ZENSHIN 2001/03/26(No1998 p06)

ホームページへ週刊『前進』月刊『コミューン』季刊『共産主義者』週刊『三里塚』出版物案内販売書店案内連絡先English

週刊『前進』(1998号1面1)

暫定滑走路粉砕・土地収用法改悪阻止 3・25三里塚に全国大結集を
帝国主義世界経済の破局と対決し森自民党打倒・都議選勝利へ
 動労千葉が春闘スト突入を決定

 三・一一革共同政治集会は、都議選決戦の地である杉並公会堂に九百二十人の労働者・住民・学生を集め、分裂を深めるカクマルを完全打倒し、三・一四反革命をそそぐ決定的な情勢が到来したことを力強く確認、都議選決戦に突撃することを宣言した。六月二十四日の都議選投票日まであと三カ月余、すべての力を集中して、けしば誠一氏の勝利に向かって進撃しよう。森政権と石原都政の打倒、介護保険廃止、学校給食民間委託反対、KSD汚職・機密費疑惑弾劾を掲げ、大衆運動をつくり出し、都政を革新する会の鮮明な登場を切り開こう。三・二五の三里塚全国総決起集会に大結集しよう。無実の四同志の超長期勾留を弾劾し、直ちに保釈させる大運動をかちとろう。動労千葉は三月下旬〜四月初めのストを決定した。ともに超低額回答打破・一律大幅賃上げへ春闘を闘いぬこう。

 第1章 革命的情勢の接近に民衆の団結と行動を

 三月十二|十三日、米、日、欧で世界同時の連鎖的な株安が起こった。
 米ナスダックは二千ポイントを割り、一年で六割下落した。ニューヨーク市場のダウ平均株価は十四日に一万jを割った。アメリカの景気の急降下、企業収益の悪化、大量解雇という事態の中での株価の急落である。過剰資本、過剰債務、不良債権が表面化し、信用が収縮する事態が激化している。米経済は完全にバブルの本格的崩壊と恐慌に向かい始めた。一九二九年型大恐慌寸前情勢である。
 これと連動し、日本では十三日、東証株価が一万二千円を割った。これはバブル前の一九八五年の水準である。景気対策の金融緩和もまったく効果がない。政策コントロールから外れてしまっている。日本も恐慌の再激化に向かい始めた。

 危機と腐敗と反動の自民党

 こうした帝国主義世界経済の破局的危機は、日帝の政治支配の危機と連動している。森政権の支持率は数%に低迷し、誰が見ても「死に体」「末期的」な様相を呈している。十三日の自民党大会は、「総裁選の前倒し」を打ち出すことでかろうじてのりきったが、にもかかわらず「辞意表明」と言えないのだ。「神の国」発言以来、森のやることなすこと、発言のことごとくが人民の怒りの的になっている。森では都議選も参院選も闘えないという自公保の中からの不安が噴出し、「森下ろし」の暗闘が展開されている。
 KSD汚職が暴き出したことは、自民党の政治資金構造の危機である。KSDをつうじての集金とは、実は中小業者からの詐欺まがいの集金と流用である。また、アイム・ジャパンによるアジア人労働者の現代版強制連行とピンはねで得た金を自民党の政治資金として吸い上げてきたものである。そしてニセ自民党員のねつ造とその党費の肩代わりという形で、自民党に流れた。そこには大量の有印私文書偽造の組織犯罪が伴っていたのである。二十億円もの金がそうやって自民党の政治資金となっていた。これは自民党の腐敗の極みであるが、同時に、政権政党として成り立たないところまで来ているという危機の表現でもある。
 自民党と自民党支配は完全に破産している。森を辞めさせたくても次の本命の総裁候補がいない。次の政権の展望も描けないのだ。
 支配階級が完全に行き詰まっている。レーニンは革命的情勢の徴候の第一に「『上層』のあれこれの危機、支配階級の政治の危機が、亀裂をつくり出し、それにそって、被抑圧階級の不満と憤激が爆発すること」(『第二インタナショナルの崩壊』)を挙げているが、今日そのような情勢が接近しているのだ。
 今こそ、腐敗と反動の森自民党を打倒しなければならない。自公保連立など吹き飛ばさなければならない。われわれこそがこの情勢を根本的に覆す革命勢力として、革命的大衆行動を爆発させ、一個の革命政党として登場する時である。

 沖縄・三里塚の闘い強化を

 米帝ブッシュ政権が、朝鮮・中国侵略戦争を実行する政権であることは、イラクに対する理不尽な爆撃をみても明白である。
 米原潜による実習船えひめ丸への衝突・沈没事件が示したことは、侵略戦争のための軍隊が人民の生活や活動にとってまったくの敵対物であるということだ。安保の反人民性を端的に示している。
 しかし、今の事態はひとつ間違えば反米民族排外主義が巻き起こりかねない事態である。現に、カクマルは「日本の人民もリメンバー・パールハーバー」などと絶叫している。日帝軍隊による真珠湾奇襲と並列して今回の原潜事件を取り上げて反米排外主義をあおっているのだ。これは、労働者階級の階級的・国際主義的立場と相入れない。
 沖縄情勢も重大である。三月十二日には、一カ月以上前に普天間基地で起こった米軍ヘリ二機の接触事故が隠されてきたことが明るみに出た。市街地上空で接触・墜落となったら重大な事件になるところだ。
 名護新基地建設の攻撃は、橋本が「二千bの滑走路が基本」と言い、稲嶺は「陸上案を断念。海上でも埋め立てれば陸上になる」と強弁し、事実上「陸上案」の公約を撤回、早期建設を図っている。
 また、政府機密費疑惑の一環として、九八年の県知事選挙で、稲嶺候補の選挙資金に一億円の機密費が使われたという証言が出てきた(毎日新聞三月七日付)。機密費という領収書も帳簿も必要としない金が、沖縄闘争の圧殺と基地の再編・維持・強化のために使われているのだ。
 三・二五現地闘争を目前にして三里塚情勢はきわめて緊迫している。三月十一日、一坪共有地をフェンスで囲む暴挙が行われた。これは土地収用法改悪の攻撃と一体である。暫定滑走路建設阻止の決意も固く、全国から三・二五現地闘争に大結集しよう。

 侵略戦争賛美教科書を葬れ

 「新しい歴史教科書をつくる会」の中学校歴史・公民の教科書が検定を通りそうな情勢であり、まさに容易ならない事態である。二月十八日には、衆院予算委員長の野呂田芳成が、「大東亜戦争で植民地主義が終わり独立した国がたくさんある」と「つくる会」教科書と軌を一にした発言をしている。南北朝鮮、中国を始めとするアジアの人民の怒りと決起が沸き起こっている。侵略戦争賛美と皇国史観の教科書が登場することは、再び侵略の担い手をつくり出そうとする攻撃なのだ。戦争国家化、改憲の攻撃そのものとして、徹底的に重視してこれと闘わなければならない。
 各地で激しく展開されている三、四月の「日の丸・君が代」強制攻撃との闘いをやりぬこう。
 教育改革六法案、そして教育基本法改悪の攻撃との闘いは、今日における改憲阻止決戦そのものである。この闘いを取り組まないところに改憲阻止決戦は存在しない。教育改革攻撃粉砕に全力を挙げよう。
 闘うアジア人民と連帯し、在日人民への日本国籍強要・国籍法改定の攻撃を始めとする差別・排外主義の攻撃を打ち砕こう。

 第2章 既成政党ではダメだ闘いの代表を議会へ

 今日の森政権の危機、自民党危機に真っ向から切り結ぶ闘いとして都議選決戦を闘わなければならない。都議選はまさに国政を直接争う決戦場となった。
 第一に、「自民党を全員落選させよう」ということだ。腐り切った自民党、戦争国家づくりの自民党、労働者人民に犠牲を強いる自民党を一人残らず落とすことが都議選の課題だ。
 第二に、「自民党を支え協力してきた公明党、保守党も同罪だ」ということだ。過半数を押さえられずに危機を深める自民党をここまで延命させてきたのは公明、保守の両党の責任だ。
 第三に、「野党がよりましということではない。民主党も日本共産党も革新ではない」ということだ。民主党は「集団的自衛権」を叫び、憲法改悪を推進する反動勢力だ。官房機密費から野党対策として絶えず買収されてきた政党だ。
 日本共産党は、「きれいな政党」などと言うがまったくウソだ。@改憲攻撃との闘いを争点にせず、A「有事の自衛隊活用」論で改憲派に転落し、B「日の丸・君が代」法制化を推進し、C教育改革攻撃と闘わず、D「軍事費の削減」スローガンを降ろし「前年水準に」へと後退させ、E「消費税三%に」を取り下げ「消費税増税反対」に変え、F「機密費は必要」と容認に転換した。さらに、G国労大会への機動隊導入を推進して闘争団切り捨て攻撃の先兵となり、H学校給食民間委託攻撃を容認した。要するに野党連合政権に入るためには何でも飲むという政党である。労働者人民の味方ではない。
 野党は人民の闘いを抑えつけ、帝国主義のもとに縛り付ける役割を果たしているのだ。
 第四に、だからこそ自民党と本当に徹底的に闘いぬき、国政、都政に風穴をあける人、そうした新しい民衆の運動の代表をこそ議会に送り込もう、ということである。

 石原翼賛する日共を許すな

 森政権に対する怒りとともに石原都政に対する怒りを結集して闘おう。世界大恐慌と大失業の情勢、自民党政治の末期的危機に対する焦りといらだちからファシスト的勢力が台頭する条件が強まっている。マスコミは、「石原待望論」をあおっている。革命の側が決然と立ち上がって猛然と運動を起こさなければ、右側から現状転覆の動きが起こりかねない、きわめて危険な情勢でもある。
 石原は、国と対立する、あるいは自民党を批判するというスタンスでデマ宣伝をしているが、その実態は、中曽根や森と意気投合する改憲論者である。それも憲法の規定に従った改定ですらなく、「国会で破棄決議を行え」と扇動している。ヒトラーが「授権法」をもってワイマール憲法を停止したことを再現しようとしているのだ。
 また、教育改革攻撃を推進し、「つくる会」の侵略賛美と皇国史観の教科書を東京都の中学校で採用するように指示している。戦争国家化攻撃を最も強力に推し進めている人物である。
 石原が知事になってから、福祉が切り捨てられて確実に生活が苦しくなっているというのが高齢者や「障害者」の実感である。また、都の労働者は石原のリストラ攻撃にさらされている。
 また、自民党政治の腐敗と無縁を装っているが、村上、小山というKSD汚職の主犯にして最も右翼的な政治家とつながっているのである。石原は、在日アジア人民を敵視し、自衛隊を治安出動訓練に大々的に動員した。
 石原が都知事の地位を利用してファシスト的言動を繰り返していることは、アジアを始め全世界で問題になっており、日本人民にとって、石原を首都の代表としてのさばらせていることは、アジアと世界の労働者人民に向かって許されないものになっているのだ。
 この石原にすべての政治勢力とマスコミがはいつくばり、何ひとつ対決できていないということもまた、恐るべきことである。
 日本共産党は、「石原知事には是々非々主義でのぞむ」(不破)と言って、石原ファシスト都政打倒の闘いに敵対し、石原の翼賛勢力に転落した。

 大衆運動でけしば勝利へ

 こうした中で、文字どおりけしば誠一氏だけが「石原都政に真っ向勝負」の旗を高々と掲げ、闘う労働者人民の石原に対する闘いの先頭に立って闘っているのである。
 四月一日に一年目を迎える介護保険の廃止を要求する住民の闘いの先頭に立ち、闘うけしば氏。学校給食の民間委託に対して、保護者と区職員労働者とともに唯一全力で闘いぬくけしば氏。「つくる会」教科書を絶対許さない闘いの先頭に立つけしば氏。KSD汚職・機密費疑惑を追及する大衆的闘いの先頭に立つけしば氏。「平和・くらし・福祉・いのち・教育」のすべての面で、新しい労働者住民の闘いをつくりだす政治家として、けしば氏が立ち、訴えているのである。
 この三、四月、全力でけしば候補を推し立てた宣伝戦を展開し、大衆運動を爆発させ、その力で六・二四都議選でのけしば当選をなんとしてももぎ取ろう。

 第3章 離脱公言したJR総連松崎分裂拡大しカクマル打倒へ

 国鉄闘争解体策動打ち砕け

 国鉄決戦は、不屈の闘争団を先頭に一・二七への怒りに燃え、戦闘的に闘われている。一・二七国労大会での機動隊千三百人による制圧という事態について、あくまでも徹底的に弾劾しぬこう。この機動隊の導入は、単に国労本部が四党合意を通すために機動隊の力を使ったという次元にとどまらない。それは日帝権力の国家意志として、国労をつぶし、動労千葉をつぶそうとして襲いかかってきた攻撃であるというところに本質がある。
 動労千葉は、三万八千円の賃上げ獲得−JR貨物の超低額回答打破などの要求を掲げ、シニア制度|鉄道業務の全面外注化阻止、千四十七名の解雇撤回、JR総連解体−−組織拡大の闘いを結合し、三月下旬から四月冒頭に春闘ストに立ち上がろうとしている。
 これは「ニューフロンティア21」=第二の分割・民営化攻撃に反撃する闘いである。これまで国鉄決戦の重大な局面で動労千葉のストが情勢を切り開いてきたが、そのような決定的な闘いである。NTT労組の春闘放棄、金属労協(IMF・JC)の超低額妥結を弾劾し、これから本格化する中小労組の闘いに限りない勇気を与えるだろう。ともに春闘を闘い、国鉄決戦の新段階を切り開こう。
 日帝国家権力は、JR完全民営化法案強行と軌を一にして、国労中央、高嶋・寺内執行部に「四党合意」に基づく「ゼロ回答」=闘争団切り捨てをのませ、国鉄闘争を解体する策動をいよいよ強めている。断じて許してはならない。

 高知の「評伝」で黒田が窮地

 JR総連カクマル・松崎と、カクマル・黒田の対立は、ますます重要な局面にきている。
 カクマル・黒田は昨年十二月八日に「JR総連労働運動の終焉(しゅうえん)」「JR総連執行部は階級敵」と叫び、その打倒を宣言した。ところが彼らはそれを貫徹することができないのだ。カクマルは笑うべきことにJR総連頭目(ダラ幹の頭目)である松崎を自分たちの味方であるかのように取り繕おうと必死だ。松崎が黒田・カクマルの最大の弱点であることは完全に明らかになった。われわれが毎週毎週「松崎はどうした」と突き付けているのに、しどろもどろになり、回答できない。
 さらに、高知聰の『黒田寛一の評伝』をめぐるカクマル内部危機は深刻だ。
6面につづく〜1面からつづく
 問題は、唯一のカクマル随伴文化人だった高知が、死の前に出版した本で黒田の「日本礼賛」を批判し、黒田の『実践と場所』を「恥さらし」とまで切り捨てたことにとどまらない。そんな本が黒田のサイドからの資料の提供で執筆され、黒田のあずかり知らないうちに、しかもカクマル系出版社である現代思潮新社から発行されてしまったということが問題なのだ。
 これは黒田のごく近い身内からの意識的な黒田に対する反乱である。一方では黒田の絶対化、神格化が進み、カルト的私党化が進んでいるのに、中枢では黒田の支配が崩壊している。
 反革命通信『解放』は、高知に「感謝する」と繰り返す「追悼文」が出た翌週に黒田寛一署名の抗議文が出るという混乱ぶりである。そして次の号にも高知非難の文章が掲載されたが、カクマル党員もそのあまりの低劣さに絶句している。カクマルとJR総連の分裂・対立と連動したカクマルのとてつもない危機が今進行しているのである。
 われわれは、対カクマル戦の勝利へ決定的情勢が訪れたことを力強く確認し、今こそ攻めて攻めて攻めまくらなければならない。

 4同志保釈へ大運動起こせ

 迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判の四同志の即時保釈をかちとるために闘おう。一審で十四年もかけて検事側が何ひとつ立証できずにいること自体が、無実とデッチあげを証明している。こんな暗黒の弾圧は絶対に許されない。十万人署名運動を一層強め、直ちに四同志を奪い返そう。
 都議選勝利に向けての選挙資金カンパ闘争を成功させよう。この激闘のただ中で、機関紙拡大闘争の恒常的強化をかちとり、党勢の二倍化を達成しよう。

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週刊『前進』(1998号2面1)

革共同集会で戦闘宣言 3・11東京
 けしば候補必勝へ都議選決戦態勢
 分裂カクマル打倒誓う 教育改革・改憲攻撃と対決

 「本多延嘉書記長虐殺から二十六年、三・一四復讐戦貫徹・カクマル完全打倒/三・一一革共同政治集会」が、東京・杉並公会堂に九百二十人を結集して開かれた。木崎冴子同志が基調報告を行い、二〇〇一年の革共同の決戦方針を全面的に提起した。何よりも分裂カクマルを完全打倒すること、六月東京都議選決戦に絶対勝利することを、革共同と労働者階級人民の未来をかけた決戦として訴え、全党・全人民の総決起を呼びかけた。革共同集会の大成功を踏まえ、森・石原の戦争政治粉砕へ三|四月決戦に総決起しよう。

 木崎同志が基調報告

 革共同集会は、日帝・警視庁のまったく許すことのできない集会妨害、弾圧態勢を打ち破り、これへの怒りをバネにかちとられた。
 日帝・警視庁は、二百五十人もの私服刑事を会場周辺三方に配置し、参加者の写真を撮ったり、乗ってきたタクシーの乗務員にどこから乗せたかを尋ねるなどの暴挙を行った。革共同に対する選別的、狙い撃ち的な弾圧であり、戦争国家化、改憲攻撃と一体の一九三〇年代の特高弾圧そのものだ。われわれはこうした権力の妨害、弾圧からすべての参加者を守りぬき、集会の成功をかちとった。
 革共同は権力の集会破壊、参加者への結集妨害と弾圧を絶対に許さない。徹底的に闘い、必ず粉砕することを宣言する。
 舞台の中央左には、故本多延嘉書記長の大きな遺影が飾られ、バックには集会名称とともに「いざ、革命の二十一世紀へ」の文字が大書され、戦闘的雰囲気を盛り上げた。
 開会に先立ち、正午から昨年秋以降の激闘のビデオが上映された。十一月労働者集会、雪の中の一・二七国労大会、九・三自衛隊首都治安出動演習粉砕、獄中十六年の鎌田雅志同志の出獄など、臨場感あふれるシーンが次々と映し出され、会場はわいた。
 ビデオ上映後、開会が宣言された。連帯のあいさつに続き、「分裂カクマルを打倒し、労働者階級の力で革命の二十一世紀へ」と題して、木崎冴子同志が約一時間の基調報告を行った。
 冒頭、木崎同志は、本集会の最重要の課題は都議選決戦勝利と超長期獄中同志奪還のための決戦態勢の確立にあることを明確にし、内容展開に入った。
 木崎同志はまず、革共同と労働者人民の四十数年間の営々たる血みどろの闘いが、ついに黒田・カクマルと松崎・JR総連の大分裂情勢をつくり出し、ファシスト・カクマルを完全打倒すべき決戦情勢をたぐり寄せたことを、勝利の確信も固く提起した。
 そして、国鉄分割・民営化攻撃への全面的屈服・転向の大裏切りがカクマルの命取りとなったこと、一切の元凶は頭目・黒田と副議長・松崎にあり、黒田の「謀略論の哲学」の反革命性と破綻(はたん)性が突き出されていることを明らかにした。そして、「革共同は三・一四反革命を凶行した黒田を必ずや打倒する」と宣言した。
 木崎同志は続いて、内外情勢に論を進め、米帝バブル経済の崩壊とブッシュ新政権の軍事外交政策のもとで、帝国主義間争闘戦が激烈化し、全世界的に戦争と恐慌・大失業の時代が到来しつつあること、このもとで日帝は、朝鮮・中国|アジア侵略戦争とそのための改憲・教育改革・有事立法の攻撃にのめりこんでいることを弾劾した。
 とりわけ教育改革、教科書、「日の丸・君が代」、日教組つぶしとの対決が重大化していることを訴えた。そしてこれに反撃する闘いがすでに各地で激しく火を噴いていることを報告し、「処分を恐れず団結して闘えば、闘いは永続的に発展する」「生徒・保護者、地域の労組、市民団体、在日アジア人民、部落大衆との共同闘争をつくり出そう」と呼びかけた。
 木崎同志は、さらに介護保険闘争、排外主義・差別主義との闘い、三里塚闘争、国鉄決戦と二〇〇一年春闘など当面する決戦課題の方針を提起した。とりわけ三里塚反対同盟との血盟をかけて、成田空港暫定滑走路建設粉砕・土地収用法改悪阻止を闘い、勝利する決意を述べた。
 その上で、最大の決戦として六月都議選決戦を提起した。都議選は「革共同が真の労働者党に飛躍するための挑戦」であり、「都議を擁した党として衆院選に勝利する。革共同と労働者階級人民の未来はここにかかっている」と都議選決戦の死活性を強調した。
 そしてこの闘いは、腐りきった森自民党政権とファシスト石原に対する労働者人民の怒りの先頭に立ち、巨大な革命的大衆行動をつくり出すことで、必ず勝利の条件が生まれることを提起した。
 とりわけ石原が日帝の教育改革|教科書攻撃の先兵となっていることを弾劾しこれと対決する大衆行動を杉並から起こし、石原打倒の革命的情勢をつくり出そうと訴えた。そして「日本共産党を打倒し、けしば候補必勝へ、死力をふりしぼって闘おう」と訴えた。
 さらに木崎同志は、迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判を闘う四同志奪還、星野同志奪還は革命党の絶対的義務であることを訴え、とりわけいま最大最高の決戦攻防を迎えている爆取弾圧四同志の保釈奪還へ、全党の総決起を呼びかけた。
 木崎同志は最後に、「革共同はいま創成期の鮮烈な思想と精神をよみがえらせて、労働戦線を主要な舞台として大躍進する時を迎えた」として、「革共同に課せられた歴史的階級的使命を十分に果たすために、党勢の二倍化の闘い、そのためにも都議選決戦に勝利し、二〇〇一年決戦の勝利に向かって驀進(ばくしん)しよう」と訴えて、基調報告を終えた。
 全参加者が基調報告に奮い立ち、都議選決戦必勝への決意も新たに、満場の拍手でこたえた。

 三里塚・北富士が訴え

 基調報告に先立ち、連帯のあいさつが行われた。北富士忍草母の会の天野美恵事務局長(写真左)は昨年十一月の米軍実弾演習阻止闘争を振り返り、「北富士現闘が大看板を立て、二カ月間座り込みを続けてくれた。今年もまた十一月に米軍が演習をやる。去年以上の闘いをやりたい。ぜひまた北富士に来て下さい」と語り、「都議選でけしばさんを勝たせて、政治を変えよう」と呼びかけた。
 部落解放同盟全国連合会の小林あや子さんは、「二十一世紀を部落差別撤廃と人間解放の世紀に!」を合言葉に、差別糾弾闘争の基軸性を打ち立てた全国連第一〇回大会の大成功について語った。そして「差別の洪水は、帝国主義の危機だけでなく解放運動の力が解体されつつあることで起きている。本部派は差別事件の解決を権力・行政にゆだね、部落民自主解放の思想を投げ捨てた。融和団体化した解同本部派をのりこえ差別徹底糾弾闘争で部落民の団結をつくり出す」と決意を語り、狭山異議審棄却攻撃と対決し三・二一東京高裁糾弾要請行動から五・二三狭山中央闘争へともに闘うことを呼びかけた。
 沖縄民権の会の座覇光子さんは、「沖縄の運命を担い、切り開く者の一人として発言する」と語り始め、病と闘う在本土沖縄出身者のことを語り、「沖縄の解放のために闘った古波津さんが掲げた〈民権〉とは、人間として生きる権利を奪い返すことだ」と述べた。そして入会権奪還のために身命をかけて闘った座覇さんの大叔父の思い出を語り、「革命の戦士けしばさんを議会に送ろう」と結んだ。
 続いて、暫定滑走路建設による農民圧殺攻撃と不屈に闘う三里塚芝山連合空港反対同盟が満場の拍手の中を登壇した。北原鉱治事務局長を先頭に市東孝雄さん、鈴木幸司さん、三浦五郎さん、小林なつさん、木内秀次さん、伊藤信晴さん、宮本麻子さんが演壇に並んだ。代表して三氏が、暫定滑走路工事阻止|二〇〇二年供用阻止の勝利をかけて三・二五現地闘争への総結集を呼びかけるアピールを行った。
 北原事務局長は、「今朝、空港公団はなんの事前通告もなく、天神峰の一坪共有地をフェンスで囲い込む暴挙を行った」と弾劾し、「人民不在の行政を変えるには、自ら闘う以外にない」と訴えた。本部役員の鈴木幸司さんは、「三十五年間の軍事空港反対の闘いの正義を確信している。再び侵略戦争を許してはならない」と語り、婦人行動隊長の小林なつさんは、「東峰神社の立ち木、市東さんの畑を体を張って守る」と決意を述べた。

 国鉄・教労の戦線から

 基調報告、獄中同志奪還のアピールのあと、マル青労同教育労働者委員会と国鉄委員会の労働者が特別アピールを行った。
 教労委員会の同志は、「日の丸・君が代」闘争の大爆発をかちとり、教育改革攻撃との全面対決の歴史的決戦に立つ決意を表明した。「『日の丸・君が代』反対を闘う国立などに無法な処分弾圧が加えられているが、教育労働者は断固反撃に立ち上がっており『教え子を再び戦場に送るな』の闘いは健在だ。職場闘争を堅持しつつ、地域・労働者・アジア人民との共同闘争をつくって断固反撃していく」と決意を述べた。
 国鉄委員会の同志は、まず一・二七国労大会の階級的性格について「日帝権力が機動隊を使って襲いかかり、国労中央に四党合意承認を強行させた」と断罪し、「労働組合の大会が、日帝の体制的危機の中で重大な治安問題になってきた。日本労働運動は新たな攻防段階に突入した」と時代認識の転換を訴えた。
 そして四党合意に対して各地本大会などで反撃が闘われ、また動労千葉が三月末春闘スト決起を決めたことを報告し、「今こそ千四十七人闘争勝利、JR大合理化攻撃粉砕、松崎・JR総連打倒に総決起しよう」と熱烈に呼びかけた。
 このあと杉並からの訴えが行われ、会場の熱気が最高潮に高まる中、締めくくりに三人の同志が決意表明した。
 差別・抑圧と闘う戦線を代表して入管戦線の同志は「教育改革攻撃を粉砕しよう。プロレタリアートの子どもたちを侵略戦争翼賛勢力に引き渡すわけにはいかない。アジア人民の闘いに連帯し、日本軍軍隊慰安婦の闘いに学んで、排外主義を打ち破ろう」と訴えた。
 マルクス主義青年労働者同盟を代表して、自治体労働者は、「二〇〇一年春闘を闘い、団結の力で勝利する。闘う労働運動を望んでいる職場の仲間の声に、勇気を持ってこたえよう。自治体労働者は戦争国家化を進める敵階級を内側から吹っ飛ばす。そして都議選決戦でファシスト石原をぶっ飛ばそう」と訴えた。
 最後に大山尚行全学連委員長が発言に立ち、「全学連はファシスト・カクマル完全打倒の最先頭に立つ。学生カクマルを早大と全国の大学から一掃し、学生自治会の全国的確立をなし遂げる。『つくる会』教科書粉砕、教育改革粉砕の闘いの先頭に立つ。都議選決戦を担い、杉並から全国を揺るがす闘いを実現する。反対同盟の呼びかけにこたえ、三・二五三里塚に総結集する」と決意表明した。
 こうして革共同政治集会は、三・一四復讐戦貫徹、カクマル完全打倒と都議選決戦への総決起大会として圧倒的な熱気にあふれてかちとられた。

 “自民党を倒そう”けしば候補が熱烈な決意

 「六月東京都議選必勝へ」と題し、都政を革新する会代表の長谷川英憲元都議、都革新後援会代表、けしば区議があいさつした。地元杉並からも多くの区民・支持者が参加した。
 初めに長谷川元都議があいさつし、「ほうはいとわき起こる森政権打倒、自民党打倒の声の最先頭で闘おう。街頭で自民党議員を全員落とそうと訴えると、人びとが振り返り、共感のまなざしで見ていきます。都革新とけしば候補は民衆とともに行動する新しい政党であり政治家だ。介護保険の強行、福祉の切り捨てで苦しむ人たちの力になれる政党に都革新は飛躍する。勝利へ全力で闘おう」と呼びかけた。
 都革新後援会の代表は、「都議選勝利が都革新を前進させるとともに、全国の人びとに希望を与え、各地で頑張っていただけると思う。商店街では『自民党はもう期待できない』と言い、他候補のポスターを張っていても『次の選挙ではけしばさんを応援するよ』とひそかに言ってくれる商店主もいます。革共同の皆さん、勝利のために知恵と体と資金を」と訴えた。
 参加した区民は、「安心できる世の中をつくるために頑張りましょう」と呼びかけた。
 杉並の訴えの最後に、けしば区議が発言した。「皆さんの発言に勇気百倍。これにこたえてなんとしても勝利する」と話し始めたけしば区議は、五十年以上にわたった自民党支配が崩壊して政治的流動化が激しく起きていることを指摘し、「旧来の自民党支持層からも『今回は自民党を支持しません』という人がたくさん出ている。森が辞任しても腐りきった自民党は変わらない。こんな自民党にもう我慢ならないという民衆の論理をたたきつけよう」と呼びかけた。
 そしてKSD汚職と深くかかわる村上、中曽根、石原らが教育改革|戦争賛美教科書の先頭に立っていることを弾劾した。
 けしば区議は、「いま街頭で、『自民党を一人も当選させるな』『住民が自ら立ち上がって現状を変革していくこと、こうした住民の運動や職場の団結こそが、政治の中心にならなくてはならない。けしば当選が自民党を倒す唯一の道』と訴えている。同志の皆さん、この思いをぜひすべての杉並区民に伝えて下さい」と訴えた。
 参加者は、絶対勝利の決意を込めて、大きな拍手でこたえた。

 獄中同志奪還へ 家族が発言 超長期勾留に怒り

 集会の重要な柱として、長期獄中同志奪還、デッチあげ弾圧粉砕へ全党の総決起をかちとるため、革共同救援対策部と獄中同志の家族が訴えた。
 八六年迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判を闘う須賀武敏同志、十亀弘史同志、板垣宏同志は十四年、福嶋昌男同志は八年という、まったく違法・不当な超長期未決勾留の弾圧を受け、獄中で健康を破壊されている。弁護士、学者、宗教者の決起、一万四千筆を超える署名運動の前進、須賀同志の医療鑑定など、四同志奪還の闘いは最大の正念場を迎えている。
 救対部の代表は、四同志奪還へ総決起を呼びかけ、「われわれの闘いは獄中同志の不屈の闘争に支えられてきた。獄中同志奪還は革命党の絶対的な義務だ」と四同志および獄中二十六年の星野文昭同志を必ず奪還することを呼びかけた。さらに「倉持同志、片山同志、浦山同志を守りぬいて、必ずや革命的合流を果たそう」と訴えた。
 須賀武敏同志の家族は、獄中の須賀同志からのアピ
ールを紹介し、「獄中闘争を支えてきたものは、心は常に(外の)同志とともあるという思いであり、(外の)同志が常に獄中を思っているという思いである。獄壁を打ち破って、必ず合流しよう」と訴えた。
 十亀弘史同志の家族は「五千日を超える不当な長期勾留が続いてる。彼らを見殺しにすることは、革命の未来を自ら絞め殺すに等しい。彼らの中に、党のあるべき姿が体現されている。皆さん、裁判をぜひ傍聴に来て下さい」と呼びかけた。
 星野文昭同志(七一年十一・一四沖縄返還協定批准阻止渋谷暴動闘争戦士、徳島刑務所在監)の家族・暁子さんは、「『無期懲役』と対決し、奪還のために闘う党なのかどうかが問われている。昨年二月の再審棄却攻撃を見据えて、星野を取り戻すためにどうしたらいいかを考えよう。星野は過酷な獄中闘争を闘っている。多くの署名を集めて裁判所に申し入れ行動を行う。獄中同志の奪還へ全力で闘おう」と呼びかけた。

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週刊『前進』(1998号2面2)

資本攻勢&労働日誌 2月23日〜3月7日
 ●三菱自工大リストラ計画
 ●連合パート集会で怒りが
 ●失業率4.9%で最悪続く
 個別紛争処理法案が閣議決定

●2月23日 厚生労働省が発表した主要企業の昨年末の一時金平均妥結額は79万9232円で、前年比0.76%増と3年ぶりに増加した。
●25日 長野県教職員組合(日教組加盟)は、日教組や全教などの上部団体が違う全国の教職員組合に「『新しい歴史教科書をつくる会』の教科書の検定通過を許さない取り組みをともに進めましょう」と呼びかける手紙を送った。
●26日 三菱自動車は愛知県・大江工場の閉鎖や総従業員6万6000人の14%におよぶ9500人を削減する新経営計画を明らかにした。
●27日 政府は地方労働局を活用する「個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律案」を閣議決定し、国会に提出した。連合は法案に反対している。(要旨別掲)
◇連合は東京で約250人を集めて「パート労働者を考える集い」を初めて開いた。会場からも発言が相次ぎ、「実際にどう働きかけて処遇改善を実現するつもりか」との質問や「正規の人たちが窓口を開いて、同情ではなく同じ思いで闘ってほしい」「均等待遇を言うのなら来年は時給100円以上アップを」などの声が出された。
◇連合は第3回拡大戦術委員会を開いた。公表された第1回要求集計によると、各要求方式とも前年の要求水準を若干下回っている。
●28日 NTT東日本とNTT西日本は2001年度の事業計画で、東西あわせて6700人の人員を削減することを明らかにした。
●3月2日 総務省発表の労働力調査では、1月の完全失業率は4.9%で、前月と同じく最悪を記録。厚生労働省発表の有効求人倍率も0.65と20カ月ぶりに悪化。
◇JC(金属労協)は「2001年闘争労組代表者交流集会」を開いた。集会アピールのなかで賃上げについて「明確なベアを確保し、更に上積みをめざす」としたが、数字を示すにはいたらなかった。
◇連合は明治公園で「2001春季生活闘争3・2中央総決起集会」を開き、2万6000人が参加した。
●5日 電機連合の第3回中央闘争委員会が開かれ、各単組から厳しい交渉状況が報告された。鈴木委員長は「上げ幅・引き上げ方式の賃金闘争は限界」との認識を改めて表明、屈服をあらわにした。
●6日 私鉄総連は第4回拡大中央委員会を開き、大手組合の回答指定日を3月15日に設定、「検討に値する回答が得られない場合はすみやかに当該地連・単組と協議し、ストライキ日程などを含め対策を決める」ことを確認した。中小は回答指定日を21日とし、23と28の両日に24時間ストを構える。
●7日 東京労働局は、従業員に連日の深夜残業をさせ、過労死させた内装工事業者を労働基準法と労働安全衛生法違反の疑いで東京地検に書類送検した。過労死に認定されたケースで、刑事手続きがとられるのは初めて。

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週刊『前進』(1998号3面1)

介護保険制度は廃止し公的介護の完全実施を 実施強行一周年怒り新たに
 “メッセージ運動”広げよう

 介護保険制度実施強行から一年を迎えようとしている。この中で示されている現実は、まさに介護保険が「介護の社会化」などではなく国家的な殺人制度にほかならないということである。高齢者から介護を奪い、生きる権利を奪っているのである。今こそ介護保険の廃止と公的介護の完全実施を要求し、介護を必要としている高齢者や介護する家族、現場の労働者を先頭に、大衆的闘いを巻き起こさなければならない。すでに杉並を始めとして各地で、介護保険によって命を奪われようとしている高齢者や介護家族の「いのちの告発」を、メッセージとして広げていこうという運動が始まっている。この運動をさらに広げ、介護と福祉を要求する杉並住民の会主催の四・一集会の大成功をともにかちとろう。

 家族にのしかかる介護重圧施設で自己負担引き上げも

 厚生労働省は、特別養護老人ホームの入所者の自己負担引き上げの検討を開始した(日経新聞三月二日付)。現在、「介護報酬」として保険から支払われている水道代や電気代、家賃と見なされる生活費などについて本人負担にしようというものである。特養ホームの入所者は、食費の一部自己負担を含めて現在でも月平均で五万円の負担になっている。これを有料老人ホームやケアハウス並みの月七万円から十五万円の自己負担に引き上げようというのである。
 要介護認定は受けたけれども、自己負担分を払えないために在宅での介護サービスを受けられない人が膨大に生み出されている。朝日新聞による全国の自治体へのアンケート調査でも、「在宅サービスの利用が予想より少ない」と答えた自治体は三分の二に上った。また、在宅で、認定されながらサービスを利用しない人の割合が一九%に上っている。その理由としては、六二・七%の自治体が「自己負担が重い」という回答を示している(複数回答)。さらに「介護スタッフを家に上げる抵抗感」が四一%となっている。
 このように、介護保険によって介護は切り捨てられ、介護の負担が家族に重くのしかかっている。そうした中で、介護を必要とする高齢者が在宅での生活をあきらめ、施設入所を選択せざるをえないところに追い込まれている。そのことによって、施設入所の待機者が膨れ上がっている。
 この事態への政府の回答が、特養ホームの自己負担引き上げなのだ。低所得者は介護施設から出て行けと言わんばかりの攻撃を始めようとしているのである。その直接の狙いが、有料老人ホームなどへの民間資本の参入条件を整えること、民間資本による在宅サービスの利用を拡大させること、にあることも明白だ。
 国が公的介護の責任を放棄し、介護の負担を家族に押しつけ、「介護地獄」と呼ばれる現実を強制してきたことによって悲惨な事件が相次いで起こっている。 高槻市では「病弱な夫が病死し、残された老人性痴呆症の妻が餓死する」という事態が起きた。孤独死や自殺なども相次いでいる。
 介護保険制度のもとで、高齢者の悲劇が次々と起こっているのである。利用料が高くて介護を受けられないために、あるいは今年から実施された医療費の自己負担の引き上げで医療を受けることをあきらめざるをえないために、多くの高齢者が死の縁に立たされているのである。
 最近の裁判では、介護疲れで親や連れ合いを殺害するという事件に対して、執行猶予付き判決が相次いで出されている。裁判所の判決は、公的介護の責任を放棄し、介護を要する高齢者を家族が殺害するというような状況をつくり出した国の責任を追及することなく、執行猶予付き判決とすることで殺人の実質上の容認・合法化を行っているのである。
 まさに介護保険は国家的殺人にほかならない。介護保険は廃止以外にありえない。介護保険廃止に向けた労働者人民の大衆的闘いを、今こそ巻き起こさなければならない。

 高齢者・家族・介護労働者を先頭に公的介護取り戻そう

 介護保険廃止の大衆的闘いを巻き起こしていくために、まずはっきりとさせなければならないことは、介護は高齢者が生きるための当然の権利の要求であり、「公的介護の完全実施」は生存権の要求であるということだ。国には介護を保障する責任がある。
 憲法第二五条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とし、社会福祉、社会保障が国の義務であることをはっきりと規定している。
 また老人福祉法は、第二条で「老人は、多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として、かつ、豊富な知識と経験を有する者として敬愛されるとともに、生きがいを持てる健全で安らかな生活を保障されるものとする」と規定し、さらに第四条で「国及び地方公共団体は、老人の福祉を増進する責務を有する」と規定している。
 まさに、介護を必要としている高齢者に全額公費で十分な介護を保障すること、すなわち公的介護の完全実施は、国の責任なのである。政府はこの責任を完全に放棄し、介護保険によって介護を「金で買うもの」に変えた。現実に、利用料を取られることで多くの高齢者が介護を奪われている。介護保険は絶対に廃止させなければならない。
 「全額公費で、介護の保障を」「必要な人に、必要な介護を」「憲法違反の介護保険なくせ」のスローガンを掲げた大衆的な運動の大高揚が求められている。
 そのために、この闘いの主体が、何よりも被介護の主体であり諸要求の主体である高齢者自身であり、そして介護を担う家族であり、介護労働者であることを、はっきりとさせなければならない。
 介護保険制度のもとで介護を奪われ、うめき声を上げ、やり場のない怒りをたぎらせている人びとが膨大に存在している。この人たちがいのちの叫びを上げ、怒りをぶつけ、その要求を公然と主張することによって、大衆運動としての本格的な爆発が切り開かれるのである。介護保険廃止の運動が被介護高齢者のいのちの叫びに込められた労働者階級人民の声を自らの要求とした時に、この闘いがすべての労働者階級人民の闘いとなっていく。
 杉並では、介護と福祉を要求する杉並住民の会が杉並区との交渉を重ねる中で、低所得者の介護サービス利用料の区財政による助成を実現させた。せきつい損傷で介護保険になってから月四十五万円もの自己負担を強いられるようになったBさんへの利用料の減額や、移動に寝台車が必要な人への移送サービスの充実の約束という成果もかちとられている。
 杉並住民の会は、高槻の健診介護要求者組合や東大阪の国保と健康を守る会介護要求部会などとともに厚生省交渉も闘ってきた。こうした高齢者を先頭とした住民の闘いが、勝利をかちとったのだ。それ自身は「ささやかな」勝利だが、高齢者の運動の力で勝利を切り開いたところに決定的な意義がある。
 この知らせは多くの高齢者に勇気を与え、闘えば介護保険を廃止できるという勝利への希望を呼び起こしている。高齢者を中心とした運動が万余の広がりをもって燃え上がれば、政府を追いつめ、介護保険を廃止させることができるという展望を指し示したのだ。
 今こそ高齢者の大衆的決起を実現し、介護保険廃止に向かって闘い抜こう。

 地域に深く根ざした運動と闘うネットワークの拡大を

 介護保険廃止に向けて、各地で始まった「一言メッセージ」運動を大きく広げよう。介護保険廃止の闘いの主体である被介護高齢者と介護家族、現場労働者の怒りの声、いのちの叫びを引き出し、その要求を労働者階級人民の要求としていく運動として、「一言メッセージ」運動の全国的、全人民的な広がりを実現しなければならない。
 住民自身が自らの地域で被介護高齢者や介護家族の「一言メッセージ」を集める運動の中から、地域により深く根を張った介護保険廃止の運動をつくり出すことができるのである。
 すでにこの運動は、杉並を始め各地で広がっている。その中で「何事にもお金がかかるので、自分で健康を自己管理するしかない。国会の答弁を聞いていると腹が立つ。福祉がどんどん削られていく」「在宅で、ホームヘルパーが次々と代わって家に入ってくるのがいやだ。ふれあいの家をもっと使いやすくしてほしい」「老人医療費の値上げで病院に行けなくなった。大腸ガンの疑いがあり手術をしなければならないので、不安だ」などなど、怒りの声が次々と寄せられている。
 「一言メッセージ」の運動は、住民自身がその担い手となってメッセージを集めていく運動である。また、メッセージを寄せた人自身が運動の担い手となるものとして、発展させなければならない。
 介護保険制度の廃止・公的介護の完全実施を要求する運動が全人民的な広がりを実現すれば、介護保険は絶対に廃止に追い込むことができるのだ。
 こうした運動の広がりを実現し、介護保険を廃止に追い込むためにも、介護と福祉を要求する杉並住民の会が主催する四月一日の「結成一周年記念集会」の大成功を、ともにかちとるために全力をあげなければならない。
 杉並住民の会は、「とりもどそう 人間らしい介護と福祉。ひろげよう いのちのネットワーク、みんなのメッセージ」を掲げて総会と結成一周年記念集会を開催する。これを始めとして全国で、介護保険実施一カ年にあたっての闘いが取り組まれようとしている。介護保険が実施されたから運動が終わるのではなくて、逆に介護保険の現実が明らかになることによってますます介護保険への怒りが高まり、闘いが大衆的に広がっている。
 自民党、森・自公保政権とファシスト石原都政は、大資本の救済のために何十兆円もの資金を湯水のように投入する一方で、財政破綻(はたん)の矛盾を労働者民衆に転嫁し、さらに大衆収奪を強めている。一月からの医療費値上げに続いて、今年十月からは六十五歳以上の介護保険料が全額徴収される。KSD汚職、政府機密費疑惑を居直る一方で、労働者人民にはリストラ・大失業の攻撃を一層強めようとしている。
 この自民党、森・自公保政権、ファシスト石原を打倒するためにも、介護保険廃止の闘いの大衆的な爆発を切り開こう。けしば誠一氏を押し立てた都議選決戦の勝利へ全力で闘おう。

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週刊『前進』(1998号3面2)

完全勝利に向け攻勢 全金本山30周年全国闘争に立つ

 三月四、五日、全金本山闘争三十周年の総決起集会と本社門前闘争が、二百人の労働者・学生の結集で闘われた。
 仙台市内で開催された全国総決起集会には、七十一団体、百六十七人が参加。冒頭、長谷武志委員長が「三十年前、労働組合の役員をやれば出世していく、労働者を踏み台にするような当時の組合ではダメと、青柳さんが先頭になって職場闘争を闘い、労組の力強さを身をもって知った。だから青柳さんを守るのは当然と、さまざまな切り崩しを跳ね返し、日々の勝利を積み重ねて今日まできた。三十年の団結をかけた決戦局面、絶対に勝利する」「『勝ち目がない』などと言われ全国金属から排除されたが、今、国鉄闘争などで同じようなことが起きている。闘う労働運動を大きくつくろう」と訴えた。
 青柳充書記長の基調報告は、組合が突きつけている「全面解決要求」の完全実現と会社の全面謝罪をかちとるための大攻勢の方針を提起した。さらに「ロックアウト攻撃の中で三十年闘ってこれたのは、組合員の勝ちたいという強い意志と、生活を支えてくれた全国の労働者の力があったからだ。戦後最長の争議となったが、闘い抜けば勝てることを示そう」と完全勝利への決意を語った。
 連帯のあいさつでは、地元の自治労の代表が発言に立ち、「県評の全金本山排除の中で三十年間支援を続けてきたことが、わが労働組合の誇りだ。本山闘争の勝利は労働運動全体に大きなインパクトを与える。なんとしても勝利しよう」と共闘の決意を述べた。
 動労千葉は、「分割・民営化反対のストライキで二十八人が解雇された時に、物販のノウハウを教わるなど、ともに励まし、励まされてきた。本山闘争は労働者の魂を揺さぶる闘い。勝利以外にない。『第二の分割・民営化』攻撃に断固ストライキで闘う」と、熱烈な連帯を表明した。
 さらに、石原都政の攻撃と対決する都職労の労働者、JAM傘下で現場からの反撃を組織して闘う労組の仲間などからの連帯と決意を込めた発言が続いた。交運産別で闘う青年労働者の「自分が生まれる前からの闘い、本山闘争に学び、自分たち若い力が闘いを引き継ぐ」という闘魂あふれる発言には、一段と熱い拍手が送られた。
 全金本山労組の各行動隊と東京分会が決意を表明した。「三十年間の闘いで職場を奪われたが、得たものの方が大きい。オルグに出ていろんな人に会い、いろんな人に学んだ。自分の人生がかかっている闘争だ。闘いを楽しみながら勝利したい」「ここまでやってこれたのは会社のやり方がひどすぎたから。暴力ガードマンに殴られ、けられもした。ここまできた以上、家族を含めた苦闘への謝罪なくして解決はない」「これまで以上の闘いが問われている。なんとしても職場に戻るという決意を示す」など、いずれも三十二人の組合員の揺るぎない団結を実感させるものだった。
 最後に、参加した組合員全員が登壇し、中野七郎書記次長の音頭でシュプレヒコールを行った。
 五日午前八時からの大衡(おおひら)村本社工場での就労要求闘争には、百八十人を超える労働者・学生が大結集。用意された大型バス二台からあふれた支援は、乗用車に乗り合わせて現地にかけつけた。門前に張り付いた管理職は門を閉ざし、百人ほどの機動隊を動員した宮城県警も、その結集と迫力に圧倒されてただ見ているだけだ。
 工場内に響き渡るシュプレヒコールをたたきつけ、門前を埋めつくす就労要求集会と門前デモを貫徹した。門前集会では、全国から結集した闘う仲間が次々と発言し、三時間の集会では足りないほどの熱烈な訴えが相次いだ。
 昼休みには仙台市街に戻り、会社のメーンバンクである富士銀行仙台支店への抗議行動を貫徹。富士銀行とともに「みずほ」に統合される第一勧銀、興銀の各支店も隣接しており、全行に対する街宣を行って半日の行動を締めくくった。
 全金本山三十周年の闘争は、本山闘争支援の力の一端を示し、完全勝利への攻勢に大きな弾みをつけた。「一人の首切りも許さない」労働運動が、国鉄決戦とも一体となって力強く発展していることを示した。四月富士銀本店闘争を始め、本山闘争の完全勝利、「二名の解雇撤回、全員の原職奪還」に突き進もう。

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週刊『前進』(1998号3面3)

連載 社会保障解体を許すな 奪われる介護・医療・年金 6
 2003年利用契約制度導入 「障害者」福祉の解体
 05年に介護保険全面移行狙う

 介護の措置制度が廃止に

 二〇〇三年に「障害者」福祉制度に利用契約制度が導入され、措置制度が廃止されようとしている。厚生労働省は、二〇〇五年には六十四歳以下を含む全「障害者」への介護保険の適用を計画しており、利用契約制度導入の目的は、それに向けて介護保険と同じ契約システムを「障害者」福祉に導入することにある。
 昨年五月の社会福祉事業法など福祉八法の改悪(社会福祉事業法は社会福祉法に名称を変更)によって決定されたこの攻撃は、「障害者」福祉を大幅に切り捨てようとする大攻撃である。厚生労働省は二〇〇五年には保険方式に移行させるとしている。しかし、介護保険料のアップにつながると経営者団体などの反対があり、二〇〇五年の移行はまだ確定できないでいるとも言われている。
 利用契約制度の対象となるのは、「身体障害者」「知的障害者」「障害児」の在宅支援事業と施設支援事業である(表参照)。ちなみに社会福祉法は、措置制度について「原則廃止」を打ち出している。
 「精神障害者」の場合は、九三年まで「障害者」福祉の対象から除外されてきた。そして九五年に制定された精神保健福祉法において授産施設などの社会復帰施設が設置されたが、それには最初から利用契約制度が導入されている。
 日帝・厚生労働省は、別の法体系のもとにあった「精神障害者」施策と「身体障害者」施策、「知的障害者」施策の「統合化」を掲げ、在宅サービスや施設サービスの「相互利用」を推進しようとしている。つまり一方では「三施策の統合」を進めながら、他方で二〇〇三年に「障害者」介護制度の利用契約制度への転換を図り、それら全体を二〇〇五年の段階で介護保険制度に移行させることを狙っているのである。

 地域自立生活が奪われる!

 こうした「障害者」政策の最大の問題点は、措置制度の廃止により「障害者」の生存権に対する国家の責任を放棄することである。
 措置制度は生存権の公的保障という面をもつ一方、日帝の差別的「障害者」政策の手段として「障害者」を施設に強制収容する役割を果たしてきた。これに対して「障害者」は激しい怒りをもっている。厚生労働省はこれを逆手にとり、措置制度廃止への「障害者」団体の同意を取り付けようとしている。しかし利用契約制度で、日帝が言う「障害者」の「選択性と権利性」が保障されるのか。
 措置制度では、国家による生存権の保障を定めた憲法第二五条に基づいて都道府県知事・市町村長の措置権の行使によって公費で福祉サービスが供給される。それが利用契約制度(支援費支給方式)になると、例えばホームヘルプサービスの場合、「障害者」は指定事業者と契約し、それを行政に申請すると支援費が指定業者に支払われる。これを「重度脳性マヒ」の「身体障害者」を先頭に隔離政策に抵抗してかちとってきた地域自立生活を例にとると、どうなるだろうか。
 地域自立生活をしてきた「障害者」の多くは、これまで自薦介助者(自分が確保した介助者)の介助を受け、行政からの現金給付で介助者の生活を保障することによって自らの介助体制を成り立たせてきた。しかし利用契約制度では、介助は指定事業者から派遣されるヘルパーからしか受けられない。「障害者」やその介助者ではなく指定事業者にしか金が下りないからだ。「障害者」介護のための費用が、権利の主体である「障害者」ではなく企業に流れる仕組みになる。自薦介助者の介助を受けようとすれば、介助者は指定事業者に登録しなければならず、そのためにはヘルパー資格も取らなければならない。特定の「障害者」の専従介助者であり続けることも不可能になる。それを解決しようとすれば「障害者」自身が事業主となり、指定事業者にならなければならない。
 厚生労働省は介護保険導入に際して、「障害者」が介護保険に移行することによってこれまで受けてきた介護が低下した場合、「障害者」施策で埋めると言ってきた。だが、その中身は「障害者」の社会生活を完全に奪うものでしかない。介護保険が認める外出は通院と散歩のみで、「障害者」が社会生活を送る上で不可欠な日常のさまざまな外出は一切認められない。
 さらに朝、昼、夜と三十分から一時間振り当てられる介護保険の訪問介護は、介護保険の指定事業者から派遣されるヘルパーでなければならない。介護保険による訪問介護のすき間の時間帯を「障害者」施策で補うとすれば、その都度介助者が頻繁に交代しなければならず、一日のスケジュールが寸断される。しかも外出先での交代は認められていないので、家から遠く離れることもできない。
 これは介護保険が食事や排泄(はいせつ)といった生物的な生存を保つ最低限の介護しか認めず(それさえも認めず)、人間的な社会生活を保障するものでないことによるものであり、高齢者に対する介護としても不当である。食べて寝て生かされているだけという収容施設の非人間的な生活に対して、「障害者」の地域自立生活運動は、人間として社会の中で生きることを求める闘いだった。それが奪われるのだ。
 しかも介護保険では一割の自己負担(利用料)が取られる。現行の措置制度は応能負担のため低所得者は事実上無料だ。利用契約制度では、最初は「障害者」の反対を抑える目的で応能負担でいくべきとの意見もあり、その扱いはまだ確定していない。どちらにせよ、いずれ徴収される。

 「障害者」の決起で阻止を

 厚生労働省は「介護保険優先原則」と称して、「障害者」施策も介護保険を最大限使った上でないと認めないと主張している。「重度障害者」ほど多くの介護が必要なため、利用料も高くなる。それが払えなければ介護保険も「障害者」施策の介護も一切受けられない。まさに介護保険とその「優先原則」は「障害者」の生存権を脅かす。「障害者」の生きる権利をかけて二〇〇三年利用契約制度導入−二〇〇五年介護保険の全面導入を阻止しなければならない。憲法違反の介護保険廃止を求める労働者階級人民と団結して闘おう。
〔湯浅 緑〕

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週刊『前進』(1998号4面1)

解同全国連 熱気と感動 10回大会開く
“部落差別撤廃と人間解放へ” 大阪に1350人が大結集
 5万人組織建設へ大きな展望

 部落解放同盟全国連合会の第一〇回全国大会が三月四、五日、大阪で開催された。千三百五十人が結集した。処分闘争から二十年、全国連創立から十年の節目の記念大会にふさわしく、部落民自主解放の熱気と感動にあふれた大会となった。二日間の議事をとおして、差別徹底糾弾闘争を柱とする画期的な運動方針と組織体制が確立された。日帝に屈服する解放同盟本部派に代わり、全国連が三百万部落大衆の新たな団結の砦(とりで)として飛躍することを宣言した歴史的な大会となった。戦争と大失業の時代、解同本部派が融和主義に転落し腐敗を深める中で吹き荒れる部落差別。これを断じて許さず、全国連と固く連帯して部落完全解放までともに闘おう。

 記念講演で「水平社運動の教訓」を総括

 大会初日(四日)は大阪市の森ノ宮ピロティホールで開かれた。十時半の開場早々から続々と全国の部落大衆が詰めかけた。青年のグループを始め、子どもたち、高齢者、あらゆる年齢層の部落大衆が家族ぐるみ、村ぐるみで参加し、ロビーはにぎやかな交流の場となった。
 正午の開会時にはホールは満杯となり、熱気に包まれた。舞台正面には荊冠旗(けいかんき)と「二十一世紀を部落差別撤廃と人間解放の世紀に」と大書した幕が張られ、大会の雰囲気を盛り上げた。
 「今や奴隷の鉄鎖断ち、自由のためにたたかわん」という解放歌の響く中を、三十数本の荊冠旗が青年らの手に握られてホール後方から入場し、舞台中央の議長席の両側に据えられた。
 南畑安太郎大会運営委員長が歴史的な一〇回大会の開会を宣言した。
 主催者を代表してあいさつに立った瀬川博委員長は「苦労を重ねて記念すべき一〇回大会を迎えた。ともに喜びたい」と述べ、「せきを切ったように部落差別が襲っている。水平社創立のときの部落民自主解放の原点をいま一度よみがえらせよう。政府は憲法を改悪し、日本を戦争する国につくり変えようとしている。部落民の新しい団結が必要だ。全国連が主流派に躍り出よう」と、大会の成功を呼びかけた。
 続いて来賓が紹介された。あいさつを三里塚反対同盟の伊藤信晴さん、動労千葉副委員長・動労総連合委員長の君塚正治さん、都政を革新する会のけしば誠一杉並区議と、革共同の北小路敏同志が行い、それぞれ大会を祝し、これからも全国連と連帯していく固い決意を述べた。
 特にけしば区議は「全国連の闘いは、権力に屈しない勇気と、生きる希望を私に与えてくれた」と全国連に寄せる熱い思いを表明し、「石原都政は差別都政だ。差別を許さない力、石川一雄さんを取り戻す力を首都・東京でつくりあげるためにも六月都議選になんとしても勝利したい」と絶対勝利の決意を述べ、全国連の協力を訴えた。
 北小路同志は「『二十一世紀を部落差別撤廃と人間解放の世紀に』の戦闘宣言の完遂へ、全国連とともに闘う」と、革共同の決意を述べた。(要旨別掲)
 続いて部落解放理論センター事務局長の宗像啓介さんが「水平社運動の教訓」と題して約一時間にわたる記念講演を行った。全国連が水平社の歴史についてこうした形で全面的に講演するのは初めてであり、参加者は熱心に聞き入った。
 宗像さんは、一九二二年の全国水平社結成前後の歴史、創立後数年間、差別徹底糾弾闘争の展開をとおして各地で部落大衆が立ち上がり、水平社の組織が急速に拡大していったこと、その後、国家権力の弾圧激化の中で指導部の屈服によって「水平社解消論」まで飛び出すに至ったこと、「部落委員会活動」をつうじて融和主義への傾斜を深めながらいったん一九三三年の高松差別裁判糾弾闘争のものすごい大衆的爆発で盛り返したこと、ところがこの闘いを正しく発展させることができず、三〇年代半ばから水平社は日帝の中国侵略戦争に協力する勢力に転落していったこと――など、水平運動史のポイントを分かりやすく提起した。
 そこから最も大切な三つの教訓として、@差別糾弾闘争が発展すると団結が強まり組織も拡大していったこと、A糾弾闘争がおろそかにされた時期には水平社の組織も弱まったこと、Bまた糾弾闘争を運動的に否定したときに戦争協力の道に進んでいったこと――を明確に突き出した。
 宗像さんの講演は、今日の全国連の「狭山闘争を基軸に三大闘争(糾弾闘争、要求闘争、階級的共同闘争)のすべてを糾弾闘争として闘っていく」方針の正しさを、水平運動史の総括をとおして確信させた。

 差別糾弾闘う中から団結取り戻せ 中田書記長が方針提案

 続いて、楠木吉秀事務局長が活動報告案を、中田潔書記長が新年度運動方針案を提案した。
 楠木事務局長はこの一年、全国連が狭山闘争、差別糾弾闘争、住宅要求闘争、介護闘争などに全力で取り組んできた地平を総括した。解同本部派が糾弾闘争を放棄し権力との結合を強めている中で、部落大衆が本部派の屈服と妨害をはねのけて闘いに続々と立ち上がっている現状を明らかにし、「全国連は必ず三百万部落大衆の団結を打ち立てる。五万人建設を必ず成し遂げる」と結んだ。
 中田書記長は、三大闘争を柱とする全国連の新年度運動方針案を全面的に提起し、その闘いをとおして、今や融和団体に転落した本部派をのりこえて五万人の組織建設を実現する方針を打ち出した。その中で政府による同和対策事業の打ち切りが進む中、全国で悪質な部落差別事件が続発していることを徹底弾劾した。その背景には日帝が再び戦争にのめり込みつつあること、このために部落大衆の団結、労働者人民の団結を壊しにかかっているということがある。解同本部派がこれに屈服し糾弾闘争を闘わなくなっていることが、差別事件を頻発させていると弾劾した。そして自民党・野中らが乗り出して、解同本部派を自民党系の同和会と統合し、丸ごと融和団体化する大がかりな動きが進んでいることを、解放運動の重大な危機として警鐘を鳴らした。
 さらに中田書記長は「解同本部派のように同和対策事業をとってきて運動と組織を広げるあり方、モノで人を集める運動は、完全に行きづまった。私たちは去年の九回大会で『全国連は糾弾の全国連として、水平社以来の荒々しい糾弾闘争を復権していこう』と宣言し、この一年間闘ってきた。そういう闘いがいま本当に必要であり、求められている。あらためて全国のありとあらゆる部落の中に差別徹底糾弾の闘いを巻き起こし、部落大衆の立ち上がりと団結を取り戻していこう」と提案した。無実の石川一雄さんと固く連帯して狭山闘争の勝利のために総決起することを訴えて締めくくった。
 特別報告に移り、狭山再審闘争のアピールを小林あや子中執が行い、「年度末の三月にも異議審棄却がありうる緊迫した情勢を迎えている。紙芝居―狭山百万人署名運動を全国で強め、東京高裁要請行動に取り組もう。゛私は絶対に負けない。必ず近い将来、冤罪を晴らす″と不屈に闘う石川さんと連帯して、事実調べ―再審開始をかちとろう」と訴えた。
 続いて昨年、第九回全国青年交流集会を成功させて意気上がる福岡の青年たちが大挙登壇し、「大会には高校生も参加している。糾弾闘争も闘わなくなった解同本部派と正面から向き合い、福岡で百人の青年部をめざして頑張る。今年の長野全青を成功させよう」とはつらつと決意を表明し、満場の拍手を浴びた。

 狭山・住宅・介護・教育で活発な討議

 さらに、各地の差別糾弾闘争の取り組みが報告され、とうてい許すことのできない差別事件の報告に会場全体が怒りに包まれた。そして、差別に負けないで団結して立ち上がっている当該の人びとの決意の表明に、ともに勝利まで闘うとの思いを込めて割れるような拍手が送られた。
 次いで同和住宅家賃値上げ反対全国連絡協議会(同住連)の各地の部落の代表二十数人が登壇し、東口博世話人らがあいさつした。家賃供託をめぐる各地の裁判闘争を行政の差別・不法を糾弾する闘争としてうちぬき、一・二四国土交通省交渉の地平を踏まえ、家賃値上げ白紙撤回までとことん闘うと決意を表明した。
 また、東大阪・荒本の「介護と福祉を要求する会」と東京・杉並支部が介護保険闘争の取り組みを報告した。介護保険強行や高齢者医療制度の改悪、同対事業廃止などで部落のお年寄りが通院治療を断念したり、食事の回数を減らすなど、深刻な状況におかれている現状が明らかにされた。この中で杉並で区の利用料助成制度をかちとるなどの成果が報告された。
 初日の議事は、時のたつのも忘れるような熱気と感動の中で進められ、午後五時過ぎ、石川辰衛副委員長のまとめと亀井広敏副委員長の音頭による団結ガンバローで締めくくられた。
 大会二日目は、東大阪市の荒本解放会館に会場を移して行われた。午前中、四つの分科会が開かれ、@狭山―差別糾弾闘争、A住宅・要求闘争、B介護保険闘争、C改憲、教育闘争など解放運動の重要テーマについて各地の闘いの報告と活発な討論が行われた。
 これらを受けて午後から全体集会が再開され、すべての議案と瀬川委員長(留任)以下の闘う新役員体制が圧倒的な拍手で確認された。また、狭山、住宅、介護、「日の丸・君が代」反対・侵略戦争阻止など五本の決議が採択された。
 全国連第一〇回全国大会は、差別糾弾闘争の基軸性を史上初めて打ち立てるという画期的な内容をもって大成功を収めた。

 革共同・北小路同志のあいさつ

 部落差別なくすため全国連とともに闘う
 一〇回大会おめでとうございます。「二十一世紀を部落差別撤廃と人間解放の世紀に」との戦闘宣言を完遂するために、革共同は全国連とともに闘い抜く決意を表明いたします。
 各国の帝国主義者は一切の犠牲を次々と労働者階級人民に押しつけ、戦争を拡大する方向に進んでいます。日本でも森・自公保政権と財界、都知事の石原は、戦争のために排外主義をあおり、有事立法、改憲を狙っています。「教育改革」と称して、来年四月から戦争教科書を中学生に勉強させようとしています。
 こうした事態に対して日本の野党は総崩れです。私たちは、戦前の暗黒を二度と繰り返させてはなりません。労働者人民大衆は真実の突破口を求めています。革共同と全国連がある限り、この労働者人民の求めにこたえ、闘って闘って闘い抜いて、暴虐の攻撃を粉砕し、人間解放の未来を切り開いていこうではありませんか。
 以下の三点を強調させていただきます。第一に、部落差別は危機を深める日帝の存立のために労働者人民を分断支配する身分差別の攻撃です。だから、徹底的な差別糾弾闘争に決起し、差別の最後的な根絶のために日帝を打倒しなければなりません。そこに向けての全国連の三大闘争方針を、革共同は断固支持しともに闘い抜きます。
 第二に、部落差別との闘いは、差別を受けている三百万部落大衆自身の解放闘争ですが、同時に一般の労働者人民も部落差別と意識的に徹底的に闘い抜くことなくして、自己解放と全人民の人間的解放をかちとることはできません。革共同はこの立場に立って、ともに闘い続けます。
 第三に、全国連の存在とその闘いの素晴らしさです。解同本部派が融和団体に変質した中で、部落大衆は必ず続々と全国連に結集することを革共同は信じて疑いません。
 最後に、都議選で、けしばさんの当選をかちとるために、全国連の皆さんの全面的なご支援をお願いいたします。

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週刊『前進』(1998号4面2)

連載 教育労働者インタビュー 学校現場で何が起きているか 《7》
 「日の丸・君が代」、教育基本法改悪を許すな!
  執行部の屈服をこえて「君が代」に着席して抗議
 大阪 竹野務さん(中学校)

 「荒れた」子どもから学びながら

 ――子どもたちの状況を聞かせてください。
 僕の学校のある地域は、「荒れてる」と言われる子どもが多いところです。僕のクラスもたばこを吸ったりって子どももいますよ。
 今の学校制度は必ず「荒れる」子どもをつくり出しますね。勉強が苦手な子にとって学校は「お前はだめだ、だめだ」ってことを確認されるばかりのつらい場になっている。だから学校や教員にものすごい怒りやうらみを持っているし、そういう怒りがたまって爆発するんだと思いますよ。
 子どもは荒れたら、職員室をのっとったり、授業をのっとったり、すごいパワーですよ。やっぱり自分を主張したいという思いがあるわけだし、みんなが力を合わせて学校や教員に向かってくると、ものすごい迫力ですよ。ほんで最初は僕らにも、ただむちゃくちゃしてるように見えるんですよ。でもそういうかたちで突きつけられた時に「なんでこの子たちはここまでするんやろうか」って考えざるをえないですよね。
 僕らの学校では、解放教育に取り組む中で「荒れた子どもから学んでいこう」って考え方を確立してきたということもあります。僕自身も、目の前にいる子たちからだいぶ教えられてきました。だから僕らは「荒れる子が悪いんだ」とは考えない。「この子の立場に立って考えなあかん」と考えることが当たり前になっています。
 例えば「とにかく服装をきちんとしろ」というような管理的なことは意識的にやめてきたし、茶髪もピアスしてる子もいますよ。
 抑圧的な見方をせずに子どもたちに接していると、子どもはけっこう寄ってくるし、この学校では生徒と教員はわりと仲良くやれてますね。そうなっていると、いじめは比較的少ないんです。管理的な学校だといじめも多いですね。「いじめ」と一言で言うけど、背景があるんですよ。いじめも荒れも不登校も、今の学校制度が生み出しているもので、やっぱり文部省の教育政策の問題なんです。
 ――「少年事件が多発」と言われますが?
 先日授業で「今、少年犯罪が増えていると言われるけど、実はデータとしては増えてないんだ」と書いた新聞記事をマスプリして生徒に配ったんです。そうしたら生徒たちが「とってもうれしかった。僕らは『悪い、悪い』ってばかり見られているから」と感想を言うんです。
 明らかに今の世の中のあり方の問題なのに、マスコミも「そいつらが悪い」としか言わない。「十七歳問題」なんてキャンペーンすること自身が、子どもたちすべてに「お前らはいかんのや」ってプレッシャーになってるんです。
 子どもらが荒れると、暴走したり、人を傷つけたりってことはいろいろあります。でもその時に、まずはその子どもらに話を聞くことが必要なんです。とにかく若者の意見を徹底的に聞く必要があると思う。
 ――国民会議は「問題を 起こす子どもを出席停止 に」と提言しました。
 僕らは現場におったら、そういう子といろいろ話したりするわけだし、感覚としても「排除は絶対にだめだ」と思ってますよ。
 でもあの提言は実は、教育労働者をほっとさせるものがあるんですよ。荒れた子どもが学校に来ると、たばこを吸ったり、お金を巻き上げたりってことは起きますし、僕ら実際に大変ではあるんです。だから「出席停止」と言われて「助かる」って思う人も出てくるんです。これに負けないために、本当に僕らの力量が問われてますよね。
 ――「日の丸・君が代」闘争については。
 僕らの地域は一昨年までは、式場には「君が代」も「日の丸」も一切ありませんでした。それが、去年初めて会場の中に「君が代」が入ってきました。

 「立たざるをえない」が執行部方針

 みんな「なんとか反対しよう」って頑張っていたし、僕の職場の分会でも「もし曲が流されたらみんなで着席をしよう」と決めていたんですけど、その後、卒業式の直前になって、市教組執行部が「『君が代』が流れたら立たざるをえない」という「方針」を出してきたんです。
 それでも「君が代斉唱」に対しては、だいたい三分の二の人は着席しました。生徒も、卒業式でも入学式でも着席したままの子どもが大半でした。僕らは式の前にクラスの生徒に「自分らは座る」って話してますから、それを聞いて自分らで考えてるんですよ。
 今年も校長は「式次第に入れて国歌斉唱を行う。国旗は玄関に掲げる」と言い、執行部はまたも「立たざるをえない」と言ってきました。でも職場ではみんなで「座ろうな、座ろうな」って話をして、卒業式当日は、「君が代」が流されると教職員は三分の二が着席、生徒も半分以上が着席しました。歌った人は誰もいなかったと思いますよ。闘いぬくことができたと思っています。
 校長が処分をちらつかせてくることもありますけど、それ以上に、組合執行部が抑えてくることの方が痛いですね。
 でも「日の丸・君が代」問題は、自分らの子どもを戦争に駆りたてる教育をするってことなわけで、労働者全体にものすごい広がりをもつ闘いだし、展望は明るいと思ってますよ。
 どう考えても理不尽な攻撃ですからね。僕ら自身、今まで「戦争はいけない」「『日の丸・君が代』は侵略の歴史の象徴なんだ」って教えてきたのに、それをひっくり返して「これは日本の歌なんだ」と教えるなんてことは、やはり簡単にはできませんよ。だからみんなそう簡単には屈服しない。職場で頑張りながら連帯を求めて外へ出ていくことが必要だと思ってます。

 連合への移行で職場も管理的に

 ――連合執行部の裏切りに対する現場の反応は?
 「日の丸・君が代」闘争に典型的ですが、連合執行部の屈服に対する怒りは広範にありますよ。ただ問題は僕らの方にあると思っているんです。みんな怒ってるから、「執行部の裏切りは許せん」って批判していったら僕らを支持してくれるかというと、なかなかそうはならないんです。職場の人が何を思っているのか、僕らが書いたものを見てどう思っているのかをもっと知らなければいけないと自覚して、闘い方をずいぶん変えてきました。
 教育労働者の状況としては、一言で言うたら肉体的にも精神的にも疲れてますね。最近、体を壊している人がすごく増えてます。職場の教職員同士の関係で疲れてることも多いですね。職場の中で労働者同士が本音で話ができないとしんどいですよね。
 これも結局、連合の裏切りが大きいんです。連合移行の前は、わりと解放的な闘いをやって連帯感もあったから、みんなが思ったことをしゃべれて、職場がもっと生き生きしてたのに、今は職場がだんだん管理的になってきています。
 組合執行部が労働条件や労働者の権利を守るために闘わないってことが、職場の状況もしんどくしています。本当に連合執行部をのりこえていく闘いをやりきらなあかんと思います。
 これから僕らにも国鉄分割・民営化の時の「ヤミ・カラ」キャンペーンのような攻撃がかけられるでしょうが、教育改革や教育基本法改悪との闘いは労働者全体が必ず立ち上がる闘いですから、自信をもって闘おうと思います。 (おわり)

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週刊『前進』(1998号4面3)

読者からの手紙 「徴兵制」復活を許さない 東北大 W

 『前進』一九九三号の『2001年日誌』に掲載された町村文科相発言(二月二日)を見て、腹の底からの怒りを覚えました。これは、日本政府総体が「徴兵制」復活を狙っており、そのために奉仕活動導入―義務化があることを示すものです。
 ガイドライン関連法の成立以降、憲法調査会を始めとした現在の激しい改憲衝動、さらにはファシスト石原の「こころの東京革命」や「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書など、すでに身近なところで戦争の準備が始まっていることを身に染みて感じます。
 特に私たち学生には、教育改革―国立大学の独立行政法人化という形で、学生自治をつぶし、国家のもとに大学を統制することによって、大学を戦争の砦(とりで)にしようという攻撃が襲いかかってきています。こうした中で、大学生も対象とした予備自衛官制度が具体的に準備され、そして今回の町村のような発言が飛び出してきているのだと思います。
 アジアへの侵略戦争、「徴兵制」「学徒動員」を絶対に繰り返してはならない。そのために私は、教育改革、とりわけ奉仕活動導入を絶対に粉砕し、改憲=戦争国家化に突き進むしかない日本帝国主義を打倒するために闘いぬきたいと思います。全国の、特に学生のみなさん、ともにがんばりましょう!

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週刊『前進』(1998号5面1)

「つくる会」歴史教科書 侵略賛美・皇国史観の教科書粉砕を
 戦争を担う青年づくりが狙い

 「新しい歴史教科書をつくる会」の中学の歴史教科書(以下、「つくる会」教科書)は゛戦争を担う青年を育てる″ことを目的とした教科書である。問題を鮮明にさせるためにあえて鋭角的に言うなら、日帝のアジア侵略と戦争の居直りや正当化が、この教科書の第一義的な目的ではない。゛過去″の歴史の抹殺・歪曲・偽造・美化・正当化をとおして、゛現代″のアジア侵略戦争を担う青年をつくりあげることを目的とした教科書なのである。現代の子どもたちに、アジア人民を殺させ、自らも「特攻隊」や「ひめゆり部隊」となって死んでいくことを教え込んでいくための教科書なのである。「つくる会」教科書は、本気で戦争を担う青年をつくりあげようとしている。荒唐無稽(こうとうむけい)なデマゴギー本だと一笑に付すわけには断じていかない。粉砕あるのみである。以下五点にわたって、「つくる会」中学歴史教科書の内容を批判する。〔文部科学省から百三十七カ所の検定意見が出され、筆者側はすべて修正したといわれている。本稿は修正前のいわゆる白表紙本を扱っている〕

 「歴史は科学ではない」論をもって歴史を偽造しデタラメ極まる「物語」をねつ造

 「つくる会」歴史教科書の「歴史を学ぶとは」という序文の冒頭には「歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだと考えている人がおそらく多いだろう。しかし、必ずしもそうではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶこと」だと書かれている。
 過去の事実を知ることよりも、過去の人がどう考えていたかを学ぶことが歴史学習の目的であると主張しているのである。つまり゛過去の人は、十五年戦争を自存自衛のアジア解放戦争だと考えていた。あるいは、朝鮮の植民地支配は合法的だと考えていた″ということを学ぶのが目的だと主張しているのだ。
 さらに「過去の事実を厳密に、そして正確に知ることは可能ではない」「歴史は科学ではない」「人によって、民族によって、時代によって、考え方や感じ方がそれぞれまったく異なっているので、これが事実だと簡単に一つの事実をくっきりえがき出すことは難しい」とも主張している。
 過去のことは厳密・正確にはわからないという論法で、歴史的事実を徹底的に無視・抹殺し、歴史は科学ではなく、人や民族、時代によって考え方は違うというロジックで、歴史を歪曲・偽造し、「つくる会」の意図と恣意(しい)に基づいて、歴史を物語のように展開しようと言うのだ。とりわけ日帝の侵略戦争と植民地支配の歴史を抹殺・偽造したり、肯定・賛美しようとしているのだ。
 これが正体である。歴史の抹殺・歪曲・偽造を駆使して、デタラメな物語をねつ造したのが「つくる会」歴史教科書なのである。

 アジアの民族解放闘争の歴史を無視・抹殺し、帝国主義の道歩んだ日帝を美化

 この教科書は、日帝の歴史(特に、幕末・明治維新から日露戦争まで)を、以下のように描いている。
 「日本が独立を維持して、大国の仲間入りを果たすまでの歴史」「日本が……近代的な立憲国家として発展していく方針」
 「日清戦争は、欧米流の近代立憲国家として出発した日本と中華帝国とのさけられない対決だった。『眠れる獅子』とよばれてその底力を恐れられていた清が、世界の予想に反して新興の日本にもろくも敗れ……その後、列強諸国は清に群がり、たちまちそれぞれの租借地を獲得し、中国進出の足がかりを築いた。もし日本が負けていたら、あるいは、中国と同じ運命をたどっていたかもしれない」 
 「日露戦争は、日本の生き残りをかけた壮大な国民戦争だった。日本はこれに勝利して、自国の安全保障を確立した」「日露戦争(一九〇四〜一九〇五年)の勝利の結果、日本は世界列強の仲間入りを果たした」
 欧米列強のアジア侵略から日本の「独立」を守るために明治維新を行い、脱亜入欧・富国強兵のスローガンのもとで「近代国家」の道を歩んだ日本は、日清・日露戦争を戦い、ついには欧米列強の仲間入りを果たした。と「つくる会」は主張している。幕末・明治維新期から日露戦争までの歴史を全面的に肯定・賛美し、「成功」した歴史だと評価しているのだ。
 実際はどうだったのか。
 そこには、「征韓論」に始まり一八七四年の台湾出兵、七五年の江華島事件、九四年の日清戦争、一九〇〇年の山東出兵、〇四−〇五年の日露戦争、と連続する朝鮮・中国への侵略と戦争によって、帝国主義の道を進んでいった血塗られた日帝形成史がある。朝鮮・中国の民族解放闘争を圧殺し、朝鮮・中国人民の犠牲の上に存立した日帝の「発展」があるのである。
 それを「日本が独立を維持して大国の仲間入りを果たすまでの歴史」「日露戦争は、日本の生き残りをかけた壮大な国民戦争だった」と美化しているのだ。
 ここのところは、国会の憲法調査会などで「この国のかたち」「司馬史観」などと賛美し、論じられているテーマでもある。
 世界が再び、恐慌と戦争の時代へと突入する中で、すべてにわたって行きづまり、米帝の激しい争闘戦の脅威にさらされる今日の日本帝国主義が、「国難」を突破し、米帝の「脅威」に対抗して生き残っていく道がこれだと言いたいのだ。
 ゛富国強兵と侵略戦争″が、今日の日帝の生き残る道というわけである。
 「つくる会」教科書は他方で、アジアの歴史を以下のように描き出す。
 「(アヘン戦争の結果について)朝鮮では危機意識がうすく、九カ月もたってから、報告書が提出された。……指導者層も国際情勢の急変に気がつかなかった。戦争に敗れた当の中国人自身も、日本人を驚かせたほどの衝撃は受けなかった」
 「同じ黄色人種の国・中国(清)は……欧米列強の武力脅威を十分に認識できなかった」「中国・朝鮮両国は……列強の脅威に対し、日本のように積極的に対応を行わなかった」
 朝鮮・中国、アジアの歴史を、あたかも国際情勢への認識も危機感も欠いた無能・無気力な歴史だったかのように記述している。特に太平天国やセポイの乱、義兵闘争など、帝国主義の侵略に対してアジア人民が闘った歴史の記述はまったくない。初代韓国統監の伊藤博文をせん滅した安重根(アンジュングン)の闘いも完全に抹殺している。三・一独立運動や五・四運動もほとんど記述していない。
 朝鮮・中国、アジア人民は、帝国主義の侵略に苦しみながらも、持続的で英雄的で創意あふれる民族解放闘争を闘ってきた。そこには民族解放・人間解放の豊かな歴史があるのだ。「つくる会」教科書は、この部分を意識的に無視している。これは帝国主義的排外主義の歴史観だ。

 日帝の侵略戦争と植民地支配の歴史と実態隠ぺいし「アジア解放戦争」と賛美

 「つくる会」教科書は、明治以来の日帝の侵略の歴史と実態・実相をすべて隠ぺいし、アジア解放の戦争を行ったと、百八十度事実をねじ曲げている。
 例えば、韓国併合を以下のように記述している。
 「一九一〇(明治四三)年、日本は韓国を併合した(韓国併合)。これは、東アジアを安定させる政策として欧米列強から支持されたものであった。韓国併合は、日本の安全と満州の権益を防衛するには必要であったが、経済的にも政治的にも、必ずしも利益をもたらさなかった。ただ、それが実行された当時としては、国際関係の原則にのっとり、合法的に行われた」
 朝鮮人民の激しい抵抗を武力で鎮圧し、有無をいわさぬ暴力で強要した朝鮮の植民地化を、必要であり「合法的」だったと正当化している。その上で、「必ずしも利益をもたらさなかった」などとケチをつけている。なんたる言い草か!朝鮮からどれほどのものを奪ったのか。朝鮮の自立的発展をどれほど抑圧してきたのか。
 「つくる会」教科書は、朝鮮人民から国を奪い、食料や土地を奪い、「日の丸」掲揚や神社参拝を強制し、日本語使用や創氏改名など、言葉や名前さえも奪っていった植民地支配の実態を百パーセント隠ぺいしている。強制連行・強制労働、軍隊慰安婦の歴史も完全に抹殺している。
 中国東北部における「満州国」デッチあげについては次のように書いている。
 「満州では、一九二九年ごろから中国人による排日運動がひときわはげしくなった。列車妨害、日本人学童への暴行、日本商品ボイコット、日本軍人殺害……」
 「中国の事情に通じた外国人の中には、日本の行動を中国側の破壊活動に対する自衛行為と認める者もいた。リットン調査団の報告書も日本に同情的な部分があり、満州における日本の権益が正当なものであることは認めていた」
 「満州国は、中国大陸において初めての近代的法治国家を目指した。五族協和、王道楽土建設をスローガンに、満州国は急速な経済成長を遂げた」
 なんと「満州事変」=日帝の中国東北部侵略戦争の原因を、中国人民の「排日運動」にあると書き、日本軍の撤兵を勧告したリットン調査団の報告書を正反対のものに描きあげている。
 実際はどうだったのか。
 日帝は、日露戦争によって中国東北部の南部を勢力圏とし、第一次大戦勃発の翌年一九一四年に二十一カ条要求を中国に押しつけ、権益を拡大していった。
 そして中国人民の抵抗がますます強まり、中国分割をめぐり他の帝国主義列強との対立を深める中で、日帝は「満蒙生命線」を叫んで、関東軍が陰謀と武力で「満州国」デッチあげに走っていったのである。
 「満州国」は、日満議定書によって日本の全既得権益を承認し、国防を関東軍にゆだね、秘密協定で関東軍による統治の実権を認めていた。関東軍が軍事・行政の全権を握っていたのだ。
 さらに「満州」を軍需資源の供給地とするために鉄道建設と重工業の建設を進め、鉄や石炭などの資源を奪った。その後、日本人農民移民政策を進め、大量の農地を奪った。「五族共和・王道楽土」などと称して中国人民の抵抗を容赦のない暴力で弾圧していった。独立国とは名ばかりの、日本がデッチあげた傀儡(かいらい)国家だったのだ。
 その他、731部隊や三光作戦などもまったく記述していない。南京大虐殺を取り上げているが、日中戦争のところではまったく触れずに、「極東国際軍事裁判」のところで南京大虐殺否定論のみを一方的に記述しているのである。
 「つくる会」教科書は他方で、十五年戦争を「大東亜戦争」と記述し、日帝のアジア侵略戦争を「アジア解放戦争」だったと次のように描き出している。
 「日本の戦争目的は、自存自衛とアジアを欧米の支配から解放し、そして、『大東亜共栄圏』を建設することである」「大東亜戦争初期の日本軍の勝利で、欧米の支配下にあったアジア諸民族には、独立への機運が高まった。……(大東亜)会議では各国の自主独立やたがいの提携による経済発展、各民族の伝統文化の尊重、そして人種差別撤廃をうたう大東亜共同宣言を満場一致で可決した」「日本軍は開戦直後から、アジアの解放を戦争目的の一つにかかげていた……それまで欧米の植民地支配下で利益を得ていた人々による、抗日ゲリラ活動もおこった。しかし、日本はそれでも、欧米諸国が数百年もの間、決して認めなかった独立をビルマ、フィリピン、インド、ベトナム、カンボジア、ラオスの各国に承認した」
 日帝の侵略戦争をアジア解放の戦争だったと肯定・正当化しているのだ。アジア解放戦争だったなどというのは完全な歴史の偽造だ。アジアを欧米帝国主義の支配から解放し、日本を盟主とする「大東亜共栄圏」を建設するというスローガンは、現実には日帝が中国・東南アジアを侵略し、勢力圏化するためのお題目にすぎなかった。
 「大東亜共栄圏」の実態はどうだったのか。
 日本軍は、資源の獲得や人民の抵抗を鎮圧するために、インドネシア、フィリピン、マレーシア、ビルマなどで軍政をしいた。そこでは親日派の有力者や官吏を軍政機関に登用したにすぎない。のちに形式的に「独立」を認めたが、いずれも日帝の傀儡政権でしかなかった。
 日本軍は、アメリカ、イギリス、オランダ帝国主義が持っていた権益をすべて接収し、現地の人民や捕虜を過酷な労働条件のもとで働かせた。タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道工事では約五万人が死亡した。農業でも、稲の作付けと供出を強制して、数百万人の人民が飢餓で死に追いやられた。虐殺事件もたくさん起こった。
 これが「大東亜戦争」の真実なのだ。何ひとつ肯定すべきものなどない。

 帝国主義の侵略的強盗的戦争であったことを否定し「自存自衛の戦争」と居直り

 「日本の安価な工業製品は、世界各地の市場で特に不当な扱いを受け、次々にしめ出されていった。このような仕打ちによって、日本も自給自足のため独自の経済圏をもたねばならないという考えが生まれた」
 「日本をおさえてきたアメリカは、日本が独自の経済圏をつくることを決して許そうとはしなかった。日中戦争で一応、中立を守っていたアメリカは、近衛声明に強く反発し、中国の蒋介石を公然と支援するようになった。日米戦争にいたる対立は、直接にはここに始まった」
 「日本はアメリカとの戦争をさけるため、この交渉に大きな期待を寄せたが、アメリカは日本側の秘密電報を傍受・解読し、日本の手の内をつかんだ上で、日本との交渉を自国に有利になるように誘導した」
 「アメリカのハル国務長官は、日本側にハル・ノートとよばれる強硬な提案を突きつけた。ハル・ノートは、日本が中国から無条件で即時撤退することを要求していた。日本政府は、対米開戦を決意せざるをえなくなった」
 「つくる会」教科書は、米帝の対日政策を、「黄禍論」「排日移民問題」「オレンジ計画」「ABCD包囲網」などと書き連ね、戦争の原因がもっぱらアメリカにあり、日本にとっては、やむを得ない自存自衛の戦争だったと主張している。これは日帝の侵略と戦争を免罪すると同時に第二次大戦−日米戦争の帝国主義戦争としての性格を覆い隠す論法でもある。
 「つくる会」は、日米開戦の原因を一方的に米帝のみに求めているが、そもそも日帝は、一九三九年の第二次大戦勃発後、ドイツがオランダ・フランスなどを降伏させるのを見て、日独伊三国同盟を締結し、東南アジアへの侵略と対米強硬方針の政策を決定し、戦争拡大へと進んでいったのである。日帝は、真珠湾と同時にマレー半島、香港、マニラ、タイ、グアムなどを奇襲し、東南アジアへと侵略を拡大したのだ。
 日米戦争は、日帝の中国侵略戦争(日中戦争)の延長線上で起きた日米帝国主義の中国−アジア・太平洋再分割の強盗戦争である。帝国主義の基本矛盾が爆発し、世界史が大恐慌と戦争の時代へと突入する中、未曽有の危機に直面した日帝が、アジア侵略へとのめり込み、ついにアメリカ帝国主義と激突するに至ったのが、日米戦争なのである。

 特攻隊や日本軍の「玉砕」戦術を「日本のためによく戦った」と口を極めて称賛

 帝国主義の道を進んだ日帝の侵略と戦争の血塗られた歴史を賛美し、アジア侵略戦争を自存自衛のアジア解放戦争だったと主張する「つくる会」教科書は、その対象とする中学生に何を求めているのか。
 日本史を「万世一系の天皇」が統治してきたかのように皇国史観で描き、アジア人民を蔑視する歴史観を植え付け、戦争に善悪はつけがたいと戦争を肯定し、日帝が生き残るため、時には戦争もやむを得ないと教え、日本を守るために生命を投げ出す「日本人」になることを求めているのだ。
 「わずか二千名の日本軍守備隊が二万の米軍を相手に一歩も引かず、……ついに残った三百名ほどの負傷した兵が、ボロボロの服で足を引きずりながら、日本刀をもってゆっくりと米軍に、にじり寄るようにして玉砕していった」
 「ついに日本軍は全世界を驚愕させる作戦を敢行した。レイテ沖海戦で『神風特別攻撃隊』(特攻)がアメリカ海軍艦船に組織的な体当たり攻撃を行ったのである。……米軍の将兵はこれをスイサイド・アタック(自殺攻撃)といってパニックに近いおそれを感じ、のちに尊敬の念すらいだいた。……故郷の家族を守るため、この日本のために犠牲になることをあえていとわなかった」
 「沖縄では、鉄血勤王隊の少年やひめゆり部隊の少女たちまでが勇敢に戦って、十万の島民が生命を失い、日本軍の戦死者も十一万を数えた」
 「困難の中、多くの国民はよく働き、よく戦った。それは戦争の勝利を願っての行動だった」
 なんと特攻隊を百パーセント賛美している。
 「つくる会」会長の西尾幹二は「この部分はわれわれの志を強く訴えたものであり、『つくる会』の原点とも言えるかもしれません」と語っている。子どもたちに「特攻隊」や「ひめゆり部隊」として戦場に行くことを教えることが、この教科書の目的なのだ。
 さらに、この教科書は、「日本武尊(やまとたけるのみこと)と弟橘媛(おとたちばなひめ)−国内統一に献身した勇者の物語」などのコラムの中で、あたかも日本武尊が実在したかのように登場させ、イザナギとイザナミの「国生みの話」−イワレヒコの命(みこと)の初代天皇即位(神武天皇)までの物語を四ページも使って書いている。
 神武天皇から昭和天皇ヒロヒトまで十九人の天皇を登場させ、皇国史観そのままにヒロヒトを「第一二四代」と書いている。
 教科書の全体を通じて、歴史的事実と神話を織り交ぜて記述し、日本が「天皇中心の神の国」であるかのようになっているのだ。
 以上のように、「つくる会」教科書は、現代によみがえった皇国史観であり、「国史」の教科書そのものだと断定できる。

 現場排除し採択狙う石原 急先鋒の山田杉並区長

 「つくる会」教科書は現在、文部科学省の教科書検定審議会で検定中だ。歴史が百三十七カ所、公民九十九カ所の検定意見がついたが、執筆者側はすべて「修正」に応じ、検定合格の可能性が濃厚となっている。
 「つくる会」会長の西尾幹二が「マルクス主義史観とは違うわれわれの考え方そのものは残っている」と言っているように、多少の「修正」で、この教科書の本質はまったく変わることはない。粉砕以外にない。
 「つくる会」は、今年七月の教科書の採択で全国一〇%のシェアを目指して、教育委員会や地方議会に圧力をかける「国民運動」を展開している。また産経新聞などの攻撃で、外務省出身の検定審議委員二人が、事実上更迭されるということも起きている。
 ファシスト石原都知事は「教育委員会の権限で決めることになっているのに、現実には教職員の投票などで左右される事例が多々見られた」「日本の歴史の悪いことばかり誇張して取り上げて、この国の歴史に愛着を持てない教科書は好ましくない」と学校票制度を攻撃し、採択から現場教員を排除し、東京都のすべての中学校で「つくる会」教科書の採択を狙っている。
 これまでの東京の教科書採択制度は学校票制度と呼ばれるもので、各学校で使いたい教科書を一〜三位まで選び、希望順位を記入した書類を区教委を通じて都教委に提出し、都教委は区内の学校で一番希望の多かった教科書を採択した。
 二月八日、東京都教育委員会が、各区市町村教委に「教科書採択事務の改善について」なる通知を出した。学校票制度や下部機関による「絞り込み」を禁止し、採択から現場教員を排除しようとしている。そして「わが国の文化と伝統の特色を……わが国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」教科書を選べと言っている。
 石原都政のもとで、現実に「つくる会」教科書が教育現場に持ち込まれようとしている。とりわけ杉並区の山田区長は「つくる会」教科書採択の急先鋒だ。
 「つくる会」教科書を職場で暴露・批判し、学習会を組織し、組合・職場の一致と団結で採択を阻む闘いを構築しよう。子どもや保護者、地域も同様だ。「つくる会」教科書の内容を残らず暴露し、批判し、子どもたちを戦場に送る教科書であることをハッキリさせ、「つくる会」のファシスト運動と対決し闘おう。
 朝鮮・中国−アジア人民の闘いはすでに燃え上がっている。(在日)アジア人民、沖縄人民、部落大衆との共同闘争で、「つくる会」教科書を粉砕しよう。

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週刊『前進』(1998号5面2)

2001年日誌 阻もう!改憲=戦争への動き 3月7日〜13日
 沖縄県知事選に機密費投入 石原「独自のミサイル防衛を」

●沖縄県知事選に機密費疑惑 毎日新聞が、一九九八年十一月の沖縄県知事選挙の際、現知事の稲嶺恵一陣営に対し、政府の官房機密費から一億円以上の選挙資金が流れていたなどとする疑惑を自民党沖縄県連関係者の証言として報じた。福田康夫官房長官は「報道は知っている。報償費(機密費)の使途は申し上げられない。官房長官の判断で厳正に使用されている」と述べ、疑惑について否定していない。(7日)
●オスプレイ代替機を指示
 米海兵隊トップのジョーンズ総司令官が米軍普天間飛行場への配備が計画されている次期主力機MV22オスプレイの危険性を理由に代替ヘリコプターを探すよう命じていたことが分かった。導入計画撤回の可能性も高まっている。(7日)
●米韓首脳会談 ブッシュ米大統領と金大中大統領がホワイトハウスで初めて会談し、韓国が北朝鮮に対して掲げる太陽政策への支持などを盛り込んだ声明を発表した。しかし、ブッシュ大統領は「北の指導者に対し、私は猜疑(さいぎ)心をもっている」と言明、ミサイル協議などの米朝間の対話をすぐに再開する意志のないことも示唆している。(7日)
●嘉手納基地全面返還を要求 沖縄県嘉手納町の宮城篤実町長が、町議会での施政方針演説で、米軍嘉手納基地問題について「全面返還を目標に置き、関係者の合意を得ながら跡地利用の計画を進める」などと返還を求めていく方針を明らかにした。「中・長期的な計画」としながらも全面返還を施政方針の中に盛り込んだのは初めて。(8日)
●具志川市で抗議集会 沖縄県具志川市の消防本部が自衛隊員研修生を受け入れている問題で、市職員労働組合などが「知念市長による『憲法違反の自衛隊』員研修と募集業務強行への抗議集会」を開いた。集会では、沖縄大学の佐久川政一教授が「自衛隊と民間が共同作業する下地づくりだ」などと訴えた。(8日)
●衆院で憲法調査会 衆院憲法調査会が、孫正義・ソフトバンク社長を参考人に「二十一世紀の日本のあるべき姿」をテーマに意見交換した。(8日)
●軽水炉供与の見直しも
パウエル米国務長官が上院外交委員会で、北朝鮮に対する政策の見直しは一九九四年の「米朝枠組み合意」も対象に入ると明らかにした。軽水炉型原発を、火力発電施設に変える案も視野に。(8日)
●有事法制の局長級会議
政府は有事立法の具体的検討に着手するため、関係省庁の局長級会議の早期開催を目指す方針を固めた。安倍晋三官房副長官が副大臣会議で表明。(8日)
●稲嶺知事、海上案を追認
 沖縄県の稲嶺知事が、米軍普天間飛行場の代替施設に対する公約の「陸上建設」案について「陸の真上に造るという意味ではない」と述べ、代替協で論議されている海上三案を追認し、事実上の公約撤回となった。(9日)
●「埋め立てれば陸上」
稲嶺知事が公約として掲げてきた普天間代替施設の「陸上案」について、親川盛一知事公室長が県議会予算委員会で「海上でも陸上化することは可能。例えば埋め立てをすることだ」と答弁した。(9日)
●牧港補給地区に立ち入り調査 今年三月に使用期限が切れる沖縄の米軍牧港補給地区(浦添市)の土地の強制使用手続き問題で、収用委員会が現地の立ち入り調査した。米軍は、楚辺通信所同様、地主の立ち入りを拒否した。(9日)
●地位協定改定を勉強する議連 自民党に「日米地位協定の改定を勉強する議員連盟」が発足した。衆参両院から五十人が設立総会に出席、下地幹郎衆院議員が会長になった。「改定を前提とした論議を行う」などの規約を決めた。(9日)
●米軍ヘリ2機が接触事故
 二月五日に米軍普天間基地所属のCH53大型ヘリ同士が普天間基地上空で接触し、双方の機体が損傷する事故を起こしていたにもかかわらず、一カ月以上経過しても日本政府や沖縄県に報告がないことが明らかになった。(10日)
●辺野古で米軍ヘリ騒音調査 普天間飛行場の移設問題で那覇防衛施設局が、名護市辺野古のキャンプ・シュワブ沿岸域で、米軍ヘリを実際に使用し、民間地域への騒音を測る「現地試験飛行」を実施。(10日)
●米軍機の誤爆で六人死亡
 米国防総省によると、クウェート北西部のウダイリ射爆場で、演習中の米海軍戦闘攻撃機FA18ホーネットが投下した爆弾が、地上で演習を監視していた米軍関係者らを誤って爆撃、少なくとも六人が死亡した。(12日)
●「独自のミサイル防衛を」と石原 米国のロサンゼルス・タイムズが、石原東京都知事が、日本は中国や北朝鮮の脅威に対抗し、軍事支出で経済を活性化するため「独自のミサイル防衛を開発すべきだ」と述べたインタビューを掲載した。(12日)

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週刊『前進』(1998号6面1)

新連載 白井朗の反革命的転向 権力・カクマルと結び堕落極める(1)
 逮捕されて全面的に供述し権力に投降した党破壊分子

 白井朗は、一九九八年の逮捕と自供をもって革共同から完全に脱落・逃亡し、権力と反革命カクマルの側につき、革共同破壊策動を繰り返してきた。革共同は、腐敗を極める反革命的転向分子・白井朗を徹底的に粉砕する義務を負っている。シリーズで白井朗の屈服、転向、敵対の本質を暴き、断罪する。

 反階級的敵対は放置しない

 われわれは、党を離れた者と反階級的敵対者とは厳格に区別する。
 転向し、自己を合理化するための反階級的敵対行為を断じて放置しない。これが革共同の歴史的伝統である。まして権力に露骨に屈服して居直り、権力の力を借りようとしたり、権力に党を売ることなどを平然と口にするような変質したやからを断じて許さない。
 闘いの中で無念の死を遂げた同志や病などのため戦列をはずれざるをえなかった同志とともに、わが党から離れた者はけっして少なくはない。それは革命党にとって重い傷ではあるが、けっして不名誉な傷ではない。最も激しく闘い続けてきた者に不可避な傷である。革命運動とは、累々たる屍(しかばね)と党を離れた膨大な同志たちをのりこえて進むものだが、その多さは、戦歴の激しさと多さを語りこそすれ、その組織の問題性などを語るものでは断じてない。われわれは、その傷を糧に、逆に自己を鍛えて前進してきた。
 白井という人物は、そういう党を離れた者のひとりだろうか。白井が出版した二冊の本は自己の脱落の必死の弁解の文章だろうか。
 否である。まったく否である。白井は単なる脱落者ではなく、転向者である。実に醜悪な転向者であり、二冊とも白井の非マルクス主義的本質を公言し、自己の階級移行を明らかにした転向宣言の文書である。
 否、単なる転向でもない。反マルクス主義、反レーニン主義を唱えて、むきだしの敵対行為を開始している点で、過去最も悪質な分子である。白井は、党内闘争など一度もせず(すぐ自己批判し撤回することのみを繰り返し)、その後脱落して権力の逮捕攻撃に屈服し、程なく二冊の本を出版した。そこで開始したことは権力を後ろ盾にした反革命敵対行動であった。
 われわれは反階級的敵対者には厳格な階級的原則をもって対応する。
 白井夫婦は、われわれの怒りとこの峻厳(しゅんげん)な態度の重さを嫌というほど味わうことになるであろう。

 「理論闘争」ではなく反革命

 白井は『二〇世紀の民族と革命』なる本で、自己の「理論的違い」を明らかにするかのような体裁をとったが、すでに暴露してきたように、それは徹頭徹尾反マルクス主義、反レーニン主義を貫いた反革命的文書であった。
 そもそも白井は一九九九年七月、この本の発刊と同時に、公然と反革命的敵対行動の開始を告げる手紙と反革命の悪臭ふんぷんたるパンフレットを革共同に送りつけてきた。つまり、最初からこの本の出版が反革命意図をもつことを鮮明にさせてきたのである。
 続く『中核派民主派宣言』(二〇〇〇年四月発行。以下『民主派』本と略)なる本は、もはや「理論的」文書の体裁すらとっていない。そこでは、これがかつて革命家だったのかと疑わざるをえない腐敗した姿を恥ずかしげもなくさらし、信じられないほどの理論的低水準さで、ただただ反革命敵対行動をなしている。
 われわれは第一に、白井が手紙で「党の秘密をばらす」(党を権力に売る)と平然と書いたことを、「理論や路線の違いを争う分派闘争や党派闘争とは似ても似つかぬ、階級的憎悪に基づく敵対行動」だと弾劾し、権力への屈服、反革命への転落だと暴露した。
 そして第二に、逮捕された白井の権力への屈服は白井の階級移行をきわめて鮮明にしている、と怒りをもって突き出した。

 「事実なのでしゃべった」

 それに対して白井は『民主派』本で、第一の点については反論をしない形で承認した。第二の点については「デマだ」「デマだ」と言いながら弁解を試み、逆に、この弁解によって階級移行を自ら完全に立証した。すでにこの点は本紙などで暴露していることだが、ここはきわめて重要なので、以下繰り返しを恐れずはっきりさせておく。
 @白井は、権力への供述を弁解して「失火事件は事実なのですべて取り調べに応じた」(『民主派』本八三ページ)と言う。しかし「事実ならば取り調べに応じる」のが、いったい革命家の態度なのか? われわれは、長期の闘いの歴史の中で膨大な逮捕攻撃を受けてきたが、事実ならば取り調べに応じるなどという態度を一度たりともとったことはない。ここに、白井が革共同にいた時に比べての決定的変質がある。この一点で白井の正体が明らかとなっている。
 Aさらに白井は、それを「連行(まだ逮捕ではない)」(同八三ページ)段階だったと開き直る。これも驚くべき事実だ。逮捕前の連行段階であろうと、完全黙秘の原則を貫くのが党の伝統ではないか。否、連行どころかいかなる場合でも、権力との関係でしゃべることは転向・屈服をはらんでいる。少なくとも権力はそう判断するということを白井は知っている。われわれが革共同創成以来、権力との接触はすべて詳細に報告する義務を確認してきているのは、そのためである。それは革共同の規約にすらなっている。
 これは単なる原則違反なのではない。白井はしゃべることが転向だと知っていて、「逮捕段階ではない」ことを口実に、しゃべることで自己の転向を権力に知らせ、卑屈に逃れようとしたのだ。
 Bもし白井の「逮捕前だからしゃべった」という口実が真実ならば、逮捕に切り換えられた瞬間に断固完全黙秘に切り換えたはずだ。しかし、この見え透いたうそは数行後にばれる。
 白井の卑屈な態度をみた権力は、「これは落とせる」とみて旅館業法違反で逮捕に移ったのだ。そうしたら白井は、なんと「すでに失火事件についてはすべて取り調べに応じているために、黙秘は意味がない」(同八四ページ)などとして、さらにべらべらと応じたというのだ!
 数行前で「事実だから」「逮捕前だから」供述は正当だと言った人間が、逮捕されるや否や、すでに供述を開始したから黙秘は意味がないというのだ。こういうのを破廉恥というのだ。この「黙秘は意味がない」という言葉を正確に翻訳すると、゛いったん卑屈な屈服と転向をした以上、もっととことん屈服、転向すべきだと思った″という意味となる。
 この供述は、自己の精神世界内部での転向が直接、警察権力との間で行われたという点で、決定的な意味をもつことになる。

 完全黙秘こそ革命家の原則

 C革命家の逮捕時の「階級的任務」とは、一切を権力との非妥協的闘いに集中することである。それまでの一切の任務をいったんやめて、権力との対決のみに全力を集中することに切り換えなければならない。これも闘う者の原則だ。逮捕以前に自己が遂行していた任務の重要性を理由に釈放のために屈服することは、最悪の行為だからだ。白井はこの点でも欺瞞(ぎまん)的裏切りをしている。
 『民主派』本での白井の弁解の卑劣さは、権力とのやりとり、つまり権力が何を言い、自己がどのように対応したかを詳細に明らかにしていないことにある。やりとりを一切書かず、特に権力が言ったことをまったく伏せて、「熟考した」「判断した」などと聞いたような口をきいている。
 しかし獄中とは、権力の攻撃とは関係なく、あたかも自分ひとりの部屋で「熟考」や「判断」をできるところなのか。獄中というのは、権力による二十四時間のすさまじい攻撃の場なのだ。結局、その攻撃との関係で人は「熟考」し、「判断」することを強制されるのだ。権力の硬軟織り交ぜた攻撃の中で思考を強制されるのだ。だからわれわれは、完全黙秘以外の闘い方は断じてしてはならないと確認して闘ってきている党派なのだ。
 しかも権力は、すでに白井が持っていた反党文書を押収し、研究し、それを白井が原稿化しようとしていることを知っている。ところが白井は、この反党文書の全部を権力に提供した事実も隠蔽(いんぺい)する。だが、そもそもそういう物を押収されたことも敗北なのだ。権力が白井のこの押収文書を前提に話しかけ、白井の自尊心をくすぐる形で攻撃をしたことは、われわれには手に取るように分かる。
 そして白井の「熟考」とは、権力が゛(中核派攻撃の)原稿を書くことが大事なのではないか″と言ってきて、一瞬悩んだが、そうだと思った−−ただそれだけに過ぎない。白井はここで、権力が゛しゃべったら釈放するから、原稿を書いた方がいいのではないか″と阿吽(あうん)の呼吸でささやいたのを、「釈放をかちとり、原稿を完成することが私の階級的任務であると判断したから」(同八四ページ)供述をしたと明確に書いているのだ。ただ、権力のささやきの方を隠蔽し、自分だけの判断でそうしたという書き方しているだけである。
 繰り返すが、革命家の逮捕時の「階級的任務」は一切を権力との非妥協的闘いに集中することだ、と白井は熟知しているのだ。しかし白井は、それに優る「階級的任務」は「原稿を完成すること」だったと言う。何ゆえ供述よりも原稿の完成が優先されたのか。それは、白井の「階級的任務」が反革命に転じたからであり、その原稿が反革命的な目的のものだったからだ。
 分かりやすくいえば、権力は、白井の身柄を釈放して反中核派の文書を書かせる方が利益だと思い、白井は、権力の勧めに従って中核派への敵対行動が自己の「階級的任務」だと言えば権力が出してくれると思ったから卑屈に屈服を表明したということなのだ。これは薄汚い協商の成立である。権力が守ってやるなどとささやいたことも明白だ。そして、この数十年のわが党の同志たちの逮捕攻防ではまったくありえないような不起訴・釈放が与えられたのだ。
 白井よ、九三年には公然面に出て活動することを「自分の組織的位置から、権力が許してくれるはずはない」と言い張って頑強に拒否していたのに、何ゆえ不起訴・釈放になったのか。白井は、その一点でも釈明する義務がある。
 D普通の市民生活を送っている人びとならともかく、われわれにとって権力との関係は、左翼か否か、革命家か反革命への移行か、どちらの陣営の人間かを判断する分岐をなす決定的問題なのである。
 権力との最初の接触で供述し、供述を居直り、事実を隠蔽しているという一点は、その後の白井の一切を規定している問題なのだ。誰がなんと言おうと、われわれはこの一点で、白井は自らの階級移行を自己暴露していると断定する。われわれは、白井が革共同の指導的責任を担ったことがある人間である以上、この一点で白井を裁く権利と義務をもっている。
(つづく)

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週刊『前進』(1998号6面2)

帝国主義医学の腐朽性と「障害者」抹殺の攻撃
 介護への措置制度廃止反対を

 最先端移植医学と人体の資源化

 今、最先端医学において人体の資源化が激しく進んでいる。帝国主義各国が争闘戦の戦場の一つとして先を争っている状況だ。
 一つは「脳死」臓器移植だ。人の生体を「脳死体」と強弁し、移植資源とするものだ。「脳死」あるいは「脳死」に近い状態になると延命・回復の治療は打ち切られ、移植のための臓器保存措置が行われ、殺される。次期国会では「脳死」移植を容易にするためのさらなる臓器移植法の改悪が行われようとしている。
 いま一つが、「万能細胞」と呼ばれるものの研究である。その中の一つであるヒト胚(はい)性幹細胞は「生体を構成するあらゆる組織、器官に分化する能力を持つ細胞」(科学技術会議生命倫理委員会ヒト胚研究小委員会、以下引用はすべて)で、ES細胞やEG細胞と呼ばれている。
 ES細胞は「受精卵が個体へと発生するごく初期の段階に存在する細胞で、受精後五〜九日目の胚盤胞の内部の細胞を培養」して作られ、EG細胞は「胚性生殖幹細胞」と呼ばれ、「妊娠五〜九週の死亡胎児から始原生殖細胞を取り出して培養」して作られている。
 ヒト胚性幹細胞、いわゆる「万能細胞」が注目を集めているのは、「医療面からの期待が大きい。現在、移植医療においては移植用の組織や臓器が世界的に不足しているが、ヒト胚性幹細胞を適切な条件下において増殖させることによって移植の材料を作成することが期待されている」からである。同小委員会は、ヒトES細胞の研究は「ヒトの発生、分化、再生機能の解明を目的とした生命科学の基礎研究、または新しい診断法や治療法の開発や医薬品開発のための医学研究」を目的としていると述べている。
 「万能細胞」から臓器を作り出す場合、効率的な培養増殖技術が不可欠であると言われ、マウスの実験では遺伝子操作が行われている。胚は分裂を重ねてさまざまな臓器や組織に分化していくが、初期の胚性幹細胞はどんな組織になるか決められておらず、あらゆる臓器に成長する可能性を備えている。培養してその能力を引き出せば望みの臓器を作り出せると言われている。ES細胞は一般に不妊治療の際、母体に戻さなかった受精卵が用いられる。昨年十一月二日には、京大グループが「万能細胞」から血管を作ることに成功したと発表している。
 以上引用を長くしたが、「万能細胞」とその研究は、移植用臓器を作り出すなどの目的のため、受精卵が用いられるものであることがわかる。ところで受精卵とは、そのまま成長すれば人間になるものだ。受精卵とは人間の始まりだ。「万能細胞」の研究とは、人間になるべき存在に外から手を加えて、人間とせずにある特別な臓器にするということだ。究極の人体資源化そのものだ。

 「劣った生」虐殺へ向かう生命観

 誰しもナチスや日本の七三一部隊による人体実験を非難する。しかし、現代の医学の帝国主義的腐朽性はそこから始まっており、まったく同根だ。人体実験や人体資源化をとことん究めたのが今の最先端医学だ。そこには生命に対する畏敬(いけい)とか人命を尊び大事にするという考え方はひとかけらもない。
 現代医学の発展、すなわち人体の商品化という資本主義的医学の発展の行き着いたところが、人体の商品資源化だ。ナチスや日本が「優れた生命」と「劣った生命」とを差別・選別し、「劣った生」とされた人びとを虐殺していったのと同じ生命観がそこにはある。帝国主義の腐朽性は、まさしく医学を人間に敵対するものへと転化させているのだ。
 「脳死」攻撃、「万能細胞」研究という中には、生かしたい生と「劣った生」とを分け隔て、生かしたい生のためには「劣った生」は殺してもよいとする思想がある。しかも、資本主義の利潤追求という本質的原理が貫かれている。医学もまた資本の原理に支配されている。「万能細胞」研究それ自体、帝国主義間争闘戦の中で資本の要求したものだ。
 さらに最先端医学であるDNA研究では、さまざまな病気の遺伝子が発見され、その中には「精神分裂病」の原因となるものも「発見された」という。「障害」の原因を遺伝子に求めるという考え方は、帝国主義のもとでは、「障害者」は生まれてきてはならない存在だという差別的思想、優れた遺伝子を子孫に伝えるという優生主義に必ず発展する。
 最先端医学の人体資源化という思想は、必ず「劣った生」がありその命は殺してもいいものという思想に行き着く。私たち「障害者」は資本主義の中で一段下の「劣った生」とされてきたし、生まれてくるべきでなかった存在としてさえ扱われる。親による「障害者」の子殺しは後を絶たない。「精神病院」の実態を見よ。
 「『障害者』は『劣った生』だから殺してもよい」という思想のあることは、何も根拠のないところから言っているのではない。介護保険制度の導入は、社会保障制度の解体であり、金のない老人の「障害者」は介護を受ける資格がない、死んでしまえという攻撃だ。「生きる資格のない『障害者』がいる」という、人間的価値観の破壊であり、すべての「障害者」に拡大される本質をもつ攻撃だ。
 介護保険制度の適用される六十五歳以上の「障害者」と四十歳以上の「特定疾病・障害者」に続いて、二〇〇三年には社会福祉事業法の社会福祉法への改悪により、すべての「障害者」の介護に対して、措置制度が廃止される。社会保障制度の解体ということだが、措置制度の廃止、すなわち国による福祉の廃止の意味することは、それにとどまるものではない。
 国家による福祉とは、労働者人民には最低限生存権があり、それを国家が保障するということを意味している。今行われている国による福祉の廃止とは、その生存権という基本原理を破壊するということなのだ。労働者人民には最低限生きていく権利があるとされていたことを根底から否定し、国家にとっては死んでしまってもいい人びとがいると宣言することだ。「障害者」が介護を受けられずに死んでしまっても国家としてはそれでいいことだとするのが、国による福祉の廃止ということだ。
 実際多くの「障害者」は介護を受けなければ最低限の生活も維持できないが、それで死んでも国家は一切意にも介さないということの宣言であり、「障害者」虐殺の論理なのだ。「障害者」から介護を奪い、殺していくということなのだ。

 石原の「障害者」抹殺思想許さぬ

 それと符合するかのように、あのファシスト石原が「障害者」虐殺を扇動している。石原こそ、「障害者」抹殺思想を最も体現している人物だ。石原の「『障害者』には安楽死を」という扇動こそ、現代のファシズムがまた「障害者」を虐殺しようとしていることを表している。
 私たちは、最先端医学の「障害者」差別・抹殺の思想と対決するとともに、石原という現代のファシストと対決し打倒することをもって、「障害者」差別・抹殺の現実をくつがえしていかなければならない。
 腐り果てた帝国主義に医学を任せておくことはできない。帝国主義を一時も早く終わらせ、医学を労働者人民の手に取り戻そう。
 介護保険制度を撤廃させ、「障害者」の生きる権利を獲得しよう。二〇〇三年全「障害者」介護への措置制度廃止の攻撃と闘い、必要な介護を実力でかちとろう。
 帝国主義がむきだしの「障害者」抹殺攻撃を加えている今、広範な統一戦線の構築で、介護保険制度廃止、二〇〇三年全「障害者」介護への措置制度廃止絶対反対の闘いを、すべての「障害者」、労働者人民の手で実現しよう。
(関西「障害者」解放委員会 M)

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週刊『前進』(1998号6面3)

“職務命令の撤回を” 千葉高教組が県民集会

 二月二十五日、千葉県高教組主催の「『日の丸・君が代』強制反対千葉県民集会」に参加しました。高教組組合員、高校生の親、市民運動家、他産別の労組員などが、右翼の街宣車数十台の脅しに負けずに集まり、六百人の参加者で会場は満杯になりました。特に千葉では高校生の決起をマスコミが連日報道し、県民の熱い注目の的になっている中での集会でした。
 冒頭、主催者あいさつに千葉県高教組の矢野委員長が立ち、「『千葉は全国でも一番反対している高校が多い』とキャンペーンされ、昨年十二月に県教委が『日の丸・君が代』の未実施八校に対して職務命令を出しました。高教組は職務命令撤回要求書を提出し、『生徒と教職員の話し合いで自主的・主体的な卒業式を行うことを尊重せよ』と要求してきました」と報告し、「学校だけでなく県民のみなさんと一緒に闘っていきたい」と訴えました。
 集会のメインは、「教育の現場と市民の連帯」と題した暉峻淑子(てるおか・いつこ)埼玉大学名誉教授の講演でした。暉峻さんは冒頭、「今なぜ『日の丸・君が代』強制か。日本が憲法を変えて戦争のできる国になろうとしているからです」と訴え、「教育の究極目的は、個々の子どもがもつ多様な個性やかけがえのない価値に気づかせることです。基礎学力とは自分の力で問題を発見し、自分で解いていく力であり、自分と違う個性を理解する力です。こうした自主性・主体性と個性をたたきつぶして考える力を奪い、国家統制に従わせることが、『日の丸・君が代』強制の目的です」と批判しました。
 「ドイツの子どもに『1と2のどちらが大きい?』と質問すると゛常識″をくつがえす豊かな回答が返ってくるのに、日本の教育現場では『2は1よりも大きい』という結論を押しつけるあり方が一般的です。校門を閉められて死んだ神戸の事件で、生徒に『なぜ反対しないの?』と聞いたら『大人が見本を見せてくれない。どうやって反対したらいいかわからない』という答えでした。教師が管理支配をはね返す力をもたないと、自分自身も子どもの命も守れないという実例です」と訴え、教育労働者を鼓舞激励しました。
 続いて小金、国府台、東葛飾の三校の分会の報告です。三校の高校生は二月十四日、県教育委員会に職務命令の撤回を求める「請願書」を提出しています。小金高の分会員は「生徒の申し入れを教育委員会が門前払いしたことに対し、生徒は『大人たちは自分の言葉で答えてほしい』と批判しています」と報告。国府台高からは「生徒が校長に『校長はいったい役人なのか、教師なのか?』と質問すると、校長は『地方公務員です』と答えた」と報告。東葛飾高の分会員は「そもそもは『個人的には日の丸を揚げてもかまわない』という生徒の方が多かったが、半年近く『本当に必要か』と議論して『卒・入学式にはいらない』と一致した」と報告し、「『日の丸・君が代をやらないから選んだ学校なのに』という在日の生徒の発言に考えさせられた。職務命令の撤回を求める」と訴えました。
 続いて国府台高校の保護者や所沢高校のPTA、多摩教組の国立の闘いの報告が行われました。千葉高教組「日の丸・君が代」対策委員会は「二月十八日に掲載した新聞の意見広告は、昨年の四割増の千四百四十六人で、強制反対の輪はさらに広がりました」と報告しました。最後に集会アピールを拍手で確認してデモ行進に出発しました。
 数百の隊列は圧巻で、駅前の通行人の注目を浴びつつシュプレヒコールをあげ、右翼もなすすべなしでした。 (千葉・高村佳子)

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週刊『前進』(1998号6面4)

処分を絶対許さぬ 国立で教育を考える集い

 三月三日に国立市の一橋大学で行われた「これからの国立の教育を考える集い」に参加しました。
 集会の第一部では、「教育はどこへ向かうのか||国立の現状から」と題して、北海道大学教授で教育法専攻の中川明さんが講演しました。中川さんは、教育基本法の制定過程の議論を紹介しながら、「教育基本法とは、そもそも憲法に記されるべき内容を記したものであり、それだけ尊重されなければならないものだ」と強調しました。そして昨年一月に二十一世紀日本の構想懇談会が提出した報告が「国家にとっての統治行為としての教育」論を展開したことを批判し、「今こそ私たちは『国家の統治行為としての教育』ではなく、個人が自立して生きていくために必要な力を身につける教育を実践しましょう」と提起しました。
 集会の第二部では、国立二小の保護者であり、桜美林大学教授の中村雅子さんが発題を行いました。中村さんはまず「きょうの午前、校長と卒業式について話し合ってきたんですが、校長は『教育委員会は私の上司ですから抗議なんてできません』と言いました。あきれるばかりです。また『歌わない子がクラスで二〜三人であればそれは親の考えだろう。クラスの半数以上が歌わないということであればそれは教師の指導責任である』とも言っています。見せしめ、異端者扱い、あぶり出しという狙いを感じます」と提起し、「日の丸・君が代」強制に反対すると語りました。
 続いて、一橋大学教授の鵜飼哲さんがコメントし、「僕のいる一橋大学の『日の丸』掲揚も、大学の上の方だけで決めたことが『決定しました』と一方的に下りてくるのみ。それに異論を唱えても、『国旗掲揚は審議事項ではない』と回答される。こうして民主主義が破壊されている」と弾劾しました。
 続いて国立の小学校の教育労働者が「卒業式について校長は、式場正面に『日の丸』を掲げ、『君が代』は音楽専科の教員のピアノ伴奏で斉唱すると提案しています。職員会議で反対意見を言おうとすると『個人的な意見はこの場で言ってはいけない』と封じようとする始末です。今まさに私たち教員の内心の自由が否定されようとしています。これを許しておいては、子どもたちの内心の自由も守ることはできません。最後まで頑張ります」と発言しました。保護者も「校長は保護者への説明会でも『歌わない自由はありません』と言っています。今の校長は教師ではなく単なる行政官です」と弾劾しました。
 最後にまとめとして、鵜飼さんが「『日の丸・君が代』教育が森や村上をつくってきたんだ」と弾劾し、中村さんは「教師への処分を絶対に許さないために、校長に申し入れをしていく」と発言しました。
 二〜三月の卒業式では、全国でねばり強い抵抗がたたきつけられています。法制化によって逆に永続的な闘いが始まったのです。最後まで頑張りましょう。 (東京・渡部亜紀)

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