提出し、記者会見を行った。その後、都内で「緊急抗議集会」を開いた。ここに七百人もの組合員が集まって「カクマルを許すな」と叫んだ。
 これらの事実は、JR総連の本部と全機関がカクマルに対する戦争状態に入ったことを意味している。
 これに対してカクマルは直ちに「JR総連委員長・小田裕司の埼玉県警への『告発』を満身の怒りをこめて弾劾する」という党声明を出し、『解放』一六四六号(十一月二十七日付)に掲載した。
 カクマル声明は、坂入拉致事件が「革マル派の犯行」と言うのは、「錯乱に満ちた『推測』」だと非難し、「革マル派への組織的弾圧をひきだした行為を徹底的に弾劾し、告発を撤回することを、JR総連委員長の小田に要求する」と絶叫している。
 カクマルは、坂入が「当人の意志」でカクマルのところに来たのだ、拉致・監禁ではないのだと言いたいようだが、それなら坂入本人が姿を現せばよいのだ。
 だが、カクマルが坂入を拉致・監禁していることは、自分たちの声明からも明らかである。カクマルは、「わが革マル派の原則的につづけてきた党内思想闘争をつうじて、九州労組合員の大量脱退問題の真相が明るみにだされることを、彼ら腐敗幹部どもが恐怖し……」と言っている。これは「党内思想闘争」と称して坂入を追及・脅迫し、九州労問題の「真相」を坂入の口から吐かせたことを自認した、決定的な自白なのである。

 会長・松崎明は失脚、「過去の人」になる!?

 坂入の拉致・監禁は、カクマルの頭目=黒田寛一の指令で行われたことは明らかである。
 事件直前の『解放』一六四一号(十月二十三日付)は、九州労脱退の「裏切り者」を「地獄に落せ」などと白色テロを指令する黒田の「短歌」を掲載した。そして、「陰謀・策略分子」をうち砕け、「密通分子」を摘発せよ、と絶叫した。
 一六四二号(十月三十日付)では「退職したJR総連OBメンバー(南雲)」が「『会長(松崎)は過去の人だ』とか『山本勝彦(黒田)は変質した』とかいう言辞をふりまいている」と「南雲」を批判していた。この「南雲」こそ、ほかならぬ坂入のことであるとJR総連は認めている。
 「黒田は変質した」などと言いふらす「南雲」=坂入に対して、黒田が憎悪を燃やし、名指しでテロ宣言を行い、それを実行させたということなのである。
 JR総連は、拉致の直後に電話をかけた「浅野」のほかに、翌日に二人の男女のカクマルが自宅に来たことを明らかにしている。その一人は木下である。木下とは、東大出身で、六二年に黒田らが革共同から脱落・逃亡した時に、土門、朝倉とともにカクマル学生の最高指導部だった木下宏(=西条武夫)である。現在のカクマル中央そのものだ。カクマルは黒田の指令で全党を挙げて、JR総連に対する内部テロ体制をとっているのだ。
 さらに重大なことは、この党声明で「JR総連の全組織を奈落に突き落としはじめた小田執行部は、今ただちに自己解体せよ」「JR総連傘下の単組のすべての執行委員はJR総連労働運動の破壊の責任をとれ」と絶叫していることである。JR総連の本部と単組の執行委員のすべて、JR総連カクマルおよびJR総連の総体、全機関がカクマル中央=黒田と離反・対立しているという、これまた決定的な事実を自己暴露してしまったのだ。
 この対立は、黒田=松崎路線の破産をどうやってのりきり、JR総連を延命させていくかをめぐる対立だが、いずれも資本の大合理化攻撃とは絶対に闘わず、国労解体を進める反革命路線そのものである。黒田=カクマル中央は、カクマル組織づくりをやって「左翼」の仮面をかぶったファシストとしてもっと徹底的に純化してファシスト労働運動をやれと言う。これに離反した「ダラ幹」どもは、「左翼」の仮面を捨てて、むき出しの資本の先兵になろうとしている。
 反革命内部の生き残りをかけた断末魔のあがきである以上、それが暴力的対立にまでエスカレートしたということは、より激しい泥沼の抗争となることは不可避だ。カクマル中央にとっては、カクマルの最大実体であるJR総連の総失陥となるからだ。
 ところで、JR総連が「テロ集団『革マル派』」などと言ってカクマルを弾劾しているが、そもそもJR総連の「ダラ幹」どももまた、闘う労働者人民に対するカクマルの白色テロに支えられてJR総連の幹部になっていることを絶対にあいまいにしてはならない。また、カクマルを「テロ集団」と弾劾するなら、そういうJR総連の存在そのものが弾劾されなくてはならない。分割・民営化の先兵となり、国労解体攻撃を推進してきた悪行のすべての責任を彼らにとらせなければならない。
 それにしても、松崎はいったいどうしたのだ。この事態にあって、カクマル副議長、JR総連の最高指導者として発言しないとはどういうことなのか。今や事態は明白になりつつある。松崎は事実上失脚し、文字どおり「過去の人」になったということだ。だが、このまま責任逃れをして姿をくらますことなど断じて許されない。

 九州労の脱退はJR総連中央指導だった

 『解放』一六四六号には党声明と同時に「JR九州労の大量脱退の真相を怒りをこめて暴露する」という記事が掲載された。これは、前述したようにカクマルが坂入を拉致して自白させた中身にほかならない。
 そこでは、「この前代未聞の労働組合組織破壊が、驚くべきことにJR総連委員長・小田、同書記長・山下、JR九州労委員長・北、JR労研中央事務局の一部指導部(代表・大方、事務局長・南雲、黒潮、飛田)の七人が仕組んだものであることを、われわれは断固暴露する」と言っている。
 カクマル中央は、坂入から聞き出すまで、一切事態を掌握できなかった。ようやく「真相を暴露する」と息巻いてみても、そこで暴露されたことは、九州労の大量脱退、JR総連からの脱落・崩壊がJR総連中央と九州労・北らが完全に連携してやったことだったということだ。その先頭に立った「四人組」は「衝立て」であって、JR総連中央は単に傍観していただけではなく、南雲=坂入らとともに、秘密会談をもって準備していたのだ。まさに「驚くべきこと」だったのである。
 彼らは、「『今後、組合員は分割・民営化時に匹敵する攻撃をうける。』そうなると、かつてのような『広域移動』での『解決』はできない。また、『組合員は、攻撃に耐えられる水準にない。』」と判断し、資本とJR連合の懐に飛び込んで生き延びようとして、ほぼ丸ごと組合員を脱退させたということだ。
 これは、カクマル松崎の分割・民営化の先兵化に始まって、今日の「第二の分割・民営化」というべきJR東日本の「シニア協定」および設備部門を始めとする鉄道業務の全面外注化攻撃への屈服・加担が元凶である。JR九州においては九州労が真っ先に犠牲にされるということだ。カクマル=松崎路線では生きていけないと、JR総連からの離脱を決断したのである。
 だがこのような「真相」の暴露は、カクマル中央からのJR総連カクマルの離反・対立の事態を一層浮き彫りにするだけである。
 今こそ、国労解体と安保・自衛隊賛成を叫び、大分裂に突入したJR総連を打倒するために全力で闘うべき時だ。国鉄労働運動を始めとする労働運動とあらゆる大衆闘争の妨害物となってきたカクマル=JR総連の崩壊こそは、日本階級闘争のまったく新たな地平を切り開くものとなる。
 カクマルとJR総連を打倒し、国鉄労働運動を先頭に二十一世紀に勇躍進撃しよう。

 資料
 『JR総連通信』
「革マル派」による坂入さん拉致・監禁を許すな!
坂入さんをただちに返せ!
 11月3日、JR総連OBで、「自然と人間」事務局の坂入充(元・三鷹駅出身)が何者かによって連れ去られました。
 当日朝、坂入さんは、元職場の先輩やOBと一泊で奥多摩に行くため自宅を出ました。その後、「待ち合わせ場所にこない」と仲間から電話があり、奥さんが心配していたところ、昼前に「浅野」という男から「彼(坂入さん)と討論させてもらう。いずれ彼から連絡をしてもらう」と電話がありました。奥さんが「帰してくれるのですね」と言うと「それは…」と言って電話が切られました。坂入さんは心臓の病気があり、一日でも薬を欠かしてはならないため、心配した奥さんは以前JR総連の書記をしていた関係で、JR総連に連絡してきました。
 この「浅野」という男は10月9日、九州労本部に押しかけ、家宅侵入し暴力・窃盗を行った3名の革マル派の一人です。JR総連は奥さんと相談し、その日のうちに警察に捜索願を出しました。しかし、一週間経った現在、坂入さんの消息は杳(よう)として判りません。
 ところが、11日になって、奥さん宛に「速達」が届きました。驚くことに、差出人は坂入さん本人でした。さらに「議論しているから捜索願いは取り下げてくれ」という内容でしたが、住所も連絡先もない不自然なものでした。これは、捜索願い取り下げのため革マル派に強制的に書かされたものであり、よって、革マル派に拉致されたものと断定できます。
◆解雇通告された元九州労本部書記が関与か?
 ところで、九州において不可解な事態が判明しました。組合員の激減によって財政的問題もあり、九州労本部から解雇通告された「小西書記」が、本部事務所を訪れ、「私の解雇は認めない。闘う」「九州の脱退劇について…坂入さん本人が言っている話だが…」云々と語り、坂入さんの消息について何らかの関与をしているかのことをほのめかしたのです。坂入さんが拉致・監禁されているなかで、本人からそのような言動を聞き出させるのは、革マル派以外にいないことはもはや明らかです。
 このような卑劣な手段や、人権を無視し、自分たちの主張・思想を押し付けたり、この間のJR総連に対する盗聴、盗撮、暴力、侵入、窃盗を我々は断じて許すことはできません。
 JR総連に結集する仲間の皆さん! 坂入さんを救いだすため、より一層の御協力・ご支援をお願いします。(この件で、JR総連は坂入さんの身の安全を案じ、しばらくの間公開することを控えていました。ご承知おきください。)

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週刊『前進』(1984号2面3)

沖縄で国鉄闘争集会 闘争団招き支援誓う

 十月二十二日、沖縄・那覇市で「一〇四七名を職場に戻せ! 十・二二国労闘争団支援沖縄集会」が開かれました。
 この集会は、緊迫する国労大会を目前に、千四十七人の国鉄労働者の闘いになんとしても連帯し、沖縄から「四党合意」反対の声を上げなければ、との思いから企画されたもので、私もその立場から参加しました。集会の呼びかけ人には、宜保幸男氏や島田正博氏、照屋秀傳氏、崎原盛秀氏、花城清繁氏、崎浜秀俊氏、知花昌一氏などといった人たちが名前を連ねています。国鉄集会というそれ自身としては沖縄ではなじみの薄い集会ではありましたが、自治労やNTT労組、教労、民間など各職場から七十人という多くの労働者が参加していました。
 集会は、まずビデオ『七・一臨大ドキュメント』の上映から始まり、「四党合意」の採択を強引に押し通そうとする本部に、渾身(こんしん)の決起で闘う国労闘争団や家族の方々、そして多くの組合員、支援の労働者の姿が映し出される中、あらためて国鉄闘争の現状とその核心がどこにあるかを知ることができました。
 主催者あいさつの後、九州の国労闘争団のAさんから約五十分におよぶ報告と決意がありました。大会目前という厳しい日程であったと思いますが、私自身、駆け付けていただいたAさんに感謝しながら訴えを聞くことができました。
 Aさんは、冒頭のビデオの概要を紹介しながら、「四党合意」の問題点と今の国鉄闘争の現状などを詳しく話してくれました。そして最後に「この闘いは人間の尊厳をかけた闘いだ。負けるわけにはいかない。『四党合意』は絶対に許さない。定期大会に私は先頭で闘います」との決意の表明と闘争団へのさまざまな支援を訴えました。人柄を感じさせる穏やかな口調ではありましたが、しかし闘争団の力強い決意がじかに伝わってきて、あらためて国鉄闘争の意義の大きさを確認できました。発言の後の拍手の大きさが示すように、参加者のほとんども同じように感じたものと思います。
 集会はその後、実行委からの提起があり、「国鉄の問題は決して他人事ではない。千四十七人の闘いと連帯し、沖縄の自分たちの今の姿、沖縄の未来をも真剣に考え、行動していきたい」と訴えました。また、会場からは数人の労働者からの質問や闘いの決意などが述べられました。
 最後に「集会アピール」が読み上げられ、「一〇四七名とその家族の闘いを支持し、その勝利まで支え抜いていこう。『四党合意』に反対し、あくまでも闘いの原点に立ち帰って、『解雇撤回・原職復帰』を求めることをアピールします」と結んでいます(アピールは、その後、国労本部や全国の各闘争団にも送られたと聞いています)。
 私の知る限りでは、おそらく実質的には沖縄で初めての国鉄集会ではなかったかと思いますが、この国鉄闘争と連帯することで沖縄の闘いもより一層の階級的意義をもつことになると確信しました。
 集会に参加して、今後も沖縄で国鉄闘争と連帯するさまざまな闘いをつくり出していければ、とあらためて実感しています。
(沖縄・NTT労組 M)

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週刊『前進』(1984号3面1)

長谷川英憲さん 国政を斬る!
 労働者が森政権を倒す時 自民党支配は終わった無力な野党にも頼れぬ 

 内閣不信任案を巡る自民党分裂に示された政治危機をどう見るか。元都議の長谷川英憲さんに国政の焦点を論じてもらった。(編集局)

 大分裂寸前に陥った自民党

 二十世紀も終わりにさしかかった今、日帝の政治支配の危機が爆発している。この政治危機が「自民党による支配の終わり」を示していることは明白だ。
 それは同時に、十一・五労働者集会に登場した労働者民衆を中軸とした労働者階級人民の荒々しい力で森政権を打倒し、無力な野党をはじき飛ばしのりこえていく、そういう時代の幕開けをも示している。
 この政局混乱、混迷の直接的な引き金は、加藤紘一元自民党幹事長が「森政権では自民党はもたない」「来年の参院選は惨敗する」という危機感から森首相の退陣を要求し、野党の「内閣不信任案」に賛成する態度をとったことにある。これに対して森派、橋本派など自民党主流派は、加藤紘一、山崎拓両議員に離党勧告をし、除名の脅しで加藤派を分裂に追い込んで、押しつぶした。
 森内閣の支持率は十数%、まさに危機ラインである。八九年の竹下内閣九%、九二年の宮沢内閣一二%に次ぐ超低支持率だ。自公保内閣が発足して七カ月、最低を記している。もはやこの内閣の、そして自民党の時代は終わった。
 この終わりの始まりは、五五年体制の崩壊といわれた九三年だった。小沢新生党が自民党を割って出て五五年体制は音を立てて崩壊を始めた。社会党も政権にありつくことで帝国主義社民として変質しながら、結局は社民党として少数政党へと転落し、五五年体制崩壊の象徴になってしまった。自民党も、自社さ−自自−自自公−自公保と、もはや自民党単独で議会政治を牛耳ることはできない存在に転落している。その自民党が今、大分裂寸前だ。
 今年の衆院選の大敗北に続く来年の参院選での敗北をなんとか回避しようと、自民党は数を頼んで参院選に「非拘束名簿式」をなりふり構わず導入した。タレントなど知名度の高い候補で票をかっさらい、それを自民党の票として他の候補の当選のためにも使うという、まことに党利党略のための制度である。
 しかし、思い起こしてみよう。政治改革と称して衆院選に小選挙区比例代表制を導入したのは、自民党の危機をなんとかのりきれるのではないかという思惑からだった。しかし、それは二度の小選挙区選挙で逆の結果をもたらした。今や「小選挙区制をやめて元の中選挙区制に戻るべきだ」という声が自民党の中からさえ出ている始末である。
 「非拘束名簿式」の選挙制度で自民党の勝利が保証されるのかといえば、まったくそんな保証はない。

 反動攻勢阻む新たな闘う力

 自民党支配の危機は、根本的には世界的な戦争と大恐慌・大失業の時代への転換、戦争か革命かの時代への突入にある。アメリカ帝国主義との関係でも、国内の階級支配の点でも、戦後を総決算するような反動的な「飛躍」をしなければならなかった。しかし、それはやりきれてはいない。
 もちろん中曽根反動から新ガイドライン法制定へ、改憲へと戦争のできる国への攻撃を必死で強めてきている。国鉄分割・民営化を突破口に国労を攻撃し、総評をなくして連合へと労働者階級への大攻撃を仕掛けてきた。大資本攻勢を、社会保障制度の大改悪を、教育の反動的改革を掲げて攻撃してきている。危機の中から石原都知事というファシスト勢力を引き出した。
 しかし、これに対する必死の闘い、新しい力が、最も根幹のところで日帝の攻撃を打ち砕いてきた。

 民衆は既成の野党も拒んだ

 加藤紘一元自民党幹事長を後押ししている勢力として『自民党の明日を創る会』があるといわれている。石原伸晃衆院議員らが中心の若手の議員グループである。さる六月の衆院選での自民党大敗に危機感をもって結成されたこのグループは、「さしあたり自民党の中にあって自民党を改革する」「当面は加藤政権をめざし、次は自分たちが」と言っている。
 だが、果たして自民党に明日はあるのか。自民党に明日がないことを明らかにしたのが、今回の事態だ。
 現に、衆院選から後の幾つかの選挙で自民党は大敗を喫している。長野県知事選、東京二一区の補欠選、そしてつい最近の栃木県知事選でも、自民党への労働者民衆の不信任の流れはますます強まっている。
 こうした大衆的な反乱は既成の野党にも向けられている。長野県でも立川でも栃木でも、大衆は明白に既成の野党をも否定した。
 十一・五労働者集会の時、ある青年が私のところに来てこう言った。「川田さんの選挙の応援に行って、民主党もダメだということがよくわかった。今度は長谷川さんのところの選挙を応援しますよ」と。
 自民党の、そして森内閣の支持率がこれほど低くなっても倒れないのは、何よりも公明党、保守党が支えているからだが、民主党や共産党などの野党がまったく無力だからなのだ。鳩山民主党は「加藤さんが自民党を出たら手を組む」と言うだけである。労働者に訴えて倒閣運動を起こすことなどまったく考えにない。

 日本共産党に未来は託せぬ

 ちょうどこの国会の最終盤に日本共産党の第二二回党大会が熱海で開かれている。この大会で「前衛政党」「社会主義革命」などの文言を党規約から削除する。また、自衛隊の活用を宣言する大会決議を行う。戦争に賛成し革命をやめることを明文で決める、まさに歴史的な転向大会である。
 大恐慌の時代に「資本主義を守れ。守れるのは共産党だけだ」と叫ぶ共産党は、今、世界で広がる労働者人民の闘いにどう向き合うのか。韓国で大量の整理解雇に反対して武装デモで機動隊と闘っている民主労総の労働者、フィリピンで、インドネシアで、アメリカで、ユーゴスラビアで労働者は権利と団結を守ってストライキなど実力の闘いに立ち上がっている。
 これに対して日本共産党は、国労の闘争団を先頭とした闘いに対し、うわべで「四党合意」に反対するようなポーズをとりながら実際には賛成している。闘いを裏切っている。この政党に労働者民衆はけっして未来を託すことはできない。
 また、国鉄分割・民営化の先兵となったカクマル=JR総連は、今日、労働者の怒りを浴び、日帝権力・資本とのあつれきと矛盾が激化し、組織分裂を爆発させている。
 われわれは、来年七月の都議会議員選挙を、けしば誠一区議を候補として必勝をかけて闘う。同時に、臨検法案を強行し改憲への道に突き進む森政権の打倒に向かって、大衆的反戦闘争をもって闘う。
 政局の「混迷」は自民党にとってのこと。われわれは二〇〇〇年の衆院選−沖縄サミット決戦−国鉄決戦・労働戦線の大飛躍に確信をもち、二十一世紀を勝利の時とするために闘うのみである。

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週刊『前進』(1984号3面2)

都労連指導部の屈服打破し賃下げ・行革リストラ粉砕を
 スト中止のりこえ石原打倒へ

 妥結前に中止

 都の秋季確定闘争は、妥結前にストを倒すという闘わざる屈服によって十七日未明に決着させられた。
 全単組が始業時から一時間のスト体制を組み、零時半からの最終団交を固唾(かたず)を飲んで見守る中、都労連指導部はなんの決着もないままに団交開始前の零時過ぎにスト解除指令を出し、二十九分間職場集会に切り替えた。
 本格的に始まる公務員攻防を控え、六波にわたる五千人規模の総決起集会、都庁内座り込み、百万枚個別情宣などを重ねてきた都労連傘下の組合員にとって、スト回避は意気を阻喪させるものとなった。この都労連指導部の限界を早急にのりこえなければならない。
 最後の攻防点は、@昨年の確定闘争で、石原との交渉で大幅に譲歩して決着した「一時金〇・一五カ月カット」を超える都人事委員会の「一時金〇・二カ月カット」勧告、A五十五歳での定期昇給停止、「級格付け廃止」、主任・係長選考の見直し、一般職への成績主義の導入など「人事白書」に基づく人事制度の見直し、B六十歳以上に導入される新再任用制度が、選別選考を前提とし、現状の年金と再雇用の併用よりも賃金で下回るものとなること||これらにしぼられていた。
 決着の内容は、@人勧完全実施により一時金〇・二カ月カット、差額の〇・〇五カ月分は三月支給分から引き下げる、A五十五歳での定期昇給停止を二〇〇二年度から実施するが、経過措置については引き続き協議、「級格付け廃止」などは断念し「見直し」としてあらためて協議する、B新再任用制度については希望者の全員雇用は「困難」だが、再雇用制度は当面併存させる、C現業職給与表の「国公準拠」(都の現業表より約二万円低い)は撤回する、などである。

 全国攻防の環

 攻防点は、人勧制度に依拠するのか、人勧制度を打破して実力で賃上げをかちとるのかという、公務員賃金の根幹をめぐる闘いであり、年金支給開始年齢の引き上げに伴う高齢者の雇用をめぐる闘いであった。一地方自治体の枠を超えた国家総がかりの制度的枠組みが正面課題であった。文字どおり「社会のあり方そのものを問題とする」(昨年の矢沢都労連委員長発言)闘いが問われたのだ。
 石原都知事は、その先兵として昨秋に打ち出した「危機突破戦略プラン」のもとで、外形標準課税の導入、首都機能強化、「ビッグレスキュー二〇〇〇」(九・三自衛隊三軍統合演習)、「心の東京革命」「東京構想二〇〇〇」「都政改革ビジョン」「東京都人事白書」など、財政、防衛、教育、都市改革、行革、人事制度にいたるまでファシスト的手法で「東京から国を改造する」「東京から新しい公務員像を発信する」という攻撃をかけてきた。石原打倒こそが、都労連に真正面から問われているのである。

 闘う団結こそ

 しかし、都労連指導部は石原都知事との正面対決を完全に回避した。
 昨年はたしかに大幅賃下げの妥結だったとはいえ、第一波一時間ストを貫徹し、さらに第二波二時間ストを背景に石原都知事を団交に引きずり出し、謝罪させ、闘う意志をたたきつけた。闘いによって組合的団結が強化され、闘いこそが組合的な求心力をつくり出した。こうした闘いが今秋闘においても絶対に必要であった。
 ところが、この石原との徹底対決を回避し、石原にすり寄ろうとしたところに、今秋季確定闘争の敗北の真因がある。
 だが、組合員投票による高率でのスト権確立は、賃下げによる生活の窮乏と石原反動政治に対して組合員が闘うことを望み、その準備があることを示した。戦闘的庁内デモや座り込み、青年婦人の独自決起集会など、一層の闘いを解き放たなければならない。
 そのためにも、国鉄決戦と新潮流運動に一層深く結合し、引き続き闘われている東京都特別区と全国の賃金確定闘争に決起しよう。

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週刊『前進』(1984号3面3)

三一労組 ロックアウト2周年で集会
 ”職場確保基礎に闘う” 東京地裁めぐる新局面を確認

 一昨年十一月の憎むべきロックアウトからちょうど二年目の十一月十四日、三一書房労働組合は三一書房争議支援共闘会議との共催、三一書房労組を支える会後援で「三一書房闘争二周年報告集会」を午後六時半から開催した。会場の文京区民センター三階大ホールは、交流センターや出版産別の支援の労働者百六十人で埋めつくされた。
 大失業時代、国鉄決戦の高揚で始まった労働運動の反転攻勢を反映し、三一闘争への労働者人民の共感と支援がますます広がりつつあること、三一闘争が首都圏の労働運動にとって非常に重要な位置にあることを実感させる集会だった。
 支援共闘会議議長の渡邉起造出版労連顧問のあいさつで集会が始まった。「三一書房の良心の灯を支える表現者の会」呼びかけ人で作家の宮崎学さんが「物書きとして、国労の四党合意反対闘争にかかわってきた。長野知事選、衆院東京二一区補選にもかかわった。連立与党は敗北し自民党政権にガタが来ている。表現者として三一闘争を支援する」と熱く語った。
 その後、三一労組の労働委員会代理人で元学習院大学教授の宮島尚史弁護士が、「三一書房闘争の背景・労働組合をめぐる状況を的確に把握して闘おう」と題する講演を行った。
 宮島さんは、三一闘争の背景に行政改革推進本部を頂点にした立法・行政の大変革があること、それらが有事対応を口実に戦争のできる国家にする大攻撃であることを明らかにした。特に、組対三法や民訴法改悪、商法改悪による分社化、司法改革、民事再生法、産業再生法などの一連の反動立法の目的が「整理解雇四要件」否定を始めとした労働者の権利を崩すことにあることを暴露した。
 宮島さんの講演は、三一労組への攻撃が、国労への「四党合意」の攻撃と同根の現代の最も鋭い攻撃であり、三一闘争勝利が労働者階級全体に大きな意味を持つことを明らかにした。
 「経過報告」に立った古屋文人書記長は、ロックアウト直後の苦しい闘いを、「溶接された会社の前に毎日就業時間の九時半に皆で集まり、闘いの意志を確認しあった」と語り、「今、六百五十団体が都労委に早期救済命令を求める団体署名をしている。あと二週間の間に提出したい」と述べた。さらに、鈴木経営が組合の職場確保の闘いを解体し、たたき出すために起こした「建物明渡訴訟」について「次の公判は十二月六日午後四時半、六二六号法廷だ。労組をなめるととんでもないぞということを示そう。ぜひ傍聴を。翌七日の『クビ切り自由を許さない! 東京地裁・高裁を人間の鎖で囲もう!』ヒューマンチェーンにも参加して闘いたい」と提起した。
 続いて、弁護団の森川文人弁護士、鈴木達夫弁護士が登壇。森川弁護士は、十二・六公判結集を訴えた。
 鈴木弁護士は、「三一闘争が緊迫した段階にある」と最初に警鐘を乱打した。そして、「一つは労働委員会の命令が早ければ今年中、遅くとも来年三月までに出ようとしているが、簡単に勝利命令が出るとは考えていない。なぜか。五・二八判決以降、労働委員会がぐらぐらになっているからだ」「もう一つは、東京地裁の明渡訴訟。今、労働者の権利などは相手にしなくていいという風潮が裁判所でも広がっている。裁判所は労働争議の要素を切り捨てて十二月六日に大変な構えで押し切ろうとしている」「労働者の権利が失われる時は戦争前夜だ。改憲の動きが急速に高まっている中、労働者の権利を守ることがどんなに大事か」と述べて、緊迫した三一闘争の新局面を弁護団の立場から明らかにした。
 労働委員会への特別アピール案を向山征哉出版労連副委員長が読み上げ、全体の拍手で採択した。
 連帯のあいさつを出版労連の争議組合と国労闘争団が行った。出版の争議組合は、「この二年間はめまぐるしかった。全員解雇が強行された角川財団班に続き、廣川書店、明治書院で不当解雇が起きた。東京地裁は、この三組合に整理解雇四要件を無視した不当な決定・判決を出した。宮島講演にあるように、今の時代状況では個別の争議団も単なる経営に対する闘いだけでは勝ち得ない」と述べ、階級闘争全体とのかかわりの中で勝利をつかみとる方向を提起した。
 国労闘争団は、「四党合意を撤回し、国労本部が闘いの展望を示して組合の統一と団結をかちとる以外にない。最後まで職場復帰をかちとるまで闘い抜く」と鮮明な決意を表明した。
 三一労組七人全員が登壇し、代表して三角忠委員長が、「不当なロックアウトを受けてから二年。この悔しさを闘争の原点に私たちは本社と朝霞倉庫を確保している。本作り、本にかかわる業務回復まで絶対に闘い抜く」と、不屈非妥協の決意を明らかにした。
 団結ガンバローで集会を終えた。新局面を迎え奮闘する三一労組の呼びかけにこたえ、十二月六日午後四時半、東京地裁六二六号法廷に大結集しよう。

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週刊『前進』(1984号3面4)

投稿 つぶそう上関原発! 公開ヒヤリングを弾劾

 中国電力が進める上関原発の建設計画に伴う通産省・資源エネルギー庁主催の第一次公開ヒヤリングが、十月三十一日、山口県上関町室津の町立体育館で行われた。
 昨年九月の東海村臨界事故以後、初めての公開ヒヤリングだ。祝島の住民や自治労を始めとする労働者は、早朝から準備を始め、午前七時半に抗議行動を開始した。抗議集会の会場は、公開ヒヤリング会場を見下ろす小高い山を切り開いた場所にある。山肌に原発反対ののぼり旗が何十本も林立し、樹上に設置されたスピーカーからは大音量で抗議のシュプレヒコールがたたきつけられた。
 通産省、中国電力に買収された原発推進派は、警察権力に守られ、抗議から逃げるようにして会場に入ろうとした。
 午前九時半、祝島島民の会を中心とする反対派は道路に座り込み、陳述人が乗る車を阻んだ。警察権力による排除・規制に怒りが一気に爆発し、一進一退のもみ合いとなった。推進派の乗った車は立ち往生し、周りを囲んだ反対派は口々に「原発反対」「公開ヒヤリング反対」と怒りをたたきつけた。その数は八百人に達した。
 激しい抗議行動は公開ヒヤリングの開始を三時間半も遅らせた。打ちひしがれた推進派とは対照的に、反対派は勝利感に満ちて集会場に引き上げた。

 祝島島民260人漁船60隻参加

 十一時十分、原発に反対し上関の安全と発展を考える会、上関原発を立てさせない祝島島民の会などによる「つぶそう上関原発! 十・三一総決起集会」が始まった。
 祝島島民の会の山戸貞夫代表が、「本日の集会に、原発予定地から四`しか離れていない祝島島民七百人のうち二百六十人が、また六十隻の漁船も参加している」と発言すると、大きな拍手がわいた。
 山戸さんは、中国電力が百二十五億円の漁業補償で関係漁協に建設同意を迫っているが、祝島漁協は調印を拒否し調印無効を求めて争っていること、原発の炉心部設置場所にあたる四代八幡宮の氏子たちが神社地の売却を宮司に迫り、県神社庁に宮司の解任を求めているが、売却を拒否していること、四代地区共有地の反対派住民が裁判闘争を闘っていること、電調審への計画上程に県が同意しないよう求める署名を六月初旬から八月末までのわずか三カ月で十二万千四百五十人分集め、十月十九日に提出したことを報告した。
 原発に反対し上関の安全と発展を考える会の河本廣正会長は、「集会場は私の土地であり中電には指一本も触れさせない。公開ヒヤリング会場を見下ろすのは実に痛快だ。通産省の強引なやり方は戦争中と同じで、誰一人現地を見ることなく推進している」と強く弾劾し、「周辺市町での原発意識調査でも反対が六五%、賛成三五%だ。団結しよう」と呼びかけた。
 また、六人のパネリストが専門的な立場から問題提起を行った。十四時には、十隻船団の壮観な海上デモに呼応してシュプレヒコールが行われた。
 さらに、各地で闘う十六の団体・個人が発言した。反戦被爆者の会の下田礼子さんが「原爆も原発もその悲惨さを見れば、核と人類とは相入れない」と警鐘を鳴らし、全国被爆者青年同盟の友野幽さんが「原発は核武装のための核燃サイクルの重要な環。原発でウランを燃やさなければプルトニウムはこの世に存在しない。日本はプルトニウム路線をやめるべきだ。中電もこの責任から無縁ではない」と激しく弾劾した。
 集会宣言を採択し、団結ガンバローを行った。
 最後まで熱気に満ち、元気の出る集会だった。祝島島民の会は八二年から毎週月曜日に島内デモを行っている。私はそこに、金に負けない「命どぅ宝」の沖縄に通じるものを感じる。 
 (岩国 民間労働者K)

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週刊『前進』(1984号3面5)

 

 法大自治会 国大協総会に申し入れ 自治破壊の独法化

 十一月十五日、法政大学法・文・営・二教自治会の代表は、国立大学協会総会に対して、独立行政法人化反対の申し入れ行動を行いました。神保町の如水会館で行われていた総会に対して、三階の会場入り口まで押しかけ、申入文を受け取るように迫りました。
 申し入れに対して、国大協会長の蓮實東大総長は出てこず、代わって野島国大協事務局次長など数人が出てきて、「ここではできない。下の階に行ってくれ」と言ってきましたが、私たちはその場で申入文を読み上げ、国大協の総意として独立行政法人化に絶対反対を表明するよう迫りました。
 さらに私たちは、この間全国の大学で取り組まれている学生の独法化反対の追及行動に対して、各大学の学長がまったく答えようとせず、情報公開も拒否していることを追及しました。
 これに対して、事務局の一人が「抗議するなら行革本部か政党の代議士のところに行ってくれ」などと言い返してきました。私たちは、「問題は国大協として絶対反対すべきということだ。国大協は学生の意見を聞かないのか」と反論すると、野島事務局次長は「どういうふうに判断するかは学長個人個人だ」と答えました。何ということでしょうか。私たちは、「以前は国大協として独法化に反対を表明していたではないか。それを最後まで貫徹しろと要求しているんだ」と弾劾しました。
 「国大協での議論はどうなっているのか。どこまで話が進んでいるのか明らかにしないのか」という追及に対しては、「国大協の議論は非公開になっている」の一点張りで答えようとしません。「会報が出ているからそれを見てくれ」とも言ってきました。学生の意見や要求をとことん無視して、学長だけで独法化を進めるというのでしょうか。冗談ではありません。
 また、野島事務局次長は「事前に連絡するなりして来るならともかく、突然押しかけてきて『代表を出せ』とか『反対しろ』というのは失礼ではないか」とも言ってきました。「それなら正式に申し入れれば国大協として学生との話し合いに応じるんですね」と問い返すと、野島事務局次長は「いや、都合の悪いこともあるし、そんなことをされても困る」と言い出す始末です。
 いったい国大協は、文部省と学生のどちらの顔を見てものを言っているのでしょうか。私たちは、文部省への屈服を深める国大協の姿勢をあらためて弾劾し、申入文を受け取らせました。
 全国の学生の皆さん。学生自治を破壊し、大学を国策遂行機関につくりかえる国立大学の独立行政法人化に絶対反対の大行動に立ち上がりましょう。
  (投稿/法政大学B)

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週刊『前進』(1984号4面1)

暫定滑走路粉砕の大決戦は改憲・有事立法阻止の中心軸
 12・3三里塚現地闘争へのアピール
 赤坂 潤

 三里塚闘争は八〇年代中期の二期着工以来の決戦情勢に突入した。二〇〇一年十一月暫定滑走路「完成」、および二〇〇二年春「供用開始」攻撃をめぐる激突は、三里塚闘争三十数年の歴史的帰すうを決する闘いである。さらにこの三里塚決戦は沖縄闘争、国鉄決戦とともに、二十一世紀初頭の改憲・有事法制制定〜国家総動員体制づくりをめぐる歴史的階級決戦の中心軸になろうとしている。三十数年間にわたる日帝権力との熾烈な攻防を闘いぬき、日本階級闘争の死活的生命線を守り抜いてきた三里塚闘争の革命的決着にかかわる正念場である。反対同盟は「暫定滑走路建設阻止の一年間決戦」を宣言、きたる十二・三現地闘争を皮切りに来春三月の全国闘争への総結集と、労農学共闘による新たな三里塚闘争の大衆的陣形の整備を呼びかけている。わが革共同は、一九六七年十月外郭測量阻止闘争以来の三十数年にわたる反対同盟との血盟にかけて、三里塚闘争の歴史的勝利へ総決起する決意である。

 巨大重機・高圧電線・検問の暴力的圧殺政策は許せない

 農民の屈服狙い軒先工事を強行

 暫定滑走路建設攻撃の最大の特徴は、日帝・運輸省、空港公団が八〇年代の二期着工攻撃以来の「力の政策」に再び転換したことである。
 運輸省は、八六年十月の二期着工時、土地収用法による強制収用攻撃や成田治安法(八九〜九〇年団結小屋撤去)を振り回し、破防法の組織適用まで準備(八九年十二月政府声明)した。しかし反対同盟と人民の実力決起の中で、八八年十月に県収用委員会が解体され、攻撃の核を粉砕されてしまったのだ。
 そこで運輸省は九〇年以後、一転してシンポ・円卓会議による脱落派の取り込みや地域反動の組織化、マスコミの動員などで反対同盟を包囲し、「話し合い」を強要する攻撃を開始し、それに約十年間を費やした。しかし、脱落派の大半を転向させるなどの「成果」も上げたが、反対同盟の闘争陣形を崩すことはできなかった。
 そして、運輸省は内外に公約した「二〇〇〇年平行滑走路完成」計画が破綻(はたん)と日米間航空の全面規制緩和の二〇〇二年実施合意という危機的事態に追いつめられ、結局力ずくで農地を強奪する方針に舞い戻ったのである。三十数年を費やして空港を完成できないという事態が、ついに最後の限界を超えたのである。
 運輸省・公団はシンポ・円卓会議関連のペテン的「確約」をことごとく投げ捨てた。「地権者の同意なき着工はしない」とした円卓会議決定(九四年十月最終所見)や運輸省審議官らの確約「軒先工事は不適切」(九八年十一月共生委員会での言明)などの放棄である。「一切の強制手段を放棄する」と天下に確約したはずの公開シンポジウム(九三年五月終結)決定も完全に投げ捨てたのだ。
 その上で、昨年十二月、運輸省・公団は暫定滑走路の軒先工事着工を強行した。反対農家の軒先まで一方的に滑走路を造り、その圧力で用地売却を迫るという、むきだしの暴力行使に訴えてきたのである。
 以後、空港公団は天神峰、東峰地区の農村環境をズタズタに引き裂き、反対@tz農家を取り囲むように三重に高圧電線が張られたフェンスを巡らし、巨大な重機をうならせて連日工事を続けている。

 大型機は飛べぬ短い暫定滑走路

 暫定滑走路計画は、滑走路南端部分と航空保安施設が部落内に割り込むように突き刺さり、滑走路延長線上わずか三百五十b地点に農家があるという常軌を逸したものだ。中村空港公団総裁は、「農家の頭上四十メートルを飛ばす」と公言している。天神峰の市東孝雄さん宅と誘導路の距離はわずか数十bだ。ここは遮音壁もない。自走するジェット機の爆音が直撃する。平行滑走路用地内の出耕作畑も全部フェンスで囲まれた。このまるで強制収容所のような部落内を二十四時間、機動隊や私服刑事、右翼ガードマンが徘徊(はいかい)し、検問・尾行・監視などのいやがらせを続けている。
 これが「話し合いによる空港建設」の実態だ。農民たちの営農環境を力ずくで破壊し、生活できなくして用地売却をゴリ押しする計画である。
 こうして造られる暫定滑走路は、全長わずか二千百八十bで、最低でも三千b級が常識となっている国際空港としては論外の短さだ。成田空港離発着の九五%を占める大型機は暫定滑走路を使えない。理論上使用できる機体は中型機以下の、それも国内線かアジア近距離便仕様の機体だけだ。この制約の下ではせいぜい一日十四便程度の需要しか見込めず、経営的にも大赤字必至だ。
 しかも暫定滑走路は南端からわずか六十bの地点に東峰神社があり、境内の立ち木が約八bも航空機進入表面(注)を突き破る。この地点の進入表面の高さは約一・二b。人の頭が進入表面を破る状態なのだ。このデタラメな計画ゆえに、暫定滑走路は南側離着陸では実質千七百六十bしか使えない。地方空港以下の離島空港なみの滑走路だ。
 公団はこの問題で窮地に陥り、東峰神社立ち木の強制伐採を計画しているが、反対同盟が実力阻止を鮮明に打ち出したことに動揺し、滑走路そのものを高々と土盛りして作り直すことまで考慮中である。これでは誘導路がスロープ状になってしまうなど、欠陥性はさらに増大する。
 二〇〇二年五月予定の暫定滑走路供用開始は、表向きの理由は、「サッカーW杯日韓共同開催」にあわせて設定される日韓航空シャトル便を暫定滑走路で受け入れるというものだ。しかし、シャトル便は大型機の運航で、二千百八十bの暫定滑走路は使用できない。韓国側も羽田空港での受け入れを強く要望している。
(注)進入表面 航空機の着陸時の最低高度を規制する限界面。着陸帯の端から五十分の一の勾配で設定されている。これを破る障害物がある場合、その空港設置計画自体が航空法違反となる。

 国家総動員体制づくり狙い土地収用法改悪へ進む日帝

 空港建設の破綻示す暫定滑走路

 以上のような暫定滑走路の惨状は、三十数年を費やした第一級の国策である成田空港建設の全面的破綻であり、日帝・国家権力として容認し難いものだ。
 「成田の破綻」の意味は多岐にわたる。
 破綻の一つは、土地収用政策の破綻だ。
 成田空港政策の破綻は、土地収用問題という戦時体制、国家総動員体制づくりの根幹にかかわる領域での、権力の決定的敗北を意味している。
 二つ目は、帝国主義的航空政策の破綻である。
 世界の航空権益争いは今や帝国主義間争闘戦の最大の焦点だが、日帝の航空政策は、成田空港建設の遅滞により二十年以上の致命的な遅れを強制されている。
 三つ目は、人民の武装にかかわる問題だ。
 三里塚闘争の神髄ともいえる階級的実力闘争が、三十数年にわたる血みどろの攻防の末に労働者人民の勝利として結実し、この地平を携えて日本階級闘争が二十一世紀の大激動に突入することの決定的な意義である。
 これらは有事法制制定・改憲という、二〇〇一年冒頭からの一大階級決戦をともなう日帝の反動政治プランを根底から脅かす問題だ。とりわけ三里塚闘争が、千葉県収用委員会崩壊から十二年、土地収用体制そのものを崩壊させている現実は決定的だ。それは戦時動員につながる「国策」への根底的批判の勝利、国家主義・国益主義への階級的批判の結実であり、有事体制づくりの根幹を革命的に破壊する闘いなのだ。
 したがって、三十数年にわたる三里塚闘争が日帝・運輸省の敗北に終わるという事態を、日帝権力は絶対に容認できない。
 こうしたことから、日帝はついに土地収用法改悪攻撃を柱とする成田問題での反動的巻き返しに全面的に動き出そうとしている。
 三里塚闘争は、沖縄闘争や国鉄闘争と並ぶ二十一世紀初頭最大の階級的激突点として、再び階級闘争の白熱する焦点に押し上げられた。

 密室で強制収用迅速化の研究会

 土地収用法改悪の動きは、今春に建設省が建設経済局長の私的諮問機関として「土地収用制度調査研究会」を立ち上げたことで浮上した。
 改悪の骨子は収用委員会制度の空洞化による収用の迅速化、すなわち国家意志による一方的収用を可能にすることだ。また一坪共有地などの共有物件の移転補償も「四分の三の合意」で可能とし(現行法は全員の合意)、強制収用を格段に容易にする。
 建設省が選んだ同研究会の委員は十七人。学者(法律学)が一人、自治体代表一人、行政OB二人、弁護士一人、不動産鑑定士一人、収用委員一人、民間事業者二人などである。同研究会は、「成田闘争の教訓(!)」を理由に、メンバーも討議内容も完全非公開となった。それは、三里塚闘争からの弾劾の闘いを恐れてのことだ。三里塚闘争の破壊と成田空港完成に直接手を染める問題であることを建設省と委員全員が自覚しているのである。
 研究会は、五月に第一回会議が開かれて以来、九月までに四回の会合がもたれ、十二月の第五回会議で「制度見直しの骨子案」(土地収用法改悪の骨子)がまとめられる予定という迅速さだ。
 自民党の都市問題対策協議会は、現在開会中の臨時国会で議員立法として一気に成立させ、社会的に焦点化する前に通してしまおうと姑息(こそく)な計画を立てたが、自民党自身の分裂もあり、これには失敗した。
 一方扇建設相は、八月九日の参議院国土・環境委員会での答弁や十一月九日の首相の諮問機関「産業新生会議」での方針表明で、研究会の答申提出後、来年六月までの通常国会で成立を図ると公言している。

 有事立法先取りする収用法改悪

 土地収用法改悪攻撃は有事法制の先取りであり、新たな国家総動員体制づくりの核心にかかわる問題でもある。
 二〇〇一年一月から行政改革」と称する省庁再編=戦時型行政機構への移行が実施され、これに伴い運輸省と建設省が合体した巨大省庁「国土交通省」が発足する。同省は公共事業予算の八割を握る巨大省となる予定だが、その機能は、土地、空港、港湾、水資源、河川、道路、住宅、鉄道など戦時動員・戦時徴発体制の中軸的分野を一手に管轄することだ。
 この巨大省発足を前にして、建設省が成田空港問題を対象化して土地収用法改悪攻撃を一気に進めているのだ。次期通常国会における有事法制制定攻撃の先取りであり、決定的な攻撃である。
 有事法制は、大きく@国家総動員体制の確立、A政府機関の臨戦化、B自衛隊の行動制約の解消、の三つの分野に分けられる(一九六三年『三矢研究』での分類)。この中で労働者人民の利害と直接的な意味で最も激しく衝突するのが@の国家総動員にかかわる問題だ。生産力や労働力その他の戦時徴用、土地・施設の戦時徴発の問題である。
 自民党安全保障調査会、防衛庁の外郭団体の平和・安保研究所、民主党などがそれぞれ有事法制の決定版として作成した「非常事態法案」も、中心テーマは「政府による土地収用」だ。交通、通信、土木・土地、建設、労働力、食糧、被服など、およそ国民生活にかかわる一切の戦時動員が取り上げられているが、人民との間でもっとも激しいあつれきを引き起こすのが土地(取り上げ)問題であることを明確に意識化している。
 非常事態法など国家緊急権(非常大権)に属する問題は、国家の強制力が無条件に貫徹するかどうかの問題である。とりわけ土地収用問題はブルジョア的私有財産制の根幹に抵触し、国家の暴力的本質がむき出しになる領域だ。
 権力にとって、土地収用体制の崩壊は究極的には戦時体制の崩壊であり、国家体制そのものの崩壊につながる問題なのだ。それゆえ戦後の階級闘争においても、三里塚闘争や砂川闘争を始め数多くの土地収用問題が、権力との激しい激突となってきた。これらの闘いは本質的に「国家」や「戦争」の問題に対する人民の階級的立場をめぐる激突である。
 三里塚闘争が日帝の農地強奪と非妥協的に対決し、その土地収用体制に致命的な打撃を強制してきたことの意義ははかりしれない。
 例えば、現在の自衛隊法一〇三条は、有事における土地や家屋の収用、施設、物資等の収用、国家管理を定めている。にもかわらず日帝は、それを執行するために必要な政令を今日に至るまで制定できていない。帝国主義国家としては「異常」な事態だ。これは三里塚闘争や沖縄闘争を始めとする労働者人民の営々とした反戦闘争の結果だ。
 こうした労働者人民の闘いの地平を反革命的に転覆する攻撃として、今まさに有事法制制定・改憲攻撃が開始されたのである。
 そうした意味で、二十一世紀初頭の激動を前に、三里塚闘争が日本階級闘争の中心的攻防の一環を担う意義はきわめて大きい。日帝の新たな有事体制づくり・総動員体制づくりの攻撃をその根幹から粉砕する闘いとして、わが革共同は三里塚闘争の新たな革命的発展の道を断固として切り開く決意である。

 反対同盟の不屈の決起に連帯し労農学共闘の発展を

 わが革共同は、暫定滑走路建設粉砕の一年間決戦、および二〇〇二年五月供用開始阻止決戦を断固として宣言し、以下の方針で闘い抜く決意である。
 第一に、軒先工事に対する現地攻防の徹底的貫徹である。
 運輸省・公団の狙いは、反対同盟の生活空間・営農環境を徹底的に破壊しつつ、二〇〇二年五月「暫定滑走路供用開始」の圧力で反対同盟・地権者農民に屈服を強制することだ。この国家ぐるみの地上げ屋のような暴力を絶対に許してはならない。
 この点で反対同盟が昨年の着工以来、滑走路南端の東峰神社立ち木伐採攻撃や団結街道破壊攻撃への反撃で、画期的な勝利を積み重ねていることはきわめて重要である。東峰神社問題で、実力阻止闘争を宣言した反対同盟の戦闘性におののき、公団は一旦立てた伐採方針を動揺させている。
 円卓会議の「確約」をほごにして軒先工事を強行するなど、政治的失態の上に成り立っている暫定滑走路工事ゆえ、公団は反対同盟・人民との実力攻防が火を噴くこと自体に耐えられないのである。
 その結果、暫定滑走路は離島空港なみの滑走路に甘んじるか、十b近くも新たに土盛りした滑走路を造り直すなどの措置を迫られている。いずれも日本の表玄関を名乗る国際空港としてぶざま極まる滑走路だ。
 また、公団と成田市が結託して策動した団結街道破壊策動を、反対同盟が粘り強い闘いで粉砕したこともきわめて重要な勝利だ。滑走路と角度が交差し、敷地内に食い込む団結街道の存在は、暫定滑走路の欠陥性をさらに際立たせている。
 「世界一ぶざまな滑走路に追い込む」と檄(げき)を発する反対同盟の闘いに連帯し、暫定滑走路「完成」を廃港の一里塚に転化しよう!
 第二に、二〇〇二年五月の暫定滑走路供用開始阻止決戦に向けて、三里塚闘争の新たな大衆的陣形を拡大することである。
 三里塚闘争が日帝権力の総力をあげた農地強奪攻撃に負けず、今日まで三十数年間も国策を阻止し続けているという驚くべき力の源泉は、労働者階級人民の広範な陣形と結集力にほかならない。
 この三里塚闘争陣形は、七〇年安保・沖縄闘争の最も戦闘的な資質を引き継ぎ、既成左翼の総転向をもたらした八〇年代反動(国鉄分割・民営化、三里塚二期攻撃など)と九〇年天皇制攻撃を唯一革命的に突破した最強の反戦勢力を形成している。三里塚二期決戦の対権力激突性のあまりの激しさの前に決戦を回避し逃亡したすべての「左翼党派」が、例外なく党派としての存在意味を根底から喪失してしまった現実はあまりに教訓的である。
 二〇〇〇年決戦の中で飛躍的な大前進をとげた沖縄闘争と国鉄決戦の地平に、二〇〇一年の三里塚暫定滑走路阻止決戦の革命的合流をかちとらなければならない。
 成田空港建設の破綻は、いまや日帝支配階級の決定的な弱点に転化している。彼らは改憲を頂点とする戦時体制・戦争国家への大転換を迫られながら、労働者階級人民の闘いを制圧できていない。自民党を始めすべての既成政治勢力が帝国主義救済の明確な処方箋(せん)を提示できず、伝統的権力構造の崩壊の中で自ら分裂を始めている。
 そして、激しく進行する資本攻勢と政治反動の中で、階級支配の土台を揺るがす階級決戦はもはや完全に不可避だ。
 この激動の中で、三里塚闘争陣形の新たな前進は、必ずや二十一世紀の日本階級闘争の革命的大転換をもたらすけん引車となるだろう。有事法制制定・改憲阻止の一大階級決戦の突破口を、来春三月の三里塚全国闘争の中で戦闘的に切り開こう。
 第三に、そのためにも日帝・運輸省、公団、千葉県の暴力行使に対して革命的反撃を断固としてたたきつけることである。
 反対同盟農民に対する軒先工事の暴挙が「話し合い」や「共生」「民主主義」の名の下にまかり通っている現実を、わが革共同は絶対に許さない。軒先工事を強行している運輸省・公団や反対同盟に対する日常的尾行や検問・監視など人権侵害を続けている警察権力、「警備会社」、国の強権発動をあおる千葉県、土地収用法改悪についに手を染めた建設省、そして農地強奪にかかわるすべての関係者は、農民殺しと農地強奪に対する当然の反撃を覚悟すべきである。三里塚闘争の階級的実力闘争としての神髄が発揮されるのはこれからなのだ。
 きたる十二・三三里塚現地闘争(反対同盟主催)に結集し、反対同盟との血盟をあらたにしよう。ともに二十一世紀の激闘を勝ち抜くために労農学の団結をうち固めよう。

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週刊『前進』(1984号4面2)

革命軍軍報 暫定滑走路建設を強行する空港公団に報復の強襲
 1年間決戦勝利へ血路 11・8川崎市

 革命軍は偉大な戦闘を貫徹し、以下の軍報を発表した。(前号に速報)
 十一月八日、革命軍は満を持して戦闘に立ち上がった。八・二六戦闘、九・一三戦闘に続く断固たる決起だ。運輸省、空港公団、警察権力、千葉県が総力を挙げて強行している成田空港暫定滑走路建設をなんとしても阻止しなければならない。それは、農地強奪=農民殺しと闘う三里塚反対同盟との血盟を誓った革命軍の階級的使命である。
 十・八三里塚全国総決起集会で、反対同盟は暫定滑走路の二〇〇一年十一月工事完成―二〇〇二年五月供用開始を実力闘争で阻止することを宣言した。そして全国の労働者階級人民に、向こう一年間の決戦に総決起することを呼びかけた。
 この呼びかけに今こたえなくていつ決起するのか。革命軍は、一年間決戦突入の呼びかけにこたえ、その突破口を開く戦闘を切り開かなくてはならない。革命軍は、一年間決戦の血路を切り開く決意とこの日帝の総力を挙げた暫定滑走路攻撃に対する怒りをもって立ち上がったのである。
 革命軍の目標は、神奈川県川崎市中原区上平間一四〇二にある新東京国際空港公団運用本部運用管理部管理役、吉沢裕の自宅だ。そこに爆破戦闘をたたきつけるのである。
 戦闘は計画どおりに遂行され、爆破戦闘装置が設置された。
 午前三時十分、設置した爆破戦闘装置は正確に作動した。「ズドーン」という大音響とともに、吉沢宅の玄関のドアが吹き飛び、家中の窓ガラスが粉々に砕け散った。
 戦闘を貫徹した革命軍部隊は、この威力絶大な戦闘がかちとられた時には、すでに撤退作戦を終了していた。神奈川県警がどのようにデッチあげ弾圧をこころみようと無駄である。革命軍は、警察権力のデッチあげ弾圧を絶対に許さぬ作戦計画を練り上げ、貫徹したのである。
 十一・八戦闘万歳! 十一・八戦闘に続き、暫定滑走路実力阻止一年間決戦に勝利せよ!

 農民殺し強行した張本人だ

 吉沢裕の反階級的罪状は許しがたいものである。空港公団と吉沢は昨年以来、何をやってきたのか。
 「平行滑走路二〇〇〇年完成計画」を反対同盟を先頭とする闘いによって粉砕された空港公団は、突然、暫定滑走路計画を持ち出してきた。この計画が、ずさんで、デタラメなものであったことはすでに明らかである。
 国際線に就航している航空機の九〇%以上を占めるジャンボ機が使えない二千百八十bしかない暫定滑走路。しかも東峰神社の立ち木が障害となって実質的には千七百四十bしか使えない暫定滑走路。こんなずさんで、デタラメな暫定滑走路計画の本当の狙いは、暫定滑走路工事を進め、敷地内農民の営農と生活を破壊し、敷地内から追い出すことにあった。
 そのために、天神峰団結街道を封鎖し、廃道にしてしまおうと画策したのだ。
 さらに、小見川県道の迂回道路建設を口実にして、敷地内にフェンスを張り巡らせ、敷地内農家を取り囲んで、まるで強制収容所のようにして重圧を加え、「一刻も早く敷地内から出ていけ」と脅している。敷地内農民の土地を強奪し、滑走路建設をもともとの計画である「平行滑走路建設計画」に戻し、四千b級の滑走路を建設しようとしているのだ。そうすることで成田空港をガイドライン空港として活用し、米日帝の朝鮮侵略戦争のための軍事空港としようとしているのである。
 このような暴挙を計画したのは、吉沢を筆頭とする空港公団だ。しかもその上で、私服刑事や機動隊を動員して、敷地内農民を二十四時間監視して圧力を加えているのだ。農作業の行き帰りに執拗(しつよう)に検問を繰り返し、いやがらせのために、一日中尾行をしているのだ。
 農地強奪=農民殺しの暫定滑走路計画をたて、警察権力を動員してそれを強行してきた吉沢裕に怒りの鉄槌が下されることは、当然すぎるほど当然のことではないか!
 革命軍は、この戦闘に続き、暫定滑走路計画を粉砕するために、さらに強力なゲリラ・パルチザン戦闘をたたきつけるであろう。
 十一・八戦闘の革命的意義は何か。

 12・3闘争に総結集しよう

 第一に、反対同盟が呼びかける十二・三現地闘争への総決起を訴える戦闘としてかちとったことである。
 十二月三日は、暫定滑走路建設工事着工から一年にあたる。着工から一年間、反対同盟を先頭にした反撃の闘いは確実に政府・運輸省、空港公団、千葉県を追いつめている。
 東峰神社の立ち木伐採問題は、今さらながらに、暫定滑走路計画のずさんさ、デタラメさを暴き出している。敵の天神峰団結街道の廃道計画は、反対同盟の闘いによって粉砕された。
 十二・三現地闘争を、二〇〇一年暫定滑走路建設実力阻止決戦の新たな跳躍台としてかちとろう。
 第二に、三里塚闘争を二十一世紀の新たなガイドライン闘争、安保・沖縄闘争の中軸に据えなおし、有事立法阻止・改憲策動粉砕の全人民の闘争拠点、砦(とりで)として構築することを訴える戦闘としてかちとったことである。
 有事体制確立攻撃のひとつが収用法の改悪策動である。暫定滑走路建設と同時に建設省で改悪の検討に着手している。われわれは来年から運輸省と合併する建設省のこの策動を絶対に許さない。
 こうした日帝の反動的転換攻撃を、全人民の抵抗の砦=三里塚闘争の勝利を突破口にして、労働者階級人民の総反撃をつくりだしていかなければならない。今こそその時がきたのだ。
 第三に、現代のナチス=ファシスト・カクマルを完全打倒することを宣言する戦闘としてかちとったことである。
 反革命カクマルは、日帝の戦争国家化の歴史を画する大攻撃の前に、組織の最大の実体であるJR総連をめぐって決定的な中枢対立、亀裂・崩壊の危機に突入し、さらにファシスト的純化の道を歩んでいる。
 そしてその中で、カクマルは、革共同と革命的労働者人民に対する白色テロルの衝動を高めているのだ。このカクマルの反革命的延命策道を断じて許さず、今こそカクマル完全打倒へ前進する時だ。革命軍の戦闘力は、そのために鍛え、研ぎすましているのだ。
 革命軍は、自らの階級的責務を忠実に果たすであろう。二十一世紀を労働者階級人民の勝利の時とするために、革命軍はともに闘うことを宣言する。

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週刊『前進』(1984号5面1)

米大統領選が示すものは何か
 アメリカ社会の大分裂が露呈バブル経済下で階級対立激化
 稲垣 太介

 全世界が注目するアメリカ大統領選挙は、十一月七日の投票から二週間以上たっても結果が確定していない。投票結果がまれにみる接戦となり、一度集計した票を数え直しているからだ。しかも、共和党ブッシュ陣営と民主党ゴア陣営が、票の再集計を少しでも自らに有利になるように訴訟合戦を行っていることが、さらに混乱に拍車をかけている。一九二九年をも上回る世界大恐慌の本格的な爆発が不可避となる中で、すべての犠牲を全世界のプロレタリアートと被抑圧民族人民に押しつけ、世界を戦争的プロセスにたたきこんでいくことによって世界帝国として延命を図ろうとしているのが米帝である。だがそれは不可避に、アメリカと全世界に階級的激動の渦を巻き起こすことになる。ブッシュとゴアのいずれが第四十三代米大統領になろうとも、二十一世紀に米帝が進む方向は変わらない。米帝の一層の凶暴化、帝国主義間争闘戦の激化と世界戦争の攻撃の強まりは、いよいよ不可避なのである。

 政治支配の危機深刻 低投票率

 まず、十一月七日の投票後の経過を簡単に見ておこう。
 八日未明(日本時間八日夕)、フロリダ、オレゴンの二州を残して開票を終了した。この時点で、ブッシュの獲得した選挙人は二百四十六人、ゴアが獲得した選挙人は二百六十人。いずれも、当選となる選挙人の過半数二百七十人を獲得することができなかった。このため、選挙人が二十五人割り当てられているフロリダ州で勝った者が、大統領選の当選者となることとなった。
 フロリダ州の開票結果では、ブッシュが約千八百票多いとされた。だがあまりの僅差(きんさ)のために、フロリダ州法の規定によって票の再集計をすることとなった。州法では当選者と次点者の得票差が投票総数の〇・五%以下の場合、自動的に再集計すると規定されているからだ。しかも、十万人以上といわれる不在者投票(十一月十七日が集計期限)が数えられていないことも明らかとなった。票の再集計の結果、両者の票差がその後に到着する可能性のある郵送票の数より少ない場合、勝敗が逆転することもあり得る情勢となった。
 十一月十四日、フロリダ州の選挙管理責任者であるハリス州務長官は、票の再集計の結果、両者の票差を三百票と発表。十八日には不在者投票の集計結果を発表し、票差は九百三十票となった。この段階でも、まだ手作業で再集計している結果が反映していなかった。このため、ゴア陣営は手作業による再集計を認めて、最終結果に反映させるべきだと訴訟を起こした。
 十一月二十一日、フロリダ州最高裁は、フロリダ州の三郡で続行されている手作業での集計を十一月二十六日まで行い、その結果を受け付けてから最終決定を行うという判決を出した。
 この結果、最終的にゴアが逆転する可能性もでてきた。ブッシュ陣営は、もしゴアが逆転すれば、選挙結果の有効性を問う訴訟を起こすと言われている。ますます泥沼的な混乱に突入する可能性がある。
 ではなぜ、米大統領選の結果がこのような接戦となり、共和党と民主党の死闘が行われているのか。それは、ひとことで言って、米帝が二九年型世界大恐慌の切迫で奈落の底に沈む情勢に突入しているからであり、そうした情勢がアメリカ社会の根底的な階級的分裂と民族的人種的対立を深めているからだ。米大統領選は、アメリカの深刻な分裂と対立、階級的激突・民族的人種的対立の激しさを突き出したのである。
 そのことを明確に物語っていることのひとつに、米大統領選の投票率が五〇・七%だったことがある。つまり有権者の半分が投票していないのだ。これは米帝の階級支配、政治支配の危機をも突きだしている。
 後で述べるが、共和党も民主党も、危機に立つ帝国主義の延命のための綱領を掲げて大統領選に臨んだ。労働者階級人民は「どちらにも投票したくない」という態度を表明しているのだ。この両者のどちらかを選ぶということは、どちらの帝国主義支配者を選択するのか、という労働者階級人民にとっては不毛の選択でしかない。アメリカ労働者階級の階級的利益を代表する政党がひとつとして存在しない現実が突き出されているのである。アメリカ労働者階級には、反スターリン主義・革命的共産主義の労働者党が今こそ必要だということが突き出されているのである。
 投票しなかった有権者が全体の半分を占めたということだけではない。今回の超接戦は、米大統領選では黒人有権者に対して投票妨害を行っていることも明るみに出した。実に許しがたい投票妨害がこれまでも繰り返されてきたことをも白日の下にさらした。
 一日の仕事を終えて投票所に駆け付けた黒人の有権者が「もう締め切られた」といって、投票所から追い返えされた。白人の有権者が行列を作っているうちに締め切り時間が過ぎてしまっても投票させているのにである。また別の投票所では「もう投票用紙がなくなった」といって投票をさせなかった。もっとひどい投票妨害もあった。黒人有権者に対して「投票所が違う」と言って別の投票所へ行かせ、そこでも「投票所が違う」と言って、投票所をたらい回しにして投票させないなどということがまかり通った。
 実にふざけている。何が「アメリカ民主主義を世界は見習え」だ。帝国主義者が政治支配を貫徹するために、投票妨害までしているのだ。これが米大統領選の真実の姿だ。米帝の打倒こそが求められている。

 大リストラと低賃金 貧富の差 

 米帝の国内支配が、かつてない階級的対立・民族的人種的対立をつくりだし、これからますます激しくなろうとしている。それを端的に示したことがある。共和党ブッシュ候補に投票した人と民主党ゴア候補に投票した人は完全に一線で分かれている。それは年収五万j以上がブッシュ、以下がゴアという一線だ。これこそ、米帝の国内支配が蓄積してきた「貧富の差」の拡大、すなわち労働者階級への極限的な矛盾のしわ寄せを示すものだ。
 米国の労働者人民は、一九八〇年代には、すでに一九三〇年代的状況に突入していた。九三年の段階で、一億二千万人のアメリカ労働者の四人に一人強(三千六百五十万人)が、失業ないし飢餓賃金以下にあり、同数の労働者(三千万人)が飢餓状態そのものに落とし込められた。
 こうした中でクリントン政権は、「経済安保戦略」を掲げて登場した。外に向かっては世界大的な軍事力に経済を絡ませて帝国主義間争闘戦を激しく展開した。他の帝国主義の国内市場に殴り込み、その勢力圏となっている市場を奪い取ることに全力を挙げた。他の帝国主義を蹴落として、米帝が危機から脱出しようとした。そのもっとも典型的な姿が、対日争闘戦であり、日帝とのアジア勢力圏化をめぐる抗争だった。
 国内では、ダウン・サイジングやアウトソーシングと呼ばれる、リストラ・首切り、賃下げを強行した。さらに軍事技術として米帝が培ってきた情報通信技術を民間に開放し、商業化することで「IT(情報技術)革命」なるものを推し進め、大合理化を図った。
 こうした結果、アメリカ経済は再生し、「史上空前の好景気」がもたらされたと宣伝されたのである。だが、その実態はバブル経済でしかなかった。
 九〇年代に労働者の実質賃金は上昇したといわれているが、七九年と比較すると、上昇したのは労働者全体の半分に過ぎず、残り半分の労働者はマイナスのままなのだ。さらに外国からの移民労働者は飢餓賃金のままだ。製造業での就業人口は減り続け、低賃金の職が増加しているのが実態なのである。それに「IT革命」が拍車をかけている。「IT革命」によって、事務系労働者全体の八割にも及ぶ労働者の賃金が切り下げられている。
 また米株価バブルが、空前の好景気をもたらしているというのもとんでもない話だ。株価のバブル的暴騰で所得を増やしているのはほんの一握りの富裕層にしか過ぎない。年間所得上位一%の者たちに、株バブルなどによる所得増分の五〇%近くが集まっているという統計があるぐらいだ。
 こうした現実がアメリカ労働者階級人民の階級的怒りを高めている。だから、米大統領選での争点が、財政黒字を何に当てるのか、どのように減税するか、無保険者(九八年には四千四百万人にまで達した)の増加にどう対応するのか、社会保障をどうするのか、教育をどうするのか、という点に集中したのだ。
 共和党ブッシュは、大統領候補指名演説で、@相続税を廃止し、すべての階層について所得税率を引き下げる(富裕層の減税だ)、A社会保障制度を強化し、メディケア(高齢者向け医療保険)制度を立て直す、B公立校を再建することなどを政策の柱として押し出し、「思いやりある保守主義」と銘打った。
 他方、民主党ゴアは民主党政策綱領で、@中産階級家庭に的をしぼった適切な減税、A社会保障を強化する、B製造業の雇用減少を食い止める、C公立学校制度の進歩のためチャータースクール(公設民営の新公立学校)を全米で三倍に増やす、などを打ち出した。
 八〇年代、九〇年代をとおして失業と低賃金を強制されてきた労働者全体の半数が両者の政策を支持しなかった。労働者階級は、帝国主義的支配から「思いやり」などを求めているのではないことを突き出している。だから、減税を求め、社会保障制度の整備を求めた多くの労働者がやむなくゴアに投票したのだ。また「IT革命」によって、さらに失業と低賃金の攻撃が襲いかかろうとしている労働者がゴアに投票した。
 今や、米株価バブルの崩壊とドルの暴落は不可避な情勢に突入している。それが現実となるとき、さらに「貧富の差」は極限的に拡大し、アメリカ労働者階級には、今以上の失業と低賃金が襲いかかる。アメリカ社会の階級的激突と民族的人種的抑圧への怒りが爆発し、いよいよ荒々しいアメリカ階級闘争の新たな展開となることは不可避だ。米大統領選の共和党と民主党との泥沼的な対立が、この情勢を一層促進する。

 米外交政策は凶暴化 日米激突 

 米大統領選が、米帝の外交、とりわけアジア政策にもたらすものは何か。
 この点では、共和党の政策綱領も民主党の政策綱領も驚くほど一致している。
 共和党は「日本との同盟はアジアの平和、安定、繁栄の重要な基礎だ。日本との同盟を強化する。朝鮮半島での侵略の抑止を支援する」と主張した。さらに、「中国が台湾攻撃に踏み切ったら、米国は台湾関係法に従って適切に対応する」とした。
 民主党は「日本、韓国を始めとするアジアにおける同盟関係とパートナーシップを強化しなければならない。われわれは、日米安保共同宣言に基づき同盟国日本との戦略的協力を強化しなければならない」とうたった。しかも、「軍事行動以外に国益を守る方策がなければ、いつでも行動できる準備を整えておかなければならない」としている。
 ここで両者は、二十一世紀の世界、とりわけアジアを対日争闘戦と戦争のプロセスへとたたきこんで、世界帝国として延命することを宣言しているのである。米大統領がブッシュになろうとゴアになろうと基本的方向は変わらないのだ。
 そこで重要なのが、米大統領選を前にして、共和党政権と民主党政権で、対アジア、対日(軍事)政策を担当したアーミテージ元国防次官補やナイ元国防次官補ら十六人が、誰が大統領になっても対日政策を一貫したものにすることを目的に、「日米−成熟したパートナーシップに向けて」と題する報告書を発表したことだ。この報告書は、「総論」「冷戦後の日米漂流」「政治」「安全保障」「情報収集」「経済関係」「外交」「結論」からなる提案を行っている。
 「総論」では、アジアは世界の人口の五三%、経済力も世界経済の二五%を占め、米国とは年間六千億jの輸出入を行っている、米国にとって死活的な地域と位置づけている。そのアジアは米国の政治・経済、安全保障などにますます大きな比重を占めると、アジア重視を打ち出している。
 そして「冷戦後の日米漂流」で「日本はEU(欧州連合)のような機構をアジアに築くアジア化というアイデアにとりつかれ、米国も冷戦終了で経済問題だけを優先することになった。その結果が九〇年代の日米の衝突だった」と総括し、日帝のアジア勢力圏化をめぐって日米が争ったこと、そして今も争っていることを正面からテーマにした。
 さらに「安全保障」で、「二十一世紀に向けて日米は早急に安全保障の共通認識と対応を確立しなければならない」とした。そのためには「日本は集団的自衛権の制限をなくすべきだ」と提起し、「新ガイドラインを日米同盟における日本の役割の拡大のステップにするべきだ」「ガイドライン実施に向けて法制度を整備すべきだ」として有事法制制定を要求している。
 この報告書は、米帝のアジアにおける軍事的覇権の再確立のために、米帝の負担を軽減しつつ、日帝を補完的に動員できるところまで動員しきるという新ガイドライン体制の確立を提言している。そのためには、日帝は有事立法も改憲も行い、「日米安保条約の実効性を確保せよ」「新ガイドライン体制を実効性あるものにせよ」と迫っているのだ。その限りでは、日帝の軍事大国化も認めるとさえ言っているのだ。
 ブッシュにしろゴアにしろ、この提言を対アジア、対日政策の基本に据えていくことは確実だ。それは、対日争闘戦の徹底的強化であり、日本とアジアの労働者階級と被抑圧民族人民に対する戦争宣言とも言うべきものだ。
 二九年型世界大恐慌の爆発は、いずれにしろ避けられない。それは、一方で帝国主義による世界の労働者階級人民と被抑圧民族人民への犠牲の押しつけと全世界における戦争のプロセスへの突入を意味している。
 だが、他方で、全世界の大多数を占めるプロレタリアートと被抑圧民族人民の帝国主義打倒の決起を生み出さずにはおかない。
 スターリン主義によって圧殺されてきた世界革命の勝利の時代の到来である。
 日帝はすでに帝国主義の最弱の環として歴史的没落過程に突入している。そこからの脱出をかけた攻撃は凶暴さを増している。だが日帝の政治支配の危機は頂点にまで達しようとしている。
 日帝は帝国主義として延命するために、新安保ガイドライン体制確立の攻撃−臨検法案の強行成立、有事立法攻撃、名護新基地建設と那覇軍港浦添移設の攻撃の激化、教育改革−教育基本法改悪攻撃を凶暴に開始している。これらは、いずれも一切が改憲攻撃として展開されている。
 闘うアジア人民と連帯し、米日帝の朝鮮・中国−アジア侵略戦争を阻止するために闘おう。二十一世紀を労働者階級の勝利の時代とするために立ち上がれ。

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週刊『前進』(1984号5面2)

星野集会 獄中と全国で同時ライブ 再審・奪還へ運動広がる

 一九七一年十一・一四沖縄返還協定批准阻止闘争(渋谷暴動闘争)から二十九年目の十一月十四日、東京・杉並の高円寺会館で、「星野文昭さんを取り戻そう! トーク&パフォーマンス十一・一四集会」が「杉並星野文昭さんを救う会」を中心とする実行委員会の主催で行われ、百人の結集で大成功した。
 この日は同時に、沖縄、徳島、山形、群馬、埼玉でも集会やコンサートが開かれた。
 渋谷暴動闘争で星野文昭同志は、「殺人罪」デッチあげによる無期懲役刑での二十六年目の獄中闘争を不屈に闘っている。
 星野同志の闘いへの共感は、七九年の死刑求刑に対する十二万人の死刑反対署名や、九六年の再審請求以来の全国八カ所での星野救援会発足、五万筆をこえる再審署名など、幅広い層や海外にまで広がっている。
 渋谷闘争の時にはまだ生まれていない、星野同志の闘いを初めて知ったという若い人が多数参加した。星野同志の闘いの階級性と正義性が、今日ますます輝きを増していることを示している。
 集会は、弟の星野修三さんを中心としたパフォーマンスで始まった。
 修三さんが星野同志にふんして、過酷な獄中生活やデッチあげ裁判を再現するシーンでは、星野同志の無実と不屈の闘いがわかりやすく表現された。杉並星野文昭さんを救う会会員のピアノ演奏と歌による゛イマジン゜が流れた。
 さらに、再審弁護団からの異議審の報告と再審勝利への決意が述べられた。
 午後八時ちょうどに「同時ライブ」が始まった。
 獄中の星野同志は全国に向け、東京と全国各地からは星野同志に向けて一斉にメッセージを書き始めた。さらに全国の集会やコンサートの会場を電話でつなぐ「ボイスミーティング」を行った。星野暁子さんが切々と星野救援運動の拡大を訴えた。その声が沖縄、徳島、山形、群馬、埼玉の各会場に同時に流れた。全国からも東京会場に声のアピールが届けられた。札幌の母の美智恵さん、兄の治男さん、関西連絡会からは寄せ書きが届けられた。
 この「同時ライブ」は、獄中、会場、全国が一体となって「星野奪還」をあらためて誓う場となった。
 「再審の勝利と人間的未来を開きましょう。共に」という星野同志からの獄中アピールが紹介された。
 会場には、星野同志が獄中で描いた水彩画と暁子さんの詩で制作された二〇〇一年星野カレンダーとその原画が展示され、元共同被告で免訴(裁判からの解放)を闘う奥深山幸男さんの奥深山農園からの出品もあった。またさまざまな運動体からのビラやパンフが置かれた。
 初参加者からの「今後も星野救援運動で活動したい」という星野同志へのメッセージもあり、新たな運動の広がり、そして゛再審勝利゜゛星野奪還゜へと大きく展望が切り開かれた集会となった。

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週刊『前進』(1984号5面3)

2000年日誌 阻もう! 戦争への動き 11月15日〜21日
 臨検法案が衆院で強行可決 司法改革審が中間報告提出

●参院憲法調査会が再開
参院憲法調査会が半年ぶりに開かれ、評論家の西部邁、佐高信参考人からの意見陳述と質疑を行った。佐高氏は「憲法の根幹は九九条(公務員の憲法尊重擁護義務)。権力者を縛るクサリだ。九条に基づく平和主義は世界に誇るべき財産」などと述べた。(15日)
●米軍横田基地滑走路改修へ 在日米軍基地について協議する日米合同委員会が、横田基地(東京都)の滑走路を全面改修することで合意した。日本側が米軍の作戦行動に直結する滑走路を補修するのは初めて。工事は四十九億円を投じ、来年度から三年間の予定で行う。(16日)
●那覇軍港の市有地の賃貸を表明 那覇市長選に当選した翁長雄志が、七二年の沖縄本土復帰以来、同市が政府との賃貸借契約を拒否し続けている那覇軍港内など米軍基地内の市有地について「契約する方向でやっていきたい」と述べ、従来の方針を転換する意向を表明した。(16日)
●三沢基地でF16訓練再開
 米軍三沢基地(青森県)で、北海道沖の墜落事故以来中断していた同基地のF16戦闘機の飛行訓練を再開させた。三沢市と同市議会は、飛行の一時中止と日米共同演習の中止を求めていた。(16日)
●臨検法案、衆院で強行可決 船舶検査=臨検法案の採決が衆院本会議で行われ、自民、公明、保守の与党三党と民主党などの賛成多数で可決、参院に送付された。(17日)
●民主党「憲法と集団的自衛権考える会」 民主党の「憲法と集団的自衛権について考える会」の初会合が開かれた。同党の衆参両院議員五十六人が参加した。(17日)
●辺野古の騒音測定へ 米軍普天間飛行場の移設問題で、沖縄県名護市が辺野古区など地元三区との行政連絡会議の会合を開いた。名護市は、二十二日から那覇防衛施設局が、辺野古、豊原、久志の三区で、米軍や民間の航空機、車両によって生じる日常の騒音レベルを測定することを明らかにした。(17日)
●名護市長、反対派との対話集会へ 名護市の岸本建男市長が、移設先に隣接する二見以北十区の会など東海岸の反対派住民らとの対話集会を十二月中旬に開くことを決めた。場所は同市瀬嵩の市役所久志支所。日程は十二月十日か十七日かのいずれかで調整する。(18日)
●司法改革審が中間報告
政府の司法制度改革審議会が中間報告をまとめ、内閣に提出した。「司法試験合格者を年間三千人に増員」「ロースクール(法科大学院)構想」「国民の司法参加」などを提言している。来年夏に最終報告を出す予定。(20日)
●日共゛歴史的転向゜大会開く 日本共産党の第二二回党大会が行われた。「社会主義革命」「階級闘争」などが書かれた規約の前文すべての削除と「自衛隊活用」決議などを提案した。(20日)
●「もんじゅ」早期再開求める原子力計画 国の原子力委員会の長期計画策定会議が、「原子力研究開発利用長期計画」をまとめた。「柔軟な対応」をうたいながら、「核燃料サイクル」政策の推進に変更はないとし、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の早期運転再開を求めている。(20日)
●却下裁決を取り消し 米軍用地の強制使用で、沖縄県収用委員会が下した却下裁決をめぐり、那覇防衛施設局が不服審査請求をしていた問題で、建設大臣が収用委員会の裁決を違法とする取り消しの処分を下した。同問題では、収用委員会が地籍不明地に対する国の強制使用手続きの瑕疵(かし)を認め、却下裁決した。建設相の判断を受け、収用委は再度、国から出されている継続使用申請について審議することになる。(20日)
●内閣不信任案否決 野党四党が共同で提出した森内閣不信任決議案は、衆院本会議で、与党の反対多数で否決された。当初、不信任案に賛成すると明言していた自民党の加藤紘一元幹事長、山崎拓元政調会長ら非主流派の多数は欠席した。(21日)
●基地使用協定で初会合
米軍普天間飛行場の移設に伴う代替施設の使用に関する協定を話し合う国、名護市、沖縄県による実務者連絡調整会議の初会合が開かれた。代替施設受け入れを表明した岸本名護市長が設置を求めていた。初回会合では今後の取り組みを話し合った。代替施設の十五年使用期限問題は取り上げられない。(21日)
●15年問題は着工までに
中村正治防衛総括政務次官が、米軍普天間飛行場の代替施設の十五年使用期限問題について「代替施設は位置や工法、規模を決定して着工まで少なくとも五年から十年かかる。その段階までにはある程度めどをつける必要がある」と述べた。政府の担当省庁幹部が具体的に言及するのは初めて。(21日)

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週刊『前進』(1984号5面4)

治安出動演習許さぬ 実力闘争に立つ 11・14 広島 

 広島反戦共同行動委員会は十一月十四日、広島で行われた自衛隊治安出動演習実力阻止に決起した。
 この演習は、日米共同統合演習の一環として陸上自衛隊や海上自衛隊などが推進してきた治安出動演習である。これを「大規模震災対策」と称して、広島県や広島市などを動員して行ったのだ。これは、ファシスト石原都知事の九・三首都治安出動演習と一体の演習であり、いわば「九・三治安出動演習の西日本版」である。
 「安芸灘で大規模震災が発生」という想定で、広島広域運動公園に海田市駐屯地(広島県)や伊丹駐屯地(兵庫県)などから陸自中部方面隊の部隊が集結し、広島湾には海自呉基地所属の輸送艦なども結集した。さらには、広島県庁で陸自が災害時の通信訓練などを行った。
 これは明らかに、新ガイドラインに基づく「朝鮮有事」=「日本有事」を想定した治安出動演習であり、これに自治体労働者を動員しようという攻撃だ。
 広島反戦共同行動委員会は、主会場となった広島広域運動公園に結集、会場入り口を完全に制圧した。
 「自衛隊の治安出動演習を阻止するぞ!」「労働者の戦争動員を許すな!」というシュプレヒコールが会場にとどろき、横断幕と赤旗が入り口に立ち並んだ。
 あわてた広島県警は、機動隊を配置し、県や市の職員に、闘う労働者・学生を排除させようとしたが、「これは明らかに自衛隊の治安出動演習だ。再び戦争をくりかえすまい、朝鮮・アジア人民虐殺を許さない、という思いにかけて中止を申し入れる。県も市も戦争協力、治安出動への協力をやめよ」という真剣な抗議の前に、警察権力の目論見(もくろみ)は完全に粉砕された。
 こうした中、自衛隊車両が入場しようとした。反戦共同行動委員会の学生や労働者は、この自衛隊車両に肉薄し、断固たるシュプレヒコールをたたきつけた。
 十一・一四自衛隊治安出動演習は、広島市民からの事前の抗議や申し入れ、さらに反戦共同行動委の実力闘争で、治安出動演習としての本質が暴かれ、大衆的な怒りの的となった。

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週刊『前進』(1984号6面1)

今なぜ「参政権法案」なのか
 差別・排外主義を許さず侵略戦争−改憲と闘おう
 佐久間 祐

 戦争と世界恐慌の爆発の危機の中で、日帝・森自公保連立政権は改憲攻撃と資本攻勢を全面的に強め、労働者階級人民に矛盾と犠牲を集中している。今臨時国会では、船舶検査=臨検法案を始めとする反動法案の強行突破を狙っている。「参政権法案」もその一つである。参政権法案は労働者人民を差別と排外主義の道に引き込み、侵略戦争に動員しようとするものであり、同時に在日朝鮮人・中国人を侵略翼賛勢力として形成しようとする攻撃である。改憲・有事立法阻止闘争の重要な柱として参政権攻撃との闘いに取り組もう。石原慎太郎を先頭とする右翼・ファシストとの闘いを全力で推し進めよう。

 国籍条項撤廃の一環としての参政権要求

 参政権問題を考える前提として、この問題の二つの流れについてはっきりとさせたい。
 第一は、入管闘争の重要な課題として闘いぬかれている国籍条項完全撤廃の闘いの一環としての参政権要求闘争という流れである。
 そもそも参政権問題は、在日朝鮮人の権利要求闘争の一つとして闘いぬかれてきた。
 国籍条項撤廃闘争の頂点をなす参政権要求の闘いは、戦後の在日運動の中で紆余(うよ)曲折がありながら在日の要求として引き継がれてきたものである。
 この闘いの地平として一九九五年二月二十八日の最高裁判決がある。この裁判は、在日朝鮮人十一人が、選挙人名簿に登録されていないことに対して選挙管理委員会に登録を要求したことが却下されたために、その却下の取り消しを求めて提訴したことから始まった。大阪地裁の一審判決後上告し、この判決となった。
 判決は傍論部分で、永住しているなど地方自治体と特に密接な関係がある在日外国人の場合は、「その意思を地方行政に反映させるために、法律によって首長や議員の選挙権を与える措置を講じることは、憲法上、禁止されていない」との判断を示した。この最高裁判決をテコとして参政権要求の闘いは高まっている。
 第二の流れとして、今日の国会における参政権問題がある。これは在日人民の参政権要求の高まりを逆手にとって、在日人民をガイドライン体制のもとに組み敷き、戦争翼賛勢力に組み込もうとする許し難い攻撃である。さらに、朝鮮半島をめぐる日米争闘戦の激化の中で、南朝鮮・韓国の取り込みをはかる日帝の攻撃でもある。
 九四年十一月、さきがけ島根県支部が定住外国人に地方参政権を認める公職選挙法改定案を発表したことが大きな契機となった。
 本稿では、日帝が政治攻撃として推し進めている参政権問題の本質を暴露するものとして提起していきたい。
 参政権法案とは正式には「永住外国人地方選挙権付与法案」と言われており、特別国会で今年七月に公明・保守二党の提案として提出され、今臨時国会で継続審議となっている法案のことである。
 もともと昨九九年の自民・自由・公明三党連立政権発足の際、政策合意した。また金大中の九月訪日の際には、日帝に年内成立を強く求めた。
 今国会で継続審議となっている参政権法案は、今年一月二十一日、公明・自由二党の共同提案として出されたもの(六月衆院解散で廃案)を基本的に踏襲している。この公明・自由党案は徹頭徹尾差別・分断的な内容であり、断じて認めるわけにはいかない代物であった。
 第一に、外国人の中で永住権(永住権・特別永住権)を持つ人に限定し、その他の永住・定住者は排除していること。第二に、地方参政権のうち選挙権のみを認めるとしていること。さらに第三に、二十歳以上の永住権を持つ人で、選挙人名簿への登録を希望する人にのみ与えるとしていること。こうしたことに加えて決定的なのは、外国人登録原票の国籍欄に国名が記載されている人に限定していることである。すなわち「朝鮮」と記載されている人は対象外に置くということであり、徹底的に朝鮮籍者を排除することをとおして分断支配を強めようというものであった。
 今年七月に「朝鮮籍排除」条項を削除し、「永住・特別永住者」を対象とした新法案を公明・保守二党で提出した。

 排外主義暴論の嵐と対決し森政権打倒を

 九月からの臨時国会で参政権の対象をどうするのかをめぐって、差別・排外主義の大洪水、排外主義暴論の嵐(あらし)とも言うべき論議が交わされた。
 その中で野中は「強制連行された外国人とその子孫に限定する」案を出したが、これを機に排外主義的暴論が相次ぎ、「特別永住者に限定する」という野中案の表現を変えた修正案が出された。公明党は、「特別永住者に限定した上で法案を成立させ、その後一般永住者にも広げる」方針で野中案を受け入れる方向を示した。
 現在のところ、この論議はいったん沈静化しているが、来年一月の通常国会で本格的論議の場が設定されれば、今以上の排外主義の扇動が行われるのは火を見るよりも明らかである。
 日帝は、参政権問題と称しながら、かつてないような排外主義的論議を意図的に沸騰させ、愛国主義と国益主義のもとに労働者人民を組み敷こうとしているのである。
 差別と排外主義の温床となっているのが自民党選挙制度調査会である。
 公明・保守による提案以降、自民党内部から猛然たる反対の声が噴出し、同時に『諸君』や『正論』、産経新聞などが一体となって排外主義キャンペーンを展開している。さらにインターネット上でも怒りで身が震える、おぞましい差別言辞が振りまかれている。
 九月二十一日、六十四人の国会議員が「外国人参政権の慎重な取り扱いを要求する国会議員の会」を結成、奥野誠亮が代表となった。同会は九月二十九日には国籍取得要件の緩和に向けた案作成の方針を打ち出した。
 九月二十六日、自民党内反対派が「法案成立阻止」決起集会を開き、米田建三、平沢勝栄、高市早苗など名うての極反動が排外的言辞を吐いた。
 九月二十八日の自民党選挙制度調査会での議論は排外主義的な反対論が続出した。反対・慎重論十五人に対し、賛成は三人、会長の中山正暉は「今国会中の意見集約は困難」との見通しを表明した。
 「憲法上、選挙権は日本国民だけに与えられている。周辺事態や安全保障問題も考える必要がある」(高市早苗)、「国家の根幹に関わる大事な問題を『三党合意だから』といってやるのはおかしい。国と地方の参政権は分別できない」(平沢勝栄)、「他国におもねって土下座することで、海外に尊敬されるというのはとんでもない間違い」(木村義雄)などなど。
 そして結論的には「帰化の条件を緩めてはどうか」(村上誠一郎)。怒りなしには読むことのできない主張である。
 こうした声を集約したものとして与謝野素案がある。これは、与謝野馨が調査会会長の座にあった六月に作成したもので極秘扱いになっていたのだが、産経新聞が反対キャンペーンの一環として九月二十九日に公表した。(与謝野自身は先の衆議院選挙で落選)
 素案の主張は詰まるところ、「外国人の地方参政権問題は憲法上問題がある」ということであり、公務員の国籍条項と同じく「当然の法理」なる内閣法制局見解を持ち出して憲法違反だと強弁しているのだ。
 国会をめぐる政治の動きと一体になってマスコミでも外国人参政権反対論が叫ばれている。佐藤欣子(弁護士)は産経新聞のキャンペーンの中で「日本の国籍を希望せず、本来の国籍を失うことを拒否しているならば、その外国人に国民の基本的権利の中で最も重要な参政権を、軽々しく与えることは不当かつ危険」「日本をうらんでいる『永住外国人』に日本の参政権を与えることは日本を分裂させる契機となる」など在日人民への憎しみに満ちた感情的発言をしている。
 櫻井よしこを始め反対キャンペーンで論陣を張る輩(やから)の主張は「選挙権をほしければ日本国籍を取れ。そのために帰化条件の緩和などの対策をとる。それでも日本国籍をとらない人は選挙権はあきらめろ」というものであり、在日朝鮮人・中国人の存在と歴史性を全く踏みにじった暴論である。
 朝鮮・中国植民地支配と強制連行、そして戦後の経緯のどこをとっても在日人民が民族的あり方を貫く主体的選択の余地などどこにもなかったではないか。「強制連行などで日本にきた朝鮮人はほとんどが帰国しており、大部分が自らの意思で日本に踏みとどまった人と、自らの意思で日本にやってきた人だ」「在日の人々は国際社会の普通の゛外国人″より有利な『特別永住者』といわれる地位を得た」(櫻井よしこ)。こんな歴史のねつ造を断じて許すことはできない。

 日本国籍取得を「踏み絵」に侵略翼賛化

 参政権問題を歴史的に見てみよう。一九二〇年代において、朝鮮人の選挙権について、特に親日派の中で要求が高まっていったが、二五年の普通選挙法の施行以後は、親日派はもとより当時の在日社会全体の要求として押し上げられてきていた。被選挙権も駆使して立候補する人もいたが、多くは労農党の選挙応援にはせ参じていた。
 一九三二年の第八回総選挙以来、のべ十二人の在日朝鮮人が立候補したが、その中で、二度にわたって当選を果たしたのが朴春琴である。東京の本所・深川の選挙区から立候補した朴春琴は、もともと親日派右翼「相愛会」の幹部で、闘う朝鮮人に対して日帝の手先となって襲撃を繰り返していた輩である。朴の選挙応援にはかの三・一独立運動の弾圧者、水野錬太郎や赤池濃がかけつけ、朝鮮総督だった斉藤実も演壇に立った。こうして議席を獲得した朴は、徹底的に親日派として日帝の「内鮮融和」の代弁者として侵略翼賛活動の先頭に立った。
 今日、日帝は、参政権要求に対して、日本国籍取得を踏み絵として掲げ、第二の朴春琴になることを迫っている。日帝のガイドライン体制のもとで、すべての人民が戦争に協力するのか否かが問われている情勢で、入管体制の戦時再編と不可分の攻撃として在日朝鮮人・中国人の侵略翼賛化を狙っているのである。
 敗戦後、日帝はすぐに衆議院選挙法の改正に手を着け、四五年十二月十七日、改正衆議院選挙法が成立、附則で「戸籍法ノ適用ヲ受ケザル者ノ選挙権及被選挙権ハ当分ノ内之ヲ停止ス」として在日の選挙権を剥奪した。この時期、在日朝鮮人・中国人は日帝の都合によって日本国籍者とされたり、戦勝国人民と規定されたりして、さまざまな民主主義的権利から除外された(見なし規定と呼ばれる)。こうした状況は基本的に五二年四月二十八日サンフランシスコ条約発効の時まで続いた。
 このような日帝の動きに対して、在日朝鮮人は在日朝鮮人連盟(朝連、四五年十月)を結成し、生存権を守る戦闘的闘いを開始していた。当然ながら選挙権・被選挙権についても要求していった。この闘いは、朝連の団規令による強制解散後も引き継がれていくが、五五年の朝鮮民主主義人民共和国外相南日の声明後、在日朝鮮人総連合会(総連)は参政権要求運動は重大な「誤り」として総括し、以後今日までその路線を踏襲している。
 戦後憲法制定時において、在日の利害を貫く階級関係を形成できなかったが故に、憲法上での諸権利はすべて「国民」と規定されてしまった。戦後革命期におけるスターリン主義の反人民的路線を徹底的に断罪しなければならない。

 すべての在日外国人に政治的権利認めよ

 参政権問題に対するわれわれの立場をあらためて確認しよう。
 すべての永住・定住外国人に選挙権・被選挙権を含めた政治的権利を基本的人権として認めるべきである。
 参政権問題は戦後、在日朝鮮人・中国人を中心とする入管闘争、入管法・外登法反対の闘い、国籍条項(民族差別)との闘いの前進が生み出した一切の到達物、成果を侵略・翼賛体制の中に引きずり込もうとする攻撃である。
 とりわけ、坂中路線に対する在日朝鮮人・中国人の怒りは、日帝に大きな焦りを生み出し、参政権問題をテコとして日本国籍強要の攻撃を一挙的に強めようとしている。高市早苗は「帰化条件の緩和」の内容として、審理期間の短縮と「軽微な交通違反など」について不問にするなどの方向を打ち出している。坂中の「在日朝鮮人・中国人消滅」論では日帝にとって遅すぎるということなのだ。強制的に日本国籍を押しつけるということなのだ。
 日帝の帝国主義的危機の深まりの中で、在日朝鮮人・中国人を始めとする在日外国人に対する差別・抑圧、分断・同化・追放の攻撃はますます強まっており、暴力的に襲いかかろうとしている。改憲・有事体制の攻撃の中で、改憲論議の一つの形態として参政権問題が突き出されている。
 参政権問題は、日帝のガイドライン=戦争攻撃そのものであり、改憲攻撃そのものである。在日朝鮮人・中国人を始めとする在日外国人をガイドライン体制のもとに組み込む一大攻撃である。
 われわれは、あらためて「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」という戦略的総路線の全面的発展をかけて参政権攻撃と闘っていかなければならない。「明治」以降の日本帝国主義と朝鮮、中国との関係、日本プロレタリアートと朝鮮人・中国人との関係の総括をかけた七・七路線こそ、その闘いの神髄であることをはっきりと確認しよう。石原を先頭とする右翼・ファシストの排外主義攻撃と全面的に対決しよう。

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週刊『前進』(1984号6面2)

「沖縄イニシアチブ」批判 〈上〉
日本国家の利害に従属させた「沖縄の主体性」
 前田 智  

 マル学同中核派沖縄県委員会の前田智同志の論文「日帝国家権力の立場に立ち、新たな沖縄戦への道を積極的に肯定する『沖縄イニシアチブ』を徹底批判し、粉砕せよ!」を抄録します。(編集局)

 その逐条的批判

 「『沖縄イニシアチブ』のために―アジア太平洋地域の中で沖縄が果たすべき可能性について」と題する「提言」は、今年三月に前首相・小渕も出席して那覇市内で開催されたアジアパシフィックアジェンダプロジェクト「沖縄フォーラム」で琉球大学の高良倉吉(歴史学)、大城常夫(経済学)、真栄城守定(経済学)の三人の教授が討議用として共同発表した論文である。
 この論文の核心は、沖縄闘争が体制的な枠組みを超えて前進しようとしていることに対する日帝支配階級と同じ恐怖感の表明というところにある。つまり、日帝の沖縄圧殺攻撃に対して、日帝の先兵としてこれに沖縄の側から呼応して闘いの陣形を破壊し、日帝の攻撃を貫徹しようということなのである。
 したがって、「沖縄イニシアチブ」との闘いとは、この提言自身になんらかの力(説得力)があるというのではなく、これが帝国主義の物質力と貫徹力をもって沖縄の闘いの破壊を狙ったものとしてあるという意味で、日帝との闘いの一環として重要な意味を持つということである。
 日帝の沖縄圧殺攻撃が貫徹しないという日帝にとっての沖縄問題の解決不可能性(したがって問題の深刻さ)を、この「沖縄イニシアチブ」は表しているといえる。
 それは、この提言の第三章第四節の「二つの碑文」が象徴的に表している。この執筆者たちは沖縄に、「ここに日本尽き、アジア始まる」「ここにアジア尽き、日本始まる」の碑文を建立しようとしていた。しかしそれは、欧州大陸最西端のポルトガル・ロカ岬の「ここに陸尽き海始まる」の猿まねであり、そもそも日本もアジアではないのか、という批判に対して動揺し沈黙している姿に示されている。
 「沖縄イニシアチブ」が「アジア太平洋地域の中で沖縄が果たすべき可能性について」と言いながら、実は「日本にとっての沖縄」という立場で執筆され、「日帝のアジア侵略の肯定」という日帝の立場に立った執筆者たちの姿を浮き彫りにしている。
 われわれは、現実の沖縄闘争の発展を自らつくり出していくための闘いの一環としてこの「沖縄イニシアチブ」を怒りを込めて徹底批判しなければならない。
 この提言は、1提言の趣旨、2「歴史問題」、3「沖縄イニシアチブ」の発揮、という構造になっている。
 以下、各章ごとに、この提言のポイントとその批判を展開することにする。

 「1提言の趣旨」

 「近代・現代における日本の国家が東京を唯一中心とする強力なガバナンスを保持し続けている限り、沖縄は自らの輝きを自由に、しかも主体的に発揮する機会を与えられてこなかった」
 「過去におけるわが国政府の最大の過失は沖縄の位置付けを国内論理でのみ処理してきたことであり、沖縄が担うべき可能性をアジアを含む視野において検討してこなかった点である」
 「このような事態が続くことは、当の沖縄にとってはもとより日本の国家にとっても大きな損失だといえる」「……日本社会の一員としての自己の創造的役割を定義すること」がこの章の趣旨である。
 この提言のポイント、つまり執筆者たちの意図は、日本帝国主義の立場に立って、沖縄の「自己再定義」を行うということである。『アジアにおける沖縄の位置と役割』というこの提言のタイトルや、「沖縄の主体性の発揮が押さえられてきた歴史と現実」と言いながら、その結論は、「……日本社会の一員としての自己の創造的役割を定義」しないと「日本の国家にとっても大きな損失」であるという展開のペテンである。
 つまり沖縄の主体性と言いながら、これを実は踏みにじり日帝の利害に徹底的に従属させるということである。そもそも、日帝の利害と「沖縄の主体性」が両立することがありうるのか、つまり日帝と沖縄との関係はいかなる関係なのか。
 第一には、日帝の歴史は「明治維新」以降、絶えざるアジア侵略と侵略戦争の歴史としてあり、したがって当然にも、この「明治維新」直後からの日本帝国主義の沖縄政策は、このアジア侵略と侵略戦争と表裏一体のものとして展開されてきたのである。
 当時の明治政府は「琉球処分」を強行したが、これはほぼ同時期に強行されたアイヌ民族への侵略と差別、同化・抹殺政策とともに、日本帝国主義の朝鮮・中国(当時は清)―アジアヘの侵略戦争への準備という側面と、それ自身が朝鮮・中国―アジア侵略戦争そのもの(その開始)といえる側面を併せ持っていたといえるのである。
 第二に、したがって沖縄に引きつけていえば、まさに日帝の朝鮮・中国―アジア侵略戦争(台湾植民地化から朝鮮植民地化を経て中国への全面的な侵略・侵略戦争)と表裏一体のものとして「琉球処分」は強行されたのである。日帝は沖縄を対外関係的接点として、ここをアジア侵略の最前線基地と位置づける政策を一貫して追求し、同時に、その観点で、独自性をもって存在していた琉球問題(=沖縄問題)を「国内問題」として「解体」「処理」して日帝の内部に組み込もうとしてきたのである。
 したがって、日帝の沖縄政策には沖縄人民の生活や権利といった問題はまったく措定されず、それはまさに「処分」という表現に表されるように、初めからきわめて帝国主義的強権的・抑圧的・差別的な形態・内容において、ブルジョア的民族統合が強行され、この強権的・抑圧的・差別的な形態・内容が繰り返し再生産される過程として、展開されてきたのである。
 それは「琉球処分」に始まり、戦前の「皇民化教育」から「捨て石作戦」としての沖縄戦、米軍支配から七二年のペテン的「返還」、そして今日に至るまで一貫している。

 日帝の沖縄政策

 第三に、日帝の沖縄政策は、まさに日帝が日帝であるかぎり必然的に取らざるを得ない政策として戦前―戦後を一貫して貫いているものであり、「わが国がアジア太平洋地域に属する責任ある主体としての役割をより発揮」とは日帝の新たなアジア侵略と侵略戦争である以上、日帝にとっての「沖縄の再評価とその活用方法に関する問題」とは、沖縄をアジア侵略の最前線基地と位置づけ、その観点での「国内問題」として沖縄を「処理」するということになる。
 したがって、もし日帝の利害と「沖縄の主体性」が両立することがありうるとするならば、沖縄が「主体的」に日帝のアジア侵略戦争の先兵となることしかありえない。この提言が沖縄人民に要求していることは、日帝のアジア侵略戦争の先兵になることであり、まずこの執筆者たちがそのことを宣言しているのである。

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