ZENSHIN 2001/08/13(No2017 p10)

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週刊『前進』(2017号4面1)

 8・15小泉靖国公式参拝を絶対阻止せよ

 「天皇=お国のため」に再び銃を取るのか

 第1章 戦死したら靖国神社に祭るから国に命捧げよ−−これが靖国のイデオロギーだ

 第2章 特攻隊を全面的に美化A級戦犯を「神」と祭る−−今も変わらぬ靖国神社の本質

 第3章 「特攻隊兵士の気持ちになれ」と青年たちを扇動−−小泉の狙いは殉国思想の復活

 第4章 朝鮮人遺族ら合祀名簿からの削除要求し提訴−−噴出するアジア人民の怒り

 

 

 靖国神社は戦争動員の軍事施設

 小泉首相の八・一五靖国神社の公式参拝は、小泉の反革命攻撃の中でも最大級の位置をもつ。それは、二千万人を超えるアジア人民を虐殺した日帝の植民地支配と侵略戦争の歴史、その中で日本人民もまた戦争に加担させられ死を強制された歴史のすべてを真っ正面から全面賛美する攻撃だ。それは、日帝が再びアジア侵略戦争に向かおうとしている今日、青年、子どもたちに「天皇のため、国のために命を捧げる」靖国思想、殉国思想、特攻隊の゛魂″を吹き込み、実際に戦争を担う人間をつくり出そうとする攻撃である。そのために労働者人民の「再び戦争をくり返すな!」という戦後的反戦意識を完全に解体・一掃し、再びアジア侵略戦争を行うことを宣言するものだ。日帝・小泉の改憲=戦争国家化攻撃の核心の粉砕をかけた歴史的な大決戦として、八・一五公式参拝を実力阻止せよ! 革命的祖国敗北主義、血債の思想を人民の中で強力に物質化し、闘うアジア人民と連帯して、総力で闘おう。

 第1章 戦死したら靖国神社に祭るから国に命捧げよ−−これが靖国のイデオロギーだ

 ●天皇のための戦死者のみを「英霊」化

 靖国神社とは何か。明治維新の時の内戦や日本帝国主義の明治以来のアジア侵略戦争−日米戦争の戦死者を「英霊」として祭っている神社だ。「天皇のため」「国のために」戦死した者を、神として祭り、慰霊し、その「功績」を顕彰することを目的としている。
 そのことによって、死後は靖国神社に祭るから進んで「天皇のために命を捧げよ」と強制する機能を持った神社なのだ。
 招魂祭で天皇の軍隊を形成
 一八六九年(明治二年)に明治政府によって創立された東京招魂社が、靖国神社の原形である。招魂とは死者の霊を天から招き降ろして鎮魂するという意味である。もとは道教に由来し、その起源は古代にまでさかのぼる。戦国時代には、仏教などの影響もあって、死ねば敵も味方もないという立場から、敵味方両方の死者を弔う習俗として発展していった。
 ところが、幕末に登場した「招魂」は、こういう伝統とはまったく異質のものだった。幕府の宗教である仏教や儒教に対抗して倒幕派がつくりだした「招魂の思想」は、天皇の側(勤王派)の犠牲者のみを「国事殉難者」として讃えることで、生死をかけて奔走する自派の活動家たちを激励・奮起させることを狙った。
 明治維新の時の戊辰(ぼしん)戦争で明治政府軍は、官軍として錦の御旗を押し立て、天皇の命令によって賊軍を征討するという大義名分を掲げていたが、実体は諸藩の兵士の寄せ集めで、天皇の軍隊という自覚は乏しかった。招魂祭は、天皇への忠誠心を強め、戊辰戦争に勝利するのに大きな効果を発揮した。
 東京招魂社には、戊辰戦争に勝利し、強大な天皇の軍隊の創設を急ぐ明治政府の大きな期待が込められていた。
 七五年に政府は、「嘉永六年以来の国事殉難者」を東京招魂社に合祀(ごうし)することを決める。この合祀によって、幕末の勤王派の死者(例えば坂本竜馬)と官軍、陸・海軍の戦死者が、天皇に忠誠を尽くして死んだという一点で直結され、日帝の軍隊は天皇の軍隊という基本的性格を固めていくことになる。
 したがって幕府側の戦死者などは賊徒・朝敵としてあくまで追及される対象となっており、靖国神社には祭られていない。西南戦争の西郷軍の戦死者なども祭られていない。靖国神社は、死んだ後も敵と味方の区別を徹底する。天皇ために死んだ者を称賛して神として祭る一方で、天皇の敵はあくまで逆賊として未来永劫追及するのである。
 一八七九年に東京招魂社は、靖国神社と改称し、別格官弊社になる。別格官幣社とは、「臣民」を祭神とする神社のために創案された社格だった。靖国神社は、別格官幣社の中でも特別の扱いを受け、天皇の皇祖神を祭る伊勢神宮と並ぶ存在となった。そして日清戦争、日露戦争をつうじて、靖国神社の思想と役割は、その軍事的侵略的役割を一挙に強めていった。
 「靖国合祀」で厭戦気分払う
 日帝にとって本格的なアジア侵略戦争となった日清戦争で日本軍の戦死者・戦病死者は一万四千人に及んだ。明治天皇は、戦死者を合祀する臨時大祭に、二度にわたって参拝した。この後、合祀の臨時大祭には、大元帥(だいげんすい)の軍装に身を固めた天皇が靖国神社に行き、社殿に昇って祭神に一礼する「親拝」が通例となった。
 続く日露戦争は世界初の帝国主義間戦争だった。この戦争で日本軍は九万人近い戦死者・戦病死者が続出した。社会主義者の幸徳秋水やキリスト者の内村鑑三らは非戦論を展開し、人民の間にも厭戦(えんせん)気分が広がった。政府は、戦意を高め、遺族の不満を抑え込むために、靖国神社で盛大な合祀の臨時大祭を行った。
 日帝は、アジア侵略戦争を、現人神(あらひとがみ)である天皇が行う「聖戦」だと大宣伝し、侵略戦争の犠牲となったアジア人民は、天皇の「聖戦」に逆らう「内外の荒振寇等(あらぶるあらども)」つまり賊徒とした。逆に皇軍兵士は、天皇のために死んだという一点で神と崇(あが)められる存在とされた。
 靖国神社の祭神を「英霊」と呼ぶことも、この頃から一般化した。「英霊」は天皇に忠誠を尽くして死んだ霊の美称となった。日本人民は、天皇に忠義を尽くし、靖国神社に神として祭られることこそが「臣民」の名誉であると教え込まれていった。
 こうして靖国神社は、日帝の軍国化とアジア侵略の拡大とともに、天皇崇拝と帝国主義的民族主義・排外主義・国家主義を普及させる上で、絶大な役割を発揮していったのである。
 一九三一年に日帝が十五年戦争に突入すると靖国神社と全国の神社は、労働者人民を総動員するために一層重んじられていった。各道府県にあった招魂社は護国神社と改められ、市町村レベルでは忠魂碑・忠魂塔が建立された。そして忠魂祭、慰霊祭がさかんに行われ、忠君愛国教育として、子どもたちの参拝が行われた。
 このように靖国神社−護国神社−忠魂碑・忠魂塔という「靖国」のネットワークが全国にくまなく張り巡らされた。それが戦死者の慰霊だけではなく、兵士の壮行、戦勝と兵士の武運長久の祈願、日本軍の勝利の祝勝行事などの儀式の場となり、労働者人民を戦争に駆り立てていったのだ。
 学校では、死んでもラッパを放さなかったという木口小平のラッパ美談や「水平の母」(老いたる母の願いはひとつ。軍に行かば、体をいとえ。弾丸に死すとも、病に死すな)、肉弾三勇士などの軍国美談が鼓舞された。靖国神社についても修身の教科書で子どもたちに徹底的に教えられた。
 最後には「生きて虜囚の辱めを受けず」という「戦陣訓」が兵士にたたき込まれ、「死んで靖国神社で会おう」と、天皇と国のために死ぬことこそが天皇の軍隊の兵士の名誉だとされ、「玉砕」や「特攻隊」が強要されていったのだ。

 ●敗戦後も生き残り公然たる復活狙う

 一九四五年八月、靖国神社は、大半の戦死者を未合祀のまま、敗戦を迎える。GHQ(連合国総司令部)は靖国神社をミリタリー・シュライン(軍国的神社)と呼び、靖国神社の存続も定かではなかった。
 こうした中で靖国神社は四五年十一月、急きょ臨時大招魂祭を行う。天皇が参拝し、非常の措置として、祭神の一括招魂、一括合祀という異例の方法ですべての戦死者を祭神に加えた。
 しかし靖国神社は、GHQの「神道指令」によって国から切り離され、宗教法人令で別格官幣社の社格を失った。GHQの中には焼却処分などの意見もあったが結局、宗教法人として延命した。そして戦前の靖国神社の性格を継承することをうたった「宗教法人『靖国神社』規則」と「靖国神社社憲」を定めた。
 「靖国神社」規則は以下のようになっている。
 「本法人は、明治天皇の宣らせ給うた『安国』の聖旨に基づき殉ぜられた人々を奉斎し、神道の祭祀を行ひ、その神徳をひろめ、本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者を教化育成し、社会の福祉に寄与しその他本神社の目的を達成するための業務及び事業を行うことを目的とする」
 かつての役割を公然と復活することを宣言している。目的や思想は何ひとつ変わっていないのだ。
 「国家護持」と公式参拝攻撃
 一九五二年のサンフランシスコ講和条約のころから国家神道の復活が叫ばれるようになり、日本遺族会や自民党による靖国神社国営化運動が推進された。六九年、自民党が「靖国神社法案」を国会に提出する。同法案は、靖国神社を非宗教化して、内閣総理大臣が管轄する特殊法人として国営化することを骨子としていた。これには大きな反対運動が起こり、自民党は五回にわたり同法案を国会に提出するが、七四年に最終的に廃案となった。
 靖国神社国営化が挫折すると、天皇、首相の公式参拝の実現運動が大々的に組織されていった。七六年になると日本遺族会などを中心に「英霊にこたえる会」が結成された。「こたえる会」は、首相の公式参拝を要求し、地方議会に働きかけて決議をあげた。
 七五年に三木武夫首相が私人と称して参拝。福田赳夫首相は「内閣総理大臣」の肩書きを記帳した。八〇年には鈴木善幸首相が閣議で申し合わせ、十八人の閣僚を引き連れて参拝した。八一年には自民党議員が「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」をつくり集団参拝をした。
 さらにこの靖国神社公式参拝の大攻撃の中で、靖国神社は一九七八年十月、東条英機らA級戦犯十四人を、遺族に事前に通告することなく、「昭和殉難者」として合祀する。(A級戦犯の合祀については後述)
 しかし一方で、高まる批判の声に押され八〇年には公式参拝を違憲とする政府の統一見解が発表された。
 こうした中で首相になった中曽根康弘は官房長官の私的諮問機関として「閣僚の靖国神社参拝に関する懇談会」を設置し、八五年に公式参拝の実現を求める「報告」を出させる。そして靖国神社の公式参拝は合憲であるとの談話を発表し、中曽根と十八人の閣僚が初めて公式参拝した。
 これに対して内外から強力な批判と抗議の声があがった。そのため以後十六年間にわたって、八月十五日の首相の公式参拝は行われていない。(九六年に、遺族会の会長でもあった橋本龍太郎が首相として八月十五日をはずして公式参拝している)

 第2章 特攻隊を全面的に美化A級戦犯を「神」と祭る−−今も変わらぬ靖国神社の本質

 A級戦犯合祀は靖国の核心
 靖国神社には末期から十五年戦争までの戦死者・戦病死者二百四十六万六千余人が「英霊」として祭られている。
 合祀されているのは軍人だけではなく、日赤救護看護婦や沖縄のひめゆり学徒、沖縄から鹿児島への学童疎開中に撃沈された「対馬丸」の児童なども合祀している。また厚生労働省の調査によると、台湾・朝鮮人の軍人・軍属が約五万人合祀されている。
 さらに東京裁判でA級戦犯として処刑された東条英機(日米戦争時の首相)や板垣征四郎(「満州国」デッチあげの首謀者)、松井石根(南京大虐殺の最高司令官)ら十四人が「昭和殉難者」として合祀されている。
 この戦犯の合祀こそは、靖国神社の゛魂″に関わる重大な問題なのである。靖国神社社務所が発行した『やすくに大百科』は、以下のように記している。
 「戦後、日本と戦った連合軍の、形ばかりの裁判によって一方的に゛戦争犯罪人″という、ぬれぎぬを着せられ、むざんにも生命をたたれた千六十八人の方々……靖国神社ではこれらの方々を『昭和殉難者』とお呼びしていますが、すべて神さまとしてお祀りされています」
 靖国神社にとって、戦犯とは゛もっとも献身的に天皇のために戦ったにも関わらず、ぬれぎぬを着せられた最大の被害者″なのだ。戦犯の合祀は、日帝のアジア侵略戦争を肯定・美化するために絶対に必要なのだ。米帝など戦勝国に裁かれた東京裁判そのものをひっくり返すことが目的なのである。そしてこの極悪の戦争犯罪人たちを「神」として崇め、神の生き方に学べ、と日本人民にたたき込むのが、靖国の思想の核心なのだ。
 特攻隊戦死者の遺書を展示
 靖国神社は、東京千代田区に東京ドームの二倍の広さ(面積九万九千平方b)を持つ。境内には「日本陸軍の父」と言われた大村益次郎の像や巨大な菊の紋章の門や軍人勅諭(ちょくゆ)の碑などがある。社頭の掲示板には月替わりで特攻隊員などの遺書が掲示される。例えば今年七月の掲示は以下のような悲惨極まるものだ。
 「御父さん、お母さん、愈々(いよいよ)隆茂は明日は敵艦目がけて玉砕します。(中略)明日会ふ敵は戦艦か? 空母か? それとも巡洋艦か?……。きつと一機一艦の腕前を見せてやります。明日は戦友が待つて居る靖国神社へ行く事が出来るのです。日本男児と生れし本懐此れに過ぐるなし。御父さん、お母さん、隆茂は本当に幸福です。では又靖国でお会ひしませう。待つて居ります」
 靖国神社内の軍事博物館である「遊就館」の前庭には、特攻勇士の像や泰緬(たいめん)鉄道(日本軍がタイとビルマ間に建設した軍用鉄道。捕虜一万三千人、労務者三万三千人が死亡)を走ったという蒸気機関車、実際に使われた兵器などが展示されている。
 小泉の靖国神社公式参拝攻撃は、「過去の戦争を賛美し、侵略兵士を英霊化する」だけのものではない。
 日帝は今日、アジア侵略戦争ができる国家への大転換を決断し動きだしている。その核心のひとつが何よりも今に生きる青年、子どもたちに靖国思想・殉国思想をたたき込み、侵略戦争を担う人間、天皇と国家のために命を投げ出す人間をつくり出すことなのだ。それが靖国神社の公式参拝(靖国神社の復活)と「つくる会」教科書(戦前の修身と国史の復活)の攻撃なのだ。
 靖国の思想を教える遊就館
 軍事博物館「遊就館」は、まさに靖国思想・殉国思想を徹底的にたたき込むことを目的としている。
 一八八二年に設立された遊就館は、四五年の敗戦時に閉館させられたにも関わらず、八六年(中曽根の公式参拝の翌年)に再び開館された。首相の公式参拝に対する内外からの強い反対の声と闘いによって公式参拝が粉砕される中で、今一度、゛靖国思想″を復活させるための「教化活動」に乗り出したのだ。
 そして現在、総額九十八億円の「靖国神社御創立百三十周年記念事業」の一環で遊就館の全面改装工事と新館増設を行い、来年七月に開館しようとしている。
 中に入ると、明治以来一九四五年まで八十年余の日帝の戦争の歴史を多くの収蔵品を展示しながら記し、そのすべてが「いかに正しい戦争だったか」と誇る。
 遊就館には、「人間爆弾」と呼ばれたロケット特攻機「桜花」や人間魚雷「回天」が展示されている。そして特攻隊で死んだ兵士や沖縄戦で「玉砕」した兵士らの顔写真、プロフィール、手記、家族への手紙、遺書などを何十人分も延々と並べ立て、゛いかに純粋に国を愛していたのか″゛いかに清々しい気持ちで死んでいったのか″と描き出している。
 その空間そのものが、子どもたちを「お国のために戦ってくれてありがとう」「こんな立派な死に方があるのか」「今の自分が恥ずかしい。もっと立派な生き方をしなければ」などと、靖国思想・殉国思想で徹底的に染める仕組みになっている。
 日帝のアジア侵略戦争に対して労働者人民が持っている反省と反戦平和の意識をたたき壊して、再び侵略戦争をやろうとする日帝が子どもたちにたたき込もうとしている価値観、死生観の究極が、靖国神社そのものの中にあるのだ。
 問われているのは過去のとらえ方だけではない。今の生き方が問われているのだ。日帝の再びの侵略戦争を絶対に阻むために、靖国神社公式参拝攻撃を絶対に粉砕しなければならない。

 第3章 「特攻隊兵士の気持ちになれ」と青年たちを扇動−−小泉の狙いは殉国思想の復活

 ●侵略戦争での死に「敬意と感謝の誠」

 「八月十五日に総理大臣小泉純一郎として参拝する。日本国民、総理として当然の行為だ」||小泉は中国・韓国政府からの抗議も、アジアに広がる抗議の闘いも一切無視して、八月十五日、靖国神社公式参拝を強行しようとしている。小泉のこの間の暴言を絶対に許してはならない。
 小泉は「今日の日本の平和と発展は、自らの命を犠牲にして尽くされた戦没者の方々の尊い犠牲の上に成り立っている。戦没者に対して心を込めて敬意と感謝の誠を捧げたい」(五月九日、衆院本会議)と言う。
 第一に、小泉が「敬意と感謝の誠を捧げたい」と言う相手は誰なのか。靖国神社が祭っているのは、戦争で死んだ者一般ではない。日帝のアジア侵略戦争の中で侵略の銃を握り戦死した者、つまり侵略者を祭っているのだ。それを「八紘(はっこう)一宇」のイデオロギーのもとで全世界を天皇の支配下に帰一させる「聖戦」を担い、「お国のため、天皇陛下のために命を捧げた」と称して、「御祭神」として祭っているのだ。その頂点にいるのが、十四人のA級戦犯である。
 小泉は「尊い命を犠牲にされた戦没者の方々」などと言うが、小泉にとっては「国家と天皇のために命を捧げた者」のみが「犠牲者」であり、日帝の侵略戦争によって殺されたアジア人民は「犠牲者」にあたらない。それどころかアジア人民を、天皇および日本国家に服従しなかった「敵」と見なしているのだ。
 その一方で、靖国には植民地支配下で徴兵され死んだ約五万人の朝鮮人や台湾人の軍人・軍属も祭られている。また沖縄戦で死んだひめゆり学徒や鉄血勤王隊までも、「聖戦」を担い天皇のために死んだ「英霊」として祭られているのだ。
 靖国に参拝して「敬意と感謝の誠を捧げる」とは、“天皇のもとに全世界を帰一する聖戦を担い、立派に死んだ゜こと、二千万人を超えるアジア人民を虐殺したことを「敬意と感謝」をもって讃える行為なのだ。日帝が行った明治以来の戦争、十五年戦争、第二次大戦のすべてを「まったく正しい戦争だった」とすべて肯定する行為そのものだ。
 しかも「国を守るため」と言うが、実際は日本のプロレタリアート人民を守るためのものでもなく、「国体」=天皇制とブルジョアジーの支配体制を守るためのものだった。日本プロレタリアート人民は、自らの階級的利害とはまったく相反する戦争に狩り出され、自らもまた殺されたのだ。
 それは、死ななくてもいい死であり、生きるべきを暴力的に断ち切られた死であり、まさしく犬死にであったのだ。人間は、断じてそのような犬死にを強いられるべきではないのだ。それを「美しい死」「立派な死」と讃えることほど許しがたい、非人間的な帝国主義戦争の美化はない。
 小泉は「心ならずも戦争に行って亡くなった方々」と言う。何が「心ならずも」だ、ふざけるな! 一体誰が数百万人の農民や労働者を戦場に送ったというのか! 日本の人民を戦争に総動員して死を強いた帝国主義ブルジョアジーを絶対に許してはならない。
 第二に、小泉は「こういう犠牲の上に今日の平和と繁栄がある」と言う。ではその「今日の平和と繁栄」とは何なのか。
 一九四五年八月十五日の日帝の敗戦の時、日本のプロレタリアート人民に問われていたのは、帝国主義戦争を必然とした日本帝国主義を打倒することだった。そして現実に広範な労働者人民が決起した。しかし日共スターリン主義の屈服と裏切り的指導によって戦後革命は敗北させられ、戦後の日帝は出発した。
 決定的なのは、日帝は自らの植民地支配や侵略戦争の責任を一切とっていないということだ。六五年に締結した日韓条約では、「経済協力金」と称して十年間で三億jを無償供与することと引き替えに賠償請求権を放棄させ、それをテコに南朝鮮−アジア再侵略に突入していった。こうした戦争責任放棄の頂点に、沖縄を米軍政下に売り渡して戦争責任をまぬがれた天皇ヒロヒトの延命があった。
 また日帝の戦後史とは、日米安保と沖縄米軍基地、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などに象徴されるように、けっして「平和」なものではなかった。まさに戦後五十年余の日帝そのものが、アジア人民に血の犠牲を強制し続けることによって成り立ってきたのだ。小泉はこのことを完全に転倒させて、“天皇のために命を投げ出した皇軍兵士の尊い犠牲の上に今日の平和と繁栄がある゜とデマゴギッシュな扇動に使っているのだ。
 この点で、小泉が七月三十日の記者会見で、「かつての戦争の責任は誰にあると考えているか」という質問に「戦争責任がどうかという問題以上に、尊い戦没者の犠牲のもとに今日があることを忘れてはならない」と答えたことは重要だ。小泉にとって大切なのは「尊い戦没者の犠牲」であり、戦争責任問題などはまったくとるに足らないと公言したのだ。

 ●改憲=戦争国家化に゛魂゛吹き込む攻撃

 第三に、小泉が繰り返し語る「二度と戦争をしてはならないという気持ちを込めて靖国神社に参拝する」というペテンを徹底的に暴かなくてはならない。
 まず、もし「二度と戦争をしてはならない」と言うならば、靖国参拝などに行くわけがない。いや、侵略兵士を「英霊」として祭り、侵略戦争を「聖戦」として賛美する靖国神社そのものが、絶対に粉砕されるべきなのだ。
 そしてまた、「二度と戦争をしてはならない」と言うのならば、その大前提は、アジアへの植民地支配責任、戦争責任を取ることである。
 日帝と天皇の戦争責任を追及するアジア人民の闘いを完全に無視し敵対し、まったく逆に「戦争責任問題以上に、尊い戦没者の犠牲」と公言する小泉の言葉自身が、「二度と戦争をしてはならない」という言葉のうそを示している。
 小泉は「いろいろ反省の点については御意見があると思いますが、国際社会から孤立したことがあの戦前、戦争へ行ってしまったんじゃないか、だから戦後は二度と国際社会から孤立してはいけない、国際協調の道を探りながら日本の役割を見出し、世界から信頼される国になることによってこの平和と発展があるんじゃないか」(五月十一日、参院本会議)と言う。
 小泉は、「国際協調の道を探りながら日本の役割を見出し、世界から信頼される国になる」ためとして、何をやろうとしているのか? 現実の動きが本音を語っている。小泉は就任以来、「戦争をする国」への飛躍をかけて、九条改憲と「集団的自衛権」の行使、有事立法制定、PKO五原則の見直し|PKF本体業務への参加凍結解除などの戦争国家化攻撃に突進しているではないか。
 結局、小泉にとって唯一の「反省の点」は、“今度こそ勝たなければ゜というものであり、そのために改憲=戦争国家化攻撃に突き進むことなのだ。
 そして日帝の改憲=戦争国家化攻撃の核心として、実際にその戦争を担う人間に靖国思想、殉国思想、特攻隊の“魂゜を吹き込もうとするのが、靖国参拝攻撃なのである。

 ●「靖国で会おう」と再び戦死を奨励へ

 第四に、小泉は七月二十六日のTBSテレビの党首討論で、「なぜ靖国か」との質問に答えて、「多くの方々が『死んだら靖国で会おう』といって祭られている」と答えた。靖国神社の原理である国家神道のイデオロギーを平然と押しだしているのだ。
 これはけっして過去の問題としてではない。今、「死んだら靖国で神となって会おう」と言って戦地に飛び立っていく青年たちをつくり出すこと、国家神道の復活とそれによる戦争国家づくり、ここに小泉の靖国参拝攻撃の最大の核心があるのだ。
 「いまだに私は、嫌なことがあると、あの特攻隊員の気持ちになってみろと自分に言い聞かしてみます。……いろいろな嫌なことがあると、あの『ああ同期の桜』の本を思い起こしたときの感動を忘れずに、その嫌なことに立ち向かってきた経験がございます」(五月二十一日、参院予算委)
 こうして小泉が全面賛美する特攻隊とは、いったい何だったのか。
 いったん乗り込めば出てくることのできない仕掛けで、ただただ「体当たり」する以外に使い道のない人間魚雷、人間ロケット、特攻機に乗り、燃料は片道分だけ、戻ってくることは絶対に不可能な状況にたたき込まれ、次の瞬間には必ず死ぬことを覚悟して飛び立った特攻隊員。靖国神社で祭られる「神」になれることほど至高の価値はないとたたき込まれて死んでいった彼ら。その死者約四千四百人の大半が二十歳前後の若者だった。
 日帝は、最後は特攻作戦まで編み出して帝国主義戦争を継続し、文字どおり日帝と天皇制の一日一日の延命のために、労働者人民の生命を消耗品として使い捨てたのだ。そして天皇ヒロヒトは特攻機の出撃を聞いて「そのようにまでせねばならなかったか。しかし、よくやった」と言った。帝国主義戦争が行き着いた非人間性の極致の作戦だ。
 なぜ小泉は、このような絶対に許されてはならない暴挙を全面賛美するのか? それは、特攻隊の惨劇を再び繰り返そうとしているからにほかならない。小泉が「特攻隊員の気持ちになってみろ」と言っている相手は、今に生きる青年たち、子どもたちなのだ。
 靖国神社には前述のとおり、「今月の遺書」の大きな掲示板がある。毎月違う遺書を張りだし、プリントを配布している。その内容は恐るべきものだ。「今御国のため、大君のため死し行けることを考えますと、実に御礼の申しようもありません」「自分の希望に向って進めたことは何よりの喜びです」「皇国に生を受け皇国の為に陛下の御馬前に死するを得るは男子の本懐これに過ぐるものなし」
 靖国には生きるための思想は存在しない。死ぬこと、それも天皇のもとに全世界を支配するために命を投げ出すこと、そのことを「何よりの喜び」であり「本懐」であるとすること、それだけが唯一無二の価値観、死生観だ。「死んだら靖国で会おう」という靖国思想、殉国思想、国家神道イデオロギーを青年や子どもたちにたたき込むための小泉の靖国参拝を絶対に許してはならない。

 第4章 朝鮮人遺族ら合祀名簿からの削除要求し提訴−−噴出するアジア人民の怒り

 六月二十九日、日帝の植民地支配のもとで徴用・徴兵された韓国人被害者・遺族二百五十二人が、日本政府を相手に東京地裁に総額二十四億円(約二百五十億ウォン)の損害賠償請求を提訴した。原告団には、靖国神社に合祀されている人たちの遺族五十五人や、BC級戦犯、シベリア抑留被害者などが参加し、遺骨返還、未払い賃金支給、軍事郵便貯金返還なども要求している。
 靖国神社には、朝鮮人二万一千余人と中国人二万八千余人が合祀されている。七八年には台湾の遺族が、合祀リストから外してほしいと靖国神社に要求した。韓国人遺族が合祀中止要求訴訟を出したのは今回が初めてだ。
 BC級戦犯遺族の羅鉄雄(ナチョルウン)氏は「日帝によって連合軍俘虜(ふりょ)監視員として強制動員され、BC級戦犯の濡れ衣を着せられた。補償すべきだ」と訴えた。親族が合祀されている高明煥(コミョンファン)氏は、「靖国神社が韓国人犠牲者を勝手に合祀した後、『日本のために命を捧げた霊魂』と主張するのは、日帝時に強制された神社参拝と同じく、韓国人被害者の霊魂を冒涜(ぼうとく)することだ」と怒りを表明した。
 朝鮮で徴兵制を実施することが閣議決定された一九四二年五月、日帝・陸軍省は、台湾人・朝鮮人を軍属として連合国捕虜の監視に当たらせるために「俘虜処理要領」を決定。タイ・マレー・ジャワ俘虜収容所に配属された朝鮮人監視員が、戦後、BC級戦犯として裁かれ、百二十九人が有罪、うち十四人が処刑された。罪状は食料や医薬品を与えなかったことや強制労働をさせたことなどで、末端の朝鮮人監視員が負うべき罪状ではなかった。
 靖国神社側は「犠牲者らが死亡した時点ではみな日本人であったため、合祀リストから除外できない」と主張、死んでからも「日本軍兵士」としてじゅうりんし続けようとしているのだ。これが許せるか!
 次いで七月十六日、太平洋戦争被害者補償推進協議会所属の遺族らが、金大中大統領と小泉首相に、靖国神社に合祀されている父母の位牌返還を求める嘆願書を提出した。
 嘆願書では「日本の歴史教科書歪曲と小泉首相の神社参拝公言に憤りを禁じえない」とし、「父母の魂が戦犯らと一緒に追悼されることは、強制的に徴用された戦争犠牲者の子どもとして到底容認できない」と訴えている。
 これを受けて韓国政府は十七日に日本政府に公式要請。それを「靖国神社には個別位牌ではなく、戦没者名簿に名前と死亡日時が記載されているので、これを削除するように要請した」、同時に「戦没者名簿に記録された韓国人の数の把握も日本政府に要請した」と明らかにした。
 靖国神社の正確な合祀名簿は公表されたことがなく、これまで日本人遺族らの削除要求、さらに訴訟に対しても削除していない。
 小泉は、靖国神社公式参拝に対する中国や韓国からの激しい抗議に対し、「関係ない。惑わされる方がおかしい」(四月十七日)、「よそから批判されて、なぜ中止しなきゃならないのか」(五月十四日)などと発言し続けてきた。
 そして七月二十一日には「『熟慮してほしい』と言うから『熟慮する』と答えた。『熟慮断行』という言葉もある」と居直った。
 アジア人民にとって小泉の靖国神社公式参拝とは、教科書攻撃、改憲=戦争国家化攻撃と一体の攻撃であり、日帝のアジア再侵略戦争宣言にほかならない。
 闘うアジア人民と断固連帯し、日本の労働者・学生・人民の血債をかけた闘いとして八・一五靖国闘争を爆発させよう!

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