ZENSHIN 2001/12/10(No2033 p08)

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週刊『前進』(2033号1面1)

革共同の12月アピール
アフガン反戦闘争の爆発へ
 1月国労決戦勝利へ進撃し 労働運動の新潮流の拡大を
 闘う労学は革共同に結集せよ

 十一月二十五日は、日本帝国主義が自衛隊をアフガニスタンに派兵し、米帝の侵略戦争に参戦した許すことのできない日として歴史に刻印された。われわれはこの日、反戦共同行動委員会に結集する学生、労働者人民とともに「テロ対策特措法」の基本計画に基づく自衛隊艦隊の侵略出兵を阻止する闘いを、佐世保・呉・横須賀で打ちぬいた。とりわけ、佐世保では全国から結集した全学連が米軍基地ゲートに突撃し、機動隊を圧倒する闘いを繰り広げた。二隻の船による海上デモは、海上保安庁の巡視艇の弾圧をはねのけ護衛艦(駆逐艦)「さわぎり」にぎりぎりまで肉薄した。闘うイスラム諸国人民と連帯し、帝国主義の侵略戦争を内乱に転化する気迫をもって陸海ともに激しい実力闘争を闘い、侵略派兵実力阻止の新たな闘いの第一歩を踏み出したのである。

 第1章 アフガニスタン・中東侵略戦争と徹底対決を

 二〇〇一年も余すところ一カ月。〇二年の闘いに向かってこの十二月の闘いの位置は決定的である。その観点から現在の情勢に関して第一に確認したいことは、九・一一−十・七をもって世界史が第三次世界大戦に向かう後戻りできない過程に突入したのだということである。
 その最大の焦点であるアフガニスタンの最新情勢はどうなっているのか。
 一つは具体的な戦局である。十月七日以来の米英軍の攻撃と北部同盟軍の攻勢によって、この間、首都カブール支配の崩壊、クンドゥズの陥落、拠点カンダハルでの攻防が続いている。米軍は、B52戦略爆撃機によるじゅうたん爆撃、すさまじい破壊力と殺傷力をもつ燃料気化爆弾、さらにクラスター爆弾やバンカーバスター爆弾など、あらゆる種類の大量殺りく兵器を繰り出して、タリバン勢力とアフガニスタン人民の大量虐殺、皆殺し戦争を日々強行しているのである。
 米特殊部隊がカライジャンギの捕虜収容所でのタリバン兵士七百人の反乱鎮圧(全員虐殺!)の先頭に立ったり、千六百人規模の海兵隊を投入するなど民族皆殺し戦争にますますのめりこんでいる。そのために中央アジア諸国の基地利用―実質的支配も拡大しようとしている。
 このような厳しい戦局の中で、アフガニスタン人民は懸命に帝国主義の侵略、皆殺し攻撃と対決して闘っている。
 他方、パレスチナではこの間、登校途中の小中学生五人がイスラエル軍の地雷によって虐殺されたり、ハマスの幹部がイスラエル軍ヘリからのミサイル攻撃によって虐殺されるという事件が相次いだ(十一月二十二、二十三日に十二人が虐殺された)。これに対してパレスチナ人民は不屈に反撃している。
 また、九・一一を転機に「アメリカ帝国主義なにするものぞ」という機運が高まり、アジア―世界各国で民族解放の闘いがさまざまな勢力と形態で闘われ始めている。そして、アメリカ人民の反戦闘争が力強く発展している。
 これらの闘いと連帯して、日本における労働者・労働組合の反戦闘争への決起が「テロ弾劾・根絶」キャンペーンへの屈服を打ち破って、次第に力強くかちとられつつある。
 二つは、十一月二十七日からドイツ・ボンで始まった暫定政権づくりを話し合う各派による代表者会議である。
 これは国連が主導したものであるが、支配地域が各派による群雄割拠状態になっていることから、支配の安定化は望みえず、九二年ナジブラ政権崩壊後以上の内戦の発生と激化しかもたらさない。
 国連はパシュトゥン人勢力も取り込んだ連立政権樹立を目指しているが、国外在住のパシュトゥン人勢力だけでは問題は何ひとつ解決せず、この構想の行きづまりと破綻(はたん)は時間の問題だ。
 三つは、帝国主義によるアフガニスタン復興会議の動向である。米帝主導で先月二十日にワシントンで日米共催の高級事務レベル会議が開催されたが、英仏はこれに対して強い異論を唱えた。
 「人道・復興支援」の名のもとにアフガニスタン再分割戦が激化している。来年一月には閣僚級会議が日本で開催されることになっており、日帝はアジア開発銀行も水路にして再分割戦の主導権を握ろうと画策している。
 また日帝は、中央アジアに対しても、キルギスとの外相会談、日ロ定期協議発足(来年一月)などという形で介入と侵略の足がかりをつくろうとしている。
 四つは、米帝ブッシュの侵略戦争拡大方針である。ブッシュ大統領は「すべての脅威をつぶすまで安全とは言えない」として、イラクを始めソマリア、スーダン、イエメン、フィリピンなどへの攻撃を準備していると公言している。
 米帝は、日帝など他帝国主義を蹴落として争闘戦に勝つために、世界で侵略戦争を次々と引き起こすことを決断している。その中で第三次世界大戦突入の現実性はいよいよ高まっていくのである。

 排外主義と治安弾圧 入管法・入管攻撃の激化を絶対に許すな

 「テロ対策法」下、自衛隊の侵略参戦派兵で国内情勢は完全に一変した。治安弾圧攻撃、排外主義攻撃が一挙に激化している。とりわけ退去強制乱発を狙った入管法改悪を始めとする入管攻撃が激しく吹き荒れている。十一月二十九日には朝銀東京の破綻を口実に朝鮮総連への一斉捜索弾圧が行われ、難民申請中のアフガニスタン人に対する申請却下−入管センターへの移管−強制送還の切迫など、全国で家宅捜索、収容、逮捕の攻撃が嵐(あらし)のように強行されている。
 日本の労働者人民は、こうした大攻撃を許さず、断固闘わなければならない。アフガニスタン侵略反戦闘争の一環として、在日・滞日アジア・イスラム諸国人民を防衛しなければならない。
 第二に確認したいことは、米帝経済と世界経済が大恐慌に突入することが不可避な情勢に入っていることである。
 全米経済研究所は先月二十六日、アメリカ経済がすでに三月から景気後退期に入っていたことを発表した。九一年四月以来の景気拡大はちょうど十年で終わったことが確認された。そして、九・一一―十・七情勢がこの景気下降をますます加速させており、景気後退の長期化が確実視されている。鉱工業生産指数は十月までで十三カ月連続の前月比マイナスであり、三〇年代の大不況時の十五カ月連続に迫っている。
 他方、ユーロ圏十二カ国も経済成長見通しを四月時点の予測から一・二ポイント下方修正しており、ドイツは七―九月期にマイナス成長に転落した。日本のGDP成長率も〇一、〇二年連続でマイナスになると予測されている。アジア諸国も軒並み下降し、台湾は戦後初めてマイナス成長に転落する。
 まさに「アメリカ発世界恐慌」が現実化しようとしているのである。
 こうした世界同時不況の進行の中で、日帝・資本は一大資本攻勢をかけてきている。十月の完全失業率は前月比〇・一ポイント増の五・四%、特に男性は一気に〇・四ポイント悪化して五・八%に達した。NTTの十一万人削減のリストラ攻撃は、情報通信産業の生き残りという国家戦略の成否をかけたものとして、小泉構造改革の最先端に位置する歴史的な攻撃である。
 資本攻勢の野放図な展開は、連合の裏切りによって支えられている。その企業防衛主義はすなわち国益防衛=祖国擁護であり、戦争翼賛・協力への道だ。連合など既成労働運動指導部の春闘解体策動を打ち破って、労働者の怒りの先頭に立って〇二春闘の高揚をかちとろう。
 第三に確認したいことは、アフガニスタン・中東侵略戦争と世界大恐慌情勢の進行の中で、帝国主義間争闘戦がこれまでのレベルを超えて激化していくことである。
 アフガニスタン侵略戦争をめぐっては、アメリカが三万二千人以上、イギリスが二万四千人、フランスが二千人、ドイツが三千九百人、イタリアが二千七百人の派兵を実施ないし決定している。日本もこれらに遅れてはならじと千五百人規模の派兵を強行した。ロシアも派兵した。イギリスはカブールに、フランスはマザリシャリフにと「分割統治」の既成事実をつくり出そうと策動している。
 さらに、復興会議をめぐっても日米欧帝国主義間の再分割戦の火花は激しく散っている。今後、中央アジアの石油・天然ガス資源の争奪戦もからめて全面的に激化することは不可避である。
 日本の労働者人民は、闘うアフガニスタン人民、イスラム諸国人民と連帯して、帝国主義のアフガニスタン・中東侵略戦争を粉砕するために総決起しよう。そしてアメリカ、日本、ヨーロッパ各国、全世界の労働者人民の反戦闘争との結合をつくり出し、国際連帯闘争の前進を切り開くことで、アフガニスタン・中東侵略戦争を国際的内乱に転化せよ。

 第2章 21世紀革命の勝利開く闘う労働者党建設せよ

 戦争と恐慌の時代の到来、世界戦争か世界革命かの歴史選択が突きつけられる
時代への突入にあたって、闘う労働者・学生・市民の皆さんに、革共同に結集しともに闘うことを呼びかける。
 革共同とはどのような党か。
 第一に、革共同は五月テーゼを掲げて闘っている党である。
 五月テーゼとは何か? 九一年一・一七イラク・中東侵略戦争として突き出された米帝の世界支配の危機と侵略戦争・帝国主義戦争の現実化という情勢の激烈な進展に対応し、革命的労働者党として前進・飛躍しようと九一年五月に打ち出された基本路線が五月テーゼである。
 九一年から十年、帝国主義と旧・残存スターリン主義、新植民地主義体制諸国は当時とは比べものにならない深刻な破局的危機と階級的激動の中にある。「帝国主義世界戦争への前段的突入過程において、すでに重大な革命的情勢が到来する」ととらえ、「全人民的蜂起(一斉武装蜂起)に向かって、(イ)情勢を成熟させ、(ロ)党を建設し、(ハ)党と階級の態勢をつくりあげていく」、そのために「労働者の中へ」の闘いをやりぬいていくという五月テーゼの真価を発揮すべき情勢が今まさにやってきているのだ。(五月テーゼは『清水丈夫選集』第一〇巻に収録)
 第二に、革共同は今年前半期にかちとった第六回大会において二十一世紀革命の展望を明らかにした。
 われわれは第二報告「二〇世紀の総括と二一世紀革命の展望にかんする革共同の基本的見解」において、ソ連スターリン主義の崩壊と現代世界の展開基軸の転換を踏まえて、二十世紀を総括し新たな時代認識を確立し、二十一世紀革命論=反帝・反スターリン主義世界革命論を内容豊かに打ち出した。
 そして主体的側面に関しては、第一報告「総括と党建設の基本的諸問題」において、対カクマル戦の歴史的勝利の情勢を切り開いたことを圧倒的な確信をもって総括し、他方で、創成以来四十年余の党史を展開し、その世界革命の思想、理論と実践、革共同そのものへの確信と関心を呼び起こしている。(『大会報告・決定集』上下巻参照)
 われわれは、第六回大会をかちとり、その路線のもとでの武装を進めていたからこそ、九・一一―十・七情勢の到来に正しく、鋭く対応できたのである。
 この世界戦争か世界革命かという歴史を分岐する情勢を前にして、まさに「『歴史的存在としての革共同』が革命精神をたぎらせて一個の勝利的貫徹者として階級戦の戦場に躍りで」るべき時がやってきたのである。
 そのことを踏まえて、われわれは二十一世紀早期に革命は実現できるという確信に燃えて、労働者人民にとって唯一無二の存在として立つ決意である。革命の現実性を肌で感じ、反戦闘争や労働組合運動などの革命的大衆行動を全面的に発展させていく決意である。
 第三に、九・一一―十・七情勢下で、革共同は、「闘うイスラム諸国人民と連帯し、帝国主義のアフガニスタン侵略戦争を阻止せよ」のスローガンを掲げて闘ってきている。
 九・一一反米ゲリラ戦争の本質は、米帝の中東支配とパレスチナ人民への民族抹殺的な大虐殺が進行していることに対するやむにやまれぬ決起である。かつてベトナム反戦闘争において、南ベトナム民族解放戦線の死力を尽くした解放戦争やベトナム人民の焼身自殺の決起を心の底から受け止めたことが、六七年十・八羽田闘争、七〇年安保・沖縄決戦の爆発をかちとる一要因となった。さらには、南朝鮮・韓国の労働者人民の焼身自殺にどうこたえるのかと問題を立てて、七〇年代〜八〇年代の南朝鮮人民との連帯の闘いに立ち上がってきた。
 十九人の九・一一戦士と十三億イスラム諸国人民の叫びを真剣に受け止め、被抑圧民族人民の闘いに感度鋭く、激しく反応し、これと連帯した帝国主義国の労働者人民の闘いを必死につくり出していくことが求められているのである。
 われわれは、九・一一を帝国主義国の労働者人民への弾劾・糾弾として受け止める。すなわち、共産主義者として、数千人の労働者人民が死んだことの重さを引き受け、数万・数十万・数百万の労働者人民の決起をつくり出すことが、われわれの課題である。こうした気迫と内容にあふれた反戦闘争を日本の地からつくり出していく決意である。
 第四に、革共同はアフガニスタン侵略戦争への日本帝国主義の参戦に対して革命的祖国敗北主義の旗を鮮明にさせて闘っている。
 九・一一―十・七情勢の到来は、既成の政党と労働運動、あらゆる党派と潮流をふるいにかけた。ほとんどすべての勢力が祖国擁護派、戦争翼賛派へと最後的な転落を遂げた。
 日本共産党は、「テロリストの逃げ場が地球上のどこにもなくなる状況をつくる」ため、より徹底して「国連による軍事制裁」を行えと提唱している(十月十一日付各国政府首脳への書簡)。日共は、「帝国主義の最後の番兵」としてのスターリン主義の本質をあらわにして、全世界の被抑圧民族人民の闘いの圧殺者、国際反戦闘争の破壊者として登場している。
 革命的祖国敗北主義の闘いの不可欠の一環として、この日共スターリン主義の思想と路線、運動と組織と全面的に対決し、その影響下にある労働者人民の日共からの離反とわれわれの闘いへの合流をかちとろう。革共同は、「労働者の中へ」の闘いをさらに推し進め、その中で社民党・日本共産党との政党間闘争に勝ちぬき、社・共に代わる革命的労働者党としての位置と信頼をかちとる決意である。
 第五に、革共同は日帝国家権力とファシスト・カクマルなど一切の反革命との非和解的な対決を貫徹し勝利する完黙・非転向、不屈の党であり、非合法・非公然体制をもって闘い勝利する党である。
 革共同は、六〇年安保闘争以来、七〇年安保・沖縄決戦、八五年三里塚・国鉄蜂起戦、九〇年決戦と相次ぐ階級決戦を、権力の破防法・騒乱罪弾圧や大量逮捕、虐殺、ファシスト・カクマルを使った白色テロルに何ひとつ屈することなく、巨大な反撃を絶え間なく組織して闘いぬき、今日まできた。
 そして、獄中二十七年目の星野文昭同志、同十五年〜九年の爆取弾圧四同志を始め多くの同志が獄中で闘い、さらに、デッチあげ指名手配攻撃と闘う多くの同志がいる。また、鎌田雅志・元全学連委員長の獄中十六年を先頭に長期の下獄闘争に勝利した同志も数多くいる。かつての日本共産党の「獄中十八年」など完全にしのいでいるのである。
 さらにわれわれは、六九年の本多書記長らに対する破防法の適用以来、非合法・非公然体制を確立し、活動を原則的かつ柔軟に展開し、その蓄積と習熟によって、権力の弾圧も及ばない自由な空間と時間を確保して闘いぬいている。
 「連帯し侵略を内乱へ」の闘いは合法性の枠の中では実現できない。われわれは、非合法・非公然体制とその経験蓄積があることで、権力の一網打尽の攻撃などまったく恐れることなく「連帯し侵略を内乱へ」の闘いを労働者人民に真っ向から呼びかけ、その勝利をもぎとることができるのである。このことが革共同の勝利的前進の基礎にあるのである。
 労働組合の活動家、学生運動の活動家、市民運動の活動家の皆さんに、それぞれの飛躍と挑戦の決意を込めて革共同に結集することを今こそ呼びかける。

 第3章 年末一時金カンパ闘争貫徹し02年決戦勝利へ

 十二月の闘いの課題は何か。
 第一は、米日帝のアフガニスタン侵略戦争の推移に的確に迅速に対応して反戦闘争への決起をかちとることである。
 十一月三十日に強行された自衛隊侵略出兵の国会承認を弾劾し、小牧からの自衛隊輸送機C130発進に対して現地闘争を闘いぬこう。PKO法改悪を許さず、東ティモールさらにはアフガニスタンへの自衛隊派兵を阻止するために闘おう。街頭宣伝活動や署名運動への取り組みをさらに強め、反戦闘争への決起の土壌を豊かにしていこう。
 在日アフガニスタン人民の防衛と支援の闘いを強めよう。戦時下で差別・抑圧・分断攻撃が強まり、恐るべき排外主義攻撃が襲いかかっている。闘う労働者人民の団結を強めて、反撃に立とう。
 反戦闘争の砦(とりで)=三里塚闘争を守りぬき、暫定滑走路供用阻止の四月決戦に向けて大衆的組織化の闘いを推し進めよう。
 第二は、十二・一五獄中同志奪還集会への大結集をかちとることである。
 権力との闘いの最前線にある獄中同志の存在と闘いは、革共同とは何かということを体現している。星野同志、爆取デッチあげ弾圧四同志に代表される長期獄中同志をなんとしても奪還しよう。そして、すべての裁判闘争支援の体制を強化・発展させていこう。そのための出発点として集会の成功をかちとろう。
 第三は、十一月労働者集会の成功を踏まえ、労働運動・労働組合運動への取り組みを一層強化していくことである。
 国労一月中央委員会をめぐる情勢はきわめて流動的であり、決戦は不可避である。国労本部の寺内書記長は「臨大を開き、四党合意に基づく解決案を丸のみする」「従わない組合員は統制処分だ」と公言している。十二月「ゼロ回答」提示、一月臨大策動を絶対に許すな。追いつめられたチャレンジと久保革同による闘争団切り捨てと国労自己解体の反動的策動を打ち砕き、現執行部を打倒し、闘う路線と執行部を確立しよう。十二月の闘いが決定的だ。
 そして、すべての産別をめぐって資本・当局との決戦攻防が訪れている。既成指導部の腐敗と裏切りを打ち破って、〇二春闘を牽引(けんいん)し、闘う労働運動の新潮流の大前進をかちとろう。
 第四は、年末一時金カンパ闘争への総決起をかちとることである。
 今日の激動的情勢に見合った革命的大衆行動(―蜂起)を組織することから逆規定した財政政策を確立し、それを非妥協的に貫徹していく計画性と目的意識性が中央―各級指導部に求められている。〇二年の大情勢の進展と階級決戦情勢の成熟を展望した時、年末一時金闘争での目標の実現なしには一切は空語であることを厳しく確認しよう。
 すべての闘う労働者・学生・市民の皆さん。〇二年決戦勝利のために一時金カンパを革共同に寄せることを訴えます。

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週刊『前進』(2033号1面2)

佐世保・呉・横須賀で決起
 自衛隊艦隊の侵略出兵阻止 全学連を先頭に陸海で 写真特集へ

 十一月二十五日、掃海母艦うらが(五六五〇d)、護衛艦さわぎり(三五五〇d)、補給艦とわだ(八一〇〇d)が、それぞれ神奈川県・横須賀、長崎県・佐世保、広島県・呉の海上自衛隊基地から出航した。反戦共同行動委員会は、この侵略出兵を弾劾する激しい抗議闘争を各基地で行い、日帝のアフガニスタン侵略戦争参戦を粉砕する突撃路を開いた。
 佐世保では、全国から結集した反戦共同行動委員会の学生と労働者三百二十人が陸上と海上で果敢に闘いぬいた。全学連は機動隊に正面から激突して佐世保基地に突撃して闘った。海上では反戦共同行動委の抗議船が、海上保安庁の船艇とぶつかり合い、護衛艦さわぎりの航路に何度も立ちふさがって、自衛官に出兵拒否を呼びかけた。
 呉では、補給艦とわだの出兵に対して、全国被爆者青年同盟を先頭に反戦共同行動委が海と陸で怒りの阻止闘争に立ち上がった。
 横須賀では、神奈川労組交流センターと反戦自衛官、婦人民主クラブ全国協が市民グループと合流し、掃海母艦うらがの自衛官に反戦を呼びかけ、出港阻止を闘いぬいた。
 日帝が戦後憲法を強権的に突き破って、アフガニスタン侵略戦争参戦に踏み切ったのだ。しかも、これら海自艦隊は、アフガニスタン人民を大虐殺するための殺人兵器や燃料を米艦船に運び込むのだ。自国帝国主義の暴挙を絶対に許すことはできない。この日の闘いは、まさに人民の怒りと危機感と絶対阻止の決意の爆発としてかちとられた。
 闘いの高揚の対極で、惨めな姿をさらけ出したカクマルは、右翼ともども闘う人民の弾劾の的であった。

 PKO法改悪を阻止しよう

 日帝・小泉政権はこれを突破口に侵略派兵のエスカレートを狙い、有事立法・改憲=軍事大国化の攻撃を画然と強めている。さらにかいらい政権づくりにも参画し、中央アジアの再分割戦に食い込もうとしている。日帝は米英帝国主義と肩を並べる凶悪な帝国主義として登場し、アフガニスタン人民の虐殺と民族抑圧を行おうとしているのだ。
 われわれは十一月二十五日を絶対に忘れない。佐世保での実力闘争を引き継ぎ、全学連を先頭に何度でも機動隊と激突し、七〇年安保闘争を超える実力阻止闘争の爆発をかちとる。
 アフガニスタン人民は虐殺攻撃のもとで飢えと寒さに耐え、ゲリラ戦を展開して、帝国主義軍隊と最後まで闘いぬこうとしている。この命をも投げうった英雄的な闘いになんとしてもこたえなくてはならない。
 この日の実力闘争で突破口は切り開かれた。闘えば勝てる実感をつかんだ。基地に突入し実力で参戦を阻止するには、もっと大きな隊列が必要だと誰もが思った。実力闘争を闘いぬく巨大な隊列をつくろう。
 今ほど帝国主義国日本の労働者階級人民の決起が求められている時はない。侵略戦争推進者に転落した日本共産党スターリン主義とファシスト・カクマルを打倒し、「闘うイスラム諸国人民と連帯し、帝国主義のアフガニスタン侵略戦争を粉砕しよう」を掲げて、さらに闘おう。
 闘いはこれからだ。十一・二五闘争に続き、PKO法改悪阻止の国会闘争、十二月空自出兵阻止の小牧現地闘争に決起しよう。

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週刊『前進』(2033号2面1)

全学連、基地正門に突撃 佐世保
 320人がデモ、佐世保に反戦の声 写真特集

 十一月二十五日、反戦共同行動委員会の学生と労働者は全国から佐世保市に三百二十人が結集し、基地突入デモ−海上デモの現地実力闘争を貫徹した。
 午前十時、佐世保駅の北西にあるアーケードを抜けた先の浜田公園で反戦共同行動委員会主催の現地集会が行われた。日帝が参戦出兵するという重大な事態を前に、参加者は秘めたる決意を胸に緊張した表情だ。
 反戦共同・福岡代表の石崎昭哲さんのあいさつで集会が始まった。続いて地元から国労佐世保闘争団の高田末博さんが発言。「(一九六八年一月の)エンプラ闘争以来、佐世保は闘う人民を歓迎する街だ。大半の佐世保市民が出兵に反対している」。婦人民主クラブ全国協福岡支部は「女たちが牢(ろう)に満ちても命がけで反戦を闘う」と訴えた。
 部落解放同盟全国連(福岡)の甘木支部の青年がズラリと前に並んだ。実は、この日は、甘木支部青年部の結成大会の予定だった。「闘うことこそ真の姿だと思い今日の闘争に決起した。この集会発言をもって青年部を結成します」。惜しみない拍手が続いた。
 東京反戦共同行動委員会事務局長の結柴誠一さんが基調報告を行い、国労小倉地区闘争団の松崎博巳さんと関西合同労組の青年労働者が決意表明した。
 続いて九州大学自治会の学生が決意表明。「労働者がゼネストで、自衛官が命令を拒否し、基地労働者が基地機能をストップさせれば戦争は止められる。全学連はなぜ白ヘルをかぶるのか。機動隊をぶち破って基地に突入する闘いをやるためだ」。歓声があがる。最後に全学連の大山尚行委員長が行動提起。「派兵阻止、基地突入の実力デモをやる。基地の前を黙って通ることはありえない」
 いよいよデモに出発だ。全学連のデモ訓練は怠りない。もちろん全学連が第一梯団(ていだん)。最初からジグザグデモ。警察権力は手が付けられない。デモ隊は佐世保基地に向かってズンズン進んでいった。
 基地に近づいた。二十bほど手前でデモ隊の速度が一瞬落ちる。「行くぞ」。ゲート前の機動隊の壁に向かって全学連のデモ隊が駆けだした。「全学連が基地に突入する!」。動転する機動隊と私服刑事。スローモーションのように、全学連と機動隊が衝突する。一瞬の静寂の後、ゲート前は騒然たる状況に。デモ隊の左右からも機動隊が襲いかかる。しかしデモ隊は崩れない。基地前の交通は完全に寸断され、全学連と機動隊の衝突が続く。全学連旗や自治会旗が乱舞する。
 何分経過したのか。全学連は隊列を崩さず一人の逮捕者も出さずに、第二梯団と再び合流し、ジグザグデモを続けた。「アフガニスタン人民の血叫びにこたえる闘いを自らの体で示した」。全員の顔が勝利感に満ちている。デモ終了後、直ちに海上デモの船に乗り込んだ。

 前日の集会とデモ

 二十四日午後、全学連は自衛艦出兵阻止の集会を木場田公園で行い、佐世保市内デモを行った。大山委員長が「イスラム諸国人民の血叫びにこたえ、佐世保市民と心をひとつに基地に突入して闘おう。アフガニスタン出兵阻止の一点にかけて闘おう」と提起した。

 11・17長崎県民集会

 十一月十七日、佐世保の鯨瀬ふ頭のさせぼシーサイドパークで海自艦隊の出兵に反対する長崎県民集会が開催された。長崎県下の労組や西日本規模で動員した全港湾など約千人が結集した。全学連と反戦共同・福岡と長崎の労働者・学生も参加し、参戦阻止の反戦闘争や小泉政権打倒を呼びかけ、ビラを配布した。

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週刊『前進』(2033号2面2)

巡視船と海戦、さわぎり直撃 写真特集へ

 海上行動隊は二隊に分かれて抗議船に乗り込んだ。「闘うイスラム人民と連帯し、反戦闘争の爆発を」「自衛隊兵士は侵略派兵を拒否しよう」と日本語と英語で書かれた横断幕。巨大な中核旗が翻える。各団体の旗もにぎやかだ。
 抗議船はまず佐世保地区労の呼びかけで集まった労働者と反戦共同行動委の部隊がいる前畑ふ頭に立ち寄り、シュプレヒコールでエール交換。なんとしても侵略出兵を止めたい、という思いがひとつになった。
 佐世保基地に向かった。軍港には出航を待つ護衛艦さわぎりと、これを見送るイージス艦こんごうなどが並び、甲板に海自隊員が整列している。波止場には見送りの家族が不安げに並んでいる。海上デモ隊は侵略出兵の式典をかき消すように出兵拒否を呼びかけた。
 午後二時五十分、さわぎりがゆっくりと出港した。自衛官の表情が見えるほど肉薄して、自衛官一人ひとりに呼びかけた。抗議船は海上保安庁の巡視艇をかわしてさわぎりの船首をかすめ、進路をふさいだ。巡視艇はあわてふためき、強引に割り込み船体をぶつけてきた。巡視艇の「日の丸」がへし折れた。抗議船と保安庁との゛海戦゜だ。この攻防は佐世保湾を出て高後崎のかなたの外洋まで続いた。海上行動隊はずぶぬれになりながら、声を張り上げ叫び続けた。抗議船は最後にさわぎりの周りを一周して佐世保港に帰還した。
 この攻防は、甲板から注目していた多くの自衛官の目に、耳に焼き付いたはずだ。さわぎりの隊員は、この一年半で四人の隊員が自殺や自殺未遂などに追い込まれている。自衛官を死に追いやった陰湿ないじめの実態が隠されたままの今回の派兵だ。帝国主義軍隊の非人間的な処遇に苦しみ、侵略派兵に追い立てられた自衛隊員にともに闘おうという力強いメッセージを送った。闘いはこれからだ。実力闘争をさらに発展させ、自衛隊の隊内反乱をつくりだそう。
 闘争妨害を画策したカクマルは、海上保安庁の指示どおりに護衛艦を遠くから見送り、すぐに退散。前畑ふ頭でも闘う労働者から闘争破壊の意図を見抜かれ排除された。カクマルの闘争破壊策動は完全破産した。

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週刊『前進』(2033号2面3)

横須賀 “戦場へ行くな”訴え 掃海母艦うらがを痛撃

 十一月二十五日、海上自衛隊の掃海母艦うらがが横付けされた横須賀基地の対岸・長浦ふ頭には、早朝から神奈川労組交流センター、婦人民主クラブ全国協議会を先頭に反戦共同行動委に結集する労働者・市民がかけつけ、横須賀の市民グループや労組と合流、約百人が出港阻止を闘った。
 海上には神奈川平和運動センターの「平和船団」二隻が展開し、中谷防衛庁長官が来たことが報告された。直ちにシュプレヒコールで弾劾行動を行った。「自衛隊は報復戦争に加担するな! 戦場に行くな! 自衛官こそ反戦を! うらがの出港を許さないぞ!」
 反戦自衛官の小多基実夫さんがマイクを握って、自衛官に呼びかけた。
 「もう一度、この戦争に行ってもいいものかどうか考えて下さい。この不況の中で辞めるに辞められない状況で、小泉は入隊時の宣誓を持ち出して『自衛官は命がけで危険な所に行け、死んでこい』と言った。今怒りをはっきりと口に出す時です。小泉は、自分の子どもは芸能界に送り込んでおいて、ひとの子どもは戦争に行って死んでこいと言っている。もう我慢している時ではありません」
 「アフガニスタンやパキスタンの人びとは、戦争に来る軍艦を一隻でも減らしてほしいと願っています。今、本当の勇気は、戦争はいやだ、死ぬのはいやだ、人殺しはいやだと堂々と言うことです。しっかり考えてみて下さい」
 平和船団も、うらがに接近し、マイクで自衛官に出兵拒否を訴え続けた。
 八時二十五分すぎ、うらがが動き始めた。怒りのシュプレヒコールが繰り返された。
 中谷は「皆さんが国際社会とともにテロ根絶のために任務を遂行することを期待する」と訓示。自衛官や家族の声すら封殺して、出港を強行したのだ。
 抗議行動後の総括集会では、西村綾子相模原市議がアフガニスタンの子どもたちに思いをはせて反戦を訴え、神奈川労組交流センターは労働者こそが反戦闘争を担う決意を表明した。
 見送りに現れた反革命カクマルは、うらがが動き出すやいなや横断幕を片付け駆け足で逃げ去り、労働者人民の怒りを買った。

 横須賀地区労など緊急集会

 同日夕、神奈川平和運動センターと横須賀地区労が主催した「十一・二五報復戦争協力の自衛隊海外派兵反対横須賀緊急集会」が、ヴェルニー公園(旧臨海公園)で開かれ、大挙して駆けつけた三浦半島地区教職員組合を始め十五団体九百八十人が集まった。
 神奈川労組交流センターと反戦共同行動委は、公園に集まってくる労働者・市民に反戦闘争を呼びかけたビラをまいた。
 集会では「自衛艦の出撃は、戦争支援という超法規的な行為であり憲法に禁ずる『集団的自衛権の行使』そのものだ」と弾劾する決議を上げ、デモに出発。
 米軍横須賀基地前では「米軍のアフガニスタン攻撃を許さないぞ! 米軍はアジアから出ていけ!」とシュプレヒコールをたたきつけた。怒りは充満している。国際反戦闘争の爆発へ、闘いは正念場だ。

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週刊『前進』(2033号2面4)

呉 とわだ肉薄の海上デモ “ヒロシマは参戦許さぬ” 写真速報へ

 十一月二十五日、呉基地からの補給艦とわだ出兵に対して、広島を始め中四国各地の反戦共同行動委員会は全力で阻止闘争に立った。とわだは、海自艦隊の一翼としてインド洋に出兵し、アフガニスタンへの空爆や地上作戦を繰り返す米軍に補給や輸送を行うのである。アフガニスタン人民虐殺に加担することを、どうして許すことができるだろうか。
 早朝五時五十分、労働者や学生が、とわだが停泊するFバースの直近にあるアレイからすこじま公園に結集した。大音量のシュプレヒコールやアジテーションが翼賛出陣式を直撃した。「アフガニスタン人民虐殺を許さないぞ」「自衛隊員は出兵命令を拒否せよ」と怒りを込めて訴える。
 全国被爆者青年同盟の友野幽委員長を先頭に抗議船が、岸壁から海上デモに出発した。「呉を侵略出撃基地にするな! ヒロシマは日本の参戦を許さない!」と大書された横断幕が掲げられている。
 午前七時五十分、とわだが黒煙をはき、出港していく。
 岸壁の数百の労働者や学生が身を乗り出して、怒りのシュプレヒコール。弾劾集会には百万人署名運動広島県連絡会の下田礼子さんが駆けつけ、「昨日、この場所で座り込みを行った。私には、軍艦が出て行く姿が戦前と重なって見える。ヒロシマから軍隊が出て行くことは、被爆者として絶対に許せない」と激しく弾劾した。
 海上デモ隊がとわだに肉薄し、実力阻止闘争をたたきつけた。呉海上保安庁は、漁民や遊漁船の貸し主、漁業組合にまで「抗議船を出すな」と弾圧を加えた。しかし、こうした弾圧を打ち破り、漁民の決起の中で二隻の抗議船が組織されたのだ。
 抗議船の船首には全国被青同の旗が翻る。労組交流センターや婦人民主クラブ全国協議会の仲間が、目の前にいるとわだに向かって、「出兵を拒否せよ。強盗戦争、侵略戦争のための出兵を許さない」と大音量でアピールする。とわだの甲板で作業する自衛官の姿も見え、その自衛官に向かって直接呼びかけた。
 途中、右翼の船が「国のために働く自衛隊を妨害する国賊め」と泣き言をわめいたが、怒りのシュプレヒコールに圧倒され、すごすごと引き下がった。二隻の抗議船は江田島の北西にある切串湾近くまでとわだに迫り、弾劾闘争をやり抜いた。
 海上デモ隊がアレイからすこじま公園に到着した。エールを交わして、陸上の抗議団と合流した。
 被青同の友野委員長は海上デモの報告で「アフガニスタン人民は、なぜヒロシマ・ナガサキを経験した日本が参戦するのかと糾弾している。核兵器クラスの爆弾がアフガニスタンに落とされている。この戦争に自衛隊が参戦し、被爆地広島・長崎から出兵することは絶対に許せない。満腔(まんこう)の怒りで弾劾し、とわだに肉薄し、命がけで実力阻止の闘いをたたきつけた」と報告した。
 海上自衛隊呉地方総監部に向けデモに出発。自衛隊の官舎の前で、自衛隊員や家族に向かって、隊内からの反戦決起や、家族の決起を呼びかける熱烈なアジテーションを行った。
 午後一時から平和運動センター中国ブロック主催の集会が呉市中央公園で開かれ約二千人の労働者市民が集まった。反戦共同行動委員会も合流した。
 他方、ファシスト・カクマルは、闘争破壊のためにのみ船を出し、総監部前にコソコソを現れて記念撮影しただけ。誰からも相手にされず、惨めな姿をさらした。

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週刊『前進』(2033号2面5)

全学連の佐世保奮戦記 @ 基地に突入するため次は数倍の隊列を!

■法政大・T
 全学連が本気で機動隊とぶつかり、海上で真剣に自衛官に訴えかけるシュプレヒコールをやったことは、すごく重要な闘いだったと思う。本音を言えば、もっと基地に突入するような闘いをやりたかった。全学連の大隊列をつくりあげたいと本当に思った。
■法政大・S
 わが抗議船は、護衛艦「さわぎり」にまさに手が届かんとするぐらい接近し、断固として怒りのシュプレヒコールをたたきつけた。このことは非常に決定的であったと思う。「アフガニスタン人民虐殺に加担するな」という声は確実に自衛官に届いたはず。
 この闘いを法政へと持ち帰り、さらなる闘いの前進へと役立てていきたい。
■九州大・F
 初めてこういう集会に参加しましたが佐世保市内では機動隊と衝突する場面もありびっくりしました。
 護衛艦さわぎりの出航時間に合わせて海上デモを行いました。さわぎりが出航し始めると巡視艇はあわただしく私たちの船を取り囲み進路妨害を執拗(しつよう)に繰り返してきました。残念ながら止めることができませんでしたが、こういう行動が広まっていけばもっと大きな力で今の日本、世界を変えていけると思いました。
■九州大・U
 これ以上のアフガニスタン人民虐殺を阻止するため基地突入闘争を敢行した。機動隊暴力が基地正面前に立ちはだかったが、デモ隊はその機動隊をも蹴散らして米軍基地に肉薄した。アフガニスタン人民虐殺を日々強行する米軍の基地を防衛し、戦争阻止の闘いに立ち上がる学生、労働者を襲撃する機動隊。こんなものに負けてたまるか! 体を張った闘いに圧倒的な注目と共感が寄せられた。
 残念ながらさわぎりの出撃を阻止することができなかった。本当に悔しい。しかし、今回の闘争は始まりにすぎない。労働者階級の巨大な怒りを真に解き放つのは、われわれの実力闘争をおいてほかにはない。私は今回の佐世保闘争を数倍、数十倍する隊列を必ず登場させるために先頭で闘う。
■富山大1年・A
 機動隊を突破することはできなかったものの機動隊とぶつかり、集まった人数はけっして十分とは思えなかったが、その中でやりとげたデモ。私たちの思いを多くの人の心に強く強く訴えることができたと思う。さわぎり出港の時、私は船の上で闘った。自衛官やその家族に向けて声を張り上げて訴えた。その声は確実に彼らの耳に届いたはず。
 私はこの闘いでとても大きな自信を得た。絶対に止められる! 反戦に向けての大きな第一歩となった。この闘いを出発点に大きく前進していけると思う。
■富山大1年・M
 帝国主義の侵略の中で日々闘っている人びとに、本当に連帯できる行動は何か? それが基地に突撃する体を張った行動、さわぎりまで肉薄する海上デモだと思う。同時に「いかにして戦争を止めるのか」ということを、全国の学生・労働者に示せたと思う。機動隊と激しくぶつかり、身をもって真っ向から闘った。労働者・学生は必ず反戦闘争に立ち上がる! 僕は、体を張ってその最先頭で闘いたい。

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週刊『前進』(2033号2面6)

三里塚 東峰神社に植樹 開港阻止へ不屈の農民魂

 三里塚芝山連合空港反対同盟の萩原進事務局次長を先頭に東峰部落が十一月二十四日、空港公団による六・一六東峰神社立ち木伐採の暴挙への反撃として、神社境内に四・三bの白樫(かし)の植樹を行った。
 六・一六立ち木伐採の直後から部落では、なんらかの反撃の手段がないか、と話し合われてきた。
 毎年十一月下旬に、部落として東峰神社の大掃除の共同作業を行ってきたことを機会に、航空機着陸の進入表面をじゅうりんする立ち木を、部落の総意として植えたのだ。
 用意されたのは大小二本の白樫の木。大きい方が四・三b、小さい方が一・三bだ。
 午前八時、部落七軒が総結集して作業に取りかかった。鳥居の北西側に直径一・五bほどの大きな穴を掘り、萩原さんのトラクターを使って白樫を立ち上げ、根を埋めた。もう一本の白樫の苗木は境内南側に植樹された。白樫の植樹は、空港公団、警察権力の介入をまったく許さず、予定どおりに貫徹された。
 白樫は、根付けば高さは二十bもの大木になり、暫定滑走路に決定的打撃を与える。来春暫定滑走路開港攻撃への反撃が開始されたのだ。十二・八飛行テスト阻止−三・三一現地闘争−四・一四開港阻止全国総決起闘争へ進もう。

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週刊『前進』(2033号3面1)

侵略戦争推進者に転落した日本共産党
 「テロ根絶」を絶叫し帝国主義に全面屈服 戦争陣営に階級移行

 アメリカ帝国主義は、「テロ根絶」を掲げてアフガニスタン侵略戦争から第三次世界大戦の過程へと深々と足を踏み入れた。日本帝国主義はインド洋に自衛艦隊を出兵させ、公然たる参戦行動に打って出た。この歴史的な瞬間に、日共スターリン主義は、ついに帝国主義侵略戦争、帝国主義戦争の推進者へと大転落した。米帝ブッシュが全世界に対して「アメリカにつくのか、テロリストの側につくのか」と恫喝する中で、日共スターリン主義は、日帝・小泉とともに真っ先に「テロ根絶」を大絶叫して帝国主義の侵略戦争の先兵となることを誓ったのだ。もはや今の日共に、「反戦」とか「反帝国主義」など「左翼」的言辞を期待することなど一切問題にもならない。彼らはただただ帝国主義の完全なる先兵としての道をまっしぐらに突進していくのみである。帝国主義の最後の番兵=日共スターリン主義を、労働者人民の闘いの爆発で、怒りを込めて粉砕・打倒しなければならない。

 「アメリカにつくのかテロにつくか」の恫喝に震え上がる

 何よりも断罪しなければならないのは、日共スターリン主義は帝国主義のアフガニスタン侵略戦争の完全な推進者に成り果てた、という厳然たる事実である。
 アフガニスタン侵略戦争が人民大虐殺の無差別戦争であることがますます明らかになる中で、日共は最近になって、「報復戦争はいけない」などとか細く言い始めた。では日共はこの戦争に反対するのか? まったく逆だ。日共が明確に帝国主義戦争に賛成する立場に立っていることは、次のことに明らかだ。
 第一に、二通の「各国政府首脳への書簡」(一通目は九月十七日付、二通目は十月十一日付)である。九・一一―十・七以降の日共スターリン主義の党としての公式の態度表明としては、この「書簡」を各国政府首脳に届けたことが最大の位置を与えられている。
 そしてこの二通の書簡に共通しているのは、アメリカ帝国主義の侵略戦争と日帝の参戦に対して、ただの一言も「反対」とも「やめろ」とも言わない、ということにある。とりわけ「第二書簡」は、米英軍が空爆を開始した直後に出されたものだが、文字どおり一言の弾劾も反対もない。侵略戦争反対のあらしのような行動を起こすべき時にインチキな書簡を各国首脳に送り付け、しかもその中で一言も戦争反対と言わない。それどころか「テロ根絶」が力説されている。これこそ最大の「戦争賛成」の態度表明なのだ。
 世界最大最強のアメリカ帝国主義が目の前で人民大虐殺の侵略戦争を開始したという巨大な物質力は、あらゆる勢力に対して、あいまいさを許さず明確な態度表明を迫り、「戦争賛成」なのか、それとも「戦争反対」なのかを峻別(しゅんべつ)する。「賛成ではないが反対でもない」というような中間は存在しない。「侵略戦争反対」の立場を表明しない者はすべて戦争協力勢力なのだ。
 そのことを誰よりも自覚している日共は、どんなことがあっても「反対」と言わないことで、帝国主義に対して態度表明したのだ。
 いったい日共は、アフガニスタン侵略戦争を強行している米帝に対して「戦争をやめろ」とただの一回でも言ったか? 言ってはいない。何らかの大衆的反対行動を起こしたか? 起こしてはいない。日共は完全に帝国主義の陣営に立ちきっているのだ。
 第二に、九・一一直後から日共が大絶叫している「テロ根絶」論そのものが帝国主義の侵略戦争推進論なのである。
 九・一一反米ゲリラ戦争の巨大さに直撃されたアメリカ帝国主義は、ただちに「これは戦争だ」と絶叫して、全世界を巻き込んだ世界大戦級の報復戦争に突進した。そして米帝ブッシュは、核兵器使用をもいとわないという最大級の戦争恫喝を背景にして、全世界に対して「アメリカにつくのか、テロリストにつくのか」と迫った。゛アメリカにつかない者は、徹底的に絶滅するまで戦争を発動する゜という宣言である。
 帝国主義が「テロ根絶」を掲げた大戦争に突入した中では、「テロ根絶」の立場とはイコール「戦争推進」の立場であり、「テロ根絶」を提唱しながら「戦争に反対する」ことなど不可能だ。だからこそ日共は、帝国主義者をも上回る激しさで「テロ根絶」を大絶叫して、帝国主義に心底忠誠を誓っているのだ。

 「国連による軍事制裁」掲げ現実には米帝の戦争を支持

 第三に、日共が「第二書簡」で打ち出した、「一部の国による軍事攻撃と戦争拡大の道から、国連を中心にした制裁と゛裁き゜の道へのきりかえを提案する」なる主張である。
 ここで日共は、ビンラディンとアルカイダを九・一一の犯人と断定し、「国連として、ビンラディンの身柄の引き渡しをタリバンに要求」し、「タリバンがそれを拒否した場合」には、「まず……経済制裁などの『非軍事的措置』」をとり、それでも不十分な場合は「(国連憲章)第四二条にもとづく『軍事的措置』をとる」ことを提唱した。
 「国連による軍事制裁」を自ら提唱するにいたったこと自身、徹底的に断罪されるべきことだが、問題はそれにとどまらない。
 日共は、今の国連でアフガニスタンへの「制裁」が決議されることなどないことを前提にしている。このこと自体が卑劣きわまりない。
 十月の国連総会は、「包括的テロ防止条約」策定のための討議で「テロの定義」をめぐり大紛糾し、テロ作業部会は二週間の会期を経て決裂するという事態にいたった。最大の焦点は、パレスチナ人民の解放闘争を「テロ」と定義するのか否か、であった。今国連は、「テロの定義」を一致させることすらできない。ましてやアフガニスタン侵略戦争発動が国連で決議されることなどまったくありえない状況にある。
 日共は、「国連による軍事制裁」という提案などひとかけらも現実性がないことを十分自覚しつつ、このような主張を掲げているのである。そもそも米帝は、アメリカがやられたから個別自衛権を発動するといって戦争に突入したのだ。
 つまり、「国連中心に」と言って米帝の戦争に否定的な姿勢をとっているかのように見せつつも、実際には、米英帝とそれに協力する日帝などがどんどん戦争を進めることに全面的に賛成しているのである。
 第四に、自衛隊の参戦に対する態度である。この点では「憲法との関係で問題がある」などと、派兵反対であるかのようなポーズをとっているものの、その内容はひどいものだ。
 参院議員・筆坂は『前衛』十二月号「テロを許さない立場と日本共産党」で、テロ対策特別措置法に反対した理由として、何をあげたか。「アメリカが独自の判断ではじめた報復戦争に、日本が自動的につきしたがっていくことを義務づける」「日本としての主体的な検討も判断もないまま、……すべてアメリカにつき従う」「これほど主権国家として、いわば主権を放棄した法律はない」
 要は゛日本が主権国家としての主体的判断にもとづいて戦争を担うべき゜ということなのだ。日帝・自衛隊の参戦をより国益主義の立場から「批判」して、主体的・能動的参戦行為を求めているのである。
 さらに日共が参戦三法の一つ、海上保安庁法改悪に賛成したことを徹底弾劾しなければならない。れっきとした帝国主義軍隊である海保庁が、船体や乗員への銃撃・殺傷行為を行うことに対して、「主権侵害に対抗する」としてもろ手をあげて賛成したのだ。
 日共は今や、アフガニスタン侵略戦争=帝国主義間争闘戦の極悪の推進者に成り果てたのだ。

 民族解放闘争も反戦闘争も「テロ」の名で圧殺する日共

 日共が帝国主義戦争の推進者に完全に成り果てたということは、同時に、全世界の民族解放闘争に対しても、日本における階級闘争に対しても、それを徹底的に抹殺し根絶する立場への移行を完成させた、ということにほかならない。
 日共議長・不破は十月十九、二十日の第二二回大会第三回中央委員会総会で、パレスチナ人民のイスラエルに対するゲリラ戦闘を取り上げて「無実の市民を犠牲にするテロは絶対に許されない」と弾劾した。
 十月二十六日付朝日新聞に掲載されたインタビューの中でも、不破は「パレスチナ問題などの根本問題が解決されない限り、テロは撲滅できないというリンケージ(連結)論はとるべきではない」と表明した。
 これは明確に、パレスチナ人民の解放闘争への全面敵対と抹殺の表明である。パレスチナ人民に対しては「テロをやめろ」と絶叫し、他方で「リンケージ論はとらない」として、米帝やイスラエルのパレスチナ人民への虐殺と抑圧は肯定しているのだ。
 不破の「テロ根絶」論は、被抑圧民族の帝国主義に対するどんな闘争も認めないという立場の表明である。また、そればかりでなく、日本における反戦闘争のどんな展開にも敵対するということだ。自国帝国主義=日帝の参戦を阻むための反戦闘争は、権力に対する命がけの抵抗であり、必ず実力闘争に発展せざるをえない。日共はそれに全面敵対するのだ。
 この点で、日共が司法制度改革推進法に賛成したことも重大である。司法改革とは、戦争と大失業の時代における労働者人民の闘いを根絶するための治安弾圧強化を目的としたものだ。つまり日共は、日帝の秩序を守る立場に立って、人民への治安弾圧の極限的な強化に賛成したのだ。
 開始されたアフガニスタン侵略戦争は、帝国主義がその基本矛盾を全面的に爆発させ、帝国主義的侵略戦争から帝国主義間戦争―第三次世界大戦へと足を踏み入れたものである。
 この中で、依然として「戦争のできない憲法」を持つ敗戦帝国主義である日帝は、根底的な体制的危機にたたき込まれている。アフガニスタン侵略戦争に参戦しなければ、帝国主義間争闘戦における決定的敗北を喫し、歴史的に没落していくしかない。それゆえに日帝・小泉は戦後的制約をクーデター的に突破して自衛隊の出兵=参戦を強行した。この先日帝は、国内の階級的激突を制圧し、どこまでも果てしない侵略と戦争の道を突進する以外にない。
 そうである以上、この戦争の行きつく先は、帝国主義国内における階級闘争の鎮圧、中東・アジア侵略戦争への全面的のめり込み、そして第三次世界大戦への道だ。したがって、「闘うイスラム諸国人民と連帯し、帝国主義のアフガニスタン侵略戦争を阻止せよ」「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の道を断固として進む以外に労働者人民が生きる道はないのだ。
 自国帝国主義の参戦という重大な情勢の中で、日共は゛ポーズだけでも「戦争反対」などと掲げ続けることは一切許されない゜と決断して、帝国主義の懐に転がり込んだのだ。
 日共はソ連崩壊後、破産したスターリン主義としてどん詰まりの危機に追い込まれながら、安保容認、自衛隊容認の大転向を遂げ、断末魔のあがきを続けてきた。そして、ついに帝国主義戦争の推進者へと完全に転落したのである。
 しかし今、帝国主義戦争の推進者に完全に成り果てた日共に対しては、日共支持者の中でも根底的な動揺が広がっている。今や日共は党として瓦解(がかい)の道に足を踏み入れたのであり、最後的崩壊に向かうことは確実である。労働者人民の総決起で、帝国主義の最後の番兵=日共スターリン主義を打倒せよ。
 〔藤枝杳〕

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週刊『前進』(2033号3面2)

「テロ対策」=入管法改悪弾劾 激化する排外主義攻撃と対決を

 日帝・小泉政権は十一月二十二日、入管法改悪案を衆院本会議で可決・成立させた。すべての戦争法案が反対論議なしで成立するという翼賛国会の中で、改悪入管法もまた全会一致で成立した。この排外主義的現実は、実は〈内に向かっての階級戦争〉の最先端の攻撃である。「テロを撲滅する闘いに主体的に参加する」と言明した小泉は、ついに自衛隊をアフガニスタン侵略戦争へ派兵し、三たびの世界戦争への道にのめり込んだ。われわれは、闘うアジア人民、イスラム諸国人民と固く連帯し、日帝の侵略戦争を内乱に転化する闘いを全力で推進する。その闘いの重大な環として入管法改悪を弾劾し、入管体制を粉砕するために全力で闘いぬこう。

 上陸拒否と退去強制の強化

 日帝は入管法改悪に先立ち、十月十二日、警察庁、防衛庁、法務省、公安調査庁、外務省、海上保安庁など十七省庁が「国内テロ対策等に関する関係省庁会議」を開き、「国内テロ対策等における重点推進事項」を決定した。その第一項目に「出入国管理、国際的な情報交換などの強化」をあげ、具体的には不法入国防止対策、査証審査機能、不法滞在対策取り締まりをあげた。今次改悪は徹底的にこの項目に沿って行われた。
 「ワールドカップのフーリガン対策」のためと宣伝しているが、実は「テロ対策」そのものとして強行されたのだ。森山法相は、法案提出理由で以下のように述べている。
 「我が国で開催される国際的な競技会等の円滑な実施を妨げる目的をもって暴行等を行う外国人等を上陸拒否及び退去強制の対象とするとともに、外国人犯罪の現状にかんがみ、刑罰法令違反者等に係る退去強制事由を拡大し、併せて入国審査官による事実の調査に関する規定を整備する等の必要がある」
 具体的にはまず第一に、来年五月開催予定のW杯フーリガン対策と称して上陸拒否および退去強制を圧倒的に強化したことである。「国際競技会等の開催場所等において、人を殺傷し、人に暴行を加え、人を脅迫し、又は建造物その他を損壊するおそれのあるもの」の上陸を拒否できるとした。しかし「国際競技会等」としたことで、その対象範囲をサミットやWTOなどの国際会議にまで広げ、「おそれのあるもの」という形で予防弾圧に道を開き、「テロ組織関係者の入国阻止」の狙いを法文化したのである。外国人の出入国を日帝のほしいままに調整し、国益論のもとで予防的弾圧を強化することを宣言したのである。 
 第二に、「外国人犯罪」対策の徹底的強化として入管法二四条に新たな条項を設け、入管法の治安的本質の強化を図った。「テロ組織関係者とつながりのある疑いのある不法滞在者などの取締りの強化」の具体化である。「外国人犯罪に対して厳正に対処するため」(森山法相)として、「刑法、暴力行為等処罰に関する法律の罪又は盗犯などの防止及び処分に関する法律の罪により懲役または禁錮に処せられたもの」という形で退去強制の対象範囲を大幅拡大した。しかも「懲役または禁錮に処せられた」という形で事実上、執行猶予となった人も強制退去の対象にしたのである。
 入管局長・中尾巧は以下のように答弁している。
 「犯罪を犯して執行猶予になった後、日本におることによって、……再犯のおそれ等もございますので、速やかに国外に退去させる必要はどうしてもあろうかと思います。そのことが外国人に対して厳正に対処して、我が国の社会の安全を確保するためには必要なこと」「……刑の執行猶予の言い渡しを受けた場合にありましても、我が国に引き続き在留を認めることが適当でないとして、退去強制するということは合理的な必要性があろう」(十一月一日、参院法務委員会)
 また外国人の入国・在留のために偽変造文書を作成した者を退去強制できるとする条項も加えられた。
 第三に、入国審査官の権限が強化され、調査権を付与したことである。入国審査官は、すでに先の通常国会で増員が決定しているが、外国人の生活と生存のすべてに強権的に踏み込もうとしているのである。
 さらに、「警察との連携を密にして警備せよ」「入管体制を充実させ外国人犯罪対策に万全を期せ」などという改悪を補強する附帯決議が与野党共同で提案され、満場一致で採択されたことを徹底的に弾劾しなければならない。
 総じて、今次改悪は入管体制を「テロ対策」の名のもとに参戦―有事体制へと飛躍的に再編・強化するものである。
 法務省は十一月五日、入管法改悪と連動して、外国人の入国記録をオンライン化し、その日のうちに直接データ入力し、即日照会が可能とするシステムを年内に導入することを決定した。この査証機能の強化と合わせて日帝は「テロ対策」の入管関係条項をすべて確立したのである。

 在日アフガン人への治安弾圧を許すな

 入管法改悪の動きと一体となって、在日・滞日外国人に対するすさまじい弾圧の嵐(あらし)がまき起こっている。改悪攻撃の先取りとも言えるような襲撃的弾圧が日常的に推し進められている。この間起きている事態は入管体制の暗黒性を突き出している。
 一つは、外国人労働者に対する報奨金付きの密告制度を使った、排外主義的民族抑圧・追放の攻撃の激化である。連日、盛り場での「摘発」を展開し、それをテレビで放映して排外主義的感情をかきたて、さらなる襲撃を組織している。
 二つには、十月三日に入管収容所に収容された難民申請中のアフガニスタン人九人に対して、十一月二十五日、法務省は全員の難民認定を却下した。二十七日には、うち四人にアフガニスタンへの退去強制令書を出し、身柄を茨城県牛久市の東日本入管センターに移送、退去強制手続きに入った。二十八日に他の五人も難民に認定しないとする決定を通知した。この暴挙を絶対に許すな。
 難民条約では「不法入国・不法滞在」であっても刑罰や移動の制限を原則禁止しているにもかかわらず、日帝はこれを踏みにじってきた。日帝がこの二十年間で難民と認定したのはたったの二百六十人で、申請者の一四%でしかない。
 三つに、入管収容所での非人間的現実が激しく突き出されている。大阪の西日本入管センターでは、中国人男性を強制送還する際に、毛布と縄で体を「梱包」して送還しようとしたことが、当事者からの抗議で明らかになった。収容所での劣悪な非人間的処遇に絶望し、自殺する人も続いている。
 入管体制の過酷な現実は、一方で公安調査庁による外登証原票コピー請求に見られるように在日朝鮮人・中国人への日常的治安管理の強化と、国籍法、参政権法案に見られる同化・融和の攻撃の激化として発動されている。また、朝銀の不正融資事件として総連に襲いかかり、総連幹部の逮捕にまで踏み込んだ。
 入管法―入管体制は、日帝の戦争国家化と一体となって強化されてきた。九九年、日米安保ガイドライン関連法の制定と同時に入管法・外登法の改悪・改定を強行した。今回もアフガニスタン侵略戦争への参戦を契機に改悪したのである。戦争体制の具体的発動は、国内にいる外国人への処遇に鮮明に反映するものである。帝国主義によるアフガニスタン侵略戦争に反対し、日帝の参戦に徹底的に反対する立場から入管闘争の爆発をかちとっていかなければならない。
 労働者人民に対する排外主義・差別主義による民族抑圧の扇動を許さず、入管体制粉砕をかちとろう。闘うアジア人民、イスラム諸国人民と連帯し、日帝のアフガン侵略戦争を内乱に転化しよう。
 〔佐久間祐〕

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週刊『前進』(2033号3面3)

 ビデオ紹介 「劣化ウラン弾の嵐」
 侵略戦争の残虐性示す 今も苦しむイラクの子どもたち

 このビデオは、カタールの衛星テレビ局・アルジャジーラTVが、九一年の湾岸戦争(イラク・中東侵略戦争)で米軍が使った劣化ウラン弾の被害実態を取材し二〇〇〇年に制作した番組を日本語訳し、この秋発売されたものです。
 湾岸戦争で米軍は三百dを超える劣化ウラン弾を使用しました。この時すでに軍当局が劣化ウラン弾が人体と環境にもたらす影響を十分認識していたことは、九〇年七月に報告書が作成されていたことにより明らかになっています。
 米軍はイラクで、数千台の戦車を劣化ウラン弾により破壊しました。その恐ろしさを知らない多国籍軍の兵士たちは、破壊した戦車の上で記念撮影をし、またその破片を自国に持ち帰りました。現在では、当時の米軍兵士の三分の一が健康の異状を訴えています。米当局に補償を要求した帰還兵は二十万人。従軍兵士の子どもにも「障害児」が急増しました。
 こうした中で、当局は劣化ウラン弾被害を訴える人たちを徹底的に弾圧しています。湾岸戦争当時の米陸軍医療部隊大佐は、軍から「劣化ウラン弾被害に関する研究をやめろ」と言われ、それでも自費で研究を続けると解雇されました。
 「湾岸戦争症候群」を告発した人は、政府に調査活動をやめるよう圧力をかけられ、銃撃されました。
 ドイツの学者は、襲撃されて劣化ウラン弾に関する研究レポートや写真を奪われました。九五年には「劣化ウラン弾は浴びれば、腎臓疾患、白血病、急性貧血、悪性腫瘍(しゅよう)等々の病気にかかる」と報告したことを理由に逮捕されました。
 こうして今もなお当局は「劣化ウラン弾は大した影響はない」と主張しています。武器を売買する国際フェアのパビリオンでは、今も劣化ウラン弾が公然と取引されているのです。
 イラク国内では湾岸戦争後、「障害児」出産が急増しました。無事に生まれても、十年以上続く経済制裁ゆえ医療品が足りず、毎月四千人の子どもたちが死んでいます。
 白血病、悪性腫瘍、腎臓疾患、「障害児」出産、流産……、大人も子どもも、果てのない生命の危機にさらされ、経済制裁がさらに追い打ちをかけています。
 しかもイラク国内には今なお劣化ウラン弾で破壊された戦車数千台が野ざらしになり、子どもたちが劣化ウラン弾の砲弾で遊んでいる姿も見受けられるそうです。
 イラクへの戦争が被抑圧民族人民の抹殺を狙う残虐な侵略戦争であったことが、劣化ウラン弾の大量使用に示されています。アメリカ帝国主義に、このとてつもない戦争犯罪の責任を、なんとしても取らせなければなりません。
 ビデオの最後に、イラクの病院の一室にいるお母さんが映し出されます。ベッドの上には、白血球が足りない子どもが寝ています。しかし医薬品もなく、わが子が弱っていくのをただ見ていることしかできない彼女は、流れる涙をぬぐいながら訴えます。
 「アラーよ、やつらが私たちの子どもにやったことは何なのか。その者たちに復讐を! アラーよ、復讐を!」
 「九・一一」を考えるにあたって知らなければならない真実がここにある、と思いました。
(麻田早希)
〔二部構成・八十分 四千円 注文先「劣化ウラン弾の嵐」制作委員会 FAX〇三―三三三二―一二六五〕

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週刊『前進』(2033号3面4)

イスラム・中東の学習参考文献 D

6 革共同の文献・論文
▽清水丈夫選集
第四巻 「石油危機の爆発と七〇年代階級闘争」
第九巻 「イラク・中東侵略戦争にたいするわれわれの立場」
▽単行本『中東危機と石油問題』磯野昌幸
▽共産主義者
三五号 「アメリカ帝国主義とカーター」(米帝の石油政策論を展開)津久井良策
同号 「中東危機の爆発的激化と米帝の中東政策の破産」岩淵高志
四〇号 「イラン二月革命の勝利と中東危機の激化」石野泰三
四一号 「イラン二月革命の歴史的勝利とたたかいの展望」広瀬浩二
四四号 「米帝のイラン軍事侵略を徹底弾劾し、帝国主義戦争を世界革命に転化せよ」
同号 「米帝のイラン侵略戦争を阻止せよ」峰岸武夫
同号 「ソ連スターリン主義のアフガニスタン軍事侵攻と世界危機のあらたな爆発」坂本千秋
四五号 「四・二四イラン侵略と米軍事戦略」原田七郎
四六号 「パレスチナ問題の歴史的本質と米帝の中東和平策動の破産」磯野昌幸
四八号 「サウジアラビア危機の成熟と米帝の中東侵略戦争の現段階」磯野昌幸
五二号 「サダト暗殺と米帝の中東支配の崩壊」岩永透
五三号 「中東における大激動の本格的開始と米帝の新たな中東侵略戦争政策の開始」加藤栄三
五四号 「レバノン侵略とパレスチナ人民」藤林明子
六三号 「アメリカ帝国主義の戦後中東支配史とペルシャ湾戦争」藤林明子
八六号 「米帝中東植民地支配の破綻」雨宮透
八七号 「イラク情勢と米帝の侵略戦争」秋原義明
八八号 「米帝のイラク・中東侵略戦争と革共同の階級的使命」杉山信
九七号 「バクー石油労働者ゼネスト」滝沼洋子
九九号 「グルジアの『内戦』」上村哲也
一一〇号 「米帝のイラク軍事侵略弾劾」雨宮透
一一六号 「石油資源をめぐる古典的帝国主義間争闘戦」林佐和子 
▽武装
九一年一月号、二月号  「特集 中東・湾岸危機の核心T、U」
九三年四月号 「特集 米帝のソマリア侵略」
▽コミューン
二〇〇〇年十一月号 「特集 総破産した中東『和平』策動」

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週刊『前進』(2033号4面1)

賃上げ要求放棄した連合許さず春闘再生へ闘おう 団結固め一律大幅賃上げへ
 連合「02春闘方針」の徹底批判

 連合は十一月十三日に中央委員会を開催し「〇二春闘方針」を決定した。いよいよ戦争と恐慌情勢下での春闘が始まろうとしている。失業率五・三%という大失業情勢に対して闘いを呼びかけるどころか「恐怖感すらおぼえる」(笹森会長発言)と震え上がった連合は、゛賃金よりも雇用″だとして、春闘方針からベースアップという言葉すら消し去り、賃上げ要求を放棄した。賃金は労働者階級と資本家階級の基本的な力関係のストレートな表現である。賃上げ要求の放棄は労働運動の原理的否定であり、堤防決壊的な一大資本攻勢を許すものだ。それは、賃下げ容認から首切りの積極受け入れ、労働者階級の戦争動員にまで行きつく。資本と国家の危機救済を叫び、侵略戦争の完全な翼賛勢力に転落した連合中央を打倒しよう。恐慌情勢だからこそ一律大幅賃上げ・賃金差別撤廃、首切り反対、戦争反対を掲げて〇二春闘を闘おう。

 賃金闘争圧殺は労働運動の原理的否定だ

 連合の「二〇〇二春季生活闘争方針」におけるベア要求放棄は、賃上げ要求という労働組合運動の原点的要求の放棄であり、今年の春闘までの裏切り路線と比較しても超ど級の画歴史的な事態である。連合結成十二年目にして、ついにここまで至ったのだ。
 前回の〇一春闘方針では「雇用と賃上げの両立はかる」などと言ってベア一%の超低額要求を出し、結果はベアゼロに終わった。連合のベア一%要求は「二%程度の実質成長を確実なものとするため、純ベア分の要求基準を『一%以上』とする」などというもので、日本共産党・全労連と同様の「景気回復のための賃上げ要求論」でしかなく、それ自体、奴隷の論理そのものでしかない。
 ところが、〇二春闘方針ではまず、「二〇〇二春季生活闘争は、……かってないその先行き不安の中での取り組みであり、……すべての職場で雇用の維持・安定に全力をあげる必要がある」などと言って、なんと春闘の第一の課題は賃上げではなくて雇用確保だなどと言うのだ。これでは雇用は守れないことについては後述する。
 その上で、賃金闘争については、「連合の統一要求基準は『賃金カーブ維持分プラスアルファ』とし、アルファは部門の調整のうえ各産別で決定」などとしている。つまり連合の統一闘争としての賃金闘争は「賃金カーブの維持」に限定し、賃上げは各産別でやれということだ。だがすでに電機と鉄鋼では早々とベア要求放棄を決定しているのを見れば明らかなように、こんな方針ではほとんどの産別が賃上げ放棄になる。
 「賃金カーブ維持」は資本から見れば賃上げでもなんでもない。ベースアップこそが本来の賃上げである(図参照)。だから、ベア要求を放棄して「賃金カーブ維持」だけに賃金闘争を切り縮めるということは、賃金闘争の完全放棄を意味する。
 賃金は、労働者と資本の力関係で決定される。資本の絶えざる賃下げ圧力に対して賃上げを要求して闘い続けない限り、現在の賃金水準も維持できない。「賃金カーブ」とは現実の労働者と資本の間の力関係の賃金における結果的表現である。賃金闘争と無縁なところで静的な「賃金カーブ」が存在するわけではけっしてない。労働者の要求をくみ上げて団結を固め、必死になって賃金闘争を闘わない限り、資本による絶え間ない賃下げ攻撃を許すことになるのだ。
 春闘は、確かに五五年体制と総評労働運動の象徴ではあるが、日本の労働組合が春になれば弱きも強きも一堂に会して賃上げを中心に闘い、これが未組織や公務員の賃金にも反映するという形で日本の労働者階級全体の賃金水準を規定してきた。その春闘を原理的に否定する連合方針は、戦後の階級関係の転換をも意味するものだ。
 すなわち、問題は賃金闘争の否定・解体にとどまらない。マルクスは以下のように述べている。
 「労働組合はもともとは、労働者の生活を少なくともまったくの奴隷状態以上に引き上げるような契約をかちとるために、このような競争をなくそうとして、またはできるかぎり制限しようとして自然発生的に生まれた。したがって、労働組合の直接の目的は、日常の諸要求、資本のたえざる侵害からの防衛の手段、一言で言って、賃金と労働時間の問題に限られていた。労働組合のこのような活動は正当なだけでなく、必要なものである。これは、現在の生産制度が続くかぎり、やめるわけにはいかない活動である」(「労働組合、その過去・現在・未来」)
 もとより労働組合運動は「賃金制度そのものと資本の支配を廃止するための組織された力」(同)にまで自らを高めなければいけないのだが、そのためにも賃金闘争は労働組合の原点中の原点である。この原点を放棄するということは、労働者と資本の間の対抗関係・抵抗線を崩壊させ、堤防決壊的な資本攻勢を許すことになるのだ。

 闘いを投げ捨て「雇用確保」などありえない

 連合は、この労働運動の原理的否定とも言える方針転換を、゛雇用を守るため″と言って合理化している。だが闘いを放棄したら雇用は守れるのか。
 九月の完全失業率は五・三%と史上最悪を記録し、九・一一情勢によって世界大恐慌情勢は一層加速している。しかも小泉「構造改革」の本格化によってますます失業率は悪化の一途をたどろうとしている。このまま行けば、〇三年には失業率が六・五%になるという予測すら出ている。
 「一人の首切りも許さない」という労働運動の原点が厳しく問われる時代が到来した。まさに三〇年代がそうであったように、恐慌の爆発は膨大な失業者が街頭にあふれることを意味する。そしてその膨大な失業者を中心に反失業闘争が必ず爆発する。今や、反失業闘争を中軸にした労働運動のあらしのような発展が求められ、また可能な時代がやってきたのだ。
 失業率五・三%に対して連合会長笹森は「恐怖感すらおぼえる」と発言した。では、笹森はいったい何に恐怖をおぼえているのか。それは、大失業時代の到来によって賃下げ・首切りの先兵である自らの正体が暴露され、労働者階級の怒りの刃(やいば)が自らに向かってくることに、社会が騒然たる内乱情勢になることに資本・権力と同じ立場で震え上がっているのだ。
 電機連合の鈴木委員長は小泉と同様の「解雇のルール化」だとか、「日本型のレイオフ制度」などと言って、首切りの制度化に走っている。だが、これこそが連合の本質である。労組がいくら譲歩しても資本は絶対に譲歩しない。したがって、連合の「雇用優先」などというのは真っ赤なウソだ。闘わなければ、「雇用も賃金も」守れるはずがないのだ。
 千四十七人の解雇撤回を基軸にした国鉄闘争の位置が決定的に重大だ。動労千葉、闘う闘争団を先頭にした国鉄闘争を基軸に、解雇撤回闘争を原則的に闘おう。また、阪神大震災被災地や争議団の闘いから学び、反失業闘争の新しいうねりをつくり出そう。

 ワークシェアリングは賃下げと首切りだ

 連合は、賃下げ容認・首切り容認の裏切り方針を労働者に認めさせるためにワークシェアリングを一斉に叫び始めた。十一月九日の連合、政府、日経連三者の政労使雇用対策会議、同二十七日の小泉−笹森トップ会談で、ワークシェアリングについて今後検討を進めていくことを確認した。
 今やマスコミでも「ワークシェアリング」の言葉が出ない日はないほどだ。だがワークシェアリングは賃下げと首切り、不安定雇用化の代名詞でしかない。連合は今回の春闘方針で初めてワークシェアリングのために一項目を設けた。そこでは、「いいワークシェアリング」と「悪いワークシェアリング」があるかのように言って、「一時的な経営危機を回避するため、賃金と労働時間を犠牲にした雇用維持の手法」はワークシェアリングとは呼ばないなどと言っている。
 だが、゛オランダではワークシェアリングは成功した″(オランダモデル)などというデマによる「いいワークシェアリング論」も、出発点となったと言われる八二年オランダの政労使による「ワッセナー合意」は、労組の賃上げ要求自粛=賃金闘争放棄が核心であり、労働者階級には労働時間削減による賃下げと不安定雇用化しか結果していない。闘わない連合が゛オランダモデルは成功した″などというデマを言えば言うほど資本攻勢を呼び込み、実際には首切り・賃下げをもたらすのだ。
 NTT労組の津田委員長が、NTT十万人首切り・三〇%賃下げを「日本的なワークシェアリング」と言い放った事実こそ、ワークシェアリングの何たるかをもっともよく物語っているのだ。

 「社会合意推進宣言」で侵略戦争の先兵に

 連合は十月十八日、日経連との間で「雇用に関する社会合意」推進宣言を取り結び、発表した。これは、〇二春闘方針と一体であり、連合春闘方針でもこのことを強調している。
 だが、この「社会合意」推進宣言は、戦争と大失業に直面した連合が、「雇用維持」を言わなければ労働貴族としての自己の存立基盤が崩壊するとの危機意識から、゛ワークシェアリングさえ実施すれば問題は解決する″とのペテンで、実際には「政労使の社会合意」の圧力で労働者階級に賃下げ・首切りと、日帝・小泉の「構造改革」による不安定雇用化、労組破壊の攻撃を認めさせようという攻撃である。(本紙二〇三〇号3面参照)
 宣言では、「経営側は、雇用を維持・創出し、失業を抑制すること」とあるだけで、資本はなんら譲歩せず、労働側だけが一方的に「生産性の向上やコスト削減など経営基盤の強化に協力するとともに、賃上げについては柔軟に対応」して譲歩するとなっている。なんということだ。゛雇用を維持してもらうためだったら、合理化でもなんでも資本に全面協力します、賃上げ要求などけっしてしません″と言うのだ。これが奴隷の言葉でなくて何なのか。そこには労働者階級としての誇りもなければ、団結して資本に対抗していく気概のひとかけらもない。
 しかも、ワークシェアリング実現のために政府がなすべきこととして言われているのは、セーフティネットの整備、職業紹介の規制緩和、新規事業育成、多様な雇用形態のための条件整備などである。だが、それこそは小泉「構造改革」そのものではないか。連合は、このように小泉「構造改革」を「社会的合意」の名で推し進めようというのだ。
 小泉「構造改革」の核心は、労働者の団結と労働組合運動を解体することで、国家の危機を突破しようというものだ。これを政労使の名で認めたものこそ「社会合意」推進宣言だ。これこそは、戦前の大政翼賛会の思想そのものである。九・一一反米ゲリラ戦を契機にした日帝のアフガニスタン侵略戦争参戦という事態の中での、連合のこの屈服は、侵略戦争翼賛そのものになっている。
 この連合の裏切り路線の先兵こそ、九三年から「ワークシェアリング」を唱え、八月一日に連合に先駆けてJR東日本と「二十一世紀労使共同宣言」を締結したJR総連カクマルだ。また、全労連は、連合の共闘呼びかけを「雇用限定共闘」を歓迎するなどと言って完全に認めている。
 連合・全労連・JR総連カクマルの裏切りを粉砕して、一律大幅賃上げ・賃金差別撤廃、首切り反対、戦争反対を掲げて〇二春闘をストライキで闘おう。


賃金カーブ

 多くの労働組合は賃金闘争に先だって組合員の賃金調査を実施する。勤続年数を横軸に、基本給を縦軸にして各組合員の賃金を点打ち(プロット)し、各入社年度の賃金の「平均値」を結んでいくと曲線が描ける。これが賃金カーブだ。
 縦軸が年収だとカーブの面積が資本の総額人件費(除く福利厚生費)になる。点の散らばり具合が差別賃金、カーブの形が年功制の程度を示す。
 01春闘での89年入社の労働者の賃上げ額@は、2000年4月に勤続11年だったのが1年たって勤続12年となり、88年入社の1年先輩の1年前の賃金に追いつく部分A(賃金カーブ維持分、定昇分)と賃金カーブ引き上げ分B(ベア)からなる。賃金カーブを維持しても総額人件費は変わらない。
 しかし、定昇制度が確立している職場以外は、賃金カーブがあらかじめ保障されているわけではない。資本は賃金カーブをできるだけ水平にしようとする。賃金カーブ自体、闘いの結果なのだ。

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週刊『前進』(2033号4面2)

力ある闘いへ大カンパを 21世紀革命の勝利開く強大な労働者党建設へ
 革命的共産主義者同盟

 すべての同志の皆さん。支持者、『前進』読者の皆さん。
 年末一時金支給・獲得時にあたり、今空前の規模で強行されている米帝のアフガニスタン空爆・大虐殺と日帝自衛隊の本格出兵を阻止し、元凶である帝国主義支配体制を打倒する大カンパ闘争への渾身(こんしん)の決起を訴えます。

 党大会と01年の激闘

 革共同は本年ついに本来級の規模で革共同第六回大会を開催し、二十一世紀をこじ開けました。
 大会の中で世界史がついに「戦争と革命の時代」に突入したことを明らかにし、二十一世紀のできるだけ早い時期に反帝国主義・反スターリン主義世界革命−日本革命の勝利を達成することを宣言し、大会の完全な確立と勝利を闘い取りました。
 またこの一年は、〇一春闘での動労千葉の渾身の百二十時間ストライキの貫徹をひとつの頂点に、全国各職場での闘いに決起しました。一方、危機にあえぐ日本帝国主義が放った小泉政権の登場に対して、これと対決するべき都議選闘争で敗北したことを革共同は根底的に自己批判し、再起の決意で決起しました。日帝・文科省の「つくる会」教科書攻撃と真っ向から切り結び、全国的転換点を形成した杉並や栃木の闘いでの激闘を貫徹し、ついに全国五百四十二のすべての採択区での採択を阻止しました(全体で採択率〇・一%以下)。
 さらに八月広島−長崎での闘いや八・一五靖国闘争と、「帝国主義国の労働者はどう生き闘うべきか」を問う「熱い夏」を実現しました。
 この死闘があったからこそ、九月十一日に勃発(ぼっぱつ)し全世界を揺るがした反米ゲリラ戦に対しても直ちに向き合い、とりわけ十月七日から強行されている帝国主義のアフガニスタン侵略戦争阻止の闘いに立つことができました。革共同は戦時下、決意も新たに、闘うイスラム諸国人民と連帯して、大学でのストライキや、十一月九日、二十五日と連続する佐世保・呉・横須賀現地闘争を闘い、そして十一月十一日の日比谷野音を埋めつくした労働者集会を、闘う労働組合、労働者とともにかちとりました。
 これらの闘いを土台に、労働者党建設に決定的に踏み出し、六回大会路線の実践を開始しました。

 帝国主義戦争粉砕を

 九・一一反米ゲリラ戦は第一に、帝国主義とスターリン主義の残酷な世界支配が、どれほど激しい怒りを生んでいるかを突き出しました。帝国主義とスターリン主義は、二つの世界大戦、戦後革命の圧殺、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争、ユーゴ空爆と休む間もなく戦争をし続け、二十世紀の戦死者は一億人を超えています。その支配によってごく一部の富裕者を産み出すために、十数億の人民が餓死の危機に直面する社会しかつくれなかったのです。
 アフガニスタンはその典型です。ここに二十二年前にはソ連が侵攻、米英帝らはそれに対抗するために潤沢な資金とあらゆる兵器、さらに直接的な軍事指導でビンラディンらやアルカイダを育ててきました。
 それが民族自決に目覚めるや一転して「テロリスト」と呼び、戦争を仕掛けてきたのがアメリカです。その結果は人口二千五百万人の国で一割以上の民が死に、二割以上が難民にならざるを得ないという事態となっています。
 では「富める国」アメリカの資本主義は成功しているのでしょうか。実は米帝経済こそ完全に失敗しているのです。国民に借金をさせて株を買わせることでようやく維持されてきたアメリカ経済の一挙的な崩壊は、現在始まっているとおりです。ブッシュがアフガニスタン侵略戦争に踏み切ったのは、ここに米バブル経済崩壊による世界大恐慌に対する必死の延命策を求めたからです。
 さらにこの戦争とかいらい政権づくりは、石油資源強奪とそれを使った米帝の世界支配策動でもあります。旧ソ連の崩壊で出現した中央アジア、カスピ海沿岸のイスラム系諸国に準中東規模の埋蔵量(三百億d以上。日本の消費量の百年分)と言われる石油・天然ガス資源が確認されています。アフガニスタン侵略戦争に帝国主義諸国が先を争って出兵しているのはこの利権をめぐる争奪戦だからです。こんな戦争をどうして許せるでしょうか。絶対阻止しよう。
 二つ目にはっきりさせなければならないのは、この帝国主義に対する怒りが臨界点を超えて、世界中で激しく炸裂(さくれつ)していることです。九・一一直後の困難を克服し今や世界中で反戦闘争が巻き起こっています。
 この壮大なエネルギーが、反スターリン主義・革命的共産主義と合流する歴史的大事業が始まっています。とりわけアメリカ労働運動の巨大な動きとともに世界革命の現実性を突き出しました。まさに「二十一世紀は、二十世紀が解決するべくして解決しえなかった世界史的大課題、すなわち帝国主義とその支配体系の全面的打倒・転覆を反帝国主義・反スターリン主義のプロレタリア世界革命として早急になしとげ、共産主義社会への全人類史的移行をかならず実現するべき世紀として到来した」(第六回大会第二報告)のです。

 開始された反転攻勢

 日帝・小泉政権は米帝との争闘戦に追いつめられ、「聖域なき構造改革」攻撃を進めています。これは日帝の生き残りのため、すべての犠牲を労働者人民に押しつけるものです。リストラ、首切り、低賃金と不安定雇用化や増税が強行されています。「公務員制度改革」攻撃、郵政民営化、中小民間の倒産攻撃から、労働法制や戦後社会保障制度の解体と治安法制の強化、差別・排外主義攻撃の激化、そして消費税・タバコ・発泡酒などの増税攻撃まで、働く仲間の全生活を覆う激しい攻撃が吹き荒れています。
 これに対して連合や日共は、闘わないどころか、逆に〇二年春闘の統一要求さえ放棄し、「労組は国益にそって」「テロ撲滅」を叫び、闘いを抑圧する「労働代官」になるまでに裏切りと腐敗を深めています。
 これらの攻撃を突き破って全国の国鉄、教育、自治体、全逓、民間各職場で、階級的労働運動の反転攻勢が始まっています。十月の国労全国大会では非和解的な分岐と激突が、ついに闘う闘争団を先頭にした「対案・対抗人事」として闘われるまでに沸騰しました。さらにそれは、十一月労働者集会が帝国主義の侵略戦争を阻止し、帝国主義を打倒する労働運動への飛躍をかけて、闘う労働組合と労働者の力で圧倒的にかちとられた中にも明らかです。
 全世界プロレタリアートと被抑圧民族人民の命運が、反帝・反スターリン主義世界革命へ闘う革共同の双肩にかかっています。革共同の大躍進を、労働者階級の深部からの絶大で貴重なカンパをテコにつくり出そう。
 「テロ根絶」と称する革共同への弾圧を粉砕し、非合法・非公然の党建設に勝利し、日帝権力との攻防の最前線で闘う長期獄中同志を自らの分身として奪還しよう。
 すべての皆さんが闘争資金やカンパへの考え方を一変させてくださることを心から訴えます。
 たとえば、戦争反対なら戦争を阻止できるだけの力ある闘いと闘争資金、そのための自己犠牲が必要であり、その資質をぬきに労働者階級が未来社会を建設することはできません。今次財政闘争はそういう決戦です。
 すべての皆さん。世界で燃え上がる闘うアジア、イスラム諸国人民の決起と真に連帯し世界革命への大道をともに歩みましょう。これらを実現できる力ある、生涯をかけた大カンパをお願いします。

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週刊『前進』(2033号4面3)

11・11労働者集会を闘って

 国際連帯が問われた 九州 青年労働者 水野明彦

 今年の十一月労働者集会は、九・一一以降のアフガニスタン侵略戦争情勢にあって、全世界の労働者が帝国主義の侵略戦争に反対する闘いに陸続と決起を開始する中、日本の労働者階級が国際連帯の闘いをどのように貫くのか、日本の労働者階級の真価が問われる集会だったと思う。
 集会発言の中で「残念ながら現在、日本で反戦運動を頑張っているのは市民団体の方で、労働者階級がなかなか見えない。今こそ労働者階級がその主体として登場しなければいけないのではないか」との訴えに強い共感を覚えた。まったくそのとおりだ。労働者階級は祖国を持たない国際的な階級だ。だからこそアフガニスタン人民の痛みをわが痛みとし、圧倒的な反戦闘争に立ち上がらなければならないはずだ。
 しかし既成の労働運動指導部は、かつてのドイツ社会民主党がそうであったように、帝国主義の危機をわが危機ととらえて祖国擁護に埋没し、労働者階級の自己解放の闘いに敵対して労働者を地獄へ引き込もうとしている。国労中央の四党合意策動はその最たるものだ。支配階級と同じ立場に立ち、人の痛みをわが痛みとしない労働運動に、リストラ・首切り反対など闘えるはずもない。ましてや連合支配に甘んじて反戦を闘わない労働運動などに未来はない。あるのは資本の情け容赦ないリストラ・首切り攻撃と苛烈(かれつ)な戦争動員、ただそれだけだ。
 私は最後に会場全体で歌ったインターナショナルの「海をへだてつ我ら腕(かいな)結びゆく」という歌詞の意味をかみしめながら、今こそ日本の労働者階級は国際連帯の旗のもとに一大反戦闘争に総決起しなければならないと思った。今年の十一月労働者集会は、「反戦を闘う日本の労働者ここにあり」と内外に示すことができた、すばらしい集会だったと思う。
 九州からは新しく二人の青年労働者が本集会に参加した。集会後に感想を聞くと、それぞれ「これだけ多くのデモだから、多くの人びとに戦争反対、リストラ反対を訴えることができたと思う。それが良かった」「とにかく良かった。感動した。やっぱり楽しいですね」とのことだった。若い労働者は、今の時代の閉塞(へいそく)感を打ち破る闘いを求めている。問題は、そうした労働者の解放的な闘いを私たちがどれだけつくることができるのか、どれだけ多くの青年労働者を決起させることができるのか、ではないか。
 集会では、国労闘争団の方が、「会場のすべての労働者は佐世保からの自衛隊本隊の出撃を阻止する闘いに決起しよう」と訴えた。日本の労働者階級には、国際連帯を踏みにじって自国の侵略戦争に加担するのか、それとも国際連帯を貫いてそれを阻止するのかが本当に厳しく問われている。日本の労働者階級は、アフガニスタン侵略戦争阻止の闘いに歴史的な登場を果たそうではないか。その決意を固めた集会だった。

 反戦・平和の思い貫き 東京 青年労働者 黒沢茂夫

 私が初めて全国労働者総決起集会に参加したのは、四年前であった。あの時の「闘う労働運動の新たな潮流を!」というスローガンに感動し、参加したのを今もはっきりと覚えている。
 私の心の中には、いつも反戦・平和の思いがあった。その思いは、沖縄を訪れた時、次のようなことを学んだからだ。日本帝国主義は第二次世界大戦において、沖縄を本土防衛の防波堤とし、「本土決戦」の時間かせぎの犠牲にし、「天皇制護持」を条件とする和平交渉に持ち込みたいという思惑から「捨て石作戦」などという沖縄人民を見殺しにする絶対に許せないことをやった。
 九・一一の事態以降、米軍は一カ月以上に及ぶアフガニスタン空爆を続け、小泉政権は「テロ対策」を口実にして参戦三法を成立させ、調査目的と称して十一月九日に佐世保から海上自衛隊の護衛艦二隻、補給艦一隻をインド洋に向けて出航させた。十一・一一全国労働者総決起集会は、まさに戦時下と言っても過言ではない中で開かれた、重要な位置を持つ集会だったと思う。
 小泉政権が登場して以来、日本の情勢はどうであろうか。小泉は、「聖域なき構造改革」を掲げて大失業を生み、われわれ労働者に「痛みに耐えよ」と平然と言い放ち、有事立法・改憲、教育基本法改悪を推し進め、「国家のために命をささげよ」と、戦争国家をつくり上げるために必死になっている。そのような情勢の中で九・一一反米ゲリラが起きたのだが、日本帝国主義はこれを絶好のチャンスとばかり、「反テロ」を叫び、大失業に対する怒りをわれわれが政府に向けることをそらして、侵略戦争へと動員しようとしている。今こそ、われわれ労働者が立ち上がり、九・一一の事態は何で起きたのかという本質を必死につかんでいかないと、本当に戦争に動員されてしまうと、今集会で学んだ。
 やはり、戦争に動員されるのも、また止めることができるのも、労働者だ。本当に今、労働組合を〈闘う労働組合〉にしなければならないと思う。連合路線の春闘で賃上げ要求もせず、「会社がつぶれたら、お前らは明日からは食えないぞ」などという運動では、もはやどうにもならない。
 資本主義の中で、支配者はわれわれに何をしてくれると言うのだ。搾取につぐ搾取でしかない。我慢したって、最後は切り捨てられるのだ。今、小泉は「国のために死ね」と言っているのだ。国が何をしてくれるのだ。沖縄戦という史実を見れば明らかではないか。何もしてくれない。資本主義の世の中、そんな世の中にはさよならを言いたい。やはり、闘う労働組合をすべての労働者の団結でつくっていきたいと、今集会で思いを新たにすることができた。
 日比谷公園にあふれんばかりの集会を目指して、来年も参加する決意である。

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週刊『前進』(2033号5面1)

介護保険廃止へ全国運動を 全国ネットワーク結成は高齢者の人間宣言の闘い

 六十五歳以上の介護保険料が十月から二倍化されたことに怒りが高まり、介護保険廃止に向けた闘いが重大な局面を迎えている。今ほど介護保険廃止の全国運動の発展が求められている時はない。小泉による戦争遂行のための戦後社会保障制度破壊攻撃に真正面から対決する陣形を形成し、「虫けら」のように抹殺されることを断固拒否するという高齢者自身の根底からの決起が始まっている。

 高齢者自身の人生の重みかけた制度告発

 介護と福祉を要求する杉並住民の会、健診介護要求者組合(高槻)、東大阪国保と健康を守る会介護要求部会が呼びかけた介護保険に異議あり!全国ネットワーク(準)は、介護保険の強行前後から三つの目標(@全額公費で、介護の保障を、A必要な人に、必要な介護を、B憲法違反の介護保険なくせ)と五つの要求(@介護保険料を減免、免除せよ、A介護保険利用料を減免、助成せよ、B要介護認定を抜本的に改めよ、C高齢者・「障害者」福祉制度の拡充で、介護体制をつくれ、D介護現場で働く者の労働条件を保障せよ)を掲げて、厚生労働省や各市区町村の行政と闘ってきた。
 高齢者が中心となって、三度にわたる厚生労働省交渉を行い、在宅介護における「障害者」施策の併用や保険料減免の内容に関して、大きな成果をこじ開けてきた。また、各地の市区町村に対して、直接百人単位の集団要請行動を実力決起として繰り返してきている。そしてついに、介護保険料の不服審査請求の取り組みは、全国で千件近くを組織し、東京では三度にわたる集団口頭意見陳述を行い、高齢者自身の人生の重みをかけて介護保険を告発する闘いに発展している。
 これらの闘いは、何よりも高齢者、「障害者」自身が自らに加えられた迫害に対して、生の声を組織する闘いから始まっていった。各地で行われた「メッセージ」運動では、介護を奪われ、苦しむ高齢者や「障害者」の怒りの声が発せられていった。この声が他の人びとに伝わり、一人ひとりの要求がけっして個別の要求ではなく、「みんなの要求」であることが明らかになっていった。しかも、それは生きる当たり前の権利として確認されていった。
 この権利の要求を実現するために、高齢者自身の団結が生まれ、これを基礎にした行動が展開されていったのである。この地平から新たな全国ネットワークという組織が生まれようとしている。〈要求〉〈権利〉〈団結〉〈行動〉〈組織〉のそれぞれの契機が、新たな大衆闘争の発展を形成しているのだ。
 介護保険が実施されて、利用料が払えないためにいったいどれほどの高齢者や家族が必要な介護を失ったのか。わずかな年金から毎月数千円が保険料として天引きされ、介護を受けるため、医療を受けるために、食事を減らすといったとんでもない生活が強制されている。高齢者の七割以上が年間所得二百四十万円未満で、特に女性はその八割が百六十万円未満である。さらに、年金受給者のうち約半数が月額五万円未満の基礎年金のみとなっている。これ以外に、様々な理由で無年金となっている人が九十三万人にのぼる。
 今年二月におきた大阪高槻市での老老介護夫妻共倒れは、すべての高齢者の現実として突き出された。日を追うごとに、介護保険のペテン性、収奪に対する怒りが全国で巻き起こっていったのだ。もともと介護保険は、医療保険制度のパンクを「救済」することを口実に登場してきたものであるが、医療や福祉の戦後的諸権利のことごとくを破壊するものとしてその正体が全面的に明らかになっている。しかも、その矛先を「社会的弱者」といわれる要介護高齢者・高齢者とその家族、「障害者」とその家族に襲いかかってきているのだ。

 戦後社会保障制度の解体攻撃と闘う陣形

 現在の高齢者は、日帝の侵略戦争に動員され、生活を破壊され、戦火の中を命からがら生き延びてきた人びとであり、戦後の焼け野原から食べるものも食べられず、子どもたちを育て上げてきた年代層だ。ある意味では日帝によって最も犠牲を押しつけられてきた年代層なのだ。日帝の搾取と収奪を集中的に受けてきたにもかかわらず、その労苦から解放されたとたん、今度は国の財政危機の救済を口実に真っ先に抹殺されようというのだ。これが、小泉の言う「痛みの分かち合い」の内容なのだ。
 このような迫害と「虫けら」扱いに対して、当該高齢者自身が全国的な大運動によって鮮烈な人間宣言を真っ向から対置して、生き抜く=闘い抜くという宣言を発しようとしている。
 全国的大運動をつくりだし、同じ苦しみを強制されている全国二千数百万人の高齢者にアピールし、ともに立ちあがることが訴えられている。高齢者は救済や憐(あわ)れみの対象ではなく、堂々と生きる当たり前の権利を主張し、そのために、立ちあがろうとアピールしている。介護保険廃止の闘いに参加した多くの高齢者が「これはもはや自分のための闘いではなくなった。全国の同じ高齢者の仲間のために、子や孫のために、そして、小泉らに苦しめられているすべての人びとのための闘いになった」と、階級的決起を開始しているのだ。
 この決起は、医療制度改悪を軸にした戦後社会保障制度解体攻撃に対する闘いに発展しようとしている。
 現在、政府内部で検討されている医療制度改悪は、部分的な改悪ではなく全面的な大改悪だ。その核心は@医療費自己負担の大幅な増額であり、A高齢者の「優遇」措置の撤廃であり、B健康保険料の増額であり、C医療機関への支払いの削減(総枠規制、診療報酬および薬価の切り下げ等)であり、D健康保険の守備範囲の縮小なのである。もはや医療が医療ではなくなる。
 しかも、高齢者にその犠牲を集中しようとしている。来年度予算で二千八百億円(医療費の全体のレベルで一兆二千億円)をどう削るのかという徹頭徹尾戦時財政的視点から出されている。(財務省は来年だけではなく、その先も考えてもっと根本的に改悪せよなどと言っている)
 さらに、終末期医療、手厚い看護、長期の入院を保険診療からはずすということは、「寝たきり老人」や「痴呆」老人、「障害者」などを生かす必要はないということであり、差別思想→優生思想にもとづき高齢者、「障害者」を医療の名で抹殺するものだ。
 高い保険料や自己負担を取られる上に、保険では十分な医療を受けられないとなれば、何のための健康保険制度か。いつでも、どこでも、誰でも安く医療を受けられるという国民皆保険の理念を完全に否定するものであり、戦後的権利としてかちとってきた医療制度を根本からひっくり返すものだ。そして、公的保険が縮小した後を民間保険に明け渡すというものだ。すでにセコムなどが「自由診療保険メディコム」を販売し、大資本が病気を食い物にして、医療を支配しようとしている。
 このように医療制度改悪は、介護保険制度の精神、思想に基づくものであり、その構造のことごとくを介護保険と同様のものに転化しようとしているのだ。だからこそ、介護保険と本当に対決することのできるものこそ、この医療保険制度の改悪と対決し、勝負することができるのだ。

 労働者階級の生存権をかけ

 介護保険制度との対決を突破口に、医療保険制度の大改悪と対決する陣形を形成し、戦後社会保障制度の解体に対する闘いをつくり出していかなければならない。何よりも犠牲を集中される労働者階級が、高齢者、「障害者」とともにこの闘いに決起しよう。社会保障制度は、ロシア革命によってこじ開けられた労働者階級の生きるための諸権利であり、そのことごとくを破壊する攻撃は、階級絶滅攻撃なのだ。最先頭で闘い抜こうとしている高齢者、「障害者」とともに、労働者階級は自らの問題として立ちあがろう。
 すでに、介護保険をめぐって、全国で不服審査請求の取り組みが爆発的に始まっており、同時に、医療制度改悪に対する闘いも、医師会、保険医協会などの「業界団体」という姿をとりながら、発展しようとしている。戦時下の階級闘争として、高齢者、「障害者」=労働者階級の生存権をめぐって一大階級決戦が開始される状況が生まれようとしているのだ。
 こうした中で、この全国ネットワークの運動は、来春三月期における医療制度改悪に真正面から対決する高齢者、「障害者」を中心にした国会デモに総決起することが決定されようとしている。一千人の高齢者、「障害者」が自らの生存権を掲げ、車イスで、ツエをついて、厚生労働省に、国会に押しかけることが決定されようとしている。さらには、このような闘いを全国に広げ推進するために、新たな医療制度改悪阻止、介護保険廃止に向けた百万人署名運動が取り組まれようとしている。われわれは、この全国ネットワーク結成総会(十二月九日)の成功のためにともに闘い、二千万高齢者、六千万労働者階級の総決起をこじ開けていこう。

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週刊『前進』(2033号5面2)

学生戦線の今秋決戦報告(1)
自国の侵略参戦への態度問う 34クラス決議で防衛庁に抗議
 マル学同中核派法政大学支部

 学生戦線は、日帝のアフガニスタン侵略戦争への参戦を阻止し、国際反戦闘争の爆発をかちとるために実力決起を開始した。今秋決戦を最先頭で闘ったマルクス主義学生同盟中核派の四つの拠点大学の支部総括を今号から順次掲載します。(編集局)
 十一月二十五日、全学連は自衛隊の侵略出兵に対して、佐世保基地突入の実力デモに決起し、護衛艦「さわぎり」の進路に何度も立ちふさがる海上実力闘争に決起した。佐世保闘争で切り開いた自衛隊の侵略出兵阻止の実力闘争をますます激しく闘おう!
 以下、米日帝のアフガニスタン侵略戦争阻止、日帝・自衛隊の侵略出兵阻止の闘いの爆発に向けて、今秋の法政大学での闘いの報告と総括を提起する。

 日帝の参戦に賛成か反対か二者択一迫る

 今秋闘争の総括と教訓の核心点は何か。
 第一に、米帝のアフガニスタン侵略戦争と日帝の参戦に賛成なのか、それとも反対して行動に立ちあがるのか、の二者択一を迫って闘ってきたことである。このことは、今後ますます激しく全人民に迫って闘われなければならない。
 アフガニスタン人民を大虐殺している米軍に殺人兵器を輸送するために自衛隊が出兵することを許すのか否か、がすべての日本人民に問われているのだ。自国の軍隊が出兵することに対して中立などありえない。沈黙は、自衛隊出兵に賛成でありアフガニスタン人民虐殺への加担なのだ。
 われわれは、このことを一ミリのあいまいさもなく突き出し、闘うアフガニスタン人民と連帯して、すべてのクラスで「アメリカによるアフガニスタン侵略戦争反対、日本の参戦に反対」のクラス決議を上げて、十一・一六防衛庁デモから自衛隊出兵阻止の佐世保闘争に立ち上がることを訴えて闘ってきた。
 また、十一月九日の佐世保闘争に決起した学友が自衛官やその家族、佐世保市民が全学連の登場を待ち望んでいることをつかみ、法大生に決起を訴えた時、十一・一六防衛庁デモから第二陣出兵阻止の佐世保現地闘争の意義が鮮明となり、初めてデモに決起する学友が生まれていった。
 第二に、米帝によるアフガニスタン人民大虐殺の侵略戦争に怒りを爆発させて闘ったことだ。米軍は、一万発もの爆弾を投下し、バンカーバスター、クラスター爆弾、デージーカッターなどの核兵器に次ぐ破壊力を持つ殺人兵器を次々と投下し、B52戦略爆撃機で「じゅうたん爆撃」を強行して、数千人のアフガニスタン人民を大虐殺しているのだ。こんなことをどうして許すことができるか!
 われわれ自身が大虐殺戦争に怒りを爆発させてクラスで訴える中で、「アメリカの行っているのは、もう報復というより非人道的な殺りくである。これこそ民主主義に反する」という意見など戦争反対の声が次々と出され、クラス決議が続々と上がっていった。
 米帝は人民虐殺の空爆と特殊部隊投入に続き、海兵隊千五百人を派兵した。アフガニスタン人民虐殺の侵略戦争のエスカレーションを絶対に許すな!

 闘うイスラム諸国人民と連帯して闘う

 第三に、「闘うイスラム諸国人民との連帯」を貫いて闘いぬいたことである。日共スターリン主義が「テロ根絶」を大合唱する中で、クラス討論では「戦争は反対だが、テロをやった人を許して良いのか」という意見が出された。誰もが九・一一反米ゲリラ戦争の階級的意義は何かという回答を求めていた。
 米帝は、中東石油支配のためにイスラエルを使ってパレスチナ人民に侵略と虐殺と迫害を加えてきた。これに対して、パレスチナ人民を始めとした闘うイスラム諸国人民は、自らの命をかけた自爆テロにまで訴える根底的な闘いに決起し、米帝の中東石油支配を根底から揺さぶっている。帝国主義の侵略と侵略戦争に対して、被抑圧民族人民は絶対に屈しない。闘うイスラム諸国人民の怒りの激しさは、九・一一反米ゲリラ戦争にまで行き着き、米帝の世界支配を根底から突き崩すものとして爆発している。われわれは、闘うイスラム諸国人民の闘いの一つひとつを具体的現実的に学び、肉薄してきた。とりわけ、アフガニスタン人民が米軍の空爆に命がけで対決して闘っていることに必死に肉薄していった。
 闘うイスラム諸国人民は、帝国主義足下の労働者人民に対して、ともに帝国主義打倒の闘いに立ち上がってほしいと連帯の呼びかけを発している。「日本は戦争をやめさせるために世界に訴えてほしい」というアフガニスタン人民の血叫びにこたえ、アフガニスタン侵略戦争阻止、自衛隊参戦阻止の闘いに決起しよう。このことをクラス討論で真っ向から訴えた時、クラスからは、「アメリカの報復に名を借りた侵略戦争を許すな。日本政府は、パレスチナ民衆のアメリカ、イスラエルへの怒りの実態を理解してもらいたい」「パレスチナの難民をつくった欧米が今度は虐殺といった暴挙に出ることは、納得がいかない」「自衛隊参戦に強く反対する。戦争は破壊・殺りくをくり広げるだけだ」という声があがり、クラス決議が圧倒的大差で可決されていった。

 クラス決議34の大衆運動

 第四に、クラス決議運動や防衛庁デモが法大生の自主的な大衆行動としてかちとられていったことである。われわれが「クラス決議をあげて、派兵中止を求めて防衛庁デモに行こう」と訴える中で、法学部・文学部・経営学部では六割を超える一年生のクラスでクラス決議を上げ、法大全体で三十四のクラス決議を上げてきた。
 われわれは、クラスの全員に対して、決議に賛成なのか反対なのかを態度表明するべきだと訴え、反対票はもとより、保留や白票を減らし、圧倒的大差で可決することを追求した。一部の意識的学生にだけ通じる訴えを排して、全学友に通用するアジテーションを日々の集約で議論し、話す内容を練り上げクラス全員の組織化をめざした。五分から十分ぐらいの時間で問題の核心を鋭く提起し、圧倒的賛成票を組織する闘いに挑戦した。時には学友の中から、「君たちは、あのテロを認めるのか」という意見が出され、それにクラスから拍手が起きることもあった。だが、われわれは一歩も引かずに、米帝による侵略戦争であることをはっきりさせる踏み込んだ議論を組織し、クラス決議をあげていった。
 クラス決議は、数字として結果がはっきり出る。一票足りなくて否決されたクラスもある。勝利したクラスではその教訓を出し合い、否決されたクラスでは結果を見据え、どうすれば勝利するかを徹底的に議論して次のクラスでの勝利をめざして闘った。われわれは、日々流動化する情勢をつかみ、それに対応したビラやクラス討論をくり返していった。
 法大生は、ビラを読み、議論し、自分の意見を形成して、クラス決議の意見欄にどんどん意見を書き込んだ。法大では、アフガニスタン侵略戦争と自衛隊派兵をめぐる全学的議論が起き、学内二分情勢がつくられた。三十四のクラス決議は、けっして平たんな闘いではなく、われわれと法大生が格闘しながらかちとったかけがえのない地平だ。
 十一・一六防衛庁デモは圧倒的に注目され、学内デモ出発に際しては、集会をとりまいていた多くの法大生がデモ隊に続いた。十・二一国際反戦デー闘争や十一・一六防衛庁デモに新入生が初めてデモに参加する事態が次々と生まれた。闘争に決起する決意を固めた新入生がビラを書き、ステッカーをつくって法大生に決起を呼びかけていった。
 党が闘いの先頭に立ち、学生大衆と議論する中で、学生の自主的決起が切り開かれていった。この地平をさらに拡大し、大衆決起を切り開き、運動化し、米日帝のアフガニスタン侵略戦争を阻止しよう!

 学生共産主義者として自己を立たせる

 第五に、学生共産主義者として、自己をぶったたせて闘うことが一切を決するということだ。闘うイスラム諸国人民との連帯をはっきりさせることは、学生共産主義者としてのわれわれ一人ひとりの立場と決意が問われる。中途半端な立場では、クラスに登場することさえできない。闘うイスラム諸国人民との連帯と、日帝の参戦を命がけで阻止する立場をはっきりさせ、学友に対してともに立ち上がろうと訴えることが重要なのだ。
 われわれは、党の主張で真っ向から勝負する闘いを機関紙拡大闘争として目的意識的に展開し、かつてない『前進』バラ売りを実現し、機関紙拡大を実現してきた。多くの学友が、九・一一情勢とアフガニスタン侵略戦争情勢の中で、中核派が何を主張しているのかを求め、機関紙を購読していった。
 一九二九年型世界大恐慌の現実化の中で、帝国主義が死の苦悶(くもん)にあえぎ、旧スターリン主義圏や残存スターリン主義圏をめぐって、再分割戦争に突き進むものとしてアフガニスタン侵略戦争が強行されている。今こそ全世界の労働者階級と被抑圧民族人民が団結して、反帝国主義・反スターリン主義世界革命に勝利するときだ。
 クラス決議における勝利や機関紙拡大における勝利は、革共同の綱領・路線の勝利性を日々確信させ、反帝・反スターリン主義世界革命とその一環としての日本革命に勝利するまで闘うという革命的共産主義者としての不退転の決意を日々打ち固めるものとなった。それは、革共同の第六回大会報告・決定集を時間をつくって学習することと一体の闘いであり、マル学同中核派法政大学支部の組織建設の前進と一体である。
 法政大学支部は、自衛隊のアフガニスタン侵略出兵という新たな段階への突入に際して、侵略出兵を阻止する革命的大衆行動の爆発の最先頭に立って闘い、革命勝利の不抜の拠点を法大に打ち固める決意だ。

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週刊『前進』(2033号5面3)

コミューン1月号 司法改革の全容

 十一月九日、司法改革推進法が成立した。日帝は三年以内に関連法の成立を図るとしている。司法制度改革審議会の最終意見書で司法改革の全容が明らかになった。それは戦争と大失業時代に対応した、日帝の治安弾圧と資本攻勢を司法の名において追認し、推進する大攻撃である。
 第一章は、最終意見書の総論批判。三権分立の戦後的司法から決別して、政治部門と一体となって国家秩序を維持するための司法への転換を主張する総論を弾劾している。
 第二章は、日帝の一大資本攻勢を支持し、資本の要求にこたえて、資本や権力の労働組合破壊を追認する民事司法に転換する攻撃を批判している。
 第三章は、戦後的な刑事裁判を暗黒裁判に一変させることを狙う刑事司法の大改悪を断罪している。特に迅速な裁判を口実とする三つの新制度(集中審理方式、裁判員制度、公的弁護制度)を徹底批判している。
 第四章は、戦争と大失業攻撃を貫徹するために、闘う弁護士像を否定し、弁護士会と弁護士を戦争協力と人民弾圧裁判へと翼賛化する攻撃を弾劾している。
 翻訳資料は前回に続いて米国防省の「四年ごとの防衛見直し」(中)。従来の二戦域戦争に代わる「能力ベースのアプローチ」には〈敵の領土の奥深くにある標的に、警告なしで遠距離から攻撃を加える能力〉の形成まで論じている。対中国、世界大的戦争へ突進する内容になっている。

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週刊『前進』(2033号6面1)

戦時下の沖縄闘争の爆発を
侵略出撃拠点=米軍基地撤去へ 名護新基地建設を阻止しよう
 革共同沖縄県委員会

 闘うイスラム諸国人民との連帯かちとれ

 日帝は、十一月九日に続き二十五日に第二陣の海自艦隊を出兵させ、艦隊六隻兵員千五百人におよぶ本格的な派兵に踏みこんだ。歴史の歯車が大きく回転した。それは帝国主義軍隊としての自衛隊が戦場へと乗り込み、そこでアフガニスタン人民を始めとしたイスラム諸国人民に対し殺りくと破壊の戦争をやるということなのだ。
 われわれはこの自衛隊の参戦出兵を心の底からの怒りをもって弾劾する。そして今こそ、闘うアフガニスタン・イスラム諸国人民と連帯し、帝国主義による侵略と民族抑圧と闘わなければならない。そして何よりもこの侵略戦争を阻み、帝国主義を打倒する沖縄闘争の歴史的な登場を今こそ実現しなければならない。沖縄闘争の真価が今、問われているのだ。
 米帝ブッシュ政権はタリバン軍のせん滅とアフガニスタン全土制圧のために徹底的な軍事攻勢を強めると言っている。それは今もなお飢餓に苦しむアフガニスタン人民にさらなる虐殺を加えるということだ。砲弾の雨の中で死のうが、難民となって飢えて死のうがいっこうにかまわないというのである。これこそ帝国主義の凶暴な正体であり本当の姿だ。
 米帝ブッシュは九・一一反米ゲリラ戦争を口実に「テロ根絶」のための戦争などと言い、この戦争が凶悪な侵略戦争であることを隠している。しかし、九・一一が戦争の原因なのではない。九・一一をきっかけとして、帝国主義は自らの基本矛盾を爆発させ、侵略戦争に突入したのだ。九・一一によって帝国主義の破滅的危機が加速し、それがアフガニスタン侵略戦争として爆発したのだ。
 日本、イギリス、フランス、ドイツなどの帝国主義各国もそれぞれの国家的利害をかけて大規模な侵略出兵へ動き始めている。その狙いはカスピ海−中央アジア一帯に広がる石油・天然ガスなどの資源略奪だ。
 タリバン軍の「戦略的撤退」の中で、世界の帝国主義ブルジョアジーはすでに中央アジアの資源略奪に殺到し始めている。そのために有利な政権づくり(かいらい政権だ!)をどうするのかの駆け引きすら始まっている。このことの中に、この戦争の階級的性格がいったいどこにあるのかがきわめて鮮明に現れている。
 小泉は今国会で参戦三法の制定をクーデター的に強行した。そして次はPKO法改悪を狙っている。「湾岸戦争」の時の「軍事力をもたない帝国主義などひとたまりもなくたたき伏せられる」という危機感に突き動かされてのことだ。日帝の参戦への動きは猛烈な勢いで進んでいる。資源・市場・勢力圏の獲得のためのアフガニスタン侵略戦争に突進し始めたのだ。
 この国際帝国主義の侵略と略奪、民族抑圧によってアフガニスタン、パレスチナ、イスラム諸国人民は耐えがたいまでの苦しみを強いられている。それは同時に、帝国主義国の労働者がこの歴史と現実に無自覚であることが、イスラム諸国人民の闘いを困難な上にも困難な状況へと追い込んできたということでもあるのだ。九・一一反米ゲリラ戦争は帝国主義国の労働者にこのことを衝撃的に突きつけた。帝国主義国の労働者人民はこれを真っ向から受けとめて立ち上がっていかなければならない。
 日共スターリン主義を先兵とする「テロ弾劾」の大合唱は、帝国主義の立場であり最悪の排外主義だ。イスラム諸国人民は帝国主義によって人間としての、民族としての尊厳と生きる権利すら奪われてきた。このような悪逆無道なことをやっておいて、被抑圧民族人民の闘いを「テロ」と規定し、「テロ弾劾」を叫ぶことなど許されないのだ。被抑圧民族人民の民族解放・民族自決を否定し、帝国主義による支配と抑圧を半永久的に強制する帝国主義のイデオロギーでしかない。
 このイデオロギーを粉砕し、被抑圧民族人民との連帯をとおして、帝国主義の侵略と民族抑圧を打ち破らなければならない。

 日米帝の沖縄政策の破綻と非和解的激突

 九・一一−十・七情勢下で沖縄闘争は新たな局面に突入した。「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の戦略的総路線が「闘うアジア人民、闘うイスラム諸国人民と連帯し、帝国主義の侵略戦争を内乱へ」と一体のものとして、沖縄闘争の中にしっかりと根づき、生き生きと発展していく時代が到来したのである。それはまさに帝国主義(日米)による対沖縄政策が根本的に破綻(はたん)し、もはや小手先でのりきれるような水準をはるかに超えてしまっているということである。そしてこのことは沖縄社会のあらゆる分野で、帝国主義と沖縄人民との非和解的な衝突として現れている。
 日帝は、九五年九月の少女暴行事件に端を発した沖縄人民の決起によって、七二年「返還」政策(体制)の完全な破綻に直面した。日米の帝国主義は九六年に日米安保の再定義とそれとセットにした日米新安保ガイドラインの締結を行った。そして米軍基地に対する県民の怒りの高まりの中で、それ自身ペテン的ではあれ、「基地の整理・縮小」を盛り込んだSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意を打ち出さざるをえなかったのだ。
 この過程そのものが米帝による東アジア十万人体制と、それを維持するための沖縄基地の重要性を要求するという対日争闘戦に貫かれたものであった。
 普天間基地の県内移設を核心としたSACO最終合意は、日帝の伝統的な沖縄政策の破綻と動揺の中から出てきたものだ。「整理・縮小」で沖縄人民をだますインチキな代物でしかなかった。日帝にはこのような、誰ひとり納得させえないペテン的政策しかない。しかもそれに代わって帝国主義としての自らの命運を預けられる何ものも持っていない。そこにこそ日帝の対沖縄政策の破綻性があるのだ。
 そしてもう一方では、九五年の十・二一の十万人決起と軍用地強制使用をめぐる闘いの爆発によって〈日帝〉対〈沖縄〉の非和解的関係があらわとなった。もはや沖縄にとって、日帝は〈重し〉であり、それを取り除かないかぎり起き上がることすらできない。そのことが誰にも明らかになった。
 九〇年に誕生した大田県政は、九五年の十万人決起を背景に軍用地強制使用に対し代理署名を拒否した。そのことによって当時の橋本政権はグラグラとなり、まさに帝国主義としての国家的屋台骨そのものが揺らいだ。
 ここで重要なことは、「安保が国策ならば、基地と安保の負担を公平にしてくれ」という要求が日帝と真っ向から衝突していることだ。この要求はそれ自身は革命あるいは体制変革の要求ではない。沖縄への差別政策反対と平等の要求である。しかしこのことが日帝や日米安保と全面的に対立するのである。日帝はこの現実に絶えず動揺しながら、その都度ペテン的やり方でのりきろうとしてきた。今そのようなやり方が根本的に破綻し、沖縄人民との全面的激突の情勢を迎えようとしているのだ。

 侵略戦争で危機突破狙うブッシュ新戦略

 米帝ブッシュ政権は従来の「二正面戦略」から中国スターリン主義の体制転覆を核心にすえたアジア重視戦略への転換を掲げて登場してきた。これに加えて「九・一一情勢」は、沖縄、米軍基地をめぐる情勢を一変させている。
 アメリカ経済−世界経済は二九年型世界恐慌へ雪崩を打って突入し始めた。ブッシュは、この帝国主義の破滅的危機を侵略戦争、世界戦争を引き起こすことによって立て直し再編しようとしている。ブッシュはそのことを完全に決断した。    
 世界戦争の中でアメリカだけがひとり勝ちするという観点から、日米関係についてもきわめて争闘戦的に踏みこみ、日米安保同盟のもとに日帝を組み伏せようとしている。これが中国スターリン主義の体制転覆とともに、ブッシュ戦略のもうひとつの核心である。
 ブッシュ戦略が世界戦争を想定し、それを決断した国家戦略であることを軍事面から強く打ちだしたのがミサイル防衛構想だ。これは発射された核弾頭を途中で撃ち落としてしまう防衛システムである。アメリカ本土は絶対に無傷のまま、敵国には壊滅的な打撃を確実に強制する。そして米帝だけが核の先制的攻撃能力を持っている状態をつくりだすというものだ。しかも、中国と目と鼻の先にある沖縄にそのための基地をつくろうとしているのだ。
 ブッシュは本気で中国に戦争をしかけようとしている。そうなれば沖縄はまさに戦場となる。この戦争の現実性を前にして、日帝の沖縄に対する姑息(こそく)なやり方は完全に吹き飛んでしまった。日帝・小泉は決定的に追いつめられている。ブッシュは「沖縄問題を解決できない」でいる日帝の弱さを見抜いている。そこを突いて「アメリカの要求の実現」を迫っている。この米帝との関係でも、今までのようなペテンとごまかしでのりきってきたような沖縄政策などもう通用しないのである。
 普天間基地の名護(辺野古)への移設における「十五年使用期限」問題で、日帝や稲嶺県知事そして岸本名護市長らはあたかもそれが可能であるかのように装ってきた。しかし米帝ブッシュはこの「十五年問題」など歯牙(しが)にもかけていない。「問題にもならない」として、「そんな問題は日本政府の責任で決着をつけろ」という態度なのだ。
 ブッシュ政権の世界戦略の転換の中で、日帝のペテン的沖縄政策が破綻していることを前提にして、小泉もまた対沖縄政策の根本的な転換へ踏み切っている。今までの橋本や小渕らとは明らかに違う。小泉の「構造改革」、靖国問題、教科書問題、そして九・一一情勢のもとでの突出はこれまでと次元を異にしている。戦後自民党政治とは異質な、ある種ファシスト的な手法をもって〈外にむかっての侵略戦争〉と〈内にむかっての階級戦争〉を強引に推進しているのだ。
 しかしこのような帝国主義の思惑がそのまま貫徹することはありえない。逆に沖縄問題の矛盾のさらなる爆発しかない。しかも九・一一反米ゲリラ戦、十・七空爆開始という事態は沖縄全体に巨大なインパクトを与えている。もはや「基地との共生」などありえない。基地全面撤去が沖縄人民の圧倒的な意思なのである。

 「復帰30年」―基地との共生覆す反転攻勢を

 稲嶺知事が推進してきた「基地誘致と引きかえの振興策」という路線は、今完全に破産し、沖縄人民の怒りの的となっている。稲嶺が言うところの「現実路線」なるものが、九・一一以降に沖縄で起きた全事態の一切の元凶である。稲嶺の「現実路線」が引きよせたものだ。米軍基地の臨戦態勢と沖縄人民への徹底した敵視、観光客の激減、九・五%にも上る失業率など尋常でない事態が続いている。振興策欲しさに基地まで誘致するということの結果が、今起こっている事態なのだ。
 ブッシュ政権の誕生と九・一一ゲリラ戦争によって、稲嶺の「現実路線」が「成立」してきた土台的前提はすべて崩れ去った。
 しかも買収としての振興策も小泉政権のもとでは「絵に描いた餅」でしかない。「構造改革」のもとで沖縄だけに例外的に、特別に金を注ぎ込むということがそもそも成り立つのか。日帝や稲嶺らはこれをごまかしている。稲嶺にいたっては沖縄をIT産業の拠点、発信基地にするとか言っているがマンガでしかない。振興策の「実効性」が失われているのであって、SACOの前提が崩壊しているのだ。
 そして今、「基地容認」「基地の誘致」のみが沖縄の上にのしかかってきているのだ。それを認めることは米軍の侵略戦争への積極的加担と協力、そして沖縄の破滅への道なのだ。
 今、沖縄問題の矛盾が全面的に噴き出し戦争問題として爆発している。沖縄人民は「軍事基地とは共存できない」「軍事基地は全面撤去だ」と、誰しもが確信を深め始めている。
 しかし、このような中にあって、連合指導部は「テロ弾劾」の大合唱に加わり、十一月十五日には稲嶺や沖縄経営者協会と一体となって、「雇用・経済危機突破県民大会」を開くまでに屈服と転向を深めている。アフガニスタンへの米軍の空爆が始まり、自衛隊の出兵が大問題となっていた時、連合指導部は例年の十・二一県民大会を放棄し、県庁前の小規模集会でお茶を濁した。
 日本共産党を始め既成野党や連合などが変質し、まったく闘う意志も気力も失って無力化している中で、日帝と稲嶺は名護新基地建設、浦添軍港建設の攻撃を一気に強めてきている。
 名護においては、「十五年問題」などそっちのけで三工法八案をめぐり、地元誘致派が真っ二つに分裂していがみあっている。地元辺野古の誘致派の中からも軍民共用空港への疑問が噴き出し、経済効果への期待も急速に失われ始めている。日帝も稲嶺も岸本もそして誘致派も「大義名分」などなくなっているのだ。
 ブッシュ戦略の中で「十五年期限問題」や「使用協定」問題なども吹き飛んでいる。あとはむきだしの暴力と強権で、地元住民を先頭とした沖縄人民の闘いを圧殺するしかないところにまで追いつめられている。
 一方、那覇軍港の浦添移設攻撃は、儀間市長の建設受け入れ正式表明によって重大段階に入った。二○○二年の決戦は不可避である。
 さらに、改定米軍用地特措法による違憲不当な土地強制使用は、反戦地主と非和解的に対立している。
 沖縄の根底からの怒りと闘いの力を引き出し、全面的な激突に発展していくことは不可避だ。来年二月の名護市長選挙をも決定的転機として、名護新基地建設阻止、浦添軍港建設阻止の新たな反基地闘争の爆発をなんとしても実現していかなければならない。
 二〇〇二年をあらゆる意味において沖縄人民の反転攻勢の年としなければならない。
 日米争闘戦の激しい展開の中で沖縄闘争の戦略的位置はますます高まっている。米帝ブッシュ政権は、九・一一情勢下でこそ沖縄基地の絶対的な確保と強化・拡大の要求を突きつけ、日帝・小泉政権は、自らの帝国主義的存亡をかけて沖縄に対し暴力的・強権的に出てこざるをえない。これと対決する沖縄闘争はアメリカ帝国主義を始めとした国際帝国主義のアフガニスタン侵略戦争を阻止し、何よりも被抑圧民族人民の闘いと連帯する闘いなのだ。
 来年の五月十五日で沖縄は「復帰」三十年という大きな節目を迎える。
 今年八月のサンフランシスコ条約五十周年、日米安保条約五十周年にあたって、日米双方は日米同盟関係の強化を確認し、日米地位協定の改定を行わないことを表明した。沖縄へ差別と犠牲を集中し、基地の島として固定化することをあらためて宣言するものとなった。
 そして「復帰」三十周年には政府(県)による大々的な行事が予定されていると言われている。それは県民に「基地との共生」を強いることで、「日帝に屈服して生きよ」ということを押しつける大攻撃だ。
 七二年「返還」や九六年の安保再定義が起こったとき、その歴史の節目において沖縄の今後のあり方・未来を決していく問題として、たえず県民的レベルでも闘いの路線的・綱領的問題が生起してきた。九・一一情勢下で「復帰」とは何であったのかと問うことは、沖縄闘争の路線的・綱領的問題に必ず転化していく。その中でこそ巨大な闘いが準備されていくのだ。
 二〇〇二年決戦でこそ沖縄闘争の全面的爆発をかちとり、国際反戦闘争の先頭に立とう。「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」を掲げ闘おう! 闘うイスラム諸国人民と連帯し、米軍のアフガニスタン侵略戦争阻止! 日帝・小泉政権の参戦阻止! 米軍基地撤去の反基地闘争をまき起こそう! 

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週刊『前進』(2033号6面2)

「国家有為の人材育成」狙う教育基本法の全面改悪阻め
 文科相の中教審諮問を弾劾する

 十一月二十六日、遠山文部科学相は、教育基本法の全面的な見直しを中央教育審議会に諮問した。文部科学省は一年をめどに答申を得て、〇三年の国会に改悪案を提出する予定としている。
 遠山は、@教育の理念(第一条、第二条)、A教育の基本原則(第三条、第四条、第五条、第八条、第九条)、B家庭、学校、地域社会の役割など教育を担うべき主体について(第六条、第七条)、C教育行政について(第一○条)、D前文について、の五項目に分けて見直しを諮問した。
 この諮問内容は、昨年十二月、教育改革国民会議の最終報告を受けて、当時の町村文相が、「粗々(あらあら)の法案の形で諮問したい」としていたものを継承している。教育振興基本計画が諮問の主要課題と言われているが、教育基本法の全面改悪を求めたものとなっている。
 さらに、中曽根弘文元文相が会長を務める参院自民党政策審議会は、来年夏までに教育基本法改正試案をまとめることを合意した。
 諮問は、@教育の理念について、教育基本法が示す教育理念を百八十度逆転させて、次のように言っている。
 「教育の基本理念として、教育基本法は、教育の目的(第一条)及び方針(第二条)を定めている。教育の目的として第一条は、人格の完成を目指し、国家、社会の形成者として心身ともに健康な国民の育成を期して行うとし、国家、社会の形成者として有すべき徳目を例示している」と。
 前提的に確認したいことは、教育基本法の教育理念は前文と第一条で規定されているということだ。諮問は前文の規定を無視している。
 そして諮問は、第一条の「平和的な国家、社会の形成者」から「平和的な」を削除し、さらに第一条にある「個人の価値をたっとび」「自主的精神に充ちた」などの言葉を単なる「徳目の例示」にすりかえている。さらに前文で規定している重要な教育理念である「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」を否定しているのである。
 こうして遠山は、教育基本法で規定された教育理念を単なる道徳的な徳目に切り下げ、まったく逆の「国家・社会にとって有為な人材の育成」という教育目標にとって代えたのだ。
 諮問は「普遍的理念は維持しつつ」と言うが、教育基本法の教育理念の根本を勝手に破壊しつくしているのだ。その上で遠山は、教育の理念の改悪について三点の検討を指示している。
(1)時代や社会の変化に対応した教育。(2)我が国が創造的で活力ある社会として発展していくためには、創造性や独創性に富んだ人材がますます重要になっている。そのためにも、一人ひとりの能力・才能を伸ばし創造性をはぐくむという視点。(3)伝統、文化の尊重など国家、社会の形成者として必要な資質の育成という視点、である。
 三点の項目が示すものは、戦争と大失業の時代にあって、帝国主義間争闘戦、侵略戦争と帝国主義戦争に打ち勝つための「国家有為の人材育成」が国家の教育目標となり、教育基本法がめざす「人格の完成」は完全に放り出されているということだ。主権者の育成の観点は消し去られ、国家主義が前面に押し出されている。
 一言で言えば、個人を捨て、国家のために生きかつ死ぬことができる国民の育成、それを教育基本法改悪の中に求めているのだ。
 元首相・中曽根は、十一月六日付産経新聞で、教育基本法改悪について「教育は何を軸とするべきか。小学校ではしつけ、読み書き、そろばん。中学校では公と私、国家と個人について考えること。高校では志、大学では使命感」などと、゛滅私奉公″的な教育への転換の狙いをむき出しにしている。
 また、前文の見直しで、憲法と教育基本法の一体的な関係を完全に破壊し、憲法改悪への道を切り開こうとしている点も重大だ。
 さらに諮問は、宗教的な情操を育むという観点を提起している。これは、戦前に学校教育が国家神道に蹂躪(じゅうりん)され、天皇のために死ぬことを強制された歴史を再び繰り返すものである。
 戦争と大失業攻撃が急速に拡大している。このもとで日帝は、有事立法=改憲、教育基本法改悪=改憲攻撃をエスカレートさせてきた。これとの闘いは改憲阻止決戦そのものである。今年前半の在日アジア人民、アジア人民と固く連帯して闘われた「つくる会」教科書採択阻止闘争の勝利、靖国神社参拝阻止闘争の勝利の教訓を生かして闘おう。
 日の丸・君が代の強制、処分攻撃、「指導力不足」教員排除の攻撃、奉仕活動の実質的義務化、東京都での新たな主任制攻撃と、それと連動した差別分断賃金攻撃などと闘い、教育基本法改悪阻止=改憲粉砕の巨大な陣形を構築しよう。

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週刊『前進』(2033号6面3)

2001年日誌 阻もう! 改憲=戦争への動き 11月20日〜27日
 自衛隊艦隊が3港から出港 ブッシュがイラク攻撃示唆

●アフガニスタン会議、1月東京で ワシントンで行われた日米共催の「アフガニスタン復興支援高級事務レベル会議」で、来年一月後半に日本で、閣僚級に格上げし参加国を拡大した「復興支援会議」を開くことを決めた。(20日)
●米が対人地雷禁止条約の署名見送りの動き 対人地雷禁止条約について、米国防総省が、代替兵器の開発を条件に〇六年度までに署名するとしていた従来の方針を覆し、代替策開発を事実上中止するよう、政府内で提案していることが明らかになった。(21日)
●PKO法改悪に自由党が対案提出 自由党が、国連平和維持活動(PKO)協力法を廃止し、国連や国際機関の要請があれば自衛隊がすべての活動に参加できる「国際平和協力法案」を国会に提出した。政府のPKO協力法改悪案に反対するという。(21日)
●「リーフ上案を尊重」と辺野古行政委 米軍普天間飛行場移設問題で、名護市辺野古区の行政委員会が、建設位置に関し代替施設等対策特別委員会のリーフ上二案を含む答申を「尊重する」と決議。(21日)
●PKO法改悪案が審議入り 国連平和維持軍(PKF)本隊業務への参加を可能にし、武器使用基準を大幅緩和するPKO協力法改悪案が衆院で審議入り。今国会会期末での成立が狙われている。九二年の同法成立以来の大改悪。(22日)
●自衛隊派兵承認案を国会に提出 テロ対策特措法に基づく自衛隊派兵の国会承認を得るため、政府が、自衛隊の活動内容を定めた承認案を閣議決定し、国会に提出した。「任務の特殊性がある」として補給活動に入る時期や地域、補給する米艦船の種類、燃料などの調達先など、活動の実態は一切分からない。(22日)
●防護対象は他国の軍隊も
 PKO協力法改悪案をめぐる衆院本会議での質疑で、中谷防衛庁長官が、武装した他国部隊も「不測の攻撃を受け自衛官と共通の危険にさらされた」場合には防護対象になりうるとの考えを示した。(22日)
●改悪入管法が成立 改悪出入国管理法が衆院本会議で可決、成立した。@外国人の上陸を拒否し、仮に上陸しても「暴力行為」に及んだ場合は迅速に強制退去できる、A現在は原則的に強制退去になっていない「一年以下の懲役や禁固」「執行猶予」の判決を受けた外国人も強制退去できるなどの規定が盛り込まれた。(22日)
●またも燃料気化爆弾を使用 対アフガニスタン軍事作戦を担当する米中央軍司令部が、米軍が持つ最大級の通常爆弾、燃料気化爆弾BLU−82をアフガニスタン南部のカンダハル近郊に投下したことを明らかにした。今回で三発目で、タリバン部隊に投下。(23日)
●自衛隊艦隊が出航 アフガニスタン侵略戦争に参戦するために、横須賀(神奈川県)、呉(広島県)、佐世保(長崎県)の海上自衛隊基地から三隻の自衛艦が相次いで出航した。出航艦は、呉から補給艦「とわだ」、横須賀から掃海母艦「うらが」、佐世保から護衛艦「さわぎり」の三隻。日本近海で合流し、マラッカ海峡を通過して十二月中旬にパキスタンのカラチ港に到着する。(25日)
●米軍が地上に本格的展開
 アフガニスタンのタリバン拠点として残っているカンダハル近郊に米海兵隊の第一陣部隊が投入され、展開し始めた。最終的に約千五百人程度が投入されるという。カンダハルでは空爆が激化し、米軍が前線基地の設営を始めた。(26日)
●教育基本法の全面改悪を中教審に諮問 遠山敦子・文部科学相が、教育基本法の見直しを中央教育審議会に諮問した。一年をめどに答申を求めたいという。諮問は「教育振興基本計画の策定」と「新しい時代にふさわしい教育基本法のあり方」の二点。(26日)
●自衛隊派兵承認案が衆院委で可決 アフガニスタン侵略戦争への自衛隊派兵の承認案が、衆院テロ対策特別委員会で、与党三党と民主党などの賛成で可決された。(26日)
●ブッシュがイラク攻撃も示唆 ブッシュ米大統領が、イラクに対し、北朝鮮とともに、核兵器などの開発をめぐる国連の査察を受け入れるよう要求。「テロ組織をかくまう国と同様に大量破壊兵器で世界を脅かす国の責任を追及する」と、イラク攻撃を示唆した。(26日)
●派兵承認案が衆院を通過
 自衛隊参戦の承認案が、衆院本会議で、与党三党と民主党などの賛成多数で可決された。民主党では横路孝弘副代表ら十二人が本会議に出席して反対、九人が棄権した。(27日)
●アフガン代表者会議始まる アフガニスタンに暫定政権を樹立するための各勢力が参加する「代表者会議」が、ドイツのボンで始まった。オブザーバーとして十八カ国とEU(欧州連合)も参加。外交官が各派と接触するなど、激しい駆け引きが繰り広げられている。(27日)

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週刊『前進』(2033号7面1)

アフガン戦争に全面協力するロシア
プーチンが米帝の戦争発動で軍事・外交戦略を歴史的に転換
 カスピ海−中央アジアめぐり争闘戦が激化
 藤沢明彦

 ロシアのプーチン大統領は、九・一一反米ゲリラ戦争に対する米帝ブッシュの報復戦争=世界戦争宣言、十・七アフガニスタン侵略戦争突入に対応して外交戦略を歴史的に転換した。許し難いことにプーチンは九・一一反米ゲリラ戦争を「国際テロ」として直ちに非難し、なんと九月二十四日には米帝への軍事協力と、中央アジア諸国の基地を米軍が使用することを容認するという方針を発表した。米英帝国主義のアフガニスタン侵略戦争は、日独仏伊帝国主義とロシアを巻き込み、世界大恐慌情勢と相まって、世界戦争危機を決定的に激成させている。以下、ロシアの歴史的な戦略転換の意味を考える。

 ロシアの存亡をかけて対米軍事協力方針を発表

 ロシア・プーチンは、米帝ブッシュの「テロ根絶」の戦争に協力しなければ敵とみなしてせん滅する、という脅迫に屈して米帝のアフガニスタン侵略戦争への協力方針を打ち出した。
 なぜならば、米帝が「米国につくかテロリストにつくかどちらかだ」と恫喝しつつ、自己の死活をかけた大戦争を発動し、アフガニスタン―中央アジアに直接軍事的に乗り込んでくることは、ロシアにとって中央アジア勢力圏喪失の危機、ひいては自らが軍事的に圧殺されかねない危機を意味するからだ。
 ロシアは、米帝の世界戦争政策に対抗したり、歯止めをかけたりする力を失っているため、米帝の凶暴な出方に従わざるを得ないのだ。ロシアは自己の生存をかけて対米軍事協力を申し出たのである。
 軍事協力方針は、情報提供、領空通過、中央アジア基地の使用容認という限定的なもので、直接の軍事共同行動は含まれない。
 ロシアが米英と一体の軍事作戦に入らないのは、チェチェンでの戦争が長引くなかで、アフガニスタンに新たな戦線を作ることが不可能だからだ。何よりも、ソ連軍のアフガニスタン侵攻の敗北とアフガニスタン人民の反ロシア人意識からして、アフガニスタンにロシア軍を派遣することは困難だ。だがこのことは、ロシアにとって世界政治からはじき飛ばされ、中央アジア勢力圏を失いかねない危機をもたらす(ロシアは十一月末、警備名目で少数の軍部隊をカブールに派兵した)。
 このなかでプーチンは、米帝のミサイル防衛(MD)構想と迎撃ミサイル(ABM)制限条約改廃の提案に対しても柔軟姿勢を示さざるを得なくなっている。米英はさらに、北大西洋条約機構(NATO)の政策決定にロシアが加わる「新メカニズム」の創設を懐柔政策的に提案し、ロシアをNATOにさえ組み込もうとしている。
 米帝の軍事行動への軍事面での協力は、ソ連時代を含めればロシアにとって第二次世界大戦以来のことだ(国連安保理決議に基づくNATO諸国との軍事協力は旧ユーゴスラビア地域で行われている)。
 ロシアは、対米軍事協力をとおして@中央アジアのロシア勢力圏としての維持Aアフガニスタンへの影響力の確保B帝国主義の対ロ援助・投資の拡大Cチェチェン侵略戦争への国際帝国主義の承認D米ロ関係と欧州安保体制の再編――などをめざしている。ロシアは対米軍事協力をもてことして自らの延命と資本主義化=帝国主義化を必死に追求しているのだ。
 アフガニスタン侵略戦争は、世界恐慌情勢のなかで危機を深める米帝の新たな世界分割戦争であり、帝国主義間争闘戦である。この戦争をとおして米帝は、他の帝国主義諸国とロシアに対する自己の優位を再確立し、帝国主義世界体制の盟主として延命しようとしているのだ。
 さらに米帝は、中央アジアに基地を構えて戦争を展開することをとおして軍事的プレゼンスを確保し、パキスタン―アフガニスタン―中央アジア―カスピ海に自らの勢力圏を築き、資源を略奪、独占しようとしている。湾岸戦争において湾岸諸国に出撃基地を置いて作戦を展開した米軍は、そのまま湾岸に米軍基地を築いて中東支配と石油資源の独占の決定的なてことしてきた。今回の南アジア、中央アジアにおける米帝の軍事展開は、ロシアだけでなく中国にとっても軍事的脅威・圧迫となる。
 ロシアはソ連時代を含めて、中央アジア、カスピ海を伝統的に自らの勢力圏として自認してきた。アフガニスタンをめぐっても、十九世紀にロシアはイギリスと争い、ソ連時代には自軍に膨大な戦死者を出しながら支配をめざした。ソ連崩壊後はラバニ政権(北部同盟=反タリバン連合)をタジキスタンをとおして支援し、巻き返しの手がかりとしてきた。この地域をみすみす米帝に乗っ取られ、石油・天然ガス資源、市場を分捕られ、勢力圏を築かれるようなことになっては死活問題だ。
 ロシアは、今までどおりの政策をとるわけにはいかない。米帝のアフガニスタンでの全面的軍事展開、中央アジアへの一定の軍事プレゼンスを受け入れつつ、軍事協力の代償として中央アジア勢力圏を追求するという絶望的な後退戦略をとる以外になくなっている。
 ライス米大統領補佐官は「米国は中央アジアにおけるロシアの権益を損なうことをめざしていない」と言明し、ロシアの懸念を打ち消そうとしている。だが、実際に米軍が中央アジア諸国の軍事基地を使用し、これらの諸国に見返り援助を行えば、米帝の中央アジア諸国への影響力は確実に強まる。米帝のアフガニスタン侵略戦争は、中央アジア諸国への強盗的殴り込みなのだ。この危機でプーチンは軍事外交戦略を転換した。プーチンの凶暴な内外政策の展開は不可避だ。
 米帝は、アフガニスタンと国境を接する中央アジア諸国の基地からアフガニスタンを空爆できれば、戦争を有利に展開できるとして、中央アジア諸国に基地使用を要求した。中央アジア諸国はプーチンの説得もあって対米軍事協力に踏み込んだ。

 米帝の軍事進出で動揺を深める中央アジア諸国

 中央アジアの諸政権は米英の攻撃によってタリバン政権が崩壊すれば、イスラム武装勢力は根拠地を失い、彼らを抑え込むことが出来るとみている。このためにも中央アジア諸国は基地を米軍に提供する方向に動いた。
 中央アジア諸国は対米軍事協力に同意したが、各国のイスラム指導者が米英の軍事作戦は「テロリスト」ではなくムスリム同胞が対象になっていると公式に発言すれば、人民の反戦闘争、反政府闘争が起こり、危機に突入しかねない。このなかでカザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスは対米軍事協力を表明したが、トルクメニスタンは中立を保った。
 中央アジア諸国は依然としてロシアに大きく依存している。トルクメニスタンからパイプラインで運ばれる天然ガスの使用料金をロシアが払わなければ、またカザフスタン、ウズベキスタンの綿花をロシアが買わなければ、これらの国の財政・経済は成り立たない。キルギスも同様だ。タジキスタンへの財政援助と、ロシア軍部隊の駐留がなければ同国政府はもたず、再び内戦になり、飢餓が広がる。ロシア人専門家、技術者、熟練労働者がいなければ各国の政治・社会・経済は成り立たない。
 しかし、米帝のアフガニスタン侵略戦争、中央アジア軍事基地の使用でこの地域における米ロの力関係は激変しようとしている。

 ★タジキスタン

 タジキスタンには、アフガニスタンとの国境に六千人のロシアの国境警備隊や機械化狙撃師団が配置されている。アフガニスタンからイスラム武装勢力が浸透することを阻止するためだ。ソ連崩壊後、タジキスタンでは旧共産党系勢力とイスラム勢力、民主派が三つどもえの内戦を展開し、六万人の死者と六十万人の難民を出した。再び内戦に火がつくことを防止するために国連の平和維持活動(PKO)が展開されている。
 ロシア、タジキスタン、北部同盟の軍部首脳はタジキスタン領内でたびたび軍事作戦を協議している。タジキスタンはタリバンと戦うラバニ派(タジク人勢力)の後方基地である。
 タジキスタンのラフモノフ大統領は十月、アフガニスタンから中央アジアへの麻薬の流入がこの地域の情勢を著しく不安定にさせていると指摘し、アフガニスタンにおける「反テロ」作戦の成功によってタジク人の平和な生活がもたらされるだろうと述べ、ロシア、米英の軍事面を含めた「反テロ」行動に協力することを表明した。タジキスタンの人民の大多数がムスリムであるため、アフガニスタン戦争は反イスラムではないと弁明し、軍事協力の意義を並べ立てて人民に同意を求めたのである。
 タジキスタンの軍事協力は、「人道支援」のための米軍機の領空通過を容認した段階から、十一月には北部同盟への武器、食料、軍需物資供給のための輸送やタリバン空爆のための空港使用へと広がってきた。
 アフガニスタンにはタジク人が六百万人もいる。そこからタジキスタンに十万人以上の難民が流入し生活している。だが、一人あたりの年間収入が二百八十jしかない世界最貧国で、干ばつで飢餓が生じているタジキスタンには、これ以上の難民を受け入れる余裕はない。
 ラフモノフは、難民のなかにイスラム武装組織のメンバーが含まれている可能性があると述べ、難民流入を阻止する構えを示した。日帝はタジキスタンに難民援助を申し出て進出を強めようとしている。

 ★ウズベキスタン

 ウズベキスタンのカリモフ大統領も、対米軍事協力に積極的であり、十月初め、米帝と「準軍事同盟」を結んだ。ウズベキスタンは、米第一〇山岳師団一千人の配備を認め、補給と米兵救援、「人道支援」のためとしてハナバード空軍基地を提供している。米軍機がタリバン爆撃のために出撃することはないとしているが、うそだ。
 タリバン政権が米帝に協力するウズベキスタンへの攻撃を宣言したため、米帝とウズベキスタンは「ウズベキスタンに脅威が及んだときは、米国と緊急行動について協議する」という共同声明を発表した。この「準軍事同盟」は戦後も続く可能性がある。
 ウズベキスタンは北部同盟のドスタム派(ウズベク人勢力)の後ろ盾であり、米英と北部同盟によるアフガニスタン制圧を期待している。カリモフは十一月十八日、カザフスタンのナザルバエフ大統領と会談し、アフガニスタンの政治的空白を埋めるために北部同盟を支援すると表明した。
 他方、ウズベキスタンはロシアとの関係を再構築しつつある。ウズベキスタンとロシアは、タリバン軍がウズベキスタンに侵攻した場合、ロシア軍がウズベキスタンを支援することを確認した。ウズベキスタンは、CIS集団的安全保障条約から一九九九年に脱退するなどロシア離れを追求してきたが、今年になって態度を変え、ロシア、中国、中央アジア諸国との「上海機構」(旧「上海ファイブ」。ウズベキスタンの加盟で加盟国は六カ国となり、改称)に参加するようになった。
 上海機構は「反テロ」の名でイスラム武装勢力に共同対処するための機構である。米英のアフガニスタン戦争と軍事プレゼンス確保の動きによって上海機構の意味が変わろうとしているなか、ロシアは米帝に対抗してウズベキスタンへの関与を強めることを追求している。
 ウズベキスタンの人口は二千五百万人で、そのうち八〇%がムスリムである。このためカリモフは、アフガニスタン軍事作戦は何らかの政権(タリバンのこと)やムスリムではなく「テロリスト」のみを対象にしているとし、米軍の地上戦のためには基地提供をしていないと強調した。ムスリム人民大衆の戦争協力批判をかわそうとしているのだ。タリバンよりも米国の方がましとして対米軍事協力に同意しているにすぎないのがウズベク人の政府支持者だ。
 カリモフ政権は、ソ連崩壊に伴って独立した後も、政教分離主義の官許イスラムしか認めず、政教一致を説く他のイスラム宗派=異端派を徹底的に弾圧してきた。とりわけタリバンと結び付き、イスラム国家建設をめざす武装組織、イスラム運動ウズベキスタン(IMU)には、彼らがカリモフ暗殺を企てたとして、軍事攻撃をかけて絶滅しようとしてきた。
 対米軍事協力に際してウズベキスタン当局は、イスラム指導者を学校や工場に送り、九・一一を支持するムスリムは真のムスリムではないと宣伝して回らせている。また人民を監視し情報を提供する「人民防衛隊」を設置し、モスクに頻繁に出かける人民に容疑をかけるなどして異端派の摘発に努め、反戦運動、反政府運動の発生を予防するのに躍起となっている。
 ウズベキスタンでは現在、一万人の非公認宗派信者や反政府派が投獄され、拷問を受けているといわれる。キジル・カルモハメドという二十七歳の青年は、非公認の平和的イスラム・グループに関係しただけで十二年の懲役刑を言い渡された。キジルの兄も同じ容疑で裁判中だ。家族も弾圧されるのだ。
 ウズベキスタン当局は、軍事情報に関する報道管制を強め、基地周辺十`から一般住民を追放した。米軍機が空爆に出撃していることを隠すためだ。だが、基地で働く労働者は戦闘機と攻撃ヘリを見たと証言している。

 ★トルクメニスタン

 トルクメニスタンのニヤゾフ大統領は、ソ連崩壊に伴って独立した後、豊富な天然ガス資源を物質的基盤にして永世中立を宣言し、CIS集団安保条約には参加してこなかった。だがニヤゾフは反対派を徹底的に弾圧し、終身大統領を宣言している凶暴な独裁者だ。
 トルクメニスタンは、タリバン支配地域に電気、ガスを供給する一方、国際的に認知されたラバニ政権を承認してきた。
 米英によるアフガニスタン侵略戦争に際しては、「反テロ同盟」創設を支持する一方で、国連の決定を経ない国際組織には入らないという独自の考えを示した。
 ニヤゾフは、セントガス社によるアフガニスタンを経由してパキスタンに至るパイプライン計画を実現させるためにも、アフガニスタンの安定化を求めている。ニヤゾフの外交政策は常に「両にらみ」である。
 なおロシア連邦内にもタタールスタン、バシコルトスタンなどムスリム地域がある。この両国の大統領は、九・一一反米ゲリラを「テロ」として非難したが、十・七に始まった米英の空爆には沈黙を守っている。両国のイスラム指導者が米英の空爆をムスリムに対する攻撃ととらえ、懸念あるいは非難を表明したからである。政治指導者も中東諸国と同じように慎重にならざるを得ない。危機を深めるこれらの諸国もプーチン体制の不安定要因だ。
 中央アジア、ロシアの被抑圧諸民族人民、労働者階級、ムスリムの反帝国主義・反ロシアの民族解放闘争への決起は究極的には不可避である。

 チェチェン侵略強行のプーチン体制を打倒せよ

 プーチンは、九・一一を機にチェチェン侵略戦争を「国際テロ」との戦いとして位置づけ、アフガニスタン侵略戦争と同じ種類のものだとして、帝国主義諸国に認めてもらおうと画策している。「テロに対する二重基準はよくない」と言って米欧日に迫っている。
 ロシアは、チェチェンのマスハドフ政権とその武装組織がロシア内外のムスリムと結びつき、「国際テロリスト網」を作っていると主張する。とりわけビンラディン氏とその組織からチェチェンに資金と義勇兵が送られ、アフガニスタンでチェチェン兵が訓練されていると暴露して、米帝にアピールした。これに対応してブッシュはチェチェン側がビンラディン氏と手を切るよう勧告した。帝国主義のロシア容認でチェチェン侵略戦争の性格が変化しつつある。
 しかし、そもそもロシアのチェチェン侵略戦争は、帝国主義的な少数民族抑圧政策、チェチェン民族抹殺政策であって、絶対に許すことはできないものだ。一九九四―九六年と一九九九年―現在の二度にわたる戦争で十万人以上のチェチェン人民が殺された。しかもロシア軍はチェチェンでおびただしい戦争犯罪・人権侵害を犯している。日本軍の三光作戦のようなことをやっているのだ。
 このことを国際人権擁護団体、全欧安保協力機構(OSCE)、欧州会議、国連人権委員会などが問題にしてきた。だがロシアは、国際機関がチェチェン領内に入ることを阻止し、決定的な証拠・証言を握らせず、ロシア側の調査委員会を作ってごまかしてきた。
 ロシアによる民族虐殺戦争へのチェチェン人民の抵抗、武装闘争はまったく正義の闘いだ。世界のムスリムがチェチェンに結集して闘うのは必然といえる。
 だがプーチンは、チェチェン人民の武装抵抗の前にエリツィンのように敗北するわけにはいかない。チェチェンの奪回と支配は、大ロシア主義的なロシア連邦の維持、南北カフカスの支配、独立国家共同体(CIS)の維持のための核心的な課題なのだ。
 またカスピ海に面するバクーから黒海に面するノボロシースクに至る石油パイプラインが通るダゲスタン、チェチェンを押さえることは死活的だ。ロシア経済・財政はパイプラインによる石油・天然ガス輸出に大きく依存しているからだ。
 ロシア軍は二度にわたるのべ四年の長期戦で数千人のロシア将兵の死者を出した。チェチェン戦争は軍事的、政治的、財政的に重荷になっている。
 プーチンが九月二十四日にチェチェン側の武装解除と降伏を条件として和平交渉を提案したのは、このためでもあるが、欺くためでもある。チェチェン人民は武装解除せず、不屈・果敢にロシア軍と戦っている。
 チェチェン人民の民族解放闘争の勝利、ロシアからの分離独立は、ロシア―国際プロレタリアートの内乱的決起と結合してロシアと国際帝国主義を打倒するなかで初めてかちとることができる。ロシアにプロレタリアートの独裁が打ち立てられ、社会主義が真に実現される展望が切り開かれたとき、ロシアとチェチェンとが連邦的に結合するときが来る。これがロシア革命が追求したことなのだ。
 帝国主義のアフガニスタン侵略戦争とロシアのチェチェン侵略戦争の泥沼化の中で、プーチン体制の危機が一層深まっていくことは確実である。闘うチェチェン人民の呼びかけにこたえてロシア・プーチンと国際帝国主義の打倒のために闘おう。

 
人口
首都
主な宗教
一人あたり平均年収
ロシア
14800万人
モスクワ キリスト教、イスラム
2250ドル
カザフスタン
1600万人
アスタナ イスラム、キリスト教
1250ドル
キルギス
500万人
ビシケク イスラム、キリスト教
300ドル
トルクメニスタン
550万人
アシガバート イスラム
670ドル
ウズベキスタン
2500万人
タシケント イスラム
720ドル
タジキスタン
640万人
ドゥシャンベ イスラム
280ドル

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週刊『前進』(2033号7面2)

 改憲阻止決戦シリーズ 今、問い直す侵略と戦争の歴史
 第2部 15年戦争の末路(12)
 特攻隊=死の強制 生還許されなかった人間兵器

 体当たり戦法

 特攻隊とは、太平洋戦争中の日本の陸海軍の特別攻撃隊のことで、体当たり自爆攻撃を指している。一九四四年十月から十カ月にわたって、五千人近い数の若者が、国体=天皇制を守るためとして、爆弾を抱えてけっして生還することを許されない攻撃を強いられた。作戦自体が、人間を消耗品として使い捨てにすることで成り立っており、日帝の帝国主義戦争の非人間性の極致を示すものだ。
 学徒出陣が強行された翌年の一九四四年十月、敗勢に次ぐ敗勢の中で追いつめられた日本軍は、フィリピン・レイテ沖海戦において、米艦船に突撃する人間爆弾攻撃を採用した。
 最初に航空機の体当たり戦法を採用したのは、海軍中将・大西滝次郎とされている。四四年十月にフィリピンの航空艦隊の司令長官として転出した直後に採用した。大西自身が「特攻戦術は統率の外道」と述懐したほど、破れかぶれの作戦だった。
 だが日本軍は、レイテ沖海戦での連合艦隊の壊滅によってもはや戦争継続能力を失う中で、体当たりだけが唯一の戦術であるかのように、この特攻作戦を組織的かつ積極的に採用していったのだ。
 特攻隊の一番多いのは、「神風(しんぷう)特攻隊」として知られる航空機を使った特攻である。目標はすべて水上の敵艦船である。そのほか、一・五dの火薬を着けたグライダーの尾部に小型ロケットを着けた人間爆弾「桜花」、火薬一・六dを積み、母潜水艦から発進する人間魚雷「回天」、艇首部に火薬二百五十`を持った一〜二人乗りの(多くは木製の)体当たり用モーターボート「震洋」などが次々と開発された。最終局面では、ブリキ製・低速・低性能・不安定の飛行機に爆弾を機体に半分埋め込んで固定し、離陸すると車輪を落としてしまう、文字どおり「体当たり」以外に能力のない「剣」(棺桶飛行機といわれた)までが製作された。
 航空隊においては練習時間二百時間程度、満足に操縦もできないような予科練生や見習い生など二十歳前後の若者を、「志願」の名による上官からの強制によって投入していった。特攻隊員の多くは学徒兵であった。この作戦によって、実に四千七百人以上の若者が犬死にさせられた。
 「特攻隊員のほとんどすべては、予備学生と予科練生である。……予備学生は軍人精神がまるでなく、飛行技術も未熟だとののしられながら、離陸すらやっとの整備不良の零戦で出撃させられた。鹿屋基地で、出撃の順番をまつ同期の人たちの、引きつった蒼白(そうはく)な顔を、今でも一人一人思い出すことができる。……学徒たちは紙くずのように殺された。……私が許せないのは、戦没者の慰霊の際は必ず出席し、英霊にぬかづき、涙を流し、今となって、特攻隊員の勇敢さをほめたたえ、遺族をねぎらっているあの偽善の姿である」(杉山幸照著『悪魔の墓標』特別攻撃隊、日本の戦史・別巻四)
 後年、出撃にあたっての遺書が「潔い」とか「国を愛する気持ちが表れている」などと宣伝するデマゴーグが出てきたが、そのように書かされたのであり、そうしなければやっていられなかったのである。

 天皇の責任

 フィリピン戦以後、特攻は例外的手段ではなく、日本軍の唯一の常用手段と化していった。攻撃戦力の養成が間に合わず、「特攻作戦は比較的練度の低い者でも効果が上げられる」としてボロ飛行機や練習機まで動員して、次々と若者を死地に送ったのである。戦術としても当初こそ奇襲性があったが、米軍が対応策を講じて迎撃態勢を固めると、効果はたちまち薄れ、軍事技術的にもまったく無意味なものとなった。最後は、「特攻死」が自己目的化されていったのである。
 特攻隊は、軍の正式部隊とせず、前線指揮官の独自の判断とされたが、これは「大元帥」である天皇の責任に帰することを軍の首脳が恐れたからだという。だが、言うまでもなく天皇が知らなかったのではない。
 最初の神風特攻隊の攻撃を聞いた天皇ヒロヒトは、「そのようにまでせねばならなかったか。しかしよくやった」と言ったと伝えられている。特攻隊のような人命を消耗品と考える戦術を止められる地位にいた天皇は、しかしけっしてストップをかけず、「よくやった」と奨励した。
 特攻作戦は、破滅的な作戦であったが、それは単なる軍事上の戦術にとどまらないものがあった。つまりそれは、「一億玉砕」を国民全体に強いるためのものであった。国体=天皇制を守るために、全員が命を投げ出せという思想を広めるために、特攻隊の「活躍」が徹底的に使われたのである。自らの肉体を弾と化して死ぬことが英雄的で勇ましく潔いものであるという宣伝が広く行われたのだ。
 だから、今日、小泉が特攻隊資料館で涙を流し、「祖国のために命を投げ出した人びとに敬意と感謝の誠をささげる」と称して靖国神社公式参拝を強行したことは、この戦争中に特攻作戦を強行し、それをたたえる宣伝を行ったものと同罪なのである。この許せない特攻作戦を指令したものを憎み裁き責任をはっきりさせるのではなく、たたえ感謝し敬意を表するとは、労働者人民をまた新たな戦争に引きずり込もうとするものだからである。

 虐殺戦争の帰結

 学徒出陣そして特攻隊は、スターリン主義の裏切り路線のもとで、「帝国主義戦争を内乱へ」の闘いが組織されず、日本プロレタリアートの闘いが解体され、闘うアジア人民と連帯して日本帝国主義打倒へと突き進むのではなく、逆にアジア人民に銃を向け、二千万人ものアジア人民を虐殺していったその帰結である。日本帝国主義と天皇制に忠誠を誓わされ、アジア侵略に手を染めた労働者民衆が、最終的に日帝と天皇制の一日一日の延命のために、自らの命を捨てさせられていったということである。
 特攻隊を美化し、賛美し、再び青年を戦場へと駆り立てていこうというすべての策動を絶対に許さない。そして、今度こそアジア人民と連帯し、日本帝国主義打倒へと突き進んでいこう。
 (奥井恭子)

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週刊『前進』(2033号8面1)

水嶋裁判公判 “私は無実”と堂々宣言 水嶋同志デッチあげを弾劾

 十一月二十一日午後、東京地裁で水嶋秀樹同志へのデッチあげ弾圧裁判の初公判が行われた。まったく無実の水嶋同志を八八年九・二一千葉県収用委員会会長せん滅戦闘の責任者とする絶対に許せない裁判である。
 開廷とともに傍聴者が入場し、すでに着席していた水嶋同志とあいさつを交わした。久しぶりの再会を感じさせない雰囲気で、彼は一人ひとりの顔を確認しつつ、ニコニコとあいさつを返していた。最前列には家族が座り、水嶋同志を見守った。
 傍聴席は記者席まで埋めつくされた。デッチあげの破綻(はたん)を恐れる検察は異例にも五人もの検事を繰り出してきたが、水嶋同志、弁護団、傍聴席の一体となったデッチあげへの怒りの熱気は開廷時から法廷を圧倒した。
 水嶋同志は意見陳述の冒頭「私は無実です」ときっぱりと宣言し、三十分間に及ぶ陳述を、怒りがこもった大きな声で、時に検事席をにらみつけつつたたきつけた。戦闘当時は四国にいてアリバイもあること、七四年以後千葉県には一度も行ったことがないこと、水嶋同志を戦闘責任者として特定したとされる正井利明なる人物には会ったこともないし、まったく知らないこと、デッチあげを自覚している検察は深夜におよぶ長時間の取り調べにもかかわらず、「事件」そのものに関する取り調べは行わず、悪質な転向強要に終始したことなど、本件のデッチあげ性と水嶋同志の無実を鮮明に浮き出たせる意見陳述であった。
 水嶋同志の意見陳述に続き弁護団は、検察官がこの公判で請求した書証の中には、被告人と犯人との結びつきを立証するものは皆無であることをつきだし、「この事自体、きわめて異常というほかない」「本件公訴は、公訴権の濫用にあたり違法である」として、公訴棄却を申し立てた。川口裁判長は、水嶋同志の怒りの声を受け止め、検察の公訴権濫用を認め、直ちに本件公訴を棄却すべきである。この正当な要求は検察官、裁判官を圧倒した。
 公判開始前、正午から東京地裁正門前で水嶋同志の家族と友人十数人が、同志の無実を訴え、裁判の傍聴を呼びかけるビラをまいた。用意したビラは十五分で無くなり、関心の高さが感じられた。このビラを受け取った二人連れの女子学生が傍聴にきた。弾圧粉砕に向けた大衆的情宣で人民の怒りを組織し、東京地裁を包囲しよう。
 日帝はついにアフガニスタン侵略戦争への参戦に踏み切り、成田軍事空港の来春暫定滑走路開港を策動し、革命党破壊攻撃をいよいよ激化させている。この攻撃を断じて許してはならない。水嶋弾圧粉砕の闘いを、闘うイスラム諸国人民と連帯し、国際反戦闘争の巨大な発展をつくり出す闘いの一環として全力で闘おう。
 第二回裁判(十二月十二日午後一時半)の傍聴に引き続き総力で決起しよう。必ず無罪をかちとり、水嶋同志を奪還しよう。

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週刊『前進』(2033号8面2)

6・12私文書弾圧初公判 政治弾圧許さぬ M同志が意見陳述 傍聴席と一体で闘う

 「私は無実です。本件はデッチあげによる政治弾圧、思想弾圧であることを怒りを込めて弾劾します」M同志の凛(りん)とした声が東京地裁四二六号法廷に響き渡り、満席の傍聴席に感動が走った。
 M同志は、六月十二日に警視庁公安部に「有印私文書偽造同行使」デッチあげで不当逮捕され、五十二日間の中央警察署への勾留、七月四日、八月一日の二度の不当起訴を経て、すでに半年にわたって不当に勾留されている。
 M同志はこの日、三十分にわたって堂々と意見陳述した。逮捕・起訴がデッチあげであり、都議選街宣現場での逮捕という意図的な政治治安弾圧であること、取り調べがM同志の家族や持病をも卑劣に利用した転向強要に終始したことを弾劾した。さらに三里塚闘争の正義性、人民性を訴え、九・一一反米ゲリラを口実にした帝国主義によるアフガニスタン侵略戦争阻止の闘いを呼びかけた。その態度と内容は万人を説得する迫力と真摯(しんし)さに満ちていた。傍聴席の同志たちが拍手を送ったのは当然であった。
 ところが、地裁刑事二部中谷雄二郎裁判長は顔面蒼白(そうはく)となって、「拍手をした者は全員退廷」という超反動的な訴訟指揮を行った。傍聴席、弁護団の一体となった抗議で全員退廷は断念させたが、不当にも六人の退廷を強行した。これまでわれわれが経験した数々の法廷でも、拍手しただけで退廷させるという暴挙は初めてだ。
 中谷は、かつて「迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判」右陪席を務めていた時に「最近の難事件では、証拠がない事件もあるが、それは被告が隠しているからだ」などと『ジュリスト』誌上で公言した治安判事である。憲法を踏みにじって戦後初めて戦場への自衛隊派兵を強行した日帝は、M同志のような二十一世紀を担う若い革命家が決起することに恐怖し、治安判事の中谷を恣意(しい)的に配置してデッチあげ裁判を強行しようとしているのだ。絶対に粉砕しよう。
 弁護団は、検察が開示した「証拠」のデタラメさを徹底的に暴き、全面的に闘う冒頭意見陳述を行った。検察側は「証拠」として、M同志が各種反戦集会に参加したこと、『前進』記事、M同志逮捕を弾劾するビラなど、さらに本件と関連のない四・一八ゲリラ戦闘関連実況見分調書などを出してきている。これは、組織弾圧、破防法弾圧そのものであり、新たな戦時司法としての踏み込みである。また、「筆跡」や「掌紋」鑑定を出してきたが、M同志の「特定」をあらかじめ目的意識的に追求したデタラメで非科学的な代物である。徹底粉砕しよう。
 帝国主義のアフガニスタン侵略戦争を阻止する国際反戦闘争と一体のものとして、M同志へのデッチあげ攻撃を絶対に粉砕し、無罪・奪還をかちとらなければならない。次回公判は、一月十八日午後一時十五分、東京地裁四二九号法廷で開かれる。傍聴闘争に決起しよう。

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週刊『前進』(2033号8面3)

 『前進』ホームページ メールから

 九・一一について、そして空爆について、いろいろな人と話をしています。今までは政治に興味を持っていなかった人から意外と「自分も死ぬ自爆の戦いはよほどの思いがあったのだろう」とか、「アメリカのやっていることは、報復ではなく単なる弱いものいじめの人殺しだ」といった声を聞きます。
 私自身の考えとしては、「九・一一が間違っている」と言えるのは、唯一帝国主義国の人民が、被抑圧民族の人民から持たれている「絶望感」を払拭(ふっしょく)できるような闘いができる時ではないかと思っています。われわれも帝国主義に反対しているんだ、ということを目に見える形で示せた時、連帯が生まれるのではないかと。
 日常の中で、「日本が試合をする時、日本を応援するのはあたり前じゃないか」とか、「自分の国を好きになることがなぜ悪い」と言った「素朴」(実は作られた)な感情と闘うのはしんどいですが、歴史的なことからじっくり話していけば分かってくれる人も多いのです。自分なりに頑張りたいと思います。
 (男性・40歳代)

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