ZENSHIN 2001/09/24(No2022 p06)

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週刊『前進』(2022号1面1)

9・11反米ゲリラに対する革共同の見解
米日帝の軍事報復阻止を 第3次世界大戦の危機と対決せよ
 世界の労働者と被抑圧民族は団結し 反帝・反スターリン主義世界革命へ
 日帝・小泉の有事立法阻止・改憲粉砕を

 九月十一日、世界戦争と民族抑圧・新植民地主義の牙城(がじょう)であり、世界の金融・証券、貿易、産業を握る搾取と収奪の元凶であるアメリカ帝国主義に対して、被抑圧民族の積もり積もった怒りが大炸裂(さくれつ)した。この事態は、全世界の帝国主義支配階級が中東・アラブ人民や朝鮮・中国―アジア人民などにいかに暴力的かつ傲慢(ごうまん)にふるまい、どれほどの苦しみを与えてきたのか、それに対する被抑圧民族の憤激がどれほど深く大きいかを激しく突きつけている。同時にこの事態は、アメリカを始めとする帝国主義諸国の労働者人民に対して、帝国主義の歴史的・今日的悪行をいつまで許すのか、なぜその足下から戦争と民族矛盾の根源である帝国主義の打倒の闘いに立ち上がらないのかと、絶望的不信を突きつけている。労働者人民に求められていることは、この事態の深さをしっかりと受けとめ、なおかつ九・一一を根底的にのりこえて、全世界の労働者階級と被抑圧民族の団結した真の解放の道を切り開くことだ。われわれは、今こそ「侵略と戦争の根源=帝国主義とスターリン主義を打倒せよ、全世界の労働者階級と被抑圧民族は固く団結しよう、反帝・反スターリン主義世界革命をかちとれ」の闘いを心から激しく呼びかける。「被抑圧民族人民と固く連帯し、米帝のパレスチナ圧殺・中東侵略戦争阻止、米日帝の中国・朝鮮侵略戦争阻止、第三次世界大戦の道を許すな」の闘いに総決起しよう。アフガニスタン・アラブへの軍事報復を絶対阻止せよ。日帝・小泉政権の中東侵略戦争参戦阻止、戦争国家づくり阻止=改憲粉砕・有事立法阻止・一大資本攻勢粉砕の今秋決戦に総進撃しよう。

 米帝は民族抑圧の元凶

 九月十一日、アメリカで四機の旅客機が奪取され、米帝の中枢でありシンボルでもある世界貿易センタービル南北二棟と国防総省ビルに次々と突入した。一機はペンシルベニア州ピッツバーグに墜落した。マンハッタンにそびえ立つ四百三十b、百十階建ての巨大なツインタワービルは完全に倒壊し、隣接するビルも次々と倒壊し、威容を誇るペンタゴンは壊滅的な打撃を受けた。米帝史上、いや世界史上も前例のないゲリラ戦争が敢行され、膨大な流血と破壊が生み出された。
 国防総省での死者は約百九十人と推定される。十三日にニューヨーク市長は、ツインタワービル関連の遺体収容九十四人、行方不明四千七百六十三人(乗客乗員、消防士、警察官などを含む)に上ると発表した。            
 ニューヨークの一切の通信は不通となった。ニューヨーク株式市場は閉鎖され、主要な取引所も閉鎖された。米のすべての空港からの飛行機の離発着は禁止され、空港は閉鎖された。首都ワシントンは非常事態宣言を発令した。
 米帝はブッシュの命令で国内はもとより沖縄米軍基地など世界中の在外基地・政府施設で最高度の戦時厳戒態勢に入った。米全土で米軍機が監視飛行を強め、政府・軍は全施設の警備を緊急対応計画に入れ、ブッシュは「戦争行為だ」「報復をやる」と公言した。

 求められる階級的な視点

 事実関係の詳細がなお不明であるが、本質的に言って、九・一一は、被抑圧民族によるやむにやまれむ決死の反米一斉ゲリラ戦争である。彼らが訴えるものをしっかりと受けとめることなしに、このゲリラ戦争を非難することは絶対に許されない。はっきりさせなければならないことは、アジア、アラブ・中東など世界の被抑圧民族が迫害され、差別され、帝国主義の一切の矛盾を犠牲転嫁されて苦しんでいるということだ。同時代に生きる者としてこの苦しみを自らの苦しみととらえないままに、帝国主義イデオロギーに撹乱(かくらん)され、階級意識を曇らされている自らの現状を問う一大衝撃として、この事態を階級の視点でとらえなければならない。

 被抑圧民族の苦しみと怒り

 われわれ革共同が訴えたいことの第一は、世界の被抑圧民族の抑えがたい怒りが米帝に向かって大爆発したということである。
 米帝は、ここ十年をとっても九一年イラク・中東侵略戦争、九九年ユーゴスラビア侵略戦争の大殺戮(さつりく)を強行し、世界大戦級の侵略戦争政策を推し進めてきたが、ブッシュ政権になってそれは一層むき出しの形でエスカレートしている。
 地球温暖化防止の京都議定書から離脱した。ABM(弾道弾迎撃ミサイル)制限条約の破棄に動き、CTBT(包括的核実験禁止条約)からも離脱表明し、米帝のみが生き残るためのミサイル防衛構想を推進している。アフガニスタンとイラクに経済制裁を加え続け、イラク空爆を断続的に継続している。人種差別反対世界会議(南アフリカで開催)で満場の弾劾を受けながら、米帝はイスラエルの軍事侵攻を擁護してイスラエルとともに退場した。
 国連での「イスラエルによる六七年占領地の返還」の決議がほとんど可決情勢にあるのに米帝のみが拒否権を発動して成立を妨害している。そのイスラエルは、「テロとの闘い」を公約とするシャロン体制のもとで、米帝が供与あるいは技術協力した最新兵器を使ってパレスチナ自治区への軍事侵攻を繰り返し、ムスタファPFLP議長暗殺作戦を強行し、ヨルダン川西岸を戦車で制圧し、パレスチナ人民への挑発的な敵対を路線化してきた。昨年九月以来の新たなインティファーダに対して、石を投げれば銃殺し、自爆テロルに訴えればミサイルをぶちこんで大量虐殺を加え、八百人ものパレスチナ人民を虐殺してきている。
 そもそも米帝は、第二次世界大戦後ずっとイスラエルを先兵にしてアラブ・中東人民を抑圧し虐殺し、アラブ諸国に侵略軍隊を駐留させ、中東の支配者としてふるまってきている。
 それらに輪をかけて、ブッシュは、アメリカでなければ民主主義でない、アメリカだけが正義で、アメリカが世界の法だという、傲慢な帝国主義的本性を露骨な上にも露骨にしている。この米帝にはどのような正義もない。平和を語る資格などない。「民主主義の敵」という言葉は、米帝にこそ投げ返されなければならない。この米帝に対してパレスチナ・中東人民を始めとする被抑圧民族が怒りと憎しみをたたきつけることには絶対の大義がある。
 では、帝国主義諸国の労働者階級は、九・一一によって、おびただしい死者・負傷者、壊滅的被害が生み出されたことをどうとらえるべきだろうか。特にアメリカの労働者階級がどのような回答を出すのか、ぎりぎりと求められている。
 米帝とすべての帝国主義は被抑圧民族の深い怒り、悲しみ、そのエネルギーを無視し、侮蔑(ぶべつ)し、おごりたかぶり、暴力的抑圧者としてふるまってきた。巨大な政治的・軍事的・経済的大国中の大国が、イスラエルを先兵にしてパレスチナ人民を迫害し、より弱小な新植民地主義諸国に軍事侵攻し、被抑圧民族を侵略しておいて、それでいて自らの国はどこまでも安泰でいられるなどということがありえるだろうか。その不正義の暴力をほしいままにふるっておいて、自分ひとりが平和と繁栄を得るなどということができるだろうか。そんなことは通用しないのである。
 今回の事態は、米帝が被抑圧民族をじゅうりんし、かつ見くびるという、そのあまりにも大きな誤りの咎(とが)を受けたということなのだ。事態の責任を問うとしたら、その責めは米帝とその最高責任者ブッシュこそが負わなければならない。われわれは、アメリカの労働者階級の仲間たちに、かつてない悲しみと苦しみの試練をのりこえて、米帝とその数々の不正義の悪行を真っ向から見据え、断固として被抑圧民族と連帯して世界反動の砦(とりで)・米帝=自国帝国主義を打倒する闘いに総決起することを心底から訴える。

 第3次世界大戦の現実性

 訴えたいことの第二は、事態の原因をつくり出したのは米帝および国際帝国主義なのだということ、その米帝など帝国主義が一貫して準備し構築している一切の戦争政策・戦争体制をやめさせよ、粉砕せよということである。自らの延命のために排他的な勢力圏分割戦に訴え、結局被抑圧民族への侵略戦争―帝国主義国家間戦争にのめり込む帝国主義を打倒することを、全世界の労働者階級人民の共同の決意としなければならないということである。
 「自由主義社会は新しい戦争の挑戦を受けている」などと帝国主義者はほざいている。「報復の悪循環」などと言われてもいる。だが違うのだ。まずもって米帝による侵略戦争、新植民地主義支配、その巨大な世界大的暴力がある。「新しい戦争」を起こそうとしているのは米帝の側だ。
 米帝および日帝を先頭とする帝国主義は、一九二九年型世界大恐慌の現実化という情勢の中で断末魔の危機にあえいでいる。ニューエコノミー論が早くも破れ、ITバブルとその崩壊という形で金融資本の危機が激化している。帝国主義の過剰資本・過剰生産力の矛盾がどうにもならない重圧となってまさに帝国主義を押しつぶそうとしている。そこから米帝などは軍需経済化を強めるとともに、実際に世界大戦級の戦争を遂行する路線をとっている。米帝ブッシュは、「ならず者国家を懲らしめよ」「将来の脅威を防げ」などと叫んで、全世界にミサイル防衛網を張り、残存スターリン主義中国を最大のターゲットとする本格的な一大侵略戦争=核戦争体制を再構築している。
 それは他方では、これまでの米帝の中東和平策動の歴史的破綻(はたん)を自認して、イスラエル軍事侵攻とそれによるパレスチナ抹殺を強行し、そうすることで、破産した中東支配・石油支配の建て直しのために問答無用の暴力的突破に舵(かじ)を切るものである。それらが米帝ブッシュの新世界戦略の組み立てである。それは第三次世界大戦=核戦争を不可避とする動きそのものだ。
 そこでは、@ソ連スターリン主義崩壊以後の戦後体制の崩壊過程において帝国主義諸国が分裂化と争闘戦激化の果てしない道を進んでいること、A他方、旧スターリン主義体制および残存スターリン主義体制がきわめて反動的な資本主義化政策を強行しており、世界史上類例のない混乱と危機をつくり出していること、B帝国主義諸国はその世界分割戦・勢力圏分割戦において広大な旧および残存スターリン主義圏に対する取り込みまたは体制転覆的取り込みの政策に出ており、それを突破口として新たな対立を激成しつつあること、C以上のような帝国主義対帝国主義の対立は帝国主義が帝国主義である限り第三次世界大戦へと突き進むしかないものであること――これらがくっきりと浮かび上がっている。
 第三次世界大戦の危機を真っ向から見据えよう。そして、帝国主義とそれと絡み合った旧スターリン主義および残存スターリン主義への怒りを爆発させて壮大な世界革命の闘いに決起しようではないか。

 集団的自衛権行使粉砕せよ

 訴えたいことの第三は、今回の事態への「報復」を口実とする米帝およびそれに協力=参戦する日・欧帝国主義の軍事侵略行動を絶対に許してはならないということである。
 ブッシュは「テロリストの首謀者を捕らえ罰する。テロリストと彼らをかくまう勢力を区別しない」「テロを超えた戦争行為だ」と叫んでいる。これは重大な言辞だ。米帝ブッシュは実行行為の証拠がなくても、デッチあげてでも「九・一一という戦争に対しては国家の自衛権を発動できる」と強弁することで、どんな侵略戦争をも遂行する決断をしたということである。九八年に、クリントンが証拠もなしにアフガニスタンやスーダンを巡航ミサイルで攻撃したように、今回もまた、米帝ブッシュは、アラブ諸国あるいはアフガニスタンへの軍事侵略を事実上宣戦布告したのである。
 それに呼応して、小泉は「民主主義社会にとって重大な挑戦」「米国を強く支持する」「犯人を追及すべき」「報復は当然」と語り、「米軍施設の防衛に自衛隊の出動も考える時」などと言っている。十二日の安全保障会議では、陸海空三軍を最高の警戒態勢に入れることを決めるとともに、有事立法を急ぎ、この秋の臨時国会で制定すること、さらに対米支援と日米同盟関係を強化することを確認している。小泉はブッシュに歩調を合わせて「戦時である」と公言し、事実上「周辺事態」認定を行い、有事体制を先取りしようとしている。
 欧州帝国主義がいち早く対米支援のためのNATO条約第五条の集団的自衛権を、NATO結成以来初めて発動することを決定した。その中で日帝は、従来の対応のままでは帝国主義として蹴落とされる危機に追い詰められている。そこから日米安保同盟の強化の飛躍点をなす集団的自衛権行使=対外侵略武力行使に踏み切る国家的決断を早めているのだ。日帝は、九・一一を反革命的チャンスとして戦争国家化=改憲の道を一挙に押し渡ろうというのである。そこに小泉「聖域なき構造改革」の最も先端的な攻撃がある。
 日帝の対米支援=参戦を絶対に粉砕せよ。それは米帝の軍事報復行動と共同作戦をとるということである。日米安保同盟―新安保ガイドライン体制を決定的にエスカレートさせるものであり、テロ報復の名で一気に集団的自衛権行使に踏み切るものである。今や公然とパレスチナ・アラブ人民の敵、中東人民の敵として登場するに至った日帝を断じて許してはならない。「聖域なき構造改革」路線もろとも小泉を打倒せよ。

 闘いの展望と方針

 全世界の労働者階級と被抑圧民族の真の解放の道は何なのか。われわれは、九・一一反米ゲリラ戦争の意味するものを真剣に受けとめる立場に立つ。だが同時に、九・一一によってはけっして真の解放の道は切り開くことはできないと考える。九・一一には、アメリカ労働者階級、すなわち米帝打倒の革命主体であり、世界革命の担い手であり、被抑圧民族の友であるべきアメリカ労働者階級の存在と闘いが措定されていない。そこからは、被抑圧民族自身の真の解放と勝利の展望は絶対に導き出されない。そうではなくて、帝国主義国の労働者階級を根底的に信頼し、彼らの決起を切実に求め、彼らの決起と団結することをめざして闘うことが被抑圧民族の闘う人民には不可欠なのだ。同時に、帝国主義国の労働者階級は、被抑圧民族の苦しみと怒りを真っ向から受けとめ、彼らの不信をぬぐい、信頼を回復するために闘うこと、血債の思想で連帯の内実をかちとっていくことが求められている。
 米帝を始めとする帝国主義の世界支配、それと絡み合った旧スターリン主義および残存スターリン主義の反革命というこの世界総体を根底から打倒する反帝・反スターリン主義世界革命こそが真の解放の道である。これこそがマルクス主義・レーニン主義のプロレタリア革命の今日的実現である。反帝・反スターリン主義世界革命の綱領・戦略のもと、全世界の労働者階級と被抑圧民族が固く団結することこそ、今最も必要なことだ。
 われわれは決意も新たに被抑圧民族人民と固く連帯して米帝打倒、日帝打倒、帝国主義打倒・スターリン主義打倒に総決起することを宣言する。
 米帝を労働者人民の力で打ち倒すことはまったく可能だ。ブッシュは「米国は強い国だ」としきりに強調しているが、九・一一の直後には「屋台骨が折れた」と米帝の脆弱(ぜいじゃく)性を吐露していたのである。米帝の中東政策が完全に破綻していたことが白日のもとにさらされた。
 それだけではない。折しもバブル経済の崩壊に落ち込んでいた米帝は、ドル下落、株式暴落の過程を激化させている。東京株式市場は、十二日に、大暴落を予感し一万円の大台を割り込んだ。TOPIXも一〇〇〇の大台を割った。九・一一の衝撃によって加速された帝国主義の矛盾の爆発はとどまるところを知らない。まさに米帝の超大国神話、帝国主義の万能神話が崩壊したのである。
 帝国主義は二十一世紀を迎えた今、没落期の危機にあえいでいる。帝国主義の最期の時が確実に迫って来ている。
 世界史を決定してきたのは、労働者階級と被抑圧民族の団結した力である。二十世紀の一七年ロシア革命を見よ。六〇年代から七〇年代のベトナム民族解放闘争を見よ。レーニン主義の思想と綱領・戦略とその実践は今、反スターリン主義・革命的共産主義運動としてよみがえり、二十一世紀革命を必ずや切り開くだろう。
 九・一一反米ゲリラ戦争をめぐる革共同の見解をすべての労働者人民の中に積極的に持ち込もう。九・二三反戦闘争に決起しよう。
 二〇〇一年後半の最大の決戦である十一月全国労働者集会に小泉反革命への労働者階級の怒りを総結集させよう。連合指導部を打倒し、JR総連を解体し、一大資本攻勢の嵐(あらし)をぶち破る階級的労働運動の躍進をかちとろう。
 十・七三里塚全国集会・デモに総決起し、急迫する暫定滑走路建設攻撃を粉砕せよ。
 十・一六〜一七日米首脳会談粉砕闘争を軸に今年の十・二一全国統一行動を闘いとろう。ブッシュと小泉に怒りをたたきつけよ。
 四党合意粉砕・闘争団防衛の国鉄決戦勝利をかけて、十・一三〜一四国労大会に決起し、その力で十一月全国労働者集会に進撃しよう。
 有事立法阻止・改憲粉砕の十〜十一月臨時国会闘争を、全学連を先頭に闘い抜こう。教育改革攻撃−教育基本法改悪阻止へ闘おう。
 反帝・反スターリン主義世界革命の旗のもと革共同に結集してともに闘おう。

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週刊『前進』(2022号2面1)

国労大会へ決戦態勢を 国鉄闘争は小泉と闘う最前線
「四党合意に基づく解決案の丸のみ」を主張する新井文書
 単一体の解体叫ぶチャレンジ倒せ

 十月十三、十四日に東京・社会文化会館で行われる国労第六八回定期全国大会は、国労の解体か再生かをかけた大決戦である。小泉改革と闘うべき日本労働運動の行方を左右する決戦だ。昨年七・一臨大以来の攻防の決着をかけた、一・二七定期続開大会を上回る激しい攻防になる。チャレンジ一派は、四党合意による決着を図る「最後の機会」と位置づけ、闘争団を切り捨て、単一体としての国労組織の破壊を強行するために、再び機動隊を導入して強行突破を図ろうとしている。激しい危機感をもって非常決戦態勢を打ち固め、なんとしても「四党合意」を粉砕し、高嶋―寺内執行部を打倒し、闘う新執行部を樹立しよう。闘う国労の再生をかちとろう。

 「10月の大会が最後の機会」と背水の陣敷く

 十・一三―一四国労大会に向けて、チャレンジ一派の超反動的なもくろみが明らかになった。前国労本部中執の新井修一の名で「全国の仲間に訴える」と題して九月初めに出された文書である(別掲参照)。
 新井文書はまず、JR採用差別問題について「この問題の解決を図るためには、不満があろうとなかろうと、国労が四党合意に基づき示された解決内容を丸呑(の)みするしか方法がない」「本当に最後の土壇場に来ている」と、四党合意による「解決案」の丸のみを主張している。
 しかも「四党合意に基づいて解決を図らなければならないと主張している者も『あまりの低水準では呑むことはできない』という程度の甘い認識しか持ち得ていない」と言いなし、低水準の解決案に動揺する部分に対して、「あまりの低水準」であることは初めからはっきりしているんだ、つべこべ言わずにのむべきだ、と恫喝しているのだ。
 さらに、新井は「国労の組織の状況」は「破産状態」だ、「このままの状況があと十年も続けば算術上から国労組合員はゼロになる」と、「ジリ貧」論を絶叫している。
 その上で、「今日、国労が組織体として生き残れる道は一つしかない。それは四党合意に基づく解決案を不満があっても国労全体が一致団結して呑むことである。そして採用差別問題の解決の上にたって、JRの経営形体に応じた新たな組織体制を形成し直して再出発をすること以外にはない。そしてそれは、この十月十三、十四日に開催される第六八回定期全国大会の場が最後の機会となる」と結論づけている。
 要するに、@どんな低水準=ゼロ回答でも「解決案」を丸のみして、闘争団を切り捨てるべきだ、A単一体を解体し、会社ごとのバラバラの組織にするべきだ、B今度の大会がそのための「最後の機会」だ、と言っているのだ。
 新井は、全国青年部長を経て、修善寺大会から今年一・二七大会まで十五年間にわたって本部中執を務めてきた。四党合意を直接に推進してきた人物だ。その新井がこのような文書を出した意味は大きい。
 これと軌を一にして、秋田地本の執行委員会が九月三、四日、長野で開かれた。これは、長野地本書記長・吉田進、東日本エリア本部書記長・佐藤勝雄らと秋田地本書記長・今井伸らが意志一致をするために開いたものにほかならない。
 秋田地本の今井は、九四年に「変化へのチャレンジ」と称して、闘争団の切り捨て―JR連合合流のチャレンジ路線をいち早く公然化させた。この間の四党合意の破産的推移の中で焦りを深めた今井は、「全国大会が混乱するようなら、国労から出ていく」と公言していた。北奥羽支部の委員長は、全国大会代議員選で「『国鉄労働組合』の名称を変更する。単一体から会社毎の連合体組織とする」ことを主張した。その北奥羽支部の事務所を勝手に支部委員長個人に売却したことが発覚した。これは国労の財産をぶんどり、分裂組織をつくるための準備でなくて何か。
 この秋田地本の動向が全国で大問題になる中で、それをチャレンジ一派として完全に居直り、今度の大会で何がなんでも四党合意による決着を図り、闘争団を切り捨て、国労を丸ごと権力・資本に売り渡すことを意志統一したということだ。その中身が新井文書なのである。チャレンジ一派は、今度の大会にまさに背水の陣を敷いて臨んできているのだ。

 機動隊の導入許すな 裏切り者たたき出せ

 したがって、今次全国大会が、一・二七を上回る大激突となることは不可避である。
 確かに、大会を十月まで開けなかったことは、権力・資本および国労本部、チャレンジ、反動革同らの早期決着のもくろみが破産的であることを示している。一・二七の四党合意強行にもかかわらず、闘争団の多数が「闘う国労闘争団」として断固闘い抜くことを宣言し、五・三〇集会の大成功を始めとした闘いの前進を切り開いてきた。これが敵を追いつめた。こうした中で、六月末に「解決案」を出すというたくらみは破産した。しかも出されようとしていたのは、「一人八十万円、関連会社への再雇用七十五人」という超低水準のものだった。
 だが千人もの機動隊を導入してまで決定したことを、このままズルズルと引き延ばしたり、後戻りすることなどあり得ない。「解決案」が出されれば「批准する大会」となり、出されなくても「一発回答」を受け入れることを決定しようとしているのだ。
 すでに国労本部は警視庁に「警備要請」を行っている。断じて許せない。闘争団を始めとする組合員の闘いを国家暴力で抑えつけ、再び機動隊による戒厳体制下の大会にしようとしているのだ。
 その背後には日帝・小泉政権の国家意志がある。二九年型世界大恐慌の切迫と米帝ブッシュ政権の凶暴な戦争政策に対応し、「聖域なき構造改革」―大失業と戦争国家化に踏み込んだ小泉は、労働者階級の団結と闘いを破壊しようと全力を挙げており、国鉄闘争の解体を至上命令としている。
 十月一日には「JR完全民営化法」が施行される。「千四十七人問題の未解決」は、長期債務問題、三島・貨物会社の経営問題、さらに安全問題の爆発などと並んで、国鉄分割・民営化攻撃の破産を突き出すものだ。
 小泉は、「聖域なき構造改革」を実現するためには、その先鞭(せんべん)としての「国鉄改革の成功」を政治的に演出しなければならないところに追い込まれている。
 中曽根の臨調行革攻撃以来、長期にわたり闘い続けてきた千四十七人を先頭とする国鉄闘争は、世界にも類例のない闘いであり、小泉改革と真っ向から対決する最先端に位置しているのだ。国鉄闘争=千四十七人闘争と国労・動労千葉を解体しなければ、小泉改革は破産しかねない。
 だから、あくまでも四党合意による国労解体攻撃を貫く以外にないのだ。
 十月というのは、その意味でも日帝権力にとってのタイムリミット=「最後の機会」である。
 もうひとつの重大情勢は、八月一日のJRでの東「二十一世紀労使共同宣言」=第四次労使共同宣言の締結である。JR東労組・松崎カクマルは、権力・資本に全面屈服し、黒田カクマルとの分裂に最後的に決着をつけ、JR東資本の完全な先兵となることを決断した。JR東資本・大塚も松崎カクマルを「ニューフロンティア21」の先兵として使い切ることを決断した。松崎カクマルは、JR資本の忠実な先兵となっただけではない。小泉「構造改革」の極悪の先兵になったということだ。
 日帝権力とJR資本は、松崎カクマルを再び先兵として使い切る決断をした以上、もはや国労を徹底的にたたきつぶす以外にないということなのだ。
 チャレンジ一派は、これによって自らの「労使正常化」路線=「カクマルに代わる受け皿」論の破産を突きつけられた。そのどん詰まりの危機の中で、ただただ彼ら機関役員どもの延命のためにのみ、闘争団を始めとする組合員を、国労の歴史と伝統もろとも権力・資本に売り渡そうというのである。
 新井は「国労が存在できているのは、良き時代に蓄積された名声を含めた財産を受け継ぎ、それを食いつないできたから」「名声は時とともに薄れ行き、財産は食い潰(つぶ)した時に終りになる」などと言う。冗談ではない。国労の名声を汚し、財産を食いつぶしてきたのはいったい誰か。チャレンジや反動革同ではないか。
 闘争団や現場の組合員は苦しくても闘う国労の伝統を必死に守り、踏ん張っている。この組合員を切り捨てようというのか。「闘争団問題ばかりやっているから職場闘争を闘えない」と言って、闘争団切り捨てを主張してきた連中こそ、メンテナンス合理化との闘いをも裏切っているのだ。そういう連中は組合員を道連れにすることなく、さっさと国労を去ればいいのだ。

 闘争団を守りぬいて国労の再生かちとれ

 十・一三―一四国労大会は、まさに大決戦である。
 第一に、闘争団の切り捨てを許さず、四党合意にとどめを刺すことだ。闘争団を先頭に国家的不当労働行為を追及し、解雇撤回・地元JR復帰をかちとる新たな闘いをつくり出そう。
 そのためにも高嶋―寺内執行部を打倒し、チャレンジや反動革同をたたきつぶさなければならない。
 闘争団を先頭に、昨年の七・一国労大会決戦以来の闘いで培われた一切の力を解き放って闘おう。
 第二に、JR東のメンテナンス合理化を始めとする国労つぶしの攻撃への怒りを爆発させて、JR本体の総決起をかちとることだ。東日本エリア本部は許せぬことに、わき上がる職場の怒りの声を無視し、メンテナンス合理化について裏切り妥結した。だが各地方においては、早いところで十月一日実施をめぐって激しい攻防が闘われている。この攻防を職場の団結を打ち固めながら闘いぬき、その力をもって国労大会に攻め上ろう。
 第三に、「徹底した効率化」を叫ぶJR東の「第四次労使共同宣言」を徹底弾劾し、JR総連・松崎カクマル打倒へ闘おう。あまりにも反労働者的な「労使共同宣言」を結ばなければならなかったのは、そうしなければ「ニューフロンティア21」=第二の分割・民営化が破綻(はたん)してしまう危機にあるからだ。
 この資本・カクマル結託体制の危機、とりわけ黒田カクマルとの抗争で内部矛盾を深める松崎カクマルの危機をしっかりと見据えて攻勢的に闘おう。
 第四に、国労大会を小泉「構造改革」と対する労働者階級の一大総反撃の場としてかちとることだ。大失業攻撃がこれからいよいよ本格化する中で、不当解雇を絶対に許さず不屈に闘い続ける国鉄闘争は、ますます闘いを求める労働者の結集軸となる。
 国労がここで踏ん張り、幾百万の労働者と結びついて闘っていく時、日本労働運動を再生させる新たな潮流の中心軸に座ることができる。動労千葉とともに、十一月労働者集会に結集しよう。
 その壮大な闘いの展望をもかけて、国労大会決戦に総決起しよう。

 ●新井文書―「全国の仲間に訴える」(抜粋)

1.JRへの採用差別問題をめぐって
(2)不当労働行為問題の推移
 この問題の解決を図るためには、不満があろうとなかろうと、国労が四党合意に基づき示された解決内容を丸呑みするしか方法がないのである。それも最高裁判所の判決が出る前までにという時間が限られているのである。
 ここで解決できなければ、この問題の解決は逸することになる。本当に最後の土壇場に来ているのである。
2.国労の組織の状況
(3)国労に残された最後の道
 今日、国労が組織体として生き残れる道は一つしかない。それは四党合意に基づく解決案を不満があっても国労全体が一致団結して呑むことである。そして採用差別問題の解決の上にたって、JRの経営形体に応じた新たな組織体制を形成し直して再出発をすること以外にはない。そしてそれは、この10月13、14日に開催される第68回定期全国大会の場が最後の機会となる。

    2001年9月
    新井修一

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週刊『前進』(2022号2面2)

凶悪な米帝の中東・石油支配 大虐殺をのりこえ闘う人民
 パレスチナ問題の本質は何か

 九月十一日にアメリカで起きた反米一斉ゲリラは、米帝経済と軍事の中枢に壊滅的打撃を与えた。世界の労働者と被抑圧民族に数限りない暴虐を加え続けてきた米帝に対する被抑圧民族の怒りの爆発である。
 この労働者人民、被抑圧民族の激しい怒りの頂点に、米帝の中東・石油支配のために住んでいた土地を追われ、戦後五十年以上にわたって難民生活やイスラエルの軍事監獄の下での生活を強いられてきたパレスチナ人民の怒りがあり、中東・アラブ人民の怒りがある。パレスチナ人民と連帯した決起をかちとるためにパレスチナ問題の歴史を振り返り、その本質を明らかにしたい。
 ヨーロッパ各地でのユダヤ人迫害に対して一部のユダヤ人の間にシオニズム運動が起こった。第一次世界大戦中の一九一七年、イギリス帝国主義はトルコとの戦争でこの地域を手に入れようとしてユダヤ人の「民族的郷土」の建設を認めたバルフォア宣言を出した。
 第二次世界大戦中にイギリスに代わって中東支配のヘゲモニーを握った米帝は一九四七年、さまざまな国に露骨な脅迫を加えてパレスチナ分割の国連決議を強行した。続いて一九四八年の四月から米帝の援助を受けたイスラエルのシオニストたちは軍事作戦を開始し、デイル・ヤシンの虐殺(二百五十四人を無差別虐殺)を始めとする数々のパレスチナ住民虐殺を凶行し、恐怖をあおって追い出した。国連信託統治期限切れ前日の五月十四日にイスラエルが建国を宣言し、アラブ諸国との間で第一次中東戦争が勃発。イスラエルが軍事的に勝利し、八〇%のパレスチナの地域を占領した。この過程で百万人に上るパレスチナ人が故郷を追われて難民となった。
 さらに一九六七年六月五日にイスラエルが仕掛けた第三次中東戦争(六日間戦争)でイスラエルはヨルダン川西岸、ガザ、シナイ半島、ゴラン高原の一部をも占領しさらに多くのパレスチナ人が難民となった。(今日、パレスチナ難民は三百四十二万人に上る)
 一方、パレスチナ解放闘争の高まりの中で、アラブ人民の決起を恐れた反動勢力が米帝に裏で操られてパレスチナ解放闘争圧殺攻撃を強めた。一九七〇年九月にはヨルダン反動王政がアンマンの難民キャンプを包囲して襲撃した(暗黒の九月)。アメリカとイギリスはヨルダン軍に武器を供給し続け、この大量虐殺によって二万人のパレスチナ人民が死亡した。
 一九七五年四月から七六年十一月にかけてのレバノン内戦では、米帝の支持を受けたキリスト教右派・ファランヘ党などがパレスチナ解放勢力を圧殺しようと戦争を仕掛け、パレスチナ解放勢力とレバノン左派が勝利を収めようとした瞬間にシリアが介入し、パレスチナ解放勢力はいくつかの拠点を奪われ、封じ込められることになった。この内戦で六万人が死亡し、百万人が難民となった。
 米帝は一九七九年、エジプトのサダトを裏切らせて取り込み、エジプト・イスラエル和平への枠組みをつくった。しかし、七九年のイラン革命によって米帝の中東支配は再び根底的な危機を迎えた。
 追いつめられた米帝は、一九八二年イスラエルをレバノンに侵略させ、またもパレスチナ解放闘争の壊滅を図る作戦に出た。激しく闘ったパレスチナ戦士たちは、しかし、PLO指導部の裏切りでレバノンからの撤退を余儀なくされた。その後ベイルートのパレスチナ難民キャンプでイスラエル軍とレバノンのファシスト勢力によってパレスチナ難民への大虐殺が凶行された。この間の死者二万人、負傷者三万人に上る。
 八三年四月にはベイルートの米大使館にゲリラ攻撃が炸裂し、海兵隊員ら百四十人が死傷、米軍はレバノンから撤退した。
 パレスチナ人民の解放闘争がきわめて困難な状況を強いられた中で、イスラエル支配の足下からパレスチナ人民の不屈の決起が開始された。イスラエル占領地のヨルダン川西岸、ガザで十代の若者たちが投石でイスラエル軍との闘いを開始したインティファーダだ。容赦ない銃撃で応戦するイスラエル軍に対し、幾多の犠牲を出しながらもひるむことなく闘いは続けられた。第一次インティファーダ(一九八七年〜九三年)は、一万一千人の死者、四万人の逮捕者を出しながら闘い抜かれた。
 一九九〇年八月、イラクがクエートに侵攻し、米帝の石油支配が決定的危機に陥った。これに対して米帝は九一年一〜二月、世界戦争並みの総力戦をもってイラクを屈服させた。
 PLOがイラクを支持したことを理由に、米帝は湾岸産油国にPLO援助を停止させ、それによってPLOアラファトを自治合意に引き込み、九三年九月に暫定自治協定が調印され、九四年五月にガザとエリコから暫定自治が開始された。
 当初、暫定自治はパレスチナ国家建設への幻想を生み出したが、その内実がはっきりしてくる中で、期待は怒りに変わった。何よりもパレスチナ人の土地はユダヤ人入植地を除いた、ガザ地区とヨルダン川西岸の四〇%にすぎず、パレスチナ全域の九・六%でしかない。しかもパレスチナ人には軍事力の保持が認められず、ユダヤ人入植地は全面撤去されず、イスラエルの主権下におかれる。エルサレムも全域がイスラエルの主権下におかれる。
 怒りに燃えたパレスチナ人民は、新たな闘いに決起している。イスラエルのミサイルを使った幹部暗殺や戦車、航空機を使った襲撃、闘いへの弾圧に対してあらゆるものを武器に闘い抜いている。とりわけ死をも恐れぬ爆弾闘争は、イスラエルを震撼させている。そしてついにイスラエル国内のパレスチナ人が爆弾闘争への決起を開始した。闘う以外に生きられないパレスチナ人民の不屈の決起は、確実にイスラエル、米帝を追いつめている。
 これまで述べてきた戦後五十数年にわたるパレスチナ人民に対する抑圧と大虐殺の数々は、すべて米帝が中東・石油支配のためにイスラエルを使ってきたことに根本原因がある。戦後五十年以上にわたって、戦略的資源である石油の確保のために米帝が中東地域を暴力的に制圧してきた犠牲がパレスチナ人民に強制され続けてきたのである。米帝の中東支配を打ち破らない限り、パレスチナ人民の解放はないのだ。
 死を賭して闘い抜くパレスチナ人民と固く連帯して闘おう。米帝の「報復」を口実とした中東侵略戦争を絶対に阻止しよう。イスラエルによるパレスチナ人民虐殺を許すな。

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週刊『前進』(2022号2面3)

資本攻勢&労働日誌 8月27日〜9月5日
●失業率最悪の5.0%に
●電気大手が計8万人削減
●JCワークシェア導入へ
電気連合鈴木暴言「リストラ自ら反省を」

●8月27日 連合と政府は、1999年10月以来、1年10カ月ぶりに「政労会見」を開催した。
◇東芝は国内工場の3割統廃合と国内労働者の約1割、1万7千人削減などのリストラ策を発表。
●28日 総務省発表の労働力調査で7月の失業率は過去最悪の5.0%であることが明らかに。厚労省発表の一般職業紹介状況で、7月の有効求人倍率は前月を0.01ポイント下回り0.60倍。
◇自治労の大会が31日まで4日間開かれた。榎本委員長は「参院選では、自治労候補の票は21万票。がく然とする数字だ」と述べた。
◇厚労省は7月の完全失業率が5.0%となったことから、来年3月1日までの半年間、全国に緊急雇用創出特別奨励金を発動した。
●29日 NTT労組は30日まで大会を開催、2日目に労働者11万人を転籍・出向させる会社側の合理化案を賃金保障を前提として受諾する方針を決定した。
◇JAMは31日まで3日間大会を開いた。雇用確保にむけた「JAM型ワークシェアリング」の検討開始を打ち出したが、討論では疑問や質問が相次いだ。
◇日経連が発表した2001年3月卒の新規学卒者初任給調査によると、初任給を前年の水準に据え置いた企業が59.8%にのぼり、3年連続で半数を上回った。
●30日 京セラは海外のグループ会社の労働者約1万人の削減を柱にしたリストラに乗り出す。
●31日 日立製作所は1万4700人の削減を柱とするリストラ策を発表。国内は1万200人削減予定。
◇厚労省が発表した7月の毎月勤労統計調査によると、所定外労働時間は前年同月比5.2%減の9.2時間となり、5カ月連続で減少。
●9月3日 自動車総連は4日まで大会を開催。電機連合の鈴木は来賓あいさつで、大手電機のリストラ計画について「自ら反省しないといけない」と暴言を吐いた。
◇自動車総連は、2005年までに最大14万3000人の雇用が失われる可能性があるとの試算を発表。
◇厚労省が発表した2001年度の地域別最低賃金の改定状況によると、全国の加重平均日額は5292円。前年度に比べ、額で36円、率で0.68%の引き上げ。一方、時間額は664円となり、前年度より額で5円、率で0.76%のアップ。
●4日 電機連合は「単組代表者会議」を開き、来春闘の要求基準を35歳技能職と30歳技術職のいずれかから選択する「エントリー方式」への転換の準備を行った。
●5日 IMF・JC(金属労協)は定期大会を開催、賃金引き下げを含めたワークシェアリングを本格的に導入する検討方針を提案。
◇来春卒業予定で就職希望の高校生への7月末現在の求人倍率は全国平均0.61倍で1999年調査(0.62倍)を下回り、過去最低であることが、厚労省調査で分かった。

主要電機メーカーのリストラ計画
●東芝 1万8800人削減、国内1万7000人 ●沖電気工業 2200人削減、グループの1割
●富士通 1万6400人削減、国内5000人 ●京セラ 約1万人削減、グループの2割
●日立製作所 1万4700人削減、国内1万200人 ●アイワ 約5000人削減、グループの半分
●NEC 4000人削減、国内2500人 ●ケンウッド 約2000人削減、グループの2割
●松下電器産業 希望退職で国内5000人程度削減    
●合計(その他含む)
約7万8000人、国内約4万人

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週刊『前進』(2022号3面1)

厚労省を怒りの追及 介護保険交渉
 “我々に死ねというのか”
 杉並・高槻・東大阪など 高齢者ら120人決起

 九月七日午後一時から、東京・杉並の介護と福祉を要求する杉並住民の会、大阪・高槻の健診介護要求者組合、東大阪国保と健康を守る会介護要求部会を始めとする二十一団体、百二十人が参加して、三回目の厚生労働省交渉が霞が関の弁護士会館で行われた。交渉は、社民党の辻元清美衆院議員を窓口に、十月からの第一号被保険者の保険料倍額値上げ中止を求めて行われた。厚労省からは老人保健局介護保険課の熊木課長補佐ら三人が出席した。
 交渉では参加者の怒りが燃え上がった。高齢者の切実な声やそれぞれの現場が抱えている深刻な実態についてどうするのか。この問いに厚労省は何も答えずペテン的な回答でひたすら逃げ回った。しかし、参加者の怒りに押されて、保険料の減免を各自治体が行うことは構わないと認めざるをえなかった。
 最初に、@十月介護保険料の引き上げ凍結、A介護保険料に関する罰則適用の凍結、B高齢重度「障害者」の居宅介護を介護保険以外の施策で保障せよという三つの要請項目に対する厚労省の回答を聞いた。@については「決められた額を払ってもらうのが当然」、Aについては「支払いの仕方が変わるだけ」、Bについても「介護保険と重なる部分については介護保険が優先」という居直りである。
 直ちに参加者から怒りの声が沸き上がった。「高齢者を粗末にするな」「人間の情がない」「千円を払えない人がなんで何万円も払えるのか。死ねと言うのと同じ」。さらに妻の年金五万円で暮らしながら医者に通っている人、脳梗塞(こうそく)で倒れ急性期の医療は終わったが空きがなくて特養ホームに移れない人などの具体例を示しながら、介護保険がいかに現実にそぐわないものであるかを突き付けた。「障害者」団体の参加者は、介護保険優先が「障害者」の現実を無視したものであることを明らかにし、介護保険優先の法的根拠を示せと追及した。だが、厚労省は何も答えられない。広島の高陽第一診療所からの参加者は、介護保険を口実に被爆者医療に自費負担を持ち込まないように要求した。
 無年金の高齢者は、「介護保険料がどんどんたまっている。しかし、年金はない。それでも請求書はどんどんくる。どうしろというのか。死ねと言うのと同じだ」「無年金の人は全国で九十三万人もいる。年金をもらっている人でも半数は五万円以下の基礎年金だけだ」「保険料が引き上げられたら現実に生きていけない。国は市民の生活をどう考えているのか」と追及、生きる権利の保障を要求して次々と畳みかけた。だが、厚労省はまともに答えることができなかった。
 参加者は、高齢者の声を聞こうとしない厚労省に抑えがたい怒りをたぎらせ、さらに厚労省を追いつめなければと決意を強めた。
 厚労省との交渉後、同じ弁護士会館で「介護保険に異議あり!全国ネットワーク準備会」の総会が開かれた。呼びかけ三団体から介護と福祉を要求する杉並住民の会の事務局長が司会を担当し、杉並、高槻、東大阪の代表があいさつした。
 高槻市議会議員の小西弘泰さんが基調を提起し、「厚労省は私たちの追及にびくびくしている。力でねじ伏せていく闘いをやろう」と厚労省交渉を総括した。また、小泉政権の構造改革基本方針が介護保険の導入に続いて老人医療を抜本的に改悪しようとしていることを具体的に分かりやすく説き明かした。
 杉並住民の会の長谷川英憲さんは、全国ネットワークの結成に向けて、介護保険への不服審査請求の取り組みの強化、介護保険反対・医療制度改悪阻止の対政府行動などの方針を提起した。
 都政を革新する会の結柴誠一さんは、自治体が独自の減免制度を行うことは構わないとの回答を引き出したことの意義などを明らかにし、各自治体で減免制度をかちとろうと訴えた。さらに、杉並区議会議員の新城せつこさんが、十月保険料値上げ阻止、介護保険廃止へと区議会で闘う決意を表明した。
 小泉構造改革は、社会保障制度の全面解体として、高齢者に「死ね」という攻撃をかけている。参加者は全国ネットワークの結成によってこの攻撃を打ち砕く決意を固めた。

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週刊『前進』(2022号3面2)

介護保険料10月値上げ阻止へ〈下〉
 生存権かけた要求を掲げ 闘いを全国に拡大しよう

 医療と福祉を資本の営利に

 第三に、「構造改革」の基本方針は、労働者の生命と生活に直結する諸分野を利潤追求の対象として資本に明け渡すものである。基本方針は、「株式会社方式による経営などを含めた経営に関する規制の見直し」と言うが、それは資本に医療、福祉(介護)分野を開放し、系列化で再編し、もうからない患者を徹底的に切り捨てるということだ。
 しかも、アメリカ式の「診断群別定額報酬支払い方式」が打ち出されている。これは、病名ごとに報酬額が決定されており、それ以上は自己負担になるというものだ。その上、「保険者の権限の強化」を唱えて、患者とではなく保険者と医療機関が直接契約するアメリカ型制度への再編を狙っている。
 さらに、「公的保険による診療と保険によらない診療(自由診療)との併用に関する規制を緩和」する、「公的医療保険の対象となる医療の範囲を見直す」と叫んでいる。公的保険の給付対象を縮減した上で、自由診療を拡大し、自由診療と医療保険の二階建てにして、医療制度を介護保険のような制度にしようというのである。
 これらは、国庫負担の軽減、医療保険の給付の削減をどこまでも推進するということだ。そのために、まずレセプト(診療報酬請求書)審査の社会保険診療支払基金や国民健康保険団体連合会への委託を廃止し、民間にゆだねるとしている。これは、保険者と医療機関の直接契約制度への道を開こうとするものだ。同時にそれは、「構造改革」の目玉として打ち出された特殊法人解体の攻撃の一環でもある。
 この基本方針の激しさに動揺しながらも、厚労省は次のような施策を来年度にも実施しようとしている。
 まず、医療費の大幅な抑制だ。来年度予算では、「高齢者増による社会保障関係費の当然増額分」と見込まれる九千四百億円が六千三百七十七億円に圧縮され、差額の三千億円がカットされる。坂口厚労相は、「医療は四分の一が国庫負担なので千億円削るには四千億円を削らなければならない」と言う。つまり、三千億円の予算削減とは、実は一兆二千億円もの医療費削減なのだ。その最大の焦点は、老人医療費のカットにある。基本方針の言う「負担の適正化」は、まずこうした形で貫かれようとしている。
 その具体策は、@老人医療保険制度の対象年齢を現在の七十歳以上から七十五歳以上に引き上げる。これによって七十五歳未満の老人医療は、外来の一割自己負担が二〜三割負担になる。入院負担の上限三万七千二百円は一般の高額療養費上限まで上げられ、基本的に青天井になる。七十五歳未満の高齢者は、現在の年金生活の中では医療を完全に奪われてしまうのだ。
 A「健保・国保のバランスに配慮した患者負担の見直し」として、健保本人の自己負担を現行の二割から三割に引き上げる。
 B政管健保の保険料率を引き上げる。すでに、昨年度の医療制度改悪によって健保料の上限は取り払われている。
 C厚労省は「健保における総報酬制」を打ち出した。厚生年金については、二〇〇三年から一時金を含めた総報酬を対象に保険料を徴収するという改悪がすでになされているが、それを健保にも適用するというのだ。これらは、賃金闘争の重要なテーマでもある。
 D老人医療の自己負担を現在の一割から所得に応じて二割に引き上げることも検討の対象となった。老人医療費をどこまでも削減しようというのである。小泉が厚相時代にまとめた「二十一世紀の医療保険制度改革案」(九七年八月)では、「三割程度の定率一部負担、大病院の外来は五割、高齢者については一割または二割程度の定率一部負担」とされた。これに沿って、老人医療に一割の自己負担が導入されたが、さらに自己負担を引き上げるというのである。
 Eこれまで固定されてきた一点=十円単価の診療報酬点数を、全体的か、あるいは選択的(疾病別や医療機関別、高齢者分のみ)に切り下げることも検討の対象だ。ここでも、高齢者分のみの単価切り下げが現実化される可能性が高い。
 このように、社会保障をめぐる「構造改革」攻撃の当面の核心は、老人医療制度を徹底的に解体し、高齢者から医療を完全に奪い去ることに置かれている。

 アメリカ型の医療破壊攻撃

 社会保障面での「構造改革」は、徹底した国庫負担の削減、患者・利用者の自己負担の強化、医療や介護事業の独占資本への開放として、劇的に進行しようとしている。医療における公的責任の全面否定、すなわち憲法第二五条の生存権と国家によるその保障の否定なのである。
 ここで重要なことは、医療制度のあり方がアメリカ型に変えられ、アメリカ的手法がデタラメなやり方で導入されようとしていることだ。「労働分野における規制改革」とまったく同じように、レーガンの手法をまね、それを強行しようとしているのだ。日本の社会保障は、アメリカのそれとは歴史や基礎がまったく異なる。その中にアメリカ型のやり方をはめ込もうとすること自体が、すさまじく破壊的なのだ。
 しかし、それによって「安定的」「持続可能な」制度ができることはありえない。そこには、とてつもない矛盾と破綻(はたん)がはらまれている。
 これに対して、その非現実性を次のように批判する論者もいる。「一九八〇年代のレーガンやサッチャーが行った手口を見習ったものにすぎない」(『社会保険旬報』)、「短期、中長期の区別もなく、優先順位の明記もない、まさに『ゴミ箱』」(日本医師会会長)、「学者の作文でしかない」(ある医療評論家)。
 また、日本医師会、日本歯科医師会、日本薬剤師会の三者も、七月十七日付で既得権益擁護の立場から社会保障の「構造改革」を批判する声明を出した。
 だが、あらゆるペテンやデマを駆使して「構造改革」を呼号し、上からの現状破壊を暴力的に遂行しようとするのが、小泉反革命なのだ。これが、小泉のファシスト的手口なのだ。これらの論者や「守旧派」は、小泉の迫力に恐れをなして、そこを見据えようとしない。

 「構造改革」と激突する決戦

 小泉「構造改革」は、労働者階級全体に、あらゆる面からの収奪の強化、生活破壊としてのしかかる。その第一弾が、この十月に強行されようとしている介護保険料の倍額引き上げだ。これを許した時、直ちに、来年度の医療制度改悪が激しく襲いかかるのだ。高齢者、「障害者」は生きることさえ奪われる。十月を前にした九月の闘いが決戦となったのである。「構造改革」と真正面から激突する闘いの方針を鮮明にしなければならない。
 十月の保険料引き上げを阻止する決戦は、医療制度改悪を柱とする社会保障解体の攻撃と真正面から激突するものとなる。この闘いが、より広く、より激しく発展した時、小泉らの思惑を必ず打ち破ることができるのだ。闘えば闘うほど小泉「構造改革」のペテンははげ落ち、すべての人民が立ち上がってくる。今こそ、闘いの号砲を打ち鳴らさなければならない。
 生存権をかけた要求を掲げ、団結し行動し組織を広げることがすべてを決する。杉並、高槻、東大阪で始まった先進的な闘いを全国に拡大しよう。十月保険料引き上げを阻止しよう。

 ■アメリカの医療保険制度

 アメリカの医療保険は、民間保険がほとんどで、公的なものはメディケア(高齢者医療保険)とメディケイド(貧困者医療保険)に限られる。民間医療保険料は高いため、メディケイドにも入れない低収入の労働者は、無保険者にならざるをえない。95年の無保険者人口は全人口の15%にもなり、4100万人に及ぶ。
 営利企業がほとんどすべての医療機関を系列化している。患者は自分が加盟している保険会社と契約する医療機関にしかかかれない。診断群別定額支払い方式(DRG)のため、医療機関は短期で低コストの治療をめざす。典型的なのは「日帰り手術」だ。万が一を考えないマニュアルどおりの治療−−これはもはや治療ではない。しかも、「余分な」入院や治療はすべて自費扱いとなる。
 ある良心的な医師は次のように言う。「私は昔、医者をしていた……今、人びとは私のことを医療サービス供給者と呼ぶ」「これからは、患者は医師に対する対決姿勢を強めなくてはなりません。もはや、医師に対する信頼感などは消滅してしまったのですから」
 医療の根底を支える医師と患者の信頼関係は崩壊している。患者は弁護士や専門家を雇って、医師が保険会社の言いなりになっていないかどうかを調査するような状態だ。
 営利企業が医療を行っているのは世界でアメリカだけ。しかも、総額でも一人当たりでも、アメリカの医療費は世界最大だ。

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週刊『前進』(2022号3面3)

小泉改革と闘う新潮流を 11月労働者集会の成功のために (3)
労組否定と団結破壊 激化する組対法型弾圧
 「個別決定化」唱え団交も拒否
 国鉄闘争を基軸に反撃を

 二九年型世界恐慌の深まりと、帝国主義による世界支配の根底的動揺は、新たな世界戦争の切迫を労働者人民に突きつけている。米帝ブッシュは、断末魔の危機の中で、帝国主義の延命をかけて全世界に侵略戦争の火を放とうとしている。
 小泉は、こうした中で日本を戦争のできる国家へと急速に変貌(へんぼう)させるために労働者階級に全力で攻撃を仕掛けている。「集団的自衛権」「憲法第九条改悪」を呼号し、靖国神社公式参拝を強行して、帝国主義的愛国主義・排外主義・国家主義の泥沼へと労働者人民を突き落とそうとしているのだ。そのためにも、労働者の階級的団結をずたずたに引き裂こうと必死なのだ。それは、労働者から一切の抵抗手段を奪い去り、残虐きわまる帝国主義の侵略戦争へと人民を動員しようとする攻撃だ。
 階級的団結の破壊を許すかどうかの攻防は、今や労働者人民の生死を決する位置をもっている。

 刑事・民事免責のはく奪狙う

 経済財政諮問会議の「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」は、次のように言い放っている。
 「創造的破壊を通して労働や資本など経済資源は成長分野へ流れていく。こうした資源の移動は基本的には市場を通して行われる。市場の障害物や成長を抑制するものを取り除く」
 資本にとって、「市場の障害物」の最たるものは、労働組合−労働者の階級的団結である。「雇用流動化」を貫徹するために、労働組合を徹底的に解体することが、「構造改革」を貫くテーマなのである。
 総合規制改革会議の「中間とりまとめ」は、それをさらに具体化して、「これまでは……労働条件等は、雇用主と労働者との交渉上の地歩の乖離(かいり)を前提として、集団的に決定されてきた」「しかし、能力・成果主義賃金の浸透など、労働条件の個別決定化も進んできた。……こうした新しいタイプの労働者像に対しては、従来型の規制は必ずしも適切とは言えなくなっている」と、労働組合の団交権を真っ向から否定した。資本は、賃金を始めとした労働条件を、労働組合との団体交渉によって決定するという、戦後の労資関係の基本構造をぶち壊そうとしているのだ。
 今や、攻撃は労働者の団結体を暴力的に破壊することに向けられている。
 経済財政諮問会議の基本方針は、改憲攻撃の一環でもある司法制度改革の推進を強調するとともに、「企業の経済活動にかかわる民事・刑事の基本法について、抜本的に見直す」とあけすけに公言した。その意味するものは、労組法によって保障された労働組合活動に対する民事・刑事免責のはく奪だ。労働組合の結成は刑法犯罪として弾圧され、争議行為は債務不履行として損害賠償請求の対象となった、かつての時代へと歴史を逆転させようとしているのだ。
 ここ数年、労働争議に対する弾圧はきわめて激しいものとなっている。全日本建設運輸連帯労働組合・関西地区生コン支部に対しては、集中的な刑事弾圧が続いている。ストライキや団交要求行動が「威力業務妨害」などにデッチあげられ、組合員が不当にも逮捕されているのである。まさにこれは警察権力による不当労働行為そのものだ。東京管理職ユニオンなどにも、同様の刑事弾圧がかけられている。
 資本との徹底した闘いを貫く労働組合に対して、国家暴力による全面的な組織破壊攻撃が襲いかかる時代に入ったのだ。だが、こうした組対法型弾圧は、それを打ち破った時、組合の団結を圧倒的に強化するものとなる。先進的な闘いを開始した労働組合は、いずれもこの道を必死の苦闘の中から切り開いている。

 倒産・解雇攻撃で労組を解体

 資本による労組否認は、倒産・解雇攻撃においてきわめて露骨に現れる。
 「迅速な企業再建」をうたい文句に、昨年四月に民事再生法が施行された。今年の三月までに、民事再生法による申し立ての件数は八百十六件に上った。これは、九九年度の一年間の、和議法による申し立ての四・八倍にも上る数字だ。倒産攻撃は、すでにすさまじい勢いで進行している。
 民事再生法による企業再建の特徴は、資本や銀行の筋書きに沿って、恐るべきスピードで手続きが進むということだ。再建計画認可までの期間は従来の半分に短縮された。それは、労働者・労働組合の関与が極力排除され、その権利がとことんまで無視されているからだ。闘わなければ、未払い賃金や退職金などの労働債権は、きわめて安易に切り捨てられてしまう。
 労働者に権利の主張をさせず、ましてや労組の職場占拠闘争などを絶対にやらせないために、電撃的な破産申請と短期処理型の再建計画策定が、司法権力も一体となって意識的に行われているのである。
 倒産攻撃には、必ず労組破壊=不当労働行為の契機がはらまれている。企業再建を名目に全員を解雇、第一組合の組合員は選別的に排除して、一部の従業員を再雇用した例もある。労組が結成された子会社を計画的に倒産させるために、民事再生法の手続きに持ち込んだ経営者もいる。こうした不当労働行為が、裁判所の認可のもとに公然とまかりとおっているのである。
 小泉は、「この二、三年を日本経済の集中調整期間とする」と言う。倒産攻撃と、それをテコとした労組破壊攻撃は、いよいよこれから本格化するのだ。
 こうした時代が到来したことを直視しなければならない。だが、労働者にとって、あくまでも団結こそが武器である。資本の横暴きわまる倒産攻撃に対して、労働債権確保の権利主張と不当労働行為の徹底追及を武器に反撃し、ぎりぎりのところから活路を切り開いた闘いも多いのだ。

 団結形成阻む個別紛争処理

 資本が次々と大規模なリストラ計画を打ち出す中で、連合は一切の抵抗を放棄し、それを受け入れている。「労使合意」を振りかざし、労組役員が組合員に首切り、賃下げ、出向・転籍を強要するという許しがたい現実さえある。その先頭を行くのが、JR総連のファシスト労働運動だ。
 だが、連合がどのような裏切りを重ねようと、労働者の闘いを根絶やしにすることはできない。多くの職場で、労働者は自らの権利を守り抜くために、さしあたっては「孤立無援」の形で、苦闘を重ねつつ闘いに立ち上がっている。それは、次のような数字にも示される。昨年一年間で、全国の地裁に提起された労働訴訟は二千六十三件、十年前の三倍を超えた。
 「構造改革」の強行は、労働者の怒りと闘いをさらに引き出さずにはおかない。資本は、それに身構えながら、闘いを抑え込もうと必死になっている。資本の専横に対して「個別」に開始された決起を「個別」のままに押しとどめ、それが階級的団結の再形成へと発展することをなんとしても阻止しようと策しているのである。
 そのために打ち出されたのが、十月一日に施行される「個別労働関係紛争処理法」だ(表参照)。同法の目的は、あくまでも団結の否認にある。
 連合は、この法律の制定を主導したばかりか、「個別紛争処理」を労働委員会に担わせることもねじ込ませた。それは労働委員会制度の変質・解体を一挙に促進するものとなる。今日、労働委員会闘争は、労働者が合同労組などの形で団結を再形成するための格好の水路をなしている。資本と連合は、こうした形をとって連合支配を食い破る新たな労働運動が台頭しつつあることを恐れているのだ。
 今や連合は、帝国主義的労働運動の本質を丸出しにして、資本の手先と化して職場の団結を腐食させ打ち砕くだけでなく、労働者がやむなく地域に団結を求めることにさえ、全面的に敵対するに至ったのだ。

 かけがえない団結守りぬけ

 権力・資本の総力を挙げた団結破壊攻撃と最前線での死闘を繰り広げているのが、国鉄闘争だ。
 国労・動労千葉は国鉄分割・民営化という国家的不当労働行為と対決し、千四十七人を先頭に、今日まで不屈の闘いを続けている。
 この国鉄闘争を最後的に解体するために、権力が仕掛けた攻撃が四党合意であった。国労本部は、一月二十七日の大会で四党合意の受諾を強行した。この大会に機動隊が動員されたことは、国鉄闘争とそれを軸とした労働者の団結に、権力がいかに恐怖しているかを示している。権力にとってそれは、国家暴力で破壊すべき対象なのである。
 JR東日本は、「ニューフロンティア21」で、JR本体における国労・動労千葉の組織破壊攻撃に本格的に乗り出した。その最悪の先兵が、「21世紀労使共同宣言」を資本と結んだJR総連・松崎カクマルだ。
 国鉄闘争は、十月国労大会を前に最大最高の決戦を迎えた。この攻防に、労働者階級総体が闘う団結を取り戻すことができるか否かがかかっている。
 「個々の労働者と個々のブルジョアのあいだの衝突は、ますます二つの階級のあいだの衝突という性格をおびる。労働者は、ブルジョアにたいする同盟を結成し、賃金要求のために結集するようになる。労働者は、みずから恒常的な組織をつくり、反抗の場合にそなえて備蓄をおこなうようになる。闘争は、ときには暴動となって爆発する」(マルクス・エンゲルス『共産党宣言』)
 労働者は、資本主義の形成以来の数百年にわたる闘いの中で、階級的団結をつくりあげてきた。それは、官憲による血の弾圧や、資本による解雇=飢えの強制がどんなに吹き荒れようと、労働者が生き抜くためには絶対に譲り渡すことができないものなのだ。
 そのかけがえのない団結を、今ここで資本の暴圧にゆだねるわけにはいかない。闘う団結を生き生きとよみがえらせる場が十一月労働者集会だ。

 個別労働紛争処理法の骨子

@紛争調整委員会による紛争処理
・都道府県労働局に厚労相が任命する紛争調整委員会を置く
・労使のいずれかからあっせん申請があり、都道府県労働局長が必要と認めた場合、あっせんを行う
・当事者の一方が出頭しないなど、解決の見込みがない時はあっせんを打ち切る
A地方自治体による紛争処理
・地方自治体は、個別労働紛争の解決に向け、相談、あっせんなど必要な施策を行うよう努める
・都道府県知事は、紛争解決のための施策を地方労働委員会に委任することができる

〔長沢典久〕

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週刊『前進』(2022号4面1)

勝利への歴史的突破口を開いた教科書・靖国闘争
 教育闘争から改憲阻止へ 教育基本法改悪粉砕の大闘争を
 東山 整一

 二〇〇一年春から夏にかけての教科書・靖国闘争において、日本の労働者人民はきわめて重要な勝利をかちとった。韓国、中国を始めとする幾多のアジア人民の怒りの先行的決起と激励・支援に支えられながら、これに立派にこたえ、連帯し、全国各地の無数の、無名の労働者・市民・学生が、教員が、母親が、宗教者が、在日が、部落民が、「障害者」が、子どもたちが、誰も頼りにせず、ただ自分たちの力だけに依拠して、激しい危機感を持って、反動と孤立を恐れず決起し、勝利したのである。数年がかりの準備と国家権力・文部科学省のお墨付きを得て鳴り物入りで登場した歴史改ざん教科書を採択段階で基本的に粉砕しきり、小泉反革命の頂点とも言うべき靖国参拝を阻止することはできなかったとはいえ、文字どおりの国論二分的状況の中でガタガタにした。この勝利は、小泉登場以降、まったく新たな段階に突入した日本階級闘争の巨大な展望と可能性を指し示し、恐慌と戦争前夜情勢のただならぬ切迫の中でわれわれの進むべき道を鮮やかに照らし出している。教育闘争が、有事立法をめぐる攻防と並ぶ改憲闘争のもうひとつの決定的水路であることは、今や完全に明らかになったのである。(写真は6月12日、文科省前での韓国代表団を先頭にした歴史歪曲教科書抗議の闘い) 

 「つくる会」教科書採択阻止の戦略的勝利

 扶桑社版の「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史・公民教科書は、全国の市区町村立と国立の中学校では採択ゼロ、公立ではわずかにファシスト石原と元極悪文部官僚の加戸を知事とする東京都と愛媛県の養護学校など計七校、私立でも茨城県など六校、さらに歴史のみが一校、公民のみが二校の採択にとどまった。
 全国に中学校は一万二千二百九校あるというが、結局「つくる会」教科書採択は以上の十数校に終わり、冊数でいえば歴史教科書が約五百二十一冊(〇・〇三九%、文科省調査)、公民が約千六十冊(〇・〇八二%、教科書情報資料センター調査)で、採択率一〇%(約十三万冊)達成を目標にしてきた「つくる会」の狙いはほぼ完全に粉砕された。
 さらに注目すべきは、十六年前、すなわち中曽根が靖国公式参拝を強行した八五年に「日本を守る国民会議」がつくった高校歴史教科書『新編日本史』(原書房)との比較である。これは「つくる会」教科書の前身とも言えるものだが(上記「国民会議」は九七年に「日本会議」に改組され、これが「つくる会」を全面的に支えている)、やはりアジア各国からの激しい抗議の中で「修正」を重ねた揚げ句、結局採択数八千冊にとどまることによって事実上消え去った。
 「つくる会」は、何よりもこの『新編日本史』の失敗をくり返すなを合言葉に、教科書づくりと並行して、採択過程から現場教員の声を閉め出し、それを各地の教育委員会の独断にゆだね、ここに地域の右翼反動の全圧力を集中する戦法をとった。にもかかわらずその結果が、目標の百分の一以下、『新編日本史』と比べても十分の一に終わったのである。
 韓国の新聞は八月十六日付の社説で、「日本政府は負け、日本市民は勝った」という見出しを掲げ、「日本の良心を引き出したのは、主婦と一線の教師が中心となった市民団体だった。自分の子どもや生徒に間違った認識を継がせたくないという良心が勝利したのだ」と記した。そして公立で強制されたのが「心身障害者のための特殊学校」のみである点を強調し、「つくる会は単なる数的な惨敗ではなく、道徳的にも惨敗した」と断じている。
 この教科書闘争の勝利的地平の上に、今夏の靖国闘争は戦後かつてない規模と質を持った大衆闘争として果敢に闘い抜かれた。ここでもアジア、とりわけ中国人民の圧倒的怒りが全情勢を規定した。
 日帝・右翼反動は、これを「内政干渉」などという排外主義的わい小化でかわそうとしたが、日本の人民はこれを許さず、「靖国」を日本階級闘争の決定的な国論的なテーマにすえ、今年から八・一五靖国を、六・二三沖縄、八・六広島、八・九長崎と並ぶ反戦闘争の日に押し上げた。
 このこと自体の(小泉的戦争国家化攻撃との闘いにおける)戦略的勝利性をがっちり確認しなければならない。

 小泉反革命への反撃開いた闘い

 二〇〇一年教科書・靖国闘争の意義と特質についてさらに若干つけ加えたい。
 まず小泉政権登場以来の高支持率とか、都議選、参院選における自民党圧勝などという重苦しい空気を突き破って、ついに小泉反革命に一矢をむくいる闘いがかちとられたことだ。何ものにも代えがたいこの勝利の経験をつうじて、多くの労働者・市民の中に今自信と精気がよみがえりつつある。
 ある報告によれば、今年一月から八月までの「つくる会」教科書反対集会は、全国で大小含め一千カ所を超えたという。「つくる会」は惨敗後の記者会見で、「全教・日教組など、共産党と社民党系列の組織が次々と人をくり出し」などと泣きわめいたが、これはまったく的はずれな八つ当たりというほかない。これらの政党や教組は(末端組合員や一部地方組織の個別的決起を除けば)結局何もせず、闘いはまったく別のところで進んだ。
 全国情勢の分水嶺(ぶんすいれい)は栃木県下都賀(しもつが)郡の攻防であり、東京情勢の分岐点は杉並区の攻防にあった。前者は長年「教育正常化県」のレッテルを張られ、勤評闘争の大敗北以降、教員の九十数%を「全日教連」という極右・日の丸組合が組織し(日教組系は数十人)、全国でも最も反動的と言っても過言ではない地域における逆転勝利である。後者は石原とその先兵となった反動山田区長による教育委員入れ替えなど昨秋来の周到な準備の上に、敵が全都制圧の突破口と位置づけた区におけるギリギリの勝利としてあった。この栃木と杉並で勝ったということは、いわば全国どの地域でも、誰を敵にまわしても闘いを起こせるし、勝ちうることを示したのである。そして事実、勝ったのだ。
 韓国の新聞が正しく認識しても、「つくる会」にはけっして理解し得ないことだが、この教科書闘争はこれだけ大きな全国的広がりを形成しながら、しかしそこにはどんな統一司令部も、組織的バックもなかったということだ。あったのは、あえて言えば全国の小さな無数の運動が、インターネットをつうじて情報を交換し、互いに支え、励まし合い、さらに韓国の運動体とも直結してかつてない国際的連携を深め、攻防の焦点となった地域に次々と全国の力(抗議文や激電)を集中し、七、八月を一丸となって攻め上っていったという事実である。
 もちろん全国的指導部がないということは、ただこの運動の今日的限界を示すものでしかない。にもかかわらずかちとられた勝利的地平は、そこにある巨大な可能性を示している。
 小泉への変わらぬ幻想と高支持率という悲惨な現実、他方で小泉反革命を打ち破りうるこの巨大な可能性が、今日の日本階級闘争の中で背中合わせに並存している。われわれはこの可能性をしっかりつかみ、それを小泉と対決し、教育闘争を水路とする改憲=戦争国家化攻撃粉砕の闘いの前進に転化させなければならない。

 差別と選別化は若者の戦争動員と一体

 「教科書と靖国」というテーマは、正しく今日的に言い換えれば「戦争を担う若者の教育」と「戦争における死の奨励」ということである。これは二つにしてひとつ、日帝の改憲=戦争国家化攻撃の最も鋭い、最もセンシティブな、同時に最もグロテスクでおぞましいイデオロギー的側面を形成している。
 教科書問題はもとよりただ単独の問題としてあるのではない。今春の教育改革関連六法から切迫する教育基本法改悪にいたる一連の教育改革攻撃の一環であり、小泉構造改革のきわめて重要な一翼をなす。
 ところで、この教育改革のイデオロギーについて次のような注目すべき発言がある。来年度から義務教育の授業時間は、新学習指導要領のもとで、文科省のいわゆる「ゆとり教育」で三割削減されるが、これについてあるジャーナリストの質問に、三浦朱門(前教育課程審議会会長)はこう答えている。
 「学力低下は予測し得る不安と言うか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいのです」「国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出てくる。日本もそういう先進国型になっていかなければなりません。それが゛ゆとり教育″の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」
 さらに、江崎玲於奈(教育改革国民会議座長)は次のように言っている。
 「人間の遺伝情報が解析され、持って生まれた能力がわかる時代になってきました。これからの教育では、そのことを認めるかどうかが大切になってくる。……ある種の能力の備わっていない者が、いくらやってもねえ。いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ」(いずれも斎藤貴男著『機会不平等』文芸春秋刊)
 ここに語られた教育観が、小泉の構造改革路線とその基幹をなす九五年日経連プロジェクト報告という日本資本主義の基本路線の転換に完全に対応したものであることは言うまでもない。国際競争に勝ち抜くために、全労働者と全産業と全国土を市場原理と弱肉強食の地獄に投げ込み、徹底的な二極化と不平等化と差別・選別化を促進する、その中でのみ日本帝国主義は生き残れるという考え方と路線の、教育の場への貫徹としてあるのだ。そこを貫いているのは「エリート主義」であり、「優生学」であり、「社会ダーウィニズム」であり、少なくともイデオロギー面に限って言えばファシズムのそれに限りなく近づいている。
 事実、この数年間の経済・行政・教育・司法などをめぐるさまざまな「改革」論議、答申や提言を貫いているものは、一言で言って「人権」とか「平等」とか「個人」というフランス革命以来の価値観への激しい憎悪と否定である。そしてこれが当然にも引き起こさざるを得ない社会の均衡破壊と階級支配の危機を防止するためにこそ、九九%の子どもたちに「せめて実直な精神」を植えつけるための「日の丸・君が代」強制や奉仕活動、そして新たな皇国史観教科書が必要だということである。
 先の本は「義務教育は日本史だけ教えていればよいのだと公言する人」の存在も紹介している。これが「つくる会」教科書の背景である。それはけっして右翼ゴロツキ学者の気まぐれの産物ではなく、日帝ブルジョアジーの死活的要請の帰結なのである。

 天皇のための死勧める靖国思想

 このような教科書の登場と靖国は文字どおり一体的関係にある。なぜなら「実直な精神」をたたき込んだ「非才・無才」はいつでも「一銭五厘」(当時の葉書代。命の軽さを象徴的に示す言葉)で戦場に駆りたてなければならないからだ。
 そもそも靖国神社とは何なのか。そのキーワードはつまるところ「死」の一語につきる。
 明治以降の近代日本国家の著しい特異性は、それがブルジョア革命や独立戦争をとおしてではなく、逆に自由民権運動という未完のブルジョア革命の圧殺の上に出発・成立した点にある。だから近代日本での国民国家統合は、一度として人権や自由や民主主義の旗のもとにではなく、もっぱら「万世一系の天皇」というおとぎ話と強権によって維持された。そのためにわざわざ国家神道なる疑似宗教もデッチあげるが、その中身は空っぽ、実態は一連の儀式とその強制、逸脱者への暴力的制裁がすべてであった。
 しかしあえてそれを天皇制イデオロギーと呼ぶとすれば、それは結局「滅私奉公」「私の否定としての公」につきると言えよう。この「公」は言うまでもなく「現人神」という超越的権威の不断の演出によって担保された。だがこれはあくまで事柄の表の顔に過ぎず、より重大なのはその裏に隠された顔だった。
 明治国家は戊辰戦争の中から生まれ、十年後には西南戦争という深刻な内戦を経験する。他方でそれは江華島事件、台湾出兵という形で出発早々からアジア侵略戦争に踏み出し、二十年後には日清戦争にいたる。こうして天皇制国家の存立を決する問題として、この内戦と侵略戦争への国民の動員と戦意の高揚が求められた。まさにこれにこたえるものとして、「国のため、天皇のために戦い、死ねば神になり、英霊になれる」「これこそ天皇の赤子(せきし)の最大の名誉、至上の幸せ」という、死の称賛と再生産のための巨大な国家的イデオロギー装置として、国家神道の中でも特別な位置を占める別格官幣大社・靖国神社がつくられたのだ(一八六九年建立の東京招魂社が一八七九年に改称)。
 こうして「個の否定としての公」の裏側には最初からべったりと「生の否定としての死」が張り付いていたのである。靖国の境内でわれわれが目にするのは死の祭殿と宴(うたげ)であり、耳にするのは死の賛歌であり、その社から、鳥居から、桜の木の下から立ち上るのは死の陽炎(かげろう)である。
 そして重要なのは、この天皇制の最ものろわれた死の空間への小泉の参拝が、「つくる会」教科書が気まぐれの産物でなかったように、けっしてアナクロニズムの結果などではないということだ。
 内外危機の破局的激化の中で、日帝・小泉政権は「聖域なき構造改革」と一体不可分のものとして戦争国家化の道を突き進みつつある。ハードの軍事力は、残るは核と空母というぐらい強力になっている。問題はソフト、有事立法がなければ戦争はできない。だがこれと並んで、ある意味でそれ以上に深刻なのが、「国のために死を賭(と)して戦う」若者をつくらなければ戦争はできないということだ。だが戦後の日本国家はそのために必要な歴史観、国家目標、イデオロギーを失った。失ったまま半世紀を経過した。
 戦後の日帝は、米ソ対立と日米安保に隠れて、あの戦争の責任を徹底的に回避し、あいまいにし、ふたをしてきた。だからこそ天皇制も靖国神社も生き延びてきた。しかしその代償として、かつての戦争を主導したイデオロギーに代わるどんなイデオロギーも形成しえないできた。だから今再び本格的に戦争を準備しなければならない時、日帝は結局また皇国史観と靖国神社に立ち返る以外にない。
 だがそれが日帝とその戦争政策にとってどれだけ致命的な弱点であるかを暴き出したのが、二〇〇一年春夏の闘いだったのである。

 日帝の改憲=戦争国家化への絶望的飛躍

 この間の教科書・靖国問題をめぐる日帝の最大の誤算は、それをあくまで国内問題にとどめようとしたが一大国際問題に転化したこと、日帝はそれを「中国、韓国などの内政干渉」などとすり替えようとしたが、実は問題の歴史的本質に深く根ざした事柄であることがはっきりしたという点であるだろう。
 ここで焦点化したのが、いわゆるA級戦犯に死刑を宣告した極東軍事裁判の問題である。「つくる会」教科書の主張は周知のように「自虐史観」批判にあるが、その核心は結局「東京裁判史観」批判に行きつく。そしてここから例えばこの裁判で死刑となった陸軍大将松井石根の責任とされた南京大虐殺は「まったくの虚構」と強弁する歴史改ざんにまでさかのぼるのである。小泉の靖国参拝で、特に中国がA級戦犯合祀問題に的を絞って追及したのも、結局東京裁判の是非の問題であった。
 だが、そもそも戦後日本国家は、今からちょうど五十年前に調印されたサンフランシスコ講和条約によって独立を回復するのだが、この条約第一一条は東京裁判の「受諾」を明記し、これが戦後の日本が国際社会に復帰するためのパスポートになったのである。われわれはもちろん東京裁判もサンフランシスコ講和条約も美化する立場にはない。それらは要するに米帝の戦後冷戦政策の一環として、一握りのA級戦犯と引き替えに日帝の戦争責任総体(天皇から七三一部隊まで)を免罪する儀式であり、日本を反ソ反共の基地、兵站(へいたん)工場に抱え込むための条約だった。
 だがわれわれにとってではなく、戦後日本のブルジョアジーにとって、戦後日本帝国主義にとって、サンフランシスコ講和条約は戦後半世紀の歴史の土台であり、出発点であり、戦後世界における国際関係維持の大前提であり、簡単に覆せるような問題ではないのだ。国際問題と言ってもそれは、ただ中国や韓国との関係にとどまらない。アメリカとの関係の根幹に触れかねない問題としてあるのである。もちろん今日、小泉も「つくる会」右翼分子も、サンフランシスコ条約批判など(それはすなわち日米安保条約批判だが)口にできない(もっとも後者はのど元まで出かかっているが)。にもかかわらず彼らはその行動で、この戦後の歴史を無謀にも原点から覆そうとしたのである。
 この間の教科書・靖国問題をめぐって日帝支配階級内に生じた鋭い亀裂は、もちろん自民党内派閥次元のことや中国十三億人の市場に対する財界の経済主義的心配もからみながら、しかし大きくは改憲=戦争国家化という巨大な、絶望的飛躍を前にした日帝のきわめて深刻な基本路線的動揺としてあったことは間違いない。今、日帝の戦後政策はあくまで日米安保の枠内、その延長線上のそれである。有事立法も、集団的自衛権も、ミサイル防衛構想への参加も、改憲そのものも、すべては日米共同で準備されている。だがその本格化、戦争の現実化とともに、右に見てきたような矛盾と亀裂は必ず、不可避的に拡大し、先鋭化する。
 われわれはこのこと自体になんの幻想も持たない。しかしまたそれをけっして軽視しない。なぜならくり返し強調するが、ここに日帝の戦争政策の最大の弱点があるからだ。われわれに求められているのは、この教科書と靖国という国際問題をそれにとどめず、われわれの手でさらに強力に国内問題化させることであり、この触れれば血が流れるようなテーマをさらに全力をあげて日本階級闘争の一大焦点に押し上げていくことである。

 教育労働者・保護者の連帯の力で

 この秋、有事立法反対の闘いが本格的に始まり、教育闘争はいよいよ教育基本法改悪をめぐる攻防に入る。これらは改憲阻止闘争の前哨戦というよりも前半戦と言ってよい。有事立法成立後の憲法九条など抜け殻に過ぎない。一方、「この(憲法の)理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」という文章で始まる教育基本法の改悪は、憲法をそのガイスト(魂)において解体しようとする攻撃である。
 逆にわれわれは戦後史の中で、例えば六〇年安保闘争の全人民的爆発(これこそ改憲を今日まで阻んできたのだが)にとって、五六〜六〇年の「教え子を再び戦場に送るな」の旗のもとに闘われた勤評闘争、全都道府県において教員・保護者・子どもたち、支援の労働者と警官隊、右翼・地域反動の文字どおり血みどろの激突として繰り広げられた闘いの貫徹が、どれだけ重要な全国的基盤形成の役割を果たしたかを知っている。
 もちろん日教組に昔日の面影はない。敵は教育改革攻撃の最も手前の仕事として今、手段を選ばぬ教育労働運動解体攻撃を急いでいる。だがこの逆流に抗して、広島、北海道を始めとする全国のいくつもの単位教組が闘いの旗を降ろさず、不屈で頑強な抵抗を継続しているのだ。そして目を地域に転ずれば、ここでは敵はまだ何ひとつ制圧していない。
 教育現場における教育労働者のねばり強い闘いと地域の保護者・子どもたち、あらゆる労働者・市民の闘いを正しく結合するなら、そしてその全体を何よりもアジア何十億の民衆と固く連帯した闘いに押し上げるなら、われわれは必ず勤評闘争を引き継ぎ、のりこえる闘いとして、教育基本法改悪粉砕闘争の爆発をかちとることができる、またかちとることによって、改憲=戦争国家化阻止の巨大な火柱を打ち立てなくてはならない――これが二〇〇一年教科書・靖国闘争の勝利がわれわれに教え、われわれに要求していることである。

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週刊『前進』(2022号4面2)

2001年日誌 阻もう! 改憲=戦争への動き 9月5日〜11日
 温泉街近くに陸自砲弾着弾 「臨時国会でPKO法改正」

●東ティモールNGOが自衛隊派遣に反対 東ティモールの主要な非政府組織(NGO)十二団体が、東ティモール独立後の国連平和維持活動(PKO)への自衛隊の参加問題で「派遣は不必要で、その費用を第二次大戦下で日本軍のため苦しんだ犠牲者の補償に充てる方がよい」とする意見書をまとめた。(5日)
●「集団的自衛権行使を」と宮沢元首相 宮沢喜一元首相がサンフランシスコ条約五十周年記念行事で演説し「米軍を援助し守るために自衛隊を運用すべき」と述べ、集団的自衛権の行使を提唱した。(6日)
●東ティモール制憲議会選挙 東ティモールで八月三十日に投票が行われた制憲議会選挙(定数八十八)の結果が発表され、フレティリン(東ティモール独立革命戦線)が半数を上回る五十五議席を獲得し第一党となった。(6日)
●温泉街近くに陸自砲弾 福島県の陸上自衛隊白河布引山演習場で、陸自郡山駐屯地の第六特科連隊が一五五_りゅう弾砲で射撃訓練をしていたところ、実弾が場外に飛び出し、同県天栄村の二岐(ふたまた)温泉から約一`北西の二岐山斜面に着弾した。砲弾の飛距離は目標までの倍に達していた。(7日) 
●「前方展開能力を維持しながら米軍改革」 ウルフォウィッツ米国防副長官が中谷元・防衛庁長官と会談。九月末に策定する四年ごとの国防戦略見直し(QDR)に関し「兵員数ではなく前方展開能力を維持しながら軍を改革する。兵員を削減することもありうる」「十五年後の時点に、世界がどんな状況になっているかを考えての兵力だ」などと述べた。(8日)
●「中国にらみ日米同盟」とパウエル パウエル米国務長官が旧日米安保条約調印五十周年記念式典のあいさつで、今後の日米安保の役割について「中国と建設的に関与していく方法を模索する上で、日本との強力な同盟関係が不可欠だ」と述べた。また日本への具体的な要請として、「もっとアジア太平洋の安定と安全を高めるために努力してほしい」として、@PKO、A人道支援、B災害救助の三分野をあげた。(8日)
●田中外相が米軍との武力行使一体化求める サンフランシスコで行われた日米外相会談で、田中真紀子外相が「軍事面でも(米軍との)武力行使の一体化などの問題について検討を進め、(日本が)より大きな役割を果たしていけないかを検討すべき時だ」と発言した。(8日)
●国連暫定機構が自衛隊の東ティモール派遣を要請 国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)のデメロ代表が、自衛隊のPKO派遣を要請していることを明らかにした。(10日)
●新防衛大綱の検討会議発足へ 中谷防衛庁長官が、防衛庁幹部をメンバーにして「防衛力のあり方検討会議」を近く発足させ、九五年末に改定した現防衛大綱の見直し作業に入ることを明らかにした。再来年度までに検討会議としての結論をまとめる。(10日)
●「PKO法改正、臨時国会で」と防衛庁長官 中谷防衛庁長官が「秋の臨時国会会期中にPKO協力法を改正したい。できると思っている」と述べた。また東ティモールへの自衛隊派遣については「法改正しなくても解釈の仕方で派遣は可能だ」と述べた。(10日)
●石原が日本の軍事行動支持を主張 石原慎太郎都知事が訪米、ウルフォウィッツ国防副長官と会談し「北朝鮮の侵犯を阻止するために新しい緊張が生まれた時、アメリカは安保条約にのっとってはっきり(日本の軍事行動を)支持すべきだ」などと主張した。(10日)
●自衛隊施設大隊派遣は500人規模 政府は、東ティモールPKOについて、五百人規模の自衛隊の施設部隊を派遣する方向で検討に入った。九二年のカンボジア(六百人)に次ぐ規模となる。(11日)
●メガワティが自衛隊派兵を支持 インドネシアを訪問中の中谷防衛庁長官がメガワティ大統領と会談し、東ティモールへの自衛隊派兵について、メガワティは「日本が国連の一員としてPKOに参加することで、東ティモール問題への取り組みが徹底化されることを望む」と述べ、支持を表明した。(11日)
●つくる会シェア0・039% 文部科学省が来年度の中学歴史教科書の使用予定数を発表した。「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書を使うのは、公立五校の二十三人(冊)、私立六校の四百九十八人(冊)で、計十一校五百二十一人(冊)の見込み。「つくる会」教科書のシェアは〇・〇三九%。(11日)
●米中枢に同時多発ゲリラ
 米国のニューヨークやワシントンなど三都市四カ所に、同時ゲリラが起きた。全米で四機の旅客機がハイジャックされ、ニューヨークの世界貿易センタービルやワシントン郊外の米国防総省に突っ込み、爆発炎上した。(11日)

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週刊『前進』(2022号5面1)

リストラ・大失業の痛み強制し 労働運動解体をたくらむ小泉
 「聖域なき構造改革」粉砕へ(下)
 城戸 通隆

 金融独占資本の延命をかけた日帝の路線

 小泉の「聖域なき構造改革」とは、憲法も安保・自衛隊も教育・教科書も靖国も一切「聖域」(タブー)とせずに反動的に突破し、戦争国家をつくろうという大反革命である。
 そのために他方で、金融独占資本の延命をかけた経済・財政・社会の「構造改革」を断行し、労働者人民に倒産ラッシュ、リストラ・大失業、団結破壊・労働運動解体という〈上からの階級戦争〉=一大資本攻勢を仕掛ける大攻撃なのである。
 小泉は「構造改革なくして景気回復なし」と叫び続け、異常な高い支持率を生み出してきた。しかしこれ自体がとんでもないデマゴギーであり、偽りの政治スローガンでしかないのだ。「構造改革」で景気は回復するどころか、逆に一層悪化し、九七―九八年危機以来の恐慌を再激化させるしかないからである。
 実際に小泉政権発足後、市場はわずか一週間で小泉改革に不信任を突き付け、「日本売り」に転じた。政府筋の必死の買い支えにもかかわらず日経平均株価は連日、バブル崩壊後の最安値を更新し、九月十二日には一万円を割った。小泉の不良債権処理がまだ実施もされない前に、世界的で構造的なIT不況の深刻化により、東芝の一万八千人を始め富士通、日立、松下、NECなど大手電機資本が合計八万人もの大リストラ計画を発表した。七月の完全失業率は過去最悪の五%台に突入し(失業しているが就職は厳しいとあきらめている人を含めればなんと一〇・四%だ!)、四―六月期の名目国内総生産(GDP)はマイナス二・七%(実質マイナス〇・八%)、年率でマイナス一〇・三%(実質マイナス三・二%)という惨憺(さんたん)たる事態である。
 労働者人民は小泉政権を絶対に打倒しなければならない。そうでなければ恐慌と不況にたたき込まれ、労働運動は絞め殺され、倒産、リストラ・大失業、社会保障解体、大増税を強制される。生きていくこともできない。そしてついには、侵略と戦争の道に動員されてしまうのだ。
 小泉「聖域なき構造改革」路線の源流は、九六―九八年の橋本政権とその「六大改革」にある。
 橋本政権は戦後の帝国主義の体制的な破綻(はたん)、行きづまりと帝国主義間争闘戦激化の中で、一方では戦争国家化路線に踏みきり、日米安保共同宣言―新ガイドライン締結を強行し、他方では大店法の廃止、医療保険制度改悪、消費税の増税(五%化)など、金融独占資本の延命、生き残りのための「構造改革」を断行する道を積極的に選択した。だがそれは労働者人民の怒りの高まり、経済の悪化をもたらし、九八年七月の参院選で惨敗して崩壊した。
 その後を受けた小渕―森政権は文字どおり恐慌対策に追い立てられる政権として、天文学的な国家資金投入による恐慌対策を発動し、日帝の経済・財政危機と政治危機を極限的に進行させた。特に森政権のどんづまりの危機が、日帝ブルジョアジーと自民党をして起死回生の大反革命に訴えさせ、かつてない扇動政治家(デマゴーグ)として小泉を登場させた。この過程での経済戦略会議答申や日経連労問研報告などが小泉改革の枠組み形成となった。こうして凶暴かつ急進的な「聖域なき構造改革」を本格的に強行する路線が日帝の基本路線として敷かれたのだ。
 今日、小泉は橋本派(旧経世会)などを守旧派・抵抗勢力としてバッシングすることで「改革派」を演出する手法を露骨にとっているが、小泉反革命の基本的原型は、橋本政権―小渕政権で準備されたのである。
 日帝・金融独占資本が延命するためにはこれしかないものとして、「構造改革」路線を疑似体制変革的に凶暴に貫くことに、小泉の歴史的使命がある。改革路線で日帝ブルジョアジーとマスコミはもとより、民主党、自由党などの野党も足並みをそろえ、改憲・戦争国家化=改憲とリストラ・大失業、階級的団結・労働運動解体に突き進んでいる。今こそ闘うアジア人民と連帯し、労働者階級の総決起で小泉反革命を打倒しなければならない。

 「530万人」の失業想定 企業整理と独占強化

 小泉の経済・財政「構造改革」の反人民的な全体像は、経済財政諮問会議が六月二十一日に発表した「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」(骨太方針)に凝縮されている。これは経財相・竹中らがまとめた、混乱し錯綜(さくそう)した最悪の官僚的作文だが、冒頭に〈新世紀維新(!)が目指すもの―日本経済の再生シナリオ〉とうたっているように、小泉「構造改革」の極右ファシスト的本質と破綻性の集大成とも言えるものでもある。

 不良債権処理

 第一に、この基本方針で小泉・竹中らが「構造改革」の最大の目玉にしているのが「不良債権問題の抜本的解決」なるものだ。具体的には今後二〜三年内に不良債権の処理を目指し、「デフレ圧力」「調整期間」「短期的には低い経済成長」も覚悟でやると言う。処理額の数値は明記していないが、森政権の緊急経済対策(四月)で示した主要行の不良債権の既存分、十二兆七千億円程度を想定していると思われる。
 しかし日帝経済のバブル崩壊で発生・顕在化した銀行など金融機関の不良債権の総額は、とてもこんな規模ではない。金融庁自身が発表した二〇〇〇年三月期の集計では、@破綻先とA実質破綻先で十三兆円、B破綻懸念先二十一兆円、C要注意先百十七兆円で、総額実に百五十一兆円に達する。しかも不良債権は減るどころか刻々増えている。メリルリンチ証券調査部は要注意先以下の合計を百七十兆円〜百八十兆円と推定している(エコノミスト八月二十一日号)。この膨大な不良債権は大恐慌によっても処理できないほどのものなのだ。
 だが十二兆円規模であれ不良債権に手をつけることは、直ちに中小零細企業とゼネコン、流通、不動産などの一部弱体大企業の倒産ラッシュを引き起こす。処理対象の貸出先の九九・三%が中小企業で、二十万〜三十万社が倒産に追い込まれる。失業者数は不良債権の処理額によるが、民間調査機関のデータでも、@十二兆七千億円の場合↓五十八万五千人(第一生命経済研究所)、五十万九千人(ドイツ証券)、A二十二兆二千億円の場合↓百三十万人(ニッセイ基礎研究所)、B全国銀行ベース三十一兆八千億円の場合↓百四十六万七千人(第一生命経済研)など、膨大な失業が強制される。
 以上はまだ控えめな数で、建設業界の失業者が百万人強、中小零細企業の倒産で二百万〜三百万人というすさまじい予測すらある(週刊ポスト六月二十二日号)。しかもこれは不良債権処理による失業者だが、小泉の公共事業削減や特殊法人の廃止・民営化などでの膨大な首切り・失業がこれに加わるのである。
 基本方針は規制緩和や新規分野の雇用創出で「五年間で五百三十万人が期待」できると言っているが、何の科学的根拠もないまやかしの数字だ。これは小泉政権自身が五百万人を超える大失業になると想定している証拠である。政府の言う「雇用のセーフティネット(安全弁)」にしても、なんの実質もない。
 金融庁は八月二十八日、“今後七年間で主要十五行不良債権残高(十七兆四千億円)をほぼ半減させる゜という新シナリオを、やっと打ち出した。これに不信感をもった市場では株価が急落した。ここに日帝・小泉にとっての不良債権問題の困難性、絶望性が象徴的に表れているのだ。
 不良債権処理問題で今ひとつ重要な点は、日帝独占ブルジョアジーが、それによって「過剰生産能力の解消」「多すぎるプレーヤーを減らすべきだ」(今井経団連会長)と要求し、中小零細企業や一部の弱体大企業の整理・倒産を進め、経済の独占体制を一挙に強化しようとしていることである。これは浜口雄幸内閣における一九二九年の「産業合理化・財界整理」と同じで、過剰資本・過剰生産力を暴力的に整理しつつ独占強化↓戦争へと向かう道なのだ。
 他方、銀行側は法的整理ではなく債権放棄を中心とした私的整理で「資金回収」に必死となっており、基本的に不良債権処理の体力も意思も失っている。結局、日帝は整理回収機構(RCC)や株式買取機構の設立で、銀行救済に膨大な公的資金を再び注入することを狙っているのだ。

 特殊法人問題

 第二に、経済・財政・社会の「構造改革」は、「日本の社会主義的経済部分を全部カットする」(エコノミスト八月二十一日号)などと称して、特殊法人改革、郵政民営化、公共事業削減、道路特定財源の見直しなどの行革、規制緩和、民営化攻撃を全面的に強行しようとしている。
 基本方針には「民営化・規制緩和」を始め構造改革の「七つのプログラム」が列挙され、「市場メカニズムの活用」「民間でできることは、民間に委ねる」「競争原理を導入する」「効果と効率を追求する」などの言辞が踊っている。つまり日帝と小泉は、かつて国鉄分割・民営化でやったことを郵政、特殊法人などで野放図に展開しようとしているのだ。
 特に今日、小泉が最大のターゲットにしているのが日本道路公団など道路四公団を始めとする七十七の特殊法人で、これをすべて民営化するか廃止せよと叫んでいる。日帝自身がつくり出した国家財政のあまりの危機の中で、「税金のムダ」や「既得権」を攻撃して、民営化し効率化すれば万事うまくいくかのように大宣伝している。
 だがブルジョア国家といえども、医療、介護、福祉、教育や交通、郵便など公的部門や、住宅金融などの非営利部門をすべて民営化し、効率と営利のみを追求することは、世界史的に形成されてきた階級関係の中では容易にはできるものではない。赤字でもやらなければならない公的部門も膨大に存在する。「赤字」や「ムダ」を理由に国家が義務を放棄するなら、それは国家支配の自己否定であり、ただちに権力を労働者人民に明け渡せということである。
 しかも小泉は、特殊法人の廃止・民営化で膨大な労働者の首を切り、その労働運動を解体することを狙っているのだ。
 さらに郵政民営化は、残高二百五十兆円の郵便貯金を大銀行のえじきに供し、物流を大資本にひとり占めさせ、地方への郵便サービスを解体するばかりか、全逓労働者への大リストラと労働運動解体に最大の目的がある。NTTの大合理化攻撃は、郵政民営化の未来の姿だ。
 また政府(国交省)の試算によっても、二〇〇二年度の公共事業費を前年度より一〇%削減すると今後三年間に建設部門で六十二万人もの大失業が発生する。だがこれへの対策など何もない。しかも小泉は道路特定財源を見直し、その半分の三兆円を「都市再生事業」に振り向け、地方を切り捨てて、治安・軍事優先と都市バブルの再現を狙った公共事業を都市でやろうとしているのだ。
 「官」を悪とし「民」を善とする中曽根の臨調=行革、国鉄分割・民営化攻撃以来の、いやそれ以上の小泉の行革、民営化、規制緩和の反労働者的政策とイデオロギーは、金融独占資本本位の弱肉強食、優勝劣敗のファシスト的本質を持ったものだ。国鉄決戦を最先頭に小泉反革命を打倒しなければならない。

 “国債30兆円”

 第三に、小泉は財政再建の「構造改革」の柱として「国債発行を三十兆円以下に抑制」し、「プライマリーバランス(国債関係費を除いた歳入と歳出の収支)を黒字化する」と言っている。「三十兆円以下に抑制」と言うが、この膨大な国債発行自体が、歴代自民党政権がつくり出した政策破綻、財政危機の結果なのだ。その上で歳出カットで強制されるのは社会保障の高負担・低サービス化であり、公共部門の切り捨てによる倒産と大量の労働者の失業でしかない。「痛み」はすべて労働者人民に押しつけられるのである。
 この財政構造改革と表裏一体なのが「税制改革」=増税である。基本方針は「所得、消費、資産等の適切な課税ベースの選択、できるだけ広い課税ベースの確保」をうたい、消費税増税(竹中が著書で提言する一四%化!)を軸とした大増税が狙われているのだ。

 社会保障制度解体と地方自治の全面圧殺

 第四に、小泉改革の決定的な反人民性が社会保障制度の解体である。
 基本方針は、まず@社会保障は今後「給付は厚く、負担は軽く」というわけにはいかない、社会保障の三本柱(年金、医療、介護)は「自助と自律」の精神を基本としてやっていくことをうたい、A地域住民やボランティアを動員した「共助」の社会を築いてそれを補うと宣言している。Bそして社会保障番号制度導入と「社会保障個人会計(仮称)」の構築を打ち出している。Cさらに高齢者医療を始め医療費総額の伸びの抑制や「年金制度の改革(改悪)」、「市場原理を活かした効率的で質の高いサービス供給」という形で介護保険の推進などがうたわれている。
 以上から明確なことは、小泉改革で社会保障や福祉の〈理念と制度〉そのものが否定され解体されるのだということである。Bの「社会保障の個人会計」などはその象徴で、社会保障が背番号制で一人ひとり厳重に負担と給付が掌握・管理され、損得勘定化されて、解体されてしまうのだ。「自助と自律」「共助」とは国家が社会保障はやらないという宣言である。社会保障に「ムダがある」とか「効率化」や「費用対効果の向上を図る」というのは、福祉の対極をなすイデオロギーだ。
 労働者人民にはこのような国家とブルジョア支配階級を打倒して進む権利と義務がある。

 地方切り捨て

 第五に、小泉「構造改革」は〈地方〉の切り捨て、具体的には地方自治の解体―自治体労働運動解体と帝国主義的中央集権体制の確立へと決定的に踏み出そうとしている。
 基本方針では、@「個性ある地方の競争―自立した国、地方関係の確立」「自助と自律の精神」がうたわれ、A「市町村の再編」「市町村の合併や広域行政の強力な推進」が明記され、B補助金や地方交付税の見直し、縮小が宣言されている。
 もともと地方交付税制度は地域間の格差を是正し、地方が自立・自治を確立していくために設けられたものだ。それを小泉は地方財政放漫化の根源と攻撃し、今や財政面からも地方を締め上げて地方自治を圧殺しようと狙っているのである。その一方で市町村合併を大々的に推進し、現在約三千二百ある市町村を江戸時代の“三百諸侯゜ならぬ三百前後に合併・再編して、戦後的な地方自治を解体し、強権的な中央集権体制(=戦争国家)をつくり上げようとしているのだ。
 地方の切り捨てという点では、地方交付税見直しや公共事業費削減で、直接的にも「地方では三割の会社が倒産して失業率が一〇%に上昇する」(野呂田前自民党道路調査会長)。都市部のバブル的「再生」を狙う小泉改革のインチキな正体がここにも鮮明に表れているのだ。

 治安弾圧強化

 第六に、小泉「構造改革」の反革命的な目的は、改憲を軸とするすさまじい帝国主義的排外主義・愛国主義のもとでの徹底的な労働運動解体、労働者の階級的団結の圧殺にあり、治安弾圧体制の強化にあるということである。この点で基本方針は「国民に安全と治安を確保し、安心して暮らせる社会を保障する」「司法制度は、社会の複雑化、多様化、国際化……といった変化に対応し、見直さなければならない」と述べ、治安の確保と司法改革をうたっている。
 何よりも小泉「構造改革」の核心的内容であるリストラ・大失業攻撃自体が、かつてない階級圧殺であり、労働運動解体の攻撃にほかならない。また郵政民営化、特殊法人の廃止・民営化、地方自治の解体などは国鉄分割・民営化の狙いがそうであったように、それ自体が労働運動を解体する攻撃である。
 そもそも経済・財政の「構造改革」の断行が引き起こす事態はリストラ・大失業の嵐、倒産ラッシュを頂点として労働者人民の根底的な怒りと決起を生みだすし、レーガン反革命のアメリカがそうであったように極限的な貧富の差の拡大と階級分化をもたらす。
 それに対して小泉は、帝国主義的排外主義・愛国主義の扇動と組織化をテコにして、労働組合・労働運動の解体に全力をあげるとともに、司法改革を軸にアメリカ型の治安体制、暴力的な階級支配に本格的に踏み込もうとしているのである。九条改憲=戦争国家化と「外への侵略戦争」の攻撃は、「内への階級戦争=城内平和の確立」と一体であり、それなくして戦争体制はつくれないからだ。
 日帝・小泉のこうした労働者人民への階級戦争、とりわけ労働運動解体の攻撃に全面屈服し、その先兵になっているのが、連合指導部の帝国主義的労働運動であり、松崎=JR総連カクマルのファシスト労働運動なのである。帝国主義的国家主義をぶち破り、連合とJR総連を打倒して、国鉄決戦を先頭に小泉反革命との対決、リストラ攻撃の嵐を粉砕する闘いに総決起しなければならない。

 日米争闘戦激化が小泉反革命の動力

 最後に、あらためて確認したい。日帝・小泉は「聖域なき構造改革」路線を凶暴かつ急進的に展開することで、日本を戦争のできる国(戦争国家)に大改造しようとしている。戦争と大失業の攻撃として、労働者人民への階級戦争をしかけてきている。
 なぜ小泉はこんなに焦り、凶暴なのか。ソ連スターリン主義崩壊以後の帝国主義がついに基本矛盾を全面爆発させ、米帝経済の超バブルの歴史的崩壊をもって、帝国主義世界経済が一九二九年をも超える大恐慌・大不況に転落し、分裂化・ブロック化を深めているからだ。そして、崩壊したスターリン主義や残存スターリン主義の取り込み、分割・再分割を決定的な導水路とする侵略戦争、帝国主義戦争、世界戦争へと突き進み始めたからである。
 帝国主義世界経済に根雪のように横たわる膨大な過剰資本・過剰生産力は、七つの主要な帝国主義(G7)のうち二つか三つがつぶれなければ二進も三進もいかない大きさのものである。そこから帝国主義の生き残り、相互のつぶし合いをかけた争闘戦が激化しているのである。米帝ブッシュ政権と小泉政権の登場は内外情勢を一変させた。
 日帝は、二九年型の世界大恐慌・大不況の到来と帝国主義間争闘戦―日米争闘戦の激化にあえぎ、日帝・金融独占資本の生き残り、延命をかけた大攻撃にのめりこむ以外に、いかなる未来もなくなっているのだ。
 ここから小泉反革命が登場し、疑似体制変革的な「聖域なき構造改革」の断行に帝国主義の存亡をかけているのである。靖国参拝に象徴的にあらわれた小泉の凶暴さは、日帝の体制的な危機の深さ、日米争闘戦の激しさに規定されている。小泉反革命の最深の動力は日米争闘戦だ。
 このことを真っ向から見すえ、革共同の反帝・反スターリン主義世界革命の綱領と戦略的総路線のもと、小泉政権打倒、有事立法阻止・改憲粉砕を最大の柱に、今秋決戦を日帝打倒と二十一世紀革命を切り開く闘いとして、党の変革と飛躍をかけ全力で闘いぬこう。

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週刊『前進』(2022号5面2)

 改憲阻止決戦シリーズ 今、問い直す侵略と戦争の歴史
 第2部 15年戦争の末路(6) 沖縄戦D
 学ぶべき教訓 帝国主義強盗戦争の反人民性

 これまで沖縄戦の主な経緯とそこでの大きな事件を取り上げてきたが、そこからわれわれは何を学びとるべきだろうか。
 第一に、最も核心的な問題は、日本帝国主義の「本土防衛・国体(天皇制)護持」のための捨て石作戦として沖縄作戦が行われたということである。日帝の「琉球処分」以来の沖縄差別・抑圧政策の、集大成的な意味を持っているのだ。
 防衛大学校の軍事史専門家などによる『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(中公文庫)は、「敗れたりとはいえ第三二軍は、軍に日本本土への侵攻を慎重にさせ、本土決戦準備のための貴重な時間をかせぐという少なからぬ貢献を果たした」と、捨て石作戦と時間稼ぎを積極的肯定的に評価している。これが今日の日帝軍部の沖縄戦総括だ。

 米軍の猛攻撃

 第二に、米軍による無差別攻撃で多くの住民が犠牲になったことである。太平洋戦争は日米間の帝国主義戦争であり、その決着をつける決戦が沖縄戦だった。
 そもそも米帝は、日帝を攻略するために、沖縄を落とし、そこを拠点に本土に攻め込むことを最初から戦略化し、万全の体制で沖縄戦に突入した。日帝が「国体護持」を一切の基準に考えていたのと同様、米帝もまた、帝国主義として、どれほど大虐殺戦を繰り広げても沖縄を奪い取ることをもくろんで攻め込んできたのだ。
 帝国主義戦争である以上、米帝は日帝に打撃を与えることにちゅうちょなく、住民に対しても容赦なかった。住民を保護したり、住居や食料を保障したりしたのも、あくまでも日帝に打撃を与えるためだった。戦後の米軍による軍政支配の出発点は沖縄戦にあった。米帝は米兵の血を流して勝ち取った領土として沖縄を位置づけ、日帝が二度と再び米帝を脅かす敵として登場しないように、その保証として沖縄を占領支配したのである。
 沖縄戦は双方からの帝国主義戦争であった。帝国主義であるかぎり、その勢力圏分割・再分割をめぐって矛盾と対立が激化し、ついには帝国主義の侵略戦争、帝国主義間戦争、世界戦争として爆発するのだ。

 多大な住民犠牲

 第三に、沖縄戦の大きな特徴は、住民を巻き込んだ激しい地上戦が戦われ、その中で沖縄住民は日帝軍隊によって保護されなかったばかりか、逆に、戦争に必要なものは何でも動員するという政策のもと、根こそぎ動員されたことにある。
 軍人よりも住民の犠牲者が多かったのは、四十五万人の住民と十万人の軍隊が狭い沖縄で混在して米軍の侵攻を迎え、日本軍が「長期持久」作戦をとったためだ。
 第四に、日本軍による住民虐殺が多発したことである。その場合、直接の虐殺、すなわち「スパイ」として「処刑」したり、壕(ごう)や食料を強奪するために殺したりしたのと同時に、間接の虐殺、すなわち住民を集めて「集団自決」という名の自殺を強要したり、壕から追い出して米軍の砲火にさらしたことも含まれる。
 第五に、日帝による「明治」以来の皇民化教育が犠牲をより大きくしたことである。天皇制・天皇制イデオロギーの果たした役割の大きさがそこにある。日本の階級闘争がスターリン主義の裏切りと屈服のもとで敗北し、天皇制支配のもとでの愛国主義、排外主義、国家主義にからめとられ、「お国のために、天皇陛下のために命をささげる」ことが至高のものとされた。「日の丸・君が代」が支配し、毎朝「皇居遥拝(ようはい)」を強要され、「日本人以上に日本人らしく」することが求められた。
 この第三、四、五の教訓を総合すると、日本軍と沖縄人民との関係が浮き彫りになってくる。日本軍にとって住民は守るべき対象ではなく、戦闘に動員し、働かせ、食料や壕を提供させ、最後は米軍の捕虜にならずに自殺させる存在でしかなかった。沖縄戦に関する著書が多くある大田昌秀参院議員の沖縄戦総括の結論は次の一語である。「軍隊は、民衆を守るものではない」。これは日帝軍隊の本質を言い当てた言葉だ。
 第六に、中国・アジア侵略戦争の帰結として沖縄戦があったことである。
 「沖縄戦の『悲劇』は、沖縄の人民の側から言うならば、天皇制と天皇制イデオロギーへの全面的屈服を通して、アジア侵略の先兵となっていったことの帰着点であった」(城間正『PKO派兵と闘う沖縄』)
 沖縄人民は、日帝の侵略戦争に抵抗しきれず、動員され、自ら加担した。中国侵略戦争の中で日帝の非道な暴虐を体験してきた。その帰着点として、天皇制=国体を守るための沖縄戦に動員されたのである。日本―沖縄関係において、沖縄人民は差別されてきた存在であるが、朝鮮・中国・アジア人民との関係においては、沖縄人民も加害者の側に立たされていた。
 前回も触れたが、一万人を超す朝鮮人「軍夫」や日本軍軍隊慰安婦にされた人びとが、沖縄戦の中で最も非道な扱いを受けた。そのことに対する謝罪も補償も行われていないということを見ても、朝鮮・中国・アジアの人民に対する血債の問題が現にあるのだ。

 戦後沖縄の出発

 第七に、沖縄戦とその結果が戦後の沖縄を決定づけたことである。沖縄は天皇制=国体を守るための捨て石とされ、戦後もまた天皇制の延命のために切り捨てられた。つまり、昭和天皇は、マッカーサー連合国総司令官に私信を送り、「二十五年から五十年ないしそれ以上」の米による沖縄の軍事占領を提言した。それが米軍の二十七年間の分離支配を導き、「復帰」後も今日に続く基地監獄の状態をもたらしている。日帝の体制維持のために沖縄は差し出され、またしても犠牲にされたのだ。沖縄戦を総括するとは、日帝の全沖縄差別政策を総括することにつながる問題である。
 同時に、戦後の沖縄人民の不屈の闘いが、沖縄戦の体験の中から生み出されたことが重要だ。二度と戦争をしてはならないことを沖縄戦を通じてつかみとったことが沖縄人民の闘いのバックボーンになっている。
 (この項おわり)
 (高田隆志)

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週刊『前進』(2022号6面1)

「司法改革」の狙うもの
戦争のための司法へ転換 有事立法・改憲と一体

 六月十二日に発表された「司法制度改革審議会」の最終意見書「二十一世紀の日本を支える司法制度」は、裁判制度の根幹を破壊し、労働者人民を社会防衛主義と帝国主義的愛国主義に巻き込み、裁判官・検察官だけでなく弁護士をも日帝の戦争へと動員していくことを狙うものである。まさに、小泉の「聖域なき構造改革」攻撃、有事立法・改憲攻撃と一体の戦争国家化、戦時司法体制づくりの攻撃である。
 この意見書を受けて、日帝・小泉は、今秋臨時国会で「司法改革推進基本法」を成立させ、「司法制度改革推進本部」を創設し、今後三年間のうちに関連法令をすべて制定・改悪することを狙っているのだ。

 人権の擁護から国家秩序防衛へ

 司法審最終意見書の反労働者的・反人民的性格は、次の点に最も鮮明に示されている。
 「基本的人権」という言葉は、引用部分を除いては意見書の中に一度として登場しない。また、被疑者・被告人の権利についても、「被疑者・被告人の弁護人の援助を受ける権利」として、わずか一回言及されているにすぎない。「防御権の保障等憲法の人権保障」も「理念を踏まえ」るだけだ。長期勾留や代用監獄など、現在の司法が抱える多くの人権侵害問題については言及すらされていない。
 まさに意見書は、司法制度の中から基本的人権や被疑者・被告人(=人民)の権利とその擁護という近代司法制度の理念を追放・抹殺することを狙っているのである。
 そして意見書は、冒頭の「基本理念と方向」で、司法制度がどういうものでなければならないかをイデオロギッシュに主張する。
 まず、日帝の十五年戦争=帝国主義戦争にいたるアジア侵略の恥ずべき歴史と国内の治安弾圧の暗黒の歴史を、「近代の幕開け以来の苦闘に充ちた我が国の歴史」と、まさに「つくる会」教科書と同様の帝国主義支配階級の視点から総括している。
 そして、「司法制度改革の根本的な課題」は、「法の精神、法の支配がこの国の血となり肉となる」こと、「『この国』がよって立つべき、自由と公正を核とする法(秩序)が、あまねく国家、社会に浸透し、国民の日常生活において息づくようになる」ことであると規定する。これまでの社会では、゛法の支配が血肉となっていなかった。法(秩序)が浸透していなかった゛、つまりアジア人民、日本人民が侵略と暗黒支配に抵抗して闘ったからだと悪罵を投げつけ、それを二度と許さないのが司法改革の目的だと宣言しているのである。
 司法部門は「国会、内閣(政治部門)と並ぶ柱」であり、「政治部門が心臓と動脈に当たるとすれば、司法部門は静脈」と、帝国主義の支配に貢献する司法の役割を前面に掲げている。「司法改革」はそうしたものとして、「先行して進められてきた政治改革、行政改革、地方分権推進、規制緩和等の経済構造改革の一連の改革と有機的に関連」する「諸改革の『最後のかなめ』」と位置づけられているのである。
 さらに重要な点は、意見書が、「諸改革は、国民の統治客体意識から統治主体意識への転換を基底的前提とするとともに、そうした転換を促そうとするもの」とし、「国民自らが統治に重い責任を負」うことを要求していることだ。
 支配・被支配の関係を抹殺する虚偽のイデオロギーの上に、日帝の支配に従うだけでなく、支配維持のために積極的に行動する人民、戦争にあたって積極的に命を投げ出す人民となれと主張しているのだ。
 戦前・戦中の社会では反戦・反政府の言動をとりしまるために「密告」が人民に奨励されたが、そうした警察国家を再びつくりだすことを目指しているのだ。
 司法審最終意見書は、日本の司法制度を戦時司法制度へと全面的、根底的に転換していくことを狙う恐るべき攻撃である。

 司法報国運動=法曹の戦争動員

 さらにこの攻撃は、司法における翼賛運動・報国運動の開始、弁護士など法曹の戦争動員を目指すものと言わなければならない。
 戦前の天皇制暗黒支配において司法が果たした反人民的役割、戦争翼賛の歴史に対する反省から、戦後、司法の独立が規定され、裁判官の独立=裁判官会議と弁護士自治とが生み出された。
 しかし七〇年代、日帝支配階級の「偏向裁判」キャンペーンの中で、裁判官会議は実質的に機能を失い、勤務評価制度の導入による人事権を振りかざした最高裁の裁判官統制の強化、司法の反動化が進んできた。これこそが現在の冤罪多発、有罪率九九%以上、長期勾留の常態化=人質司法などの暗黒裁判を生み出しているのである。
 意見書は、そうした現実を居直り、沈黙するばかりか、人事評価についての「透明性・客観性の確保」を口実に、逆に裁判官統制の一層の強化、裁判官独立の最後的解体を狙っているのだ。
 また意見書は、「弁護士制度の改革」として「弁護士の役割は、『国民の社会生活上の医師』たる法曹の一員」と裁判官、検察官との一体性を強調する。支配の危機として表面化する犯罪や紛争を社会の「病」だとナチスまがいに主張し、その撲滅を「社会的責任(公益性)」として弁護士に要求するのだ。
 そしてそのような支配に奉仕する弁護士を生み出すために、ロースクール導入と弁護士の大幅増員=過当競争の強制によって弁護士を経済的に追いつめ、公務就任や営業許可の制限緩和によって権力と大企業のもとに弁護士を取り込んでいこうとするのである。
 さらに決定的な攻撃は、弁護士自治の破壊である。
 意見書は、「弁護士会運営の透明化」「情報公開」を要求して弁護士会への権力の介入を容易にすることを狙うだけでなく、綱紀委員会への第三者の参加や懲戒請求者の綱紀委員会の議決への異議申し立て却下に対する別の機関への不服申し立て制度の導入を主張して、弁護士自治を形の上でも破壊しようとしている。
 支配に奉仕する司法、戦争体制に奉仕する司法の上に、民事や労働関係では、資本や国家権力に都合の良い形での訴訟の「迅速・適正な解決」が主張されている。刑事では適正かつ迅速な刑罰権の実現と称して被疑者、被告人の権利を踏みにじり国家治安維持のための有罪判決をどしどし強行することが主張されている。「市民の司法参加」の名で推進されている裁判員制度なども、こうした目的を貫くためのものであり、冤罪や人権侵害を防ぐものではまったくない。
 「司法改革」攻撃は、その根底的立場、イデオロギーからして反労働者的、反人民的であり、個々の具体的制度をどのように変えようとその性格は変わらない。全面粉砕あるのみだ。
 破防法・組対法に反対する共同行動が呼びかける「国際的組織犯罪条約批准阻止 『司法改革』反対」霞が関第一波デモ(九月二十日午前十一時四十五分、日比谷公園霞門)に全力決起し、「司法改革」攻撃を粉砕しよう。(平島祥二)

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週刊『前進』(2022号6面2)

杉並・「つくる会」教科書阻止闘争の総括
 全国的焦点の杉並で突破口
 大衆行動が情勢動かす/絶対阻止の立場/アジア人民との共同闘争
 革共同・東京西部地区委員会

 東京・杉並における「つくる会」教科書採択阻止の勝利は、全国情勢を決する決定的な勝利であった。革共同東京西部地区委員会の総括と闘いの決意を掲載します(編集局)

 7・25採択阻止の勝利

 七月二十五日、杉並区教育委員会で行われた中学校教科書の採択審議において、ついに「つくる会」教科書の採択は阻止された。
 「扶桑社の歴史教科書の中には物語が十分に盛り込まれている。充分討議して取り上げるに値する教科書」(大蔵雄之助)、「扶桑社の歴史教科書が最良。子どもたちに明るい気持ちを持たせる教科書だ」(宮坂公夫)と、五人の教育委員のうち二人が公然と「つくる会」教科書を支持する中での勝利だった。
 その瞬間、ともに闘ったすべての人びとは拍手し、肩を抱き、手を握りあった。前日の五百五十人余の「人間の鎖」行動に続き、傍聴に入りきれない数百人が注視し、一週間前から座り込みを続けた保護者、教育労働者が総決起した。文字どおり大衆行動が情勢を揺り動かし、《阻止》という勝利をつかんだのだ。
 「よかった。これからも日本の人びとと友人でいられる」――これは区内の在日朝鮮人の直後の率直な言葉だ。在日朝鮮人、在日中国人の叱咤・激励が日々寄せられる中で闘った、国際主義的共同闘争であった。
 勝利した瞬間、多くの人が「闘いは始まったばかりだ」と直感した。それは一カ月を過ぎた今、確信となっている。「『つくる会』教科書を絶対使わせない」という闘いは今、「つくる会」の思想、目的との非和解的闘いへと突き進み、この教科書と同時に登場した小泉政権と対決する巨大な分岐と高揚へ向かって大きく発展しようとしている。

 東京―杉並が決戦場に

 「つくる会」は東京を攻撃の焦点にすえた。とりわけ、原水禁運動の発祥の地であり、わが革共同が革命的議会主義をもって全国に先駆けて闘ってきた杉並をターゲットにした。
 九九年、「つくる会」賛同者の石原が都知事に座り、ただちに教育委員を入れ替え、ブレーンに「つくる会」理事・藤岡信勝や小林よしのりを加えた。
 同時に杉並では「つくる会」の有力スポンサー・松下政経塾出身の山田宏が区長になり、「今の歴史教科書はひどい」と言ってはばからなかった。山田は昨年三月、「つくる会」系の教科書採択に関する請願を採択し、採択要綱を改悪、学校票を事実上廃止して現場教員の採択権を奪った。
 さらに山田区長は昨年十一月、「採択は現場教師の意向を重視すべき」と主張した教育委員ら三人を解任し、佐藤欣子、大蔵雄之助、宮坂公夫の三人に替えようとしたのである。結柴誠一区議と新城節子区議は議会内外の先頭で闘いぬいた。その結果、反動としてあまりに有名な佐藤は取り下げたが、勝共連合機関紙「世界日報」の常連執筆者の大蔵、「日の丸園長」と呼ばれた宮坂の二人は強引に選任された。議会の過半数の賛成も得られない中での強行だった。

 検定合格と小泉の登場

 四月三日、「つくる会」教科書が検定に合格し、全世界で「検定合格弾劾」の闘いが一気に拡大した。むきだしの国家主義と天皇制イデオロギーが「教室の中」という形で民衆の地肌に迫ってきたのだ。
 われわれは「採択絶対阻止」の立場を鮮明にさせ、「つくる会」教科書を区民とともに読み、批判することから闘いを開始した。
 教育労働者、地域・街頭、保護者の中へ。議会では最先頭で闘い、常に区民の中に「絶対阻止しよう」という意思と行動を組織しようと闘った。敗北主義や武装解除をたたき出し、今日の日帝危機のもとでの教科書攻撃の意味をしっかり見すえ、何よりも運動のダイナミズムに確信をもつことが重要であった。
 同時に決定的だったのが、アジア人民との連帯闘争である。杉並で行われた教科書集会の中で、ある在日朝鮮人は静かな口調ながら厳しく語った。「各国からの批判に対する『内政干渉』論自身が問題であり批判されるべきだ。植民地支配の歴史を教えないならば、植民地支配の数十年の歴史を韓国では子どもたちにどう教えるのか。歴史とは日本でも韓国でもどの国の人でも共有されるべきものではないのか」
 多くの区民が韓国の金泳鎭(キムヨンジン)国会議員のハンストや日本軍軍隊慰安婦とされたハルモニの決起の現場に駆けつけ、電撃を受けたように自らをふるい立たせた。「自分の地域でこんな教科書を使わせたくない」という出発点から、次第に「これは教育問題のレベルをこえている。戦争しようということだ。このような教科書を使おうという社会を変えなければ。全国の人びとやアジアの人びとも杉並に注目している。絶対阻止しよう」、こうした主体を生み出していった。地域住民の闘いとの合流をとおして、教育労働者の中にも反撃のバネが次第に形成されていった。
 都議選の真っ只中、都政を革新する会と議員団は区議会本会議・文教委員会を舞台に論陣をはり、また教育委員会に繰り返しデモで押しかけて闘いぬいた。
 「つくる会」派の自民党区議は、次第に顔色がさえなくなっていった。都革新は六月十三日には、欠員の教育委員の選任問題をテコに議場を席巻し、傍聴席をあふれるほど埋め尽くした区民とともに闘いぬいた。
 大衆的創意的な闘いが区内外で発展した。正面から「採択阻止」を提起することで、危機感が高まり、団結が拡大した。区民から次々闘いが提起され、次の闘いを呼び起こしていった。地域、職場、サークルで学習会や集会が行われ、交流が進み、議会や教育委員会へ押しかけ、申し入れ、署名、座り込み、教科書展示会への取り組みなど、あらゆる闘いに発展した。
 闘いは国家権力の家宅捜索、デッチあげ弾圧を打ち破って進み、「つくる会」は街頭でしょぼくれた姿をさらして反感を買い、闘う側の戦意が圧倒した。
 日共スターリン主義は「つくる会」との対決から逃げ、様子をうかがって狭い党派利害から利用するという姑息(こそく)な対応で怒りをかった。ファシスト・カクマルは、危機感丸出しで、教育労働者に差出人不明の謀略ビラを送りつけ、誹謗中傷と過激派キャンペーンに必死になった。
 教育労働者を始め多くの労働者、住民は、これらを踏みしだいて決起し、大衆的な党派闘争、流動と再編をつくり出した。
 六月都議選の敗北はこうした闘いの最中であっただけに厳しい打撃だったが、その総括もかけて絶対に負けられない決戦となった。
 「杉並で絶対阻め、情勢をつくれ」――全国の先頭に立ち、戦線を思い切って広げることをとおして、長年の地域活動の蓄積が開花した。日教組破壊攻撃と闘う教育労働運動の新たな突破口も切り開かれた。「日の丸・君が代」闘争を引き継いで、勤評闘争以来の地域闘争の端緒となった。
 こうしてかちとった杉並の勝利は、全国の区市町村すべてで「つくる会」教科書採択を阻止した勝利の重要な環となったのである。

 改憲阻止闘争の爆発へ

 教科書と教育をめぐる闘いは、すべての人民に「国際プロレタリアートとともに生きるのか、帝国主義のもとに屈するのか」を突きつけ、全世代・全階層を巻き込んだ巨大な分岐と高揚をつくり出す。国際主義的共同闘争をさらに強めよう。運動の中からは「つくる会」教科書の『絶版』を求める提起が行われている。教科書闘争の永続的発展へ突き進もう。採択権を現場教員の手に奪還しよう。東京都教委・愛媛県教委の採択を撤回させよう。「つくる会」教科書を葬る全国的な闘争を改憲阻止闘争の爆発に発展させよう。
 闘う教育労働者の決起を柱に階級的労働運動をつくりだそう。レーニン主義の党をつくろう。西部地区委員会は都議選敗北を徹底して総括し、のりこえて、闘いの先頭に立つ。

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週刊『前進』(2022号6面3)

10・7三里塚全国集会へ 反対同盟からのアピール(上)

 十・七全国集会に向けた反対同盟からのアピールを二回にわたって紹介します。全力で結集しよう。(編集局)

 闘えば勝利できる 事務局長 北原 鉱治さん

 三里塚は、三十六年目の闘いの秋が訪れている。
 国土交通省は当初予定を前倒して、、来春四月二十日の開港宣言を発している。しかしはっきりさせたいことは、成田空港建設の当初の事業計画は破産に追い込まれ、平行滑走路二千五百bは、反対同盟の理と正義に打ち負かされ、二千百八十bという前代未聞の中途半端な暫定滑走路をつくる以外に方法は見出せないという結果に終わったにすぎないということです。
 中途半端な暫定滑走路の実態を見れば、国際的にも疑問を持たない国はない。
 サッカー・ワールドカップに向けて、国際信用問題として、暫定であれなんであれ、なんとしてもつくらなければならないという政府の追い詰められた姿は、現地を見れば一目瞭然だ。
 現在の航空産業界では、航空機はますます大型化の時代に入っている。五百人乗りの航空機では、運賃などを含めて、現在の航空産業界においてはメリットがない。千人乗りの旅客機を飛ばさなければ国際的に通用しない。したがって二千百八十bの暫定滑走路は、立ち遅れの最たる滑走路であることはみなさんも周知のことです。
 ワールドカップ前の開港を政治的もくろみでアピールし、前倒し開港に全力を尽くしているが、たとえ開港しても現在の航空産業界においては無用の長物になることは必然的である。
 しかも、国家暴力をもって滑走路をつくるという方法と手段は、日本の民主主義の貧弱性を満天下に明らかにしたのです。村の総有財産である東峰神社の立ち木を突如、一片の通知もなく伐採し、万人ともに許せぬ国家暴力による住民圧殺の暴挙を行ったのです。こういう国家権力の暴挙を許せば、日本の将来はないということは、反対同盟を先頭に全国の労働者・学生・市民が三十六年間闘ってきた歴史が証明している。
 三里塚に思いを寄せる多くの人びとに訴えたいことは、闘えば勝利できるということです。三里塚が勝てば、日本の将来は変わるという強い自信を持って十・七全国集会に結集されることを心から訴えます。
 三里塚は、人民の反戦の砦として闘い続けています。最近は「新しい歴史教科書をつくる会」なるものが、かつての戦争の事実を根本から変えようとしました。その内容たるや、アジア・太平洋の人民に対する侵略と虐殺、略奪というアジアへの侵略戦争の歴史を根本から塗り変えようとする戦争賛美のものです。大きな犠牲を受けた朝鮮や中国、アジアの人びとが、日本に対して抗議と弾劾の声をあげています。
 そうした中で、有事立法・改憲の動きも強まっている。かつての第二次世界大戦前夜のような状況下へと日本は向かっているのではないか。
 日本の敗戦後、憲法九条は最低限必要なものとしてつくられた。その憲法さえも変える動きが出ています。どんなことがあっても九条だけは守らなければならない。三里塚は、沖縄や北富士とともに反戦・反基地闘争を闘い続けてきました。現在、小泉政権が何をやっているのか。三里塚を見れば一目瞭然です。日米共同演習の時には米軍は、成田空港から全国各地の米軍基地、自衛隊基地に行っている。成田空港から米軍・自衛隊が、アジア侵略をしようとしていることが新ガイドラインの中ではっきりと見えてきた。
 今こそ、声あるものは声を、力あるものは力を。日本の未来のために決起しなければならない時代が来た。反対同盟は、成田空港の建設を阻むことで日本の未来をつくることを確信して闘いぬいています。
 十月七日に現地で全国集会を開催します。全国の皆さんの結集を訴えます。

 絶対出ていかない 敷地内・天神峰 市東孝雄さん

 最近は滑走路の周りの道路の工事をやっている。家の近くで夜十時ころまで工事をやっていたこともある。抗議したので夜は工事しなくなりましたが。
 公団は、もう完成するようなことを言っているけど、全然違います。日曜日も工事しているのを見ると、相当あせって工事している。本当は夜も工事したいのだと思います。政府や公団は、言っていることとやっていることは違いますからね。
 テスト飛行をすると言っているけど、いくらひどい騒音を出されても、私は、この土地を絶対に売らないし、出ていかない。政府や公団は、二千百八十bの暫定滑走路では実際にはほとんど役に立たないので、結局どうしても二千五百bの滑走路をつくりたいんですよ。テスト飛行を一カ月早めたのも、実際に飛行機を飛ばして農民を追い出すための時間稼ぎです。
 政府や公団のやり方はいつもそうです。東峰神社の立ち木を伐採した時も、私がいない時にやった。常套手段なんです。
 暫定滑走路の完成と十月の集会がちょうどぶつかります。十月七日の全国集会には、全国から現地に来て天神峰や東峰が現在、どういう状況なのか見てもらって、ともに闘ってほしい。
 テレビや新聞の報道では現地の現実はわからない。報道と現実の違いがあります。歯がゆい気持ちにもなります。実際に現地に来てみないと、新聞に書いてあることだけではわからないこともあります。なかなか真実が報道されていない。どうしても権力側の報道になりやすい。東峰神社の立ち木伐採くらいの暴挙になるとある程度、新聞などにも事実が書かれるけど、他のことはほとんど書かれない。反対派農民の声なんてほとんど書かれない。書いてくれればもっとわかってもらえるのにと思います。
 ここでは米だって野菜だってできるのだから、農業をやって生活して、最後まで闘っていきます。どんな状況になってもがんばっていく。いろいろ言われるけど、私はそういう生き方をとったんです。
 小泉政権の正体もだんだんわかってきている。支持率もどんどん下がっていますね。国民になんでも我慢しろなんて、無理ですよ。こんな景気が悪くて厳しい時に。郵政や特殊法人の民営化なんて言っているけど、結局は労働者の首切りでしょ。虫がいい話です。
 土地収用法も改悪されて、沖縄の基地の問題や一坪共有地運動など厳しい状況です。この間のインドへの自衛隊の輸送機の派遣に続いて、また自衛隊が東ティモールへ行く話も出ています。最終的には軍事空港ということです。反対同盟が軍事空港反対と言ってきたことの意義は大きいと思います。
 全国のみなさん。敷地内でがんばってやっていきます。十・七全国集会には、一人でも多く現地に来て下さい。

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週刊『前進』(2022号6面4)

広島 “有事演習許すな” 反戦共同行動が決起

 広島県呉市の海上保安大学校で八月二十八日、広島県主催の「防災訓練」と称する自衛隊の有事出動訓練が行われた。また九月三日には広島市主催の有事出動訓練が、広島市広域運動公園で行われた。広島反戦共同行動委員会は、断固たる粉砕闘争に決起した。
 訓練はいずれも自衛隊主導の有事治安出動演習で、「防災」に名を借り、労働者や学生、市民を動員して行われた。特に二十八日の訓練は、強襲揚陸艦「おおすみ」とエアクッション艇LCAC二隻を動員した軍事演習として強行された。またトリアージ(戦時医療)訓練が組み込まれた文字どおり戦時型の治安出動演習だった。
 これに自治体・医療・運輸・NTT・中国電力・建設・水道などの労働者、さらに広島修道大学などの学生、近隣の小学生までもが動員された。まさに新ガイドライン発動のための演習であり、有事立法の先取りの攻撃だ。
 広島反戦共同行動委員会は広島県と広島市に、演習中止を求めて申し入れを行い、当日の粉砕闘争に決起した。会場に肉薄して「自衛隊の有事出動演習を許すな!」という横断幕を掲げ、シュプレヒコールをたたきつけた(写真)。参加者にはビラが次々と渡され、「有事出動演習への参加を拒否しよう!」と訴えた。
 広島反戦共同行動委員会はこの秋、有事立法阻止・改憲粉砕の革命的大衆行動の最先頭で闘う。

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週刊『前進』(2022号6面5)

クラ討で自分さらけ出しぶつかれ
 全学連第61回大会 鎌田元委員長のあいさつ

 九州大学の自治会の権力をとったと聞いたときは、独房の中で思わず歓喜の声をあげた。広島大学でも自治会が再建された。このすばらしい闘いを実現している全学連の学友諸君に、心から敬意を表したい。
 あらゆる思想傾向をもった人たちが集まっているキャンパスに行って、クラスに行って、そこで徹底的に自分をさらけ出して、ぶつかってくる。これが学生運動の基本中の基本だ。クラス討論に行って、粉砕されるっていうのは当たり前のことで、僕らは「粉砕されたら泣いてこい」というふうに言われた。こうした中で学生運動の思想性とか政治性の高さが獲得される。
 労働者階級の階級的利益に、とことん立ちきった大衆的闘いを学生が実現したときに、青年労働者も怒りをもって立ち上がってくる。一九八五年の秋の闘いがまさにそうだった。
 今、小泉反革命が、虚偽のイデオロギーをばらまいて、祖国防衛主義・愛国主義、国家主義・排外主義をばらまいている。しかしこのこと自身が、実は帝国主義の激しい危機の現れだ。
 こういう時代こそ、マルクス主義、革命の思想が光輝く時代だ。人民の血を吸って生きる以外にない帝国主義に対する人間的な怒り、階級的な怒り、それを本当に爆発させて闘おう。
 今はすでに平時ではない。内乱に向かっての過程が始まったということだ。内乱の本質は、革命と反革命が大衆を奪い合うということである。全学連を先頭に、反戦闘争の戦闘的爆発をつくり出すことができるならば、大衆を革命の側に圧倒的に獲得することは絶対にできる。
 また十・二〇三里塚戦闘や十一・二九浅草橋戦闘のような闘いをやろう。私も必ず戦線に復帰して、諸君の先頭で断固として闘いぬく。

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