ZENSHIN 2002/03/04(No2043 p06)

ホームページへ週刊『前進』月刊『コミューン』季刊『共産主義者』週刊『三里塚』出版物案内販売書店案内連絡先English

週刊『前進』(2043号1面1)

連合の春闘放棄を許さず階級的団結で3月春闘総行動かちとれ
 3・17革共同集会に総結集し 有事立法阻止・小泉打倒へ
 パレスチナ連帯に決起せよ

 米帝ブッシュによる世界戦争路線の推進と日帝・小泉政権による一方でのアフガニスタン侵略戦争参戦と有事立法攻撃、他方での一大資本攻勢−春闘解体攻撃に対して、有事立法阻止・改憲阻止の大闘争をただちに巻き起こし、同時に3月春闘総行動を全国で爆発的にかちとろう。小泉「構造改革」路線の破産、日帝経済の破局的危機とともに、田中外相更迭問題と鈴木宗男疑惑で発足以来最大の政治危機を迎えた日帝・小泉政権を今こそ打倒する闘いに立ち上がろう。3月春闘総行動へ、反戦闘争、国鉄決戦、資本攻勢粉砕、小泉政権打倒の闘いを大きく設定し、そこに向かって強力に闘おう。4・18三里塚暫定滑走路開港阻止の決戦に立ち上がろう。党勢倍増・機関紙拡大闘争を闘い、3・17革共同集会に総結集しよう。

 第1章 米帝ブッシュの戦争拡大路線許すな

 3月春闘総行動の爆発のために第一に確認したいことは、現在の労働者階級の状態、労働組合をめぐる階級関係を大きく規定しているのは、帝国主義の世界危機の世界戦争への転化の情勢であり、それに対して「テロ根絶」の帝国主義的・排外主義的攻撃を粉砕し、革命的反戦闘争を真っ向からたたきつけようということである。
 世界最凶悪の侵略戦争放火者・米帝ブッシュが、日本、韓国、中国を歴訪した。1月29日の一般教書演説で世界戦争路線を公言し、それを携えての東アジア訪問だ。日米首脳会談でも、国会演説でも、ブッシュは、侵略戦争拡大の姿勢を隠さず、日帝の戦争協力を迫った。それに対して日帝・小泉政権は、対米協力の形をとって日帝自身の主体的な侵略戦争遂行として「対テロ戦争」推進をますます必死に路線化することを表明したのだ。
 アフガニスタン情勢はどうなっているか。カルザイ暫定政権内部の対立が表面化し、各地で衝突に発展している。米帝主導のかいらい政権を立てての植民地支配という思惑は早くも破綻(はたん)しているのだ。
 一方、パレスチナでは、米帝に支援されたイスラエル・シャロン政権が、連日ガザ、ヨルダン川西岸自治区に侵攻し虐殺を繰り返しているのに対して、パレスチナ人民の壮絶きわまる総ぐるみの民族解放の闘いが自爆攻撃を始めとして燃え上がっている。
 イスラエル軍が「世界最強」と誇る最新鋭戦車「メルカバ3」の爆破、兵士3人のせん滅(14日)。ヨルダン川西岸の入植地のショッピングセンターで自爆テロ(16日)。軍検問所襲撃でイスラエル兵士6人のせん滅(19日)。イスラエルは、これに対して戦車侵攻・砲撃と空爆を自治政府議長府などに行い、パレスチナ人民を虐殺している。
 パレスチナ人民の戦闘的な総決起は、イスラエル軍将兵の中に動揺を生み、予備役兵士の軍務拒否の運動をもたらしている。また、軍の撤退と入植地解体を求める「ピースナウ」のイスラエル市民1万5千人の集会が開かれた(16日)。われわれは、パレスチナ人民の決死の自爆闘争を侵略帝国主義国の労働者人民としての階級的自己批判をもって受けとめて、民族抹殺攻撃と闘うパレスチナ人民と連帯する根底的決起をかちとらなければならない。
 ブッシュの「悪の枢軸」発言は、帝国主義の凶暴な侵略的本質をあからさまに示す言葉だ。かつてレーガンがソ連を「悪の帝国」とののしったが、それ以上にリアルで激しい。
 しかも、米帝は、「悪の枢軸」発言を脅し文句として言っているだけでなく、実際に侵略戦争を拡大し、発動しようとしているのだ。パウエル国務長官は、「イラクの政権変更は選択肢としてありうる」と述べ、フセイン政権転覆のための攻撃を準備している。
 このような中で開かれた18日の日米首脳会談では、小泉がブッシュ発言を全面支持し、一層の参戦を約束した。世界中で最も鮮明に「悪の枢軸」発言を支持したのが小泉である。日米帝は、日米同盟を対テロ同盟と位置づけた。
 ブッシュ訪日と日米首脳会談は、有事立法攻撃に拍車をかけた。米帝の世界戦争政策は、その本質においてアジア勢力圏化と日本市場の開放をめぐる対日争闘戦である。米帝は、日帝の存在と対米対抗性を無意味化するような米帝主導のアジア侵略戦争情勢をつくりだし、日帝をその圧倒的軍事力・政治力で制圧しようとしているのである。
 日帝はそれに対して帝国主義的存立をかけて必死に戦争国家化の超反動的「飛躍」を行う以外にない。小泉は、第一に「対テロ戦争」路線、第二に国連のもとでの軍事外交路線、第三に有事立法=非常事態法制定、第四に日米同盟維持としている(施政方針演説)。「不審船」をあおって、日帝自身の主体的な侵略戦争遂行をなんとしてもなしとげようとしている。そこから日帝・小泉は死活をかけて有事立法3月国会提出に向かって動き始めた。
 また、小泉政権は2月15日、PKO東ティモール派兵を閣議決定した。2年間、680人という大規模な派兵である。アフガン派兵と同時展開で自衛隊の恒常的な海外派兵体制がつくられようとしているのであり、断固阻止闘争に立たなければならない。
 ブッシュは日本に続いて韓国、中国を訪問した。南朝鮮人民は、「悪の枢軸」発言は朝鮮半島に再び戦火を持ち込み、朝鮮人民の頭上に爆弾を降らせる攻撃であると激しく対決して闘った。18日、米商工会議所占拠闘争を始め、19日ブッシュ訪韓時には街頭での激突、20日にはソウルの中心街で5千人集会、漢陽大学で千人の集会が行われた。
 われわれは、南朝鮮人民のこの激しい決起に全力でこたえなければならない。血債をかけて朝鮮・中国への侵略戦争策動に対決して闘わなければならない。

 第2章 労組的団結を固め資本攻勢と闘おう

 3月春闘総行動の爆発のために第二に確認したいことは、日帝の一大資本攻勢の嵐が次元を画する凶暴な労働運動絶滅攻撃―階級戦争として打ち出されていることである。
 日帝経済危機は一層深刻化し、絶望的である。株安、円安、債券安の「トリプル安」に襲われている。
 日帝・小泉は、不良債権対策と財政構造改革でともに破産し、金融恐慌の危機に直面している。不良債権の処理は恐慌を再激化させ、それがさらに不良債権を増加させることは不可避という解決不可能な状況に陥っているのだ。
 米帝ブッシュは、訪日前の会見で金融緩和の必要性まで言及して日本経済への懸念を表明している。日本経済の破綻が米帝経済危機の爆発に直結していることから、対日争闘戦的に介入してきているのである。
 この中で日帝ブルジョアジーは、一切の犠牲を労働者に転嫁し、リストラ・賃下げを基本路線として強引に乗り切っていこうとしている。
 労働者階級は、小泉「構造改革」路線を粉砕し、「ベアは論外、定昇凍結、ワークシェアリング」を唱える日経連「労問研報告」路線を打ち破り、連合、全労連、JR総連をのりこえ春闘総行動に立ち上がらなければならない。
 連合は、日帝経済危機の中で、ますます資本の先兵となり、労働者階級に対する犠牲を押しつける先兵の役割を果たしている。しかし日帝経済危機と日経連「労問研報告」路線は、連合労働運動の破産を突き付けてもいるのである。
 全労連は、そのような連合の帝国主義労働運動にすり寄り、補完している。彼らは激烈な資本攻勢に、労働組合的団結を強めて立ち向かうという方向ではなく、「解雇ルールの確立」として国会での法制化にすべてを解消する。そこには労働者の未来はない。
 カクマル松崎・JR総連派は、連合の中で「人権とヒューマニズム」を掲げてあたかも左派勢力であるかのように振る舞おうとしているが、まったく許しがたいことである。JR総連松崎こそ、1995年の段階から真っ先に「ワークシェアリング」を提唱し、今日の日経連のリストラ・賃下げ攻撃の道を開いた裏切り者である。今日、松崎はカクマル中央と絶縁して「テロ弾劾」「テロ根絶」を叫び帝国主義の最悪の先兵として登場している。
 こうした中で、動労千葉は、国鉄決戦の先頭に立ちさらに02春闘の先頭に立って、ストを含む闘いをもって闘おうとしている。動労千葉を先頭に3月春闘総行動に立ち上がろう。
 この闘いは第一に、日帝の一大資本攻勢と対決し、連合の春闘放棄を打ち破って、闘う春闘の再生・再構築をめざす闘いとしなければならない。恐慌の中で、資本攻勢は次元を画する激化を示している。倒産、リストラ、首切り、出向、転籍、賃下げ、不安定雇用化と対決して闘おう。全国の怒りの声を結合し、団結を回復して闘うことが今、切実に求められている。
 韓国では、2月25日、公企業の民営化に反対して基幹産業の労働者がゼネストに立ち上がろうとしている。26日には民主労総がゼネストに立ち上がる。連帯してともに闘おう。
 第二に、4党合意反対、1047人の解雇撤回、JR復帰を掲げ、国鉄闘争勝利の総決起としてかちとることだ。国鉄決戦は闘う闘争団への統制処分攻撃を打ち破る重大な闘いに突入している。国労本部は2・3中央委で警察権力を導入して傍聴を制限し、解雇者の首を切る攻撃を進めているのだ。こんな暴挙をどうして許せるか。怒りの決起を巻き起こし、査問委員会を粉砕し、国労本部高島―寺内執行部を打倒して「闘う国労」を再生させよう。
 第三に、米日帝のアフガニスタン・中東侵略戦争および米帝=イスラエルの新たなパレスチナ侵略戦争に対する反戦闘争・有事立法阻止闘争としてかちとらなければならない。
 労働者階級こそ、闘うイスラム諸国人民(パレスチナ・中東・ムスリム人民)、闘うアジア人民と連帯して帝国主義と対決する国際主義的闘争の主体である。
 そこでは、「テロにも戦争にも反対」という帝国主義への降伏路線との思想闘争が決定的に重要だ。全世界の労働者階級と被抑圧民族人民に対する帝国主義の搾取と収奪、抑圧と虐殺戦争こそが元凶であって、帝国主義国の労働者階級は被抑圧民族人民と連帯して、この帝国主義の支配を打ち倒すことが必要なのだ。
 ゲリラ戦争やテロリズムは人民の闘いの一形態であって、帝国主義の戦争と一緒くたにすることは帝国主義の戦争への加担、現実には有事立法攻撃への加担でしかない。パレスチナ人民の自爆決起を見よ。それは侵略者に対するやむにやまれぬ反撃であり、最も崇高な人間的な闘いである。この闘いと死活的に連帯したアフガン・パレスチナ反戦闘争と有事立法決戦の有機的な一体的推進の闘いが、労働者人民の勝利の展望を切り開くのだ。
 第四に、小泉反動政権打倒の闘いとしてかちとらなければならない。小泉「構造改革」路線は、労働者に首切りと賃下げ、社会保障制度解体、医療制度解体をもたらす大攻撃なのだ。今日、自民党支配の危機と腐敗を全面的にさらけだし、有事立法制定に全力をあげている小泉政権を打倒するチャンスが到来した。春闘総行動をそうした政治決戦としてかちとろう。

 第3章 党勢倍増かちとりカクマル打倒せよ

 三里塚暫定滑走路開港阻止決戦は、あと2カ月の決定的な局面にきている。農民を暴力で追い立てるために強行される暫定滑走路開港を絶対に許してはならない。この闘いは、有事立法粉砕の闘いの一環である。戦時の土地強制取り上げの攻撃と三里塚は最先端で対決しているのだ。3・31―4・14三里塚現地闘争の大爆発に向かって闘おう。
 沖縄の米軍基地全面撤去の闘いは、アフガン・中東侵略戦争の拡大によって一層重要になってきている。フィリピンのイスラムゲリラ勢力アブ・サヤフのせん滅、掃討作戦の主力部隊は沖縄トリイ基地の米陸軍グリーンベレーだ。断じて許すな。名護新基地建設絶対阻止の闘う陣形を強化しよう。
 狭山異議審棄却攻撃に対する怒りの弾劾闘争を強め特別抗告審勝利へ闘おう。3・3―4部落解放同盟全国連合会第11回大会の成功をともにかちとろう。
 侵略戦争体制の強化の攻撃の中で、排外主義攻撃が強まっている。4―5月入管闘争の大衆的爆発をかちとろう。
 東京地裁・木口裁判長は、迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判の須賀、十亀、板垣の3同志に対して、またしても保釈請求を却下した。検察側立証が何も立証できないまま終了し、もはや何一つ却下の理由がないにもかかわらず、理不尽な勾留をこの先も続けようというのだ。革共同が不屈に闘いぬいており、被告たちが非転向で頑張っているから、出さないというのだ。最も悪質な人質攻撃だ。絶対に許すことができない。日帝権力に対する反撃の力勝負である。絶対に勝たなければならない。即時保釈のための10万人署名運動、1億円基金運動を一層強めよう。同時に獄中9年の福嶋同志の奪還をかちとろう。
 日帝権力の治安弾圧攻撃、不当捜索と不当逮捕の攻撃をはね返して、3・17革共同集会への総結集をかちとろう。
 1975年3・14反革命=本多延嘉書記長虐殺から27年。対カクマル戦を不屈に闘いぬいてきたわれわれは、今日決定的な勝利の地平をかちとっている。
 一つは、カクマルのJR総連・松崎派と黒田・中央派への完全な分裂を強制したことだ。もう一つは、革共同第6回大会において黒田哲学に死を宣告したことだ。この2つがどれほど巨大な勝利であるかは、カクマルが1年以上にわたって、この2つのことがらについて一言も申し開きできないでいることが何よりの証拠である。また、「テロ弾劾」を叫び労資結託体制を強めるJR総連・松崎に言及できないのが、カクマル黒田・中央派の最大の弱点だ。
 この勝利を確認し、カクマル完全打倒まで闘いぬき、今春闘争を勝ち抜くために3・17集会の成功をかちとろう。
 有事立法阻止決戦、アフガニスタン・中東反戦闘争、春闘を始めとするこれらの重層する闘いを勝ち抜くためには、革共同の党としての強化が待ったなしに必要だ。どの戦場でも、革共同の同志の闘いが決定的な役割を果たし、状況を切り開いている。しかし、これ以上の前進のためには革共同の党勢の倍増と、党のボルシェビキ的な強化が絶対的要請なのだ。全人民の蜂起を実現する党のための闘いを圧倒的に強化しよう。
 党建設は、労働者階級人民全体の勝利のための不可欠の課題だ。すべての闘う労働者学生は、革共同に結集してともに闘おう。3・17革共同政治集会に結集し、「闘うイスラム諸国人民と連帯し、帝国主義のアフガニスタン・中東侵略戦争を国際的内乱に転化せよ」の総路線のもとに、日本革命・世界革命の勝利へ闘おう。

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週刊『前進』(2043号1面2)

 爆取裁判

 3同志の保釈却下弾劾 怒りの3・1地裁デモへ

 2月8日、東京地裁刑事11部・木口信之裁判長は、迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判の須賀武敏同志、十亀弘史同志、板垣宏同志の保釈請求をまたしても却下した。1月29日の刑事3部・服部悟裁判長による福嶋昌男同志への保釈却下に続く攻撃である。
 なんという違法・無法、残虐きわまる決定か! 断じて許せない!
 3同志は1987年の逮捕以来、すでに15年の未決勾留を強制され続けている。しかも彼らはまったくの無実だ。昨年ようやく終了した検察立証は、3同志を迎賓館と米軍横田基地へのロケット弾戦闘の「事前共謀」で起訴しておきながら、彼らがいつ、どこで、誰と、何を、どのように「共謀」したのかを、何ひとつ明らかにできなかった。両戦闘と3同志を直接結びつける「証拠」をただの一つも法廷に提出できなかったのだ。
 本来ならこの時点で、直ちに公訴の棄却か無罪判決がなされて当然である。にもかかわらず、保釈すら認めないというのだ!
 木口裁判長は、保釈却下の理由として「罪証隠滅のおそれ」「逃亡のおそれ」をあげている。だが検察立証が終了し、弁護側立証が開始されている今、「罪証隠滅のおそれ」などいったいどこにあるのか。無実を晴らそうと必死に闘っている3同志がどうして、「逃亡のおそれ」があるというのか。
 しかも全員が健康の破壊に直面し、東拘当局の医療放棄の結果、須賀同志は現在も歩行が困難で毎回の公判にも車いすで出廷している。こんな状態を強制しておいて「逃亡のおそれ」などとよくも言えたものだ。
 さらに許せないのは、刑事訴訟法91条には「該当しない」と真っ向から開き直っていることだ。刑訴法91条は「勾留による拘禁が不当に長くなったときは、裁判所は……勾留を取り消し、又は保釈を許さなければならない」と明記している。殺人罪でも15年経てば時効が成立するのだ。15年の勾留を「不当に長期ではない」と言い張るのなら、刑訴法91条はいったい何のためにあるというのか。
 東京地裁による無実の3同志と福嶋同志への保釈却下は、今日の日帝国家権力の階級意思を直接に体現した、百パーセント政治的な決定だ。また、東京高裁による狭山異議審棄却の差別決定とも一体の超反動攻撃だ。すなわち、労働運動や部落解放闘争などあらゆる労働者人民の闘いの破壊と根絶・一掃を狙い、何よりも闘いの中心にいる革共同に対して新たな組織絶滅攻撃に踏みきるものである。
 ブッシュ訪日と日米首脳会談が示すように、日帝・小泉政権は今日、米帝との間に「対テロ同盟」を結んで新たな侵略戦争・世界戦争に突き進んでいる。有事立法・改憲攻撃に全力でのりだし、戦争国家への大転換を強行しようとしている。他方で世界大恐慌の爆発におびえ、労働者階級への一大資本攻勢を強めている。これらが不可避とする階級支配の危機と労働者人民の怒りの噴出をのりきるためにこそ、治安弾圧のなりふりかまわないエスカレーションに一切をかけてきているのだ。
 東京地裁はその完全な手先として、4同志に対し事実上、「権力に屈服し転向しないかぎり獄から出さない」という極悪の攻撃をしかけてきたのである。現憲法下の法体系を裁判所自らが公然と破壊して、裁判抜き・判決抜きで、無実の政治犯に実質無期の禁固刑を宣告し強制しているのだ。
 この実に卑劣な、司法による権力犯罪に満身の怒りをたたきつけよ。弁護団は2月21日、東京高裁に抗告を申し立てた。不屈に闘う獄中4同志に連帯し、絶対に実力で奪還するための闘いを強めよう。3・1公判と地裁包囲デモに決起して闘おう。
公判日程
3月1日(金)午前10時開廷
昼休みデモ 正午、日比谷公園霞門集合

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週刊『前進』(2043号5面1)

反軍闘争に敵対し反階級的転向分子に転落した小西誠
 革命的共産主義者同盟

 反革命白井=小西連合を粉砕せよ

 全国の労働者人民・読者の皆さん。革命闘争―反軍闘争から逃亡して久しい小西誠が、少し前から、恥ずべきことに反軍闘争の革命的発展の敵対者になり下がるばかりか、わが革共同から逃亡した反革命・白井朗と結託して白井=小西連合を形成し、党と階級闘争を破壊する策動を行うに至っている。かつての「反軍兵士・小西誠」を知る人びとは、現在の小西の腐敗と反動ぶりにまゆをひそめ、何たることかと憤慨し、また革共同の明確で峻厳な態度表明を求めている。
 われわれ革共同は、この小西問題についてこれまで態度表明を控えてきたが、ここに公然と小西粉砕、白井=小西連合粉砕の闘いを断固として推進することを明らかにする。
 今、帝国主義の没落の危機とそこからの米帝ブッシュ政権の絶望的凶暴化を展開軸として、世界危機の世界戦争への転化というすさまじい激動情勢が起こり、日帝は歴史的野望であった有事立法攻撃をついに具体化してきている。同時に、昨年9・11反米ゲリラ戦争によって国際的内乱の情勢が切り開かれている。この中にあって、われわれは、21世紀革命の勝利へ断々固として党の死力を尽くして総決起することをあらためて決意する。その一環として、革共同は、小西誠との歴史的関係の決別に至った問題の核心を明らかにし、小西を打倒し、小西をのりこえて、新たな革命的な反軍闘争を強靭に再建=創造すること、この闘いに着手していることをここに宣言する。

 悪質な転向分子に階級移行した小西誠

 (1)小西誠は、90年から91年の過程で、われわれ革共同の熾烈な批判と相互批判の思想闘争から逃亡し去り、それ以前からの自己の共産主義者としての根本的な問題性、その主体的内的危機を開き直り、自らの反軍戦線指導の破産をみすえようともせず、主体的総括を放棄して革共同とともに闘う立場から離れた。しかし、われわれはなおも小西に対し革命的大衆闘争の爆発のために限定的ではあれ戦列を同じくするよう要求し、その時点では小西もかろうじてこたえた。しかしそれも数年たらずのことであり、その間、大衆運動の妨害物として振る舞うことしかできなくなり、95年には自ら最終的に大衆運動から離脱した。左翼運動そのものから脱落・絶縁したのである。
 その後はブルジョア出版活動に専念したいという小西の選択に対し、われわれは、石もて追うことをせず、むしろ過去において反スターリン主義・革命的共産主義運動の重要な位置にあり、革共同と闘いをともにしてきた小西が社会的に悲惨な結末を迎えないよう最大限の配慮をした。小西からの強い要請もあって、あえてその後も多大な財政的処理の協力まで行ってきた。小西は、「相互に公然たる敵対関係に入らない、お互いに誹謗(ひぼう)中傷はしない」と約束した。
 小西に対して当時、われわれが党として特殊な措置をとったことは明らかであった。党内では、大衆運動をただただ内部から破壊する言動をなすだけで自己批判もしない小西を党は徹底粉砕すべきだという正当な意見が強かったが、前記のような中央の考えを理解してくれるよう説得してきた。
 何よりも革共同として、二重対峙・対カクマル戦の内戦過程と重なる長年月にわたって小西と闘いをともにする中で、相互批判と自己批判の関係を正しくつくることができない結果となったことについて痛切にとらえ返し、このことをめぐっての自己批判的総括とそこからの創造的再建をやりとげなければならないと決意してきた。反軍戦線を始めとする党の内部で小西問題についての組織的論議を真摯(しんし)かつ非妥協的に推し進め、それをとおして小西問題をのりこえる反軍戦線の革命的再建をかちとることに精力をそそいできた。
 他方、小西はその後、どんどん内的崩壊を顕著にし、とりわけ99年2月の能登半島沖での海上自衛隊による外国船への射撃事件に際して、「私は陸海空の自衛隊は何かあったら平時でも出動できるようにした方がいいと思います。……すぐ隣の国(北朝鮮)で戦争が起きる危険性が高いという意識は持った方がいい」などと自衛隊の朝鮮侵略戦争への出動・武器使用を激励する見解を表明した(『週刊女性』同年4月13日号)。これは反軍兵士であった自己をかなぐり捨てたことを意味する重大な反革命的裏切りであった。われわれは、階級的一線を踏み破った小西の変質・腐敗を強く弾劾し、一切の援助・協力の関係を破棄した。
 (2)小西は、自らが反軍闘争で総破産をとげ、階級闘争から脱落・逃亡したことをなんら真摯に反省することもないがゆえに、99年時点で反革命・白井と平然と結託し、その反革命的な革共同敵対策動に加担し、白井=小西連合をつくってきた。そのことを公然と表明したのが白井の『中核派民主派宣言』なる反革命出版物の発行人をかって出たことである(00年4月)。そして今度は自らが゛革共同の内情を暴露する″といった風な受けを狙って『新左翼運動その再生への道』(00年5月)を出し、最近の『検証内ゲバ』(01年11月)では一層堕落した姿をあらわにしている。また政治警察・公安調査庁と対決する立場とはまったく無縁のところから、公調の内部文書を入手しては本にするといういかがわしい商売に熱中しているありさまだ。
 小西は今、反革命・白井朗と連合し、同じく角田富夫を抱え込み、元公安調査庁職員・野田敬生と手を組んで、反革命フラクを形成し、革共同および革命闘争への反階級的敵対をこととする存在へと転落しきっているのである。
 その当初から、小西の言動が革共同情報(デマであったり、一知半解であったりするものばかりだが)を売り物にする政治ゴロそのものであることは明らかとなっていた。だが、そればかりではない。小西は、日帝警察権力・公安調査庁など敵階級の側に軸足をすっかり移行させて、その側からもの申す存在になり果てている。白井との結託が小西の決定的変質の重要な契機となっていることは明らかであるが、小西自身の主体的責任はより大きなものがある。
 この点で次のことを小西は胸に手を当ててよく考えてみよ。小西が95年時点の前記の約束を踏みにじる挙に出たことにも、われわれは怒りを爆発させずにがまんし、小西に最後の良心がもしあるならば早く目を覚ませという態度で臨んできた。小西が階級闘争の現場から去ろうとも、たとえ過去のことであろうとも、反軍兵士としてのおのれの誇りだけは捨てずに生きていく方法はあったろう。それが、小西反軍決起に励まされ立ち上がった多くの自衛隊兵士たちへの最低限の責任であった。われわれは最後の最後まで、小西が自らを恥じ、誤った道を引き返すよう余地を残しておいた。ところが小西は、このわれわれの態度を錯覚し、なめてかかり、白井との連合を破棄するどころかますますそれにのっかるという地獄への道を好んで転げ落ちていった。
 小西よ。「われわれは、党を離れた者と反階級的敵対者とを厳格に区別する。転向した自己を合理化するための反階級的敵対行為を断じて放置しない。これが革共同の掟(おきて)である。まして権力に露骨に屈服して居直り、権力の力を借りようとしたり、権力に党を売ることを平然と口にするような変質した輩(やから)を断じて許さない」――これは革共同第6回全国大会の特別決議の一節である。これを白井とともに小西に適用することを、小西自身がわれわれに促したのだということを肝に銘じるべきである。
 われわれは、小西が白井を代弁する位置で白井=小西連合の最先頭に立っていること、「新左翼運動を再生する」「共産主義者として」などとニセ看板を掲げていることそのものを許さない。われわれは、小西が労働者階級人民の運動に外から介入しようとしていることを、党と階級闘争に対する転向分子の破壊・敵対策動であるとはっきりと認定し、それを真っ向から粉砕する闘いを推進する。

 日帝の革共同破壊と一体の超反動的言動

 小西の反動的言動について確認しておく。はっきり言って、それは真面目な検討の対象になるものではなく、その底の浅さにしても、歴史の偽造や自己弁護だけの本質にしても、哀れをもよおすばかりである。小西が前記2冊の本などで書きなぐっていることは、こうである。
@「革共同の対カクマル戦は、左翼運動あるいは新左翼運動の内部の内ゲバである。中核派、カクマルの双方とも思想・信条に基づく闘いであった。それぞれの党派の未来、革命運動の未来をかけて闘った」
A「中核派のカクマルに対するK=K連合規定、ファシスト規定は、根拠がない。自らへの反対者をファシスト呼ばわりしているだけだ」「カクマルの『権力の謀略論』も、中核派のK=K連合規定と同様の『権力との癒着』論をとっているものである」
B「本物のマルクス主義者・レーニン主義者は赤色テロルの採用という方針を絶対にとってはならない」
C「内ゲバをもたらした理論の根拠は唯一前衛党論、民主集中制論にある。内ゲバはスターリニズムと同様の反対派へのテロルである。カクマル黒田が内ゲバの元祖である」
D「革共同は清水独裁体制である。人権・民主主義がない。スターリン主義と同様である。非公然性を強調し、非公開の原則を貫くことは非民主的組織以外の何物でもない」
E「日本共産党の『権力の過激派泳がせ』論はすべてが間違いとは言えない。権力は人員と機構の保持のために、一定の反権力闘争と過激派の存在を必要としている」
Fその他。
 一言で言って、それらは白井の二番煎(せん)じでしかない。第一に、小西は「革共同の内部事情を知る人間」の「証言」であるかのようにして、真実の一片もない暴露本を商売のネタにしているのである。それを国家権力やカクマルに買ってもらおうというのだ。それは、左翼であった者として、人間として、最も恥ずべき階級的犯罪行為である。小西は階級的倫理と人間的道義を投げ捨てて敵に魂を売り渡してしまったのである。だから、小西の語る言葉には、白井のそれと同じく、自己弁護と責任逃れ、虚飾とデマしかなくなっているのである。
 第二に、小西は、白井とともに、反ファッショ解放戦争としての歴史的・階級的意義をもつ対カクマル戦とその先制的内戦戦略について、「とんでもない理論だ、階級闘争に内乱路線―軍事路線をもち込むべきでない」と悪罵(あくば)を投げつけている。だが、白井も小西も対カクマル戦争の指導的一翼を担ったのだ。何よりも許せないのは、その小西が他人事のように、70年決戦を死力を尽くして闘って日帝権力の党破壊攻撃と対決してきた革共同と、史上類例のない白色テロル集団=ファシスト=反革命カクマルを同列に置き、あろうことかカクマルを「左翼、革命をめざすもの」として免罪し、また赤色テロルを内ゲバ論に歪曲し、しかも「その内ゲバの元祖がカクマル黒田である」として、正義と不正義をごちゃまぜにしてしまっていることだ。そして、それをもって階級闘争の内乱的・武装的発展に全面敵対する現在の自己の反動性を開き直っていることである。
 小西が、カクマルの本体をなしてきた、そして今もファシスト労働運動として日帝の新たな先兵として位置づけられている松崎らJR総連の存在とその反革命的・反労働者的所業についてまったく言及すらせず、意図的にカクマルのファシスト労働運動を擁護していることは特に重大な犯罪的行為である。
 第三に、小西はつまるところ、わが革共同に対して、非合法・非公然体制を解けと要求しているのである。それは白井の最も核心的な反革命テーゼであり、対権力においても革共同は武装解除せよというのである。この一点をもって、われわれは、小西が本質的に日本帝国主義・国家権力の手先となったと断ずる。今や小西の言動は、権力の手先に階級移行してしまった立場からのものであり、「過激派は権力に泳がされ、飼われている存在」という言辞に顕著なように、政治警察・公安調査庁のてのひらに乗った言動としての役割をもつものとなっている。
 この点で、小西が角田、野田とともに、小野田譲二・小野田猛史・三島浩司および宮崎学が関与した公調スパイ事件(本紙2019号参照)に関連した樋口報告書を本にして売り出したばかりか、たとえばそこでのスパイ三島浩司のニセ情報(革共同がカクマルと和平の会談を行ったなどという、スパイ三島の噴飯ものの作り話、百パーセントのデマゴギー!)を特記し、「これは事実だ」などといきがっていることは、実に重大な問題である。そのことは、小西や角田が、政治警察・公調およびスパイ三島と同じ立場に移行したことを表明するものであり、革命党に敵対する反革命の共同戦線をつくる役割を果たしていることを如実に示すものでなくて何であろうか。
 第四に、小西は、ゲリラ・パルチザン戦争と革命的テロリズムについて原則的反対を言い立て、「内ゲバ反対」の名で、党と階級に対して武装と武装闘争の路線的放棄を要求する超反動的言動をなしている。それは暴力革命論の原理的否定であり、一斉武装蜂起・内乱・内戦―反軍闘争への綱領的敵対にほかならない。小西は、わが革共同が闘う労働者人民とともに20数年にわたっておびただしい血を流してカクマルの襲撃から党を防衛し、階級闘争の利益を守り抜き、カクマルに対する重大な勝利の地平を切り開いたことが明らかになった今になって、やれ内ゲバだ、モラルの荒廃だなどと、こともあろうに革共同に悪罵を投げつけている。きのうまでの小西がありえたのは烈火のような対カクマル戦の勝利のゆえなのである。そのことを真摯に受け止めることもなく、カクマルに屈服し、武装闘争に原則的反対を唱える小西。こうした人物をわれわれは断じて許さない。

 プロレタリア革命と反軍闘争と党

 (1)革共同における小西問題、小西における党の問題およびマルクス主義・レーニン主義の問題とは何であったのか、別の機会に詳しく論ずるが、ここではごく核心点のみ述べる。
 70年決戦の渦中で、小西は歴史的な自主的決起を行い、その後革共同とともに闘うという主体的な選択をした。革共同の思想と理論、戦略的総路線に賛成し、そこに自己の人生をかける決断をした。そのことは高く評価されるべきことであった(小西が今になって消去法の選択であったなどと自己史を偽造していることは自らを辱めることしか意味しない)。しかし、その後、革共同中央と小西とは懸命の共同闘争を進め、その中でさまざまな格闘を重ねてきたが、完全な一致をかちとることができなかった。
 小西はいったんは共産主義者として自己を確立することをめざしたし、本人自身が相当の努力をしたことは事実である。だが、反軍兵士であることを一切の基準にする立場を超えることができないという限界を固定化し続けた。小西は、共産主義的全体性の立場を獲得する努力を結局遂行できなかった。同時に、最も深刻な問題性は、自己の責任において組織的実践を行い、かつそこでの勝利も敗北も自己の指導責任として自己に引きつけて総括する立場を基本的にはぐらかし、たえずメンバーに責任を転嫁する悪しき官僚主義・権威主義の傾向を脱皮できなかったということであった。
 革共同は、小西に対して、真の意味での共産主義者への飛躍を求め、あえて妥協や譲歩をもとおしてあらゆる格闘を遂行したが、その限界の固定化を突破できなかった。小西のあまりの共産主義的信念のなさをともにのりこえていくことができなかった。革共同中央としては、小西との関係の形成に失敗したということであり、この総括は真摯に深めていかなければならないと考えている。
 この総括について、われわれは小西との思想的格闘それ自体は長い過程の中でぎりぎりまでやったと考えている。中央自身が小西との対話、相互批判と自己批判において、試行錯誤を不可避とした面もあった。小西から学んできたこともけっして少なくない。そこで自己批判すべきことは、小西指導体制のもとで小西をのりこえる力を正しい組織原則のもとで育成し、励ましていくことが十分にできなかったことである。小西指導の歪みによって、心ならずも戦線を離れざるを得なかった同志諸君を、中央が支え、擁護しきれなかったことは痛恨の極みである。小西の反軍戦線へのいわば治外法権的な官僚主義的な権限の行使を正していくことにおいて、踏み込めないできた部分が多かったことについて、反軍戦線で苦闘してきたすべての同志諸君に対して心から自己批判する。
 だが、小西脱落以後、新しい反軍戦線の形成、反軍闘争再建の準備を進めてきたことが今、一定の結実を始めていることを、全国の党および労働者人民の皆さんに確信をもって報告しておきたい。
 (2)革共同と小西が近似的なようでありながらついに交わることができなかった問題は、実はマルクス主義あるいは帝国主義段階のプロレタリア革命における最も根本的・基軸的な問題での相違、対立であった。
 端的に言って、小西の革命観は、たえず揺れ動いていたし、克服の契機もあったのだが、突き詰めればある種の「軍事クーデター」論にとらわれたものであり、労働者階級の壮大な階級形成とその自己解放闘争として革命を展望する立場を受け入れないものであった。
 小西は、労働者階級への根本的な意味での確信についに到達することができず、労働者階級の力不足を軍隊のクーデターの力でのりこえなければ、いや軍隊が軍事力を行使するのでなければ、革命を実現することはできないという、労働者階級への不信を根っこにもったままの思考を護持し続けたのであった。それはまた、帝国主義論・帝国主義世界戦争論とそれに基づくレーニン主義的革命戦略の中に労働者階級をとらえ返し、軍隊と反軍闘争を位置づけることが、小西においてすっぽりと抜け落ちていたことにほかならなかった。その傾向が85年前後から開き直り的に純化されていったのだ。
 したがって、゛軍事は革命的軍人の専門分野であり、労働者階級は軍事とは無縁でもいい″となり、労働者階級による暴力の復権、軍事の奪還という闘争を切り捨ててしまう。そうなると大衆運動は武装と武装闘争の契機を排除した平和主義・市民主義の路線となってしまう。
 そのため、小西は一見大衆運動を重視しているかのようであったが、その大衆運動論は、けっして大衆運動の革命的な創造性、自発性、発展性、歴史を決定するその根源的力=革命的暴力性への確信から出てくるものではなかった。そうではなくて、せいぜい軍隊内工作に有利なように大衆運動をどう展開するかという発想でしかなかった。
 したがってまた、小西が党の必要性を認めるという意味は、反軍工作のために党は利用することができるし、党の利用なしに反軍工作はできないという意味に常に収斂(しゅうれん)されるものであった。だから、党が媒介となった大衆自身の革命的大衆行動を軸とするのではなく、社・共を常に動員しようとする傾向に陥っていた。社・共への幻想を、常に持ち続けたということである。
 そこには、一方での大衆運動論における誤りがあるだけではない。他方での反軍闘争論・反軍工作論にかかわる致命的誤りがある。
 小西は、反軍闘争の本格的発展のためにも、反軍兵士の立場を止揚して共産主義=実践的唯物論、したがってまた党の立場に立ち、ここから階級闘争総体に責任を負う共産主義的自覚を自らのものにすること、そこから革命的大衆行動の爆発のための闘いを措定することが求められていたのである。そしてこの立場と自覚に立つならば、革共同が営々として培ってきたものを虚心坦懐に学ぶことも容易にできたのである。小西自身の反軍闘争論はそうしたものとしてつくりかえてこそ、自己の偉大な歴史的決起をも真に位置づけ返すことができたのである。
 小西の歪みや限界との対話、格闘として、われわれが提示してきた反軍闘争論はどのようなものか。
 党に媒介された労働者階級人民の革命的大衆行動の爆発の中で、自衛隊の反革命的な内乱鎮圧の出動が引きずり出され、それとの階級的激突―物理的せん滅戦を辞さない闘いが推進され、それを重大な契機として自衛隊内の反乱がつくり出され、あるいは革命的大衆行動の側からの自衛隊兵士への呼びかけが発せられ、それらとの葛藤の中で自衛隊の内部の動揺、自衛隊自身の中立化、内的崩壊が広範に生み出され、そこにそれ以前から蓄積されてきた隊内での革命的工作が政治的・組織的に波及していくことをとおして、自衛隊の包囲・解体・獲得の闘いが実現されていくのである。
 これは、労働者階級による帝国主義軍隊の兵士の大量的獲得であり、軍隊の全体的ないし部分的階級移行であるとともに、兵士の階級の側への復帰であり、そういうものとして階級性の奪還=自己解放闘争そのものにほかならない。
 反軍工作のためには、革命運動の内乱的・武装的発展とその一環としての革命的大衆行動の本格的爆発、その階級的土壌の中での反軍工作という論理と展望に自らを立たせる以外にないのである。小西はこの立場に真に立つことができず、゛党は大衆運動を実現する脇役の役目、自分はそれを利用して反軍工作を行う主人公″という域を出なかった。反軍兵士の立場、あるいは自衛隊員としての経験だけから階級闘争を見ていては、階級闘争の本質、本領、ダイナミズムは本当にはつかめないのだ。
 現実の階級闘争は困難である。勝利の展望がすぐ見えてくるというものではない。小西は、現実の階級闘争の困難にたじろぎ、困難との格闘の中に無限の豊かな可能性を見いだすのではなく、労働者階級の決起への絶望を固定化し、肥大化させ、そのため反軍闘争指導で決定的に行き詰まり、破産をとげてしまった。
 (3)プロレタリア革命の根本問題、その一環としての反軍闘争の路線をめぐるこうした相違、対立がそのまま小西の逃亡・脱落の決定的要因となったのではない。小西の組織的実践のありようが、その決定的要因であった。
 小西の党中央批判は、党の革命的自己変革を求めるものではなかった。なぜなら、小西にとって、党とは外在的に存在する物理的機能にすぎず、反軍工作、それも自分勝手な反軍工作に役に立っているかどうかという対象でしかなかったからである。
 小西自身は反戦自衛官ということを、自己が責任ある組織的人格=共産主義者になりきろうとしないことへの批判の防波堤にし、小ブルヒロイズム、戦闘的改良主義の次元を超えられない自己の免罪符にしてきた。この点はここでは指摘するだけにとどめるが、党を〈単一の党〉ととらえず、連合党、共同戦線党としてしか位置づけない小西の党組織観が小西自身の最後的な破産をもたらした。小西が単一党を建設する闘いを自ら担うことを拒絶したことが、その反階級的転落の始まりであったのである。

 徹底的断罪を

 小西誠が、今日の世界危機の世界戦争への転化情勢、日帝の本格的有事立法攻撃という重大局面にあって、かつての反軍兵士の栄光を売り物にしながら、反戦・反軍闘争を呼びかけることは一切せず、逆に反革命白井と一体となって階級闘争に混乱を持ち込もうとうごめいていることは絶対に許せない階級的大罪である。ある意味でその罪は白井よりも重い。
 われわれは、日帝権力のてのひらの上で躍る輩に成り下がり、反軍闘争の敵対物、有事立法決戦の妨害者、カクマルに全面降伏した最も卑劣な裏切り者として純化した小西を、白井もろとも、小野田譲二・小野田猛史・三島浩司らスパイ分子ともども、完膚なきまでに粉砕するであろう。
 すべての闘う労働者人民の皆さんが、反階級的に変質しきった敵対物=小西を真っ向から粉砕し、無慈悲に歴史のくずかごに投げ捨てて、階級闘争の利益を守り、21世紀革命の勝利へと確信をもってともに決起されるよう心から訴える。

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週刊『前進』(2043号6面1)

大破産する小泉「構造改革」
 不良債権の危機は最悪に 大失業と戦争強いるだけ
 島崎 光晴

 小泉「構造改革」は、最大の柱である不良債権対策と財政構造改革で大破産を迎えている。今や「構造改革」なるものが、大失業と大増税、社会保障制度の解体、労働運動の破壊、そして何よりも有事立法と戦争をもたらすものでしかないことが歴然としてきた。小泉「構造改革」の経済的破産によって、3月期決算から6月株主総会に至る過程で金融危機が噴出するのは必至である。日本の恐慌の全面化、世界大恐慌の本格化は時間の問題だ。小泉政権の政治的危機も避けられない。小泉・超反動政権の打倒へ総決起する時がやってきたのだ。

 恐慌激化し倒産増 体力尽きた大銀行

 革共同は、小泉「構造改革」について「戦後史でも例のない、労働者人民に対する巨大な反革命である」と指摘してきた(『第6回大会報告・決定集』上巻468n)。「構造改革」が具体化するにつれて、それがますます明らかになってきている。何よりも、有事立法を今国会で強行しようとしている。「構造改革」の究極は、戦争国家化にほかならない。
 さらに、小泉は「構造改革なくして景気回復なし」と言ってきた。しかし実際はまったく逆だ。「構造改革」の実施に伴って、恐慌がより悪化している。
 「構造改革」の最大の柱である不良債権対策はどうか。大手銀行13行は昨年9月中間期決算で、約2・4兆円の不良債権を最終処理した。今年3月期には約6・5−7・5兆円の不良債権を最終処理する見通しだ。これだけで日本の恐慌を再激化させている。しかも、米経済が恐慌に突入した。日本経済はこの内外の両要因から、97−98年を上回る恐慌の全面的・本格的段階に入りつつある。昨年11月の鉱工業生産指数は87年11月以来の低水準まで下がった。つまり、生産面でバブルが本格化する前の水準にまで落ちているのだ。
 恐慌の再激化に伴って企業倒産が激増中だ。昨年の倒産件数(負債総額1千万円以上)は2万弱で、98年よりも多くなった。負債総額は実に16・5兆円にも達し、戦後2番目の高水準となった。1月の企業倒産は1620件、負債総額は1兆672億円で、件数・負債とも1月としては戦後最悪を記録した。まさに大倒産時代だ。
 失業者も急増している。12月の政府発表の完全失業率は5・6%と戦後最悪となった。完全失業者数は337万人。求職活動をあきらめて失業者に計算されなくなった人は、400万人以上もいる。12月には「非自発的失業者」が125万人と過去最多となり、2カ月連続で「自発的失業者」を上回った。本当に、首切りの嵐(あらし)が日本を覆っている。
 革共同は繰り返し言ってきた。〈不良債権問題は解決できない、にもかかわらず一部の不良債権に手をつけるだけで恐慌が再激化し、企業倒産と失業が激増する〉と。まさにそれが現実になっている。

 自己資本取り崩す末期症状

 今や、「構造改革」の最大の柱である不良債権対策は大破産しつつある。それどころか、不良債権問題はついに日本経済と世界経済を破滅させるほどに、ますます巨大で深刻な問題となっている。
 まず、不良債権額は依然として増え続けている。昨年9月末の大手13行の不良債権残高(破綻先・破綻懸念先だけ)は20兆円強で、3月末に比べて約2・5兆円も増加した。不良債権を処理しているのに、それを上回る規模で不良債権が新規に発生しているからだ。不良債権の処理↓恐慌の激化↓新規の不良債権の増加↓不良債権残高の増加、というどうにもならない状況にある。
 不良債権が膨らんでいるにもかかわらず、銀行にはそれを処理する体力はもはやなくなった。大手13行は今年3月期決算で不良債権処理に伴って6兆円もの損失を出す見通しだ。しかし、本業のもうけである業務純益はこれに満たない。従来は、株式含み益を吐き出して補充してきた。ところが、保有する株式が値下がりしているため、含み損を抱える株式が出てきた。含み損は、時価会計ルールによって評価損として処理しなければならない。
 つまり、不良債権処理に加えて含み損処理という新たな問題が出てきたのだ。しかし、そんなカネはどこからも工面できない。切羽詰まって大手行は、3月期決算で自己資本の一部である法定準備金を取り崩そうとしている。ついに゛自分の身を食いつぶす″しかなくなったのだ。
 だから日帝・小泉政権は、またもや不良債権問題を先送りしてしのごうとしてきた。1月にダイエーが経営再建の新計画を打ち出した。主力銀行はダイエーに4200億円の金融支援を決めた。ところがこれは、ダイエー再建に必要な額として決められたのではない。体力の尽きている銀行が、゛いくらまでなら負担できる″という議論で決めた。ダイエーの本格的処理をすると主力銀行が経営破綻(はたん)するため、先送りにしたにすぎない。
 そもそも、ゼネコン・不動産・流通の3業種に対する銀行の貸し出しは151兆円もある(00年度末)。バブル崩壊直後の93年の166兆円からほとんど減っていない。もはや企業の過剰債務問題、それと裏腹の銀行の不良債権問題はどうやっても解決できない。

 国債等「日本売り」〈3−6月危機〉に

 日帝・小泉政権は当初、゛ダイエー再建ムード″を演出したうえでゼネコン数社を救済・整理し、゛これで基本的に解決″などと宣伝して3月期決算をのりきろうとの思惑だった。しかし、1月末から2月にかけてこの思惑は完全に吹き飛んだ。危機が予想を超えて急進展したからだ。
 一つは、1月後半から株価が一段と下がり、さらには円・株・債券のトリプル安という重大事態に陥ったことである。
 2月初め、日経平均株価は9500円を割り込み、バブル崩壊後の最安値を更新した。株価は83年末以来、実に18年ぶりの安値水準にまで下がった。特に銀行株が急落し、4大銀行グループの株式時価総額の合計は約10・5兆円となり、1年前に比べて約15兆円、率にして6割も減少した。銀行は株安で、今まで以上に株式含み損を処理しなければならなくなる。しかも、企業と銀行は株式を持ち合っている。銀行株の下落は、銀行株を保有する企業の業績を直撃する。東証1部上場企業が保有する主な銀行株の含み損は、2月初めに4兆円を超えた。これも時価会計で評価損として処理しなければならない。
 さらに2月初めにはトリプル安となった。トリプル安はバブル崩壊直後の90年以来のことで、97−98年にもなかった。直接の原因は大きく二つある。@小泉政権の支持率低下で国際的不信が高まり、「外国人投資家」が円・株・国債を売りに出た。2月半ばには、格付け会社ムーディーズが日本の国債の格下げを検討と発表した。実施されると、帝国主義国ではイタリア以下の最低となり、チェコやハンガリーと同じ水準になる。
 A銀行が国債の売却を拡大している。銀行は、保有株式の評価損を穴埋めする手段として、国債を売る以外になくなったのだ。国債の発行残高のうち、民間銀行が27・8%、民間金融機関全体では46・8%までをも保有している。しかも02年度の新規発行の国債と借換債の合計は初めて100兆円を超える。この間の膨大な赤字財政は、銀行が国債を保有することで成り立っていた。しかし今や、一方で銀行の国債保有が限界に達しつつあり、他方では市場に出回る国債は極限的に膨張している。そうした中で、ついに銀行が国債売却に訴えはじめたのだ。これは日本経済危機の゛パンドラの箱″を開け放つ大変な意味を持つ。

 米帝の圧力に小手先の対応

 こうした歴史的なトリプル安とともに、1月からもう一つ重大な危機が進んだ。日米の金融恐慌が相乗して世界大恐慌に本格的に突入しかねない情勢になってきたのだ。
 米経済では、昨年11回もの利下げで史上最大級の金融緩和が行われた。しかし、銀行の貸し出しは減っている。日本経済と同じように、いくら金融緩和しても銀行の貸し出しが減ってしまう状況に入ったのだ。しかも米経済でもデフレ色が出始めた。卸売物価は昨年6〜7月から下落に転じ、秋からは消費者物価も下落しはじめた。さらにエネルギー最大手エンロンの経営破綻で、米企業の粉飾会計に対する不信がつのり、株式市場も動揺している。ここで日本の金融危機が噴出すれば、直ちに米金融危機を誘発することは間違いない。
 米帝ブッシュ政権が、今回の訪日で日帝に「不良債権処理」「デフレ対策」を求めたのは、こうした抜き差しならない危機がある。また、日米安保の枠内で日帝を補完的に動員する米帝戦略からしても、日帝の経済的崩壊は米帝戦略を揺るがしかねない。米帝は対日争闘戦の観点から、日帝の経済政策に強引に介入するまでに至った。これに対して小泉は、2月半ばに大慌てで「金融システム安定化策」を発表した。
 具体的には、@銀行に対する金融庁の特別検査を厳しくし結果を公表する、A「整理回収機構」による不良債権の買い取りを促進する、B「銀行等保有株式取得機構」が銀行から買い取る株式を増やす、C日銀による一層の金融緩和、など。なんの目新しさもない。とにかくとりつくろってみただけのものだ。

 公的資金投入でも収まらず

 このようなどんづまりの状況下で、日帝内で公的資金の再投入論が強まりつつある。政府は預金保険機構に危機対応勘定として15兆円の枠を設けており、これを投入しようと狙っている。しかし、99年にいったん7・5兆円もの公的資金が投入され、各行の経営健全化計画も作られていた。それなのに3年後にまたも公的資金を投入するなどというのは、ブルジョア的意味ですら゛大失政″ではないか。これで何が「構造改革」か! 公的資金投入は、小泉「構造改革」の経済面での最終的破産宣言でしかない。
 そもそも民間金融機関に投入された公的資金は、総額で36兆円にも上っている。公的資金投入は、結局は労働者人民の負担になってくる。労働者人民には「痛み」を強いておいて、大銀行・大資本には湯水のように血税を注ぎこんで救済しようとする――こういう小泉政権はすぐにでも打ち倒さなければならない。
 しかも、99年とは違って現在は、公的資金を投入しても金融危機が収まらない可能性が強い。銀行の体力が、当時とは比較にならないほど落ちているからだ。また、公的資金投入は日本経済に対する国際的不信を増幅させ、国債価格の暴落を招きかねない。さらに、99年には米バブルが続き、それが日本経済の下支えとなったが、今や米経済は恐慌を深めつつある。
 実際、3月期決算から決算発表後の6月の株主総会にかけて、゛時限爆弾″はいくつもある。@「外国人投資家」による「日本売り」を機に国債が暴落する可能性。A政府・金融庁などのコントロールを離れて、大手問題企業の経営が破綻する可能性。B4月にペイオフ凍結が解除される。ペイオフとは、破綻金融機関からの預金払い戻し保証額を元本1000万円とその利息に限る措置。すでに預金者による銀行の選別が強まっている。多数の金融機関の倒産、その影響による中小企業の倒産激増の可能性がある。

 財政は「隠れ借金」 医療制度を大改悪

 では、不良債権問題以外の「構造改革」はどうか。
 まず「財政構造改革」について。小泉は「国債30兆円枠」を掲げてきた。しかし、01年度補正予算では、本来は国債整理基金に繰り入れるべきNTT株売却収入を財源とした。02年度予算案では約2兆円の財源不足が生じているが、特別会計などから臨時に調達して穴埋めする。これは「隠れ借金」と呼ばれる。「隠れ借金」は90年代後半に徐々に減らされてきたが、小泉政権下で復活した。これでは、「構造改革」とはまったく逆ではないか! しかも03年度からは「30兆円枠」を外すと決めている。
 一方、小泉は2月の施政方針演説で「努力が報われ、再挑戦できる社会」として、真っ先に税制改革をあげた。具体的には、所得税・住民税の最高税率の引き下げ、法人税や相続税など直接税の減税、課税最低限の引き下げ、そのための配偶者控除などの各種控除の廃止・縮小、外形標準課税の導入による赤字法人への課税、さらには消費税率の引き上げなど。資本家階級を徹底的に優遇し、労働者人民や中小企業からの収奪をとことん強めようとするものだ。03年度から再び放漫財政に戻るのとセットで、こういう税制改革を強行しようと狙っている。
 次に特殊法人見直しと郵政民営化について。小泉政権は12月に、17法人の廃止、45法人の民営化、38法人の独立行政法人化を決めた。では、小泉が最重視していた「政府金融」「道路公団」についてはどうなったか。
 政府系金融機関については、住宅金融公庫は5年以内の廃止が決まった。ところが、それ以外の日本政策投資銀行など8つの政府系金融機関については、2月になって見直しを当面延期する方針となった。人民の住宅取得にとって最も密接な住宅金融公庫だけはつぶし、他はすべてそのままなのだ。

 借金で事業を保つ道路公団

 道路4公団については、第三者機関で民営化を検討することになったが、個別路線の建設計画についてはそこでまったく問題にしない。日本道路公団は、02年度予算案では約3000億円の国費(財政投融資計画)の投入が打ち切られるが、自身の借金(財投機関債)を2500億円増額して資金を確保し、1・4兆円規模の道路建設を続ける。
 02年度予算案では、特殊法人の事業見直しで約1・1兆円を削減した。しかし、各特殊法人機関が金融市場から資金調達する財投機関債は2・4倍の約2・7兆円に膨らんだ。財投予算の削減に対応して機関債=借金を増やしているだけだ。実質は何も変わっていないではないか。このどこが「構造改革」だ! 小泉は旧来の自民党とは違うかのような幻想をあおってきたが、やっていることは同じではないか。
 その一方で、小泉は03年の郵政公社化と同時に郵便事業を民間に全面開放することを決めた。さらに小泉は、05年に郵政3事業を民営化する方向で決断し動きだしている。小泉の特殊法人見直しなるものの実質は、要するに公務員労働運動に対する破壊攻撃だけではないか。
 さらに、社会保障制度の解体について。小泉は、高齢者医療費の負担増・給付減を切り口にして、医療制度を根本から改悪しようとしている。今国会には、サラリーマンの医療費負担を来年4月に2割から3割に引き上げる法案も提出される。さらに、新たな高齢者医療制度の創設や診療報酬体系の見直しなど、医療制度の抜本改悪を02年度中に決めようとしている。

 資本の好き勝手な都市再開発を容認

 そして、「都市再生」と称して、大資本のやりたい放題の「都市再開発」を認めようとしている。今国会に「都市再生特別措置法案」が提出される。この法案で、地方自治体などの要請を受けて、政府・都市再生本部が「都市再生緊急整備地域」を指定する制度を設ける。
 その内容は、@この特別地域内では容積率(敷地面積に対する建物の延べ床面積の割合)や用途制限など従来の規制をすべて白紙にする。Aしかも、地権者の3分の2以上の同意があれば、民間事業者が自ら都市計画を提案できるようにする。民間事業者から提案を受けた自治体は、半年以内に都市計画を決めるように義務づける。Bさらには、道路や公園など公共的施設を整備する場合は、政府が無利子で融資し、民間金融機関からの借り入れも国が債務保証する。
 つまり、この特別地域では、民間事業者=大資本が好き勝手の都市計画を構想できるようになり、しかも提案があればその都市計画を決めることが地方自治体に義務づけられ、さらにはその資金も国が工面する、ということだ。資金面では明白な公共事業であるにもかかわらず、計画・施工・運営はすべて大資本まかせとなる。従来の公共事業の方が、まだしも国家的な規制がかかっていた。
 小泉はあたかも゛旧来の自民党的な公共事業を減らす″かのように言ってきた。しかしその正体は、オール大資本まかせの、旧来の公共事業よりもっとあくどいものだ。
 小泉は「民間でできることは民間に委ねる」とも言ってきた。その正体がこれだ。「民間」=大資本にやりたい放題にさせるということだ。かつての中曽根政権時代の東京大改造計画よりも、はるかにひどい。大銀行・大資本の利益をここまで露骨に追求するのは、歴代自民党政権の中でも例がない。

 小泉政権打倒 春闘総行動へ

 以上、小泉「構造改革」は、不良債権対策や財政構造改革という経済面では、大破産をとげつつある。かりに3−6月危機をのりきれたとしても、より悪化した矛盾が爆発するのは避けられない。もはや、日本の恐慌の全面的爆発、世界大恐慌への本格的突入は時間の問題となった。それは必ず、小泉政権の政治的危機の爆発と同時進行で進む。「革命的情勢の急接近、あるいは革命的情勢への端緒的突入」(革共同政治局の1・1アピール)が、ますます加速する過程に入ろうとしている。
 このように経済面で破産する中で、今や、小泉「構造改革」はただただ労働者人民の搾取と収奪、支配と抑圧をもたらすものでしかないことが歴然としてきた。小泉「構造改革」とは、大倒産と大失業、資本家への減税と労働者人民への大増税、労働運動の破壊と労働法制の改悪、社会保障制度の解体、大資本の好き放題の「都市再開発」なのだ。今春闘、資本攻勢との闘いを、こうした「構造改革」と真正面から対決するものとして闘おう。
 さらに、小泉「構造改革」は、全社会を弱肉強食地獄に引きずりこみ、戦後的な労資関係−階級関係を転覆し、そうして戦争国家に突っ走ろうとするものである。改憲と戦争に向けた国家改造攻撃そのものだ。だから、小泉「構造改革」との闘いは、有事立法阻止・改憲粉砕決戦と一体の闘いである。
 さらには、これらのすべての攻撃の環に労働組合的団結の破壊攻撃がすえられている。国鉄闘争は、国鉄分割・民営化から小泉「構造改革」に至るすべての過程で不屈に闘われ、現在の「構造改革」との闘いの最前線・最基軸をなしている。何がなんでも、ここで勝たなければならない。
 革共同は1・1アピールで「労働運動・学生運動の革命的爆発で日帝・小泉超反動政権を打倒しよう」とのスローガンを発した。闘うイスラム諸国人民との連帯をかけ、自己批判の貫徹、血債の貫徹をかけて一人ひとりが゛生まれ変わって″決起しよう。必ずや小泉政権を引きずり倒し、世界革命に突き進もう。そのために春闘総行動に総力をあげよう。

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