ZENSHIN 2001/02/12(No1992 p08)

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週刊『前進』(1992号1面1)

闘争団を先頭に国労再生へ
機動隊包囲下の四党合意強行に全労働者の総反撃たたきつけよ
 資本攻勢と対決し春闘爆発を
 革共同中央労働者組織委員会

 二十一世紀冒頭。労働者階級は、いかなる困難、犠牲をも恐れぬ決意で、プロレタリア革命の勝利への進撃を開始した。二九年型世界大恐慌過程への突入のもとで、帝国主義の反動、失業、搾取の嵐(あらし)に怒り、団結を固めて立ち向かう労働者階級の決起が全世界で、日本でまき起こっている。国鉄決戦を中軸とする一大資本攻勢との闘いは、一・二七国労続開大会を突撃路として、階級決戦の様相を一段と深めている。一・二七国労大会の激烈な攻防とその勝利は、さらなる反動との分岐を引き起こしながら、国鉄決戦の新たな発展と、全産別の闘い、二〇〇一年春闘の革命的突破口を切り開いている。いよいよ二〇〇一年階級闘争の全面的爆発へ闘う時だ。一月三十一日、通常国会が開会した。森政権はKSD汚職を居直り、教育改革、有事立法、そして改憲に向けて突進している。この攻撃と対決し、春闘と一体の闘いとして森政権打倒・教育改革粉砕に決起しよう。とりわけ都議選決戦の勝利へ闘おう。

 第1章 機動隊大会認められぬ 闘争勝利へ新たな出発

 一・二七国労続開大会は、国労本部、東京地本執行部の要請による国家権力・機動隊の全面導入という日本労働運動史上類例のない労働組合への介入・圧殺体制を打ち破り、「四党合意」攻撃を根底的に粉砕する勝利をかちとった。
 闘争団と戦闘的国労組合員、支援の労働者千人の隊列は、吹雪をものともせず固く連帯し、十二時間にわたる会場内外の激闘を闘い抜いた。四党合意反対・拒否の激しい意志は、どんな暴圧にも屈することなく一層不抜に打ち固められた。
 確かに、四党合意受諾を盛り込んだ運動方針は一票投票で「可決」された。だがそれは国家権力・機動隊の暴力と、機関役員を牛耳る宮坂・チャレンジ、上村革同による数の暴力によって強行されたものであり、労働運動の大義と階級的魂にかけて絶対に認めることはできない。労働組合の原則と組合民主主義にのっとっても百パーセント無効である。
 そもそも、続開大会は労働組合の大会などでは断じてなかった。警視庁機動隊千三百人が社会文化会館を包囲し、バリケードを築いて、一般道路を封鎖した。加えて、警視庁公安一課・二課の私服刑事が大量逮捕をもくろむ態勢で臨むという事実上の「戒厳令」が発動された。この弾圧は誰に向けられたのか。闘争団と国労組合員に対してである。
 また、マスコミすら制限し、支援労組の傍聴も排除し、傍聴者の入場には警察権力が身分証明書を提示させて規制した。驚くべきことに、会場内にも私服刑事や厚生労働省役人を徘徊(はいかい)させて組合員を威圧し、それを恫喝手段に、反対派の発言を封じ、独裁的な議事運営のもとで四党合意の「採決」が強行された。
 これが労働組合の大会なのか。否だ!このような大会で「選出」された新執行部にも、その資格はない。
 そもそも組合員の眼前に立ちはだかる国家暴力を許したら、労働者の尊厳と誇りが徹底的にじゅうりんされる。労働組合の主体性は奪い尽くされ、団結の根幹が徹底的に破壊されるのだ。国労本部と東京地本の一部幹部は、「統一と団結」という恫喝で四党合意受け入れを強行するため、官憲に奴隷的に取り入り、血と汗の闘いでつづった国労の歴史を踏みにじり、組合員の尊厳や誇りを売り渡し、労働組合としての団結を自らズタズタにしたのである。

 三分の一が絶対反対 

 だが、この空前の暴挙は逆に、四党合意が闘争団と家族、国労組合員、さらには労働者階級全体に襲いかかる一大反動攻撃であることを、極限的な姿で自ら暴くものとなった。四党合意の行き着いた結論こそが、この「戒厳令」ともいうべき官憲導入である。闘争団切り捨ての陰謀の総仕上げが、国家権力の暴力装置の発動だったのである。
 しかしそうしなければ四党合意を通すことはできなかった。「完全民営化達成」の虚構をデッチあげることはできなかった。日帝政府権力、JR資本とその先兵となった宮坂・上村・新井ら国労本部、酒田ら東京地本執行部は、ついにそこまで追い込まれたのである。
 この大反動に対して、闘争団を先頭に戦闘的労働者は会場の内外で怒りのこぶしを突き上げ、シュプレヒコールをたたきつけた。この恐るべき巨悪の暴力に一歩も退かずに、死力を尽くして闘い抜いた。三分の一の代議員が絶対反対を貫き、闘争団とともに必死に闘った。チャレンジ、上村革同と対決し、断固として執行部選挙への立候補がかちとられた。そうした闘いが、労働者の誇りと尊厳、血と汗と涙を刻んだ十四年間の闘いと生活を守り抜き、国家暴力と四党合意を根底から批判し、弾劾したのである。
 その結果、このような形での四党合意の「採決」強行は、その瞬間、逆に四党合意を本質的に死に追いやったのである。なぜか。四党合意を絶対に拒否する不屈の闘いの存在そのものが、四党合意の最も核心的狙いである国鉄労働運動の解体、闘争団・千四十七人闘争への絶滅攻撃を粉々に打ち砕いているからだ。
 大反動の極限的密集は、闘争団を先頭に闘う陣営のより根源的怒りを爆発させ、闘う新たな力と団結を引き出した。墓穴を掘ったのは敵の側である。会場内外の激闘は、国労本部、東京地本の一部幹部らと四党合意攻撃を死の淵(ふち)にたたき込んだのである。国鉄労働者には、みじんの敗北感も絶望感も存在しない。その余地もない。今や高揚感と勝利感と戦闘精神が、国労内外に横溢(おういつ)している。国鉄労働運動の再生の力が完全によみがえったのである。
 また同時に、続開大会への国家暴力の全面的発動こそ、国鉄分割・民営化体制という国家的不当労働行為の極致であった。一・二七の闘いは、この分割・民営化体制=国家的不当労働行為の歴史的反革命性をあらためて暴いた。一・二七の攻防こそ、八七年分割・民営化以来、九八年五・二八反動判決以来、そして九九年改革法承認以来、さらには昨年五・三〇の四党合意以来の全攻防の集大成であった。闘争団を先頭とする渾身(こんしん)の総決起は、闘争団・千四十七人闘争の切り捨てと圧殺、国労・動労千葉解体攻撃のすべてを歴史的破綻(はたん)に追い込んだのである。
 今や一・二七は、国鉄分割・民営化反対、解雇撤回・JR完全復帰を掲げた闘争団・千四十七人闘争の新しい歴史的出発の日となった。極悪の新執行部打倒、国労の階級的再生へ、当面の各エリア大会、地方大会を全力で闘おう。

 松崎JR総連打倒へ

 さらに一・二七は、JR総連カクマルとJR資本の結託体制の瓦解(がかい)を突きつけ、松崎・JR総連解体へ本格的闘いの第一歩を切り開いた。黒田・カクマルと松崎・JR総連カクマルの分裂を生み出したものは、分割・民営化と闘う千四十七人闘争の発展と前進である。この闘いが分割・民営化を破綻に追い込み、追いつめられた松崎・JR総連は、「ニューフロンティア21」という第二の分割・民営化攻撃に全面屈服した。そして黒田・カクマルと手を切り、日帝権力と資本のさらなる先兵となることを誓うことで、延命を策したのだ。
 しかし一・二七は、「完全民営化」に向けた第二の分割・民営化攻撃の策動に大打撃を与えることで、松崎・JR総連を串刺しにした。すでに動労千葉を先頭に、松崎・JR総連解体の狼煙(のろし)が上がっている。千四十七人闘争とJR総連解体闘争が完全に一つに合流した闘いが始まったのだ。
 国鉄分割・民営化との闘いは、まだ何一つ決着はついていない。それどころか分割・民営化反対の国鉄闘争は、一大資本攻勢に怒り、苦しむ労働者階級の総反乱の起爆剤となり、戦闘的労働運動の総反撃の砦(とりで)となって、これからますます発展しようとしている。極限的な激突を闘い抜くことで、明らかに階級的力関係の革命的転換が起こり、まったく新たな反転攻勢が始まるのだ。闘いはまさにこれからなのである。
 第二の分割・民営化攻撃であるJR東の「ニューフロンティア21」は、四党合意攻撃とともに、今日の資本攻勢の最先端であり、国鉄型の資本攻勢の全産業的拡大の突破口をなす。一・二七が日帝権力にとって一大治安問題であり、国家意思として機動隊を導入したのは、これらの攻撃が日帝の資本攻勢の帰すうを決する死活性を持つからなのだ。シニア制度|メンテナンス合理化を中軸とする「ニューフロンティア21」に対する動労千葉を先頭とした闘いは、まさに二〇〇一年闘争の大爆発を切り開くものである。

 第2章 春闘解体・組合破壊の労問研報告を批判する

 この国鉄決戦攻防を先頭とした資本攻勢との闘いの激化は、帝国主義経済の危機に規定されている。
 すでに、二〇〇〇年の企業倒産と完全失業率(四・七%)は、戦後最悪を記録しているが、日帝はさらに大失業攻撃を強行しようとしている。今日の日帝ブルジョアジーの資本攻勢の特徴は、二九年型世界大恐慌過程への現実的突入のもとで、米帝やEU帝からのすさまじい対日争闘戦の圧力が日帝を没落の危機に追い込む中で、この争闘戦的敗勢からの脱出という帝国主義体制としての存亡がかかったものであるという点にある。
 この資本攻勢の核心は、大失業攻撃と同時に徹底した労働組合破壊である。
 8面につづく〜1面からつづく
 米帝は、労働運動に対して、その既得の諸権利のみならず、労働組合の存在自体も破壊しさろうとしてきた。今日、日帝ブルジョアジーは、八〇年代レーガン時代に吹き荒れたアメリカ型とも言うべき資本攻勢を日本でも推し進める以外に、もはや延命できないのだ。
 日帝ブルジョアジーは、九五年日経連プロジェクト報告「新時代の『日本的経営』」を、現在の資本攻勢の出発点としている。日経連は、アメリカ型とは別の日本的な「第三の道」(九八年)があるかのような粉飾をこらしたものの、今やそれもかなぐり捨てて、むき出しの市場経済論理に突き進んでいる。九九年「経済戦略会議答申」で打ち出されたものを、奥田・日経連は二〇〇〇年版労問研報告「人間の顔をした市場経済をめざして」として推し進めてきた。
 そして、「多様な選択肢をもった経済社会の実現を」と題する二〇〇一年版労問研報告こそ、日帝ブルジョアジーの階級意思を反動的に密集させ、資本攻勢の新たな歴史的転換へと完全に踏み出し、かつ具体的実行を開始するものである。
 今回の労問研報告の第一の特徴は、日帝ブルジョアジーが帝国主義間争闘戦の敗勢と、没落帝国主義への転落の危機感をあからさまに認め、その突破=対外競争力強化をかけて一大資本攻勢を叫んでいることである。
 彼らは「国際的な競争環境は、一層きびしさを増している」「日本経済はバブル崩壊の後遺症の処理に追われ」「構造的な諸課題の改革に後れをとった」と危機感をむき出しにし、「企業は生き残りをかけて、体質強化のために組織再編などあらゆる手立てを講じなければならない」と企業・国家の延命のために全面的な資本攻勢を打ち出している。
 米帝が、レーガン時代以来、九〇年代をとおして、国内の労働者階級への激烈な資本攻勢と、それよる資本の収益の著しい増大を、ソ連スターリン主義崩壊以降の帝国主義間争闘戦の武器としたことに対応して、日帝もまた、「総額人件費削減」を掲げた一大資本攻勢の嵐をもって、没落帝国主義の争闘戦的敗勢の危機を突破しようとしているのである。
 第二の特徴は、そこから「多様な選択肢をもった経済社会の実現を」との表題に明らかなように、「もはや横並びの対応の時代は終わった」「あらゆる領域で多様な選択肢を準備」するとして、さらに徹底的なリストラ、賃下げの推進を打ち出していることである。
 「多様な選択肢」とは、すなわち総額人件費削減のもとでの「多様な雇用形態、多様な賃金形態、多様な労働条件」である。ここでは、まず九五年日経連報告で提唱された「雇用ポートフォリオの考え方」の実践、すなわち終身雇用制解体|不安定雇用化を促進することを確認している。そのために「労働市場の規制の緩和・撤廃」、労働法制の全面改悪を強調し、首切りをもっと進めようというのだ。「賃金より雇用重視を堅持」と言いつつ、実際には賃金引き下げも自由な首切りも、さらに思いのままに強行しようとしているのだ。
 さらに、「自社の支払能力を基礎に、総額人件費管理を徹底」するために、「年功的部分を極力縮小して、担当職務・業務の遂行の成果にもとづいて賃金が決められる体系」にすべきで、「賞与・一時金の個々人への配分」も「退職金制度」も「業績・成果の評価によって行なわれるべき」だと、「成果主義賃金・人事制度の徹底」を押し出している。
 また重大なことは、「雇用・賃金・労働時間を含めた総額人件費の観点」から「多様な雇用形態の推進」と言って、「高齢者の活用」「女性の積極活用」「外国人の活用」を押し出し、低賃金労働力を長時間、劣悪な労働条件で「雇用」しようとしていることだ。まさに総額人件費削減への全社会的な反革命政策として進められているのだ。
 第三の特徴は、賃下げだけではなく、春闘の賃金闘争そのものの解体に歴史的に踏み込んだということである。
 「横並びの対応で賃金などの労働条件を決めれば済む時代ではない」「これ以上の賃金の引き上げは困難である」「一律賃上げの水準を交渉することは意味がない」「春闘についても、賃金引き上げをめぐる対立闘争という位置づけでなく、総合的な働き方の諸制度を協議する場へと転換する」と言っていることは、“もはや賃金引き上げなど二度とありえない。賃金闘争など意味がない。春闘は賃金闘争ではない゜ということなのだ。
 資本と労働者の階級的力関係を具体的に決するのは賃金闘争である。労働者階級は、歴史的に賃金闘争をとおして雇用、労働条件などのあらゆる諸権利を獲得してきた。この根底的解体に踏み込んだということは、これまでの歴史的獲得物の一掃と階級関係の全面的転換を強制していくということである。
 第四の特徴は、日帝ブルジョアジーが一種の反革命運動を展開しつつ、それを春闘解体から賃闘解体、さらに労働組合の全面的破壊攻撃として集約しようとしていることである。
 日経連は「『人間の顔をした市場経済』の理念は、自由な市場経済下での競争の徹底である」「競争市場においては結果の責任は自己で負う」という競争原理をイデオロギー的に押し出し、したがって「市場を民間の自己変革力によって活性化する」という基本方向で日帝ブルジョアジーの反革命結集を図っている。
 その帰結として「集団から個の時代へ」「人事・賃金制度が成果主義を志向する中で、企業と従業員個々人の間の権利・義務などに関する個別的労使関係が重要性を増す」と、労働組合の団結をあからさまに否定し、労働組合そのものの存在を否定し、その徹底的な破壊を狙っているのである。

 教育改革攻撃と社会保障解体を盛り込む

 第五の特徴は、今回の労問研報告では、「第五章 教育改革の推進」と「第六章 社会保障改革、税制改革」をそれぞれ章立てにして論じ、日帝ブルジョアジーが政府と一体となって、とりわけ教育改革と福祉切り捨てを階級決戦攻撃として身構えてきたことである。
 「教育改革の推進」では、「自助努力によって、職務遂行能力を高める」とした上で、「一定期間の奉仕活動も意義がある」「教員としての資格・適正をチェックする仕組みも導入すべきである」と、今日の教育改革攻撃の最先端としての「奉仕活動」と「不適格教員の排除」を押し出している。
 さらに「社会保障改革、税制改革」では、「社会保障負担の増大によって財政赤字が肥大化」していると財政危機を強調しながら、「共助、公助の領域の改革」「高齢者も応分の医療負担」という戦後社会保障制度の全面的な解体を打ち出してきている。
 第六の特徴は、それが、一府十二省庁体制による行政改革・国家大改造攻撃と完全に一体となって打ち出されていることである。一月の中央省庁再編を転換点に、行革攻撃は公務員制度改革として具体化し、全労働者階級への大資本攻勢という姿があらわとなっている。公務員制度改革(政府・与党案骨子)は、野中自民党行革推進本部長と橋本行革担当相のもとで日帝の総力を挙げて推進されており、その核心は、整理解雇を導入して現業部門をはじめとして首切り、民営化を進め、能力・実績主義の人事・賃金制度をもって公務員労働運動を解体し、公務員労働者を「赤紙を配る官吏」にしてしまう攻撃である。
 今回の報告では、この戦後的大転換の攻撃を、「一段の公的規制改革と行財政改革に、急ぎ邁進(まいしん)してほしい」と強烈に打ち出している。公務員制度改革のもとでの民営化攻撃は、全産業の国鉄分割・民営化型の攻撃と相互促進的に推し進められていく。まさに公務員制度改革と通常国会での「完全民営化法案」強行によるJRの第二の分割・民営化攻撃が、一体のものとして推し進められているのである。

 第3章 連合の総屈服うち破り大幅賃上げ掲げ闘おう

 このような日経連の方針に対して、連合は度し難い対応である。
 連合春闘方針は、定昇相当分を明示せず、「純ベア一%以上」を統一要求基準とする超低率要求にすることで、賃下げ攻撃に全面屈服してしまっている。「連合白書」では、「春闘改革」方針として、「統一課題を設定した協約闘争」を挙げ、賃金闘争を自ら後景化させた。NTT労組は、ベア要求すらせずに脱走している。今日の春闘解体をとおした賃金闘争そのものの解体という日帝ブルジョアジーの攻撃の方向に、連合指導部は自ら迎合しているのである。
 だがそれは連合の自滅の道である。日帝の賃金闘争解体攻撃は、連合の存在すら許さないという労働組合そのものの破壊攻撃に向かっているからである。
 このような連合指導部に抗して、すでにストライキ闘争の爆発など連合傘下の労働者の総反乱が始まっている。さらには、資本の攻撃に連合以上に屈服することで引き起こされた松崎・JR総連と黒田・カクマルの分裂によるファシスト労働運動の崩壊は、連合の帝国主義的労働運動の崩壊と流動化を促進し、連合内外の地殻変動的決起を引き起こす。
 連合指導部打倒、JR総連ファシスト労働運動打倒を鮮明に、国鉄決戦を先頭として春闘解体策動と対決し、春闘の再構築を訴え、「大幅賃上げ」を大胆に掲げて闘い抜こう。
 今日の日帝ブルジョアジーの攻撃が賃下げ、賃金闘争解体、労働組合解体に向かっている以上、「大幅賃上げ」のスローガンに「資本主義にノー」を貫く階級的賃金闘争を確立し、労働組合の階級的団結の強化へと決起していく以外に勝利はないのである。今日、資本家どもが最も恐れるものこそ、労働者の団結である。失業・倒産の嵐の中で、ブルジョアジーは、企業主義・国益主義の攻撃を激化させ、「賃金より雇用」というウソで、実際には首切り・リストラをどしどし進め、極限的な賃下げを迫り、成果・能力主義賃金体系や不安定雇用化を全面化させつつ、その核心的攻撃を労働組合の団結の破壊に向けているのである。
 これに対して、労働者階級の生きる道は、資本主義・帝国主義の根底的批判と打倒の立場に立って、春闘|賃金闘争を貫き、労働組合の団結をかけがえのないかなめとした戦闘的労働運動の防衛と再生をかちとることなのである。
 今ほど労働者階級の党の力ある登場が求められている時はない。労働者党建設とは、プロレタリア自己解放闘争の思想と実践の凝縮であり、結晶である。プロレタリア自己解放闘争の真の発展は、労働者党の党活動を媒介にして実現されるのである。まさに労働者党とその細胞建設を抜きにして、プロレタリア革命は達成することはできないのだ。
 だからこそ党と労働者細胞が、労働者の闘いとその団結に密着し、そこから学び、呼吸していくことが重要である。この生きた実践をとおして、国鉄決戦を突撃路に、森政権打倒・教育改革粉砕、改憲阻止決戦をまき起こし、都議選決戦勝利へ進撃しよう。怒り、苦しみ、闘う幾千万の労働者階級の前に、力ある労働者の党を登場させようではないか。

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週刊『前進』(1992号2面1)

戒厳令下の「四党合意」受諾は無効だ 国労大会
 闘争団切り捨て許さぬ
 “史上最悪の大会”に怒り 国労再生へ全力で抗議貫く

 国労第六七回定期全国大会(続開大会)は、一月二十七日、東京・永田町の社会文化会館で、国家権力・機動隊が制圧する「戒厳令」下で強行された。「これが労働組合の大会か!」――会場内外の激しい怒りの中で、「四党合意」受諾の方針が強行可決された。本部執行部、チャレンジ一派と革同上村一派、そして準備地本の東京地本執行部は、国労運動史上に一大汚点を残しただけではなく、日本労働運動史上にも類例のない大暴挙を強行した。この日は、闘争団・家族、国労組合員はもとより日本労働者階級にとって断じて許せぬ「怒りの日」として歴史に刻まれた。だが、闘争団や闘う国労組合員に敗北感はみじんもない。闘争団切り捨てを国家暴力によって強制する「四党合意」の本質が鋭く暴かれ、逆に怒りは一層高まった。「四党合意」攻撃は、その根幹において打ち砕かれた。「四党合意」は死んだのだ! 「闘いはこれからだ!」――この日をもって国労の階級的再生へ、新たな闘いが始まったのである。

 機動隊千三百が包囲

 社会文化会館の周辺には前夜から千三百人もの警視庁機動隊、公安刑事が配備された。会館前の道路はバリケードで完全に封鎖され、その中を機動隊が固めた。地下鉄永田町駅から国会図書館前の道路も機動隊が制圧し、歩道には何重もの検問態勢が敷かれた。
 本部執行部や会場警備係、代議員は前泊のホテルから貸し切りバスで会場に乗り付けた。傍聴者は旧永田町小学校前に集められ、機動隊によって傍聴券をチェックされて入場するという屈辱を強いられた。また、私服の公安刑事が会場内を徘徊(はいかい)した。
 この官憲導入は、完全に警視庁の主導で行われた。国鉄闘争を治安問題ととらえた警察権力は、「国労本部の要請」を盾に国労解体を狙った露骨な介入を強行した。こんな事態を招いたのは、高橋・宮坂・上村・新井ら本部執行部、酒田ら東京地本執行部だ。恥を知るがいい! 自らの力で大会を「成功」させることができないところに追いつめられ、権力にすがったとたんに、労働組合を死に導く前代未聞の警察支配の大会となったのだ。彼らは、暗黒の警察労働運動の先鞭(せんべん)を付けるようなことをやったのだ。
 降りしきる雪の中、闘争団を始めとする多くの組合員が締め出された。また、これまで来賓として参加していた都職労、東京清掃労組などの労組、学者らも排除された。中央共闘や連帯する会はこれに抗議し、ほとんどが入場を拒んだ。
 報道関係者についても厚生労働省などの記者クラブ加盟社に限定した上、一社一人に制限。それ以外は締め出した。テレビなどの撮影は開会前までとし、会場警備係が暴力的に排除した。カメラマンの排除に対して代議員・傍聴者も一体となって実力反撃した。

 “首切り犯罪認めぬ”

 こうして大会は、激しい怒りに包まれて開会した。
 冒頭、議長が「なんとしても方針を可決して統一と団結をつくり上げる大会だ」と発言すると、弾劾のあらしとなった。賛成派は、なんとJR東日本の株主総会での東労組カクマルら「社員株主」と同様の翼賛的拍手で応酬した。
 東京地本副委員長の議長は、初めから本部執行部の側に立った強権的議事運営を行った。議事運営委員長の鈴木中執が議事日程を提案し、本部総辞職は運動方針案の採決の後に行うと述べた。あくまで、「四党合意」の大会決定まで本部執行部は居座るというのだ。
 議長は、議事進行に関する発言を一切受け付けず、宮坂書記長による追加方針(ILO勧告、東京高裁判決、春闘について)の提案に移った。宮坂に対して激しいヤジが浴びせられた。
 討論に先立って、昨年十月の大会で提出された三本の修正動議と、追加方針に対する一本の修正動議の趣旨説明が行われた。
 それは、@「本大会では『四党合意』の受け入れは決定せず、引き続き職場討議とする」、A「解雇撤回・JR復帰を柱とする゛全面解決要求″を基礎に交渉する」、B「多くの仲間との共闘を追求する」、CILO第二次勧告について「事実をねじ曲げた政府側の情報提供について、その責任を徹底的に追及する」というものである。
 提案者はそれぞれ、機動隊導入や強権的議事運営に対し、「国労運動に汚点を残す、最悪の大会だ」と激しく弾劾した。そして「JRに法的責任なしを認めることは自殺行為だ」と「四党合意」反対を訴えた。
 だが、その後の一般討論は、反対派を意図的に指名せず、十三人の発言の大半を賛成派が占める不当なものであった。
 こうした中で、北海道・旭川地区本部の闘争団の代議員は、「四党合意」について「私たち闘争団・家族が悩み苦しみ、十四年間闘ってきた根拠を自ら捨て去るものであり、首切り犯罪は絶対に認めることはできない」と毅然(きぜん)と訴えた。また、この間、「解決金一人八十万円」と言われていることについて、「自民党の亀井静香代議士が野中広務代議士(前幹事長)に国鉄問題の進捗(しんちょく)状況を聞いたところ、野中が『解決金一人あたり八十万円で国労は了承している』と明確に答えた」こと、社民党の土井党首も家族の要請に対して「国労には解決内容を示しているはず」と説明していることを暴露し、本部の明快な答弁を求めた。
 特別代議員の闘争団全国連絡会議議長は、「四党合意は、闘争団だけでなく国労組合員なら誰でも反対と思っているだろう。しかし、闘争団として賛成だ、反対だとは言えない。全国連絡会議としては横に置いてということになっている」と述べ、当事者の三十六闘争団全体が「四党合意」に同意してはおらず、「棚上げにすべき」との意見が強いことを表明した。
 千葉地本の代議員は、JR会社や厚生労働省の幹部が会場内に入っていることを暴露した。「組合員を入れないで、なんで敵を入れるんだ!」と、会場内は騒然とした。厚生労働省の官僚が代議員・傍聴者に摘発され、たたき出された。なんとこの官僚は代議員証を持っていた。国労本部が引き入れたことは明らかだ。
 他方、「四党合意」賛成派の発言は、「JRの法的責任は司法の場で突破できていない現実を直視すべき。相手の条件を受け入れて話し合いに入ることだ。総辞職で今日の混乱の根本的な解決になるのか」(近畿地本)、「四党合意を闘いの到達点ととらえ、さまざまな不安があっても有利な条件を生かし切って解決交渉に入るのか、四党合意を拒否し、政治の場での解決を拒否して、さらなる長期闘争を宣言し、司法闘争一本で進んでいくのか」(北海道・札幌闘争団)など、断じて許せないものだった。
 また、「解決内容が出た時点での一票投票を」(長野地本)などと、一票投票で「ゼロ解決」を闘争団に押し付けようとする反動的な発言も行われた。
 中間答弁で宮坂書記長は、「解決金八十万円」と言われていることについて、「このようなことは一切ございません」としらを切った。

 闘争団の抗議無視して採決

 午後の議事再開に対して、闘争団は立ち上がり、「四党合意反対!」のプラカードを掲げ、「機動隊導入の大会弾劾」「四党合意粉砕」「本部は闘争団を切り捨てるな」「闘争団は最後まで闘うぞ」とシュプレヒコールを上げ続けた。
 その中で三人の代議員が代表討論を行った。なんと全員が本部方針賛成だ。
 北海道・札幌地区本部の代議員は、「四党合意を拒否すれば十三年間積み上げてきたものを失う。JRに法的責任なしを決めることは屈辱的だが、これを決めなければ和解交渉を開始することは困難だ」と敗北主義むき出しの発言をした。
 東京上野支部の代議員は、「私たちの要求はもともとJRに法的責任を認めさせることにあったわけではない」と開き直った。
 本来なら反対討論をするべき東京地本書記長は、「警備の関係で意見があるが、続開大会を成功させることが急務であると判断し取り組んだ」と機動隊導入を居直り、「四党合意が含まれているからと言ってILO勧告の受け入れをちゅうちょするなら、解決する意志があるのか否かが問われる」というへ理屈で、ILO勧告を盾にして「四党合意」の受諾を主張した。
 これを受けて書記長集約が強行された。宮坂は、あらためて「四党合意を受け入れる」と言い放ち、修正動議については、「共闘の追求」以外は「受け入れられない」と突っぱねた。
 三本の修正動議の採決が強行された。闘争団はシュプレヒコールを上げ、「がんばろう」の歌を歌い、代議員への訴えを続けた。修正動議がすべて否決され、「四党合意」受け入れの方針案の採決が強行された。闘争団は再び「JRに法的責任はあるぞ」などとシュプレヒコールを上げた。
 採決結果は、投票総数百二十一票、賛成七十八票、反対四十票、無効二票、白票一票だった。賛成派の拍手の一方、「認めないぞ」というヤジが飛んだ。
 「四党合意」の受け入れ方針は決定された。だが、賛成票も三分の二に達せず、三分の一の反対票が存在するという厳然たる事実を突きつけた。当事者の闘争団は三分の二が反対し、機関役員が中心の代議員も三分の一が反対している。あらゆる切り崩しにも屈しない反対勢力が、確固として踏ん張ったのだ。
 鮮明になったことは、機動隊に守られた警察管理の大会での決定など、労働組合の自主的な決定ではなく、無効であり、断じて認められないということだ。

 候補者も入場させない暴挙

 大会はこの後、中央本部執行部の選挙が行われた。ところが許しがたいことに、あらかじめ立候補の意志表示をしていた東京地本新橋支部の吉野元久氏(委員長候補)らを会場に入れず、会場外で機動隊と私服刑事の監視のもと、バリケード越しに立候補を受け付けようとした。実際には傍聴の組合員によって立候補届が提出され受理されたが、前代未聞の事態だ。さらに、立候補者の所信表明演説もさせずに、「何を基準に選ぶんだ」というヤジの中で投票を強行した。

 極悪新執行部打倒へ

 選挙の結果、新委員長は盛岡地本・高嶋昭一委員長、新書記長は北海道本部・寺内寿夫委員長となった。チャレンジ一派主導の極悪の執行部である。
 高嶋新委員長は、七・一臨大直後、闘争団へのカンパの中止などの兵糧攻めの恫喝をした張本人である。寺内新書記長は自ら闘争団員でありながら、北海道内の大半の闘争団に敵対している。今大会にむけての北海道闘争団へのオルグで「闘争団の要求を実現する自信はない」と言った人物だ。闘争団員は、「北海道で責任を取れなくて中央では責任を取れるのか」と痛烈なヤジを浴びせた。
 なお、副委員長には革同上村一派の近畿地本・田中浅雄書記長が座った。東京地本・酒田委員長が中央執行委員に押し込もうとした東京地本副委員長(今大会の議長)は落選した。人事をエサに地本執行部全体を賛成派に転向させた酒田の薄汚い策動は破産した。
 大会終了後の記者会見で新執行部は、「解決の緒につく決定をみた。遅れた分をばん回するため一丸となって努力したい」(高嶋委員長)、「全員がバンザイできる解決になるとは思っていないが、『そんなはずではなかった』と言われる結果は出したくない。大方の人が我慢できるギリギリのところを落としどころにする」(寺内書記長)などと述べた。
 一方、国土交通省は「内容を吟味して、与党と連絡を取りながら対応していく」、JR東日本は「議論などの内容について承知していないので、何とも言えない。国労の具体的な行動等を見守っていきたい」、JR西日本は「国労が『JRに法的責任がないことを認める』ことを正式に機関決定し、それが実行に移されるとすれば、意義あること」とするコメントを出した。要するに政府・JRは「JRに法的責任なし」を組合員一人ひとりの行動で示せ、と迫っているのだ。
 だが、二十闘争団と六闘争団の有志の代表は、記者会見で「ここ(大会決定)に至るまでの無責任なやり方、労組としての合意形成の方法を無視した手続きは極めて遺憾だ。自分たちの納得できる解決を目指して、今後も四党合意に反対し、執行部には軌道修正を求めていきたい」と訴え、あくまで闘い続ける姿勢を示している。
 闘争団の闘いを誰も押しとどめることはできなかった。闘争団のより根源的な怒りは、国労の新たな闘う力をよみがえらせている。
 闘いは新段階に入った。チャレンジと革同上村一派の新執行部を打倒し、闘う執行部樹立、国労再生へ闘おう。各エリア大会、地方大会が決定的に重要だ。東京地本執行部などの大裏切りを徹底追及しよう。
 そして、ファシスト・カクマルの分裂、松崎を先頭とするJR総連カクマルの離脱という中で、いよいよJR総連を解体し、闘う国労、動労千葉の組織拡大を実現すべき時が来た。春闘とともに、JR東の「ニューフロンティア21」の大合理化、保守部門の全面外注化を阻止する二〜三月の闘いに全力を挙げよう。

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週刊『前進』(1992号2面2)

会場前
 “こんな大会は認めない” 吹雪つき機動隊と対峙
 闘争団、不退転の決意を表明

 社会文化会館周辺は早朝から千三百人の機動隊によって制圧された。会場に通じる道路はすべてバリケードで封鎖され、その内側には乱闘服の機動隊が盾を並べた。これこそが「四党合意」の正体だ!
 この日、東京はまれに見る寒波に見舞われた。締め出された闘争団員に、横殴りの雪がやむことなく吹きつけた。本来、国家的不当労働行為と闘うべき国労本部は、権力を使って当事者である闘争団を寒空のもとに放り出し、その切り捨てを強行するところにまで転落した。社文前に駆けつけたすべての労働者が、このことに心の底からの怒りを燃え立たせた。
 闘争団は、この日早朝から行動を開始した。午前七時、会場警備係と代議員の宿舎である新宿ワシントンホテル前に、ゼッケンを身につけた闘争団員が登場した。代議員証をチェックされてバスに乗り込む代議員に、「四党合意の棚上げ・廃案を!」と訴える闘争団のビラが次々に渡された。
 午前八時前、会場警備係と代議員を乗せたバスが社文前に到着した。会場警備係は、逃げ去るように会館内に姿を消した。
 社文北側の道路には、国労組合員と支援の労働者が早朝から続々と結集し、その数は延べ千人に達した。会場を目の前にしながら、機動隊に阻止されてそれ以上進めない。寒風の中、「四党合意粉砕!」「闘争団を中に入れろ」のシュプレヒコールが繰り返された。指揮官車から警察が「速やかに退去しなさい」とがなり立てる。参加者の怒りは一層高まった。
 闘争団員が次々にマイクを握って訴えた。
 「国家権力・機動隊に守られて大会を開くなど、絶対にあってはならない。この大会を認めることはできない。統一と団結のために大会を開くと言うが、われわれは闘うために国労に結集している。闘わない統一と団結など必要ない」「闘いの展望はある。JR総連の分裂をつくりだしたのはわれわれの闘いだ」「機動隊に守られて大会を強行している本部への怒りでいっぱいだ。四党合意を採決しないよう求める」「機動隊を導入した大会に心からの怒りを感じる。十四年間、四党合意という解決を求めて闘ってきたのではない。JRの責任で元職場に戻るために闘ってきた」
 午後二時半、方針の採決に入ったことが報告されると、闘争団員が「私たちは四党合意を撤回して地元JRに戻るまで闘い続ける決意でこの場に来ている。会場内では家族も含めて抗議の声を上げている。ここでも四党合意撤回に向けてシュプレヒコールを上げよう」と訴えた。「四党合意は認めないぞ、闘争団切り捨ての決定は認めないぞ」と、声を限りのシュプレヒコールが再開された。

 解雇撤回は絶対に譲れぬ

 採決の結果が明らかになると、闘争団の代表がただちに、「JRに法的責任がないことを先に認めて何の解決があるのか。私たちは結果が出ても四党合意を認めない。解雇撤回・地元JR復帰の解決要求を放棄せず、最後まで闘いを貫くという二十四日の記者会見での闘争団の決意は、ただ出しただけのものではない。闘いの準備はできている。闘争団の解決要求を闘いとる」と決意を表明した。
 執行部総辞職の知らせが入った。選管委員が出てきて、バリケードの内側からハンドマイクで立候補を受け付ける旨を述べた。立候補を表明していた吉野元久氏らが進み出た。選管はバリケード越しに立候補届を受け取ったが、候補者を中に入れようとはしない。その場の全員が、抑えきれない怒りをともにした。「機動隊は選挙も妨害するのか。中に入れろ」という声が飛び、バリケードが激しく揺さぶられた。
 闘争団を先頭に国労組合員と支援は、大会終了まで全力で弾劾行動を続けた。闘争団は、権力とそれに屈した裏切り者たちに対する奥深い怒りをたぎらせながら、不退転の反撃に立ち上がっている。その不屈の闘志を、機動隊で押しつぶすことはできなかったのだ。

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週刊『前進』(1992号2面3)

決戦態勢を固め前夜集会 ”大会強行やめよ” 

 国労続開大会を翌日に控えた一月二十六日、四党合意に反対する全国連絡会はシニアワーク東京で「国鉄闘争勝利・学習交流会」を開催した。闘争団を先頭とする国労組合員、支援の労働者が会場にあふれた。
 主催者として発言した国労新橋支部の代表は、「社会文化会館前を戒厳令ともいうべき状態にして大会が開かれようとしている。そういう大会を強行するのは許せない。四党合意の本質が明らかになった。あらゆる戦術で四党合意を棚上げにする。そのための意思統一を図りたい」と集会の趣旨を提起した。
 北海道の闘争団の労働者が、二十三日以来の上京闘争団の闘いを報告し、翌日の行動方針を提起した。九州の闘争団の労働者は、「多くの仲間が明日の大会を心配している。闘争団は大会の結果がどうなろうとJRの責任を追及する」ときっぱりと決意を述べた。
 闘争団の家族は、「勝利解決が見えてきた時に、なぜ白旗を掲げるのか。具体的中身もないまま四党合意を認めることはできない。信頼していた仲間の言動でこんなにも不安にさせられることが腹立たしい。夫の職を奪ったのは政府・JR。失った十四年を取り戻すために皆さんと一緒に闘う」と切々と訴えた。
 東京清掃労組の代表は、「首切りに対して非妥協の闘いを貫かなければ労働組合の存在意義はない。原点に返って闘争団・家族が納得する闘いを展開していただきたい」と発言した。
 集会のまとめを行った国労組合員は、「先頭になって闘った闘争団を支え、国労を闘う組合として立て直そう」と訴えた。

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週刊『前進』(1992号3面1)

KSD汚職と機密費疑惑徹底追及し森政権打倒へ
 ファシスト石原都知事は共犯だ

 前号1面論文で暴露したとおり、KSD汚職問題と政府の機密費疑惑事件は、自民党政治の最も腐敗した姿を示した。「ここまで腐敗していたのか」という怒りの声が全国に充満している。中小企業を食い物にし、アジア人労働者に対する現代版強制連行を進めるKSD(ケーエスデー中小企業経営者福祉事業団)と、それを資金源として政治支配を行う自民党を弾劾し、森政権=石原都知事の打倒へ攻め上ろう。

 KSD汚職

 中小企業と外国人労働者から搾った金が自民党に
 KSDとは、労働省天下りの古関忠男が「災害防止、労災防止」を名目に一九九〇年に設立した共済組合で、中小零細企業の百七万人から「保険の掛け金」として毎月二千円を徴収している。年間二百七十億円の収入がありながら、災害補償への支出はわずか八十億円。あとは古関が自由に運用し、自民党に流されてきた。古関のあまりのワンマン経営が問題になって、昨年十一月に古関は業務上横領と背任で逮捕・起訴されている。

 党費の肩代わり

 KSDと最も密接な関係があった村上正邦自民党参議院議員会長は、九八年の参院選の際、KSDから党員十九万人分、約五億三千万円を肩代わりしてもらうことで比例二位に登載され、当選した。党員十九万人は幽霊党員だ。金で議席を買っていたのである。
 これは、KSDが推進していた「国際技能工芸大学(現・ものつくり大学)」設立計画を村上がバックアップしたことの見返りであった。かつて久世公尭元金融担当相が後援企業から約一億円の党費を立て替えてもらったことが発覚して閣僚辞任したのと比べても、けたはずれの議席買収である。党費立て替えは賄賂(わいろ)そのものだ。自民党の比例選挙は、すべてこのような利益誘導と結びついた党費立て替えで成り立っているのだ。
 村上は参院自民党の中心人物であり、小渕没後に密室で森の後継首班を決めた「五人組」の一人である。また参院憲法調査会会長を務め、改憲攻撃の先頭に立つ超反動政治家である。
 石原都知事は、村上と同志関係にあり、昨年九月にも中曽根のパーティーに出席し、村上、古関と固い握手を交わしている間柄だ。石原はKSD汚職について沈黙し続けている。なぜか。石原自身、KSDへの加担者だからだ。
 一方、村上の秘書だった小山孝雄参院議員が、技能実習制度に基づく外国人労働者の滞在期間の延長、ものつくり大学の設置に有利な国会質問をしたことと引き替えに二千万円の賄賂を受け取っていたとして受託収賄容疑で逮捕された。村上と同じく、小山も参院選比例順位を上げるための十二万人分の党費をKSDに肩代わりさせている。
 額賀経済財政担当大臣は、「ものつくり大学」を推進する返礼として九九年十一月に五百万円、二〇〇〇年四月に一千万円を受け取っていたことが発覚して辞任した。額賀は橋本派の「ホープ」と言われ、その大臣辞任は、この収賄の自認であると同時に、累を橋本派全体に及ぼさないようにする措置だった。
 亀井静香自民党政調会長も、「ものつくり大学」を推進して賄賂を受け取っていることは間違いない。
 首相の森喜朗も、自民党幹事長時代の一九九五年夏に、古関を褒めちぎっている対談が自民党機関誌『自由新報』に大きく掲載された。石川県の森の選挙区でKSDが開いた歌謡ショーのチケットが森の後援会に大量に回っている。
 KSDの政治団体「豊明会中小企業政治連盟(豊政連)」の機関紙には、「中小企業のための施策実現に努力された中小企業関連の議員連盟(豊政議連)の方々」として二百二十五人の国会議員(うち百八十五人が現職)の名前が並べられている。石原伸晃も入っている。自民党全体がKSDに群がり利用している。KSDから自民党に巨額の政治資金が流れ、その見返りにKSDに有利な政策が行われてきたのである。

 ものつくり大学

 KSD・古関が進めていた事業はそのほかにも二つある。ひとつが今年四月開学になる「ものつくり大学」であり、もうひとつは「中小企業国際人材育成事業団」(略称アイム・ジャパン)である。
 「ものつくり大学」は、技能習得のための初の私立の四年制大学である。九六年三月設立の国際技能振興財団によって民間から資金を調達しようとしたが、資金難で難航した。そこで自民党が圧力をかけ、労働省が八十五億円の補助を国庫支出することで軌道に乗った。この際に村上や亀井が強力に働きかけた。
 そして、橋本が首相在任中の九八年二月に「ものつくり大学」構想を積極推進する発言を行い、小渕が九九年秋の国会を「中小企業国会」と呼び、その柱のひとつとして決定に持ち込んだ。二〇〇〇年一月の通常国会で、小渕が施政方針演説の中で「ものつくり大学」の意義を強調した。一私立大学の設立について施政方針演説で言及するのは異例のことである。

 現代版強制連行

 アイム・ジャパンは、インドネシアやタイなどアジアから「日本で最新技術を学べる」という触れ込みで若者を募集して、研修などとは無関係な土木作業員などで働かせる「現代の強制連行」を行ってきた。
 パスポートを取り上げて逃げられないようにし、タコ部屋同然の宿舎に入れ、長時間の重労働を強制した。過去八年間に受け入れた一万四千人の研修生のうち六百人余が脱走した(週刊朝日昨年十二月一日号)。
 一カ月の手取りが八万円から十万円。会員企業は研修生一人につき月十八万円をアイム・ジャパンに払い、そこから研修生の手当てが払われる。要するにピンハネだ(理事長の古関の年俸は三千万円だ!)。
 アイム・ジャパンの設立とその認可、外国人研修者受け入れ制度の緩和などに村上が尽力し、その見返りとして参院選への古関の協力があったのである。

 自民党集金機構

 KSD問題とは、自民党総がらみの新たな大政治腐敗事件である。政権政党・自民党は九〇年代をとおして政治的没落を深め、伝統的な政治資金集金システムが崩壊してきている。その中で、自民党の政治資金調達機関となってきたのがKSDである。中小零細企業を食い物にして新たな集金システムを作り上げた。自民党はKSDを使って、不況に苦しむ中小零細企業とそこで働く家族・労働者から無慈悲に金をだまし取ったのだ。中小零細の血と汗を搾り取る自民党政治の姿がここにある。
 しかもアジア人労働者を強制連行し、強制労働させ、差別的に使い捨てにし、金をむしり取る。なんという暴虐か。アジア侵略の歴史の繰り返しだ。
 「ものつくり大学」に注がれた国家資金八十五億円も、ゼネコンから回り回って自民党に還流する仕掛けになっているのだ。
 KSD問題の元凶は自民党だ。森・自民党打倒へ、KSD汚職徹底追及の闘いを起こそう。また、この森の教育改革攻撃、改憲攻撃を支え、KSDに協力している石原都知事は同罪だ。石原打倒へ闘おう。

 機密費疑惑

 スパイ活動や野党買収に領収書すらなく使い放題
 外務省の松尾克俊・元要人外国訪問支援室長による政府の機密費(報償費)横領疑惑は、外務省や内閣官房の「報償費」のやみに隠された実態を垣間見させることになった。
 直接問題になっているのは、松尾元室長が領収書も帳簿も不要な機密費に目を付けて、私的に横領していた(競争馬を買ったり、マンションを買ったりした)という、それ自身許しがたい事件である。国家官僚の腐敗の極みである。
 しかし問題はそれにとどまらないのだ。これは外務大臣や官房長官、さらには首相の問題だ。機密費という存在がこうした腐敗を生み出しているからだ。
 政府の機密費のうち最大の外交機密費(二〇〇〇年度予算では約五十六億円)は、首相官邸の官房機密費(同約十六億円)と絡んでいる。官房機密費は国内の政界工作に使われるため、国会で追及されるので増額しにくく、外交交渉に使う外交機密費の方が増額しやすいということで、外交機密費を首相官邸に環流させて一体のものとして使われてきたのだ。
 一九九四年の自社さ三党連立内閣で官房長官だった野坂浩賢は、次のように証言している。「長官室の金庫には常時八千万円の現金が入っていた」「金庫を開けて使うかどうかを決めるのは、首相さえ手が出せない私の専権事項だった」「(長官だった一年半に)三回ほど与野党の国会対策委員会幹部に渡したことがあった。法案通過だったか難しい政局を乗り切ろうとしてだ。一回あたり五百万円ぐらい」「領収書はもちろん帳簿すらない。公金を使っているという良心だけが歯止めだ」(朝日新聞一月二十六日付)
 内閣官房機密費は、対野党の工作費に使われていた。野坂も「難しい政局を乗り切る」ために「五百万円×三回」使ったと告白している。密室政治を行い、支配階級内の反対派や野党を抱き込むための買収費そのものである。

 秘密外交の裏金

 外務省の外交機密費は、在外公館の活動と本省関係に分かれる。外交機密費とは、国家権力の中枢が指示・関与し、情報提供に対して支払うもので、外交をめぐる国家的スパイ活動、謀略工作、買収、裏取引などをまったく秘密で行うための費用である。
 外交機密費は、一九五二年に始まって、いったん決裂し、五八年から再開された日韓交渉|日韓会談のころから次第に巨額化してきた。六一年の朴正煕クーデター以来、それはさらに増え、日帝の新たなアジア侵略、そこへの超反動的飛躍と、それをめぐる外交危機の中でどんどん膨れ上がったのである。
 機密費に支えられた日帝政府の、侵略と戦争、強権支配のための秘密外交と密室政治を打ち砕こう。政府の機密費制度そのものを追及し、森政権を打倒しよう。

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週刊『前進』(1992号3面2)

中四国と九州で革共同集会

 中四国 改憲阻止闘う熱気 党勢倍増へ奮闘誓う

 一月二十一日、革共同中四国政治集会が広島市内の広成ビル六階ホールで二百八十人を結集してかちとられ、圧倒的に高揚した。
 冒頭、連帯のあいさつで反戦被爆者の会の大槻泰生会長と下田礼子事務局長が登壇、「アジア侵略もヒロシマ・ナガサキも繰り返さないために、被爆者は自民党・森政権の改憲攻撃と断固闘う」と訴えた。次に全国被爆者青年同盟の友野幽委員長が「被爆者・二世の戦列を強化し、核廃絶、被爆者解放・日帝打倒まで闘う」と決意を表明した。部落解放同盟全国連合会の金平通雄共闘部長は、激増する差別事件を暴露・徹底糾弾し、第一〇回全国大会の大成功と狭山闘争勝利へともに闘おうと呼びかけた。闘う国鉄労働者は、「四党合意」を粉砕し、JR総連を打倒して国鉄労働運動の歴史的再生をかちとる決意を表明した。
 そして、革共同中央を代表して仁科一同志が「二十世紀の総括と二十一世紀革命の展望||二〇〇一年決戦に総進撃せよ」と題した基調報告を行った。
 仁科同志は第一に、革共同の二十世紀総括を提起、二十一世紀の展望を提示した。「ロシア革命によって共産主義への世界史的移行の突破口が切り開かれながら、スターリン主義反革命によってそれが裏切られ、その結果、過渡期は固定化され、帝国主義とスターリン主義による大反動期と化した。しかし、ソ連崩壊を機に帝国主義の基本矛盾の本格的爆発が再び始まり、帝国主義の死の苦悶(くもん)の時代に再突入した。したがって二十一世紀こそ反帝・反スターリン主義世界革命の時代である。この革命的情勢を前にカクマル=JR総連が分裂と解体的危機に突入した。これは、『黒田哲学』と黒田のカクマル指導の破産の結果であり、革共同の対カクマル戦争の歴史的勝利の証明である」と確認し、プロレタリア世界革命を二十一世紀のできるだけ早い時期に達成しようと訴えた。
 第二に、階級決戦としての改憲決戦方針を提起した。「日帝の戦争国家化攻撃=改憲攻撃を戦後史上最大最高の階級決戦の大爆発で粉砕しよう。日帝は、すでに深刻な恐慌状態に陥っている。同時に対米争闘戦においても敗勢に追い込まれ、体制的危機からの唯一の絶望的延命路線として改憲へ踏み出す以外にないところまで没落している。『二つの連帯戦略、一つの打倒戦略』と並んで『戦争国家化阻止=改憲粉砕・日帝打倒!』を掲げ、日本革命の戦略的突破口をこじ開けよう」と呼びかけた。
 第三に、労働者党としての革共同の本格的建設を訴えた。「革共同は前衛党としての必要な資質と能力を基本的に獲得してきた。残る最大の課題は党の量的拡大にある。ファシスト・カクマルを黒田イデオロギーもろとも打倒し、改憲派に転落した日本共産党を粉砕して、革命に勝利できる党へ歴史的大飛躍を実現しよう」と締めくくった。
 この基調報告を受けて二人の同志がそれぞれ「米バブル崩壊から、二九年型世界大恐慌へ」「日帝の大資本攻勢と対決し、国鉄決戦先頭に階級的労働運動の歴史的再生をかちとろう」と題した特別報告を行った。
 全参加者が二〇〇一年決戦への揺るぎない確信を固めた。その上でマル青労同全逓委員会、自治労委員会、教労委員会、電通委員会と女性労働者がそれぞれ資本攻勢の嵐(あらし)と対決してきた自信と自己解放性に満ちた決意表明を行った。さらにマル学同中核派広大支部、日本原現地闘争本部が決意を表明した。
 最後に、革共同中四国地方委員会の代表が「日の丸・君が代」攻撃に始まる教育改悪=改憲攻撃を粉砕する決意を表明。@改憲阻止闘争を基軸に都議選決戦を闘い、勝利する、A今夏八・六闘争を改憲粉砕闘争として闘う、B一・二七国労続開大会の勝利から十一月労働者集会へと新潮流運動の爆発をかちとる、C党勢倍増の闘いをやりぬく、と宣言した。
 全員でシュプレヒコールを行い、インターナショナルを大合唱し、終了した。

 九州 都議選必勝へ決意 若さと気迫にあふれ

 一月二十一日、福岡市市民会館国際会議室で革共同九州政治集会が開催され、大成功をかちとった。「闘う労働者党の力強い建設をかちとり、万国の労働者・被抑圧民族の団結で反帝国主義・反スターリン主義世界革命の偉大な勝利へ突き進もう」を共同の決意として打ち固めた。
 革共同中央を代表して水谷保孝同志が基調報告を行った。水谷同志は第一に、反スターリン主義・革命的共産主義運動が全面的発展を成し遂げる条件をかちとったと二十世紀を総括し、二十一世紀のできるだけ早い時期に反帝国主義・反スターリン主義世界革命を実現し、共産主義社会への移行へ進もう、ここ十年が勝負の時であると提起した。
 第二に、国際・国内情勢を明らかにした。米帝バブル経済の崩壊が世界経済の二九年型世界大恐慌への突入を現実化させ始めている。帝国主義のブロック化と争闘戦の激化は新たな侵略戦争・世界戦争を切迫させている。米帝ブッシュ政権は戦争的主導性をもって日米関係を国益第一主義で反動的に再編してくる。それは日米同盟の破裂に行き着くが、さしあたっては双方からの日米関係の強化として現れ、中国・朝鮮侵略戦争情勢を切迫させる。その中で没落帝国主義・日帝は、絶望的延命路線として改憲攻撃とレーガン型資本攻勢をも上回る階級戦争を仕掛けていると強調した。
 第三に、二〇〇一年決戦の五大分野で革命的大衆行動の爆発をつくり出すことを訴えた。@五・二七全国総決起闘争を頂点に改憲阻止闘争を強力に発展させるA都議選でけしば誠一氏の当選をかちとるB一・二七続開大会で四党合意反対派の勝利をかちとり、JR完全民営化を打ち砕く。十一月労働者集会に総結集するC全労働者階級人民の生活と権利の防衛・発展をかちとる。差別と抑圧に対して闘うD学生運動の新時代を切り開く||この五つだ。
 さらに、転向日共打倒、分裂カクマル打倒、闘う労働者党建設の飛躍的前進をかちとることを訴えた。
 日共の転向に怒る多くの労働者活動家、諸人士を獲得しよう。カクマルとJR総連の分裂と抗争の激化の根底には黒田哲学の反プロレタリア的ファシスト・イデオロギーがある。黒田・カクマルの全面的な破産と松崎・JR総連の資本への果てしない屈服と破産を徹底的に暴露し、全国鉄労働者、JR総連傘下の組合員にカクマル、JR総連からの決別を促そう。
 最後に、二十一世紀に勝利する闘う労働者党の建設を呼びかけた。党建設は、党勢拡大闘争を目的意識的・計画的にやりぬくことにある。党に入って初めて本当の活動家になる人も少なくない。党員になることでコミュニストになる。党勢拡大闘争こそ党をボルシェビキ化すると提起した。
 集会参加者は、二十一世紀のできるだけ早い時期にプロレタリア世界革命を実現するという革共同の決意と確信をわがものとし、拍手で基調報告を確認した。
 連帯のあいさつとして、反戦共同行動・福岡の代表は「あらゆる闘いを改憲阻止闘争として闘う。一・二八日出生台での米軍実弾演習阻止闘争、二・一一改憲阻止・教育基本法改悪阻止集会を闘おう」と訴えた。破防法団体規制に反対する連絡会議代表世話人のメッセージが代読された。
 五人の国労組合員が登壇、闘争団員が感動的な特別報告を行った。「四党合意絶対反対、完全民営化攻撃粉砕、JR総連打倒の全体を国鉄闘争として闘おう。動労千葉の組織拡大と三月ストと連帯して闘う。『四党合意は不当労働行為』の地労委闘争で一月十八日に次回審問入りの勝利をかちとった」と述べた。
 国鉄、教労、自治労、民間の労働者、部落青年戦闘同志会、被爆者青年同盟、マル青労同、マル学同中核派の各決意表明は、二〇〇一年決戦の最先頭に立って闘う若さと気迫に満ち満ちていた。革共同九州地方委員会の代表の決意表明で集会を締めくくった。
 マル学同への新加盟は集会の成功を象徴している。

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週刊『前進』(1992号3面3)

杉並住民の会 介護保障求め区交渉 「他の施策で対応」と約束

 介護と福祉を要求する杉並住民の会は一月二十五日、対杉並区交渉を行い、保険料や利用料の減免を始め介護保険によって切り捨てられた介護を回復するための政策を要求した。この中で、介護保険では対応できない介護の問題について他の福祉施策で対応することを区に約束させた。
 午後一時からの交渉は、けしば誠一杉並区議が窓口となって行われた。まず杉並住民の会の代表が「私たちは老いを迎えているが、多くの人たちが不安を抱いている。その不安を取り除き、みんなが惨めでない老いを迎えるために福祉を作り上げていかなければならない」と、住民の側に立った対応を杉並区に求めた。
 住民の会の事務局長が要求項目を一項目ごとに読み上げる形で交渉が行われた。杉並区の介護保険サービス利用の現状調査に対する内容開示の要求では、区は調査結果の公表を約束したが、さらに調査自体の不十分性を鋭く指摘した。
 さらにBさん、Cさんの問題を具体的に追及した。
 Bさんは脊椎(せきつい)損傷のために下半身がまひしている。介護保険が導入されて毎月四十五万円もの自己負担を強いられるようになった。ヘルパーの訪問介護を減らして、その分を家族が介護を行わなければならない状況になったが、この間の闘いで約十五万円の減額を実現してきた。再審査請求で要介護3から4になったが、頸椎(けいつい)椎間板変性があることが明らかになり、それを加えると要介護5が妥当ではないかと迫った。
 Cさんは、車いすにも座れないため通院には寝台車による移送サービスが必要だ。高額の出費を強いられる上に、そのための設備をもった車が少ないためにめったに利用できない。この問題に杉並区が責任ある対応をすることを求めた。
 住民の会の世話人の男性が「介護保険ができたことが福祉の後退になっている。措置制度の時にはできたことが介護保険でできなくなった、ということではないか」と発言した。こうした追及に対し区側は「福祉というのは幅が広いもの。介護保険だけでない。他の施策の適用を含めて考えていきたい」と、障害者福祉施策を含めてこの問題に対応していくと回答せざるを得なかった。
 四項目めに利用料、保険料の減免と助成措置を要求した。区当局は「全国一律の制度」を理由に「減免しないのが杉並区の方針」と態度を変えようとはしなかった。「負担が大きくなる。元に戻してほしい」「使いたくても使えないのが現状だ」と激しい怒りが沸き上がり、区当局は答えられない。さらに介護保険がごく一部の金持ちのために作られた制度であることに鋭い怒りが突きつけられた。
 交渉終了後、参加者は交渉の成果を確認すると同時に、保険料、利用料の減免の実現のためにさらに区交渉を強めることを決めた。

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週刊『前進』(1992号3面4)

未決勾留14年に怒り 即時保釈要求10万人署名運動 錦糸町での街宣に大反響

 「未決でそんなに長いのですか、信じられない」「日本の裁判はおかしい」−−あらゆる年代の労働者人民が前代未聞の十四年もの長期未決勾留に驚き、裁判所への怒りを表した。一月二十日、東京・錦糸町駅前で六人が無実の迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判を闘う四同志の即時保釈を要望する十万人署名運動を展開し、三時間で百六十八の署名が寄せられた。
 「東京地裁木口裁判長、東京拘置所は直ちに須賀さんへの獄外医療を認めよ!」「無実・未決勾留十四年の須賀さん、十亀さん、板垣さん、無実・未決勾留八年の福嶋さんを即時保釈せよ!」
 四同志は、日々看守・廷吏の監視のもと、獄中闘争・裁判闘争を命を懸けて十四年間も闘い抜いている。獄外の私たちは四同志の分身となって、裁判所・東拘の拷問そのものの獄中処遇と裁判長・検察官のデッチあげ裁判、極悪な国家的犯罪行為を暴き、須賀さんの即時獄外治療と四同志の即時保釈を要望する署名を呼びかけた。「須賀さんへの獄外治療拒否は国家による人殺しだ」「裁判所に無実の四人の自由を奪う権利はない」と訴えるビラがどんどん受け取られる。立ち止まって食い入るようにビラを読む人もいる。戦前の特高警察の弾圧の話をしながら署名する年輩の労働者。「寒いのに大変ですね」とねぎらいの言葉をかけながら署名する子ども連れの女性。一緒にいる仲間にも署名を勧める高校生。
 「なぜ裁判所は判決が下りる前に彼らをこんなに長期にわたって獄中に閉じ込めているのか」と質問され、「反戦運動、革命運動に対する弾圧以外に考えられない」と答えると、「自分も戦争に反対だ」と共感と驚きが返ってくる。
 戦争国家づくりのための日帝の司法改革攻撃が先取り的に四同志に襲いかかっている。四同志は、長期勾留による肉体破壊攻撃を跳ね返しつつこれと真っ向から対決している。四同志は改憲阻止=反戦闘争の最前線に立っているのだ。いかなる弾圧が襲いかかろうとも人間の尊厳をかけて労働者階級人民の解放の闘いを貫いている。このような獄中非転向の闘いは、安保・自衛隊を容認し改憲派に転向した日共スターリン主義にはありえない。
 四同志への日帝国家権力の殺人的人権じゅうりん行為に対して、人民の批判・非難の声は、街で、裁判所周辺で、闘う労働者の現場で、確実に高まり拡大しつつある。全国の同志の皆さん! 労働者人民の皆さん! 生命の危険と直面しつつ闘い抜いている須賀同志を始めとする四同志の一日も早い保釈、奪還をかちとるために、十万人署名運動への協力を心からお願いします。 (投稿 K・M)

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週刊『前進』(1992号4面1)

日帝を擁護し闘うアジア人民との連帯に敵対する白井朗を粉砕せよ
 『中核派民主派宣言』を断罪する
 西山信秀

 はじめに

 白井朗はこの間明らかにしてきたように、権力に屈服し、その庇護(ひご)のもとで革共同への反革命的敵対行動を売り物にし、腐敗・堕落し、変質した許し難い人物である。革共同から脱落し、転向し、反革命カクマルに屈服し、革命的共産主義運動を汚し、破壊することを目的としている許すことのできない反革命分子である。
 白井の反革命出版物は思想的腐敗と堕落の極みにあり、人格的腐敗にさえ至っている。『二〇世紀の民族と革命』(以下『民族本』)も『中核派民主派宣言』(以下『民主派本』)も、底なしの転向、腐敗の極致である。
 白井の「理論闘争」なるものの反革命性と低水準ぶりは、本紙一九八五号から三回にわたって掲載された島村伸二論文によって徹底的に暴き出され、完膚なきまでに批判された。白井は卑劣にも同一九四四号の西山論文が入管闘争論的内容であり、全体の八行に対する批判であることから、『民族本』の批判にならないなどと批判をかわそうとしたが、島村論文によってその策動は完全に破産した。西山論文が『民族本』の八行を批判した意味、「七・七」問題の何たるかも分からない白井は、『民族本』のどこを取り出しても同様に批判されるべき内容であることが分からないのだ。白井は民族問題、(帝国主義と)民族植民地問題を論じ「七・七」や血債の立場を語りつつ、日帝下の日本人民(抑圧民族人民)である白井自身の入管闘争について、その決定的弱点をさらし、致命的誤りを犯したのである。ここで誤れば、民族問題の具体的実践的解決を誤ることは明らかであり、「全理論」が崩壊するのである。
 白井は「七・七」で革共同が何を問われたのかをまったく語れない。そこに身を置くことなく七・七自己批判を論じ、血債を論じることはできない。そのことを西山論文への「反論」においても完全に欠落させ逃げている。『民主派本』やインターネットに載せられた白井の「反論」は、まったく入管闘争を語ることなく、『民族本』の反革命的主張をさらに深めているだけである。そこにあるのは毒々しい悪意に満ち満ちた、低水準で「知性」のカケラもない言辞である。まるで在日アジア人民に乗り移ったかのような反革命的記述であり、許すことのできないものである。これを徹底粉砕することは、革共同の「連帯し」の実践そのものである。本稿では、白井の「反論」なるものと『民主派本』の反革命的展開を徹底批判していきたい。

 金石範氏からの引用で破産し在日人民への「日本国籍」強要

 (1)『民主派本』の最後の十三行部分の徹底的批判の前に、まず、白井が試みた西山論文への反論ならざる「反論」に言及しておく。白井は西山論文への「反論」のつもりで、『民主派本』とインターネット上の投稿欄の二カ所で、入管闘争への論述のようなものを掲載した。そして再び三たび入管闘争での無知・無自覚と、反動的反革命的言辞をふりまいて傲然(ごうぜん)と居直っているのである。『民主派本』ではあわてて書いたためにあまりにみすぼらしいと思ったのか、インターネットでは初めてと言ってよいほどの分量で記述している。
 (2)だが、論述にまったく自信のない白井はそのおよそ四分の一を割いて『世界』九九年五月号の在日朝鮮人作家・金石範(キムソクポン)氏の「再び、『在日』にとっての『国籍』について」からの引用にすがりつき、それを自分の論旨展開上の論拠にし、自らの反動的中身を補強しようと試みて完全に失敗してしまっている。ではどのように白井は破産したか。少々長くなるが、白井が引用した金石範氏の文章をここに全文引用させていただく。(なお〔 〕内は筆者注)
 日本敗戦後の一九四七年、在日朝鮮人を治安対象として管理、規制すべく外国人登録令が実施されたが(外国人のほとんどが植民地支配から解放された在日朝鮮人、中国人だった)、〔この「、」が欠落〕後の韓国籍を含めて当時の在日朝鮮人全体を「朝鮮」と記載したのが始まりであって、いわば日本政府の勝手な表記だった。一九四八年、南・北分断政府樹立後、その一部が「韓国」記載になり、一九六五年の韓・日国交正常化〔白井は「韓国・日本」と誤記〕によってそれが「国籍」化し、その他が「朝鮮」として〔「となって」と誤記〕今日に至っている。
  日本政府は一九五二年四月、講和条約発効をまえに在日朝鮮人の「日本国籍」を剥奪して一方的に〔「一方的に剥奪して」と誤記〕「外国人」とした。勿論民族的感情から在日朝鮮人が「日本国民」として残るかどうかは別として、少なくともその措置は「国籍選択権」を前提にしての当事者である在日朝鮮人の意思に基づくものでなければならない。そしてそれに準ずる何の保障も代替権利もないまま、いわば一文無しの状態〔「一文無し」と誤記〕で、そうでなくても朝鮮人に対するひどい差別社会に放り出されて、日本国籍であれば当然受けるべき諸権利を失った。一例として、戦争犠牲者に対する援護法による障害年金、遺族年金、遺族給与金、その他の補償が適用されないことが挙げられる(戦時中〔「戦争中」と誤記〕の徴兵朝鮮人軍人、軍属は三十七万。強制連行一六〇万、そのうち約〔「約」を欠落〕五万死亡)。その一方で日本政府は『国家百年の大計』として、陰に陽に在日朝鮮人に対する帰化政策を強力〔「協力」と誤記〕に進めて〔「押し進めて」と誤記〕きたのだった。
 まず許せないのは、この金石範氏の文章からの引用のわずかな中に、九カ所も誤記があることである。これほどの誤記はミスという次元の問題ではなく、白井朗がデタラメな人物であること、そして決定的に重要なことは、金石範氏という在日朝鮮人(作家)との関係で、血債の立場に立った日本人としての緊張がカケラもないことである。およそこんな態度、あり方で在日アジア人民やアジア人民全体と対しているとすれば、それは侮辱以外の何ものでもないし、敬愛し、学ぶということの対極に白井が位置しているとしか言いようがない。「七・七路線」も「血債」も白井には語る資格すらない、アジア人民への敵対者と断定するしかない。
 金石範氏はほかならぬ在日朝鮮人作家である。作家であるということは、その表現、記述について生命をかけて生きているということである。しかも在日朝鮮人の金石範氏が日本語で表現しているということがここにはあるのだ。いわゆる「在日朝鮮人文学」論などの論議が以前からある。日本語表現の問題、つまりは母語の問題として、さまざまな苦悩と葛藤の中で生命活動の英知を注いで作家活動をしているのであり、日本語での表現をしているのである。白井のような許しがたい誤記がどれほどの侮辱であり、差別行為であることか。白井がこれを平然と行った事実は、白井の本性を余すところなく示している。
 白井が「言語と共感による民族性」「言語(母語)によってはぐくまれ」(『民主派本』)、「『言語と共感』規定が民族を捉える有効性」(『民族本』)などとどれだけ述べても、「言語共同体」論と「民族の永続性」についての問題はこのように突き出されてしまうのである。つまりは言葉を奪われた在日アジア人民の二世や三世などが、日本語を母語化していたとしても、その日本語を逆に武器にして、一層強烈な民族的意識−民族性を鍛え、日帝の同化攻撃などと闘うという矛盾的で困難な、しかし前人未踏の闘いをギリギリと推し進めていること、そうした闘いの中で、日本人民に対して抑圧民族としての意識=言葉を糾弾・変革し連帯するという切り口を切り開いているという現実こそが、われわれの前にあるということなのだ。こうした在日朝鮮人・中国人−アジア人民の||この場合金石範氏の||苦闘・格闘の立場に立ち、学びつつ問題に肉薄することが求められていることなのだ。白井の立場はそういう「七・七」的立場とも実践的苦闘とも無縁なところから、天下り的に「言語共同体」論でこの必死の格闘を切り捨てているにすぎない。金石範氏の文章の引用誤記は許すことのできないものである。

 悪意に満ちたデマ

 (3)次に、白井の西山論文への反論ならざる「反論」への根底的批判の対象は、「金石範氏が指摘しているように、戦争中『日本人』として戦争に参加した在日朝鮮人の補償をいっさい認めないというおよそ在日朝鮮人を蔑視(べっし)した理不尽なことが平気で罷(まか)り通ったのである」という記述部分である。
 金石範氏は「戦争中『日本人』として戦争に参加した」などとは記述していない。「戦時中の徴兵朝鮮人」としているのである。「日本人」などという表現は絶対にとっていない。「日本国籍」だったとしているのであって、たとえ「 」でくくってもそうした言い方を絶対にしないことに意味があるのだ。
 しかし白井は「日本人」として同化しているものとして扱ってしまっているのだ。また白井は「戦争に参加した」などというとんでもない表現で朝鮮人民を侮辱しているが、金氏は「徴兵」=強制的に兵役につかせることと記しているのである。文意の違いは明白である。
 この部分で白井は、「戦争に参加した」などと金氏の記述をゆがめているのである。金氏の立場とは百パーセント違うものが白井の中にあるという歴然たる証拠である。「金石範氏が指摘しているように」などと言いながら、白井はそれをねじ曲げて「反論」の根拠にしようとしている。「在日朝鮮人を蔑視した理不尽なこと」を「平気で罷り通」そうとしているのは白井朗その人なのだ。これを悪意に満ち満ちたデマゴギッシュな宣伝と言わずしてなんと言うのか! 意図的意識的行為と断ずる以外にない。
 また白井は、インターネット上での「反論」で、「日帝のかつての被抑圧民族たる朝鮮民族、在日朝鮮人・韓国人」と記している。これは何たることか。「かつての」と言うが、では現在は何なのか。日本軍軍隊慰安婦問題や強制連行などの日帝の戦争責任に決着がついたかのような言い回しではないか。帝国主義者どもが「日韓条約で清算ずみ」などとし、裁判で門前払いの許すことのできない判決を出している現在、「かつての」などというのは白井が何者であるかをよく示している。
 白井は金石範氏を論拠にしながら、この記述では「朝鮮民族、在日朝鮮人・韓国人」としている。しかし、金氏はここで「いずれにしても分断を中和させた形の『在日韓国・朝鮮人』は中和よりも固定を前提にしているもので、心穏やかにこのことばが使えるだろうか。字面の胴体に三十八度線が入ってきて快くないのだ」と書き記している。われわれの立場はすでに前記西山論文で白井を批判したとおりだが、白井はこれに対して何と応ずるのか。このような金氏の立場とはまったく逆転した表現をする白井は、金氏や在日人民から何を学んでいるのか、ということである。「七・七」「血債」の立場などまったくない、アジア人民の敵対物であるとしか言いようがない。
 (4)その揚げ句の果てに、ついに白井は「私は金石範氏が主張するように、朝鮮人の民族性を十全に保持したままの二重国籍が日本でも認められるべきだと考えている。日帝入管当局の民族性剥奪・帝国主義的同化主義の帰化攻撃と私の主張が同じだなどとは、とんでもないデマゴギーである」などと、とんでもない主張をするに至っている。
 まず、金石範氏の主張を引用してみる。結論へ導く部分に「そして未来のことながら、統一を前提とした南・北本土共通の連邦的な準統一国籍−統一通行証その他の制定がなされてもおかしくはないだろう。これは妙ないい方だが、自国民の段階的“二重国籍゜かも知れない。これらのことは個人の、あるいは『在日』のではない、歴史の要求である」とある。ここには天と地ほどに内容の違いが突き出されているではないか。
 金氏は白井のように「二重国籍が日本でも認められるべき」と主張しているのか。そうではない。「かりに私がどちらかの国籍取得者になるとしても、それは在日全体のなかのいちばん最後の人間になるだろう。その決心だけは固い」ということなのである。この重く厳しい現実を受け止め、民族性を貫いて闘い抜こうとする「すでに老年であり、このねじ曲った歴史の場にいつまでもとどまり得ない」と言う人の姿に何を学ぶのか、その返答が「二重国籍」の主張なのか、ということだ。これを見ても白井は実に怒りに堪えない人物なのだ。
 では次に、この「二重国籍が日本でも認められるべきだ」という主張の内容のすさまじい反革命性を検討してみたい。白井の言う二重国籍は何を示すのか。
 「一方的に日帝国家権力が日本国籍を奪った」「その国籍を一方的に、在日朝鮮人の意思を予め聞くことなく奪って」「国籍を奪って選挙権を剥奪」などと白井のペテン性を示す記述が続いている。金氏の文章を引用した部分にも「『日本国籍』を一方的に剥奪」「日本国籍であれば当然受けるべき諸権利」とあり、ここからは二重国籍の一つは日本国籍であるかのように読みとれる。ところが金氏の主張は、白井が引用していないところで、「南・北本土共通の連邦的な準統一国籍…自国民の段階的“二重国籍゜」と書かれている。さらに金氏は「ヨーロッパ諸国では定住外国人の二重国籍を認め」と上記引用部分に続けている。これはヨーロッパ当事国と外国人の当該国の二重国籍を指している。白井は金氏の主張のように言いながら、ペテン的言い回しで、実はこのヨーロッパ型の二重国籍とせよと主張しているのだ、ということである。金氏の主張部分をあえて引用しないペテンを使い、金氏の主張を正反対のものにすり替えるデマゴギーである。恐るべき詐欺師・白井ということだ。
 これが国籍条項(差別)問題における西山論文の白井批判に対する「反論」なのであり、その「反論」の核心的結論部分である。なんと低水準なことか。白井は国籍条項問題とは何かについてまったく論じることができない。西山論文で提起した国籍条項問題、参政権問題などについて内容的にまったく触れることもできず、したがって、国籍条項問題の大きさとそこを中心にした入管闘争の歴史的総括などに完全に打ち負かされてしまい、金石範氏などの在日アジア人民の主張にのっかって盗用することしかできないのである。しかもねじ曲げて逆の主張にすり替えるのだ。ここには階級的立場を喪失し、被抑圧民族に乗り移った日本人の最も醜悪な姿があるばかりである。
 いま一つ付け加えると、この国籍条項の頂点に入管法(外登法)があり、その入管法(外登法)粉砕−撤廃の闘い抜きには二重国籍などおよそ問題にもならない空論でしかないのだ。白井よ、入管法・外登法−入管体制とは何かを述べてみるがよい。自分の主張が日帝のそれと近似することがよく分かるはずだ。

 在日人民の闘い侮辱

 (5)また白井のこの主張の反動性は、現在の入管攻撃の中心を見れば一層明らかになる。今国会提出予定の議員立法による国籍法改定案がそれである。この法案は、昨年の外国人参政権法案をめぐるすさまじい排外主義・差別主義を引き継いで、さらに決定的に在日人民への抹殺攻撃を加えようとするものである。「簡易帰化制度」への抜本的改変を柱とするとされているが、つまり申請すれば特別永住者については形式的な書類審査だけでほとんど即受理するというものである。「参政権がほしければ日本国籍をとれ」と強要するものであり、これ自身を激しく弾劾しなければならない。
 さらにより問題の核心を言えば、日本国籍強要攻撃−特別永住者を中心とする在日人民抹殺攻撃だということである。特別永住者の消滅とは植民地支配と強制連行の生き証人とその子孫である在日人民の抹殺であり、帝国主義的清算である。「朝鮮系日本人」を一挙につくり出し、戦争国家化を推進する日帝の中心部から加えられた入管攻撃なのである。
 その上、第二次入管基本計画で大々的に導入するアジア人労働者、つまり“現代の強制連行゜(KSDを見よ!)としての「外国人労働者移入政策」を進めるために、入管法(外登法)上の矛盾を併せて突破しようとする在日人民とアジア人労働者に対する大攻撃なのである。
 このように現実の入管攻撃と対峙し、闘う立場に立った時、白井朗の「二重国籍論」など完全に吹き飛んでしまうばかりでなく、日帝の日本国籍強要攻撃に道を開くものであることは明らかだ。「戦争国家化阻止=改憲粉砕・日帝打倒!」「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ!」「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒!」の闘いの一環として、この攻撃を打ち破る闘いが求められている。
 (6)この項の最後のまとめとして、白井が「私が日本国籍を在日朝鮮人が取得すべきだと主張し、それが日帝入管当局の帰化攻撃と同一だなどというこの西山論文」と「批判」していることについて、断罪しておきたい。
 『民主派本』の九九nに「国籍による憲法その他の法律の日本人と同じレベルの権利を在日がもつのは当然という私の考え方」とある。では「国籍による…日本人と同じレベルの権利」とは何か。この「国籍による」とは何を示すのか。
 在日人民の闘いが「日本人と同じレベル」などを要求しているというのは、はなはだしい侮辱ではないか。こんな言い方こそ無知・無自覚の極みだ。白井は西山論文で批判された該当部分にはけっして「反論」しない。なぜか。白井の「反論」の反革命性が暴き出され、すべて破産するからである。
 その該当部分(『民族本』)を再度引用する。「なぜなら在日韓国人は日本国籍はおろか、市民的権利すら認められず……」である。市民的権利の上位に日本国籍があり、それが認められないと批判する白井の主張の結論は、「日本国籍をとるべきだ」と読む以外に読みようがない。白井の主張は先に見た国籍法改定案攻撃に完全に一致しているのだ。

 「日本政府は必ず謝罪」のウソ民族解放闘争への否定と敵対

 では、本稿の主要なテーマに入っていこう。白井『民主派本』はおよそ読むに堪えない低劣極まりないものであるが、特にその巻末の十三行にはそのすべての集大成としての反革命ぶりが満展開されている。全五章からなるこの反革命出版物の第五章は「中核派の万年危機論・万年戦争論」とあり、それだけでも腐臭を放つ代物であるが、結論部分の十三行が特にすさまじいものなのである。第五章の結論であり、『民主派本』全体の結論のようにもなっている。今回もこの十三行について、実践的立場から、入管闘争的そして七・七的な論述を中心に徹底的に批判する。
 その十三行とは、以下の文章である。
 日本の政府閣僚のたびたびくりかえされる朝鮮の植民地支配、中国侵略戦争の肯定や合理化の発言にたいして、韓国、北朝鮮、中国の政府・人民からの批判がなされるや、日本政府は必ず謝罪し、発言者は閣僚を罷免されている。この事実をみても朝鮮、中国の民族主義と民族解放闘争の正義の力の前に、日本政府は帝国主義侵略と植民地支配を正しいとする力をもはやもってはいない。アジアの民族解放闘争、民族独立のたたかいの歴史的趨勢を転覆する力などは、アメリカも、ましてや敗戦帝国主義日本はもってはいない。
 『前進』が日本の支配階級は、すでに朝鮮・中国再侵略戦争を決断した、いや九九年三月の発砲事件で新たな一五年戦争は開始された、と断定していることは、歴史の進み方に眼をつむった暴論である。戦前の侵略や植民地支配を肯定してもう一度やるのだ、と国民を反動的に排外主義的に組織することなくして、どうして戦争ができるのか。また戦争の危機を唱えながら、どうして朝鮮人民との連帯を具体化しないのか。一国主義に埋没しきったセンスである。
 朝鮮・韓国人民、在日との国際主義的連帯に具体的に着手することが、いま求められているのである。
 以下、これを詳しく批判する。
 (1)「日本の政府閣僚のたびたびくりかえされる朝鮮の植民地支配、中国侵略戦争の肯定や合理化の発言にたいして、韓国、北朝鮮、中国の政府・人民からの批判がなされるや、日本政府は必ず謝罪し、発言者は閣僚を罷免されている」について。
 この第一文の第一の問題点は、この侵略戦争や植民地支配についての日帝の閣僚などの暴言に対する白井自身の怒りの表明がまったくないことである。実に許しがたい客観主義的記述である。これこそがアジア人民の批判に対する白井の立場の表明なのだ。アジア人民の怒りの決起に対する日帝足下のプロレタリア人民の一員としての連帯の表明すらない。いやむしろ「連帯」を表明しないことこそが白井の目的なのだ。
 「……批判がなされるや、日本政府は必ず」と言う中に、゛日本プロレタリアート人民はアジア人民と違って批判もしない″と言外に言い、日本の労働者人民が日帝の政府閣僚の暴言をなんの批判もすることがないかのように言うのだ。日本のプロレタリアート人民は、こうした暴言が繰り返されること(許してしまっていること)への強い怒りやともに闘おうとする連帯の意志がないとでも言うのか。いまだ不十分という批判を受け止めて、さらに闘いを強めようとしているのではないのか。
 白井は日本の労働者人民は腐りきっていて闘えない存在なのだという対比のためにこそ「批判が…必ず」としているのだ。白井こそがアジア人民への敵対物へと転落しているのだ。

 日帝の居直りを免罪

 第二の問題点は、白井の意図的誤認=デマゴギッシュな事実誤認である。「日本政府は必ず謝罪し、発言者は閣僚を罷免されている」などと言っているが、謝罪や罷免などの事実がないことは、白井自身が百も承知の上ではないのか。
 一例を挙げる。韓国挺身隊問題対策協議会発行の「日本軍『慰安婦』問題解決運動の過去と現在、そして未来」という小冊子には、一九九〇年六月六日から九八年八月一日までの十五例の「日本軍『慰安婦』問題に対する妄言録」が挙げられているが、この十五例十三人の中に罷免された者は誰一人いない。わずかに一人、九四年に時の法相永野茂門が辞任しただけなのである。永野は「慰安婦は当時の公娼」と言い、「南京大虐殺はデッチあげだと思う」とし、「侵略戦争という定義づけは、今でも間違っていると思う」と暴言を吐いた人物だ。九八年の中川農相は「強制連行や従軍慰安婦について教科書にのせるのは不当である」と述べ、発言を撤回したのみなのである。
 戦後、問題発言とされ罷免された閣僚はわずかに三人だけ。一九四七年の平野力三農相、五三年の広川弘禅農相、八六年の藤尾正行文相のみである。せいぜいのところで発言撤回であり、はなはだしきは発言撤回なしの辞任であり、それすらないままに開き直っている例は枚挙にいとまがない。
 五八年の岸信介首相「私は日本の朝鮮植民地統治が朝鮮民族にとって不幸だったと思ったことはない」。六三年の椎名悦三郎外相「日本の台湾と朝鮮に対する統治が帝国主義であるならば、それは栄光の帝国主義である」。七四年田中角栄首相「日本は朝鮮で義務教育を行うなど立派なことをたくさんした」。この三人が罷免された事実があるのか。辞任すらしていないではないか。
 白井は、差別主義・排外主義の洪水のようにあふれる政府、閣僚、国会議員の暴言や攻撃にはなんの批判もなく、「発言者は閣僚を罷免」などとして平然としている。これは、罷免でなく辞任や発言撤回という形で開き直ろうとする政府や人物を擁護するものである。
 また「日本政府は必ず謝罪し」などと日本政府=日帝を美化さえしているのである。日本政府の「謝罪」とは何か。日本軍軍隊慰安婦問題についての時の首相橋本龍太郎の「おわびの手紙」なるものはどのようなものだったのか。国家責任を不問に付して「アジア女性基金」なるものにすり替えようとしたものだったではないか。朝日新聞でさえ橋本を「国家補償の言質避ける」として批判している。かの戦後五十年の「国会不戦決議」なるものがけっして「謝罪」などではなかったことを白井は否定するつもりなのか。細川内閣や村山内閣時にも形式的謝罪表明はあったが、何一つそれへの責任は明らかにされていないではないか。
 いやむしろ「具体的な謝罪と賠償をしないという日本政府の明らかな態度」と挺対協も批判しているとおりである。闘うアジア人民による「真相究明、謝罪、賠償、責任者処罰、歴史教育」などの要求に何一つこたえない日帝政府のあり方を、白井は「必ず謝罪し」と自ら免罪するばかりか、批判して決起しているアジア人民に対しても「免罪せよ」と要求しているのである。
 要するに、このように暴言を繰り返す者どもや日帝を断罪する立場が白井にはまったくなく、むしろ居直って国家責任を否定する日帝の立場を容認し、その日帝を救済しようとしているのだ。「必ず謝罪し」などと「必ず」という強調句の中に、白井の反革命的意図があけすけになってしまっている。
 (2)((1)の続き)この一文の第三の問題点は、「韓国、北朝鮮、中国の政府・人民からの批判」の部分である。「政府・人民」として両者を並列した上でさらに政府を前にし、人民を後ろにもってきていることだ。これはたまたまのことでなく、白井にはそのようにする必然があった。そもそも政府の政治的圧力と人民の闘いを同列に扱うことなど問題外である。実際には人民の闘いが日帝への糾弾として強烈に展開され、そのすさまじいエネルギーの爆発に突き動かされる形で、南朝鮮・韓国や中国スターリン主義(北朝鮮や台湾あるいはアジア各国政府)は日帝政府を非難しているのである。そうしなければ侵略戦争と植民地支配の歴史と現実の上で成り立つ新植民地主義体制政府やスターリン主義政府は、民族解放・革命戦争的闘いで人民に打倒されかねないからだ。
 白井はこうしたスターリン主義権力や南朝鮮などのボナパルティズム的権力が人民を抑圧するために、また自己権力の維持・強化や利害のために、日帝政府との交渉をしていることを批判もせずに、「政府・人民」としてスターリン主義権力やボナパ政権を擁護し、美化・賛美しているのである。白井は、闘うアジア人民より、スターリン主義やボナパルティズム政権の方が正しいと言いたいのであり、アジア人民の闘いに対する本質的恐怖と非難、否定がその底に流れているのだ。日帝打倒を恐れているのである。
 この第一センテンスの第四の問題点は、「韓国、北朝鮮」としていることである。政府に重きを置く白井の立場が一層鮮明に浮かび上がる。白井は韓国、北朝鮮を両者ともに承認する立場に立っているのであり、したがって統一朝鮮の立場、朝鮮人民の立場をまるで認めていないのである。三十八度線で分断されていても朝鮮民族−朝鮮人民は一体なのであり、その立場から日帝の閣僚などの暴言を糾弾し、植民地支配、戦争責任を糾弾しているのである。白井にはこれに連帯する立場などまるでないのだ。
 また、もう一つ決定的なのは「韓国、北朝鮮」としながら、「中国」のみで台湾を排除していることである。「朝鮮の植民地支配、中国侵略戦争」としていることからも台湾植民地支配の問題を排除していることは明らかだ。白井が「中国を統一中国の立場で表記」などと抗弁しようもない現実が、白井自身の記述の中で突き出されているのである。それとも白井よ、台湾植民地支配と戦後の台湾人民の生活と闘いは、帝国主義体制下の問題としてはよい結果であったから記述しなかったとでも言うのか。
 今日、台湾問題の持つ巨大さは、戦後帝国主義体制下の分断問題としても、中国の民族解放闘争の問題としても、日帝の植民地支配と戦後の侵略の問題としても、そして何より日帝による釣魚台略奪の問題としても、決定的なことがらである。ここで日帝と中国・台湾人民が激しく闘争しているのであり、日本プロレタリア人民の立場が問われているのではないのか。
 白井は「連帯」などとさもさもの体で記しているが、実は闘う朝鮮・中国−アジア人民の根底的決起をそれらの政府や日帝などと一体となって取り込み、解体しようとしているのである。

 意図は民族主義強調

 (3)次に「この事実をみても、朝鮮、中国の民族主義と民族解放闘争の正義の力の前に、日本政府は帝国主義侵略と植民地支配を正しいとする力をもはやもってはいない」について。
 この第二文は、「この事実をみても」ということから始めていて、「この事実」とは第一の「日本政府は必ず謝罪し、発言者は閣僚を罷免」を指しており、それはすでに@で見たとおり文全体がデマゴギーとしての性格をもっており、論述や論証そのものが成り立たないものになっている。だから、この部分はペテン的詐術の白井反革命の悪らつな意図が満展開する結果に成り果てている。
 第一に批判すべき点は、「朝鮮、中国の民族主義と民族解放闘争の正義の力の前に」の部分である。「民族主義と民族解放闘争」というように両者を同格に扱っている。民族主義が前にあり、どちらかといえばここに白井の強調がある。つまり民族解放闘争より民族主義が優位に位置づけられているのである。労働者階級の自己解放闘争を基軸とするプロレタリア世界革命の立場から民族解放・革命戦争との結合を求めるマルクス主義・レーニン主義者として言えば、民族主義をわざわざもってくる意味は何なのか、ということである。
 白井はあくまで民族主義は正しいとし、民族解放闘争を規定する内容としてそれを上位に置いている。ここで白井はプロレタリア自己解放論の否定の立場に立って、マルクスやレーニンの否定のために民族主義をことさらにクローズアップさせているということだ。「正義の力の前に」とつなげていることからも、民族主義=正義の力、民族主義基軸の民族解放闘争=正義の力として、プロレタリア自己解放論を否定し、プロレタリア世界革命から民族解放闘争を切断し、対立させようとしているのである。
 次に問題となるのは、「日本政府は帝国主義侵略と植民地支配を正しいとする力をもはやもってはいない」の部分である。ここでも事実を逆転させている。
 まず論述そのものについて言えば、「…もはやもってはいない」とは「過去はもっていたが、今や……ない」ということにほかならない。では日帝はいつまで「侵略と植民地支配を正しい」としてきたのか、いつからそれを転換させて「侵略と植民地支配は誤りであった」と謝罪し、その戦争責任をとってきているのか、白井ははっきりさせなければならない。それとも白井は九五年八・一五の「国会不戦決議」や橋本の「おわび」、村山や細川や海部首相などの「謝罪」がそれであるとあくまで主張するつもりなのか。現に今も日帝の先兵どもや反動イデオローグどもが、日帝の侵略戦争や植民地支配を正義だと居直り正当化しているではないか。
 九五年を見ても六月五日に渡辺美智雄(元副総理)が「(韓国併合条約は)円満に結ばれた。国際的にも合法である」と言い、八月九日には島村宜伸文相が「あいもかわらず昔を持ち出して、いちいち謝罪するのはいかがなものか」「侵略戦争というが、侵略のやり合いが戦争だ」と言い、十一月十日には江藤隆美総務庁長官が「日本は韓国によいこともした」「学校の建設や鉄道の敷設など朝鮮半島への植民地支配はよいこともした」などと言い放っている。
 その流れの上で日帝は、日米新安保ガイドライン法成立、組対法・盗聴法、「日の丸・君が代」法、団体規制法=第二破防法など一連の超反動法案強行成立へと突っ走ったのである。そして今や改憲のための、戦争国家化のための攻撃として、有事立法攻撃が企図されており、教育勅語を是とし教育基本法を否とする森喜朗を首班とする内閣が大攻撃を加えてきているではないか。
 「日本政府は…もはやもってはいない」とする白井の主張は帝国主義美化の主張であり、こうした帝国主義者や帝国主義イデオローグどもと同列のところから、プロレタリア階級自己解放闘争と民族解放闘争を否定することを目的としたもの、と断じる以外にはない。
 さらに付け加えるならば、この一文でも白井はわざと日本帝国主義とは表記せずに日本政府としている。このインチキこそは白井がペテン的反革命的に人民を幻惑するための手法であり、日本帝国主義に屈服し、美化するためのあくどい手法なのだ。
 (4)「アジアの民族解放闘争、民族独立のたたかいの歴史的趨勢(すうせい)を転覆する力などは、アメリカも、ましてや敗戦帝国主義日本はもってはいない」について。
 まず、この第三文でも前の(3)に続いて「アメリカ」や「敗戦帝国主義日本」としてしまっている。白井はアメリカ帝国主義、日本帝国主義と規定することからトコトン逃げている。忌み嫌い、拒否している。日帝と言わないために、「敗戦帝国主義日本」という言い方をしてごまかしている。白井が帝国主義規定を拒否しているのは、レーニン帝国主義論からの逃亡のためである。

 「民族独立」とは何か

 第二の問題は、「民族解放闘争、民族独立」としている意図的詐術である。「民族解放闘争、民族独立」という表記からは、一つは民族解放闘争=民族独立としていること(同列に扱うことでそのように帰結させる白井流のペテン)、いま一つは帝国主義戦後体制論としての新植民地主義体制論が完全に蒸発してしまっていることである。いやむしろ、白井はそれを否定しさることを目的としているのだ。
 したがって、第三の問題は、同義反復のようであるが、白井は帝国主義を「……力をもはやもってはいない」として美化しているのだ、ということである。あるいは白井の転向としての帝国主義への屈服である。さらに言えば、帝国主義国プロレタリア人民の闘いを措定することなく、「歴史的趨勢」などと言いなし、民族運動をプロレタリア自己解放闘争の上位に置くものとなっているのだ。これは実際にはプロレタリア自己解放闘争の否定のためであると断じてよい。
 第四の問題は、第三文に続く第四文のためのインチキなトリックがここにはある、ということである。第四文は、日帝の侵略戦争を否定する一文であり、この十三行全体(いやこの著作、特に第五章全体)の文意が帝国主義の侵略戦争を否定するためにある。「もってはいない」と「もはや……そんな力はない」(第二文)と筆を走らせているところにもそれは明らかなのだ。
 したがって、この第二文と第三文をとおして言えることは、白井朗は、今日苦闘しつつも必死で闘う朝鮮、中国、アジア人民の民族解放闘争への敵対物、敵対者になっているということだ。
 南朝鮮・韓国では民主労総を始めとする労働者階級人民が、「民族矛盾と階級矛盾が同時に解決される統一であるべき」(民主労総機関紙『労働と世界』二〇〇〇年六月三十日付)として、プロレタリア革命と民族解放闘争の結合を求めて格闘している。この現実になんとこたえるのか。また、アジアの民族解放闘争の中心的位置に、この間の日帝などによる侵略の強まりの中で、大量のプロレタリア階級が登場し、先頭で闘っている。これを否定するために白井は「民族解放闘争、民族独立」などと言っているのだ。
 あるいは入管闘争におけるアジア人労働者問題が今日、入管闘争の課題であると同時にすぐれてプロレタリアートの階級形成とプロレタリア階級解放のテーマとしてガッチリと位置づいていることさえ白井は学んでいない。白井の目的はこれらを否定することにあるのだ。
 さらに言えば、「民族独立」などという言い方の中には、帝国主義への屈服によるスターリン主義流の民族運動論への屈服と美化がある。民族独立という表現の意味するところはスターリン主義流の帝国主義放逐論であり、帝国主義打倒なき民族解放(=民族独立)であり、世界革命の有機的一環として民族解放闘争(民族解放・革命戦争)に勝利するという路線的立場の否定なのである。本多延嘉書記長の打ち出した路線をも踏みにじり、否定しようとするのが白井朗なのである。それは、中国スターリン主義や北朝鮮スターリン主義のもとで闘う中国人民・朝鮮人民に学び、その闘いを主体的に措定する立場の追放であり、スターリン主義をのりこえて合流・結合しようとする立場の否定でもあるのだ。

 日帝の海上警備行動の免罪と「侵略戦争はない」論の犯罪性

 (5)「『前進』が日本の支配階級は、すでに朝鮮・中国侵略戦争を決断した、いや九九年三月の発砲事件で新たな一五年戦争は開始された、と断定していることは、歴史の進み方に眼をつむった暴論である」について。
 ここで第一に問題にすべきは、歴史の進み方を否定する暴論を吐いているのはほかならぬ白井朗その人だということである。「九九年三月の発砲事件」とは何か。なぜ白井はことさらに「発砲事件」などとして小さく扱いたいのか。九九年三月とは、米帝とNATOによるユーゴスラビア侵略戦争のまっただ中であり、そうした中で引き起こされた事件ではないか。かの事件は日帝の軍事力の総力を挙げた、北朝鮮の船と思われる「不審船」の捕捉活動であり、追跡行動であり、戦争−軍事行動であった。
 九九年三月十八日から追跡・捕捉は開始され、二十一日には警察、海上保安庁などに沿岸警備命令が出され、自衛隊三軍に総動員態勢が敷かれた。二三日夕刻には首相官邸に作戦本部−指令本部が置かれ、実質上の海上警備行動に踏み切ったのである。この日、海保は威嚇(いかく)射撃を行い、二〇ミリ機銃や一三ミリ機銃から千三百発の銃砲弾が発射された。二十四日には海自イージス護衛艦「みょうこう」が一二七ミリ砲で十三回、「はるな」が十二回の砲撃を行い、三機のP3C対潜哨戒機から計十二発の一五〇キロ爆弾が投下された。さらにミグ21四機に対して、小松基地からF15戦闘機二機が迎撃発進。これが白井の言う「発砲事件」の全体像である。
 白井は、日帝による戦後初の海上警備行動(戦争−軍事行動そのもの)を批判することもなく、「発砲事件」にしてしまっている。白井の作為は明らかだ。
 第二に問題になるのは、ユーゴスラビア侵略戦争の最中に日本では何が争われていたのか、である。日米新安保ガイドライン=周辺事態法粉砕の全人民的闘争のまっただ中だったのである。白井がこの事実を隠して「発砲事件」などとする目的は何か。階級決戦としての九五年以来の闘いとしてのガイドライン決戦は白井にはなかったのだ。革共同破壊しか考えていなかったのである。
 先に引用した金石範氏の投稿の中で、「『周辺事態』に備えての『ガイドライン』の立法化の動きが加速した。…略…日本の米軍支援の内容を見ると、日本が独立国かと眼をみはるばかりに、日本全土が米軍予備基地化した観がある」といい、「戦争の危機よりも何とか戦争回避の少しの可能性をも見出し拡大すべく尽力するのが日本のとるべき道」「日本が戦争を煽り立て緊張を高め」と述べられている情勢下なのにである(ここでも金石範氏を悪用しようとして、白井は敗北している)。要するに白井は、日本帝国主義は朝鮮・中国−アジア侵略戦争など絶対にしない、と言いたいのだ。
 第三に言えることは、結局、白井は世界史が世界大恐慌−世界戦争への趨勢にあること、帝国主義の基本矛盾が全面的に爆発の過程に突入していること、そこから日米争闘戦がアジア勢力圏化をめぐって激化していること、それが米・日帝国主義の朝鮮・中国−アジア侵略戦争として歴史的に切迫し、新安保ガイドライン体制に行き着いたこと||これら一切を完全に否定したいのだ、ということである。
 そしてその目的は何なのか。ここでも白井は「日本の支配階級」などと、日本帝国主義という言及を意図的に避けているが、これも結局はプロレタリア世界革命・プロレタリア自己解放に対する絶望と否定なのである。帝国主義への屈服であり、転向の意思表示なのである。帝国主義者に向かって「自分は転向しています」と言うためであり、自分が帝国主義に役立つものとして売り込もうとしているのだ。白井にすれば革共同であったことを徹底的に利用して革共同破壊を行うことで、帝国主義への屈服と転向の証としているのだ。だからマルクス主義・レーニン主義を否定し、反共産主義化し、帝国主義に屈服して容帝国主義として帝国主義を美化し、帝国主義打倒に向かって闘う党と階級、人民の闘いを破壊するためにうごめいているのだ。その意味でカクマルと同じ役割を果たそうとしており、カクマル反革命を受け入れたのである。白井反革命とするゆえんだ。

 革命への敵対が結論

 (6)「戦前の侵略や植民地支配を肯定してもう一度やるのだ、と国民を反動的に排外主義的に組織することなくして、どうして戦争ができるのか」について。
 第一に、白井よ、よくぞ言ったり、ということである。現に、東京都知事石原や自由主義史観などの反革命イデオロギーがあふれ、侵略と植民地支配の肯定のためのあらゆる言動が洪水のようにあふれ、差別主義的攻撃があふれているではないか。そうして「国民を反動的に排外主義的に組織」しようとしているではないか。(1)や(2)などで確認したように繰り返し繰り返しそれは行われ、それは今日明らかに改憲攻撃として襲いかかっている。石原の昨年四・九「三国人」暴言は、この白井の反革命本の執筆の最中に行われたことではないのか。白井は知らないのではない、熟知してなおかつこのように言い放っているのである。
 つまり、第二に、現に進行している帝国主義の大攻撃を、あたかもないかのごとく主張する白井のこのデマゴギッシュな立場こそ、容帝反共イデオローグへの白井の純化、反革命化、容カクマル化なのだということだ。
 さらに言えば、「どうして戦争ができるのか」という文言こそ、「戦争などできっこない」論、「帝国主義は戦争などしない」論として、ハイカラ帝国主義論、レーニン帝国主義論の否定が正面から噴き出しているのである。
 昨年の『世界』二月号に掲載されている連載「佐高信の日本国憲法の逆襲」の中で辛淑玉(シンスゴ)さんは「在日朝鮮人は、日本の植民地の結果日本に住むことになった。つまり、在日朝鮮人とはイコール日本国憲法のことなのですよ。私たちの人権がどうまもられるかによって日本国憲法が死ぬか生きるかが決まる。同時に在日こそが憲法を守る存在としてそっせんして声をあげて行かなくてはいけない」とある。白井よ、これにどう答えるというのか。
 (7)「また戦争の危機を唱えながら、どうして朝鮮人民との連帯を具体化しないのか。一国主義に埋没しきったセンスである」について。
 ここでの問題は第一に、「連帯を具体化しないのか」という言にある。この具体化ということを白井はまるでやったことがない。入管闘争に言及して墓穴を掘っただけである。
 それはさておき、この白井の言は日本の労働者階級の闘いの否定の立場である。日本のプロレタリア人民にとって、朝鮮・中国−アジア人民との連帯とは何なのか。ガイドライン決戦や安保・沖縄闘争をまったく措定することのない白井の「連帯の具体化」とは何か。逆に、実はガイドライン闘争、安保・沖縄闘争、日帝の戦争国家化阻止=改憲粉砕の反戦闘争こそ、連帯の具体化や実践そのものなのである。「連帯し、侵略を内乱へ」なのである。白井はガイドライン闘争や、九九年の後半戦の闘い、それに向かって営々と闘い続けられた沖縄闘争を先頭とする闘いのすべてを否定しているのである。
 第二の問題は、「一国主義」うんぬんである。要するに、こうした非難の核心部にあるのは帝国主義国プロレタリア人民の闘いの否定、プロレタリア自己解放の否定である。つまり革命的祖国敗北主義を呼びかけ、組織し闘うことそのものを否定しているのだ。帝国主義国のプロレタリア人民の革命的祖国敗北主義の否定は、世界革命の否定である。白井はこうして反革命そのものに転落したことを自白しているのである。
 ここでのいま一つの問題は、「どうして朝鮮人民」として、中国人民やアジア人民が措定されていないことだ。白井の文章は実に恣意的である。朝鮮だけであったり、中国だけであったり、台湾がなかったり、北朝鮮を欠落させたり、韓国などとしたり、まったくデタラメ。こうしたグラグラでデタラメな姿勢の中には階級的に朝鮮・中国−アジア人民を措定し、学び闘うという立場、つまり連帯の立場は一片もない。要するに、闘うアジア人民に肉薄していないのである。
 (8)「朝鮮・韓国人民、在日との国際主義的連帯に具体的に着手することが、いま求められているのである」について。
 第一に、ここでも白井はデタラメ極まりない表現をしている。「朝鮮・韓国」とは何を言いたいのか。南北分断を承認する立場をデタラメに表現して、朝鮮人民とその闘いを低めようとしているのだ。また「在日」とは何か。在日人民ですらないこの「在日」は何を表現しようとしているのか。在日アジア人民とアジア人民のすべてを侮辱しているとしか言いようがない。
 第二に、「国際主義的連帯の具体化……」とさもさもの体で仰々しく述べてはいるが、白井には「具体的」内容は何もなく、単に「具体的」という言葉が踊っているにすぎない。この十三行の文章全体から読みとれることは、白井にとっては朝鮮・中国−アジア人民の民族主義的民族独立を求め、それに「万歳」を叫ぶことだけが具体的連帯なのである、ということだ。それしか出てこない。
 第三に、だから帝国主義国プロレタリア人民の自国政府打倒の闘いも、朝鮮・中国−アジア人民の民族解放・革命戦争の闘いも否定し、帝国主義の世界支配−帝国主義世界体制の恒常化を願い、それに屈服して、両者の結合、統一の発展の中で実現されるプロレタリア世界革命を否定することこそが、白井の立場なのだということである。スターリン主義やカクマル以下のレベルで帝国主義擁護運動論を展開することこそが、白井の言うところの「具体的連帯」の論旨なのだ。
 第四に、「今もとめられている」のは何かということだ。それこそ「連帯し、侵略を内乱へ」の闘いの発展である。白井は「連帯」は言っても「侵略を内乱へ」は否定してしまいたいのである。
 また「連帯し」は、七・七路線の立場、入管闘争の実践であり、ガイドライン安保・沖縄闘争論であり、帝国主義の打倒論であり、民族解放闘争の世界革命的結合論なのであり、その具体的実践である。白井には連帯の具体的実践は皆無、あるのは反革命的策動のみだ。
 闘うアジア人民、在日アジア人民に敵対する白井朗を、「連帯し」の矜持(きょうじ)にかけて粉砕しつくそう。革共同への反革命的敵対活動を売り物にして、階級闘争の階級的戦闘的発展を破壊しようとする白井朗を、その反革命策動もろとも粉砕せよ。

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週刊『前進』(1992号5面2)

新刊紹介 コミューン3月号 石原「環境」論の嘘

 今号は環境問題を取り上げた。第一章では石原のディーゼル車規制のペテン性を徹底暴露した。ディーゼル車規制は、大気汚染の加害者である自動車メーカーと、大気汚染を放任し拡大してきた国や東京都、道路公団を免罪する反動的なものだ。他方で大気汚染公害患者への医療費助成を削減し、「ディーゼル車NO作戦」を理由にディーゼル車で都の仕事をする業者の仕事を奪い、運輸労働者を大気汚染犯に仕立て上げる。大気汚染の責任を労働者に集中する悪法だ。
 第二章は、日帝の循環型社会形成推進基本法と一連のリサイクル法を取り上げ批判している。日帝は言葉の上では「大量生産・大量消費・大量廃棄」社会の見直しなどという。しかしこれらのリサイクル法は逆にそれを推進するものだ。
 第三章では杉並病を取り上げた。杉並区では井草地区に東京都清掃局のゴミ中継所が設置されて以来、周辺住民は化学物質過敏症というまったく新しい公害による被害を受けている。石原は住民の切実な要求に敵対している。経過と現状をまとめた。
 翻訳資料は「米国家戦略研究所日米関係特別報告」。ブッシュ政権の国務副長官になった共和党アーミテージや民主党のナイなどの民主・共和両党の軍事戦略担当者により書かれた。二十一世紀の米帝の対日戦略として集団的自衛権の禁止の解除などを要求し、新ガイドラインへの日帝の極限的動員を主張している。

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週刊『前進』(1992号6面1)

全国連第10回記念大会に結集を
戦争と差別の洪水に対決し5万人建設の先頭に立とう
 全国部落青年戦闘同志会

 きたる三月四日、五日、部落解放同盟全国連合会は、大阪・森之宮ピロティ・ホールを主会場に、第一〇回全国大会を開催する。この大会は、全国連にとって第一〇回という記念すべき大会であるとともに、二十一世紀の劈頭(へきとう)を飾る歴史的大会である。全国連の創立とその歩みは、三百万部落大衆にとって、本部派によって投げ捨てられた部落民自主解放の思想と団結の復権そのものであった。同時に労働者階級にとっては、部落差別の撤廃−全人民の解放という、本来、労働者階級が持つ階級的使命を取り戻し、その力を打ち立てていく過程でもあったのだ。日帝の破局的危機と改憲をめぐる決戦への突入のもとで、今、その真価が問われようとしている。すべての部落大衆は、この歴史的大会に全国から結集しよう! 労働者階級と人民は、部落大衆とともに、この歴史的大会の成功をかちとり、階級的共同闘争の新たな発展の扉を押し開こう。

 〈21世紀を部落差別撤廃と、人間解放の世紀に〉の宣言大会

 全国連第一〇回大会の歴史的意義の第一は、この大会が、二十一世紀冒頭の新たな戦闘宣言を発する歴史的な大会だということにある。
 「二十一世紀を部落差別撤廃と、人間解放の世紀に!」。二十一世紀の冒頭にあたってわれわれは、この戦闘宣言を、真剣かつ厳粛な決意に立って、本大会で高らかに発しなくてはならない。
 二十世紀初頭の一九二二年、全国水平社創立によって、部落解放運動はその姿をあらわした。それは、差別され、虐げられた部落民が、人間解放の主人公として登場した歴史的瞬間であった。封建社会以来の差別の歴史は、差別と闘う解放運動の歴史へと書き替えられたのである。しかし、部落差別の撤廃と人間の解放の事業は、今なお未完のままである。
 全国水平社創立以来の七十九年間の過程は、帝国主義戦争と世界戦争(日帝によるアジア侵略戦争と植民地支配)、水平社の解散と戦争協力、戦後の部落解放同盟の結成と闘い、差別に対する国家責任にもとづく同和対策事業の実施とその終焉(しゅうえん)、日本共産党の脱落的分裂と部落解放運動への敵対勢力化、そして本部派の融和主義的転向と全国連創立という、きわめて激しく、動と反動の入り乱れた過程であった。それは、よく言われるような「水平社以来の輝かしい七十九年の伝統」などと言えるものではけっしてない。
 しかし、水平社創立とともに燎原(りょうげん)の炎のように広がった差別糾弾闘争の思想と、部落大衆の中に宿った自主解放の魂は、一貫して受け継がれ、そして今なお不変である。「部落民みずからの行動によって絶対の解放を期す」(水平社創立宣言)という自主解放の精神と、それを貫く差別糾弾闘争の基本路線は、部落解放運動の不滅の原則なのである。部落解放運動の紆余曲折の過程はそのまま、この原点を解体し、歪曲し、別なものにすり替えようとする動きと、それに反撃する闘いの過程であった。
 今こそ、この原点が復権されなくてはならない。今や帝国主義は体制的危機を迎え、日帝は改憲攻撃に本格的に踏み出した。それは戦争によって他の帝国主義と勢力圏を奪い合い、他の国や民族を侵略し、虐殺する道である。そして戦後の民主主義や社会保障を清算し、労働者、人民にすべての犠牲を転嫁する道である。戦前の全国水平社が直面したのと同じ情勢に、今再び、われわれも直面しているのだ。
 しかしここに、戦前との決定的な違いがある。それは全国連の存在である。この旗のもとに総結集しよう。「二十一世紀を部落差別撤廃と、人間解放の世紀にしよう!」。全国の部落にとどろく、この全国連の歴史的な戦闘宣言を高らかに発しよう!

 融和団体化した本部派をのりこえ部落民自主解放闘争復権を

 全国連第一〇回大会の歴史的意義の第二は、この大会が、すさまじい反動的逆流の情勢を切り裂き、部落解放のただひとつの道筋を示す大会だということにある。
 今、三百万部落大衆が直面する情勢は、尋常なものではない。黙っていたらその生存さえ脅かされかねない、とんでもない反動情勢なのである。
 そのひとつは、日帝の体制的危機と戦争への攻撃のもとでの部落差別の洪水である。今、全国各地で起こっていることは公然たる差別扇動であり、゛部落民は差別されて当然だ″゛人間的権利を主張すること自体が許されない″とする、むきだしの差別なのである。

 公然たる差別扇動の強まり

 東京では、五年間にわたって部落解放同盟員宅を執拗(しつよう)に調べあげ、脅迫はがきを送りつけるという事件が起こっている。福岡では、部落出身者が乗った送迎バスをわざわざ止めて、四本指を出して「おまえら、これだろう」と言い、周辺の部落を名指しするという事件が起こった。職場、大学などで、部落出身者を名指しして差別をあおる事件も頻発している。ある種の「部落民狩り」とも言えるような事件があいついでいるのだ。
 特に重要なことは行政の態度の一変である。神戸市や広島市など、全国でも有数の大部落を抱える行政は、同和住宅家賃値上げに反対し供託に立ち上がった住民に対して、国土交通省(旧建設省)の指導のもとで「明け渡し訴訟」に踏み切った。不足分の家賃を支払えという訴訟ではなく、いきなり「出ていけ」という訴訟なのである。部落民には、供託という法的権利の行使さえ認めないという態度なのだ。
 この中に、「同和事業の廃止」が何をもたらすのかが完全に示されている。それは部落差別に対する行政責任の否定であり、部落民に対する人間的権利の保障という行政が当然行うべき義務の否定、そして「部落民が役所に盾突くことなど許されない」とする差別主義的態度そのものであり、その結果として部落大衆は生存権さえ脅かされるという現実である。断じて許すことはできない。

 部落解放運動の消滅の危機

 しかし反動的逆流ということのもっとも重大な核心は、解放同盟(本部派)の融和運動への完全な転向による、部落解放運動の消滅の危機にある。差別の洪水の現実、行政姿勢の逆転的事態の最大の原因は、ここにこそあるのだ。つまり、差別の止め金の解体、防波堤の決壊ということである。
 本部派の融和運動への完全な変質を示すものこそ、差別糾弾闘争の全面的清算と、「公的機関による解決」路線の全面化である。端的に言えば、本部派は今や、差別事件の解決を行政や警察に全面的にゆだねるという方針に立ったということだ。実際に、糾弾闘争が消滅し、それに代わって警察への告訴が常態化している。
 そしてその裏で本部派は、部落大衆に対しては、「糾弾するな」「差別を受け入れろ」「役所に文句を言うな」と強要してまわっているのである。奈良県連では、本部派幹部が「部落にある余所者への排除意識」「部落民の反社会」こそが差別の原因だと主張し、差別事件に対して、糾弾ではなく「本音の懇談会」なるものを開催し、本部派支部員に一言の批判もさせずに、黙って差別者の差別的本音を聞かせるという、驚くべき出来事が起こっているのだ。本願寺派住職による差別事件の中で行われた「本音の懇談会」では、参加した一般の檀家から「部落は恐い」「部落民に柴を盗まれた」「いつまでも行政に頼るな」などの罵倒(ばとう)が何の批判もされずに飛びかったという。なんということか!
 この本部派の姿には、部落民自主解放のひとカケラも見いだすことはできない。それはむしろ逆に、水平社以来一貫して部落大衆の決起を押さえこみ、部落解放運動を妨害し、解体するために権力や行政によって組織された融和運動とまったく同じものなのである。今や本部派の運動は、その本質においてだけではなく、その主張や実際の運動においても、完全な融和運動へと変質したのだ。
 この本部派の変質こそ、「差別はしてはいけない」という人民的価値観の驚くべき規模での解体を生み出し、差別の洪水を引き起こしている主体的根拠にほかならない。帝国主義の権力や行政、それにそそのかされたファシストが、人間を痛めつける吹き荒れる嵐(あらし)だとすると、本部派は、人間をその体内から破壊するガン細胞なのだ。今やこの本部派をのりこえ、こういう連中による地域支配を打ち倒すことなしに、部落解放運動は一歩も前進できないのである。

 実力反撃に立つ部落大衆

 しかし、以上のことは問題の半面でしかない。もう一方で、部落大衆はこんなものに負けてはいないということだ。差別事件に対して、新たな糾弾闘争への決起がいたるところで生まれている。行政による「明け渡し訴訟」に対しては、なんらひるむことなく各地で実力反撃に立ち上がっている。部落大衆は、本部派に見切りをつけ、その妨害をはねとばし、のりこえて、差別撤廃をかちとっていく自己解放の主人公として、続々と怒りの決起を始めているのだ。
 差別の洪水という反動情勢をひっくり返し、〈差別撤廃と人間解放の主人公〉としての三百万部落大衆の爆発的な決起を生み出していく核心こそ、部落民自主解放の原点の復権である。差別徹底糾弾闘争の思想と路線、その力を鮮やかによみがえらせることである。ここにこそ全国連創立の原点があったのだ。そして全国連の三大闘争−差別糾弾闘争、生活要求闘争、階級的共同闘争こそ、その道筋なのである。

 対権力徹底糾弾闘争として狭山闘争を本格的に復権しよう

 全国連第一〇回大会の歴史的意義の第三は、この大会が、対国家権力の徹底糾弾闘争としての狭山闘争の本格的な復権を宣言する大会だということである。
 なによりも狭山闘争こそ、国家権力の差別犯罪に対する糾弾闘争であり、部落差別の洪水をはねとばす最大の攻防軸をなす闘いである。そして部落民自主解放の原点をよみがえらせる、もっとも基軸をなす牽引(けんいん)車である。
 この狭山闘争が今、日帝・東京高裁−高橋裁判長による異議審棄却攻撃の超切迫という事態に直面している。高裁−高橋は、昨年「早期の決定」や「異議審だから」と言って、事実調べをやらないことを公言し、弁護団による新鑑定や補充書提出に対して、「年内にせよ」という態度をとっていた。今や、完全に異議審棄却をめぐる決戦に突入しているのだ。
 高裁による異議審棄却を断じて許してはならない。全国連第一〇回大会への過程が、この決戦そのものとなっているのだ。大会への全国の部落大衆の決起は、同時に、狭山闘争への空前の大衆決起とならなくてはならない。そして大会の歴史的成功をもって、本部派のもとで抑圧、歪曲、解体されてきた狭山闘争の対権力徹底糾弾闘争の真の力を復権し、歴史的勝利に向かって新たな突破口を開かなくてはならないのである。
 今や本部派の狭山中央集会には、自民党の議員が壇上にならんでいる。こういう者が主役になった運動が、部落解放運動史上最大の闘いである狭山闘争を、その根幹からむしばみ、破壊しようとしているのだ。狭山闘争の主役は、石川一雄さんであり、三百万の部落大衆である。そして労働者階級でなければならないのだ。この真の主役が、主役の座をその手に取り戻すことこそ、勝利の土台である。そしてそのためには、石川一雄さんの国家権力に対する告発を軸として、三百万部落大衆による国家権力に対する徹底糾弾闘争、労働者階級との共同闘争を復権していかなくてはならないのだ。
 全国連の呼びかけによって、昨年以来、狭山紙芝居運動が全国各地で取り組まれてきた。この運動はそれ自身が、石川一雄さんによる告発・糾弾の全面的復権であり、同時に、上演運動にたずさわる人々の全員が石川一雄さんになりかわり、石川一雄さんの怒りを体現して、国家権力に対する糾弾闘争の担い手、組織者として登場していくものとなっている。この運動をとおして、狭山闘争は今再び、対国家権力の徹底糾弾闘争としての新鮮な息吹をよみがえらせつつある。この運動を、さらに全国の部落に、労働組合、学園にどんどん押し広げていこう。
 全国連創立以来の九年間の苦闘をとおして、今や、その創立の正しさは完全に明らかとなった。全国連の五万人組織建設は今や、部落大衆の人間的権利を奪還していくただひとつのよりどころであり、部落差別撤廃という歴史的事業を成就していくただひとつの結集軸となっているのである。
 三百万部落大衆の知恵と力を結集し、六千万プロレタリアートの圧倒的注目の中で、第一〇回大会の記念大会にふさわしい歴史的成功をかちとろう! 全国から、全国連第一〇回全国大会に結集しよう! 

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週刊『前進』(1992号6面2)

狭山高裁行動 「足跡鑑定」で追及 “棄却許さぬ”の気迫で

 今年初の狭山再審要求東京高裁行動が一月二十三日、解同全国連と部落解放共闘の三十人が参加して闘い抜かれた。参加者は高裁第五刑事部(高橋裁判長)の異議審棄却攻撃が切迫していることを見据え、これを断じて許さぬとの気迫に燃えて、全一日の行動を闘い抜いた。朝の出勤時の霞が関ビラまきと決起集会、昼休みデモと街頭署名、午後二時からの高裁要請行動を意気高く闘った。
 午前十時からの決起集会で解同全国連の楠木吉秀事務局長が基調報告を行った。楠木さんは、日帝危機と解同本部派の転向・屈服の中で、インターネットを使った部落差別扇動や、各地での差別事件など、まるで「水平社結成以前に戻ったような」悪質な部落差別が続発していることを、怒りをもって弾劾した。そして「全国で大衆的な差別糾弾闘争の爆発をつくり出さなければならない」と訴えた。楠木さんは、本部派が糾弾闘争を解体し、国家権力への告訴戦術や、「(差別者と)本音を出し合う」懇談会にすり替えていることを徹底批判した。
 そして、狭山闘争について、「高橋裁判長は〈異議審だから事実調べはやらない〉という態度だ。許せない。要請行動で事実調べを強く要求しよう」と呼びかけた。
 続いて井橋昌夫中央委員がこの日の要請行動で要求する「足跡に関する新証拠の事実調べ」の中身を解説し、意思一致をかちとった。昨年、裁判所に提出された「山口・鈴木鑑定」は、事件現場に残された足跡と石川さん宅から押収した地下足袋の足跡との決定的な違いを、新たな鑑定技術で証明したものだ。井橋さんは、この新証拠の内容と、足跡問題での裁判所の判決・決定のデタラメさを分かりやすく暴露した。
 これを受けて、全国連の関東、関西、中四国の各代表、共闘団体があいさつと決意の表明を行った。
 午後二時から行われた東京高裁要請行動では、昨秋の弁護団折衝での高橋裁判長の事実調べ拒否宣言を徹底弾劾し、石川さんの無実を明らかにする新証拠の事実調べを直ちに行うよう、強く要求した。
 また、要請団はインターネットで「腐れ厨房」と名のる極悪の差別者が、匿名性に隠れて「誘拐殺人犯が罪も認めずに野放しになっている」などと、許すことのできない差別扇動を行っていることを裁判所に突きつけた。そして、事実調べを拒否している裁判所の部落差別の姿勢が、このような差別者をのさばらせているのだと徹底的に追及した。訟廷管理官は「人間としていたたまれない」と言わざるをえなかった。要請団は、次回要請行動で高橋裁判長の意見・見解を示すよう要求した。
 こうして、解同全国連と解放共闘は、無実の石川一雄さんとの熱い連帯感をもって二〇〇一年の狭山闘争をスタートさせた。

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週刊『前進』(1992号6面3)

教育労働者インタビュー(2) 学校現場で何が起きているか
 「日の丸・君が代」、教育基本法改悪を許すな!
 分会ごとに必死で抵抗 階級意識の解体許さず
 神奈川 氷見貢さん(中学校)

 執行部の制動を破り校長と対決

 −−昨年三〜四月の「日の丸・君が代」闘争について聞かせてください。
 日教組本部の「文部省とのパートナー路線」の問題に加えて、神奈川県教組は、勤評闘争の時のいわゆる「神奈川方式」以来、パートナー路線の先駆けになってきたようなところなんです。だから執行部は「情勢は厳しい。闘っても結局負ける。それならば交渉のテーブルにつき、少しでも中身を取ることを目指そう」と言う。もう何も取れなくなってきているにもかかわらず、です。
 しかしそれぞれの分会が必死で闘い、全面的に押し込まれることはなんとかくい止めたところです。
 昨年はどの学校の校長も踏み込んできました。これまで「日の丸」が一切なかった学校では屋外のポールに揚げる、屋外に揚げていたところでは式場の中に、「君が代」が一切なかったところはテープを流す、など。そして職員会議でどんなに議論しても、それまでとは違って校長はまったく折れず、「私の権限でやらせてもらう」と繰り返すばかりでした。
 こうなると話し合いで決着はつきませんから、物理的な抵抗をする以外になくなる。しかし教組執行部は「処分が出るような闘いをやってはならない。弾圧が強まり、組合が維持できなくなる」と言うわけです。
 こうした中でも、各分会の組合員は、あらゆるかたちで闘いました。最後は抗議のリボンをつけたり、保護者や子どもたちが一緒に着席したり。また校長がポールに揚げようとするのを教職員が取り囲んで話し合いを延々続けて、結局卒業式の前に揚げることは断念させたところもある。よく闘ったと思いますよね。
 −−神奈川も組合活動へ攻撃が強まっています。
 ひとつは教育研究集会の問題です。これまでは教員が教研に参加できるよう、教育委員会が職務専念義務免除や研修扱いなど、一定の便宜を図っていたわけです。それを昨年、産経新聞や雑誌『正論』が取り上げ、「勤務時間中に組合の教研に参加し、しかも教育委員会が便宜を図るなど大問題だ」と攻撃してきた。
 それから学校管理運営規則を改悪し、職員会議を校長の補助機関として位置付け、校長のリーダーシップを強化しようとした。
 これらにも執行部は闘う方針を出しません。こういう状況が続くと、今はまだ分会の頑張りでなんとか抵抗して維持していますが、結局は後退を強いられてしまうわけです。闘う執行部をつくることが、本当に死活的になっています。

 職場の団結強め反撃の拠点守る

 −−今春の「日の丸・君が代」闘争に向けては。
 どの学校でも、校長は昨年よりさらに踏み込むと宣言しています。でもどの分会も闘う気持ちはありますよ。ただ「執行部は『物理的な抵抗はするな』と言うし、結局強行されてしまう」という感じがあって、どうも元気が出ない。
 みんなこれまで、「揚げさせない・歌わせない」ということで頑張ってきたわけで、揚がる・歌が流れるというのはものすごく悔しいんですよ。正直な話、消耗感も出てきてしまう。
 また今、執行部の唯一の「方針」は、「内心の自由を守ることが最後の砦(とりで)だ」という論なんです。司会に「歌わない自由もある」とか「着席したままでもいい」と言わせよう、と。では自分たち教育労働者は着席するのかというと、執行部は「そういうことはやめてもらいたい。多数決で決めるのはよくない。分会全員で座るのは内心の自由を侵すことになる」。こんな「方針」をどう突破していくのかということですよね。
 だから、「日の丸・君が代」闘争をねばり強く闘うことをつうじて職場の階級的な団結を強化していくことが闘いの前進なんだという立場をはっきりさせる必要がある。この立場を持たないと、「日の丸・君が代」だけでなくその他の問題でも崩されてしまう。組織的な反撃の拠点を絶対に譲り渡さないことが大切だと思っています。さらに全国の闘う教組や闘う労働組合と結びつき、ネットワークをつくることが重要です。
 −−教育改革国民会議が最終報告を出しました。
 国民会議の提言のひとつは、新たなエリートの養成であり、戦後的な公教育制度の解体です。こうした改革をいろいろ打ち出しながら、全体に貫かれているのは、「社会や国家への忠誠心や愛国心だけはきちんと身につけてもらわないと困る」ということですよね。だから「日の丸・君が代」、道徳教育の強化、奉仕活動義務化なわけです。

 「問題児排除」の提言に危機感

 僕自身がかなり危機感を持っているのは、「問題を起こす子どもへの教育をあいまいにしない」「出席停止など適切な措置」という排除の論理です。実際、学校に来ても授業に参加する気もなく、校内でたむろって煙草を吸ったり、なんて現実はあるから、「出席停止」という話が一定広がってしまう状況はあります。
 でも自宅に帰して、「心の東京革命」が言うように家庭がしつけをやればその子たちは変わるのか。絶対に変わりませんよ。
 社会構造が変わってきているから、子どもたちもその影響を受けている。親のリストラで「公立高校にしか行けません」という子どもが出てきている。資本がますます労働者に犠牲を強いている中で、いわゆる「家庭崩壊」的現実も広がっている。子どもたちの成長を邪魔している社会構造を変えていかない限り、絶対に解決しませんよ。
 高松の成人式の件でも「社会の秩序を乱す連中には厳しくあたらないとダメだ」とキャンペーンして、五人を逮捕し、しかも十日間も勾留した。まさに見せしめそのものです。意図的に「今の教育が悪いからなんだ」というような雰囲気をつくり出して、「だから教育改革が必要だ」と持っていこうとしている。教育ということをテーマにして、労働者全体の意識状況を転覆することを狙っているんだと思います。
 やはり「不適格教員」排除の問題は大きい。敵の意図は明らかです。教育現場から反対勢力を根こそぎにするために、「日の丸・君が代」攻撃などあらゆる攻撃をかけつつ、最後は「不適格教員」排除でとどめをさそうとしている。誰でも狙いうちされ、退職が強要される仕組みです。
 しかし日教組本部の国民会議に対する見解は、批判的な中身は何もない。だから教育基本法改悪についても、僕らが一から闘いをつくっていかなければならないと思っています。
 −−二〇〇一年の闘いへ一言お願いします。
 森は、教育というテーマが人びとの意識を根こそぎ変えていくテコになると考えていると思います。
 しかも「戦前型の教育に変えようとしている」と言う場合、その「戦前型」とは昔の戦前ではなく、これからの戦争に向かう「戦前」なわけです。だから中途半端はない。そのことから目をそらさない運動でなければならない。「階級的団結」の意味が真に問われていると感じています。
 僕らは「闘う日教組の再生」というスローガンを掲げていますが、日教組運動の負の側面もきちんと総括し、本当に闘う日教組運動を再構築していく必要があります。全国で闘う労働者、労働組合とのネットワークをつくり出しながら、決戦を打ちぬいていきたいと思っています。

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週刊『前進』(1992号7面1)

『解放』新年号 JR総連失陥に消沈し「冬の時代」叫ぶ カクマル「議長」植田の惨状
 黒田=松崎路線の破産も分割・民営化協力の総括もできず
 中津次郎

 松崎を先頭にJR総連カクマル(組合権力グループ)は、カクマルから丸ごと離反した。カクマルは決定的危機に突入した。カクマルが大きく追いつめられた政治空間の中で、戦闘的大衆運動が力強く、躍動的に広がりつつある。ファシスト・カクマルがどれほど日帝の先兵となって労働者人民の決起を抑えつけてきたことか。闘う人民はあらためてこのことを実感し、カクマル完全打倒への決意と意欲をわき立たせている。一方、日帝権力は、この情勢に危機感を深め、坂入充拉致・監禁事件への無対応に示されるように、カクマルへのテコ入れと、革共同および闘う人民への不当弾圧を強めている。闘う労働者人民は、この新たな警察=カクマル連合(K=K連合)に怒りをたたきつけ、分裂カクマル完全打倒、松崎・JR総連解体へ突き進もう。本稿はその一助として、カクマル反革命通信『解放』新年号を批判する。

 「悲惨」「痛ましい」と組織分裂を嘆く植田

 『解放』新年号は、カクマルの今日の惨状をまざまざとさらけ出している。それをストレートに示すのが、冒頭のカクマル議長・植田琢磨の声明である。
 これは、1面から2面に続くもので、植田の声明としてはかつてない長さである。黒田とカクマル中央は、「議長・植田」を前面に押し出すことによって、危機の中でのファシスト組織の「大団結」を呼びかけ、他産別からも脱退者相次ぐ組織の総瓦解(がかい)状況に、なんとかタガをはめようと必死である。
 だが植田声明は、カクマルにはもうまったく未来がないことを自認し、何ひとつ実践的展望を示すこともできないし、自分たちが置かれた現状を認識する能力もないことをさらけ出している。
 植田とカクマルが、どんな絶望的な気持ちで二十一世紀を迎えたかは、次の言辞に明らかだ。いわく「『戦争と革命の時代』は、いま悲惨な現実を残して幕を閉じた。この痛ましい事態……」と。
 わが革共同が、帝国主義の基本矛盾の全面的爆発とスターリン主義の歴史的破産を見据えて、「帝国主義戦争を内乱へ」の革命的祖国敗北主義の立場に立ち、二十一世紀を世界革命勝利|共産主義社会への世界史的移行の時代にしようと燃えているのに比べて、なんという惨めな、打ちひしがれた時代観であることか。
 いったい植田は、二十一世紀をどのような時代にしたいのか。カクマルをどうしたいのか。組織分裂の現実に消沈し、最初から最後まで「落胆するな、失望するな、あきらめるな」とか、「へこたれるな」「物忘れをするな(!)」などと言っているだけである。そうして、「ネオ・ファシズム的反動化の嵐」がどんなに吹き荒れようとも、「わが党は、暗黒の世界における“地上の太陽゜であることを片時も忘れるな」などと笑止千万なことを言っているのだ。これではまったく、オウムなどと同じインチキなカルト集団そのものではないか。こんな植田や、思想的・理論的衰退著しい、反米民族主義の黒田に率いられたファシスト・カクマルに、どんな未来もあろうはずがない。
 植田は、JR総連問題に触れた部分で、「日本労働者階級は一九八〇年代の半ばに決定的な敗北を喫した。だが、それに挫けることなく、われわれは、いわゆる『労働運動の冬の時代』という認識のもとに、この時代にふさわしい……諸活動を……展開してきた」などと言っている。
 だが、これは実に許せない歴史の偽造であり、裏切りのごまかしである。カクマルはもっと早く、すでに八〇年代の初め(実際には七〇年代末)から「冬の時代」論を持ち出して権力・資本との闘いを放棄していった。そして、国鉄分割・民営化攻撃の先兵の道に踏み込み、二十万人首切り、総評解体、動労千葉・国労破壊攻撃の先兵となっていったのだ。自分たちだけがセクト的に生き延びるためにいち早く屈服し、労働者階級を裏切っておきながら「敗北を喫したから、冬の時代となり、その時代にふさわしい活動しかできなかった」などと言うのは、まったくの反革命的なごまかしである。

 松崎明に言及できぬ“党首”

 植田は、JR総連カクマルの大量離反問題についても「冬の時代」論を前面化させて、権力の弾圧に屈服した「JR総連内の反党陰謀分子」が引き起こしたものであると、責任をなすりつけている。だが、「反党陰謀分子」などと言いながら、その頭目=松崎の名をあげて弾劾することができないでいる。
 それはともかく、植田の「総括」はまったく総括になっていない。多少とも建設的方向でわれわれが代わって総括してやるならば、次のようなことが核心問題として総括されなければならないのである。
 一つは、松崎を筆頭とするJR総連カクマルの「ダラ幹」的腐敗は、八〇年代のカクマルの分割・民営化賛成への党的踏み切りと、JR発足後の労使協力体制、ファシスト労働運動路線が必然的にもたらしたものである。植田が「右翼組合主義」を問題にするのなら、この「国鉄分割・民営化の先兵」化路線、つまり黒田=松崎路線そのものが、あらためて総括され、根本的に自己批判されなければならないはずである。
 ところが、植田は、日本労働運動の歴史に刻まれたこの大裏切りについては、まったく口を閉ざしたまま、一切触れることができないのだ。
 二つ目は、「権力の謀略」論を煙幕とするカクマルの白色テロ路線が、労働者人民の怒りの反撃で大破産し、それがカクマルのJR総連組合支配を決定的危機に追い込んだことをまったく総括していないことである。
 JR総連はカクマルのことを「侵入、暴力、窃盗、拉致、監禁、盗聴、盗撮、尾行、張り込み等を繰り返すテロ集団」と非難している。しかし、JR総連自身がカクマルの白色テロを自らの組合支配のてことして使ってきたのだ。それは、摘発された豊玉アジトが松崎直轄の白色テロ・秘密作戦部隊の活動拠点であったこと、「カクマルに五億円ぐらいやって、(小林峻一氏宅から)盗んだ資料をもらおうかと思っている」などの松崎発言(九六年七月)からも明らかである。
 それが全社会的に暴かれ組合支配が危機的になった途端に、組織離脱してカクマルを弾劾し始めるというのは、実に卑劣なご都合主義だ。しかし、ともあれカクマルの「権力の謀略」論を煙幕とする白色テロ・盗聴などの路線への全人民的反撃が、JR総連労働運動を決定的な危機にたたき込んだことは紛れもない事実である。
 同新年号の「労働者組織委」論文でも「彼ら(=脱落分子)が『JR総連=革マル派』という政治的大攻勢に直面して完全に腰砕け(ママ)となり……」と言っている。これは革共同および戦闘的労働者人民の「政治的大攻勢」が、カクマルとJR総連に大打撃を与えたことの告白であるが、カクマルはこれを開き直ることしかできない。
 黒田や植田は、このように今日のカクマルの危機の根源について、まったく触れることができず、一切の責任をJR総連内の「ダラ幹」グループに転嫁しているのだ。にもかかわらず、その頭目である松崎を批判・弾劾できないのだから、問題は深刻きわまりない。「JR総連は全労働者階級の敵である」とした十二月の「戦闘宣言」に責任をとることもできない。
 それゆえカクマルの組織的危機がこれから決定的な断末魔的局面に突入していくことは確実である。植田は、危機の救済者どころか、破滅の促進者になるだけだ。

 「新冷戦的角逐論」で米帝の戦争政策擁護

 情勢論文においても、実に反階級的な「冬の時代」論が展開されている。
 「二十世紀は……無念にも、悲劇的な結末をもって幕を閉じた」
 「二十一世紀を迎えるいまも、各国間・各民族集団間の種々のナショナリズムの相互衝突が一段と激化し、とりわけ米・日・欧の帝国主義諸国と中国・ロシアブロックとの〈新東西冷戦〉というべき角逐がいっそう激化していることのゆえに、二十一世紀初頭の世界は戦争・戦乱勃発の暗雲で覆いつくされかねない状況にある」
 カクマルはこのように、米帝の侵略戦争を合理化するイデオロギーでしかないところの「ナショナリズムの相互衝突」「宗教・民族衝突」論を吹聴している。そして「新東西冷戦論」をもって、帝国主義の基本矛盾の爆発、侵略戦争|帝国主義間戦争|世界戦争の爆発の危機が、二十一世紀冒頭に現実のものとなろうとしているという認識を否定することに躍起になっているのである。
 現在のカクマルの「新東西冷戦論」、「米|中・露の新冷戦的角逐の激化」論の重大な犯罪性は、新たに登場した米帝・ブッシュ共和党政権が、米帝バブル経済の崩壊過程に成立した政権として、米帝の帝国主義的独自利害をむき出しにして帝国主義間争闘戦激化政策、大軍拡|戦争路線に突き進む政権であること、このことをまったくあいまいにし、通り一遍の確認で済ましていることである。
 米帝ブッシュ新政権は、カクマルが言うような「東西の冷戦的角逐論」のペテンなどまったく問題にもならない激しさで帝国主義の最後のどん詰まりの凶暴な力を発揮して、強硬な対中国・北朝鮮|アジア政策と帝国主義間争闘戦政策を進め、全世界を戦争の危機にたたき込むような軍事・外交政策を展開しようとしているのだ。
 カクマルは、「米帝は新たな戦争放火・侵略戦争準備に突進している」などと言ってはいる。だが、カクマルは、そのような恐るべき情勢の到来の必然性を真正面から見据えきれない。
 なぜならば、世界戦争が現実の問題となるような帝国主義のどん詰まりの危機への突入は、帝国主義国のプロレタリアート人民とその革命党に、〈戦争か革命か〉の問題を突きつけ、階級闘争上の一大飛躍が迫られる情勢に突入するということだからだ。このような情勢の到来にカクマルは完全に圧倒され、震え上がっているのだ。
 だから、カクマルは、中露ブロックもまた「反米国際包囲網の形成・拡大」に取り組んでいるから、こうした東西のやり合い(角逐)をとおして、結局はシーソーのように一定のバランスの範囲内で力関係が揺れ動くだけであって、二十一世紀もまた帝国主義とスターリン主義(残存スターリン主義および破産したスターリン主義)の世界支配が百年も続くというような結論に、強引にもっていきたいのだ。それは、本紙が繰り返し暴露してきたように、黒田の反革命本『実践と場所』や『日本労働運動に炎を』の中の黒田論文の記述からも明白である。
 だから、「第三次世界大戦勃発の危機」とか「全世界を戦火で焼きつくす戦争の危機が必定」などと言ってみても、それはまったくリアリズムのない、口先だけのことにすぎないのだ。
 カクマルが本当にこうした認識に立つのだとしたら、このような戦争に突き進む自国帝国主義の打倒の闘い、革命的祖国敗北主義の貫徹、まさに「連帯し侵略を内乱へ」の闘いが直接に問われてくるのに、そうしたことには一切言及できないのだ。
 実際、『解放』新年号の情勢論文は紙面三面分にも及ぶ長い論文でありながら、あきれたことに、米帝や中露の分析はあっても、日帝の体制的危機とその攻撃に言及している部分はわずか二十数行しかない。植田のアピールでは皆無である。日帝との対決を徹底的に回避しているのである。
 現在日帝が、新安保ガイドラインをてこに、帝国主義間争闘戦での生き残りをかけて独自の戦争国家化攻撃を猛然と進め、朝鮮・中国侵略戦争の策動を強めていること、そのために改憲・教育改革・有事立法の策動を強めていること||こうしたことには一切言及しない。それどころか、こうした日帝の侵略戦争政策を、“日本の国益のために必要不可欠な「危機管理体制」の確立の動きにすぎない゜と擁護しているのである。まさに、カクマルは、日帝の改憲・戦争攻撃の反革命先兵なのだ。

 革命的祖国敗北主義に反対してきた過去

 日帝とどのように闘うのかもはっきりさせずに、黒田・カクマルがエセ「反スタ左翼」のポーズをとるために展開しているのが、日共スターリン主義批判である。ところが、この日共批判がまったくの反革命的な代物であり、デタラメである。
 だいたい日共を「今日版祖国防衛主義への転落」などと批判しているが、ではカクマル自身は、いったいいつから「祖国防衛主義」であることをやめたのか?
 カクマルは、七〇年代〜八〇年代は、スターリン主義の存在を理由にして、革命的祖国敗北主義の適用を否定し、祖国防衛主義の立場に立つことを機関紙上ではっきりと公言していたのだ。
 カクマルは、革命的祖国敗北主義を完全否定する、次のような有名な発言を撤回したことは一度もない。いわく「現在における戦争は帝国主義とスターリン主義との戦争なのだから、『革命的敗北主義』をストレートに適用してしまうとそれは誤謬(ごびゅう)に転化する。……帝国主義国プロレタリアートにとって、自国の敗北は帝国主義権力の崩壊にとどまるものではなく、スターリニスト革命の実現を意味するから、われわれは(それを)望むわけにはいかない」(一九七八年十二月二十五日付『解放』五四七号、酒田論文)と。
 このように、カクマルは革命的祖国敗北主義の立場を明確に否定していたのだ。
 では、カクマルは、九〇年前後のスターリン主義の歴史的破産、スターリン主義圏の崩壊によって、自説を変えたのか? 自国政府打倒、革命的祖国敗北主義の立場に立つことにしたのか? しかし実は、このような問題について、カクマルはまったく今日まで総括しないままで来ているのだ。
 カクマルはその総括をあいまいにしたまま、九九年春、新安保ガイドライン=周辺事態法制定をめぐって日本階級闘争が重大な局面を迎えていた時に、これとの正面対決から逃亡するためにのみ米帝・NATOのユーゴ空爆弾劾に乗り移り、「ユーロソーシャリズム」の戦争協力を批判するというからみで「自国政府打倒の立場」に言及したことがある。ところが、この議論はカクマルにとって「危険」であることに気づいた黒田カクマル中央は、なし崩し的にその議論を封印してしまったのだ。その後、カクマルが日帝の戦争政策に対して「自国政府打倒、革命的祖国敗北主義の立場に立つ」と表明したことは、ただの一度もない。
 そのカクマルが今ごろ、左翼の仮面をかぶるために、どんなに日共を「祖国防衛主義への転落」などと批判してみても、それはまやかしである。

 日共批判は全くまやかし

 実際、カクマルの日共批判、「今日版祖国防衛主義への転落」の内実たるや、「〈反安保〉〈自衛隊反対〉の理念・イデオロギーのブルジョア・リベラリズム的変質」などという程度のものでしかない。昨年十一月の日共二二回大会での「有事の自衛隊活用」路線への転換は、日共がスターリン主義としての歴史的破産の中で、日帝の戦争政策に全面的に屈服・協力することの宣言であり、その日帝の最後の番兵となって、労働者人民の反戦闘争、革命的大衆闘争に暴力的に敵対することの表明である。
 ところが、カクマルの日共批判は、このような戦争の危機の切迫下でスターリン主義反革命が決定的な日帝の先兵となったことの断罪ではなくて、「理念・イデオロギー」次元での若干のブルジョア的変質という程度の「批判」でしかない。「帝国主義と対決しているけれども、生ぬるい」という「批判」でしかない。現実の日帝のガイドライン体制づくり、戦争国家体制づくりを打ち破る闘いは、ここではまったく問題にもなっていないのである。これでは、「批判」どころか日共スターリン主義反革命の擁護以外の何物でもない。
 カクマルの反革命性が、この日共批判の中で全面的にさらけ出されているのだ。「祖国防衛主義」に対する実践的批判は、「帝国主義戦争を内乱へ」のレーニン主義の立場を今日的に貫いて、「連帯し侵略を内乱へ」の旗のもと、あらゆる戦線・職場で自国政府の侵略と戦争の政策を暴露し、自国政府打倒の戦闘的大衆闘争を全社会的内乱にまで拡大し、激化させることである。カクマルは、こうした闘いに真っ向から敵対し、「自前の危機管理能力の確立」論をもって、日帝の新ガイドライン攻撃、朝鮮・中国|アジア侵略戦争の策動を擁護し、「連帯し侵略を内乱へ」の闘いに全面的に敵対しているのである。
 帝国主義論を解体した「新東西冷戦論」「民族・宗教戦争論」のデタラメや、反米愛国主義への転落、日共批判の大破産などは、九一年以降のスターリン主義の崩壊と帝国主義間争闘戦の激化の中で、黒田カクマルが綱領的・理論的・思想的にどんどん崩壊を深めていることの表れであり、「黒田哲学」の根底的破産を示すものである。

 「電脳が人間を破壊」と労働者階級に絶望

 以上、見てきたように、カクマルは口先で「二十一世紀初頭の世界は戦争・戦乱勃発の暗雲で覆いつくされかねない状況にある」などと言いながら、実はそんなことを少しも信じていないのだ。
 植田は言う。「二十一世紀の初頭に立ったわれわれは……国家権力の新たな攻撃が仕掛けられてくるであろうことを片時も忘れることなく、組織建設にまい進しなければならない」と。まさに“労働運動の冬の時代だ。帝国主義とは一切闘うな。フラク、ケルンづくりに専念せよ゜ということが、一切の実践的結論なのである。
 植田は、黒田と同様に、「冬の時代」の主要な原因を、まったく許しがたいことに、労働者人民のせいにしている。いわく「『因特網』(インターネットのこと)を日がな一日のぞき見ているネティズンは、精神的に荒れ果て、思考力を失い、表現力が衰弱して、見るも無残な姿を呈するにちがいない」「電脳産業がうみだす悪は現代の人間そのものをもむしばみ……現代人の破壊を帰結する」などと。
 まさに『日本労働運動に炎を』の中で黒田が吐露しているような、“失業者やフリーターはファシズムの先兵である゜とか、“日々疎外された労働を強制されている労働者は軍国主義のイデオロギーにオルグされて、現存支配体制に編み込まれる゜などというのと同様の絶望感である。(本紙一九九〇号無署名論文参照)
 植田は声明の中で、「中卒の機械工であった私」が議長に選出された時、「ある同志は嘲笑の目をもって私に語りかけたほどだ」と、カクマル組織の寒々とした内情を暴露している。だが、その植田自身が、黒田の手先となり、「中卒の機械工」の感性とは無縁の、実に腐敗しきった労働者像、労働者の自己解放闘争への絶望と不信と侮蔑の感情を述べているのだ。資本や国家権力に対する労働者の怒りと抵抗の意思、階級的団結とはまったく正反対の、現代帝国主義文明への全面的屈服であり、無力感の表明である。
 労働者組織委論文でカクマル中央は、「JR総連の腐敗した幹部たち」を批判して、「なぜ『見通しの暗さ』を客観主義的にあげつらうのか」などと、したり顔で批判している。だが、黒田や植田が率先して叫んでいる「労働運動の冬の時代論」そのものが、まさに「見通しの暗さ」を口実にして帝国主義や資本との対決を放棄し、反革命的組織づくりの自己目的化に逃げ込む「へ理屈」そのものではないか!
 また、八〇年代になんやかやと「見通しの暗さ、厳しさ」をあげつらい、動労の「貨物安定輸送(=スト絶滅)宣言」やブル・トレ手当返上など次々と屈服を重ね、国鉄分割・民営化の先兵となる路線を敷いたのは、松崎のみならず黒田カクマルそのものではないか。要するに、「『見通しの暗さ』を客観主義的にあげつらう」やり方は、「ダラ幹カクマル」に限ったことではなく、「黒田哲学」と「組織現実論」そのものに根ざしたものなのだ。
 以上のように『解放』新年号は、冒頭の議長・植田のアピールといい、情勢論文といい、労働者組織委論文といい、すべてJR総連の離反に打ちのめされた黒田カクマルの危機の深さをまざまざと示している。
 カクマルは、何一つJR総連問題を「総括」できない。ただ、権力にすがって延命を保証してもらうしかない。そのために新たな警察=カクマル連合を強め、革命派に対する白色テロに一切の打開の道を求めて、転落していく以外にない集団である。
 労働者人民は、このようなカクマルの白色テロを断じて許さず、分裂カクマル完全打倒、松崎・JR総連解体へ、全力で闘おう。日帝の改憲・戦争、資本攻勢と真っ向から対決する戦闘的大衆闘争、階級的労働運動の爆発的発展をかちとろう。

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週刊『前進』(1992号7面2)

2001年日誌 阻もう!改憲=戦争への動き 1月24日〜30日
 ブッシュ米軍兵力構成見直し指示 航空三社に米軍輸送資格要請

●古賀幹事長が米海兵隊削減へ示唆 自民党の古賀誠幹事長が、沖縄駐留の米海兵隊削減問題について「(自民、公明、保守)三党の政策レベルで取り決めていく大きなテーマだ。三党として方向付けしたい」と述べた。(24日)
●グアム知事が在沖米軍の受け入れ表明 米グアム島のカール・T・C・ギテレス知事が、在沖米海兵隊など在沖米軍を受け入れる考えを示した。同知事は「一万人規模の師団の受け入れは訓練に必要な十分な広さがなく難しいが、二千人から二千五百人規模なら可能」「米国防総省や海兵隊などいろんな軍関係から聞いている。三、四年後に実施される」と述べた。(24日)
●創価学会・池田が改憲について見解 創価学会の池田大作名誉会長が改憲についての見解を学会機関紙「聖教新聞」に発表した。その中で「時代や社会の変化に呼応して、憲法に適宜検討を加えていくことは当然である」と述べ、第九条については「平和憲法の理念を風化させてはならない」とし、その上で「自分たちさえ安穏であればよいとする『一国平和主義』は、憲法前文の精神とはかけ離れたもの」と、国連による普遍的な安全保障と紛争予防措置の整備に日本が主導的役割を果たすべきだと主張している。(26日)
●連合が海兵隊削減へ百万人署名 連合沖縄が「海兵隊を含む在沖米軍の兵力削減」を求めて百万人署名運動を展開する方向を確認した。具体的な取り組み方法は今後、執行委員会で決定する。(26日)
●米軍紙が「沖縄紙が米軍犯罪を販売に利用」と宣伝
 米太平洋軍準機関紙「星条旗」が、沖縄の現状について「多くの抗議行動が地方のニュースを国際的な問題とし『広範囲にわたる暴行』にした」「沖縄の新聞は(米兵の)事件が販売を促進させているということを理解している」「沖縄の新聞は反軍事的であり、外国人は注意すべき」など米軍関係者らのコメントを紹介。(26日)
●日米外相会談 河野洋平外相が、パウエル米国務長官と会談した。ブッシュ政権発足後初の日米外相会談。パウエル長官は「日米関係の基礎は米国とアジア太平洋政策の礎である」とブッシュ政権が日本を重視する姿勢を表明した。また沖縄の在日米軍基地について「沖縄の人々の生活の妨げを最小限にしていきたい」と述べたが、同時に「沖縄基地はアジアの安定にとって不可欠」と再確認した。(26日)
●米軍兵力の体制見直しを指示 ラムズフェルド米国防長官が就任後初の記者会見で、ブッシュ大統領から「米軍の兵力構成の包括的な見直し」をするよう指示を受けたことを明らかにした。(26日)
●ブッシュが国防政策の目標示す ブッシュ米大統領が、米国の国防政策の「三つの目標」として、米軍の装備・待遇の改善を通じた信頼性の向上、先進的技術を導入した「未来の軍隊」の形成のほか、ミサイルや生物・化学・核兵器の脅威から米国と同盟国を守る必要性を強調し、米本土ミサイル防衛(NMD)などの配備に強硬な姿勢を示した。(26日)
●「5年ぐらいの期間で改憲実現したい」と山崎拓
米のアーミテージ国務副長官らと会談して帰国した自民党山崎派の山崎拓会長は、アーミテージが日本の「集団的自衛権の行使」の期待を表明したとし、「現行憲法では集団的自衛権は行使できない。五年ぐらいの期間で憲法改正を実現したい」と述べた。(26日)
●防衛庁が民間人技術者登用の法案提出へ 防衛庁は三十一日召集の通常国会に、二〇〇一年度に民間人を登用する「任期付き隊員」制度を導入するための自衛隊法改悪案などの関係法案を提出する方針を決めた。(28日)
●防衛施設庁が米輸送資格の取得を要請 防衛施設庁が、日本航空、全日本空輸、日本エアシステムの航空三社に対し、米国防総省が定める輸送資格を取得するよう要請していることがわかった。国防総省が米軍部隊や武器などの輸送を発注するにあたって、航空会社の安全管理などを審査して許可するもので、取得すると米軍の輸送業務の請負が可能になる。新ガイドライン関連法に定められた、近隣有事での米軍の輸送への民間協力を想定している。施設庁は一九九八年にも、日航に対し資格取得を要請したが、現場の労働者らの反対で拒否された。朝日新聞の報道で明らかに。(29日)
●ヘリ着陸地に天然記念物
 沖縄本島北部の国頭村と東村に広がる米海兵隊訓練場(約七千八百f)の半分余りを返還する代わりに、引き続き使用する部分にヘリコプター着陸帯七カ所を移設する計画について、防衛施設庁が、予定地に国の天然記念物や絶滅危惧種など希少な動植物百四十五種が生息する、との環境調査を公表した。(30日)

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週刊『前進』(1992号8面1)

警察権力による連続的デッチあげ逮捕弾劾! 「免状不実」は政治弾圧だ

 日帝・警察権力のデッチあげ逮捕による治安弾圧攻撃が激化している。すでに一月十日から二十七日までに、実に三件ものデッチあげ逮捕が連続して行われている。わが革共同は怒りを込めて徹底弾劾する。
 一月十日、A同志を「コロビ公妨」でデッチあげ逮捕した警視庁公安部の卑劣で違法なやり方は絶対に許されない。この日の昼間に免許証の更新を終えたA同志が、午後九時頃に自宅を出たところ、自宅近くの路上で警視庁公安部の私服警察官が突然後ろからA同志の腕をつかみ、近くの金網に押しつけ、ありもしない「逮捕状がある」とうそをつき、二十分近くも違法に拘束した。
 その後、車でかけつけた十五人の私服警察官が「身体捜索令状が出ている」と、近くのバス車庫に無理やり連れ込んで身体捜索を始めるやいなや、公安警察官井崎正和が自分で勝手に転んで写真を撮り、そのことをもって「公務執行妨害」の現行犯だと逮捕したのだ。
 さらに許せないことに、「コロビ公妨」で逮捕しておきながら、二十三日にはA同志の自宅など三カ所を「免状不実記載」なる理由で家宅捜索を行った。自宅から出てきたA同志をその近くで逮捕しながら、「虚偽の住所登録をした」などと真っ赤なうそを並べ立てているのだ。こんな違法な権力犯罪は絶対に許せない。(A同志は一月二十六日釈放をかちとった)
 また一月二十三日、神奈川県警は、免許証の更新に行ったB同志を「免状不実記載未遂」の現行犯でデッチあげ逮捕した。
 運転免許証の更新手続きを行ったその現場で、「現行犯」で逮捕するなど言語道断である。「免状不実記載」というのは「運転免許証の住所が実際に居住している住所ではなく、虚偽だ」というものだ。
 そうであるならば、免許証の住所が「虚偽」かどうかは、その後の居住実態を確認しなければ判明せず、免許証を更新したその時点で「現行犯」逮捕などできるものでは絶対ない。
 「免状不実記載」などは単なる口実で、目的はB同志の逮捕・拘束と前進社神奈川支社の捜索なのだ。
 二十五日に神奈川支社への不当な家宅捜索と検証が行われた。B同志居住の事実は明白であるにもかかわらず、神奈川県警は、違法な情報収集を目的に三時間も捜索・検証を強行した。
 B同志逮捕のあまりのデタラメさは、横浜地裁が検事の勾留請求を却下する決定を出したことからも明らかである。(検事の準抗告で勾留が決定された)
 われわれは大反撃に決起した。横浜市内関内駅で三回のビラまきを行い、勾留理由開示公判で不当な逮捕・勾留を弾劾した。(B同志は、二月二日釈放をかちとった)

 国労続開大会でも不当逮捕

 さらに一月二十七日の早朝、千葉県警は国労続開大会の現場で闘争支援にかけつけたC同志を「免状不実記載」のデッチあげで令状逮捕した。国鉄闘争へのまったく許せない弾圧だ。
 運転免許証の住所が「虚偽」だというが、C同志の住所は「実家」である。C同志が家族とともに生活している家である。その「実家」がC同志の「住所」ではなく虚偽だというのなら、C同志の住所とはどこなのだ。
 それとも千葉県警は、実家を住所にしてはいけないとでも言うのか。千葉県警にC同志の住所を決める権限などなく、だれでもどこに住もうと自由である。
 このように「免状不実記載」なるものは、千葉県警がC同志を逮捕し拘束するためだけの口実なのだ。権力自身、根拠のない違法逮捕=政治弾圧であることを百も承知なのである。
 「免状不実記載」による逮捕攻撃は、「コロビ公妨」と同じ政治弾圧のためのデッチあげ弾圧だ。千葉県警はC同志を直ちに釈放せよ!
 このようなまったくデタラメなデッチあげ弾圧に日帝・警察権力が全力をあげているのはなぜか。
 バブル崩壊と九七−九八年金融・経済恐慌以来、日帝は体制的危機を深め、労働者階級への「リストラと賃下げ」攻撃を激化させ、連合はますます日帝に屈服し、春闘解体・賃下げの先兵となっている。いまや、労働者人民の怒りはマグマのように噴火直前にまで高まっているのだ。
 反革命カクマルはJR総連との分裂のなかで反革命党としての危機を深めている。いまやわが革共同と新潮流運動が闘いと勝利の方針を掲げる唯一の勢力として労働者階級の前に登場していることに、日帝・権力は心底から恐怖している。
 労働者人民の闘いを弾圧する日帝・警察権力の責任を断固追及しよう。「戦争と大失業の時代」には、弾圧との闘いは人民決起の巨大な水路である。
 改憲=戦争国家化攻撃と一大資本攻勢を粉砕する闘いの先頭に大胆に立とう。これこそ日帝・警察権力の治安弾圧攻撃に対する最大の反撃である。

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週刊『前進』(1992号8面2)

核燃搬入阻止に決起 六ヶ所現地住民とともに

 一月二十四日、昨年十二月に続く青森県六ケ所村への使用済み核燃料の第二次搬入攻撃に対し、反戦共同行動委員会は地元六ケ所住民や結集した労働者人民とともに早朝からの実力阻止闘争を断固闘いぬいた。
 日帝の核武装政策は、もんじゅの事故や東海村JCO臨界事故などによる人民の不安や怒りの高まりと、六ケ所現地をはじめとする全国各地での反核・反原発闘争の爆発で、今や根底的危機にさらされている。
 もんじゅ事故によって高速増殖炉推進政策が破産的危機に追い込まれる中で、その延命策としてうちだされたのがプルサーマル計画であった。だが、これもMOX燃料の検査データ改ざんなどが明らかになって人民の不信と不安が強まっている。
 さらに何よりも全国の原発では、貯蔵プールに使用済み核燃料があふれかえり、運転もままならない状況に陥っている。
 昨年十二月に続く第二次搬入攻撃にはこうした日帝の危機的状況があるのだ。われわれは搬入攻撃の「恒常化」を絶対に許さない。
 二十四日、前夜からの豪雪をはねのけ、労働者人民が次々に六ケ所村むつ小川原港前に結集してきた。
 午前八時すぎ、核燃料廃棄物を積んだ輸送船「六栄丸」が巡視艇に護衛され入港してきた。ただちに抗議のシュプレヒコールがたたきつけられた。
 午前十時から核燃料廃棄物搬入阻止実行委員会主催の集会が開催された。
 冒頭あいさつに立った平野代表は、「今回の搬出先の女川でも、きのう抗議行動があった」「お金が入ればそれでいいというのが青森県の原子力行政であり、これに対して全国的に憤りが起こってきている。……いつの日か県民の心も呼び起こされる時が来る」と今後の闘いへの展望を語った。
 続いて地元六ケ所村の坂井留吉さんが、「村長も村議も本当は使用済み核燃料も核燃サイクルもプラスになることはひとつもないと思っているのに、自分たちの『明日の弁当』のために反対の声をあげない。こんなことで村政がいつまで続くのか。続くはずがない」と力強いアピールを行った。これに続いて、県反核実行委員会の代表などが発言を行った。
 午前十一時からは、青森県平和労組会議などの県反核実行委員会主催の集会が行われた。
 午後からは、輸送容器の積み降ろし作業に対し、断固たる抗議のシュプレヒコールをたたきつけた。
 輸送車両の大型トレーラー三台が出発する時には、反戦共同行動委員会の部隊は正面ゲート前に陣取り、機動隊による凶暴きわまる弾圧をスクラムではねかえして、断固たる阻止闘争を闘いぬいた。そして、結集した労働者人民とともに核燃料搬入強行に対して怒りと弾劾の声をたたきつけた。(写真)
 六ケ所現地には、今後さらにフランスからの高レベル核廃棄物、そして全国の原発からの使用済み核燃料などの搬入攻撃が次々と策動されている。現地六ケ所住民の不屈の決意をわがものとし、さらに断固たる実力阻止闘争をともに闘っていこう。

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週刊『前進』(1992号8面3)

革命軍軍報 暫定滑走路の建設は許さぬ! 公団幹部宅を火炎攻撃
 1・23千葉収用法改悪策動に鉄槌 

 革命軍は偉大な戦闘を貫徹し、以下の軍報を発表した。(前号に速報)
 一月二十三日、革命軍は日帝・国土交通省、新東京国際空港公団による暫定滑走路建設の強行=農地強奪と農民殺しに対する三里塚反対同盟を始めとする労働者人民の怒りを体現して、公団幹部宅への火炎戦闘に決起した。
 国土交通省、公団の「暫定滑走路二〇〇一年十一月完成−〇二年供用開始計画」を必ず粉砕しなければならない。革命軍は全人民の先頭に立ってこの任務を貫徹するのだ。二〇〇一年決戦の血路を断固として切り開く固い決意をもって決起した。
 戦闘の目標は、千葉市稲毛区六方町九八−七にある空港公団情報業務課調査役である鈴木敏之の自宅だ。狙いすました一撃を加えるのだ。
 わが革命軍部隊は戦闘計画を完ぺきに遂行した。手際よく鈴木宅に火炎戦闘装置を設置した。
 午前三時二十五分、設置した火炎戦闘装置は戦闘計画どおりに作動した。鈴木宅の車庫に駐車していた軽乗用車は瞬く間に火炎に包まれ、全焼した。怒りの炎は軽乗用車の隣りに止まっていた乗用車をも包み、これを大破、車庫の屋根に直径二bの大穴を開ける威力を発揮した。
 二〇〇一年暫定滑走路建設実力阻止決戦突入を宣言する戦闘を勝利的に貫徹した革命軍部隊は、火炎戦闘がさく裂したときには、すでに撤退作戦を終えていた。千葉県警が「六十五人体制の特別捜査班」を設置してデッチあげ弾圧を策動したとしても、その口実は何ひとつないのだ。
 革命軍は、この一・二三戦闘を突破口に、二〇〇一年暫定滑走路粉砕の革命的ゲリラ・パルチザン戦闘を連続的に爆発させるであろう。反対同盟と闘う労働者人民と連帯して決起することを宣言する。
 鈴木敏之は火炎戦闘に直撃されて、「狙われる心当たりはない」などとうそぶいている。また公団は「ホームページを作成する仕事をしている」ので、空港建設に直接かかわったことはないなどと強弁している。

 鈴木某は「円卓会議」の仕掛人

 ふざけるな! 鈴木は一九七七年に公団に入り、企画室にいたではないか。企画室は、空港建設計画を直接担当する部署ではないか。それだけではない。鈴木はあの悪名高い「成田空港問題円卓会議」を計画し、それを取り仕切っていたのである。脱落派の屈服につけ込んで、反対同盟破壊、三里塚闘争破壊の話し合い攻撃を先頭切って行った人物なのである。
 その円卓会議は「平行滑走路のために、あらゆる意味で強制的手段が用いられてはならず」と結論を出したのではなかったか。しかも「円卓会議の終結について」の「閣議報告」で、平行滑走路の「用地取得は話し合いにより行うこと」と記したのではなかったか。
 だが、現実はどうであったか。反対同盟が「空港建設絶対反対・一切の話し合い拒否」の闘いを貫き、これと一体となった労働者人民の闘いが、政府・公団の「二〇〇〇年平行滑走路完成」の計画を粉砕してしまったのだ。この破産に追いつめられた政府、公団が持ち出してきたものが暫定滑走路計画だった。
 政府、公団はなりふり構わず、敷地内農民をまったく無視して、敷地内にフェンスを張り巡らせ、軒先工事を強行して敷地内農民の営農と生活を破壊して脅しつけ、敷地内からたたき出そうとしてきたのだ。あの「強制的手段が用いられてはならない」という円卓会議の結論などなかったかのようなふるまいだ。反対同盟は「三十五年前と何が変わったのか。まったく同じだ」と弾劾し、政府、公団の農地強奪=農民殺しとの闘いを呼びかけて、暫定滑走路建設実力阻止の闘いを貫いてきたのだ。
 この闘いによって、暫定滑走路がかりに建設されても、東峰神社の立ち木や天神峰の団結街道がこれを阻み、まったく使い物にならないしろものであることが暴き出されたのだ。
 窮地に立たされているのは、国土交通省、空港公団である。あせりにかられた公団は、年初以来、中村総裁が一月三日に敷地内東峰に侵入し、暫定滑走路建設強行を居直り、四日には記者会見で、東峰神社の立ち木伐採のために暫定滑走路の供用開始前倒しを表明して、新たな攻撃に出てきたのである。
 農地強奪=農民殺しに手を染めてきた鈴木が「心当たりがない」などということ自体許されない。鈴木の自宅は、巡回の警備が行われていた。自ら犯した階級的犯罪を自覚し、革命軍の追及を恐れていたからだ。

 反対同盟との血盟も新たに

 革命軍は、農地強奪=農民殺しの空港建設に手を染めた人物を絶対に許してはおかない。追及の手をゆるめることは断じてない。いよいよゲリラ・パルチザン戦闘の威力を発揮して戦うことを宣言する。
 一・二三戦闘の革命的意義は第一に、二〇〇一年暫定滑走路建設実力阻止決戦の血路を切り開いたことである。
 国土交通省、公団の「二〇〇一年十一月工事完成−〇二年供用開始」計画をずたずたに粉砕しなければならない。また、そのために策動されている東峰神社の立ち木伐採、天神峰の団結街道廃道の策動を絶対に許してはならない。
 革命軍は、二〇〇一年決戦闘争宣言を発して闘いの先頭に立つ反対同盟との血盟をかけて総決起する宣言として一・二三戦闘を貫徹した。この戦闘に続き総決起しよう。
 第二に、通常国会への土地収用法改悪案提出に対する反撃の第一弾として、戦闘を貫徹したことである。
 土地収用法改悪は、政府による土地強奪を容易にし、手続きを迅速に行うようにするばかりか、「一坪共有地」運動による抵抗の手段を奪い取ろうとするものである。
 これこそ、有事立法の先取りであり、人民的権利を根こそぎ奪い取ろうとする改憲攻撃そのものである。没落帝国主義に転落する日帝の朝鮮・中国−アジア侵略戦争攻撃そのものである。二〇〇一年決戦に土地収用法改悪絶対阻止を掲げて、総決起しよう。
 第三に、分裂カクマルの完全打倒へ向けた戦闘としてかちとったことである。
 黒田・カクマルと松崎・JR総連の分裂と対立は、いよいよ抜き差しならぬ局面へと入りつつある。この分裂・対立こそ、カクマルの総破産の序曲だ。現代のナチス=ファシスト・カクマル完全打倒の絶好のチャンス到来だ。革命軍は、今こそカクマル完全打倒の最先頭で闘う。二〇〇一年決戦勝利へ、ともに闘おう。

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週刊『前進』(1992号8面4)

国会開会に反撃 反戦共同

反動国会開会日の1月31日、反戦共同行動委員会は緊急の弾劾闘争に決起した。午前8時、地価的国会議事堂前駅と永田町駅でビラまきを行った。けしば誠一杉並区議と長谷川英憲都革新代表が駆けつけた。その後、銀座マリオン前でKSD汚職など腐りきった森内閣打倒を訴える街頭宣伝を行った。

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