ZENSHIN 2001/05/07(No2004 p10)

ホームページへ週刊『前進』月刊『コミューン』季刊『共産主義者』週刊『三里塚』出版物案内販売書店案内連絡先English

週刊『前進』(2004号1面1)

けしば氏、都議選必勝への決意 小泉自民党に民衆の怒りを
 戦争賛美教科書の採択狙う石原知事と真っ向勝負する

 都議選決戦も六月二十四日の投票日に向けていよいよ終盤戦に突入している。小泉新政権の登場による自民党の居直りと大反動を許してはならない。日帝の教育改革・改憲攻撃を粉砕するためにも、「つくる会」教科書の採択を阻止する闘いと結合し、けしば誠一氏の当選をなんとしてもかちとらなければならない。都議選勝利へけしば候補に決意を語っていただいた。(編集局)

 改憲と大リストラの危険な極右政権

 ――自民党の総裁選挙が行われ、自公保の政権協議を経て小泉政権が登場しました。
 小泉純一郎を新総裁とする自民党は、自民党の金権腐敗政治はなんら変わらないまま、森政権の時以上に悪くなる。小泉と亀井派との政策合意にも見られるように小泉自民党はきわめて極右的な方向に舵を切っています。憲法改悪を公然と主張しており、集団的自衛権を行使する、靖国神社を公式参拝すると言っている。また「教育改革」、教育基本法改悪で戦争翼賛の教育を進めようとしている。かつてなく露骨に戦争に向かう反動政治と、「構造改革」によって経済危機の犠牲を労働者民衆に押しつける。改憲と戦争と大リストラ、まさにとんでもない政権です。自公保の三党政策合意も基本的にそれを追認するものです。
 「自民党政権を倒そう」と訴え続けてきましたが、新政権発足によってその必要性が一層明らかになった。自民党は危機を深めれば深めるほどより反動化、凶暴化し、小泉という最も極右的な政治家を押し出した。六月都議選こそがこのより反動化する自民党政治に終止符を打つ歴史的なチャンスだという思いを強くしています。
 特に新政権下でまず進むのは、不良債権の処理です。彼らの言う不良債権の処理とは結局働く者にツケを回すものです。不良債権が三十二兆円とか、隠しているのを含めれば四十兆、六十兆だといわれています。その処理過程で百三十万人の首切りが不可避だといわれている。戦後最悪の失業率をさらに悪化させるのです。働く人たちが生きていけない時代になっていきます。
 新政権になったからこそ、極右小泉自民党への民衆の怒りを爆発させなければなりません。
 ――KSD汚職や機密費疑惑もうやむやにしていますね。
 KSD汚職は、自民党総ぐるみの三十億円の戦後最大の疑獄事件です。村上前参議院議員と小山前参議院議員のトカゲのしっぽ切りで終わりというのは絶対に許せない。それから外交機密費疑惑。これは実は最大のポイントが官邸機密費なんです。官邸機密費は野党買収費です。野党の議員が海外視察などに行く時に何十万という金をもらっていて、同じ穴の狢(むじな)になっている。
 民主党の調査でも民主党でKSDから金をもらっていたのが何人もいる。本当に野党も含めた金権腐敗で、国会の中では自民党を追及できないという惨状です。自民党がこれだけ批判されながらいつまでも居座り続けている。その自民党がまた小泉内閣を登場させた。これは野党の責任ですよ。
 共産党だって、あれだけの数の議員がいて何やってるんだ。共産党の議員になぜ追及しないのかと聞いたら、参院選が森政権のままでやった方がやりやすいと言っていた。とんでもない。何を言っているんだ。民衆のことはまったく考えていなくて、自分たちが選挙でどれだけ票を取るか、その条件が良いか悪いかしか考えていない。民衆不在という点では与野党すべて同じです。
 ――「つくる会」の教科書が検定を通ったわけですが、全アジアで怒りが爆発しています。
 四月十三日に韓国の国会議員の金泳鎭(キムヨンジン)さんが国会前で座り込んでいることを新聞報道で知って急きょ国会前に駆けつけました。私は、十一月に杉並区で統一協会系の教育委員が山田区長に任命された時のチラシを持っていった。「つくる会」の教科書を採択するために教育委員会の人事を代えようとしたことに反対して杉並区議会の中で力を尽くしたことを伝えました。

 教育改革攻撃との闘いは杉並が焦点

 ハンストはあの時で三日目だったんですが、ドクターストップがかかるまで六日間行われ、本当に命がけの闘いでした。日本の議員の一人として、これにこたえなければという思いを強くしました。
 ――これから教科書採択の過程に入るわけですが、杉並区をめぐる状況はどうですか。
 今言ったように、教育委員の二人を統一協会系の人物に代えるということが行われました。もともと三人を代えようとしたのを佐藤欣子をストップさせた。
 その前に、昨年三月に杉並区の「教科用図書採択要綱」とその「細目」が変えられています。いわゆる「学校票」や「絞り込み」を禁止する内容で、教師の意見を一切排除しようとしています。これを許さないためにさらに闘うことが重要になっています。
 国がこの教科書を合格させたということは、日本が国家として戦争を肯定したということ、再侵略の戦争を宣言したということです。「つくる会」教科書が検定合格した四月三日は、そういう歴史的な日です。「つくる会」教科書拒否の大運動をつくり上げることだと強く思っています。放っておけば杉並が真っ先にこの教科書を採択して、来年の四月からは区立中学の子どもたちがこの教科書で教えられるというきわめて重大な情勢を迎えています。
 しかもあえてこの杉並を選んだことに「つくる会」とそれに呼応する山田区長など反動勢力の意識的な狙いがある。「つくる会」は全国で一割のシェアを確保すると目標を掲げている。地方で進めても一割というのは難しいわけで、結局首都圏で採択させないと一割にはならないわけです。
 しかも杉並は山田区長という超タカ派の政治家が区長にいる。それから石原慎太郎の息子の伸晃が衆議院議員である。杉並に狙いを定めるだけの敵の側の主体的根拠があるわけです。杉並が、この教科書をめぐる全国最大の決戦場となっている。ここでこれをストップさせることが全国でストップさせる最大の切り口になる。杉並で、その課題を担って、全力で勝負したい。
 私たちの時代は父や母からいろいろ戦争の話を聞いた。実際にあの戦争がどういう戦争だったのか、悲惨な事実をリアルに伝える必要があります。
 南京大虐殺では三十万人とも言われる人が日本軍によって虐殺された。語るもつらい残虐な行為でした。「つくる会」教科書がそれを否定するということは結局反省していない、再びやろうとしていることなんです。
 もう一つ重要なのは、沖縄と日本がどうだったのかということです。沖縄戦では十五万人の県民が死んだ。その中で日本軍による住民虐殺が行われた。原爆についても、投下されたとだけしか書いていないことは許せない。どれだけの人が死んだのか、ヒロシマで二十万人、ナガサキで十万人、しかも生き残った人が放射能によって三代にまでわたって悲惨な苦闘を強いられている。
 国内の記述がむしろ「国民はよく働き、よく戦った」と書いてあって、美談みたいに描かれている。とんでもないことです。戦争の暗い面は書いていない。
 実はあの時代は治安維持法でどれだけの人たちが逮捕され、投獄され、虐殺されたか。戦争に反対するだけで、あるいは世の中を風刺する俳句をつくっただけで逮捕投獄されるような時代だった。
 戦争中に何の苦労もしなかったような連中はごく一部いる。そういう連中のために戦争がある。石原慎太郎のように政商の息子として生まれ、戦争中に何の苦労もしなかった連中が今再び戦争の旗を振っているわけです。
 ――区民の反応は。
 十一月の教育委員会をめぐるやりとりで、山田区長に対する区民の評価が一変しました。彼はリベラルな人ではないかという印象を持たれていたが、国家主義思想の持ち主だとはっきりしました。
 教科書は六月に区内で数カ所展示されて、区民も見られるわけですから、積極的に見てもらって、「つくる会」教科書の採択を阻止する大運動にしていきたい。
 ――それを阻止する力、展望という点から、この間教訓的な闘いが起こっていますね。

 給食民間委託阻止と介護保険廃止へ

 一番近い例は、学校給食をめぐる闘いが昨年秋から繰り広げられて、二万六千の署名、文教委員会や予算委員会でのやりとりをつうじて、四月実施をストップさせた。これは大きなことです。直接給食に携わる現場の労働者と、何よりも給食を食べる子どもとその保護者の考えや思いを尊重して進めるべきだし、判断すべきだということを掲げて闘った。
 結局、予算案は多数決で通されて、住民の請願署名は否決されたけど、そこにいたるやりとりをつうじて学校給食民間委託の口実とか、積極的理由とか、議会内的には全部打ち砕いた。民間委託を進める理由は何もなくなった。給食の質を落とすこと、働いている人たちの首を切ることが狙いだということが明らかになった。
 九月から実施すると言っているけど、闘いを学校ごとに区内全体に広げていけばストップさせることはまだまだ可能です。結局、現場で働く労働者と、それを支える地域の住民、保護者が組んだら阻むことができるということです。
 もう一つは、介護保険制度に反対する「介護と福祉を要求する杉並住民の会」の運動にかかわって、多くの教訓を得ました。
 高齢者が介護保険制度下で悲痛な叫びをあげている。高槻で老老介護で餓死した例がありました。同じ状態が杉並でもある。低所得者で、あるいは年金だけで一人住まいという人が膨大に存在している。介護保険制度実施一年でメッセージ運動を住民の会の人たちが始めています。その中で本当に大変さをつかんできたところです。
 年金四万五千円で医者にかかっていると、以前は月八百円で済んだのが、今年から医者に行くたびにお金を取られる。その上で保険料は取られる。さらに利用料を払ってどうやって生きていけるんだと。介護サービスを受けるどころか、医者にかかるために食べ物を削って生きているんだという悲痛な叫びです。早く死にたいという声が高齢者から次々と出てくるこの悲惨さですよ。
 杉並区は区独自でやった実態調査の結果、介護保険制度はスムーズにいっていると発表したけど、まったく実態を見ていない。
 そういう人たちが絶望して自分の命を絶つことのないようにと願って、高齢者が杉並で立ち上がった。自分たちの力で自分たちの権利を取り戻そうというすばらしい運動が始まって一年以上たっている。この運動が与える力、勇気は本当に胸を打ちます。
 今、憲法違反の介護保険制度をなくす全国ネットワークをつくろうということで全国的な運動に広がりつつあります。
 ――住民の会の運動で高齢者自身が運動の主体になったということはすごいことですね。
 給食の運動の場合にはお母さんたちが主体だったし、介護保険の場合には高齢者が主体です。教科書の場合には世代的に広がりがあります。戦争を体験した人は「なんだ昔の教科書と同じじゃないか」と怒っている。子どもを持つお母さんたちは戦争に導く教科書はとんでもないと怒っている。それから若い人たちの反応が非常にいいです。若い人たちが一番敏感かもしれない。子どもから高齢者まで世代を超えて立ち上がる戦後史を画する運動、まさに第二の原水禁運動の可能性を直感します。
 そこで、石原都政の問題なんです。今、石原が「つくる会」教科書を真っ先に推進しようとしている。二月八日には東京都教育委員会が各区市町村に通達を出しています。だから石原都知事の教科書推進と全力で対決することを重要な課題に据えなければならない。
 ――それは都議選の中でも重要なテーマですね。
 もともと石原は「心の東京革命」を唱え、教育を変えなければだめだと言ってきた。彼がやろうとしていることはこの戦争を肯定する教科書の強制なんです。

 小泉と石原許せば本当に戦争になる

 石原都知事は、自民党の亀井政調会長と話をして首都再生プランとして十兆円の公共投資を推進しようとしている。自民党の最も伝統的な利権政治家だということがはっきりした。歴代自民党政権の国家財政を無視した大幅なゼネコン救済へのバラまきなど、公共投資が財政破綻(はたん)の原因であることが明らかであるにもかかわらず、それをさらに推進しようとしている。
 羽田空港の沖合拡張は、有事の軍事利用が狙いです。彼がアメリカの新聞に発表した経済活性化のためのミサイル開発という政策は軍需産業ということです。経済活性化のためには戦争が必要だとあけすけに言っています。
 ――石原都知事は環境問題を言っていますが。
 彼の言っていることは非常に巧妙で、一見人の心をとらえる。しかし実はそれは全部ウソです。実は彼がやろうとしていることは全部環境破壊です。ディーゼル車規制の石原がなぜ、自然を破壊して放射5号線や外郭環状の巨大道路を造るのか。
 端的な例では、ある都立病院で産業廃棄物の仕事をしている業者が、東京都からディーゼル車だからガソリン車に買い換えないと仕事をカットすると言われて、カットされた。つまり、ガソリン車に買い換える力のある大手だけが生き残るということなんです。大量のガソリン車の方が環境に悪影響を与えているわけで、ディーゼル車だけを規制すればいいという問題ではない。結局ガソリン車を大量に買わせ、ガソリン車が大量に売れるための巨大道路を造るのです。環境のためでも何でもない。外郭環状にしても放射5号にしても有事における軍用道路です。
 ――去年の「三国人」発言一周年で石原弾劾行動がありましたけど、また自衛隊の演習でとんでもない発言をしています。
 私も四月九日に都庁の前で抗議行動に参加しました。結局一年たって謝罪しないどころかもっと開き直った。今度はより露骨に治安出動を言っているわけです。東京に住んでいるアジアの人たちが不安にさらされる発言です。杉並にも外国人が一万人以上いる。子どもたちは一緒に学んでいるわけです。そういう人たちとの関係からいって絶対に許せないですね。
 ――石原が差別暴言を繰り返すのを許している状況は、マスコミの問題もありますけど、都議会の各政党が問題にしないということがあると思うんです。
 一年たって同じことを言わせているというのは都議会の責任だと思います。民主党から共産党までいったい何をやっているのか。
 共産党は、石原のある部分には共感していることがある。「国旗・国歌」の法制化も共産党が要求した。去年の大会以降、「日本国民の党」と打ち出しています。もともと共産党は愛国主義の党です。そもそも今の日本はどういう国なのかということを抜きに、日本のあり方を肯定してそれを守ろうということになれば石原と近いところに行ってしまう。反米愛国主義というところでけっこう近いから石原に反論できない。
 実はこの反米愛国主義が、危機に立つ日本において一番危険な考え方です。戦前はこれで戦争をしたわけですから。小泉と石原を許せば本当に改憲=戦争になってしまいます。戦争への道を許さないためにも闘うアジアの人たちと連帯できるかが問われていますね。その力を育んだ時に本当に戦争を阻止することができる。戦争反対といっても、自分の国が戦争をやろうとしていることに反対して初めて戦争反対ですから。
 結論的には、教科書闘争を日本の民衆がアジアの人たちと手をつないで闘い、新しい道を歩めるのかどうかにかかっている。この教科書闘争を大衆闘争として打ち立てることから新しい時代をつくる力を私たちがつかみとれる。

 労働者と住民の力信頼し勝利へ闘う

 ――都議選の状況と選挙に臨む決意を語って下さい。
 杉並は六議席に十一人、もう一人立つ予定で十二人になる。マスコミも誰が入ってもおかしくないと注目している。自民党支配の崩壊と、それに取って代わる枠組みがまだまったくできていない、新しい野党の力も見えないという情勢が杉並に一番反映している結果だと思います。
 率直に言って甘くはないです。その厳しさは直視して、十二人の中で頭一つ飛び出す闘いができるかどうかです。それは闘い方によります。大政党、既成政党は、その組織力、種々の団体などとの関係が持っている力があります。
 私たちが依拠するのは住民の会の高齢者の人たちとか、給食の民間委託に反対したお母さんたちとか、そういう区民の力です。やっぱり大衆運動だと思っています。選挙戦自体を巨大な大衆運動にできたら勝つことができる。これからの残された一月半が勝負です。
 ――今は既成政党に対する不信、怒りもすごいし、そういう労働者大衆の怒りを結集することですね。
 そういうチャンスではありますが、ただ参院選がありますから既成政党も必死の闘いに出てきています。しかも既成政党も平時のような闘いではだめだと思っているから、かなり激しい選挙戦になっています。
 ――選挙戦への区民の反応はいかがですか。
 杉並に来て長谷川さんの選挙も含めてかなりの選挙をやっていますけど、区民の反応という点では今までで一番ですね。切実な期待を感じます。それだけにこちらも問われる。
 何々をやりますとか、こうします、ああしますというような公約を並べ立てるやり方では通用しない。区民は、本当に今の閉塞(へいそく)した時代をどう変えるのか、変えてくれる力なのかどうかを真剣に見ている。
 石原都知事が「人気」があるのは、どんなに反動的で偽りであっても、現状を打破するかのように出しているからです。私たちは偽りではなく、本当に区民の皆さんに新しい未来、希望を与える選挙戦、訴えをしていきたい。
 私たち自身の中に、働く民衆の中に、未来を宿す力があるんだ、自分たちで変えていく力、それを託された時に皆さんと一緒に変えられますということを訴えていくことですね。
 ――区民のみならず全国の闘う労働者が、春闘ストライキを闘い抜いた動労千葉が応援してくれていますね。
 働く人たちの力、とりわけ労働現場で苦闘している人たちに最後の支えは期待しています。国労闘争団を支える闘い、給食問題、教科書問題、介護と福祉を要求する運動、その中で教育現場や介護現場で働く人たちの力や自治体で働く人たちの力が最大の原動力です。そこに信頼を置いています。
 それから今、学生の人たちが街宣隊で頑張ってくれています。他候補にはない若い力です。
 支持者自身が動き出したという点ではかつてないですね。みんな看板を掲げ、名前を出し、自分たちがチラシを持ち込んだり、生き生きと動いていて、次々と運動が広がっています。彼らを信頼し、ともに歩み、小泉・石原と全面対決して勝利したいと思います。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2004号2面1)

春闘解体・資本攻勢と対決し貫徹された動労千葉のスト
 国労再生と「恐慌下の階級闘争」へ
 中村 孝夫

 米バブル経済の崩壊への突入が日本の恐慌を再激化させ、日本の金融危機が米バブルの一層の崩壊を引き起こすという連鎖の中で、米帝危機と日帝危機が相互促進的に進行し、二九年型世界大恐慌はいよいよ本格化しつつある。今春闘は、このようなかつてない情勢下で闘われた。資本攻勢が一層激化する中で、これに対する労働者階級の巨大な反撃として
貫徹された動労千葉の百二十時間に及ぶ大ストライキ。その意義について明らかにしたい。

 恐慌と資本攻勢下で闘いを求める労働者

 今春闘をめぐる階級情勢の特徴の第一は、二九年型世界大恐慌が本格化し、帝国主義の危機が新局面に入ったことである。
 米経済は三月、ニューヨーク市場でダウ三十種平均株価が一万jを割り込んだ。この株価急落はアジア諸国と欧州諸国にも広がり、世界同時の連鎖的な株安となった。
 米経済は、昨年四月の株暴落によって本格的なバブル崩壊に突入している。すでに昨年末から景気は急降下し、企業収益も悪化、大量解雇が相次いでいる。さらに、過剰資本・過剰債務・不良債権も表面化し、信用収縮も始まっている。
 日本経済は、株価が下落し不良債権問題が再燃している。ところが、空前の恐慌対策ですでに国家財政はパンクしている。
 二〇〇一年度の国債発行残高は三百八十九兆円に達する見込みだ。恐慌対策がとられた九八年度以降の四年間だけで約百三十兆円も増加し、二〇〇一年度末の国と地方の長期債務残高は六百六十六兆円に膨らむ。そこに、米バブル崩壊が襲いかかっているのである。
 米バブル経済の崩壊の持つ破壊力は、二九年恐慌をはるかに上回る。それが日本経済を直撃しているのである。日本の恐慌の再激化は、世界大恐慌を本格化させていくものとなる。
 さらに、日米争闘戦における敗勢という現実が日帝を締め上げている。
 これによって、改憲攻撃や資本攻勢はますます激化する。これを階級情勢的にとらえるならば、二十一世紀は戦争と革命の時代であり、巨大な階級闘争の爆発が不可避な情勢に突入したということだ。階級闘争のうねりは、韓国、アメリカ、ヨーロッパなど世界各地で開始されている。生産点におけるストライキ、街頭デモなどの革命的大衆行動が激発している。
 「恐慌下の階級闘争」−革命的情勢の接近に対応した階級闘争の爆発を、革命党の飛躍をかけてかちとらなければならない。今、党に問われていることは「この情勢に立ち遅れてはならない」ということである。
 階級情勢の特徴の第二は、日米争闘戦の激化、世界大恐慌の本格化の中で、その危機の絶望的突破をかけた改憲攻撃が激化し、それと一体のものとして一大資本攻勢が労働者を襲っていることである。
 日経連は、二〇〇一年版労問研報告で「多様な選択肢をもった経済社会の実現」と称する大資本攻勢を打ち出して春闘に臨んだ。
 その第一は、「多様な選択肢」と言って、首切り自由の不安定雇用化、能力・成果主義の賃金・人事制度の導入、「総額人件費の抑制」のもとでの徹底的な首切り、賃下げ、労働強化を推し進めることであった。
 連合はこの日経連の賃下げ攻撃に完全に屈服した。三月二十八日段階での連合集計では、平均賃上げ方式の賃上げ率は一・九五%、定昇相当分を除けば実質賃下げだ。
 第二は、「横並びの対応で賃金などの労働条件を決めれば済む時代ではない」「従来のような一律賃上げの水準を交渉することは意味がない」と、賃金闘争そのものの解体を宣言したことである。
 「毎年一律に賃上げが行われるという考えを改めるべきである。春闘も賃上げをめぐる対立闘争という位置づけではなく、総合的な働き方の諸制度を協議する場へと転換させるべきである」(三月十五日付『日経連タイムズ』)
 この主張は、労問研報告より踏み込んで「賃金闘争はやめろ」と賃上げ闘争自体の解体を唱えている。そして、春闘を生産性向上に労資で協力する場へと転換させようというのである。
 第三は、団体交渉権、団結権の解体による労働組合のむき出しの破壊にまで踏み込んできたことである。
 労問研報告は、「労組、従業員の末端にまで企業の施策の趣旨についての理解を深めるために、労使協議制の活用が期待される」として、「労使協議」の名において団体交渉権−団結権の解体を打ち出した。憲法第二八条の労働基本権、戦後労働法制をめぐる攻防は決定的段階に入ったのだ。
 この日経連労問研報告のもとで、今春闘を突破口に国鉄分割・民営化型の攻撃は新たな段階に入った。「JR完全民営化」法案の国会提出、郵政二〇〇三年公社化=民営化−大合理化、NTT東西地域会社の大合理化と、大攻撃が次々と発表されている。
 企業の分割・合併と一体の倒産・大リストラが吹き荒れている。さらに、戦後社会保障制度の解体、とりわけ年金制度の改悪が労働者の生活を直撃している。
 こうした資本攻勢の激化に対して、連合、全労連指導部は屈服しているが、労働者はこのままでは生きていけないと怒りを充満させ、闘いを求めている。今春闘で「ストライキで闘うべき」という声は高まり、多くの労働組合がストに立ち上がっている。

 新段階に突入した国鉄闘争

 階級情勢の特徴の第三は、資本攻勢との激突の最先端をなす国鉄闘争が、一月二十七日の国労大会で新段階に入ったことである。
 これは、日本労働運動全体が新たな激突局面に突入したことを意味している。国労という日本労働運動の中心的な組合の大会に、千三百人の国家権力・機動隊が導入され、権力の戒厳令下で国労中央が四党合意を強行した。四党合意にかけた国家権力の階級意思はむき出しになった。「一大資本攻勢のためにはどうしても国鉄闘争を解体しなければならない」という日帝の意思が、千三百人の機動隊導入として発動されたのである。
 しかし、一・二七によっても何ひとつ決着はついていない。四党合意に反対する闘う闘争団は、国労中央の統制処分策動を打ち破って、政府・JRの不当労働行為責任を追及して闘い続けることを宣言している。

 「資本主義にノー」の路線がスト実現の力

 動労千葉の春闘ストライキは、こうした階級情勢の中で、今春闘における最大規模のストとして闘われた。
 動労千葉が今春闘で掲げた基本要求は、@三万八千円の大幅賃上げ獲得−JR貨物の超低額回答打破、AJR貨物における「生活改善一時金」三十万円(五十五歳以上は四十万円)、B年金満額支払い年齢の引き上げに応じた定年延長と六十五歳まで働ける労働条件の確立、五十五歳以上の賃金引き下げ制度の廃止、C第二基本給の廃止、D差別なき基準昇進制度の確立、の五点である。
 これと結合して、@千四十七名の解雇撤回・原職復帰、A「シニア制度」−鉄道業務の全面外注化阻止、B強制配転者の原職復帰、予科生の士職登用−不当労働行為根絶、C反合理化・運転保安確立の要求を掲げて闘った。同時に今春闘を「組織強化・拡大春闘」と位置づけ、組織拡大闘争に全力で決起した。
 三月二十八日、旅客・貨物の地上勤務者は二十四時間ストに立ち上がった。スト突入者を中心とする組合員三百人が千葉市民会館に結集し、第一波スト総決起集会を開催した。集会後、千葉支社抗議行動に決起し、怒りのシュプレヒコールをたたきつけた。続いて千葉駅前で三百人が街頭宣伝を行い、ストライキ支持を訴えた。
 三月三十一日〜四月三日には、全組合員を対象とする九十六時間ストに突入した。スト決行中の四月二日、千葉県労働者福祉センターに全支部から四百二十人が結集し、熱気に満ちた第二波スト総決起集会を開催した。集会後、千葉支社までの怒りのデモを行い、支社抗議闘争を闘った。
 このスト過程で、支部における職場集会、学習会が行われた。また、当局の職場ロックアウトへの抗議闘争が展開された。
 動労千葉は、ついに百二十時間に及ぶストライキを実現した。そして、千葉支社管内で八百本に及ぶ運休を出し、当局に動労千葉の団結力を示した。

 1047人の共同の闘いへ

 今ストライキの意義はどこにあるか。
 第一に、世界恐慌が本格化する中での一大資本攻勢との闘いとして貫徹されたことである。資本は「国際競争力」と「市場」を合言葉に春闘圧殺を企て、賃下げを強行した。「日本の危機を突破する道はこれしかない。国家がつぶれてもいいのか」という恫喝にどう対決するのかが問われていた。これに対して動労千葉は、「資本主義にノーと言える労働運動」路線のもとでストライキを実現した。
 第二に、動労千葉のストライキは倒産、リストラ、首切り、賃下げの一大資本攻勢に怒りを燃やし、闘いを求める全労働者に限りない勇気を与え、展望を指し示した。ストライキは、商業新聞やテレビで連日報道され、労働者の支持と共感はかつてなく広がった。スト支援の街頭・職場でのビラまきに共感を示す労働者は圧倒的に多かった。
 第三に、機動隊導入による四党合意の強行という国鉄闘争の新局面への突入に対して、四党合意に反対し千四十七人の解雇撤回を求めるストライキとして打ち抜かれたことである。
 それは、闘う国労闘争団−国労組合員への連帯のストライキとして、国鉄闘争勝利の展望を指し示した。今ストライキは、国鉄闘争を名実ともに千四十七人闘争として闘い抜く展望を切り開いたのである。千四十七人が共闘関係をつくり出すならば、敵に大きな階級的打撃を与えることができる。ここに国鉄闘争勝利の展望がある。
 第四に、第二の分割・民営化攻撃とも言うべき「ニューフロンティア21」−中期経営構想との闘いとして貫徹されたことである。
 「ニューフロンティア21」は、これまでの鉄道会社のあり方とそこに働く労働者の人事制度、賃金制度などを根本から変えてしまう攻撃だ。JRの新たな大リストラ・大量首切りがたくらまれている。
 「シニア制度」と一体の保守部門の全面外注化−転籍の攻撃は、その中心をなしている。鉄道部門すべての外注化さえ狙われている。東労組カクマルは三月三十日、この提案をそっくり容認して裏切り妥結した。第二の分割・民営化の先兵そのものである。

 JR総連解体へ全力で決起

 第五に、このストライキ過程全体を、JR総連解体の「組織強化・拡大春闘」と位置づけたことである。
 東労組カクマルはストに危機感を募らせ、スト中に分会三役がわざわざ予備勤務に下りて組合員を監視し、スト破りを強要した。
 東労組のある分会は、ストに対して「声明」なるものを発表し、「安全輸送を確保した」とスト破りに全力を上げたことを開き直った。そして、「完全民営化法案が国会に上程されているとき、それを阻止するかのような闘争は、社会の常識からおきざりにされている」「シニア制度、外注化で雇用が確保された」などと、弱々しいがすさまじい裏切りを表明している。
 これは、どう見ても動労千葉向けというより「スト破りを全力でやりました」という当局向けの文書である。JR総連の組織崩壊−カクマル支配の危機がいかに深いかを示している。
 動労千葉のストライキは、JRと東労組カクマルの結託体制を確実に揺るがし、カクマル支配の危機を促進し、組織拡大闘争の前進を切り開いた。そして動労千葉の階級的団結を打ち固めた。

 新潮流運動の発展へ都議選に勝利しよう

 JR総連九州労の集団脱退、黒田カクマルとJR総連・松崎カクマルとの大分裂と対立、JR総連の崩壊的危機、国労中央の一・二七「四党合意受諾」強行、それと対決する闘う国労闘争団の結成と動労千葉のストライキ。まさに国鉄闘争は激しい組織攻防戦−戦国時代に突入している。動労千葉は、このストライキで新たな組織攻防戦に勝ち抜く橋頭保をつくり出した。
 動労千葉のストライキを先頭に、一大資本攻勢を打ち破り、階級的労働運動の新しい潮流の前進をかちとらなければならない。
 第一は、資本攻勢との激突の最先端にある国鉄闘争の勝利を、動労千葉を先頭にかちとることである。
 動労千葉のストライキが何よりも国鉄闘争勝利への歴史的転換点をなす闘いであったことを確認したい。ここに国労の戦闘的再生への突破口が切り開かれたのである。
 闘う闘争団を先頭に国労組合員が固く団結し、国労中央を打倒して闘う執行部をつくり出そう。千四十七人闘争支援の陣形を新たにつくり出そう。動労千葉の「資本主義にノーと言える労働運動」路線こそが勝利の展望を切り開く。
 革共同は、労働者党としての飛躍をかけて、それを実現しなければならない。そこに日本革命の成否がかかっている。
 同時に、第二の分割・民営化の先兵=JR総連・松崎カクマル打倒の闘いに総決起することである。JR総連を解体し、組織拡大をかちとろう。
 第二は、侵略戦争賛美の「新しい歴史教科書をつくる会」の中学校用歴史・公民教科書の検定合格を弾劾し、教科書採択阻止の大運動を教育労働者を先頭に巻き起こすことである。
 第三は、六月都議選に勝利することである。勝利のカギは、革命的情勢の接近に対応した宣伝・扇動戦の飛躍であり、革命的大衆行動の組織化だ。その実践的環は、「つくる会」教科書採択阻止の闘いの大衆的爆発をかちとることにある。
 第四は、労働者党−労働者細胞の建設である。『前進』の拡大、党員拡大闘争こそ細胞建設の環である。『前進』とマルクス主義の学習会を軸に、党員拡大闘争に立ち上がろう。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2004号2面2)

却下決定に激しい怒り
四党合意撤回労働委闘争 支援する会が集会

 四月十九日、「許すな四党合意! 労働委員会闘争を支援する会(東京)」は、シニアワーク東京で国鉄闘争勝利四・一九集会を開き、百人が結集した。
 この日、都労委は四党合意撤回を求めて国労組合員と動労千葉が申し立てた二つの事件について、却下決定を送付するという暴挙を行った。集会の冒頭、司会の国労組合員がこのことを報告すると、会場は強い怒りに包まれた。
 宮島尚史学習院大学名誉教授が開会のあいさつを行い、都労委決定を弾劾して「再審査申し立ては当然として、大事なのは運動だ。この労働委員会が全国の労働者の生活と権利にとってきわめて重要な意味を持っているという認識を強めていただきたい」と訴えた。
 繁沢敬一動労千葉副委員長が百二十時間の大ストライキの報告をし、「久々の乗務員ストに総力を挙げて突入した。国労闘争団とともに四党合意を粉砕し、JR体制打倒へ全力で闘う」と力強い決意を述べた。
 続いて北海道の闘争団の労働者が登壇した。「相手の言うままに頭をひれ伏す四党合意は許せない。機動隊を導入しての一・二七大会での決定は残念だが、闘争団は四党合意をあくまで認めないという方針を固めている。納得いく解決まで闘う決意だ」というきっぱりとした発言に、満場の拍手が送られた。
 地労委闘争の代理人を務める鈴木達夫弁護士は、「申立人の気持ちを逆なでする却下決定は許せない」と述べた上で、以下のように都労委決定を批判した。
 「都労委は『四党合意は政治問題だ』と言って審問を拒否した。だが、労働争議で政治的でないものはない。そもそも四党が国労に政治介入をしたことが問題だ。都労委は『国労が四党合意をのんだから』とも言うが、憲法は一人ひとりの労働者に団結権を保障している。国労という団結体もその結果としてある。個々の労働者の団結権が踏みにじられたから申し立てをしたのに、『国労がのんだから』では理由にならない」
 「都労委には救済命令を出しても裁判でひっくり返されるという無力感がある。司法は、労組法上の不当労働行為という概念を解体しようとしている。都労委が五・二八反動判決をのりこえようと思うなら、それを正面から弾劾する以外にない。ところが、うかつに命令は出せないからとして却下した。まったく転倒している」「都労委は自民党と国土交通省には使用者性がないと言うが、不当労働行為をしうる者は労組法上の使用者だ。四党合意にかかわった者が不当労働行為をしたことは明白だ」
 「都労委の副会長が、戦時司法への転換を狙う司法改革の先頭に立っている。却下決定にはこのまま絶対に引き下がれない。中労委への再審査申し立てはもちろん、あらゆる法的手段を尽くして反撃する」
 佐藤昭夫早稲田大学名誉教授が講演し、「審問に入れば四党合意の意味が明らかになる。それを恐れて却下した」と都労委を弾劾。また、国労本部が闘う闘争団に「団結阻害者」という悪罵(あくば)を投げつけていることを批判して、「闘う闘争団は、四党合意による解決など阻害すべきだ。本部の言う解決を阻害することが、納得のいく解決の条件だ」と訴えた。
 そして、「四党合意撤回の地労委は、全国家権力を総動員しての国労つぶしに反撃する闘いだ。全労働者にとっても大きな意味がある。闘う闘争団と一体となって国労を再生させよう」と呼びかけた。
 申立人の国労組合員が登壇し、「労働者の救済機関である労働委員会が却下の暴挙を行った。きょうの集会を反撃の始めとしたい」「本部の圧力に屈せず、闘う闘争団とともに闘う」「ILO勧告に基づく百万署名は、闘争団を切り捨てるもので認められない」とそれぞれに決意を述べた。
 スタンダード・ヴァキューム石油自主労組の代表が今後の方針を提起し、都労委・中労委への大衆行動の強化と、支援する会の拡大を訴えた。
 参加者は、都労委却下決定を打ち返し、労働委員会闘争の一層の発展をつくり出す決意を固めた。

 労働委の役割放棄した暴挙

 今回の却下決定は、団結権擁護という労働委員会の本来の役割を投げ捨てる暴挙である。四党合意撤回の地労委闘争は、大阪、福岡で審問(実質的審理)が始まり、千葉でも審問開始が決定されている。しかし、都労委だけが権力の意思を体現して反動的な踏み込みを行ったのだ。
 四党合意は、「国鉄改革関連の訴訟の取り下げ」という形で五・二八反動判決への全面屈服を国労に迫っている。自民党・国土交通省・JRらは、「JRに法的責任なし」などというでたらめな言い分を押し通して、「JRに不当労働行為責任がある」とした労働委員会の命令を葬り去ろうとしたのである。この事態にどう立ち向かうのかは、労働委員会自身にも問われていた。だが、都労委は「自民党・国土交通省は国労組合員の使用者ではない」「JRは四党合意の署名者ではない」と言いなして、申し立てを切り捨てた。
 しかも、今回の決定は、労働委員会が積み重ねてきた「使用者概念の拡大」の地平をも自らぶち壊した。全産別を覆うリストラのあらしの中で、都労委は不当労働行為を容認するための資本「救済」機関へと決定的な変質を遂げつつある。
 いったんは審問に入るかのような姿勢を示していた都労委は、一・二七国労大会と三月十五日の四党協議(国労本部を呼び付けての訴訟取り下げの強要)に動揺し、自ら指定した期日も一方的に取り消して却下を強行した。都労委が自民党ら国家権力の介入に屈したことは明白だ。国労本部が都労委に圧力をかけていた事実も明らかになった。
 だが、都労委がいかなる決定を出そうとも、四党合意が不当労働行為であったという事実は消えない。闘う闘争団は、「四党合意はあくまでも認めない」と宣言し、解雇撤回・地元JR復帰まで闘いぬく態勢を固めている。この闘争団を支え、国鉄闘争の勝利を切り開くためにも、労働委員会闘争をさらに強めよう。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2004号2面3)

資本攻勢&労働日誌 4月3日〜16日
 ●採用差別に組合勝利判決
 ●国営企業ベアたった90円
 ●NTTが数万人追加削減
 緊急経済対策で首切り推進

●3日 連合がまとめた第1回地方賃上げ集計(加重平均、1797組合で約187万人)では、平均賃上げ5293円で前年比84円マイナス。
●5日 日経新聞集計の2001年春闘の賃上げ第一次調査によると、平均賃上げ率は1.94%で過去最低だった2000年実績にほぼ並ぶ水準に。2年連続で2%を下回った。
●6日 内閣府は、経済対策閣僚会議が同日発表した緊急経済対策を実施すると失業者が10〜20万人増える可能性があるとの見通しを明らかに。銀行の不良債権処理を促進した場合、貸出先企業が倒産したり、リストラを加速したりするためだ。
◇毎日新聞(7日付)に紹介されたニッセイ基礎研究所の試算によると、不良債権処理を22兆円行うと失業者が130万人、失業率は1.9ポイント増加するという。(要旨別掲)
◇厚労省は、「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき基準について」(基発339号)という通達を出した。使用者に対し始終業時刻の確認・記録などを行うよう求めている。
●12日 病院の経営を引き継いだ新法人が、前の病院で組合活動をしていた職員を採用しなかった事件で、東京地裁は「正当な組合活動を理由に採用しないことは許されず、不当労働行為にあたる」と判断した。5・28反動判決とは逆の画期的な判決。労働委員会が採用を命じたことも妥当とした。
◇連合は今年8月に開くサマー・トップセミナーに、初めて日本共産党を招待する。記者会見で笹森清事務局長が明らかに。
◇連合は中央執行委員会で5月の連休明けには公務員制度改革に関する基本方針案をまとめるとの考えを明らかにした。
●13日 郵政、林野、印刷、造幣の4つの国営企業は、加重平均でベア0.03%、90円(定昇込み1.96
%、5884円)の有額回答を労組に示した。昨年は120円(0.04%)だったが、これをさらに下回り100円を割った。
◇帝国データバンクの調査では、施行から1年間の民事再生法の申請数は804件。産業別では製造業の227件が最も多く、建設業、卸売業、小売業、サービス業の順だった。東京など大都市圏に集中。
●16日 3月29日厚労省が発表した2000年版女性労働白書(「働く女性の実情」)によると、雇用者総数に占める女性の割合が初めて4割に。また、女性パートの賃金は一般男女労働者の4割台と、大きな格差がついていることも明らかに。(日経夕刊)
◇NTTがグループ3カ年経営計画を公表した。東西地域会社の一部業務の分社化−転籍など、現在進めている2万7000人削減に加えて一層の人員削減を盛り込んでいるが、最大3万人と見込まれた削減数は明示されず。総務省は不十分だとして見直しを要求。

 ニッセイ基礎研究所の研究レポート
●遅々として進まぬ不良債権処理
 全国銀行のリスク管理債券額(2000年9月期)は31.8兆円に上る。2000年度上期の不良債権発生額は3.6兆円に及び、直接償却額の2.2兆円を上回って不良債権は増加している。
●直接償却に伴うデフレ圧力
 不良債権額の直接償却が行われると対象となる企業では再建のために労働者が半分に削減されると仮定して、2月の労働力調査を基準にすると、
・試算1:不良債権22.2兆円処理
 失業者448万人に(130万人増)
 失業率6.6%に(1.9ポイント増)
・試算2:不良債権63.9兆円処理
 失業者692万人に(374万人増)
 失業率10.3%に(5.6ポイント増)

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2004号3面1)

6月都議選必勝で小泉政権打倒せよ
小泉「改革」の正体は改憲と戦争、リストラ大失業だ
 「教育改革」粉砕決戦の爆発を

 四月二十四日に小泉純一郎が自民党新総裁に選出され、二十六日に小泉新首相が指名された。小泉新政権は日帝のかつてない危機の中で「改革」を掲げて登場したが、その正体は歴代自民党政権の中でも最も反動的な極右ファシスト的性格の政権である。それは教育改革・改憲と戦争、リストラ・大失業という反動に突き進む政権だ。革共同は「小泉新政権打倒」を宣言し、そのために全力で闘う。小泉新政権へ、そしてそのファシスト先兵=石原へ、全人民の怒りをたたきつけろ。教育改革粉砕決戦を軸に革命的大衆行動を大爆発させ、日帝の戦争と大失業の道を粉砕しよう。都議選決戦で自民党を全員落とし、けしば誠一候補の当選をかちとろう。

 日帝危機の中から登場した極右政権

 自民党総裁選は、テレビ・新聞などマスコミを総動員し、さらに小泉、亀井、橋本、麻生の四候補が全国で街頭演説を行うなどして行われた。これ自体が、支持率の超低落にあえぐ自民党の、六月都議選―七月参院選に向けた、死力を尽くした反革命的な巻き返しだった。
 その中で小泉が、「自民党を変える」「派閥の論理を打破する」などと「改革派」の装いをとって、大量の地方票を獲得して橋本、亀井、麻生に勝利した。
 小泉は、日帝と自民党支配体制の極度の危機の中で押し上げられた、きわめてファシスト的な性格をもった極右政治家である。二十四日の総裁就任記者会見で小泉は、「憲法九条を改正すべき」「いざという時に命を捨てる自衛隊に敬意をもつような憲法をもった方がいい」と公言した。歴代総裁の中で改憲を公言したのは異例のことだ。
 小泉の背後には中曽根や森が控え、自民党内の最も反動的な要素を前面化させ、これにファシスト石原が連携するというかつてなく極右的な布陣が敷かれた。この布陣で小泉新政権は、旧来型自民党政治の超反動的な現状打破をめざして、「つくる会」教科書・教育改革攻撃を突破口に、改憲と戦争、リストラ・失業という大反動の道を突き進もうとしている。
 小泉政権の反動性は、総裁選前日の二十三日に亀井との間で結んだ政策合意に明らかだ。その九項目を見よ! @緊急経済対策(四月六日発表)のすみやかな実行、A聖域なき構造改革、B教育基本法改正など教育改革、C集団的自衛権行使の可能性検討、D憲法改正を早期にめざす、E社会保障は「自助と自律」を基本とする――などなど。その一つひとつが、日帝のきわめて反動的な危機突破政策であり、階級決戦的な戦争への攻撃である。
 「構造改革」路線なるものは、大銀行・大企業救済のためのものであり、倒産とリストラ・大失業攻撃である。それは「平等主義に反対」というファシスト的スローガンをもってする、上からの階級決戦攻撃だ。小泉の持論である郵政民営化は、その最先端の攻撃である。
 「緊急経済対策」として打ち出された「不良債権処理の促進」や「銀行保有株式取得機構の設置」は、中小・零細企業などの倒産を続出させ、新たに百三十万人以上の労働者を失業させる。しかも銀行と大企業が発生させる損失は、政府が国家資金=税金を投入して埋め合わせるという、露骨な大資本救済策だ。
 こうした政策は今年度末で六百六十六兆円にも達する国と地方の借金をますます積み上げ、日帝の危機を絶望的に深めずにはおかない。日帝は結局、戦前のように国債の日銀引き受けに踏み切り、対米対抗のアジア侵略戦争、帝国主義間戦争にのめり込んでいくしかないのだ。
 「集団的自衛権の可能性検討」とは、亀井発言(「在韓だろうがどこだろうが、米軍が攻撃されたら武力行使に加わる」=四月十六日付読売新聞)が示すように、自衛隊が朝鮮・中国に侵略出兵し、戦争をすることを認めるということだ。
 さらに総裁選過程で小泉は、「つくる会」教科書の検定合格に韓国・中国政府が抗議したことに対して、「批判は自由だが、それに惑わされることはない」と開き直った。戦争犯罪人の東条英機らが「軍神」「英霊」としてまつられている靖国神社への参拝問題では「首相に就任したら、八月十五日にいかなる批判があろうと必ず参拝する」と発言した。
 このように小渕政権―森政権の自滅と破産の後を受けて成立した小泉新政権は、日帝の新たな絶望的凶暴化の姿である。それは、日帝の没落帝国主義化、歴史的破滅への道を一層加速する極反動政権だ。
 こんな小泉政権と自民党を許していたら、労働者人民は本当に戦争に動員されてしまう。今こそ自民党そのものを打倒しきるために全力決起しよう。

 自民党支配の終焉と大激動の始まり

 自民党総裁選が意味するもうひとつの重大なことは、自民党の内的崩壊が劇的に進んだことである。戦後長きにわたって政権政党として続いてきた自民党が、党内最大派閥=橋本派の大陥没という形をとってついに終焉(しゅうえん)の時を迎え、階級闘争はかつてない激動過程に突入したのである。
 今日の日帝の政治危機の核心は、日帝が九〇年代をとおして日米争闘戦の激化に根底から揺さぶられる中で、これに勝ち抜く強権的政治支配体制の確立に何度も挑戦しながら(九三年小沢の竹下派分裂、新党結成など)すべて挫折し、米帝の対日争闘戦重圧に敗勢を深めているところにある。
 内外する危機の中で、小渕政権の後を継いだ森政権もまた、KSD汚職、政府機密費疑惑など腐敗が噴き出し、恐慌過程へ対応無力をさらけ出して崩壊した。
 代わって登場した小泉の勝利の意味するものは、自民党内最大派閥として権力を駆使してきた橋本派の凋落(ちょうらく)である。橋本派は旧来の自民党のあり方の「改革」さえ打ち出すことができず、有力な総裁候補も立てられずに橋本で惨敗し、今や分裂と解体の危機に直面している。
 すなわち小泉新政権を階級的に規定するものは、田中―金丸―竹下―橋本―野中と続いてきた旧来型の日帝の支配のあり方の最後的破産であり、そこからの超反動的な現状打破の衝動なのである。日帝は、さらに危機的で強権的な政治権力を確立する以外に生き延びる道をもたない。その中で石原的なファシスト的現状破壊勢力が台頭し、戦争と反動の攻撃になりふり構わず突っ込んでくるのだ。
 労働者階級人民は、日帝の没落帝国主義化の危機と凶暴化を革命的に突き破り、左からの強力な現状打破をたたきつけ、革命と反革命の内戦的激突を、勝利に向かってとことん闘い抜こう。このような階級決戦として都議選決戦に総決起し、けしば候補の当選をかちとろう。

 都議選で自民党を一人残らず落とせ

 小泉極右政権の登場で、ファシスト石原との闘いがいよいよ重大化した。石原は日帝の日米争闘戦における敗勢に焦り、危機感を強め、「私はヒトラーになりたい」「経済活性化のためにミサイル開発を」「中国を分裂させよ」「北朝鮮を一撃で壊滅させよ」などと侵略戦争を賛美し、無責任な戦争挑発の言動を繰り返している。断じて許してはならない。
 野党は度し難い屈服ぶりをさらけ出している。民主党・菅は「小泉さんの言っている構造改革論は、民主党も賛成だ。問題は自民党にそれができるかだ」(四月二十二日)と小泉の超反動政策にもろ手をあげて賛成している。民主党は、小泉・自民党の応援団だ。
 日本共産党は「自衛隊の有事活用」論、「石原への是々非々」論を掲げ、戦争に突き進む日帝と石原への綱領的屈服を深めている。
 小泉新政権に対する労働者階級人民の回答は、革命的大衆行動の爆発による都議選決戦の勝利だ。戦争と教育改革=改憲に突き進む自民党政権とファシスト石原を打倒するために、革命的現状打破の力を示す都議選闘争を闘い抜こう。「つくる会」教科書採択阻止、教育改革粉砕・改憲阻止の闘いを大爆発させよう。
 けしば候補の当選を全力でかちとろう。この勝利こそ政治情勢に革命的衝撃を与え、労働者階級の闘いの前進を切り開くのだ。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2004号3面2)

杉並区議会 給食・教科書で追及
 文教委でけしば区議

 四月二十日、杉並区議会文教委員会が開かれ、けしば誠一区議は学校給食民間委託と教科書採択問題で質問に立った。
 学校給食問題では、区民・労働者の闘いで四月実施を粉砕した地平に立ち、区側が九月実施を計画していることを追及した。けしば区議は、民間委託が調理労働者の強制的な転職=首切りを狙うものであり、また給食の教育性・安全性を犠牲にして「スマートすぎなみ」=一千人削減計画の突破口とするものであることを厳しく弾劾した。
 区側の説明で、「五月に委託業者選定、六月二十日ごろに委託校選定(小学校二校、中学校一校)」の計画が明らかにされた。さらに、保護者全体にあらためて説明会を行えという要望に対しては、「区民の理解が進んでいるので、全体の説明会をするつもりはない」と居直った。傍聴の区民からは「(理解は)全然進んでないわ!」と怒りの声が飛んだ。区当局は区民の怒りがたたきつけられることを恐れているのだ。
 さらに、「民間委託される三校の調理士さんは九月からどうなるのか」と追及すると、区側は「正規職員は異動、非常勤(パート)職員は、雇用契約の範囲内で考える」とあいまいな回答に終始した。けしば議員は、非常勤職員に犠牲を押しつけることのないよう強く要求した。
 また、教科書採択問題について、けしば議員は、韓国国会議員が「つくる会」教科書の検定合格に抗議し日本国会前でハンストを行ったこと、韓国民団杉並支部が勝共連合系人物の教育委員への任命問題で杉並区に抗議したことなどをただし、歴史歪曲と侵略戦争賛美の「つくる会」教科書を絶対に採択してはならないと区側に迫った。
 区側は、「選定にかかわる意見は言えない」「要綱にしたがって進めていく」などと逃げの答弁に終始した。昨年三月に改悪された杉並区の「教科用図書採択要綱」は、学校票や「絞り込み」など現場教員が教科書を選ぶ方法を改悪し、教育委の一存で選定ができるようにしたものである。山田宏区長は、この選定制度改悪と教育委員の入れ替えで「つくる会」教科書の採択を狙っているのだ。けしば区議は、これと真っ向から対決して闘い抜いた。
 「つくる会」教科書の採択に反対する区内保護者の署名運動が始まった。呼びかけにこたえ、戦争を賛美する「つくる会」教科書粉砕のうねりをつくり出し、六月都議選に勝利しよう。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2004号3面3)

2001年卒入学式 「日の丸・君が代」闘争

 「命令より話し合い」 旗も歌も式に入れず 千葉 教育労働者 大川直子

 千葉県の高校における卒業式では、産経新聞の攻撃をはね返し、職員と生徒・父母や地域の人びとが連帯した取り組みを今まで以上に深めた。特に生徒たちの頑張りが際立った。
 昨年、産経新聞は、公立の高校八校を名指しで「国旗・国歌」が実施されていないと報道した。県教委は、十二月にこの八校の校長に口頭で職務命令を出し、今年の一月に県内の全公立高校長に「国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について、学習指導要領に基づき実施するように」と通知を出してきた。
 八校のうち、昨年内に職員会議を開き、今までどおり(「日の丸」も「君が代」もなし)と決議した学校があり、また、校長が職務命令や通知を理由にした強行姿勢を押しつけてきても、職員会議で通らなかった学校もあった。
 特に、東京に近い地域の三つの高校では、今までの「日の丸・君が代」なしの卒・入学式を、教育労働者だけでなく、生徒も「自主・自立」の活動として企画・運営してきた。ところが今年は、「職務命令」を理由にして、校長が生徒たちの「卒業式要望書」や職員会議の採決を受け入れようとしなかった。生徒たちは何度も校長と話し合ったが、平行線が続いた。
 二月十四日、三校の生徒たちは共同で、「卒業式に国旗・国歌は必要か」という議論をしてつくり上げた「要望書」が職務命令を理由に受け入れられないのは、学校自治の仕組みが否定されることだとして、職務命令の撤回を求める請願書を県教委に出した。
 また、教育労働者たちも゛「日の丸・君が代」強制反対″の集会を開いた。特に千葉高教組主催の「日の丸・君が代」強制反対県民集会が二月二十五日に開かれ、六百人が参加した。これに先立ち、千葉高教組は、二月十八日に゛「日の丸・君が代」の強制に反対します″の意見広告を読売新聞に載せた。
 そして三月七、八日の卒業式当日、「命令よりも話し合いを」と生徒たちがずっと話し合いを続けた結果、三校とも式場内に「日の丸」はなく(職員玄関や屋上などに掲げられた)、「君が代」は式の始まる前に流されたが、生徒はまったく入場していなかったり、入っていても式の準備のために少数だった。職員会議で校長側に押し切られたところでも、式当日はさまざまな工夫で闘われた。ある学校では、百万人署名運動の人びとが「日の丸・君が代」強制に反対するビラをまいた。右翼の街宣車が現れたところもあった。
 三月、上記三校では多くの組合員が異動し、入ってきた職員は未組合員が多かった。この中で四月七日、入学式が行われた。入学式では、生徒たちの出席は新入生のみという学校もあるが、「日の丸」は式場外の屋上や職員玄関に出したり、「君が代」は式の始まる前に流したりした。何度も話し合いを続けた生徒や職員、父母のねばり強い闘いが、「日の丸」を式場外にし、「君が代」を式の中に入れなかったのだ。

 組織的抵抗を実現し生徒・保護者も決起 神奈川 教育労働者 原口 誠

 神奈川においても文科省の指導を受けた県教委が、県立高校の校長や地教委を何度も呼びつけ、百パーセント実施を強制しました。
 ついに、県立高校に職務命令が出されました。これは私たちの闘いに追いつめられた行政権力の焦りであり、私たちにとっては有利な情勢です。自民党が「強制しない」と言ってきたことは真っ赤なウソであることが一層暴露されました。
 職務命令を受けた教職員は、「命令に従った」が「教え子を再び戦場に送らない」という意識は一層高まり、直ちに抗議行動に立ち上がることをとおして、団結を強化しています。保護者・地域住民も行政に対して怒りと危機感を持つとともに、闘う教職員への連帯感が芽生えて、生徒の決起が始まっています。
 恐るべきは命令や処分ではなく、職務命令を恐れ、あらかじめ抵抗を放棄し、進んで「日の丸・君が代」を実施すること。それは、上からの指示に従う学校と社会がつくられていくことです。そこにクサビを打ち込み、反対の意志を表示し続けることこそ、教師の責任ではないでしょうか。
 小中学校でも、各地教委は百パーセント実施方針で臨みました。これに対して教組執行部は、組織的な抵抗線をなんら組織させず、闘いは各分会にゆだねられました。執行部が一部地区においては闘いを抑えにまわるという状況の中、闘う分会は最後まで団結を守りながら、保護者・地域へのビラまき、リボン着装・不起立・不斉唱・抗議行動など、断固とした抵抗闘争を貫きました。「百パーセント実施」の内実は、権力意志とはかけ離れたものになりました。
 私たちの地区でも、教委は校長に百パーセント実施に向けた指導をくり返しました。校長が「起立・斉唱」の方針で臨んだことに対して、いくつかの分会が、決着を焦ったり、あきらめたりする中で闘争の乱れも生じました。
 私たちは、組合員に呼びかけ総決起集会を開催し、最終局面まで「組織的抵抗を構える方針」を確認し、ねばり強く最後まで闘いました。その結果、職場の団結を貫きつつ、六年生と教職員全員が不起立・不斉唱、保護者も大半不起立など、児童・保護者との信頼関係を形成して最後まで抵抗を貫き勝利した分会を始め、相当数が全員着席などをかちとりました。
 特に、「教え子を再び戦場に送らない」「過ちは二度とくり返さない」観点で平和教育を日常化し、その結果、全員の児童・生徒が主体的に決起し、不起立・不斉唱を選択したこと、しかもその実践が保護者の支持を受けて、保護者の同様な決起を生み出したことは、重大な勝利でした。
 職場のねばり強い闘いによって運動方針が守られ、仲間に受け継がれ、在日朝鮮人を始めとする闘うアジア人民との連帯につながっていることを再確認する必要があります。日教組運動の再生も展望できる新たな確信を得ました。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2004号3面4)

 改憲阻止決戦シリーズ
 今、問い直す侵略と戦争への歴史
 第1部 第二次世界大戦 (3)

 ソ連参戦の犯罪的役割
 スターリン主義が戦争を促進

  一国社会主義論

 第二次大戦は、帝国主義戦争を主導軸とした戦争であったが、同時に、この戦争過のうちにソ連スターリン主義を暴力的に包摂することで、帝国主義とスターリン主義の国際戦争―世界戦争へと発展した。
 このソ連スターリン主義参戦の反革命性、反動性、犯罪性は、どれほど強調してもし過ぎることはない。
 スターリンは、一国社会主義論によって世界革命を裏切り、コミンテルンを中心とする国際共産主義運動をソ連防衛の運動にねじ曲げ、ソ連の外交政策に従属させ、その道具とした。
 ロシア革命を引き継ぐべきヨーロッパ革命の敗北、遅延の結果、帝国主義の迎えた二〇年代の相対的安定期に、スターリン主義的に変質したソ連は、帝国主義との平和共存政策を追求してきた。
 スターリン主義は、帝国主義打倒の階級闘争と民族解放闘争を抑圧するために、ファシストとの正面対決を避けて〈社民主要打撃〉論を押し出す「社会ファシズム論」を、えせ階級闘争激化論として強調した。二九年世界恐慌による内乱と内戦の三〇年代に直面して、ソ連スターリン主義は、これを世界革命情勢の再来ととらえるのではなく、社会ファシズム論による誤った指導によってドイツ労働者階級のヒトラーへの敗北をもたらした。
 その結果登場したナチス政権が現実の脅威となるや、ソ連は三〇年代半ばには親イギリス・フランス政策に転じ、三五年をもって「民主的ブルジョアジー」や社会民主主義者との反ファシズム統一戦線を内容とする「人民戦線戦術」を主張するに至る。この戦術によって、スペイン内戦における労働者の工場占拠闘争、農民の土地占拠はプロレタリア革命への発展をもたらすものとして鎮圧され、その結果ファシスト・フランコが登場するのにスターリン主義者は手を貸すことになった。
 三八年九月のミュンヘン協定で英仏がナチス・ドイツに宥和(ゆうわ)的な態度をとったことから、ヒトラーの東欧侵略は一層凶暴に進行した。スターリンは、親英仏政策の継続はドイツとの正面対決を不可避とするという判断から、ついに三九年八月二十三日独ソ不可侵条約を締結するに至ったのである。
 これを合図に同年九月、ドイツとソ連は東西からポーランドに侵略した。独ソ不可侵条約の秘密協定で、独ソ間でポーランドを分割すること、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)のソ連への併合を取り決めていたのだ。
 独ソ不可侵条約によるソ連の外交政策の転換は、三〇年代中期から人民戦線戦術による誤った指導のもとでではあったが反ファシスト闘争と反戦闘争を展開していた各国のプロレタリア運動に衝撃を与えた。
 要するにソ連は、帝国主義間戦争―帝国主義世界戦争が不可避となった情勢のもとで、対立する帝国主義の二つのグループの一方の側から他方の側へ乗り換え、ドイツと協商し、ドイツの侵略戦争を容認して世界戦争の爆発を促進したばかりか、自ら軍事行動をもって自国の周辺諸国を併合し、一国社会主義防衛のための緩衝地帯にするという反労働者的な対応に走ったのである。

 英米との連合へ

 ところがソ連は、四一年六月にドイツから全面攻撃を受け、一転して再び英米に接近した。英米は、あわよくば独ソが共倒れになることを望んで対独戦力としてソ連を利用しようとした。こうして英米ソの連合が形成された。
 他方、日本との関係では四一年四月に日ソ中立条約を締結し、東方の脅威を緩和し、ヨーロッパに集中する体制をとった。これは日本にとっては北方の脅威をなくし、南進と日米戦争への道を開くものとなった。
 こうした合従連衡によって、ソ連スターリン主義は帝国主義の侵略戦争―帝国主義間戦争の中に組み込まれ、帝国主義の二陣営の一方の側で戦うことになったのである。それも単に巻き込まれたというものではなく、対抗的に積極的に一方の翼として、世界大戦を促進したのである。
 独ソ戦争でソ連は二千万人を失った。この膨大な犠牲の上に、米英は他帝国主義を打倒し、ソ連自らも延命した。
 また、その「社会主義」の内実は、世界革命への敵対と一国社会主義建設の自己目的化のもとでの、千万人以上の粛清、シベリアの囚人労働、被抑圧諸民族抹殺の反人民的圧政だった。

 戦後の東西分割

 チャーチル、ルーズベルト、スターリンの英米ソ三国首脳は、一九四五年二月、ソ連クリミア半島のヤルタで会談し、戦後の世界支配について協議した。ドイツの東西分割、東欧勢力圏化、ソ連の対日参戦などを規定したヤルタ協定が結ばれた。これは、戦後世界体制が帝国主義とスターリン主義の世界分割支配として形成される出発点となった。
 ヤルタ会談当時、敗勢にあったドイツのみならず、英仏も敗戦国並みに疲弊しており、欧州へのソ連軍の進出範囲をできるだけ限定することが英米帝国主義にとっての最重要課題だった。東欧諸国の緩衝国化(のちにソ連がスターリン主義化)、西欧諸国と日本におけるプロレタリア革命の圧殺は、ソ連スターリン主義が英米仏帝国主義と共存していくための譲歩、取引政策だった。このように帝国主義とスターリン主義は、パワーポリティクスの論理と行動として世界を再分割していったのだ。

 日共の歴史総括

 日本共産党は、第二次大戦を「民主主義とファシズムの戦争」と評価する。彼らは、ソ連スターリン主義が帝国主義との合従連衡策で二転三転したこと、各国の革命運動を圧殺したこと、反ナチスのレジスタンスを見殺しにしたことなどをまったく無視抹殺し、ただただ英米ソの連合を「反ファッショ連合勢力」として美化している。
 それはスターリン主義としての自らの居直りであると同時に、米帝を「解放軍」として歓迎し戦後革命を圧殺した自らの歴史を開き直るものである。

 

年表 第2次大戦とソ連
1938.8
 コミンテルン、ポーランド共産党の解散を決定
1939.8
 独ソ不可侵条約締結
9
 ソ連のポーランド進攻(ドイツに呼応)
10
 ソ連軍がバルト3国に進駐
11
 ソ連がフィンランド侵略
1940.7
 ソ連の圧政下でバルト三国議会がソ連加盟決定
9
 ディミトロフが反ファシズム方針の放棄を宣言
1941.4
 日ソ中立条約締結
6
 独ソ戦争始まる(ドイツのソ連への奇襲)
9
 英米ソ3国代表がモスクワ会議
1942.11
 スターリングラードでソ連の大反攻始まる
1943.5
 コミンテルン執行委員会が解散を提案
10 
 モスクワで英米ソ三国外相会議
11
 テヘラン会談(英米ソ首脳会談)
1944.10
 チャーチル・スターリンがモスクワで会談
1945.2
 ヤルタ会談(英米ソ首脳会談)
7
 ポツダム会談(英米ソ首脳会談)
8
 ソ連が対日参戦
  (高田隆志)

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2004号4面1)

こんな教科書を使わせてはならない 歴史歪曲と戦争賛美と皇国史観
 「つくる会」教科書採択阻止へ

“戦争を裁くな”と戦争犯罪を居直る

  歴史的な事実を抹消し美化狙う

 「つくる会」歴史教科書の冒頭には「歴史を学ぶとは」と題して、次の三つの文章がある。
 @「歴史を学ぶのは過去の事実を知ることではない。過去の人が過去の事実についてどう考えていたかを学ぶことだ」
 この言葉は「つくる会」が過去の歴史的事実をいかに恐れているかを自認するものであり、過去の事実を教えないために登場した教科書であることを公言したものだ。
 「過去の人がどう考えていたか」と言うが、そこには侵略されたアジア人民、暗黒支配下の労働者人民は存在しない。その反対に、侵略者・弾圧者であった当時の日帝支配階級の「考えていたこと」だけを歴史として教え、侵略と戦争の歴史のすべてを正当化し賛美しようとしているのだ。
 A「歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない」「歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよう」
 これは「つくる会」歴史教科書の狙いを示す言葉である。そもそも「つくる会」の大目的は、歴史教科書から南京大虐殺、軍隊慰安婦、七三一部隊、強制連行などの侵略の具体的事実の記述を抹殺することである。日帝の植民地支配責任・戦争責任を追及するアジア人民、それと連帯した日本人民の闘いをたたきつぶすために登場したものなのだ。
 日帝の過去の侵略と戦争を裁くな、批判するな、反省するなと強弁し、居直り肯定することが、この教科書の目的なのである。
 B「歴史は民族によって、それぞれ異なって当然かも知れない。国の数だけ歴史があっても、少しも不思議ではないかも知れない」
 ここでは、歴史を学問でも科学でもなく、世界中どこでも通用するものでもなく、日本の中だけで通用する自己中心的なものにすると言っている。何のためにこんなことを言うのか。天皇制を賛美し、神話を歴史としてまかり通らせるような教育は世界のどこでも通用しないからだ。そのことを自覚した上で、“日本だけの歴史゜をつくろうと言っているのだ。
 戦前の学校教育は、つくり話にすぎない天皇神話を歴史的事実として教え、デマをそのまま暗唱させた。そのことによって、「天皇陛下万歳!」と言って戦地に赴くことのできる兵士を育てた。
 「つくる会」教科書はその再現をめざし、新たな侵略戦争に向けた愛国主義と排外主義の「皇国史観」教育、「天皇に忠実な兵隊」をつくる戦前式教育を復活させようとしているのだ。

 戦争責任追及に追いつめられて

 一九九〇年代、歴史教科書における侵略戦争の記述は、日本軍軍隊慰安婦政策、南京大虐殺、強制連行の記述が増えるなど、一定の改善を見せてきた。とりわけ九七年度以降使われてきた中学用歴史教科書では、全社で日本軍軍隊慰安婦政策が掲載された。
 その背景には、朝鮮・中国―アジアの、日本軍軍隊慰安婦とされた人びとを始め多くの戦争犯罪の被害者・遺族からの日帝に対する告発・糾弾の闘いと戦後補償裁判の提訴があり、また教科書執筆者の取り組みや教育労働者の闘いがあった。
 これに対して九五|九六年以降、「自由主義史観研究会」(代表・藤岡信勝)などの勢力が攻撃を始めた。教科書の日本軍軍隊慰安婦や南京大虐殺の記述を「反日的・自虐的・暗黒的」と非難し、教科書から排除せよと叫んで運動を展開した。
 九七年には「新しい歴史教科書をつくる会」(会長・西尾幹二)を結成し、以降、産経新聞、自民党の国会・地方議会議員や右翼諸団体、宗教団体などとの組織的な協力を進行させ、独自の教科書作成と教科書採択運動を展開してきた。
 そして今、戦争翼賛の「つくる会」教科書が登場した。この攻撃の背景には明らかに、日帝中枢から噴きだす侵略と戦争、改憲への激しい衝動がある。
 とりわけ九七|九八年恐慌と日帝の没落帝国主義化の危機、九七年日米安保新ガイドライン調印―九九年周辺事態法制定をとおした「戦争をする国家」への反革命的踏み切り、世界大恐慌の本格化と日帝の体制的危機という問題がある。
 今、戦争と改憲=戦争国家化以外に延命できないところに追いつめられた日帝は、日本労働者人民総体への階級決戦として教育改革攻撃をかけてきているのだ。
 今、日本の労働者人民の決起が問われている。「つくる会」教科書採択を絶対に阻止しなければならない。南朝鮮・韓国を始めとするアジア各地で猛然たる糾弾の闘いが巻き起こっている。日帝の戦争犯罪の生き証人であり、民族解放闘争の主体である日本軍軍隊慰安婦を始めとする戦争被害者と遺族がその先頭に立っている。
 この闘いと連帯してわれわれが総決起するならば、必ずや日本人民の階級的魂を揺り動かし、アジア人民と連帯した壮大な国際主義的共同闘争を切り開くことができるのだ。
 極右小泉、そしてファシスト石原都知事や山田杉並区長と真っ向から対決し、街頭・地域で、職場・学園でとことん討論を巻き起こし、「つくる会」教科書の七月採択を絶対に阻止しよう。

 侵略の加害事実の抹消

 台湾・朝鮮の植民地支配は民族を抹殺する攻撃だった

 日帝・文部科学省は「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史と公民の中学教科書を検定合格させた。それは日帝のアジア再侵略戦争宣言である。アジア人民の怒りの決起にこたえ、連帯して、「つくる会」教科書を弾劾し、採択を阻止しなければならない。「つくる会」歴史教科書の際だった特徴は、日帝の戦争犯罪の事実や被害者数などに関する記述が、全編をとおしてただの一カ所もないことである。検定意見により加筆した個所でも「これまでの歴史で、戦争をして、非武装の人々に対する殺害や虐待をいっさいおかさなかった国はなく、日本も例外ではない」と抽象的に記すのみで、日本の戦争犯罪それ自身を抹殺している。その一方で、他国の戦争犯罪は具体的人数をあげて記している。ここに彼らの致命的な弱点と犯罪性がある。ついに登場した歴史歪曲・戦争賛美・皇国史観の教科書を絶対に教室で使わせてはならない。東京・杉並で七月採択阻止の大運動を巻き起こせ! 都議選必勝をかちとろう。
台湾・朝鮮の植民地支配は民族を抹殺する攻撃だった
 まず、日帝の戦争犯罪の中でも決定的な台湾と朝鮮に対する植民地支配についてどう記述しているか。
 「一八九五年、日清両国は下関条約を結び、清は朝鮮の独立を認めるとともに、日本政府の財政収入の三倍に当たる賠償金三億円を支払い、遼東半島と台湾などを日本に割譲した」
 日帝が一八九五年から一九四五年まで、実に五十年間にわたって台湾を植民地支配したという事実そのものを消し去っている。
 では朝鮮の植民地化についてはどうか。
 「日本政府は、韓国の併合が、日本の安全と満州の権益を防衛するために必要であると考えた。……こうして一九一〇(明治四三)年、日本は韓国内の反対を、武力を背景におさえて併合を断行した(韓国併合)」
 あたかも「日本の安全と満州の権益を防衛するために必要」な防衛的行動であったように描きあげるとんでもない主張だ。(当時日帝は、日露戦争によりロシアから中国東北部の鉄道の権益を獲得し、南満州鉄道株式会社を設立して勢力拡大を進めていた)
 植民地支配は、民族そのものの圧殺であり、あらゆるものを奪い去り、隷属させるものである。台湾と朝鮮への植民地支配とは、アジアにおける後発帝国主義としての日帝が、欧米帝国主義に伍してアジア勢力圏化を推し進めるために強行したものであり、中国全面侵略戦争と東南アジア侵略戦争の出撃拠点とするためのものであった。この歴史を消し去ることなど、絶対に認められない。
 次に、植民地支配の実態をいかに記しているか。
 「韓国併合のあと、日本は植民地にした朝鮮で鉄道・潅漑(かんがい)の施設を整えるなどの開発を行い、土地調査を開始した。しかし、この土地調査事業によって、それまでの耕作地から追われた農民も少なくなく、また、日本語教育など同化政策が進められた」
 検定意見により「耕作地から追われた農民」「日本語教育など同化政策」の言葉がつけ加えられたが、その前段に「鉄道・潅漑の施設を整えるなどの開発」をもってくることで、「日本の植民地支配は韓国に恩恵をもたらした」論にまとめあげようとしている。
 日帝は植民地支配によって、台湾人民・朝鮮人民に何をもたらしたのか。
 そもそも一九一〇年八月の韓国併合自身、日本軍と警察隊がソウル市内を制圧する中で、強制的に調印されたものだ。同年十月の朝鮮総督府の設置に先立って、新聞は廃刊、集会・結社は禁止、一万六千三百人の憲兵や巡査が展開して、朝鮮全土は永続的な戒厳令下に置かれた。朝鮮総督府の総督は司法、行政、立法の三権を掌握し、天皇に直属するという、暴力的な天皇の直轄支配だった。
 一〇〜一八年に「土地調査事業」を実施、全農民の八〇%近くが土地の所有権を奪われた。奪い取った土地の多くは朝鮮総督府の所有となり、日本人に安く払い下げられた。朝鮮人民の生活は破壊され続けた。
 三七年の日中戦争開始以降は、朝鮮人を完全に「皇国臣民化」させるための「内鮮一体」を提唱した。三八年三月には朝鮮語を正課からなくし日本語の常用を強要。四〇年二月には「創氏改名(名前を奪って日本名を強制)」を実施し、応じない人には官憲や教師を総動員して脅迫や圧力を加えた。
 これらは朝鮮人民の抵抗闘争を武力で押さえつけ、民族の独立を奪い、民族の尊厳を奪い、生活を破壊し、生命まで奪った残虐な支配であった。しかし一九年三・一独立運動に代表されるように、朝鮮人民の民族解放闘争は日帝の敗戦までやむことはなかった。

 強制連行の実態

 こうした中で、台湾人民・朝鮮人民を日本国内と日本の侵略戦争の最前線に連れ去った強制連行が強行された。「つくる会」教科書には、「強制連行」という言葉はない。検定意見によって、以下の文が書き加えられただけである。
 「徴用や徴兵などは、植民地でも行われ、朝鮮や台湾の多くの人々にさまざまな犠牲や苦しみをしいることになった。このほかにも、多数の朝鮮人や占領下の中国人が、日本の鉱山などに連れてこられて、きびしい条件のもとで働かされた」
 ここでも、「多くの人々」「さまざまな犠牲や苦しみ」などと、事実を消し去ろうとしている。
 だが強制連行の実態はどうだったのか。三九年に「国民徴用令」を公布した日帝は、四五年八月までに炭坑、金属鉱山、軍需工場、土建業、港湾運輸などに約百五十万人の朝鮮人を強制連行して強制労働させた。四四年には朝鮮に徴兵制を敷き二十三万人を戦場に動員し、最前線の労働に軍属として十五万人以上の朝鮮人を動員した。それは「深夜や早暁、突如男手のある家の寝込みを襲い、或は田畑で働いている最中にトラックを廻して何げなくそれに乗せ、かくてそれらで集団を編成して北海道や九州の炭坑へ送り込む」(鎌田沢一郎『朝鮮新話』)というものだった。
 台湾人も、台湾総督府の資料だけでも南方各地に九万二千七百四十八人、日本国内に八千四百十九人を動員した。戦時下における人狩りは朝鮮、台湾から中国大陸にまで及んだ。
 強制連行された朝鮮人・中国人は、極限的な暴力支配のもとで酷使され、死亡した人びとも数知れない。こうした中で朝鮮人・中国人は、四五年六月の秋田県花岡鉱山・鹿島組出張所での中国人六百人の蜂起に代表されるように、文字どおり命がけの決起を続けた。
 この強制連行の結果、四五年八月の敗戦時、日本にいた朝鮮人は約二百六十万人、台湾人を含む中国人は約十万人に及んだ。

 軍隊慰安婦政策

 この教科書が押し隠そうとしている重大事実の中でも最大のものは、日本軍軍隊慰安婦問題だ。そもそも「つくる会」は、日帝の植民地支配責任・戦争責任を追及するアジア人民の不屈の糾弾闘争への憎悪が原動力となった運動である。
 九一年の金学順さんの決起を皮切りに、全アジアで日本軍軍隊慰安婦とされた女性たちが陸続と決起、その闘いの中で、九七年度から使われた歴史教科書では七社すべてに「従軍慰安婦として強制的に戦場に送り出された若い女性も多数いた」などと記述された。これを粉砕するために結成されたのが「つくる会」だ。
 「つくる会」歴史教科書の検定合格の運動と一体のものとして進められた政府・文部省、自民党の教科書内容への介入により、今回検定に合格した他の教科書でも、日本軍軍隊慰安婦については、七社中四社が全面削除し、記述した三社のうち二社は「慰安婦」の言葉を使わなくなった。このことを「つくる会」会長西尾幹二は「運動の成果」と誇っている。
 日帝の戦争責任を追及し闘う生き証人としての日本軍軍隊慰安婦の存在そのものの抹殺が、「つくる会」運動の核心的狙いなのだ。
 では、日本軍軍隊慰安婦政策とは何であったのか。
 日帝は、憲兵や警察によって暴力的に連行し、あるいは稼ぎ口があるとだまして連行し、二十万人とも推定される女性が日本軍軍隊慰安婦とされた。日本軍の侵攻に伴ってアジア・太平洋全域に設置された慰安所には、朝鮮・台湾から十歳そこそこの少女たちも強制連行され、想像を絶する虐待を受けたのである。女性たちの圧倒的多数は戦場から生きて帰ることもできず、生き延びることのできた女性たちも戦後沈黙の中で苦痛に満ちた半世紀を強いられた。
 日本軍軍隊慰安婦政策とは、日帝によるアジアの被抑圧民族に対する組織的国家犯罪であり、その本質は朝鮮・中国・アジアの他民族抑圧・抹殺政策そのものであった。この残虐な戦争犯罪の事実を消し去ることを、日本人民の階級的・国際的責務として、絶対に許してはならない。

 中国人民30万人を殺害した南京大虐殺は消せない史実

 日帝は台湾と朝鮮を足場に敗戦の四五年まで凶暴な侵略戦争を継続した。三一年柳条湖事件、三二年「満州国」なる日帝のかいらい政権のデッチあげ、三七年七月七日の盧溝橋事件(関東軍が「兵士が行方不明になった」とデッチあげて中国軍を攻撃)から中国全面侵略戦争に突き進んだ。そして四一年十二月八日には日米戦争に突っ込み、また同日、東南アジア侵略戦争に突進した。
 この「十五年戦争」における日帝の戦争犯罪を抹殺する主張について、最大の攻防点である南京大虐殺にしぼって見ていきたい。
 「つくる会」教科書では、南京大虐殺に関する記述が二カ所ある。
 「(三七年)十二月、南京を占領した。(このとき、日本軍によって民衆にも多数の死傷者が出た。南京事件)」
 「この東京裁判では、日本軍が一九三七(昭和一二)年、日中戦争で南京を占領したとき、多数の中国人民衆を殺害したと認定した(南京事件)。なお、この事件の実態については資料の上で疑問点も出され、さまざまな見解があり、今日でも論争が続いている」
 後者は、「今日、この裁判については、国際法上の正当性を疑う見解もある」として、大虐殺の事実そのものに疑問をはさみ、否定している。
 南京大虐殺をめぐっては、右翼勢力が一貫して「南京大虐殺はまぼろし」と主張し、その事実を抹殺しようとしてきた。現都知事の石原慎太郎も、その先頭に立ってきた人物だ。しかし中国人民の告発と闘いによって、また多くの人びとの真相究明の取り組みによって、「南京大虐殺否定論」は完全に粉砕されてきた。にもかかわらず「つくる会」教科書は正面から「南京大虐殺否定論」を主張しているのだ。
 南京大虐殺は、まさに世界史的にも類例を見ない戦争犯罪であり、帝国主義戦争の残虐の極致を示したものであった。それは三七年十二月十三日の南京城攻略をはさんで、十二月初めから三八年三月まで三カ月以上におよぶ、中国の投降兵・捕虜と一般市民の無差別大量虐殺であり、さらに市民に対する強姦(ごうかん)、暴行、略奪・放火の全体をさし、犠牲になった人は二十万人をはるかに超え、三十万人にもおよぶ。
 まず捕虜の組織的殺害が行われた。日本軍が十二月十三日に南京城を攻略した時には、十万人近い中国兵が逃げ遅れて投降した。それに対し日本軍は「事変だから戦時国際法は適用しない」と組織的に殺害した。日本側資料で明らかになっているだけでも第一六師団は二万四、五千人の捕虜を「片づけ」、山田支隊は幕府山付近で一万四千七百七十七人を捕虜にして揚子江岸で射刺殺した。第九師団は六千六百七十人を「処断した」。ほかにも資料に残っている捕虜の殺害は多くある。これだけでも数万人が殺害された。
 さらに市内掃討と集団処刑である。日本軍は「軍人が軍服を脱いで便衣(平服のこと)に着替えて市内に潜伏している」として、「便衣兵の剔出(てきしゅつ)」の名で、青壮年を片っ端から処刑した。この数は日本側の記録によってだけでも一万五千人をこえ、南京城外も加えればはるかにふくれあがる。
 さらに非戦闘員である一般市民への残虐行為、とりわけ女性に対する強姦殺人である。日本軍は女性を見つければ年齢を問わず片っ端から強姦し殺害、さらに子どもも高齢者も片っ端から皆殺しにした。一般市民の死者数を正確に数えることは不可能だが、当時の南京安全区の国際委員会の委員長ラーベ(ナチス党支部長)が、城内だけでも「五万か六万くらい」と報告している。一般市民の被害は市内よりも周辺農村部の方がはるかに多い。
 「つくる会」教科書は、修正前の申請本では、「当時の資料によると、そのときの南京の人口は二十万人で、しかも日本軍の攻略の一カ月後には、二十五万人に増えている」と記していた。しかし実際には、南京戦が始まる前の南京の城市部の人口は百万を超え、近郊県部の人口は百三十万以上であった。さらに南京攻略の時には、南京防衛軍の約十五万人の兵士が加わっていた。「人口は二十万人」というのは、南京大虐殺の事実を覆い隠すためのデマである。
 しかも南京大虐殺の犠牲者数を示すものとして、南京で犠牲になった人びとの遺体埋葬記録がある。慈善団体などが虐殺され放置された遺体を埋葬した数を記録している。「世界紅卍会南京分会」が合計四万八千七十一体、「崇善堂」が合計十一万二千二百六十七体、「中国紅十字会南京分会」が南京周辺で二万二千六百七十一体、「南京自治委員会」(日本軍のかいらい機関)の衛生局が一万七百九十四体である。これらの中には、いったん埋葬したものを改めて埋め直したために重複している数はあるかもしれないが、いずれにせよおびただしい数であることは間違いない。
 南京大虐殺とは絶対に消すことのできない史実である。「つくる会」教科書がこの事実を消し去ることを絶対に許してはならない。

 「アジアを解放」「自存自衛」と日帝の侵略戦争全面肯定

 以上のように「つくる会」教科書は、歴史の事実を徹底的に抹殺し、歪曲し、ねつ造している。その目的はただ一つ、「日本の戦争はアジア解放と自存自衛のための正義の戦争だった」と描くことにある。
 「つくる会」教科書は、四一年十二月真珠湾攻撃による対米開戦について「日本の戦争目的は、自存自衛」であったとするために、次のように記している。
 「アメリカ、イギリス、中国、オランダの諸国が共同して日本を経済的に追いつめるABCD包囲網が形成された」「(四一年)十一月、アメリカのハル国務長官は、日本側にハル・ノートとよばれる強硬な提案を突きつけた。ハル・ノートは、日本が中国から無条件で即時撤退することを要求していた」
 いずれも“アメリカに追い込まれた結果の自存自衛の戦争だった゜と日帝の戦争を正当化しようとする。
 しかしはっきりさせるべきことがある。日米戦争|第二次大戦は、レーニンが『帝国主義論』において第一次大戦について記したのとまったく同じく、「どちらの側から見ても帝国主義戦争(すなわち、侵略的、略奪的、強盗的な戦争)であり、世界の分けどりのための、植民地や金融資本の『勢力範囲』等々の分割と再分割とのための戦争」だったということだ。
 当時世界は、世界大恐慌と大不況にあえぐ各国帝国主義が、生き残りをかけて植民地・勢力圏の排他的な囲い込みに入り、世界経済が完全にブロック化していた。ドイツ、日本などの後発帝国主義は、生き残るためには侵略と膨張を必要とした。日本の「大東亜共栄圏」構想は、帝国主義間争闘戦で生き残るための勢力圏化攻撃であった。
 こうした中で日帝は、最も凶暴な帝国主義として、中国|アジア侵略戦争と対米戦争に突き進んだ。「アメリカが悪い」と言って日帝の戦争を正当化することなど、けっしてできない。
 次に「アジア解放の戦争」論の犯罪性だ。
 「(四一年十二月の東南アジア侵略戦争突入の後に)日本政府はこの戦争を大東亜戦争と命名した。日本の戦争目的は、自存自衛とアジアを欧米の支配から解放し、そして、『大東亜共栄圏』を建設することであると宣言した」
 「戦争の当初、日本軍が連合国軍を打ち破ったことは、長い間、欧米の植民地支配のもとにいたアジアの人々を勇気づけた。……一九四三年十一月、この地域の代表を東京に集めて大東亜会議を開催した。会議では、各国の自主独立、各国の提携による経済発展、人種差別撤廃をうたう大東亜共同宣言が発せられ、日本の戦争理念が明らかにされた。……これらの地域(インドネシア、インド、ビルマを指す)では、戦前より独立に向けた動きがあったが、その中で日本軍の南方進出は、アジア諸国が独立を早める一つのきっかけともなった」
 まさに歴史の偽造だ。朝鮮・中国|アジア人民の闘いは、侵略帝国主義=日帝にこそ向けられていた。そして日帝の植民地支配や侵略戦争があれほどの暴虐と残虐の限りを尽くしたのは、日帝自身に、アジア人民の民族解放闘争に対する根底的な恐怖があったからにほかならない。南京大虐殺はその典型である。
 日帝は、帝国主義間戦争としての対米戦争に敗北したばかりではなく、アジア人民の不屈の民族解放闘争の前に敗北したのである。朝鮮・台湾人民の民族解放と独立を求める闘争、中国・アジア人民の抗日戦争によって、結局日帝は敗北したのだ。
 しかも、「つくる会」教科書が「自存自衛の戦争」「アジア解放の戦争」と主張する戦争は、日本帝国主義のほんの一部の支配層・ブルジョア階級の階級的利害をかけた戦争であった。
 日本労働者人民は、スターリン主義の裏切りの中で、プロレタリア階級として解体され、屈服した結果として、アジア侵略に動員され、階級的・国際主義的連帯の相手であるアジア人民に対して、自ら侵略の刃を向けるという犯罪に手を染めた。それは自らの階級的利害とはまったく相反する、自らを支配し抑圧する階級のための戦争だった。
 日本労働者人民は、この歴史への階級的自己批判をかけて、日帝の戦争責任追及と、「連帯し、侵略を内乱へ」の闘いに総決起しなければならない。「二度とあやまちは繰り返さない」という戦後の誓いと決意を、今こそ貫きとおさなければならない。
 日帝の侵略と戦争を真っ正面から賛美し、子どもたちに再び侵略の銃をとらせる「つくる会」教科書を、闘うアジア人民と連帯して絶対に粉砕しよう。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2004号4面2)

 証言 17歳の私に戻して 金 学順(キム ハクスン)さん

 私が慰安所に連行されたのは十七歳の春です。日本軍は道端にいる女性をそのまま無条件に連れて行きました。軍人は朝鮮女性を人間扱いせず、蹴ったり殴ったりしながら連れていったんです。私と友だちは満州の方に、それも前線に行かされました。一緒に連れていかれた女性がエミコ、そして私がアイコと名のりました。日本名を使っていましたが、すべて朝鮮の女性です。
 私の父母の故郷は北にあります。父は独立運動をしていて、三・一運動に加担したことで両親は満州に追われ、私は吉林省で生まれました。そして私が百日を迎えた頃、父は日本軍の銃によって殺されました。父が殺されただけでも辛いのに、そのうえ自分がこんな目にあって日本人を見るのも嫌です。
 しかし、日本政府が従軍慰安婦のことは知らない、民間業者がやったことだ、そんな事実はなかったという態度をとっていると聞いて、いてもたってもいられなくなったんです。
 私はJALの飛行機で(日本に)来たんですが、窓の外を見ると翼に日の丸のマークがありました。その瞬間五十年間私の人生をめちゃくちゃにした日本に対する思いが込み上げてきました。
 昨日の提訴(九一年十二月六日、東京地裁)では十七歳の頃に戻してほしいといいました。私は日本政府に補償してくれといってるわけではありません。お金がほしいわけじゃないんです。胸の中につまっている恨(ハン)をといてほしい。このことを考えるだけで胸がつまって身の震える私の恨をといてほしい。
 過去にあったことはあったこととして、認めて謝ってほしいと思います。そうしたら私の心もすっきりします。そういった事実があったことを教科書なりなんなりで若い人たちに教えるようにしてください。
 日本には三十六年間多くの朝鮮人を殺し、朝鮮という国をなくそうとした歴史があります。名前まで奪い、日本名を名のらなければ学校に通えなかったんです。日本は朝鮮を併合し、中国と戦争をし、太平洋戦争をしました。日本の人は戦争、争いをなくすようにしてほしいと思います。
 PKOの海外派兵に反対する人を見て、日本にもこういう人がいるんだなと大変感心しました。日本は経済大国であり、軍事大国です。日本が今になってどこに何を派兵しようとしているのか。本当にやめてほしい。これから先こんな不幸なことがないように、平和的に生きれたらどんなにいいでしょうか。〔九一年に勇気ある証言に立った金学順さんは、九七年十二月十六日に逝去された〕

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2004号5面1)

 天皇のための死を賛美

 「玉砕」「特攻隊」の美談化は再び青年に銃をもたせるため

 全員に死を強要

 「つくる会」教科書の戦争賛美の極致は、特攻隊や日本軍の「玉砕」を美談に仕立て上げていることだ。
 「アリューシャン列島のアッツ島では、わずか二千名の日本軍守備隊が二万の米軍を相手に一歩も引かず、弾丸や米の補給が途絶えても抵抗を続け、玉砕していった。こうして、南太平洋からニューギニアをへて中部太平洋のマリアナ諸島の島々で、日本は降伏することなく、次々と玉砕していった」
 「つくる会」教科書は、「降伏することなく玉砕した」と美化しているが、実際は悲惨この上ない地獄絵であったのだ。
 アッツ島の守備隊二千五百七十六人は、孤島で増援を求めながら戦闘を続けていた。しかし、大本営は、二万五千人の戦死者・餓死者を出したガダルカナル島の二の舞になることを恐れて撤収。アッツ島守備隊は見捨てられた。攻撃に参加できない傷病者は全員自決させられ、最後の突撃で全員が戦死したのである。
 ゛玉砕″とは玉が美しく砕けるように名誉や忠義を重んじて、いさぎよく死ぬことという意味である。何が゛美しい″のか! 実態は侵略戦争の結果としての犬死にであり、惨劇の極致であったのだ。しかも「生きて虜囚の辱めを受けることなかれ」と、降伏して捕虜となることを厳しく禁じ、全員が死ぬことを命令されたのだ。
 しかし大本営はこれを「玉砕」と発表した。そして山崎部隊長を軍神に仕立て上げ、ブロマイドまで作製して全国の学校に配り、山崎部隊は一発の弾丸、一兵の救援、一塊の食糧も求めず全員が「玉砕」したと大宣伝した。以後、大本営はニューギニア、インパール作戦、フィリピン…で次々と全員戦死−全滅していったことの代名詞としてこの言葉を用いた。「玉砕」||それは天皇の軍隊による死の強制だった。
 四四年のビルマのインパール作戦では、弾一発、米一粒もなしと言われた状況で、三度にわたり進撃命令が出され、作戦に参加した九万弱の兵士のうち約三万人余が戦死。約四万人余が傷病でたおれた。傷病者は自決を強制された。残存兵員は作戦前のわずか八、九%だった。退却路は゛白骨街道″と言われた。
 同時に、東南アジア・太平洋諸島の人民は、日帝の侵略戦争と日米戦争の展開によってじゅうりんされ、虐殺されていった。日米帝国主義戦争は、戦場となったアジア・太平洋全域にとてつもない惨劇・破壊・犠牲をもたらした。
 侵略の銃を握った日本の労働者人民は最後は、天皇の軍隊(皇軍)として全滅させられたのである。
 天皇ヒロヒトは「戦いのことなればこのくらいは当然」と統帥部を鼓舞し、ガダルカナル奪回、サイパン死守への執着にみられるように戦局の巻き返しのために軍を励まし続け、死体の山が築かれていった。

 生命は”消耗品”

 「ついに日本軍は全世界を驚愕(きょうがく)させる作戦を敢行した。レイテ沖海戦で、『神風特別攻撃隊』(特攻)がアメリカ海軍艦船に組織的な体当たり攻撃を行ったのである」
 四四年十一月のレイテ沖海戦で日本海軍は戦艦武蔵など主力艦や空母を沈められ、連合艦隊は壊滅した。もはや日帝は戦争継続能力を喪失していた。
 こうした中で「神風特攻隊」が編成され、米軍への体当たり戦法が行われた。自爆高速ボート「震洋」、人間魚雷「回天」、人間ロケット「桜花」…。日本軍はこの特攻戦法を組織的かつ積極的に採用し、文字どおり人間の生命を消耗品のように使い捨てにした。
 通常の二倍の爆弾を搭載し、副操縦席や爆弾投下器もない、「体当たり」以外に能力のない飛行機が製作された。後には、離陸すると車輪が機体から離れる「帰還不能機」(棺おけ飛行機と呼ばれた!)さえ試作された。
 特攻戦死者は敗戦までに四千四百人に達した。特攻隊員の多くが二十歳前後の若者だった。学徒出陣組も加わっていた。命令を出した大本営の参謀たちは逆にほとんどが生き残って、戦後、豊かな恩給生活を送った。天皇ヒロヒトは、特攻機の出撃を聞いて「そのようにまでせねばならなかったか。しかし、よくやった」と言った。
 「玉砕」や「特攻隊」は、スターリン主義の裏切りのもとで国内での階級闘争が敗北した結果、侵略の銃を握り、数千万人のアジア人民虐殺に手を染めていった労働者人民の行き着いた先だった。最後は、文字どおり日帝と天皇制の一日一日の延命のために、労働者人民の生命が消耗されていったのである。
 一九四五年二月、元首相の近衛文麿は「敗戦は必至である。国体(=天皇制)の護持よりも心配なのは、敗戦に伴って起きる共産革命」と戦争終結の準備を進言せざるをえなかった。しかし天皇ヒロヒトは「もう一度戦果をあげてから」と戦争継続に固執した。
 ここに国体=天皇制護持・本土決戦の時間稼ぎのための沖縄戦が準備されていった。それはまったく勝ち目のない捨て石作戦だった。そして沖縄戦では「玉砕」の極限||日本軍による住民虐殺や「集団自決」||が強制されたのである。

 国体の捨て石に

 「一九四五(昭和二十)年四月には、沖縄本島でアメリカ軍とのはげしい戦闘が始まった。日本軍は戦艦大和をくり出し、最後の海上特攻隊を出撃させたが、猛攻を受け、大和は沖縄に到達できず撃沈された。沖縄では、鉄血勤皇隊やひめゆり部隊の少女たちまでもが勇敢に戦って、一般住民約九万四千人が生命を失い、十万人に近い兵士が戦死した」
 「つくる会」教科書は、沖縄県民が積極的に戦ったかのように美化して描いている。そして日本軍による沖縄県民の虐殺や集団自決の強要、国体護持のために沖縄が「捨て石」にされたことを隠ぺいしている。「勇敢に戦った」などというのは完全なウソである。
 一九四五年四月一日、米軍は艦船千五百隻、兵員十八万という大軍で沖縄本島に上陸した。陸軍を中心とした沖縄守備軍は米軍の本土上陸を引き延ばす持久戦術の方針をとっていた。そのため沖縄県民を避難させる措置をまったくとらず、逆に県民を総動員して戦場に駆り立て、中学生や女学生も戦闘員や看護婦として動員したのである(鉄血勤皇隊、ひめゆり学徒)。
 男子生徒は、戦場の最前線で働く通信兵や特攻切り込み隊として戦闘に参加させられ、千七百七十九人のうち半数の八百九十人が戦死した。女子学徒は、傷病兵の看護など戦場を軍とともに行動させられた。米軍に南端の喜屋武半島まで追いつめられた後、解散が命じられ、逃げ場を失った多くの女子学徒が集団自殺した。五百八十一人のうち三百三十四人が戦死した。
 日本軍は、一般住民を守るどころか戦闘の邪魔になると言って壕(ごう)から追い出し、食糧を強奪した。ウチナーグチ(沖縄方言)を使った住民をスパイ容疑で虐殺した。ついには「集団自決」を強要していった。食糧もなく行き場を失った沖縄県民は、家族や親類ぐるみで手榴弾(しゅりゅうだん)で自決した。手榴弾のない者はカミソリや包丁で互いに刺し合って命を断ったのである。
 さらに許せぬことに、「つくる会」教科書は、鉄血勤皇隊やひめゆり学徒など強制的に動員した沖縄県民を日本軍に算入して、日本軍の死者が多いかのように記述しているのである。実際の沖縄県民の犠牲者は十五万人と言われている。
 しかも日帝・天皇はなおも戦争を継続。本土空襲、広島・長崎への原爆投下で五十万人の命が失われた。
 これを二度と繰り返さないことこそが、歴史の尊い教訓なのである。

 天皇制弾圧と国家総動員の果てに大空襲と原爆の惨禍

 「労働力の不足を埋めるため徴用(政府の命令で、指定された労働を義務づけられること)が行われ、また、中学三年以上の生徒・学生は勤労動員、未婚女性は女子挺身隊として工場で働くことになった。また、大学生や高等専門学校生は徴兵猶予が取り消され、心残りをかかえつつも、祖国を思い出征していった(学徒出陣)」
 「物的にもあらゆるものが不足し、寺の鐘など、金属という金属は戦争のために供出され、生活物資は窮乏を極めた。だがこのような困難の中、多くの国民はよく働き、よく戦った。それは戦争の勝利を願っての行動であった」
 「つくる会」教科書は、当然のことのように「総動員体制が必要になった」「多くの国民はよく働き、よく戦った」などと書き、労働者人民が積極的に戦争に協力したかのように美化して書いているが、これはまったく事実を歪曲している。

 教育勅語と統制

 十五年侵略戦争が始まると、天皇制権力は、治安維持法や不敬罪によって労働者階級人民の闘いを徹底的に弾圧した。
 検挙者数がピークとなった一九三三年には約一万五千人が逮捕された。作家の小林多喜二や日本共産党の指導者の野呂栄太郎が特別高等警察(特高)の拷問によって虐殺された。日共幹部の佐野学と鍋山貞親が獄中で転向声明を発表し、日共は壊滅状態に陥った。労働組合や農民運動、無産政党、水平運動、学生運動、在日朝鮮人運動などが弾圧された。やがて滝川事件や天皇機関説事件などで学者や学問自体が弾圧され、ついには宗教者に弾圧が及んだ。
 真相の報道や批判的言動も一切禁止され、柳条湖事件は最初から「支那(しな)軍」による鉄道爆破というデマが報道された。南京大虐殺について日本人の多くは戦後、東京裁判で初めて知ったのだ。学問・文芸・映画などあらゆる領域で反戦的、非時局的、敵性的などとして規制された。
 そして最後には、情報を隠ぺいするだけでなく、情報を意図的につくりかえて、戦争の継続と戦意高揚を図った(大本営発表)。
 一方で、日本は万世一系の天皇が治める国で、皇室を中心に精神的に結合する、世界に優越する国であるという「国体論」を強調し、労働者人民、とりわけ子どもたちに、天皇と国家への忠誠を要求した。
 一九四一年の国民学校令で、小学校は国民学校と改められた。文部省は、国民学校の教育目標は「個人の発展完成」をめざすのではなく、教育勅語を奉じ「皇国の道にのっとりて国民を錬成し皇運を無窮(永遠)に扶翼(助けること)」するにあるとした。学校は天皇と国家のために尽くす人間をつくる「修練道場」になった。国民学校の教科書には、公然と軍が介入し、天皇と国家のために兵士として死ぬことを教えた。
 徹底的な治安弾圧と言論統制。そして皇国史観教育によって戦争動員体制はつくられていったのだ。

 隣組と勤労動員

 大政翼賛会は、内務省と警察が主導した国民総動員機関であった。町内会・部落会・隣組を通じて政府の国策の徹底的な浸透が図られた。兵士の見送り、防空演習、国債の割り当て、貯蓄の奨励など、詳細にわたって隣組が実務を負担した。そして反戦・反軍の言動をするものを警察へ密告する相互監視の機関となっていった。隣組を末端とする大政翼賛会は、労働者人民を戦争に動員し、思想・言動を監視する組織だった。敗戦直前には、日常的にバケツリレーや竹槍訓練が行われた。
 国家総動員法で、労働者を強制的に工場などで働かせ、中学生や女学生までも軍需工場などに動員した。学徒勤労動員は、教育効果をあげると称して始まったが、最後は、国民学校初等科以外は授業そのものが行われなくなった。戦局が悪くなると、これまで徴兵を免除されていた大学生も軍隊に召集された。その数は十三万人に及んだ。
 さらに決定的なことは、朝鮮から百五十万人、中国からは四万人が強制連行され、工場や鉱山などで過酷な労働が強制されたという事実である。
 男子四人に一人が侵略戦争・帝国主義戦争に駆り出され(敗戦時の兵力は七百二十万人)、約三百五十万人の学生・生徒が勤労奉仕に動員され、三百万人近い女子が軍需工場などで働いていたのである。文字どおり根こそぎの戦争動員だった。帝国主義の総力戦の極限的な実態だった。
 この帰結が、東京、名古屋、大阪、神戸などへの大空襲であり、広島・長崎への原爆投下だった。帝国主義戦争の最後は、生産力の粉砕と銃後を支える労働者人民の生活と生命の破壊へと向かった。これらの都市は軍都として存在していたことを忘れてはならない。空襲で二十万人、原爆で三十万人の人民が命を奪われた。
 しかしこうした中で戦争を止めるすべはなかったのか。否である。労働運動、農民運動、水平運動、女性運動、在日朝鮮人運動……一九二〇|三〇年代には労働者人民の闘いが確実に存在していた。核心は日帝の侵略戦争への突入を、闘うアジア人民と連帯して、日帝打倒・天皇制打倒の内乱−革命へと転化する党の問題だった。スターリン主義日本共産党の誤った指導下、本格的な階級決戦を闘うことなく、日本労働者階級は敗北した。その結果として戦争への総動員体制は形成されていったのだ。
 日帝・天皇制権力のもとでの絶望的な侵略と戦争、その帰結としての言語に絶する破滅と災厄。この歴史は二度と繰り返してはならないのだ。

 戦争と破滅への道を招いた皇国史観の復活を許すな!

 「つくる会」教科書には、神話に関する記述が大量に盛り込まれている。しかも神話と歴史の混同を狙った書き方になっている。
 まず「神武天皇の東征」で一ページを使っている。神武天皇が橿原(かしはら)の地で「初代天皇」に即位したと書き、「神武天皇が進んだと伝えられるルート」なる地図を掲載している。さらに次のように説明している。
「二月十一日の建国記念の日は『日本書紀』に出てくる神武天皇が即位したといわれている日を太陽暦になおしたものである」
 続いて「日本武尊(やまとたけるのみこと)と弟橘媛(おとたちばなひめ)−国内統一に献身した勇者の物語」なるコラムを二ページも使用して記述している。日本武尊を「景行天皇(第十二代)の皇子」と書いて、あたかも実在の人物であるかのように書いているのである。
 四ページを割いている「日本の神話」は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が「皇室の祖先」であると語られ、天照大神の孫のニニギの天孫降臨やニニギの孫が初代神武天皇に即位する話が延々と語られる。
 また中近世史のところでも「将軍が天皇に任命されてその地位につく…」「天皇の権威を頼りにしている。それが武家の権力の限界だった」「江戸幕府の統治のよりどころは、徳川家が得た征夷大将軍という称号だった」などと、征夷大将軍の任命権の話を中心に天皇の権威を高くしようとこじつけ的に描いている。
 昭和天皇は、第一二四代と記されている。
 これは、かつて日本を侵略戦争と破滅の道に導いた皇国史観そのものである。天照大神を「皇室の祖先」であるとし、天譲無窮の神勅を受けた皇祖以来、万世一系、日本の統治権を天皇家が継承してきたと主張しているのだ。
 独善的、排外主義的な自国中心史観であり、恐るべき天皇制的抑圧と侵略戦争のイデオロギーである。
 かつて一九三一年柳条湖事件から始まった十五年戦争は、当初から神武天皇の東征神話になぞらえられた。そして戦争の目的を「神武天皇以来の大事業である八紘一宇(はっこういちう)の理想を実現するための戦争」だと宣伝した。つまり侵略戦争ではなく「聖戦」だと言ったのだ。
 八紘一宇は『日本書紀』の中で、神武天皇が即位に際して出した「八紘を掩(おお)いて宇(いえ)と為(せ)んこと亦(また)可(よ)からざらんや」という勅語が出典である。これを「四方八方、世界を一軒の家のようにすることもよいではないか」という意味だと解釈し、そこから「八紘一宇」という言葉が造語されたのである。
 しかも、日帝の世界支配の野望の表明であるこの八紘一宇のイデオロギーには「まつろわぬ(従わぬ)ものを討ち平らげて」という前提条件があった。こうして中国侵略戦争は「暴戻(ぼうれい)支那の膺懲(ようちょう)」(乱暴で道理にもとる中国を懲らしめる)などという排外主義とデマゴギーで塗り固められた「聖戦」とされた。
 そして「教育勅語」などで、「日本国民」は臣民として、忠孝の美徳をもって天皇に仕え、国運の発展に努めよ、いったん国が危険な事態に直面したならば一身を捧げて天皇とその治世を守らなければならないと説いたのだ。
 もちろんこれらは荒唐無稽(こうとうむけい)・無知蒙昧(むちもうまい)な虚偽のイデオロギーである。神武天皇を「初代天皇」と言うが、そもそも二千七百年近く前に国家や天皇が存在したのか? これは検討の余地すらない歴史の偽造である。
 このイデオロギーは、アジア人民を蔑視し抑圧する排外主義の極致である。同時に結局は天皇制の暴力と差別支配で日本労働者人民に襲いかかるものである。「つくる会」はこれを子どもたちにたたき込み、天皇とその国家に忠誠を尽くしアジア侵略の銃を持つ青年をつくりだすために、この教科書をつくったのだ。
 戦後、もう復活することなどないと思われてきた皇国史観や「教育勅語」が、今や「つくる会」教科書として公然と復活してきているのだ。闘うアジア人民と連帯して、絶対に阻止しなければならない。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2004号5面2)

 証言 自決命令を受けて 金城 重明さん

 一九八八年二月、第三次家永教科書裁判で沖縄戦における「集団自決」について、沖縄キリスト教短期大学の金城重明教授が証言した。四五年三月、アメリカ軍は沖縄島上陸に先立って慶良間諸島を占領した。その際に渡嘉敷島、座間味島、慶留間島、屋嘉比島で、痛ましい「集団自決」が発生、犠牲者は実に五百六十人にのぼった。
 ……移動した夜は、激しい豪雨と弾雨の中に身をさらして、不安と恐怖の一夜を過ごした。いよいよ三月二十八日という、私の生涯で最も長く、暗い日がやってきた。一千名近くの住民が、一か所に集められた。軍からの命令を待つためである。
 死刑囚が死刑執行の時を、不安と恐怖のうちに待つように、私どもも自決命令を待った。いよいよ軍から命令が出たとの情報が伝えられた。配られた手榴弾で、家族親戚どうしが輪になって自決が行なわれたのである。しかし手榴弾の発火が少なかったため、死傷者は少数にとどまった。けれども不幸にしてその結末は、より恐ろしい惨事を招いたのである。
 米軍から撃ち込まれた至近弾の爆風で私は意識がもうろうとなり、自分はもう死んだのだと思い込んだ。念のために体の一部をつねってみる。まだ感覚はある。自分がまだ生きていることを確認する。なす術を知らずにじっとしていると、一人の中年の男性が、生えている一本の小木をへし折っている。この木片が彼の手に握られるやいなや、それは凶器に変えられてしまった。彼は……その木片で自分の愛する妻子を殴り殺し始めたのである。これが恐ろしい悲劇の始まりだったのである。
 精神的に追いつめられた私たちも、以心伝心で愛する者たちに手をかけていった。夫が妻を、親がわが子を、兄弟が姉妹を、鎌や剃刀でけい動脈や手首を切ったり、棍棒や石で頭部をたたいたり、紐で首を絞めるなど、考えられるあらゆる方法で、愛する者たちの尊い命を断っていったのである。文字通りの阿鼻地獄であった。……兄と私も、幼い弟妹たちの最期を見とどけてやらねばならなかった。愛するがゆえに、彼らを放置することができなかったのである。私の年齢は十六歳と一カ月だった。私ども兄弟二人が、自分たちを産んでくれた母親に手をかけねばならなくなった時、私は生まれて初めて悲痛のあまり号泣した。愛するがゆえに、殺さなければならない、という残酷物語が現実のものとなったのである。
 当時の精神状況からして、愛するものを生かして置くということは、彼らを敵の手にゆだねて惨殺させることを意味したのである。したがって、自らの手で愛するものの命断つことは、……唯一の残された愛情表現だったのである。
(『沖縄修学旅行』高文研)

週刊『前進』(2004号5面3)

 読者からの手紙

 2000号おめでとう 青木 和佳

 『前進』二〇〇〇号達成おめでとうございます。そして、ご苦労様です。
 編集局の日々のご苦労を思いペンをとりました。闘いとってきた機関紙活動の苦労話として、何度も権力やカクマルの妨害に遭いながら、不屈にはねかえして闘ってきたことなど大変だったことがしのばれ、涙が出るようです。
 今は、コンピューターの時代ですが、何よりも革命を果たすまで揺るぎない信念を静かに確実に炎として燃やしながら、黙々と発行してきた、そういう編集人たちを思うと、私自身七九年ごろよりのかかわりながら、こうしてご一緒できて大変うれしく思います。
 私は決してアジテーションが上手ではなく、いまだに人前で発言すれば、声もうわずり、まじめな読者でもなく、いつも迷いといい加減さを抱えながら来ました。それでも闘いの中で、地道に活動し続けてきた夫とともに、このように革命の時代へ大宣伝活動ができるようになった『前進』を日々の支えにしてやってきました。とても誇りに思います。
 これからもわかりやすさと生活への密着を常に意識した中身で鋭く世を切る『前進』をお願いします。
改憲阻止! がんばりましょう。

 鎌田さん16年ご苦労さま 東京 A生 

 六年ほど前から、都内の書店で時々『前進』を買っています。
 一九九三号(二月十九日付)3面の「都民に犠牲の石原予算案」はとても良い記事でした。「リストラをやる」と言うが、本当にむだな所や税金のむだ使いをしている人たちをやめさせるのなら納得できます。しかし、実のところは、業務の内容にかかわらず弱いところが切られるのです。そのようなリストラは許せない。
 警察官が足りないというが、一般市民の安全のためではなく、警備・公安関係に多くの人員・予算を使っているのが悪いのです。警察に膨大な予算をつぎ込むのは、警察国家への道であり、これも許せない。
 ところで、鎌田さん、十六年間、本当にご苦労さまでした。十六年もの長い間、弾圧に耐え抜き、闘争を続け、生き抜いてこられたことに尊敬の念を抱きます。これからも闘い続けて行かれることを祈っております。
 五千円カンパします。役立てて下さい。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2004号6面1)

5・15沖縄闘争へのアピール 日帝の沖縄圧殺攻撃許すな
 名護新基地建設阻止へ闘いの再構築かちとれ

 米兵と自衛官の犯罪に怒りを叩きつけよ

 今年の五・一五闘争は二十一世紀の沖縄と日本の階級闘争を左右する重大な決戦になろうとしている。日本政府と連合派は、沖縄が来年「本土復帰」から三十周年を迎えるにあたり、五・一五を「闘いの日」から「祝いの日」に変えようとしている。復帰三十周年を目前に、本土との一体化=沖縄闘争の解体に公然と踏みきってきたのだ。
 五・一五は、一九五二年のサンフランシスコ講和条約によって沖縄がアメリカに売り渡された四・二八と並ぶ「屈辱の日」だ。一九七二年五月十五日、沖縄人民の本土復帰闘争に込められた米軍基地撤去への強い願いを踏みにじり、日帝は核つき・基地の自由使用というペテン的返還を沖縄に押しつけた。沖縄人民は毎年の五・一五を、沖縄を取り戻そうと互いの決意をうち固めて闘ってきたのだ。
 そもそも米軍基地、米兵がらみの事件・事故が繰り返され、地元紙にこれらの報道が載らない日がないというのに、五・一五で何を祝うというのか。
 日本政府は、日米地位協定の改定や運用見直しについてすらまともに取り合わず、人間の尊厳を踏みにじり続けているではないか。三月十二日には幹部自衛官が女子中学生を暴行するという許せない事件も起こった。九五年に米兵に暴行され、「私のような目に遭う人を二度と出してはいけない」と勇気を出して告発した少女の叫びを忘れることは絶対にできない。沖縄人民の怒りは今や「コザ暴動前夜」「火山の噴火直前」にある。
 本土人民は、今なお在日米軍施設の七五%が集中する「基地の島」としての現実を押しつける日帝の沖縄差別政策に腹の底からの怒りをたたきつけ、沖縄人民と連帯し、五・一五闘争に立ち上がろう。日帝が改憲と戦争への攻撃に本格的に踏みきってきた今こそ、第三次安保・沖縄闘争の大爆発をかちとろう。今年の五・一五を二十一世紀の沖縄闘争の歴史的な出発点にしようではないか。

 沖縄を中国・朝鮮侵略戦争の基地にするな

 米帝のアジア軍事戦略の強化と日帝の改憲・戦争国家化への突進は、沖縄米軍基地の再編強化と侵略最前線基地化を進めるものとなっている。
 四月一日、米空軍のスパイ機EP3が対中国の軍事偵察中に中国軍機と接触し、これを墜落させるという重大事故を起こした。米帝はこうした中国への戦争挑発的な作戦を嘉手納基地から日々行っていることを隠そうともしていない。米帝はこれをエスカレートさせ、今後はEP3の護衛にF15戦闘機をつけるという。沖縄を中国侵略戦争の発進基地にすることを公然と宣言しているのだ。
 昨年十月、アーミテージ(現国務副長官)ら民主・共和両党の軍事戦略担当者が共同で「米国と日本|成熟した協力関係に向けた前進」という報告書を出した。(『コミューン』三月号参照)
 これは二九年型世界恐慌の時代に突入する中で、アジアの激動と日帝の没落、そのもとでの日帝の米帝的戦後体制打破への衝動、さらには沖縄での米軍基地撤去闘争の爆発という情勢に、米帝が必死で戦略的に対処しようとするものだ。
 この報告書で米帝は日米安保基軸論を決定的にエスカレートさせて、米帝の朝鮮・中国|アジア侵略戦争への日帝の補完的動員を徹底的に拡大することをうち出した。新安保ガイドラインを実際に発動するために、集団的自衛権の解禁、PKF(国連平和維持軍)参加凍結解除、新安保ガイドラインで決められた水準を超える共同作戦への参加を日帝に要求している。
 そしてこの米帝戦略の貫徹に向けて沖縄米軍基地を何がなんでも維持し、再編強化することが必要だと危機感を込めて訴えている。すなわちSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意の貫徹である。報告書には、「(九五年以来の沖縄闘争が)もはや日本だけでなく米国にとっても重荷になっている」「SACO合意には第四の目標としてアジア太平洋地域全体への(米軍基地)分散化を含めるべきだった」とさえ書いている。沖縄人民の闘いはそこまで米・日帝国主義を追いつめているのだ。
 名護決戦こそ天王山だ。ここで名護新基地建設を粉砕し、SACO合意を粉砕すれば、米軍基地撤去に向かって情勢を地殻変動的に開くことができるのだ。

 リーフ埋め立て基本計画粉砕を

 いよいよ名護新基地建設をめぐって実力で激突する攻防が火を噴こうとしている。政府は名護新基地について、リーフ内での埋め立て方式を軸に七月までに基本計画を取りまとめる方針を固めた。 
 日帝は追いつめられて凶暴化し、住民への騒音の軽減や環境保護への配慮などのポーズすら投げ捨て、リーフ内を埋め立て二千b滑走路を持つ巨大な基地を建設しようとしている。橋本政権以来の「地元住民の頭越しにはやらない」という約束も、稲嶺らが言う「十五年期限」も踏みにじろうとしているのだ。
 われわれは、「最低使用四十年、耐用年数二百年」というアジア侵略基地の建設を絶対に許さない。三里塚闘争三十五年の地平に立って、ありとあらゆる手段を使って実力阻止する。全国学生は、全学連沖縄決戦行動隊を先頭に、名護現地決戦に全力で決起しよう。
 日帝は九五年以来の沖縄闘争の爆発を、大田県政の屈服・打倒=稲嶺体制の形成をもってなんとか押さえ込もうとしてきた。だが九七年十二月の名護市民投票での反対派の勝利は、名護新基地建設・SACO貫徹の攻撃を阻んできた。日帝は稲嶺や岸本などの裏切り者を使い、沖縄サミットを強行し、沖縄県北部振興策に一千億円を投入してこの行き詰まりを突破しようとあがいてきた。
 他方で人民の側も、岸本名護市長へのリコール運動が日本共産党などの裏切りによって挫折させられてから、この間の那覇市や浦添市などの選挙での敗北にも示されているように、闘いへの大衆的意欲がありながらも、その力を発揮できずにいる。この現状を、闘う勢力の力でうち破らなければならない。
 われわれが、名護新基地建設を実力で粉砕する闘う新潮流として登場し、全責任をとっていくことが求められている。「安保廃棄の凍結」「自衛隊の有事活用」を宣言した日共や、松崎JR総連の分裂で危機を深めるカクマルなどの敵対を粉砕して、今こそ沖縄闘争の政治地図を塗り替えるときだ。

 「つくる会」教科書は新たな沖縄戦の強要

 日帝の教科書攻撃は、日本の近現代史を貫く侵略と植民地支配、戦争の歴史を賛美し、新たな侵略戦争に人民を総動員しようとするものである。日帝は沖縄戦と沖縄差別政策の歴史を歪曲・美化し、新たな沖縄戦を強要しようとしている。
 これはアジア人民に対する日帝の侵略戦争宣言であり、沖縄や広島・長崎の闘いに象徴される反戦(反核)闘争、「日の丸・君が代」反対の教育闘争を一掃することの表明である。「つくる会」教科書を検定合格させれば、当然にも日帝内外で激論になり、大問題になることを百も承知で、否だからこそ日帝は改憲攻撃の突破口としてこの攻撃にうって出てきたのだ。日帝は人民の激しい抗議を暴力的に正面突破し、この教科書の内容・価値観をもって教育改革・改憲攻撃を進めようとしているのだ。まさに「外に向かっての侵略戦争、内に向かっての階級戦争」そのものだ。
 「つくる会」の歴史教科書は、沖縄戦について、「沖縄では、鉄血勤皇隊の少年やひめゆり部隊の少女たちまでが勇敢に戦って、一般住民約九万四千人が生命を失い、十万人に近い兵士が戦死した」と記述している。なんということか。
 日本帝国主義は、沖縄を「琉球処分」として武力で統合し、徹底した差別政策と皇民化教育を行い、アジア侵略の拠点として動員していった。その行きついた先が沖縄差別の極致としての沖縄戦であった。当時の県民のおよそ三分の一にあたる十五万人以上が沖縄戦で殺された。しかも沖縄の人民は、日本軍に壕(ごう)を追い出され、食料を奪われたり、あげくに日本軍にスパイとして殺されたり、「集団自決」を強要されるなどしたのだ。
 「つくる会」教科書の歴史歪曲に対して沖縄の怒りが爆発している。沖縄戦記録フィルム一フィート運動の会の福地曠昭副代表や沖縄のキリスト者らは、この教科書を、「沖縄戦を殉国美談に仕立て上げる」「県民への冒涜(ぼうとく)」であり、「また元の悲惨な時代にかえって行く」ものだと激しい怒りと危機感をたたきつけ、稲嶺県当局への申し入れやハンガーストライキに立ち上がっている。日本軍の戦死者が一般住民の死者よりも多かったとする記述に対しても、戦後五十年間の沖縄戦研究の成果を踏みにじるものだと抗議の声が上がっている。
 また「つくる会」の歴史教科書は、昭和天皇ヒロヒトを人物コラムに長々と登場させ、「たとえ自分の身がどうなってもポツダム宣言を受諾すべき」という天皇の「聖断」によって戦争は終結したなどと恥知らずな天皇賛美を行っている。
 だが実際はどうだったのか。四五年二月十四日に近衛文麿が戦争の終結を勧めたことに対し、ヒロヒトは「もう一度戦果を挙げてからでないと(天皇制護持は)難しいと思う」と述べ、天皇制護持のための「捨て石」として沖縄戦を強行したのだ。七月二十六日にポツダム宣言が出た後も、天皇制護持を保障する条項がないと受諾を渋り続け、広島・長崎の原爆などでさらに多くの尊い命を奪った。そして敗戦後にはマッカーサーに「天皇メッセージ」を送り、自分の戦争責任の免罪・天皇制の護持と引き換えに、沖縄をアメリカに売り渡したのだ。
 さらにこの教科書には戦後の米帝支配についても言及がなく、復帰も佐藤内閣の業績としただけで基地問題にすら触れていない。また歴史教科書全体でも侵略戦争の記述と同様に沖縄戦の記述が大幅に減少、現行に比べ三分の一に減らした出版社もある。
 「つくる会」公民教科書も、日米安保の「意義」を確認しながら、沖縄に米軍基地が集中している事実すら書いていない。また集団的自衛権の行使や憲法改悪の必要性を記している。さらに衆議院議員の西村真悟が、石原とともに中国領・釣魚台に武装上陸した写真を載せ、沖縄をアジア侵略の最前線にして釣魚台略奪・中国侵略を扇動している。
 沖縄人民を始めとする日本人民、アジア人民にとって、「つくる会」教科書の存在自体を絶対に認めることはできない。われわれは東京・杉並を焦点に「つくる会」教科書採択を阻止する大運動を巻き起こす。沖縄人民、アジア人民への血債をかけて断固闘う。 
 この教科書は、沖縄差別とアジア侵略によって成り立つ、過去と現在、そして未来の日帝の姿そのものであり、革命的祖国敗北主義と国際主義の立場で必ず粉砕しなくてはならない。
 「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱へ」「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」「戦争国家化阻止=改憲粉砕・日帝打倒」の総路線をかけて教科書攻撃を粉砕し尽くそう。

 都議選に勝利し新潮流の登場へ

 相次ぐ米兵事件・事故、名護新基地建設、教科書攻撃との闘い|こうした沖縄と沖縄闘争をめぐる歴史的攻防は、新しい闘う潮流・新しい民衆の指導部の登場を求めている。六月都議選の勝利を全力でかちとろう。十一月労働者集会の成功のために沖縄と本土を貫いて決起しよう。この中で党勢二倍化を実現しよう。
 五・一五闘争の大成功をかちとり、二十一世紀の沖縄闘争の新たな出発を築こう。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2004号6面2)

革命軍軍報 4・18流山 千葉県幹部宅に火炎攻撃
「完全空港」掲げ闘争破壊狙う 堂本知事の策動許さぬ 

 革命軍は偉大な戦闘を貫徹し、以下の軍報を発表した。(前号に速報)
 革命軍は四月十八日、日帝・国土交通省、空港公団とともに暫定滑走路建設の強行に加担し、三里塚闘争破壊に乗り出してきた千葉県当局に対する怒りを爆発させ、三里塚農民と全国の闘う人民の意志を体して、千葉県幹部に対する火炎戦闘に決起した。
 堂本新千葉県知事の就任早々の三里塚闘争破壊攻撃は絶対に許すことができない。必ず粉砕するのだ。革命軍はこの意志を打ち固めて闘いに立ち上がった。戦闘のターゲットは明白だ。千葉県流山市西初石四のマンション、初石パークホームズC棟二〇九号の千葉県企画部理事、石塚碩孝(ひろたか)の住居と駐車場の石塚の乗用車だ。万全の体制で戦闘を貫徹した。
 十八日午前三時、設置した火炎戦闘装置が作動し、石塚宅玄関で「ドーン」という轟音(ごうおん)とともに火の手が高く上がった。同時に、石塚の乗用車も火を噴いた。火は石塚宅玄関を焼き、五階まで火柱を上げる勢いで、怒りの激しさを突き付けた。

 「成田問題は一気に」と堂本

 石塚は、成田空港問題全般にかかわる千葉県の最高幹部であり、県企画部の参事、次長を経て昨年四月に同部理事に就任、成田空港問題を始め、芝山鉄道や、新高速鉄道などを担当、成田空港の建設と運用を監視する第三者機関「成田空港地域共生委員会」の委員も務める。また、「成田空港国内線充実対策検討会」に県を代表して参加している。実に犯罪的な三里塚農民の敵であり、数々の反革命的悪行を重ねてきた人物なのである。闘う人民から、鉄槌が下ることが待ち望まれていたのである。
 この戦闘は第一に、就任早々、三里塚闘争破壊に全力を挙げて襲いかかってきている堂本新知事に対する革命的な回答である。
 前さきがけ参議院議員で千葉県知事選に勝利した堂本暁子は、「市民派」「環境派」「無党派」を売り物に、全国的な自民党に対する大衆的怒りの中で、民衆の味方のような顔をして登場した。しかし、成田問題に言及した瞬間にそのペテン的な仮面は全面的にはがされることになった。
 新知事になった堂本が「成田問題は一気にやってしまおうと思っている」と公言したことは、三十五年間の三里塚闘争の歴史を顧みず、闘いに生涯をかけてきた農民を無視する最悪の暴挙である。
 堂本は知事就任直後、県が「二千五百b滑走路実現の主体」となるという政治姿勢を明確にした。これは過去三十年間の千葉県の姿勢の反動的転換である。成田空港の建設主体は政府、空港公団である。県は、あくまで周辺対策を役割としている。ところが、この枠組みを堂本は公然と破壊し、自ら「建設主体」となると宣言した。反対派工作に乗り出すというのだ。
 実際に堂本は「二千五百b滑走路」「完全空港」というスローガンを掲げて敷地内農民の排除に乗り出した。堂本の言う「真摯(しんし)な話し合い」とは、この敷地内農民の排除のために、国土交通省と公団の立場からの切り崩し攻撃を全力でやるということだ。
 続いて堂本は四月九日、首相官邸の森首相を訪れ、「首都圏の国際空港の拠点は成田が基本」として、二千五百bの平行滑走路整備と交通アクセスなど成田空港の国際空港としての機能強化について要望した。
 森との会談後、堂本は、「成田空港の機能強化に向けて県としては国、新東京国際空港公団、周辺自治体との四者で連携を強化するため、連絡会のような組織を新たに立ち上げる」と述べた。
 「国との定期的連絡協議会」は、ひとつは堂本が羽田の国際化に反対しないことを約束したこと、もうひとつは用地問題の解決=敷地内切り崩しを堂本が前面に掲げたことで現実化した。これまで県と自治体が“傍観゜してきた用地問題に積極的に乗り出したことで「打開策のひとつ」と位置付けられ、国土交通省としても四者協議会の設置を承認したのだ。これを見ても、堂本の犯罪的な役割は明らかだ。
 堂本は、四・一八の正義の戦闘に震え上がり、「民主的解決のルールを支持している地域住民並びに全国民への挑戦」と非難するコメントを発表した。だが、とんでもないことである。敷地内農民を屈服させようとして「話し合い」攻撃を押しつけてくることのどこが「民主的」なのか、何が「ルール」だ。
 暫定滑走路を造って「頭上四十b」で飛行機を飛ばせば、人間が住めない状態だと分かって立ち退くだろう、そうすれば二千五百bの当初予定どおりの滑走路ができるばかりか、北に伸ばした分を合わせて三千七百bの滑走路ができる、ともくろんで進めてきているのは誰だ。そもそも三十五年にわたる農民殺しの攻撃をみよ。
 三里塚農民と反対同盟に襲いかかる堂本知事と千葉県に対して、わが革命軍は全面戦争に突入し、第二弾、第三弾の反撃をたたきつけることを宣言する。

 国内線充実対策会解散を

 四・一八戦闘は第二に、石塚が千葉県として先頭に立って推し進めている「国内線充実対策検討会」なる策動に対して、断固たる鉄槌を下した。
 国土交通省は二月六日、航空局長の私的諮問機関として「成田空港国内線充実対策検討会」を立ち上げた。千葉県や航空業界、学識経験者で構成されるこの会は、成田空港の国内線四倍化をめざすものだ。「成田は国際、羽田は国内」と言って、羽田空港の国際化に反対してきた千葉県が、成田の国内便を増やすというのは漫画的である。
 なぜこんなことを検討するかというと、暫定滑走路では国際便を希望する航空会社がなく、造っても使いものにならない情勢になってきたからである。暫定滑走路を造って、何がなんでも農家の頭上四十bに飛行機を飛ばす、それによって当初予定の二千五百b滑走路を実現する。そのためには、国内線需要をつくりだすことが切実に必要になってきたのである。航空会社に国内線参入を押しつけようとしているのだ。実に許しがたい策動なのだ。石塚は、この対策検討会に千葉県の代表として参加し、中心的な反革命的役割を果たしているのだ。国土交通省と空港公団は、この策動を中止し、同検討会を直ちに解散せよ。
 わが革命軍は、暫定滑走路建設を許さず、今秋に予定されている東峰神社の立ち木伐採攻撃、年内飛行テスト攻撃を粉砕するために、さらに果敢に闘いぬくことを宣言する。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2004号6面3)

新刊紹介 コミューン 6月号 国立闘争が全国化

 「日の丸・君が代」闘争は、日帝の教育改革攻撃と真正面から激突する偉大な闘争に発展している。切り開かれた地平を@「日の丸・君が代」の戦後史A国立の闘いB今春卒業式闘争||の三点にまとめた。
 @は今日までの闘争史。戦後の一時期、占領軍によって「日の丸」は禁止され「君が代」は学校行事から排除された。だが対日講和条約成立後、日帝は「日の丸・君が代」を学校教育に持ち込んできた。それに対して教育労働者と子ども、部落大衆、在日人民、住民が一体となって反対闘争を発展させてきた。
 Aは、現在、「日の丸・君が代」闘争の最前線となっている国立闘争の紹介。九九年から始まった国立市への右翼反動の攻撃と、それに対する教育労働者、子ども、住民の闘争を描き出している。「日の丸・君が代」攻撃とは、教組を破壊し、子どもの自主性や主体性を奪い、日帝・文部科学省の言うがままの戦争教育を強制することであり、そのために右翼の暴力や産経新聞のデマなど手段を選ばぬ攻撃を仕掛けてくるものである。
 Bは、今春闘争の概括と報道・公開された闘争の記録。八〇年代後半の沖縄、九〇年代後半の広島、今日の国立闘争の発展によって、二〇〇一年卒業式闘争は全国でかつてない爆発をかちとった。そして今、教科書攻撃、教育関連法改悪、教育基本法改悪、改憲攻撃に立ち向かう決戦陣形が形成されてきている。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2004号7面1)

自民党を全員落とせ! 都議選に勝利しよう! 5・27全国総結集闘争へ
改憲と戦争の小泉政権打倒を
 「つくる会」教科書採択阻止、教育改革関連法案粉砕に立て
 マルクス主義学生同盟中核派

 五・二七闘争まで四週間、六・二四都議選投票日まで八週間。一切をその絶対勝利から逆規定し、猛然と決起しよう。第一に、「つくる会」教科書採択阻止の教科書闘争と教育改革関連法案成立阻止の教育闘争を、国会行動、署名運動、街頭デモなど戦闘的大衆闘争として爆発させよう。第二に、その爆発力で都議選勝利=けしば誠一氏当選をもぎり取ろう。何よりも、極右小泉新政権、ファシスト石原都政と全面対決し、都議選決戦勝利へ総決起しよう。第三に、だからこそ五・二七闘争の大結集が決定的だ。さらに五・一五沖縄、三里塚闘争に決起せよ。到来した激動情勢を今こそ労働者人民の巨大な大衆行動に転化せよ。そのための決戦方針を提起する。

 第1章 戦争賛美教科書の検定合格は日帝のアジア再侵略宣言

 四月三日の「つくる会」教科書の「検定合格」は、九七年九月二十三日の新ガイドライン締結−九九年五月二十四日のガイドライン関連法案強行に匹敵する、日帝の侵略戦争宣言だ。
 「つくる会」教科書を日帝・文科省が「検定合格」をもって国家として承認を与えた事実を絶対にあいまいにしてはならない。アジア人民のごうごうたる糾弾を居直る日帝を絶対に許すな。あの侵略戦争を再び繰り返すのか否かが日本人民に突きつけられている。「つくる会」教科書を徹底的に粉砕し、焼き尽くし、採択を絶対阻止しよう。「つくる会」教科書攻撃と一体の教育改革関連法案の成立を絶対阻止せよ。
 自民党を解体し、極右小泉を打倒せよ! 自民党総裁選は労働者人民を愚ろうする大反革命だった。日帝の危機の深刻さは、景気対策をやろうが、構造改革をやろうが、絶対に打開されず、世界大恐慌と戦争を爆発させる以外ない。だから総裁候補は四人とも集団的自衛権も、靖国公式参拝も、「つくる会」教科書の検定合格も当然だと言い放ったのだ。小泉はその急先鋒だ。
 「自民党の解党的出直し」とは従来の自民党では実行できなかった大リストラと憲法改悪−戦争政治を断行するということだ。恐慌と戦争しかないということは、資本主義社会そのものが破綻(はたん)しているということだ。
 労働者人民が自らの力で新しい社会をつくり出す時だ。その突破口を六月都議選−七月参院選で切り開こう。自民党解体、極右小泉打倒、国会の総翼賛政治を粉砕せよ。労働者人民の代表=けしば氏を都議会に送り込もう。
 あの残虐極まる侵略戦争を再び繰り返すのか否かが、日本の労働者人民に突きつけられている。
 アジア人民・在日アジア人民の激しい糾弾、金泳鎮(キムヨンジン)議員のやむにやまれぬ断食闘争に比して、われわれの闘いはまだまだ静かすぎる。もっと激しい日本の闘いがたたきつけられてしかるべきなのだ。その条件はある。「日の丸・君が代」闘争の闘いの広がりと力強さ、動労千葉の百二十時間に及ぶストライキ闘争など、連合の制動を突き破って日本の労働者階級は反撃を開始している。だからこそ前衛党の闘いにかかっているのだ。
 われわれは、今年の新年号アピールで、「二十一世紀こそは、帝国主義の基本矛盾が二九年型世界大恐慌と米日帝の朝鮮・中国侵略戦争−第三次世界大戦という形で全面的に爆発し、残存スターリン主義の破産と極限的な反革命が最後的に全面化し、それに対する全世界の労働者階級人民の怒りの決起が嵐(あらし)のような反帝国主義・反スターリン主義世界革命となっていく世紀である」と喝破した。このことが急速に現実化しているのだ。
 学生戦線の同志諸君、闘う学友諸君、とりわけ新入生諸君! 歴史を自らの力で動かす時が来た。一人ひとりの歴史選択、主体的態度が問われているのだ。

 連日署名運動と国会行動へ

 訴えたいことの第一は、今すぐ行動に立ち上がろうということだ。
 再びあの侵略戦争を繰り返すのか! 「つくる会」教科書を許していいのか! アジア人民の血叫びにこたえずにおれるか! 広範な労働者人民が強い危機感と闘いへの衝動に駆られているからこそ、目に見える行動が求められている。今やらなければならないと感じていることを断固とした行動で示そう。
 まず、「つくる会」教科書採択阻止と教育改革関連法案成立阻止の署名運動に決起しよう。
 「つくる会」は、右翼や反動を糾合してファシスト運動を組織し、全国で、とりわけ東京・杉並で、「つくる会」教科書の採択を狙っている。敵の反革命的意気ごみをはるかに上回る迫力で大署名運動を組織し、それを粉砕しよう。連合支配を打ち破って日本の労働運動を丸ごと動かす大運動にするのだ。全学連は、署名運動それ自身が一個の階級情勢になるまで、数千・数万の目標を掲げて猛然と署名運動を爆発させよう。国会、文科省、教育委員会への行動を組織し、デモに発展させよう。
 教育改革関連法案は、五月連休明け早々にも激突不可避だ。署名運動と結合して連日の国会行動に立ち上がろう。
 こうした闘いを、五・二七首都東京結集に総集約せよ。動労千葉や闘う教育労働者と合流し、名護新基地建設阻止、浦添軍港化阻止を闘う沖縄の代表とともに、大デモを打ち抜こう。国会を包囲し、日帝・文科省を糾弾し、自民党解体・小泉新政権打倒・総翼賛体制粉砕の闘いを荒々しく打ち抜こう。何よりも闘うアジア人民の歴史的決起にこたえ、日本とアジアにとどろく大デモを打ち抜こう。
 そして、ファシスト石原による「つくる会」教科書採択攻撃の阻止に全力をあげる東京・杉並の住民とともに闘い、その先頭に立つけしば候補の都議選勝利のために全国から駆けつけよう。
 これらと結合して、沖縄人民と連帯し、日帝の沖縄圧殺政策に怒りを燃やして五・一五沖縄現地闘争に決起しよう。
 暫定滑走路建設で、再び農地強奪に手を染めようとする日帝と堂本千葉県知事を許さず、反対同盟を守り抜く三里塚五月闘争に駆けつけよう。

 第2章 あの残虐極まる侵略戦争を再び繰り返してはならない

 訴えたいことの第二は、あの侵略戦争を再び繰り返すのかということが重大な決戦になっているということだ。

 教科書問題は戦争の問題だ

 「日本軍国主義者らは中学校用歴史教科書において、不法無効な、いわゆる『韓日合併』を正当な合併と、侵略的な太平洋戦争を『植民地解放戦争』と歪曲描写しただけでなく、侵略戦争で強行した彼らの悪辣(あくらつ)な犯罪的蛮行についても言及すら全くせず、暗闇(やみ)の中に葬り去ろうとしている。これは、厳然たる歴史的事実を否定し、彼らの前代未聞の戦争と侵略、略奪の犯罪を美化しようとする白昼強盗的かつ破廉恥な歴史ねつ造行為だ」(南北朝鮮の三労働団体の声明)
 日帝によって侵略された側の当事者であるアジア人民が、この歴史歪曲・侵略賛美の「つくる会」教科書は絶対に認められないと言っている。にもかかわらず日帝は傲然(ごうぜん)と居直っている。どうしてこんなことが許されるのか。いったいなぜ「つくる会」教科書が検定に「合格」してしまうのか。
 日帝がもう一度戦争をやろうとしているからだ。
 「つくる会」教科書問題は現実の戦争の問題だ。間違っても歴史観や歴史解釈をめぐる論争ではない。それは一部の右翼の荒唐無稽(こうとうむけい)な話などではない。「つくる会」教科書の大攻撃を軽視したら大敗北を喫することになる。日帝は、朝鮮・中国侵略戦争参戦と戦争国家化=改憲の中央突破のために、まさにその政治目的のために戦後教育解体に攻撃を集中し、国家意志として歴史歪曲・侵略賛美・国家主義の「つくる会」教科書の強行に全体重をかけてきているのだ。この点を徹底的にはっきりさせなければならない。
 「つくる会」教科書攻撃は、新安保ガイドラインを突破口とする戦争国家化攻撃、すなわち、沖縄圧殺=名護新基地建設、自衛隊の侵略軍隊への転換や首相権限の強化を核心とした省庁再編、組織的犯罪対策法を始めとする治安体制の強化、「日の丸・君が代」の法制化と教育労働運動解体、第九条破棄を核心とした憲法改悪といった一連の大攻撃と完全に一体のものである。むしろ反革命的魂を吹き込んで、階級関係をぶち抜き、中央突破を図るテコなのだ。
 さらに「つくる会」教科書攻撃は国会提出が準備されている有事立法攻撃と完全に一体だ。有事立法は人と物を戦争に動員するために、基本的人権を制限・否定する戦争法である。「つくる会」教科書は、労働者人民を戦争に動員するために、゛日本の行う戦争は自衛戦争で正当だ″゛日本がアジアを解放する″゛国家のために犠牲になるのは素晴らしい″゛国防は義務だ″といったイデオロギーを労働者人民にたたき込む大攻撃なのだ。
 教育改革関連法案も「つくる会」教科書とまったく一体だ。文科相・町村は「大学入試を九月にし、高卒後の三〜四カ月を奉仕期間とする」「三カ月自衛隊に入隊すればしゃきっとする」などと「奉仕活動」が徴兵制と直結していることをあけすけに語っている。 
 教育現場ではすでに沖縄米軍基地の問題を授業で教えた中学教師が研修所送りにされるという事態が起こっている。
 教育改革関連法案とは、@「つくる会」教科書を「日の丸・君が代」以上の踏み絵にして、歴史の真実を教える教師を「不適格教員」として弾圧・追放し、「教え子を戦場に送るな」のスローガンを掲げて闘ってきた教育労働運動を解体し、A「つくる会」教科書と「奉仕活動」をもって「国家への忠誠」をたたき込み、B それに従わない子どもは「問題児」として「出席停止」にするということなのだ。こうしてとんでもない軍国少年少女を作ろうとしているのだ。
 しかも、日帝が、韓国政府からの再修正要求を傲然と拒否していること自体が、日韓関係に激しい緊張をもたらしている。国際的な没落と孤立の中から日帝が今にも侵略戦争に突入していっても不思議でないような事態なのだ。日帝は、世界大恐慌下、米帝の対日争闘戦がいよいよつぶし合いの死闘となる中で、明白に、敗戦帝国主義としての制約を反動的に転覆する政策に踏み出し、新たなアジア侵略戦争の道を暴走しているのだ。

 アジア人民と連帯する闘い

 歴史歪曲を許さないとアジア人民は激しい糾弾に決起している。
 このアジア人民、在日朝鮮人・中国人は、日帝の植民地支配と侵略戦争によって、家族を殺され、自らも傷つけられ、あるいは家族と引き裂かれ、強制連行され、敗戦後も本国に帰ることのできなかった人びととその子孫にほかならない。
 日帝の植民地支配と侵略戦争の歴史が、彼らを今なお苦しめ続け、その存在をいやが上にも規定してきている。だから、日帝がその侵略の歴史をねじ曲げ、隠蔽(いんぺい)し、賛美するということは、虐殺された二千万人ものアジア人民とその生き証人であり遺族でありその子孫である数十億の人びとをもう一度踏みにじる行為なのだ。
 このことは、日帝にとって、闘うアジア人民の存在と闘い、その告発が致命的な弱点をなしていることを示している。とりわけ日本軍軍隊慰安婦とされた人びとの歴史的決起は、日帝の新たな侵略戦争への突進に対して真正面から立ちはだかり、日帝の国家的犯罪と天皇制の恥ずべき本質を暴き出し、日帝を根底から揺さぶり、日本の労働者人民の闘いを鼓舞激励している。
 それゆえ、日帝は、軍隊慰安婦とされた人びとの闘いをなんとしても抹殺し、それと連帯する闘いを分断しようと躍起になっている。
 日本人民にとって、アジア人民の告発と糾弾に学び、日帝の侵略戦争の歴史を徹底的に暴露し、この侵略戦争を再び繰り返すのか否かを問うこと自身が、アジア人民との連帯を深め、階級性を鮮明化していくことであり、日帝を決定的に追い詰めていく闘いなのだ。

 第3章 歴史歪曲と皇国史観復活の教科書の正体を暴き尽くせ

 「つくる会」教科書採択をめぐる決戦は、新たな侵略戦争へと突進する日帝の数年がかりの教科書攻撃との大激突であることをはっきりさせたい。
 日帝の九〇年代の教科書攻撃は、九二年PKO派兵という日帝の新たな侵略戦争過程への踏み切りと、それ対する軍隊慰安婦とされた人びとを先頭とする怒りの決起があり、それが九六年の中学校教科書の軍隊慰安婦問題の記述となったことから始まった。
 危機感と憎悪に駆られた日帝と藤岡信勝らが軍隊慰安婦問題を始めとする侵略の歴史の教科書記述を削除させよという運動を開始した。それが「新しい歴史教科書をつくる会」である。
 会員は一万人以上、各都道府県に四十八支部、年間予算は四十一億二千万円、産経新聞や『諸君!』『正論』などのマスコミと結託して大々的に宣伝し、地方議会への請願運動、「日の丸・君が代」反対を闘う教育労働者への集中攻撃、軍隊慰安婦とされた人びとへの排外主義的恫喝など、まさにナチスばりのファシスト運動を展開してきた。
 日帝は、このファシスト運動を使って教科書会社に圧力をかけ「自主規制」させ、軍隊慰安婦問題の記述を始めとする侵略の歴史の記述を相当部分削らせてきたのだ。この中で「つくる会」教科書を作成し、全国自治体での採択を狙って教育委員や選定審議会委員への工作を繰り広げている。
 この中で、「ヒットラーになりたい」などと公言する石原の支配下の東京都、とりわけ杉並区が全国攻防の焦点だ。石原と都教委は、゛「わが国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」教科書を選定せよ″゛教科書の採択権は教育委員にあり、教職員は排除する″という圧力をかけ、杉並区では、「つくる会」教科書採択に率先する山田区長が昨年十一月、教育委員を統一協会系の人物に入れ替えるという他に例を見ない人事を強行した。
 反撃が開始されている。杉並では地域住民による反対運動が始まった。杉並で採択策動を決定的に挫折させ、全国に運動を押し広げ、日帝の戦争国家化=改憲攻撃を粉砕しよう。都議選決戦に勝利しよう。
 「つくる会」教科書攻撃との闘いは、警察、右翼、ファシストなどとの内戦的闘いとなる。これを恐れて沈黙したら、再びあの戦争を繰り返すことになるのだ。排外主義の刃(やいば)がまず闘うアジア人民・在日アジア人民に向けられていることをはっきりさせ、支援・防衛・連帯の闘いに決起しよう。そして教育労働者や地域住民の闘いへの弾圧、襲撃を、職場と地域の団結ではね返そう。学生はその先頭に立とう。
 さらに、゛日本が主権国家として有する自衛権は承認する″として「有事の自衛隊の活用」を明言する日本共産党、「日本民衆も『リメンバー・逆パールハーバー』!」などと反米愛国スローガンを叫ぶカクマルが「つくる会」教科書に根本的なところで共鳴し、闘いに敵対していることを暴き出して闘おう。

 アジア人民の告発の重大性

 訴えたいことの第三は、「つくる会」教科書に対する暴露と批判の徹底的な遂行である。
 (1)まず、「つくる会」教科書が、日帝の新たな侵略戦争という政治目的のために書かれていることをはっきりさせることだ。
 (2)何よりも、アジア人民の怒りの告発と証言こそ、「つくる会」教科書を完膚なきまでに粉砕する力だ。朝鮮植民地支配、ニセ「満州国」デッチあげ、軍隊慰安婦制度、南京大虐殺、七三一部隊や三光作戦などの戦争犯罪の事実を怒りを込めて徹底的に暴き出すことだ。これが侵略戦争だ、これを繰り返そうとしていることを突き出すことだ。新入生に対して戦争とは何かということを前提化できない。逆に、小林よしのり的な主張をぶつけてくる新入生もていねいに事実を暴露すれば、転換的に獲得することはまったく可能だ。
 (3)戦争の階級的性格を徹底的に批判することだ。
 「つくる会」教科書はまず「自衛」を口実として侵略戦争を正当化している。帝国主義は、侵略戦争の発動に際して、「脅威」をデッチあげ、排外主義をあおり、国家や民族の「自存自衛」を口実とする。「自衛戦争」を認めてしまった時に労働者人民は帝国主義の侵略戦争動員攻撃に敗北するのだ。
 次に、「アジアを解放するため」という論理で侵略戦争を正当化している。その背後には“アジアは遅れている゜という度し難い排外主義的偏見と蔑視(べっし)がある。アジアにおける反封建闘争から反植民地闘争の偉大な歴史を明らかにして粉砕することだ。
 さらに「欧米列強に対する自存自衛のためそれ以外なかった」という敵の論理は、帝国主義が侵略戦争・世界戦争を不可避とするという真理から逃れられないことを自己暴露している。それは、労働者人民にとっては、資本主義の歴史的命脈が尽きているという意味である。そして、労働者人民は戦争を不可避とする帝国主義を一日でも早く打倒するために、闘うアジア人民と連帯し、また、万国の労働者階級と団結して、自国帝国主義打倒に決起するという革命的な歴史選択ができるのだ。
 (4)天皇制・天皇制イデオロギーの復活を狙っている点を批判することだ。
 「つくる会」教科書は天皇制を全面的に賛美し皇国史観を貫いている。さらに「国家への忠誠」「国防の義務」「『私』に対して『公』の側面」を強調して労働者人民の階級的団結と闘いを攻撃している。そして、国家、民族、伝統といった価値の方が労働者人民の命より尊く、そのためには「生命を犠牲にせよ」としている。その頂点として特攻隊や「玉砕」を称揚し、転倒した死生観を叫んでいる。
 しかし、かつて一度大破産した天皇制を持ち出さなければならないところに日帝の戦争国家化攻撃の最大の破綻性がある。
 「つくる会」教科書が触れない関東大震災での朝鮮人・中国人虐殺や、治安維持法弾圧の史実を暴露することだ。そして、労働者人民が侵略戦争阻止の決戦を闘おうとしていた幾多の事実を明らかにすることだ。
 そして、それにもかかわらず戦前の階級闘争が敗北したのは、スターリン主義の「二段階革命論」によってプロレタリア国際主義と革命的祖国敗北主義の立場が解体され、労働者階級の闘いを発展させることができなかったからであったことを突き出すことだ。その結果、強制された恥ずべき帰結が、特攻隊や「玉砕」だったのだ。
 言い換えれば、労働者階級は、スターリン主義の制動から自己を解放するならば、戦後民主主義の限界をのりこえて、闘うアジア人民と連帯し、荒々しい階級的力をもってブルジョア国家を打倒し、自らの権力を打ち立てる能力を持った存在なのだ。そして、自己の階級的解放をかけて犠牲を恐れず闘うというのが労働者階級の死生観なのだ。
 (5)総じて、「つくる会」教科書の壊滅的批判とは、日帝の帝国主義としての歴史的成立から今日の没落化にいたる、腐敗し、脆弱(ぜいじゃく)で凶暴な本質を暴き出し、日帝を帝国主義として立ち行かない状態にたたき込む実践である。そして、それはスターリン主義による制動を打ち破って、二度とあの戦争を繰り返さないという労働者階級人民の誓いを全面的に発展させて、「連帯し内乱へ」の闘いを階級的立場として打ち立てていく闘いである。同時に、それはアジア人民と日本人民が一個の国際プロレタリアートとしての団結を回復し、国際プロレタリアートとしての一個の歴史を闘いとる闘いでもあるのだ。

 自治会建設と『前進』拡大を

 第四は、自治会建設と『前進』拡大である。二〇〇一年新歓闘争は激動情勢の中で左右の分岐が促進され、例年になく成功裏に進行している。今こそ全国学生戦線の革命的統一の大目標を掲げ、全国大学で新たな自治会建設の闘いを推進しよう。左右の分岐をさらに促進し、新入生にストレートに『前進』を拡大しよう。
 全国の闘う学生は、極右小泉政権と全面対決し、五・二七闘争と都議選必勝へ総力決起せよ!

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2004号7面2)

千葉県議会に抗議デモ 反対同盟を先頭に
 堂本の完全空港宣言に反撃

 三里塚芝山連合空港反対同盟は四月二十日、「堂本の『話し合い』攻撃粉砕・収用委再任命阻止」を掲げ、この日から始まった臨時千葉県議会に対して、緊急デモに決起した。
 千葉市の中央公園に約六十人が結集し、デモ出発前に集会を開催した。
 まず、北原鉱治事務局長があいさつした。
 「堂本暁子知事は、三十五年間の三里塚闘争の原点がどこにあるのかまったく知らない。環境派などと言っているが、成田空港建設で破壊された自然環境にはまったくふれない。堂本は、沼田前知事ができなかったことをやろうとしている。きょう、反対同盟は意思表示に来た。堂本に幻想はない」
 本部役員の三浦五郎さんは、「いかなることがあっても農地死守・一切の話し合い拒否で空港廃港まで断固、闘う」と宣言した。
 本部役員の鈴木幸司さんは、「日本は戦争に向かっている。十代のころの天皇制教育で中国侵略へかり出された。『つくる会』教科書は、大東亜戦争だと言っているが侵略以外のなにものでもなかった。堂本は市民派、環境派などと言うなら三里塚を三十五年前の地に戻せ。勝利まで闘う」と訴えた。
 同盟発言の最後に、萩原進事務局次長は、「彼女は一度現地へ来て、収容所のような中で暮らしている住民を見ている。軒先工事で何が起きているのか知っている。それでも完全空港を目指すというのだ。きょうは県民をごまかす堂本知事の化けの皮をはがしに来た。二期をやれるならやってみろ。反対同盟は警告に来た」と堂本知事に挑戦状をたたきつけた。
 最後に全学連の学生が「三里塚闘争破壊、住民たたき出しを許してはならない。堂本は現地の生活破壊の実態を知りながら完全空港を目指すと言っている。絶対許さない。話し合いというのなら、まず更地にもどせ。反対同盟を守り抜き、暫定滑走路粉砕へ闘い抜く」と決意表明した。
 デモに出発。反対同盟の「再び農地強奪を企てる堂本を弾劾し闘います」の訴えに大きな注目と共感が集まった。
 堂本は知事当選直後は「真摯(しんし)に話し合いたい」などと言っていた。しかし、その舌の根も乾かぬ四月九日、森首相、扇国土交通相と相次いで会談し、成田空港平行滑走路の完成を要望した。併せて国、公団、千葉県、空港周辺市町村の四者による協議機関の設置を決めたのだ。
 堂本はまた、生活破壊の軒先工事を続け、農家の上空四十bにジェット機を飛ばして、農民をたたき出そうとしている。収用委員の再任命も狙っているのだ。絶対に許してはならない。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2004号8面1)

完全に破産した黒田哲学 ”原点”における観念論への陥没
マルクス実践的唯物論の完全否定
 3・14虐殺者、日本労働運動の破壊者=黒田
 仲山 良介

 はじめに

 カクマル黒田とJR総連・松崎は、昨年の秋から冬にかけて、JR九州労の集団大脱走事件(十月)とその直後のカクマルによる坂入充拉致事件(十一月)をもって最後的大分裂状態に入った。二〇〇〇年十二月八日のカクマルによる「JR総連運動の終焉(しゅうえん)」「JR総連は階級の敵」「JR総連本部打倒」の党声明は、両者の対立・敵対関係がもはや収拾のつかない全面的なものに発展したことをはっきりと確認している。また、その翌日に行われたJR東労組の全支部委員長会議において、 東労組会長を名のる松崎は、「カクマルと最後的に決別した」こと、「どんなに脅されても、二度とカクマルに資金を提供しない」こと、これからはただ一心に「会社を守るためにがんばる」ことなどを宣言した。この会議は、実は組合大会以上に重要な意義を持っており、会社幹部の同席のもとで松崎が本音をさらして会社への忠誠を誓う場となった。この場で松崎は「今後の人生は、身も心も権力と資本にささげる」という、へどの出るような発言をしたのである。
 もともとJR総連本部のカクマルとの全面的な決別の動きは、松崎の意志を抜きにしてはあり得ない。松崎の決断・承認・推進なしには、九州労の陰謀的な集団的離脱の計画も、さらにその後のカクマル解放社官僚に対する連続的な告訴や、JR総連組合員を動員しての「カクマルが拉致犯人」という指名手配ビラの全国駅頭での配布なども生じ得ない。そのことは、カクマルが拉致した坂入充が松崎の側近中の側近というべき存在であることを見ただけでも明白である。坂入は、松崎がJR総連カクマルをカクマル党から相対的に独自化する狙いをもって進めてきた『自然と人間』運動の事務局長だった。このような存在だからこそカクマルの拉致の対象となったのである。
 これに対して松崎は、カクマルによる坂入拉致を直接権力に訴え、権力の力でカクマルのJR総連に対する「非公然軍事作戦」の発動を抑え込もうとしている。松崎は、カクマルが内部思想闘争と称して、繰り返し殺人的内部テロルを行使してきた事実を知り尽くしている。例えば、九二年に大阪で起きた沖縄私学労組役員・高橋利雄を内部テロルで殺害した事件である。カクマルは「完全に死なないうちに(高橋を)病院の玄関(大阪の病院!)にほうり出したのだから殺害とはいえない」と弁解しているが、これこそは拉致・監禁・内部テロル殺人の自認である。
 したがって松崎は、坂入が殺害されるケースをも前提に、そうなった時にJR総連が陥る破滅的な事態を思い描いて恐怖しているのである。だからこそ直ちに権力に救出を要請し、「カクマルはオウムと同じ」というキャンペーンを展開したのだ。つまり「坂入は殺される」とわめいたのだ。
 カクマルは、それに打撃を受け、坂入の写真を機関紙に公表して「このようにまだ生きている」「拉致ではなく内部思想闘争だ」と弁明した。権力は、このカクマルのインチキな弁明を受けて、カクマル組織への「捜索」強行を手控えた。「カクマルが弁明している以上、強硬策はとれない」と権力はマスコミに説明しているという。なんたるK=K連合!
 とりあえず「坂入はまだ生きている」ことがはっきりしたので、JR総連の側もいったんはトーンダウンしたかのように見えた。だが今年の二月末には、坂入の家族とJR総連が大宮市議会や大宮署などに救出要請行動を起こした。また三月冒頭には、JR総連が数百人規模の組合集会で坂入問題を取り上げている。
 これらを受けて権力は、全国のカクマル公然事務所へのアリバイ的家宅捜索を行ってみせた(三月五日)。もちろん、坂入がそこにいないことをあらかじめ確認した上でのことだ。
 要するに、坂入は依然としてカクマルによって拉致・監禁されているのである。カクマルは、半年近くも坂入を監禁し続けて「内部思想闘争」なるものを展開しているわけだが、もはや坂入を「釈放」することもできないし、高橋のように殺害するわけにもいかないところに追いつめられている。開き直ったカクマルは、松崎を牽制(けんせい)するための人質として坂入の監禁を継続しようと腹を決めているともいえる。
 JR総連の側も坂入問題をあいまいにすることはできない状況にある。JR総連としては、坂入を拉致されたままでカクマルとの関係に一段落を付けることなど不可能である。この状態が続けば松崎は決定的窮地に追いつめられる。JR総連・松崎は全力で坂入の奪還(「早期解決」)を追求せざるを得ないのである。
 JR総連とカクマルの大分裂は、反革命としての本質的矛盾の必然的な爆発であり、不可逆的なものだ。それが坂入拉致問題という異様な形をとって次なる大破綻(はたん)へと進みつつあるのだ。

 第1章 松崎JR総連を解体一掃し階級闘争の新たな発展開け

 事態の本質的核心は、JR総連・松崎がカクマルを振り捨てて(縁を切って)、権力と資本(JR東日本)の完全な手先に純化し、もっぱら会社の労務政策を貫徹するためにのみ存在する、労働組合を名乗る独特の反革命的組合官僚集団として生き延びようとしていることにある。
 つまり、この分裂の「主導権」は松崎の方にあるのだ。カクマルが松崎を切り捨てたのではない。松崎の方がカクマルを最後的に切り捨てたのである。カクマルの側からいえば、九一―九三年の賃プロ問題爆発以後の松崎との「和解」のための全努力が破産して、ついに弊履のごとく投げ捨てられたということなのだ。
 本紙新年号以来、確認してきているように、これは本質的な意味でカクマルという党派の死を意味する。なぜなら、カクマルは、黒田が松崎とともに革共同から脱落・逃亡することによって生まれ、カクマル黒田のインチキ組織論は、松崎という人格をとおして初めてある程度現実的なものとなった、という関係があるからである。また松崎にとっても、動労カクマルのハイエナ的組織作りと八〇年代の国鉄分割・民営化への反革命的突進(ファシスト労働運動)は、黒田理論の後光とカクマルの白色テロルをバックに成立した、という関係がある。したがって、JR総連・松崎が黒田をも否定してカクマルとの決裂を選択したことは、カクマルという党派の生命線がついに断ち切られたことを意味する。カクマルという党派は本質的に死んだのである。
 カクマルは、九〇年代前半から、このような最悪のシナリオを回避するためにありとあらゆる手を打ってきたが、総破産した。カクマル中央は、九三年以後、一方で賃プロ問題を引き起こしたことについてJR総連カクマルにわびを入れながら、同時にJR総連内カクマルがカクマル中央に向かってしかけた「反党陰謀活動」を粉砕する闘争を展開してきた、と言っている(『解放』二〇〇一年新年号の中央労働者組織委員会論文)。賃プロ問題を経て遅くとも九三年ごろにはJR総連カクマルがカクマル内で相対的に独自の集団と化していたこと、JR総連・松崎がカクマル中央のインチキな自己批判なるものをまったく認めようとしなかったこと、それどころか松崎の方から「反党陰謀活動」がなされたこと――松崎がカクマル党中枢を支配しようと策動したこと――などをカクマルの側から確認しているのである。しかも、その「反党陰謀活動」粉砕闘争の結果は、数人の古参メンバーを獲得しただけで完全な失敗に終わった(同)。この数人の古参メンバーとは、昨年秋にJR九州労事務所に押しかけて、九州労側から暴力事件で告訴された三人である。
 カクマルの国鉄分割・民営化への全面協力という反階級的大裏切り路線は、早くも九〇年代の前半において、そのあまりの反労働者性によって、カクマル組織内でどうにもならない矛盾を噴出させていたのである。動労千葉と国労の戦闘的な労働者および闘争団の不屈の闘いがこうした事態を作り出したのだ。
 昨年冒頭からの大分裂劇の展開によってはっきりと確認されることは、JR総連カクマルの頭目として松崎が九〇年代冒頭(遅くとも九四年)にはカクマルと縁を切って「組合権力集団=官僚集団」として自己目的的に生き延びる道に踏み込んでいたということである。松崎の『自然と人間』運動も、九四―九六年に展開した『寺子屋賃金ばなし』講座も、すべてカクマルからの組織的分離=独自存在化に向かっての動きだった。松崎は、もはや桎梏(しっこく)となったカクマルに見切りをつけ、カクマル党中央の存在を無視して(ただダーティーな非合法作戦などをやらせる部隊として利用しつつ)、一番都合のいい形での分離・決別に向かって進み出していたのだ。
 だがカクマルとの関係は、松崎がその意志を固めたからといって簡単に切れるようなものではない。松崎こそはカクマルの実体的本質だからである。JR総連は、カクマルが作り上げた唯一最大の「成果」であり、それを失ってはカクマルは成立しない。JR総連の喪失はカクマルの全歴史と存在の否定を意味する。
 だからこそ、JR総連から絶縁状を突きつけられたカクマルは断末魔的に凶暴化し、前後の見境なく、JR総連カクマルのナンバー2、坂入充を拉致・監禁したのだ。「内部思想闘争」と称するカクマルの内部テロル殺人の歴史を知っているJR総連は、カクマル最高幹部の一員である西条(木下)らを権力に告訴し、カクマルのテロ作戦部隊の顔写真を全国の主要駅で「指名手配ビラ」としてばらまき、カクマルの解放社本社周辺でも「坂入返せ」の全戸ビラ入れを行った。
 JR東日本経営陣が二十一世紀への生き残りをかけて大合理化計画を打ち出し、カクマルとの関係の整理を含む新体制の確立に向かって動き出したことによって、松崎はもはや一刻の猶予もならないところに追いつめられていた。最終的には、JR東日本経営陣の「大塚体制」への移行をめぐって、資本(権力)は松崎に対し、カクマルとの明確な組織的決別がないかぎり生き残れないことを最後通牒(つうちょう)的に突きつけた。これ以上のあいまいな関係は許さないと。これによって松崎は最後的な決断をした。たとえ血が流れてもカクマルと全面的に決別するしかないと。
 カクマルは、大塚新体制がカクマル否定の踏み絵を掲げている以上、それとは一線を画す形をとるべきだと主張した。しかし、もはや松崎にとってはこのようなカクマルの要求を受け入れる余地などない。松崎は「大塚体制は、葛西のJR東日本乗っ取り策動を粉砕し、完全民営化を実現するための体制であり、むしろわれわれが確立したのである」と強弁し、カクマルを「大塚体制反対とか打倒とかの空文句を掲げる連中」と決めつけ、つばを吐きかけた。カクマルを今やJR総連に対立する集団と規定したということだ(松崎自身がこのように明言したのは十二・九講演が初めてだが、大塚体制の評価をめぐる内部対立は一年以上も前から公然化していた)。ここから「カクマルの終わりの始まり」としての今度の分裂抗争劇が始まったのである。

 「松崎=中立」の自己欺瞞で分裂を隠蔽

 ところがカクマルはいまだに、松崎から絶縁され地べたに投げ出されたという事実をはっきり認めることができない。それどころか、二月四日のカクマル労働者集会では、なしくずし的に、党として「JR総連運動は終焉」「JR総連は階級の敵」「JR総連本部打倒」(十二・八JR総連打倒声明)と言ったことがないかのようなあいまいな態度をとった。そして哀れにも、松崎がいまだにカクマルの味方またはJR総連現執行部とカクマルとの間にいる中立的存在であるかのように言う自己欺瞞(じこぎまん)的言辞をばらまくことに熱中している。それは何を意味しているか。
 第一に、カクマルは、十二・八JR総連打倒声明をカクマル組織内にすら貫徹できない状態に陥っているということだ。この十二・八声明を貫徹しようとすれば、カクマル組織はあの賃プロ問題の時以上の大混乱に陥ることは確実である。したがってカクマルは、JR総連運動終焉・打倒と声明した事実そのものが存在しないかのように振る舞っているのである。JR総連を「正しいあり方に戻す」ために闘っているにすぎないかのような欺瞞的な解釈に態度を変更して事態をごまかしているのだ。問題をごまかそうとしているのはカクマル中央なのに、十二・八カクマル声明を日本語として正しく読めない人(カクマル党員)が問題なのであると恫喝している。
 だが、JR総連がカクマルを三連発で権力に告訴した事実はどうなるのか。これをもって「JR総連はカクマルに対して全面的に敵対しただけでなく全労働者階級の敵となった」とカクマルは断言したのではないか? つまり、JR総連をよくする運動を展開するのではなく、全面的に打倒する闘いに決起すると宣言したのではないか? 十二・八カクマル声明は撤回されたのか? こうしたカクマルの動揺的な態度は、当面の時間稼ぎにもならないどころか、カクマル組織の混乱を極限的に激化させる効果を持つだけである。それは、カクマルがどんなにグラグラになっているかを示している。
 第二に、カクマルは、松崎から絶縁されたこと、松崎がカクマルとの決別を決断し実行し、公然と宣言もしているという事実を認めきれないということである。これほどの明々白々たる事実をあいまいにして事態を乗り切れるかのように振る舞っているのだからあきれてしまう。松崎こそがカクマルを権力に告訴している張本人ではないか。松崎こそがカクマル中央に対する「反党陰謀活動」の張本人であり震源地であることは、あまりにも明白ではないか。それなのにカクマルが松崎を公然と断罪しない、できないのはなぜなのか。それを解くカギは、カクマルの出生の秘密そのものにある。
 カクマルとは何か。カクマルとは、六三年に革共同から脱落・逃亡した黒田を頭目に、革共同への敵対のために形成された反マルクス主義的転向集団である。このカクマルの出発点において松崎の存在は決定的であった。
 松崎の存在によって初めて黒田はカクマルの「階級的・労働者的本質」なるものを語ることができた。松崎なしには、カクマルは出発することすらもできなかったといえる。黒田の組織論が現実的なものであるかのように押し出されたのも、松崎の存在があってのことである。松崎の右翼的感性と体質(右翼的実践)を黒田理論で哲学的に粉飾することによってカクマルの組織現実論なるものは形成されたといえる。
 さらには七〇年決戦への敵対と本格的な白色テロルへの踏み切り、七五年三・一四反革命(本多書記長虐殺)と謀略論の満展開、そして八〇年代の国鉄分割・民営化=総評解体路線への突進、これらはすべて黒田プラス松崎で成り立ってきた。出発点から現在まで、カクマルは松崎なしには成立しえない党派なのだ。
 カクマル自身もこのことを繰り返し確認してきた。例えば、九六年に黒田が議長辞任劇を演じた時のカクマル政治集会で基調報告をしたのは朝倉であるが、朝倉は、賃プロ問題に関する自己批判(賃プロ主義者の発生を許したにもかかわらず、まじめに自己批判しなかったことについての松崎への謝罪)の意味を込めて、「カクマル組織の労働者的本質を体現しているのは松崎である」と確認し、かつての松崎の発言を引用して、松崎に最大限の敬意を表する態度を示している。どうしてここまでやるのか。次のように考えれば理解しやすいだろう。
 カクマルから松崎を取り去ったら何が残るのか。黒田カクマルに残るのは、三・一四反革命=三・一四虐殺者という規定と、謀略論のデマゴギーだけである。カクマルという党派は、白色テロルにウソとデマをプラスしたオウム以下的なカルト的集団でしかない。JR総連内カクマル組織が二つに分裂したのではなく、松崎の直轄下にあるJR総連カクマルが丸ごとカクマルから離脱し、カクマルという党派を捨てたことは、このようにカクマルという党派の死を意味する深刻な事態なのである。

 権力・資本への依存でカリスマ性失う松崎

 では、松崎にとっては事態はどうなっているのか。松崎はJR総連という物的基盤の上に立っている。松崎とカクマルの階級的本質やそのイデオロギーの本質は同じである。しかし、松崎にとっては資本との癒着・結託の維持こそがすべてであって、マルクス主義の仮面を維持するかどうかは二の次である。むしろ、マルクス主義者としての建前の維持が資本との関係においてもはや有害となった以上、それは投げ捨てられなければならないのである。
 松崎は九四―九六年の『寺子屋賃金ばなし』講座の中で、黒田のイデオロギーにのっとりつつマルクス主義からの完全離脱を図ろうと努力していた。「労働組合は資本主義を是認する」「是認するといえばどこまでも是認する」「『賃金・価格・利潤』のマルクスは労働組合も労働者階級の究極的解放を目指すと言ったが、あれは間違いである」「科学的法則というものがあって、それには従わなければならない」――松崎はこのようなことをまくし立てている。
 まだマルクス主義との関係で問題を整理しようとしてはいるのだが、しかし、その段階ですでにマルクス主義の全面的清算をはっきりと目指していることが分かる。むしろ松崎は、はっきりとマルクス主義を否定しつつ、「ニアリーイコール」と称して、労資協調路線を超えた労資協力の立場からの資本との癒着を自己目的化しているのである。つまり、松崎の「辞書」からは、労働者階級の階級的立場とか階級闘争あるいは労働者階級の全面的な解放というような項目そのものが抹消されたのである。松崎にとっては、それこそが会社と労働者の生活を守る現実的な道であるとされている以上、何の問題もないのである。
 松崎は『寺子屋賃金ばなし』において「労働者とは実際に労働している人を指すのであって、失業したものはもはや労働者とはいわない」という思想を披瀝(ひれき)している。これは労働者階級の存在を原理的に否定するとんでもない思想だ。現実的には、首になった労働者はもはや労働者ではないとして、階級的な団結を否定し、資本のリストラ攻撃を貫徹していくイデオロギーである。資本が必要としないものはもはや労働者ではないことになる。このように松崎は、ニアリーイコール論を媒介にマルクス主義の残滓(ざんし)などはすべて清算して完全な産業報国会の思想に「飛躍」したのだ。JR総連は、九九年に連合新政治方針への対案提出の形をとって新安保ガイドライン賛成―戦争協力の立場を表明した。松崎はまさに完全な産業報国会運動の推進者として自己を位置づけきったのである。
 松崎には、もはやどんな意味でもマルクス主義は有害無益なのである。松崎は、カクマルとは別の「松崎的なマルクス主義理論」を掲げようとしているのではない。今の松崎は、文字どおり全面的に資本の露骨な手先となって生き延びることを自己目的としている。松崎はそうなってもしばらくはやっていけると考えているが、本質的には労働者の下からの階級的決起を死ぬほど恐怖している。JRの現場に渦巻く労働者の怒りの大きさ、激しさ、そして労働者階級全体の階級としての怒りのすさまじさを松崎はひしひしと感じている。そしてJR総連の上からの労働者支配が破綻寸前となっていることも自覚している。そうであればあるほど、松崎はますます露骨に資本の方へとすり寄って行かざるを得ない。
 松崎は、カクマルを切り捨てたことを代償に大塚体制のつっかい棒としてJR総連が認められたことは「われわれの勝利」だなどと言い(十二・九講演)、動労千葉と国労の闘う労働者にさらに激しく襲いかかるだけでなく、JR総連の組合員をも新たなリストラ・大合理化の犠牲に供しようとしている。
 だが、こうした構図そのものが松崎・JR総連を解体・打倒する条件の成熟を告げ知らせている。JR総連は、三月末―四月冒頭の動労千葉百二十時間ストライキに対して、これを正面から非難・弾劾することはおろか、ケチつけビラの一枚すらまけなかった。JR総連組合員も含むJR労働者の圧倒的な共感がJR総連の敵対を打ち破ったのである。資本の日常的な攻撃と対決して労働者の権利・利益を守るという最低限の役割も果たさず、「国鉄改革の完遂」を絶叫して労働者に襲いかかることだけをその使命とするJR総連の本性は、今やJR総連組合員にとっても明白となりつつある。
 権力と資本の力のみに頼ってJRにおける労働者支配を貫徹することは絶対に不可能である。松崎の「カリスマ」性は今急速に失われつつある。動労千葉のストライキ闘争は、JR総連を解体・打倒する下からの階級的決起の号砲である。国労における四党合意粉砕・闘う国労再生の不屈の闘争がこれと結合する時、JR総連を解体・打倒する現実的情勢が切り開かれることは確実である。
 そして、それこそが、JR総連から切り捨てられながらもJR総連を批判できず、惨めにも松崎にこびを売ることしかできない党派としてのカクマルをさらに決定的に追いつめる最も有効な闘いとなる。当然にも、党派としてのカクマルの断末魔のあがきは、松崎・JR総連の反労働者性を満天下にさらけだし、JR総連の解体的危機を大いに促進する。両者は一体である。それはまさに、日本の階級闘争、日本の労働運動を大きくゆがめ、害悪の限りを尽くしてきたカクマルという希代の反革命とそれが作り出した最大の実体=JR総連を根底的に打倒・一掃し、階級闘争と労働運動の新たな発展期を切り開く闘いそのものである。

 第2章 最後の砦=黒田哲学に攻め込みカクマルの完全打倒へ

 以上のように断末魔的な危機にたたき込まれているカクマルの唯一最大の「砦(とりで)」は黒田哲学である。カクマルは、JR総連松崎から絶縁状を突きつけられた現実の中で、いよいよ黒田哲学にしがみつくしかなくなっている。
 実際、黒田という人格と黒田哲学なる反革命的なイデオロギーこそがカクマルの最後の砦なのである。われわれは、三・一四反革命を凶行し、松崎をとおして国鉄分割・民営化の階級的大裏切りを推進してきた黒田、黒田カクマルを絶対に許さない。われわれは、階級闘争の現場でカクマルの一切のあがきを打ち砕くと同時に、カクマルの黒田哲学なるものへの逃げ込みも許さない。黒田とカクマルを完全に打倒する闘いの一環として黒田哲学の全面批判を貫徹する。
 それは、われわれにとって、六六年の革共同第三回大会で課題とした黒田哲学との革命的対決に決着をつけることでもある。すなわち、革共同の創成の原点を、今現在のわれわれの実践的到達地平とマルクス主義の原点からの復権の闘いの地平を拠点としてとらえ返し、革共同創成以来の全発展を二十一世紀革命の勝利に向かって総括し、その展望を明らかにする闘いの一環をなすのである。それは、今から百年前にレーニンが第二インターナショナルによるマルクス主義の歪曲を打ち破って本来のマルクス主義を復権する闘いを推進し、ロシア革命の勝利を切り開いたことにも重なるような意味を持つ。われわれはこの闘いを重視している。それは、革共同がついに三・一四反革命を完全にのりこえて二十一世紀冒頭の戦略的な大前進運動を開始する合図となるだろう。そうした確信をもってこの闘いを貫徹しなければならない。
 『共産主義者』第一二七号の仲山良介論文「『黒田哲学』を全面的に批判する」はその第一弾であった。それはカクマル黒田を決定的に追いつめている。カクマルがこの黒田哲学批判にいまだに一言も対応できていないことを見れば、その手ごたえは十分である。

 黒田の思想と人格を否定した高知聰の本

 われわれの黒田哲学全面批判が出た直後に、高知聰による『評伝・黒田寛一』が出された。これは、高知聰というカクマル随伴文化人が黒田を賛美しようとして着手しながら、結局は黒田批判に行き着かざるを得なかったものとして、きわめて重要な意味を持っている。
 黒田は、自分自身で承認してこの企画に全面的に協力し、資料の提供や家族からの取材などの便宜を図っておきながら、結果を見て激しく怒り出した。
 確かにこの本は黒田が怒り出さざるを得ないようなものである。この本では、黒田はどうみても「革命的な偉大な哲学者」ではなく「破産した哲学者」でしかない。高知聰の批判は中途半端で控え目なものだが、それでも黒田の人間としての破産性とその哲学のインチキ性を暴き出す生の資料が提供されている点で大いに意味がある。本文もあとがきも、どちらも黒田を批判する内容となっている。
 高知聰の本は、われわれのたたきつけた批判をカクマル陣営内から実証的に裏付ける意味を持ってしまったのである。黒田はそのことが我慢できない。だからこそ「私はまだ生きている。生きている私をこんなに辱めていいのか」「死んだもの(高知)だけでなく資料の管理に当たったものにも責任をとらせる」などとわめきちらしているのだ。この黒田が発した「抗議声明」なるものを見ただけでも、黒田がどんなにくだらない俗人でしかないかが分かるというものだ。

 惨めな残骸=黒田『ヘーゲルとマルクス』

 黒田理論の哲学的原点は『ヘーゲルとマルクス』(五二年)にある。黒田は、これによって唯物論の客観主義化を打ち破る拠点を確立したとして、その後編としての『社会観の探求』(五六年)および『プロレタリア的人間の論理』(五九年)へと向かった。後編の二つも原稿としては『へーゲルとマルクス』に直結して書かれている。このいわゆる三部作全体が「史的唯物論と技術論体系」の序論と本論(後編の二つ)を成している。
 黒田は、ここを出発点にスターリン主義への哲学的な批判を展開していった。その作業が歴史的には反スターリン主義・革命的共産主義運動の実践的創成の哲学的序曲、哲学的前提となったのである。具体的には、五六年のハンガリー革命の後の黒田の呼びかけをとおして反スターリン主義・革命的共産主義運動が実践的に開始された。その意味で、黒田の存在は反スターリン主義・革命的共産主義運動の歴史的出発点において不可欠の存在であった。
 だが、黒田哲学が物質化して革命的共産主義運動が生まれたわけではない。五六年に先行する黒田の理論的営為が、さまざまな限界をはらみながらもその「哲学的序曲」となったということである。したがって、当然にも反スターリン主義・革命的共産主義運動の実践的創成への踏み込みと同時に、それまで現実の階級闘争と無縁な小ブルジョア的な「哲学の徒」でしかなかった黒田という人間と、それに伴って黒田哲学そのものが持っているゆがみ・限界を革命的に突破することがテーマとなったのである(運動にとって、また当然、黒田個人にとっても)。それは、創成過程にある革共運動が現実的な前進をかちとっていくためにどうしても必要なことであった。
 序曲としての黒田の哲学的営為の積極面は、スターリン(主義)哲学の客観主義批判ということに集約される。その理論的活動がスターリンとスターリン主義者によるマルクスの実践的唯物論の客観主義的歪曲を打破して、プロレタリアートの革命的な実践を復権していく闘いの序曲となったそのかぎりで、黒田理論は歴史的に「積極的」な意味を持ったのである。
 しかし、黒田は自分自身の哲学的営為そのものにはらまれる限界をえぐり出すことを拒否し、小ブル的な哲学者としての自己を絶対化した。そのことは、黒田自身が真に階級的立場に移行することを拒否したということであり、また、哲学の絶対化から抜け出すことができないため、どうしても非マルクス主義・反マルクス主義的な小ブル的自己を超えられないということの露呈でもあった。
 したがって、革共同の創成の過程は、五九年の革共同第二次分裂と革共同全国委員会の創設や六〇年安保闘争から六二年三全総の過程が示すように、革共同内部における黒田との闘争をとおしてしか前進しなかったのである。
 黒田のスターリン(主義)哲学批判は、結局はマルクス主義の哲学としての復権に帰着させられていく。黒田は、マルクスが哲学の実現を哲学の止揚としてつかみきり、実践的唯物論者=共産主義者として自己の立場を確立していったのとはおよそ無縁な、哲学の復興を掲げる小ブル的哲学者でしかないことをさらけ出してしまったのである。(前掲仲山論文第三章参照)
 実際、『ヘーゲルとマルクス』の段階の黒田は、マルクス主義の革命的形成過程のとらえ返しとは無関係に、ただヘーゲル弁証法を物質の概念との関係で解釈しようとしたにすぎないのである。黒田自身においては、その作業が、梅本克己の問題提起を受けとめ、武谷三男の技術論を軸にして梯明秀の哲学を自分流に再構成することによって、戦後唯物論論争を総括し、哲学的な主体性論の画期的な地平を切り開く意味をもつものとされていたのである。
 しかし、実際には『ヘーゲルとマルクス』は完全に内容的に破産している。黒田自身が認めているように、それは「残骸(ざんがい)でしかない」のである。黒田は、マルクスの実践的唯物論を復権・再確立したのではなく、それとは全然異質の日本的観念論を展開したのである。(梯哲学が独特の日本的観念論であるのと同様、それの解釈としての黒田哲学もきわめて日本的な観念論である)
 黒田は、「マルクスのマルクス主義に返れ」と言いながら、実は『ヘーゲルとマルクス』を始め自分の原点がマルクスとの主体的対決を欠落したまま成立していることについて真正面から問題にしたことがないのである。

 人間実践を観念的な目的像形成に一面化

 黒田の主体性論がマルクス的な唯物論的実践を軸に据えきったものでなく、根本において観念論でしかなかったというのは、より具体的にはどういうことか。
 黒田は、実践主体としての人間の観念活動=概念形成活動を照射することが主体性問題の解決となるとして、人間の現実的実践を技術的実践における目的意識性のレベルに絞り上げる。黒田は、実践における主客の弁証法対立構造をうんぬんするが、実際にはこれ(観念的な目的像の形成への絞り上げ)によって、人間の現実の唯物論的実践は観念的な概念形成活動に一面化されてしまうのである。
 黒田は、マルクスの労働論=実践論の意義を強調しているわけだが、実際には、それはマルクスの実践的唯物論あるいは唯物論的実践論とは似ても似つかないものである。
 『ヘーゲルとマルクス』の第三章で黒田は、実践主体の物質的直観内容としての「歴史的自然」という概念を立てる。これはもともとは梯哲学から直輸入したものである。この「歴史的自然」は、物質と思惟(意識)との混合物のようなもので、それが原始分割(自己分裂)し、ヘーゲル弁証法における概念の自己運動のように自己展開していく。それを黒田は、人間の概念活動であると同時に物質の自己運動でもあるようなものとして解釈していく。そして、このような人間の概念活動=観念活動の中に根源的な物質の自己運動の最先端的な創造活動(物質の自覚)があると解釈していく。
 このような解釈は梯の「自然史的過程の論理」の黒田式の解釈でしかない。梯は資本論のヘーゲル的な解釈から「自然史的過程の論理」なるものを作り上げたが、それは資本論とはまったく無縁の観念論でしかない。黒田の『ヘーゲルとマルクス』は、武谷技術論の黒田的な解釈を軸に梯の観念論を再構成しようとしたものといえるが、その結果は再び完全な観念論への陥没となったのである。
 黒田においては、どこまでいっても唯物論的な人間実践が正面に据えられることがないのである。これが根本的な問題なのだ。主客の物質的な対立構造とはいうが、すぐに意識内部の問題への照射が必要などとして観念的な形而上の世界に入り込み、その形而上の世界での人間実践の存在論的な解釈がなされるだけなのである。したがって、黒田のいう「場所」は、唯物論的な実践の場所ではない。それは、物質と意識が合体したところに開かれる「形而上的な世界」のことでしかないのである。
 黒田は、マルクスが「フォイエルバッハ・テーゼ」や『ドイツ・イデオロギー』でヘーゲル左派の哲学者とどのように対決して実践的唯物論者=共産主義者となっていったのかを完全に無視している。黒田にとっては「フォイエルバッハ・テーゼ」や『ドイツ・イデオロギー』はタダモノ論でしかない。実際、黒田はそう言っているのである。
 黒田は、実践を技術的実践における目的意識性=観念像の形成の問題に切り縮めている。そして、形成された観念像の物質化として現実の実践を片付ける。極端なまでに観念活動のみが創造的とされる構図になっているのである。こうして人間実践はその最も豊かな部分・創造的な部分が切り捨てられ、その抽象的な形式・形骸だけが残されることになる。
 ところで、このように黒田の実践概念のゆがみは、黒田が人間実践における意識の問題を人間が相互に取り結ぶ社会的な関係(活動)から切断して問題にしていることにも関係している。物質と意識の関係を観念的にこねくり回すだけなのだ。この点でも黒田実践論はマルクスの実践的唯物論とはまるで異質である。
 したがって、黒田が試みた『社会観の探求』における史的唯物論の展開は当然にも破産せざるを得なかったのである。また『プロレタリア的人間の論理』における階級的実践論も観念論になるしかなかったのである。黒田は、プロレタリアートの革命的実践の立場に立つことがついにできなかったのである。
 このような原点的な破産を自覚せざるを得ない黒田は、その限界の自己批判的な突破の闘いを拒否してついに革共同から逃亡した後、〈『ヘーゲルとマルクス』は内容的には破産し、残骸にすぎないが、そこでめざしたものは正しかった。それはカクマルの組織と実践の論理としてどしどし具体化されている〉(六八年)と開き直った。
 ここでいう「めざしたもの」とは〈場所的弁証法=認識の論理〉として現実の実践の全体構造から切り離された〈形骸的実践の論理=まったくひとりよがりの主客の弁証法〉にほかならない。そしてこれが組織論に適用されて、組織現実論なる具体的実践論として展開されるというわけだ。これが現実的実践において破産し、ついにカルトまがいの謀略論デマ運動にまで行き着いたのである。(前掲仲山論文参照)

 第3章 右翼国粋主義哲学への転落を示す『実践と場所』全3巻

 黒田の理論活動は、『ヘーゲルとマルクス』を中心とする五六年までの時期を第一期とし、革共同の形成とその中で活動していた時期を第二期とすることができる。革共同から逃亡した後の全時期を第三期としてくくることができるが、それは、実践的にいえば日和見主義から完全なファシスト反革命へと転落していった時期である。黒田哲学は、そこで「核心部分において難破していながら、形式的実践論としてどしどし具体化される」という形で開き直り的に合理化された。
 それは、歴史的にいえば、第一にいわゆる「のりこえの論理」(組織現実論)、第二にその破産を開き直り、隠蔽(いんぺい)するための反革命的暴力論(白色テロル論)、第三に三・一四反革命を開き直り、権力の懐に飛び込んでいくことを合理化するための謀略論=謀略史観へと発展した。その全体に黒田の『ヘーゲルとマルクス』的原点におけるゆがみが貫かれている。
 黒田哲学は、黒田の近著『実践と場所』における展開とカクマルの最近の言動に照らして、今現在、最末期の腐乱の時期に突入していると言わざるをえない。高知聰が死ぬまでカクマル随伴文化人としてありながら、死の間際にあのように激しい黒田否定をしたのは、黒田の思想的腐乱化があまりにひどいからであり、また高知にとってもそれが黒田の原点的な破産との関係で(おぼろげにではあっても)つかまれたからである。
 高知は、黒田はあまりにひどい日本礼賛に陥っていると言った。『実践と場所』はまさに日本礼賛のオンパレードである。黒田は九五年に『社会観の探求』の再版、『社会の弁証法』のあとがきで唯物史観を否定しているが、この『実践と場所』では、具体的にマルクス主義の「生産様式」という基本的概念を否定している。生産様式ではなく「生活様式」が人間の意識や文化を具体的に規定するというのだ(黒田は例によって「生活=生産様式」などとごましているが)。
 そして次に、生活様式は地域的特殊性、風土的特殊性に規定されるという展開に持ち込み、ついには民族の精神的風土、民族の宗教あるいは宗教性などを超歴史的・超階級的にかつ積極的・肯定的に語るという世界に昇天してしまっている。高知は、これでは天皇制肯定につながると控え目な批判をしたが、黒田は、まさに日本的なものを価値肯定的に全面美化し、右翼国粋主義者も顔負けのウルトラ国粋主義・帝国主義的民族排外主義の積極的鼓吹者として自己を押し出している。石原慎太郎などに負けないぞとばかりに、心底から国粋主義的心情を爆発させている。黒田は、石原にはまだ戦後的なものを肯定する側面があるからだめだと言いたいらしい。黒田は、戦前の日本のよきものを復活せよ、日本的なよきものを守れと本気でわめいているのだ。
 カクマルがこの間、「アメリカ式戦後教育こそが悪の根源である」と論じてきたのは、いうまでもなく黒田の思想によっている。またこの数年、「ヤンキー帝国主義の日本占領反対」がカクマルの政治路線の中心に据えられているのも黒田の指示によるものだ。最近では、えひめ丸事件に関して、カクマルは「日本民衆もリメンバー・パールハーバー」という、おぞましい反米民族主義的スローガンを掲げている。カクマル学生戦線は、これを反安保の論理として展開せよと指示されて四苦八苦している。 
 黒田哲学は右翼民族主義者も顔負けの帝国主義的民族排外主義哲学、国粋主義哲学に転落した。黒田の謀略論(謀略史観)はアメリカCIAが日本を全面的に支配しているとする反米主義的デマゴギーであったことを思い起こすなら、この両者(謀略史観と右翼的反米民族主義)が一体であることも確認できる。

 日本文化礼賛、日帝の植民地支配の美化

 紙面の都合もあるので、残念ながら、黒田が数百ページにわたって書き連ねている日本文化礼賛の部分の具体的引用は別の機会に譲ることにしたい。
 ここでは、黒田のこのような日本礼賛論が、帝国主義的反米民族主義であると同時に、日帝のアジア侵略・植民地支配の肯定、対米争闘戦を貫いて日帝のアジア侵略を推進する論理として展開されていることを確認しておきたい。
 一つは、黒田が中国を繰り返し「支那」と呼んでいることである。「支那権力者」「支那大陸」「古代支那」「支那思想」などなど。黒田には日帝の中国侵略戦争への階級的自己批判のかけらもない。「支那」という言葉が「大東亜戦争」という言葉とともに繰り返し使用されていることは、それ自体とんでもないことだ。しかし問題はそれ以上だ。黒田は、帝国主義と対決しないばかりか、帝国主義思想の持ち主としての自己を公然と意識的に表現し始めているのである。
 二つ目は、「日本の植民地であった朝鮮半島や台湾においては、日本軍国主義イデオロギーにのっとった教育がおこなわれ、『読み・書き・ソロバン』の普通一般教育が実施されたことは、否定的なもののなかの或る種の積極的なものであった、と言えないことはないであろう。このことは、日本帝国主義の植民地支配を毫(ごう)も弁護するものではない」(第一巻六〇八n)と言っていることである。黒田は「新しい歴史教科書をつくる会」の連中とまったく同一の立場、心情の持ち主なのである。

 宗教的世界を積極賛美する精神的風土論

 さらに、黒田はこの本で、キリスト教的なものを激しく否定しながら「限りないものへの衝動」などと言って、宗教心、宗教的なものを積極的に肯定する論理をウルトラに強調している。それは、『ヘーゲルとマルクス』の観念論への陥没からいえば当然に出てくるものであり、それが精神的風土論と結びつき、日本人の宗教的メンタリティーを手放しで賛美する論理となり、日本文化礼賛論のオンパレードとなっている。
 したがって、この小論の結語として、黒田がマルクス主義を新しい宗教にしてしまおうという考え方の持ち主であることをどうしても確認しておきたい。黒田は次のように言っている。
 「あらゆる既成宗教は否定されなければならない。とはいえ、現実の場所においてある人間のうちに開かれる形而上の世界、この小宇宙における精神的な否定の絶え間のない運動は、否定されるべきではない。……いいかえれば、いわゆる宗教的自己疎外を産出しながらも・この観念的自己疎外を超克してゆく精神の力動性に、この《形而上の世界》はみちあふれている」(同二一九n)
 「既成宗教」の否定! なんたる表現か。黒田は、既成宗教はいけないが、新宗教や新々宗教はよいとしている。それらは「観念的疎外を超克していく精神の力動性のたえまない運動」だから肯定されなければならないというわけだ。黒田においては、オウムとカクマルの運動はそう違わない。〈形而上的世界における宗教的疎外=観念的疎外の哲学的超克〉こそが黒田にとっての最初からの問題であったのである。そこにこそ黒田の主体性論の核心があったのだ。このようなスタンスがマルクス的立場、実践的唯物論と完全に異質であることは、ここであらためて確認するまでもないであろう。

 「黒田は少年時代から偉かった」なる虚像にしがみつくカクマル

 最後に、黒田が「日帝の敗戦を自然現象のように何の感動もなく受けとめた」と言っていることをめぐって、高知聰にカクマルがかみついている問題に触れておきたい。
 カクマルは、黒田は少年時代にすでに反戦意識をもっていたから、敗戦に伴う価値観の動揺などなかったのだ、といううその説明を必死にしている。事実は、黒田がこの当時、病気による「人生行路の挫折」によって敗戦という巨大な社会的現実と向き合う気力など持ち得ない状態にあったということである。黒田は、この当時、社会的現実と無関係に、東京・府中の親の家で何ひとつ不自由なく庇護(ひご)されながら、ただ自分の殻に閉じこもっていたのだ。もちろん黒田の内面では、いうところの挫折による実存的苦悩との闘いがあったであろう。しかしこの場合、黒田の苦悩は、敗戦という現実が何の意味も持たないような自己の殻に閉じこもってしまうという形をとっていたということなのだ。
 このような状態から抜け出す過程において黒田は、マルクス主義との接点で唯物論と主体性の問題を哲学したのである。そこははっきりしているのであって、隠す必要もなければうそで飾り立てる必要もない。問題は、その実存的苦悩あるいは哲学的格闘の意義と限界ということなのだ。そして、それを社会的現実との関係でとらえ返し、そこにはらまれていたゆがみを明らかにする(自己批判的に突破していく)ということなのだ。実践的な唯物論の立場でそれを行うというなら、問題は鋭角的にえぐり出されなければならない。革命的な実践の立場に立っているなら、それは厳しくともやりとおさなければならないし、またできることなのだ。
 しかし、黒田とカクマルどもは、このような黒田の敗戦当時の現実を恥ずべきものとして必死で隠し、初めから偉大な人間であったかのように描こうとするのである。黒田が、自分の家族関係などには何の関心もないし、事実、何も知らないなどと言い張っているその姿はあまりにも破廉恥である。黒田は少年時代から反戦意識を持っていたから敗戦によって価値観を揺さぶられることなどなかったといううそは、あまりにも惨めである。

 結語

 黒田寛一という人物は何者か。スターリン主義哲学への独自の批判をとおして、反スターリン主義・革命的共産主義運動の創成において重要な役割を果たしたが、この運動が本格的発展を遂げようとする時に脱落・逃亡し、敵対に走り、以後、革共同の破壊を生涯の目的とした人物である。
 黒田のやったことで最も大きなことは、革共同書記長の本多延嘉同志を虐殺したことである。黒田は三・一四虐殺者にほかならない。黒田はそこから逃れることなどできない。また黒田は、松崎をとおして国鉄分割・民営化の先兵として中曽根と共同し、日本労働運動を破壊し、労働者階級を裏切った存在である。
 黒田の哲学は、その原点において結局は観念論でしかなかった。その革命的突破を拒否して革共同から逃亡した時、黒田は反革命への道に転落したのである。黒田哲学は今では、謀略論の哲学、虚偽とデマの哲学、国粋主義的帝国主義的民族排外主義の哲学になりきっている。黒田哲学は完全に死んだ。そして腐臭を放っている。黒田は今、JR総連松崎からも見捨てられ、絶望的な断末魔的危機に追いつめられている。カクマルは黒田のカルト的崇拝運動で危機をのりきろうとしているが、そんなことは許さない。
 われわれは、二十一世紀の革命的前進を切り開く闘いの一環として黒田と黒田哲学、カクマル組織そしてJR総連・松崎を完全に批判・解体・打倒するであろう。それは、マルクス主義復権の闘いを新たな革命的地平に押し上げるステップボードとして大きな意味を持っている。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2004号9面1)

組対条約批准阻止へ 共同行動と全国ネット 陣形作りを訴え集会

 四月二十一日午後一時半、東京・本郷の文京区民センターで「警察管理社会を解体しよう! 二〇〇二年組対法・刑訴法改悪、治安国家化を許さない四・二一集会」が開かれた。破防法・組対法に反対する共同行動と組対法に反対する全国ネットワークの共催で、東京を中心に全国から百三十人の労働者、学生、市民が参加した。
 まず、共同行動の小田原紀雄さんが基調報告を行った。小田原さんは、現在の経済危機のもとで「『いつでも戦争ができる国家』形成のための国家イデオロギー注入と治安法強化の攻撃が進んでいる」と切り出し、組対法・団規法弾圧の拡大、司法改革・刑訴法改悪策動など、警察管理型社会が一層強化されていると弾劾した。
 特に、昨年十一月に国連で採択された国際的組織犯罪対策条約を取り上げ、二〇〇二年にも法務省が関連国内法の改悪案とともにこの条約を批准のために国会に提出する見通しであることを明らかにした。
 そして、この条約の反人民的内容を@組織犯罪集団への参加、共謀の犯罪化A刑事免責(供述強制制度)の導入Bコントロールド・デリバリー、電子的監視と覆面捜査Cマネーロンダリング規制の強化・拡大||の四点に整理した。条約は全面的結社禁止罪であり、これをとおして組対法改悪、戦後刑訴法体系の根底的改悪が狙われていると警鐘を乱打し、共同行動と全国ネットが全力で反撃に立ち上がることを訴えた。
 続いて、劇作家の別役実さんが「犯罪は時代の鏡だ」と題して講演した。別役さんは「犯罪は社会の病根を知らせてくれるもの」とし、戦時体制の抑圧のもとで犯罪が激減していた事実を見ても「『犯罪がない社会が良い』という一般的見方は誤り」と指摘した。
 東京造形大学教授の前田朗さんは講演の中で、条約討議で出た「(組織犯罪と)闘う市民社会」というキーワードを取り上げ、人権の名によって人権抑圧や戦争を狙うものと断罪し、これまで人権擁護の立場で運動してきた“人権NGO゜まで取り込もうとしていると警戒を呼びかけた。
 さらに、日本政府も日本型の“闘う市民社会゜の形成、つまり警察が市民社会を監視するだけでなく、市民が相互に監視する社会を作り出そうとしていると警鐘を鳴らした。
 最後に、国際的組織犯罪条約が国際的枠組みにおいてはすでに最終段階に入っていると、闘いの立ち遅れを厳しく指摘し、批准阻止に向けた国内の闘いの早急な形成、二〇〇八年の条約見直しに向けた闘いの構築を熱烈に訴えた。
 連帯のあいさつに移った。日弁連の条約ワーキンググループの西村正治弁護士は、弁護士などに警察への通報義務を課す“ゲートキーパー゜問題に注意を喚起し、「日弁連を条約反対の闘いに立ち上がらせるため全力で闘う」と決意を語った。人権と報道連絡会の山際永三さん、立川自衛隊監視テントの大洞俊之さん、つぶせ住民基本台帳法市民ネットワークの佐藤文明さんもそれぞれ闘いを報告した。
 東工大OB不当弾圧をはねかえす会、動労千葉、争団連、つぶせ盗聴法静岡県連絡会が決意表明した。
 国際的組織犯罪条約に対する闘いの立ち遅れを克服し、この集会を出発点に、二〇〇二年条約批准と関連国内法改悪の阻止に向けて、闘う共同戦線の強固な形成を実現していこう。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2004号A面1)

排外主義と闘う入管闘争を
教科書改悪と日本国籍強要許さず入管体制粉砕しよう
 山口 修

 「つくる会」の歴史教科書を絶対に採択させてはならない! 日帝の歴史教科書改悪を許すのかどうかがきわめて切迫した課題となっている。教科書改悪攻撃はアジア人民、在日アジア人民を再びみたび踏みにじる再侵略宣言であり、絶対に許すことはできない。同時にこの攻撃は、日本人民の中に排外主義・差別主義をまきちらし、国家主義・愛国主義でからめとり、労働者階級の階級性を解体しつくそうとする攻撃だ。すでにアジア人民は怒りをたぎらせこん身の闘いに立ち上がってる。この闘いとがっちり結びつき、東京・杉並を天王山に「つくる会」教科書採択をなんとしても阻止しよう。アジア人民との共同闘争で二〇〇一年入管闘争を闘い抜こう。

 「つくる会」教科書採択阻止しよう

 四月三日、日帝・文部科学省は「新しい歴史教科書をつくる会」の中学用歴史・公民教科書を検定合格させた。この暴挙を断じて許すことはできない。
 歴史教科書で百三十七カ所、公民教科書で九十九カ所が「修正」されたといっても、「つくる会」教科書のめざす意図は何一つ変えられていない。
 「アジア停滞史観」と「日本民族優位論」に貫かれ、日帝による侵略・植民地支配の犯罪行為とアジア人民の抗日闘争の史実を抹殺し、侵略戦争を「アジア諸国独立のため」と正当化し、愛国心と排外主義をあおりたてている。国家に対する人民の忠誠を強要する「つくる会」歴史教科書の内容的核心は貫徹されているのだ。
 公民教科書でも、露骨に日本領土を強調し、国家主義・排外主義を扇動している。北方四島や「竹島」「尖閣諸島」(それぞれアイヌ民族をはじめとする先住民族の土地であり、韓国領の独島〔トクト〕、中国領の釣魚台〔ティアオユイタイ〕だ!)について、「歴史的にみてわが国の固有の領土」だと記述した部分が、何の検定意見も付されずそのまま通った。グラビア写真「尖閣諸島に代議士が上陸」についても同様である。公民教科書ではさらに改憲扇動、天皇賛美、基本的人権の否定などの内容がちりばめられている。
 このような右翼団体の機関誌とみまごうような代物が子どもたちに押しつけられようとしているのだ。絶対に教育現場での採択を許してはならない。
 さらに「つくる会」以外の教科書においても、軍隊慰安婦や南京大虐殺の記述が大幅に削除されており、重大な後退だ。

 糾弾するアジア人民

 朝鮮人民をはじめとするアジア人民は、この教科書改悪攻撃に対し、「歴史を歪曲し、再侵略を狙うもの」だとして抗議の行動に立ち上がっている。
 南朝鮮・韓国では、ハンギョレ新聞が早くも昨年八月の時点で「つくる会」教科書のコピーを入手・暴露して批判の口火を切った。今年に入り、このでたらめな教科書が政治力でもって実際に採択されようとしている事態に接し、人びとの危機感がつのり、三・一独立運動記念日を迎え怒りの声が高まってゆく。
 そして四月三日の「つくる会」教科書検定通過という事態を契機に闘いは一層広がりを増している。教科書採択阻止や独島防衛を訴える署名活動が展開され、教育労働者は子どもたちに正しい歴史を教える「特別授業」を行い、子どもたちも「日本の子どもにウソを教えちゃだめ」とデモに立ち上がっている。インターネット上では「つくる会」や文部科学省、産経新聞などのホームページに一斉接続してダウンさせる闘いも行われた。
 四月十一日から、韓国の国会議員でありキリスト者の金泳鎭(キムヨンジン)氏が「日本は反省しろ」と書いたプラカードを手に日本の国会前で座り込み、六日間のハンスト闘争を闘い抜いた。
 さらに「日本の歴史教科書改悪阻止運動本部」は、運動を継続的に推進するために恒常組織として「日本の教科書を正す運動本部」に発展させ、再検定と採択阻止の運動を展開することを発表している。

 南北労組が共同声明

 三月十一日、南北朝鮮の労働組合ナショナルセンターが教科書改悪に対し共同声明を発した。声明は日帝の戦争と侵略、略奪の具体的史実を一つひとつ怒りの言葉で断罪している。
 日帝に対する南北労働者の共同決起は、帝国主義の戦後アジア支配体制を根底から突き崩す、ものすごい事態だ。
 朝鮮人民は、解放直後の希望に満ちた新社会建設のただ中で、帝国主義とスターリン主義により南北に分断され、民族をまっぷたつに切り裂かれた。その中で対立を強制されながらも、統一に向け言葉に尽くせぬ苦闘を続けてきた。
 これに対し日帝は、自らの延命のためにこの南北分断体制を積極的に支え、朝鮮人民の帝国主義打倒、民族解放の闘いを力づくで抑えこもうとしてきた。しかし今回、自らがしかけた攻撃により朝鮮人民の根底的怒りと解放のエネルギーに火をつけたのだ。
 「われわれは、正義と平和を大切にする世界各国の労組が、日本軍国主義者の歴史歪曲策動を阻止し、謝罪と補償をかちとるためのわれわれ南と北の労働者の闘いに積極的な連帯と支持を寄せられるものと確信する」
 この呼びかけに全力でこたえよう。

 戦争裁判で不当判決

 教科書攻撃と軌を一にして戦争責任追及・戦後補償要求裁判において相次ぐ反動判決が出されている。
 広島高裁は三月二十九日、「釜山従軍慰安婦・女子挺身隊公式謝罪請求訴訟」の控訴審において、原告の請求を棄却するという反動判決を出した。慰謝料支給を命じて補償立法を促した一審の「下関判決」を覆したのだ。
 そもそも九〇年代中ごろから日本の歴史教科書に軍隊慰安婦に関する記述が、きわめて不十分ながらも盛り込まれるようになったのは、故金学順(キムハクスン)さんの九一年の決起を先頭とした日本軍軍隊慰安婦とされた女性たちの糾弾の闘いがあったからである。彼女たちは戦争責任追及とともに、この歴史的事実を日本の教育に反映させることを強く求めてきた。日帝は教科書攻撃と反動判決でもってこの闘いを一挙に踏みつぶそうとしているのだ。絶対に許せない。
 相次ぐ反動判決を徹底弾劾し、彼女たちをはじめとする人びととともに真相究明、政府による謝罪、賠償、責任者処罰、歴史教育を闘いとろう。
 昨年十二月、「女性国際戦犯法廷」で高らかに宣告された天皇ヒロヒト有罪、日本国家に戦争責任ありの判決を断固支持し、日帝の戦争責任を追及し、真の歴史をアジア人民との共同の闘いでとりもどす闘いを推進しよう。

 在日に日本国籍を迫る国籍法改定

 国籍法改定という形でかけられている在日朝鮮人・中国人への日本国籍強要の攻撃に対し、外登法・入管法|入管体制粉砕の基本路線をはっきりと掲げて闘い抜こう。
 四月十九日、日帝・政府与党三党の「国籍などに関するプロジェクトチーム」は、法相への届け出だけで国籍取得できるとする法律案要綱をまとめ、今国会での成立を狙っている。自民党総裁選候補者らは一致して「参政権がほしければ帰化しろ」と主張している(四・一八公開討論会)。日帝は、参政権という在日人民の当然の要求を逆手にとって日本国籍を強要しているのだ。
 在日人民に対する日本国籍強要攻撃は、在日朝鮮人・中国人を歴史的に抹殺しようとする攻撃である。
 在日は戦後、入管体制のもとでさまざまな形で執ようにかけられてきた差別・抑圧、分断・同化・追放の攻撃に対し、在日としての存在を守り抜いて闘ってきた。身をもって日帝の強制連行と植民地支配の歴史を告発・糾弾しながら生きかつ闘ってきた在日朝鮮人・中国人という存在を、日帝はなきものにしようとしているのだ。

 入管闘争の解体狙う「多民族共生」運動 

 日本国籍強要攻撃はさらに、これまでの国籍条項差別との闘い、入管闘争の闘いの全地平を根本から切り崩そうとする攻撃である。
 法務省入管局の反動的イデオローグ・坂中英徳(現名古屋入管局長)は「二一世紀の外国人政策」と銘打って、ごう慢にも在日人民に対し「朝鮮系日本人として生きよ」と要求している。「永住資格者の地位は世界的にみて恵まれている」などとデマをふりまき、これ以上の権利が欲しければ日本国籍を取れと迫っているのだ。
 坂中は、在日朝鮮人の日本国籍取得者が毎年一万人以上に及んでいるという現実をかさにきて、「在日朝鮮人は二十一世紀前半中に消滅する」とあおりたて、結論として、「在日韓国・朝鮮人には多民族共生社会に向けて重要な役割を担って欲しい」と要求している。
 重大なことは、これまで在日差別と闘ってきた運動体の中から、こうした反動的主張に屈服し、これを運動で物質化させようという動きが出てきていることだ。
 昨年十二月、大阪において「多民族共生人権教育センター」が発足した。「人権団体」をはじめ、財界、自治体をまきこんで始められたこの運動は、日帝の入管体制との対決を避け、在日朝鮮人がその経験を生かして政府や企業の外国人労働者政策に貢献していくことを要求しているのだ。
 これは日帝国家のもとでの「多民族共生」の主張であり、かつての日帝の「五族協和」政策の復活ともいうべきものである。しかも「五族協和」体制と同じように朝鮮人をその先兵に仕立てあげようとしているのだ。
 はっきりさせよう。問われているのは、在日を差別し、その存在と闘いを抹殺しようとしている日本国家のあり方である。「差別されないためには日本国籍を取れ」などという本末転倒の主張を絶対に許すことはできない。この国家と社会のあり方を変えずして、日本国籍を取れば差別はなくなるなどということは絶対にありえない。在日は日本国籍を取ることをとおして、そして取った後も日帝国家への屈服と忠誠をとことん強要されるのだ。

 すべての参政権保障を

 そもそも参政権は在日にとって当然の人間的・民主主義的権利だ。日帝は、戦争責任の問題として被選挙権を含む参政権、さらにはすべての基本的人権を保障する義務があるのだ。
 参政権要求を含む国籍差別全廃に向けた闘いは、われわれ日本人民にとって、在日人民をこの日本社会の主体として、さらには社会変革の主体として認めるのかどうかを鋭く問う闘いだ。日本の労働者階級が、日帝国家への統合を拒否し、階級性を鮮明にさせる闘いなのだ。
 労働・入居・結婚・教育・社会保障・福祉など社会の隅々にまで張り巡らされた国籍差別・民族差別の全面撤廃に向け闘おう。

 入管闘争を原則的に推進しよう

 入管法・外登法|入管体制を在日人民と日本人民の共同の闘いで粉砕することこそが求められている。
 営々と築かれてきた入管闘争の地平を断固として守り抜き、さらなる強化をかちとろう。
 教科書攻撃と日本国籍強要攻撃に対する闘いに全力決起する中で、入管体制を粉砕する原則的な闘いを粘り強く推し進めよう。
 具体的課題は第一に、外登法・入管法撤廃|入管体制粉砕の闘いを着実に推進することだ。外登証常時携帯制度と重罰制度の撤廃に向けた闘いが前進している。この闘いを先頭に外登証制度の完全撤廃をかちとろう。
 外国人研修・技能実習制度は「現代版強制連行」政策だ。アジア人労働者と連帯し、日本の地で生活し働き、かつ闘うための権利をかちとろう。
 第二に、日本軍軍隊慰安婦とされた女性たちを始めとするアジア人民の闘いと連帯し、戦争責任追及・戦後補償実現のために闘おう。
 第三に、入管収容所に対する闘いを、入管法撤廃・収容所廃止の立場を鮮明にして推し進めよう。収容されている人びとを支援・防衛し、外国人労働者に対する収容・強制送還攻撃を粉砕しよう。東京入管新庁舎・巨大収容施設の建設を阻止しよう。
 第四に、再確認になるが、あらゆる国籍条項を撤廃するために闘おう。
 第五に、石原慎太郎を切り込み隊長とするファシスト反革命と対決し、排外主義・差別主義との闘いを労働者階級の正面課題にすえて闘い抜こう。昨年の四・九差別発言を居直り、外国人に対する治安弾圧を扇動する四・八石原発言を弾劾しよう!

 「七・七路線」貫き、階級的連帯実現を

 入管闘争は、在日人民にとって帝国主義国内における民族解放闘争の一形態であり、われわれはこの闘いを断固支援・防衛し、入管闘争をともに闘わなければならない。
 労働者階級は本質的に国際的階級だ。しかし帝国主義国の抑圧民族プロレタリアートにとってこれは自明のことではない。きわめて自覚的かつ自己批判的な努力をとおしてしか国際主義を豊かに復権させることはできないし、したがって自らの階級性を鮮明にさせることもできないのだ。
 入管闘争を実際の現場で在日人民とともに闘い抜くことこそが、国際主義的あり方の復権に向けた唯一の道である。「七〇年七・七」で問われたのはこのことだった。「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の戦略的総路線こそ、七・七路線確立の中でわれわれがうち立てた地平であり、日帝が実際に侵略戦争に突入しようとしている今こそ、その真価が問われている。
 南朝鮮における教科書改悪阻止の闘いは、大宇(テウ)自動車労組や非正規職労働者の闘い、そして米軍基地と演習に反対する闘いと結びついて爆発し、金大中政権を根底から揺さぶっている。中国、台湾でも人民の怒りが両政府を激しく突き動かしている。日帝の教科書攻撃に対するアジア人民の一大決起は不可避だ。この闘いを世界革命の展望のもとに感動を持って受けとめ、日帝の足もとで闘いを大爆発させよう。
 ファシスト石原は東京・杉並区を、「つくる会」教科書を採択させる突破口として位置づけている。杉並を最大の激突点に「つくる会」教科書を葬り去ろう! 都議選に勝利しよう。
 闘う在日アジア人民・全アジア人民との共同闘争で二〇〇一年入管闘争を闘い抜こう。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2004号A面2)

迎賓館・横田裁判
 “「デニーズで会った」はウソ” 幅田証人 反対尋問に顔伏せ沈黙
 次回5・14公判に結集を

 四月十九日、迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判の第一五三回公判が、東京地裁刑事第一一部(木口信之裁判長)で行われた。
 この日は、前回に引き続いて幅田(はばた)敏昭が証人として出廷した。幅田は、一九八六年十月に岩手借家で三同志らと一緒に逮捕されながら、権力に屈服・転向し、デッチあげ供述を行った許しがたい裏切り者である。
 八六年東京サミットを粉砕した迎賓館(五・四)と米軍横田基地(四・一五)へのロケット弾戦闘に三同志が関与したというデッチあげにとって、幅田の供述は重要な役割を果たしていた。そもそも三同志のデッチあげに使われた「証拠」とは、岩手借家から不当に押収された物品ばかりである。しかし、岩手借家が設置されたのは八六年八月であり、それより三〜四カ月前の二戦闘に関連するものだと無前提に強弁することはできない。検察官は、三同志をデッチあげるためには、岩手借家以前の「証拠」をどうしても必要としていたのだ。
 そこで権力は幅田にウソの「供述」を強制した。しかし、幅田自身両戦闘に関することは何も知らない。そこでデッチあげたのが、「八五年の秋から暮れにかけて、沼津のデニーズで三人に会った。三人はひとつの班だと思う」なる供述である。つまり、岩手借家で一緒だった三同志は、少なくとも八五年秋から同じ班に属しており、したがって八六年四・一五と五・四のロケット弾戦闘にも関与したに違いないというのだ。だがこれ自体がまったく事実無根の大ウソである。
 十亀同志が幅田に尋問した。「私は八五年の秋にも暮れにも、沼津のデニーズで証人と会ったことはない。本当にそんな記憶があるのか」「証人の供述では『八五年暮れころ』と言った次には『十月ころ』になり、その次は『秋口から暮れにかけて』と変わり、また『十月ころ』になっている。いったい、いつの話なのか。こんなに変転するのは供述がウソだからではないか」「秋口の服装と暮れの服装は大いに違うはずだが、どっちなのだ」。この核心をついた尋問に、幅田は一切答えられなかった。
 弁護人は「あなたは『三人は同じ班だと思う』と供述しているが、『班』の実態とは何ですか。それを知っているのですか」「ある喫茶店で何人かが会えば、それだけで『同じ班』になるのですか。それともそう思う根拠は外にあるのですか」と尋問した。幅田は、これにもまったく証言できず、下をむいて「言いたくありません」と繰り返すばかりであった。
 三同志と弁護団は、卑劣な証言拒否ではなく、自己批判して真実を証言しろと幅田を鋭く弾劾した。
 十亀同志は「幅田のウソ供述と証言拒否が、どれほどの重みをもっているか考えたことがあるのか。ともに闘いぬいてきた仲間を裏切り、権力に売り渡すことは、階級闘争からの単なる脱落とも違い、人間として許されないことだ。その結果、私たちは十四年という長期勾留を強制されているし、須賀さんは三年間も車いす生活で闘っている」
 「私たちはけっして負けはしない。帝国主義が危機に陥ってプロレタリアートの時代が到来するという歴史の基本的方向をしっかりとつかんでいる。仲間を裏切らず、いったんこうと決めた生き方をトコトン貫く。それが正義であり、歴史を切り開く道だと確信する。幅田よ、真実を証言しろ!」
 板垣同志は「階級闘争はつらく苦しい闘いを続けなければならない時もある。われわれが十四年間闘ってきたその重みを幅田はどう受け止めるのか。確かに私は年をとった。長期勾留で健康が破壊されて身体は大変になっている。しかし精神的にはきわめて元気だ。早晩自民党政権は終わり、労働者人民の大衆的反乱が起きる。二十一世紀のそう遅くない時にプロレタリアートの時代が必ずくる」
 「人間にとって一番やってはならないことが仲間を裏切ることだ。われわれが十四年間、困難で苦痛に満ちていたと人は思うかもしれない。幅田もそう思っているに違いない。自分は屈服して早く出られてよかったと思っているかもしれない。しかし、これは皮相な見方だ。われわれは負けてなどいない。必ず勝つ」
 三同志の確信に満ちた言葉の一つひとつが幅田自身に突き刺さったが、結局幅田は、弁護人と三同志の尋問に答えることは一切できなかった。こうして幅田供述が、取調官の言うがままにねつ造された虚偽であることが完全に明らかになったのだ。
 証人尋問の終了後、弁護人が今後の立証計画を検察官に質問した。検察官は「前回と同様です」(残っている「立証」について現段階では維持する)とふざけた対応をした。裁判長は次回裁判は「証拠の整理をやる」と言い、検察官もそれを前提にあらかじめ書面を準備しており、裁判所と検察官が示し合わせて検事側立証は終了させると企図していることは明白だ。次回五月十四日(月)午前十時の裁判が決定的に重要になった。いよいよ検事側立証の総破たんをつきつけ、保釈を強力に求めていく時だ。全力で結集し闘おう。

 須賀同志が裁判長を弾劾

 裁判の冒頭には、三同志が長期勾留を弾劾し保釈を求める意見陳述を行った。
 今回も車いすで出廷した須賀同志は、激しい怒りを爆発させて木口裁判長を弾劾した。「医療鑑定の結果に基づいて、弁護人が勾留執行停止を申し立ててから三週間もたっている。木口裁判長は私の生命をどう思っているのだ。狭心症の確定診断のための検査を絶対に行ってほしい。さらに、鑑定医は、私の症状は長期拘禁による自立神経失調症と言った。一切の原因があまりに長期の拘禁にあることは明白だ」
 「数日前二日間、左手の指がしびれた。東京拘置所の医師は一過性脳うっ血かけい椎のヘルニアによるものだと言った。脳のCTスキャンをとることを約束したが、実際に行われるのは数カ月先になるのが東拘の医療の現実だ。私の生命を保障するのは保釈しかない。木口裁判長はただちに許可決定を出せ」
 昨年十一月六日の保釈請求からなんと半年近くが経過している。このまま放置することは断じて許されない。木口裁判長は直ちに三同志の保釈を許可せよ。

 “4同志即時保釈を” 昼休み、怒りの地裁デモ

 「十万人保釈署名運動」は四同志の即時釈放を要求し、公判の昼休みに裁判所包囲デモを闘った(写真)。午前十時からの裁判を傍聴して三同志の意見陳述に心打たれた人たちが全員決起した。デモに参加するためにかけつけた友人、支援者を含め、全体で四十人。被告家族と、署名運動世話人の桜井善作さん、一人で街頭に立って保釈署名を多数集めている益永スミ子さんがデモの先頭に立った。
 「十四年の長期勾留を許すな」「木口裁判長は三人を直ちに保釈せよ」「須賀さんの獄外医療を認めよ」「四人は無実だ」と、大きなシュプレヒコールが裁判所にたたきつけられた。

------------------------TOPへ---------------------------