ZENSHIN 2001/04/16(No2001 p06)

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週刊『前進』(2001号1面1)

「つくる会」教科書採択阻止

歴史偽造、侵略・天皇制賛美の教科書の「検定合格」弾劾する

米帝の中国への戦争徴発許すな

 (1)

 四月三日、日帝・文部科学省は極右ファシスト団体、「新しい歴史教科書をつくる会」の中学用歴史・公民教科書の検定合格を発表した。
 われわれは、この検定合格を徹底的に弾劾する。必ず撤回させ、この「つくる会」教科書を絶対に使わせない。東京・杉並を始めとする各自治体での採択を阻止し、全人民の総力で葬り去ることを宣言する。「つくる会」教科書粉砕を軸とする教育決戦=改憲阻止決戦を都議選決戦と一体のものとして闘い、都議選決戦をまさに教育決戦として闘う決意である。
 「つくる会」教科書は戦前の日帝のアジア侵略と植民地支配の歴史を賛美し、天皇制的暴圧と侵略戦争がアジア人民にもたらした残虐きわまりない幾多の歴史的事実を抹殺している。残虐な侵略の事実を歪曲し、抹殺し、居直り、正当化している。第二次世界大戦に行き着いた〈大日本帝国の歴史的大罪〉への反省の言葉は一かけらもない。日本の労働者人民が天皇制と治安維持法の暗黒政治によってどんなに苦しめられたかという歴史を隠蔽(いんぺい)している。戦後、日本人民の中に巻き起こった「再び戦争を繰り返すまい」という反省と決意も圧殺している。しかも全編が皇国史観で貫かれている。
 まさに新たな朝鮮・中国−アジアへの再侵略宣言であり、天皇制強権国家の復活宣言である。それを認めることは、日本の労働者人民の階級性と国際主義を自ら絞め殺すことになる。
 アジア人民は徹底的な怒りを爆発させている。それは侵略を受けた人民としてやぬにやまれぬ正義の憤激であり、日本の労働者人民への共同闘争と連帯の呼びかけである。
 三月十一日、「つくる会」教科書を弾劾する朝鮮の南北労働者の共同声明が出された。韓国労働組合総連盟、全国民主労働組合総連盟、朝鮮職業総同盟中央委員会が、日本軍国主義者の歴史歪曲を糾弾するとともに日本と世界の労組に共同行動を呼びかけている。この呼びかけにこたえ、連帯して闘いぬこう。
 教科書闘争を、日本の労働者人民の階級的生命線を守るか否かの切迫した自己解放的決起として、かつ国際的共同行動として発展させよう。この闘いを、杉並を最大の戦場にして、石原都知事を中心とするファシスト勢力との真っ向からの対決として闘い抜こう。

 (2)

 @「つくる会」歴史教科書は、第一に、もともと冒頭で「歴史は科学ではない」と記していた。その意図は日本の近現代史への批判を封じ込めることにある。そして日帝の侵略戦争・植民地支配と天皇制テロルの残虐な歴史という日本近現代史の根本問題に疑問を持たせることなく、天皇制を軸とする日本近代化を素晴らしい、美しい歴史と描きあげようとしている。そのために歴史の歪曲を恥知らずに行っている。
 第二に、アジアの民族解放闘争の歴史を無視・抹殺し、帝国主義の道を歩んだ日帝を美化し、日清・日露戦争を正当化し、侵略されたアジア人民の苦しみと生み出された創造的な民族解放闘争を無視し、日帝をアジアの「成功者」とたたえ、侵略されたアジア諸国を不当に見下している。
 第三に、日帝の侵略戦争と植民地支配の歴史と実態を隠蔽し、逆に「アジア解放戦争」などと賛美している。韓国併合を正当化し、朝鮮・台湾および中国東北部植民地支配において朝鮮・中国人民から国土を奪い、言葉を奪い、姓名を奪い、皇国臣民化を強制し、強制連行・徴用を行ったことや、残虐な戦争犯罪である日本軍軍隊慰安婦制度を強制した歴史的事実を抹消している。
 「三光作戦」「七三一部隊」など中国侵略戦争の残虐な事実を否定し、中国東北部における資源略奪、農地強奪、農民虐殺の事実を否定している。何よりも南京大虐殺を否定している。
 第四に、天皇制と大日本帝国憲法を近代日本の民主主義と美化し、教育勅語や軍人勅諭を称揚し、その一方、治安維持法体制下での特高および憲兵による労働者人民への過酷な弾圧と部落差別の数々、その天皇制テロルの暗黒支配を塗り隠し、天皇の戦争責任・植民地支配責任・沖縄売り渡し責任を全面擁護している。
 しかも、戦後に全面否定された神国イデオロギー=皇国史観を公然と復活させ、神武天皇から書き起こし、天皇制権力を正当化する神話を日本の正統な歴史であると偽る記述を満展開しているのである。
 第五に、対米戦争を「自存自衛」の戦争と美化し、特攻隊や日本軍の「玉砕」戦術を賛美している。
 Aさらに、公民教科書は巻頭のグラビアに「国境と周辺有事」なる項目を立て、中国漁船への警告や、「北方領土」問題での扇動、北朝鮮の「テポドン」と不審船事件を取り上げての「北朝鮮脅威論」、中国領・釣魚台への右翼の上陸事件、ペルー大使館事件、自衛隊の日本人救出作戦などの記述をもって排外主義テロル、戦争挑発をあおりたてるものになっている。
 しかも、公民の本文では、憲法九条は「自衛権の行使を認めている」と解釈変えし、自衛隊を賛美し、同時に戦後憲法の理念である国民の権利尊重を否定し、「国家への義務」「国家への忠誠」を強調している。改憲・徴兵制を露骨に肯定しているのだ。

 (3)

 「つくる会」教科書は、深刻な没落の淵(ふち)でもがく日帝の絶望的延命路線として、「国防」を柱に「愛国心」「天皇への忠誠」「アジアの盟主」を前面に押し出して、青少年を再度アジア侵略戦争と対米戦争に駆り立てようとするものであり、改憲=教育改革の狙いが込められている。
 まさに、「日の丸・君が代」の強制と戦闘的・良心的教育労働者への処分・排除攻撃と「つくる会」教科書攻撃は一体のものだ。
 今日、その攻撃の先兵になっているのが自民党の右翼反動(KSD汚職の村上や小山、中曽根、森など)であり、石原都知事と山田杉並区長であり、自由主義史観グループ、産経新聞などの右翼反動マスコミ、勝共連合などの反共右翼である。広島や国立で「日の丸・君が代」攻撃を展開している右翼反動が教科書攻撃の先兵でもあるのだ。
 「日の丸・君が代」法制化以降、今春の「日の丸・君が代」闘争は各地の教育委員会や校長の職務命令、処分恫喝にもかかわらず、全国で昨年をはるかに上回る規模で闘われた。闘争は教育労働者と中学生・高校生を先頭に、労組、在日朝鮮・中国・アジア人民、アイヌ民族、沖縄人民、部落大衆、「障害者」、宗教者、知識人、保護者、地域住民など全人民的な地域共同闘争として闘われている。この激闘の中から教育労働運動再生の道が切り開かれつつあり、教育決戦の本来の姿が登場している。
 「つくる会」教科書粉砕の闘争は、国際連帯のもとに幾百万人民の巨大な階級決戦になる展望がある。再び侵略と戦争を許すのか否か、天皇制的圧制を許すのか否か。検定合格を弾劾し、東京・杉並を天王山としてあらゆる手段をもって採択阻止するまで闘い抜こう。都議選勝利=けしば誠一氏当選を切り開こう。
 この闘いと一体のものとして、四月一日に南中国海上空で起きた米軍スパイ機EP3による中国への戦争挑発行動を徹底弾劾せよ。米日帝の中国、朝鮮への侵略戦争攻撃粉砕へ闘おう。

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週刊『前進』(2001号1面2)

動労千葉が第2波96時間スト 運休800本、政府・資本ゆるがす

 国鉄千葉動力車労働組合(動労千葉)は、四月一、二日のJR東日本における四十八時間全面乗務員ストライキを中心に、前後の三月三十一日、四月三日の指名ストを含めて四日間、九十六時間の春闘第二波ストを打ち抜いた。三月二十八日の第一波ストと合わせて実に百二十時間に及ぶ大ストライキを一糸乱れぬ団結で貫徹したのだ。第二波スト突入者は四日間で延べ約四百人。第一波と合わせて延べ五百人近い組合員が決起した。JR東日本千葉支社は、四日間で七百九十九本が運休し、約二十一万人に影響したと発表。久留里線、鹿島線は一、二日は全面運休、東金線、内房線、外房線、総武本線も運転率は五五―七五%にとどまった。四月二日はJR東日本の入社式があり、本社は「一本も止めるな」と千葉支社に指令したが、JR総連・東労組の組織的危機の中でスト破りに全面的に動員することもできず、予想を超える運休となった。
 動労千葉が今春闘で掲げた要求は、三万八千円の大幅賃上げ、JR貨物の格差回答―ゼロ回答打破、シニア制度―業務の全面外注化阻止、運転保安確立、千四十七人の解雇撤回などだ。これに対してJR貨物は二年連続でベアゼロを回答。JR東日本もベア九百六十四円(〇・二八%)の超低額回答だ。JR東労組は、昨年より百円上積みのベアと取引して、業務の全面外注化を裏切り妥結した。動労千葉は、これらを断固拒否してストを打ち抜いたのである。
 動労千葉の乗務員ストは、九五年十一月の勝浦運転区廃止阻止を掲げた七十二時間スト以来五年ぶり。その間のあらゆる組織破壊攻撃をはね返して培われた組織力をいかんなく発揮し、゛動労千葉ここにあり″を強烈に示した。
 ストは、JR資本だけでなく、黒田・カクマルと分裂して一層のJR資本の先兵となって延命しようとする松崎・JR総連に大打撃を与えた。「ニューフロンティア21」―第二の分割・民営化攻撃にさらされる全国鉄労働者に対して、また連合などの幹部の裏切りのもとで苦闘する全国の労働者に対して゛このように闘おう″と素晴らしいメッセージを送った。さらに、「四党合意」に抗して闘う不屈の国労闘争団を激励し、千四十七人闘争の勝利に向けた新たな闘いの開始を告げ知らせた。動労総連合傘下の動労水戸、動労連帯高崎、動労西日本もストに決起した。動労千葉・動労総連合に続こう。(2面に記事)

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週刊『前進』(2001号1面3)

都議選けしば氏必勝へ

民衆のデモやストで自民党と石原を倒せ

 採択阻止の「東京決戦」へ

 歴史を歪曲し戦争と天皇制を賛美する「つくる会」教科書の検定合格によって、採択をめぐる「東京・杉並決戦」が政治的焦点になった。けしば誠一氏の当選をめざす六月都議選における最大の争点を教育改革攻撃、とりわけ教科書問題にしなければならない。「つくる会」教科書推進の石原都知事と山田杉並区長らとの政治的な大決戦として都議選を闘うことだ。
 これが右翼反動との激突になることは確実である。日帝と「つくる会」のファシストどもは、検定合格をもぎりとるために外務省出身の教科用図書検定調査審議会委員を「つくる会」教科書反対の工作をした、などと産経新聞で書き立て、結局委員から外させた。反動教科書を採択させるためには手段を選ばないというファシスト反革命が吹き荒れ始めたのだ。
 日帝支配階級の意を体した「つくる会」の次の狙いは、全国で一〇%の学校で採択させることにある。二〇〇一年度の会社別の歴史教科書採択率は中学校では一位が東京書籍で二二・五%、二位が教育芸術社で一一・八%、三位が教育出版で一〇・二%、四位が光村図書八・九%だ。
 教育現場の意見を入れてこれまでどおりに選べば「つくる会」教科書が採択される可能性はゼロである。実際に高校用の皇国史観教科書『最新日本史』は、二〇〇一年度に採用されたのはわずか全国で十四校・二千部台後半というみじめな結果に終わっている(高校の場合は各高校ごとに採択)。現在の教育現場の階級的力関係では、こんな侵略賛美教科書を選ぶところはまずない。
 こうしたことを熟知している「つくる会」はこの間、議会に教科書の採択権は学校現場にはなく、教育委員会にあることを確認するという反動的な陳情運動を展開してきた。教科書採択権を教育現場から切り離し教育労働者を排除して教育委員会に絞り、地方議会での決議で教育委員会に圧力をかけたり、人事権を発動して教育委員会そのものを反動的に変質させることで「つくる会」教科書を採択させようとしている。

 石原都政の本質は戦争だ

 この「つくる会」の一〇%達成策動の真の張本人こそ都知事権力を握るファシスト石原である。日帝・文部科学省は石原都知事と組んで、大人口を抱える東京で「つくる会」教科書を各区市町村で採択させ一〇%目標を達成しようとしているのである。石原が言う「心の東京革命」とは、何よりもこの「つくる会」教科書を全都に導入し、全国に波及させることだ。
 石原の正体はここにある。石原は戦争挑発者・天皇崇拝者である。石原はけっして「国と闘う知事」ではない。「国と闘う」ふりをして、実は政府・自民党がやろうとしてできないことを次々と、その急先鋒(せんぽう)となってどしどし実行し、日帝総体を改憲=戦争国家へともっていこうとするファシスト勢力の頭目である。反米、反中国の排外主義者であり、労働者人民のあらゆる運動・団結を破壊して、労働者人民を真っ先に戦争に駆り立てる役割を自覚的に担っているファシストである。
 今回の「つくる会」公民教科書の巻頭グラビアには「尖閣列島に代議士が上陸」の絵解きがついた写真が載っている。「尖閣列島」とは中国領土・釣魚台のことである。日帝が領有権を主張して右翼などが挑発を繰り返している。この代議士とは当時新進党(現自由党)国会議員・西村真悟である。一九九七年五月六日、西村が釣魚台に上陸し「日の丸」を立てた。この時石原は西村と同行し、この計画を取り仕切り、自動小銃や銃砲弾などの武器弾薬を漁船に積み込んで軍事作戦・武装侵略行動をした張本人である。
 「つくる会」教科書の狙いが領土問題などを焦点化して排外主義と愛国心をあおり、中国や朝鮮への戦争を挑発するものであることはこれだけでも明らかだ。そういう行動の頭目が石原である。この写真は、極右ファシスト石原と「つくる会」が一心同体の関係にあることの証拠である。
 6面につづく〜1面からつづく
 石原とはこうしたとんでもない右翼反動であり、領土問題がらみになると戦前の関東軍のように戦争挑発をどんどんやる危険な人物なのだ。こういうのをファシストというのだ。人民の現状変革の要求にこたえるかのような行動的ポーズをとって人民を戦争と暗黒の地獄に突き落とす右翼反動なのだ。ヒトラーと同じような人物なのだ。
 銀行税、ディーゼル車規制、横田基地返還(その後、軍民共用方針にすり替え)などのペテン的人気取り政策も、実はこの恐るべき戦争国家化=改憲とそのための侵略賛美教科書の導入をすみやかに実行するためのものだ。そして十兆円の公共事業が示すように、大企業の代弁者以外の何者でもない人物である。
 この石原が、都知事として、学校教育を左右する権力を握り、極右ファシストの大衆運動をも利用しつつ「つくる会」教科書を杉並を始め全都の学校に導入しようとしているのだ。本当に恐るべき事態である。

 山田区長の策動を許すな

 石原は「日本の歴史の悪いことばかり誇張して取り上げて、この国の歴史に愛着を持てない教科書は好ましくない」と、「つくる会」教科書の採択を策動している。
 二月八日、石原の指令で都教委が、各区市町村教委に「教科書採択事務の改善について」なる通知を出した。学校票制度や下部機関による「絞り込み」を禁止し、採択から現場教員を排除しようとするものだ。
 この中で、山田杉並区長は、昨年十一月、五人の区教育委員のうち三人を佐藤欣子、大蔵雄之助、宮坂公夫に交代させることを策動した。佐藤、大蔵は「自由主義史観」グループの中心人物である。大蔵は勝共連合『世界日報』の執筆者でもある。宮坂も右翼反動分子である。この三人が決まれば、杉並区の教育委員会は「つくる会」教科書賛成派が過半数になる。
 これを知った杉並区民がけしば区議を先頭に連日決起し、区内の文化人・知識人も緊急アピールを発し、闘いが燃え広がった。
 住民の先頭にはけしば区議や新城区議が決起し、採決する議会本会議傍聴席には住民があふれた。この闘争の結果、賛成を決めていた生活者ネット、公明党、民主党も動揺し、生活者ネットは反対に回り、公明党は欠席、民主党は賛成・反対に二分、与党からも欠席者が出るという大荒れの事態になった。山田区長は佐藤欣子の提案を断念し、かろうじて宮坂、大蔵が採択された。退席と反対が過半数という実に大きな打撃を与えた。
 三月二十日、杉並区内で、勝共連合系が主催し区が後援する集会が、曽野綾子、渡部昇一らを呼んで開かれた。これは、石原・山田の側からの教科書攻撃そのものである。
 それらの動きは、けしば区議を先頭にした杉並が石原打倒の砦(とりで)となると見てのことである。杉並を反革命でじゅうりんしようとしている。杉並の全学校に「つくる会」教科書を配布し、杉並を侵略戦争の推進地域に変えようとたくらんでいるのだ。
 教科書攻撃をもって労働者人民を戦争へと引きずり込もうとする石原都政を打倒することは、都民のみならず全国の人民にとって緊急の課題だ。石原反革命という形をとって、未曽有(みぞう)の没落化の危機にある日帝の絶望的延命策動=改憲攻撃が一線を越えて強まってきているのだ。したがって、石原と真っ向から勝負する革命的議員と革命的大衆行動が是非とも必要なのだ。その立場に立ち、実行力があるのはけしば誠一候補だけだ。
 日本共産党は「是々非々主義」と言って石原にしっぽを振っている。日共はもはや左翼でも人民の味方でもない。
 教育改革・改憲攻撃粉砕、「つくる会」教科書採択阻止の大運動を巻き起こそう。この中で日共を打倒して、都議会にけしば氏を送り込み、石原都政打倒の火柱をあげよう。

 学校給食の民託化阻止と介護保険闘争

 さらにこの間、杉並では重大な勝利が開かれた。ついに学校給食民間委託の四月実施を阻止した。山田区長は四月実施が破綻した後も民間委託を強行しようとしている。しかしこの間の闘いが示したように、組合が団結して白紙撤回の旗を守り、給食や区関連の労働者、地域住民と団結して闘えば必ず勝利できる。計画の白紙撤回まで闘おう。
 さらに四月一日、「介護と福祉を要求する杉並住民の会・総会&一周年記念集会」が杉並公会堂に七百二十人を集めて大成功した。
 集会宣言は「私たちは、いまこそ堂々と、公然と主張する。『全額公費で、介護を保障せよ』と。『必要な人に必要な介護を』と。そして『憲法違反の介護保険を廃止せよ』と。これは私たち自身のかけがえのない人権の叫びなのだ」と、高らかに権利としての公的介護を要求した。
 翌二日には住民の会を先頭に厚生労働省交渉が圧倒的にかちとられた。

 動労千葉ストの巨大な意義

 またこうした闘いの真っただ中で、動労千葉は大幅賃上げと保守部門の全面外注化反対を掲げて三月三十一日から四月三日にかけて四日間、九十六時間の春闘第二波ストライキを打ち抜いた。鹿島線、久留里線が全面運休、内房、外房、総武、東金線では半数以上運休、四日間で約八百本の列車を運休にたたき込んだ。
 四月二日、動労千葉は決起集会を開き、中野洋委員長がストライキの成果を確認した。全員決起でストを貫徹した労働者は解放感に満ちあふれ、JR東日本千葉支社に向け、元気良く街頭デモに飛び出した。
 今日の日本の労働運動の閉塞(へいそく)状況を革命的に打破する決定的な偉大なストライキが貫徹された。労働者人民の闘いの武器は団結である。労働者が社会の主人公だ。団結して闘えば必ず勝利できることを鮮やかに示し、全人民に限りない勇気を与えた。腐敗と反動の自民党政府を打倒する典型的な革命的大衆行動である。デモやストをいたるところで爆発させ、自民党政治と石原都政を打ち倒そう!
 六月都議選決戦と教育決戦を一個の政治決戦として闘い抜こう。中でも教科書決戦に全力を投入しよう。「つくる会」教科書採択絶対阻止のために、杉並を拠点に東京で巨大な大衆運動を巻き起こそう。
 右翼との激烈な攻防に勝ちぬこう。東京と杉並のあらゆる地域に闘いの渦を起こし、労働者・住民総決起で教科書決戦に勝利しよう。新たな戦争と天皇制的暗黒の道=改憲攻撃の突破口である「つくる会」教科書を粉砕せよ。ここに全世界的・全アジア的スケールで急接近する革命的情勢に対応した革命的大衆行動の環中の環があるのだ。
 この大衆的高揚の力で、六月都議選でのけしば候補の当選をかちとろう。

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週刊『前進』(2001号1面4)

 改憲阻止決戦シリーズ

 今、問い直す侵略と戦争の歴史

 今号からスタート

 日本帝国主義の明治以来一九四五年八・一五にいたるアジア侵略・植民地支配と侵略戦争、対米英の帝国主義間戦争の歴史の事実を知り、学ぶための長期連載。今号はその総論=5面

 

 

 

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週刊『前進』(2001号2面1)

動労千葉の120時間スト

第2の分割・民営化(ニューフロンティア21)に総反撃

“労働者こそ社会の主人公”

裏切り妥結のJR総連に怒り 4・2スト決起集会に420人

 熱気と解放感 誇りに満ちて

 動労千葉の三月二十八日の第一波、三月三十一日から四月三日の第二波、計百二十時間の大ストライキは、ものすごい解放感と熱気の中で闘われた。組合員の一人ひとりの姿に「おれたち労働者こそ社会の主人公だ」という誇りが表れていた。
 四月二日午後一時から千葉県労働者福祉センターで開催された春闘第二波スト総決起集会には、スト突入者を先頭に全県から四百二十人の組合員が結集した。スト中でなければ、これだけの組合員が一堂に会することはない。その意味でも、ストは労働組合の団結を固める重要な場だ。
 冒頭、君塚正治副委員長(動労総連合委員長)が「この春闘は動労千葉の二十一世紀を占う」と開会あいさつ。司会者は「全国の労働者の怒りを代表するストだ」と宣言した。
 【動労千葉の各支部と運休状況(4月1日)の地図】
 中野洋委員長があいさつに立ち、「八百本の運休を出す成果を挙げて貫徹されつつある。動労千葉の力を示すことに成功した。ニューフロンティア21に大変な痛打を与え、カクマルの分裂問題で内部のタガがゆるんだJR総連にもダメージを与えた。四党合意をのんで、機動隊を導入して大会を強行した国労の一部幹部に対する打撃、闘争団を始め国労の闘う仲間に激励を与えることに成功した」と訴えて、ストの意義を全面的に明らかにした。
 まず国鉄労働運動をめぐる情勢について、「国労の四党合意をめぐる攻防は、国労が闘う労働組合に生まれ変われるのかをめぐる攻防だ。カクマルとJR総連グループの対立、抗争、分裂は、会社とJR総連が一体となった体制が大きく揺らいできたことを示している。国労が四党合意を蹴って団結を守れば、JR総連をぶっかいて、闘う労働組合がJR全体を制することが可能だ」と述べた。
 中野委員長はまた、「JR東日本はニューフロンティア21を出し、鉄道は単なるお客を運ぶ手段に過ぎない、駅を活用して金をもうける会社にする。その実態が保守三部門の全面的な外注化攻撃だ。『痛みを伴う』と言っているが、冗談じゃない。分割・民営化で大変な痛みを強制された。それをまたやるというのだから、動労千葉は『断固ノー』である。第二の分割・民営化は鉄道会社のあり方を根本的に変える。労働組合、労働者はどうしたらいいのかと突きつけられた。この闘いをとおして、団結を強化し、本気になって組織を拡大しよう。こういう時代には間違いなく力が勝負を決する。若い仲間を入れて、みんなの力を結集して打ち破ろう。かつて分割・民営化攻撃の時に示した大変な熱気を取り戻し、労働者魂を示そう」と檄(げき)を飛ばした。

 闘争団が国労再生への決意

 国労闘争団の労働者が、「近い将来、闘う労働組合として再生してあいさつに来たい。ストに立ち上がった動労千葉の皆さんに心から敬意を表す。四党合意が機関決定されたが、あくまでも職場に帰る。金も取る。失われた時間を返してもらう。同じ鉄路に働く仲間として頑張ろう」と訴えると、ひときわ大きな拍手がわき起こった。
 動労千葉弁護団の阿部裕行弁護士は、シニア制度を鋭く批判し、地労委闘争に勝利する決意を述べた。
 都政を革新する会のけしば誠一杉並区議は、「胸のすくような快挙だ。閉塞(へいそく)感を吹き飛ばしている。労働者の権利を守り、乗客の命を守る崇高な闘いだ」とスト決起をたたえ、「自民党・金権腐敗政治にトドメを刺すために都議選に必ず勝利したい」と支援を訴えた。
 水野正美勝浦市議は、「今回のストは、歴史を切り開く闘いだ。これが新たな労働運動の出発点だ」とあいさつした。

 外注化阻止の闘いは継続へ

 基調報告に立った田中康宏書記長は、「一人ひとりの力がこれだけ大きなものをつくっている。素晴らしいことだ。闘う部分と裏切っている部分が鮮明になった。動労千葉の側に未来がある」と組合員をねぎらい、「JR東日本は大打撃を受け、JR東労組はこのストに顔面蒼白(そうはく)になっている。この闘争の渦中で、東労組組合員が離反してしまうのではないかとせっぱ詰まった行動に出ている。組織的崩壊状況だ。そういう状況にくさびを打ち込んで、動労千葉に結集する。そのインパクトは千葉にとどまらない。われわれの闘いが全国に響く時が来た」と訴えた。
 田中書記長はさらに、交渉経過に触れ、ベア百円の上積みで検修職場の労働者を売り渡す全面外注化を妥結した東労組を弾劾し、会社に対して再考を求めたが、会社は一切はねつけた状況の中でスト突入指令を下ろしたことを明らかにした。そして、「外注化は、これから支社、現場段階で闘争が続く。施設関係では、出向期間が過ぎたら転籍になる。シニア制度で再雇用を拒否された組合員の雇用を確保しなければならない。このストを集約した後も闘いを継続していきたい」と奮起を促した。

 東労組脱退の新組合員登壇

 動労千葉家族会などのメッセージが紹介され、JR東労組から加入した新組合員がさっそうと演壇に上がった。
 「東労組で、悪いものは悪いと三年ぐらい言い続けてきたが、組織破壊者のレッテルを張られ、二〇〇一年元旦に動労千葉に結集した。東労組の役員は腐敗、堕落している。青年組合員の不満、不信が渦巻いている。彼らが望んでいるのは、JR総連、JR連合の既成の波ではない。そういうところに魅力を感じないとはっきり言う。第三の波を、千葉の地から大きなうねりをつくりたい」
 この力強い訴えに、割れるような拍手が送られた。
 さらに、各分科会、協議会、各支部代表が次々と決意表明した。動労千葉争議団の労働者は、「国労が四党合意を認めたが、国労闘争団は新たな闘いを始めた。私たちも動労千葉執行部の正しい判断のもとで、こういう闘いを背景に原職を奪還する」と述べた。
 集会後、千葉駅、千葉支社に向けてデモ行進した。四百人もの組合員の大隊列は圧巻だ。黄色いゼッケンに身を固め、スローガンが書かれたプラカードを手にした組合員の表情は皆、解放的で明るい。第二梯団(ていだん)の先頭の幕張支部は「委託阻止、闘争勝利」とコールしながらデモした。千葉支社を取り巻き、「JRは不当労働行為をやめろ」とシュプレヒコールをたたきつけた。

 団結の力示したスト 21世紀労働運動の勝利の展望を開く

 動労千葉の春闘ストライキは、二十一世紀の日本労働運動の再生の展望を切り開く歴史的な闘いとなった。
 中野委員長は、二日の総決起集会で、「世界的な恐慌と戦争の情勢、森政権の改憲、教育改革、有事立法の攻撃に対して、労働者は団結して敵に向かっていかなければならない。政府を打倒するためには、労働者がストライキをやり、大規模なデモンストレーションをやって政権に引導を渡さなければならない。日本の多くの労働者に対する一つの大きなメッセージとして、われわれと一緒に闘おう、そうすれば勝利の展望が切り開かれるということを示す」と、今回のストの大きな意義を述べた。
 また、田中書記長は、「労働者階級の歴史は、こぶしをあげて権利を認めさせてきた歴史だ。その歴史の一翼を先頭で担っているという誇りを持ちたい。怒りや不満だけでは社会は変わらない。それに火を付けなければならない。労働組合の原点は団結だ。労働組合らしく団結してストを闘う」と訴えた。
 動労千葉のストは、大幅賃上げや大合理化阻止、千四十七人の解雇撤回などの課題を掲げるとともに、労働組合の原点である団結とストライキを復権し、政府・資本との原則的対決を日本労働者階級全体にアピールする闘いとしても、画期的な意義を持つ闘いとなったのである。

 各支部が突入集会 全国に支持・共感広がる

 各支部は、この総決起集会に先立って、さまざまな行動に決起した。
 ストに突入した三月三十一日、桜の満開時では二十五年ぶりという雪にみまわれた。千葉運転区支部は、運転区の近くの会場で約九十人でスト突入集会を開催した。運転区の入り口には「JR東日本本社」と書かれた緑腕章を付けた職制が門扉を閉ざしてロックアウト。これにシュプレヒコールをたたきつけた。四月一日にもDC会館で集会。家族会や千葉労組交流センターが激励に駆けつけた。組合員は運転区の監視行動に決起。スト破り動員者には当局が警備をつけて退勤させていた。これを弾劾して意気高く闘いぬいた。
 全支部がそれぞれ集会や学習会を開き、意志統一した。検修・構内業務の全面外注化の対象となる幕張支部が職場ビラまきを行うなど、文字どおり全組合員の総決起でスト行動を貫徹した。
 JR東日本は、ストによる混乱を回避しようと、首都圏の各駅や車内で動労千葉のストをアナウンスし、張り紙をした。マスコミも一斉に報じた。労組交流センターが支援を呼びかけるビラを駅頭で配布した。こうした中で、全国の労働者の注目と共感が集まった。職場ではこの話題で持ちきりになった。
 動労千葉本部には、ストに対する激励の電話が数多く寄せられた。特に、安全を破壊する合理化と闘っていることが支持された。

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週刊『前進』(2001号2面2)

動労総連合統一スト JRの大合理化に痛打

 他労組の若者巻き込む展望 動労水戸

 国鉄水戸動力車労働組合は、四月一日、二日の両日にわたるストライキを貫徹した。一日、勝田運輸区で乗務員と検修の二人がストに決起。翌二日には水戸運輸区、大子運輸科で乗務員やベンディングなどの組合員十五人が続々とストに突入した。
 二日午前十時すぎ、水戸運輸区前でスト支援行動が闘われた。
 国分勝之委員長が、「検修・保守部門の全面外注化が行われようとしている。JR労働者の将来をかけた闘いとしてストを闘う」と、運輸区の労働者に力を込めて訴えた。
 訴えが続く中、ストライキに突入した組合員を全員が拍手で迎え、力強いシュプレヒコールを行った。
 水郡線・大子運輸科では、午後零時半すぎからスト支援行動が闘われた。「ニューフロンティア21で鉄道事業は三番目に後景化し、ローカル線が切り捨てられる。ともに決起しよう」という訴えが響いた。
 午後五時半から、水戸市民会館で総決起集会が開かれ、スト貫徹中の組合員を始めほとんどの組合員が結集した。組合員の顔は、ストに決起した自信と確信で生き生きと輝いている。
 各職場からのスト報告の後、国分委員長が総括を提起した。
 「動労千葉は列車を止めるストライキをやっている。昨年の十一月のストライキから、東労組以外の組合に『スト破りをやるな』と公式に申し入れ、ひざ詰めの話し合いをやってきた。今回のストはこの地平をより深めた。他労組と東労組の若者を巻き込む展望を今回つかんだ」
 「検修の全面外注化が五月の連休明けにも提案され、十月にも実施されようとしている。すべての職場がそうなる要素を持っている。どこで闘えば効果的かを見据えて闘う。動労水戸として一番大事な昇進・昇格差別撤廃へ闘う」
 辻川慎一副委員長は、「全面外注化に対して組織戦として闘うことが問われている。職場がなくなろうとしている。不当配属に対して『原職奪還』と言っているが、『原職』がなくなろうとしているのだ。組合の路線にかかわる問題だ」と檄を飛ばした。
 JR東日本は、規定を無視して東労組以外の労組員にスト破りを強制した。スト破りを強いられた他労組の組合員は動揺し、資本への反発をますます強めている。今回のストは、千四十七人闘争と連帯し、JR体制への総反撃の芽を確実に生み出した。

 闘争団の怒り受け止め決起 動労連帯高崎 

 四月一日、国鉄高崎動力車連帯労働組合は二十四時間ストに決起した。
 早朝、当局にスト通告をした和田山繁委員長を先頭に、組合員と国労高崎など支援の労働者は熊谷駅に結集。駅頭を制圧してスト支援を呼びかける宣伝行動を繰り広げた。
 午前十時から、熊谷商工会館で動労連帯ストライキ貫徹総決起集会が行われ、約四十人が参加した。
 和田山委員長が報告と基調提起を行い、ストの勝利を宣言した。
 「本日のストライキは、労働者がやられっぱなしの状況下で労働者としての当たり前の権利行使だ。地域共闘の中から闘いをつくり出す。国労闘争団の怒りを本隊のおれたちが受け止めて闘う。JR東労組は、連帯高崎への横川での拉致・監禁事件のようにカクマルそのものだ。東労組を解体し、組織拡大の闘いに粘り強く立ち上がろう。きょうのストは二十四時間だが、大合理化攻撃で大事故が続発する中、重要な闘いとして貫徹した」
 大動員で参加した国労高崎地方本部と同熊谷支部の代表は、「本来なら国労がストライキに決起しなければいけないところ。ストを提起さえできない国労中央本部の現状を突破するために、動労連帯高崎と連帯してともに闘う」と力強い決意を表明した。闘争団からのメッセージが寄せられ、大きな拍手で確認された。
 熊谷地区労議長、大倉電気争議団、化学一般ニッショー・ニプロ支部、昭和高分子労組を始め、合同労組、教組、自治労など十を超える労組が連帯のあいさつをした。最後に力強く団結ガンバローを行った。
 動労連帯高崎は、国労や闘争団とも手を結び激励して、首都圏を揺るがす動労総連合の大ストライキの重要な一環を担いぬいた。

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週刊『前進』(2001号2面3)

解決要求の実現へ 闘争団、不屈の行動貫く

 国鉄決戦はきわめて緊迫した局面を迎えている。
 三月十五日、自民党など四党は国労本部に対して採用差別事件の訴訟取り下げを露骨に要求した。さらに自民党は、「解決案」の内容について「白紙委任」を国労本部に迫っている。
 国労本部は、この攻撃に全面的に屈服し、当事者を無視した訴訟の取り下げに突き進もうとしている。
 こうした中で、闘争団は不屈の闘いを貫いている。 三月二十六日から二十八日まで、闘争団全国連絡会議は「闘争団の求める解決要求の実現」を掲げて国会前座り込みを貫徹した。
 さらに、「解雇撤回・地元JR復帰を闘う闘争団」は三月、ILOに派遣団を送り、反動的な第二次勧告を覆すために闘争団の側からの追加情報を提出した。
 三月三十日には、「解雇撤回・地元JR復帰を闘う国労闘争団と共に闘う三・三〇集会」が日本教育会館で開かれ、四百人が結集。
 闘争団の代表は、臨時大会に機動隊を導入して闘争団に非難を加える本部を批判し、「敵を見失ってはならない。JRと政府の責任を追及し、全面解決要求の実現をめざす。『JRに責任なし』に反対する。不退転の決意で闘う」ときっぱりと発言した。
 ILO派遣団に加わった闘争団の代表が、行動の報告を行った。
 佐藤昭夫早稲田大学名誉教授は、訴訟取り下げ策動との闘いについて、「個々の闘争団員の訴訟参加も早速始めておくべき。国労組合員有志と動労千葉が申し立てている四党合意撤回の地労委闘争を広げることも重要だ」と提起した。
 山口孝明治大学名誉教授は、「辞めたはずの上村氏と宮坂氏が席を与えられている。問題を起こした人は引いて、反対派が執行部になるべきだ。現執行部は人間として醜いことをしている」と痛烈に本部を弾劾。
 音威子府闘争団家族の藤保美年子さんは、「闘争団の闘いは本部が言うような生やさしいものではなかった。取り戻すことのできない十四年。中途半端な解決はありえない」と訴えた。
 闘争団からの行動提起では、闘争団支援の陣形強化などが訴えられた。

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週刊『前進』(2001号3面1)

4・1杉並 「介護は生きる権利」と宣言 “全額公費で保障せよ”
 住民の会先頭に720人集う けしば区議に都議選推薦文

 介護保険制度強行実施から一年目の四月一日、介護と福祉を要求する杉並住民の会の総会と一周年記念集会が、杉並公会堂に七百二十人を集めて開催された。高齢者から介護と福祉を奪う介護保険に対して激しい怒りを燃え上がらせ、生きるための権利としての介護の要求を「私たちの宣言」(全文を4面に掲載)として高らかに主張し、高齢者が中心になって団結を打ち固めて闘うことを呼びかけた。集会の一つひとつの発言が、人間として生きる権利を取り戻そうという命の叫びとして発せられ、激しく参加者の胸を打った。感動にあふれた集会は、生きる勇気を与え、介護保険廃止へ闘う決意を呼び起こした。
 まず第一部として住民の会の総会が開かれ、事務局長が「高齢者の人権宣言の日。新たなる福祉の日を宣言したい」と集会の意義を訴えた。
 最初に住民の会の代表があいさつ。「生きることはすてきなんです。誰でもすてきに生きることを共有している。これを阻むことはできない。本当の世の中をつくっていかなければならない。人の世は人がつくる。今のおかしな世の中は今の人がつくっている。私たちはこの地球に等しく命をいただいている生命なのです。それを人権と言ったり、命の尊厳と言っている。誰もが命を全うする人生を送らなければいけない。悲しい思いをしている人を、しっかりと手を取っていきましょう」と高らかに謳(うた)った。
 住民の会副代表が活動報告を行い、昨年六月三日の結成以来、五回の区との交渉、二回の厚生省交渉を行ってきたことを報告した。そして区との粘り強い交渉で、「Bさんの問題について、障害者福祉の適用などによって介護保険の上限を超えるサービスを保障することを約束させた。さらに低所得者への月三千円の自己負担という利用料助成制度をつくらせた」と成果を確認した。
 さらに「住民の会の運動は、お年寄りが主人公の運動、介護に苦しむ家族、介護に携わる労働者が主人公の運動です。だからこそ一人ひとりのお年寄りの苦しみ、人間として生きる権利の叫び、その要求こそ大事です」「メッセージ運動に全組織をあげて取り組みましょう」と呼びかけ、全国ネットワークを結成することを提起した。
 会計報告、役員体制などの議案が採択されて第一部の総会が終了し、第二部の一周年集会に移った。
 集会のハイライトは、住民の会の会員が壇上に並んで「私たちの宣言」を交代で読み上げた場面だった。
 「私たち高齢者こそ、この社会を支えてきた主人公ではないのか。私たちは、かつて『滅私奉公』の名の下に弾の下をかいくぐり、凍てつく大地で凍死におびえ、蒸せかえるジャングルで飢えに耐え、あるいは焼夷弾の下をはいずり回って生き延びてきた」「戦後は、焼け野原で一から生活を立て直し、食べるものも食べずに子供たちを育てあげてきた」「流した血と汗、涙は数知れない」「だが、尊敬を受けるべき長寿を『厄介者』に仕立てあげたのは誰か」「もう、これ以上、我慢できない」「私たちが、堂々と胸を張って、生きる権利を高らかに宣言するときがきた。私たちは、いまこそ堂々と、公然と主張する。『全額公費で、介護を保障せよ』と。『必要な人に必要な介護を』と。そして『憲法違反の介護保険を廃止せよ』と」「老年よ、輝け! 老年に、光あれ!」。すべての参加者が感動にふるえながらこの宣言を聞いた。
 集会では最初に来賓のあいさつを受けた。高槻市議会議員の小西弘泰さんは、高槻で起こった老老介護の夫婦の死という痛ましい出来事について報告し、近所の人が「利用料の問題があって介護保険のサービスを受けるように勧められなかった」と語った言葉を紹介し、まさに介護保険が死に追いやったこと、介護保険が国や自治体の責任放棄であり、介護の切り捨てであることを弾劾した。
 高槻健診介護要求者組合の代表は、「高槻市は、江戸時代の悪代官さながら。介護保険という殺人制度を国がつくって、その忠実な先兵となっており、まったく同罪だ」と激しく弾劾した。さらに命の告発のメッセージに寄せられた「保険料を取られ国民年金では生活できない」「医療費を上げられ、食費を削らなければならないのはつらすぎる」などの声を紹介した。
 東大阪国保と健康を守る会・介護要求部会の代表は、東大阪でも老老介護の中で少し発見が遅れれば高槻と同じようになったかもしれない出来事があったことを弾劾し、市との交渉でこの問題を取り上げて追及し、本会議にかける確約を取ったことを報告した。同じく東大阪の荒本地区介護と福祉を要求する会の代表は、市との交渉で議会で取り上げる約束を勝ち取ったにもかかわらず、日本共産党の市長が他の問題との取引で下ろしてしまった暴挙を弾劾し、「介護を粗末にする悪政は許せない」と訴えた。
 八尾北医療センター介護を要求する会の代表は、介護支援センターをつくる運動に対して市当局が拒否してきたことに対し、署名運動などによって許可を取り付けた闘いを報告した。
 福寿会在宅総合ケアセンター所長の土肥徳秀さんは、利用者が利用料を払えないために介護サービスを削っている現実を具体例を挙げて明らかにした。さらに社会保障改革大綱が決定されたことに対して、民衆の負担を増やそうとしていること、訪問介護のサービスから家事援助をはずそうとしていること、要介護認定がきわめてデタラメで、一次判定ソフトの見直しで要介護認定者を削減しようとしていることを暴いて、「この策動を打ち砕こう」と呼びかけた。
 九州大学助教授の伊藤周平さんと会員のBさんのメッセージが紹介された。
 会場からの発言では、病後で参加できない会員の「介護保険は介護を金儲けの手段に変え、人権保障という国家の責任を放棄したものだ」と弾劾する手紙を連れ合いの女性が読み上げた。長年、高齢者福祉に携わってきた会員からも「介護保険をこのままにしていたら私たちが殺される」という発言がなされた。「障害者」は介護保険が「障害者」の介護を奪い、自立生活を奪うものであることを弾劾した。また、女性の会員は自分の周りで困っている人があったら手を差し伸べようと訴えた。
 都議選推薦の報告では、住民の会の運営委員が、厚生省交渉や杉並区との交渉でともに闘ってきたけしば誠一候補を推薦するという推薦文を読み上げ、代表が「本当の政治を作り上げてくれる人を押し出したい」とけしば候補に手渡した。
 けしば区議は「お年寄りを邪魔者扱いにする介護保険にもう我慢ができない。しかし杉並の住民はこれに負けなかった。『老人よ大志を抱け』と呼びかけ、一歩一歩成果を上げてきた。私は、住民の会の皆さんたちとこの杉並で出会い、一緒に行動したことを誇りとします。議員として、皆さんとともに歩み、ともに行動するあり方を学んだ。都議選に必ず勝利し、命の叫びを貫きたい」とお礼を述べた。
 「私たちの宣言」が読み上げられ、会場全体が感動に包まれた中でコンサートが始まった。「箱根八里」「お菓子と娘」「子犬のワルツ」などバリトンとソプラノの独唱、二重唱、ピアノ独奏が響きわたり、最後に「おぼろ月夜」を会場全体で合唱し、感動さめやらぬ中で翌日の厚生労働省交渉の行動方針を確認した。

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週刊『前進』(2001号4面6)

「私たちの宣言」 生きることが誇り 4・1杉並集会

 四月一日の「杉並住民の会総会」で発せられた宣言を紹介します(編集局)

 稀代の悪法、介護保険法が強行実施されて丸一年を迎えた。いったい、この一年でどれほどの高齢者や介護する家族が苦しんだのか。一人暮らしの高齢者の孤独死は日を追うごとに増え、いまや老老介護世帯がともに餓死し、あるいは心中するといった痛ましい事態にまでいたっている。ぎりぎりの年金から無慈悲に天引きされる保険料。一割の自己負担が払えず、介護保険の利用すらままならない現実。この一月からの高齢者医療費の自己負担の一割化は、私たちから医療すら奪おうとしている。「年寄りは早く死ね」と言うことなのか。
 私たち高齢者こそ、この社会を支えてきた主人公ではないのか。私たちは、かつて「滅私奉公」の名の下に弾の下をかいくぐり、凍てつく大地で凍死におびえ、蒸せかえるジャングルでマラリアや飢えに耐え、あるいは焼夷弾の下をはいずり回って生き延びてきた。青春も何もかも「御国のために」奪われた。戦後は、焼け野原で一から生活を立て直し、食べるものも食べずに子供たちを育てあげてきた。高度経済成長では、夜昼なく一生懸命働いて、この社会の建設に貢献してきたのではなかったか。流した血と汗、涙は数知れない。今の、この国と社会をここまで創り上げてきたのは、他でもない私たち自身ではないのか。
 だが、尊敬を受けるべき長寿を「厄介者」に仕立てあげたのは誰か。私たちから経験豊かな慈愛に満ちたまなざしを奪おうとするのは誰か。ふるえる手で、財布の中の硬貨をまさぐる生活をさせるのは誰か。介護を受けるために、医者にかかるために、ひもじい思いをさせるものは誰か。拡大鏡をもってしても読めぬ書類をつきつけ、「契約」を交わさせようとするものは誰か。私たちから愛する子供たちや孫たち、近所の友人たちを引きはがし、施設に繋ぎ止めようとするものは誰か。福祉の温かい心をソロバン勘定の下に置き、買うサービスにすり変えたのは誰か。
 「高齢化社会で大変だ」「財政がパンクする」「社会全体で介護を支える」なんと空々しい欺瞞だろうか。赤字国債をどんどん発行し、破綻した銀行や私企業に何十兆円もつぎこんだのは誰だ。あの、長期信用銀行(現新生銀行)の救済には四兆五千億円をつぎこんでおきながら、介護保険財政四兆三千億円にしめる国費は、たった一兆円でしかない。二百万人の要介護高齢者のいのちと生活は、たった一つの銀行よりもはるかに軽いとでも言うのか。
 「すべての国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する。国はすべての生活部面において、社会福祉、社会保障、および公衆衛生の向上および増進に務めなければならない」(憲法第二十五条)「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利」(憲法第十一条)「国民の権利については、立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする」(憲法第十三条)
 このように、憲法は、医療や介護が受けられずに苦しむお年寄りが一人としていないようにすることが、国と行政の責任であると明記している。私たちが、老いたら老いた状態で、障害を持てば持った状態で、人間らしく生をまっとうする権利があるとうたっている。国や行政から介護や医療を受ける権利は、「侵すことのできない永久の権利」であり、「国政の上で、最大の尊重を必要とする」基本的人権そのものではないか。この権利を奪うものは、いったい誰か。
 国は言う。「家族で介護できるものは家族で」と。本当にそうなのか。私たちは、子供たちに自らの介護を期待して育ててきたのではない。子供たちは子供たちで、生き生きと健やかに、生活できるようにと願ってきたのだ。決して、親の面倒をみさせるために育ててきたのではなかった。しかし、国の貧困な福祉政策のために、やむなく子供たちに面倒をかけなくてはならなかっただけである。そのことを逆手にとって、そのわずかな福祉すら金のかかる介護商品に置き換えたのだ。そして、私たちを虫けらのように扱い、死を強制すると言うのか。
 もう、これ以上、我慢できない。もう、これ以上、だまされない。
 私たちが、堂々と胸を張って、生きる権利を高らかに宣言するときがきた。私たちは、いまこそ堂々と、公然と主張する。「全額公費で、介護を保障せよ」と。「必要な人に必要な介護を」と。そして「憲法違反の介護保険を廃止せよ」と。これは、何人も侵すことのできない、私たち自身のかけがえのない人権の叫びなのだ。
 心閉ざす仲間に訴えよう! もう、遠慮も我慢もうちすてようと。不自由な体を何も恥じることはない。ベッドの上から声を上げようと。心傷つき、「痴呆」といわれるものが自らを取り戻すために、介護に苦しむわが家族もろとも、一緒になって、声をかぎりに訴えよう! 「あなたはひとりじやない。両手を広げてあなたの手を握ろう。この手は決してあなたを裏切らない。とかくひきこもりがちな老年たちよ。しっかりとその手をとって、明るい大空の下、共々生きていきましょう」と。
 生きることがたたかいであり、誇りである。そのために、ますます団結を強めよう! わが人権を奪おうとする輩への怒りをたたきつけよう! 介護保険をうち砕き、介護の公的保障を完全実施させるその日まで。
 二十一世紀を、人が人として生きられる輝ける社会に! 老年よ、輝け! 老年に、光あれ!
右、宣言する。
 二〇〇一年 四月一日
介護と福祉を要求する杉並住民の会結成一周年総会

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週刊『前進』(2001号3面2)

厚労省交渉 介護保険廃止を要求 「メッセージ」を突き付け

 四月一日の集会の成功を受け、翌二日、介護と福祉を要求する杉並住民の会と高槻健診介護要求者組合、東大阪国保と健康を守る会・介護要求部会を中心とした厚生労働省との交渉が行われた。午後一時からの交渉には社民党の辻元清美議員が窓口となり、終始立ち会った。厚労省からは熊木介護保険課長補佐を始め七人が出席した。
 最初に杉並住民の会の代表が要望書を手渡し、早速厚労省の回答を聞いた。ところがその回答は介護保険制度によって生み出された悲惨な現実をまったく無視し、「サービス量が増えた」「事業者の参入が増えている」「後戻りせずに定着させていく」など、現実をねじまげて介護保険を正当化しようとする内容だ。
 早速参加者から激しい追及が行われた。「利用料が払えなくてサービスの利用を減らしている人が一五%もいる」「事業者も事業を縮小したり、撤退している」「在宅では生活できないために施設の入所待ちが膨大になっており、介護保険は破綻(はたん)している」と弾劾した。特に、老老介護の夫婦で、介護していた夫が肺疾患で死亡し、介護されていた妻が餓死した高槻での出来事で、利用が申請主義である問題、利用料の自己負担があるために利用できない問題など、介護保険が死に追いやったことを突きつけ、介護保険の廃止を要求した。
 さらに各地のメッセージ運動で寄せられた高齢者の声を突きつけた。杉並から「年金生活者も生活はさまざまです。医療費が上がって大変です。改善してほしい」「もし安楽死が認められるなら早く死にたい。なぜ年をとってから、こんなに苦しめられなければならないのでしょうか」「年金の半分は通院費や介護保険料、家賃などに消えていきます。家計簿をつけるのがつらすぎます」「人間が年をとって医療や介護が必要になったら、国や行政が責任を持つべきだ。年寄りが今まで汗水垂らして働いてきたのに、その大切な年金から介護保険料を取るのはやめるべきだ」
 東大阪からは「私は二人で八万円程度で生活している。主人が腰痛で働くことができません。私も目が見えない。年金から強制的に差し引くのをやめることを切にお願いします」
 いずれも悲痛な叫びだ。
 さらに、東大阪で起きた妻が脳血栓で倒れ、夫がタクシーの運転手をやめて介護していたが、夫が風呂から上がって倒れて意識をなくしていたところ、入浴サービスにきたヘルパーが見つけて運良く命を取り留めた事例を上げて追及した。「この妻は、介護保険になる前はホームヘルパーのサービスを無料で受けていたのに、介護保険になって週二回の入浴サービスだけに削らざるをえなかったのだ」と厳しく迫った。
 この現実に厚労省の役人は何も答えられない。「孤独死が起きないようにすべきだと思います。問題が全然ないと思っているわけではありません」と言いつつ、「みんなが少しずつ助け合うのが介護保険」と居直ろうとあがいた。
 こうした追及の中で、保険料を払いたくても払えないという問題に対して、「自治体が独自に保険料を減免することについてだめとは言っていない」と逃げようとした。「限りなくゼロに近いのはだめということだが、百円、二百円だったら認めるのか」という追及に対しては、「自治体が減免することに対して、だめだとは言いません」と、言わざるをえなくなった。
 「障害者」への介護保険の適用については、介護保険のサービスの内容では「障害者」の生活が破壊され、生活できない問題を突きつけて、〇五年の全体への適用をやめるように要求した。六十五歳以上の「障害者」について、介助者が資格を取らなければならないとされている問題を追及したところ、それについては猶予期間が一年延ばされたと回答した。
 「介護保険制度と障害者施策の適用について」という厚生省の通知が出ているために介護保険を限度額まで使わないと障害者福祉の施策が受けられないという問題を取り上げ、通知を撤回することを要求した。介護保険制度に移行したくない「障害者」に対して「説得か障害者施策の一時ストップ」と言っていることについて「『障害者』の命を奪うものだ」と弾劾した。
 これも厚労省は何も答えられず、強制ではないかのように言い逃れしようとする。無責任な回答に、一斉に弾劾が浴びせられた。
 厚労省交渉を終わって総括の会議を持った。その中で、「前回よりも厚労省は追いつめられている。もっと回を重ねて交渉していこう」「団結の力だ」「百円、二百円なら何も言わないと言ったことは大きな成果。これからの自治体との交渉で利用していこう」と確認した。「厚労省を追いつめたのはメッセージ運動に寄せられた声だ。メッセージ運動をさらに進めていこう」「全国ネットワークをつくろう」と勝利感に満ちて誓い合った。

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週刊『前進』(2001号3面3)

連載・社会保障解体を許すな 奪われる介護・医療・年金 8
 年金制度の改悪 給付額の20%を削減 「安定財源」に消費税のアップ

 労働者階級人民にとって、年金とは基本的に、賃金の後払い、という性格を持っている。その日本の年金制度が今、公的年金と企業年金(退職金の一形態で準公的年金)の双方で根本的に破壊・解体されようとしている。今回は公的年金の問題をみてみよう。

 2000年の4月に改悪が

 介護保険制度の導入と時を同じく行われた年金制度の改悪(昨年三月成立・四月施行)は、すさまじい内容を持っている。それは、諸施策合わせて公的年金の給付額を総額にして二〇%も削減するものであり、労働者階級人民の老後の生活設計を破壊的に直撃する許しがたい大攻撃だ。
 この大幅削減は、以下のような形で行われた。
 @厚生年金(第二号被保険者=労働者の受け取る年金)のうち報酬比例部分の給付水準が五%削減された(二〇〇〇年四月から)。
 日本の年金制度はいわゆる二階建て構造となっており、労働者の受け取る厚生年金も、一階部分の基礎年金(第一号被保険者=自営業者らが加入する国民年金と同額で定額の支給分)と二階部分の報酬比例部分(賃金に比例してプラス支給される部分)から成り立っているが、この後者の部分が五%削減された。
 A厚生年金の報酬比例部分の支給開始年齢を、二〇一三年度から二〇二五年度にかけて段階的に引き上げて六十五歳(現行六十歳)とする。
 ところが、一階部分の基礎年金の支給開始年齢(現行六十歳)を二〇〇一年度から二〇一三年度にかけて段階的に引き上げることについては、すでに九四年の改悪で決められており、したがって二〇〇〇年四月一日現在で三十八歳以下の労働者(女性の場合は三十三歳以下)は六十五歳になるまで年金をもらえない。かりに運良く六十歳定年まで働くことができたとしても、大失業時代の中で高齢者の働くチャンスはきわめて小さく、ほとんどの人の場合、その後の五年間は無年金・無収入となり貯金を取り崩すしかなくなる。
 厚生労働省が示す厚生年金の標準モデルは「夫婦二人の世帯で月額二十三万八千円」だが、この場合で見ると、五年間での損失はじつに千四百万円以上にもなる。多くの人びとが老後に借金生活に追い込まれるということだ。
 B在職老齢年金受給額減額年齢を拡大する改悪が二〇〇二年四月から行われる。これは、労働者が六十歳以降も働き続けると、六十四歳までは年金の受給額が月収に応じて一定割合減らされるというこれまでの在職老齢年金制度を、六十五〜六十九歳にも広げるものだ。高齢者に負担を課す政策の強化である。
 C賃金スライド(五年に一度、現役世代の手取り賃金の伸び率を年金額に反映させる)と物価スライドのうち賃金スライドを事実上廃止した。
 この結果、標準的な年金生活者(六十五歳で二十三万八千円受給)の場合に、二十年間で一千万円以上の損失という試算がある。このように、この攻撃もじつに大幅な年金削減である。
 これ以外にも、二〇〇〇年四月施行の年金改悪には、六十五〜六十九歳の高齢者にも在職中なら保険料(掛金)を負担させるという改悪(二〇〇二年四月から)や、総報酬制(月給からだけでなく一時金を含む総報酬に保険料を課す。二〇〇三年四月から)の導入などが盛り込まれており、受給(支給)面と保険料支払いの面の双方において重大な改悪が強行されたのだ。

 資本負担なし大衆収奪狙う

 だが、この年金改悪も、まだ序の口にすぎない。
 九九年二月の経済戦略会議(政府諮問機関)の『最終答申』は、年金改革の方向性として次のような具体策を打ち出している。
 @公的年金は基礎年金に限定し、財源は将来は全額税方式に移行。
 A厚生年金の報酬比例部分(二階)は、段階的に公的関与を縮小し三十年後に完全民営化。
 Bすべての国民を対象に確定拠出型の個人年金・企業年金(日本型401k)を創設。
 これが意味するものは、公的年金の最低生活扶助年金化(かぎりない極小化)である。そして同時に、すでに二〇〇〇年四月改悪法の付記事項で、年金の「安定した財源」として消費税の大幅引き上げが示唆されている。また、@とAによって、現在は労働者と折半で払っている企業の保険料はゼロとなる。資本の負担をなくす一方で、すさまじい大衆収奪が行われるのだ。
 しかも、AとBによって年金制度の性格が、給付額があらかじめ決められているこれまでの確定給付型の年金から、給付額が資金の運用次第で「元本割れ」やゼロ化もありうる確定拠出型へと大きく転換・変質させられる。そしてそこでも膨大な利益を得るのは、この巨額の資金に群がる投資信託や生命保険などの金融資本なのだ。

 全人民的決戦課題として

 年金給付は、この間日帝の社会保障総費用のうち約半分を占めてきた。それだけに、戦後的社会保障制度の解体攻撃において年金問題の位置はきわめて大きい。逆に労働者階級人民にとって、年金問題とは人生の死活に関わる切実な問題である。しかも、先に見たように、改悪によって最も打撃を受けるのは現役の中堅・若手の労働者であり、さらには子どもたちの世代なのだ。
 ファシスト・石原都政は、「東京構想2000」をもって公的年金制度の解体においても日帝の凶悪な先兵として登場している。都議選決戦を都知事・石原と真っ向から対決する闘いとして絶対に勝利しよう。そして年金をめぐる闘いを労働者階級人民すべてのいのちとくらしをめぐる決定的闘いとして力強く発展させよう。
〔石和宏治〕

厚生年金の支給開始年齢
2000年4月1日時点の年齢
支給開始年齢
男性
女性
基礎年金部分
報酬比例部分
59歳以上
54歳以上
60歳
60歳
57-58
52-53
61
60
55-56
50-51
62
60
53-54
48-49
63
60
51-52
46-47
64
60
47-50
42-45
65
60
45-46
40-41
65
61
43-44
38-39
65
62
41-42
36-37
65
63
39-40
34-35
65
64
38歳
33歳以上
65
65
(注)基礎年金部分は定額支給、報酬比例部分は加入者の月収に応じて変わる

 

厚生年金の世代ごとの影響度
年齢(1999年末時点) 保険料負担額(万円)
生涯の平均受取額(万円)
現行制度
制度改革の影響
改革後
賃金スライド凍結 支給開始年齢引き上げ 5%削減
70歳
1300
7100
▲300
0
0
6800
60
......
7000
▲400
0
▲100
6500
50
3800
6200
▲400
0
▲200
5700
40
......
6100
▲400
▲500
▲100
5100
30
6100
6100
▲400
▲600
▲100
5000
20
......
6100
▲400
▲600
▲100
4900

(注)厚生省の試算、概算のため個別項目の影響を引いても改革後の受取額と一致しない場合がある。▲はマイナス。保険料負担額は事業主負担分を含み、50、30歳は改革後。......は未公表。

 

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週刊『前進』(2001号3面4)

杉並区 学校給食の民間委託 4月実施を阻む

 杉並区が四月新学期から小学校二校、中学校一校で予定していた学校給食の民間委託は、ついに見送りが決まった。三月二十六日の学校給食調理員の辞令交付でこのことが明らかとなった。父母、調理員を始めとする区職労働者、栄養士の運動の大きな成果である。
 山田宏区長と杉並区当局は、この間、大リストラ攻撃「スマートすぎなみ計画」(二〇〇一年度から十年間で区職員千人を削減)の突破口として、給食調理員の削減、民間委託を打ち出した。そして昨年秋に学校説明会をペテン的に開催し、「保護者の理解を得られた」と強弁して十一月に二〇〇一年度からの民間委託化を決定した。
 だが、区当局の強引なやり方はかえって学校給食の質の低下、安全性に対する保護者の不安に火をつけ、反対運動が盛り上がっていった。区職の労働者も大リストラ、転職強制|現業つぶしに反対して団体交渉などで闘った。当局の「分限免職もありうる」という発言で団交は決裂し、組合との話し合いは、決着がつかないまま四月を迎えた。
 二月二十八日の区議会文教委員会には、保護者、調理労働者、栄養士ら多数が詰めかけ、区議会を揺るがす大闘争が爆発した。けしば区議は区当局と、自民・公明・民主・生活クラブら民託推進派の論拠を粉砕して闘った。こうした闘いの爆発がついに四月実施を断念させたのである。

 今年度の実施阻止へ闘おう

 この地平は、生活者ネットの屈服と日本共産党の闘争放棄をのりこえ、住民と労働者、けしば、新城両区議らが一体となって闘いとった大勝利である。区内全域での署名運動、街頭宣伝、労働組合への働きかけ、座り込みや区議会傍聴を積み重ねてもぎりとった。また、区職労働者の団結の勝利である。民衆自身が団結して闘えば、悪政を阻める! このことが鮮やかに証明されたのだ。
 だが、山田区長はまだ年度内実施をあきらめていない。三校分七千二百万円の委託費予算をつけている。これは委託業者に利益をもたらすための余分な支出であり、調理士の配転|首切りを目的とするものであり、住民が納得できるものではない。運動を強め、計画の白紙撤回まで闘おう。

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週刊『前進』(2001号4面1)

迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判
 須賀同志、狭心症の疑い 一切の原因は超長期勾留に
 入院検査を鑑定医が要求

 三月末、須賀武敏同志の医療鑑定書が東京地裁に正式に提出された。
 須賀同志は現在、迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧と闘う他の三同志(十亀弘史同志、板垣宏同志、福嶋昌男同志)とともに、東京拘置所で十四年におよぶ超長期の未決勾留(福嶋同志は八年)を強いられている。本紙前号で既報のとおり、東京医科歯科大学での医療鑑定によって、須賀同志が現在苦しんでいる諸症状の最大の原因が、長期の拘禁生活による自律神経の失調にあることが明らかになった。
 東京地裁刑事一一部・木口裁判長に提出された鑑定書では、いまひとつ、重大な事実が判明した。三月二十一日、最終日に行われた放射線科の医師によるペルサンチン負荷タリウム心筋シンチグラム検査で、心臓の下部に虚血(狭心症の原因となる心臓の酸素供給不良)が起きていることが新たに分かったのだ。
 須賀同志は、早朝時などの寒い時に胸の圧迫痛がしばしば起き、左肩からひじにかけても痛みやしびれが走ることを、昨年から一貫して訴えている。この症状と心筋シンチグラム検査の結果を合わせると、「狭心症の存在は否定できない。確定診断には心臓カテーテル検査が必要である」「検査のためには一週間の入院を要する」と鑑定書は書いている。
 弁護団はこの鑑定書を受けて、直ちに心臓カテーテル検査の実施と、そのための勾留執行停止を求める申立を行った。東京地裁はこれを認め、鑑定書に記載された医師の要請に従う義務がある。同時に、この狭心症を含めて一切の原因が前代未聞の超長期勾留にあることが明白になった以上、須賀同志はもとより四同志全員の保釈を今すぐ実行しなければならない。裁判所こそがこの事態に最大の責任を負っているのだ。拒否することは許されない。
 そもそも須賀同志は昨年春以来、胸の痛みが狭心症によるものではないかと疑い、徹底した精密検査を要求し続けていた。だが東京拘置所当局は、心電図などの検査を形ばかり実施しただけで、「異常はない」と決めつけていた。須賀同志が心臓カテーテル検査の一種である冠動脈造影検査を要求したことに対しては、言を左右にして逃げ回ったあげく、その検査は東拘では設備も技術もないため実施不可能なことを認めた。
 にもかかわらず裁判所は須賀同志の訴えを認めず、一年近くも放置し続けたあげくにようやく医療鑑定の実施を認めたのだ。その実施方法についても、鑑定に当たった医師自身が十分な精密検査の実施には入院が必要と要請したにもかかわらず、「警備上問題がある」として拒否した。その結果が今回の鑑定書となったのである。
 さらに、頻発する微熱やめまい、吐き気、体のだるさや脱力感など、須賀同志が訴えているその他の全身症状は、拘禁性の自律神経失調症によるものであることが、鑑定医の説明で明らかになっている。悪性に転化する可能性のある大腸ポリープも発見された。また、腰のヘルニア発症後、十分なリハビリが受けられないまま三年間も歩行困難な状態を強いられてきたことが、足の筋肉を極度に弱らせてしまっていることも再確認された。
 須賀同志だけではない。東拘医務当局の診断によっても、十亀同志の胃・十二指腸潰瘍(かいよう)、板垣同志の腸ヘルニアや白内障、福嶋同志の前立腺肥大症など、四同志の全員が病気を抱えている。板垣同志は原因不明の頭痛や耳鳴りにも苦しみ、十亀同志は目の充血や視力の減退に悩んでいる。
 これらすべてが、わずか三畳ほどの独房に一切の自由を奪われて監禁され続ける中で起きているのだ。このこと自体、勾留に名を借りて、非転向で闘う四同志に事実上の肉体的精神的拷問を加え続けてきたということではないか。この期におよんでなおも保釈を認めないのは、まさに司法による犯罪だ。断じて許すことはできない。
 今や、四同志全員の保釈と獄外での医療は真に急務となった。「不当な長期勾留をやめさせるために! 十万人保釈署名運動」は、すでに一万五千筆を超える署名を集めて東京地裁に提出している。無実の四同志をデッチあげで逮捕・起訴したばかりか、公判開始以来十数年を経て検察立証の破綻(はたん)がすでに明々白々であるにもかかわらず、不当な未決勾留が続いていることに、多くの人が驚きと怒りの声を挙げているのだ。
 KSD汚職にせよ外務省と内閣官房の機密費問題にせよ、これまで権力の座にあって利権と腐敗をほしいままにしてきた連中の犯罪は、一体どこまで裁かれたというのか。国会での責任追及すらないまま放置され、ごまかされようとしているではないか。その一方で、無実の四同志に対しては革共同の一員であるというだけで、裁判も終わらないうちから獄中に放り込んで一切の自由と権利を奪い、健康さえ破壊するという攻撃が加えられている。
 このことを直視し、全社会に暴露し訴え、今こそ日帝権力に対する大衆的な怒りを解き放って闘おう。須賀同志の勾留執行停止・再検査をかちとり、それを保釈闘争勝利への一大突破口としよう。都議選決戦の白熱的闘いのまっただ中で、四同志の保釈奪還を絶対にかちとろう。
 次回、四月十九日の公判は重要だ。傍聴席を埋め尽くす結集をかちとり、デッチあげ弾圧粉砕と即時保釈要求の声を東京地裁にたたきつけて闘おう。

 公判闘争日程

 ▼3同志の裁判  4月19日(木)10時   東京地裁
 ▼福嶋同志の裁判 4月20日(金)13時15分 東京地裁

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週刊『前進』(2001号4面2)

沖縄米軍用地強制使用の公開審理
 “祖父の眠る土地返せ” 知花さんら施設局追及

 三月二十七日、浦添市社会福祉センターで、読谷村の米軍楚辺通信所(通称「象のオリ」)と浦添市の牧港補給基地の一部の土地の強制使用に関する沖縄県収用委員会の第三回公開審理が開かれた。両土地は今年三月末で使用期限が切れる。契約を拒否している知花昌一さんと古波蔵豊さん、そして弁護団は那覇防衛施設局に釈明を求め、申請の却下を訴えた。
 この日、違憲共闘会議の呼びかけで多くの労働者が集まり、沖縄労組交流センター、反戦共同行動委も米軍用地強制使用の不当性を糾弾して、地主、弁護団とともに闘いぬいた。カクマルは前回に続き今回もまったく姿を見せず逃亡し、組織的危機の深さを示した。
 公開審理はこの日で終了し、今後非公開の審理が行われ、裁決は五月以降になる予定。三月末日で使用期限が切れ、土地を地主に返還すべきであるにもかかわらず、「審理が継続している間は暫定使用できる」と九七年に改悪した米軍用地特別措置法を根拠に、日本政府は四月一日から半年間の「暫定使用」に入った。
 審理で知花さんと弁護団は「安保条約では沖縄への米軍駐留は陸・海・空軍とされている。楚辺通信所を三軍以外の国防総省直轄の国防通信沖縄分遣隊が管理している根拠は何か」と何度も追及したが、施設局は回答にもならない同じ言葉をくりかえした。収用委員会も釈明を求めたが、施設局は「この場で即答はできない」と拒否した。
 古波蔵さんは三月九日の収用委の土地立ち入り調査に地主の立ち入りが拒まれたことについて「牧港補給基地には県民に明らかにできない危険なものがあるのではないか。自分の土地がどこにあるのか、何に使われているのかもわからない」と厳しく糾弾した。
 また契約依頼にきた施設局職員は、古波蔵さんの土地の用途について一回目は「アパートの基礎部分」、二回目は「駐車場」と答え、この日は「道路敷と倉庫用地」と答えた。「倉庫は何を保管しているのか」との求釈明に対し、施設局は明確な回答もしない。さらに施設局は使用期限が切れる前から予約契約という名で継続使用を確保しようとしているが、その際、賃料を明示せず、賃貸借の期間も説明しない。この点を追及すると「予約締結後速やかに協議し賃料を決定する。民法では二十年だから説明の必要はない」と答えた。このデタラメさに地主が怒りを表明した。
 最後に二人の地主が意見陳述した。知花さんは「自分の土地には戦前祖父が住んでいたが、米軍上陸後、娘を逃がすために米軍に竹やりで向かい、殺されて埋められた場所だ。父は契約を拒否していたが、政府が地主間の反目をあおり地域共同体を崩してきて、不本意ながら契約し、自分が生前贈与された。ピーク時は五百人いた米兵が解隊し、今は民間会社が管理している。この土地は二つの裁判が係争中で再度の強制使用は許せない」と訴えた。
 古波蔵さんは「自分の土地に立ったことも触れたこともなく、理不尽極まりない。施設局の立場はどこに向いているのか、憤りを感じる。浦添でも何回も基地被害が起きている。子々孫々まで被害を及ぼすわけにはいかない。返還させ、生活と雇用の地に変えたい」と、収用委員会の却下裁決を切々と訴えた。

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週刊『前進』(2001号4面3)

「つくる会」教科書“合格を許すな” けしば区議ら文科省抗議

 三月二十六日午前、都政を革新する会、反戦共同行動委員会、婦人民主クラブ全国協議会、全学連(大山尚行委員長)は、「新しい歴史教科書をつくる会」編集の中学校歴史・公民教科書を検定合格させないよう文部科学省に申し入れた。
 「つくる会」教科書は同日午後の社会科専門部会で内定を受け、四月初めには検定を通りそうだ、と報道されていた。これに危機感を抱いて四団体から代表十二人が集まり、都革新のけしば誠一さんを先頭に文科省に交渉窓口を開かせ、社会科担当の文科省官僚を厳しく追及した。
 まず各団体が申入書を読み上げた。けしばさんは「過去の歴史事実の抹殺と正当化をとおして再び侵略戦争を担う青年をつくりあげる教科書と言わなくてはならない。朝鮮・中国―アジア人民の抗議の声が燃え上がっている。文科省は教育の国家主義的統制を直ちに止めて、憲法違反の教科書の検定と採択事務を中止せよ」と強く迫った。
 婦民全国協は「修正によってもこの教科書の本質はなんら変わらない。また他社の教科書でも『軍隊慰安婦』の記述などの大幅な後退があり、検定ラインをめぐってとんでもない大反動が起こっている。文科省は形式的『修正』指示によって、侵略戦争賛美の教科書にお墨付きを与えようとしている」と抗議した。
 申入書を読み上げた後、さらに意見をぶつけた。けしばさんは、「つくる会」教科書についても従来の検定制度の手続きに従うという文科省官僚を「この教科書は、『歴史は科学ではない』と言い、昔の人は天皇制国家のもとで戦争をやったことを良かったと思っていた、そのことを教えるというのだから、他の教科書とは根本的に違う」「省庁は憲法と教育基本法に基づいて事務を行うべき。この教科書は憲法を変えろと言っているのに、文科省はこれを検定で通そうというのか」と追及。「そうだ言葉の修正の問題じゃない、全文修正しかない」と声が飛んだ。
 さらに現場の教育労働者は「学校で南京大虐殺のビデオを見せている。ところがこの教科書には、『南京虐殺はなかった』と書いてあるという。では私たちはいったい何を教えればいいのか。こんな教科書は使えないからと、教科書どおりに教えないと今度は『不適格教員』とされ処分されかねない。国旗・国歌法だって国会を通すときに強制はしないと言ったのに、現に強制しているではないか」と怒りをこめて断罪した。この現場からの叫びに、若い官僚は「先生がたの意見は分かりました」とかしこまるしかなかった。
 最後に、けしばさんが 「『つくる会』教科書を合格させないよう申し入れる。二人からも率直にこの声を上に伝えよ」と念を押した。文科省官僚はこうした主張の正義性にすっかり圧倒されてしまった。
 四月三日、文科省は「つくる会」教科書を検定合格させた。歴史をねつ造し、なおも過去の侵略戦争や天皇制を賛美し、改憲と戦争に突き進もうというのか。闘いはこれからだ。石原都政―杉並山田区政と対決し、「つくる会」教科書の採択を阻止しよう。革命的大衆行動の爆発で教育改革攻撃をうち破り、民衆とともに闘うけしば誠一さんを都議会に送ろう!

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週刊『前進』(2001号4面4)

関西 「教育」で反戦講座 日本史専門家が講演

 三月二十一日午後六時半よりエル大阪(大阪市東区)で、関西反戦共同行動委員会主催の第二回反戦連続講座が開かれた。
 倒産攻撃と闘う関西合同労組の労働者が司会を行った。まず東灘区住民の会代表の山本善偉さんが開会あいさつに立ち、「今日の講師は戦後、『戦争を二度と繰り返してはならない』と、日本史を専門的に勉強された筋金入りの人」と紹介した。
 講師は、百万人署名運動の世話人で、日本古代史を専門とする高校教員をしていた教育労働運動の大先輩である。「『日の丸・君が代』に反対し二十一世紀を戦争のない時代に」と題して「日の丸・君が代」強制・教科書問題、教育改革問題をテーマに講演した。
 講師は、「つくる会」の教科書採択の動きに対して「再び一九三〇年のようだ。阻止できる時に阻止しなかったら、『なぜ反対しなかったのか』と次世代の人にまた追及されるのではないか」と訴えた。
 「小学校の四年で『教育勅語』を覚えさせられました。学校の教育が破壊されていました。教育ではなく『教化』なのです。一定の価値観を有無を言わせず叩き込み、一つの鋳型に流し込み、同じものをつくることが『教化』です。
 父は、私が六年生の時に出征しました。呉まで父を送りにいったのですが、そのとき泣いてしまいました。父はそれをみて『泣くな』と怒ったのですが、私の手に父の涙が落ちました。『あんなに勇ましい父がなぜ泣いたのか。あの涙は何だったのか』、これが私が歴史を勉強することになったきっかけです。親孝行とは、戦争に反対することなんです。
 高校の教師をしていたとき、『高校紛争』がありました。そのとき生徒に、『先生は戦争反対と言うけど、何で戦争が始まるときに反対してくれなかったのか』と言われました。『反対どころか、戦争を支える人間にされてしまってたんだ』と答えました。
 今この危機的な状況を阻止しなかったら、次の世代の人がそういう追及をする時が来るんじゃないでしょうか。私が鋳型にはめられたロボットから、人間に立ち返れたのは、憲法と教育基本法があったからです。今その憲法、教育基本法が危ないんです」
 さらに勤評闘争や臨教審など、戦後の教育をめぐる攻防から、現在の教科書攻撃を説き明かし、「七月には『つくる会』教科書が採択されるかもしれないところにまで、教育はきています」と警鐘を乱打した。自らの体験をもとにした若い世代への熱烈な反戦の訴えと、説得力ある講演に、参加者は胸を打たれ、決意を新たにした。
 最後に、松田勲関西反戦共同行動委事務局長がまとめを提起し、「皇国史観をかかげる『つくる会』教科書と『日の丸・君が代』攻撃を徹底弾劾する決議」を満場一致で採択した。

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週刊『前進』(2001号4面5)

戦争のための教育改革・改憲反対 “女性の力で歴史開こう”
 国際婦人デー集会に参加して

 三月十八日、婦人民主クラブ全国協議会関東協議会主催の二〇〇一年三・八国際婦人デー集会が「女たちは戦争をさせない! 徴兵のための教育改革・改憲反対! 私たちでつくろう新しい社会を!」をスローガンに東京で開かれた。婦民全国協が今年、関西、広島、相模原、宮城、名古屋、松山、福岡と、全国各地で開催した三・八婦人デーの一環。
 まず三里塚反対同盟の小林なつ婦人行動隊長、北富士忍草母の会の天野美恵事務局長、部落解放同盟全国連婦人部、闘う国鉄労働者が連帯あいさつを行い、口々に戦争への動きに対する危機感と婦民全国協への熱い共感を語った。
 集会のメインは広島の教育労働者の講演だった。広島県の辰野教育長の悪らつなやり口を暴いた上で、「義務としての教育」「日本国民としての公徳心」を掲げて「戦争のできる国づくり」を進めようという教育基本法改悪の狙いをわかりやすく説き明かした。「上からの管理・統制は教職員の意識を荒廃させるとともに子どもたちに確実に被害を及ぼす。負けていられません。じわじわと押し返そうとがんばっている」と、軽妙な広島弁で生き生きと語られた教育労働運動のあり方。゛黙っていないぞ、負けないぞ″との闘いぶりは学ぶところ大だ。
 次に婦民全国協の西村綾子代表が、「なぜ今教育改革なのか、戦争のできる国づくりが狙いだ。教育改革攻撃を切り口に憲法を変えようとしている。これを許さない運動をつくり出そう」と闘いの方向を提起した。さらに、日米同時株価暴落、資本攻勢の激化、この中で女性は安価な使い捨て労働力とされ、また福祉切り捨てによって家事・育児、介護など過重な負担が強いられていると訴え、「一つひとつの攻撃を労働者階級の一員として打ち返していこう。女性が政治に参加し、戦争反対を貫いてきた歴史から学び、女性として歴史に責任をとっていこう」と呼びかけた。
 さらに、女性国際戦犯法廷の報告がバウネット・ジャパンからあり、「加害国日本の女性が提起して実現した民衆法廷が、世界の女性たちと結んで『天皇有罪』『日本国家に責任あり』の判決を実現した。この判決と勧告をどう生かすのかが課題です」と核心を突く訴えが行われた。右翼からの妨害を跳ね返し、教科書問題とともに戦争責任追及の闘いを正面課題として闘うことが求められていることが明らかになった。
 会場からも活発な発言があり、在日台湾人の林歳徳さん、新城節子杉並区議、教育労働者、東京都の都市計画による土地取り上げと闘う市民らが闘いを報告した。動労千葉家族会の佐藤正子会長が「動労千葉は三月二十八日第一波ストに立ちます」と発言し、参加者は大きな拍手でこたえた。
 最後に丹治孝子関東協代表が「闘いはこれからです。石原は東京革命だと言ってファシストの手法を使っています。しかし、国際婦人デーの精神を私たちは世界革命に結びつけていこう」と力強く閉会を宣言。
 闘う女性たちのパワーが満ちた集会だった。ここから街頭へ、職場へ、地域へ、闘いの輪が大きく広がっていくことを確信した。
 (投稿 金子さゆり)

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週刊『前進』(2001号5面1)

 改憲阻止決戦シリーズ 今、問い直す侵略都戦争の歴史
   シリーズ開始にあったて

 改憲阻止・教育改革攻撃粉砕決戦のために、日本帝国主義の戦争の歴史を徹底的に明らかにする長期シリーズを今号から始める。われわれは本紙新年号の政治局アピール第三章で宣言した。「絶望的に凶暴化する日帝の帝国主義的侵略戦争、戦争国家化への攻撃と全面対決する改憲阻止闘争の立場から、第二次大戦の侵略戦争としての暴露、沖縄戦やヒロシマ・ナガサキの暴露、十五年戦争や南京大虐殺、強制連行・軍隊慰安婦政策の暴露、明治以来の侵略戦争の暴露を、全面的に組織して闘う。また、労働者の戦争動員、徴兵制や学徒動員の暴露を大々的に行い、改憲阻止闘争を大爆発させていく決意だ」と。本シリーズは、この約束を実行するための企画である。

 改憲攻撃粉砕の焦点

 衆参両院での憲法調査会の議論を通じて、憲法改悪に照準を合わせた攻撃が激化している。日本帝国主義の憲法改悪攻撃の最大の焦点は、言うまでもなく「戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認」の憲法第九条を抹殺することである。そしてこの九条の改定という点では、自民党のみならず、野党の民主党からも自由党からも、積極的に賛成する反動的動きが活発である。
 今や改憲は、日帝にとって遠い将来の目標ではなく現実的なテーマとして政治日程に上ってきている。
 米帝経済のバブル崩壊と大恐慌突入の情勢、日帝の体制的危機、その中での米日帝の朝鮮・中国侵略戦争の歴史的切迫。一九九九年のガイドライン関連法成立は、まさに日帝の侵略戦争への参戦を可能にしようとするものだった。
 しかし、本当に戦争に突入していくためには、戦争反対のあらゆる主体勢力をたたきつぶす上からの階級決戦をやりぬくことが必要不可欠である。そのために憲法改悪と有事立法、教育基本法改悪を強行し、戦争国家体制を全力で構築しようとしているのである。
 九条の破棄は帝国主義軍隊と海外派兵を合法化するものである。また、憲法改悪によって天皇制的国家主義的政治支配体制(ボナパルティズム体制)を構築しようとしているのである。
 憲法改悪という戦後日本のあり方を根本から覆す攻撃を前にして、あらためて「戦争とは何か」「日本の過去の戦争は何を教えているのか」「帝国主義とは何か」という問題を根本的に学び直すことが求められている。憲法を改悪し戦争国家化を図っている勢力は、もう一度あの戦争を、もっと悲惨で大規模な形で繰り返そうとしているのだ。
 そして、憲法改悪攻撃は今日的には、教育改革、教科書攻撃として展開されている。戦後民主主義教育を一掃し、教育基本法を改悪し、「教え子を再び戦場に送る」ための教育に大転換を図ろうとしている。同時に、解放教育、「障害児」教育を排除し、在日・滞日アジア人民の民族教育の権利そのものを否定しさろうとしている。
 「新しい歴史教科書をつくる会」の作った侵略賛美と皇国史観の歴史教科書が四月三日、文部科学省によって検定合格するという重大な事態が起こった。日本国内の弾劾の声のみならず、南北朝鮮、中国を始めアジア諸国人民の激しい抗議の声と運動を無視し踏みにじる暴挙である。
 一九九〇年代に入って、日本の戦争責任を追及し、謝罪と国家賠償を求める闘いが陸続と巻き起こった。この闘いは、日帝の植民地支配と侵略戦争の犠牲になったアジア人民の、生き証人としての告発であったという点で決定的な意味を持っていた。
 そこには抽象的な言葉ではなく、具体的に朝鮮・中国|アジアの幾千万人民の一人ひとりの体に刻みつけられた、侵略の爪あとが残っている。日本政府の国家としての謝罪と賠償がなければけっしていやされない傷が今もうずいているのである。日帝は、これら告発に立った人びとによって、自己の戦争責任、植民地支配責任から絶対的に逃れられないのである。
 九〇年代以来展開されてきた一連の歴史の偽造の動きは、このアジア人民の告発の闘いに追い詰められた日帝の苦し紛れの反発であり、開き直りであった。その対米英戦争の肯定|侵略美化の攻撃は、それ自体が、朝鮮・中国|アジア人民を再び犯し、殺すに等しいものである。日本の労働者人民に戦前への反省をやめよ、とするものである。
 明治以来一九四五年八・一五に至る日帝の侵略と戦争|帝国主義間戦争がどれだけの朝鮮・中国|アジア人民を傷つけ、殺し、じゅうりんしたのか。帝国主義は勢力圏、植民地、市場をめぐって結局、戦争、それも帝国主義国家間戦争という国民総力戦争に走り、互いに壊滅しあい、全世界の人民に悲惨を強制するものであることをはっきり学ばなければならない。アジアを侵略し、じゅうりんした帝国主義のもとにいる労働者人民として、アジアの人民の告発にこたえ、歴史の真実を学習することは、今、切実に必要な階級的な責務である。

 戦争肯定論との対決

 西尾幹二『国民の歴史』、小林よしのり『戦争論』、藤岡信勝『教科書が教えない歴史』など、日帝の侵略と戦争の歴史を全面的に開き直る策動が続いた末に、ついにそれが中学校の教科書として正式に検定合格し、教育現場で実際に使われるかどうかが争われる段階に至ったことは、きわめて重大なことだ。
 「つくる会」教科書の白表紙本(本紙一九九八号の弾劾論文参照)は、検定で百三十七カ所の修正が求められすべてに応じて合格したとされているが、「つくる会」の目的は基本的に貫かれたものになっている。
 これらの本や「教科書」が強調しているのは、これまでの戦後の歴史教科書は日本だけを悪者にする「自虐史観」であり、日本の国に対する誇りを失わせるものということである。日帝の侵略戦争の歴史を反省しなければならないという考え方を「東京裁判史観」だとか「コミンテルン史観」だとか非難して、「あの戦争が侵略戦争だというのは勝者によって押しつけられた考え方」と言うのだ。
 (1)では、彼ら侵略戦争肯定派の言っていることはどうなのか。まず、あの戦争は「自衛のための戦争」だったと言う。だが、「自衛」と言いながら日本の戦争はもっぱら日本以外の地で、中国大陸やアジア・太平洋諸島で行われたのだ。この一事を見ても、こんな恥知らずな言い訳はまったく成り立たない。徹頭徹尾侵略戦争だったのだ。
 (2)また、「日本より欧米の帝国主義の方がもっと悪い」という主張はどうか。もとより欧米帝国主義が列強としてアジアに対する侵略を強め、それに対する民族解放闘争が至る所で起こったことは歴史的事実である。しかし、日本帝国主義はアジアの人民とともに欧米帝国主義と闘ったとでも言うのか。とんでもない。それどころか、欧米帝国主義の後を追って、同じ帝国主義としてアジア侵略と勢力圏の分捕り合戦に参入したのである。それは欧米をあげつらうことで免罪されるものではない。それは日本の労働者階級を搾取の鎖に縛りつけている一握りのブルジョア支配階級の利益のための戦争であった。
 (3)さらに、あの戦争は「植民地解放戦争」だという主張はどうか。日本は東南アジアの諸国を欧米帝国主義の植民地支配から独立させようとして闘ったのだというが、これも子細に一つひとつ検討すれば、そのデマゴギー性はたちまち明らかになる。何よりも朝鮮、台湾の独立運動を血の弾圧で圧殺してきた日帝の歴史をみれば、そんな言い分は絶対に通用しない。
 「つくる会」の歴史教科書は、全編デタラメなデマと歴史の歪曲、都合のいい事実の意図的な羅列からなるものであり、そもそも「歴史観」といえるものではない。これに対する闘いは、日本の近現代史のきちんとした事実を対置することが何よりも重要である。踏みにじられたアジアの人民の血と涙の歴史をきちんと見直すこと、そして日本人民の歴史を見直すことで、日帝の侵略と戦争の歴史の事実をしっかり学習することが大事である。
 「つくる会」教科書の目的は、侵略戦争肯定・美化と皇国史観を中学生に植え付け、再び侵略戦争の担い手を作り出すことにある。過去の侵略史の美化は、新しい侵略戦争の準備にほかならない。それが今や、教育改革、改憲の攻撃そのものとして日程に上っているのである。

 日本の戦争の全体像 

 このシリーズは、以下のような長期にわたる連載になる予定である。
◆第1部「第2次世界大戦」
 第二次世界大戦とは何だったのか。それは「ファシズムと民主主義の戦争」だったのか、それとも帝国主義同士の強盗戦争だったのか。そして、日帝にとって第二次世界大戦とは何だったのか。その全体像を明らかにする。
◆第2部「沖縄戦と広島・長崎原爆」
 日帝の十五年戦争(中国侵略戦争、太平洋戦争)は、結局何をもたらし、何を帰結したのか。学徒動員と特攻隊、東京大空襲を始めとする空襲などはどのようなものだったのか。「国体護持」のための時間稼ぎとされた沖縄戦とは何だったのか。日本兵の住民虐殺と「集団自決」とは何だったのか。八・六広島、八・九長崎の二度にわたって落とされた原爆は何をもたらしたのか。また、「中国残留孤児」問題とは、どういうことなのか。
 日本の労働者人民が帝国主義戦争の中で、帝国主義のために動員され、三百万人の人民が帝国主義によって虐殺された。文字どおり犬死にだった。戦死者の「英霊化」の攻撃は、「国のため、天皇のため」に命を捧げることが尊いものであるとする攻撃である。
◆第3部「植民地侵略史」
 一八九五年台湾、一九一〇年の朝鮮の植民地支配は、日帝の他民族抑圧の現実を示している。それは国を奪い、民族を奪い、言語を奪い、姓名を奪い、生命を奪い、体を奪い、あらゆるものを奪った。独立運動に対する弾圧は過酷をきわめた。この植民地支配の歴史を今日開き直り、美化するあらゆる策動を許してはならない。台湾五十年、朝鮮三十六年の植民地支配の歴史を全面的に明らかにする。とりわけ朝鮮人・中国人強制連行の歴史、日本軍軍隊慰安婦政策の歴史を事実をとおしてしっかり学ばなければならない。
◆第4部「日帝の中国侵略戦争」
 日帝の中国侵略戦争は、いつから、どのように始まったのか。そしてどのように拡大されていったのか。一八七四年台湾出兵と琉球処分、日清戦争と台湾領有、義和団鎮圧戦争、日露戦争と朝鮮支配、第一次、第二次山東出兵、一九三一年九・一八(柳条湖事件)侵略戦争、ニセ「満州国」デッチあげ、一九三七年七・七盧溝橋事件、南京大虐殺、「三光作戦」と「万人坑」、七三一部隊と細菌戦作戦など、中国侵略戦争の歴史は、しっかりと総括されなければならない。
◆第5部「アジア・太平洋侵略戦争」
 中国侵略戦争からアジア全域への戦線の拡大によって何がもたらされたのか。フィリピン、インドネシア、ベトナム、シンガポール、ビルマ、インド、南太平洋における民族抑圧と虐殺の歴史をはっきり学ばなければならない。また、日本軍による連合軍捕虜虐待の問題も重大である。
◆第6部「総動員体制」
 戦争中、日本の国内はどうなっていたのか。戦争は侵略戦争の前線、戦場でだけ戦われたのではなかった。戦争を保障する国内体制があって初めて可能だったのだ。それをきちんと見ておくことは、今日の「日の丸・君が代」闘争や教育改革攻撃、治安弾圧攻撃との闘いにとっても重要なことである。総動員体制、治安維持法と特高警察、マスコミの翼賛報道、大学に対する攻撃、皇民化教育などの歴史をふりかえる。
◆第7部「大戦間の階級闘争」
 労働者階級は、自国帝国主義の侵略と戦争に対していかに闘ったのか。あるいは闘えなかったのか。大戦間に幾多の労働争議、朝鮮人・中国人との連帯闘争が闘われたが、勝利することはできなかった。その決定的な要因は、日本共産党のスターリン主義綱領と路線の破産、屈服と敗北と転向という問題にあった。
 一九一七年ロシア革命のインパクト、米騒動と三・一運動、関東大震災と日本共産党の解党、三・一五|四・一六弾圧と日本共産党、三二テーゼと三〇年代階級闘争など主体の問題に照明をあてる。
◆第8部「戦後社会」
 一九四五年八月一五日の敗戦は、日本帝国主義のアメリカ帝国主義への完全敗北だった。そこから日本の労働者人民には戦争の元凶である帝国主義を打倒することが問われた。日本における戦後革命はどのように闘われ、どのように敗北したのか。一九四五年六月の中国人労働者の花岡蜂起から始まった朝鮮人・中国人の決起が、戦後革命の突破口を開いた。戦後革命の敗北をもたらした日共の「米軍=解放軍」規定と路線と指導の問題を解明する。
 また、日本のA級戦犯を裁いた東京裁判(極東軍事裁判)の問題、天皇の戦争責任問題と天皇による沖縄売り渡し、戦後補償問題、GHQ支配と戦後憲法制定、BC級戦犯問題、戦後在日朝鮮人・中国人政策の問題など、戦後体制の確立過程の問題は、第二次世界大戦の総括の問題と密接不離の問題としてあった。
    ◇
 およそ以上の問題を、できるだけ事実に即してポイントを押さえていく連載にしたいと考えている。
 連載を進めていく中で、内容自体をより豊富化させていくように心がけたい。充実した、学習と闘争に役立つ連載にするために、多方面からのさまざまな意見や助言を寄せていただきたい。それは一言で表せば、「つくる会」のデマゴギーに満ちた歴史教科書を完膚なきまでに打ち砕く内容にし、改憲阻止・教育改革粉砕決戦の武器にするということである。(高田隆志)

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週刊『前進』(2001号5面2)

米軍機の対中スパイ行動弾劾

 EP3偵察は戦争挑発行為

 四月一日、嘉手納基地から飛び立った米軍スパイ機EP3が南中国海で中国軍機と「空中接触」して墜落させるという重大事故が起きた。中国軍パイロットは行方不明だ。EP3は海南島に着陸した。
 米軍は中国沿岸で軍事偵察を激増させてきた。これが今回の事件の原因だ。だが米帝ブッシュはこの戦争挑発行為を居直り、逆に中国を脅迫している。「中国には十分猶予を与えた。乗員帰還、機体返還が遅れれば、米中関係悪化は避けられない」と。米帝・ブッシュ政権の戦争的本質がむき出しになっている。
 米帝は最近の対中偵察活動激増の口実として中国軍増強・近代化の「脅威」を言う。だが、米帝こそ比類のない巨大な戦力を持ち、現在もユーゴスラビアやイラクへの爆撃を始め、不断に侵略戦争を続け、人民を虐殺し続けている張本人ではないのか。
 しかも、米帝は以前から偵察衛星による監視や沖縄の楚辺通信所などによる電波傍受で中国の情報を詳細に把握してきた。
 そのうえさらに最近EP3などの接近偵察活動を急増させているのはなぜか。
 EP3は、P3C対潜哨戒機の改造型機で、特に電波傍受とその分析や電子戦(電波妨害等)の指揮・実施のための最先端の電子機器を備えている。EP3の活動目的は一般的な情報収集ではない。対中戦争突入のため、軍事目標を常時追跡すること、中国の通信網やレーダーを無力化する電子戦を即時実施できる態勢を常にとっておくことだ。戦争行為そのものである。
 だから、今回のEP3の行動もきわめて強引なのである。米軍は、EP3は救難信号を発して緊急着陸したと言うが、台湾の台北時報によれば、救難信号は発せられなかったという。つまり中国に無断で侵入・着陸したのだ。

 ブッシュ政権の本質は戦争

 米帝・共和党は、昨年の大統領選の選挙綱領で「中国は、アメリカの戦略的競争者であって、戦略的パートナーではない」との対中国政策を打ち出した。
 この路線は、昨年十月のアーミテージ・ナイ報告で明確にされた。かつての対ソ対決=欧州正面論から九〇年代の欧州と同等の「東アジア重視」を経て、今度は東アジア正面論へ||これは日帝のアジア勢力圏化阻止をめぐる日米帝国主義間争闘戦の激化に対応した軍事戦略の転換である。
 国防長官ラムズフェルドは三月二十一日ブッシュと会談し、対中戦に対応して太平洋を越える長距離空輸能力に重点を置く戦力構成に変えると発表した。この春には台湾に、イージス艦など最新鋭兵器を購入させようとしている。
 米帝のこの対中(対北朝鮮)戦争政策のエスカレーションの中で今回のEP3事件が発生したのだ。
 日本共産党の『赤旗』は、EP3事件について米中を同列に置く「客観報道」に徹した。米帝の戦争挑発を容認したのだ。
 今こそ米日帝の朝鮮・中国侵略戦争策動に怒りを爆発させよう。

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週刊『前進』(2001号5面3)

全学連中央委 森政権打倒へ国会デモ 侵略賛美教科書を弾劾 

 三月二十六日、都内で第一〇二回全学連中央委員会が開催された。
 大山尚行委員長が議案を提起した。「日米連鎖の株価暴落は、世界史が一九二九年型の世界大恐慌の本格的爆発に突入していることを突き出した。帝国主義間争闘戦の非和解的激化と新たな侵略戦争、第三次世界大戦の時代への突入だ。戦争と大失業攻撃に対して労働者階級の激しい怒りが爆発している。動労千葉のストライキは、日本階級闘争を根底から揺り動かす歴史的ストライキだ」と階級情勢の激変を指摘した。
 そして、「革命的情勢の急接近に対して、全学連は日帝が戦争国家化=改憲攻撃を激化させていることを暴露し、革命的大衆行動で日帝を打倒し、労働者人民の政府を打ち立てることを正面から提起しよう」「全学連が労働者階級の怒りの先頭で、森政権打倒、自民党打倒の巨大な大衆闘争を爆発させよう。侵略戦争賛美の教科書を粉砕し、教育改革関連六法案を阻止しよう。行動方針の第一は、反戦共同行動委員会が呼びかける五・二七全国総決起集会への大結集であり、第二は六月の東京都議会議員選挙でけしば誠一候補の当選を絶対にかちとることだ」と任務と方針を提起した。
 議案の提起を受けて討論に入った。首都圏の学生が「『つくる会』教科書に対して実力糾弾の闘いに立ち上がったアジア人民の怒りをわがものとし、日帝の侵略と侵略戦争、植民地支配の歴史を徹底的に暴露し、『つくる会』教科書を粉砕しよう」とアピールした。
 法政大学の学生は、自衛官の女子中学生暴行事件を怒りを込めて弾劾し、名護新基地建設粉砕を訴えた。
 京都大学の学生は、「ファシズムか、革命か、選択を鮮明にさせよう」と提起し、大阪市大の学生は、「今の社会を根本から転覆する闘いを」と訴えた。
 富山大学の学生は、二十二年ぶりに富山地方鉄道の労組がストライキを闘ったことを報告し、広島大学の学生は、「『日の丸・君が代』強制に対し、卒業式で二百人以上の教員が着席し、高校生が抗議の退席を行った。『つくる会』教科書を絶対粉砕しよう」と熱烈に呼びかけた。
 東北大学の学生は、三月八日に国立大の独立行政法人化反対の文部科学省行動を闘ったことを報告した。
 最後に大山委員長が討論のまとめを行った。
 全学連は終了後、直ちに国会と文部科学省に対するデモにうってでた。「日帝・森政権打倒! 『つくる会』教科書粉砕!」のシュプレヒコールが響いた。
 求められているのは闘うアジア人民と連帯した首都・東京における労働者人民の数万数十万の大デモだ。「労働者階級の根底的決起の開始の中で、全学連こそが闘いを牽引するのだ」という戦闘精神でデモを貫徹した。 

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週刊『前進』(2001号5面4)

2001年日誌 阻もう! 改憲=戦争への動き 3月27日〜4月3日
 沖縄県議会 自衛官少女暴行に抗議
 米原潜が無通告で寄港 佐世保

●海自特別部隊が発足 米海軍の特殊部隊SEALSなどをモデルとする海上自衛隊「特別警備隊」の開隊式が広島県江田島町の海自第一術科学校で行われた。隊員の氏名、服装や装備などは非公開だ。(27日)
●「沖縄は騒ぎすぎ」と米国防長官 ラムズフェルド米国防長官が在沖米軍関係の犯罪などの多発について「沖縄の政治家や報道関係が騒ぎすぎるのではないか」と発言したことが明らかになった。(27日)
●公開審理、裁決は5月以降に 沖縄の米軍楚辺通信所と牧港補給地区の一部土地の強制使用手続き問題で、収用委員会の第三回公開審理が行われた。審理はこの日で終了し、裁決は五月以降になる見込み。三十一日で使用期限が切れ、改悪米軍用地特措法下での不当な暫定使用となる。(27日)
●脱走米兵が車盗み暴走
 盗んだ乗用車で逃走中に検問していたパトカーに衝突したとして、沖縄のキャンプ・フォスター所属の米海兵隊上等兵が公務執行妨害の容疑で現行犯逮捕された。(28日)
●「米に兵力削減求めず」と河野外相 河野洋平外相が在沖米軍兵力の削減について「現在、日本政府として、在沖米軍の兵力削減を米国に直ちに求める気持ちはない」と明言した。対米交渉で兵力削減を求めないと公式に発言したのは初めて。(28日)
●「米軍基地をほかに移す計画はない」と駐日大使
退任するフォーリー駐日大使がインタビューで、「在日米軍基地をほかに移す計画はない」と述べ、日米地位協定について「簡単に変えられるものではない」などと語った。(28日)
●自衛官暴行と米ヘリ事故で抗議決議 沖縄県議会が「幹部自衛官による女子中学生暴行事件に関する意見書」と「米軍CH−53Eヘリコプター接触事故に関する意見書・抗議決議」を可決した。(29日)
●プルサーマルの今春実施を断念 東京電力が五月から福島第一原発(福島県大熊町)で実施を予定していた国内初の「プルサーマル計画」について、南直哉社長が、事実上来夏以降への先送りを表明。(29日)
●沖縄市議会が抗議決議
沖縄市議会が、同市内で脱走米兵が窃盗車で暴走した事件についての抗議決議と意見書を全会一致で可決した。(30日)
●米、相互核抑止戦略を見直しへ ブッシュ大統領が、米ロの相互核抑止戦略の見直しを国務、国防総省に命じた。見直しの結果は夏に発表される予定。@核兵器の一方的削減、ANMDやTMD配備が中心で、相互核抑止戦略とは異なる「核攻撃からの一方的な米独自の防衛戦略」を採用すると見られる。(30日)
●日米安保の合同事務局の構想 日米間で安全保障に関する常設の合同事務局設置を、ブッシュ政権が検討する方針であることが明らかに。具体的には軍事情報の共有や分析を通じた戦略対話に加え、@両国の国防、防衛政策の調整、A国連平和維持活動(PKO)での協力体制の構築などを想定。(31日)
●民主がPKO武器使用の緩和案 民主党の外交・安保部門会議は、国連平和維持活動協力法の参加五原則にある武器使用基準と停戦合意条件を緩和し、凍結中の国連平和維持軍(PKF)本体業務の解除を求める「PKO改革案」の最終案をまとめた。(31日)
●嘉手納基地所属の米軍機が「接触」、中国機が墜落
 沖縄の嘉手納基地に所属する米海軍の電子偵察機EP3が、南中国海の公海上で中国軍の戦闘機瀋陽F8と接触し、中国機は墜落した。米軍機は中国南部の海南島に緊急着陸した。墜落機のパイロットは行方不明となっている。(1日)
●米原潜、通報なく入港
米海軍の原子力潜水艦シカゴが、「入港の少なくとも二十四時間前に通報する」という日米両政府の取り決めにも違反して、通報なしで長崎県佐世保市の佐世保港に入港した。通報がないまま米原潜が日本に寄港したのは初めて。(2日)
●核燃が裏金254億円
核燃料サイクル開発機構が二十年以上にわたり「社内調整費」と呼ばれる「裏金」をねん出していたことが明らかになった。最近五年間だけでも二百五十四億円以上にのぼる。(2日)
●「つくる会」教科書が合格 文部科学省が、来春から小中学校で使われる教科書の検定結果を発表。「新しい歴史教科書をつくる会」の中学の歴史と公民の教科書も、検定意見部分を修正し合格した。(3日)
●攻撃訓練中のF16が墜落
 米軍三沢基地配備のF16戦闘機が青森県三沢市の三沢対地射爆場沖に墜落した。同機は空対地攻撃の訓練中だった。(3日)
●米軍機の着陸、832回
 米軍機が日本国内の民間空港に着陸した回数が、昨年一年間に二十四空港で計八百三十二回にのぼり、九十九年に比べ三十一回増えたことが、国土交通省の調べでわかった。(3日)

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週刊『前進』(2001号6面1)

新連載・治安国家化との対決を 1
 組対法・刑訴法改悪狙う−02年めどに弾圧体制強化図る
 恐るべき国際的組織犯罪条約

 日本帝国主義は、改憲・戦争国家化攻撃の一環として、二〇〇二年をめどに司法改革攻撃とあわせて政治警察の強化、戦時治安体制の構築を飛躍的に進めようとしている。反戦闘争や労働運動の徹底的な弾圧、根絶・一掃を狙っているのだ。「絶対阻止」の執念でこれとの闘いに突入しよう。本連載で日帝の治安国家化政策の諸側面を分析・暴露し、闘いの一助としたい。

 「参加罪」

 一九九七年六月にオランダで、欧州連合(EU)首脳会議に押し掛けた五万人の平和的な抗議デモに対して、オランダ官憲は選別的に七百人を逮捕し、留置した。この七百人は通常の「犯罪」を犯したわけではない。かといって治安維持法や破壊活動防止法(破防法)がオランダにあるわけでもない。「公共の秩序と治安を攪乱(かくらん)する危険を防止する」という名目で左翼団体を「犯罪組織」に認定して、その行動に参加したことを理由に逮捕・留置したのである。官憲は、写真と指紋をとって個人データを収集した上で、オランダ国籍以外の社会主義者を国外追放した。
 これが「参加罪」である。オランダではすでに通常刑法の条文に入っているが、この参加罪が組み込まれた国際的組織犯罪条約が昨年十一月十五日、国連で百二十一カ国によって締結された。日本政府もこの条約締結に参加・調印した。日本政府は二〇〇二年をめどに国内法を整備し、条約を批准するという。すでに各省庁間の調整が始まっていると言われている。
 以下、締結された条約の内容をみてみよう。
 参加罪は「当該組織犯罪集団の犯罪活動」に「積極的に参加すること」を罪とする。「積極的に参加する」とは、当該組織の活動が違法であると「認識するもの」が「組織し、指示し、ほう助し、教唆し若しくは援助し又はこれについて相談する」ことである。「認識」しているかどうかは、警察がそれを「推認」すればよい。したがって「犯罪活動」への「参加」は、デモに参加する、カンパに応じる、機関紙を買うなどに、いくらでも拡大され、これらを理由に刑務所にぶちこめるというとんでもない代物なのである。
 さらに「共謀罪」の新設がある。
 条約は「重大犯罪の実行に合意すること」を罪としている。「重大犯罪」とは懲役四年以上の刑の対象罪を指している。この共謀罪と、昨年二月に施行され、すでに判明しただけで十一件に適用されている組織的犯罪対策法(組対法)とを組み合わせると、現行刑法をほとんど網羅して組織活動のすべてを禁圧できる。現行刑法のそれだけでは罪にならない「共謀」の概念をはるかに踏み越え、実行行為を伴わない「合意」「相談」だけで罪にしようというのである。
 参加罪・共謀罪は、団体構成員だけでなく、団体に近づいた人間をも一網打尽に逮捕しようとする。破防法のように団体そのものではなく、その活動面に着目して団体活動を禁圧する。破防法、団体規制法、組対法などよりも《実効性の大きい》結社禁止、団結権侵害の悪法なのである。

 覆面捜査

 それだけではない。捜査手法・訴訟手続きの面での強化がある。組織中枢の壊滅を狙いとしているのだ。
 「特別な捜査手法」として導入しようとしている新たな捜査手法とは、「監視付き移転」(泳がせ捜査)、「電子的監視」(盗聴などのハイテク化・軍事的手法による情報収集)、「覆面捜査」(潜入捜査)だ。
 覆面捜査(アンダーカバー)とは、組織に別人を装って潜入した(私服)捜査官が犯罪を意図的に起こしたり、犯罪に手を染めることによって、信用を得て、組織の頂点に接触し、そこから組織を壊滅させる手法である。米連邦捜査局(FBI)がマフィア頂上壊滅作戦で一九七〇年代中期から採用し、今日では共産主義政党や労働団体、非政府組織(NGO)などにも適用している手法だ。

 司法取引

 訴訟手続きとして新設しようとしているのは、刑事免責・司法取引である。
 これは、罪を免除するという利益誘導で証言を引き出し、その証言を証拠として裁判を進める制度である。自分が助かる代わりに組織を売るのである。実際には組織の中枢人物を売らせ、組織を中枢から壊滅しようとするものだ。
 この法理念は、特例的にすでに爆発物取締罰則(爆取)や麻薬取り締まり捜査にも使われている。日本で注目されたのは、ロッキード事件のコーチャン証言の扱いをめぐってである。最近では、えひめ丸事件で米原子力潜水艦の艦長が証言と引き替えに刑事免責を求めたことが記憶に新しい。
 今日でもウソの供述によるデッチあげ事件が頻発しており、星野再審、富山再審、迎賓館・横田爆取裁判では権力の描いた虚構が暴かれている。
 権力が潜入させたスパイが事件を起こして組織を一網打尽にする潜入捜査において、潜入スパイによる事件が発覚した場合、これまで日本では、このスパイを権力が救済する法的保証はなかった。この制度は、司法取引という口実で潜入スパイの罪を問わずに済むようにするものである。
 日本共産党へのフレームアップ弾圧として一九五二年に大分県で起きた菅生(すごう)事件では、日共に潜入していたスパイ警察官が爆弾を仕掛け、日共党員を罪に陥れたことが、その後発覚して、この警察官は有罪になった(刑は免除された)。だが、この捜査手法が導入されると、スパイは罪に問われずに犯罪を実行し、組織を犯罪に巻き込んで、一網打尽にできる。警察権力による革命党の頂上壊滅作戦|非合法・非公然体制弾圧への踏み込みが可能になる。
 さらに日帝・法務省は、その証言を証言者の訴追のためには使わないという条件で証言を強制する刑事免責制度を導入しようとしている。これは、同志や友人、家族を売り渡すことを拒否しただけで犯罪とする恐るべき制度だ。

 弁護士も

 金の面からも組織とその活動の禁圧を狙っている。
 「ゲートキーパー」(門番)と称して、「怪しい金の動き」について弁護士・会計士・税理士に届け出義務を課し、それを怠った場合に罪とすることで、組対法以上にマネーロンダリング(資金洗浄)規制を強化しようとしている。
 組対法では、「怪しい金の動き」があった場合は、金融機関はそれを金融監督庁に届けなければならない。また犯罪収益あるいはそれが混じった金を弁護報酬として受け取った弁護士は処罰される。この条約では、業務の中で依頼者の資金洗浄行為を知った弁護士などは、届け出を怠った場合に罰せられる。
 民事事件などでは、こういう要素をもった金の流れの相談から弁護活動が始まるのが普通だ。条約は、弁護士などに逮捕の脅しで警察の手先になることを強制しようとしているのだ。
 実際、米国ではこの届け出義務違反で毎年五百人ほどの弁護士らが逮捕されているという。
 弁護権・防御権を奪い、弁護活動そのものを不可能にすることが狙いなのだ。
 以上のような国際的組織犯罪条約の締結に伴う国内法整備として、組対法・刑訴法の改悪がたくらまれている。組織を活動の面から徹底的に禁圧するのが狙いである。これは、国鉄や沖縄、三里塚などの闘いの発展と七〇年破防法弾圧以来の日帝の治安弾圧体制の根底的な破綻(はたん)を、改憲・戦争国家化と一体の戦時治安弾圧体制への転換をもってのりきろうとする攻撃だ。星野文昭同志、爆取裁判四被告らと連帯し、闘いの爆発でこの治安攻撃のエスカレーションを粉砕しよう。
 〔立花 茂〕

警察管理型社会を解体しよう! 2002年組対法・刑訴法改悪、治安国家化を許さない4・21集会
・4月21日(土)午後1時半
・文京区民センター
・講師/別役実(劇作家)、前田朗(東京造形大教授)
・主催/破防法・組対法に反対する共同行動、組対法に反対する全国ネットワーク

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週刊『前進』(2001号6面2)

連載・白井朗の反革命的転向 権力・カクマルと結び堕落極める(3)
 思想的無節操と腐敗を深めカクマルの側に立つと宣言

 前号までで、白井朗が脱落以降自覚的な反革命への道を選択してきた事実を暴いてきたが、今号より、その結果白井が陥っている腐敗・堕落と恥知らずな変質・後退の事実を暴く。
 白井の思想的節操のなさ、おぞましいまでの思想的腐敗の第一は、白井が、膨大な同志の命と血を流して懸命に闘ってきた対カクマル戦争を裏切り、カクマルへの降伏を表明し、自らカクマルと同列に並ぶ明白な反革命的意思表示をしたことである。白井は対カクマル戦から脱落したのではなく、カクマルの側に立つことを意思表示している。

 「内ゲバ」規定は投降の表明

 その一つ目は、白井が「内ゲバ」という言葉を使い出したことである。
 われわれは対カクマル戦争について「内ゲバ」という用語を使っていない。この用語は、第四インターナショナルなど、「カクマルは反革命ではない」「ファシストではない」「意見が異なるが左翼の一部である」と頑強に主張した人びとが用いてきた、まったく誤った言葉なのだ。
 白井は「内ゲバ」という用語でカクマルに“反革命規定をしません。対立的に闘うことをやめます゜と意思表示し“許してくれ゜と公然と表明したのだ。
 それだけではない。この「内ゲバ」規定に表れた白井の意識は、“反革命として自分も中核派敵対行動に移るから、カクマルよ、自分を容認してくれ゜というものだ。「内ゲバ」という用語の使用は、白井が自らカクマルと同列に並ぶという宣言なのだ。
 白井は、革共同とカクマルとの非和解的絶対的対立関係を熟知している。その白井のカクマル=反革命規定のあいまい化の意図は、白井がカクマルと同じように対革共同の敵対行動に入るという決断と一体のものなのだ。
 インターネットのサイトで白井は「池上の目が異様で、腐った目をしていた」などと言って、あたかもカクマルに屈服も同調もしていない証明にしようとしているが、このような表現は非和解的対決とはまったく別物である。
 『中核派民主派宣言』(以下『民主派』本と略)でも白井は、一方で「内ゲバ」と言いながら、「もちろん私は対カクマル戦争の先頭にたってたたかいぬいてきたのであり、カクマルを反革命としてもっともはげしく憎み、糾弾する者である」などと言う(一四n)。しかし、その舌の根も乾かぬうちに「戦争をいつまでも二〇年もつづけること」が正しかったのか?と、闘い方の問題であるかのごとく言う(同一四n)。だが、カクマルを反革命と規定するなら、二十年でも三十年でもカクマルを倒すまで闘うべきなのだ!
 その二つ目は、白井が対カクマル戦が戦術的選択の次元の闘いだったと宣伝し始めたことである。

 対カクマル戦は戦術問題か

 白井は「(対カクマル戦)は多くの人々から大きな反発を買い離反を招いた」「(別の)途(みち)を選択することは不可能ではなかった」「最良の方法が戦争をいつまでも二〇年もつづけることにあったのか」などと言う(同一四|一五n)。
 しかしカクマルとの内戦への突入は、いったいわれわれの自由選択だったのか。大衆闘争が恐るべき打撃を受けても、大衆的納得がかちとられるか否かにかかわらず、反革命的襲撃と内戦的手段で対決するしか、われわれは生きられなかったのだ。このぎりぎりの選択をあいまいにすることは、カクマルの反革命性の隠蔽(いんぺい)だ。
 しかもこれは、世界史上類例のない反革命と直面したわれわれが、懸命に闘って、先制的内戦戦略を樹立してきた地平を足蹴にし、踏みにじるものである。
 先制的内戦戦略の思想的内容は、十二・四反革命直後から「段階・過渡・変容・危機」を契機とする戦後世界体制認識と結合させて、三〇年代的内戦が階級闘争のひとつの恒常的形態であるという認識として深められてきた。
 われわれは、追い詰められた地平からまずは生き残るために猛然と決起していったが、熾烈(しれつ)な闘いを革命綱領の中に位置づけることなしに一日たりとも闘うことはできない。革共同は、この戦争を革命綱領の中に位置づけずに存在しえなかった。
 ところが白井にとって対カクマル戦は、軍事的手段の行使をめぐる単なる戦術問題にすぎない。内戦的手段を用いず大衆闘争を続ければ反革命の襲撃を回避できたかのように言う。これはカクマルにくみする悪宣伝そのものである。
 何ゆえ十二・四反革命、三・一四反革命が起こったのか。何ゆえ七〇年決戦の高揚の中で立ち上がった人びとや同志たちが次々と命を奪われ、血を流さなければならなかったのか。何ゆえ破防法裁判の弁護団が襲撃を受けなければならなかったのか。考えてみよ! 
恒常的な内戦の必然性とは、革共同とプロレタリアートのもつべき時代認識、階級闘争観なのだ。

 3・14復讐戦を平然と否定

 その三つ目は、白井が「三・十四復讐(ふくしゅう)戦を肯定的に総括できるのか」(同六七n)と平然と言い始めたことだ。
 @白井には、三・一四反革命に直面した革共同と闘う人びととがどういう事態にたたき込まれたかについてまったく認識がない。
 事実、七〇年決戦を闘った何万人もの人びとが「これで日本革命は終わりになるのでは」とすら思ったのだ。われわれは「三・一四宣言」で「一度死んだわれわれ」とまで言った。
 だが、党首を暗殺されて復讐戦に決起できない革命党は、絶対に誰からも信用されない。にもかかわらず白井は「三・一四復讐戦を肯定的に総括できない」と平気で言う。これは、白井が三・一四反革命の瞬間に転向・屈服していたことを示す。そうでなければ、十二・四反革命以降は内戦的に闘うのが正しく、それよりも巨大な三・一四反革命以後は内戦的に闘うのは間違いだという論理は絶対に出てこない。
 Aそのうえで白井は“本多さんは対カクマル戦争をやる気がなかった゜などと本多書記長を辱め、荒唐無稽(こうとうむけい)の歴史解釈をやってのける。当時の本多書記長の戦争意志の苛烈(かれつ)さや段階的戦争論の提起とその強い指導性など、どこかに吹っ飛んでしまっている。
 白井の感性はカクマルと戦ってきた同志の感性とも無縁だ。対カクマル戦争を“人を傷つけるのが好きな人と嫌いな人゜の存在などで解釈するとは、あきれて言葉もない。敵階級の残酷さに対して、ものすごい反発力をもって戦争的に決起できるか否かが三・一四反革命の瞬間、全党員に等しく問われたのだ。
 白井の三・一四反革命に関する叙述には、カクマルの恐るべき反革命性についての言及がひとことも出てこない。怒りがない。自分の隣で闘っていた本多書記長が卑劣な手段で暗殺されたことに恐れおののき、ヘタヘタと座り込んでしまっている。

 全くでたらめな歴史の解釈

 その四つ目は、白井が先制的内戦戦略に関するでたらめな歴史解釈を始めたことである。
 白井は、先制的内戦戦略の第二段階への突入の意義を否定して、一九八六年五月に東京サミット粉砕の軍事行動をやったから大弾圧で党勢は削り取られたと歴史を偽造する。「五・七宣言」体制の大弾圧は、八六年サミット粉砕決戦への反革命報復という要素もあるが、何よりも八五年蜂起戦(三里塚・国鉄決戦)に対する敵階級の報復なのだ。
 白井が「五・七宣言」体制の大弾圧を避けるべきだったと言うなら、八五年蜂起戦をやるべきではなかったということになる。
 八五年蜂起戦の勝利的地平の巨大さは明らかである。それをはずして先制的内戦戦略の第二段階を弾圧のすごさで否定するのは日共以下だ。確かに八五年蜂起戦への敵の弾圧は激しかった。しかし、多大な犠牲を払ってでもやらなければならない決戦が階級闘争にはある。三里塚闘争が壊滅させられて、さらに国鉄分割・民営化に対する命懸けの闘いとその後のカクマル=JR総連への正義の内戦的闘いの遂行がなくて、したがって日本の階級情勢が恐るべき勢いで後退してしまっていて、弾圧を回避したわれわれが強大化していたはずだなどというのは、階級闘争を知らない人間のたわごとだ。
 しかも、犠牲を払ってでも「五・七宣言」の巨大な弾圧と熾烈(しれつ)に闘いぬいたがゆえに九〇年天皇・三里塚決戦の偉大な地平がかちとられたことなど、もはや白井にはまったく理解できないのだ。
 八〇年代後半から九〇年代前半の党勢の後退は、先制的内戦戦略に基づいて闘い弾圧を受けたから生じたと言うならば、何ゆえ日和見主義的な諸党派・潮流がこの時期におしなべて転向と変質と後退と衰弱を進行させたのか、答えてみよ。
 八〇年代後半から九〇年代前半の時期は、日帝の総評解体(社会党解体)をかけた国鉄分割・民営化と三里塚闘争解体策動、「五・七宣言」体制による革命党弾圧という大反革命・大反動の時期だった。われわれは弾圧にひるまず、八五年三里塚・国鉄蜂起戦と九〇年天皇・三里塚決戦を大反動攻勢との真っ向からの対決として死活かけて闘う道を選択したがゆえに生き残った。闘えなかった全潮流は転向と解体・衰弱・消滅の道を歩んだ。われわれのみが真っ向から対決できたのは先制的内戦戦略をもっていたからなのだ。
 その五つ目は、白井が権力やカクマルの悪質な宣伝の片棒を担ぎ、“革共同をゲバだけがまかりとおる思想闘争がない組織だ゜と言い始めたことである。
 これは白井の自己破産しか意味しない。もしそうならば、白井は革共同に何ゆえ二十年以上もいたのか。しかも最も重要な位置にいたのか。“ゲバだけがまかりとおる組織゜と言うならば、自分がそのように組織を作ってきたからだという以外にないではないか。白井の今日の姿は、反革命に転落した者の実に腐敗した醜悪な姿である。
 カクマルは、この白井のカクマルと同列に立つという意思表明を喜び、早速、池上洋司(朝倉文夫)を先頭にのこのこと出掛けた。案の定、白井はカクマルへの怒りや憎悪のひとつもぶつけることなく、投降と屈服の意思を示し、ヘラヘラと会話に及んだのだ。そして中核派批判をしてみせて、自分がカクマルと同列であることを示し、継続討議を確認している。反革命転落分子同士のおぞましい会見の様子がうかがわれるではないか。(つづく)

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