ZENSHIN 2001/03/12(No1996 p08)

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週刊『前進』(1996号1面1)

革共同の3月アピール 「つくる会」教科書粉砕せよ
アジア人民の怒りの決起と連帯し森政権とファシスト石原の打倒へ
 3・11革共同集会に全力結集を 

 新たな段階に突入した世界情勢の急進展は、六月都議選−七月参院選をかつてなく重大な一大政治決戦に押し上げた。世界危機の爆発、日米争闘戦のかつてない激化の中で根底的な体制的危機に突入した日本帝国主義は、侵略戦争国家化=改憲攻撃に全面的に打って出てきている。その一切を教育改革攻撃に据えて超反動的な踏み切りをしている。日帝・森政権は、ファシスト石原を先兵に、日帝の朝鮮および台湾植民地支配・アジア侵略戦争・対米戦争・沖縄戦を美化し、科学と真理を否定し、「皇国史観教科書」を強制していく攻撃に踏み切った。それは、労働者人民の生活を破壊する一大資本攻勢と一体のものである。闘うアジア人民と連帯し、労働者人民の怒りの先頭に立って闘おう。全党の三月総決起をもって都議選勝利=けしば誠一氏当選を切り開こう。

 第1章 世界大恐慌が本格化し戦争へと進む帝国主義

 二十一世紀は、冒頭からただならぬ世界情勢の到来を告げている。
 世界経済の一切の動向に影響を与える米経済は、確実にバブル大崩壊の過程にある。米ナスダック総合指数は二月二十八日、九八年末以来の最安値を記録した。米連邦準備制度理事会(FRB)のファーガソン副議長は二月二十七日、米景気の現状について「最近のデータから見て深刻な減速が起きている」と発言している。年頭からの二度にわたる利下げも効果なく、米経済は決定的な転落の過程に突入し始めた。実際に実体経済が急角度で降下している。
 米ハイテク企業の業績悪化が一段と顕著になった。米景気の急減速が明らかとなった昨年十二月に業績見通しの下方修正発表が相次ぎ、二月に「第二次」ともいえる下方修正発表が行われた。米国の実質国内総生産(GDP)成長率は、昨年四|六月期の五・六%から同十|十二月期には一・一%まで落ち込んだ。製造業の景況感総合指数は昨年初めから低下傾向を示していたが、全米購買部協会(NAPM)の非製造業景況感総合指数が一月に急落を示した。「米経済が本格的な景気後退に陥るかどうかは非製造業の落ち込み方次第」と見られていたが、それが現実となっている。景気減速が遅れて現れることが多い労働市場でも、製造業での激しい落ち込みだけでなく、ほぼ全業種で需要後退が起こっている。
 米経済の景気急降下は、IT(情報技術)関連の工場の集積が進んだ現在の構造の中で、アジア経済の急速な減速へと連動している。それが日本経済を直撃している。米帝経済危機、日帝経済危機の爆発は、世界経済の分裂化・ブロック化を一挙に促進させ、それがまた二九年型世界大恐慌過程をより激化させる。
 今や米経済についての一切の楽観論は消え失せた。革共同が一貫して指摘してきたことが現実となろうとしている。
 帝国主義経済の恐慌の爆発は結局は戦争に行き着く。この帝国主義・資本主義の解決不可能な矛盾、反労働者性、反人民性が否定しようもなく明らかとなってきた。米帝ブッシュ政権によるイラク侵略爆撃、それと同時に起こった米原潜グリーンビルによる水産高実習船えひめ丸の衝突・沈没事件は、帝国主義の本性を示している。ブッシュ政権は発足一カ月で大規模な軍事行動を開始した。米英のイラク侵略爆撃は、帝国主義とは何かを鮮明に突き出している。
 ブッシュは、イラク爆撃でG7(主要七カ国財務相・中央銀行総裁会議)の討議が米経済問題に向かうことを阻止し、逆に日帝に金融システムの構造改革を突きつけた。イラク爆撃は、対中国・朝鮮の戦争重圧政策であり、日帝のアジア勢力圏化を粉砕する攻撃でもあった。米帝は軍事を争闘戦の武器としているのだ。
 米原潜事件は侵略戦争前夜情勢が引き起こしたものである。それは、米軍犯罪の極致、帝国主義の軍隊の反人民性の極致を示している。
 こうした中で、沖縄で米兵による事件が続発している。日米安保の矛盾が極限化し、地位協定改定問題が焦点化している。沖縄の労働者人民の怒りと危機感は沸騰点に達している。怒りをともにし、闘いの先頭に立たなければならない。
 帝国主義が世界大恐慌の本格化に突き進んでいる中で、帝国主義の侵略戦争はますます激化しようとしている。この帝国主義を打倒する情勢が二十一世紀冒頭から始まっている。実際に全世界で人民の決起が開始されている。
 南朝鮮・韓国の階級闘争は、プロレタリアートとブルジョアジーの本格的な激突として闘われている。整理解雇制度が導入されて以降最大規模の千七百五十人の整理解雇攻撃を受けている大宇自動車の労働者が、二月十六日からストライキ・工場占拠に立ち上がった。これに対して二月十九日に機動隊が突入し、激しい闘いとなっている。
 日本の労働者人民責任は重大である。この情勢は米日帝の朝鮮・中国侵略戦争情勢を不可避的に激化させる。沖縄情勢を激化させる。排外主義と対決し、闘うアジア人民・在日アジア人民との国際主義的連帯を貫いて闘うことが求められている。

 危機と腐敗と超反動森自民党政権を倒せ

 こうした中で、日帝・森政権は自滅的な動揺と混迷をますます深めている。日帝は未曽有(みぞう)の政治危機、体制的危機に突入した。
 日帝経済は、九七|九八年を上回る金融危機を爆発させ、恐慌の再激化に突入している。三月一日、日経平均株価は終値でバブル崩壊後最安値を更新した。日米株価安に加えて、実体経済は急速に落ち込んでいる。日銀は二月二十八日、金利をさらに引き下げた。
 経済産業省が二月二十八日に発表した一月の鉱工業生産指数は前月比三・九%低下した。九三年三月と並ぶ過去最大の下げ幅だ。米経済の恐慌的危機が日帝経済を直撃している。
 二〇〇〇年の倒産の負債総額は戦後最大である。不況型倒産が全体の四分の三を占めている。また二〇〇〇年九月時点での銀行の問題債権=実質不良債権は、総額六十四兆円で、昨年三月時点より〇・八%増加した。問題債権は総与信額の一二%を占めている。
 財務省が一月三十一日に発表した「財政の中期展望」によると、二〇〇四年には国債依存度が四〇%を超え、国債残高はGDPの九〇%に迫る。これは国家的破産状態そのものである。
 この中で森政権はますます危機をさらけだし、支持率は六%内外に急落した。求められているのは、森政権を打倒する労働者人民の大衆的決起とそれをとおした参院選・都議選決戦の勝利である。
 森自民党のKSD政界汚職、政府機密費疑惑、米原潜事件への無神経な対応、四千万円ゴルフ会員権問題は、あまりにも許しがたい事態である。

 国鉄決戦勝利と春闘の爆発へ闘いぬこう

 この腐敗しきった政権・政党が教育改革と改憲を強行しようとしている。一切は改憲阻止、教育改革粉砕、戦争国家化阻止を軸に都議選の勝利、けしば誠一氏の当選をかちとることにかかっている。
 一方、日米帝国主義の争闘戦の新段階の中で、日経連「労問研報告」のもと、日帝ブルジョアジーは一大資本攻勢を激化させている。今国会にJR完全民営化法案が提出され、国労解体、国鉄労働運動解体の攻撃が激化している。
 国労本部は、国鉄闘争の解体をもくろむ国家権力に屈服した。一・二七国労大会で機動隊を導入して強行された「四党合意」承認を断じて認めることはできない。これこそ、闘争団を切り捨てるためには手段を選ばないやり方だ。
 高嶋・寺内新執行部は、二月十三日の闘争団全国連絡会議で許しがたい全面屈服の発言を行った。不当労働行為の訴訟を取り下げ、「解雇撤回・地元JR復帰」要求も放棄するというのだ。
8面へつづく〜1面からつづく
 それは闘争団―千四十七人の切り捨てと同義だ。さらに国家的不当労働行為はなかったとするILO(国際労働機関)勧告(第二次)で百万署名運動をやらせるという。これは「四党合意」推進運動であり、断じて許してはならない。
 それは労働組合の階級的原則を放棄し、資本の奴隷になることを意味している。国労の変質・解体、JR連合への移行をもくろむものである。戦争・恐慌・大失業の本格的時代に突入する中で、労働者を街頭へほうり出し、戦争への道に駆り出す水先案内人である高嶋・寺内反動執行部を絶対に打倒して前進しよう。
 これは「ニューフロンティア21」―第二の分割・民営化攻撃との闘いと一体の闘いである。
 一・二七大会以降の情勢は大分岐・大流動情勢にある。これは労働運動全体の再編情勢でもある。いよいよ動労千葉を先頭とする十一月労働者集会陣形が全責任をとる段階へ突入した。春闘を闘い、「労働組合の防衛と階級的再生」をかちとるために総決起しよう。

 第2章 森・石原の「教育改革」は改憲=戦争の大攻撃だ

 二〇〇一年は日帝森政権打倒・教育改革粉砕の一大階級決戦の年となった。都議選決戦は森・石原の教育改革攻撃との全面的激突の場である。教育問題が戦争国家化=改憲をめぐる階級攻防の最大の焦点となり、教育労働運動の解体か防衛かが最大の激突点となったのだ。改憲阻止決戦が教育改革粉砕決戦に絞られる形で階級決戦が到来したのである。
 当面する教育改革粉砕決戦の柱は、今国会に提出された教育改革六法案粉砕の闘い、「新しい歴史教科書をつくる会」作成の中学校「歴史」「公民」の新教科書を検定通過・採用させようとする攻撃との闘いと、「日の丸・君が代」強制反対の卒・入学式闘争である。
 文部科学省は一月二十五日、「二十一世紀教育新生プラン」を打ち出し、徴兵制の布石としての奉仕活動の推進、エリート養成のための能力主義の強化、資本に奉仕する教育、闘う教育労働者の「不適格教員」としての免職・転職制度などを内容とする全面的な攻撃に打って出てきている。それを教育改革六法案(学校教育法、社会教育法、地方教育行政法、義務教育定数標準法、国立学校設置法、独立行政法人公立オリンピック記念青少年総合センター法の改悪)をもって突破する大攻撃に出てきている。

 侵略肯定と皇国史観こんな教科書許すな

 現在、二〇〇二年四月から使われる中学校新教科書の検定作業が行われているが、「新しい歴史教科書をつくる会」(つくる会)の「歴史」と「公民」教科書の問題はとてつもなく重大である。「つくる会」教科書を絶対阻止することが改憲阻止・教育改革粉砕決戦の環である。
 (1)「つくる会」の歴史教科書は、その冒頭で「歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公正を裁いたり、告発したりすることと同じではない」として「歴史は科学ではない」と言い切っている。そして「歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことなのである」と公言している。
 これはいったいどういうことか。かつての戦争において日本人は、アジアの民衆を蔑視(べっし)し、彼らの言語や生活や命を奪っていったことを当然と思い、日本を優れた民族だと思っていた――それを「学ぶ」と言っているのだ。
 日本の行った侵略戦争を「大東亜戦争」と呼び、「これは、数百年にわたる白人の植民地支配にあえいでいた、現地の人々の協力があってこその勝利だった。この日本の緒戦の勝利は、東南アジアやインドの人々、さらにはアフリカの人々にまで独立への夢と勇気を育んだ」と、アジア解放のための戦争だったと美化している。その一方で日本軍軍隊慰安婦政策や中国人・朝鮮人強制連行の事実にはまったく触れていない。南京大虐殺について「戦争中だから何がしかの殺害があったとしてもホロコーストのようなものではない」と許しがたい肯定を行っている。また沖縄戦とそこでの日本軍による沖縄人民への差別と虐殺と集団自決の強制を完全に消し去っている。
 さらに、「(韓国併合は)東アジアを安定させる政策として欧米列強から支持されたものであった。韓国併合は、日本の安全と満州(ママ)の権益を防衛するには必要であったが、経済的にも政治的にも、必ずしも利益をもたらさなかった。ただ、それが実行された当時としては、国際関係の原則にのっとり、合法的に行われた」と韓国併合を賛美する許しがたいものである。
 そして、現憲法を「おしつけ憲法」として否定し、教育勅語の全文を掲載し、賛美し、憲法と教育基本法を完全に否定し去っている。日本を「天皇中心の神の国」とする歴史観を満展開させている。
 (2)「つくる会」の公民教科書は、「公民」とは、「『私』の権利を主張し、『私』の利益を追求し、『私』の欲望を満たそうとする」市民に対して「社会のルールを守り、社会生活を改善し、社会を外敵から守る」存在であると規定している。そして「人間社会には、そうした価値の実現のためには、生命を犠牲にしなければならない場合もある」として、「国民の義務」として「国家に対する忠誠」と「国防」を前面に出している。
 この「つくる会」の「歴史」「公民」は、朝鮮・中国―アジアへの新たな侵略戦争を扇動するものであり、改憲を目的とするものである。
 当然にも、朝鮮、中国を始めとしてアジア各国の人民から怒りの抗議がわき上がっている。日本プロレタリアート人民の国際主義の真価をかけて、この教科書を絶対に粉砕しなければならない。
 また石原都知事が教科書攻撃のファシスト的突撃隊として登場している。
 ファシスト石原と東京都教育委員会は、一月に都の教育目標を大改定し、「わが国の歴史や文化を尊重し国際社会に生きる日本人の育成」を打ち出した。そして二月八日、都の横山教育長は「教科書採択事務の改善について」という通知を出し、「わが国の文化と伝統の特色を広い視野に立って考えると共に、わが国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」観点から「教科書を選定すべし」として、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書の採用を実質的に宣言した。併せて学校票制度や教育委員会の下部機関による絞り込みの禁止を打ち出した。
 石原は九日の記者会見で「日本の歴史の悪いことばかり誇張して取り上げて、この国の歴史に愛着を持てないという相対的な印象しか与えないような教科書は好ましくない」と発言した。しかも「教科書は、教育委員会の権限で決めることになっているのに、現実には教職員の投票などで左右される事例が多々見られた。これは自然な好ましい姿ではない」と、現場教員の排除を打ち出し、反動教科書採択の意図を露骨に表明している。
 教科書攻撃は戦後教育全体をひっくり返す攻撃である。教育改革決戦のすべての領域にかかわる大問題であり、その最も中心的な内容をなしている。都議選決戦と五・二七闘争の柱に据えて闘おう。
 第二次大戦への反省を放棄し、日本の文化・伝統・歴史を強調して、真理と科学を否定し、神話から始まる「神の国」思想を押しつけ、公教育の理念を否定し、エリート育成と資本に奉仕する労働者養成の道を認めてはならない。
 それはまた、「教え子を再び戦場に送るな」の思想と運動をたたきつぶす攻撃である。それは、子どもたちが日帝の侵略戦争の担い手にされていくことを意味する。そしてこの教科書で授業をきちんとやることを教員に迫り、やらない教員には「不適格教員」の烙印(らくいん)を押して排除していく攻撃である。
 要するに、侵略と戦争を担う人間にすっかりにつくり変える攻撃である。これこそ戦争国家の核心だ。
 「つくる会」は昨秋以来、地方議会への請願運動を展開しており、各地で推進派と反対派がともに集会をもち、ぶつかり合う状況が生じている。
 杉並は教科書をめぐる攻防の最先端にある。昨年十一月の反動的な教育委員の任命強行との闘いは大変重要であった。その地平に立ち、山田区長の「つくる会」教科書採択策動を粉砕しよう。
 いまひとつの決定的な環として杉並区の学校給食民間委託化攻撃に対する渾身(こんしん)の反撃が開始されている。なんとしても勝利しよう。
 さらに「日の丸・君が代」の卒・入学式闘争を原則的闘争として貫徹しよう。

 第3章 改憲阻止・教育改革粉砕を軸に都議選の勝利へ

 都議選決戦に絶対勝利しなければならない。
 第一に、日帝の体制的危機への突入の中で都議選決戦は、日本の進路を決するような政治決戦となった。
 都議選の勝敗が情勢を決する。日帝は完全に体制的に行き詰まり、にっちもさっちもいかない閉塞(へいそく)状態に陥っている。戦争か革命かが問題となっているのだ。だからこそ改憲阻止決戦であり、教育改革との全面激突なのだ。
 問題は、ファシスト石原と革命党派のいずれがヘゲモニーを握るかということである。都議選での勝利と革共同の党としての登場が、歴史を決する要素となったのである。都議選の勝利に日本革命の展望がかかっているのである。
 第二に、帝国主義の激しい攻撃が人民の生活を破壊し、ひいては命の保障さえ奪われ、汗水流して生涯働いてきた高齢者が「邪魔者」扱いされて切り捨てられようとしている時、怒りを充満させている労働者人民の利益を守る政治勢力として、われわれが党として、現実にプロレタリアート人民に分かる存在として登場することが求められているということである。そうでなければ絶望しかない。歴史に間に合わなければならない。
 この間の杉並での闘いは、われわれの方針の有効性をはっきりと示しつつある。労働者人民の利益を守る唯一のあり方とは、改憲阻止を軸とする「いのち・くらし・福祉・教育・平和」の原則的階級的立場に立つことである。怒りにうち震える労働者人民の先頭に立って決起しよう。
 第三に、街頭の地熱が日に日に高まっていることである。街頭闘争はひとつの重要な革命的大衆行動である。ファシストの特徴は直接的な大衆の扇動である。ここで勝利すること、街頭での大衆獲得戦で勝利することが、ファシスト石原に勝利するかぎをなしている。
 街頭宣伝への労働者人民の反応は、その政治的関心の高さを示しているが、無党派層も「反自民」ということだけでは動かない。そこには政治への激しい不信感が渦巻いているからである。だが、帝国主義の底なしの腐敗を見せつけられ、一大資本攻勢のもとで生活を破壊され、戦争の危機を鋭く感じる民衆は、明らかに激しい怒りと危機感を燃え立たせている。民衆は自分たちの怒りと苦しみを共有し、ともに闘う議員を求めている。
 求められていることは、闘う「魅力ある党派」の登場である。すべてを変える新しいものが出てくることが望まれている。階級的立場を体現し、真の労働者人民の道を示す力ある党の登場を実現することだ。われわれが新しい理念と行動原理をもつ労働者政党であり、大衆的運動体であることを示さなければならない。
 都議選勝利のために三月決戦に総蜂起しよう。街頭での闘いをさらに強化しよう。この三月の全党の渾身の蜂起が都議選決戦の勝敗を決するのだ。
 超長期獄中同志奪還の闘いは最大の決戦局面を迎えた。「無実の四人を直ちに保釈せよ」「未決勾留十四年は人権侵害だ」「東京地裁は獄外医療を認めよ」の闘いを爆発させ、須賀同志を始め四同志を絶対奪還するために総決起しよう! 十万人保釈署名運動を絶対貫徹しよう。
 党勢倍増構想を大胆な一年―三年計画として確立し、機関紙拡大闘争をテコに政治討議、学習会活動を強力に推進し、都議選決戦の中で断固として増勢闘争に打って出よう。
 都議選必勝のための選挙資金闘争に勝利しよう。
 都議選勝利の総決起大会、三・一一革共同政治集会に結集しよう。革共同に結集せよ。
 三・二五三里塚現地闘争に決起せよ。

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週刊『前進』(1996号1面2)

迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判 3同志が怒りの意見 “今すぐ私たちの保釈を”

 迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判の第一五一回公判が二月二十三日、東京地裁刑事第一一部(木口信之裁判長)で行われた。
 弁護団が昨年十一月六日に保釈請求しているにもかかわらず、いまだに木口裁判長は決定を出していない。「十四年もの超長期勾留を許すな」と、多くの人が傍聴に駆けつけた。
 裁判の冒頭、須賀武敏同志が激しい怒りを込めて意見を陳述した。
 「医療鑑定の実施日が三月一日に決まったそうだが、決定してから実施まで一カ月近くもかかっているのは許せない。昨年のヘルニアに関する医療鑑定で、鑑定医は『考えられないような筋委縮が起きている。リハビリが必要だ』と言った。にもかかわらず東京地裁は保釈を却下し、しかも東京拘置所はリハビリの機会を保障しない。私が野外で運動できたのは、この三年間に九十日だけだ。今回もこのようなアリバイだけの鑑定なら絶対に許されない。私を入院させ、獄外での治療を認めろ」
 続いて、板垣同志が「福岡の判事と検事の腐敗した癒着が明るみに出ている。この法廷でも検察と裁判官の仲良しシステムがまかり通っている。十四年という異様な長期勾留がそうだ。特に須賀さんの一切の自由を奪っておいて、病気になってもまともな検査もしない。これでは緩慢な死刑ではないか」と追及した。
 十亀同志も同様に「福岡地裁の判事は検事とグルになって身内の犯罪を隠すために証拠隠滅している。身内の勾留には一日だって耐えられないからだ。一方私たちは、十三年を超え、四千八百日も勾留されている。多くの人びとが十四年という未決勾留に驚きの声を上げている。木口裁判長が今すぐ保釈を決定するように要求する」と述べた。
 駆けつけた傍聴人は、三同志の火の出るような叫びに心を打たれた。東京地裁による人権侵害への怒りが渦巻いた。
 次に、木口裁判長が、一九八六年に三同志とともに岩手借家で逮捕されながら、転向・屈服した幅田敏昭の「証人」採用を決定したことに、三同志と弁護人が異議をたたきつけた。
 裁判の当初から三同志と弁護団は、検察が幅田を「共謀立証の切り札」にしているならば幅田を最初から調べてみろと要求し続けてきた。ところが検察は、関連性のない「立証」を十三年間も延々と続け、今ごろになって幅田を「証人」として出してきたのだ。しかも検察が開示した幅田のデッチあげ「供述調書」には、横田基地と迎賓館へのロケット弾戦闘が行われたのが一九八六年四月と五月であるにもかかわらず、八六年八月以後の記載しかない。両戦闘に関連する事柄など一切ない。その上で検察が十数通の「調書」を隠していることも判明した。
 このような幅田を「証人」採用することなど断じて許せない。ところが木口裁判長は、三同志と弁護団の怒りの異議を認めず、次回公判での幅田の「証人」尋問を強引に決定した。
 午後から公判が再開されたが、須賀同志は腰痛と体調悪化のため、今回も午後の公判には出廷することができない。こんな異様な状態が三年間(二十七回連続)も続いている。
 証人は、警視庁公安機動捜査隊の鈴村寿久である。鈴村はデッチあげ捜査の張本人で、今回は「信管」など五通の実況見分調書を作成したという。ところが、弁護人の反対尋問によって、寸法の記載が間違っていたり、個数の違いが指摘されたり、ゲリラ戦闘の発生年を間違って証言するなど、デタラメ極まりない実態が暴き出された。
 十三年も裁判を続けてきた検察は、何か三同志の「実行行為」をデッチあげることができたのか。一切できていない。検察側立証は完全に破綻(はたん)しているのだ。
 いよいよ裁判は最大最高の決戦局面を迎えた。次回公判に総結集し、裏切り者・幅田「証人」を粉砕しよう。全党総決起で十四年という前代未聞の超長期勾留を打ち破り、三同志の保釈・奪還を絶対にかちとろう。都議選決戦に死力を尽くそう。

公判闘争日程

▼3同志の裁判
3月16日(金)10時 東京地裁
▼福嶋同志の裁判
3月7日(水)13時15分 東京地裁
3月23日(金)13時15分 東京地裁

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週刊『前進』(1996号1面3)

3・25三里塚集会へ 反対同盟が招請状

 三里塚芝山連合空港反対同盟が三・二五現地闘争への招請状を発した。暫定滑走路粉砕、土地収用法改悪阻止へ、三里塚現地に大結集しよう。(編集局)

 ◇招請状
 全国の闘う仲間のみなさん。
 自公保連立内閣は暫定滑走路工事をやみくもに強行する一方、建設省(国土交通省)が昨年来準備してきた土地収用法の「改正」を今国会で強行しようとしています。反対同盟は法改悪阻止の国会デモ(2・28)に決起するとともに、三月二十五日に三里塚現地で全国集会を開催します。総決起を呼びかけます。
 土地収用法の改正の目的は、公共事業に反対する住民運動の禁圧です。地権者の合意が得られない場合の土地収用を迅速に処理するためとして、収用委審理の場における事業認定違法の訴えを禁止し、一坪共有運動や立木トラストなどの抵抗手段を封じることを「改正」内容としています。住民の権利を踏みにじる土地収用制度を、より強権的な収用制度に仕上げる最悪の法改悪です。
 周知のとおり三里塚闘争は激しい実力抵抗闘争を闘う一方、収用手続きに対して一坪運動と収用委審理闘争で対抗し、事業認定を失効にまで追い込みました。これは人民が闘いとったすばらしい地平であり現在多くの住民運動で引き継がれています。また、米軍用地特措法下の沖縄では、一坪反戦運動と収用委審理が基地撤去の闘いです。土地収用法改悪はこれらの闘いの一切を封じこめようとする大攻撃です。この改悪の先には有事法制・改憲と戦時土地徴発があることは明らかです。三里塚、沖縄はもとより全国の住民運動の総力をもって粉砕したいと思います。
 暫定滑走路は工事が進むにつれてその破綻(はたん)が誰にもわかるかたちで現れてきました。
 着陸帯の整地状況からして、東峰神社の立木が航空機の進入表面を突き出すことは確実です。立木を伐採しなければ、二一八〇メートルに縮小された暫定滑走路はさらに運用面で短くすることを強いられます。また、団結街道によって誘導路が滑走路に食い込むように曲げられることが市東孝雄宅の監視台から一目瞭然(りょうぜん)です。立木の伐採と団結街道の廃止攻撃は不可避です。許してはなりません。
 さらに、国土交通省と空港公団、千葉県、成田市など周辺自治体、航空・旅行会社と学識経験者が、国内線需要喚起のための検討会を発足させました。これは民家上空四〇メートルのジェット飛行と誘導路自走騒音で住民に移転を迫る追い出し運動です。断じて見過ごすわけにはいきません。
 インド西部大地震の被災者支援に名を借りて、航空自衛隊小牧基地所属のC130輸送機六機が成田空港を軍事使用しました。成田軍事化のための重大な踏み込みです。また、防衛庁が大手航空三社に対して米国防総省が定める輸送資格を取得するように要請したことは、米軍部隊や武器・弾薬の輸送を民間機が担うことで民間空港の軍事化を進める重大な動きです。徹底弾劾するとともに、軍事空港建設粉砕に総決起する決意です。
 KSD汚職、機密費横領事件など腐敗が次々に明らかになるなか、連立与党は危機乗り切りをかけた国会運営に突進しています。土地収用法改悪、教育改革六法案、PKF(国連平和維持軍)参加凍結の解除の強行、有事立法・改憲攻撃と、いずれも歴史の歯車を逆にまわすものばかりです。三・二五全国集会は、暫定滑走路阻止の実力闘争を宣言するとともに、これらの攻撃を総力でうち破るための総決起集会です。大結集を訴えます。
 二〇〇一年二月二十四日

 記

【集会名称】
成田空港暫定滑走路粉砕、土地収用法改悪阻止
軍事空港建設粉砕
3・25全国総決起集会
【日時】3月25日(日)正午
【会場】成田市天神峰・反対同盟員所有地
【主催】三里塚芝山連合空港反対同盟

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週刊『前進』(1996号2面1)

教育基本法改悪阻止へ共同戦線築け
改憲と戦争へ中央突破策す「教育改革」攻撃を打ち砕こう
 「日の丸・君が代」許さぬ不屈の闘いへ
 東山整一

 一九九九年八月の国旗・国歌法の成立、二〇〇〇年十二月の教育改革国民会議の報告、二〇〇一年一月の文部科学省「二十一世紀教育新生プラン」の発表、さらに今通常国会における学校教育法改悪など教育改革関連六法案の提出を経て、これらを露払いとしながら日帝国家権力はついに戦後教育の法的根幹をなす教育基本法の改悪に踏み出そうとしている。上記「新生プラン」の冒頭で文相の町村信孝は、「教育基本法の見直し」を「中央教育審議会に諮問し取り組みを進める」とした上で、「新世紀が始まる本年を『教育新生元年』と位置づけ、改革を果断に実行し、教育改革を一大国民運動として展開していきたい」と豪語している。教育闘争が、歴史の剣が峰における日本階級闘争の決定的焦点に押し上げられてきた。事態は急を告げている。町村、中曽根らが呼号する「一大国民運動」、文科省、教育委員会、自民党、石原都知事、新旧右翼、地域反動、そして産経新聞などの集中砲火と対決して、教育労働者の学校現場における闘いを基軸に、当事者である子どもたち、保護者との連携を強め、これを押し包む全産別の労働者、部落大衆、全国の市民、学生、宗教者、知識人などを総結集する全人民的な闘争態勢の構築を急がなくてはならない。

 侵略戦争への「子どもと精神の動員」を狙う

 初めに、この闘いの歴史的・階級的性格について三点を強調したい。
 第一に、最も重要なことは、今回のいわゆる教育改革、とりわけ教育基本法改悪は、憲法改悪の策動と一体不可分であり、その第一歩としてあるということだ。いや第一歩などという言い方では弱すぎる。ある意味では中央突破の攻撃だ。中曽根は「教育基本法を改正して、その内容どおりに憲法をもっていく。それが順序として具体的に改革を展開していく力になる」と言っている。
 改憲は言うまでもなく戦後体制が国内外で最後的破産をとげる中で、安保と経済成長の上に惰眠をむさぼってきた戦後国家を、戦争と恐慌と革命の危機に備えた国家に再構築しようとする攻撃である。ここに向けた二つの水路として今、有事立法と教育基本法改悪の攻撃がかけられている。
 前者が戦争に向けて「ヒトとモノを動員」する攻撃であるとすれば、後者は「子どもと精神を動員」する攻撃と言える。それは戦後憲法の個々の条項を超えて、いわばその全体を支え貫いてきた戦後精神・理念(もちろん無条件に賛美できるものではないのだが)を徹底的に解体・清算しようとする攻撃なのである。
 有事立法と教基法改悪にさしたる闘いを対置することもできなければ、その後に残った憲法など、外堀と内堀を埋められた、裸で脱け殻の天守閣にすぎなくなる。改憲阻止決戦を改憲阻止決戦たらしめることができるか否かが、今この教育をめぐる鋭い攻防の中に問われているのだ。

 戦争と大失業の時代の国家戦略

 第二に、同じことであるが、この教育攻撃は戦争と大失業の時代に対応した国家戦略、国家支配のかなめをなす攻撃としてある。今回の教育改革攻撃のイデオロギー的核心は、一方における徹底した国家主義・天皇主義、他方における限度を超えた能力主義・市場原理主義、両者のグロテスクな組み合わせにある。
 これは国民会議報告、新生プランをとおしてさまざまに表現されているが、より露骨には、これらの下敷きにもなったと思われる「二十一世紀日本の構想」懇談会報告(二〇〇〇年一月)の当該箇所において、「教育のもつ二面性」として「教育の国家的な運営と市場的な運営」「統治行為としての教育とサービスとしての教育」などとして表現されている。
 その目的は多数の最も従順な労働力資源(直ちに兵力に転化しうる)と少数の最も「優秀な」頭脳資源(超エリート集団)を確保することにある。グローバリゼーションとIT化と大恐慌の荒波の中で、争闘戦に勝ちぬき、戦争を準備し、国家支配を維持するための没落帝国主義の死活的課題がここにある。
 言い換えればこの教育攻撃は、九六年の安保再定義、九七年の新ガイドライン、九九年の同関連法と続く戦争国家づくりをめぐる攻防(その最先端に位置する沖縄闘争)と、九五年日経連プロジェクト報告「新時代の『日本的経営』」を画期とする賃金破壊、雇用破壊と労働基本権解体、階級支配の転換をめぐる攻防(その最先端に位置する国鉄闘争)という二つの流れが交差するところでかけられた攻撃であり、これらの闘いを真に改憲阻止決戦につなげることができるか否かをかけた闘いだということである。

 全人民的、国際的に闘い爆発する

 第三に強調したいのは、この闘いはいずれにせよ必ず爆発するということだ。敵は居丈高に攻めかかっている。一方、闘いは大きく立ち遅れている。主な要因は日教組中央の屈服にある。だが闘いはこれからだ。
 今回の攻撃の重要な一環として教科書問題があるが、例えば歴史の歯車を百年も逆戻りさせるような「歴史修正主義者(リビジョニスト)」と称するヤマ師らが作った歴史教科書を文部科学省は合格させるという。だが、国内では教科書会社とマスコミに圧力をかけ、人民に隠れた密室でいかに悪巧みを進めようと、すでに韓国、中国、台湾などでは政府が対日的に動かざるをえないところにまで人民の怒りが沸騰し、大政治問題化している。このアジア人民の怒りは必ず日本人民の魂に火をつける。「軍隊慰安婦」と「南京大虐殺」と「沖縄戦」、「韓国併合」と「大東亜戦争」を正当化する教科書の登場は、必ず日本、中国、朝鮮を横断する新たな反日帝闘争を呼び起こすだろう。
 さらに問題は教育反動を推進している政治家の正体だ。KSD汚職で逮捕、議員辞職した自民党の小山孝雄、その師で、参院自民党のドン、森政権の生みの親で、同じく辞職に追い込まれた村上正邦。二人はともに生長の家、神道政治連盟などを推薦母体としたゴリゴリの天皇主義者だ。
 特に小山は教育問題に熱心で、前記ヤマ師らが集う「新しい歴史教科書をつくる会」会長から「最も頼りにする国会議員」と言われてきた。実際、小山は九八年四月、参院文教委に福山市の警察官上がりの教員を参考人として呼び、質問し、広島の教育の「荒廃」を証言させるが、これこそ同年七月に文相町村(当時も)が広島に送り込んだ文部官僚辰野のもとで始まる激しい広島県教育労働運動破壊攻撃の合図だった。
 KSD汚職と教育反動−腐敗の極限と反動の極限の一体的構図がここにある。腐臭を放つ森政権と自民党政治への日本人民の怒りは臨界点を超えている。これに階級的断を下すのが六月都議選と七月参院選だ。
 教育闘争の構築と選挙闘争の勝利を切り離すことはできない。教育攻撃に凝縮して現われている腐敗と反動の一体性の暴露が、特に自民党への右からの「批判」で大衆の欲求不満をかすめとろうとする石原との闘いで重要だ。繰り返し強調するが、闘いは爆発する。必ず国際的に、全人民的に爆発する。

 「日の丸・君が代」攻防が闘いの永続的火点

 開始された攻撃は文字どおり全面的だが、ここでは攻撃のウルトラ反動的・復古的で国家主義的・権威主義的・天皇主義的な側面を象徴する「日の丸・君が代」問題と歴史教科書問題を中心にとりあげ、続いて今回の教育改革攻撃の全体像と、これに対する闘いの方向について提起したい。
 まず、ただ今現在、全国の高・中・小学校の卒・入学式でさまざまな形をとった攻防の渦中にある「日の丸・君が代」問題から見ていく。国旗・国歌法制定から二年目、産経新聞はまるで戦果報道のように各都道府県別の掲揚率と斉唱率をあげ、大半が一〇〇%に達したこと、しかしまだ九〇数%のところがあるとして、広島、国立、北海道、千葉などに対する集中的攻撃のボルテージを高めている。確かに多くの学校現場が教育委と校長の有無を言わせぬ強権発動の中で困難な闘いを強いられている。
 しかし産経のキャンペーンは、逆にこれへの抵抗があらゆる創造的形態をとって、教員・子ども・保護者の三者一体の闘いとして、また部落解放闘争の家族ぐるみの闘いとして、今年も各地で頑強に闘い継がれていることを示している。

 天皇制支配・皇民化教育のかなめ

 強調したいことは、この問題はけっしてケリがついたのではなく、今日の教育反動攻撃の中でますます重要な攻防点になっているということだ。「日の丸・君が代」の強制||ここに天皇制支配と皇民化教育の最大の支柱があり、教育闘争の永続的火点がある。
 明治維新の指導者たちは、外に西欧列強の圧力に抗し、内に幕藩体制を清算し、自由民権運動を圧殺して、近代日本国家を形成するために、近代天皇制という特異な君主制を創作した。そしてそのイデオロギー的支柱として、天皇を現人神(あらひとがみ)とする国家神道という名の疑似宗教をデッチあげた。それは宗教という形はとっているが、他の世界宗教(例えばキリスト教や仏教)などのように、何らかの教義に基づいて人の心を救済する(その善しあしは別にして)ことを目的とするのではなく、ただひたすら国家権力の威を背景に人の心の束縛・支配・服従を求めるところに最大の特徴があった。だからそこでは一連の儀式が何よりも重視され、そこでの共同体への集団的・絶対的服従が求められた。そのための小道具が「日の丸」であり「君が代」であり御真影であり教育勅語であった。そしてこれに対する起立、敬礼、斉唱、奉読等々が、共同体の成員であることのあかしであった。

 柔軟で創意的な不屈の闘いを

 「日の丸・君が代」の強制が憲法第一九条の「良心の自由」の侵害であることは明白だ。だがこの攻撃に「良心の自由」を対置するだけで勝てるのか。天皇制教育のもとで育った戦前・戦中の青年の少なくない部分が、最後まで天皇制と戦争に疑問と批判をもちながら戦場で死んでいったことをわれわれは知っている。だがこれらの良心は、われわれに「わだつみの声」を伝えたことを除けば、はっきり言って何の役にも立たなかったのだ。
 「日の丸・君が代」という「現代の踏み絵」を拒否した時に跳ね返ってくる言葉は昔も今も変わらない。いわく「不適格教員」、いわく「問題児」、いわく「非国民」、いわく「売国奴」、いわく「朝鮮に帰れ」! 要するに共同体から出ていけということだ。われわれにはこのような攻撃(しばしば暴力と結合した)に屈しない思想・精神の強さが求められている。そしてこれに基づく行動、あらゆる手段を尽くした、柔軟で多様で創意的で不屈の行動を、今直ちにあらゆるところから開始することが求められている。そうすれば仲間が見えてくる。団結がよみがえる。それが不屈の精神を支える。自分の良心を守っていればそれでよいのではない。改憲と戦争の一里塚・教育反動攻撃と対決し、このような共同体を内側から食い破る全人民的な共同戦線を必ずつくり上げなくてはならない。

 「教科書」に古色蒼然の皇国史観が再登場

 次に教科書問題だが、藤岡信勝、西尾幹二など大学教授の肩書きをもつゴロツキどもの「つくる会」主導の中学歴史教科書(産経新聞社系の扶桑社発行)の驚くべき中身である。
 韓国併合を「東アジアを安定させる政策として欧米列強から支持された」「日本の安全と満州の権益を防衛するには必要だった」と正当化し、「満州国」は「中国大陸において初めての近代的法治国家を目指した」と美化し、「大東亜戦争の初期の勝利」は「数百年にわたる白人の植民地支配にあえいでいた現地の人々の協力もあってこその勝利」と称揚し、特攻隊を「米軍の将兵はこれにパニックに近いおそれを感じ、のちに尊敬の念すらいだいた」と賛美する教科書が、戦後五十数年を経て、今登場してきたことをまず直視したい。
 「日本人の誇り」を取り戻すことに性急な筆者の、「縄文文明は四大文明に先がけて一万年以上続いた」とか「仁徳天皇陵の底辺部はクフ王のピラミッドの底辺部より大きかった」などというヨタ話までくると、怒りより笑いがこみ上げてくるのを抑えきれないが、しかし笑っている場合ではないだろう。
 ここまで幼稚で時代錯誤で荒唐無稽(こうとうむけい)な歴史観が、なぜ今、教科書として登場してきたのか。理由は明白だ。
 戦前・戦中の学校教育では、「国史」と呼ばれた日本史の教育が最重視された。天皇をいただく大日本帝国の世界に冠たる優越性=「八紘一宇」の精神を子どもたちにたたき込み、「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼」(教育勅語)する侵略戦争の先兵に育てるためであった。「日の丸・君が代」などを使った儀式とともに、この皇国史観に基づく歴史教育こそ、戦前の天皇制教育=国家支配の二つの支柱を形成していた。だが戦後はどうなったか。
 戦後教育を受けた者なら誰も覚えがあるように、日本史はただ幾つもある授業の一つに過ぎず、それもだいたい江戸時代ぐらいで「時間がない」から終わりが通例ではなかったか。しかしこれは時間の問題ではなく、実は戦後の日本国家には自国の子どもたちに教えられる、特に近代日本史の中身がなかったのだ。その核心にあるのは、三一年柳条湖事件に始まる十五年戦争、一八九四年日清戦争以降半世紀のアジア侵略戦争の歴史の総括の不在、とりわけそこでの天皇の戦争責任問題の不問化だった。
 こうして戦後の教科書問題では、家永訴訟などをとおして明らかになったように、文部省が検定によって「侵略」という言葉を削るとか、戦争責任問題をあいまい化させるなどの姑息(こそく)な努力を重ねるが、しかし八二年のアジア各国人民の激しい抗議以降、南京大虐殺や軍隊慰安婦問題などでも徐々に史実を反映した教科書をつくる流れができた。また自民党政治家は年中行事のように歴史に関する「妄言」を重ねるが、アジアの抗議を受けると引っ込めるという醜態を際限もなく繰り返してきた。これを一変させるのがこの二〜三年で、その頂点として「つくる会」(九七年一月設立)主導の歴史教科書が登場する。
 これが九七年九月の新ガイドライン締結を歴史的転機とする戦争国家づくりの一環であることは言うまでもない。考えてみれば当然で、いかに世界有数の軍事力を持とうと、戦争法案をつくろうと、国のために命をささげる青年を育てなければ戦争はできない。だがそこから出てきたものが、それにしてもこれほどひどいとは! 
 戦後の歴史観(まったく不十分なものだが、ともかく沖縄戦とヒロシマ・ナガサキにいたるあの戦争は間違っていたという共通の認識)に、「自虐史観」「占領史観」「東京裁判史観」などなど、あらん限りの悪罵(あくば)を投げかけ、自らは「自由主義史観」などというハイカラを気取ろうとも、その中身は古色蒼然(そうぜん)たるマンガ的な皇国史観以外の何ものでもない。だがこれしかないのだ。そしてこれが、日本帝国主義の戦争国家づくり政策の中の最大の破綻(はたん)点に転化することはまったく疑う余地のないことなのである。
 歴史観をめぐる闘いが始まった。敵にとっても、味方にとってもここが生命線になってきた。それは今が、まさに歴史の大分岐点だからだ。二十世紀の総括が、戦後五十数年の総括が、近代日本百三十数年の総括が問われている。特に教育闘争、改憲阻止闘争を闘い、勝ちぬくために、この課題を避けて通ることはできない。

 教育労働者の団結と地域を結んだ闘いを

 95年日経連報告に対応した攻撃

 教育改革国民会議報告は「教育を変える十七の提言」として出された(新生プランはそのスケジュール化)が、その骨子は大きく、@人間性豊かな日本人を育成する、A一人ひとりの才能を伸ばし、創造性に富む人間を育成する、B新しい時代の新しい学校づくり、C教育振興基本計画と教育基本法、の四ブロックに分かれている。
 そしてこの@とAが冒頭で触れた「教育の二面性」に対応している。つまり、@では、道徳教科の導入や奉仕活動の義務化、問題児の排除、有害情報の遮断など、いわゆる「統治としての教育」を列挙(これは国家が強制力をもってやる)、Aでは、一律主義を改め個性を伸ばす、記憶力偏重を改め大学入試を多様化、リーダー育成のための大学・大学院機能の強化など、いわゆる「サービスとしての教育」が強調されている(これは大きくは市場にゆだねる)。そしてこの@Aに対応した学校と教員のあり方として、「不適格教員」の排除、学校の評価制度導入、学校への組織マネジメントの発想の取り入れなどがBで語られ、さらにCで、新時代を生きる日本人の育成のための教育基本法改悪が主張されるという構図になっている。
 一言でいえばそれは、今日の教育荒廃の原因を戦後教育の平等主義・一律主義・画一主義に求め、教育の複線化・多様化・規制緩和を極限まで進めようとするものだ。そしてこのように見てくれば明らかなように、これは実は年功序列賃金制と終身雇用制を解体し、労働市場の流動化・柔軟化・規制緩和の名のもとに、労働者を管理職や技術部門などのごく一部のエリート社員と圧倒的多数の不安定雇用労働者に分け、そのことで特にハイテク分野(IT、バイオ、ナノテクノロジーなど)での国際的立ち遅れを取り戻し、他方で総額人件費を極小化して争闘戦に勝ちぬこうとした九五年日経連報告に完全に対応したものなのだ。
 同報告は直接にはもちろん労務政策として出されたが、それは直ちに戦後の企業主義的労働者支配、基幹産業労働者の「会社人間」化を軸にした階級支配の終焉(しゅうえん)を意味した。今回の教育攻撃において前面化している国家主義、天皇主義は、戦争国家づくりの一環であるとともに、この側面からも不可避とされたのである。国民会議報告は随所で、これは「偏狭な国家主義の復活を意図するものではない」とか「国家至上主義的考え方や全体主義的なものになってはならない」と繰り返しているが、語るに落ちるというほかはない。

 教育労働運動の解体攻撃許すな

 最後に闘いの方向について一言触れたい。まず、すべては教育労働運動にかかっている。五一年一月に日教組大会は「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンを採択した。これは数年前まで教え子を戦場に送ってきた教育労働者が、おのれの戦争責任を厳しく自己批判する方針であった。今から見ればさまざまな限界を指摘できるとはいえ、これは同年六月の国労新潟大会における「平和四原則」(中立・全面講和・基地撤去・再軍備反対)採択とともに、その後の日本労働運動の歴史を規定してきたと言って過言ではない。
 だから敵の教育改革攻撃は何よりもまず教労運動解体に集中している。「日の丸・君が代」を使って、さらに国労攻撃なみの「ヤミ・カラ」攻撃として。敵は「教師」が労働組合運動をやっているなどということ自体許せない。平和教育、人権教育、解放教育などが続いていること自体我慢がならない。教労運動の一掃なしに教育改革などありえないことを正しくも認識している。だがこれに広島、三重を先頭にした教育労働者の果敢な力強い反撃が始まった。なんとしてもここで勝ち、闘いを全国化しなくてはならない。
 しかしそのためにも、地域を反動に明け渡して、教育労働者が閉ざされた学校や職員会議の空間に閉じ込められていては敵に勝てない。五〇年代後半の愛媛を先頭に全国各地で火を噴いた勤評闘争がそうであったように、教育労働者の団結を基礎に、子どもと保護者を始めとする地域を味方に引きつけることをとおしてこそ、教育労働者は勝利できる。この闘いは必ず右翼と激突する。激突するような闘いなしに勝利の展望は開けない。激突の覚悟をとおしてのみ地域も獲得できる。改憲に直結する教育改革−教育基本法改悪粉砕へ、全国各地で教育労働者を先頭とした全人民的闘いへの取り組みを、直ちに全力で開始しよう。その最大の柱として都議選決戦に総決起しよう。

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週刊『前進』(1996号2面2)

資本攻勢&労働日誌 2月7日〜23日
 陸・海・空・港湾労組20団体が有事立法反対声明
 ●「隔離部屋」打破して勝利
 ●韓国大宇自動車で大争議
 ●イギリスGM工場でスト

●7日 自動車総連12組合が金属労協(IMF−JC)内トップで要求を提出、2001年春闘が幕開け。
●8日 連合の「第四次緊急雇用実態調査」中間集約結果によると、この1年間で正規従業員の減った職場が約6割に達している。
●9日 日本NCRのJMIUエヌシーアール支部組合員が、子会社への転籍を断ったため99年から「隔離部屋」勤務で仕事を取り上げられていた争議が勝利解決。
●14日 厚生労働省は2000年の賃金構造基本統計調査(都道府県別速報)を発表。男性労働者の「きまって支給する現金給与額」の最高は東京の42万9900円、最低は沖縄県の28万1100円でその差は14万8800円にものぼる。
●15日 NTT労組は中央委員会で、グループ8社への純ベア要求放棄を正式決定。業績が特に順調なドコモ、データは年度ごとの洗い替えで支給される新賃金制度の「成果賃金B」で改善要求をする方針。これはベアではない。
◇東京都は4月から職員の再任用制度(雇用延長)を導入、更新で65歳まで雇用可能に。(日経)
●16日 韓国の大宇自動車が労働者1750人に対し整理解雇を通告。労組は解雇撤回を求め、同日から全面ストライキで工場に籠城(ろうじょう)。19日警官隊が突入。
◇東日本鉄産労とJRグリーンユニオンが統一大会を開催し統合した。名称は今後、決定する。
◇私鉄労使で初めての「第一回労使協議会」が開かれた。
◇日経連の奥田会長が、1%以上のベア要求は「とうてい受け入れられない」と発言した。
●18日 人事院は「勤務成績が振るわない」などを口実に国家公務員を随時降格したり、免職したりできるようにする新たな統一基準を策定し、2002年度から実施する方針。(日経)
●20日 政府は閣議で、育児・介護休業法改定案を決めた。労基法改悪による「女子保護規定」撤廃への「激変緩和措置」が来年3月末に切れることに対応するとして準備されてきた。
◇政府は閣議で「確定給付企業年金法案」を決定。適格年金の廃止を盛り込こむなど企業救済策。
◇連合の全国一般が発表した組合員の意識調査によれば、中小労働者にとって春闘での賃上げは依然切実な課題だ。(表参照)
●21日 一昨年、新ガイドライン関連法に反対し、明治公園に5万人の労働者が集まった「ストップ戦争法! 5・21全国集会」を呼びかけた陸・海・空・港湾労組20団体が「新ガイドライン関連法(戦争法)の発動を許さず、有事立法の制定に反対する運動の強化を訴える」声明を発表した。
●23日 GM(ゼネラル・モーターズ)のイギリス子会社で工場の閉鎖計画撤回を求め、労働者9000人が全日ストを決行した。

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週刊『前進』(1996号3面1)

けしば区議の杉並区議会一般質問
 侵略賛美の「教科書」を弾劾 学校給食の民託化は許さぬ
 石原都政・山田区政を追及 介護保険自己負担額助成の成果

 二月二十二日、杉並区議会本会議で都政を革新する会のけしば誠一議員が一般質問に立った。けしば議員は九十分にわたる質疑で堂々の論陣を張り、支持率六・五%の危機にのたうつ森政権、その改憲・教育改革攻撃の先兵である石原慎太郎都知事を厳しく弾劾し、石原の同調者=杉並区政・山田宏区長を鋭く追及した。傍聴席に駆けつけた多数の区民、労働者とともに闘いぬいた、けしば議員の闘いをレポートする。

 石原擁護の山田区長断罪 “憲法破棄訴える石原の教育政策は危険だ”

 午前十時、本会議開会、けしば区議の一般質問が始まった。けしば議員の凛(りん)とした声が議場に響き、傍聴者は身を乗り出して聞き入った。(写真)
 けしば区議はまず、KSD汚職、米原子力潜水艦による水産高実習船衝突・沈没事件などに対する日帝・森政権の対応を批判、「基地・軍隊、日米安保とガイドラインは民衆の生命を脅かし、簡単に奪い去るものであることが突き出された。一方、国会の憲法調査会に参考人として登場した石原知事は自治体の首長として憲法破棄を訴えた。山田区長の見解を伺いたい」と迫った。
 さらに通常国会に提出されようとしている教育関連六法案の内容が、@奉仕活動の義務化、A能力主義の強化、B「不適格教員」の免職・転職制度などであると弾劾。石原知事が、一月一日付産経新聞のインタビューで「どうやってよい意味で周りから恐れられる国になるか、……他の子供は脱落しても構わないからすごいエリートを育てる……極めてすごい人材を作ろうと思ったら、子供の自由を束縛してもいい」と言い切ったことを紹介。「石原都政の『心の東京革命』に示された教育政策は、森政権の教育基本法改悪、教育の国家主義的統制を先導する危険な方向であるが、この点、区長の見解を伺う」と追及した。
 さらに、けしば区議は戦争賛美の教科書採択を狙う山田区長が、三人の右翼的人物を教育委員に任命しようとして、おおもめにもめた昨年十一月区議会に言及、事前公表もなしという区長独断の問題性とその意図をあらためて追及した。
 山田区長は、現在大問題になっている西尾幹二や藤岡信勝ら「新しい歴史教科書をつくる会」作成・扶桑社発行の検定申請用図書(白表紙本)を杉並区の教科書として採択させるために、右翼的な人物を教育委員として任命したのだ。
 さらにけしば議員は、都教委からの二月八日付の教育長通知の教科書の調査研究の項目で、「『……わが国の文化と伝統の特色を広い視野に立って考えさせるとともに、わが国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる』……等を最もよく踏まえている教科書を選定するなどの観点」と述べている点を指摘、「つくる会の教科書を採択せよとの通知と判断せざるを得ないが、区はどのように認識しているのか」とただした。
 そして「このつくる会の教科書は、『歴史は科学ではない』として神話の神武天皇から歴史を記述し、大日本帝国憲法と教育勅語を賛美し、戦後憲法を否定している。『日本の戦争目的は、自存自衛とアジアを欧米の支配から解放し、そして゛大東亜共栄圏″を建設することであると宣言した』と記述している」などと具体的に追及した。
 さらに「韓国併合は、日本の安全と満州の権益を防衛するために必要……国際関係の原則に則り、合法的に行われた」と朝鮮植民地支配を開き直り、南京大虐殺を否定したことに、南朝鮮・韓国や中国から激しい抗議声明が発せられていることを指摘し、区長と教育委員会の見解を迫った。
 これに対し山田区長は、「憲法調査会等をつくって憲法を論議していこうという雰囲気の中で、石原知事が個人としてのお考えを述べたもの」と擁護し、石原への共感を示した。教育長、教育委員会事務局次長も、マスコミ報道は承知していると言いながら、作る会の教科書の内容については知らぬ存ぜぬの無責任な態度に終始し、杉並区と韓国の友好都市との関係には影響なしと居直った。
 けしば議員は怒りを込めた再質問に立ち、「石原都知事にとって大事なのは一人ひとりの子どもたちではなく国家だ。どうやって周りから恐れられる国づくりをするのかがすべてだ。どうしてこれが『多様な価値観の尊重』『可能性にチャレンジする人づくり』なのでありましょうか!」「杉並区で、韓国併合は合法的であったという教科書を使って子どもたちに教えても、友好関係が損なわれないというのか!」と厳しく追及した。

 介護は権利として公費で “保険料の負担軽減も一貫した重大な課題”

 二月六日、杉並区は新年度から一定の条件を満たす低所得者に対し、介護保険サービス利用の自己負担額を助成することを決定したと発表した。保険料第一段階の老齢福祉年金受給者と「生活保護境界層」(利用料負担上限月額を一万五千円まで減額されなければ生活保護受給者となる人)に対して、四月から四年間、利用者負担上限月額を三千円に引き下げ、その差額を助成するという決定だ。
 これは「介護と福祉を要求する杉並住民の会」が、杉並区との交渉を重ねてきた大きな成果である。
 けしば議員は、介護保険制度がどれほど悲痛な現実を区民に強いているかを説いた上で、「この一年間四回にわたる区長への要請行動を行い、低所得者への利用料の負担軽減を粘り強く求めて来た『介護と福祉を要求する住民の会』の方たちは、大きな希望が与えられたと喜んでいます」と、一月二十五日の区交渉でかちとった大きな前進を確認した。
 区との交渉ではさらに、介護保険制度によって、毎月四十五万円もの自己負担を強いられることになったBさん(せきつい損傷で下半身マヒ)の利用料を約十五万円減額させ、また、通院などの移動に寝台車による移送サービスが必要なCさんの問題では、「移送サービスの充実は課題」と改善を約束させた。
 この前進を踏まえた上でけしば議員は、「利用料に加えた保険料の負担軽減も一貫した重大な課題です。一万五千円以上の年金から有無を言わさず強制徴収されることは深刻な問題だ」と追及し、「住民の会に、月々三万五千円の年金収入で生活する高齢者から『病院に行くことや食費を控えている』など、その厳しい状況が訴えられています。低所得者への保険料の減額・免除を行うべきだ」と要求、さらに障害者福祉施策のストレッチャー付きタクシーを増やすことなど区民の切実な具体的要求の一つひとつを区にぶつけた。
 区の答弁は、利用料負担への助成の拡大については、「介護保険制度に係る問題点については、本来国において改善されるべきもの」と言いながら、「区といたしましては、制度を廃止することや全額公費負担での実施を国に要求することは考えておりません」と責任逃れに終始した。
 けしば議員は、「介護保険制度のもとでは、負担のみを強いられ、必要な介護が保障されません。介護保険は直ちに廃止し、介護は権利として公費で負担すべきあり方へ転換することを国に要求すべきだ」と、毅然と要求した。

 杉並行財政改革の反動性 “働く人の雇用を奪い子どもたちが犠牲に”

 山田区長が、「行財政改革を着実に実行し、行政のあり方の見直しや区政の大転換を図る」として昨年十一月に発表した「スマートすぎなみ計画」。このもとで十年間に千人の職員削減が計画され、事業の委託化・民営化が推進されようとしている。
 けしば議員は「この削減計画が対象としている学校、保育園、児童館、保健所、障害者福祉施設などの職場で働いている正規職員、嘱託員、パート職員が全体の職員数の中で占める割合はそれぞれどれくらいか」と質問した。総務部長の答弁によれば、正規職員で四五・七%、嘱託員で四八・七%、パートタイマーでは九一・九%。この数字を示した上で「いずれにしましても、職員の増減だけで施策の優劣を推し量ることはいかがなものか」とうそぶく総務部長。
 けしば議員は「まさにこの職員の増減に施策の有り様が現れたわけです。『スマートすぎなみ計画』は明らかに、福祉・教育・区民生活という最も区民と直結した、必要な部門の切り捨てだ」と追及した。
 けしば議員のこの指摘が最も鋭く突き出されているのが、学校給食の民間委託問題である。
 昨秋九、十月に保護者に対する各学校での説明会開催に続く十一月八日、区は「保護者の理解を得られた」との一方的な判断を行い、学校給食調理業務の二〇〇一年度民間委託実施を決定した。直後の十日に開かれた文教委員会では、保護者の理解を得られていないことが全会派からも指摘され、決定の前提が崩されるという事態に至った。
 けしば議員はこの経緯を示し、「労働組合は、これまでの労使合意を無視した区の一方的な決定に怒りを爆発させ、来年度実施の白紙撤回を求め、今も交渉継続中です。十一月八日の教育委員会決定は、山田区長の一方的な押しつけであり、決定自体が無効ではないのか」と追及した。
 けしば議員は「学校給食は戦後五十年間、現場の栄養士や調理員の努力で現在の内容と質を保障してきたのであり、学校給食が教育の一環として子どもたちの成長やいのちを育んできたものだ」と、戦後民主主義教育を支えるものとしてかちとってきた給食の意義を強調、その給食業務を「営利目的の民間企業に委託し、そこに働く人の雇用を奪い、子どもたちを犠牲にするのはやめるべきである」と区に迫った。
 区決定を無効だとする追及に対して区教委は、十二月のPTAアンケートを持ち出し、「半分の保護者から回答が得られて、そのうち概ね半数を超える方が理解をしていると分析しており、委託の実施は行える」と破綻(はたん)した答弁に終始した。
 そもそもこのアンケートは、新年度から給食調理業務の民間委託を実施するとの決定を前提にした質問項目であるにもかかわらず、反対・不安だとする回答が九一%なのだ。「これでどうして過半数の支持を得た、理解は進んだと言えるのか!」
 保護者・職員が力を合わせて闘えば、学校給食の民間委託は必ずやめさせることができる。けしば議員は「都政を革新する会は、『きょうもおいしかった』と言って学校から戻る子どもたちの笑顔を絶やさないために保護者の皆さん、調理員や栄養士さん、区に働く教職員の皆さんと手を携えて、学校給食民間委託の今年度実施を阻むため全力を尽くす」と宣言した。
 石原都政−山田区政に対してやむにやまれぬ怒りが噴出している。労働者や住民とともに歩んできたけしば議員の闘いがいよいよ力を発揮する時を迎えている。石原都知事と対決する都議会議員をなんとしても実現しよう。けしば誠一氏を都議会へ送り出そう!

*「都政を革新する会ホームページ」のアドレスを紹介します。

 http://members.jcom.home.ne.jp/tokakushin/

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週刊『前進』(1996号3面2)

けしば区議ら KSD本部に抗議 “汚職断じて許せぬ”

 都政を革新する会は二月二十三日、KSD汚職への都民の怒りと結合し、東京都墨田区両国にあるケーエスデー中小企業経営者福祉事業団(KSD)の本部を訪れ、抗議・申し入れ行動を行った。長谷川英憲元都議とけしば誠一区議、元KSD会員を含む杉並の商工業者が参加した。
 応対に出た職員に対してけしば区議が申入書を読み上げ、中小商工業者がつめに灯をともすようにして稼いだお金から何十億円も村上・額賀・小山ら自民党政治家にわいろを贈ってきたことを徹底弾劾した。
 またKSDが設立したアイム・ジャパンが外国人労働者を「研修」名目の超低賃金で強制労働させピンハネしている行為は、現代版強制連行そのものだと弾劾した。
 けしば区議と抗議団は、「中小商工業者の生活と生きる権利を取り戻す闘いにともに立ち上がる」と都革新の決意をきっぱりと明らかにし、KSDの経理実態、自民党議員との癒着関係などの解明・公表、わいろに使われた金を全額会員に返せなどの要求を突きつけた。

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週刊『前進』(1996号3面3)

連載・社会保障解体を許すな 奪われる介護・医療・年金 4
 改悪医療制度が実施に 高齢者に過酷な負担増 外来受診日数が20%も減った

 今回は、医療制度改悪の現状を明らかにしたい。
 二〇〇〇年四月に介護保険制度が強行され、十一月国会では、何度か廃案の縁に立った健康保険法と医療法等改悪が成立し、今年の一月から施行された。
 今回の医療制度改悪は、高齢者を中心に大きな負担増と給付削減をもたらした。それは、社会保障としての医療を解体する攻撃である。

 高齢者の負担が定率1割に

 健康保険法等改悪では第一に、高齢者の患者負担を介護保険利用料と同様に定率一割負担(月額上限付き)が導入された。大幅な引き上げである。第二に、高齢者以外の患者負担の月額上限も引き上げられた。
 改悪は、「現役世代との均衡や介護保険制度との整合性をふまえた見直し」とされた。介護保険が高齢者医療改悪の切り口とされたのである。
 二つの改悪による患者負担増は三千三十億円になると算定されている。負担増の八割は七十歳以上の高齢者からである。
 その上に、高齢者の定率負担(一割負担)で高齢者の受診抑制が起こり、そのために節約される医療費は、九百九十億円にのぼると算定されている。
 すでに、東京都や大阪府の二〇〇〇年四月の老人医療費助成削減によって、高齢者の多くが医療を奪われている。大阪府の例では老人医療費助成削減実施から三カ月間で外来受診日数が二〇%も減っている。さらに今回の改悪で慢性的高血圧症の高齢者が「医療費を負担できないから、もう死んでもよい」と通院しなくなった例が医師から報告されている。受診抑制の統計数字の裏には、数知れない悲劇が隠されている。
 第三に、介護保険料を医療保険料に上乗せすると法定上限を超える場合に対して、介護保険料率を法定上限の枠外とした。これで介護保険料は無制限に上げられるようになった。
 昨年四月の介護保険導入以後、医療保険から介護保険への移行による医療保険負担は二兆数千億円の軽減になる見込みである。
 この改悪を強行した津島厚相(当時)は「一割負担になったらお年寄りは気の毒だとおっしゃる。光栄なことに私は高齢者です。若い人にかぶせるより私が払いたいんです」と、現実に受診抑制せざるをえない高齢者が存在することを無視した暴言を吐いている。

 医療機関の機能分化・再編

 今回の医療法等改悪では、医療供給体制を九八年に続いて改悪し、病棟総数の削減と、これまで「その他の病床」として括られていたものを長期入院を主とした「療養病床(慢性)」と「一般病床(急性)」に区分した。
 すでに昨年四月の診療報酬改定で平均在院日数短縮の攻撃が加えられてきており、医療供給の側は、患者を年齢と入院期間の長短で選別せざるをえない状況が押しつけられてきた。
 この診療報酬改悪では出来高払いを抑制し、慢性期医療に包括定額制(マルメ方式)を大幅に導入した。これは、厚生省の近藤局長が「抜本改革といえるほどの内容」と評したほど激しいものである。
 こうして昨年来、介護保険の実施と診療報酬制度をテコにした医療機関の機能分化・再編に大きく踏み込んだ攻撃が加えられてきた。今回の医療法改悪はこの攻撃をさらに推進するものである。
 こうした中で、昨年以来医療機関のリストラ・格付け再編が進み、医療現場に矛盾が集中し、「医療事故」が続発した。また、病院・開業医の倒産総件数は一九九四年の倒産状況に匹敵する大幅増となった。 
 では昨年の診療報酬改定はどのようなものだったのか。

 医療を奪う「マルメ方式」

 @入院については、入院時の医師の診察代と看護料などを一本化した定額払いの「入院基本料」が創設された。そして、一般病棟で三カ月(九十日)以上入院している高齢者は「長期特定患者」として、治療に不可欠な点滴や注射や検査などほとんどを包括定額制(マルメ方式)にし療養型より低い定額の基本料とした。厚生省の老人保険課長は(入院基本料創設には)「入院は三カ月以上させないで欲しいというメッセージが込められている」と解説している。
 高齢者の患者には再発、重症化、別の病気の発病などが起こる。今回の改悪で、入院が三カ月を超えれば事実上の医療がなくなったといわざるをえない。医療現場から「政府は超えてはならない一線を超えて生命の切り捨てを強行した」と怒りの声があがっている。
 A医療法改悪を先取りし、療養型の病床には、入院点数から(医療の)出来高制を完全に排除し、包括定額点数に一本化した。
 医療における診療報酬のマルメ方式は介護保険方式ともいうべきもので、「患者の症状と訴えを基本にした医師の医療行為」ではなく、診療報酬で医療行為の質量が予め決められ、十分な医療を受けたければ自費負担せよ、という医療とは言えない商行為に変質させるものである。(介護保険は介護を5段階に分ける認定制度をもって介護費用を定額に抑え、それ以上の介護は自費でという二層制を導入した)
 昨年四月の診療報酬改悪でこうした考えが大幅に導入され、今次医療法等改悪がさらに包括定額方式を拡大強化した。闘わなければ今後ますます、特定療養費の拡大、混合医療保険化、医療保険本体部分のスリム化などが進められようとしている。
 医療・介護現場には矛盾と犠牲が集中している。サービスの低下と職員の労働強化の中で、「医療事故」に続いて「介護事故」が大きな社会的問題となることは不可避だ。
 昨年六月の時点(介護保険料は上乗せされていない)で国保滞納者が三百七十万二千世帯。実に加入世帯の一八%を占めている。前年より二十二万世帯増になった。正規の保険証を取り上げられた世帯は実に四十九万六千世帯。「払えない人からどうして徴収するのか?」と自治体からも悲鳴が上がっている。
 さらに日帝・厚生省は、高齢者自身の負担による「新高齢者医療保険制度」を「二〇〇二年度からの実施をめざして検討を進める」と言明している。この攻撃を許してはならない。
〔熊谷勇次〕

    昨年まで 今年から
70歳以上の患者の負担

外来

 

 

 

入院

1日530円
(5回目から無料)

 

 

1日1200円
低所得者は軽減

医療費の1割
・大病院
 月額上限500円
・中小病院
 月額上限300円
・診療所
 月額上限3000円の定額制か
 1日800円の定額制
 (5回目から無料)
医療費の1割
月額上限3万7200円
低所得者は軽減

保険料率の上限   医療と介護を合わせた料率に法定上限 介護の料率を法定上限の枠外に

 

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週刊『前進』(1996号3面4)

狭山高裁行動 棄却策動に反撃 事実調べ強く申し入れ

 二月二十日、部落解放同盟全国連合会と解放共闘は、狭山異議審棄却攻撃の切迫と対決して、三十人が参加して東京高裁糾弾・要請行動を行った。
 要請行動に先立ち、午前十時から決起集会を開いた。基調報告に立った解同全国連の楠木吉秀事務局長は、「事実調べをやらない不当・異常な事態が長期間続いている。高橋省吾裁判長は、年度内の三月末までの決着=棄却を狙っている。絶対に許すな」と、この日の要請行動の重要な意義を提起した。
 さらに、相次ぐ部落差別事件に対して、解同本部派がまったく闘わないどころか部落大衆の決起を抑えつける側に回っていることを弾劾した。そして、狭山闘争を柱とした差別徹底糾弾闘争の爆発でこたえようと訴えた。
 その後、この日の裁判所への要請文の内容を全員で学習した。脅迫状のあて名の状況が石川さんのデッチあげられた「自白」と決定的に違っていることを明らかにした斎藤第一、第二鑑定の意義が再確認された。
 集会の最後に全国連荒本支部、長野県連準備会、婦人民主クラブ全国協、解放共闘の労働者らがきっぱりと闘いの決意を述べた。
 昼休みの霞が関デモ、街頭署名・宣伝行動を全員で行った後、午後二時から要請行動を行った。高木の第二次再審棄却決定が証人調べ、事実調べをやればたちどころに崩壊するデタラメきわまるものであることが、徹底的に明らかにされた。最後に要請団は「『異議審だから事実調べはやらない』という高橋裁判長の態度は絶対に許されない。直ちに事実調べを開始せよ」と強く申し入れた。
 二時間の要請行動を終えた参加者は、三・四〜五の全国連第一〇回大会の大結集に向かって、全力で闘うことを誓い合ってこの日の行動を終えた。
 これに先立ち、第一次再審請求棄却二十一カ年糾弾の「二・七狭山全国統一行動」が東京・長野・大阪・兵庫・山口・広島・福岡など各地で取り組まれた。狭山紙芝居の上演や署名運動、水平文庫の学習会などをとおして、今春異議審決戦への総決起の体制が打ち固められた。

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週刊『前進』(1996号4面1)

2001年3・14アピール
松崎・JR総連が決定的に離反分裂カクマル完全打倒かちとれ
 都議選決戦勝利・改憲阻止へ
 団藤 清

 本多延嘉書記長

1934年2月6日、東京に生まれる。54年早稲田大学入学。早稲田大学新聞編集長。日共早大細胞を指導。56年ハンガリー革命の衝撃を受けスターリン主義の問題を根本的にとらえ返す。トロツキー教条主義との闘いをつうじて(革共同第一次、第二次分裂)、59年革共同全国委員会を創設。以降、革共同書記長。63年黒田一派の卑劣な分裂・逃亡と闘う。69年4月27日、4・28沖縄闘争を前に破防法40条で逮捕、2年間の獄中闘争。二重対峙・対カクマル戦争を最先頭で指導しているさなかの75年3月14日、反革命カクマルの卑劣な憎むべき襲撃を受け暗殺される。享年41歳。
【左写真】 1968年7月14日 全学連大会(法政大学)

 はじめに

 ついにファシスト・カクマルを完全打倒し、三・一四復讐戦を貫徹していく絶好の時を迎えた。
 われわれは、カクマル組織を黒田・カクマルと松崎・JR総連(カクマル)へと大分裂させる勝利をかちとった。これは、「黒田=松崎」としてのみ存在し得たカクマルという党派を、本質的な意味で崩壊させるところに追い込んだものである。
 一九六二〜三年に革共同から逃亡して以来、反帝・反スターリン主義の仮面をつけた現代のファシストとして数限りない悪業を繰り返し、革命的共産主義運動に敵対してきた反革命カクマルを、われわれはついに打倒・一掃し、勝利の戦闘宣言を発する時が来たのだ。
 われわれは、ここに対カクマル戦がひとつの決着点を迎えたことを確認し、同時にこの勝利にとどまることなく猛然と決起し、追撃戦に打って出て、文字どおり三・一四復讐戦貫徹=総反攻完遂、カクマル完全打倒を戦取することを固く決意するものである。
 一九七五年三月十四日。革命的共産主義運動の創設者であり、反帝・反スターリン主義世界革命−日本革命の首領・本多延嘉革共同書記長が、ファシスト・カクマルに暗殺されてから二十六年。われわれは、あらためて「三・一四をみすえ、そそぎ、のりこえよ」「三・一四反革命をあいまいにするな」を鮮明にし、カクマルへの革命的報復を激しく決意するものである。
 本多書記長は、わが同盟の創設者であり、理論的、政治的、組織的指導者であった。革命的共産主義の思想と理論を身をもって示し、また黒田の反革命性を見抜き、六二年の三全総(革共同第三回全国委員会総会)を結節点にして反スターリン主義・革命的共産主義運動の飛躍を指導した同志である。 
 三・一四反革命を受けたわれわれは、ファシスト・カクマルへの復讐戦を誓い、この戦争に勝利することを一切の活動の軸にすえて闘ってきた。革命党の党首の虐殺という行為は、明らかに日本革命そのものの圧殺を意味した。われわれ一人ひとりが、自己の革命的情熱と階級的精神を解き放ち、革命への確信と中核派魂を支えに、本多書記長の屍(しかばね)をのりこえ、「ひとたび死んだ」地点から、革命と革命党を復権させるために闘った。
 そして先制的内戦戦略の第二段階へと進み、八〇年代の日帝・中曽根の大反動攻撃と不屈・非転向に闘い、三里塚闘争と動労千葉という階級的基本骨格を守り抜いて、ついに九一年「五月テーゼ」をもって、再び本格的に「労働者の中へ」を実践する地平に立つことができた。
 われわれは五月テーゼ路線のもと、革命的共産主義運動を本格的に前進させるために、一から学び直しながら、労働運動への全面的取り組み、政治闘争の大衆的爆発のために猛然と闘ってきた。それはあらゆる局面でカクマルとの接近戦をとおして戦取したものである。何よりも、JR総連カクマルと同じ戦場で闘ってきた動労千葉・動労総連合、国労共闘の国鉄戦線の労働者が、営々と切り開いてきた国鉄決戦の大きなうねりが、カクマル=JR総連に決定的打撃を与え続けたことは明らかである。
 こうしたファシストとのすべての闘いが、ついにカクマルを分裂させ、完全打倒の時をたぐり寄せたのだ。
 われわれは、対カクマル戦での勝利をはっきりさせ、今こそ全戦線でカクマル完全打倒の闘いに猛然と打って出ることを確認したい。全人民の怒りを組織し、革命的大衆闘争を爆発させ、カクマル打倒・一掃の闘いに総決起しよう! すべての職場、学園、地域からファシスト・カクマルを追放しよう!
 改憲阻止決戦の大爆発、都議選決戦勝利、労働運動の新潮流運動の躍進という二十一世紀第一年の決定的勝利をもってこの歴史的闘いを推し進めよう!
 今こそ、黒田、松崎、土門の三頭目を処刑し、三・一四復讐戦貫徹=総反攻完遂、カクマル完全打倒、日本革命勝利の大事業へと驀進(ばくしん)しようではないか。

 第1章 松崎との分裂は黒田の死だ「松崎批判」できぬカクマル

 (1)五月テーゼ路線が大分裂を引き出す

 黒田の「組織現実論」の唯一で最大の実体であったJR総連が今、カクマルの思想、理論、運動、実践、組織で完全に行きづまり、ぶざまに難破した姿をさらしている。カクマルは党派として本質的に死んだのであり、黒田の死臭ふんぷんたる残骸と、腐敗しきった一握りの白色軍事力だけが残されている。
 カクマル組織をここまで追い込んだ直接的な要因として、以下の三つをあげることができる。
 第一は、わが革命的内戦の勝利を土台に開始した、五月テーゼ路線に基づく革命的大衆闘争の爆発と国鉄決戦の不屈の階級的前進ということである。とりわけガイドライン闘争の爆発と、国鉄決戦の展開は決定的打撃をカクマルに強制した。五月テーゼ路線のもとでの対カクマル戦−戦略的攻勢としての革命的大衆闘争の威力をはっきりと確認できる。
 第二は、カクマル頭目=黒田の組織指導の全面的破産ということである。JR総連指導に限らず、黒田のカクマル組織指導そのものに原因がある。特に「賃プロ」主義(=賃プロ魂注入主義)による指導問題と「神戸謀略論」デマ運動の破産が決定的であった。
 第三は、国鉄の分割・民営化における黒田=松崎による裏切り路線の必然的帰結ということである。松崎が今日までやってきたことは、カクマルの反革命方針の実行であり、日帝の攻撃の前に敵の先兵となって公然と屈服し、裏切って延命を図るというものである。しかしこれでは「革命の仮面をかぶった反革命」として立ち行かなくなったのだ。

 (2)「階級敵」の打倒はどうなったのだ

 カクマルは昨年十二月八日の党声明をもって、「JR総連労働運動の終焉(しゅうえん)」を宣言し、JR総連執行部を「階級敵」と断罪し、その打倒を宣言した。しかしカクマルは今になって、松崎と東労組を含むJR総連の丸ごとの離反という現実を隠ぺいし、ぺテン的情報操作で組織維持をはかることに懸命である。党としてJR総連の打倒を宣言しておきながら、分裂の首謀者・松崎を弾劾できずにいる。
 二月四日のカクマル春闘集会では、JR総連をなんら路線的に批判できず、「打倒」を引っ込めてしまった。分裂が焦点化してはまずいからだ。そして黒田への個人崇拝、忠誠運動をもって組織を固めることに全力をあげている。カルト的な黒田的私党として生き延びようということである。

 (3)松崎の一層のファシスト化

 一方、松崎・JR総連(カクマル)は、カクマルの党派的規制から離れることでますますファシスト労働運動化を強め、資本への迎合、労資一体化、組合員への犠牲の強要、戦争協力の道をひた走り、自らの利益だけを追求する道を転げ落ちている。
 松崎とJR総連は、これまで「ニアリー・イコール論」をもって、組合として積極的にリストラ攻撃を労働者へ強制し、資本と対決する動労千葉や国鉄労働者の原則的で階級的な闘いを敵視し、その一掃を叫んできた。いわく、「会社倒産運動の一掃」「ストライキでは解決しない」「理性をもった行動」「効率化をめざせ」「会社の利益を守ろう」などなどと。
 そして、カクマル=JR総連はことあるごとに「一企業一組合」を標榜(ひょうぼう)し、「強靭(きょうじん)な労使協力体制」なるJR資本との一体化で動労千葉や国労の破壊を追求し、またJR組合員の労働者としての権利の剥奪(はくだつ)を自ら推し進めてきた。彼らは資本との癒着と結託を原理として、ストライキを敵視し、会社を守る立場でファシスト運動を進めてきた。そしてこの十数年、こうした関係で甘い汁を吸って来たのだ。
 第二の分割・民営化攻撃ともいうべきJR十万人体制攻撃、その一環である「ニューフロンティア21」計画というJR東の一万人首切り合理化攻撃は、動労千葉や国労組合員だけでなく、JR東労組(JR総連)組合員そのものの首切りすらも不可避とするものである。ここで松崎は再び労働者を裏切り、JR総連組合員の首切り・リストラをも自ら展開することでJR東労組・JR総連(カクマル)の組織としての延命を図るという反革命的決断をしたのである。それは、分割・民営化において黒田=松崎がとった反革命的方針の再現である。
 すでに昨年十二月九日、松崎はJR東労組の全支部委員長会議で「『資本の法則』として人件費部分を削っていくというのは、これは避けられないですよ。…『暗黒の時代』なんですよ。…真っ暗なんです」と、開始された首切り攻撃を受け入れよと強要している。資本との結託はとどまるところを知らないものとなっている。
 一方カクマルは、JR総連と東労組の「ダラ幹」批判を繰り返し、「ケルンをつくれ」「革命理論で武装しろ」「黒田の本を読め」などと言っているが、JR資本への忠実な奴隷になりきることで自分たちだけが生き残るという方針は、分割・民営化の時のカクマルの方針そのものなのである。
 しかし、首を切られるJR一般組合員の怒りの爆発を絶対に抑えることはできない(背景にあったカクマルの白色軍事力を失った分、なおさらだ)。何よりも闘争団を守り、闘っている国鉄労働者の階級的闘いの存在がある。この原則的な闘いは必ずやJR組合員との大合流をもたらし、ファシスト的過疎支配を大崩壊させるものになるのだ。
 問題は、今の資本攻勢が、日帝危機の深さに規定されて、これまでとは比較にならない攻撃性をもっているという点である。

 (4)副議長・松崎がカクマルを捨てた

 JRの完全民営化(カクマルの言う「国鉄改革の完遂」)を前にして日帝、資本は、かつての分割・民営化において黒田=松崎が選択した裏切り路線をさらに前に進めることを求めたのだ。一般組合員を裏切るだけでなく、一切のごまかしがきかない形で松崎とJR総連に「カクマルを捨てるか、JRを捨てるか(首切り対象となるか)」を迫ったのである。
 この事態に直面した松崎とJR総連は、「JR資本のほかには組織的影響を一切受けない(=カクマルを捨てる)」ことを誓い、今後も日帝・JR資本に抱え込んでいってもらう道をはっきりさせたのである。それはJR総連がファシスト労働運動をますます強めていくということでもある。
 カクマルの情勢認識は、「ネオ・ファシズム体制が確立し、権力万能の謀略が吹き荒れ、暗黒の時代が続く」というものである。これは、JR総連が資本との結託体制に浸りきっている限り、ほかに選択の余地のないものだった。
 それは帝国主義の危機の深刻さからくる激しい資本攻勢に対して、黒田とカクマルのイデオロギー、路線、組織論ではまったく対抗できないことを示している。カクマル副議長・松崎が最後に黒田とカクマルにではなく、JR資本に救いを求めたことは、JR総連の腐敗というだけで片付けられるものではなく、黒田とカクマルの本質的な破産そのものに根拠があるのだ。
 それは日帝・資本と対決し、「一人の首切りも許さない」として階級的に闘う、革命的で戦闘的な国鉄労働者の対極にあるものである。

 (5)全産別に波及する深刻な党是的危機

 カクマルの最大の問題は、あたかも小田、坂入などの「七人組」が問題であるかのように言って、事態の真相をひた隠しにしなければならない点にある。
 それは第一に、この分裂が、松崎をとおした黒田のJR総連指導の行き着いた結果であり、黒田の組織指導そのものに原因があるからである。カクマル組織が黒田=松崎として一体のものであり、JR総連の離反は、ほかの誰でもない黒田その人の指導責任問題としてあるのだ。
 第二に、黒田の「組織現実論」そのものの大破産を意味してしまうことである。JR総連の組織丸ごとの離反ということは、「組織現実論」の難破であり、無力化の自己暴露である。それはカクマルの「場所的現在においては党づくり」の核心である、カクマルの革命観と「組織現実論」の空中分解であり、カクマル党是の破産ということなのだ。JR総連の存在があって黒田の「組織現実論」が意味をもつという関係だったからだ。
 第三に、首謀者・松崎を弾劾することが、カクマルの全産別の組織問題を大爆発させてしまうという恐怖がある。
 JR総連は、「戦闘的労働運動の伝統の火をもやし続けている労働組合運動」(九六年の黒田の議長辞任メッセージ)であり、「先輩同志の闘いと教訓から学ぶ」べき手本となる労働組合であり、連合の中では「反戦、護憲」を唯一掲げる素晴らしい模範的な組合であると、カクマル内で賛美され続けてきた。すなわちJR総連はカクマルの労働者、学生のアイデンティティーを構成してきたのである。
 それが「九州労の一部反党陰謀分子」の露見だけでカクマル組織は大混乱し、「情けない」「どうなっているんだ」「自分たちが手本としてきた組織がなぜこうなってしまったのか」という発言が続出している。ましてやJR東労組、JR総連がカクマルから組織丸ごと離反したという現実は、そのカクマルとしてのアイデンティティーの解体、喪失なのである。
 また、カクマルの産別指導部それぞれが自己の指導の全面的な破産を突き付けられたということを意味する。JR総連以外のカクマル産別指導部は、多かれ少なかれ松崎を手本にして、松崎と同じ手法と論理で産別組織建設の指導を行ってきた。その手本としてきた松崎が、黒田カクマルから離反し、分裂したことは、全産別カクマル指導部がこれまでのあり方ではやっていけなくなったということなのだ。実際、自治労、教労を始めとする産別組織の大々的な分裂・離反問題はまさにこれから火を噴こうとしている。
 松崎がカクマルとの絶縁をはっきりさせているのに、カクマルはまったく批判できないのだ。
 松崎はカクマルの事情を見透かし、当初から自己の立場を表さず、沈黙してきた。なぜなら、松崎の側にもそうしなくてはならない理由があったからだ。
 カクマルからの離脱にあらためて言及した途端に、実はつい最近まで自分がファシスト・カクマルの副議長であったこと、カクマルの白色テロ部隊に巨額の資金を提供してきたことなどが明らかになるからである。これまで勝共連合機関紙や「自由新報」に登場して、「カクマルをやめた」と言ってきたことすべてが、ペテンであり、大うそであったことがはっきりし、その責任が追及されかねないからである。
 また、カクマル白色暴力への恐れから、カクマルとの関係の悪化を松崎の側から起こしたくないからである。
 しかし、カクマルによる坂入拉致・監禁という事態を受けて、松崎は自分の立場を資本と権力、JR総連組合員の前にはっきりさせることを迫られた。
 「『大塚体制粉砕』などとおっしゃる方もいらっしゃるようですけれども、私は大塚体制で非常によかったと思っているわけです。心から歓迎しているわけですから、これは『打倒せよ』という人と意見が違うのは当然ですね」
 「われわれの闘いに真っ向から反対し、会社の社宅に『進撃』という機関紙を配っているカクマル派は、私のことをブルジョアに完全に染まった組織の裏切り者と言っている。……私を組織にとどめておけば資金の提供も十分にしてもらえると思い、われわれに対抗するような新聞などを投げ込んで、私を苦しめて楽しんでいる。……万が一にも、私が彼ら(カクマル)の軍門に下るようなことがあれば、私は皆さんの前から姿を消します」(十二・九JR東労組全支部委員長会議での講演)
 松崎は間違いようのない形でカクマルへの決別宣言をしたのだ。

 第2章 黒田の無責任で反革命的な組織指導の破産こそが元凶

 (1)運動路線なき内部思想闘争の帰結

 カクマルの大分裂は、黒田のカクマル組織指導の破産に一切の原因がある。しかし、黒田はこれを自ら切開したことは一度としてない。むしろ自分を絶えず「雲の上」に置き、指導の問題をその時々の指導部の交代や組織員の未熟さ、経験の少なさにすりかえてのりきってきた。黒田無謬(むびゅう)神話を維持しようとする黒田その人が、実はカクマル組織の最大の問題だったのである。
 @84〜85年 PS(労働者学校)提起
 黒田は、国鉄の分割・民営化の裏切り路線の組織総体への徹底を図るために、松崎に全産別指導部に対して講演させ、「労働組合主義と言われるくらいに」まで徹底的に、動労カクマル(当時)のように組合運動に埋没せよという方針をとった。〔PS提起〕
 その結果、全産別組織が丸ごと組合主義に埋没し、カクマル労働者党員は資本・当局の先兵となり、機関紙『解放』も読まず、会議に出席もせず、「組合内フラク作りのため」にゴルフや遊び、酒場に入り浸るという生活の腐敗が激しく進行して、組織瓦解的事態となった。
 A89年 3・5春闘集会提起
 黒田は急激な党組織の腐敗の進行と、党員の減少という事態に直面し、八九年三・五集会提起をもって「組合主義的偏向の一掃」を指示した。しかし、黒田自らの指示が生んだ事態への総括的切開もないことや、一方で腐敗した生活や組合運動の現実を容認する労対指導部の「妨害」などで、変革は遅々として進まなかった。〔三・五提起〕
 B91年 DIの登用
 これに苦り切った黒田は、元全逓労働者DI(土井)を抜擢(ばってき)し、既存産別指導部にぶち当てた。DIは、組合主義に浸りきった組織の腐敗状況を前に、黒田のお墨付きを得て「賃金プロレタリアートの立場に立て」と称し、いわゆる「賃プロ魂注入主義」をもって内部思想闘争と組織の「再創造」に入った。組合主義者は、徹底した内部思想闘争をもって断罪される激しいものだった。
 この内部思想闘争と称する白色テロ恫喝に耐え切れず、九一〜二年ころには、自治労を中心にカクマルからの集団的脱走が相次いだ。この内部思想闘争は党員再登録運動として進められた。組合主義者批判は、自治労や教労そして沖縄組織だけでなく、当然にもJR総連幹部に対する批判へと発展していった。
 九一年六月には「ダラ幹・松崎批判」が公然と『解放』紙上で展開された。また九二年三月には、沖縄教労の高橋利雄が内部テロで殺された。
 さらに九二年五月のカクマル集会では、土門、朝倉、森、山里らのカクマル古参指導部が壇上に並ばされて自己批判させられるところまで進んだ。
 こうしたやり方で「組織の解体的再創造」と称した運動を進めたのは、黒田その人だったのだ。
 C93年夏 DIの粛清
 しかし、DI(賃プロ主義者)が「組織現実論のようなクチャクチャしたものはどうでもよい」と言って黒田「組織現実論」の破産を公言し、またJR総連との対立が緊張するに至って、ついに黒田は「清算主義となじられようとも」と、自ら抜擢したDIの粛清に踏み切った。
 問題は、カクマル全組織の混乱と破壊をもたらした「賃プロ」の発生と粛清が、黒田によるDIの抜擢とその組織指導によって行われたものであり、既存指導体制の一掃という意図をもって行われたことである。
 黒田は、「自分は冬眠していた」として、何ひとつ自己批判もしないままに、「なぜ賃プロ主義者を批判できなかったのか。賃プロへの免疫がなかったのはなぜか」などと言って、卑劣にも自らの指導責任を下部へ責任転嫁している。「黒田理論の主体化ができていず、組織員が未熟だからだ」と結論づけたのだ。「賃プロ主義者」に「ダラ幹・松崎」と呼ばれ、打倒対象とされた松崎とJR総連にとって、黒田のこの「組織総括」はとうてい容認できないものであった。この時からカクマルとJR総連の分裂は始まったのである。JR総連は九四年以降、カクマル機関紙『解放』を組合員に売ることを禁止する事態となった。
 この組織総括をめぐってカクマルは一七回大会を開催したが、それは九三年夏から九四年夏の一年間に及ぶ、計三回にもわたる続開を必要としたものであった。そして翌九五年一月のカクマル政治組織局会議で、ついに黒田の議長辞任が議題となったのである。
 D96年 黒田の議長辞任
 黒田は、自作自演の「列車妨害=鉄道謀略」事件を指令したことが権力に発覚し、追及される恐れから、「カクマル二〇回大会の決定に基づき」、ついに九六年に議長を辞任し、植田琢磨の新議長就任となった。
 黒田の議長辞任は、権力からの追及から逃れることと、「賃プロの総括」という形をとった黒田による松崎・JR総連取り込み策でもあった。
 E95年〜 「謀略論」へののめり込みと破産
 賃プロ総括をめぐるカクマル組織内の混乱と、九五年以降も第二「賃プロ」的な偏向が次々と発生するのを見て、黒田は「権力の謀略」論によるカクマル組織固めを推進していった。
 F98〜99年 第三次安保・沖縄闘争の爆発とカクマルの孤立
 ガイドライン闘争の大衆的高揚に対してカクマルは根底的な動揺に陥った。カクマルは、学生カクマルだけでのりきれなくなってJR総連を動員した。九九年六月、その動員されたJR総連組合員は会場にも入れてもらえず、労働者階級人民から「JR総連=カクマル=白色テロ集団」として弾劾、非難のあらしを浴びせられた。これがJR総連に決定的な衝撃を与え、分裂を決断させる動力となったことは明らかである。九九年夏、JR総連のカクマルからの離反がさらに明確に進展していった。

 (2)黒田の権威失墜=「神戸謀略論」デマ運動の破産

▼「謀略論」の組織的意義とそのデマゴギー性
 カクマルによる「権力の謀略」論の特徴は、権力の謀略を解明したり、その権力と闘うものではまったくないということである。「謀略だ」とする結論がまずあり、その「謀略」を認めるかどうかを迫り、「謀略」を否定する者を「権力の手先」「スパイ」などと呼んで攻撃するものである。
 またカクマルは、謀略論を、戦闘的大衆闘争の爆発や階級的激動に際して、カクマル組織員はもとより労働者階級人民を決起させないための対抗的な運動として、極めて恣意的に登場させる。政治課題を闘わないだけでなく、それに対立させるものとして持ち込み、混乱を引き起こし、闘いの発展を押しとどめるためのものである。しかも「権力と闘う」という仮構をとって、カクマルの「反権力性」をペテン的に押し出すものとしても使うのである。そのファシスト運動の中で、大衆運動の高揚にも動揺しないで反革命的な組織づくりを進めていくというカクマルの組織建設路線である。
 「権力の謀略」論は、今や、カクマルの世界観の核心そのものであり、ファシスト運動の組織論であり、白色戦争論であって、カクマルの反革命基本路線となっているのである。
▼カクマルの「権力の謀略」論の歴史
 @「権力の謀略」論の出生(74年)
 カクマルの謀略論は、K=K(警察=カクマル)連合路線のもとに初期的優位さをもっていたカクマルが、われわれの闘いの前進に追いつめられて、自らの戦争的・軍事的敗北をごまかす組織内情報操作のために、「中核派の戦果は権力の謀略部隊がやったもの」と得手勝手に唱えたことに始まる。
 カクマルは、ことあるごとに「あと一撃」論や「勝利宣言」を発し、「最後的決着」「中核派解体宣言」などと言いなしてきたが、その破産の行き着いた先が「権力の謀略」論だった。
 A「水本謀略論」での反革命的飛躍(77年)
 七七年から始まった「水本謀略論」デマ運動は、この時期にカクマル学生の脱落、逃亡が相次ぐ中で、水死体で発見された水本を、「水本は権力に謀殺され、死体はすりかえられた」と言い出したものである。当時の動労が組合をあげて取り組み、文化人、労働者、学生、市民を巻き込んで「国民運動」と称した集会を開くなど一大「謀略」デマ運動を展開した。「水本謀略論」にくみしない者を、「権力の謀略と闘わないのか」と恫喝し、白色テロルをちらつかせてカクマルへの屈服を迫った。
 「水本謀略論」をもってカクマルの謀略論はファシスト的に飛躍した。これまでのカクマル組織内の情報操作の枠をこえて、デマで社会全体を情報操作し、撹乱(かくらん)し、自らそれを運動化するまでに至った。
 「水本謀略論」デマ運動を、当時の動労カクマルは、襲いかかる国鉄の大合理化攻撃に屈服、協力していく口実にした。「謀略の吹き荒れる時代だから」として「貨物安定輸送宣言」(七八年)、「国鉄合理化案妥結」(八〇年)、「働こう運動」(八二年)と屈服を深め、「ネオ・ファシズム体制が確立した」「労働運動は冬の時代だ」という主張と結合させて、「現代は謀略が吹き荒れる冬の時代だから労働組合は闘ってはならない」として分割・民営化の裏切りの道を突進していった。
 B「謀略論」の自己展開
 水本事件でエスカレートした「権力の謀略」論は、黒田の謀略論政治の始まりとなった。黒田は、この後、自らと組織に都合が悪いことや組織指導上の困難に直面した場合、「政治判断」と称して根拠のない謀略論やデマ物語をデッチあげていくのである。それは黒田によるカクマル組織内部の情報操作政治であり、それを主導する黒田への忠誠運動、黒田帰依運動でもあった。
 C第三次安保・沖縄闘争への恐怖
 われわれは五月テーゼ路線のもと、大衆運動の組織化に全力をあげ、また九五年の一九全総での「松崎・二つの講演」批判を皮切りに、カクマル=JR総連ファシスト労働運動の全面的暴露と批判を行い、国鉄闘争への決戦的な踏み込みを進めていった。これに対してカクマルは、謀略論へ深くのめり込んでいった。それは、カクマルの組織危機をファシスト的に固めるものとしても重要だった。カクマルはさまざまな謀略論を出しては引っ込めていった。オウム真理教による地下鉄サリン事件(九五年)、列車妨害、「O−157」事件(九六年)などがすべて「謀略」とされた。
 D黒田指導の破産の紋章=「神戸謀略論」デマ運動
 そして九七年、神戸小学生連続殺傷事件を「CIAによる謀略」と黒田が政治的に「判断」することをもって、「神戸謀略論」デマ運動は全カクマル組織をあげて取り組まれることになった。
 これは、カクマルの組織危機の中で、第三次安保・沖縄闘争の爆発に恐怖し、これを混乱させる狙いをもって企てられたものである。同時に、カクマル組織の「賃プロ」的動揺を封じる目的をもっていた。
 さらに決定的なのは、カクマルとの距離をとり始めたJR総連に、カクマルとしての党派性を回復させ、JR総連をカクマル組織にとどめておくための最後の手段としてもあった。
 しかし問題は、この「神戸謀略論」デマ物語が、カクマルの記者会見発表後、十日ももたずに、犯人(A少年)が逮捕されたことで、たちまちグラグラになってしまったことだった。
 黒田は、自らの決定で始めたこの謀略論を立て直す必要から、カクマルの白色軍事力を使ってA少年宅の盗聴、両親の尾行や、少年の精神鑑定をした県立病院への侵入、窃盗、盗聴へと全力をあげたのである。
 組織的にも朝倉を先頭に「五六年のハンガリー革命を主体的にとらえ」たことに匹敵する(『解放』九八年新年号)と鳴り物入りで推進したが、出発点的に破産していたのだ。そのために、JR総連が参加することはなかった。黒田の重要な狙いの一つは頓挫(とんざ)した。
 しかも「神戸謀略論」デマ運動は、破産に破産を重ね、権力とカクマルとの間にあつれきを生み出し、K=K連合の再調整を必要とする事態に発展した。
 権力による東京・練馬区豊玉の軍事アジトの摘発と、間髪を入れずにわれわれが「豊玉アジトはJR東労組書記・林和美の住居と同じマンションにある(松崎と一体)」という事実を暴露したことは、松崎その人を直撃する事態となった。松崎にとって、それまで利用してきたカクマル軍事部隊が、権力とのあつれきの中で逆に重荷となるに至ったのである。それはカクマルとJR総連の関係にさらに亀裂を入れることとなった。
 「神戸謀略論」デマ運動の破産に直面しても、黒田は『政治判断と認識』を出版し(九九年)、「神戸謀略論」運動を決断した黒田の政治判断はいかに正しかったかと居直り、それが分からないのは松崎を始めとするJR総連メンバーが「あきないびと」「俗人」であるからだと切り捨て、非難した。「賃プロ」指導の総括問題に続く「神戸謀略論」デマ運動の破産と、黒田のこの開き直った態度は、権力の重圧下にあった松崎とJR総連にとって、カクマルとの関係の清算に踏み切らせるものとなっていった。
 何よりも、この過程において国鉄分割・民営化攻撃に屈せず闘う動労千葉・動労総連合、国労の労働者による国鉄決戦の爆発が、JR総連を追いつめていたことは決定的である。
 同時にわれわれは、JR総連の「連合・新政治方針への対案」(九九年秋)に対して「戦争協力を推進するJR総連」という批判を徹底的に展開した。この暴露は、カクマル=JR総連、JR総連=カクマルの関係を最後的決裂へと追いつめるものとなった。

 第3章 内戦的死闘と五月テーゼ下の戦いが切り開いた大勝利

 次に、カクマルを大分裂させるに至った対カクマル戦におけるわれわれの勝利の歴史的地平を確認しておきたい。

 (1)七〇年闘争へのK=K連合反革命

 カクマルは七〇年安保・沖縄決戦での破産から七一年十二・四反革命を凶行し、以降白色武装襲撃を次々と行った。
 革共同は、六六年第三回大会をもって七〇年安保・沖縄決戦を準備し、労働者の初歩的武装闘争を含む階級闘争の革命的・内乱的・武装的発展を主導的に切り開き勝利した。この七〇年決戦を主導した革共同は、社会党・日本共産党に代わって新たな労働者党として日本の階級闘争と政治の一角に登場し、その位置を確立しつつあった。そのことへの恐怖から、カクマルは徹底的な革共同破壊と解体のための暴力的襲撃に出たのだ。
 カクマルは、七〇年安保・沖縄決戦の革命的質の高さと広さ、内容の深さにうちのめされ、この闘いの中に自らの死を感じ取った。そこで「権力と闘う党派への暴力行使」「首ねっこ・急所論」をもって、K=K連合のもとに革共同へ徹底した武装襲撃を加えた。権力と一体となって、権力ができない直接的武装襲撃・肉体的抹殺攻撃を加えてきたのだ。

 (2)三・一四反革命をのりこえた闘い(フェーズTの闘い) 

 当初劣勢であったわれわれは、戦略的防御−対峙−総反攻という段階的前進戦略に立って闘った。初期の防御戦から七三年九・二一戦闘をもって革命的対峙の段階を戦取した。
 われわれは、これ以降、カクマル指導中枢(土門、朝倉)を始め次々とせん滅戦の勝利をかちとった。「機関紙戦争」をめぐる勝利、カクマル全学連委員長の完全せん滅、カクマル本部の解放社や学生カクマルの創造社への攻撃。こうした中で、カクマルは謀略論を出さざるをえないまでに追いつめられた(七四年六月)。
 七四年八月、本多書記長はカクマルへの総反攻完遂の檄(げき)を飛ばした。
 この年、われわれはさらに大勝利を次々戦取した。関西でのカクマルアジト三カ所同時攻撃(十二・一)、東京でのカクマル・アジト三カ所同時攻撃(十二・十六)、『解放』発行人完全せん滅(七五年三・六)などを敢行し、総反攻完遂に向かって闘いは一気に前進した。
 完全に死の縁に追いつめられたカクマルの凶行が、三・一四本多書記長虐殺だった。
 われわれは、ファシスト・カクマルへの激しい復讐戦を決意し、猛然と決起していった。直後の三・一四復讐戦は、文字どおり全党の蜂起の中で、解放社幹部など十人を六月までに次々と完全せん滅した。カクマルはわれわれの怒りの爆発に耐え切れず、七五年三・二八「暴力行使の一方的停止声明」なるペテン的停戦策動によって復讐戦から逃れようとした。だがわれわれは、革命党の党首への「虐殺のための虐殺」という希代の反革命をけっして許さず、カクマル=反革命規定の全階級的確認を貫く戦争的打撃を強制していった。
 そして八〇年十・三〇、本多書記長虐殺下手人五人完全せん滅戦闘を戦取したのだ。これを一つの区切りに、われわれは激化する日帝の攻撃と対決するために、八一年九月、先制的内戦戦略フェーズU(PU)へ向かったのであった。

 (3)革命的武装闘争と対カクマル戦(フェーズUの闘い) 

 政治的反動の激化、特に「戦後政治の総決算」を唱えた当時の首相・中曽根が加えた攻撃は、階級闘争の大衆運動的大地と労働運動的基盤を解体し、奪い去っていくものであった。
 革共同は、この政治的大反動攻撃と対決し、労働運動と大衆運動の拠点を守っていく立場から、カクマルとの力関係の転換を踏まえつつ、先制的内戦戦略の重点を組み替えることでこたえたのだ。それは、対カクマル戦が何ひとつ終わっていない現実にあって「労働者階級の中へ」の闘いにいまだ全面的に踏み切れない中で、大衆闘争の爆発を革命的武装闘争を先頭にして切り開いていく闘い方であった。これは結果的には五月テーゼ的大転換の準備期に位置することになる。
 中曽根反革命は、戦後史に残る歴史的大反動であり、階級的な労働運動、農民運動、住民運動、学生運動を解体・一掃するものとしてあった。労働者階級の階級的団結を解体する目的で動労カクマルを抱き込んで国鉄分割・民営化(国労の解体策動)を強行し、総評を解体し、他方で、全国の住民運動、階級的闘いのシンボルであった三里塚闘争を解体する攻撃を加えてきたのだ。
 これは侵略戦争体制構築のための、国内支配の反動的転換を狙ったものであった。この中曽根の攻撃の前に、体制内的、改良的な運動と勢力はことごとく屈服・転向していった。戦後民主主義に依拠することで運動的に対決しようとした勢力は、中曽根反動の前に崩壊したのだ。その意味で社会的な総転向状況がこの過程で進行したのである。
 革共同はこの中曽根反革命と真正面から対決し、力の限り闘った。
 国鉄の分割・民営化攻撃に対して動労千葉は革命的に決起し、八五年十一月、八六年二月ストライキをもって闘った。わが革共同・革命軍は八五年十一・二九浅草橋戦闘に決起した。三里塚闘争は、八三年三・八分裂や二期着工攻撃を粉砕し、八五年十・二〇戦闘などを闘い、度重なる反対同盟破壊を打ち破って大衆闘争、全国住民闘争の不動の司令塔として屹立(きつりつ)した。
 日帝が、革命党の絶滅と大衆運動破壊、労働運動解体を、上からの内乱的な方法で、力で押し通してくることに反撃するには、階級的非和解性、実力的反撃、武装闘争性が求められたのである。
 したがって、ここでの闘いは、日本階級闘争の歴史上初めての対権力闘争の本格的な武装的展開となった。それは、わが党が革命に至る党の武装と武装闘争、非合法・非公然活動とその党建設などの闘いにおける基礎的ではあるが、決定的な経験と教訓を手にする過程でもあった。全党のこの教訓は、革命的情勢の切迫の中で、今日ますます決定的意義をもっている。
 東京サミット(八六年)攻撃や天皇制攻撃(八七年、八九〜九〇年)との闘いは、文字どおり日帝との間でせん滅戦的に闘われた。日帝は八六年五月七日、革命軍解体の弾圧宣言(五・七宣言)を出し、デッチあげによる長期重刑攻撃を加えた。弾圧と反動のあらしは苛烈(かれつ)を極めた。それは党に武装闘争の放棄と転向を迫るものとしてあった。われわれはこの攻撃と敢然と対決し、打ち破って九〇年天皇・三里塚決戦の軍事的蜂起戦の輝かしい闘いを戦取するに至るのである。
 転向を拒否し、武装闘争を貫いてでもこの攻撃と対決して闘いぬいた革共同のみが、革命党と階級闘争の基本的骨格を守りぬき、その後の激しい攻撃をはね返して今日の階級的激動を担いぬいているのである。
 そして、こうした対日帝戦争の爆発は、中曽根と一体化していたカクマルを追いつめるものとなった。

 (4)五月テーゼ下の闘い

 われわれは、九〇年天皇・三里塚決戦の大勝利をもって、レーニン的オーソドキシーを踏まえた労働者階級自身による階級的自己解放の闘いの道、五月テーゼ路線へと踏み切った。それは党の活動の戦略的重心を労働者党建設と戦闘的大衆運動の組織化に置き、労働者階級本隊の巨大な階級的総決起による一斉武装蜂起を実現していくための、本格的な「労働者の中へ」の闘いの推進である。
 これは対カクマル戦という観点から言うならば、党建設と大衆運動を基軸として、その戦闘的な大衆運動をカクマルに対して戦略的打撃あるものとしてつくりだし、その爆発でカクマルを全人民的に包囲し、政治的、運動的、理論的、組織的に追いつめ、完全打倒していくという、新たな対カクマル戦の段階(質的に飛躍した第三段階ともいうべきもの)ということである。
 一九全総でのJR総連=カクマルのファシスト労働運動の完膚なきまでの暴露と批判、二〇全総以降の国鉄決戦への党を挙げた取り組みと戦略的前進は、確実にカクマル=JR総連、JR総連=カクマルに打撃を与えた。またガイドライン闘争、第三次安保・沖縄闘争の革命的大衆運動の爆発は、カクマル=JR総連を運動場面に引きずり出し、グラグラにしてしまった。そして、ついに分裂を強制するまでに至ったのだ。
 二〇〇〇年の三大決戦は、ますますカクマルに重圧を加えた。われわれは、あらためて自らのこれまで営々と闘ってきた労働運動、大衆闘争に確信をもち、ついに来たカクマル完全打倒への勝利を自らの闘いでなしとげるために総決起しなければならない。

 第4章 「謀略論」と白色テロルが「黒田哲学」の反革命的正体

 (1)「黒田哲学」に死を宣告した仲山論文

 すでにカクマルは、綱領的、路線的に完全破産している。帝国主義論が欠落し、帝国主義間争闘戦が位置づかない。スターリン主義発生の革命論的解明がなく、その階級的規定もなく大混乱している。カクマルは、綱領的破産からソ連スターリン主義崩壊以後、統一的な世界認識を明確にさせられないのだ。かつての「ソ連起動力」論の反動性、デタラメさに輪をかけて「ナショナリズムの相克」論、「宗教=民族の対立」論、「新東西対立」論など、現象を追いかけては破産を繰り返している。
 またアメリカ帝国主義を「ヤンキー帝国主義」と呼ぶなど、黒田のファシスト的な反米民族排外主義の地金もむき出しとなる一方である。
 組織的危機はJR総連との分裂をもって最後的に深まった。
 今、カクマルは、唯一最後の逃げ場を「黒田哲学」へのしがみつきに求め、黒田崇拝のカルト的私党として生き残ろうとしている。だが、われわれはけっしてこれを許さない。その巨弾が『共産主義者』一二七号「『黒田哲学』を全面的に批判する」(仲山良介論文)である。
 この「黒田哲学」批判をもって、われわれは黒田とカクマルに一切の逃げ場を与えず、完全打倒する決定的地平を確立したのだ。
 大分裂にのたうつカクマルのファシスト的思想的根拠を全面的に粉砕し、革共同から逃亡して以来の、そしてとりわけ三十年間にわたる対カクマル戦を完全に総括し、あらゆる意味でカクマルを完全打倒する準備が完了した。
 結論的に言えば、「黒田哲学」の実践的帰結は謀略論と白色テロルでしかない。それが黒田哲学の必然的帰結であること、そしてこの「黒田哲学」はすでに完全に死んだということ、残っているのは腐乱し、腐臭を放つ黒田の残骸(ざんがい)だということを断言する。
 「黒田哲学」は、革共同の創成において積極的な役割を果たしながら、黒田が三全総の飛躍から逃亡し、求められた革命的共産主義者としての実践と飛躍を拒否した結果、黒田自身いったんは開始していた思想的、理論的限界の自己変革的な突破の作業をなし得ず、小ブル的哲学者の枠に固定化することをもって自己を絶対化し、思想的にも理論的にも変革どころかトコトン腐敗して反動的に開き直ることをもって謀略論と白色テロルの哲学へ転落していったものである。
 それは、黒田自身の現実の階級闘争との生きた関係を拒否する閉鎖的な態度、革命的共産主義運動から逃亡し、革命にではなく哲学の革新を自己目的化した小ブル哲学者としての腐敗、本多書記長を虐殺した陰謀的軍事主義者としての反革命ファシスト性に規定されている。
 ファシスト哲学者・黒田が白色軍事部隊を使って展開したのが、白色テロルと謀略論である。われわれは徹底して「黒田哲学」の核心を批判し尽くし、その惨めな残骸をさらしてやろう。

 (2)観念論的転倒で「謀略論」を生み出す

 仲山同志は「黒田哲学」の三部作をとりあげ、特にその核心である『ヘーゲルとマルクス』を徹底粉砕している。
 「それは文字どおりの観念論なのである。実践の物質性を基軸にすえきった実践的唯物論とはおよそ似ても似つかない。それは物質というカテゴリーそのものに絶対性を付与した『物質の形而上学』でしかない」(一二一n)
 「人間の労働および社会的実践における意識性=意識的な目的形成の契機を、現実の労働を蒸発させてそれだけとりだし、ヘーゲルの概念論の論理を当てはめながら自己運動させて、それを物質の自己運動として解釈したものが『ヘーゲルとマルクス』である」(一三八n)
 「その根本的な問題性は、唯物論と称しながら、唯物論的な人間実践(その物質性)が一切の基礎としてしっかりとすえつけられていないということ、したがって、人間の認識活動が実践の内的契機としてとらえられるのではなく、それ自身として物質的な活動(対象的・現実的・感性的な人間実践)の本質にされ、物質的活動そのものにとって代わっていることにある」(一三九n)
 謀略論はここから引き出される。
 この黒田の論理は、黒田が頭の中で「これは謀略だと判断する」ことをもって、それは「既に現実に実在」したものと認識されるという構造をもっている。カクマル謀略論は、単なる黒田の過ちなどではなく、革共同から逃亡し、唯物論的実践を観念的操作にすりかえてしまった黒田の「哲学」そのものにほかならない。ファシスト的謀略論が「黒田哲学」なるものの本当の姿なのだ。
 黒田は、「政治判断によって現実認識は決定される」ことを主張する『政治判断と認識』を出版したが、それは謀略論哲学の論理そのものである。
  それは、実践という契機をもたず、概念をひとり歩きさせ、その自己展開が現実だとする黒田哲学の転倒した観念的操作の結論そのものなのである。そこには生きた人間の実践(労働)という契機がない。「黒田哲学」が謀略論を生み出すゆえんである。

 (3)カルト的な「黒田崇拝運動」打ち砕け

 「神戸謀略論」デマ運動の展開は、カクマル組織が、黒田のカルト的私党になりきった記念碑といえるものである。なぜならカクマル組織が、黒田の直観(=組織操作のための独善的判断)を金科玉条にして組織を運営し、生きた現実をめぐる組織討議が不可能な状態であることを示しているからだ。
 黒田の直観に基づく謀略論デマ運動がカクマル組織内で物質化されて行く構造は以下のように「理論化」されている。
 「場所的立場にたつわれわれの実践的直観が、常識人的直観と異なるのはいうまでもない」、しかし「一口に実践的直観といっても、これは実際的には、それほど容易に獲得できるものではない」「組織実践の深浅、思想性・組織性の高低にかかわる」(『政治判断と認識』二五〜二六n)。つまり、ファシストの実践的直観は常識人と違うし、黒田しか下せないということである。
 「生きた現実が提起する問題のすべてが、党の取り組むべき課題となるわけではない。党が何を組織的に闘争課題として設定するのか。……すなわち特定の現実問題が、党の発展と命運にかかわる問題が、取り組むべき闘争課題として設定されるのである」と断言される。
 本来、大衆闘争は、現実の日帝の戦争国家化攻撃や政治動向に対して労働者階級人民の階級的利益の大きさがまずその基準におかれて課題化されていかなければならないものだ。階級闘争にあっては、その大地である労働者階級の利益が失われるならば結局、党的な利益も失われる。階級的な党にとって、その党の利益は階級の利益と一体のものである。階級的利益と党の利益を対立するものとしたり、あるいはそれと別個にあるものとするのは間違いだ。カクマルにとって運動がカクマル組織づくりの手段であるように、大衆運動の課題設定の一切の基準は、カクマル組織の「発展」と「命運」なのだ。そこにカクマルが、労働者階級の利益と敵対し、謀略論をねつ造して国鉄大合理化に屈服した水本運動やガイドライン闘争時の「神戸謀略論」デマ運動など、労働者の階級的利益と敵対する運動を展開するファシストの原理がある。
 「神戸謀略論」デマ運動の破産で示されたものは黒田の「組織現実論」、運動論の破産であり、謀略論哲学=「黒田哲学」の腐乱した現実なのである。

 第5章 3・14復讐戦の貫徹をかけ分裂カクマル徹底追撃せよ

 (1)帝国主義の危機と革命的情勢の切迫

 日米争闘戦に追いつめられた日帝が、没落帝国主義として自らの生き残りと利権をかけて戦争国家化−改憲攻撃を加え、戦後的なものの一切を最後的に粉砕する凶暴な攻撃を加えてきている。
 日帝の戦争と大失業攻撃に対して、闘う労働者階級人民は、〈戦争国家化阻止=改憲粉砕・日帝打倒! 闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱へ! 米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒!〉の改憲阻止決戦の三つの戦略的スローガンのもと、文字どおり戦後階級闘争のすべてをかけた歴史的大決戦に打って出ようとしている。それは革命的情勢の切迫を告げ知らせている。まさにこうした時にファシスト・カクマル完全打倒が現実的な課題となったということは、けっして偶然ではない。
 われわれは、米帝経済のバブル崩壊への突入と二九年型世界大恐慌の本格化、没落日帝の破局的危機というすさまじい激動の中で闘われる、戦後最大の階級決戦の爆発的展開過程の真っただ中で、ファシスト・カクマルを完全打倒し、日帝を打倒していく時を迎えたということなのである。カクマル完全打倒の情勢の成熟は、この面からも革命的情勢の切迫を知らせるものである。
 戦後最大の階級決戦の大爆発の中で、現代のファシスト・カクマルを労働者階級人民の怒りの業火で完全打倒・一掃するということである。われわれは、日本革命戦取の戦略的な一環として、カクマル完全打倒を今一度はっきりさせ、三・一四復讐戦貫徹=総反攻完遂、カクマル完全打倒をあらためて固く決意しなければならない。

 (2)カクマル全産別の分裂と崩壊の合図

 この十年の間に、カクマルの拠点といわれたところが次々と崩壊している。沖縄組織しかり、早稲田カクマルしかり、そしてついにJR総連というカクマル最大の組織実体の離反である。それはカクマルの全産別の分裂と崩壊の合図である。カクマルを完全打倒する条件は完全に成熟したのだ。われわれは、この闘いの勝利を必ず実現する。
 その闘いは、五月テーゼ下の対カクマル戦の爆発的推進としてかちとらなければならない。
 第一に、革命的大衆運動を戦略的に爆発させ、党建設を圧倒的に前進させることである。
 森政権打倒・教育改革粉砕―改憲阻止の闘いを大爆発させること、闘争団を防衛し、国鉄決戦勝利を柱にすべての産別と地域で階級的労働運動を組織し、新潮流運動を躍進させること、そして何よりも今年前半の最大最高の闘いとしての都議選決戦に勝利することである。
 革命的大衆闘争の前進は、カクマルをますます追いつめるのだ。あらゆる職場、学園、街頭へうって出て、教育改革粉砕−改憲阻止決戦を爆発させよう!
 国鉄決戦を爆発させ、JR総連傘下の組合員の闘う労働組合への積極的合流をかちとり、松崎・カクマルを労働戦線から一掃するために闘おう。
 超長期の獄中同志を大衆的怒りの爆発で奪還しよう!
 何よりも革共同の党としての前進が、分裂カクマルを奈落((ならく)の底にたたき落とす決定的な闘いである。都議選決戦の勝利、けしば誠一候補の当選をなんとしてもかちとらなければならない。
 そして、新たな労働者党建設としての、革共同の党的飛躍、党員倍増への闘いを強力に推進していくことである。圧倒的な党の強化と非合法・非公然の革命党建設に力を入れよう。
 われわれは、対カクマル戦で大勝利した地点に立っている。これを党建設へと物質化するのだ。三全総−三回大会−五月テーゼの道、闘う労働者党建設の道を今こそ邁進(まいしん)しよう。
 第二に、革命的武装自衛で戦闘的大衆闘争を守り発展させることである。
 カクマルは「党派として死んだ」とはいえ、彼らは生き残りのために残存白色武装力を行使しようとしている。崩壊の淵でもがくカクマルは、断末魔的に凶暴化して、闘う大衆運動の破壊に出てくることは間違いない。しかし敗残カクマルの白色暴力は、革命的武装自衛体制で闘えば、必ず粉砕・一掃できるのだ。
 第三に、カクマルの理論、思想、路線への壊滅的な批判、イデオロギー闘争を完全打倒まで繰り返し、さらに強力に突きつけていくことである。この間のJR総連、カクマルへのイデオロギー批判は、カクマルを大分裂させていく決定的な武器となった。ますます容赦のない批判を浴びせかけよう。
 とりわけカクマルは、謀略論と白色テロルの哲学でしかない「黒田哲学」にしがみつく以外に生き残る道を失っている。「黒田哲学」を粉砕し尽くし、カクマルの組織的解体を促進していこう。
 第四に、カクマルとの闘いは、最後は軍事的決着で総括していくことが求められる。革命軍の戦略的攻撃体制を強化し、全党の索敵情報活動を圧倒的に充実させていかなくてはならない。
 そして最後に、何よりも重要なことは、本多延嘉書記長の虐殺下手人、反帝・反スターリン主義世界革命への反革命であるファシスト・カクマルへの深い怒り、絶対に許さないという強い意志、勝利するという固い決意である。血を流してファシストを打倒するという気概と精神で闘おう。われわれは、自らの闘いと革命の大義への確信に立ち、ファシスト・カクマルを一人残らず打倒する。
 改憲阻止決戦の大爆発、都議選勝利、労働運動における新潮流運動の躍進という二十一世紀第一年の決定的勝利を核心に、全党全人民はファシスト・カクマルへの追撃戦にうって出よう!

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週刊『前進』(1996号6面1)

2001春闘 職場からの報告 賃下げ・リストラに反撃を 

 二〇〇一年春闘は、いよいよヤマ場を迎える。日経連の春闘解体、労働組合破壊の攻撃、それに屈した連合指導部などの裏切りに抗して、闘う春闘を再構築しなければならない。今、あらゆる産別の職場で怒りが充満し、闘いを求める声が噴き出している。NTT労組本部の「ベア要求放棄」を弾劾して闘う電通労働者と、大幅賃金カットなどの大リストラと闘う電機労働者の報告を紹介します。(編集局)

 NTT 「ベア要求せず」春闘放棄本部の裏切り方針許すな

 ストライキで大幅賃上げを

 NTT労組本部は、二月十五日の第四回中央委員会で、「春闘ベア要求はしない。ストライキ批准一票投票もしない」ことを決定し、二〇〇一年春闘からの全面逃亡を宣言した。春闘が本格的に開始されようとしているまさにその時に、春闘放棄を宣言する行為は、NTT労働者の切実な要求を踏みにじるものであり、全労働者への敵対行為である。二〇〇一年日経連労問研報告の春闘解体攻撃に最先頭で手を貸す裏切り行為として断罪しなければならない。
 二〇〇〇年の「ベアゼロ、年間臨給の削減、年度末手当の廃止」妥結により、戦後初めて賃金が減額し、NTT労働者の生活を直撃している。「今、闘わずに、いつ闘うのか」「ベアゼロ妥結に責任を取って総辞職しろ」という声が噴き出している。今春闘へのNTT労働者の要求は、「去年の削減分を含めた大幅賃上げをストでかちとろう」というものである。
 第四回中央委員会に向けた職場オルグでは、「ベア要求せず」の本部提案に対して、「今年こそ大幅賃上げを」「なぜ闘わずに撤退するのか」「中央委員会で春闘方針を決定する方針に反して、一月冒頭から新聞で『ベア要求せず』と一方的に流したのは許せない。組合民主主義の破壊ではないか」「スト資金流用問題(後述)の事実を明らかにし責任を取るべきだ」という怒りの声が噴き出した。
 NTT労組新聞にさえ「NTT労組が賃上げをかちとり、春闘の底上げをすることこそ大労組の責任ではないか」「職場を納得させるのはとても困難」という地方支部執行部の声を掲載せざるを得なかった。
 しかしNTT労組本部は、「規制緩和によるNTT危機論」を満展開させ、今春闘を闘わない理由として「経営をめぐる環境は昨年より悪い。今年要求してもベアがかちとれるとは考えられない」「もし、ベアをかちとれば、さらに人員削減の声が出る」「昨年末、四月の定期昇給分をかちとっている(今年四月の新賃金制度へ移行時の基礎額に、今年の定昇分を入れることにNTTが同意したことを指す)」と、組合員を守ることより、NTTを守ることと本部役員の保身に終始したのである。
 そもそも春闘とは、賃上げを始め、生活改善要求を掲げ、職場が一体になって闘う中で団結をつくり出す場である。NTTをめぐる環境が厳しければ厳しいほど団結して闘うことが必要なのであり、その団結した力が次の攻撃をはね返す力となるのだ。闘いを放棄して一歩後退すれば、次の攻撃が容赦なく襲いかかってくることは明らかだ。春闘逃亡は、賃上げ要求放棄にとどまらない重大な裏切り行為である。
 すでに自民党のプロジェクトチームは、「IT革命推進のためには通信料金の値下げが急務。その阻害要因は、東西地域会社のコスト高だ」と、さらなる首切り、賃下げ、労働強化を叫んでいる。

 新賃金制度は賃上げの否定

 全電通からNTT労組へと名称変更、綱領変更して以来、NTT労組本部は春闘解体の先頭に立ってきた。「産別自決の春闘」を掲げ、「横並び廃止、労使の自己責任、労使自治」と言って、労働者の全体の力で賃上げをかちとる春闘を解体し、資本に忠誠を尽くしてきた。そしてついに「ベア要求せず」にまで行き着いたのだ。
 しかし「ベア要求せず」の方針は、従来の「春闘解体」にとどまらず、「賃上げ闘争の否定」へと踏み込んでいる。
 今年四月から導入される「新賃金制度」は、年功部分の大幅な縮小と「成果主義賃金」部分の大幅な拡大である。成果主義賃金とは、労組本部が「努力した者が報われる賃金制度」と言っているように、「賃金とは人より多く会社に尽くして得るもの」と仲間同士の競争をあおるものであり、「生き延びられる者だけが生き延びればいい」という弱肉強食の思想である。労働者全体の力で賃上げをかちとる思想の破壊である。「団結」を会社に売り渡すものである。
 「新賃金制度」では、労働者が自己目標を設定し、到達点を直属上長が評価して賃金を決定する。不満のある者には、「労使の相談窓口を充実する」という。賃金問題を「個別紛争」問題として処理するというもので、二〇〇一年労問研報告による資本攻勢に最先頭で協力している。「ベア要求せず」は、「新賃金制度」導入から必然的に出てきた結果である。

 スト資金担保に3百億借金

 昨年十二月、商業新聞が、「一九九三年、情報労連と東邦生命が共謀して六千人の共済年金を本人に無断で解約し、先物取引に投資した」「一九九八年、三百九十億円で返ってくるはすが失敗して三百億円の損失を出した」「一九九九年、東邦生命が破たんし、情報労連に返済を要求」「二〇〇〇年、NTT労組のスト資金二百四十五億円と情報労連の事業資金の五億円を担保に三百億円の借金をして東邦生命に返済した」という驚くべき事件を報道した。
 まさに組合員には「寝耳に水」。今、人民の怒りを買っているKSD問題、機密費の流用問題をはるかに超えるケタはずれの金額である。三百億円の借金とは、年間一億円返済しても三百年かかる。このあきれ果てた事実をNTT労組本部は七年間も組合員に隠し通し、去年の労組大会での「スト資金の会計報告」で簿外処理をして組合員をだましていた。組合員の「事実を明らかにせよ」「責任を取れ」という怒りの追及に、本部は今もって事実を明らかにしていない。他人の共済年金を「無断解約」して先物取引に投資する感性、組合員が汗水流して働いた賃金から拠出した資金を担保にする感性、労働組合の指導部とはかけ離れた腐敗した姿である。
 さらに許せないことに、「スト資金流用」を決定した昨年二月の中央委員会で何が決まったのか。「ベアゼロ妥結」「中期事業計画」の承認、「新賃金制度」の導入である。各県に一〜二カ所しか残さない「中期事業計画」の拠点廃止によって「希望退職」という名の首切りが行われ、労働者は超長距離通勤と単身赴任に追い込まれ、泥沼の苦しみにさらされている。集約された職場では労働強化で悲鳴が上がっている。こうした現実を労働者に強制しながら「スト資金の流用」を決めたのだ。

 本部に抗議と批判噴き出す

 昨年八月のNTT労組大会では、「ベアゼロ妥結」「中期事業計画」「新賃金制度」と、本部の方針全部に批判と抗議が噴き出し、全電通の歴史を含めて初めて、委員長に四分の一強、書記長に三分の一強の不信任票が突きつけられた。
 NTT労組本部は労働者の怒りと憎しみの対象である。労働者は心から闘う組合再建を求めている。今、全国の職場で、さまざまな問題で会社と労働者の直接対決が始まっている。労組本部が労働者を守らない以上、自分たちで守る闘いを始めるしかない。職場に何が起きてもおかしくない状況が生まれている。
 「自分たちの人生は自分たちで決める」と十四年間闘い続けている、国労闘争団・千四十七人の闘いに学び、連帯してNTT労働者は必ず決起する。
 (電通労働者 T・M)

 電機 松下「地域限定社員制度」は新たな大幅賃下げ攻撃

 12時間労働・二交替制導入

 松下電器産業は昨年十月三十日に大幅賃下げをもたらす「地域限定社員制度」と、十二時間労働・二交替制導入などを柱とする中期経営計画「創生21計画」を、今年一月十日には、一万三千人の配転と、三十以上の生産拠点を統廃合する二〇〇一年度の経営計画を発表しました。
 それは、@「本社改革」で、千三百人を五百人に削減、A分散していた営業を集約、B工場を独立採算制のファクトリーセンターに、C松下電子を本社に吸収合併、D社員八万人のうち一万三千人を異動、などの大リストラ策です。
 この攻撃の柱は、(1)労働契約を資本が一方的に変更し、大幅賃金カット・配転を強要する「地域限定社員制度」、(2)人間の生理を無視し、八時間労働制を破壊する「十二時間労働」、(3)さらには製造現場・ラインに実績別賃金制度を導入する新賃金制度などです。
 日本の「リーディングカンパニー」である松下資本の「創生21計画」は日本全体を大リストラにたたき込む大攻撃です。これらは労働者階級が営々たる闘いでかちとってきた労働者の権利を根こそぎ奪いさるものであり、こんなことがまかり通れば、他の資本も先を争って見習い、労働者階級全体が「労働監獄」にたたき込まれてしまいます。

 賃金を最大で15%もカット

 今回は特に地域限定社員制度について報告します。
 地域限定社員制度は、労働者を「地域限定社員」と「グローバル社員」に振り分け、「地域限定社員」には、賃金、一時金、退職金の最大一五%もの大幅カットを強制し、「グローバル社員」には、会社がいいように転宅を伴う転勤を強制できるというとんでもないものです。労働者にとって、どちらをとっても、何ひとついいことのない選択になっているのです。
 しかも、資本はこの大幅賃下げを意味する「地域限定社員」を、従業員の九割に導入したい、などと言っています。地域限定社員を選択したとしても、「原則として五年以内の転宅を伴う異動を行うことがある」と明記され、どこまでも会社に都合のいい制度になっています。

 本人同意ない賃下げは違法

 しかし今回の労働契約・就業規則の一方的変更は、重大な不利益変更であり、違法です。労働者の同意ぬきの賃金カットなどは、組合がどんな労働協約を結ぼうとも労働基準法違反です。会社が、賃金カットなど労働者に不利益になる就業規則に変更する場合は「合理的理由と労働者の同意」が絶対に必要です。
 ところが組合執行部は、組合員の反対の声を無視し勝手に労働協約を結んだのです。しかも、組合執行部は、「この制度の一方的実施は違法であり、労働者は拒否する権利があること。労働者が、従来の条件での処遇を求めた場合、会社はそうしなければならないこと」を、組合員に一切明らかにしていないのです。
 組合執行部は、労働者の権利を組合員に押し隠し、欺いて賃金カットを組合員に押しつけようとしているのです。「労使が協約を結んだ以上、地域限定社員制度は拒否できない」と思わせようとしています。資本と組合執行部は結託して「本人同意」を強要してきています。こうして労働者一人ひとりの「選択」が迫られ、やむなく「地域限定社員」の「選択」をさせられているのです。こんな労資のやり方は違法であり、無効です。

 電機連合支配打破し春闘へ

 松下労組執行部は、機関紙「ユニオン」(十二月十四日付)で「創生21計画」は、「松下労組の提言を反映されたもの、理解・評価できる」「組合員一人ひとりが『創生21計画』の実践者として……取り組みを強化する」と言っています。
 松下労組執行部は大リストラの先兵になると言っているのです。だからこそこの「地域限定社員制度」を提案したのです。絶対に許せません。
 この制度は、労働条件を全面的に切り下げる前代未聞のとんでもない制度です。危機に立つ資本が、先を競ってリストラに走る中で、労働者の生存権の一つとしてあった「本人同意」の条項をなきものにし、資本が好き放題に労働条件を切り下げることを可能にするものです。国鉄分割・民営化ではある意味では「回りくどい」やり方で、戦後労働運動の諸権利破壊をやってきたのに対して、電機資本・松下資本は、ストレートにむき出しの形で、労働者の生存権を脅かしているのです。
 松下労組・電機連合に労働者の怒りがわき起こり始めています。「松下に入ったらとりあえず安心、会社のやり方は気にいらんけど……」と思っていた労働者に急速に組合離れが起きているのです。会社への怒りは当然ですが、それ以上に組合への怒りが起こっています。資本の電機連合を使った労働者支配が、危機に立っているのです。
 問題はわれわれの闘いです。労働者の生活への不安、危機感、怒りとどう結びつくのかです。闘いは、これからが本番です。労働者がこんなむちゃくちゃに黙っていることなどけっしてありません。それはこの間の闘いで明らかになりました。電機連合支配をうち破り、労働者の団結を復権させるために、奮闘するつもりです。大幅賃上げを掲げ、ストライキで春闘勝利のために闘おう。
 (電機労働者 K・S)

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週刊『前進』(1996号6面2)

連載・教育労働者インタビュー 学校現場で何が起きているか(5)
 「日の丸・君が代」教育基本法改悪を許すな!
 「給与返還要求」を拒否 臨大で全面対決方針確立
 三重 宮村忠さん(中学校)
    山崎重雄さん(高校)

 満場一致で可決拍手鳴りやまず

 −−まず二月四日の三重県教組臨時大会について聞かせてください。
 宮村 給与返還請求に応じない本部方針案が満場一致、ものすごい熱気で可決されました。採決の瞬間、「やるぞー」「異議なし」と歓声が上がり、拍手が鳴りやまない。団結ガンバローの後、「アンコール」の声がわき上がる。一万五千組合員の思いがあふれ出した感動的な大会でした。
 山崎 「時間内組合活動」への攻撃自身がまったく不当なんです。勤務時間は四時半までで、組合の会議はだいたい四時過ぎから始めていたんですが、それが「地方公務員法違反だ」とたたかれた。しかしその会議も労働者の権利の問題だけでなく、施設・設備、教職員定数、教育予算、授業内容など、教育そのものにかかわる内容が多く含まれています。だからどの学校でも、「今から組合に行ってきます」と言うと、管理職は「ご苦労様」という対応だったんです。
 宮村 学校では昼休み休憩はまったく取れませんから、その分早く四時半に帰る権利をかちとってきましたが、ほとんどの人が五〜六時まで、膨大な超過勤務をしています。それもあって、県教委自身が承認してきたことなんです。
 −−臨大までの経緯は。
 山崎 始まりは雑誌『正論』です。九九年に七月号から立て続けに四回も三重の教育の批判が出て、これをもとに県議会で右翼的な議員が質問し、実態調査へと進めてきました。
 宮村 当初、三教組本部はこの攻撃と闘うつもりはなく、九九年秋にはもう時間内に組合活動を行うことをやめてしまいました。
 その後、九九年十二月に「九七年から二年八カ月分の勤務実態調査を行う。他団体のためにどれくらい勤務時間を使ったか、『自己申告書』を出せ」と言われた。そして三教組本部は組合の会議の一覧表を配り、「参加した会議を思い出して書きなさい」と全面協力したんです。組合員の多くは給与返還が請求されるなんて思いもせずに協力しました。申告書提出を拒んだ人に対しては、最後は職務命令までいきました。
 山崎 県教委はこれをもとに計算して、昨年六月に「十二億円の給与返還を請求する」という話が出てきた。組合員にとってはだまし討ちですよ。対象者は一万一千人で、特に支部の委員長や書記長などは一人で四〜五百万円になります。
 宮村 三教組本部は当初は、一定の「値引き交渉」をした上で本部で一括して払おうと考えていたんです。しかし教委はあくまでも「個々人に支払わせる」ことを求め続けました。
 山崎 十月に三教組本部が全分会に「『応じる/拒否する/条件つきで応じる』の三択で意見を集約してくれ」と提起し、この現場討議で本部を突き上げる意見が噴き出したんです。

 現場の怒りが本部の屈服阻む

 教委があくまでも個人に請求しようとしたのは、組合員一人ひとりを屈服させることが狙いだった。しかし現場の怒りが本部の裏切りを許さなかったんです。
 宮村 私たちは三教組本部に公開質問状を提出したり、討議資料を全分会に送ったりしました。本部を批判する運動が広がったことも力になりましたね。今まで本部と一緒にやっていた人たちも、私たちと一緒に動き出しましたからね。
 山崎 ある支部の委員長が「もし返還請求に応じたら絶対に応じない闘士がたくさん現れるに違いないと思った」と言っていましたが、それくらい現場の怒りがあったんです。
 宮村 十一月九日に県教委が返還請求方針を最終的に決定し、それに対して三教組本部も、十一月十日の拡大支部長会議で、ついに返還に応じない方針を固めました。それから職場は一気に活気づきました。現場は闘う方針を待っていたんです。支部ごとに臨時大会や全員集会を開催して、二月四日に向かいました。

 「日教組御三家」で闘いののろし

 −−そもそも三教組はどういう組合なんですか。
 山崎 三重、兵庫、神奈川は「日教組主流派御三家」と言われ、日教組本部の歴代の副委員長なども出しています。高校も含めて県下の教職員がすべて三教組に結集していて、今では数少ない、組織率がほぼ百パーセントの組合です。
 宮村 日教組の路線転換の前から「パートナー路線」で、三教組と県教委が話し合って進めるという形で、国の文教政策を適用することを他県より先延ばしさせてきたんです。
 たとえば主任制は報告だけのいわゆる「報告主任」で、主任手当を拠出して無力化させてきたし、人事異動も三教組の主導で決めてきたから、同じ市内から動かないなどとさせてきた。
 それでも以前は大衆闘争の力をバックに交渉していましたが、だんだん職場闘争がなくなり、本部執行部と県教委のトップ会談だけに変わってきましたね。
 山崎 広島への攻撃が始まったときに三教組本部は「広島は激しい闘い方をするから攻撃されるんだ。三重はスタンスが違う」と言い続けていたんですよ。今、その三教組を攻撃してきたということは、「パートナー路線であっても、もう認められない」という国家の意志ですよね。
 宮村 もはや「日の丸・君が代」を進んでやるような翼賛組合以外は認めないということですよ。三重をつぶせば日教組はつぶせると狙ったんですよね。
 山崎 臨大には日教組の浅見副委員長が来て、「三重の闘いを全面的に支援する」と発言しました。この闘いは日教組運動全体にも影響力をもつと思います。
 −−これからの闘いは。
 山崎 ここまで来ると組合員は何があっても屈しません。何も悪いことをしていないのに「税金泥棒」扱いされ、労働者としてのプライドを傷つけられましたからね。労働者魂ですよ。
 宮村 管理職の切り崩しが激しくなることは確実です。個々人への請求開始は三月中旬だと思いますが、一人の落ちこぼれもなく一万一千人全員で突き返す闘いをやりきりたい。さらに教育基本法改悪との闘いに結びつけたいですね。
 山崎 臨大の直後、三教組本部と全支部・全分会に闘争委員会がつくられました。当面の方針は職場全員の「給与返還請求に応じない」決意署名と、全分会の職場集会です。ものすごく活性化しています。本部に中途半端な妥結をさせないよう、闘いは続きますよ。

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週刊『前進』(1996号6面3)

東京反戦共同行動 改憲阻止へ学習会 教育労働者を講師に招き

 二月二十三日、東京反戦共同行動委員会が開催した憲法改悪阻止学習交流会に参加しました。高校で社会科を教えている教育労働者を講師に招いて、話を聞きました。
 今、高校生に授業で憲法改悪の是非の意見を書かせると、「憲法は改正するべき」という回答がかなりの割合であり、その理由も「日本の憲法は日本人が決めた方がいい」「憲法は時代にあった形にしていくべき」など、マスコミで流されている意見がそのまま出てくるそうです。改憲派の大合唱が、すでに高校生にこれだけの影響を与えているのです。「憲法改正に賛成するのなんて少数派」などと考えていてはならない現実があることを、あらためて実感しました。
 日本国憲法の制定時に、当時の衆院憲法改正特別委員会委員長の芦田均が、第九条に修正を加えていたことも学びました。第一項の冒頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」が追加され、第二項の冒頭には「前項の目的を達するため」の文言が追加されたのです。このことを後に芦田均は、「戦力の無条件不保持に例外を設けようとして、追加修正した」と述べていたそうです。日本の帝国主義者たちは憲法制定時から、第九条のもとであっても戦力保持の道を歩むことを考えていたのです。
 とても興味深かったのが諸外国の憲法との対比でした。兵役義務を定めている憲法でも、実は「戦争の否認」が記されている憲法は多くあるのです。
 たとえばイタリア憲法では「イタリアは、他の人民の自由を制限する手段および国際紛争を解決する方法としての戦争を否認する」と記してありますが、それと併記して「祖国の防衛は市民の神聖な義務である」「兵役は義務であり」とあります。
 つまり帝国主義者にとっても、現行の日本国憲法の第九条第一項のような内容は存在していてもかまわない、ということなのです。日本帝国主義は一方で「国際平和を希求する」と掲げながら、他方で「国益を守るためには自衛権行使は当然」という論理で、戦力保持や自衛権の行使、徴兵制を明記した憲法をもつ「普通の国」=戦争国家になろうとしているのです。
 講師は「改憲派は環境権とかプライバシー権、首相公選制などいろいろと言うけれど、その本音はただひとつ、第九条第二項を変えることだけです。だから、改憲には『この内容の改正はいいけど、この改正はダメ』というような選択肢はありません。改憲についてはすべて反対せざるをえない理由がここにあります」と訴えました。
 続いて、都革新の長谷川英憲さんが杉並における学校給食の民託化や教育委員任命をめぐる闘いを報告し、参加した労働者から闘いの報告が行われました。最後に東京反戦共同行動委員会代表の三角忠さんが「さらに学習も重ねながら、改憲阻止闘争をつくり出そう」と訴えました。
 改憲阻止闘争をすべての労働者民衆の闘いに発展させていくために、現行憲法の歴史や改憲派の種々のイデオロギー的な攻撃についてもっともっと勉強して、改憲に向けたあらゆるキャンペーンを打ち破っていくことが待ったなしの課題だと強く感じました。
(投稿 山根麻美)

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週刊『前進』(1996号6面4)

盗聴法廃止署名実行委 署名数が22万人に KSD究明を求め街宣

 二月十五日、盗聴法の廃止を求める署名実行委員会は、正午から衆議院議員会館内で集会を開き、KSD・機密費問題の徹底究明を求めるとともに、“盗聴法の廃止を求める請願署名゜の第六次提出行動を行った。廃止署名実行委はこの日までに、新たに一万五千九百十一人分の署名を集め、代表らが、駆けつけた議員にしっかりと手渡した。盗聴法廃止を求める闘いは着実に拡大し、署名は実に累計二十一万八千九十六筆に達している。
 衆議院法務委員会の野党側筆頭理事の佐々木秀典議員はあいさつで、二十二万人の署名の力を背景に議会で盗聴法を廃止に追い込んでいく決意を述べた。
 木島日出夫議員は、今国会への盗聴法廃止法案提出で民主党と社民党、日本共産党が合意したと報告し、「盗聴令状がまだ請求されていない。これは反対運動の力」と闘いの一層の拡大を訴えた。橋本敦議員も、「参議院で盗聴法廃止法案を提出する」と報告した。
 出席した十四議員中九議員を占めた社民党の議員はそれぞれ、“盗聴法を推進した議員こそがKSDに連なる議員゜と怒りを込め弾劾した。福島瑞穂議員は、「盗聴法反対運動で得た視点」として、健康保険証の個人カード化は「医療情報を流出させる」と警鐘を鳴らした。
 続いて、市民団体が発言した。破防法・組対法に反対する共同行動は、昨年十二月に調印された国際組織犯罪防止条約が、団体の活動に参加したり、闘いの方針を相談しただけで犯罪とする「共謀罪、参加罪」を導入しようとしていると警鐘を乱打した。また、昨年十二月、警察庁長官が記者会見で「日本の警察を(中央集権の)FBIのように作り替える必要がある」と述べたことを暴露した。
 院内集会に先立ち、廃止署名実行委は午前十一時から国会前で、KSD疑惑などの徹底究明を求める街頭宣伝を行った。駆けつけた川田悦子議員は、「薬害エイズを見ても疑惑隠しは絶対に許せない」と訴えた。廃止署名実行委代表の海渡雄一弁護士は、「盗聴対象犯罪に汚職が入っていないのは、盗聴法推進議員が汚職議員だからだ」と皮肉を込めて弾劾した。
 KSD汚職は森政権丸ごとの組織的汚職であり、中心人物・村上こそ盗聴法を推進した議員だ。人民抑圧の強化と権力の腐敗は同時に進む。行き着く先は侵略戦争・帝国主義間戦争だ。盗聴法を廃止し、戦争国家化を阻止しよう。 (M)

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週刊『前進』(1996号7面1)

基地絶対反対派の前進で名護新基地建設阻止しよう
 95年以来の人民反乱の原点に
 革共同沖縄県委員会

 米兵犯罪続発と人民の怒り――照準は日帝と稲嶺に

 沖縄は年明けから今日まで、米軍基地をめぐる激流の渦に一挙にたたき込まれている。次から次へと米軍基地、米兵がらみの事件、犯罪がくり返され、地元紙の一面にこれらの報道が載らない日はない。また最近は、どこかの自治体議会でなんらかの抗議決議が上がり、これまた新聞に載らない日がない。一月以降の在沖米軍に関係する主な動きを振り返ってみる。
▼1月9日 金武町で白昼、米兵が女子高校生のスカートをまくり上げて写真をとるという乱暴行為。付近にいた男子高校生らが取り押さえ「強制わいせつ」で逮捕。
▼1月11日 元キャンプ・ハンセンの司令官が、ワシントンポスト紙で、「米兵強制わいせつ事件」について「米軍に反対する政治家が事件を宣伝している」と語ったことが報道される。
▼1月14日 国頭村のスナックで米兵が女性経営者にけがを負わせ逮捕。
▼1月19日 沖縄県議会で米兵による女子高校生への犯罪行為への抗議決議を可決。初めて海兵隊の削減要求を盛り込む。
▼1月26日 米軍紙が「沖縄の新聞は、米軍犯罪を販売に利用」と報道。
▼2月6日 ヘイルストン四軍調整官(在沖米軍司令官)が部下へのメールで「沖縄県知事は弱虫」と発言したことが発覚。
▼2月8日 米兵が浦添市の民間地域で銃を携行。
▼2月13日 今年一月、二回にわたり北谷町の飲食店に放火・全焼させた米兵に逮捕状。米軍は日米地位協定をたてに身柄引き渡し拒否。
▼2月17日 酔っ払い米兵がパトカーを破壊、逮捕。
 まったく異常である。加えて二月十日にハワイで起きた宇和島水産高校実習船「えひめ丸」と米原潜との衝突・沈没事件は沖縄県民にも大きな衝撃を与えた。
 こうした状況に今沖縄人民の意識は急激に変化しつつある。
 一つは、言うまでもなくものすごい怒りの高まりである。
 「沖縄はマグマの上にある」(稲嶺県知事)、「沖縄よ活火山になれ」(琉球新報投書欄)。稲嶺発言は政府の手先となっている自分に人民の怒りの矛先が向いてくることへの恐怖心を示すとともに、沖縄の状況を政府に高く売り付けようとする意図から出ているが、今や右左を問わず多くの人が共通して「火山」にたとえて言っていることが今の真実を物語っている。
 「(一九七〇年の)コザ暴動前夜」とか、「コザ暴動は正しかった」ということも新聞紙上で語られている。何を契機にして何が起こっても不思議ではない、今そうした現状にある。
 ヘイルストンを始めこの間の米軍の上層部の発言は、明らかにこうした沖縄人民の米軍と基地に対する怒りの「火山の噴火直前」状態への恐怖と猛烈な危機感を表している。
 二つには、沖縄人民の怒りは明らかに、単に度合いだけでなく、質的飛躍をとげつつあるということだ。
 そもそも一九九五年九・四事件以来の県民的な反基地闘争の高まりは、米軍基地との共存に対する「もう我慢できない」という歴史的怒りを元に、その根本的打破を求めたものだった。
 にもかかわらず(ある意味では、そうであるがゆえに)この高揚はストレートには目的を貫徹できず、大田知事の敗北・稲嶺体制の形成という反動を招き、今これとしのぎを削っている段階にある。日帝の「あくまでも基地の島としての現実、日米安保体制の犠牲の集中は変えない」という居直り的恫喝と徹底した買収(SACO路線)、およびこれに呼応して沖縄側から現れてきた裏切り者との連合をもって、かろうじて人民の怒りと闘いを抑え込んでいるのである。
 稲嶺、岸本などの裏切り者たちは、日帝によって歴史的に強制されてきた沖縄の差別的現実を「(大田)県政不況」などというファシスト的言葉で転倒して描き出してきた。要するに、゛政府に逆らうからそうなった″゛沖縄は政府からものをもらってしか生きられない″という奴隷根性満展開のイデオロギーで基地問題をごまかしてきたのだ。彼らのいう「現実路線」の本質とはそういうことだ。
 彼らがこの間、基地容認のためにファシスト的デマとへ理屈で推進してきた政策こそが、米軍犯罪続発の最大の根拠だ。一、二月の事態は、このことを満天下に明らかにした。人民の怒りと闘いの照準は、日帝と稲嶺に向かいつつある。

 既成の枠を破った大衆決起――浦添市長選闘争の教訓

 二月十一日投開票の浦添市長選挙闘争は、こうした状況の中で闘われた。
 那覇軍港の浦添移設を容認する自公推薦の儀間(一九七三九票)、比嘉(一八五五三票)の二候補に対し、われわれは、移設反対を掲げた現職の宮城候補(一五七六二票)を当選させることはできなかった。
 昨秋、那覇市長選挙での敗北に続き浦添でも市政を自・公に奪われたことは、当然重大な意味をもつ。那覇軍港の浦添移設の攻撃は、普天間基地のペテン的返還=名護市辺野古への巨大海兵隊基地の新設攻撃と一体の、SACO路線(沖縄の米軍基地、日米安保体制の固定化・強化)の軸をなす重大な攻撃である。
 彼らは早速「もはやなんの障害もなくなった」と公言し、移設の具体的手続きに入っている。那覇軍港の浦添移設阻止の闘いは、にわかに重大な局面に突入した。この闘いに全力をあげなければならない。
 那覇軍港の浦添移設阻止闘争をSACO路線粉砕への戦略的本格的闘いとして構築していこうとした時、その結果にもかかわらず浦添市長選挙闘争は非常に重要な教訓を提供している。
 まず、このたび市長のイスをかすめ取った儀間の選挙(選挙ならざる選挙)のやり方である。
 今回も大田知事の敗北、稲嶺体制の形成以来の選挙のやり方だった。すなわち企業その他の団体を仕事や業務命令で動員し、記入まで監視する「不在者投票」や買収など違法選挙を満展開して票を集め「当選」しているということだ。
 さらに今回も、政府・自民党は野中や鈴木宗男など直々に沖縄・浦添に送り込み、「この選挙に負けたら企業と縁を切る(金は出さない)」と大恫喝を加えた。この脅迫はそのまま企業の末端にいたるまで全面的に下ろされた。稲嶺体制の発足以来、「札束でほおをたたく」ならぬ「打ちのめす」と言った方が良いくらい、沖縄に奴隷的屈従を強要する日帝の差別的、暴力的なやり方は度が外れてきている。
 今回の選挙でもこの攻撃を打ち破ることはできなかった。すなわち、この日帝の全面的バックアップ、その手先と化した沖縄の裏切り者の「迫力」の前に、既成の革新共闘的闘いのあり方、労働組合への連合指導ではまったく歯が立たないことが明らかとなった。
 しかし一方で、まさにこの点において、今回の浦添市長選挙は、実に偉大な転換点をつくり上げることに成功している。那覇市長選挙の敗北に続き浦添市長選挙でも同様の事態を結果することによって、闘う人民は「既成の枠組み、政治内容では勝てない、勝つためにはどうすれば良いのか」を真剣なテーマとしてとりあげ、その闘いを「一から」つくり上げる実践をついに始めたということだ。
 「沖縄はこれでいいのか」という、いわば綱領的次元の事柄をスローガンとして真っ向から市民、人民に問い、基地の全面撤去を値引きすることなく提起する闘いが猛然と実践された。そしてその主張は確実に人民の中に浸透し始めた。
 宮城候補に投じられた一万五千余の票は、当選を実現するものとはならなかったが、軍港絶対反対の強固な意志に裏打ちされた政治的決起なのである。軍港建設阻止の大衆的闘いは、いよいよこれから本格的に始まるのだ。
 大田知事の敗北をのりこえる核心点はまさにここにある。
 沖縄人民の自決権(自己決定権)を徹底的に行使すれば日帝政府、国家との非和解的な対決とならざるをえないことを全面的、積極的に承認し、既成の政党に依存するのではなく、まず自らが立ち上がる、一人でも、体を張ってでも闘う、ということだ。
 金に魂を売り日帝権力の奴隷となった者の、それゆえの反革命的「迫力」を上回る階級的正義の迫力、不正義と屈従を憎む激しさ、これこそ沖縄人民の圧倒的多数が政党や労組に求めているものである。

 労働者階級が先頭に立ち――闘いの現段階と展望

 二〇〇一年の沖縄階級闘争は、主客双方とも「これまでどおりにはやっていけない」情勢に入った。一九九五年以来の「沖縄の新たな人民反乱」は、ワンサイクル回り、再び原点に返って来たといえる。
 「何回、同じことをくり返すのか。もうがまんできない」「基地を全面撤去せよ」「沖縄に対する差別・抑圧をこれ以上許さない」など、九五年の全県民的決起の時に掲げられた言葉が、再び人びとの心となり要求となってきている。しかも、人民が日帝・政府、国家の全面的居直りと「最後の切り札」を切った攻撃、大田知事とその政治基盤「革新共闘」の敗北と稲嶺反動体制の成立、という経験をくぐり抜けた次元での原点である。
 沖縄闘争の新たな次元における闘いの課題を明らかにしたい。
 第一は、「絶対反対派」を核に沖縄のあらゆる闘いを再形成していくことだ。政治的、路線的には日帝・国家との対決を徹底的に貫くことである。
 第二は、沖縄の労働者階級があらゆる闘いの軸に座ることである。「労働運動の時代は終わった。これからは市民運動の時代」論が展開されている。連合路線と既成政党の自己保身のための労組利用という現状に対し、多くの人民が「こんな労組なんか」と思い、また労働者自身が連合指導部の反労働者的な組合支配に真の団結と主体性を奪われている現実がある。しかしここから来る結論は、「労働運動それ自身を終わりにする」のではなく「連合の労組支配を終わらせる」ことでなければならない。
 沖縄の戦後の闘いの中で全県民的な闘争が高揚する時、必ず労働者階級が軸に座り徹底対決の闘いが実践されていた。「島ぐるみ」は労働者階級の真の階級性が発揮されてこそ実現できるのだ。

 労働者党建設

 第三は、真の労働者党を建設する闘いである。
 日帝・稲嶺体制の成立以降の「連戦連敗」の原因は何かを真剣に考えた場合、沖縄の「革新共闘」がその歴史的生命を終えたことは明らかだ。既成政党はもはやまったく責任を取ろうとはせず、この間のすべての闘い、すべての局面において自己保身に走っている。
 「唯一スジを通している」かのように言っている日本共産党こそが、実はその点で最も徹底的に悪質な役割を果たしている。それは、九八年以来、彼らが、安保容認、「自衛隊活用」、「日の丸・君が代」推進、天皇制擁護に態度を変え、綱領的転向をとげたことで一層度外れてきている。
 昨年、カクマルはJR九州労問題を発端に、ついに根底的な組織的危機を爆発させた。松崎とJR総連カクマルが、黒田・カクマルとの大分裂に走ったのだ。それは黒田「組織現実論」の必然的結果であり、「黒田哲学」そのものの最後的破産である。それはまた一九六二年革共同第三回全国委員会総会からの黒田・カクマルの逃亡以来のすべての決着でもある。
 この事態は、山里章ら沖縄マル同以来の沖縄カクマルの骨格の瓦解(がかい)という、彼らの危機と崩壊の段階をさらにもう一段進めるものとなっている。
 カクマルの沖縄階級闘争における反革命的役割は実に大きい。その反動的制動の暗雲が今吹き飛ばされつつある。情勢は沖縄における新たな党の建設の条件を圧倒的に成熟させている。

 改憲阻止決戦

 革共同は、二十一世紀の冒頭にあたり、二十世紀を根本的に総括し、二十一世紀を帝国主義打倒=プロレタリア世界革命完遂の世紀とすることを明らかにした。そして、そこに向けた改憲阻止決戦の爆発のために「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱へ」「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の二つの戦略的スローガンに加え、「戦争国家化阻止=改憲粉砕・日帝打倒」を掲げて闘うことを宣言した。
 日帝は、日米関係、日米安保体制、国家の存立そのものが根底から揺らぎ始める中で、没落帝国主義として破滅を予感し恐怖しながら、そこからの脱出を戦争のできる国家体制構築と侵略戦争への突進をもって突破しようとしている。ここから改憲をめぐる攻防が、戦後階級闘争のすべてをかけた労働者階級人民の未来を決する大決戦となることが明らかとなった。
 年初からの沖縄の激動は、実はこうした歴史的階級的激動の最前線的現れなのだ。改憲攻撃を軸に戦争と大失業の攻撃を労働者階級人民に全面的にしかけ、その階級的団結と闘争を一掃しようとする日帝の攻撃が、人民に何をもたらすのかを示しているのだ。沖縄闘争は、一九九五年十・二一県民大会十万人決起の質、量をともに超える段階に入りつつある。この段階に全面的、根底的に対応していかなければならない。
 名護市辺野古への普天間基地の移設、新基地建設を阻止しよう。われわれは絶対反対派として新基地建設阻止の「十五年戦争」を闘うことを断固宣言する。闘う沖縄人民の先頭に立ち、名護決戦に必ず勝利する。那覇軍港の浦添移設・巨大軍港の建設を阻止せよ。
 改悪特措法による初めての軍用地強制使用の攻撃を打ち破ろう。国鉄決戦に勝利し、連合を打倒して、労働運動の階級的再生をかちとろう。森政権打倒・教育改革粉砕、都議選決戦に総決起し、けしば誠一候補の当選をかちとろう。

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週刊『前進』(1996号7面2)

関西反戦共同が米領事館に 米・英のイラク空爆を弾劾 

 二月二十四日、全学連を中心とした関西反戦共同行動委員会は、前日に再び繰り返された米・英帝国主義によるイラク空爆に対する米領事館抗議行動に決起し、機動隊に守られた米領事館に弾劾のシュプレヒコールをたたきつけ、申し入れを行った。(写真)
  米帝ブッシュ政権がイラクを空爆する正当な理由などない。ただただ中東支配、石油権益の支配の破綻(はたん)を侵略戦争で取り戻すものとして今回の二度にわたる空爆を行ったのだ。こんなことが許せるか。抗議行動に決起した部隊は、イラク・中東・アラブ人民との連帯を込め、イラク人民虐殺に対する怒りを米領事館に徹底的にたたきつけた。

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週刊『前進』(1996号7面4)

2001年日誌 阻もう!戦争への動き 2月20日〜25日
 日米合同委地主の立ち入りを拒否 中国「侵略否定教科書」を批判

●那覇軍港移設へ推進協
沖縄県の稲嶺恵一知事、翁長雄志那覇市長、儀間光男浦添市長が会談し、那覇軍港移設を前提とする那覇港管理一部事務組合設立に向けた推進協議会を設置することを確認した。(20日)
●米軍PCB、米国へ 十八日に神奈川県相模原市の米陸軍相模総合補給廠(しょう)から搬出された廃棄物はポリ塩化ビフェニール(PCB)であることが明らかに。米軍機で米国へ送られた。(20日)
●「中国支援のイラク防空施設を空爆」 米国務省のバウチャー報道官が会見で二月十六日に米英軍が空爆したイラク防空施設の建設は、中国の支援下に進められていたとする米政府の判断を表明した。(20日)
●米軍の深夜外出禁止を
沖縄市議会が臨時議会を開き、米兵の午前零時以降(深夜)の外出禁止、兵力削減、日米地位協定の根本的改定などを求める「続発する米軍人の事件に関する抗議決議・意見書」を全会一致で採択した。(21日)
●演習場外でクレー射撃
在沖米海兵隊基地のキャンプ・コートニー(具志川市)で三十年以上にわたりレクリエーションで海に向かってクレー射撃をしていたことが明らかに。米軍は射撃場で実弾を使用していたことを認めたが、在沖米海兵隊報道部は「日米地位協定上問題はない」との見解を示している。(21日)
●町村議長会が海兵隊削減を決議 沖縄県町村議会議長会が定期総会で、相次ぐ米軍人による事件とヘイルストン在沖四軍調整官の中傷メールに抗議し、海兵隊削減と日米地位協定の抜本的な見直しを求める決議を可決した。(21日)
●「地位協定改定は困難」と政府 政府は、連続放火事件で逮捕状が出た米海兵隊員の起訴前の身柄引き渡しを米軍側が拒否した問題で、日米地位協定の実施細則を見直し、運用改善を図るよう米政府に提案する方針を固めた。河野洋平外相らがいったんは改定を検討することを示していたが、「米国が各国と結んでいる協定の中で日米地位協定が最も進んだ内容で、現段階での改定は無理、運用改善を求める方が現実的」(外務省幹部)と判断し、改定には踏み込まない方向になった。(21日)
●地主の立ち入り拒否 今年三月末に使用期限が切れる米軍楚辺通信所(沖縄県読谷村)の強制使用問題で、沖縄県収用委員会が要望していた地主の現地立ち入り調査が、日米合同委員会の場で拒否されていたことが明らかに。(21日)
●自衛官が消防署で研修
沖縄県具志川市消防本部が二月二日から自衛隊員を研修生として受け入れていることが分かった。新ガイドライン関連法を受けた動きとして批判の声が広がっている。(21日)
●参院憲法調査会 参議院の憲法調査会が今後の運営方針などについて自由討議を行った。(21日)
●海保と海自が初の合同訓練 海上保安庁と海上自衛隊の合同捜索訓練が、静岡県沖の遠州灘で漁船が遭難したとの想定で行われた。訓練には米沿岸警備隊幹部もオブザーバーとして参加した。海保によると、海自との合同訓練はこの十年間では初めて。(21日)
●稲嶺知事、米軍兵力削減要請を表明 沖縄県の稲嶺知事が県議会で、在沖米軍の兵力削減について、日米協議で取り上げるよう政府に求めていく考えを示した。稲嶺知事の兵力削減への言及は初めて。(22日)
●北谷町1週間で2度の抗議決議 沖縄県北谷(ちゃたん)町議会が臨時議会を開き、二月十七日に同町で起きた在沖陸軍兵による器物損壊事件で米兵の夜間外出禁止を求める抗議決議と意見書を全会一致で可決した。同議会は十五日にも海兵隊撤退を求める抗議決議を採択したばかり。一週間に二度抗議決議を行う異例の事態となった。(22日)
●衆院憲法調査会 衆議院の憲法調査会が「二十一世紀の日本のあるべき姿」について意見交換。(22日)
●中国が侵略否定の教科書の検定不合格を要求 中国外務省報道官が、日本の歴史教科書検定に関して「われわれは日本側に対し、直ちに有効な措置を取り、侵略を否定、美化する歴史教科書が出現することを阻止し、中日関係の大局を維持するよう要求する」と述べた。(22日)
●那覇市議会が「自衛官募集」を決議 那覇市議会が市長あてに「自衛官募集事務を早期に受託するよう要請する」決議案を賛成多数で可決した。(22日)
●「象のオリ」公開審理
米軍楚辺通信所の強制使用手続き問題で、沖縄県収用委員会が二回目の公開審理を開き、地主側から那覇防衛施設局の手続きに対する求釈明が行われた。(23日)
●兵力削減に消極姿勢 河野外相が沖縄を訪問し、稲嶺知事らと会談。稲嶺知事は海兵隊を含む兵力の削減を要望したが、河野外相は「兵力削減は国際情勢と並行して議論しなければならない」と消極姿勢を示した。(25日)

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週刊『前進』(1996号8面1)

反対同盟からのアピール 3・25三里塚全国集会へ (上)

 三・二五全国集会(招請状・要項1面)に向けた反対同盟からのアピールを二回にわたって紹介します。全力でこたえよう。(編集局)

 35年変わらぬ闘い  事務局長 北原鉱治さん

 反対同盟は、政府・国土交通省・空港公団の暫定滑走路建設に対し、臨戦体制で二年間闘い、成田空港を廃港に追い込むべく闘いつづけています。三里塚闘争が日本の未来のための闘いであることは、三十五年間いささかも変わっていない。
 農民の生活道路である天神峰の団結街道は、事前の告示・通告もなく、封鎖されて迂回道路が作られた。現在の天神峰は、厚い鉄板フェンスが張り巡らされ、鉄板の上には電流の通った有刺鉄線が張られている。戦時中の捕虜収容所のようだ。そこに住んでいる農民が最悪の環境の中での生活を余儀なくされている状況は、現地に来てみれば一目瞭然(りょうぜん)です。
 命を育む大地と生きる権利を破壊し、住民をたたき出すという攻撃がかけられています。敷地内には延々と続いてきた生活の歴史があり、この農地を権力と暴力で奪うことには、一片の正義もないのです。
 最近、土地収用法の改悪が狙われていますが、これは有事立法につながるものです。最も危惧(きぐ)すべきことです。そもそも土地収用法なるものは、戦前の日本がアジアへ侵略戦争に突入していったときのように、国が必要と認めた土地・物件を、政府が「公共」の名で没収することができる法律です。
 土地を簡単に奪えるように土地収用法を改悪し、有事の際には、国のほしいままに土地を没収できるようにしています。そして、表現の自由も、言論の自由も奪う政治が登場しつつある。「日の丸」と「君が代」が法制化されたが、戦前はどうだったのか。「日の丸」と「君が代」、それに続いて「進軍ラッパ」で、アジア侵略が始まっていったのです。
 東京都知事の石原慎太郎は、昨年九月に防災訓練をやったとき、自衛隊を前にして悦に入っていた。これはただことではない。新ガイドライン関連法がつくられたが、これは再び日本が、侵略と虐殺をやっていく道だ。アジアの人びとは黙っていないだろうし、われわれが先頭に立って止めなければならない。土地収用法の改悪と有事立法との闘いは、三里塚闘争にとって重要な闘いです。
 現在の成田空港はどのように使われているのか。先日も航空自衛隊機のC130が成田空港を使ったが、カンボジア・モザンビーク、ゴラン高原などへと自衛隊が大手を振って利用している。成田空港の軍事利用は、アジア侵略の基地として使われるということです。新ガイドラインでの成田空港の軍事使用を絶対に許さない。
 三・二五全国集会には、全国から多数の結集を期待しています。

 これからが正念場  婦人行動隊長 小林なつさん

 戦前のようなひどい状況になってきている。政府のやり方はめちゃくちゃ、森首相の支持率もどんどん下がってきている。
 KSD汚職も機密費問題も許せない。海外に行った時、ギャンブルするのに機密費から一人百万円出すんだっていうけど、本当に許せない。アメリカの原潜がえひめ丸を沈没させた時、森はかけゴルフをやっていた。チョコレートなんて言っているけど大金を賭けてやっていたに違いない。犠牲になった高校生たちのことは何も考えていない。みんなが怒るのは当たり前、森はひどいまねをした。
 土地収用法の改悪は、表面的にはうまいような話だけど、裏ではウソとペテンばかり。三十五年間、三里塚でやってきたやり方と変わりない。土地収用法が改悪されれば、一坪運動をつぶしたり、軍事基地をつくったり、何でもできるようになる。三里塚から農家を追い出して、四千b滑走路をつくる作戦だ。うまくいかないと法律を変えるというのは、汚い。全国的に大きな運動をつくっていきたい。結柴誠一杉並区議にも都議選に当選して活躍してもらいたい。いろいろやってくるけど、反対同盟は、それくらいでは負けない。
 アメリカ軍とイギリス軍のイラクに対する空爆も、本当にふざけた話。米国の自由にならないから、空爆するなんて許せない。航空自衛隊の輸送機が成田空港からインドに飛んでいったのも、いきなり黙ってやった。成田空港が軍事空港だということがますますはっきりしてきた。
 沖縄では、楚辺通信所の知花昌一さんの土地も、全然使っていないのに返さない。連続する米兵の犯罪に、みんな怒って、基地をなくせと言っている。特に若い人が基地をなくしてほしいと言っている。沖縄は、一番良い土地を米軍が取り上げている。
 「成田空港国内線充実対策検討会」というのができたらしいけど、暫定滑走路は国際線で全然使えないことを認めたということ。国内線の充実なんて言いながら結局、暫定滑走路の騒音で農家を追い出していくということ。甘く見られないように、絶対に許さない。
 三・二五全国集会には全国の人が集まってほしい。郡司とめさんがいないのはさみしいけど、途中でやめられない。郡司さんとは反対同盟として、向かっていくところ、目標が同じだった。郡司さんの遺志をついで、婦人行動隊長としてがんばっていく。
 これからも反対同盟はあくまで闘いを守っていく。成田空港を軍事空港にさせない。四千メートル滑走路は作らせない。国は三十五年で滑走路を一本しか作れていない。三里塚闘争は、これから正念場。全国の闘う人民の力で勝利しましょう。

 収用法改悪許さぬ  事務局員 木内秀次さん

 土地収用法の改悪は、一坪共有地運動を非合法化し、一坪運動をできないようにするものだ。三里塚闘争の外堀を埋めていこうとする攻撃だ。公共の名で住民に文句も言わせないで、戦争のために土地を取り上げるということ。
 三里塚闘争の陣形をさらに大きくして闘う。反対同盟は全国の人びとに呼びかけて、土地収用法の改悪粉砕の先頭に立って闘う。三里塚ではもっとひどいことをやられてきたが、三里塚では、土地収用法を上まわる実力闘争で闘ってきた。
 沖縄でも、米軍用地特措法で、現在は使っていないのに、象のオリの知花昌一さんの土地を有無を言わさず取り上げようとしている。安保の下で、沖縄県民には民主主義も人権もないし、すべてが軍事優先になっている。
 先日、航空自衛隊の輸送機C130が成田空港からインドへ行った時も、民間機で行けばいいのに、わざわざC130で行った。しかも反対されないように、いきなりだ。最初、成田は軍事使用しないと言ってきたのはウソとペテンだった。許せない。結局、成田空港が軍事空港だということが、新ガイドラインの中で明白になってきている。
 暫定滑走路を使う国際線が全然ないので、国内線を四倍の二万回にすると言っているが、暫定滑走路を使う飛行機がいかにないかということだ。最初から無理があった。国内線発着枠の増加を狙う「成田空港国内線充実対策検討会」の策動は許さない。
 土地収用法の改悪は、ある意味で、三里塚闘争があるから出てきた。全国で三里塚闘争のような闘いをさせないための攻撃だ。
 三十五年間の三里塚の闘いは、やっぱりすごい闘いをやってきたということです。三・二五全国集会へ、全国からの大結集を呼びかけます。

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週刊『前進』(1996号8面2)

強制使用公開審理 知花昌一さんが求釈明 “通信所の使用状況示せ” 

 沖縄・読谷村の米軍楚辺通信所(象のオリ)内にある知花昌一さんの土地の新たな強制使用手続きの第二回公開審理が、二月二十三日午後、読谷村総合福祉センターで行われた。
 三月三十一日に期限切れとなる強制使用をさらに四年二カ月延長しようとする攻撃に対して、反戦地主で読谷村議の知花さんを先頭に沖縄の闘う人びとが結集して闘いぬいた。米軍用地特措法の二度の改悪で、収用委員会が何をしようとも、申請すれば必ず裁決されることになったが、このような不当な攻撃は人民の力で必ず粉砕するという怒りと気概に満ちあふれた。
 また、米兵の連続する犯罪とそれに対する居直り的暴言を繰り返す米軍当局、それを支える日帝・森政権と稲嶺県政に対する怒りの決起としてかちとられた。
 この公開審理を前に、沖縄県収用委は、地主とともに基地内に立ち入ることを求めたが、米軍当局がこれを拒否し、この日午前、収用委員のみの立ち入り調査となった。これについて、収用委の当山尚幸会長は異例の抗議談話を発表した。
 公開審理に臨んで、会場前で決起集会が開かれた。違憲訴訟支援県民共闘会議の有銘政夫議長が、立ち入りを拒否した米軍と防衛施設庁を厳しく弾劾した。
 公開審理は、七人の収用委員と、地権者(地主)と代理人、事業者側の那覇防衛施設局が出席し、それと約六十人の傍聴者がホールを埋めて行われた。
 この日は、知花さんと代理人の阿波根昌秀弁護士、有銘議長が前回の防衛施設局による裁決申請の理由説明に対する十三項目の求釈明を行った。中心的には、「楚辺通信所の使用状況を明らかにせよ」「使用の期間を四年二カ月にしたのはなぜか」というものだった。
 これに対して、防衛施設局は、海軍の部隊が解任となったことは認めつつも、現在国防省職員、駐留米軍従業員、米政府委託従業員ら六十人が使用しているとしていると強弁した。これは事実上使っていない通信施設を次の代替施設ができるまでは確保しておこうとするものであることを自己暴露するものだった。
 また、SACO(沖縄に関する日米特別行動委)の合意によって、今年三月末までに返還するとなっていたのだから、返還しないのは約束違反であると迫り、さらに四年二カ月という半端な年月を設定している根拠は何かと追及した。これにも施設局はまともな釈明ができなかった。
 当山会長が「収用委員会としてもこのことは関心がある。返還までどういうスケジュールなのか」と発言し、施設局に「収用委として協議して、求釈明事項をまとめたい」と通告した。
 総じてこの日の施設局の釈明は、用意された文章を繰り返し読むことに終始し、まともに地主側の質問に答えようとしなかった。
 この日、カクマルはまったく登場することができず、組織の大分裂でガタガタの惨状を呈していることを示した。これまでカクマルは公開審理闘争の度に、闘いの妨害のためにのみ現れることを繰り返してきたが、今やその気力さえも失せているのだ。
 次回は、三月二十七日午後一時三十分、浦添市社会福祉センターで行われる。知花昌一さんの意見陳述と、牧港補給地区の地権者、古波蔵豊さんの求釈明と意見陳述の予定。

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週刊『前進』(1996号8面3)

投稿 UR(ウルグアイラウンド)農業恐慌 農業 平田一郎

 昨年は「豊作貧乏」でわが家の農産物売り上げは前年比一九%減であった。
 「自主米・最安値を更新/二〇〇〇年米入札」(日経新聞)。自主流通価格形成センターの十一月二十八日第五回入札会でのこと。
 第五回入札会は、全銘柄の平均落札価格が前回(十月二十七日)を〇・八%下回る一万五千七百二十六円(一俵・六十`)となり、過去最安値を更新した。上場された七十四銘柄十三万三十四dは、価格が下がり売れ残りは前四回より改善され一割弱となった。
 第一回入札会の時は四割近くが売れ残り、最も下落した銘柄は前年比九・七%暴落した。あわてた農水省は政府米の積み増しを柱とする緊急対策を発表したが米価は下げ止まらない現状である。
 国内産米で洪水なのに、WTO(世界貿易機関)UR(ウルグアイ・ラウンド)ミニマムアクセスによって生産量の七%の約八十万d輸入されている。水田の三分の一の百万fを減反しているにもかかわらず、USTR(米通商代表部)代表ゼーリックは一月三十日の就任式で「日本は米をもっと買うべきだ」と発言している。
 米価は日本農産物の基準価格だと私は考えている。
 米の価格と同様に野菜の価格も十年来下落し続け、昨年は特にひどい下落。一〜八月の東京都中央卸売市場の平均価格は一キロ当たり百九十七円と前年同期に比べ一三%安く過去十年の最安値だ。また生鮮野菜の輸入量は約六十万dで過去最高を記録した前年を七%上回る。
 貿易統計によると一〜十月の輸入量は七十四万dで前年同期比五%増で最高である。特にタマネギの輸入量は二十万六十四dで前年同期比二六%増、トマトは一万二百dで二倍以上、ネギは三万三十四dで六〇%増、ピーマンは四十三%増である。九九年の輸入生鮮野菜の国内市場占有率は七・六%、冷凍・塩蔵野菜を含めると十六%を外国野菜が占めている。
 日経新聞が十一月八日、「緊急制限措置(セーフガード)に待望論」と報じた。野菜の価格下落は輸入急増が原因と、生産者は苦境を訴えている。農水省に地方議会からセーフガード発動要請が相次ぎ、都道府県を通じて実態把握に乗り出した。全国農協中央会(全中)も産地や品目ごとに輸入の影響の調査に入っている。
 タマネギの収穫は五〜六月ではないか。半年もたっているのに県を使って実態調査とは何事だ。もっと腹が立つのが全中だ。輸入農産物が、影響があるのかないのかなどという問題はUR以前の話。一六%シェアの外国産野菜が市場価格を決定していることが問題。全中は政治問題化する体制を常時取っておくのが当然ではないか。農協は農民の経済団体ではないのか。野菜産地の地方議会が決議し農水省に要請しているのに。
 同二十七日には、日経新聞が「農水省が野菜六品目に関して緊急輸入制限措置の発動に向けた政府調査の開始を大蔵・通産両省に要請している」と報じた。
 豚肉は、URの関税化品目の「特別セーフガード」緊急輸入制限が二度発動されたが、UR以前三万戸以上あった養豚農家は現在一万戸に激減してしまった。外国産豚肉のシェアは五〇%以上、牛肉は豚肉より早く輸入自由化直後に五〇%を割ってしまっている現状だ。セーフガードも何の足しにもならなかった。
 農水省がまとめた九月農産物価格指数(九五年一〇〇)は、前年同月比で七・五%下落して九〇・二となる。WTO農業交渉がジュネーブで二月五日から三日間開催されたが、ムーアWTO事務局長は「日本がUR合意から後退しているという国も多い」と懸念を表明していると言う。農民に壊滅的打撃となる交渉結果は断じて許さない。
 農産物生産者である農民は、「バブル景気」の恩恵には預かれず、アジアと日本の経済恐慌になるとそのしわ寄せは大きく、米価や野菜価格の暴落になった。
 俺も三十余年百姓をやっているが、肌身で経済的厳しさを感じている。後継ぎができたことは喜ばしいが、税金、介護・健康保険、国民年金などの公的負担増の中、果実の単価は上がる可能性はまずないから、収穫量増以外ないと考えている。
 耕作地を増やす規模拡大が、デフレの時代では一番無難ではないか思う。農地の買収は資金的にとても無理だが、耕作放棄農地がたくさん出てきているので借地によって果実を増産し売上げ高を確保することを目指している。しかし、果樹は苗木を植えて五〜七年たってからでないと売上げ高にならないのです。
 設備投資も少しはしなければならないが、政府や農協の農家に対する制度資金等の貸し出しは、中小企業と同様、非常に厳しい。だが、どんなことをしてでも家族経営で百姓を続ける決意でいる。
 食料・農業・農村に関する基本法(九九年七月に成立)の第十九条・食料安保で、マニュアルも正式決定され、有事の際には、花卉(かき)や果樹などカロリーの低い作物は強制的にイモ類を栽培させられる。食糧については戦時法が完成しつつある。農民も闘う労働者とともに闘う農民のネットワークを形成しなければならない。

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