ZENSHIN 2002/05/27(No2054 p06)

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週刊『前進』(2054号1面1)

5・24明治公園−5・26芝公園へ総決起を
 3党声明丸のみの5・27国労臨大許すな
 北朝鮮・中国への軍事侵略と国家総動員を狙う有事立法
 絶対阻止へ今こそ立つ時だ

 戦後最大の階級決戦、一大反戦政治闘争の時が訪れている。有事立法3法案は米日帝が朝鮮・中国侵略戦争に突入するために戦争国家体制、国家総動員体制を構築する攻撃である。国会で3法案を通せば、憲法第9条は死刑を宣告され、憲法はもはや無いも同然の状態となる。60年も70年も、安保粉砕・戦争反対と改憲阻止で闘い、大爆発をとげた。以来、自衛隊が海外派兵されたら、有事立法が出たら、改憲になったら自分も立ち上がると言ってきた人びとは、膨大な数で存在する。しかし、今がまさにその時なのだ。日帝・小泉の「備えあれば憂いなし」「万一の事態に備える」という大ペテンを爆砕し、最大の正念場の国鉄決戦と一体のものとして、有事立法粉砕・改憲阻止の巨万の決起をつくり出そう。5・20扇町公園(大阪)−5・24明治公園、5・26芝公園に総力決起せよ。百万人民の大署名運動を全党・全人民の総力で展開しよう。国労中執委が開催強行を決定した5・27国労臨大決戦に総決起しよう。

 第1章 米帝は世界戦争路線へ完全に踏み切っている

 5月7日から衆院有事法制特別委で開始された有事立法3法案の国会審議の反動性、茶番、ペテンは許しがたいものである。民主、自由、日共など野党の追及も、「日本が外から武力攻撃されたらどうするのか」「生命、財産、家族の安全をどう守るか」といった敵の土俵に乗って、日帝・小泉の有事立法3法案攻撃の〃不備”をあげつらい、反動的に突き上げるたぐいのものでしかないからだ。
 だが有事立法の核心は、日本が将来、外から「武力攻撃」された事態に備えるといったことではないのだ。事態は逆なのである。日帝が切迫する米帝ブッシュの北朝鮮・中国に対する侵略戦争=武力行使に、共同的=競合的に参戦し、日帝が主体的に北朝鮮や中国やアジア・中東諸国に対して武力を行使し、侵略戦争をやろうとしているということなのだ。
 そのために憲法を明日にも事実上停止し、首相に独裁的な非常大権を与え、自衛隊と軍事最優先の国家総動員体制を構築しようとしているのである。このことを断じてあいまいにしてはならない。
 日帝・小泉の有事立法攻撃を直接的に規定しているものは、米帝の世界戦争路線への踏み切りである。その意味で昨年の米帝のQDR(4年ごとの戦力見直し。01年9月)、02年ブッシュ一般教書、9・11から半年目の記念演説、そして8年ぶりの「核戦力体制の見直し」などの攻撃は決定的なのだ。ブッシュはイラク−イラン−北朝鮮を「悪の枢軸」と決めつけ、アフガニスタンに続いてこれらの国に大々的な攻撃=侵略戦争をやるつもりでいる。さらに中国、ロシア、シリア、リビアを加えた7カ国を核攻撃の対象国に挙げている。
 しかも米帝のこの世界戦争計画の本当の中心には対中国の世界的大戦争と政権転覆が狙われている。さらには帝国主義間戦争さえ設定されている。01年QDRの最大の核心は対中国侵略戦争なのである。昨年の9・11反米ゲリラ戦と「テロ根絶」の大合唱による10・7アフガニスタン侵略戦争開始をもって世界戦争への第一段階が始まった。世界危機が世界戦争に転化する過程に突入したのだ。このことに断固対決しなければならない。
 今や米帝の対イラク侵略戦争の発動(バクダッド制圧と政権転覆)は確定的になっている。パレスチナ情勢の激動的展開、イスラエル・シャロンの大イスラエル主義とパレスチナ抹殺の軍事侵略強行によって、対イラク攻撃が延期になり、パレスチナ人民のすさまじい極限的な自爆決起が、米帝のイラク侵略戦争をストップさせている。だが米帝は、パレスチナ情勢をイラク攻撃と切り離し、事態を膠着(こうちゃく)状態に持ち込んで、ただちにイラク侵略戦争を発動しようとしているのである。
 イラク攻撃の終了後には北朝鮮攻撃を狙っている。米帝は北朝鮮を陸海空から攻撃し、100万人以上の死傷者が出ることも辞さず、北朝鮮スターリン主義の体制転覆=「占領統治」を策動している。それは米韓の「作戦計画5027」(改訂版)を見れば明白である。しかも「悪の枢軸」論は連動しており、北朝鮮への攻撃は対中国侵略戦争と不可分に結合しているのである。
 こうした中での有事立法攻撃なのだ。来年あるいはこの1〜2年のうちに米帝の北朝鮮攻撃=侵略戦争は起こる。小泉ら日帝支配階級はブッシュと腹合わせし、腹をさぐったりして、その超切迫した情勢を完全につかんでいる。北朝鮮問題や中台問題で、いつ侵略戦争の火が噴いてもおかしくないと見ている。だから有事法制もすぐ発動することを念頭に置いて立法しようとしているのだ。一般的抽象的な「将来への備え」などではないのだ。米帝が北朝鮮への核査察を新たに要求し、日帝がKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)軽水炉建設費の不足分8%の分担を今年1月から中止し、また日米が北朝鮮への食糧援助をすでに停止しているのは、北朝鮮への侵略戦争が決定的に切迫しているからなのだ。
 日帝は米帝の対日争闘戦を背景としたこの朝鮮・中国侵略戦争の切迫に必死にくらいつき、キャッチアップし、共同的=競合的に参戦するために、戦争体制=国家総動員体制の構築を急いでいる。それが有事立法なのだ。
 そして米帝が北朝鮮への侵略戦争を開始したら、ミサイルなどで在日米軍基地や自衛隊基地などへの反撃があるのは当然である。それはストレートに戦争状態への突入となる。だから日帝にとっては「不審船」的なものはどんどん撃沈し、拿捕(だほ)する必要がある。日本国内でゲリラ戦が展開されたり、戦争動員攻撃への抵抗や反対運動が起きるのも不可避である。だから日帝にとって「テロ攻撃」や「不審船」対策なるものも、「武力攻撃事態」に含める必要があるのだ。また首相の非常大権のもとに国家機構、地方自治体、すべての公共機関そして「国民」を強制動員し、自衛隊と米軍の通行・移動や作戦行動はすべての法律の「特例」「適用除外」として、軍事最優先の体制をつくる必要がある。通信やマスコミを統制し、労働組合や人民の反対運動は治安弾圧の対象として、たたきつぶす必要があるのである。
 対イラク攻撃の急迫に続いて、北朝鮮と中国への侵略戦争が完全に切迫している。戦争はいつ発動されてもおかしくない。だからこそ日帝・小泉は形相を変えて、今国会できわめて短期決戦で立法しようとしているのである。

 第2章 「周辺事態」が起きれば憲法停止し戦争に突入

 武力攻撃事態法案にいう「武力攻撃事態」(日本有事)とは何か。@武力攻撃が発生した事態、A武力攻撃のおそれのある場合、B事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態の三つであるという。なぜ「おそれ」や「予測」までが武力攻撃事態なのか。問題ははっきりしている。米帝が対イラク、対北朝鮮、対中国の侵略戦争を準備する段階ですでに「予測」事態となり、開始した瞬間から反撃の「おそれ」が発生するということなのだ。野党やマスコミは規定が不透明だとか「あいまい」だと批判しているが、軍事の論理は実にリアルで、法案の意図はあいまいでも何でもないのだ。
 97年9月に締結された新ガイドライン(日米防衛協力指針)では、すでに@「日本に対する武力攻撃」(日本有事)には、日米で「共同作戦計画」を検討する、A「日本周辺地域における事態で日本の平和と安全に重要な影響を与える場合」(周辺事態)には「相互協力計画」を検討しておくと規定されている。Bしかも「共同作戦計画」の検討と「相互協力計画」の検討との間での「整合を図るよう留意する」となっている。つまり両者はワンセットなのだ。
 すでに新ガイドライン下での「最初の二国間防衛計画」=周辺事態法における「相互協力計画」が日米間でサイン(署名)されたことを、今年2月27日にブレア米太平洋軍司令官が、3月19日に中谷防衛庁長官が公然と認めた。新ガイドライン・周辺事態法はすでに99年5月に成立している。この新ガイドラインにおいて日米帝は、日本が「外部から武力攻撃される事態」つまり「日本有事」は、単独で、独立して発生するものではなく、必ず「周辺事態」の発生に伴って起こるということを確認しているのだ。そしてこの「周辺事態」とは、米帝が対北朝鮮、対中国の侵略戦争を発動した瞬間なのだ。周辺事態法に続き、ついにそれとリンクしたワンセットの有事立法3法案が登場したことは、まさに戦後最大の階級決戦の到来なのである。
 今ひとつ、武力攻撃事態法案においてa「事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態においては、武力攻撃の発生が回避されるようにしなければならない」、b「武力攻撃が発生した事態においては、武力攻撃を排除しつつ、その速やかな終結を図らなければならない」と規定されている。この「回避」「排除」「速やかな終結」の文言は、きわめて重大である。つまり日帝は「予測」の段階から武力行使を先制攻撃として行うということなのだ。そして敵と交戦し反撃を実力で排除し、敵を粉砕して、「速やかな終結」を図ると言っているのである。日帝・自衛隊が北朝鮮・中国への先制攻撃をやろうとしていることは、福田官房長官が「自衛隊が反撃できる時点はいつか」と質問され、「ミサイルが着弾した時ではなく、着手の段階から含まれる」と答弁(5月9日)したことからも明らかだ。
 米帝が北朝鮮への攻撃=侵略戦争を発動したら日帝は、α周辺事態法と今次有事立法に基づいてただちに「後方地域支援」「自衛権発動」の名で戦後初の武力行使−集団的自衛権行使に突入すると同時に、β日本国内を完全な戦争体制、非常事態宣言体制、国家総動員体制にたたき込むために全力を挙げているということなのだ。

 総領事館事件の核心は何か

 こうした超緊迫情勢の中で、5月8日、中国瀋陽市の日本総領事館で北朝鮮からの亡命事件が発生した。日帝と小泉はそこでの実に反人民的な対応を、中国の「国家主権侵犯」という排外主義扇動に転化し、有事立法強行のために使いきろうとしている。この策動を怒りを込めて粉砕しなければならない。
 今回の総領事館事件の核心は何か。第一に、米帝(日帝)の北朝鮮スターリン主義に対する戦争重圧と体制転覆の攻撃が、94年危機以来の激化をたどっていることだ。米日帝は食糧援助も、軽水炉建設もストップ、停滞させ、内と外から北朝鮮の体制的危機を促進している。これと連動して北朝鮮から中国への大量の脱出が生み出されている。こうした中で今回の亡命未遂事件は起きたのだ。
 第二に、日帝政府の難民や亡命希望者に対するきわめて排外主義的、民族抑圧的、反人民的な攻撃ということである。日帝は難民への排除、収監、強制送還の入管攻撃をとり、亡命は基本的に認めない立場をとっている。今回も阿南中国大使は事前に亡命者の「入館阻止」を命じていた。総領事館における中国官憲の連行という事態は、本質的には日本側の容認・了解のもとで起きたのである。
 第三に、日帝が今回の事態を逆に居直り、「国家主権侵犯」「中国に毅然(きぜん)たる態度を」という排外主義扇動に転化し、それを有事立法3法案を強行するテコにしていることだ。これは新たな盧溝橋事件の手口である。日帝権力も98年、中国大使館に警視庁警官5人が突入し、中国人1人を連行した。今回の事態を排外主義的に非難するとは盗人たけだけしい。
 日本の労働者人民は、@今回の総領事館事件、Aそして昨年12月、海上保安庁(それ自身アジア最大級の海軍力)の巡視船が、「不審船」と称して小型外国船を公海上で銃撃・撃沈し乗組員15人を虐殺するという軍事力を行使した事件、Bさらには「拉致疑惑」うんぬんの排外主義的大キャンペーン、これと真っ向から対決し、国際主義的連帯をもって朝鮮侵略戦争阻止・有事立法粉砕に総決起しなければならない。

 有事立法攻撃に屈服の日共

 だが有事立法をめぐる野党の国会論戦は、民主党、自由党を始め、度し難いほど反動的だ。とりわけ日本共産党は、米日帝の朝鮮・中国侵略戦争の切迫を批判せず、対米従属論と「自ら主体的に国を守る」立場に純化し、有事立法攻撃に完全屈服している。
 こうした野党の屈服と犯罪性、さらにカクマルとJR総連の敵対・介入策動を断固うち破って、有事立法決戦を大爆発させよう。
 有事立法粉砕・改憲阻止、朝鮮侵略戦争絶対反対で立つ時は、本当に今なのだ。かつて国家総動員法のもと、15年戦争−アジア・太平洋戦争で2000万人の朝鮮・中国・アジア人民を虐殺し、日本人民もまた沖縄戦、ヒロシマ・ナガサキ、東京大空襲などの惨禍をこうむり、300万人以上の犠牲を出した歴史を再び繰り返すのか。繰り返していいのか。断じて否だ。
 今こそ革共同が、われわれ一人ひとりが、革命家魂、労働者魂を発揮して、99年ガイドライン決戦を超える決起をし、有事立法粉砕へ60年、70年をのりこえるような階級決戦、一大反戦政治闘争を爆発させるために闘おうではないか。
 闘う朝鮮・中国・アジア人民、在日・滞日人民、闘うパレスチナ・中東・ムスリム人民と連帯し、5・20大阪・扇町公園、5・24東京・明治公園の闘いを陸・海・空・港湾、交通運輸関係労働者とともに大爆発させよう。5・26反戦共同行動委の全国結集闘争を巨大な戦闘的国会デモとして闘いとろう。
 さらに有事立法粉砕決戦を切り開く全人民的運動として、百万人民の署名運動を、全国の職場、労働組合で、大学キャンパスで、街頭で、地域で猛然と展開し、階級情勢を塗り変える一大高揚をつくり出そう!

 第3章 裏切り者を打倒し国労の闘う旗を守りぬけ!

 与党3党の4・26「JR不採用問題に関する声明」で一気に最大の決戦に突入した国鉄決戦は、有事立法阻止決戦と完全に一体の闘いとなった。3党声明丸のみの5・27国労臨大強行を断じて許してはならない。 
 第一に、5月30日の期限を付けて「4党合意からの離脱」を表明した与党3党声明は、日帝が国労解体を行うという権力むき出しの反革命であり、最後通牒(つうちょう)である。日帝が闘う闘争団や4党合意に反対する組合員、鉄建公団訴訟を闘う組合員の存在を許さない、盾突く者はたたきつぶすという攻撃である。有事立法下で闘う組合の存在、諸権利の主張は一掃するということである。まさに、これ自体が有事立法攻撃そのものなのだ。これを粉砕せずして一切はない。猛然と3党声明粉砕に決起し、国労解体に突き進むチャレンジ・革同を打倒して、闘う国労の旗を守るために闘おう。
 第二に、国鉄決戦は「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」「レーニンの三つの義務の実践(革命の宣伝、革命的行動の着手、革命党の建設)」の闘いそのものである。動労千葉−動労総連合の3・28〜31ストライキも「連帯し、侵略を内乱へ」の具体的貫徹であった。戦争と大失業の時代には、経済闘争も何をやっても帝国主義と激突する。今こそ国鉄決戦を先頭に、有事立法攻撃下の血みどろの、音の出る闘い、階級的労働運動再生の闘いに立ち上がろう。
 第三に、ベアゼロ、昇給見直し、春闘圧殺の02春闘が示したことは、現状破壊的な資本攻勢の激化であった。これは世界的=日本的な戦争情勢への突入に対応したウルトラな資本攻勢である。戦後的階級関係、労資関係の激変を狙う攻撃である。これに対する労働者人民の反撃は全世界で、日本で、必ず生起し、巻き起こる。革共同はこの労働者階級の怒りの決起の先頭に立って必死に闘わなければならない。
 5・27国労臨大決戦に絶対に勝利しよう。@与党3党声明を徹底的に粉砕せよ! A闘争団への生活援助打ち切り、除名処分粉砕! 闘争団を守れ! B裏切り者をたたき出せ! 闘う国労の旗を守れ! C動労千葉と連帯し、1047人闘争勝利を!――この闘争スローガンを掲げ、全党・全人民は国鉄決戦をあくまで不屈に徹底的に闘いぬこうではないか。
 さらに有事立法粉砕決戦の一環として、「復帰30年」の沖縄闘争が決定的に重要だ。沖縄は米日帝の最前線出撃基地として一層強化され、米軍機事故が続発し、完全に「戦場」と化している。有事立法粉砕・改憲阻止は再び〃沖縄戦”を繰り返さない闘いなのだ。
 三里塚暫定滑走路開港に抗して不屈に闘いぬく天神峰、東峰の敷地内農民と連帯し、秋への6カ月決戦を闘おう。三里塚は反戦闘争の砦(とりで)であり、有事立法粉砕の最前線の闘いである。
 長期獄中同志奪還の10万人署名と保釈奪還1億円基金運動を有事立法粉砕決戦のただ中で貫徹しよう。
 最後に一切をかけて5−6月有事立法粉砕決戦へ自己変革的に総決起し、それを党建設の闘いへと転化することを訴えたい。

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週刊『前進』(2054号2面1)

5・27臨大を絶対許すな 裏切り執行部打ち倒せ
 与党3党声明丸のみ阻止を 国労の再生かけて総決起を

 国鉄決戦は、国鉄闘争の最終的な解体をもくろむ巨大な反動との死闘戦に突入した。国労本部は、国鉄闘争の全面清算を迫る与党3党声明に屈服し、5月27日に臨時全国大会を開催すると決定した。臨大では、JR採用差別訴訟の取り下げを決め、「JRに法的責任がないこと」を再確認するとしている。与党は国家暴力をむき出しにして国鉄闘争と国労を壊滅に追いやる一大攻撃を仕掛けてきた。これに国労本部は全面的に屈服し、与党の理不尽かつ横暴な要求を丸のみして、自らの手で国鉄闘争を解体・圧殺しようとしているのだ。それは、国労の組織と団結を廃虚と化し、闘争団はもとよりすべての国労組合員を敵に売り渡しても自己保身を図るということだ。史上類例のない大裏切りが行われているのだ。4党合意の受け入れを暴力的に決定し、国労を崩壊の瀬戸際にまで追いやってきた本部執行部は、ついに国労自己解体の最後の留め金を外そうとしている。5・27臨大強行を絶対に阻止しよう。本部執行部を今すぐにも打ち倒し、新たな闘う執行部を打ち立てなければならない。それだけが、国労の起死回生の道を開くのだ。

 「闘争団除名」迫る最後通牒に屈服

 有事立法の暴力的貫徹をたくらむ日帝は、侵略戦争への労働者動員を現実のものとするために、労働者の階級的団結を粉々に打ち砕こうとしている。その切っ先にあるものこそ、与党3党声明による国労解体攻撃だ。4党合意以来の攻防は、一方でチャレンジと反動革同のとてつもない裏切りを促進させるとともに、他方で闘争団を先頭とする不抜の隊列を生み出した。
 日帝は、こうした事態にあわてふためき、有事立法攻撃のただ中で、あらためて国鉄闘争解体に乗り出してきたのである。
 与党声明は、国労が2001年1月の大会で「JRに法的責任がない」ことを認めたにもかかわらず、@裁判闘争を続けていること、A組織内を統一できていないこと、を「2つの矛盾」としてあげつらい、5月30日までに国労執行部が矛盾を解消し、「4党合意の前提条件を成就」しなければ、「与党としては、4党合意から離脱せざるをえない」と叫んでいる。
 与党は、こうした形で、JR採用差別訴訟の取り下げと、闘争団への除名処分の強行を国労本部に迫ったのだ。これは、国労に無条件全面降伏を求める最後通牒(つうちょう)である。権力による労働組合へのすさまじい屈辱の強制だ。
 「4党合意に基づく解決」なるものを唱え続ける以外に延命の道がない国労本部の窮状は、権力によって完全に見透かされている。与党声明の狙いははっきりしている。国労に臨大を開かせ、裁判取り下げと闘争団への除名処分を決定させた上で、それでもなお「4党合意の前提条件は成就されていない」として4党合意そのものを蹴飛ばそうとしているのだ。国労が臨大で何を決めようが、権力の側には「解決交渉」に入るつもりなど毛頭ない。臨大を開かせ、国労内の亀裂を徹底的に深めさせ、致命的打撃を与えて、一気に国労を崩壊に追い込もうとしているのだ。
 4党合意による「解決」が文字どおりのゼロ回答であることは、今や明白だ。「1人80万円、関連会社への数人の採用」でさえない。本部が底なしの屈服を深め、いかに国労組合員を売り渡そうと、権力の回答は「国労を交渉対象とは認めない」というものでしかない。
 国労本部は、そんなことは百も承知で、臨大開催に踏み切った。彼らは、一刻も早く闘争団を圧殺し、国鉄闘争から逃亡したいのだ。5・27臨大は実質的な国労の解散大会として強行されようとしている。闘争団の除名とは、国労が国労ではなくなるということだ。権力が次に求めてくるのは国労の解散だ。いや、そもそも闘争団の除名などという暴虐に手を染めた瞬間、国労は権力・資本・JR総連カクマルのえじきにされ、一瞬にして解体されてしまうのだ。
 こんな臨大など、断じて認めることはできない。開催絶対阻止へ、全力で闘わなければならない。

 「裁判取り下げ」も事前に与党に誓約

 国労本部は、与党声明が出された後、それを受け入れる口実をなんとかつくり出そうとあがきを重ねた。
 5月7日の自社協議では、社民党を通じて「解決に結びつく担保」なるものを自民党から引き出そうと試み、破産した。8日の全国エリア委員長・書記長会議で、寺内書記長は「社民党を通じて声明の真意をつかみ、判断しようと努力しているが、残念ながら今日の時点で真意をつかめた状況には至っていない」「5月中に全国大会を開くことはやぶさかではないが、解決に結びつく担保がないと国労としては困る」「開くとなるなら、大会の大義名分をしっかりさせて開きたい」などと述べた。さらに14日の全国エリア委員長・書記長会議に先だって、本部3役が社民党本部におもむき、「何か担保はないのか」と泣きついたが、けんもほろろに追い返された。
 こうして、なんの「担保」も引き出せないことが明白になるや、本部は、臨大で裁判の取り下げを決めること、鉄建公団訴訟はやめさせることなどを与党に誓約し、「それが担保だ」と言い張って、強引に臨大開催を決定したのである。
 こんなでたらめな話はない。出される結論について奴隷の証文を権力にあらかじめ提出して開かれる労働組合の大会とは何なのか!本部は、組合員の存在と闘いと生活のすべてを根こそぎ敵に売り渡したのだ。
 そもそも、「4党合意護持」を「大義名分」にした臨大開催とはどういうことか! 4党合意こそ国労への全面屈服要求であり、権力による支配介入そのものであった。本部は、その4党合意を延命させるために一切の犠牲を受け入れろと叫んでいるのである。
 こんな反動的論理の上に開かれる臨大は、国労の団結を壊滅的に引き裂くことを代償に、本部執行部の余命をわずかばかり引き延ばす結果しかもたらさない。
 反動革同も、臨大の開催に完全な承認を与えた。彼らはこの間、チャレンジ以上に反革命的に突出し、「4党合意に基づく解決以外にいかなる解決があるのか」などという居直りで、生活援助金の支給凍結を始めとする闘争団への攻撃を合理化し、組合員を恫喝してきた。さらに彼らは、「2千万、3千万の解決金が出る」などという悪らつなデマを振りまき、賛成派を組織してきた。そうしたペテンを維持するためにも、彼らは「裁判の取り下げは解決時」という立場を表向きはとっていた。だが、今や反動革同はその主張も放棄して、チャレンジとともに裏切りの道をわき目もふらずに突き進むことを決断したのだ。
 チャレンジと革同は、それが国労にとって死を意味しようが何であろうが、臨大での闘争団の除名にのめり込もうとしている。査問委員会の決定もなく、弁明手続きもすっ飛ばして大会で除名処分を強行することなど、規約の上からは不可能だ。だが、本部はそんなことはお構いなく、わずか3時間の大会で一切を「超法規的」に進めようとしているのだ。
 5・27臨大開催を許せば、それは機動隊を導入して開かれた過去3回の大会・中央委員会を上回る、超戒厳体制下の暴力的大会となるだろう。もはや、こんなことを繰り返してはならない。
 今や、国労内の分岐と激突は不可避である。これまで以上に、正義と不正義の対立は非和解化する。だが、この激突をくぐり抜ける中で、国労組合員の底力は掘り起こされ、国労は必ず再生を遂げるのだ。
 4党合意以来、国労の組織と団結はずたずたに引き裂かれてきた。その責任のすべては、本部・エリアのチャレンジ、反動革同、東京地本・酒田一派らにある。彼らは、臨大を強行すれば、権力や資本の庇護(ひご)のもとで執行部に居座り続けることができると夢想しているのだ。こんな卑劣なことがあるか。これまでの悪行の全責任をとらせ、直ちに彼らを引き下ろさなければならない。

 全組合員の怒りの決起で危機突破を

 国鉄闘争は、過去最高の決戦に突入した。臨大を阻止し、現執行部を打ち倒すことだけが、この危機を突破する道だ。与党声明への怒りをたぎらせ、真底からの力を解き放った時、勝利することは必ずできる。
 闘争団は、鉄建公団訴訟などの闘いに立ち、解雇撤回・地元JR復帰の実現へ、あらゆる恫喝に屈せず闘い抜く決意と態勢を固めている。国労本部がいかに屈服を深めようと、この現実を覆すことはできない。
 JR本体の国労組合員も、闘争団と結合し、生活援助金の支給停止を始めとした本部の暴挙を打ち砕くために立ち上がっている。
 国鉄闘争を支援する数万の労働者が、国鉄闘争共闘会議に結集し、1047人闘争としての国鉄闘争を支えぬこうとしている。
 こうした闘いが敵を追いつめ、矛盾を引き出しているのだ。現執行部を打倒し、全組合員の総意できっぱりと3党声明を拒否し、4党合意を突き返すなら、さらなる危機に追い込まれるのは敵の側だ。この期に及んで4党合意にしがみつく本部を打倒し、闘う執行部を打ち立てよう。国鉄決戦は、国労の執行権力を誰が握るのかという攻防に入ったのだ。
 国労の階級的再生をかちとり、動労千葉のストライキ決起に続いて、第2の分割・民営化攻撃粉砕に立とう。危機にのたうつJR総連を解体し、JR体制を崩壊に追い込むことが国鉄闘争の勝利を実現するのだ。

 有事立法粉砕決戦の先頭に

 この攻防は、有事立法粉砕の闘いと一体をなす決戦だ。日帝にとって、労働者の戦争動員を押し貫くためには、階級的団結のかなめをなす国鉄闘争の解体が絶対的課題なのである。実体的にも、国家が鉄道を全面掌握できなければ戦時体制など成り立たない。国労本部は、今やこの攻撃の先兵に転落した。
 他方、陸・海・空・港湾労働者を先頭に、労働者階級はすさまじい怒りと危機感に燃えて有事立法粉砕の闘いに立ち上がっている。15年にわたる最大の争議を闘い抜いてきた国労組合員は、現執行部を打倒し、国労を階級的に再生させ、JR総連を解体して、この闘いの栄誉ある牽引(けんいん)車にならなければならない。それは、有事立法阻止の闘いの成否を決める位置を持つ。
 5・27臨大粉砕へ、今こそ総決起しよう。

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週刊『前進』(2054号2面2)

団結破壊の司法制度改革
 戦時体制構築に向けて労働争議の一掃を図る

 有事立法攻撃とあいまって、労組否認・団結破壊の攻撃が激しく労働者階級を襲っている。侵略戦争への参戦をたくらむ日帝は、労働者の戦争動員にとって最大の妨害物となる階級的団結を全面的にたたきつぶそうとしているのだ。
 武力攻撃事態法案は公益事業などの「指定公共機関」に戦争協力の責務を課している。「指定公共機関」の対象は政令でいくらでも拡大できる。それは、すべての産別の労働者が、首切りの恫喝のもとで侵略戦争への協力を強いられるということだ。しかも、戦時において一切の争議行為は暴力的に禁圧される。
 こうした攻撃の一環をなすものが司法制度改革だ。日帝は、司法を戦時国家の支柱へと抜本的に再編するために全力を挙げている。
 刑事訴訟制度を根本的に転換して、国家が「犯罪を犯した」と決めつけた者に反証の機会も与えず「迅速」な裁判で重刑を科すことがその狙いの一つだ。同時にそれは、労組法を解体し、戦争動員体制を築き上げようとするものである。
 ここでは、労働運動解体攻撃としての司法制度改革の狙いを暴露したい。

 あらゆる手段で闘いを抑圧

 昨年6月に出された司法制度改革審議会の最終答申を受けて、今年3月19日、政府の司法制度改革推進本部が改革推進計画を決定した。同日、日弁連が政府計画に対応する改革推進計画をまとめ、翌日には最高裁も改革推進要綱を打ち出した。こうして、日弁連執行部の屈服をも取り付けて、小泉政権は司法制度改革に突き進もうとしている。
 政府の司法制度改革推進本部のもとには、具体項目別に10の検討会が置かれ、今後2年間で司法制度の抜本的な改編に向けての具体化作業を進めることになっている。その一つが労働検討会だ。そこでの検討テーマは、@労働調停の導入、A労働委員会の救済命令に対する司法審査のあり方、B雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度の導入の当否、C労働関係事件固有の訴訟手続の整備の要否、とされている。
 これらは、一見すると労働者救済のための手続きを充実させるものであるかのように見える。だが、その目的は、戦争と大失業の攻撃に対して噴出する労働者の怒りと闘いを、あらゆるルートをとおしてたたき伏せることにある。侵略戦争を遂行するためには、労働争議など一つとして存在してはならない。だからこそ、労働者の不満と怒りの噴出を治安問題として位置づけ、一切の争議を未然に封殺するための体制を整えようとしているのである。

 早期反動判決で審理を短縮

 政府の司法改革推進計画は、「労働関係訴訟事件の審理期間をおおむね半減する」と唱えている。それは、資本の横暴に苦しむ労働者の早期救済を目的とするものではない。゛労働者の訴えなどばっさり切り捨て、さっさと反動判決を下せば、審理期間は短縮できる″ということだ。
 事実、全逓4・28懲戒免職処分取り消し訴訟の判決に際して、東京地裁民事19部の山口幸雄裁判長は「裁判に長い時間を要したことについて、裁判所としても反省しなければならない」などと述べた。だが、判決そのものは、原告の訴えをことごとく退ける極悪の反動判決であった。この山口自身が、労働検討会のメンバーなのである。
 労働関係における司法制度改革攻撃の軸に据えられているのは、労働委員会制度の解体だ。司法改革審最終答申は、「不当労働行為に対する労働委員会の救済命令に対し、使用者が取消しの訴えを提起する場合に生じうるいわゆる『事実上の5審制』の解消」について検討すべきという。
 JR採用差別事件に関する98年5月28日の東京地裁反動判決は、労働委員会制度解体への根本的な転機となった。司法は、憲法と労組法を否定し、国鉄改革法を絶対化して中労委の救済命令を取り消した。この判決は、労働委員会の変質を急速に推し進めただけでなく、不当労働行為の被害者である国労に救済命令を投げ捨てさせる、4党合意の攻撃を生み出した。4党合意をめぐる攻防は、今現在の階級攻防の焦点である。
 こうした中で、司法改革審は「5審制の解消」などとうそぶきながら、゛裁判に持ち込まれる前に労働者の訴えなど切り捨てておけ″と労働委員会を恫喝したのである。それは、国家機関の一つである中労委が「JR不採用は不当労働行為」とする命令を出さざるをえないような、戦後的労資関係はもはや放置できないということだ。
 現行労組法は、有事体制とは相入れない。だからこそ、労働委員会制度の解体を事前に徹底して推し進めようとしているのだ。
 重大なのは、そうした攻撃を労働委員会自らが率先推進していることである。司法改革審のメンバーには、広島高裁長官・公安審査委員会委員長を歴任し、現在、東京都労委会長の藤田耕三が加わっていた。また、司法改革審答申を現実化するために設置された労働検討会の座長は、中労委会長代理の菅野和夫だ。
 労働事件担当の現役裁判官、中労委公益委員などをメンバーとする労働検討会の議論は、法制度の改悪を待たず、労働訴訟や労働委員会の実際の運営の中でどしどし実行に移される構造になっているのである。

 労働委制度の変質と解体

 現に、昨年秋以来、厚労省は司法制度改革と呼応しながら、中労委・都労委などの現役の公益委員を集めて「不当労働行為審査制度のあり方に関する研究会」なるものを開いている。
 そこでは、「労働委員会に係属していることに意味があるという事件もある」「審問は極端な場合には単なるパフォーマンス的な場になることがある」「尋問を許可しないと組合側が怒り出す」「審問中心主義から調査中心主義へ」「結論が明らかな事案については、書面審査のみで判断する」などという議論が交わされている。
 これまで労働委員会は、団交を拒否する資本に実質的な団交を強制する場として機能してきた。そうしたあり方はもう認めない、ということだ。そこにあるのは、労働者が闘いの主体として立ち現れることへの憎悪である。労働委員会闘争を重要な戦術として組合的団結の形成・再形成を図る合同労組などの闘いをたたきつぶすことが、彼らの最大の関心事なのである。
 彼らは、ここで確認された方針を直ちに実行に移した。国労組合員が4党合意を不当労働行為として申し立てた事件について、中労委は調査もせずに棄却した。これに対して中労委の労働側委員が「今回のような非常識な事態はこれまでなかった」と厳しく弾劾している。労働委員会制度の変質と解体は、すさまじい勢いで進んでいる。

 団結形成阻む個別紛争処理

 今日の激しい資本攻勢の中で、多くの労働者は階級的団結を奪われ苦闘を重ねながら、やむにやまれず闘いに立ち上がっている。裁判に持ち込まれた労働関係事件は、89年の640件から00年の2063件へと10年間で約3倍になった。
 日帝は、資本攻勢への労働者の怒りの噴出におびえながら、それが組合的団結の形成に発展することをなんとか抑え込もうとしている。そのために設けられたのが個別紛争処理制度である。これは、厚労省の地方機関である都道府県労働局に設けられた紛争調整委員会が、「個別労使紛争解決」のためのあっせんを行うというものだ。司法改革審はそれをADR(裁判外の紛争解決手段)の重要な柱として位置づけている。
 労働者は、争議をとおして、経済的利益の実現を図るだけでなく、団結の大切さを学んでいく。それは、反戦闘争の基盤をも形成する。だから日帝は、労働者の怒りが争議に発展する前に「紛争処理」しなければならないとしているのだ。
 司法制度改革のもとで団結否認の攻撃は激しく進んでいる。さらにそれは、刑訴法の抜本改悪をとおして暴力的な組合弾圧を全面化させるものとなる。日経連労問研報告は「治安の維持に注力を」と叫び、闘う労働組合には激しい刑事弾圧がかけられている。労働運動の課題として司法制度改革粉砕の闘いに立とう。

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週刊『前進』(2054号2面3)

“俺たちが国労の真髄” 屈服から反撃へ緊急集会

 5月14日、シニアワーク東京で「3与党が『4党合意』破棄! 『屈服』から反撃に転ずる緊急集会」が開かれた。この集会は、国労に人権と民主主義を取り戻す会、鉄建公団訴訟原告団、国鉄闘争共闘会議の3者が、与党声明の発出という情勢の急転の中で、緊急に呼びかけたもの。緊張した面持ちで駆けつけた国労組合員、支援の労働者ら260人が集まった。
 冒頭、司会の国労組合員が、「3与党声明は、4党合意が破産したことを示している。それでも国労はラストチャンスと言っている。今後進むべき道を明らかにして、屈服から反撃に転じたい」と集会の趣旨を提起した。
 早稲田大学名誉教授の佐藤昭夫さんが講演し、3与党声明を分析して「内部の言うことを聞かない者を除名しろ、裁判取り下げを形で示せ、と言っている。しかも、国労本部が闘争団を除名しても、与党は『それだけでは評価できない』と知らん顔できるような内容だ」と弾劾した。
 国労本部による闘争団への生活援助金の凍結という暴挙に抗議してJR本体の国労組合員が結成した「国労に人権と民主主義を取り戻す会」の代表は、「仲間同士の信頼を築き、肩をたたき合って、互いに元気づけて闘おう」と訴えた。
 鉄建公団訴訟原告団の闘争団員が、生活援助金の支給凍結を弾劾するとともに、「おれたちこそ国労運動の真髄という誇りと確信で闘い抜く」と決意を表明。さらに、闘争団、JR組合員、共闘の3軸体制の強化を訴えた。
 国鉄闘争共闘会議の二瓶久勝議長は、闘う国労組合員に「執行部をとる決意と構えが必要だ。国労は危機的状況だが、チャンスでもある」と檄を飛ばした。
 さらに、司会が「本部は今日は臨大を決められなかったが、エリア代表を2日間足止めしている。緊急の行動をお願いすることもあり得る」と行動方針を提起した。生活援助金凍結に対して、その差し止めを求める仮処分申し立てを行うことも明らかにされた。
 同日昼には、国労に人権と民主主義を取り戻す会が、闘争団への生活援助金凍結の撤回などを求めて本部3役に申し入れを行った。これに対して寺内書記長は「支給凍結は一部闘争団が国労方針に反する行動をしているから」と居直り、与党が4党合意からの離脱を表明している時になお「4党合意を受け入れた国労方針に全組合員が総団結できるよう本部は努力している」とうそぶいて、参加者の怒りを買った。

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週刊『前進』(2054号2面4)

〈投稿〉 闘争団を守れ! 国労組合員A

 4党合意が発表され2年が過ぎようとしている。しかし、事態はなんら進展しないまま、4党合意の立案者たちは見せかけの解決すら投げ出し、4月26日の3党声明に示されたとおり、国労解体の本性をあらわにし始めた。誰もが確信できるだろう、4党合意は破綻(はたん)したと。
 そして原則を貫き続ける闘う闘争団や支援の仲間たちは、国労本部の圧力をはねのけ、4月16日に国鉄闘争共闘会議の結成集会を貫徹した。当然である。当事者である国鉄−JR各社の責任を不問にして解決と言えるのか? 闘争団の人たちは、こんなもののために闘ったのではない。彼らの信条を一切無視した4党合意に、闘争団や本務組合員、そして支援の仲間から反発が相次いだ。
 思えば、私にとって闘争団の存在は労働運動を知るきっかけとなり、国労加入後は学習や活動で分割・民営化を始め多くの闘争を教えられた。多くの人が親ほど年の離れた人たちだ。
 4党合意はとても認められない、許せない。いても立ってもいられなかった。なんとしても阻止しなければと決意を新たに7・1臨大の日を迎えた。激しい攻防の末に阻止されたが、本部は3度大会を開き、警官機動隊を導入して強引に決定させた。しかし、政府やJRそして自民党は動かなかった。
 かけらぐらいとはいえ残っていた地本役員への信頼が消え、とどめを刺したのが私に対する指導という名の脅迫だった。「君が大会の会場にいたか知らないが……」というせりふに、わき上がる感情を抑えつつ、「今回のことは国労のみならずすべての運動を左右する問題です。まして反対する組合員への反論ならぬ中傷まがいの言辞は許されないことです」と反論した。
 また、私は怒りをぶつけるように機関会議で「闘争団支持、4党合意反対」で発言した。自分にできる意思表示として。共産党員は、4党合意には一切触れず、党派の活動の報告に終始した。私の発言に意外なところから反響があった。同じ年代の組合員から「君はもっと発言すべきだ」と激励された一方で、派閥のリーダーから「君の発言は理解できる。しかし現在の国労の状態では受け入れられないよ」と言われた。
 4党合意受諾後、一部地本の若い組合員(平成組)数名が脱退した。その理由はあまりに悲痛である。「国労も他の労組とそれほど変わらない姿になってしまった」「何のための運動かわからない」
 本部や派閥はこれらの声を受け止めようともせず、「交渉が進まないのは闘争団など反対派のせいだ」と言うが、闘争団や反対派は本部が放棄したり手を着けない事項を忠実に行っている。あまりな言い回しだ。
 闘争団を守るために、これからも私は国労の旗を守るために頑張っていきたい。そして、私たちや私より下の世代に訴えていきたい。リストラは今に始まったものではないことを、そしてこんな風潮を許してはならないことを、何よりも闘うことは悪いことではないことを。

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週刊『前進』(2054号2面5)

連合大阪メーデーで宣伝 有事法粉砕訴え

 5月1日、大阪城公園で連合大阪主催の大阪地方メーデーが開かれた。中核派は、参加した9万人(連合発表)の労働者に「有事立法絶対粉砕、小泉政権打倒」を呼びかけ、ビラまきと『前進』販売活動を展開した。(写真)
 02春闘の惨敗と大阪府の財政危機のもとでの公務員労働者への賃下げ攻撃に、労働者は怒りをたぎらせて結集し、「闘うメーデー」の雰囲気が広がった。自治労府本青年部が有事法制反対のビラをまいた。だが、連合大阪の前田会長は、行政・関経連とともに結んだ「雇用創出プロジェクト」で「大阪の失業率も全国平均以下になる」と絵空事を言い、労働者を裏切った。
 関西労組交流センターと部落解放同盟全国連も宣伝活動を行った。京都、兵庫、被災地など各地域のメーデーにも関西の闘う労働者が宣伝を行った。
 一方、反革命カクマルは、3・17全関西闘争にけちつけをしたが、ひんしゅくを買うばかりだった。

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週刊『前進』(2054号3面1)

「自衛」の名で侵略戦争狙う有事3法案
 「着手」は「武力攻撃」と認定 侵略戦争への協力誓う日共
 有事3法案国会論戦を斬る

 有事法制の衆議院特別委員会の審議が9日行われ、早くも総括質疑が終わってしまった。政府の自衛権発動を振りかざした開き直りやごまかしとペテンの答弁をとおして、武力攻撃事態法案など3法案が米日帝の北朝鮮(中国)に対する戦争を仕掛ける侵略戦争法案であることがいよいよ鮮明になったにもかかわらずである。まさに憲法を完全に葬り去る法案であるのに、野党側の追及らしい追及がないために、「備えあれば憂いなし」という論議がまかり通ってしまっている。そのような国会論議を突き破って、有事立法3法案粉砕へ労働者人民の総決起をかちとるために国会論戦の問題点を明らかにしていく。

 「あらゆる事態が武力攻撃」

 まず、日帝が国会論議の冒頭から、9・11反米ゲリラ戦以後の国際的内乱情勢に対して、帝国主義国家としての存立をかけて有事立法を制定する必要があると公言したことである。そしてそれに野党がすべて屈服し、それどころかすっかり加担していることである。
 具体的には、7日の質疑で自民党の衛藤が「米国の(9・11)同時多発テロのような事態がわが国に発生した場合、武力攻撃事態になるのか」と質問したのに対して、中谷防衛庁長官はきわめて明確に答弁した。
 「米国も国際社会も、同時多発テロを武力攻撃事態と認定している。武力攻撃事態の定義については、規模や態様の面でとくに限定するものではない。およそあらゆる事態が対象になる。該当するかどうかは、時々の国際情勢や具体的な状況を踏まえて判断すべきだが、(米国の同時多発テロのような事態が)武力攻撃事態に該当する場合もありうると考える」
 右のように、日帝は、日本における9・11ゲリラはありうる、どのようなゲリラ・コマンドウも大いにありうる、それは日本の独立と平和が侵され、国および国民の安全が危機にさらされることなのだから、武力を行使していいのだ、いや国家としての自衛権の発動としての戦争に訴えると明言したのである。
 ここで重大なことは、中谷が「武力攻撃事態にはあらゆる事態が含まれる」としていることである。定義とか基準とかが問題になる法案論議で、なにゆえに「何でもありだ」というようなふざけきった発言を平然とやっているのか。それは、米帝および日帝が北朝鮮に対するすさまじい戦争重圧を加え、それを軸としつつ同時に北朝鮮の内部に手を突っ込んでその体制転覆を策動している現実があるからだ。KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)をテコとする核特別査察の要求で追いつめ、北朝鮮がいつ窮鼠(きゅうそ)猫をかむように反撃してくるか、南北朝鮮人民・在日朝鮮人民が米日帝の侵略戦争政策にどのような怒りをたたきつける行動に出るかと身構えているからこそ、「何でも武力攻撃事態と認定する」などというのだ。
 また同様に中谷は、「(警察や海上保安庁が)テロや不審船に対処しきれない場合に自衛隊が武力攻撃事態として対処できる」(7日)と答えた。さらに「公海上で自衛艦に対して組織的、計画的な攻撃が発生する場合においては自衛権の発動になる」(9日)という重大な答弁をした。
 つまり一つには、テロや不審船が武力攻撃事態と認定できるとしたのであり、したがってそれに対しては米帝が9・11反米ゲリラ戦に対してしたように、日帝もまた国家の総力を挙げて、北朝鮮であろうと中国であろうと空爆や地上軍投入をやっていいのだと公然と主張しているのである。
 二つには、そこにおいて「組織的、計画的な武力攻撃」としていることが重大である。要するに、北朝鮮や中国が国家としてそれを行ったという証拠が何ひとつなくても、「組織的、計画的」とみなせば、それだけで北朝鮮・中国への侵略戦争ができるというのだ。米帝が9・11に対してアルカイダおよびタリバン政権に一方的に虐殺と破壊の攻撃を加え、今もすさまじい侵略戦争を遂行しているように、日帝も何でもいいから口実をつくって対北朝鮮・対中国の侵略戦争に打って出るというのだ。

 「反撃」を叫び武力行使発動

 政府は武力攻撃事態について事態認定の基準になる事例をまとめた(11日)。それによると、「武力攻撃のおそれがある事態」として「ある国が日本に対して武力攻撃を行うとの意図を明示し、攻撃のための多数の航空機あるいは艦船を集結させていること」を例示した。「武力攻撃が予測される事態」では、@「日本攻撃のためと見られる軍事施設の新たな構築を行っていること」、A「ある国が日本攻撃のための部隊の充足を高めるべく予備役の招集や軍人の非常呼集・禁足を行っていると見られること」の2点をあげた。
 まず「おそれのある事態」であるが、9日の質疑の中で福田官房長官は、武力攻撃が発生したのはいつの段階かという問題について「着手の段階から含まれる」と説明した。これは「おそれのある場合」が「武力攻撃の発生」に含まれることをあらためて確認し、その段階での武力行使開始を宣言したものだ。
 政府は、「誘導弾などによる攻撃を防御するのに、誘導弾などの基地をたたくことは、法理的に自衛の範囲に含まれる」とした56年の政府統一見解を根拠に、「着手」段階での反撃=武力行使は専守防衛の範囲と主張している。発射されるのかどうか、どこに向けて発射されるのかもわからないミサイル基地を先制攻撃することが「専守防衛」の範囲だというのだ。
 次に「予測される事態」であるが、7日の質疑の中で中谷は「武力攻撃が予測される事態とは、国際情勢などから自衛隊法の防衛出動命令が発せられることが予測される事態」と答えている。「相手の意図、軍事行動などから武力攻撃が発生する危険が認められる」事態は「おそれのある場合」に含まれており、ここで言う「国際情勢などから」というのは、北朝鮮の動きとは関係なく、米帝が北朝鮮に対する作戦計画5027の発動を宣言し、行動に着手した事態であり、その段階から日帝は防衛出動待機命令を発して戦闘態勢に突入するとともに、周辺事態法に基づいて米軍への全面支援を開始するのである。すなわち武力攻撃が「予測される」のは北朝鮮に軍事的な動きがあるからではなく、米日帝が戦争発動に踏み切るからなのだ。
 ここで明確にしておかなければならないのは、これが日米新ガイドラインで決められた作戦計画(相互協力計画と共同作戦計画)の実施過程なのだということである。武力攻撃事態法案は、周辺事態法と重なる場合があるというのではなく、完全に一体のものとして、米帝の朝鮮侵略戦争計画に日帝・自衛隊が全面的に参戦するための二つにして一つのものなのだ。
 このように米日帝が北朝鮮に対して戦争態勢を発動した場合に、北朝鮮が全力を挙げた反撃態勢をとることは明らかである。その中には当然、米軍や自衛隊への攻撃、日本国内へのゲリラ・コマンドウ、さらにはミサイル攻撃もあるだろう。日帝はこれを「武力攻撃の発生」と宣言し、全面的な朝鮮侵略戦争に突入しようと狙っているのだ。
 日共・志位は、この問題から逃げるために、「武力攻撃の発生」の場合と「おそれ」や「予測」の場合を区別して、「おそれや予測の場合に武力行使したら先制攻撃になるが、それを禁止する条項がない」とその条項を入れることを要求した。これはその条項さえ入れれば、日共は日本への「武力攻撃の発生」の場合に「武力行使する」ことに賛成だということを意味している。実際に日共・筆坂はNHKの日曜討論で、「日本に対する攻撃が発生した場合には当然立ち上がる(=戦争に協力する)」と発言した。
 これはまさに「自衛」「専守防衛」の名による日帝の朝鮮侵略戦争に協力するという宣言である。日帝は北朝鮮に戦争重圧を加え、そこで発生した日本に対するゲリラ攻撃や「不審船事件」などをとらえて「武力攻撃の発生」として侵略戦争に突入する。そのために有事立法3法案を制定し、北朝鮮に対する戦争重圧を強めようと狙っているのだ。その時に、これがまさに米日帝の朝鮮侵略戦争であり、闘う朝鮮人民と連帯し、米日帝の朝鮮侵略戦争に反対して闘い日帝を打倒することこそが問われるのである。日共はこの闘いから逃亡するばかりか、日帝の朝鮮侵略戦争の先兵になることを表明したのだ。
 この間の国会論議で明らかなように、日帝の側は「日本・日本人が攻められたらどうするのか」「9・11のような事態はありうる」「その時は武力を行使するのは当然だ」と、「自衛戦争は正義」という論法で、野党や労働者人民を黙らせ、おそれや予測の段階で、武力行使に動くことは完全に許されると開き直っているのである。われわれは、それに対して、断固として革命的祖国敗北主義の立場を真っ向から掲げ、朝鮮・中国―アジア人民との国際主義的連帯の闘いを鮮明にさせて、有事立法絶対阻止に決起していくのである。すでに、米帝が10・7アフガニスタン侵略戦争をもって全面的な侵略戦争の過程に突入し、日帝も帝国主義としての存立をかけて共同的=競合的に侵略戦争の道へ突進しているのだ。侵略と戦争に突進する帝国主義打倒を今こそ鮮明に掲げて、有事立法3法案を全力で粉砕せよ。

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週刊『前進』(2054号3面2)

 A

 新ガイドライン実戦化し侵略戦争計画の発動狙う 進む日米共同作戦

 有事法制を考える上で重要なポイントは、米日帝の間で現実に存在する朝鮮・中国侵略戦争の作戦計画を実施に移すための法制が有事立法だということだ。

 日米軍部が合意

 この作戦計画とは、新安保ガイドライン(日米防衛協力の指針)に基づいて検討されてきた日米共同作戦計画及び相互協力計画のことである。この相互協力計画が今年に入ってから、日米の制服組の間で合意・署名されていたことが明らかになった。2月27日、ブレア米太平洋軍司令官は「われわれは、97年に合意したガイドラインのもとで最初の2国間防衛計画にサインした」と述べた。日本でも国会で3月19日、中谷元防衛庁長官が、それが「相互協力計画」であり、日米の制服組によって合意されたことを認めた。
 米軍統合参謀本部が100万人の死傷者が出ると公言する米韓軍の作戦計画5027と一体化する朝鮮侵略戦争の作戦計画が、日米軍部の間で合意されたのである。
 米帝の朝鮮侵略戦争計画として具体化されている作戦計画5027は、米軍50万人、空母5隻を含む艦船200隻、航空機1600機を動員するという大戦争計画だ。2年ごとに更新されると言われるが、現在概要が明らかになっているのは98年改定のものだ。
 それは@北朝鮮側に攻撃の兆候が見えた段階で、軍事境界線(38度線)に集結する北朝鮮軍や北朝鮮国内の軍事的要衝に猛爆撃を加え、A韓国軍や在韓米軍、在沖米海兵隊などの地上部隊を投入し、B首都平壌を軍事制圧し、北朝鮮政権を転覆して南北統一を実現するというものだ。
 この作戦計画では北朝鮮の軍事的動きに対する「兆候判断」を先制攻撃の条件にあげ、事実上、米帝が任意に朝鮮侵略戦争を起こせることを示している。この作戦に加えて、ブッシュ政権が核戦争計画の作成と新型核兵器の開発を命じたのは周知のとおりだ。沖縄と横須賀が核攻撃の基地になるのだ。
 この作戦計画5027と一体化する形で新ガイドラインが日米間で締結され、日米共同演習や必要な法制化などの検討と準備が進められているのである。有事法制は、このようにきわめて具体的な作戦計画を念頭に立案されているのだ。
 新安保ガイドラインの特徴は、旧ガイドライン(78年)からあった「日本に対する武力攻撃への対処」に加え、新たに「日本周辺地域における事態で日本の平和と安全に重要な影響を与える場合」(周辺事態)という概念を導入したことである。
 つまり日米安保条約に基づく日米共同作戦の範囲を日本の領域・領海・領空を超えて、朝鮮半島や台湾海峡など他国の領域・領海・領空にまで拡大するものである。日米安保を水路に、日本の「平和」や「安全」を口実にして、日帝が、朝鮮・中国侵略戦争に参戦するものなのだ。
 そこでは@救援活動及び避難民への対応措置、捜索・救難、非戦闘員退避活動、経済制裁の実効性を確保するための活動における日米協力、A施設の使用や米軍に対する日本の後方地域支援(補給、輸送、整備、衛生、警備、通信など)、B警戒監視、機雷除去、海・空域調整の日米協力――など40項目があげられ、その実効性を確保するために、自衛隊や在日米軍などの関係機関が関与する包括的メカニズムのもとで日米共同作戦計画と相互協力計画が検討されてきた。
 日帝にとって新ガイドラインとは、世界恐慌と世界戦争の時代が迫りくる中、日帝が日米安保の形式のもとで、米帝の侵略戦争に共同的=競合的に朝鮮・中国侵略戦争へと突進するものとしてある。とりわけ9・11反米ゲリラ戦で猛烈に拍車がかかった。米帝ブッシュは、イラク・イラン・北朝鮮を「悪の枢軸」と呼び、「対テロ戦争」を世界中に拡大しようとしている。イラク・北朝鮮に対する侵略戦争は秒読み段階に入った。
 ズバリ、ここにこそ有事3法案の核心があるのだ。有事3法案とは、新ガイドラインに基づく日米共同作戦計画及び相互協力計画を実施するために制定するのだ。武力攻撃事態法の「自衛隊の行動及びアメリカ合衆国の軍隊が実施する日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に従って武力攻撃事態を排除する行動」(第2条6の対処措置の定義)とは、日米共同作戦の実施のことを指しているのだ。
 日米共同作戦の実効性の確保は有事立法の制定にかかっているのであり、有事立法の制定は朝鮮侵略戦争の発動に直結している。逆に言えば、朝鮮・中国侵略戦争阻止の帰すうは、有事立法粉砕の闘いにかかっているのである。

 空自も爆撃参加

 有事立法が、きわめて具体的な朝鮮侵略戦争の作戦計画を念頭に置いていることは国会論戦でも明らかだ。福田官房長官は5月9日、自衛隊が「反撃」できるのは「(相手方の)武力攻撃の着手があった時だ」とうそぶいている。これは超重大発言だ。福田は56年の「誘導弾などによる攻撃を防御するのに、誘導弾などの基地をたたくことは、法理的に自衛の範囲に含まれる」という政府見解を盾に、日本が他国に対して侵略戦争ができると言っているのである。
 米日帝の戦争重圧や戦争挑発に対して、北朝鮮が防衛や反撃の体制をとることが予測されることを「武力攻撃が予測される事態」だとして有事法制を直ちに発動し、自衛隊を展開させ、国家総動員の戦争突入体制に入るのである。そして北朝鮮が部隊や艦船を集結させたら、今度はそれを「武力攻撃のおそれがある事態」だとして、日帝が北朝鮮まで侵攻するのだ。
 有事法制は、新ガイドラインでの米軍への後方支援活動の枠を大きく超えて、日帝自身が北朝鮮や中国を攻撃する侵略戦争を行うものだ。実際、94年の朝鮮侵略戦争危機の後、統合幕僚会議は「朝鮮半島有事対応計画」に基づく「実施すべき自衛隊の行動」の研究で、「北朝鮮軍事基地、弾薬庫など戦略拠点への攻撃」を綿密に検討し、空自戦闘機が「北朝鮮上空まで進入し、500ポンド爆弾を投下する」という計画まで立てていたという(朝鮮新報2001年6月6日付)。
 56年の政府見解と福田発言は、このような空爆計画としてすでに作戦化されているのだ。

 許せぬ戦争挑発

 米帝は、アフガニスタンで無差別大虐殺の侵略戦争を展開し、「対テロ戦争の第2段階のターゲットは、イラクと北朝鮮」と断言している。一方で日帝は、いわゆる「不審船・拉致」問題に加え、瀋陽日本総領事館事件で「中国による日本の国家主権の侵害」という反中国キャンペーンと「北朝鮮は人権無視国家」という対北朝鮮排外主義をあおっている。米日帝の側が、すさまじい戦争重圧と戦争挑発をかけているのだ。帝国主義は、つねに「自衛」「防衛」の名で侵略戦争を行うのであり、帝国主義の侵略戦争に、朝鮮・中国−アジア人民が反撃するのは当然の闘いなのである。
 有事立法は徹頭徹尾、朝鮮・中国−アジアへの侵略戦争のためであることをハッキリさせて、有事立法を絶対に阻止しよう。
 (片瀬 涼)

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週刊『前進』(2054号3面3)

4・28反処分闘争つぶし粉砕し 新たな「全逓反マル生闘争」を!
 全国労組交流センター全逓労働者部会

 全国労組交流センター全逓労働者部会は4月26日、「4・28当該の不当逮捕に抗議し、ただちに釈放を求める声明」を採択した。4・28当該を含む3人は、弾圧を粉砕し同日夕方に処分保留で奪還されたが、4・28反処分闘争の意義を今日的に明らかにした声明なので、そのまま紹介する。(編集局)

 〔1〕不当逮捕にいたる経過

 4月8日、警視庁荏原署は、4・28当該1名を含む3氏を令状逮捕した。容疑は昨年10月24日、東京南部地域にある鳥井電器に対する不当解雇撤回争議に際しての暴行容疑とされている。鳥井電器は、バングラデシュから来日して働いていた労働者を差別し、不当に解雇したために、南部地域の労働者・労組を中心にして、不当解雇撤回闘争が7年にわたって闘い抜かれていた。10月24日の抗議闘争も、不当解雇撤回闘争の一環として闘い抜かれていた。この際に女性従業員に暴行を加えたとされているが、「暴行行為」はデッチあげであり、とくに4・28当該は、その現場とされる所から相当離れたところに位置しており、まったく事実に反したデッチあげ逮捕であることは歴然とした事実である。
 しかも、この不当逮捕は、令状発行日が3月12日となっており、それから約1カ月も後の4月8日に逮捕した事実こそ、この逮捕が4・28反処分闘争をつぶすことを狙った、政治目的の弾圧であることを物語っている。
 不当逮捕に先立つ3月27日には、あの歴史的な「4・28不当判決」が東京地裁で下された事実を見るなら、この不当逮捕が「4・28不当判決」を待って、その反動判決と一体となって、いわば司法と警察という権力の合意による4・28反処分闘争つぶしを狙った、不当弾圧であることが歴然と浮かび上がってくる。

 〔2〕反マル生闘争とは何だったのか

 1978年11月末から79年1月末までの約2カ月間にわたり、年賀を止めた闘いを頂点に、全逓労働者は比類のない戦闘性を示して闘い抜いた。世に言う反マル生闘争である。
 当時の労働者階級をとりまく情勢はけっして楽なものではなかった。スト権ストが敗北し、労働運動が全体として退潮する方向に向かっていた中で、いわば孤立も恐れぬ猛然たる全逓労働者の決起は、日本の全社会を震撼させた。とりわけ国家権力の動揺は激しく、政権党であった自民党は、全国の支部まで含めた総力で「全逓反マル生闘争反対決議」を上げた。また、検察は検事総長名で「全逓の各支部まで含めた指導部の検挙」声明を発し、マスコミは連日、闘いの経過を報道し、日本の社会全体が全逓反マル生闘争に「賛成か、反対か」の大論争まで巻き起こっていた。
 全逓労働者の決起は、確実にすべての労働者の魂を揺さぶり、79年の年明けには国労を始めとした各労組の支援ストも予想され、全逓反マル生闘争は空前のゼネストへと発展する展望を示し始めた。
 この事態に恐怖したのは、国家権力だけではなかった。社会党(当時)もまったく同様に恐怖におののき、反マル生闘争の鎮静化に全力をあげ、年末から年明けにかけて、全逓指導部の「説得」に成功し、1月4日突如、中央本部は「反マル生闘争の中止」声明を発表した。何の具体的成果も得られない突然の中止に、現場の怒りはおさまらず、闘争はなおも継続され、ようやく1月末に終結するにいたった。
 社会党と全逓指導部であっては、ここまでが限界であり、全逓労働者の不幸は勝利の路線と展望を示す革命党と指導部の不在だったといえる。そして4月28日、この闘争への階級的報復として、かの悪名高き4・28処分が下された。懲戒免職・解雇61名を含め8000名を超えた処分は、ことごとく現場労働者に集中したものであった。

 〔3〕全逓差別と過酷な労働者支配

 このような反マル生闘争は、なぜ闘われなければならなかったのか。その背景には、郵政省(当時)の過酷な労働者支配と全逓差別の実態が存在していた。
 反マル生闘争突入直前に、全逓中央本部に寄せられた全逓労働者の苦情は、わずか2週間で4000件に達した。そのことごとくが全逓差別と過酷な支配を糾弾する内容であった。本部は、これを28項目要求としてまとめあげて、反マル生闘争に突入した。
 「全逓をヤメなければ昇任・昇格はさせない」「全逓をヤメなければ転勤させない。宿舎にも入れない」「年休も認めない」という全逓差別に始まり、「トイレに行っただけで賃金カット」とか「30秒早く休んだ」「上司の命令に従わなかった」「区分しながら話をした」等々の理由で即処分される、命令と服従のみを強要する職場実態が全国にまんえんしていた。「生産性向上運動」の名のもとに、全国の職場でこのような実態が存在し、全逓労働者の人間的尊厳そのものが奪われようとしていた。
 その元凶である「生産性向上運動」を粉砕することなしに、全逓労働者の人間的尊厳は守れないとして、「生産性向上運動」粉砕のマル生粉砕闘争は、こうして闘われることとなった。
 ところで、今日の職場実態とマル生当時の職場実態に、どのような違いがあるのか。全逓本部が82年に路線転換し、今日では全郵政となんら変わらない裏切り路線に転落した結果、当局にとって全逓差別は必要性が薄れ、あからさまな全逓差別こそ影をひそめているが、マル生的職場実態は、当時となんら変わらないどころか、ますます激しい命令と服従の職場実態となっている。「公社」という名の民営化路線のもと、相次ぐ人員削減と人事交流の結果が招いた極めて深刻な労働実態と、組合が当局の攻撃に対する防波堤の役割を捨てて、合理化攻撃の先兵となるにいたったことで、チンピラ管理職がのさばり、職場はまるで無法地帯と化している。
 このような困難な中でも、全国各地で闘いの炎が燃え上がってきている。東京中郵では「営業非協力」を理由にした70名を超える「厳重注意」文書処分に対し、職場の各所で怒りと不満がうずまいている。都市部のビジネス配達一度化局でも減員により常態的に業務が混乱し、自然発生的な順法闘争にまで事態は進行するだろう。
 しかも、公社化という名の民営化攻撃はますます激化し、より一層過酷な労働実態と、それに反発するより一層広範な現場の反乱は、今後不可避の情勢を迎えようとしている。
 今こそ、新たな「反マル生闘争」が必要とされる情勢に入ったのである。

 〔4〕3・27反動判決と4・28当該の逮捕は敵の恐怖と絶望の証

 国会に有事法制3法案が上程された。戦争の危機は確実に青年労働者の意識を覚醒(かくせい)させている。多くの全逓の青年労働者も有事法制反対運動の先頭に立っている。
 戦争は、労働者の協力抜きには成り立たない。それゆえに、公務員攻撃、とりわけわれわれ全逓労働者に対する、政府・当局のしつような攻撃は、全公務員の意識を戦争協力へとつくりかえる目的をもって加えられている。だからこそ、ますます激化せざるを得ないのである。
 職場をとりまく情勢は、日に日に激突に向かって進行しており、社会の情勢も急速に有事(戦争)体制に向っている。こうして、職場の闘いと、社会の情勢が相互に補完しながら一つになって進行したときに、われわれは勝利の展望を見出すことができる。
 まさに、こうした情勢に入ろうとしているからこそ、3・27「4・28反動判決」(当該敗訴)が下され、「4・28当該」の逮捕が発生しているのである。反動判決と逮捕によって、03年公社までに「4・28闘争」をつぶすことが目的だったのである。
 「4・28」の火種をかかえたまま公社=民営化に移行することは、再び反マル生闘争を起こす火種をかかえたまま公社=民営化に移行することである。職場の情勢は、まさに「反マル生闘争前夜」情勢にあることを考えれば、政府・当局にとって悪夢の反マル生闘争の再来は、とうてい認められるものではなかったからだ。
 3・27反動判決は、労働組合の争議を個々人の行為に解体し、非違行為なら免職という、まさに団結権を根底から解体することを狙った歴史的な反動判決である。法理論上からも、論理の上からも何らの整合性もない、支配者を代弁した言葉にすぎない。逆らったらクビにしてもよいという判決であり、今後の命令と服従の職場支配に法的な根拠を与えたものである。
 「3・27反動判決」も「4・28当該の逮捕」も、今後の労働者の反乱に対する敵の恐怖と絶望に端を発していることを、われわれは見すえ、何よりも逮捕された当該の一刻も早い奪還と激励、03年までの1年間を4・28陣形の圧倒的強化を、4・28連絡会と一体となって成しとげることに全力をあげよう。
 直ちに4・28当該を釈放せよ!
 (2002年4月26日)

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週刊『前進』(2054号4面1)

暫定開港の国家犯罪を撃つ
三里塚闘争の地平押し広げ有事立法攻撃粉砕へ闘おう
 赤坂 潤

 爆音・排気ガスで農民圧殺狙う攻撃

 暫定滑走路の開港は、人が住む村の中に滑走路を割りこませ、破壊的な騒音被害と重大事故の危険を地元農民に押し付ける国家犯罪ともいうべき暴挙である。
 天神峰・市東孝雄さん宅の騒音レベルは予想を大きく上回った。50b先の誘導路の自走音と滑走路南端の発着騒音のピークが、多い日で1日200回を超え、離陸スタート時(南から北へ)の最大値は98デシベルに達した。「ドドドーン」という爆発音とともにすべての生活行為が中断を余儀なくされる。騒音というより爆音だ。自走騒音は70〜80デシベル。これは離着陸全便で市東さん宅を襲う。
 特に問題なのが、騒音に加えての排気ガス被害。誘導路から滑走路南端に航空機が入る際、エンジン後部からのジェット爆噴射が住宅にもろに噴き付ける。ガスは大量で、東風時は住宅全体が一瞬にして焼きつく臭気で覆われる。大気汚染測定の白紙はわずか2日でまっ黄色になった。
 公団は市東宅との境界に高さ3bの「防音塀」を造った。しかし中型機のエンジンは地上から8〜10b。爆噴射はこの塀の上から直撃する。公団は塀を意図的に低くしたのだ。
 一方、滑走路南端400bにある東峰地区の農家では、高度40bまで降下する着陸騒音が最高103デシベルを記録した。ものすごい爆音だ。航空機の威圧感も大変なストレスだ。南向き離陸時でも98デシベル。この農家は「風圧で砂じんが舞う」「たき火がボッと燃え上がった」「航空機が家に突っ込んでくる威圧感」などと訴えている。
 同じく東峰地区にある萩原進さん方(滑走路中心線から100b東側の畑)でも、西風時に真上を飛び、騒音と乱気流が直撃するようになった。自宅の騒音も曇りや雨天時に80デシベルを超える。
 また滑走路南端から3・6`の飛行コース直下に位置する鈴木幸司さん(芝山町中郷)宅で85デシベルを記録。飛行高度もきわめて低く、騒音値も予想を大きく上回った。
 いずれも「造ってはいけないところに滑走路を造った」結果だ。
 国土交通省・空港公団は「滑走路を造れば反対農家は必ず出ていく」ことを前提に見切り開港した。農民たちは人間として扱われなかったのだ。しかし農民たちは最後まで屈服を拒んだ。彼らは自分たちの命をさらしてまでも、37年間の農民殺しを告発する道を選んだのだ。
 この反対農家の怒りの決起にこたえる新たな闘いが求められている。

 不屈の農民闘争が日帝に敗北強いる

 開港後の敷地内の現実は暫定滑走路の計画段階から予測されていた。運輸省(着工当時)は「着工すれば必ず落ちる」として軒先工事(99年12月)に踏み切った。円卓会議の社会的確約(地権者の同意なき着工はしない)はほごにされ、公団と県は農家の軒先まで工事を進め屈服を迫った。これが「過去の反省と話し合い」の実態だ。公団総裁・中村は「農家の頭上40bを飛ぶことになる」との脅し文句を連発。同用地部は「(開港すれば)絶対生活できない。農家は必ず落ちる」と公言していた。
 公団はさらに滑走路南端60bの東峰神社の立ち木を、法的根拠もなく伐採(昨年6・16)、警察は抗議に駆けつけた反対同盟の萩原進さんを逮捕し、「力の政策」をむき出しにした。運輸省は「(土地売却に)応じなければ滑走路を北に延ばしてジャンボを飛ばす」というデマ文書(運輸省・伊藤審議官)まで使って地権者を脅した。
 それでも反対同盟と地権者は最後まで屈服を拒んだ。彼らは開港の歴史的暴挙に身を挺(てい)して立ちはだかる道を選んだ。「必ず落ちる」と踏んだ国交省・公団のごう慢な期待は裏切られた。
 「国の暴力を受け入れることは私の誇りが許さない」(市東さん)という農民の怒りは正当だ。「この地で生を全うする。新たな50年戦争だ」(萩原さん)とは、権力犯罪に対する血と汗と涙の告発である。「行くとこまでいく。売らないし、動かない。力ずくの国は昔のままだ。許せねえ」(東峰農家)。農民を虫けらのように扱ってきた空港建設の歴史に対する根源的な叫びである。
 開港当日、反対同盟・地権者農民の不屈の闘いによって、ついに暫定滑走路をめぐる暴挙の全容が暴かれた。ジャンボ機が飛べない短い滑走路、未買収地のため2カ所で逆「く」の字に曲がる誘導路、生存権すら奪う「40b殺人飛行」…。これらの実態は全国の人びとに驚きをもって知られるところとなった。
 政府・支配階級は追いつめられ、この国家犯罪を隠ぺいするために、何としても農民たちをたたきだそうとしている。読売新聞(4・17社説)は「用地への居座りは国民的迷惑だ」と農民殺しの歴史を抹殺した。さらに「個人の利益と公共の利益が対立した時、個人の利益にはおのずと制限が加わる」と述べ「法的手段による解決(強制収用)」を主張した。読売は成田の事業認定が失効し強制収用できなくなった事実すら認識していない。朝日新聞も「一人でも反対があると空港ができないとは尋常ではない」(4・16社説)と、農民たちの告発を葬り去ろうとした。「国家の危機」を叫び農民殺しに加担する姿は、戦争をあおった戦前の大新聞と同じだ。

 戦争と治安政策目的の開港

 成田の暫定滑走路は航空需要面からもほとんど必要がない。成田空港は暫定路開港後、アジア便を中心に約20%増便になったが、利用者数は前年比でわずか4%増。搭乗率は採算割れ寸前の68%。しかも成田の「増加」分は、関空利用者が前年比2割も減少した分を吸収したにすぎない。
 基底には航空需要全体の構造的落ち込みがある。空港公団が期待した5月ゴールデンウィーク期間中の米国方面国内航空2社の旅客は2割も落ち込んだ。
 さらに成田空域の致命的欠陥も暫定開港で露呈した。開港後のわずか20%強の増便で早くも待機空域がパンク、羽田への「緊急変更着陸」が複数回発生した。滑走路が2本なのに飛行コースが南北とも1本しかない(米軍と自衛隊空域に挟まれた「成田トンネル」と騒音問題)ためだ。暫定路開港によって「1時間発着枠上限」が逆に縮小するという漫画的事態も生まれた。暫定路の公称処理能力「年間6万5千回」は大ウソで、すでに現状(年間2〜3万回)で事故寸前の危険水域だ。
 つまり暫定滑走路は、民間空港として使う限り、地権者たたきだし以外に何の意味もないのだ。暫定路を延長(3500b化)しても意味がない。とんでもない欠陥空港である。「暫定滑走路を直ちに閉鎖せよ」という反対同盟の主張はあまりにも正当である。
 結局のところ、政府が成田暫定滑走路にこだわり続けた理由は、日米安保体制における巨大空港の軍事的死活性と〃三里塚闘争つぶし”という治安政策上の要請だけだった。
 現代の帝国主義戦争における空港の役割は際立って大きい。97年の日米新安保ガイドライン以降、アメリカが「日本周辺有事」への対応で要求してきた最大項目が空港の独占的使用だ。91年の湾岸戦争では戦域の巨大空港が兵站(へいたん)と出撃の基地となった。米軍・NATOのコソボ空爆(99年)では欧州の大空港が軒並み基地となった。昨年10・7以降のアフガン侵略戦争では、米軍が隣接国の空港をいかに確保するかが戦局を左右した。カブール陥落後、米軍が地元兵力を押し退けて占拠した施設もカブール空港である。空前の無差別爆撃は、戦域に空港を確保できなければ不可能だった。
 米軍は「有事」の「成田空港使用」を明言している(『星条旗』)。いま審議中の有事法制で、成田空港と空港公団は罰則付の強制動員が可能となった(指定公共機関)。成田空港は米・日帝国主義の朝鮮・中国侵略戦争のための戦略的軍事基地なのである。
 その成田空港が強靭(きょうじん)な武装闘争を含む三里塚闘争に包囲されている現状を、日帝は絶対に許容できない。有事法制の国会提出(4・17)と暫定開港(4・18)が同時に強行されたことは偶然ではない。反戦闘争の拠点=三里塚闘争の破壊は、最優先の治安問題に浮上している。

 日帝航空政策の致命的挫折

 暫定開港は、日帝のアジア侵略と勢力圏化にかかわる航空政策が、致命的な挫折に至ったことをも露呈させた。三里塚闘争の意義はこの面でも絶大だ。
 国交省は成田暫定開港を受けて、これまでの国際空港建設の基本的立場・考え方であった「国際ハブ空港」(国際航空路が集中する拠点空港)路線を放棄、従来の政策を180度転換させた。来年度からスタートする「第8次空港整備計画」に明記される。
 これは帝国主義の世界支配にかかわる航空政策と、アジアの「国際ハブ空港」争いで、日本が無残な敗北を喫したことの自認だ。アメリカの「対日包囲戦略」のもと、シンガポール、香港、上海浦東、韓国・仁川など、成田を数倍する規模の大国際空港が次々と開業し、日本(成田)が「アジアのハブ」を任ずる余地がなくなってしまった。8空整は日帝の完敗宣言だ。
 敗北の原因はほかでもなく三里塚闘争だ。政府が〃三里塚つぶし”の治安的要請から、頑迷なまでに成田に固執してきた結果だ。国交省は「成田の未決着」を理由に、首都圏第3空港計画をジリジリと遅らせ、ついには20年も先延ばしにしてしまった。その結果、日本の国際ハブ獲得政策は挫折したのである。
 これは日本が帝国主義の国際争闘戦で決定的に不利な立場に転落したことを意味する。世界の航空政策の盟主はアメリカだが、EUブロックもヨーロッパの主要空港であるシャルル・ドゴール(仏)、ヒースロー(英)、スキポール(オランダ)、フランクフルト(独)の4大空港が軒並み年間発着能力40万回規模で完成。成田(13万回)の3倍以上の国際ハブに発展している。EUはこれを基盤に航空機製造(=兵器産業)分野でも、米帝の一極支配に対抗しうる生産能力を確保してきた。
 同様に日帝はアジアの盟主を目指し、成田を「国際ハブ」に位置付け、1966年の「三里塚空港設置」閣議決定以来、農民の犠牲を一顧だにしない国策として強引な建設を進めてきた。あれから37年。日帝は三里塚闘争に完敗したことを自認したのだ。

 革命的反戦闘争と三里塚闘争の意義

 有事法制3法案は、憲法9条「戦争の放棄」を破棄する〃武力行使法”だ。戦前の天皇大権を首相に与える〃首相大権法”(憲法の停止)であり、反戦派の投獄と国民総動員のための〃国家総動員法”だ。
 日本帝国主義は、15年戦争の歴史をアメリカ帝国主義と競い合うように再現しつつある。中東パレスチナやアジアで第3次世界戦争の引き金が引かれている。
 日帝は、米帝のイラク・中東侵略戦争、朝鮮・中国侵略戦争に共同的=競合的に国を挙げて参戦することを目指している。ここが有事立法攻撃の核心である。財界などは「海外の権益=国益を守るための軍事力の行使」を公言している。
 昨年11月の対テロ特措法で、日帝は国連決議すらないアフガニスタン侵略戦争に自衛隊を出した。現在も中東海域で軍事作戦を続行中だ。すでに日帝はアフガニスタン人民、パレスチナ人民への虐殺の共犯者として登場している。対イラク開戦も本格準備段階に突入した。米帝ブッシュ政権は朝鮮半島や中国での軍事行動も公言し、日本に「地域安保を超えた貢献が必要」と明言。そのための「憲法改正を支持する」と言い切った(ランド研報告=01年5月)。さらに核兵器を「中国や北朝鮮、イラクなど7カ国」に使用する計画すら公言した。有事法制とは、まさにこの世界大的な戦争への参戦立法なのだ。
 有事法制は労働者人民の階級的利益と絶対に相入れない戦争法だ。小泉政権は「万が一、攻められたらどうするのか」「目の前で国民が次々と死んでいく事態(本土決戦!)」などの転倒したデマゴギーを振りかざし、「日本人なら法案に反対できない。そういう問題だ」と国家主義をあおっている。
 しかし軍隊を押し立て、国家の戦争に国民総動員で戦うという考え方自体が根本的に間違っているのだ。日本の労働者人民は、1945年の敗戦でそのことを痛恨の思いで学んだのではなかったのか。かつて15年戦争で守ろうとしたのは国民ではなく「国体」、つまり天皇制の国家機構と支配体制だった。自国帝国主義国家の戦争は体を張っても阻止する。それが労働者人民の普遍的な立場である。
 「9・11のNYテロ」があるから有事法制が必要という論議は、現代の侵略戦争の論理そのものだ。「テロ支援国家をたたく」と称して中東、アジア地域で展開されている侵略戦争に日本が参戦する論理だ。
 アメリカは海外の帝国主義的権益のために、第2次大戦後50数年の間に、他国の領土で500万人以上(!)を殺りくしてきた。イスラエルへの強力な軍事支援をテコにした中東支配はその中心に位置する。左翼政権の転覆や革命勢力の鎮圧のための「暗殺作戦」と称する国家テロルにも無数に手を染めてきた。9・11は、そうした米帝の虐殺と民族抑圧の歴史に対する被抑圧民族人民の耐え難い怒りが、ついに臨界点を超えて爆発したものなのだ。
9・11を「テロ反対」論で非難すること自体が、歴史の文脈を無視した侵略戦争の論理なのである。
 有事法制制定によって侵略戦争、世界戦争の歴史を繰り返すな! 帝国主義を打倒せよ! 戦争と殺りくなしに世界の人民がともに生きられる時代を切り開くために立ち上がろう!

 治安攻撃粉砕する内乱の砦

 暫定開港阻止決戦で三里塚闘争が守り抜いた地平は、革命的反戦闘争の最も戦闘的な中核である。有事立法攻撃の一方の本質は反戦派、反戦勢力の投獄とせん滅、反戦闘争の拠点の暴力的粉砕にある。革命的内乱の砦(とりで)として強靭に発展してきた三里塚闘争が、その本当の真価を発揮するのはこれからだ。
 有事法制が、同時に一連の治安立法や「反テロ」関連国際条約の批准を伴っていることは重大だ。明治憲法以前の「爆発物取締罰則」の戦前的な運用の道が開かれた(爆弾テロ防止条約=昨年11月批准)。「テロ資金供与罪」を盛り込んだ新法も国会に提出された(テロ資金供与禁止条約。今国会批准予定)。結社禁止法やデモ「参加罪」、司法取引、強制供述制度導入などを含む「国際的組織犯罪条約」も批准が予定されている。「スパイは死刑」とした85年のスパイ防止法(国家機密法=廃案)も復活する。かつての15年戦争における治安維持法体系の全面的復活である。
 そして有事法制自身が、戦争への非協力を犯罪とみなし、弾圧・投獄の対象とした(武力攻撃事態法8条・国民の協力、および自衛隊法改悪案)。「武力攻撃事態」が宣言された瞬間、反戦闘争それ自体を犯罪と見なし禁止する体制づくりが狙われている。
 「反テロ」の名のもとに、これまでとまったく質の異なる国内治安戦争が準備され、今まさに発動されつつある。有事法制はもはや法律論議ではありえない。侵略戦争への本格的参戦と暗黒の治安国家=戦時国家体制づくりをめぐる、労働者人民と権力・支配階級との本格的な内乱・内戦的攻防が始まったのだ。
 三里塚闘争の到達地平は戦時体制づくりを根底的なところで阻んでいる。その核心的な問題は、千葉県収用委員会が実力で解体されて再建できない状態が、まる14年も続いている現実に集約される。その結果、成田の事業認定(土地収用法)は消滅に追い込まれ、すべての未買収地が強制収用できなくなった。千葉県下のあらゆる公共事業も収用法が適用できない事態が続いている。
 「法治国家・日本」で、国家の暴力装置が機能しない領域が生まれ、それが人民的正義のもとに定着しているのだ。それが三里塚闘争の地平だ。
 この現実は、国家権力との実力闘争が広範な人民の階級性と支持に支えられるならば、権力の暴力支配さえ無力化する陣地を確保できることを実証した。
 「反テロ戦争」のただ中で、国家主義や愛国主義の暴圧に抗し、階級的実力闘争をもって反戦闘争を組織し勝利に導くことは絶対にできる。「戦争への協力か投獄か」という戦前型の治安弾圧と対決し、国家の暴力装置を無力化しつつ、階級的陣地を拡大していくことは可能なのだ。37年間のし烈な権力との攻防に勝ち抜き、いまだ第一級の国策を阻止し続ける三里塚闘争は、国内治安政策の致命的な破たん点なのである。
 この闘いの地平が、今まさにわき起こりつつある広範な労働者人民の階級的怒り、反戦の気運と合流することが決定的なのだ。
 もはや日本帝国主義には、労働者人民に犠牲を転嫁する以外にいかなる延命策も残されていない。膨大な労働者人民が、闘う以外に生きていけない状況に投げ込まれている。資本に使い捨てにされ、あげくに最も非人間的な殺りくに動員され、「国のための死」を強制される。こうした時代がすでに始まったのだ。
 三里塚闘争は、労働者人民が戦争への協力を拒否し、革命的反戦闘争に勝利し、自らの未来を切り開くためにこそ、37年の歳月を不屈に戦い抜いてきた。今なお多くの獄中戦士たちが最前線で権力と対峙している。正念場に突入した有事立法・改憲攻撃との闘いは、この三里塚闘争の地平を抜きにはありえない。

 敷地内農民を守り暫定滑走路閉鎖へ

 暫定開港から10・13全国集会までの6カ月闘争は、三里塚闘争の永続的発展の基礎を打ち固め、反戦闘争の巨大な革命的発展の突破口を開く決戦である。三里塚現地攻防戦の当面の闘争方針を確認しよう。
 第一に、4月9日に東峰地区住民が提訴した東峰神社裁判で、6月24日に第1回公判が行われる。その大衆的な取り組みが重要である。東峰神社は暫定滑走路南端わずか60bの要衝。神社の土地は東峰部落の「総有」で多くの物証もある。滑走路侵入表面を破る神社立ち木を伐採するため、公団が直前にデッチあげた名義上の「買収」行為は完全に無効だ。裁判自体の勝利性も明らかであり、暫定滑走路に致命傷を与えうる一大反撃の闘いとして全力を挙げよう。
 第二に、深刻な騒音被害が拡大している暫定路周辺住民に対する情宣活動に、反対同盟を先頭に粘り強く取り組むことである。政府・国交省は暫定路開港で手のひらを返して「周辺対策」から撤退、騒音による地価下落や地域の荒廃など内陸空港の矛盾が噴出している。成田空港そのものが、実は地域の真の発展と相入れないのである。暫定滑走路に対する大衆的包囲の闘いとして重要だ。
 第三に、日々深刻な騒音被害を反対同盟・地権者農民に与え続ける暫定滑走路に対する、実質的な反撃を推し進めることである。暫定滑走路は無用の長物だ。「たたきだし」のためだけの運用はまさに国家犯罪である。この事実を全国に明らかにし、「暫定滑走路を直ちに閉鎖せよ」の声で成田空港を大衆的に包囲しなければならない。
 第四に、反対同盟と地権者農民の生活防衛闘争に全力で取り組むことである。公団が各農家脇に設置した「騒音避難小屋」(プレハブ小屋!)という人を愚ろうした行為に、農民たちの怒りは沸騰している。「たたきだし」を物理的にも跳ね返し、反対同盟と地権者の生活条件を守る闘いを、労働者人民の総力を合わせ実現しなければならない。
 全国の労働者人民との団結を固め、「ストップ有事法制 5・24大集会」(呼びかけ陸海空港湾労組20団体など)に結集しよう。5・26全国総決起闘争を総力でかちとろう。暫定滑走路開港に対する本格的な反撃を開始しよう!

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週刊『前進』(2054号4面2)

戦場化する沖縄 相次ぐ米軍機事故
 照明弾、燃料タンク、風防ガラスが空から落下、さらに燃料漏れで緊急着陸

 「復帰30年」を迎える沖縄では、米軍機の事故が頻発し、米軍の存在が沖縄人民の上にいかに大きな脅威と重圧になっているかが、あらためて示され、大きな怒りの闘いが巻き起こっている。4月の1カ月間に4度もの米軍機からの落下事故が起こり、その頻度はかつてなく多い。
▼4月8日午後0時20分ごろ、米空軍嘉手納基地所属のF15戦闘機から、小型訓練用照明弾「フレア」が同基地内上空で落下、上空で燃焼した。
▼4月17日午後1時ごろ、米海兵隊普天間基地所属CH53型輸送ヘリが同基地を離陸直後、燃料補助タンク2個が外れ、滑走路に落下した。落下現場は、民間地域に隣接するフェンスから最短で約700bの地点だった。
▼4月24日午前、嘉手納基地所属のF15戦闘機が、沖縄本島から約130`南東海上で訓練中に操縦室の風防ガラスを紛失、同日午前9時ごろ、嘉手納基地に緊急着陸した。
▼4月25日午後4時50分ごろ、米海軍空母キティホーク第5航空団所属のC2グレイハウンド輸送機が、嘉手納基地離陸直後に燃料漏れを起こし、上空旋回後に緊急着陸した(写真)。燃料約3800gが漏れ出た。
 さらに5月1日午前8時半ごろには、米ワシントン州マッコード空軍基地所属のC17グローブマスターV輸送機が、嘉手納基地で滑走中にパンク、離陸を中止する事故が発生した。
 「空からあらゆる物が降ってくる」と沖縄人民は怒っている。落下物が住民地域に落ちていたら、いずれも大惨害をもたらすに違いない事故だった。これほど次々と事故が繰り返されるのは、事故があっても訓練は中止せずに、より強化しているからである。
 これらの事態は、9・11以後の米帝のアフガニスタン侵略戦争と、イラク侵略戦争準備の中で、米軍の訓練がかつてなく激化していることを示している。訓練激化に伴って嘉手納、普天間基地周辺の爆音も激しくなっており、住民の我慢の限度を超えている。
 侵略戦争のためのこうした訓練の激化が、整備点検の不良やミスを呼び起こしていることは明白だ。そしてそのつけは、住民の頭上に降ってくるのだ。事故を起こすたびに、「全機を点検する」「再発防止」などと言いながら、その舌の根も乾かぬうちに次の事故が発生する。これは、訓練優先で周囲の安全など二の次になっているということだ。いや、沖縄全島が戦場と化しているということだ。米軍は戦場の論理を沖縄に持ち込んでいるのだ。これが「復帰30年」の基地の島・沖縄の現実だ。
 5月8日、米軍の司令官は説明会で、3件の落下事故のうち風防ガラス落下の1件のみを「事故」として調査し、調査結果は公表しないと表明した。米軍側の損害の額によって3ランクに分け、風防ガラス落下はBランク、それ以外は2万j以下の損害だから事故のうちに入らないというのだ。被害を受ける住民のことはまったく考慮のうちに入っていないのだ。許しがたい開き直り、居直りだ。基地は全面撤去しかない。
 アフガニスタン人民の上にクラスター爆弾や燃料気化爆弾を落とし、大量虐殺をしている戦闘機や輸送機が、沖縄人民に危害を加えていること、このことに怒りと弾劾をたたきつけなければならない。

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週刊『前進』(2054号4面3)

 5月8日〜14日
 艦船集結で防衛出動の見解 「着手」で自衛隊が先制攻撃

●「国民訓練検討」と官房長官 衆院有事法制特別委員会の一般質疑で、「国民の保護に関する法制」に関連して、福田官房長官が「平時から備えるのは大事なことなので検討は考えている。必要な組織、訓練のあり方について国民の十分な理解が得られるような仕組みを考えたい」と述べ、「武力攻撃」に備えた訓練や民間防衛団体の編成を検討する考えを示した。(8日)
●那覇市が20年契約拒否の市有地を自衛隊に賃貸 那覇市の翁長雄志市長が、20年間契約を拒否してきた市有地について、5月1日付けで那覇防衛施設局と賃貸契約を結んだと発表。さらに米軍那覇軍港内の市有地についても、9月の使用期限切れを前に7月にも予約契約を結ぶ考えを明らかにした。親泊前市長時代までは、いずれの土地も基地撤去を訴える立場から契約に応じてなかった。(8日)
●攻撃「着手」で反撃 福田官房長官は衆院有事法制特別委員会の総括質疑で、自衛隊が反撃できる条件として「武力攻撃による現実の侵害があってから後、具体的に言えばミサイルが着弾した後ということではなくて、武力攻撃の着手があった時だ」と先制攻撃を明言。実際に武力攻撃による被害が発生していなくても、相手側の武力攻撃の「着手があった時」を含めるとの考えを示した。政府は56年、「誘導弾などによる攻撃を防御するのに、誘導弾などの基地をたたくことは、法理的に自衛権の範囲に含まれる」とする見解を出している。(9日)
●有事法制、戦闘地域は適用外と防衛長官
衆院有事法制特別委員会で中谷防衛庁長官が、道路法や道交法、河川法などの適用除外や特例措置の規定を盛り込んだ自衛隊法改悪案について、実際に戦闘が始まった地域ではこうした条文は適用されないと説明。国際法規の順守を条件に「合理的と判断される限度」で自衛隊の武力行使を認めた自衛隊法88条だけに縛られると説明した。(9日)
●「沖縄は戦略的に重要」と米国務次官補 ジェームス・ケリー米国務次官補(東アジア・太平洋担当)が、「われわれは戦争を阻止し、東アジアの安定を維持するために働く。沖縄はその戦略的位置から、同時多発テロ前も、今も重要だ」と述べた。(9日)
●合同演習で米艦が海自艦に補給 米軍の後方支援活動としてインド洋で米艦艇に燃料を洋上補給している海上自衛隊が来月下旬、ハワイ沖で始まる環太平洋合同演習(リムパック2002)で米補給艦から洋上補給を受けることになった。インド洋に補給艦を派遣しリムパックに回せないことによる措置という。(10日)
●艦船集結なら防衛出動可能の見解 有事法制3法案に盛り込まれた武力攻撃事態について、政府は、事態認定の基準になる事例をまとめた。「武力攻撃のおそれのある事態」と「武力攻撃が予測される事態」について、それぞれ日本を攻撃する可能性がある国の軍事的な準備行動を例示し、相手が多数の艦船を集結させた場合に自衛隊が防衛出動できる、などとしている。(11日)
●指定公共機関で政府見解 政府は武力攻撃事態法案で協力する責務があるとされる「指定公共機関」の取り扱いについて「災害対策基本法に基づいて定められた60の指定公共機関を参考に検討し、別途政令で定める」などとする見解をまとめた。報道機関については民放や新聞社について指定の可能性を否定していない。(11日)
●東ティモール派兵延長へ 政府は、東ティモールの国連平和維持活動(PKO)に派兵中の自衛隊施設部隊の活動期間を、来年8月20日まで1年間延長する方針を決めた。当初予定は今年8月までの半年間だった。21日に実施計画を閣議決定する。(14日)

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週刊『前進』(2054号5面1)

 インタビュー 反対! 有事立法 −私はこう考える− A

  『司法改革』と闘う弁護士 葉山岳夫さんに聞く

  “いま戦争反対を強烈に闘う時” 朝鮮・中国に侵略戦争仕掛ける狙い

 首相を頂点に国家総動員体制 大衆運動で改憲と戦争阻もう

●はやまたけおさん 1936年生まれ。東京大学法学部の自治会・緑会委員長として60年安保闘争を闘う。67年弁護士になり、69年4・28破防法裁判主任弁護人。現在、三里塚芝山連合空港反対同盟顧問弁護団事務局長、動労千葉弁護団代表。

――小泉首相は「備えあれば憂いなし」と有事立法の成立に突き進んでいますが?
 今回の有事3法案、すなわち武力攻撃事態法案、自衛隊法改悪案、そして安保会議設置法改悪案は、いつかある日に備えて念のために制定するものとは到底考えられません。近い将来の朝鮮半島、台湾海峡での侵略戦争準備の一環です。
 中谷防衛庁長官は法案提出前の国会(4・4衆院安保委)で、周辺事態法にいう周辺事態が、日本への武力攻撃事態になる場合もありうると答弁しました。周辺事態法は、アメリカ帝国主義の軍隊と日本帝国主義の軍隊が共同して、あるいは競い合って、台湾海峡もしくは北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国に対する侵略戦争を仕掛けていくための法律です。周辺事態はただちに日本有事に直結するということです。
 今回の有事3法案は、その時に首相を頂点とした軍事的な支配体制を構築して地方自治を破壊し、憲法に定めた人民の権利も制限し、一種の戒厳令的な状況をつくり出して、侵略戦争に邁進(まいしん)する国内体制をつくりあげていくものです。
 小泉首相は4月21日に靖国神社参拝を強行しましたが、これも新たに発生する戦死者の行き場所を確保していくためのものです。有事立法強行とセットの侵略戦争準備そのものです。
 小泉政権はファシスト政権というべきです。有事3法を強行することによって、上位的な法律である憲法を破壊するという、一種のクーデター的な攻撃を仕掛けているのです。
――人民の権利は一斉に制限されますね。
 特に自衛隊法「改正」案の中で明白ですが、防衛出動の準備段階、「防衛出動命令が発せられることが予測される場合」において、あらかじめ陣地の構築等ができることになります。

 反戦の闘いを武力で鎮圧

 成田空港など軍事基地に利用しようとする民間空港や軍事基地周辺で、例えばパトリオットミサイルの陣地を構築するために土地の強制使用、物資の収用が可能になる。このための立ち入り検査を拒んだり、妨げたりする者は逮捕する。この場合の法定刑は罰金ですが、逮捕はできます。立ち入りを妨害する者を片っ端からどんどん逮捕して反対運動つぶしをやる。
 土地について「収用」という文言は書かれていませんが、「強制使用」をすればそれは足りるわけです。それから戦車などが走る場合のあらゆる国内法の障害をすべて取り払う。家屋の構造も変更できるし、家の立ち木も強制的に伐採できる。昨年6月三里塚で、暫定滑走路のじゃまになるとして突然、東峰神社の立ち木が伐採されましたが、それと同じです。
 ――事態が先行する。
 そうです。武力攻撃事態法で、指定公共機関には協力義務が課せられます。NHKはもとより、民間放送も対象になります。陸・海・空・港湾関係の労働者にも協力義務が課せられます。マスコミを動員し、まさに社会全体が戦時体制一色に染められていく。
 この中で、戦争反対を叫び、行動する者に対しては強圧的な手段で弾圧が襲いかかることが十分に予想されます。
 ――法案は「必要な協力をするよう努めるものとする」となっています。
 それは文言だけで、事態はもっと進むと思います。
 1938年に制定された国家総動員法の場合も、5条に「政府は戦時に際し国家総動員上必要ある時は、……総動員業務につき、協力せしむることを得」とある。「協力しなければならない」とは書いていませんが、有無を言わせぬ戦争協力が強制されました。
 日本の高度に発展した資本主義、いわゆる日本帝国主義はこのデフレ型恐慌を突破するために、またアジアにおける権益を軍事力をもって保護するために、アジア侵略戦争の方向にすでに踏み出しています。

 排外主義、愛国主義と闘おう

 1929年からの世界大恐慌の中で、高橋蔵相らがたくらんだのも戦争経済でした。いわゆる「満州事変」、柳条湖事件を政府は最大限に利用し、事情を知らされない日本人民は熱烈にそれを支持してしまった。ここから言えることは、排外主義の風潮と断固として闘う必要があるということです。
 昨年12月、海上保安庁の巡視船がいわゆる「不審船」を撃沈し15人を虐殺しました。この日本側の行為を棚上げし、今、これが北朝鮮の船だと沈没船引き揚げにあたって大々的に宣伝しています。北朝鮮への敵意、排外主義的な意識をかもし出しています。これにいわゆる「拉致問題」なども連動している。
 こういう法案を通す場合に、絶えず対外的な危機をあおりたてながらやってくる。北朝鮮とはいまだに国交も回復していない。戦時中の数十万人にのぼる朝鮮人強制連行や慰安婦問題も何も解決していない。それらを未解決のまま放置して、「拉致疑惑」のみを取り上げることはきわめて不当です。
 ――有事立法に対する日本共産党の立場は?
 日本共産党は、有事立法のとらえ方自体が根底的におかしいと思います。
 昨年、「不審船」問題を口実にして海上保安庁法が改悪された時、日共は「海上保安庁は軍隊ではなく警察力だ。第一義的には警察力で日本の主権を守る」と、これに賛成した。
 さらに、日本は自衛権をもっていると、だから日本の主権侵害に対しては「必要なら自衛隊を活用する」と主張しています。
 今度の有事3法に対しても日本がアメリカの戦争に巻き込まれると、だから反対という。NHKの日曜討論では筆坂政策委員長が、「仮に本当に武力攻撃があったときには、国民は罰則なんか科さなくても、自らの命を守る、兄弟を守る、財産を守るために立ち上がる。当たり前の話」だと言ったが、とんでもない。日本が攻められるのではなく、日本が侵略するための法律なのだ。ここを焦点にして反対運動をぶつけなければならないのです。
 私たちは、アメリカの戦争政策に強く反対すると同時に、それと連動した自国政府の侵略戦争に体を張って反対することが問われている。日共は排外主義、愛国主義の傾向が非常にある。これでは闘えません。
 有事立法と一体のまやかし司法改革においても、日本共産党に関係する弁護士が数多く、その先兵の役割を果たしてしまっている。

 あらゆる立場の人が決起を

――この法案を阻止するための運動ですが。
 一点、これが平和憲法に対する挑戦であり破壊だということです。憲法9条には「武力による威嚇または武力の行使は永久にこれを放棄する」とあります。それなのに武力攻撃事態法案では、武力を行使すると明記しているのです。
 憲法を憲法たらしめているのは人民の力です。人民の力そのものが支柱にならないと、憲法解釈もねじ曲げられてしまう。要は条文解釈よりもむしろ、政府に憲法を守らせる人民の力が基本です。今まさに労働者の権利を守るために、そして命を守るために戦争反対が強烈なスローガンとならなければなりません。
 5月24日には、陸・海・空・港湾で働く労働者を中心とした大反対行動が予定されています。改憲反対、戦争反対、そして民主主義を擁護する、大々的な大衆運動を展開することは非常に重要です。
 私ども「憲法と人権の日弁連をめざす会」を中心とした弁護士は、今年2月8日の日弁連会長選挙で8千対5千という結果で、敗れはしたが全国5千人の弁護士を司法改革反対で結集しました。この実績を踏まえて、6月5日に、まやかしの司法改革の行き着く先こそ有事立法の世界、改憲の世界だと訴える反対集会を労働者の皆さんとともに開きます。

 青年と学生の力に期待する

 あらゆる立場であらゆる人民が決起していくことが求められています。私は、特に学生諸君の決起を痛切に期待します。
 私も60年安保の時は全学連の一員として闘った。数千数万という学生が国会を取り巻き、市民も合流した。岸首相は弟の佐藤栄作と一緒に首相官邸の中で震えているという状況まで現出した。当時の私を突き動かしていたのは、安保改定は戦争への道だ、それを推進している日本帝国主義、岸内閣を打倒しよう、安保改定を阻止しなければ、次なる再度の戦争が現出する、その思いですよ。
 私は戦争中は小学生で、機銃掃射を受けたりしました。空襲になると学校はみんな児童を帰すんですよ。私は帰宅途中、P51という戦闘機の機銃掃射を受けて、土手から転がり落ちたことがある。近くに厚木飛行場があって、もう一つ愛川町中津に陸軍の飛行場があった。風防ガラスを通してアメリカ軍のパイロットの顔が見えました。
――怖い体験でしたね。
 平気だった。あの時は軍国少年だったから、戦争反対なんて考えもしなかった。相模湾上陸も十分考えられたから、その時はタコツボに入って、手りゅう弾でも投げてやろうと思っていた。みんなそういうふうに教育されていた。
 この歴史を繰り返さないために、自覚した人間から反対運動を始めることです。そうしないと最終的にわかってもらえる人も飲み込まれてしまう。だからこそ青年労働者、学生諸君には人民の先頭で頑張ってもらいたいと思います。
 (聞き手・室田順子)

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週刊『前進』(2054号5面2)

 海員

 戦時徴用で6万人が死亡 “海を再び戦場にさせぬ”

 「海を戦場にするな」「空の平和と安全を守れ」「二度と赤紙は配らない」「白衣を戦争の血で汚すな」「教え子を再び戦場に送るな」――こうしたスローガンが今、労働者の強い危機感と怒りとして発せられている。この声を、有事立法粉砕の巨大な階級決起に転化しなければならない。関係する労組の機関紙や出版物、ホームページなどを元に、スローガンの意味をまとめてみた。今号では海員を取り上げる。(本紙 上原祐希)

 海軍軍人上回る船員の死亡率

 太平洋戦争には、10万人を超える船員が動員され、うち6万2千人以上が亡くなった。海軍軍人の死亡率が約20%と言われるのと比しても、驚異的な数字である。一般商船・漁船・機帆船・はしけが根こそぎ動員され、記録によれば1万5518隻が戦時喪失した。国家総動員法のもと40年10月に船員徴用令が公布され強制徴用されたのである。
 徴用された船員は軍属の身分を与えられたが、その手続きはまったく安直だった。軍人は「赤紙」と言われた召集令状で個々人が呼び出された。自営業者などを軍需工場労働に徴用する「白紙」と言われた令状もあった。しかし船員の場合は、船を徴用すれば船員は付属物としてついてくる扱いで、個人への徴用手続きは何ひとつなかった。
 しかも、徴兵は20歳からだったが、徴用では船員の就労年齢制限は16歳、戦争末期にはさらに14歳にまで引き下げられた。18歳以下の船員の死者は7000人を超える。14歳の実習生から80歳の老船長まで、根こそぎ徴用された。
 全国戦没船員遺族会の泉谷迪さんは、以下のように記している。「私の次兄は官立無線電信講習所在学中、半年間の予定で実習生として乗船したが、乗船もろとも海軍に徴用され、そのまま帰って来なかった。1年後に届いた戦死公報に『海軍軍属泉谷次郎殿には……』とあるのを見て両親は初めて徴用の事実を知った。当時、未成年者が乗船する場合、親権者の同意が必要だったはずであるが、『お前の息子を徴用するぞ』という通知はついぞなかった」(全日本海員組合機関誌「海員」97年10月号より)。「機密保持」のためとして、遺族にも、乗船した船も死んだ場所も何も知らされなかった。
 徴用された船員たちの状況を、「海員」01年8月号「太平洋戦争と輸送船の悲劇」から見てみよう。
 日本軍は41年12月の太平洋戦争開戦以降約半年で、マーシャル諸島からフィリピン、インドネシア、シンガポールまで広大な範囲を占領した。この戦線への補給を担ったのが、徴用された民間船舶と船員だった。
 42年3月、ラバウルを占領した日本軍は、米軍航空基地であるニューギニアの南岸を占領する作戦に移った。この補給作戦では、輸送船8隻に陸軍兵士6900人、海軍兵士400人、弾薬糧食2500dを積んで、駆逐艦8隻とともにラバウルを出撃した。しかし米空軍の攻撃により、輸送船8隻、駆逐艦4隻がダンビール海峡で沈没した。
 この時の船団に加わった太明丸の状況は「敵機は繰り返し攻撃をかけ爆弾が破裂するたびに太明丸の船体はズタズタに引き裂かれるように思えた。これはもう戦争というようなものではなく、ただ一方的にやられっ放しの状態であった。血を吸い込む土をもたない船内には、真赤な血の溜りがぬめるように動いていた」というものであった(『日本郵船戦時戦史』より)。
 同年7月、海軍がガダルカナル島に2500人を上陸させ飛行場建設を始めたのに対し、同島に米軍1万9千人が上陸。7カ月の攻防で、多くの輸送船と船員が最期を遂げた。10〜11月の2回の強行輸送では、貨物船17隻のうち12隻が撃沈され、かろうじてガダルカナル島に着いた船は、兵員や食料、弾薬揚陸のために擱座(かくざ。港湾設備のない海岸に乗り上げる)を命じられた。擱座した船の船員は上陸したが、軍からも邪魔者扱いで、飢餓とマラリアでほとんど死んだ。
 これらはほんの一例である。日帝軍隊は弾薬や食料、そして軍馬や軍犬よりも船員の命を軽く扱い、文字どおり消耗品として死を強いたのである。

 敗戦後も続いた海員の戦争動員

 海員にとって戦争は「57年前のこと」ではない。日帝の敗戦後、日本周辺に残っていた機雷で死亡した海員は、記録に残っているだけで778人にのぼる。
 50年朝鮮侵略戦争では、GHQの管理下にあった日本の船舶は問答無用に動員された。GHQが海員組合に「軍需物資等輸送の妨害行為厳禁」の口頭命令を出し、毒ガスまで含めあらゆる軍需物資の輸送を命じた。軍事機密とされたため正確な記録はないが、少なくとも朝鮮海域などで特殊輸送業務従事中に26人(港湾荷役4人、海員22人)の死亡が確認されている。
 さらにベトナム戦争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争でも、海員は戦場のただ中で海運に従事し、多くの死傷者を出している。

 真っ先に徴用の対象となる海員

 1981年4月に国会で「有事法制研究中間報告」が発表された時、翌日の朝刊各紙は「パイロット、船員は徴用」と大見出しで報じた。そして83年2月、内閣法制局長官は「徴兵は違憲だが、徴用は違憲ではない」という見解を示した。
 そもそも、補給戦が重要な位置をもつ現代の戦争においては、「危険な前方」「安全な後方」という概念そのものが存在しない。補給・輸送業務に徴用される民間船舶と海員は、侵略戦争を担う加害者になると同時に、真っ先に攻撃の対象にもされるのである。

 海員労働者の「不戦の誓い」

 戦争の歴史を経験した海員は、敗戦から2カ月後の45年10月、「二度と再びこの悲劇を繰り返してはならない」と決意し、全日本海員組合を再建・設立した。
 そして99年、周辺事態法に反対して、陸・海・空・港湾労組20団体を構成して闘いに立ち上がった。同年5月21日には、20団体と宗教者の呼びかけによって、明治公園を埋めつくす5万人集会が実現された。
 同組合が00年8月、神戸に開設した「戦没した船と海員の資料館」の献辞には「われわれ船員は再び海を戦場にしてはならないと決意する」とある。
 井出本組合長は「多くの戦争体験を強いられてきた私たちは『船乗りは平和な海を希求する』を合言葉に、戦争の被害者にも加害者にもならない『不戦の誓い』を立ててきました」と語る。平山政策教宣局長は「自衛隊法第103条『従事命令』によって、民間船舶が強制的に用船されるわけで、乗り組むわれわれ船員も徴用される。これは大変な事態ですよね。船は最前線近くの港まで航海しますから、その危険性は計り知れない。『有事法制反対』の一点で、皆さんと幅広く共同し、法案成立を止めさせたい」と訴えている。(「船員しんぶん」号外)
 「海を再び戦場にさせない」のスローガンは、「加害者にも被害者にも絶対にならない」という海員労働者の強い決意の表れであるとともに、すべての労働者への決起の呼びかけである。

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週刊『前進』(2054号5面3)

 第3部 植民地支配の歴史(11)
 朝鮮A 19世紀末の侵略 朝鮮半島を戦場に日清戦争

 甲午農民戦争

 1894年2月、全羅道古阜(コプ)郡で地方官の悪政に対する農民反乱が起こった。この闘いは地域的な枠を越えて全国的な農民戦争へと発展していった。それは、一つには東学教団の存在を媒介に農民が総結集したからである。東学(トンハク)とはキリスト教を意味する西学に対するもので、在来の民間信仰に儒教や仏教などを融合させて反封建・反侵略を唱えた。朝鮮政府はこれを邪教として禁圧したが、封建的収奪に苦しむ農民の間に急速に広まっていった。
 二つには、日本の侵略によって困窮を強いられた農民は反日の怒りを高めていた。東学が普及した忠清・全羅・慶尚の3道は朝鮮の主要米穀生産地である。日本との貿易では主にこの地方の米や大豆が輸出された。だが、それは略奪そのものであり、日本商人が大量の米穀を買いたたき、そのため穀価は暴騰し、都市住民や農民にも大打撃を与えていた。こうした中で古阜民乱を皮切りに農民反乱が爆発していった。94年の干支(えと)にちなんで甲午農民戦争という。
 指導者の全 準(チョンボンジュン)は東学教徒への弾圧に怒り、「通文(トンムン)」と呼ばれる檄文を発した。これに呼応し全羅道一円から数万の農民が古阜郡に結集し、次々と近隣の諸郡を席巻して地方官を放逐し、全羅道内を制圧した。さらに全羅道以外にも各所でこれに呼応する蜂起がおこった。
 これに対して閔氏政権は清国軍に出兵を要請するに至った。一方、日本政府は出兵要請がないにもかかわらず、天津条約を口実に朝鮮出兵に突進した。

 日清戦争

 日本の狙いは甲午農民戦争の圧殺とともに、清国との開戦に踏み切ることにあった。清国を負かして朝鮮の支配権を奪取することに国家戦略の軸をすえ、「一旦事ある日は軍事上に於ては総て機先を制せん」(陸奥宗光外相『蹇蹇録(けんけんろく)』)ことに全力を傾けていたのである。
 朝鮮政府が清国に出兵を要請したのが94年6月3日。その前日に伊藤博文内閣は出兵を決定。この日の会議は、「如何にして平和にことをまとむべきかというを議するにあらずして、如何にして戦をおこし如何にして勝つべきか」(林董外務次官『回顧録』)というものであった。5日には広島に大本営が設置され、9日に海軍陸戦隊が仁川(インチョン)に上陸、朝鮮政府の反対を押し切ってソウル入城を強行した。清国軍は8日、2400人が牙山(アサン)に上陸。日本軍は12日、15日、清国軍を上回る大部隊を続々と仁川に上陸させたのだ。
 しかし、農民軍と閔氏政権の間では11日に「全州和約」が成立し、出兵の口実とされた争乱は収束した。朝鮮政府は日清両国に撤兵を要求した。だがこれを陸奥は拒否。逆に軍隊を居座らせて、日清共同での朝鮮内政改革を清に提案した。これは開戦のきっかけをつくるための方便であった。清国が当然にもそれを拒否するや伊藤内閣は22日、清国に対する第1次絶交書を発し、単独での朝鮮内政改革の実行を決定したのだ。
 そして7月20日、ソウル駐在の大鳥公使は清・朝宗属関係の破棄を朝鮮政府に要求する最後通牒(つうちょう)を出した。23日には日本軍が王宮を占領、朝鮮兵を武装解除し、閔(ミン)氏一族を追い出し大院君政権をデッチあげた。日本軍は25日、総力を結集して清国軍へ奇襲攻撃を加え、日清戦争が始まった。
 開戦以来、日本軍は清国軍を圧倒し、一挙に大勢は決した。その一方で日本軍は攻撃の主力を農民軍にさしむけた。金弘集(キムホンジプ)政権による「甲午改革」が実際には日本の侵略にさおさすものとなる中で、94年秋には東学農民軍が反侵略を鮮明にして再び蜂起に決起したからだ。釜山から平壌に至るまで朝鮮全土で農民軍は日本軍にゲリラ戦を挑み、手痛い打撃を与えた。これに対し日本軍(独立第19大隊)は徹底的な虐殺、放火、破壊をもってじゅうりんした。全
準は95年初頭に捕らえられ、ソウルで処刑された。こうして日本は朝鮮の支配権争いから清をたたき落とすとともに、朝鮮人民の闘いを暴力的に圧殺したのだ。それは「日本の軍事力が、朝鮮近代史上の一大変革を直接ふみにじり、内在的発展の流れをいったんたちきってしまった」(梶村秀樹『朝鮮史』)ことを意味している。

 閔妃暗殺

 95年4月17日に調印された日清講和条約(下関条約)は、その1条で「清国は朝鮮国の完全無欠なる独立自主の国たることを確認す」と清朝宗属関係の廃棄が明文化され、さらに日本への遼東半島・澎湖島・台湾の割譲、賠償金2億両の支払い、清国における通商上の特権付与などが明記された。しかし4月23日にロシア、フランス、ドイツが遼東半島を返還するように勧告(三国干渉)、日本は遼東半島の占領を断念せざるをえなかった。日本は「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」を掲げ、労働者人民に重税を課し、賠償金もほとんどを軍備に回すなど大軍拡に進んでいく。この後、朝鮮・中国情勢をめぐるロシアと日本の勢力争いは一挙に激化する。
 一方、ロシアは95年7月、閔妃(ミンビ)の一族と結託して朝鮮政府から親日一派を追放し、代わりに親露派を入閣させた。日本軍が訓練した軍隊も解散させた。日本は日清戦争の勝利で朝鮮への独占的支配権を確立しようとしたが思うようにはならなかった。
 こうした中で引き起こされたのが95年10月7日の閔妃暗殺である。これは朝鮮公使三浦梧楼が指揮をとり、日本守備軍と日本人の大陸浪人を動員して王宮に侵入し、閔妃を惨殺して石油をかけて焼いたという、凶悪きわまる事件である。
 しかも一国の国家元首夫人の暗殺という重大事件であるにもかかわらず、三浦を始め下手人たちが形だけは裁判にかけられながらも、全員が「証拠不十分」として免訴されたのだ。この粗暴きわまる事件の責任が日本政府にあることはこの後の残虐な朝鮮侵略の歴史が示している。
 この蛮行に対し朝鮮人民は全国で抗日の怒りを一挙に爆発させていく。各地で両班(ヤンバン)儒生を指導部とし農民を主力として義兵が組織され、日本の侵略に対し武器をとって立ち上がっていった。
 (五十嵐茂生)

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週刊『前進』(2054号6面1)

泉佐野市議選 住民が主体で勝利へ 7日間の選挙戦に出陣

 5月12日、泉佐野市議会議員選挙が告示された。国賀祥司市議会議員候補は、これまでともに闘ってきた住民とともに出陣式を行い、一丸となって選挙戦に打って出た。
 出陣式では、最初に「こくが祥司と語ろう会」会長の小林一三さんが「いのちと暮らしを守るため、戦争を許さないため立候補した国賀さんを、私たちの手で議会に送り出しましょう」と訴えた。
 国賀候補は、立候補のあいさつで、33人の立候補者のうち当選は23人という今回の選挙のかつてない激しさを訴えた。「みなさんの力を私と一緒にひとつにまとめて闘おう。有事立法に反対し関西空港の軍事使用を許さないこと、空港の犠牲を押しつける市政を変えていくことを正面から訴えて勝利しよう。今回の選挙は今までとガラッと変わって、多くの人が『わが選挙』として闘ってくれています。宣伝カーにも初めての人がたくさん乗り、手づくり選挙をやっています。真の意味で政治を取り戻す、市民一人ひとりが主人公になって選挙を行っていく。その過程を通じて市政を変えていく。こういうことを目指してやってきましたが、いよいよ最後の仕上げの決戦の1週間。みなさんの力を出し切っていただき、19日の投票日に向かって闘いましょう」と呼びかけ、住民主体で闘ってきた闘いを最後まで貫き、住民とともに勝利をかちとる決意を述べた。
 早朝から駆けつけた山本善偉さん(東灘区住民の会代表)、小西弘泰さん(高槻市議会議員)、安藤眞一さん(淡路町空港反対同盟事務局長)、村上周成さん(部落解放同盟全国連合会荒本支部支部長)も、それぞれの国賀当選にかける思いを熱く訴えた。
 最後に、住民が次々とマイクを握り、国賀勝利に向けた決意を語った。「1日1日を大切に、足下を固めよう」、「これからが本番。今までより一層気を引き締めて、1人でも多くの人に仲間になってもらうように頑張っていきましょう」と、5期必勝のために一人ひとりの決起を呼びかけた。
 団結ガンバロー三唱で出陣式を終え、国賀陣営は泉佐野駅前まで商店街を練り歩いた。駅前では住民の司会で、国賀候補と住民が第一声をあげた。住民は「空港反対、戦争反対。なぜ国賀祥司が反対するかと言えば、泉佐野市民のため。みなさんも一つになって、一生懸命、空港反対、戦争反対で闘いましょう」「有事立法とは何かと言えば、関西空港が戦争の基地になることです。こんな大事な時に戦争反対を言っているのは国賀さんだけです」と訴えた。
 今回の泉佐野市議選は、事務所のきりもり、宣伝活動、支持拡大活動などのすべてを住民が中心になって担っている。国賀候補と住民は、自らの行動で戦争への流れや関西空港による犠牲と闘い、いのちと暮らしを守る決意を固め、7日間の選挙戦に全力で突入した。

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週刊『前進』(2054号6面2)

4被告の保釈署名と1億円カンパに協力を

協力をお願いします。
 北小路敏(60年安保闘争 全学連委員長代理)
 藤原 慶久(69年安保・沖縄闘争 破防法被告)
 鎌田 雅志(85年三里塚・国鉄闘争 全学連委員長)

 私たちは、無実であるのに、東京地裁(刑事一一部・木口信之裁判長、刑事三部・服部悟裁判長)一審で、一五年と一〇年の長期にわたって未決勾留されている、四人の被告の保釈を裁判所が直ちに認めるよう要求しています。その実現のために、皆様の、一〇万人保釈署名と一億円保釈金カンパへのご協力を切にお願いします。
 その四人とは、須賀武敏さん(五七歳)、十亀弘史さん(五八歳)、板垣宏さん(五八歳)と、福嶋昌男さん(五八歳・未決一〇年)です。
 四人は、私たちの友人です。四人は、まったくの無実です。一九八六年の天皇在位六〇年式典と東京サミットに反対して行われた、東京サミット会場の迎賓館と米軍横田基地にたいするロケット弾ゲリラを理由に、逮捕・起訴されていますが、事件とは何の関係もありません。
 警視庁は、四人が事件と無関係であることを知りながら、中核派の一員で、ベトナム反戦闘争や七〇年安保闘争の先頭に立ってきた活動家であるというだけで、「爆発物取締罰則違反」をデッチあげ、逮捕したのです。そして昨年まで延々一三年間も検察側立証を重ねながら、当然にも検察官は四人の被告の事件への関与を示す証拠を何ひとつ法廷に提出できないままに、須賀、十亀、板垣さんの三人については検察側立証を終了せざるを得ませんでした。
 ところが裁判所はこの一五年間、起訴罪名が重罪であることや、「罪証隠滅のおそれ」を理由にして、再三にわたる保釈申請を却下してきました。事件にまったく関係のない無実の人間に、「爆発物取締罰則違反」をデッチあげて起訴しながら、それを口実にして保釈を認めないことなど断じて許されません。また事件発生から一五年も経過し、その間獄中に閉じ込められていた四人に、事件とまったく関係がないのに、「罪証隠滅のおそれ」などあろうはずもありません。しかも須賀、十亀、板垣さんの三人については検察側の立証は既に終了しているのです。このような荒唐無稽の理由を、裁判所が保釈不許可の口実にすることは、法と正義に著しく反しています。
 この一審未決勾留一五年と一〇年は、戦後の刑事裁判では例のない異常に長期の未決勾留です。朝日新聞紙上でも「東京地裁『最古』の事件」と報道されているほどです。刑事訴訟法(九一条)は、「勾留による拘禁が不当に長くなったときは保釈しなければならない」と規定しており、四人の被告の長期の未決勾留は、まさにこの条文に該当します。ところが、裁判所は理不尽にも「不当に長いとは言えない」と強弁しているのです。
 この長期の獄中生活のため、須賀さんは腰椎間板ヘルニアを発病し、歩行困難となり、車椅子での出廷を余儀なくされており、四人の被告全員が健康を害しています。これは判決ぬきで長期刑を執行するに等しい不法・不当な弾圧です。戦前・戦中の治安維持法下の予防拘禁の事実上の復活であり、人権の蹂躪です。
 それはまた、戦争体制づくりを推し進め、有事立法やメディア規制三法案の成立を今国会で強行しようとする小泉内閣の治安政策を体現するものです。
 このようなでたらめがいつまでも許されるはずがありません。現に、余りにも長期にわたる未決勾留は人権の侵害であり、四人の被告をすぐに保釈すべきだという社会的な批判の声が、自由人権協会など裁判所の内外から起きており、裁判所はもはやこれ以上保釈不許可を続けることが困難な状況にあります。
 私たちは弁護側反証が始まったこの機会に、何としても四人の被告の保釈を実現するために、後ひと押しの一〇万人保釈署名を近日中に達成して、裁判所に提出したいと思っています。ぜひとも署名への皆様のご協力をお願いします。
 また保釈許可決定に際し、裁判所から、たいへん高額な保釈金を求められることが予想されます。一五年・一〇年もの長期にわたって未決勾留されている四人の被告を、保釈金を用意できないために出獄できないような辛い目にあわせるようなことは何としても避けなければならないと私たちは思います。そのために今から保釈金を準備する必要があると考え、私たちは一億円保釈金カンパ運動に全力で取り組んでおります。皆様のご協力を切にお願いいたします。
 具体的なお願いになりますが、カンパは一口一万円とさせていただき、なるべく二口以上お願いできれば有り難いのですが、よろしくお願いいたします。
 ご送金につきましては誠に恐縮ですが、同封した振替用紙でお願いします。被告団事務局の者がお伺いしたおりに直接いただくことでも結構です。
 二〇〇二年 五月
連絡先 迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧被告団事務局
〒105―0004 東京都港区新橋二―八―一六石田ビル4階/電話・FAX03(3591)8224/郵便振替口座番号00120―4―188077

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週刊『前進』(2054号6面3)

 爆取弾圧3同志裁判
 公妨ねつ造暴く 逮捕警官を徹底追及

 5月8日、須賀武敏同志、十亀弘史同志、板垣宏同志に対する迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判の第164回公判が行われた。
 3同志は、15年という不当未決勾留を徹底弾劾しつつ、不屈に闘い続けている。須賀同志は、昨年11月の弁護側立証開始以降は、車椅子に座ったままで苦痛をはねのけ午後も引き続き在廷して闘い続けている。板垣同志は激しい頭痛、手足のしびれ、のどの痛みの悪化から、十分な睡眠もとれない状態が続いている。
 この間の闘いで、須賀同志が昨年から要求していた原因不明の血便に関する医療鑑定実施の決定がかちとられた。これが通算5度目の医療鑑定になる。長期勾留による健康破壊の進行を前に、裁判所は自らのあまりの不正義に追いつめられているのだ。
 須賀同志の新たな医療鑑定をもぎとった勝利をテコに、獄中同志全員の医療鑑定を闘いとらなくてはならない。とりわけ板垣同志への精密検査の実施は緊急を要する。全力あげて獄外医療をかちとろう。
 今回は前々回公判に引き続き、十亀同志を不当逮捕した岩手県警の遠藤要証人に対する尋問が行われた。
 公判の冒頭、「意見陳述は3人の被告合わせて30分で行え」という木口裁判長の恫喝をはねのけ、いつものように断固たる意見陳述が3同志からなされた。
 続いて、十亀同志を中心に3同志が次々と遠藤を追及した。86年10月岩手借家に対する家宅捜索が、合法性のかけらもない、文字どおり権力による襲撃そのものであったことを徹底的に暴露・弾劾した。とりわけ十亀同志に対する「公務執行妨害」を口実とする逮捕は完全なデッチあげであることを暴露しつくした。
 遠藤は、部屋に入ったとき、十亀同志が遠藤に突進してきて、左ひじをくの字に曲げて伸び上がるようにして、彼より背が高い遠藤の左ほおをいきなり殴ったと証言しているが、極めて不自然な動作である。十亀同志は何回も遠藤の言うような動作をしてみたが、そんな不自然な動作では相手の鼻柱を殴ることはできても、左ほおを殴るのはできるはずがない、と事実をつきつけた。
 また、遠藤は、十亀同志が突進してくるのをただ茫然と立ってみていて、突然殴られたとしているが、これもウソゆえの不自然きわまる証言である。遠藤は当時でも柔道2段、剣道2段の武道の達人なのだ。その彼が、相手が突進してくるのを見ていながら、何の防御もできずに不意に殴られたというのである。遠藤の証言はすべてウソだ。「公妨」など一切なかったことは完全に明らかだ
 次回は板垣同志の逮捕警官・津志田が出廷する。傍聴に結集して闘おう。

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週刊『前進』(2054号6面4)

 福嶋裁判
 小島鑑定にとどめ デッチあげの手法明白に

 5月9日、福嶋昌男同志の第143回公判は、前回に続き警視庁科学捜査研究所・小島直樹に対する弁護側反対尋問が行われた。
 小島は筆跡鑑定と称してただただ警察のデッチあげ目的に沿って、従来の鑑定方法すら無視し、ご都合主義かつ非科学的なデッチあげ文書をつくり出したのだ。一人の検察側証人に対しすでに2年以上の尋問が続いているというきわめて異常な展開は、弁茸側の論理的かつ科学的な追及への小島の卑劣な言い逃れと開き直りが生み出したのだ。
 このようなデタラメな検察側立証によって、福嶋同志に不当な長期勾留が強制されているのだ。
 小島の手法は勝手に決めつけた「識別できる特徴」なるものを持った字が双方の資料にわずかでも登場しさえすれば同一筆跡とするものだ。これは、「識別できる特徴」が筆者の恒常的な癖であるか否かをまったく問わない。そして選抜されなかった大量の文字に確認できる明確な差異を意図的に無視するペテンだ。
 弁護側は、片方の資料の「に」がごく一部を除いて三画とも離れ直線的に書かれているのに対し、逆に一方の資料の「に」は連続し曲線で書かれたものが多いことを指摘した。こうした例を次々と示し、とうてい同一人物の筆跡とはいえないことを突き出した。
 さらに小島からは、鑑定の対象としていたバラバラのメモについて「百パーセント同一の筆者が書いているとの前提にたって鑑定した」と、鑑定人失格を自己暴露する証言も飛び出した。
 福嶋同士と弁護側の死闘は小島にとどめをさすものだ。この巨大な成果を突破口に、無罪をかちとろう。

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週刊『前進』(2054号6面5)

古波津さん逝去から3年 偲ぶ集い「民権」を考える

 生涯現役で、沖縄のために、戦争に反対して闘いぬいた古波津英興(こはつえいこう)さんの逝去から3年たった4月27日夜、東京・中野で沖縄民権の会主催の「古波津英興さんを偲(しの)ぶ集い」が開かれ、約50人が集まった。
 最初に、亡くなった年99年の新年会での古波津さんの話と歌を写したビデオを上映し、古波津さんを偲んだ。「国家は禍なるかな」という言葉が、沖縄から日本帝国主義を撃ち、21世紀を照らすものだった。
 司会の呼びかけで、古波津さんへの黙祷(もくとう)を捧げた。
 高田普次夫さんが主催者あいさつに立ち、古波津さんが新ガイドライン、周辺事態法に反対する闘いの中で倒れたことを思い起こし、「戦争を知らない連中が戦争に突入する法律を作ろうとしている」と有事立法攻撃に対する危機感と怒りを表明し、若い人が闘いを起こすことを呼びかけた。
 「謝花昇(じゃはなのぼる)の生涯と古波津さんの闘い」と題して、琉球大学教授の伊佐真一さんが講演を行った。伊佐さんは、沖縄民権運動の先達である謝花昇の生きた時代を具体的に明らかにしつつ、謝花昇が目指したものが何であったかを語った。第1回の県費留学生として東京に出たころから、意志的であいまいさのない性格であったこと、沖縄の唯一の産業であった農業で果たした役割などが語られ、奈良原県知事との衝突の意味について述べられた。謝花の魅力として、「若くして悲劇的に倒れた、集中的に燃焼した、ここという時に真っすぐに具体的に批判し抵抗するという生き方にある」と指摘された。「少数になっても恐れない、孤立しても怖くないというところなどが古波津さんに継がれている」と話された。古波津さんの生涯と重ね合わせて興味深い内容だった。
 沖縄民権の会の代表である座覇(ざは)光子さんがまとめの発言を行った。「謝花昇は階級の闘いをしたと思う。沖縄が救われるためにどうしたらいいかとヤマトの政府と闘った。古波津さんは謝花昇の亡くなった翌年に生まれ代わりのように生まれた。謝花の希望にこたえられるような、そして古波津さんを受け継ぐような闘いをつくっていきたいと思う。そしてアジアに対する償いの闘いをしていきたいと思う」
 謝花昇と古波津英興さんを思い、有事立法との闘いをあらためて誓い合った夕べだった。

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週刊『前進』(2054号6面6)

“有事立法は憲法の破壊” 5・3憲法集会に165人 侵略くり返さない決意あふれ

 5月3日午後1時半から東京・千駄ケ谷区民会館において、「憲法第9条の破壊 有事立法に反対する5・3集会」が行われた。主催は、戦後50年を問う8・15労働者・市民のつどい全国統一実行委員会。有事立法3法案の国会提出に侵略戦争への危機感をつのらせた学者、弁護士、労働者、市民165人が参加した。侵略の歴史を再びくり返さない決意にあふれ、3法案を廃案に追い込むまで不屈に闘いぬく行動方針が鮮明に提起されたすばらしい集会であった。
 集会は葉山岳夫弁護士の主催者あいさつに始まり、「止めよう戦争 女たちのキャラバン」を報告した西村綾子さん(婦人民主クラブ全国協代表)は、街頭で在日朝鮮人から「日本は再び戦争を始める気なのか」と糾弾された体験を紹介しながら、女性が反戦の先頭で闘おうと呼びかけた。
 新藤宗幸さん(千葉大学教授)が「新国家主義と有事法制 変容する日本の政治構造」と題して講演を行った。初めに小泉政権を「権威主義体制そのもの」とバッサリと切った。また、小泉首相とは神奈川県立横須賀高校の同窓生であり、その校風は極めて国家主義的なものであることを暴露し、小泉首相の青年期における軍国主義的政治心情の形成を明らかにした。そして有事法制の論議における「備えあれば憂いなし」の主張については「マンガ的」と弾劾し、およそ地上戦では都市型社会の市民は守れないことを指摘した。最後に、有事法制反対に民衆の共感を得る運動の軸として、「言論統制か、言論の自由か」を一人ひとりに呼びかけることの重要性を訴えた。
 続いて、中国・北京での国際会議への参加をとりやめて集会に参加した西川重則さん(平和遺族会全国連絡会事務局長)が「ハダカの国会―ここまで来た改憲論議」と題して講演し、衆院憲法調査会を改憲のための論議の場と断罪した。
 また反戦自衛官の小多基実夫さんが「戦地に駆り出される自衛官」と題して発言し、小泉首相の靖国公式参拝を自衛隊に侵略軍隊としての「魂」を入れるためだと弾劾し、自衛隊員にとってのシビリアンコントロールとは「(上官の)命令には絶対服従」の強制であることを提起した。
 闘いの現場からの報告として、神奈川の教育労働者が、教え子とともに有事立法反対のデモに立ち上がったことを報告し、「日の丸・君が代」処分と対決する決意を表明した。また憲法と人権の日弁連をめざす会の武内更一弁護士が「司法改革とは有事司法への大転換を狙ったもの。絶対阻む」と決意を表明した。
 集会のまとめと行動方針を鈴木達夫弁護士が行い、参加者は5〜6月有事立法阻止闘争を決意しあった。
 (投稿 山本茂)

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週刊『前進』(2054号6面7)

 日共以下の対米従属論

 ファシスト・カクマルは、有事立法攻撃に対する反対勢力の一員であるかのように振る舞おうとしている。だが、それはまったくインチキなものだ。彼らの「反対論」の特徴は、一つは日共以下の対米従属論であり、もう一つは米日帝が中国・朝鮮侵略戦争を現実的射程に入れていることを必死で隠すことである。
 その論点の破産を示す決定的事実を1点だけ、指摘しておこう。
 「ブッシュ政権は、このかん『対テロ戦争』への日本帝国主義の政治的・軍事的の協力を露骨に要求してきた。アメリカが対イラク攻撃を開始した場合に日本からイージス艦をアラビア海に派遣するようにとのアメリカ政府の対日要求が複数のマスコミにリークされた」(解放5・6号)
 米帝の対日要求とそれに従順に従う小泉政権、というのがカクマルの描く日米関係である。ところが、事実はまったく逆であったことが暴露された(朝日新聞5・6付1面トップ)。海幕幹部が、4月に在日米海軍の司令官を横須賀基地に訪ね、米側から海自のイージス艦やP3C哨戒機のインド洋派遣を要請するよう働き掛けていたのである。「アメリカからの要請に答える」という形にした方がやりやすい、ということで自衛隊の制服組が米帝に対して裏工作をしていたのだ。
 カクマルは、「アメリカが要求」というニュースに飛び付いて、日共以下の対米従属論をがなりたてたのだ。
 カクマルはさらに「米CIAなどは、゛親中国派″や゛親ロシア派″および北朝鮮とのパイプ役を担っている日本の特定の政治エリート、すなわち鈴木宗男や田中真紀子や野中広務などを失脚に追い込むための様ざまのスキャンダル暴露をしかけてもいるのだ」などと今日の自民党の腐敗や対立、政治危機のすべてを米CIAによる謀略にしてしまうのだ。それは日帝の体制的危機の広さと深さを隠すものだ。
 米帝ブッシュの世界戦争路線、それに突き動かされ、争闘戦的生き残りをかけた日帝・小泉の共同的=競合的参戦の戦略ということを、カクマルは階級的・科学的に分析することができない。謀略論と対米従属論をかざして、闘争に介入・破壊をたくらむカクマルを粉砕・一掃しよう。(T)

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週刊『前進』(2054号6面8)

 『前進』ホームページ メールから

 貴君らのような若者がいる限り、この日本はまだ捨てたものではないと思う。私のような戦争体験者も少なくなってきているが、戦争というものの持つ非人間性を、これからの子どもに味わわせてはならない。
 貴君らの活動が、将来の日本、いや世界を救うものと期待する。

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