ZENSHIN 2001/09/10(No2020 p08)

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週刊『前進』(2020号8面1)

9・1朝鮮人・中国人虐殺から78年
 小泉・石原の排外主義と対決を
 在日朝鮮人・中国人に対する破防法弾圧の激化を許すな
 佐久間 祐  

 関東大震災から七十八年、日帝・小泉政権は戦争国家化の一環として、東京都知事ファシスト石原と連動して大規模な七都県市合同防災訓練=自衛隊有事出動演習を行おうとしている。この軍事訓練は、切迫する中国・朝鮮−アジア侵略戦争に向けた自衛隊の実戦部隊化を狙うものであり、労働者人民の総動員を図るものである。われわれは、新たな戦争に突き進む日帝・小泉の反革命攻撃と対決し、教科書闘争、靖国闘争の国際主義的連帯闘争の爆発を引き継ぎ、排外主義、差別主義の扇動・組織化との体を張った闘いに立ち上がることをあらためて決意しよう。

 公調が400人以上の登録原票出させる

 九・一を前にして、日帝・小泉が在日朝鮮人への破防法弾圧を具体的に策動している重大な事実が明らかになった。公安調査庁が在日朝鮮人の外国人登録原票の写しを自治体から大規模に入手していたのである。破防法第二七条に基づく「破壊的団体の規制に関する調査のため」という口実で、これまでに判明しただけでも全国で四百人を超える在日朝鮮人の登録原票のコピーが公安調査庁に渡った。京都市八十七人、大阪市六十三人、神戸市八人、奈良市一人、北九州市六十一人、福岡市五十三人、松江市十九人、高松市二十一人、仙台市三人、札幌市三十八人、東京は、杉並区三人、江東区二人、練馬区一人、葛飾区七人、江戸川区八人など全国に及んでいる。
 外登法の登録原票制度は在日・滞日する外国人の住所、氏名、生年月日はもとより、家族構成、顔写真、指紋を始め、職業歴などの個人情報が六十六項目にわたって記入されている。これまで原票は門外不出とされ、国(公安警察)や自治体以外に閲覧を認められておらず、在日人民自身にも何が書かれているか分からないものであり、入管体制の治安的暗黒的本質を示すものであった。
 八〇年以来の営々たる指紋押捺(おうなつ)拒否闘争=反外登法闘争の中で、在日朝鮮人・中国人の闘いによって、ようやく原票の開示をかちとった。今次破防法弾圧はこうした在日朝鮮人・中国人の闘いの地平をじゅうりんするものだ。
 今回の破防法弾圧は第一に、五月の北朝鮮・金正男(キムジョンナム)の「法外入国事件」を契機に、小泉が国会の施政方針演説で「入管体制の強化」を叫んだことの実践として強行されたものであり、小泉反革命攻撃そのものである。金正男「法外入国事件」は、日帝にとって大打撃であった。「水も漏らさぬ」はずだった入管体制の網の目をくぐって数度にわたって金正男が日本に入国していた事実に驚愕(きょうがく)した。そのために異例とも言える施政方針演説での小泉の強調となり、具体化したのである。
 第二に、「朝鮮・台湾海峡有事」の際に、「ゲリラ・コマンドゥ」と一体となって反戦行動を行う「恐れ」のある在日朝鮮人・中国人を予防的に弾圧するために今回の調査を強行したということである。日帝の改憲・有事体制に向けた攻撃の大エスカレーションである。
 日帝は、「朝鮮有事」に向けて入管法・外登法の改悪を図り、戦時入管体制への転換を強行したが、それを一層エスカレートさせ、在日朝鮮人・中国人に対する排外主義・差別主義を扇動しながら改憲・有事立法攻撃を推し進めようと図っているのだ。
 第三に、この攻撃が「参政権」法案−「国籍法」改定案として進行している在日に対する融和・同和攻撃と一体となって進められていることである。「参政権がほしければ日本国籍をとれ」とする攻撃の中で、なおかつ民族性と人間的誇りを堅持して生きようとする在日朝鮮人・中国人を破防法対象者としてすえ、これまでにもまして治安弾圧を強化しようともくろんでいるのである。
 日帝・小泉は、一九五〇年の朝鮮戦争に向かう情勢下で、朝連を解体し、在日人民の戦後革命の闘いを圧殺した歴史を再び繰り返そうとしている。
 その上重大なことは、こうした破防法弾圧が、こともあろうに九・一を前にして明らかになったことだ。ここに日帝・小泉とファシスト石原のもくろみと一体となった排外主義的な外国人政策が鮮明になっているのである。
 われわれは、在日人民に対する破防法弾圧を徹底的に弾劾し、破防法・組織的犯罪対策法攻撃との闘いを労働者階級の責任ある闘いとして貫徹すると同時に、入管法・外登法−入管体制粉砕を断固として闘い抜くことをあらためて決意しなければならない。

 関東大震災直後にデマあおり大虐殺

 在日人民への破防法弾圧の中で、九・一を迎えていることを、われわれは戦慄(せんりつ)をもって確認しなければならない。
 今年の九・一防災訓練は、七都県市と東京の「ビッグレスキュー2001」が完全に一体となって、自衛隊の有事出動訓練として行われる。特に、川崎、調布という在日朝鮮人の歴史的な居住地域を対象として、治安出動した自衛隊が自在に動き回ることは、それ自身が在日朝鮮人・中国人にとって「関東大震災の再来」を思い起こさせる恐怖をもたらすものなのだ。
 関東大震災を考える場合、まず第一に、引き起こされた歴史的事実をありのまま見据えることから始めなければならない。
 「つくる会」歴史教科書では以下のように記述している。「一九二三年九月一日には、関東地方で大地震がおこり、東京・横浜などで大きな火災が発生して、約七十万戸が被害を受け、死者・行方不明者は十万を超えた(関東大震災)。この混乱の中で、朝鮮人や社会主義者の間に不穏なくわだてがあるとの噂(うわさ)が広まり、住民の自警団などが社会主義者や朝鮮人・中国人を殺害するという事件がおきた」
 あたかも「不穏なくわだて」があったから「殺害した」と言わんばかりの記述であり、デマと虐殺を肯定している。
 事実はどうなのか。一九二三年九月一日午前十一時五十八分、震度6、マグニチュード7・9の大地震が関東地方を襲った。小田原沖三十`の海底が震源地であった。東京・横浜を中心に死者・行方不明者約十四万人、負傷者十万四千人、倒壊・焼失家屋五十七万戸という大災害だった。
 「間一髪を容れず、濛煙(もうえん)四方に起こり、爛華(らんか)八方に飛び、東京市の全土は遂に火の洗礼を受く。紅蓮(ぐれん)、紅蓮、大紅蓮」(大曲駒村=おおまがりくそん『東京灰燼(かいじん)記』より)。
 被害の総額は一九二二年の一般会計予算の四倍以上の約六十億円に上ったと言われる。
 しかし、地震災害の大きさもさることながら、翌二日から引き起こされた朝鮮人・中国人大虐殺という事実こそ銘記されなければならない。
 八月二十四日に加藤友三郎首相が死に、政府は首相不在の政変状態で大地震に直面した。陣頭指揮に立った内務大臣水野錬太郎、警視総監赤池濃は、ともに朝鮮で一九一九年の三・一独立運動の弾圧の先頭に立ち、日帝の植民地支配に対する朝鮮人民の深い怒りに心底恐怖していた。水野、赤池らは謀議し、九月二日、東京市と隣接五郡に戒厳令を発布、翌三日には神奈川県、四日埼玉県、千葉県へと拡大し、十一月十六日までの二カ月半、総勢六個師団約六万人の軍隊による戒厳体制でこの危機をのりきろうとした。
 また関東各地に三千六百八十九の「自警団」が組織され、歯止めのない暴虐さで虐殺が凶行された。日本刀、竹槍、鳶口(とびぐち)、棍棒(こんぼう)、猟銃、ピストルなどで武装し、通行人を片っ端から検問し、朝鮮人・中国人と見るや見境なく暴行を加え、殺していったのだ。
 大震災直後から数週間にわたって、少なくとも六千人以上の朝鮮人と六百人以上の中国人が虐殺された。しかも、七十八年後の今もって、犠牲者の正確な数は不明である。このことの中に、虐殺がいかに問答無用に凶行されたかが示されていると言えよう。
 「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人は暴動を起こす」||こうした根も葉もないデマをデッチあげ、それを根拠に戒厳令を出し、保護すると称して朝鮮人を警察署や兵営に収容し虐殺するという、言語に絶する蛮行がふるわれた。当時約三万五千人の在日朝鮮人が存在していたが、その約六分の一が虐殺されたのである。
 この中で、九月三日には警察と軍隊の手で亀戸事件が引き起こされ、平沢計七、川合義虎ら労働運動活動家が殺された。さらに十六日には東京憲兵隊本部で、大杉栄、伊藤野枝、甥の橘宗一が殺され、裏門近くの古井戸に捨てられた(甘粕事件)。
 そしてこの一大虐殺事件を諸外国から指弾されたときの言い訳として「赤化日本人及赤化朝鮮人」の暴動説を海外に宣伝するよう準備されていた。朴烈、金子文子らの大逆事件もこうしてねつ造されていった。

 3・1独立運動を恐れた日帝

 第二に、当時の社会状況を明らかにしなければならない。日帝・政治委員会の支配の空白の中で、支配階級は革命の恐怖におののいていた。一九一七年ロシア革命の勝利が世界中の労働者階級・被差別民衆の闘いを鼓舞していた。朝鮮での三・一独立運動、中国での五・四運動は、朝鮮人民、中国人民の反日帝・民族解放にかけた熱情が爆発したのだ。
 日本においても大正デモクラシーの絶頂期にあった。一九二二年三月、全国水平社が創立され、七月には日本共産党が非公然に結成された。労働者階級の闘いは、ロシア革命を突破口に世界革命の実現に向かって確実に進んでいこうとしていた。
 また二二年に起きた信濃川発電所における朝鮮人労働者虐殺事件を契機に朝鮮人労働者と日本人労働者との連帯・合流の闘いが具体的に始まっていた。
 しかし、スターリン主義のもとでその後再建された当時の日本共産党は、この関東大震災における朝鮮人・中国人虐殺の問題と民族問題を階級の課題としてとらえきれず、労働者階級の闘いを階級的に組織しえず、血の海に沈めてしまった。関東大震災における朝鮮人・中国人虐殺という歴史的事実は、排外主義・差別主義に敗北したスターリン主義の裏切りの姿を映し出したものと言える。

 血債の立場を貫き国際主義的連帯を

 第三に、だからこそ関東大震災における朝鮮人・中国人虐殺という事実と繰り返し真摯(しんし)に向き合い、階級的に確認することが決定的に重要なのだ。
 この虐殺の歴史が日本階級闘争の中で初めて日本労働者階級の問題として暴き出され、階級的に闘う課題として措定されたのは、一九六九年以来の入管闘争−七〇年七・七自己批判を経て、ようやくのことだった。われわれは、階級的血債の問題としてこの歴史的事実を真正面から見据えていくことをとおして、排外主義、差別主義との闘いを本格的に開始していった。この課題は日帝のアジア侵略と対決する内容として決定的なのだ。
 日帝は、関東大震災における朝鮮人・中国人虐殺を含めて戒厳令体制のすべてを、今日もなお反革命的に教訓化し、実践に移しているのだ。七〇年安保・沖縄闘争の爆発と、それに対する三島反革命を経て、日帝は七一年九月一日から防災訓練と称して自衛隊を動員した治安訓練を開始し、そこに地域住民の参加を強制してきた。まさに日帝は、労働者階級の階級性を解体するために防災訓練=治安訓練を繰り返している。
 さらに今日、ファシスト石原が都知事として、自衛隊の有事出動演習、治安出動訓練の先頭に立ち、昨年四月九日の「第三国人」発言のような在日・滞日アジア人民に対する恐るべき排外主義扇動を行っているのだ。まさに関東大震災の朝鮮人・中国人大虐殺は過去のことではなく、現実の小泉・石原の攻撃と結びついているのである。
 小泉・石原の排外主義・差別主義、国益主義、国粋主義の攻撃と徹底的に対決し、支援・防衛・連帯のプロレタリア国際主義の立場を断固貫かなければならない。自衛隊の治安出動を絶対に許さず、戦争国家化=改憲・有事立法攻撃を全力で阻止しよう。

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