ZENSHIN 2000/12/11(No1985 p08)

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週刊『前進』(1985号1面1)

革共同の12月アピール
石原改憲発言・臨検法成立弾劾 12月国労続開大会策動許すな
JR総連=カクマルを打倒し21世紀へ革命的労働者党建設を

 十月国労大会決戦と十一月労働者集会の大成功の地平にしっかりと立ちきり、十二月国労続開大会策動を粉砕するために決起しよう。闘う労働者は資本との攻防に猛然と決起し、その中心環をなす国鉄決戦に総力を結集して勝ち抜こう。自民、公明、保守の三党と民主、自由、社民、日共など全野党の翼賛のもと、船舶検査=臨検法案を始め反動諸法案が審議らしい審議もなしに採決された。この翼賛国会を怒りをもって弾劾する。改憲−有事立法・教育基本法改悪を阻止する陣形を構築しよう。十一・三〇石原弾劾・憲法調査会闘争、十二・三三里塚現地闘争の地平を引き継ぎ、十二・二三沖縄・名護集会の成功をかちとり、日帝・森政権打倒、安保・沖縄闘争の発展を切り開こう。一切の力を党建設に集中しなければならない。年末一時金カンパ決戦を不屈にやり抜こう。機関紙拡大・党勢拡大に猛然と取り組もう。獄中同志を奪還しよう。革命の二十一世紀へ、この一カ月渾身(こんしん)の決起をもって突き進もう。

 第1章 米帝の政治支配危機と国際階級闘争激化

 世界史的激動が到来した。帝国主義はその全矛盾を爆発させるに至った。日米欧の帝国主義が争闘戦を激しく展開し、戦争と大失業攻撃が労働者階級を襲っている。それに対して全世界で労働者階級の決起、民族解放闘争が巻き起こり、新しい歴史の扉が開かれようとしている。
 アメリカ大統領選挙の混迷は重大な歴史的事態である。大統領が決定できないまま投票から三週間以上が過ぎ、最強の帝国主義として世界に君臨してきたアメリカ帝国主義の国家としての成り立ちそのものが不安定化している。米帝を取り巻いている内外の情勢からしてとてつもない危機である。
 その根底には、ブッシュ、ゴアのいずれも、労働者人民が支持すべきものは何もないということがある。労働者階級は過酷な資本攻勢のもとで労働と生活をめぐって苦しみ、米帝権力と労働者人民との非和解的対立は激しく爆発しつつある。投票率五〇%にとどまり、無党派層が三〇%にも達していることが、まさに両政党への人民の「ノー」なのだ。その同じ原因が、大統領を決定できない票の結果となっている。ブッシュ、ゴアのいずれが大統領になるにしても、信認なき大統領として国内政治支配および世界支配の危機は不可避である。
 二十世紀の全問題が行き着くところまで行き着いて、経済的危機を基底においた戦後帝国主義の支配体制の全矛盾が、ついに世界帝国アメリカの政治支配の破綻(はたん)として顕在化しているのである。

 29年型世界恐慌切迫

 世界大恐慌の本格的な爆発が切迫している。九七〜九八年に始まるアジア経済危機を発端とする二九年型恐慌過程への突入は、世界経済の破局に向かって確実に動き出した。
 二〇〇〇年は超バブルを極めてきた米帝経済がその崩壊へと突入する年となった。四月暴落と九〜十月急落を頂点として株価下落が繰り返され、その頻度と大きさにおいて画期的な過程に入った。
 危険水域に入った米帝バブルを一層バブル化させてきたハイテク株が、収益鈍化やインターネット取引企業の相次ぐ経営破綻を受けて軒並み売られ、ナスダックが急落を繰り返し、十一月二十八日、ついに前日比一四五・五一ポイントの大幅安となる二七三四・九八で取引を終え、年初来安値を更新した。ダウ平均もこの間下落を繰り返している。
 米経済の減速傾向が鮮明となってきたのである。実質GDPの伸び率(前期比年率)は四―六月期五・六%から七―九月期二・四%に低下し、設備投資は年前半の年率二〇%前後から七―九月期七・八%に低下している。
 労働力逼迫(ひっぱく)情勢は一層強まっている。また、原油価格はここ二年で三倍以上に高騰している。さらに、ユーロ安は底割れの様相を呈しており、それが米帝経済への打撃となって跳ね返っている。
 米帝経済のこの間の景気拡大は、労働者階級への一大資本攻勢による賃金低下、権利剥奪(はくだつ)を基礎としているが、その足元からストライキ闘争が激化している。
 全産業的にストライキが闘われている。ハイテク産業の全米通信労働組合(CWA)に所属する三労組、九万人がこの八月六日から十八日間のストを行い、向こう三年間で一二%の賃上げ、一四%の年金給付総額など労組側の要求をほとんどすべて満たす労資の暫定協約合意をもって八月二十三日に終結した。
 政治危機と経済危機が絡み合う中で、米帝は一層激しい他帝国主義への争闘戦的対応と一大資本攻勢の激化に向かおうとしている。それは全世界を戦争の道へと引きずり込んでいくことになる。

 南朝鮮労働者の決起

 南朝鮮労働者階級は嵐(あらし)のような決起のただ中にある。
 十一月二十六日、民主労総と韓国労総の公共部門十一労組・二万五千人が「公企業の民営化阻止」のための闘争を繰り広げ、二十九日には民主労総傘下の建設産業連盟がゼネストを決行、十二月五日には韓国労総と民主労総が合意どおり、共同ストライキに突入しようとしている。韓国電力の労働組合は分割・民営化反対のストライキを掲げ、激しい攻防の中にある。
 この南朝鮮・韓国の労働者階級の決起は、日帝の新植民地主義的侵略・収奪との決死の闘いである。
 「年内締結」をも策動されている日韓投資協定や日韓自由貿易協定による日本企業の進出は、労働者階級に過酷な労働条件と収奪をもたらすのみである。日本企業進出の制約除去を目的とする労資紛争解決のための外国人投資オンブズマン制度はそのテコである。
 日帝は戦争のできる国家へと飛躍し、経済的権益を守るため南朝鮮労働者階級に銃剣を突きつけようとしている。この時、日本プロレタリアートは、いかなる態度を求められているのか。七・七路線と国際主義で武装して日本労働者階級の決起をかちとろう!

 第2章 日共の転向を弾劾し改憲阻止闘争爆発へ

 明白な国家的不当労働行為である「四党合意」粉砕の国鉄決戦は、一大資本攻勢と闘っているすべての労働者階級の最大の決戦である。国鉄決戦は、日本労働運動の歴史を決する決戦である。それが再び十二月続開大会をめぐる激突として煮つまっている。
 政府のデタラメな「追加情報」と卑劣な恫喝によって、「『四党合意』をすべての関係者が受け入れるよう促す」という反動的な勧告をILO理事会が採択した。しかしこれは、「第九八号条約に規定される反組合的な差別行為に対する保護の保障」と矛盾してしまっている。この勧告は、政府権力と国労本部の策動によって歪曲されたものである。勝利の核心は、あくまで「四党合意」絶対拒否を貫くことにある。
 政府と国労本部によって歪められたILO勧告によって、闘う国労闘争団の決意を弱めることはできない。何がなんでも国鉄闘争を破壊しようとする政府権力、それに完全屈服した国労中央の反労働者性を暴き出し、不屈の国労闘争団・家族を先頭とする組合員と固く連帯して「四党合意」を粉砕せよ。
 定期大会で示された闘いの息吹を全国鉄労働者の中に持ち込み、「四党合意」を完全に葬り去る続開大会決戦に勝利しよう。国労本部の裏切りを許すな。執行部は総退陣せよ。闘う新執行部を闘いとろう。労働委員会闘争を全力で支援しよう。

 日帝政治支配の危機

 国鉄を始めとする労働運動の決戦化は日本経済の未曽有(みぞう)の危機を背景としている。
 「景気回復」の政府の空宣伝にもかかわらず、国内景気の展望はますます絶望的である。米帝経済とアジア経済の減速やユーロ安による輸出の鈍化は、日本経済を直撃している。最近の情報技術(IT)関連製品の需要の低下は経済危機の大きな要因となっている。東京株式市場は、この十月、十一月と損益分岐点といわれる日経平均一万五千円割れを繰り返している。
 日本帝国主義は、「このまま行けばつぶされる」という死の苦悶(くもん)にのたうちまわっている。森内閣不信任決議案をめぐる自民党の破産的事態は、すでに数年前から単独では政権を実現できなくなっている自民党支配が、日本経済の出口のない危機の深化と日米争闘戦の重圧に耐えられなくなって、ついに瓦解(がかい)の過程に突入しつつあるということなのである。
 結局、コップの中の嵐に終わった今回の茶番劇をとおして、人民の自民党支配への不信と怒りは何倍にも増幅している。日帝の一層の政治危機は不可避だ。
 日帝の激しい一大資本攻勢が労働者階級に襲いかかっている。それは、資本主義の矛盾の爆発であり、帝国主義・資本主義を打倒するプロレタリア革命によってしか解決しない。資本主義は労働者階級を食わせることができないのであり、歴史的に生命力を失ったのだ。労働者階級は生きるためには闘わなければならない。既成の労働運動指導部が資本攻勢の先兵となっている中で、至る所で闘いは巻き起こりつつある。
 この中で国鉄決戦は戦闘的労働運動の基軸として大きな牽引(けんいん)力を発揮している。動労千葉の階級的な原則性、路線的高さ、団結力、戦闘力が全国鉄労働者に闘う道を示している。国労闘争団・家族会の闘いが広範な共感と連帯の輪を広げている。一つの組合の闘争、個別の闘争が世界史をも揺るがすような位置と意義をもつに至ったのである。

 改憲にさおさす野党

 同時に、政治闘争が重大な段階に入っている。船舶検査=臨検法は、三十日参院本会議で可決・成立した。日帝の戦争体制構築の一大エスカレーションである。憲法を完全に踏み破ったこの攻撃が、ろくな討議もせずにすんなり国会を通過してしまうという、恐るべき事態だ。国会が完全に総翼賛化している。労働者階級を戦闘的に決起させ指導する左翼政党が存在しなくなったことが、深刻に突き出されているのである。
 民主党は野党という立場をペテン的に使って、改憲派の急先鋒として登場することで延命しようとしている。
 日本共産党は、第二二回大会で、「有事の自衛隊活用」路線を決定し、改憲派への完全転向を鮮明にした。国家の危機に際しては自衛隊を活用するということは、帝国主義の侵略戦争の論理を百パーセント認めたということである。また、党規約を改定し、「労働者階級の前衛政党」という規定を投げ捨て「国民の党」とした。それは、「資本主義の枠内での改革」の道を「究極目標」としたということであり、帝国主義支配階級の側への完全な移行であり、歴史的大転向である。反戦の闘い、資本との闘いの場に日本共産党は圧殺者として真っ向から現れるということである。
 高田隆志同志著『日本共産党―改憲派への転向』で武装し、日本共産党打倒へ闘おう。
 帝国主義戦争に対する労働者階級人民の立場は、自国政府の敗北を望み、戦争がもたらす支配の危機を革命に利用し、帝国主義を打倒する以外にない。その立場をもたないすべての政党は、「革新」を名乗ろうとも屈服しかない。革命的祖国敗北主義の立場を堅持して闘っている党、それは唯一革共同のみである。
 その中で、石原のファシストとしての反米国粋主義的突出が情勢の一要素として登場していることを労働者階級は絶対に過小評価してはならない。石原は「『アメリカ信仰』を捨てよ」なる本で、きわめてデマゴギッシュな手法を駆使して反米主義を絶叫している。さらに十一月三十日の憲法調査会で、石原は「憲法は国会で否定していただきたい」と憲法破棄を公然と扇動した。
 日帝・森政権は、石原・ファシストをバネとして、侵略戦争を実行できる国家への絶望的「飛躍」へと突進している。今や有事法制、教育基本法改悪、改憲へと突き進んでいる。改憲阻止決戦への日本階級闘争の突入ということの重大性をしっかりと確認し、総決起しよう。

 分裂カクマル打倒へ

 カクマルは、ついにカクマルとJR総連カクマルとの大分裂に突入し、のたうち回っている。二十数年におよぶカクマル=JR総連解体の戦争と闘争がつくり出した実に素晴らしい事態だ。これからの階級闘争の展開全体にとって画期的なことがらである。
 十一月三日にカクマル大幹部・木下宏(西条武夫)が陣頭指揮に立って、坂入充(南雲)を拉致・監禁、それに対しJR総連が警察権力に告発状を発し、それをまたカクマルが『解放』紙上で弾劾するという事態の展開は、カクマルとJR総連が分裂し、全面抗争に突入したということである。
 これは、五月テーゼ−一九全総−二〇全総路線とその物質化の闘いが引き寄せたものである。革共同は九五年の一九全総第二報告において、「大失業時代の到来と革命的共産主義運動の階級的任務」を解きあかし、カクマルの反革命路線を暴露して次のように宣言した。
 「カクマルのこのたくらみは絶対に成功しない……二〇〇〇万人の首切り賛成、軍需産業推進賛成、ナチス経済政策賛成=戦争賛成=憲法改正賛成といっておいて、゛それでも私どもは革命的左翼です゜などということはどこでも、誰にでももはや通用しないということだ。……この新しい路線は党としてのカクマルそのものの分裂、四分五裂を必ず引きおこすものになる」
 今やこの宣言が完全に現実のものとなったのである。
 日本帝国主義・支配権力は、日本共産党スターリン主義とファシスト・カクマルを使って労働者人民の決起を抑え込んできた。カクマルの危機の全面的爆発は、その重しが取り払われるという重大な意義をもっている。
 今こそ、JR総連=カクマル完全打倒へ総決起する時である。
 真の革命党の建設は、プロレタリアートが歴史的決起を開始した全世界の革命運動にとっての重大課題である。
 日本において、耐え難い資本への怒りと帝国主義の改憲攻撃を頂点とするあらゆる反動への危機感が満ち満ちているにもかかわらず、階級闘争がなぜ爆発的決起に転化しないのか、あまりにも明らかである。革共同の強大化以外に階級的危機を突破する道は存在しないのである。
 反帝国主義・反スターリン主義の革命的綱領をもち歴史的に経験を蓄積して鍛えられてきたわが革共同の存在は決定的である。日本における党建設の革命的突破は国際的な意義をもっている。その自覚にしっかりと立って、歴史的要請にこたえる党建設の大前進をかちとろう。

 第3章 年末の実践的課題の中心は大カンパ闘争

 今日の情勢は、国際的にも、国内的にも、レーニンが一九一五年に『第二インターナショナルの崩壊』の中で述べた革命的情勢の特徴と規定したとおりの情勢が訪れつつあるのである。革命的情勢についてのレーニンの提起はリアルで奥深いものである。その中でレーニンは次のことを強調している。
 「およそ革命的情勢があれば必ず革命が起こるというわけのものではなく、ただ、つぎのような情勢からだけ、すなわち、右に列挙した客観的変化に主体的変化がむすびつくばあい、つまり旧来の政府を粉砕する(またはゆるがす)にたる強力な革命的大衆行動をおこす革命的階級の能力がむすびつくようなばあいにだけ、おこるものだからである」
 この提起をわれわれは、今こそ真剣に検討し、実践しなければならない。ここに言う「政府を粉砕する(またはゆるがす)にたる強力な革命的大衆行動をおこす革命的階級の能力」とは、党の建設を媒介として初めて実現することができるものである。

 党建設に勝利しよう

 二十一世紀の展望を開く核心は、真の革命党の建設である。
 われわれは、革命的な時代認識を確立し、衆院選、沖縄サミット、国鉄決戦の三大決戦を統一的に闘い抜き、「労働者階級の中へ」を党を変革しつつ猛然と実践した。このことによって二〇〇〇年の勝利は切り開かれた。その基礎として、マルクス主義の復権のためのイデオロギー活動の大きな前進が成し遂げられた。それは日本共産党の反労働者性を突き出し、ついにカクマルとJR総連の大分裂をつくり出した。
 この勝利を苦楽をともにして闘い抜いてきた同志、支持者、闘う仲間たちの一致した熱望は、強大な革命党の建設である。質的=量的、量的=質的により強化した党を建設しなければならない。われわれは、綱領、路線、イデオロギー、政治指導の高さによって、階級闘争の主要な決戦場で実際に責任を持つ勢力となってきている。それらをさらに一層強化しなければならない。同時に、今や党建設の闘いを、量的な面で一段階を画するような突破を成し遂げなければならない。それを意識的・計画的に遂行しなければならない。
 実践方針は、第一に、年末一時金カンパ闘争の貫徹である。この闘いは、真に死活的である。
 このカンパ闘争には、一つに国鉄決戦を軸に戦闘的労働運動の防衛と発展がかかっている。二つには、三十年間の大戦争を労働者人民とともに闘って、ついにカクマル=JR総連の大分裂をもたらしたことを踏まえ、カクマル完全打倒を強力に推進するために必要なのである。三つには、国政・都議選へ挑戦し、自民党政権打倒へと攻め登るために必要なのである。来年の都議選では、絶対に結柴誠一氏の当選をかちとらなければならない。四つには、改憲反対、戦争への道を阻止する全労働者階級の決起をつくり出すために絶対的に必要なのである。
 第二に、機関紙拡大闘争を不屈に展開し、党勢を拡大することである。機関紙拡大闘争を全党のあらゆる組織の、すべての党員の日常的な全力をあげた闘いにしなければならない。
 第三に、対権力防衛の強化に総決起することであり、非公然活動能力をさらに高めることである。それは革命・蜂起の勝利の必須の条件である。
 その一環として獄中同志を人民の力で奪還しなければならない。爆取デッチあげによって未決勾留十四年を強いることなど断じて許されるものではない。
 同志諸君、あと一カ月全力で奮闘し、新世紀を迎えよう。

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週刊『前進』(1985号1面2)

国立大学の独法化反対 東北大ストうちぬく

 十一月二十一日、東北大学において「国立大学の独立行政法人化反対、阿部学長は独法化反対を表明せよ」を大学当局に迫るストライキを打ちぬきました。
 「国立大学の独立行政法人化に反対する東北大生の会」は、十月二十日、阿部学長に反対表明を求める要求書を提出しました。約一カ月で五十二クラスからスト決議があがり、学長の見解をぐいぐい迫っていったのです。
 しかし、回答期限を過ぎても阿部学長は独法化反対を表明せず、学生の前に一度として姿を現さなかったのです。それどころか大学当局は文書で学生のストライキ決議を「雷同である」と罵倒(ばとう)しました。クラスからは「雷同というのはいくらなんでもおかしい」「学長がまったく答えないのならばストをするべきだ」という声がどんどん広がり、学生の怒りは高まりました。
 学生の怒りが抑えつけられないとみるや、大学当局は、独法化反対闘争の爆発を押しつぶさなければならないとして、なんと三百人もの教職員をスト前日から動員し、講義棟を制圧しようとしたのです。
 これに対して私たちは、全学生に闘いを呼びかけ、ただちにストライキ防衛の闘いに決起しました。「授業を受ける権利」を主張し、講義棟のかぎを閉め、バリケードのための机を運び出させまいとする当局に対し、学生は教室のドアに体をはさみ込み、「五十二クラスの決議に答えない当局こそが一切の問題の元凶だ」「独法化こそが授業を受ける権利を侵害するものではないのか」と、大学当局を鋭く追及しました。
 この学生の不退転の決意に対して当局は、「今回の対応は上から言われているので」と繰り返すことしかできなくなり、ついに三百人の教職員はなんの手出しもできず、学生の怒りによってたたき出されたのです。
 そして二十一日、「独法化反対・阿部学長は公開討論に応じよ」のストライキを全学生の力で防衛し貫徹したのです。
 学長との公開討論を実力要求するデモが、全学生の怒りと熱気の中で闘いぬかれました。学内デモには三百人が集まり、スト破壊のために動員された大学当局に怒りがたたきつけられました。
 「頑張ってください」と差し入れを持ってくる学生や、「こういう時代が来たんだね」と話し合っている学生もいました。
 ストライキ集会で講演した宮崎学さんは、「学生にはストライキをする権利がある。闘う中でこそ必ず勝利が切り開かれる」と発言しました。また沖縄から激励に駆けつけた宜保幸男さんは、「この問題はまず教職員が反対の声をあげなければならない。大学当局は学生の声にこたえるべきだ」と訴えました。
 集会後、学生を無視する学長に対する直接要求行動として、学長室のある片平キャンパスへ向かって仙台市内をデモ行進しました。
 東北大の学生は、ストライキによって爆発した全学生の怒りをさらに大きくし、必ず阿部学長を学生の前に引きずり出します。さらに闘いを全国の大学に広げ、独法化を絶対に阻止します。(東北大 T)

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週刊『前進』(1985号2面1)

「四党合意」撤回・執行部総退陣へ闘おう
ILO勧告を歪曲させた政府と国労本部弾劾する
 JR総連の大罪は消せない

 十一月十七日にILO理事会で採択されたJR採用差別事件についての勧告は、「四党合意の受け入れを促す」という文言が盛り込まれた。これは、日帝政府の圧力と国労本部の屈服がいかに犯罪的であるかを示している。そして゛採用差別はなかった゜と国家的不当労働行為を居直り、「四党合意」を強要して不当労働行為を重ねる日帝政府への怒りをあらためてかきたてるものである。国労中央本部は、これを受けて続開大会を早期に開催し、「四党合意」受け入れの運動方針案を決定しようと策動しているが、断じて許されない。あくまでも「四党合意」撤回と本部執行部の総退陣を求めて闘わなければならない。それこそが勝利の道であることを、実は逆に今回の勧告は示しているのだ。さらにカクマルとJR総連の分裂と非和解的対立という絶好の情勢が訪れている。国鉄労働運動は、このような情勢下でますます発展し、二十一世紀へ勝利の展望をもって躍り込むことが可能だ。続開大会に向けて全力で闘おう。

 「採用差別なかった」は完全な歴史の偽造

 ILO理事会で採択された「結社の自由委員会」の「勧告」部分は別掲の三点である。
 この「勧告」の前提として、結社の自由委員会の「結論」部分に、日本政府の「追加情報」についての見解が示されている。ここで、JRが国労組合員らを不採用にした事実について、政府の新たな「追加情報」を踏まえ、「反組合的な差別行為の問題が生じていると言うことはできない」としている。これが第一の問題点である。
 第二の問題点は、これも政府の「追加情報」に基づいて、「四党合意が、JRによる不採用問題を迅速に解決する真の可能性を提供するものであると考え、委員会は、すべての関係者にこの合意の受け入れを検討するように強く要請する」としていることである。
 こうしたねじ曲げられた「結論」の上に、「勧告」の(a)の部分で「『四党合意』をすべての当事者が受け入れるよう促す」という文言が入れられている。
 まず第一の問題点について。事実上゛分割・民営化時に採用差別はなかった゜というILOの誤った判断に至らしめた政府の「追加情報」が事実の偽造と歪曲を積み重ねたものであることを、怒りを込めて弾劾しなければならない。
 「追加情報」は次のようなものである。
 「政府は関係する国鉄労働者の再雇用を確保するための国家的な努力を行うことを請け合った」「私企業への派遣、広域異動、国鉄関連企業による受け入れといった他の方法を講じた」
「国労、全動労の組合員の採用率が他の組合員と比較して低いけれども、その主たる要因」は、「JR北海道とJR九州によって採用されるべき人数は、会社の資金繰りが悪化することが予想されたため、当初から限定されざるを得なかった。したがって北海道会社では二人に一人が、九州会社では三人に一人が余剰となった」「このため、国鉄は、『広域異動』を実施した。それにもかかわらず、この配転を受け入れた人員の多くは鉄労または動労に属しており、国鉄改革に反対した国労と全動労の組合員は非協力的であった」「地元の新会社で原地原職で再雇用されることに固執したからだ」としている。
 結社の自由委員会は、この「情報」に基づいて「反組合的な差別行為の問題が生じていると言うことはできない」としているのだ。

 不当労働行為への怒り新た

 だが、われわれは、千四十七人を始めとする国鉄労働者の体に刻み込まれている事実についてあらためてはっきりさせなければならない。
 @八六年三月の第一次広域異動提案は、動労カクマルを先兵とする「血の入れ替え」と称する一大反革命だった。特に動労カクマルらを首都圏の運転職場に送り込み、国労組合員を「玉突き」で排除する目的をもったものだった。その後、多くの国労組合員が職場を奪われ、人活センターに送り込まれたり、配属差別される出発点となった。
 Aそして、これは分割・民営化への協力と民営化後もストライキをしないことを誓った「第一次労使共同宣言」(八六年一月)を国鉄当局と締結した動労、鉄労などとの合意により、国労などが一方的実施に反対する中で強行された。
 政府の「情報」では、八六年四月現在の組合員数(国労十六万余)をもとに比較して北海道、九州からの国労組合員の広域異動者の率が動労、鉄労よりも低いとしているが、八七年四月には約四分の一(四万四千人)にまで減っている。「国労にいたら採用されない」という当局の露骨な不当労働行為によって退職に追い込まれたり、脱退者が相次いだからだ。
 Bさらに、八六年七月に国鉄当局は「人材活用センター」を設置して約二万一千人を職場から隔離し収容した。七月時点では国労組合員が七五%を占めた。
 Cその上で、八七年二月十六日からの採用通知で、採用となった率は、北海道では新会社希望者に対して国労四八%、全動労二八%、動労、鉄労などの「改革労協」は九九・四%だった。九州においても国労は四三%だった。組合間差別はあまりにも明らかだ。
 D政府は全国ベースで見た国労組合員のJRへの採用率は八〇%を超えているから「さほど低いともいえないとの評価もある」と、北海道・九州での採用率の極端な低さを意図的に押し隠そうとしている。
 だが、本州で国労組合員の採用率が高かったのは、あまりの非道な攻撃によって退職者が多数に上り、また採用の辞退者が続出し、定員割れが生じたためである。本州でも国労、動労千葉組合員らが不採用とされたが、これは過去の労働処分などを理由とするもので、その際に動労カクマルの処分はこれにかからないように期間を限定するという組合間差別が行われた。
 Eそして四月一日のJR発足に際してJR不採用になり、「再就職先未内定者」として清算事業団に七千六百二十八人が送られ、九〇年四月一日に千四十七人が解雇された。
 Fこの過程で、八八年十一月の大阪地労委命令を皮切りに国労の採用差別事件について全国十七の地労委すべてがJRの不当労働行為責任を認め、不採用となった者をJRに採用された者として扱えという救済命令を出した。八九年一月の北海道地労委命令は救済対象者千七百四人の全員の採用を命じた。この国労組合員らが地元JRへの復帰を求めて清算事業団に残って解雇を辞さず闘いぬいたのは当然のことである。清算事業団による就職あっせんも新聞の求人広告の切り抜きを見せるだけなどのデタラメなものであった。
 不当労働行為の事実はこれ以外にも数限りないが、これらを押し隠して、「反組合的な差別行為があったとは言えない」という結論を押しつけたのである。
 しかも、日帝政府がILOに対して財政的拠出の引き揚げという最大級の恫喝を行った結果であることを徹底的に弾劾しなければならない。
 日帝権力はそもそも「申し立てに反論しなかった」とあるように、当初は「情報提出」を拒否、サボタージュした。その結果の「中間勧告」に大打撃を受けて運輸省を中心にプロジェクトチームをつくり、゛ジュネーブ詣で゜と称される恫喝的ロビー外交と、デタラメな「追加情報」で今回の勧告を引き出したのだ。

 「四党合意」拒否こそ「解決水準」を上げる

 第二の問題点であるが、今回の勧告は、「四党合意」が日帝権力による許しがたい不正義の攻撃であり、デタラメな歴史の偽造によってしか正当化できない代物であることを明らかにするものである。
 さらに国労本部こそが、「JRに法的責任なし」を認めよとする「四党合意」を受け入れることによって今回の勧告を導き出した張本人だということだ。
 「四党合意」承認は、闘争団ばかりか、JR本体の組合員の十四年間の闘いの否定であり国労の存在そのものを根底から否定するものだ。国労本部は、政府の゛採用差別はなかった゜という歴史の偽造と、その際に動労―JR総連カクマルが行った反革命的所業を認めろというのか。人活センターでの屈辱、悔しさ、怒り、涙を忘れろというのか。闘争団の尊厳をさらに踏みにじろうというのか。地労委命令を自ら抹殺しようというのか。
 ILO勧告をこのように歪曲させ、国労の自滅と解体にかじを切ろうというのが、国労本部の「四党合意」受諾なのだ。
 しかしこのようなILO勧告の歪曲にもかかわらず、実はその策動は根底的に破産したものであることが、勧告の矛盾した表現に表れているのだ。
 ILOは、政府の「追加情報」をさしあたり「事実上留意する」として受け入れているが、それは勧告が日本政府に向けたものであることから、外交的にも政府の「情報」を「第一義的」に扱わざるを得ない面があるからだ。
 「四党合意」についても、昨年の「中間勧告」を受けて、政府が「解決のための様々な方法を講じてきた」結果であると言っている以上、ILOは「四党合意」を盛り込む以外になかった。しかも政府は「追加情報」で、国労が九月の一票投票の結果を受けて十月の定期大会で「四党合意」受け入れが承認されるべきだと述べていた。
 しかし重要なことは、結社の自由委員会の「結論」が゛採用差別はない゜と言いつつ、直ちに「それにもかかわらず」と言った上で、「当事者にとって満足でき、千四十七名の関係する労働者が一九九〇年四月以降、採用されていないという結果にいまだに苦しんでいるという事実にかんがみ適正に補償される解決に早急に到達するという目的から、JRと申し立て組合間の交渉を積極的に促進するため、政府に対して以前の勧告を想起する」としていることである。
 これは、あくまでも「中間勧告」の上に立った解決を行うべきだというILOの意志をはっきりと示している。その立場から「この合意(四党合意)の内容が……当事者にとって満足でき、関係する労働者が適正に補償される解決に早急に到達するという目的でJRと申し立て組合間の交渉を促進することとなる条件を示しているように見えることに関心をもって注意する」という表現になっている。
 しかも、「勧告」の(a)で、「委員会は、この点でのいかなる進展についても日本政府が情報提供を続けるよう要請する」としている。「当事者にとって満足でき、適正に補償される解決」で政府権力や国労本部を縛ってしまう関係でもあるということだ。
 だが、「四党合意」が、そもそも「当事者が満足でき、適正に補償される解決」では断じてないということである。何よりも、当事者である闘争団を中心とする組合員の反対によって三度もの大会で拒否された代物なのだ。
 だからこそ、絶対に「四党合意」を受けなければよいのである。そうすれば政府権力の悪らつな策動や、国労本部の裏切り的対応の不正義と矛盾・破産が暴かれてしまうのである。国労が「四党合意」では「適正な補償」がされないことをはっきりさせて、さらに政府・JRの責任を追及して闘えば、政府は新たな対応を迫られるということだ。そうすれば「解決水準」は上げられるのだ。 その上で、(b)で「委員会は、九八号条約が示す反組合差別行為に対する保護は、採用時および雇用終了時を含む雇用期間中のいかなる時の反組合差別行為に対しても保護を保証するという」ということが強調されている。この部分は、今年三月の全動労事件に対する東京地裁判決を受けて、判決についての政府と全動労の「解釈の違い」を考慮した上で、「新規採用」であっても反組合的な差別行為は許されないという原則を明記している。
 したがって、反動判決にもかかわらず、あくまでも不当労働行為の責任を徹底的に追及していくことこそ勝利の道であることを示しているのだ。

 危機と分裂拡大するJR総連を打倒せよ

 ところで、動労などが「広域異動」に応じたのに国労が原地原職にこだわったから採用されなかったという主張は、実は今日、JR総連が露骨に言っていることそのものである。
 昨年の「中間勧告」に政府権力と同様に大打撃を受けたJR総連カクマルは、JR資本とともに運輸省・労働省に圧力をかけ、またジェネーブに行ってILOに抗議するという、労働組合にあるまじき行動をとった。さらにITF(国際運輸労連)にも抗議した。
 そこで運輸省・労働省に
申し入れた中身が「広域異動に応じた人びととのバランスから、ゴネ得とならないように(ILOに)事実を伝えるべきだ」ということだったのだ。
 今、JR総連カクマルは黒田=カクマル中央からの離反によって、自らの反革命的所業を居直って延命しようとしている。だがこの分割・民営化時の大罪はどうやっても消すことはできない。JR総連とは、まさにカクマル松崎の分割・民営化協力という反革命的決断で成り立ってきたのだ。
 JR総連は、カクマルによる坂入拉致事件に対して「テロ集団『革マル派』を許すな!」などと叫んでいるが、JR総連こそ、闘う労働者人民に対するカクマルの白色テロ、さらに国労やJR連合幹部、会社経営陣に対する盗聴、窃盗、それによる脅迫などによって労資結託体制を維持してきたのだ。この責任をカクマルとJR総連に断固としてとらせなければならない。
 カクマルとJR総連の非和解的対立とJR総連の大崩壊の開始という情勢は、分割・民営化との闘いに決着をつける絶好の情勢であることをしっかりと確認しよう。闘う国労を再生し、政府・JRを徹底追及し、JR総連を打倒するなら、千四十七人の解雇撤回闘争もまた勝利に向かって前進することができるのだ。
 そのためにも、「四党合意」受諾を狙う国労続開大会策動を許さず、本部総退陣、「四党合意」撤回をかちとろう。

《資料・ILО勧告》

 (a) 結社の自由委員会は、当事者に満足の行く解決に早急に到達するためのJR会社と申し立て組合間の交渉を奨励する諸条件を示すとともに関係する労働者が公正な補償を受けられるよう保証する、二〇〇〇年五月三十日に結ばれた「四党合意」をすべての当事者が受け入れるよう促す。委員会は、この点でのいかなる進展についても日本政府が情報提供を続けるよう要請する。
 (b) 委員会は、九八号条約が示す反組合差別行為に対する保護は、採用時および雇用終了時を含む雇用期間中のいかなる時の反組合差別行為に対しても保護を保証するという原則を喚起する。
 (c) 国労組合員の不採用問題が東京高裁で審理中であることに留意し、日本政府が東京高裁の判決について委員会に情報提供を続けるよう要請する。

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週刊『前進』(1985号2面2)

資本攻勢&労働日誌 11月10日〜22日
 連合が01年春闘方針決定
 ●企業倒産負債額が最悪に
 ●高卒男子初任給マイナス
 ●雇用調整助成金が廃止に

●10日 特殊法人労連は、与党三党が発表した特殊法人等改革基本法案(仮称)批判を発表した。
●12日 韓国の民主労総は、約1万3000人を集め「構造調整・労働法改悪阻止大会」を決行。デモ行進の途中で警察隊と衝突し、120人あまりの負傷者を出した。
●13日 労働省は、労働契約承継法の施行規則要綱と指針案を公表した。転籍を拒否できない「承継される営業に主として従事する者の範囲」を広く解釈している。
●14日 経団連は、新たな高齢者医療制度を作り、高齢者にも現役並みの負担を強要、公費負担分は消費税の引き上げでまかなうという医療保険制度の大改悪案を発表した。自己負担は定率負担で、65−74歳は20%、75歳以上は10%と想定するとんでもないもの。
◇政府は確定拠出年金(日本版401k)法案を閣議決定した。
◇フィリピンのエストラダ大統領に辞任を求めるゼネストと抗議集会が全土で行わた。
●15日 帝国データバンクが発表した10月の企業倒産では、負債総額は8兆5611億円に達し、単月としては過去最悪。千代田生命、協栄生命が相次いで経営破たんしたため。両生命の破たんは、負債規模で見ると史上1、2位。くすぶり続けた金融不安が再び頭をもたげつつあることを示している。
◇社会経済生産性本部は、日本の労働生産性がG7中最下位になったと発表。その原因を、「他国と比べ就業している人々が多く,ある面では仕事を分かち合っているから」とさらなるリストラ・首切りキャンペーンを開始。
●17日 連合は、中央委員会を開き「2001春季生活闘争方針」を決めた。(表参照)
◇ILOはJR採用差別問題で採用差別はなかったとして「四党合意」受け入れを促す勧告をした。
◇全労連は「パート・臨時労組連絡会」のスタート集会を開いた。産別、地方のパート組織を横断的に結集し、約15万人が結集する。
●20日 労働省が発表した2000年の賃金構造基本統計調査(速報)によると、男性高卒の初任給伸び率は初めてマイナス、女性大卒の初任給伸び率は76年の調査開始以来最大のマイナスとなった。
●22日 中央職業安定審議会の雇用対策基本問題小委員会が、特定不況業種雇用安定法の廃止や雇用関係助成金の統廃合や効率化などを盛り込んだ建議案を了承した。雇用調整助成金が廃止に向かう。
◇日本労働研究機構の調査結果では、4月から導入された「企画業務型裁量制」を実際に導入した企業はわずか2.3%。導入に当たって求められる「労使委員会」が当該事業所の労働者の投票で過半数の信任が必要で、設置が困難なため。「一度認めたら、どこまで行くか分からない」として労使ともに信用されていないのが原因。

 連合の2001年春季生活闘争方針
●2000年春闘方針と違う点
・「定昇相当額」の撤廃
 今までは、平均要求方式をとる場合には定昇を「2%程度と換算」し、ベアとの合計で3%以上の要求となっていた。これを廃止することで、中小の賃闘が困難に。
・パート労働者の賃上げ要求
 時給「10円以上」に設定した。
●2000年春闘方針と同じ点
・賃上げの統一要求基準
 定昇を確保した上で、純ベースアップで1%以上。
・到達水準目標
 35歳(高卒、勤続17年)で、31万5000円以上(生産技能職)、33万円以上(事務・技術職)。最低到達目標は35歳で25万円、30歳で22万円。

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週刊『前進』(1985号2面3)

〈投稿〉 高見 元博 高見闘争への上告棄却を弾劾し、免職撤回まで闘う

 「精神障害者」差別によって分限免職にされた芦屋郵便局・高見さんを支える会の高見元博さんから最高裁の上告棄却を弾劾するアピールが寄せられましたので紹介します。(編集局)

 十月十九日、一九九一年に「精神障害者」であるという理由などで郵便局を免職になり、解雇撤回闘争を闘っている高見闘争の最高裁判決が出ました。超反動差別判決です。断じて許せない上告棄却です。具体的中身については一言も触れないという問答無用の門前払い判決です。
 私たちはこの反動差別判決を徹底的に弾劾し、職場闘争の力と再審請求で、勝利まで断固として闘い抜くことを誓います。私たちは直ちに郵政省と、最高裁に対する抗議弾劾行動を十五人の全逓労働者、「精神障害者」で闘い抜きました。
 しかし、同時に私たちはこの反動判決の中に逆に、大きな勝利の展望を見ることができます。裁判所は、「障害者」差別問題を裁くことができなかったということです。最高裁は国権機関として、この免職を追認するしかなかった。それは一つには「障害者」の労働権を広く認めたとき、いまの差別社会のあり方を根本から作り直さなければならないということからです。
 いまひとつは、郵政公社化=民営化を目前にして、郵政省に打撃を与えるような判決は書けなかったということです。
 中身を検討するならば、違憲判決しかないところに私たちは最高裁を追い詰めていました。上告理由書の迫力と、一万五千人以上の署名という力です。
 神戸地裁は、口ではしゃべれないし手話も手が不自由でできないという障害のある重度脳性まひの「障害者」証言を採用し、「障害者」の声を聞くという立場で原告勝利判決を書きました。もし、「障害者」の声を聞けば、原告勝利以外ありえないということです。最高裁判決は、国家として「障害者」の声を聞かない、「障害者」の労働権は認めない、「障害者」が「健常者」とともに働く職場作りなど認めないということです。
 この判決で私たちはある種すっきりしたものを感じています。それは、「障害者」の解放は、いまの資本主義の原理をくつがえす以外かちとれないことを示しているからです。それならば私たちは、労働者を差別主義・排外主義と闘うものとして獲得します。それはすなわち労働者の階級的団結をかちとることであり、「障害者」解放運動が、労働者階級解放の闘いと合流することだと思います。
 私たちは、高見免職撤回要求署名を展開し、広く労働者と結びついていきたいと考えています。かちとられている一万五千人を上回る署名こそが高見闘争の勝利の展望を示すものです。労働者階級が差別主義・排外主義をのりこえて団結することができるということを何よりも証明しているからです。この署名運動を今後いままで以上に強めていきたいと思います。
 私たちは今後もこの道を進み、沖縄で、国鉄で開始されている新たな労働者の階級的決起と結びつき、ファシスト石原を打倒する差別主義・排外主義粉砕の闘いと結合して、高見免職撤回まで闘い抜く決意です。
 労働者階級解放の力は労働者の中にあります。毎月の芦屋局門前闘争と、職場労働者との学習会というサイクルで、職場闘争の復権をなんとしてもかちとり、職場労働者の力で復職を勝ち取る決意です。
 二十一世紀こそ、労働者の世紀としてかちとりましょう。二十一世紀を死の苦悶にのたうつ資本主義を打倒する労働者解放の世紀としてかちとるために断固闘うことを誓います。
 二〇〇〇年十一月十八日

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週刊『前進』(1985号2面4)

カクマル、坂入拉致自白 「3日以降、南雲と討論」 「解放」

 カクマルは、十一月二十三日付で「欺瞞的な自己批判をしたJR九州労北執行部を打倒せよ」という「政治組織局」の声明を出し、反革命通信『解放』一六四七号(十二月四日付)に掲載した。
 ここでカクマルは、次のようにJR総連OBの「南雲」=坂入充を拉致・監禁し、九州労の脱退問題について吐かせたことを明々白々に自認した。
 「十一月三日以降の、脱退劇の陰の立案・指揮者である南雲との討論をつうじて明るみに出された悲喜劇的な事態を記した手紙を、十一月十日付でJR総連委員長の小田裕司に送付した……」と。
 われわれが暴露したとおり、黒田の指示で、カクマル西条武夫(=木下宏)や浅野孝らが拉致・監禁を実行したことは明らかである。十一月三日はまさに坂入が拉致された日だ。十一月十日付の「手紙」というのも、十一日に坂入の自宅に坂入直筆の手紙が届いたこと、また、同じ十一日にJR九州労の書記・小西光子(解雇通告を受けている)がJR九州労事務所に来て、「坂入さん本人が『大量脱退劇は、坂入さん、田岡さん、船戸さん、北さんで意思し、決めたことであった』と言っている」ということから、十日までにカクマルが坂入からこのことを聞き出したことも明らかである。〔ここで名前が挙がっているのは坂入のほかに田岡耕司(動労新鶴見機関区出身)、船戸秀世(JR総連前特別執行委員、JR東海労前副委員長)である〕
 『解放』前号ではカクマルが拉致したというのは「推測」だ、告発を取り下げろ、と言っていたが、この声明ではそのことには触れていない。完全に自らがやったと居直って自認しているのだ。それにしても坂入はその後どうしたのだ。
 ところで、JR九州労は十一月二十二日に「全員総会」を開き、七百三十七人の脱退を承認したという。今回のカクマルの声明は、この総会で委員長・北が大量脱退について「自己批判」し、JR総連の支援を受けて組織の立て直しをはかるという方針を提起したことを「欺瞞的な方針」だと弾劾している。確かにそれは「欺瞞的」に違いない。北ら九州労のカクマル組織が、坂入やJR総連の委員長・小田、書記長・山下らと意志一致して九州労の大量脱退を仕組んだ張本人であるのだから。
 だが、いくらカクマルが弾劾してみたところで、もはや九州労を始めとするJR総連のカクマル組織がほぼ丸ごとカクマル中央から離反・分裂していることをますます鮮明にするばかりである。
 今こそ、分裂と非和解的対立を激化させるカクマルとJR総連を打倒せよ。

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週刊『前進』(1985号3面1)

問題噴出! 介護保険実施8ヵ月
 高齢者の生きる希望奪うな全国ネットワークつくろう

 介護保険が始まって八カ月がたった。深刻な事態が次々に引き起こされ、介護保険の問題性は明白に突き出されている。十月一日の六十五歳以上からの保険料徴収開始で自治体に抗議電話が殺到するなど、全社会的に問題が明らかになりつつある。それだけではなく、自殺や心中、殺害事件など悲惨な事件が多発している。高齢者から生きる希望も生きる力も奪い去る介護保険は、労働者人民の闘いで絶対に廃止させなければならない。介護保険廃止の全国ネットワークをつくろう。

 自己負担分が重く利用率は3割強に

 まず、この間さまざまな形で明らかになっている介護保険の問題点について、主要な点を整理しておこう。
 第一に、介護保険が介護の切り捨てそのものだということである。その重大な原因は、利用者から利用料の一割を自己負担分として徴収することにある。
 各自治体の調査によっても、要介護認定を受けた高齢者の介護保険利用率は四〇%前後になっている。利用料が払えないからと認定を受けることさえあきらめた人を含めると、利用率は三割強になるだろうと言われている。杉並、高槻、東大阪の住民団体の呼びかけで行われた交渉の中で、厚生省自身が、利用率の予測を三三%として今年度の介護保険関係の予算を組んだと公言した。
 宮城県がまとめた県内の八、九月の介護保険の利用状況によると、利用者数は増加傾向にあるものの、給付限度額の六割未満しか利用しない高齢者が九割近くを占めている。全体的な利用者数は三月時点の千四百五十八人から千七百八十三人へと二二・三%増加しているが、保険給付限度額に対する利用状況は「一〜三割」四九・四%、「四〜六割」二一・七%、「一割未満」一七・五%で、全体の八八・六%が六割未満だった。自己負担額を月額五千円未満に抑えている高齢者は四割以上を占めた。
 山形県の調査では、限度額に対するサービス利用者の実際の利用額(利用率、短期入所を含まない)は、要介護度が高くなるに従って低くなる傾向にあることが明らかになった。それによると、介護度別に決められている限度額に対する利用率は、
▽要支援 =五八・九%
▽要介護1=四〇・一%
▽要介護2=三九・七%
▽要介護3=三九・四%
▽要介護4=三六・一%
▽要介護5=三八・六%
――であった。利用率は三九・五%、利用平均額は八万八千二百六十二円となっている。
 このように、利用料が払えないからこれまで受けていたサービスを削り、その分は家族が介護せざるをえないところに追い込まれているのである。これは政府による介護の切り捨てそのものだ。「介護の社会化」という政府のうたい文句はまったくのうそである。政府の狙いは、財政負担を削減するために介護を切り捨て、家族に介護の負担を押しつけることにあったのだ。
 こうした中で、要介護度が重い人は施設を利用するしかない状況が生まれている。サービスを削って家族が介護するといっても、介護度が重くなるほど限界があり、施設に入所させるしかない状況に追い込まれているのである。
 第二に、十月一日から始まった第一号被保険者からの介護保険料の徴収が、収入の少ない高齢者を塗炭の苦しみに追い込んでいることである。

 保険料徴収始まり成り立たない生活

 十一月六日の厚生省交渉に参加したケアマネジャーが明らかにした例では、ある人は週三回医者にかからなければならないため、一日の食事を一食にし、しかもそれはカップラーメンで、翌日は一番安い食パンをヘルパーに買ってきてもらって前の日のカップラーメンの汁につけて食べているという現実がある。
 低所得者からの保険料の徴収を減免する自治体が八十に上ると報道されている。ところが厚生省は、これを「好ましくない」として抑圧しようとしている。
 介護保険の保険料は、消費税以上に逆進性の強い、大衆収奪そのものである。生活保護受給者からも徴収し、一万五千円以上の年金をもらっている人については年金から天引きされる。逆に所得額が二百五十万円以上の人はどれだけ収入があっても基準額の一・五倍という、きわめて不公平な負担になっている。
 第三に、要介護認定そのものが介護を切り捨てるものであり、特に第一次判定ソフトのデタラメさが明白になっている。
 第一次のコンピューターによる判定がデタラメであることは実施以前から指摘されていたが、ついに厚生省も認めざるをえなくなった。だが問題は、単にデタラメというばかりでなく、政府・厚生省が財政負担を抑えるために、意図的に要介護度を低くしようとしていることである。厚生省は「(要介護認定は)状態の重さではなく、介護の手間を測るもの」などと言いながら、実際にはそれぞれの人の要介護度をより低くしようとしているのだ。
 もともと要介護度別に決められた介護保険給付の限度額自身が、まったく不十分なものでしかない。それ自身が介護の切り捨てそのものなのである。

 赤字の介護企業がリストラや賃下げ

 第四に、「ベンチャー企業の育成だ、介護ビジネスだ」と宣伝し、それによって介護が担われるかのように言いなしてきたことが、今や完全に破産した。
 在宅介護サービス企業大手のコムスンは、六月に千六百人の人員削減を含むリストラ計画を発表したのに続き、八月にも大規模なリストラ計画を発表した。このリストラによって、当初全国に千二百あった拠点が五百から五百五十拠点に削られる。コムスンが十一月八日に発表した二〇〇〇年七〜九月期の業績は、売上高二十九億円に対して、経常損益が三十億円の赤字となっている。最大手のニチイ学館も、二〇〇一年三月期決算で介護事業は四十一億円の営業赤字となる見込みを明らかにした。
 第五に、こうした中で介護ビジネス企業では、労働者に一切の犠牲を転嫁するリストラや賃下げ、不安定雇用化の攻撃が強められていることである。
 先に挙げたコムスンでは千六百人の人員削減が行われている。さらにリストラを進めるために、実際には転勤できない遠隔地への配転を労働者に命じるなど、首切りに等しい攻撃をかけてきている。
 世田谷区のある特養ホームでは、食事の調理員九人を解雇して調理を民間会社に委託した。賃金も一時金の四割がカットされ、年収は五十万円ほど減らされた。東京など大都市部の特養ホームには官民格差の是正などのために自治体から補助金が出ていたが、介護保険になって補助金が打ち切られ、その分を労働者の賃金カットで対応しようとしているのである。
 こうした中でホームヘルパーの仕事を辞める人が増えている。時間に追われた忙しい仕事の上に、勤務形態も早朝から深夜に及び、疲れがたまっている。登録ヘルパーの場合には移動時間が労働時間に加算されず、交通費も自己負担などのケースが多い。
 政府が公的介護の責任を投げ捨てて民間営利企業に投げ出した結果、生きる権利としての介護が切り捨てられ、労働者が不安定雇用で低賃金の強労働を強制されているのである。

 社会保障切り捨ての先兵石原打倒を

 高齢者が生きるために、労働者が生きるために、今こそ介護保険廃止の闘いに全力をあげて取り組まなければならない。杉並や高槻、東大阪の住民を先頭に、介護保険廃止の全国ネットワークを実現し、全住民の闘い、全労働者の闘いとして発展させよう。
 そのために、介護はいのちの要求であり、生きる権利であり、公的介護の保障は政府の責任であることをまずはっきりさせなければならない。高齢者(労働者)は、働いて社会を築いてきた。その高齢者の介護を公的責任で保障するのは、きわめて当然のことなのだ。
 大衆収奪を強制するために、政府は「親の面倒は家族が見るべきだ」という主張を繰り返している。厚生省交渉でも、役人は「介護保険料を払えなければ家族が払うべきだ」と主張した。自民党の亀井静香は「家族介護は日本の美風」だと強調している。
 こうした「親の面倒は家族が見るべきだ」という主張こそが、介護地獄といわれる現実を労働者家庭に強制しているのだ。介護される高齢者をも、「家族に迷惑をかける」という形で精神的に追いつめている原因なのだ。日帝の側からのこうした反動的宣伝を打ち破るためにも、公的介護保障の要求を鮮明にさせなければならない。
 また、この闘いを進める上で、介護の切実な要求を抱えた高齢者とその家族、介護現場で働く労働者を中心に、広範な地域住民の主体的・自己解放的決起をつくり出していかなければならない。そしてこの闘いの高揚のためにも、介護保険廃止・公的介護保障要求の闘いが労働者階級の階級的利害をかけた闘いであることをはっきりさせなければならない。
 東京都知事・ファシスト石原慎太郎は、日帝の福祉・社会保障切り捨ての先兵になっている。来年の都議選決戦に絶対に勝利し、介護保険廃止への広範な闘いを巻き起こそう。

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週刊『前進』(1985号3面2)

新「人事評価」導入阻止を
「能力・実績」で公務員を分断 団結破壊と戦争動員の攻撃

 公務員連絡会の屈服許すな

 公務員の今年の秋季賃金確定闘争は二年続きの大幅賃下げとなった。しかも、今秋の確定闘争は様相を異にした。昨年は賃金削減はあくまで財政赤字に伴う「臨時的・時限的措置」であった。そこには、とりあえず財政赤字なので賃金削減をのんでくれ、赤字が回復したら元に戻すから、というニュアンスがあった。
 しかし今秋は、人事院の賃下げ勧告の常態化に対して、勧告制度そのものをどうするのか、あるいは年金制度改悪により退職後の生活と雇用をどうするのか、が正面課題に据えられた。これは生活設計そのもの、生活給そのものにかかわる根本的課題である。
 しかも問題は人勧制度の破産や再雇用(再任用)制度の破綻(はたん)だけではない。もう一方で「俸給体系と能力・実績に基づく人事管理システムの本格的見直し」と称して、公務員賃金・人事制度の改悪を狙う攻撃との攻防が正面課題となってきた。
 総務庁は、五月三十一日の人事評価研究会報告を受けて、六月十四日に「人事評価手法等の検討・検証等を行い、中央省庁再編後の府省等に適した客観性・公正性の高い人事評価システムの具体化を図る」ことを決定した。そして六月二十日には人事院が「能力、実績等の評価・活用に関する中間報告」を提出した。
 こうした国の急速な動きに慌てた組合側は、六月二十一日に公務員連絡会が「国家公務員の能力・実績を重視した人事管理システムの見直しと新たな人事評価システムについての考え方(案)」を出し、各単産で検討のうえ集約して、九月二十九日に「当面の対応方針」と「新たな評価制度についての指針」を発表した。
 ところが、これらは能力・実績主義の考え方を全面的に受け入れ、これまでの公務員労働運動の原則である〈労働者の差別・選別・評価を断じて許さない〉との考え方を否定し、公務員制度の反動的転換を労組の側から進めようとする、とんでもない屈服的な内容である。これを認めることは、戦後労働運動の枠組みを最後まで維持してきた公務員の賃金・雇用制度全体の解体をもたらすことになる。この転向方針を絶対に許すことはできない。

 競争原理で賃金闘争破壊

 総務庁や人事院の報告はこれまでの年功的賃金制度を「戦後日本の特殊な歴史的条件のもとで成立したもの」であり「すでに制度疲労を起こしている」と退ける。そして、「より質の高い社会を構築するため」には「仕事給重視の考え方」や「結果の平等から機会の平等」への移行を進めることが必要だ、としている。
 このために「能力・実績による評価は、それが゛公平・公正・透明・納得゜であれば、客観的なもの」として受け入れるべきものだという考え方を共通して打ち出している。それに基づいて公務員の人事管理システムの見直し、能力・実績評価を、労働組合の合意を得て進めようというのである。
 能力・業績主義評価の賃金・人事制度が民間で先行した経緯を見ると、年功主義から厳格な職務職階へ転換し、かつ能力主義評価には「目標管理制度」を導入することで、結果の業績評価と成果主義へと転形した。その業績評価と成果主義の行き着いた先が「仕事給」であり、今日裁量労働制下の年俸制などへと推移している。
 そこにあるものは徹底した個人主義であり、個別決定過程と個別紛争処理の考えであり、団結破壊の攻撃そのものである。個人競争による脱落者を前提とした考え方、これが成績主義導入の論理である。だからこそ総務庁や人事院の報告は、徹底した弱肉強食の世界への転換を前提として、「セーフティネットの構築の必要性」や、「苦情処理制度の活用」などを提案しているのだ。
 戦後の賃金闘争は個々の労働者の゛働き度゜とはまったく無関係に全国一律の賃上げ、平等の賃金をめざし、またスローガンとして掲げてきた。戦後日本の賃金闘争は春闘方式を編み出し、基本給の引き上げ=ベースアップ闘争を軸に闘われてきた。それは労働者階級の結束による賃金闘争であった。
 統一要求、全国一律賃上げ闘争をとおして自らの賃金を決めることこそが階級的原則であり、労働者がよって立つ立場である。だからこそ、さまざまな能力主義人事管理制度の導入攻撃に対しても、職場の団結の力で最大限に抵抗し、「結果の平等」を実現してきたのである。能力・実績主義賃金の導入は、こうした闘いを解体し、低賃金を強制しようとするものだ。
 労働者にとってそもそも「最良の賃金体系」は存在しない。あるのは「よりましな賃金体系」でしかない。それは「賃金が上がる賃金体系、つまり労働者の統一と団結を強め、闘争力を強化して賃金が上がるのに役に立つ賃金体系」であり、「差別と競争を排除し団結を強化する賃金体系」である。
 逆に、資本家どもは不断に労働者を低賃金におしとどめ、差別と競争の人事制度導入で組合的団結を破壊しようとしてきた。
 だからこそ、いつの時代でも労働組合の闘いは、こうした攻撃との闘いであったのだ。

 「実績」とは国への忠誠度

 では、「能力・実績主義」賃金・人事制度導入の狙いは何か。
 第一に、平等型賃金と雇用保障という公務員の賃金・雇用体系のあり方を解体することなくして、日帝・総資本による労働者階級に対する大々的な首切りと総人件費削減の攻撃は完遂しないからである。
 公務員賃金は地場産業など二千万人の労働者に波及する。雇用の流動化も、公務員に終身雇用制度が存在する中では限界がある。だから日帝・資本家階級は、「経済戦略会議」(樋口レポート)でも、これまでの公務員制度の粉砕を国家戦略・施策として路線化しているのである。
 第二に、中央省庁再編=国家改造攻撃の成否は、公務員制度改革の成否に絞り上げられてきたからである。
 来年一月の中央省庁再編は、日米新安保ガイドラインに照応した日帝の戦争国家体制づくりの攻撃でもある。中央省庁の再編から、独立行政法人化、民間委託、現業部門の切り捨て、人事院勧告制度や労働委員会制度、教育委員会制度の再編にまで及ぶ大改造となる。その攻撃の最大のポイントは、公務員労働者の意識と制度を変えることであり、これなくして「国家改造」の完遂はありえない。
 第三に、公務員労働組合から階級性を奪い、翼賛化することにある。
 公務とは本来、国家権力の行使である。ところが、その権力の行使者たる公務員が、階級的な労働組合的団結体を持ち、官公労が戦後の労働運動の中核をなしてきた。日帝にとって、この階級的実体を一掃することなしに、戦争のできる国家への転換などはとうてい不可能なのである。
 七五年のスト権スト以来、中曽根の臨調・行革と国鉄分割・民営化に始まり、公社・公営企業(現業部門)の民営化や、日教組、全逓、自治体行革にかけられた一連の攻撃の狙いは、総評解体であり、官公労の解体であった。日帝は、いよいよその核心部分である公務員の賃金体系と人事管理制度の改悪に手をかけてきたのである。
 第四に、行政組織目標(国家目標)による公務員管理(目標管理)の強化である。公務員の能力・実績評価とは、結局、国家に対する忠誠度を測る以外にないのである。
 公務員の能力・実績評価の目的は、利潤追求、コスト評価だけではない。確かに現業中心にコスト比較をして事業評価や人事評価につなげたりしている。だが、その考え方だけでは公務員労働者を能力・実績主義に駆り立てることはできない。まして行政職や教員にとって能力・実績とは何か。それは公務をまっとうするもの、すなわち国家に対する忠誠度を測るものでしかない。国家官僚に規範は収斂(しゅうれん)される。福祉切り捨ても「日の丸・君が代」強制も、目的は国家への忠誠である。

 公務員めぐる決戦は不可避

 公務員の賃金・人事体系の解体攻撃との闘いは必ず政治決戦化する。
 秋季賃金確定闘争の山場を前にした十月十四日、野中広務自民党幹事長は、与党三党の行財政改革推進協議会で、公務員の団結権・団体交渉権・スト権を認める方向で検討していることを明らかにした。日帝は、国鉄分割・民営化をのませる時も同じ手法を使った。これは、公務員の身分保障をはく奪し、労働三権を形式的に付与してもその行使などおよそ問題にならないほどに、労組の団結を破壊するという宣言である。
 公務関連労働者三百三十万人をまきこんだ壮大な階級激突は、間違いなく始まる。これを見た時、十一・五労働者集会で「公務員への成績主義的人事管理反対」をサブスローガンに高々と掲げた意義は限りなく大きい。最後の総評型階級的労働運動が存在する組合、特に都労連や現業労働組合など、基幹産別をめぐる決戦は不可避である。
 こうした時に、公務員連絡会が打ち出しているように、対立を避けて労使関係を「パートナーシップ」などと位置づけることは、奴隷としての屈服を意味する以外の何ものでもない。団結を打ち固め、ストライキをもっても闘うしかない。その繰り返しこそが、労働者をして社会の主人公に押し上げるのである。
 新たな侵略戦争国家づくりの攻撃である能力・実績主義賃金、人事管理システムの導入を阻止しよう。
 〔マル青労同自治体労働者委員会〕

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週刊『前進』(1985号3面3)

日放労労働者のアピール(上)
日放労「二十一世紀のあるべき職員制度構想」に反対する

 日放労中央の「二十一世紀のあるべき職員制度構想」は、日経連の雇用破壊・賃金破壊に手を貸し、労働運動を沼地に引き込む路線転換だ。これに反対するNHK労働者のアピールを紹介する。(編集局)

 日放労はこの十一月、秋季闘争を闘いぬいた。ここでは、秋闘に先立って日放労中央が打ち出した「二十一世紀のあるべき職員制度構想」に関して、これが日放労運動にとって最悪であることについて訴えたい。
 この構想に対し、組織討議ではさまざまな意見が上げられ、今年の秋は具体的要求を行わず、二〇〇三年度までの制度確立に向け幅広く討議を行うことになった。三年後に向けて「構想」が打ち出す危険な理念に反対の声を結集しなければならない。

 組合の団結解体する路線転換

 日放労は第一〇三回定期大会において佐滝新委員長体制に交代した。新体制はより反動的に方針転換をするのではないかと懸念されたが、早くも今秋季闘争においてその本質が現れた。これまでの中央執行委員会は、まがりなりにも労働組合としての階級的立場、すなわち「生活」「権利」「平和」を守ること、そのための階級的団結を強める立場を基本においてきた。
 しかし、新執行部は「技術の進展にともなう変化」「社会的な趨勢(すうせい)」が職場を直撃することを理由に、組合としても「価値観の転換」を図ることを打ち出し、その路線転換を具体化するものとして「二十一世紀のあるべき職員制度構想」を提案した。
 この「構想」のどこを読んでも、労組として組合員の階級的利益を守る立場、そのために団結を強めようとするあり方は見当たらない。日放労はもう「社会的な趨勢」に対しては闘えないから、「個性を尊重する」方向で個々の組合員の「選択と責任」にまかせることにしたと。
 資本主義社会が始まった時からずっと「社会的な趨勢」は常だったのであり、だからこそ労働者は労組に結集して闘ってきたのではないか。はっきり言いたいのは、「闘えなくなったのなら静かに去れ」ということだ。だが新執行部は日経連やNHK経営者が喜ぶ、労働者の団結をばらばらに解体し「雇用破壊」「賃金破壊」に結びつく路線転換をして、中央に居座ろうとしている。この路線転換に「NO!」の声を今、上げなければならない。

 日経連路線に屈服する「構想」

 「構想」のどこを読んでも、労働者階級の立場としての思想がまったくない。すべて資本家階級の思想=ブルジョアイデオロギーだけで百パーセント埋められている。たとえば「終身雇用制、年功賃金、退職金、企業年金などの制度の転換を余儀なくしている」とは日経連の攻撃そのもの。
 介護の問題では、「保険制度の充実が必要、相応の負担を覚悟しなければならない」と、行政の責任放棄である介護保険制度に反対するのではなく、現状以上に個人責任として押しつけている。
 「労働省の調査をみても降給に対応できる余裕があることを物語っている」と組合員の意識によらずに行政の発表に依拠している。
 「選択の自由と自己責任」とは、選択の自由という幻想と、過酷な分断された個人の責任だけがついてくるということだ。
 基本的考え方にも具体的制度の提案内容にも資本家階級の思想しかない(ジャーナリスト的批判精神もない)。これではもちろん闘うこともできないし、相手の土俵の中では勝つこともできない。闘うという発想も出てこないはずだ。そして新執行部が行き着いた先が日経連に従うことだ。
 一九九五年に日経連は「新時代の日本的経営」と題する路線を打ち出した。それは連合的な企業主義的労働組合の存在さえ許さない、労働運動そのものをなくしてしまうための大攻撃であり、二千万人の労働者の首切り、低賃金、強労働を強いて「雇用破壊」「賃金破壊」で労働者を十九世紀的な労働地獄に突き落とすものであった。現在、この日経連路線のもとで数百万の労働者が首を切られ、多くの労働者が能力給・業績給で苦しめられている。
 日放労の「構想」は、この日経連「新時代の日本的経営」そのものである。それを「理想論」と言うに至っては、日放労中央が一片の階級性も失い、労働者よりもNHKという「企業」のためだけに尽くすと決断したことを示している。

 分別賃金制度は低賃金の強要だ

 中央は、職員制度について分別賃金制度を持ち込もうとしている。そして「専門職制度」や「雇用延長」などの組合要求にあたり、「理想とする構想」をもたなければならないと言う。しかし、「構想」の内容は「理想」とは反対に最悪であり、階級への大裏切りでさえある。
 提案の骨子は賃金体系を三つに分けるとしている。「専門職」「総合職」「特別職」に分け、「専門職」は一・三倍の賃金、「総合職」は現状どおりで、「特別職」は短時間勤務を理由に六〇−八〇%の賃金にするというもの。これは「新時代の日本的経営」で打ち出されたものと同じである。少数の幹部候補エリート、専門的職員、多数の一般職員という日経連の分類を少しアレンジしただけである。分類して賃金格差をつける、年俸制や業績給に変える、これこそ資本の攻撃そのものなのだ。
 現実にNHK経営がこれを受け入れたならば、必ず訪れる将来的財政難を見越して、一・三倍と提案された「専門職」賃金は現状かそれ以下にされる。すると「総合職」はその一・三分の一すなわち八割に、「特別職」は現状の実に五〇−六四%の低賃金で今と同じ仕事をさせられるようになる。これほど経営を喜ばす提案はない。
 もしこれで労使が合意すれば、経営は次々と「特別職」の人数を増やし、大半を「特別職」として採用することになるのは明白だ。
 「総合職」は八割の賃金に下げられて生活できるのか。仮に四十万円であれば三十二万円になる。「特別職」とされる大半の労働者は、二十−二十六万円の超低賃金で生活していけるのか。スタッフ・アルバイトは勤務時間が一日わずか三十分短いだけで本工の半分ほどの賃金でしかない。今度は本工をそうするということだ。(本来は本工もアルバイトも時給は同じでなければならないのはもちろんである)
 日経連やNHK経営の攻撃は労働者の組合的団結を破壊し、低賃金を労働者におしつけることなのだ。日放労はこれを自ら「受け入れます」と、初めから経営に代わって組合員の説得役をやろうというのだ。これが認められるだろうか。絶対にNO!だ。
 賃金体系についても「専門職」には年俸制、「特別職」には業績給を導入することを組合側から提案し、春闘的賃上げ闘争を破壊し、労働者の唯一ともいえる階級的団結の場さえ自ら破壊する提案なのである。
(投稿/東京 K・T)

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週刊『前進』(1985号4面1)

革共同への反革命的敵対行動を売り物にする白井朗を粉砕せよ
 白井『二〇世紀の民族と革命』の反革命的本質
 島村 伸二

 <はじめに> 白井の敵対を断じて許してはならない

 白井朗は単なる脱落分子ではない。
 権力に屈服し、権力の庇護(ひご)のもとで、わが党への反革命的敵対行動を売り物にしている、実に腐敗・堕落した存在である。
 われわれは、脱落者と反革命敵対分子とは厳格に区別する。革命的共産主義運動を汚したのみならず、反革命的敵対行動を公然と策動する白井を、われわれは断じて許さない。
 今や白井は、転向分子であるだけではなく反革命的敵対分子に転落することによって思想的腐敗・堕落を深め、わが革命的共産主義運動の歴史上かつてない破廉恥な人物と化している。白井は、『二〇世紀の民族と革命』(以下『民族本』と略す)と『中核派民主派宣言』(『民主派本』と略す)なる二冊の本を出すに至っているが、ここに示されている転向ぶり、腐敗の底なしぶりは、実に度し難い。人格的にも腐敗の極致にある。
 本論文は、白井の『民族本』の反革命性、理論的デマゴギー性、低劣さを徹底的に暴くものであるが、まず前提として、白井朗に対するわれわれの基本的態度を鮮明にさせておかなければならない。
 われわれはまず第一に、白井が手紙で「党の秘密をばらす」(党を権力に売り渡す)と平然と書いた事実とその実行を、反革命への転落の決定的言動として断じて許さない。
 第二に、逮捕時の権力との非妥協的闘いを放棄して全面ゲロをしたばかりか、それを合理化し(『民主派本』)、自己の反革命的敵対行為を居直っていることを絶対に許さない。
 第三に、白井は自らの「自己批判書」(『共産主義者』一二三号掲載)について、゛あれは偽装転向であった″と転向許容の思想を平然と語り、わが党が「創成以来スターリン主義組織論であった」とまで主張するに至っているのであるが、その主張に基づく白井の「分派闘争の自由」論が、実は現在白井が行っている「階級的敵対行動と党破壊の活動の自由」の主張である以上、これを断じて許さず、徹底的に粉砕する。
 第四に、白井は反革命への転落と同時に、ファシスト・カクマルに全面屈服し、自己の革共同敵対行動への承認を求め、カクマルの側につくことを公然と表明するに至っている。いったん転向を表明し、反革命的敵対行動に入るや否や開始したこの腐敗・堕落を、われわれは断じて許さない。
 第五に、権力への屈服によって腐敗を深めた白井は、われわれとの対決のために反スターリン主義を投げ出し、スターリン主義発生の根拠をレーニンに求め、逆にわれわれをスターリン主義者だとして自己の敵対行動を合理化するに至っている。そして、スターリン主義を民族抹殺思想や粛清問題にゆがめて切り縮め、それを故本多延嘉書記長も同じであったかのような破廉恥なでたらめを言っている。われわれは、自己の反革命的敵対行動に故本多書記長をも利用するような腐敗分子を絶対に許さない。
 第六に、白井は労働者階級自己解放の思想、プロレタリア世界革命綱領、共産主義の原理から外れ、『資本論』『帝国主義論』に立脚することを罵倒(ばとう)し、マルクス・レーニン主義に公然と敵対するに至っているのであるが、それにもかかわらず、あたかも自己がマルクス主義・レーニン主義であるかのように装って、革命的共産主義運動の破壊に全力をあげている。われわれは革命的共産主義運動の立場と矜持(きょうじ)にかけて、このような存在を許すことは絶対にできない。しかも、白井がこのために、わが党の最高指導部の一員であったことをさえ利用している以上、それにふさわしい厳格な態度をもって、われわれは対処するということである。

 第1章 白井の「理論闘争」なるものの反革命性と低水準性

 白井はことあるごとに、「理論的対立」が政治的に扱われて「排除された」と主張し、われわれを「反知性主義」だなどと言って、あたかも自己が「理論家」で「知性的人格」であるかのように押し出そうとしている。
 だが、白井が出したパンフはもとより『民主派宣言』なる本もまた知性の一かけらもなく、反革命的な腐敗のかたまりである。このような人物がわが党の最高指導部を構成していたこと自体、われわれにとっては恥辱である。そのあまりの反マルクス主義・反レーニン主義的言辞に、吐き気を催す感覚を抑えることができない。
 こんなものを出して、白井が自己を「理論家」と強弁しようとしても無理というものである。これらの刊行物は、白井が権力に屈服し、反革命的敵対分子に転落したことによってどれほど変質し、腐敗・堕落したか、没理論的な存在になり果てたかを示すものである。と同時に、党内にあった当時の白井の「理論闘争」なるものがどれほどゆがんでおり、低水準なものでしかなかったかをも如実に物語るものでしかない。われわれはすでに、白井「自己批判書」の公表(前掲『共産主義者』)をとおして、白井の「理論闘争」なるものの虚偽性を、白井の革命家としての破産性とともに暴いてきた。
 だが、現在の白井は当時の白井とはまったく異なる。白井は権力への屈服をテコに、公然と反革命的敵対行動を開始し、変質してしまった。それを厚かましくも「理論闘争」の延長のごとく言いなして展開している。当時の非マルクス主義的見解を、公然と反マルクス・レーニン主義を掲げた「理論」へと純化させているのだ。
 白井があたかも「理論的」であるかのように装った出版物は、『民族本』だけである。ところが、『民族本』は逆に白井の「理論」の没理論性、デマゴギー性と低水準さを完全に自己暴露し、反革命的意図をあからさまに語るものになっているのだ。本論文は、それをあますところなく暴き出すであろう。
 この本の「序章」では、白井はあからさまな反動的意図を表明しているので、まず簡単に確認しておこう。
 白井は、第一に、革命的共産主義運動の「常識」で「出発点」となっている世界革命論をあげて、「しかし」「そこにすべてを流し込む傾向がある」という形で、その否定を鮮明にさせている。そして「正統マルクス・レーニン主義が、革命的共産主義だと考えるのも安易である」と、われわれの運動が「正統マルクス・レーニン主義」であると非難している。
 第二に、スターリン主義の本質は「一国社会主義論による世界革命の未達成」にあるのではなく、「一九二九年からの農業の強制集団化による恐怖政治」(四n)が本質であり、「一九九一年のソ連崩壊は民族問題こそが最大の原因であった」ことからみても、スターリンの民族理論すなわち「『民族問題は階級の問題に従属する』というスターリンの階級唯一論」が本質であり(五〜一二n)、「無実の国民が数千万人の単位で粛清されるという基本的人権の無視」(七n)や「民主主義の否定」(四n)が本質であるとしている。スターリン主義の反革命的本質についての認識の否定と歪曲||それが全体に貫かれている白井のスターリン主義論である。
 第三に、レーニン主義を否定し、゛レーニン主義にスターリン主義の原因があった″論をとり、その一環として゛一九〇二年『なにをなすべきか』は、一九〇五年のソビエトの革命的役割で否定されている″という、『なにをなすべきか』の否定の思想が出されている(一四n)。
 つまり白井は、革命的共産主義運動の創成期の基本原理を否定して、スターリン主義批判の共産主義的ガイストを粉砕し、民主主義的非難に堕落させるために『民族本』を書いたということである。
 そして本文は、序章をはるかにこえて悪質な反革命的展開となっており、しかも理論的デマゴギー性と低水準さを全体にわたってさらけ出している。

 第2章 白井によるマルクス主義否定のでたらめな手口

 (1) 『共産党宣言』の意図的な反革命的誤読

 白井の反革命性は第一に、『共産党宣言』の意図的誤読による否定である。
 白井は党内にいた時、自己が『宣言』を否定していないことを証明するために『宣言』を絶賛する文章を書いたが、今やそこから自由になったとばかりに、懸命に『宣言』否定の論理を編み出そうとしている。しかしそれは無残に破産している。
 白井は『民族本』の中で、マルクスの『共産党宣言』の周知の個所(『新訳・共産党宣言』現代文化研究所発売、四二n)を引用した上で「プロレタリアートは祖国をもたない」のテーゼを否定して、次のように言う。
 「『もたないものを奪うことはできない』という平明な言い方で、プロレタリアートは祖国・国民・民族には無関心、したがって無責任だというブルジョアジーのデマゴギーをきりかえし、むしろその逆なのだとマルクスは主張している。それは『プロレタリアートは政治的支配を獲得し、国民的階級にまでのぼり、みずから国民とならねばならない』という、それにつづく文言をみればなんぴとにも明らかであろう。『プロレタリアートは祖国をもたない』、というのが国際主義の原点だとするのであれば、この箇所はまさに支離滅裂の理解できない矛盾である。ここで明白なのは祖国という概念は、その階級の利害をまもりぬく国家という意味である。つまりプロレタリアートは政治的発言権ゼロの当時のブルジョア国家(イギリスでは男性普通選挙権は漸く一九二八年に認められた。一九世紀半ばには労働者はまったく無権利だった)のもとで、みずからの利害をまもる権利を完全に奪われた国家形態をおしつけられているのだから、『祖国をもたない』という結論になる。だからこそこういう無権利状態をうちやぶって政治的支配を獲得し、みずから国民とならねばならない、プロレタリアートはつまり祖国をもたなければならない、と政治的に主張しているのである」(二〇n)
 白井は、「『プロレタリアートは祖国をもたない』というのが国際主義の原点だとするのであれば、『プロレタリアートは政治的支配を獲得し、国民的階級にまでのぼり、みずから国民とならねばならない』というそれに続く文言は、まさに支離滅裂の理解できない矛盾である」と言う。しかし、白井が「支離滅裂」になるのは、マルクスに逆らう意図をもって読もうとするからにほかならない。
 マルクスはこの個所の前に、「プロレタリアートのブルジョアジーに対する闘争は、内容上ではないが、形式上ではまず国民的なものである。それぞれの国のプロレタリアートは、もちろんまず第一に自国のブルジョアジーと決着をつけねばならない」(新訳本二八n)と述べている。これは言うまでもなく、プロレタリアートは「内容上では」祖国をもたないことを言っている。だからこそ、すぐこの文章に続いて「それぞれの国のプロレタリアートは」と言って、「それぞれの国」にあっても世界史的存在なのだという前提を表現しているのだ。
 そして「形式上では」として、「もちろんまず第一に自国のブルジョアジーと決着をつけねばならない」と述べているのである。これは、プロレタリアートが「自分自身の支配をうち立てる地点にまで到達した」からであり、まずプロレタリアートが権力を奪取して、プロレタリア独裁国家を樹立することを言っているのである。
 だから、白井が問題としている個所においてもマルクスは、まず「内容的」という意味で「プロレタリアートは祖国をもたない」と言い、「形式上」という意味で、「まず政治支配を奪取し、みずからを国民的階級へと高め、国民として自分を形成しなければならないのであるから、けっしてブルジョアジーと同じ意味ではないが、なお国民的である」と言っているのである。
 ところが白井は、この文章を論ずる時に巧妙に手を加えている。たとえば、当該個所に言及した際に「まず」をとっている。この「まず」は、「さしあたり」「形式的には」の意味をもっているが、これを外すとまったく別の意味になってしまう。さらに「なお」を外している。これは、プロレタリアート本来の(祖国のない)姿からすれば、「なお」「いまだ国民的」だと言っているのである。
 白井はこれらの言葉を意図的に外すことによって、形式的だけではなく内容的にも「国民的になる」と読んで「支離滅裂」になるのだ。だが、マルクスの思想は支離滅裂でもなんでもない。プロレタリアートの世界史的普遍的存在の認識に基づいて首尾一貫しているのだ。白井のこの読み替えは、おのれの反革命への転落を合理化するための詐術に等しい。
 この文章に続いて『宣言』は、「プロレタリアートの支配は、こうした(ブルジョア的生産様式が始めた)諸民族の国民的分離と対立をいっそう消滅させるであろう。団結した行動||すくなくとも文明諸国の団結した行動が、プロレタリアート解放の第一条件の一つである」(新訳本四三n)と述べられている。さらにそのあと「一国(民族)による他国(民族)の搾取の廃止」「諸国民(民族)相互間の敵対的関係もなくなる」までの感動的な展開が続いている。まさにこの辺りは、労働者自己解放論の原理的展開そのものである。
 そしてプロレタリアートは「鉄鎖以外に失うものは何もない」(新訳本七二n)のだから、「祖国ももたない」のである。獲得すべきなのは「祖国」ではなくて、「全世界である」。そのためには、「まず」「さしあたり」「形式的には」「権力を奪取し国民的階級へと自己を形成しなければならず」、だからこそ「いまだ」「全世界の獲得」に至っていないと言えるのだ。このような展開があるからこそ『共産党宣言』の最後の言葉が輝いているのだ。「万国のプロレタリア、団結せよ!」
 「労働者は祖国をもたない」||これは紛れもなく国際主義的宣言である。『宣言』では鮮明に「もっていない」と言明され、「もっていないものを、労働者から取り上げることはできない」とまで言われている。これは賃金労働者に関する認識の核心問題なのだ。だから共産主義者が他のプロレタリア党と違う点のひとつとして「国籍と無関係な、プロレタリア階級全体の共通の利益を強調し貫徹すること」(新訳本三二n)があげられているのだ。『宣言』全体に貫かれている世界革命思想の深さ・すごさを、まずはっきりつかまないと、一切は論じられない。
 ところが白井は、『経済学哲学草稿』〜『ドイツイデオロギー』〜『哲学の貧困』〜『宣言』(『賃労働と資本』)に至る過程で確立された共産主義思想、賃金労働者が世界史的普遍的存在であるという労働者認識に基づく画期的思想、プロレタリア世界革命の実に豊かな思想の根拠をなすこの国際主義的思想の偉大さを、完全にほうり出しているのだ。
 われわれはスターリン主義と対決し、革命的共産主義運動を創成する闘いの過程で、特に『ドイデ』などを軸に、マルクスが共産主義思想を確立していく過程が世界革命論と一体のものとして論じられていることをエネルギッシュにつかみ直していった。白井は、あの時代を忘却のかなたに置き去り、今やその否定に躍起になる存在に成り果てたのだ。
 さらに、一つ二つ付言するならば、白井が゛当時のイギリスのプロレタリアートは普通選挙権をもっていなかったがゆえに、祖国をもっていなかった(みずからの利害をまもる権利を完全に奪われた国家形態だった)″と言っている文脈は、腐敗した第二インターの祖国擁護の手法と同じである。つまり白井が言いたいことは、゛今やプロレタリアートは普通選挙権をもっているから「政治的発言権ゼロ」ではない。したがって今のプロレタリアートは祖国をもっている。祖国を守れ!″ということなのだ。
 さらに、白井が゛「プロレタリアート……は、祖国・国民性・民族ということとはいっさい無関係になるべきだ」と『宣言』の文言を理解するのは「通俗的な理解」だ″という言い方で、『宣言』の革命的核心を解体する欺瞞(ぎまん)性、詐欺的手口についてである。
 マルクスがけっしてそんなことを言っているのでないことはすでに述べたとおりである。ところが、『民族本』二六四〜二六五nで『宣言』についてのレーニンの正しい解釈を紹介したところでも、「レーニンは、プロレタリアートが民族・祖国とはいっさい無関係だとする……機械論をするどく批判している」というように「無関係論」批判を持ち出し、「マルクスが民族運動をたびたび呼びかけた歴史的事実をレーニンは指摘している」ということを、それだけ取り出して強調するのである。まったく詐欺的、ペテン的なやり方だ。
 レーニンは、「第一の命題(労働者は祖国をもたない)をとって、それと第二の命題(労働者は自身を民族的階級として構成するが、それはブルジョアジーとは違った意味においてである)との関連を忘れるならば、それは大きな誤りでしょう」と述べているのだ。つまり、第一の命題は「これは正しいことです」と明確にテーゼ的に確言した上で、続けて第二の命題もまた重要なのだと、述べているのである。ところが悪質な意図を持つ白井は、話を進めていく内に、まるでレーニンは第一の命題を否定しているかのようにしてしまうのだ。このために、「プロレタリアートは民族・祖国とはいっさい無関係になるべきだ」という解釈論をもってきて対置するのである。そのやり方は、実にこそくである。
 白井は以上のように、『共産党宣言』の否定のために、『宣言』には「支離滅裂な理解できない矛盾」があるという意図的な反革命的誤読を行うのである。まったく許せない。

 (2)「アイルランド論の革命的転回」論の反革命性

 白井の反革命性は第二に、アイルランド問題に関するマルクスの革命的言及を使って、マルクス主義破壊を行っていることである。
 白井の手口を見よう。そのために、まず、白井があげたマルクス・エンゲルスの文章を、長くなるが引用する。
 「私はながねんアイルランド問題を研究したのち、つぎのような結論にたっした。すなわちイギリスの支配階級にたいする決定的な打撃は(そしてそれは全世界の労働者運動にとって決定的であるだろう)、イギリスにおいてではなく、アイルランドにおいてのみあたえられうる、と。」「資本の首都としての、こんにちまで世界市場を支配してきた強国としてのイギリスは、さしあたり労働者革命にとってもっとも重要な国であり、そのうえこの革命の物質的条件がある程度まで成熟している唯一の国だ。イギリスの社会革命を促進することは、それゆえ国際労働者協会のもっとも重要な目的である。これを促進する唯一の手段は、アイルランドを独立させることである。だから国際労働者協会の任務は、いたるところでイギリスとアイルランド間の紛争を前面におしだし、いたるところで公然とアイルランドに味方することだ。アイルランドの民族的解放は、イギリスの労働者階級にとってけっして抽象的な正義の問題や人情の問題ではなくて、かれらじしんの社会的解放の第一条件であること、このことをかれらに自覚させるのは、在ロンドン総評議会の特殊な任務である。」(マルクスからマイヤーとフォークトへの手紙 一八七〇年四月九日 選集第八巻五三三n 五三六n)
 「ある民族が他の民族を隷属させるということは、この隷属させる側の民族にとってどんなに不幸なことであるかは、アイルランドの歴史にみることができる。」(エンゲルスからマルクスへの手紙 一八六九年十月二十四日 選集第八巻五一九n)
 「私はしだいにつぎの点を確信するようになった……すなわち、イギリスの労働者階級がアイルランドにたいするかれらじしんの政策を、その支配階級の政策からもっとも決定的に分離させるまでは、またかれらがアイルランド人とすすんで一八〇一年になされた併合を解消して自由な連邦関係に変えるためのイニシァチブをとるまでは、けっしてかれらはここイギリス本国においてなにか決定的なことをなしとげることはできない。しかもそのことは、アイルランドにたいする同情の問題としてではなしに、イギリスのプロレタリアートじしんの利益のための要求として、おこなわれなければならないのである。……この国における解放の第一の条件||イギリスの土地寡頭制を打倒すること||は、いつまでたっても実現不可能だろう。なぜならイギリスの土地寡頭制がアイルランドにおけるその堅固な前哨を手中に保っているあいだは、ここイギリスにおける陣地を攻撃することはできないからだ。しかしいったんアイルランドでアイルランドの人民じしんに国の運営がまかせられるならば、かれらが自分じしんの立法者、統治者となって自治を得るならば、土地貴族(その大部分はイギリスの地主と同一人物である)を廃止することは、ここイギリスにおけるよりもはるかに容易である。なぜならアイルランドではこれはたんに単純な経済問題であるだけでなしに同時に民族問題でもあるからである。またイギリスとはちがってアイルランドの地主は、先祖代々の高位者や代表者ではなく、蛇蝎(だかつ)のごとくにくまれている民族の抑圧者だからである。」(マルクスからクーゲルマンへの手紙 一八六九年十一月二十九日 選集第八巻五二四〜五二五n)
 「……アイルランドにたいするかれらの現在の関係を破棄することこそ、イギリスの労働者階級にとって直接の絶対的な利益である。……ながいあいだ僕は、イギリスの労働者階級が政権を掌握することによってアイルランドの制度をうちたおすことが可能であると信じていた。……ところがいっそうふかく研究した結果、私はいまではその反対を確信するようになったのだ。イギリスの労働者階級がアイルランドを放棄しないうちは、かれらはなにひとつなしとげはしないであろう。槓杆(こうかん=てこ)はアイルランドでいれねばならないのだ。そのためにアイルランド問題は、全体としての社会運動にとってじつに重要なものとなる。」(マルクスからエンゲルスへの手紙 一八六九年十二月十日 選集第八巻五二七n)
 この「アイルランドにおいてのみあたえらうれる」「イギリスの社会革命を促進する唯一の手段は、アイルランドを独立させることである」「アイルランドの民族的解放は、イギリスの労働者階級にとって、かれらじしんの社会的解放の第一条件である」という言葉は強烈な言葉である。またマルクス自身、「ながいあいだ僕は、イギリスの労働者階級が政権を掌握することによってアイルランドの制度をうちたおすことが可能であると信じていた。……が、私はいまではその反対を確信するようになった」と、自己の考え方の〈転換〉を強く押し出している。
 これが、わが革命的共産主義運動における七〇年「七・七自己批判」的衝撃性と、それをテコとする戦略的総路線の綱領的次元での変更(「侵略を内乱へ」から「闘うアジア人民と連帯し、日帝の侵略を内乱へ」への変更)、つまり〈連帯〉の思想と実践を綱領的戦略として確立したことと、ほとんど同じような〈転換〉を意味していることは明白である。しかし、すでに爛熟(らんじゅく)しきった今日の帝国主義の段階ではなく、一八六九年段階でのマルクス・エンゲルスのこの鋭い感受性と驚くべき革命性は、彼らの労働者自己解放、労働者革命への熱情の強烈さと、プロレタリア世界革命論に基づく国際主義の豊かさ、深さを示している以外の何ものでもない。
 ところが白井は、これらの引用をした上で、次のように言う。これも長くなるが引用する。
 「マルクスはあくまで『イギリスの労働者階級は、全体としての社会的解放にたいして無条件に決定的な力をもっているのだから、槓杆はこの国でいれなければならない。』(先に引用したクーゲルマンへの手紙)と槓杆という用語を二重に使いつつ、アイルランド民族運動の起爆力とイギリス・プロレタリアートのたたかいの決定的な力を強調するという重層的な構造でその革命論をくみあげていく。それは『イギリス人は社会革命に必要なあらゆる物質的条件をもっている。かれらに欠けているのは、一般化する精神と革命的情熱である。』(マルクス「国際労働者協会のドイツ社会民主労働党にあてた非公開通知」 全集第一六巻四〇九n)という理由にもとづく。西欧先進国のプロレタリアートは、この時期すなわち帝国主義段階への移行にさしかかろうという時期において、相当の賃金上昇をみており、すこし生活条件がよくなると階級全体の問題、とくに植民地民族の悲惨な抑圧を忘れて、植民地出身の労働者を敵視するという先進国労働者階級のエゴイスチックな腐敗をあらわにし、革命にもっとも必要な革命的情熱が失われていく。……一八四八年革命の敗北ののち亡命したマルクス・エンゲルスが……悲観的になり、革命の勝利の条件を世界恐慌の経済要因に一元的に還元し、階級の主体の錬磨の問題をないがしろにする傾向を示していたのは事実である。アイルランド人民のたたかいは、こうした状況にあったマルクスの革命的パトスをかきたて、みずみずしい感受性をよみがえらせ、その革命論と歴史観の発展にするどい刺激をあたえた。物質的条件をそなえているイギリスにおいては革命的情熱が不足し、工業的発展の未熟なアイルランドにおいて革命的情熱が燃えたぎりつつあるというこの矛盾を、国際主義的連帯によって『一般化する』ということこそ世界革命の勝利の必須の大前提であろう。このマルクスのアイルランド論を、まさに革命論の革命的転回をなしとげた偉大な理論的前進として認識すべきである」(四八〜四九n)
 「一八六〇年代においては植民地民族の側に立って、隷属させている側の民族の労働者階級が自分自身の問題としてたたかうことが、いわゆる先進民族のプロレタリア革命にとって必須不可欠のこととしてとらえるという文字どおり世界革命の立場の論理の構築がはじまる」(四四n)(強調は引用者)
 まず重要なことは、白井はここでマルクスがアイルランド問題をとおして「民族解放闘争に対する重要な原理」を確立したときから、「世界革命の立場の論理の構築がはじまる」と言って、マルクス世界革命論と、「アイルランド問題」における民族理論の確立との関係を逆転させていることである。
 すでにみたように白井は、『宣言』の「労働者に祖国はない」という鮮明な思想、すなわち労働者の世界史的普遍的存在の認識に基づく世界革命の思想の鮮やかな表明を否定した。さらに白井は、ここではそれをさらに「発展」させて、゛マルクスは民族解放闘争の重要な原理(アイルランド論)を確立した時から世界革命の立場の構築を開始した″というのである!
 このために白井は、マルクスが「アイルランド論」の確立の時に強調している思想が、イギリス労働者階級の階級的自覚に基づく国際主義であることを消し去って、゛マルクスはイギリス労働者階級に絶望し悲観的になっていたが、アイルランド人民の民族解放闘争によってよみがえったのだ″などという歴史の偽造を行い、そこで「革命論の革命的転回をなしとげた」というのである。
 いまだ帝国主義段階への移行の始まりに過ぎない時に、約五十年後のレーニンの帝国主義論で初めて理論的に確立されることになるこの立場を、マルクス・エンゲルスが鋭く、きわめて鮮明につきだしたことは、驚くべき革命性を示しているものである。ところが、白井はこの立場を「与件」のものとしているから、マルクス・エンゲルスのこの強烈な革命性に対して、何の感動もないのだ。むしろマルクス・エンゲルス自身が、あたかも革命性を喪失していたが、アイルランド人民の闘いでパトスを与えられ、革命論を確立した、などと言っているのである。
 もし、マルクス・エンゲルスのこの立場が、あとから白井も得々と語っているように、レーニンの帝国主義論で基礎づけられる立場と同じであることを認識しているのだとしたら、白井は、マルクス・エンゲルスがこの時期に(五十年も前に!)なぜこれほど鋭くつきだせたのか、その革命性はいったいどこにあるのか||これを明らかにすべきなのだ。そうするならば、マルクスの階級的解放の認識が、その世界革命論と一つのものであること、労働者自己解放は世界史的に実現されるという立場でのマルクスの強烈なインターナショナリズムこそがそれを可能にしたということが明白となるのだ。『ドイデ』〜『宣言』で確立した立場の正しさ・すごさをあらためて強烈に深く自覚することになるのだ。
 白井は、マルクスのここでの主題がイギリスの労働者の自己解放を論じているということをねじ曲げている。「労働者革命」「社会革命」「彼ら(=イギリス労働者階級)の社会的解放」という言葉で語っているが、主語は明白にイギリス労働者階級の階級的解放なのだ。この階級的解放の「第一条件」が、「アイルランドにたいするかれらの現在の関係を破棄すること」だと言っているのだ。言いかえれば、それが自己の階級性を発揮する道であり、それが階級的に「絶対的な利益」だ、つまり労働者の階級的解放になる「唯一の」道だと言っているのだ。
 ところが白井は、「重層的」などと言いながら「槓杆という用語を二重に使いつつ、アイルランド民族運動の起爆力とイギリス・プロレタリアートのたたかいの決定的な力を強調する」と並列する。白井は、マルクスがその不動の確信である労働者自己解放のために論じているのを、民族解放と並列することで労働者自己解放の闘いを相対化するというすりかえをやっているのである。
 決定的なのは、そのためにマルクスの上記の「……非公開通知」(全集第一六巻四〇九n)の引用を巧妙にすりかえ、逆転させたことである。注意深く読むならば、マルクスはここではイギリスの労働者階級の問題として「一般化する精神」と「革命的情熱」の二つをあげている。が、白井はここを巧妙に「革命的情熱」だけにして「一般化する精神」を外している。マルクスがここで言おうとしている「一般化する精神」とは、労働者の階級的存在の普遍性の認識に基づくインターナショナリズムと、このインターナショナリズムに基づく「革命的精神」以外ではない。にもかかわらず、白井は、「この時期すなわち帝国主義段階への移行にさしかかろうという時期において」「西欧先進国のプロレタリアートは」「エゴイスチックな腐敗」に陥り、「革命的情熱が失われていく」と認識しているので、マルクスの文章から「一般化する精神」をそっと読者に分からないように外している。
 そしてなんと「一般化」とは、アイルランドの闘いで目覚めたマルクスがここで初めて国際主義的連帯の思想を確立し、駄目な先進国労働者と植民地民族の革命的情熱の「矛盾」を解決するものにしたてられ、そこで「世界革命論の構築が始まった」ことにしてしまうのだ。
 白井はこの巧妙なすりかえをとおして゛階級的解放には国際主義的思想がなくて絶望的である″と言う。こうして彼は「一般化」して、本質的なプロレタリア世界革命論を否定した世界革命論を、帝国主義国の労働者解放(実に歪小化されたそれ)と植民地・従属国の民族解放(これだけが国際主義)の二つの実体の機械的合流論のことにしてしまうのだ。これを彼は「革命論の革命的転回」とまで言って絶賛している。
 ここで白井が行っていることは、@まずは労働者自己解放の思想の相対化(二つの内の一つ)である。次に、Aそれによるプロレタリア世界革命というマルクス主義の神髄の否定である。そして、B民族問題におけるアイルランド論で初めてマルクスの世界革命の立場が構築されるようになった論である。そして、C労働者自己解放の思想の方は、先進帝国主義国労働者への絶望の認識に基づき、民族解放闘争の「刺激」が必要な存在にさせられ、実際は、すべて民族解放闘争に限りなく収斂(しゅうれん)されることになる。まさにマルクスも目を回すような驚くべき「革命的転回」である!
 したがって、白井は、マルクスの「アイルランド問題」の立場はすごいすごいと言うが、それを可能にしたマルクス・エンゲルスの世界革命の原理的思想のすごさは絶対に語らないのだ。

 (3)民族問題への接近の非実践性と反革命性

 白井の「民族理論」なるもののまやかしの核心は、七〇年「七・七」問題でわれわれが鋭く問われた時、白井自身はそれを主体的に真正面から受けて立ったことがない事実を隠蔽(いんぺい)していることである。実際のところは、白井は「七・七」問題が分かっていないのだ。それを、あたかも自分が最もよく分かっているかのごとく登場しているところにまやかしがある。
 その証拠には、七〇年「七・七」問題や民族解放闘争に関して、白井は一度も文章を書いていない。逆に、白井が批判してやまない清水同志の『選集』に明白なように、七〇年「七・七」当時、現場で苦闘した同志たちとともに、清水同志の思想的理論的深化のための闘いが決定的であったのであり、白井はこれにまったくかかわろうとしなかったのだ。
 その後の入管闘争で、白井がそれを主体的に担おうとしたことは一度もない。したがって、日本階級闘争における在日朝鮮人・中国人の闘いの現実や、入管闘争の地平に、白井はまったく無知であり、度し難い水準なのだ。だから白井は、この『民族本』で革共同政治局員であったと名乗りながら、革共同の「七・七問題」に関する文献をひとつも引用していないのである。否、そもそも、日帝下の日本人プロレタリアートの立場への一言の言及もないのである。実にでたらめ極まりないと言わなければならない。
 西山信秀論文(本紙一九四四号掲載)はそこを鋭く暴き、白井の反革命的民族理論、とりわけ「七・七」次元の問題に関する欺瞞性を壊滅的に暴いたのだ。
 マルクスの「アイルランド論」やレーニンの「スターリンのグルジア問題」は、マルクスやレーニンが「七・七」的次元の問題を画期的に鮮明にしているところである。それを論じていながら、白井が七〇年「七・七」問題をまったく理解していないのは致命的なのだ。西山論文は、日帝下の抑圧民族である白井が、在日の闘いに立脚せず、無知であるばかりか、それを踏みにじっている存在であることを鋭く暴き、民族問題で何ごとかを言っているかのごとき顔をする資格など白井にはまったくないことを突きつけている。
 『民族本』は、西山論文でほとんど完膚なきまでに粉砕されている。ところが白井は、自分がその核心点で批判されていることすら分からない水準なのだ。
 そもそも白井の理論活動の破綻性・反革命性は、絶対に主体的実践の立場に立たないところにある。
 民族理論を対象化する動機が、実践的闘いへの自己の問題性を合理化するためのゆがんだ意識にあったことは、白井自身が自己批判書で書いている。ここにすでに致命的問題がはらまれているのだ。したがって白井は、マルクスやレーニンを論じるが、マルクス、エンゲルス、レーニンの主体的苦闘の立場には絶対に立ったことがないし、立てないのだ。
 白井の理論活動の破綻は、マルクスの「アイルランド問題」での地平に依拠しておりながら、その地平からマルクスのそれに至る過程を批判し、レーニンの「グルジア問題でのスターリン批判」の地平に依拠しながら、その地平から過去のレーニンを批判するというやり方に非常に鮮明である。到達した地平から見れば、到達していない段階に未熟性や問題性があることは当然だ。だが、白井は、それを暴き問題にすることが理論活動だと思っているのだ。それは、学者の単純な学問的作業ならば、論理的整理として一定の意義はあるかもしれない。だが、革命的実践の立場に立つ者ならば、何よりも゛マルクスやレーニンがなぜそのような画期的地平に到達できたのか″゛なぜそれがマルクスやレーニンにおいて可能だったのか″||これを徹底的につかみとることぬきに、「それまでは問題があった」などと平然と言える感覚を持ち合わせるはずがない。しかし、白井の『民族本』はこのような論述に満ちた、実に腐敗した本なのである。
 なぜそのようになったのか。それは、白井の「七・七」思想が、自らを実践の場において主体的につかみとったものでないからなのだ。もっと言えば、彼の理論活動が、もはや実践主体として理論問題に接近する姿勢や思想を放棄した地平から始まっているからなのだ。さらに言えば、彼の民族理論への接近は、革命的共産主義者としてのマルクスやレーニンの理論そのものの懸命な研究の結果から出てきたものですらない。彼の歴史知識の論述は、実はこの理論的まやかしを覆い隠す飾りものに過ぎないのだ。
 【白井の民族理論の研究は、自己のマルクス・レーニンの研究の結果つかんだものではなく、七〇年「七・七自己批判」に規定されて始めたものでもない。実は、白井が民族問題に傾斜していく動機は、プロレタリア革命への白井自身の絶望から一九七九年のイラン革命に展望があるかのように飛びついたことにある。「悲観していた」マルクスが、アイルランド問題でパトスを与えられたという歴史の偽造は、実は自己の内面世界の吐露なのだ。そこからスルタンガリエフを発見し、その後、山内昌之の展開に無批判的に依拠し、ますますプロレタリア自己解放の思想から後退していったのである。白井の研究が、山内昌之のスルタンガリエフ研究に大きく依拠したものであることは、この本の最後にある「注」をみれば歴然としている。白井は、山内昌之を圧倒的に軸にし、それに色々と資料をつけ加える形でマルクス・レーニンの民族理論を問題にしていったと言ってよい。
 だが、この本における白井の山内昌之に関する言及では、山内の反共主義的本質をまったく不問に付している。もちろん、たとえ共産主義者でなくとも、誠実な学者の学問的成果を吸収することは非常に大事なことである。否、われわれは政府関係の出版物の諸資料を積極的に逆用して、われわれの理論的立場や政治的内容を大いに展開している。しかし、それはあくまで「逆用」なのだ。われわれは、そこに流れる思想的立場や階級的立場などに無関係に(あるいはそれを許容する形で)、その吸収や継承をすることはけっしてできない。そこには厳しい批判的姿勢が堅持されている。白井の民族理論への出発点が、山内に依存するものであったにもかかわらず、白井の〈山内への無批判的姿勢〉は、白井自身の〈マルクスやレーニンに対する姿勢〉に直結し、民族理論の研究をつうじて、白井はマルクス・レーニン主義から後退し、自己の共産主義者としての思想の瓦解(がかい)にまで転じてしまっている。
 山内は、最初に書物を出した段階では一研究者であることを踏まえた謙虚さを持っていた。だが、この領域で一定の権威をもつに至って以来、とりわけソ連スターリン主義の崩壊以降、露骨に「スターリン主義=レーニン主義=共産主義」規定をもって、スターリン主義の弾劾を共産主義弾劾(強力な反共主義としてのそれ)として激しく展開している。そして今や、ソ連スターリン主義崩壊以降の中央アジアをめぐる帝国主義間争闘戦の激化の中で、日帝の先兵として政府関連の仕事に熱中している。白井の本から、この山内への厳格な批判的姿勢を見いだすことはできない。読む人が読めば、白井が山内の見解に強いインパクトを受け、それに依拠して展開していることは明らかである。白井の学問的不誠実さと階級的不誠実さは、にもかかわらずそのことを明記せず、かつ山内への共産主義者としての批判的コメントを一言も書いていないところにある。】

 第3章 レーニン主義世界革命論に対する憎悪込めた否定

 (1)レーニンに関する「章立て」の反革命的な意図

 白井は、第二編の第一章に入る前のわずか二ページの序章で反革命的な意図を巧妙に持ち込んでいる。白井は、「レーニンの民族理論の核心を学ぶ」などと言いながら、実はまったく逆のことをしている。第一に、この全体をつうじて白井にはレーニン理論を〈学ぶ〉姿勢などまったくゼロである。第二に、「レーニン民族理論の核心」の否定こそがその趣旨である。このことを、短い序章的文章からまずはっきりさせておきたい。
 ひとつは、「レーニンの民族理論の核心を学ぶ」ための「適切な区分」と称して、第一章に帝国主義論の確立の時代を入れ、第二章を一九一七年ロシア革命から「グルジアのスターリン批判」までと区別していることである。
 この区分は、白井が後述するように「帝国主義論の確立が理論的には決定的転換点」と書きながらも、実は内容的には、それから死の直前の「グルジアのスターリン批判」までに千里の壁を築き、「グルジアのスターリン批判」こそが決定的であると主張し、帝国主義論の確立をもって樹立したレーニン民族理論を否定する意図が込められているのだ。「実践的にロシア革命の勝利が最大の区分である」というのは、もっともらしい理由づけだが、この区分には実に悪質な反革命的意図が込められている。
 ここで、第二編冒頭の引用文が一九一六年『自決に関する討論の決算』であることにも注目したい。これは、実は「レーニン民族理論の核心」という場合、はしなくも白井自身が一九一六年段階が決定的な゛理論的飛躍″であったと述べてしまっていることを意味する。にもかかわらず、白井は『民族本』全体で、「理論」ではなく「実践」(=ロシア革命)の名で、一九一六年段階のレーニンの民族理論を全力で否定し、死の直前の「グルジアのスターリン批判」こそが決定的であったとするのである。
 われわれの結論を先に書くと、「グルジアのスターリン批判」という゛実践″を可能にしたものこそ、帝国主義論に基づく「レーニン民族理論の核心」での゛理論的飛躍″であり、なぜ死の直前でスターリンの罷免というおそるべき革命的決断をレーニンができたのかは、民族理論に限って言えば、すでに一九一六年段階のレーニンが、この冒頭で白井が引用した立場を獲得していたからにほかならない。帝国主義論の確立に基づくレーニン民族理論の飛躍と、死の直前の「グルジアのスターリン批判」という実践的決断との関係は、そういう関係なのだ。
 いまひとつは、さらに第三章として「スルタンガリエフの主張に新しい光りをあてる」章を設けていることである。つまり、この本はけっして「レーニンの民族理論の核心を学ぶ」ためではなく、それを否定し、スルタンガリエフの主張こそ正しかったことを述べるための本なのだ。この章だてにこそ、白井の意図がある。
 つまり白井は、レーニン対スルタンガリエフ(あるいはローイ)の論争的対立はスルタンガリエフ(ローイ)が正しかった、それ以前のレーニンの帝国主義論に基づく理論的確立はまだ問題があり、レーニンは「グルジアのスターリン批判」で初めて正しい立場に立ったと言いたいのだ。別言すれば、「グルジアのスターリン批判」は、レーニン対スルタンガリエフの論争的対立におけるレーニンの誤りを認めるものであるとし、帝国主義論に基づくレーニンの民族理論の確立を否定したいのである。第一章と第二章の区分、第三章の設定に潜ませた意図は、これである。したがって白井は、この全体をとおして、レーニンとボルシェビキ批判は展開するが、けっしてスルタンガリエフの主張の全体像の紹介や、そのどこをレーニンが問題にしたのかはまったく語らずに隠蔽し(読者が客観的にスルタンガリエフを検討することを不可能にし)、ただただスルタンガリエフ「万々歳論」を展開し、それを証明するものとしてレーニンの「グルジアのスターリン批判」が利用されているに過ぎない。レーニンの偉大さではなく、スルタンガリエフ万々歳の証明としてレーニンも活用されているだけなのだ。
 これは、どんなに隠そうとしても隠せない『民族本』の本質である。それが、章だてにも表れているに過ぎない。
 さらに第三に、その上でわざわざ第四章を設けた意味は、「スターリンの民族消滅論」批判にあると書いている。しかし、実はその核心は、その原因をレーニンに求め、「階級共同体を建設するために民族を爆破するというレーニンの見解」(二八七n)なるものをデッチあげ、レーニン主義こそ問題なのだとすることにある。白井のこの本は、この〈反革命的デッチあげ〉の事実を暴露するだけで、その理論的でたらめさ、理論性のなさ、非科学性を証明できる代物である。〈デッチあげ〉の上に、膨大な歴史的事実の都合のよい部分だけまぶした「理論的」装いで、読者に目くらましを食らわせているだけの本なのだ。

 (2)レーニン民族理論における帝国主義論確立の意義

 以上の確認の上でまず第一に、白井がレーニン民族理論における帝国主義論の確立の決定的意義をいかに引きずり下ろし、過小評価し、否定しているかをはっきりさせる。
 『民族本』の中で、レーニンの帝国主義論確立以降の民族理論の飛躍に関して、白井が評価を語っているところを発見するのは困難ではない。「巨大な思想的転回点」「抜本的な深化」「抜本的な自己変革的前進」「レーニンの到達した高さ」「じつに偉大な理論であり、明快なことば」「レーニン民族理論の神髄」「じつにふかいプロレタリア国際主義の思想」「衝撃的ですらある」「まばゆい光りを放つすばらしい解放の思想、光彩陸離たる思想」「マルクスとレーニンの民族理論のひとつの極致とさえ言える」などという言葉が随所に書かれている。一見賛美とすら言ってよい。
 しかし、この八九〜一一八nの第二節「帝国主義論の確立と一九一六年の三つの民族論文の到達地平」は、丹念かつ正確に読むと、すべてこれらの評価の否定のために書かれていることが分かる。賛美の一つひとつの後に、必ず問題点の存在、限界の存在、未到達の領域の存在などがつけ加えられているが、実はそこにこそ白井の主張の重心があるのだ。これが第一である。
 この節の最後の「まとめ」で明らかだが、ほとんど是々非々的に展開し、結論が、レーニンも「いまだ十全ならず」「矛盾した考え方がなお内在して」おり、実は「グルジアのスターリン批判」の最後の到達地平へと「止揚していく一過程」のものでしかないとまとめられている。
 それはなぜか。もともと白井の出発点・動機が、「グルジアのスターリン批判」にあり、その地平からそれまでのレーニンを「それに至っていない過程として批判する」ために準備されたからである。白井に決定的インパクトを与えた山内が、帝国主義論の立場など毛頭もっていないことに規定されて、白井の当初の論文があまりにも「グルジアのスターリン批判」だけを到達地平的に書かれていたために、それに対するわれわれの批判||帝国主義論の確立とそれに基づく民族理論の飛躍的発展が決定的ではないか||から、自己の弱点を補うためにのみ、この項目が設けられたからである。
 さすがに白井も、そこにはレーニンのおそるべき思想的到達地平があることを否定できず、一つひとつのレーニンの言葉には称賛の言葉を発しながら、しかし結局は、ここで理論的にがっちりと基礎づけることを徹底的に回避した。白井は「是々非々」的展開をしているが、実は「非」の方に重心があり、「是」の方にペテンがあるのだ。
 第二に、すでに指摘したことだが、白井のペテン性は、レーニンのおそるべき思想的到達地平を「賛美」するが、なぜレーニンがその地平に到達できたのかをけっして語らないところにある。もし白井に本当にレーニン理論から「学ぶ」姿勢があるならば、「抜本的」であり「衝撃的」ですらあるレーニンの思想は、マルクス主義に基づく世界革命の思想、プロレタリアートの階級性の根本にある国際主義の素晴らしさのレーニンにおける再確認とその深化としてとらえ返すことになるはずだ。そうすれば、どんなに間違っても「階級唯一論」というような嫌らしい言葉で、共産主義の根本を否定することにはならないはずである。珠玉のような思想は、突然天から降ってくるものでもなければ、地からわいてくるものでもない。ものすごい苦闘の中からのみ生まれるものだ。これを主体的にとらえ返さずに、どんなに「賛美」しても、それは「学ぶ」ことにはならない。
 その上で第三に、白井がこの部分で、「賛美」の後に必ずあげつらう「問題点」は、ほとんどすべてがきわめて反動的見解である。これがまともならば、まだ救われる。だが、これがすべてインチキ・偽造・デッチあげなのだ。「スルタンガリエフが正しかった」「レーニン主義こそがスターリン主義を生み出した要因である」という主張に強引にもっていくための伏線以外の何ものでもない。
 一つひとつ全部暴露するのは省略して、次に二点に絞ってそれを明らかにする。そのあと、それ以外のところにも簡単に触れる。

(つづく)

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週刊『前進』(1985号5面1)

新刊紹介 コミューン 1月号 「教育改革」を批判

 今回の特集は、教育基本法改悪・改憲に向かって動きだした教育改革国民会議と石原の「心の東京革命」という二つの「教育改革」攻撃を取り上げている。
 第一章は、ファシスト石原の『心の東京革命行動プラン』の批判だ。最初に石原の「心の東京革命」とは戦後憲法・教育基本法を破壊し、戦争を担いうる「心」を作ろうとする下からのファシスト運動であることを暴露している。次に「心の東京ルール〜七つの呼びかけ〜」が子どもの主体性を否定し、服従を強いる教育勅語型教育の復活であることを明らかにしている。最後に「心の東京革命」の根幹にある「脳幹」論という石原教育論を徹底批判している。「脳幹」論は、しごきと暴行で五人の子どもを死亡・行方不明に追いやった戸塚ヨットスクールの戸塚宏のデッチあげニセ科学。石原はこれを借りてきて、戦前の天皇制軍隊の人間性破壊・絶対服従の軍隊式教育を合理化しようとしているのだ。
 第二章は教育改革国民会議中間報告の批判。奉仕活動の義務化は、徴兵制導入を狙いとし、学徒動員を想起させる。提案者の曾野綾子は、奉仕活動をつうじて「日本人の精神」を復活させ、日教組を排除し、「ナショナリズム」を注入しようとしている。戦後憲法・教育基本法を破壊し、子どもたちを戦争に駆り立てようとするものだ。「問題を起こす子どもの排除」「不適格教員の排除」などについても批判している。

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週刊『前進』(1985号6面1)

「自衛隊活用」を確定した日共22回大会
「よりまし政権」参加求め安保容認・改憲翼賛勢力に
 高田 隆志

 十一月二十日から始まった日本共産党の第二二回大会は、党規約の全面改定、「有事の自衛隊活用」路線を始めとする改憲翼賛路線を決定し、不破哲三議長、志位和夫委員長、市田忠義書記局長の新三役体制を選出して、二十四日に終わった。今回の大会は、二十世紀におけるスターリン主義の裏切りと破産の歴史を塗り隠し、帝国主義国の残存スターリン主義として生き残りを図ろうとする大会だった。党内の反対意見の噴出にもかかわらず、「自衛隊活用」論を貫いたことは、戦争以外に出口のない体制的危機を深める日本帝国主義の最後の番兵として延命するという意思表示である。労働者階級人民の反戦闘争、革命的大衆闘争に敵対し、日帝の戦争政策に協力する日本共産党スターリン主義を絶対に許すことはできない。反スターリン主義・革命的共産主義運動の真価を発揮して、日共を打倒しのりこえ、闘う労働者党を強力に建設することが、いよいよ重大な課題になってきているのである。

 「急迫不正の侵害」への対処として自衛隊の存続を宣言

 今回の大会の最も重要な反革命的核心は、「有事の自衛隊活用」という踏み込みである。これは、一方で「自衛隊は違憲」としつつ、「憲法九条と自衛隊の現実との矛盾」を「解消することは、一足飛びにはできない」として、@安保廃棄以前の段階、A安保廃棄の段階、B国民の合意で憲法九条の完全実施――自衛隊解消にとりくむ段階、の三段階で解消するという「展望」を示す中で出されたものである。「この時期に、必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用することは当然である」とする決議案が提起されたのである。
 日共は、まず「憲法は自衛権を否定していない」ことを前提にして論議しているが、「自衛権」とは帝国主義日本の自衛権であり、労働者階級の立場とは相入れないのだ。それは帝国主義的権益、国益を守るために使われるものであることは、史上あらゆる帝国主義が、侵略戦争、強盗戦争の口実として「自衛権行使」を使ってきたことをみれば明白だ。
 さらに段階的に自衛隊を解消するというが、その第三段階、「自衛隊解消に取り組む段階」においても、「必要にせまられた場合には」自衛隊を活用するというのであるから、それまでは帝国主義が「必要にせまられた」と言って自衛隊を「活用」(出兵、戦闘行動ということだ)することは当然として容認するものである。
 大会に向かっての討議で、多くの党員から「自衛隊の容認は右転落であり、認められない」「憲法をじゅうりんするものだ」という意見が集中したことは、当然である。一九五八年の第七回大会以来初めて、決議採択に「保留一」が出たことにそれは示されている。分派の結成を禁止した官僚主義的集中制のもとで、反対ないし保留の意見を持った代議員が選出されてくるということ自体が異例のことであり、それほど激しい拒否反応が党内にあふれているということを示しているのである。
 しかし、修正を施された点をよく見れば、改善どころか、自衛隊活用論を補強したものにすぎないことがわかる。「必要にせまられた場合」を、具体的に「急迫不正の主権侵害、大規模災害など」と明記し、「自衛隊活用」について「国民の生活と生存、基本的人権、国の主権と独立など、憲法が立脚している原理を守るために、可能なあらゆる手段を用いる」という言葉で補強している。
 九四年の二〇回大会では、「急迫不正の主権侵害に対しては、警察力や自主的自警組織など憲法九条と矛盾しない自衛措置をとることが基本である」とされ、これは二一回大会決議でもリフレインされている。「憲法九条と矛盾しない自衛措置」(二〇、二一回大会)と「違憲の自衛隊の活用」(二二回大会)とでは明らかに違うのだ。だから今回、修正段階で「急迫不正」という言葉を使ったことで、日共の路線がエスカレートしたことが浮き彫りになるのだ。
 「急迫不正の主権侵害」とは、「侵略に対する備え」が必要ということであり、こうした場合に「自衛隊を活用」ということなら、永久に「自衛隊の必要性」は残ることになる。
 一番重要なことは、今まさに改憲・有事立法攻撃が吹き荒れているただ中で、「自衛隊活用」論が唱えられていることの決定的反動性である。衆参両院に憲法調査会がつくられて改憲が平然と議論され、具体的な改憲の日程までもがテーマになり、ガイドライン法(周辺事態法)をさらにエスカレートさせる臨検法案が成立させられようとし、日帝・自衛隊が「周辺事態=日本有事」「日本の平和と安全のため」と称して、ガイドライン体制の発動、侵略戦争に乗り出そうとしている時に、「自衛隊を活用する」決議を決定したのである。
 改憲阻止闘争の革命的大衆行動が大きな課題として浮かび上がっている時、本来なら、日共でも「改憲阻止の一大国民運動を」と叫んでいなければならない時なのである。この時に、日共は改憲阻止のことなどかけらほども考えていない。改憲阻止の運動を起こすどころか、逆に自衛隊を活用するかどうかを議論しているのだ。このことがそもそも転倒しているのだ。
 日共はしきりに「国民的合意」を強調するが、それはブルジョア支配階級に向かって、その意に反することは絶対にしないという誓約である。それは逆に言えば「国民的合意」があれば軍隊も戦争も認めるということである。「国民的合意」が成熟するまでは自衛隊は残るというのであれば、憲法が改悪されたら、それをも「国民的合意」ということで承認してしまうということである。日共指導部は、そういう事態を見越して、あらかじめ「国民的合意が大事」という布石を打っているのである。だから、日共の「自衛隊活用」論は、改憲派への転落そのものである。
 採択された大会決議は、「資本主義の枠内での民主的改革」路線にもとづいたものであり、全面的に反革命的なものであるが、最大の問題として、以上の「自衛隊活用」についてのみまず確認しておきたい。

 「国民政党」化を前面化させ排外主義・民族主義強める

 二二回大会のもうひとつの議案である規約全面改定については、前文を全面削除したこととともに何よりもこれまでの党規約における党の性格規定を変更したことが重要である。
 これまでの「日本共産党は、日本の労働者階級の前衛政党であり、働く人びと、人民のいろいろな組織のなかでもっとも先進的な組織である」というのを、「日本共産党は、日本の労働者階級の党であると同時に、日本国民の党であり、民主主義、独立、平和、国民生活の向上、そして日本の進歩的未来のために努力しようとするすべての人びとにその門戸を開いている」と改定した。
 これはマスコミでも「階級政党」から「国民政党」への転換か、と書き立てられ、また党員の中からも多くの異論が提出された。
 もともとスターリン主義党としてプロレタリア革命に敵対することを党派性とする党であるから、「労働者階級の前衛政党」と言っても、それは共産主義的な階級性を表すものではなかった。「階級」の名において革命を圧殺するものだったのだ。
 しかし、そのようなものでも、階級の利害を代表するというのでは「資本主義の枠内での民主的改革」路線にとって具合が悪いということで、今回の改定になったのである。
 このことについて、不破は、大会の結語で「もともと(国民政党と階級政党は)どちらをとるかという対立的な概念ではありません」と強弁した。その理由として、「労働者階級は国民の圧倒的多数をしめ」ているだとか、「社会主義の事業そのものが国民的な性格をもっている」とかと言っている。そして「社会主義をめざす勢力が民主主義、民族独立などの国民的事業の最も徹底的な推進者となる」ことを踏まえたものだと言っている。
 これは、労働者階級の階級的=国際主義的任務として、プロレタリア世界革命の一環としての日本社会主義革命を実現するという共産主義者の立場に徹底的に敵対することから必然的に生まれたものだ。労働者階級の闘いを「国民」の枠の中に抑え込み、ブルジョアジーと敵対しないようにする意図が込められている。
 また、同時に「日本の労働者階級の党」「日本国民の党」と「日本」が強調されていることは、日共の排外主義的本質を際立たせるものだ。それは、規約第四条の「国籍条項」と一体の問題である。
 「十八歳以上の日本国民で、党の綱領と規約を認める人は党員となることができる」という規約第四条の「国籍条項」について、大会に向かっての議論で「永住外国人なら資格を認めるべきではないか」という意見が多く出された。
 これについて、不破は、「日本の変革の事業は日本国民の事業なのだという問題、それからまた各国の運動はたがいに他国の内政には介入しないという問題」だと言い、こういう立場で「日本国民」にするのだと居直った。つまり、世界革命とプロレタリア国際主義への全面的敵対、帝国主義的排外主義を路線化するとあらためて明言したのだ。
 ここに明白に表れているように、日共の立場は「外国人は日本の政治に口出しをする権利はない。言いたいことがあるなら日本に帰化すればいい」というものである。
 さらに不破は、永住外国人の参政権問題について、「私たちは、地方参政権、つまりそこに住んでいる住民の福祉、生活に非常にかかわりの深い地方政治の分野では、選挙権も被選挙権も当然もつべきだという立場で、提案していることも申しそえておきます」などと言っている。
 今、永住権者の参政権問題として社会的に問われていることに、不破は、きわめてはっきりと「部分的権利なら与える」と態度表明したということである。これは日帝の、地方参政権を使った同化・翼賛化攻撃と何ひとつ変わるところはない。ここには、日本帝国主義と非和解的に対立する在日朝鮮人、中国人、アジア人民の革命的闘いに対するスターリン主義としての恐怖と敵視があることは明白である。
 さらに、党組織論においては、民主集中制ならぬ官僚主義的集中制を一層強めたのが今回の規約改定である。文字どおりスターリン主義的な官僚主義的一枚岩主義なのである。

 日共スターリン主義打倒し真の闘う労働者党建設を!

 二二回大会では、志位が委員長となり、「国政に関しては党を代表する」人格と位置づけられた。これは他方で、不破が党の代表として、綱領改定や理論面に力を集中する体制にするということである。
 大会後の常任幹部会で、綱領を三年以内に改定することを決定した。三年以内に開く次期定期大会で、綱領を「わかりやすく」変えるということである。
 これは、規約改定に続いて、「よりまし政権」に参加するために、ハードルをより低くするためである。
 しかし、帝国主義国における残存スターリン主義として、「日本共産党」の看板を掲げ、「社会主義、共産主義の展望」の入った綱領をもっているかぎり、どこまで行っても、民主党など他の野党から「党名を変えよ」「綱領を捨てろ」という攻勢は終わらない。ジレンマは続くのである。そして結局、日共はどこまでも泥沼のような屈服と歩み寄りの道を進み、労働者階級の革命的決起に敵対していくのだ。
 不破は「階段を上がるように社会を一段一段変えてゆくということと、その階段のどんな一段も、国民の多数の合意でやるということ」が共産党の「日本改革論」だと言っている。「二段階革命」ならぬ「一段一段改革論」である。革命の完全な否定である。
 しかし、現実に日共がやっていることは、自衛隊活用問題で見たように、あるいは天皇制容認の動きに見るように、一段一段階段を下りて支配階級に歩み寄っていくことだけである。
 一番根本の問題は、日本共産党がどこまで行ってもスターリン主義の党であるということにある。スターリンやソ連共産党について、どれだけ口をきわめて非難しても、それで日共自身のスターリン主義としての本質を清算することはできない。日共はスターリン主義としての自らの自己批判は絶対にしない。それは彼ら自身が〈世界革命の裏切りと一国社会主義論〉というスターリン主義の本質を大本から切開するどころか、あくまでそこにしがみついているからである。
 日共は、そのようなスターリン主義として、帝国主義の危機のもとで、帝国主義打倒の条件が成熟しつつある時に、これを革命的に転覆するのではなく、その改革が可能なのだと言って革命に敵対し、日帝の危機の救済者となって、自らの延命を図ろうとしているのである。
 不破は、党首として、党員に対するイデオロギー教育に全力を挙げ、日共の党史や綱領について武装させようとしている。つまり、帝国主義に対する限りない屈服の一方で、スターリン主義としての反革命的再武装の強化を図って、階級的激動の革命的発展をなんとしても押しとどめようとしているのである。日共は単なる日和見主義や社民ではなく、あくまでスターリン主義反革命なのだ。
 日本共産党の反革命的転落はきわまった。一方におけるファシスト・カクマルのかつてない危機への突入とあいまって、いよいよ、誰から見ても、日帝の侵略戦争、戦争国家化攻撃に真っ向から対決し、労働者階級の自己解放闘争を推し進める党派は、わが革共同以外になくなってきている。まさに今こそ日共スターリン主義を打倒し、のりこえて、反スターリン主義・革命的共産主義運動をあらゆる職場、学園、地域に持ち込み、広げていくべき時である。
 拙著『日本共産党―改憲派への転向』(前進社刊、定価一八〇〇円)は、こうした目的をもって出版されたものである。序章で二二回大会議案を批判しており、日共の今日的反革命性を突き出しているので、ぜひ役立てていただきたい。

 資料・決議要旨

 自衛隊活用部分(ゴシックは原案を修正した個所)
 憲法九条にてらすならば、自衛隊が憲法違反の存在であることは、明らかである。憲法九条と自衛隊の現実との矛盾を解消することは、一足飛びにはできない。憲法九条の完全実施への接近を、国民の合意を尊重しながら、段階的にすすめることが必要である。
 自衛隊問題の段階的解決というこの方針は、憲法九条の完全実施への接近の過程では、自衛隊が憲法違反の存在であるという認識には変わりがないが、これが一定の期間存在することはさけられないという立場にたつことである。これは一定の期間、憲法と自衛隊との矛盾がつづくということだが、この矛盾は、われわれに責任があるのではなく、先行する政権から引き継ぐ、さけがたい矛盾である。憲法と自衛隊との矛盾を引き継ぎながら、それを憲法九条の完全実施の方向で解消することをめざすのが、民主連合政府に参加するわが党の立場である。
 そうした過渡的な時期に、急迫不正の主権侵害、大規模災害など、必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用する。国民の生活と生存、基本的人権、国の主権と独立など、憲法が立脚している原理を守るために、可能なあらゆる手段を用いることは、政治の当然の責務である。

 90年代以降の日本共産党の主な動き

90・ 7 第19回大会で志位書記局長が就任
91・ 8 ソ連共産党の解体に際し、宮本が「双手をあげて歓迎」と発言
92・ 9 野坂参三名誉議長を解任、12月除名
93・ 7 総選挙で前回比1減の15議席に
94・ 4 「新・日本経済への提言」を刊行
   7 第20回大会で綱領の全面改定。ソ連の「社会主義」規定を外す
96・10 総選挙で26議席に
97・ 9 第21回大会で宮本議長が引退、名誉議長に。「21世紀の早い時期に民主連合政府実現」とする決議案を採択
98・ 7 参院選で過去最多の15議席
    不破、志位らが中国を訪問。不破・江沢民が32年ぶりに首脳会談
    参院選後の首相指名選挙で、民主党の菅直人代表(当時)に投票
   9 不破が講演で象徴天皇制を容認
    第3回中央委総会で「暫定政権」構想を採択。「暫定政権では安保条約廃棄の方針を凍結する」と安保容認
99・ 2 「国旗・国歌の法制化」を求める新見解。法制定を促進
   3 「不審船」に対する自衛隊の初の海上警備行動を事実上容認
   6 不破を団長に東南アジア訪問
  12 北朝鮮への超党派訪問団に参加
00・ 2 沖縄サミット翼賛の「報告と訴え」
   6 皇太后の死去に不破が「弔意」表明
    総選挙で20議席に後退(6議席減)
   9 第7回中央委総会で22回大会に提案する決議案、規約改定案を了承
  10 朝鮮総連と17年ぶりに関係正常化
  11 第22回大会で規約改定。決議採択。不破議長、志位委員長の新体制発足

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週刊『前進』(1985号6面2)

闘う革共同の大飛躍へ圧倒的な年末カンパを
 革命的共産主義者同盟

 革命的大衆行動で三大決戦勝利

 全国の闘う労働者人民のみなさん! 年末一時金カンパへのご協力を心から訴えます。そして、革共同の提起した二〇〇〇年三大決戦が切り開いた勝利の道をともに突き進みましょう。
 日本帝国主義は、九七年秋以降、深刻な恐慌に陥り、体制的危機、政治危機に突入しました。そこから、自己の延命をかけて〈外への侵略戦争、内への階級戦争〉の攻撃をかけてきました。
 しかし、恐慌、大失業、戦争への突入の時代こそは、帝国主義と労働者階級人民の階級的激突の時代であり、革命的情勢が成熟する時代です。革共同は、労働者階級人民の国際的=階級的決起を確信し、二〇〇〇年三大決戦を対置して革命的大衆行動の組織化に全力をあげ、勝利しました。
 第一に、革共同は闘う国労の労働者とともに決起し、七・一国労臨大以降三度、国鉄闘争破壊のための「四党合意」の大攻撃を阻む勝利を切り開きました。これは二十一世紀の日本の労働運動の命運を決する巨大な勝利でした。
 これに続き、十一・五労働者集会が、三千二百五十人の大結集でかちとられました。十一・五集会は、国鉄千四十七人闘争に勝利し、大失業と戦争の攻撃を打ち砕く新潮流運動の大前進を指し示しました。
 この二つの勝利は、日帝権力・資本とその先兵、カクマル=JR総連に大打撃を与え、戦闘的労働運動の再生の展望を力強く示しています。
 第二に、七月沖縄サミット粉砕闘争に昨年のガイドライン決戦を引き継いで決起し、名護東海岸住民を始めとする沖縄人民の怒りの決起と、全学連を先頭にした本土労働者人民の闘いの大合流で、完全に粉砕しました。
 その闘いは、在韓米軍撤退要求を掲げて闘う南朝鮮人民とも連帯して闘われ、名護新基地建設阻止闘争の再高揚を告げ知らせるものとなりました。
 第三に、六月衆院選に長谷川英憲氏を推し立てて初挑戦し、ファシスト石原伸晃・石原都政と対決する唯一の労働者党として、杉並区民と全国の労働者人民とともに当選を求めて全力で闘いました。
 結果は二二、七九九票で、無念にも当選はできませんでしたが、この票は現状変革を求める人民の決意のこもった票でした。介護保険反対の住民運動を組織し、選挙民自らの決起で政治を変えて行く革命的議会主義思想を復権させ、労働者人民の党への第一歩を踏みだしました。次期衆院選、来年都議選必勝にむけての闘いの出発点を築くことができました。
 真の労働者党が不在の今日の政治状況は、労働者人民が革命的大衆行動を求めて活性化するか、それとも石原のようなファシストの扇動に絶望的に吸引されるかの岐路に立っています。
 二〇〇〇年決戦は、こうした状況の中で、革共同の闘う労働者党としての登場と革命的大衆行動こそが、労働者人民の勝利の道であることを明らかにしました。

 カクマル完全打倒の絶好機到来

 労働者階級の解放は、労働者階級自身の事業です。そしてそのためには、労働者階級の内部に根をはった強固な革命党の存在が絶対に必要です。二〇〇〇年決戦は、この闘う労働者党建設への巨大な展望を切り開きました。
 歴史的決戦期は、政治党派の本質を無慈悲に暴き出します。
 スターリン主義反革命として、日本労働者人民の闘いに敵対してきた日本共産党は、十一月に行われた第二二回党大会で、「有事の自衛隊活用」を宣言して改憲派に大転向しました。日本共産党は、深刻な恐慌に突入した帝国主義を打倒すべき今、「資本主義の民主的改革」を唱え、プロレタリア革命に反対し、危機を深める日帝の「最後の番兵」として延命しようとしています。
 国鉄闘争破壊の「四党合意」策動を、自らの暴力装置を動員して国鉄労働者に強制しようとした者こそ、日共=革同上村派です。日共は、労働者人民の味方ではありません。労働者の闘いを、暴力をもって押しつぶそうとするスターリン主義反革命であり、打倒する以外にありません。今や、日共を労働戦線始めあらゆる戦線から一掃し、闘う労働者を獲得する絶好機が到来しています。
 国鉄労働者を犠牲にしてカクマルだけが生き残ろうとした黒田=松崎路線は完全に破綻(はたん)しました。JR総連が警察に告発状を出し、カクマルがこれを弾劾する泥仕合が始まっています。ついにカクマルとJR総連が全面的な対立状態に入り、JR総連の大分裂・大崩壊が始まりました。
 JR総連=カクマルこそ、日帝権力・JR資本の最悪の先兵として、戦後最大の労働運動解体攻撃である国鉄分割・民営化攻撃と総評解体攻撃の先頭に立ってきた憎むべき反革命です。
 革共同の五月テーゼ−一九全総・二〇全総の闘いと動労千葉や国労闘争団を始めとした国鉄闘争の前進こそが、万力のような力でJR総連=カクマルをここまで追い詰めてきました。不正義の暴力で労働運動を抑えつけることなどけっしてできないのです。
 ファシスト・カクマルは、その最大の実体であるJR総連の分裂、離反によって、反革命への転落以後最大の危機を迎えています。このカクマルの白色テロと三十年間不屈に闘ってきたことの巨大な成果が、ついに眼前に現れ始めたのです。カクマル完全打倒の絶好機がやってきたことを、すべてのみなさんとともに、決意も固く確認したいと思います。
 国鉄闘争と新潮流運動、百万の国鉄闘争支援陣形が一体となって、日本労働運動の階級的再生にむかう情勢が切り開かれました。カクマル完全打倒、ファシスト労働組合=JR総連打倒、国鉄決戦勝利へともに大前進しましょう。

 帝国主義打倒へ労働者党建設を

 戦後革命圧殺以来の数十年におよぶ帝国主義とスターリン主義の未曽有の大反動期はついに終わり、再び革命的激動の時代が始まりました。ユーゴスラビア、パレスチナ、南朝鮮・韓国、フィリピン、インドネシア、そしてアメリカなど、全世界で労働者階級の闘いが開始されています。日本階級闘争における国鉄決戦と沖縄闘争を軸とした大激動、大高揚は、その最先端をなすものです。
 日帝の体制的危機をかけた攻撃に対して資本主義の根本的否定、帝国主義打倒の立場からしか闘うことはできません。革共同は結党以来「帝国主義打倒! スターリン主義打倒!」の綱領的立場で、日帝打倒のために闘い、スターリン主義反革命・日共と闘い、ファシスト・カクマルと闘いぬき、党と階級の隊列を守り、今日の情勢を切り開いてきました。
 日共とカクマルを労働戦線から打倒・一掃し、階級の内部に強固な党を建設し、階級の隊列を革命的に統一すべき決定的な情勢です。機関紙拡大、財政強化、党員拡大の党勢二倍化こそ、二〇〇〇年決戦の勝利を真に確定し、二十一世紀を準備するものです。
 すべての闘う労働者人民のみなさん! 強固な革共同の建設の事業をともに担い、闘う労働者党を建設しようではありませんか。

 2001年決戦準備する資金を

 年末一時金カンパで集められた資金は、二〇〇一年の決戦を直接に準備するものです。
 二〇〇〇年決戦の勝利を引き継ぐ二〇〇一年の闘いは、改憲・有事立法阻止決戦、沖縄名護新基地阻止決戦、ファシスト石原打倒と都議選必勝、国鉄決戦勝利−戦闘的労働運動の防衛と発展、カクマル=JR総連の解体・打倒闘争を中心に、革命的大衆闘争の一層の発展を切り開くために闘いぬくものです。
 勝利した革命は、自らの財政を労働者人民のカンパによって必ず解決してきました。ボルシェビキは、一人あたりの額は少なくとも多数の労働者からのカンパを集めることによって、富裕層に依拠していたメンシェビキよりもはるかに多くの資金を得ていました。
 二〇〇一年決戦は、その勝利の規模にふさわしい財政基盤を必要としています。二〇〇〇年決戦をともに闘ったすべてのみなさんに対して革共同は勝利の確信もって圧倒的な年末一時金カンパを訴えます。年末一時金カンパの圧倒的な集中によって強固な革共同を建設し、勝利の二十一世紀に進撃しましょう。

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週刊『前進』(1985号7面1)

全面露呈した黒田指導の破産
分割・民営化の先兵どもの末路カクマルの「JR総連総失陥」
 矢島 治雄

 5月テーゼ路線の闘いが切り開いた地平

 カクマルによるJR総連幹部・坂入充の拉致・監禁は、この間のカクマルによるJR総連カクマルに対する「ダラ幹」呼ばわりと激しい非難が、JR総連カクマルのカクマルからの修復しがたい離反=分裂となったことを示す事件である。カクマルにとってJR総連問題=危機を解決するためには、もはや内部テロル以外にとるべき手段がなくなったのである。
 カクマルとJR総連カクマルは非和解的な敵対関係に突入した。カクマルの「JR総連失陥」という歴史的事態が不可逆的に進行しているということである。
 この分裂の根拠のひとつは、黒田=松崎が一体となって進めた国鉄分割・民営化への屈服・先兵化路線そのものにある。カクマルはその「功労」によってJR総連という組合組織を日帝国家権力とJR資本から与えられた。カクマル=JR総連はこれを出発点にファシスト労働運動を推し進め、ファシスト反革命としてますます純化していった。
 松崎は「国労は三年でつぶれる」と豪語し、そうしたら自分たちの裏切りは歴史から消すことができると踏んだが、そうはいかなかった。千四十七人の国鉄清算事業団被解雇者を先頭とする国鉄労働者の闘いが、この松崎の反革命的思惑をうち破り、カクマル=JR総連の今日の組織的危機の爆発を引きおこしたのである。国労と動労千葉の存在と闘いこそがこうした情勢をもたらした主体的要因なのである。〔この点に関しては、「清水丈夫選集」第四巻序文の「五、労働戦線(国鉄)における対カクマル戦の勝利的前進の意義」をぜひ参照してほしい〕
 カクマルとJR総連の分裂のもうひとつの根拠として、九九年五・二一ガイドライン反対五万人集会(明治公園)と、六・二四組対法反対統一行動(日比谷野音)の戦闘的高揚とそこにおけるカクマル=JR総連の介入策動の破産ということがある。
 この二つの意味で、カクマルとJR総連の分裂という歴史的情勢は、まさに九一年五月テーゼと一九全総・二〇全総路線のもとでのわれわれの闘いの前進が切り開いたものと確信をもって言うことができる。
 われわれは九五年の一九全総において、松崎の二つの講演を批判し、「この新しい路線は党としてのカクマルそのものの分裂、四分五裂を必ず引きおこすものになる」「それはカクマルの党としての最終的自殺行為である。彼らの敗北と崩壊はもはや不可避だ」と断言した。
 われわれはその後五年間の闘いをとおして、一九全総でのこの「予言」を現実のものとして切り開いているのである。

 黒田=松崎の裏切り路線こそ危機の原因

 ここでは、国鉄分割・民営化への屈服・先兵化路線そのものが今日の危機の爆発を引きおこした決定的要因であることを、八〇〜九〇年代のカクマル労働者組織の危機の深まりを明らかにすることをとおして確認していきたい。
 松崎=黒田は、七五年秋のスト権ストの敗北を口実にファシスト的な転向の道に踏み込んでいった。そして、七七〜七八年にかけて「水本謀略デマ運動」と「三里塚闘争と一線を画す」という反革命路線で動労組織を引き回し、動労内の松崎=カクマル支配を決定的なものとした。〔この過程の七九年三月、動労千葉は動労本部から分離・独立した〕
 こうしてカクマルは、八〇年六月の衆参同時選挙における自民党の勝利をもって「ネオファシズム体制が完成した」とし、「労働運動は権力の謀略が吹き荒れる冬の時代を迎えた」としたのである。それは、「戦後政治の総決算」を叫ぶ日帝・中曽根体制(八二〜八七年)の階級的労働運動解体―総評解体攻撃と闘わず、その最大の攻撃であった国鉄分割・民営化に屈服しその先兵となるという意味をもっていた。松崎は元警視総監・秦野や自民党の金丸などと野合して階級的労働運動解体の策動に全力をあげた。
 松崎は、八〇年代初めから八七年の国鉄分割・民営化に至る過程において、国鉄労働者二十万人首切りを率先して推進した。この中で二百人以上の自殺者が出た。このカクマルの裏切りに対する労働者の怒りは今日もけっして消えることはない。
 カクマルは八〇年代中期において、国鉄分割・民営化攻撃に対してとった「A=B路線」をすべての産別組織の基本方針にした。「A=B路線」とは、「A―分割・民営化反対」を表向き掲げるが、現実には「B―国鉄当局の政策に率先協力する」というものである。
 八四年と八五年のPS〔労働者学校〕において、松崎は「百戦錬磨の労働運動の経験豊かな同志」として登場し、「組合主義といわれるぐらいに一生懸命に組合運動にとりくんでみたらどうか」と提起した。それは「日本労働運動の終焉(しゅうえん)―国鉄の戦闘的労働運動の終焉という現実認識の欠如」した「戦闘的労働運動へのノスタルジア」を労働者メンバーから一掃し、帝国主義的労働運動の先兵としての「新たな感覚と発想」を植えつけることを目指したものであった。
 この松崎の提起は、労働者メンバーとその組織をとんでもない方向に突き進ませた。それは、「民同フラクへの埋没傾向」であり、「遊び・酒・パチンコなどへの熱中」であり、「低水準の破廉恥行為の続発」であった。
 黒田は、この反革命としての党派性解体の危機と驚くべき腐敗・堕落のまん延に対して「整風運動」(八六年カクマル一五回大会)を提起し、ファシストの「倫理的自己形成」をがなりたて、粛清と党員再登録に明け暮れた。
 それが思うように進まない中で、焦りを深めた黒田は八九年「三・五提起」を打ち出し「カクマル組織の組合活動家集団への変質」を弾劾した。それは、「松崎がやったようにA=B路線を貫徹せよ」というタガはめを意図していたが、黒田の思惑に反して「自己流の受けとめに問題があったとは何ごとか」とか「A=B路線をうちだした指導部の自己批判はどうなっているのだ」というような不満と反発が一斉に噴き出し、組織的危機がさらに拡大してしまったのである。
 黒田はその責任を七〇年前後から二十年以上の活動歴をもつWOB(労対)指導部に押しつけ、彼ら「四人組」を「組織実践のサボタージュ」とか「厳格な思想闘争の拒否」と断罪し追放することで危機をのりきろうとしたのである(九一年十月)。

 「賃プロ主義者」とは何だったか

 このかつてない組織的危機と混乱の中で、DIを先頭とする賃プロ主義者が台頭してきた。彼らは「革命のかまえを築け」とか「賃プロ魂をわがものに」とか「資本と刺しちがえる覚悟」などという空文句を叫んで影響力を拡大した。
 黒田は危機のりきりのために、このDIに「お墨付き」を与えた。DIは黒田の威を借りて「いやな人は出ていってくれ」とすごみをきかせて九二年「三・一提起」を行い、「解体的再創造(死んで生きる)」というスローガンのもとに組織全体を制圧し、九三年夏まで実権を握り続けた。その結果、組織はズタズタ、ボロボロになってしまった。
 その中でDIは、「動労への憎悪に満ちた張り合い意識」と「松崎への敵がい心」を満展開させる一方で、沖縄や自治労の組合主義的偏向も批判の的としたのである。
 このようにDIが実権を握りえたのは、国鉄分割・民営化攻撃の先兵となった松崎と松崎路線に対する動揺と反発が、カクマル組織内に広範に存在していたからなのである。
 DIが行ったことは、「親衛隊をつくりだし、敵とみなした同志たちにぶちあたらせる」こと、つまり内部テロルによる組織制圧だった。沖縄・教労古参幹部の高橋利雄の拉致・監禁・殺害はそれを象徴する事実である(高橋は九二年三月、沖縄から行方不明になり、しばらく後に大阪市内で遺体で発見された)。
 DIがその後ますます増長し「組織現実論のようなクチャクチャしたものはどうでもいい」などと黒田と組織現実論を全面的に否定しさるような言動をとるにいたって、黒田は、「奪権闘争」に立ち上がった(九三年七月)。黒田は、「この問題は自己批判で解決できるような問題ではない」として、DIとその「親衛隊」を粛清する一方で、「清算主義ともなじられるような形で抜本的に克服していく」としか言えず、この問題に関して何ひとつ総括できない現実をさらけだした。
 それにとどまらず、黒田は、DIら賃プロ主義者が組織を制圧していた期間は「冬眠していた(から自分に一切の責任はない)」と開き直り、「用務員〔常任〕の無能とゆがみに反撃できなかった労働者は遺憾である」とか「労働者組織はガン化している」と労働者メンバーにすべて責任を転嫁したのであった。
 PS提起―三・五提起―三・一提起―賃プロ主義者の一掃の全過程にみられるとおり、黒田はお墨付きは与えるが、その結果責任はWOB指導部や労働者メンバーにすべて転嫁し、自分は「絶対無謬(むびゅう)の存在」として常にあるということである。この黒田指導の一貫した無責任ぶりと卑劣さは明らかである。

 拉致・監禁・殺害事件で沖縄組織が大離脱

 DIら賃プロ主義者がやり玉にあげた組合主義的偏向との闘いはどうなったのか。その大きな問題のひとつが沖縄組織であった。
 カクマルは九二年三月に教労の高橋を沖縄から拉致し、大阪市内で殺害した。そして同年七月、沖縄カクマルの創設者であり「神さま」と呼ばれていた山里章も拉致し、それ以降二年以上にわたって監禁し、「自殺強要」の死の恐怖にさらし続けた。
 山里がカクマルの監禁から命からがら脱出した九四年末から九五年初頭にかけて、沖縄の組織問題が爆発したのは当然のことであった。沖縄カクマルの圧倒的多数がカクマルから離反し、カクマル沖縄組織は壊滅的な状態にたたき込まれたのである。
 黒田は、沖縄組織がまだ「マルクス主義者同盟」を名乗っていた六〇年代半ば以降、その「革命的労働運動主義」なる偏向を一貫して批判し続けてきた。黒田がどんなに批判しても、沖縄組織はいっこうに「変革」されないという現実があり、賃プロ主義者のもとで高橋拉致・殺害と山里拉致・監禁にまで至ったのである。
 いかに賃プロ主義者がやったものとはいえ、このような拉致・監禁・殺害という激しい行動は、黒田の沖縄に対する差別意識と抑圧的姿勢にもとづく反革命的な指示なしにはありえないことである。
 黒田にこれほどにまで冷酷・無残に扱われた沖縄カクマルが、黒田に対して不信感、絶望感を抱くのは当然のことである。ここにあるのは単なる路線的・組織的問題ではなく、また単に賃プロ主義者対沖縄組織という問題でないことは明白である。
 事実、両者の対立は、九三年七月に賃プロ主義者が粛清された後の同年十一月以降、全面的な対立へと発展し非和解的に進行した。そして九四年末の山里「生還」をきっかけに一夜にして沖縄組織の圧倒的多数の離反という結果が引き起こされたのである。

 黒田の「組織現実論」の完全破産

 賃プロ主義者一掃の過程において自治労や全逓をはじめとする産別組織も厳しく批判された。黒田による賃プロ主義者の一掃の大号令に接し、労働者メンバーは「反発と判断停止」「混沌(こんとん)の泥沼」に落ち込んだ。
 労働者メンバーは一人の例外もなく「坊主懺悔(ざんげ)的自己批判」をさせられ、「学んでも学びつくせないおじさん〔黒田〕の大きさと深さ」を確認する黒田の神格化運動を強制されていった。この過程で少なからぬ労働者メンバーが脱落・逃亡していったのである。
 ところが、DIが反革命通信紙上で数度にわたって松崎を名指しで批判をしたJR総連カクマルの組合主義的偏向は何ひとつ問題にされず温存された。このときの問題と矛盾がその後深まり、今回のような劇的な形で爆発したのである。
 反革命通信『解放』一六四二号(十月三十日付)掲載の交通運輸労働者委員会論文において、JR総連OBの南雲(拉致・監禁されている坂入)が、同委員会の労働者に向かって「九二年を前後する時期に、少数派労働運動スタイル(賃プロ主義のこと)に落ち込んだことをもちだして、またぞろわれわれに誹謗(ひぼう)を浴びせかけている」「われわれを卑下し無きものとみなすことなかれ!」などという泣き言を言っている。
 すなわち、JR総連カクマルから見たら、他の産別の労働運動はしょせん賃プロ主義かその亜流にほかならず、JR総連のそれとはまったく異質のものなのである。南雲に罵倒(ばとう)されたこの労働者は「JR総連絶対主義ナンセンス」と反論しようとしているのである。
 黒田は当時、賃プロ主義者からの攻撃の矢面に立たされた松崎を全面擁護し、松崎はそれを背景にしてJR総連を牛耳り、ファシスト組合として一層純化させていった。黒田は九六年十月に、議長を辞任するに際して集会に送ったメッセージの中で「戦闘的労働運動の火をもやし続けている労働組合」としてJR総連を持ち上げ、松崎にエールを送っている。
 黒田にとって革共同からの脱落・逃亡以来四十年の最大の成果は、JR総連という七万を超える組合員をもつ労働組合の権力を確保し維持してきたことにある。また、カクマルの労働者・学生メンバーにとって、このJR総連の存在こそが黒田「組織現実論」の正しさを「証明」するものであった。
 ところが今日、カクマルは、JR総連カクマル分子が総離反することによってJR総連を失うという深刻きわまる危機にたたき込まれているのである。九五年の「沖縄失陥」に続く、「JR総連失陥」である。カクマルの「三大拠点」の残る一つは早稲田大学であるが、ここでのカクマルの没落と孤立化も年ごとに深まり、その失陥はもはや避けられない情勢になっている。

 「神戸謀略」デマ運動破産の責任も黒田に

 カクマルとJR総連の分裂の危機において決定的転機となったのは、「神戸謀略」論デマ運動の破産であった。
 九七年に神戸市内でおきた中学生による少年殺人事件を、黒田の直観を唯一の根拠として「CIAの謀略」とおどろおどろしく描きあげたのが「神戸謀略」論デマ運動であった。それは七〇年代以来の謀略論の破産ののりきりのためのデッチあげであり、それまでのどの謀略論と比べても荒唐無稽(こうとうむけい)さにおいて際だったものがあった。われわれは、それに対して革命的な批判を加え、「神戸謀略」論の破産とデマ運動の破綻(はたん)をカクマルに強制した。
 黒田=カクマルは、その行きづまりを窃盗や盗聴手段を駆使して権力が持つ資料類を入手し、その情報を都合よく歪曲してマスコミ操作をしようとしたのである(『文芸春秋』への検察資料の提供など)。まさにナチスばりの自作自演の人民操作の策動であった。
 このK=K連合の一線を越えたカクマルの行動に対して、日帝・国家権力は九八年一月に東京・練馬区豊玉アジトを摘発したのを始めとして次々と秘密軍事アジトを摘発し、カクマルをコントロール下におき、K=K連合を再編的に強化しようとしたのである。
 われわれは、この豊玉アジトのあるビルにJR東労組書記の林和美が住んでいたことを明らかにし、そこが松崎直轄の軍事アジトであることを暴露した。事実、このアジトからは、神戸事件に関係する資料が大量に出てきただけでなく、その半分以上が国労、JR総連、JR連合の幹部や動向に関する窃盗・盗聴で入手した資料であった。
 このわれわれの暴露は、カクマル=松崎を徹底的に追いつめるものとなり、「JR総連=カクマル」「カクマル=JR総連」という規定が労働者の中に大衆的に定着していったのである。カクマルとJR総連カクマルの分裂が「JR総連=カクマル」という重大な政治的規定をめぐっておきていることはカクマル自身が語っていることであり、ここに両者の分裂の出発点があると言えるのである。

 黒田と朝倉こそ内部テロ指令者

 「神戸謀略」論デマ運動は全面破産した。その最大の責任が黒田その人にあることは明らかである。同時に、黒田の指示に従って「神戸謀略」論デマ運動を陣頭で指揮したのが朝倉文夫(本名・池上洋司)である。すでに述べたとおり、黒田は「絶対無謬」の存在であり、この破産の責任は取ろうとしていない。朝倉もまた責任を取ろうとしていない。九七〜九八年に「ハンガリー革命に匹敵する」ものとして繰り広げた「神戸謀略」論デマ運動について今日にいたるも、カクマルは組織としての総括をまったく行わず、口を閉ざして沈黙したままである。
 朝倉は革共同からの脱落・逃亡以来、黒田の指示で動いてきた忠実な茶坊主である。朝倉は黒田の指示する謀略論やデマ政治を一貫して支持し、むしろそれで自らの党内支配を維持してきた。
 九二年の賃プロ主義者台頭の時に屈服した(五月の政治集会で森茂、土門肇、山里章と一緒に壇上に並んで自己批判した)が、黒田の奪権とともに復権し、九六年には黒田辞任の集会をとりしきった。その集会での黒田へのこびへつらった賛辞の繰り返しはいやらしいほどであり、黒田の主張を繰り返すことをもって自分の主張とすることしかできないくらい無内容なのである。
 朝倉は黒田とまったく一体となって行動し、しかも責任を取ろうとしないことも黒田から受け継いでいる。植田議長を坂入の拉致・監禁の責任者として用意しながら、反革命指令の張本人である黒田と朝倉は卑劣にも生き残ろうというわけだ。実におぞましい組織体制である。もはやこういう組織に明日はない。
 対カクマル戦争における最大の好機が訪れている。カクマル最大の組織実体であったJR総連のカクマルからの分裂は、今後カクマル組織総体を混乱と崩壊へとたたき込んでいくことは間違いない。対立と混乱は他の産別組織においてもすでに始まっている。
 それゆえファシスト・カクマルはこれまでになく凶暴化している。彼らはこの危機の打開を革共同への白色テロルの中に求めようとしている。「今世紀中〔あと一カ月しかない!〕に一掃する」などと空叫びしている。われわれは今こそ、革命的武装自衛体制を強め、カクマルの白色テロルを粉砕し、カクマル完全打倒へ攻めのぼろう。また、戦略的攻撃体制を堅持して断固としてカクマル完全打倒の決定的戦闘を闘いとろう。すべての同志諸君! 闘う労働者諸君! 今こそカクマルとJR総連打倒の闘いに総決起しよう。

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週刊『前進』(1985号7面2)

王城寺原 日米演習粉砕掲げ みやぎ反戦共同が立つ

 みやぎ反戦共同行動委員会は十一月六日、宮城県王城寺原演習場での日米共同演習粉砕闘争に立ち上がり、六十人が参加した。
 王城寺原での演習には自衛隊八百三十人、米海兵隊六百五十人が参加し、七四式戦車が走り回り迫撃砲が飛び交う中を三沢基地や岩国基地の戦闘機が援護射撃し、自衛隊と海兵隊の地上部隊が作戦展開するというものだ。まさに朝鮮・中国侵略戦争のためのガイドライン体制発動の演習だ。
 六日早朝から結集した労働者・学生はこの演習への怒りを込めて闘いぬいた。集会では、みやぎ労組交流センター、東北大学学生自治会、東北大学日就寮、東北地方の学生が発言し、戦争国家化攻撃の中での侵略戦争演習であること、地元王城寺原の住民と連帯して演習を阻止しようと確認した。集会後演習場周辺のデモ行進に移り、地元住民の激励を受ける中、戦闘的にデモを貫徹した。(写真)
 また、デモ終了後、仙台の苦竹駐屯地に対する申し入れ行動を行った。

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週刊『前進』(1985号7面3)

2000年日誌 阻もう! 戦争への動き 11月22日〜28日
 防衛庁の省昇格へ動き加速 原発振興法案が衆院で可決

●辺野古で騒音測定 那覇防衛施設局が、米軍普天間飛行場の移設先とされた名護市辺野古など地元三区で日常騒音などの調査を実施した。調査は辺野古、豊原、久志三区の六カ所で行われた。午前と午後の各一時間ずつの調査に、住民からは「二時間だけでは、日ごろの騒音被害は分からない」との批判の声があがった。二十九日の代替施設協議会の第四回会合で、結果を報告する。(22日)
●参院選投票7月22日で調整 自民、公明、保守の与党三党が、来年の参院選について、投票日を七月二十二日とする方向で検討に入った。与党幹部が明らかにした。七月二十二日に任期満了となる東京都議選は、六月二十二日から七月二十一日までの間に投票が行われる予定で、与党側としては、参院選と都議選のダブル選挙を回避し、投票率抑制が狙い。(22日)
●防衛庁の省昇格は当然と野田 保守党の野田幹事長が、防衛庁の省昇格問題に関して、「国の守りをつかさどる防衛庁が庁の格のままでいいのか。当たり前の国として、少なくとも省に格上げすべきではないのか」と述べた。(23日)
●防衛「省」昇格へ議連
 防衛庁の「省」昇格を目指す「衆院防衛省設置推進議員連盟」の動きが明らかになった。自民党の池田行彦、額賀福志郎、野呂田芳成ら防衛庁長官経験者を発起人とし、今国会中に設立総会の予定。来年の通常国会に「防衛省設置法案」(仮称)を議員立法で提出する方針。(23日)
●日共が「自衛隊活用」を決議 日本共産党の第二二回大会の最終日に、規約前文をすべて削除する規約改定案と、「(自衛隊を)急迫不正の主権侵害、大規模災害など、必要に迫られた場合に活用することは、政治の当然の責務」などとする大会決議案を採択した。「自衛隊活用」決議については「急迫不正の主権侵害、大規模災害など」の部分などをペテン的に原案に追加して採択。(24日)
●もんじゅ運転再開の動き
 九五年十二月にナトリウム火災事故を起こして停止したままになっている高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市、二十八万`ワット)について、核燃料サイクル開発機構は、運転再開につながる国の安全審査の「事前了解願」を十一月中に福井県と敦賀市に提出することを決めた。福井県などは審査を受け入れる方針という。(26日)
●サイバー攻撃対策の政府計画 政府が十二月に策定するサイバー攻撃対策の特別行動計画の内容が明らかに。@情報通信や電力、金融といった民間業界と政府が連携してサイバー被害などの情報を共有するネットワークを構築する、A攻撃に即応して捜査する「サイバーフォース」を警察庁に創設するなど政府の緊急対処能力を高めるなどとなっている。(26日)
●外国人選挙権法案、通常国会に先送り 永住外国人地方選挙権付与法案の審議が、来年の通常国会に先送りされることになった。自民党内に反対論や慎重論が根強いため、衆院での委員会採決を見送り、継続審議となる方向。(27日)
●日共が3年以内に綱領改定 日本共産党が、第二二回大会後初めての常任幹部会を開き、党綱領の改定を次の党大会の議題とすることを決めた。党大会は二−三年に一回開くことになっており、遅くとも三年以内に綱領改定に踏み切ることになる。(27日)
●参院憲法調査会 参院憲法調査会が評論家の加藤周一氏と政治評論家の内田健三氏を参考人に行われた。加藤氏は「憲法の平和主義は、戦争の非合法化に向かう世界のすう勢を先取りしたものだ」などと述べた。次回からは首相公選制などを取り上げる。(27日)
●稲嶺が着工前の使用期限設定に言及 稲嶺恵一沖縄県知事が記者会見で、米軍普天間飛行場の県内移設の条件にあげた十五年間の使用期限設定について「なんらの進展なしに着工するということは常識的にありえない」と述べた。(27日)
●改悪少年法が成立 刑事罰の対象年齢の引き下げなどを柱とする改悪少年法が衆院本会議で、与党三党と民主、自由両党などの賛成多数で可決され、成立した。日共、社民両党は反対した。改悪法は来年四月から実施される予定。少年犯罪に対する厳罰化に重点が置かれている。(28日)
●原発地域振興特措法が衆院で可決 原発関連施設のある地域への新たな振興策を盛り込んだ「原子力発電施設等立地地域の振興に関する特別措置法案」が、与党三党と自由党などの賛成多数で衆院商工委員会と衆院本会議で可決された。十二月一日の会期末に間に合わせるため、即日の質疑・採決だった。(28日)
●与党三党が防衛省設置に向け懇談会発足で合意 自民、公明、保守の与党三党は臨時国会終了後に、防衛庁を「省」とすることを協議する「防衛省昇格に関する懇談会」を発足させることで合意した。(28日)

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週刊『前進』(1985号8面1)

「沖縄イニシアチブ」批判〈中〉
日帝の沖縄差別政策の擁護のための歴史論議
 前田 智 

 「2『歴史問題』」

 この章の趣旨は、「日本の中で沖縄が特に強い独自性を発揮する理由の一つは、いわゆる『歴史問題』である」として、「琉球王国」時代から、現代までを七節に区切って展開している。そして、ここでのキーワードはウチナーンチュの「認識」「意識」であり、「文化」となっている。
 まず第一に、執筆者たちは帝国主義の立場から「歴史問題」をやろうというのである。ところで、沖縄に関して「歴史問題」という言葉が使用されたのはつい最近のことである。例えば、九九年に平和祈念資料館問題に関して、「歴史問題」という表現が用いられた。そもそも「歴史問題」という表現は、日帝(および日本人民)とアジア人民との関係で使われてきた。それは日帝のアジア侵略戦争に対する戦争責任問題であり、戦後補償の問題であり、日本人民自身の階級的自己批判の問題である。
 また沖縄における「歴史問題」とは、七二年ペテン的「返還」以降の現実を認識するために、日帝と沖縄の歴史的関係が論議されるようになり、またここから沖縄とアジアとの関係のとらえ返しが論議されるようになる中で、とりわけ九五年以降の沖縄闘争の爆発の中で沖縄における「歴史問題」が論議されるようになってきたのである。このことをまったく踏まえないで行う「歴史問題」のまやかし、インチキ、無責任性、客観主義を徹底的に批判しなければならない。
 歴史に何か「問題」があるわけではない。歴史と現実の中で生き続けるアジア人民を一貫して踏みにじり続ける日帝に問題があり、沖縄を差別し続ける日帝に問題があるのだ。つまり沖縄についても確かに「歴史問題」は存在する。そしてそれはまさに日帝そのものの問題なのだ。このことを踏まえないこの提言の「歴史問題」は、百パーセント帝国主義の立場に立って問題を立てているのである。
 「日本の中で沖縄が特に強い独自性を発揮する理由の一つ(としての「歴史問題」)」などと提言は言っているが、そうした独自性を発揮している現実を正面から論じるのではなく、これを「歴史問題」の中に解消するというインチキを行っているのである。
 これは、沖縄の歴史と現実に生きる沖縄人民を一貫して踏みにじり続ける日帝を擁護し、執筆者たちが日帝の先兵であることを完全に示しているといえる。

 非科学的な歴史

 第二に、この日帝の先兵たちの言う「歴史問題」はすべてウチナーンチュの「認識」「意識」と「文化」で語られているが、「琉球王国」時代のウチナーンチュの「認識」「意識」と現在のウチナーンチュの「認識」「意識」を一緒くたに論じることはまったくの誤りである。つまり、現代に直結する問題である日帝―沖縄関係と、その前史である「琉球王国」時代を並列させて歴史を論ずることはまったく非科学的である。
 このために、この提言での「文化」は社会科学的に論じられず、言葉の独り歩きでまったく内容がないものとなっているのである。
 そのために、この提言は沖縄の「独自の文化」をあたかも肯定的にとらえているかのように言いなし、実はそれを全面的に否定しているのである。その結果、沖縄の「文化」の「ルーツは日本文化」の一言で語られてしまうことになり、その実践的結論は「沖縄人も日本人であり、日本国民の義務を果たすべきである」ということになるのだ。これは現代の「日琉同祖論」でしかなく、沖縄の歴史の中では繰り返し現れてきた「思想」にほかならない。
 それは結局のところ日帝の沖縄差別政策の先兵として、沖縄人民に帝国主義の奴隷への道を説く「思想」である。

 帝国主義の免罪

 第三に、日帝の沖縄差別政策を沖縄人民の「認識」「意識」の問題として論じるというまやかしである。いわく「……差別されたこと、そのことは沖縄の人々にとって『負の遺産』として心に刻まれた」と。
 このように日帝の沖縄差別政策を免罪し、その行き着いた先である「捨て石作戦」として沖縄戦を一般的な「戦争」という表現で免罪し、日帝による沖縄の米帝への売り渡しを「日本社会から切り離され」という表現で免罪し、戦後の「基地の島」という差別的現実を「基地負担の面で不公平であること」という表現で免罪するのである。
 そして第四に、何よりも沖縄問題の核心問題である現実の基地問題に対しても、「歴史問題」として、沖縄にとってはいわば運命的な歴史として現実が存在するかのように論じて恐るべき日帝美化論を満展開するのである。
 それは一つには、何よりも沖縄の米軍基地は、沖縄戦に向かう過程で日本軍によって建設されたものが基礎になっていることを隠ぺいし、二つに、敗戦帝国主義である日帝の延命策であり「唯一の世界戦略」としての独特な軍事同盟として日米安保同盟政策とそのもとでの沖縄の売り渡しという問題をおし隠して日帝を免罪するのである。
 三つには、米軍支配下における沖縄人民の抵抗と闘いをまったく措定することなく、「アメリカ軍の圧倒的な力の下で、住民意思が問われることもなく、結果として沖縄は『基地の島』に大きく変貌した」ときわめて客観主義的に語る。
 そして四つには、この沖縄の米軍基地が、沖縄人民の生活を破壊し、多くの県民の命を奪い、尊厳を傷つけたこと、また何よりもこの米軍基地こそが、朝鮮戦争―ベトナム戦争とアジア人民の虐殺の出撃拠点であり、沖縄人民もこれに加担させられている現実に対して、沖縄人民が体を張って基地全面撤去を実現するために闘い抜いてきた、この血と汗の歴史的現実に対して、「沖縄の人々は深い疑念を抱く」などという「お上品な」一言で片づけてしまうのである。
 ここには、「基地の島」のもとにおかれてきた沖縄人民の歴史と現実も、そして在沖米軍によって殺され傷つけられてきた膨大なアジア人民の怒りと怨嗟(えんさ)もまったく措定されていない。あるのは帝国主義への免罪と徹底した(とくに日帝に対する)限りない美化である。
 ここからはっきりすることは、直接にはこの九五年十・二一以来の沖縄人民の「新たな人民反乱」こそ、この執筆者たちを「沖縄イニシアチブ」の執筆に駆り立てたものだということである。彼らにはこの「新たな人民反乱」を理解し共有できないどころか、この沖縄人民の自己解放的な闘いに対して「あってはならないこと」として憎悪と恐怖感を持ち、きわめて意識的に登場してきたのである。そのために日帝に身も心も売り渡し、沖縄人民に日帝との「精神的な一体感」を説くのである。
 しかしそれは、「精神的な一体感」をたんに「説教する」という次元にとどまらず、帝国主義の物質力、貫徹力を背景に「精神的な一体感」を沖縄人民に強制するものとしてある。それは何よりも九八年大田県政を転覆して稲嶺県政を誕生させるためにうごめいたのがこの執筆者たちであり、昨年の平和祈念資料館問題でも稲嶺県政のブレーンとして暗躍したのがこの執筆者たちなのである。さらに先のサミットでのクリントンによる「平和の礎(いしじ)」での演説の内容についての発案者もまたこの執筆者たちだった。
 つまり、帝国主義の先兵としてその物質力(暴力)に全面的に依拠し、それを発動して沖縄人民を帝国主義のもとにひれ伏させるために、ありとあらゆる悪行を積み重ねながら、しかし表向きは「歴史学者」「経済学者」「大学教授」の肩書きを利用して、その悪行を「正当化」「合理化」するものとして、「沖縄イニシアチブ」が執筆されたのである。

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週刊『前進』(1985号8面2)

自主法政祭 ”奉仕義務化に反対” 教育問題シンポに100人

 法政大学法学部、文学部、経営学部、第二教養部自治会は十一月二十五日、自主法政祭において教育問題シンポジウムを行いました。百人が参加して大成功しました。
 講師に三多摩の小学校の教育労働者、琉球大学教授の高嶋伸欣さん、ジャーナリストの大谷昭宏さんを招いて提起を受け、「子どもの危機」と社会の危機との関連、これから私たちはどうすべきかということを会場全体で討論しました。
 最初に三多摩の教育労働者が、国立にかけられた「日の丸・君が代」攻撃がいかに子どもたちの思いを踏みにじるものであったかを訴え、また「国立では子どもとともにつくる教育が、学級崩壊などのない教育を生み出している」と提起しました。
 高嶋さんは「教育勅語が十五年戦争に反対できない日本人をつくってしまった」と提起し、「『日の丸・君が代』強制により、画一化された教師の育成を目指す文部省、教育委員会が子どもたちの居場所を奪っている」と訴えました。
 大谷さんは「自民党・加藤がこけたことにみられるように社会には閉塞(へいそく)感があふれている。その中で大人も行きづまっている。その大人が子どもに偉そうに言っても何も解決しない。国によって奪われている教育を取り戻していかなければならない」と提起しました。
 会場からは国立の攻防をめぐる質問などが出されました。また、子どもたちが社会で目的を持っていくことが必要ではないかという意見も出されました。
 最後に司会が「このシンポジウムで、『子どもたちの危機』は社会の危機の表れということがはっきりした。問題を解決するのは政府や文部省ではなく、子どもたち自身であり私たち自身だ。子どもたちを取り巻く現状を考えたとき、奉仕活動の義務化とは本当にひどいものだ。奉仕活動義務化反対の大運動をまきおこそう」と提起しました。
 企画に向けて集めたアンケートでは、九二%の法大生が奉仕活動の義務化で「子どもの危機」は解決しないと回答し、奉仕活動の義務化そのものにも七二%の学生が反対しています。
 奉仕活動の義務化とは、曾野綾子らが言うように、国家に奉仕させることであり、戦前の天皇制支配の復活にほかなりません。「子どもの危機」を口実に国民総動員を狙うことは、絶対に許せません。そもそも「子どもの危機」とは、日本帝国主義の危機が引き起こしているものです。子どもたちを抑圧することしか考えない支配者階級には絶対に解決できません。
 このシンポジウムは改憲攻撃と真っ向から対決していく闘いの第一歩です。法大生は改憲攻撃、教育改革攻撃に対して、労働者や学生、そして子どもたちこそが闘いの主体であることをはっきりさせ闘っていきます。 (法政大 K・T)

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週刊『前進』(1985号8面3)

教育改革の阻止へ鎌倉さん迎え学習会 東京反戦共同主催で

 十一月二十三日、飯田橋のシニアワーク東京で行われた「教育基本法改悪をめぐる学習会」に参加しました。その報告と、私が学習会で理解したことを、感想をまじえながら述べます。
 冒頭、主催者の東京反戦共同行動委員会代表の長谷川英憲さんがあいさつし、大統領選に表れるアメリカ帝国主義の危機、加藤派の茶番に表れる森・自民党の危機、そして山田杉並区長らに表れる右翼的教育の実態などを訴えました。
 次に東日本国際大学の鎌倉孝夫さんが「教育基本法改悪の背景とねらい」と題して講演を行い、教育基本法の意義、教育改革国民会議が進める教育基本法改悪の動き、そしてそれに対する対抗視点、対抗運動の確立をどうすべきかを訴えました。
 続いて東京の教育労働者が、教育現場に携わるとてもリアルな視点から、石原「心の東京革命」のファシスト的反動性、生徒と教師、親をとりまく環境の劣悪化、組合つぶしの激化に対しどういう闘いを構築していくかなど、臨場感豊かに提起しました。
 質疑討論が行われ、大山尚行全学連委員長が闘いの決意を表明して、学習会はしめくくられました。
 学習会で私が学んだことの中で特に印象に残ったことを、私なりに咀嚼(そしゃく)してみます。
 教育基本法(以下、教基法)第一条は、教育の目的を規定し、「平和な国家及び社会の形成者として」と書かれています。これに関して教基法改悪論者たち、とりわけ教育改革国民会議の人たちの議論は、平和と人権を基調とする教基法の趣旨を百八十度ひっくり返した論理です。彼らは、反平和的、反人権的にことを進めているのです。
 また教基法改悪論者たちは、第一条に関して「伝統・文化をもっと尊重しろ」とまくしたてて、つまるところ、教育勅語に示される天皇至上主義を尊重すべきだとほざいているのです。子どもや教師を始めとする労働者たちを「神の国の住人」に仕立て上げようとしているのです。
 教育改革国民会議が「教育を変える十七の提案」をまとめましたが、その内容たるや、「道徳を教えろ」「しつけをしっかりしろ」「奉仕活動をしろ」など、ひどいものです。
 この「十七の提案」を実践すれば、今の社会の閉塞(へいそく)状態は打開されるでしょうか。いじめ、不登校、少年犯罪は解決するでしょうか。否です。
 今、子どもたちは、この国の資本主義社会の無惨なありさまをひしひしと感じているのだと思います。リストラ・首切り・賃下げ、数々の帝国主義的危機的状況が噴出している今、子ども・親・教師は完全に分断されています。失業して離婚する親、家族で食事をとれない子ども、労働のストレスから子どもを折檻(せっかん)する親、真実を伝えない教師たち……。
 「こんな社会はおかしい」と気づいた子どもたちはなんとかしようと解決策を模索するもののうまくいかず、そのイライラのはけ口を、いじめに、ひきこもりに、殺人に求めてしまったんだろうと思います。
 このように社会に異議を唱えた子どもに対し、教基法改悪論者は「道徳」で愛国心を植え付け、「奉仕活動」で徴兵制を復活させようとしており、子どもの心をズタズタに切り裂こうとしているのです。
 また昨今の「教育自由化論」も同様です。キーワードは「自由」です。これは子どもたちの自由でも教職員の自由でもなく、市場の自由、商品経済の自由、資本の自由であり、国家権力の統制を強化するということです。この「自由」の意味をはき違えた、天皇制国家・資本主義の「自由」が、決定的な差別を生んでいるのです。「自由と統制イコール私有財産制度の徹底と天皇制の強化」ということです。
 この学習会をベースに、「日の丸・君が代」闘争、教基法改悪=改憲阻止闘争、石原「心の東京革命」粉砕、国鉄闘争の勝利へ、理論学習で質を高めながら(『共産主義者』一二六号桐原論文の再読)、前進していきたいと思います。
(投稿 東京東部・青年労働者 M・H)

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週刊『前進』(1985号8面4)

全学連を愛した郡司さん
 元全学連委員長 鎌田 雅志

 私が最後に郡司さんと言葉を交わしたのは、下獄直前、千葉刑務所での面会の際でした。「三里塚は大丈夫だから。元気でね。待ってるからね」と笑顔で送ってくれました。
 息をひきとる数日前も、ぼくが出てくるまで頑張る、待ってると約束してくれたそうですが、本当にありがたいことです。そして、とても残念に思います。
 郡司さんからは、いろいろな話を聞きました。
 七三一部隊(石井細菌部隊)と三里塚闘争との因縁も聞きました。出征した男たちだけでなく、女や年寄りも石井四郎を郷土の英雄とあがめ、朝鮮・中国−アジア侵略戦争に加担した慚愧(ざんき)の思いを述べ、「だから三里塚闘争は負けられない、今度は人民が勝たなければ中国やアジアの人びとに申し訳ない」と語りました。郡司さんと三里塚農民の反戦思想の根幹に触れて、感動したことを覚えています。
 郡司さんの活躍を目の当たりにしたのは、八三年「三・八分裂」後の脱落派との攻防のさなかでした。
 三里塚闘争の大義を踏みにじり、利権目当てに総条件化を策動して粉砕された脱落派が、分裂クーデターに走ったのでした。反対同盟はこれを厳しく弾劾し、絶対反対同盟として確立する道を踏み出しました。そして分裂後最初の全国集会で反対同盟の正しさと勝利を天下に示すのだと、大動員戦に同盟員みずから総決起しました。郡司さんはその先頭に立ち、全国を駆けめぐりました。
 なんとしても敷地内を守り抜く、敷地内外の反対同盟は一体だというその姿に打たれ、全国の労働者・学生が続々と三里塚に結集しました。三里塚への大結集運動は成功し、全学連の動員は八三年から翌年にかけて飛躍的に伸びました。
 そして八四年秋には、成田用水闘争が、反対同盟の拠点・菱田工区着工阻止の決戦を迎える。
 それは九月二十七日、反対同盟を先頭にした流血の実力決起で衝撃的に火ぶたを切りました。市東東市さんや鈴木幸司さんら反対同盟員の不当逮捕、しかも市東さんは額を割られて流血するという権力・機動隊の暴挙に怒った中核派は、十一月から菱田工区突入の実力デモに戦術を強化し、道をふさぐ機動隊の阻止線に激突を繰り返した。
 郡司さんは、この様子を一部始終見ていた。デモ参加者が溝に落ちたり逮捕されたりする度に胸がキリキリ痛むような思いをしたとしかられました。「ケガをさせたり逮捕されたりしたのでは、親御さんに申し訳ない」とも言っていた。
 北原事務局長の弔辞の中に、郡司さんが「全学連の学生たちを我が子のように愛し」たとありましたが、支援のデモ隊を見守る目は、優しい゛三里塚のおっかあ″の目そのものでした。
 こうして思い起こしていると、本当になつかしく、帰らぬ人となってしまったことがおしまれてなりません。せめて、暫定滑走路攻撃を粉砕する勝利を見てほしかったと思います。
 最後まで三里塚闘争と反戦平和の大義を守り抜き、戦争に人民を駆りたてる帝国主義への怒りと人民の団結の大切さを教えてくれた郡司さん。闘う人びとに勇気と希望を与え、いかに生くべきかを示した堂々たる生涯であったと思います。
 反対同盟を十重二十重に包み込む労働者人民の三里塚陣形を再構築し、暫定滑走路攻撃粉砕の勝利を必ずかちとろう。郡司とめさんの遺志を継いで、闘いぬこう。
(八五年十・二〇三里塚蜂起戦戦士、八五年十一・二九浅草橋戦闘戦士、府中刑務所在監)

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