ZENSHIN 2002/08/26(No2066 p06)

ホームページへ週刊『前進』月刊『コミューン』季刊『共産主義者』週刊『三里塚』出版物案内販売書店案内連絡先English

週刊『前進』(2066号1面1)

 9・22有事立法粉砕大闘争へ

 職場から連合見解撤回の嵐を

 闘争団への査問・除名攻撃粉砕し今こそ闘う国労の再生かちとれ

 革共同は東西の政治集会で「戦後史上最大最高の政治闘争として今秋有事立法決戦の大爆発をかちとれ」を圧倒的に確認し、「世界戦争情勢と対決し、自国帝国主義打倒へ」と宣言した。世界史が世界大恐慌と世界戦争の過程に突入したことを重々しく確認し、9・11以降の1年間の世界情勢の大激動化を見すえ、これからの1年間が21世紀革命を左右する一大決戦期であることを明確にし、党の飛躍をかけて闘うことを宣言した。8・6広島−8・9長崎反戦闘争、8・15闘争の地平の上に、反戦共同行動委が呼びかける9・22有事立法粉砕闘争を全国総結集の戦闘的大衆運動として大爆発させよう。9・1防災訓練粉砕に決起し、9・8沖縄地方選挙の勝利をかちとり、三里塚暫定滑走路延長攻撃を粉砕しよう。有事立法・戦争国家化攻撃と一大資本攻勢との闘いを結びつけ大有事立法決戦として闘い抜こう。とりわけ国鉄決戦は、日本共産党中央が裏切り路線の大破産によって「路線転換」する中で、闘争団への除名策動をめぐって、勝利をもぎりとれるかどうかの重大局面に突入した。国鉄決戦の勝利は階級情勢を一変させる。絶対に勝利せよ。今秋決戦のただ中で強大な党を建設しよう。

 第1章 米帝の世界戦争計画とイラク攻撃の切迫

 9・22大闘争に向かって第一に訴えたいことは、「米帝(米日帝)のイラク攻撃阻止、米帝の世界戦争計画粉砕」を鮮明にさせて今秋有事立法粉砕決戦を闘おうということである。
 すでに米帝は、イラク攻撃を今秋にも行う準備を完了している。8月5日、ワシントンポスト紙が暴露したところによれば、米国防総省の秘密事情説明でイラク攻撃と関連して「サウジこそ中東の悪の中核」「米国の最も危険な反対勢力」などと報告されている。イラク侵略戦争強行に反対姿勢をとるサウジアラビアにアルカイダ支援をやめよと恫喝し、それを聞かなければサウジ油田の軍事制圧と政権転覆をも示唆したのである。さらに8月9日には、ワシントンでブッシュ政権とイラク反体制派(6派)の「フセイン打倒」会合が行われた。
 これらの一連の動きは、米帝の01年版QDR戦略に基づく世界戦争計画の実施そのものである。全世界を第3次世界大戦へ突き落としていくものである。
 しかも、このイラク攻撃計画は、北朝鮮・中国侵略戦争と完全に連動している。米原子力空母リンカーン(10万d級)の8・16佐世保寄港、空母艦隊の補給艦・巡洋艦の同時期入港は、そのどちらをもにらんだものである。北朝鮮はKEDOの一定の進展のもとで米帝が迫る核査察の重圧にあえぎ、米帝の北朝鮮侵略戦争の重圧のもとにある。さらに中台関係も緊張が高まっている。
 他方で、米企業の粉飾会計問題の噴出、エンロンやワールドコムなどの倒産、米株価・ドル大暴落の開始、29年型世界大恐慌への本格的突入という事態が進展している。帝国主義の基本矛盾があらゆる面から爆発しつつあるのだ。それは帝国主義が生き残りをかけてぶつかり合い、つぶし合う以外にない情勢となっていく。この面からも米帝を始め帝国主義の危機が促進され、第3次世界大戦に向かわせているのである。
 世界史は世界大恐慌と世界戦争の過程へと完全に突入した。このことを断定した重みをしっかりととらえ、「反帝国主義・反スターリン主義世界革命の勝利へ」「帝国主義戦争を内乱へ」を現実のものとするために有事立法粉砕・自国帝国主義打倒をもって真っ向から躍り込んでいこう。
 9・22大闘争に向かって第二に訴えたいことは、有事立法(武力攻撃事態法案など3法案プラス個人情報保護法案)粉砕の正念場である今秋臨時国会決戦に猛然と突き進もうということである。
 有事立法3法案は、北朝鮮・中国に対して日帝が米帝とともに最も都合の良い時に侵略戦争を展開できる法案である。
 それを最もよく示すのは、武力攻撃事態法案の第2条(定義)で、「武力攻撃事態」とは、「武力を加えてくる主体としては、国だけではなく」(5・16政府見解)と非常に幅広い解釈をとっていること、さらに「武力攻撃(武力攻撃のおそれのある場合を含む)」に「武力攻撃が予測されるに至った事態」を加え、その段階で「武力攻撃事態」突入を宣言できるとしていることである。
 ここまで武力攻撃事態を拡大しているのはなぜか。日帝が米帝と共同して北朝鮮・中国に侵略戦争態勢をとり、北朝鮮・中国がこれに対して何らかの反応をした途端に、日帝が「予測される事態」「おそれのある事態」を宣言して侵略戦争に突入することを合法化するためなのだ。
 また、第3条(武力攻撃事態への対処に関する基本理念)は〈武力行使への突入〉という見出しを付けるのが最もふさわしい。第3条は、憲法第9条を踏みにじって日帝が戦争行為に突入することをすべての項目で規定し、国・地方公共団体・指定公共機関、国民の協力、国をあげての総力戦を規定している。
 さらに「武力行使」による「武力攻撃の排除」、「速やかな終結を図る」とは、敵を速やかに粉砕せよという断固たる武力行使宣言だ。さらに米軍と自衛隊が戦争遂行の主体として規定されている。
 また、政府は8月8日、国民保護法制について、罰則規定を明記する方針を固めたと報道された。つまり自衛隊の戦時権限を拡大することと表裏一体で強制的な私権制限を具体的に打ち出すということだ。
 7月24日、福田官房長官が衆院有事法制特別委員会で、有事における国民の権利と自由の制限について、「思想、良心、信仰の自由が制約を受けることはあり得る」との政府見解を示した。具体例として自衛隊法改悪案に盛り込んだ罰則規定に基づく制約を挙げたが、政府は国民保護法制も同じ論理で臨むことを明言しているのである。
 有事立法は北朝鮮・中国侵略戦争法である。そのために憲法の第9条という大黒柱を破壊すると同時に、基本的人権はもとより、三権分立の解体、首相権限の強化と国会や司法の無力化、地方自治の解体など、全条項が崩壊するという構造を持っているのだ。
 この北朝鮮・中国侵略戦争のための有事立法3法案を弾劾し、逐条批判に精通し、小泉の「備えあれば憂いなし」論を徹底的に論破して、職場・学園から大衆運動を巻き起こそう。

 第2章 米日が北朝鮮と中国に武力攻撃するのだ

 9・22大闘争に向かって第三に訴えたいことは、連合が有事立法に原理的賛成を打ち出した5・16見解に対して弾劾・撤回の闘いを下から広範かつ強力に展開しようということである。
 5・16連合見解こそ労働組合のナショナルセンターが帝国主義労働運動路線のもとに労働者人民を戦争へ動員する路線である。連合中央は労働組合の本来のあり方を大転換させ、一大資本攻勢に屈服し、侵略戦争翼賛に突っ走っているのだ。この連合の歴史的な大裏切りを断じて許さず、5・16連合見解弾劾・撤回運動を職場・生産点で巻き起こし、階級の深部から有事立法阻止への総決起をつくり出さなければならない。連合傘下の各単組、支部・分会では大きな分岐が生まれつつある。今こそ有事立法粉砕をめぐって労働戦線の革命的再編をかちとっていこう。
 職場で有事立法論議を始めると「有事立法反対というが、日本が攻撃されたらどうするのか」という質問が出る。ではどこの国が攻めてくるのか。北朝鮮や中国か。いったい何のために攻めてくるというのか。
 そもそも日本の自衛隊は通常戦力で米軍に次ぐ世界第2位の軍事力を持ち、その性能も米軍に続くものだ。世界第2位の経済大国であり、その国家的な兵站(へいたん)力はきわめて大きい。しかも帝国主義国家なのである。その日本を攻めるだけの巨大な軍事力・経済力を中国や北朝鮮が持っていないことは明白だ。
 ましてや、北朝鮮や中国が日本を攻めてくる理由があるのか。そんな理由は何もない。もし攻めてくるとすれば、それは米帝と日帝が北朝鮮や中国に巨大な軍事重圧をかけ、侵略戦争の牙(きば)をむき出しに構えた時に、それへの必死の反撃としてゲリラ戦などを行うということだ。
 小泉は、テロや「不審船」への対応を強調している。それは追い詰められた北朝鮮の必死の反撃を武力行使=戦争行為の口実に使うということなのだ。
 逆に、米帝や日帝こそ北朝鮮や中国に侵略戦争を強行しようとしているのだ。それを示すものこそ有事立法3法案の全条文である。
 帝国主義においては、世界は抑圧民族と被抑圧民族に分裂させられている。帝国主義は、自国の労働者人民を階級的に抑圧しつつ、同時に植民地・被抑圧民族人民を徹底的にじゅうりんしている。こうした二重の支配をもって自国の労働者人民と諸民族の支配を貫いている。帝国主義は労働者人民の支配をテコに植民地を支配し、植民地・被抑圧民族の支配をテコに帝国主義国のプロレタリアート人民を支配しているのだ。
 ゆえに、全世界の労働者階級は、抑圧民族の労働者が帝国主義的排外主義・大国主義に歴史的・社会的・文化的に汚染されていることを自覚して、これと意識的に闘うこと、帝国主義の民族抑圧に苦しむ諸民族人民の民族解放・民族自決を求める闘いを断固として支持し連帯すること、自分たちこそが帝国主義を打倒して共産主義を実現する最も根源的な解放主体・革命主体であることを鮮明にさせて立ち上がることが求められているのである。
 それに対して、連合5・16見解は、まさに労働者の階級的団結を破壊し、被抑圧民族の闘いへの排外主義をあおり、帝国主義の侵略戦争を擁護する祖国防衛主義の路線なのだ。
 反戦・平和の意識や闘いを革命的祖国敗北主義の思想・路線で打ち固め、連合を下から揺さぶり、連合傘下の労組・労働者の中から有事立法粉砕の政治闘争を全力で組織していこう。

 第3章 日共の「路線転換」と国鉄決戦の正念場

 有事立法攻撃下の一大資本攻勢との最大の攻防戦である国鉄決戦はきわめて重大な局面に突入した。
 日本共産党中央は路線的大破産に追い詰められ、「7月18日とその後の2回に分けて、国鉄闘争との関わりを持つ全国30都道府県の労働組合部長会議を開催」し、そこで「従来の4党合意依存路線では解決しないとの立場」を鮮明にし、「国鉄闘争再構築路線」を討議し「路線の転換」を行うことを決定した。(2面参照)
 この決定は、4党合意路線を推進してきた日共=反動革同に決定的な打撃を与え、混乱と動揺をもたらすものだ。さらに反動革同に依拠して機関の多数を握り、国労解体を進めてきたチャレンジや酒田一派の基盤を崩壊させることは必至だ。国鉄闘争は、今や最大最高の決戦に突入した。
 日本共産党中央は、一貫して1047人闘争の敵対者であり、裏切り者であり、闘う労働者の敵であった。国労内の日共=反動革同がチャレンジとともに行ってきた国鉄闘争解体路線は断じて許すことができない。その日共の「路線転換」は、日本共産党の労働運動路線の破産にとどまらず、「資本主義の枠内での民主的改革」路線という綱領的路線そのものの破産である。
 日共中央は、日帝の国労解体攻撃としてあった「4党合意」、「3与党声明」に完全に屈服し、1047人を切り捨てることで国鉄闘争を「解決」しようとしてきた。この闘う国鉄労働者への根底的敵対を徹底的に弾劾しなければならない。
 この日共の「路線転換」は、労働戦線での影響力の後退、全労連の危機、有事立法闘争での危機がはっきりする中での、追い詰められた結果のあがきである。
 問題は、このペテン的「路線転換」が、日共の〈カウツキー主義化しつつ帝国主義の最後の番兵化を歩む〉志位−不破体制のもとでの日共組織の大動揺と大分裂へと不可避に発展するものをはらんでいるということである。こうした大流動情勢の中で、大党派闘争へ断固突撃するということである。
 分割・民営化攻撃以降、動労千葉の闘いの地平と、その地平を基礎とした19全総以来の国鉄決戦の取り組みが、カクマル中央派とカクマルJR総連派との組織大分裂を生み出した。この闘いがついに日共をも追いつめているのである。
 今こそ、闘争団への除名処分絶対阻止、闘う国労の旗を守れ、チャレンジ打倒、反動革同打倒のスローガンを掲げ、1047人闘争−国鉄労働運動の階級的団結を固める立場で断固闘おう。まなじりを決して総決起し、代議員選挙での勝利をかちとろう。
 9・22闘争を突破口とする秋の有事立法決戦を必死になって闘い抜こう。署名運動、5・16連合見解弾劾・撤回運動、街頭、職場、学園などあらゆる地域で大衆的討論を展開し、決起をつくりだしていこう。
 9・8沖縄選挙闘争の勝利を当面の焦点とする沖縄闘争の発展をかちとろう。
 三里塚は重大な情勢に入った。空港公団新総裁・黒野が就任あいさつで、暫定滑走路を北側に300b延長すると反革命宣言したのだ。全人民の怒りで徹底弾劾し、4〜10月の6カ月決戦を闘いぬいて10・13現地闘争に総結集しよう。
 有事立法粉砕の闘いとして9・1防災訓練粉砕闘争に決起しよう。
 9・11反米ゲリラ戦争1周年を革命的に迎え、この日の小泉訪米を断固阻止し、ブッシュの世界戦争計画―イラク侵略戦争に満こうの怒りをたたきつけよ。
 超長期獄中闘争を闘う同志を全党全人民の力で奪還しよう。10万人保釈署名運動を貫徹し、必ずや保釈奪還をかちとろう。そのために1億円基金運動に総決起しよう。
 今こそ社・共に代わる労働者党を圧倒的に建設しよう。機関紙倍増闘争を軸にする党建設の原則的活動が決定的に重要だ。ファシスト・カクマルの敵対を粉砕し、今秋有事立法決戦に猛然と突撃しよう。

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週刊『前進』(2066号1面2)

 8・6ヒロシマ大行動

 ”核と戦争のない世界を”

 3000人が闘う団結の輪

 被爆から57年目を迎えた8月6日、4回目の8・6ヒロシマ大行動(主催・実行委員会)が行われ、広島県立総合体育館(小アリーナ)に広島県内外から3000人が結集した。継続審議となった有事立法の廃案へ、暑い夏を全力で闘いぬこうと誓い合う場となった。「アジア侵略、ヒロシマ・ナガサキ、オキナワをくり返すな!」「許すな有事法制! 教育基本法・憲法の改悪を阻もう!」「朝鮮・中国・パレスチナ、世界の民衆と連帯し、国際反戦行動を!」のスローガンの実現へ運動の大きな前進がかちとられた。
 高校生らのバンド演奏で盛り上がる中、正午すぎ開会が宣言された。共同代表の栗原君子さんが5月に亡くなった呼びかけ人の在日朝鮮人被爆者・朱碩(チュソク)さんを追悼し、「再び加害のヒロシマになるのか」と闘いを呼びかけた。
 「被爆者の訴え」として30年にわたって被爆医療に携わってきた医師の吉田良順さんが、「医療・福祉と戦争は絶対に相入れない」と語り、ともに地域で闘う被爆者団体「安佐北区被爆者友の会」を紹介した。高齢の女性は、「ガラスの破片がイガ栗のように刺さった」という被爆体験を語り「二度と、二度とあってはなりません」と語気を強めた。「友の会」の会長は、「戦争参加法案である有事立法を百万人署名運動の力で廃案に追い込もう」とこぶしを突き上げた。
 車イスに乗った栗原貞子さんが、自作の詩『生ましめんかな』『ヒロシマというとき』を朗読した。被爆で壊れたビルの地下室。〈「赤ん坊が生まれる」と言う…「私が産婆です。私が生ませましょう」と言ったのはさっきまでうめいていた重傷者だ…〉。朗読後、詩のモデルである小嶋和子さんが栗原さんに花束を手渡した。「あの時生まれた赤ちゃんです」と栗原さん。手を握りあう2人を参加者の大きな拍手が包み込んだ(4面に写真)。
 続いて、東京外語大学教授の藤田進さんが「パレスチナでは連日爆弾を身にまとった青年の自死が起きている。これを戦争もテロも反対と片づけることはできない」と指摘、パレスチナ人民との連帯を訴えた。
 韓国からは太平洋戦争被害者補償推進協議会の金銀植(キムウンシク)事務局長と崔鳳泰(チェボンテ)弁護士が参加した。在韓被爆者を始めとした戦争被害を放置している日本政府による非核3原則見直し発言や有事法案などに強い危機感が表明された。中国重慶からは広島訪問団4人が登壇し、「1938年から43年まで日本軍は合計9千余りの戦闘機で重慶を空爆、死傷者数は3万人余になった」と重慶大空爆の歴史事実を訴えた。連帯の思いが満場の拍手となった。
 続いて、ヒロシマ大行動共同代表の佐久川政一沖縄大学教授のメッセージが読み上げられ、沖縄闘争との連帯を拍手で確認した。
 次に、九州の闘う国労闘争団員3人が登壇し、「私たちの15年の闘いを無にする中身が4党合意だ」と批判、ともに闘うと語った。動労千葉の被解雇者は「命懸けで戦争を阻止する時が来た」と宣言した。
 闘うヒロシマから決意あふれる発言が続く。山今彰広島県教組委員長は、県教委などの弾圧と粘り強く闘う教育労働者の闘いを紹介し、「ひるむことなく最後の勝利まで闘うことが、教育基本法と憲法を守ることだ」と力強く訴えた。さらに「有事法制と靖国」と題して僧侶の小武正教さん、「基地撤去の闘い」としてピースリンク広島・呉・岩国世話人の湯浅一郎さんが軍港の動きを報告した。広島大学の学生が「自分の生き方をかけて自国政府の侵略戦争を止める」と語り、8月5日の「平和文化祭」を成功させた高校生28人が「戦争反対、原爆反対」などと書いた真っ赤なうちわで元気にアピールした。
 集会アピール(4面に掲載)を反戦被爆者の会の下田礼子さんが提案し、「アメリカの核戦争戦略に抗議し、小泉内閣の『非核三原則見直し=日本の核保有』を阻止する決議」とともに拍手で採択した。
 まとめと閉会のあいさつを共同代表の小森龍邦さんが行い、秋光民恵広島県高教組委員長の音頭で団結ガンバローを三唱した。
 とめよう戦争への道!百万人署名運動広島県連絡会の平岡誠さんの行動提起を受け、デモに出た。炎暑をはねのけ、共同代表や呼びかけ人、発言者が横断幕を持ってデモの先頭に立ち、教育労働者の大隊列が続いた。デモは県教委のある合同庁舎に行き、抗議申し入れに向かう代表団をシュプレヒコールで送り出した。デモが繁華街の本通りに進むと「戦争を繰り返すな!」「有事法案を廃案へ!」の声が街中にあふれた。
 平和記念資料館前にデモが到着後、栗原君子共同代表が「有事立法廃案へ、各地域で頑張って来年またここに結集しましょう。広島もアジアの期待を裏切ることなく頑張ります」と発言。闘いの前進と発展を期して団結を誓い合った。

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週刊『前進』(2066号2面1)

国労の旗守り1047人闘争勝利を

 日共が「路線転換」 国鉄闘争で大破綻

 闘争団圧殺の裏切りを重ねた日共中央は自己批判すべきだ

  −−−革共同中央労働者組織委員会

  『前進』 国鉄決戦特集のページへ      4党合意以降の経過

  国鉄決戦をめぐる重大な歴史的情勢が到来した。日本共産党中央委員会は、7月18日とその後の2回に分け、「国鉄闘争との関わりをもつ全国30都道府県の労働組合部長会議」を開催し、そこで「日本共産党の国鉄闘争再構築路線」なる〈国鉄闘争の路線転換〉を打ち出した(別掲資料「メモ」)。これは、「『四党合意』に依存する路線では、1047名の採用差別問題は解決しないとの立場を鮮明にする」と称して、日共中央委員会が〈4党合意依存路線〉からの転換を決定したというものである。この決定は、国労本部執行部の久保、田中、本間、さらに東日本エリアの山根、藤野、東海エリアの伊藤、西日本エリアの上村、また札幌闘争団の牧田ら、まさに「4党合意に依存」してきた日共=反動革同にすさまじい激震をもたらし、収拾のつかない亀裂・分裂を引き起こしている。日共中央と反動革同指導部との対立は間違いなく爆発する。さらにそれは、反動革同と結託することで機関の多数を握り、国労2万余の決起を抑えつけ、闘争団を踏みにじってきたチャレンジや酒田一派らの権力基盤を劇的に崩壊させずにはおかない。国鉄闘争は、闘争団を始めとする国労組合員が、反動革同とチャレンジを打倒して執行部を握ることができるのか否かをかけた、最大最高の決戦に突入した。

 反動革同の4党合意推進路線が全面破産

 この事態が物語っているのは、闘争団、JR本体組合員、支援共闘の原則的な闘いが、国労内部に巣食った権力との内通者・反動の一角をがたがたに揺さぶり、それを崩壊の危機へと追いつめたということだ。国労大会に向けての激突情勢のただ中で、反動との力関係は一変した。日共中央の思惑はどうであれ、反動革同は窮地に陥り、チャレンジも顔色を失っている。
 日共中央の「路線転換」に至る経過は、次のようなものであった。
 反動革同は、チャレンジとともに4月26日の与党3党声明に屈服し、「闘争団を除名せよ」と迫る権力の意志をそのまま体現して、5月27日の国労臨大を強行した。そこで彼らは、「次期定期大会で闘争団への統制処分を決定する」とした労働運動史上最悪の方針を押し通したのである。それは、有事立法攻撃と一体のものである国労解体攻撃を、国労内部から推進する凶悪きわまる犯罪だった。
 だが、そうした裏切りが引き出したものは、6月6日、7月11日の自民党・甘利の発言であった(本紙2061号参照)。「解決案はゼロ回答」であることが明白となるに及んで、彼らはまさに進退窮まった。
 他方で、闘争団を先頭とする闘う国労組合員の4党合意への怒りは、3与党声明によってさらに拡大した。闘争団は、鉄建公団訴訟を始めとする不屈の闘いを貫き、国家的不当労働行為を追及し続けている。
 こうした中で、反動革同の裏切りと大罪は容赦なくあぶり出され、ついにそれは不破、志位ら日共スターリン主義中央の危機へと連動する労働者階級の怒りを引き起こしたのだ。日共中央にとってそれは、労働運動へのスターリン主義的制圧力を崩壊させ、全労連の失陥にもつながりかねない事態として進行した。
 日共中央は、権力が問答無用の国労つぶし、国鉄闘争破壊攻撃にのめり込んできたこと、もはやいかなるペテンも通用しないことを突きつけられ、震え上がったのだ。4党合意に賛成する以上、闘争団除名という暴挙に自ら手を染める以外にない。だが、それは国鉄分割・民営化における松崎カクマルの裏切りにも匹敵するとてつもない不正義だ。日共中央は、労働者階級が有事立法と資本攻勢の大攻撃と必死に闘っているただ中で、ぬぐい去ることのできない裏切り者の刻印を押されることに恐怖し、ついに「路線転換」となったのだ。
 だが、日共中央の「路線転換」は、その思惑をはるかに超えて革同組織の混乱と分解を促し、国労情勢を根底から塗り替えるものになる。さらに、労働運動における日共中央の破綻(はたん)を決定的に促進し、その一層の反革命化を進めるものになるのである。
 国鉄闘争において生起したこの重大情勢は、労働者階級がスターリン主義のくびきを振り払う決定的なチャンスの到来を意味している。今こそ4党合意と3与党声明による国労解体攻撃を粉砕し、闘争団切り捨てを許さず、国労の階級的再生へ総決起することを訴える。日共スターリン主義を打倒し、労働運動の階級的再生に突き進もう。

 裏切り革同は「放心状況」に

 この日本共産党の「路線転換」の真相をつづった内部文書が明るみに出ている。「メモ」という形式をとったこの文書の内容を暴くことをとおして、さらに事態の核心を究明したい。
 「メモ」によれば、「路線転換」の内容はおおむね以下の3点に集約できる。
 (1)4党合意依存路線では1047人問題は解決しない。「労働組合運動の原点に立った路線の確立」を図る。
 (2)与党3党声明の根底的弱点を批判し、これを最大限に使い路線転換のチャンスにする。
 (3)闘争団への統制処分は、労働組合として本末転倒であり、国労の団結は実現できない。国労は大衆闘争を強めて、闘争団と話し合うべきである。
 この3点は、いかなる思惑によるものであるにせよ、国労本部や反動革同とは真っ向から対立するものとなる。4党合意の不正義は、国鉄闘争の前進によって決定的に暴かれたのだ。
 重要なのは、この「路線転換」は日本共産党中央委員会のれっきとした決定だということだ。そうである以上、日共としては、従来のように言を左右にするようなごまかしはできず、党決定としてそれを組織的に゛貫徹″しなければならない。またそうしなければならないほどに、日共中央は追いつめられたということなのだ。
 メモの〔別紙〕の項目では、「方針は、(日共)労働局から当然国労内の中央、エリアのグループには報告、説明されている」「それ以下の関係組織には徹底をはかる取り組みが行なわれている」「関係単産やナショナルセンター(全労連)の幹部などには伝えている」、さらに「路線転換の取り組みが強められていくなかで、国労内の推進派(チャレンジことだ)の分裂、脱落の動きが出てくるだろうし、また党からの離党といった『血』が流れることは考えられる」とまで書かれている。
 「メモ」は、7月27日の革同会議は「放心状況に陥った」とあけすけに述べている。反動革同指導部に「反対意見はない」としているが、彼らのこれまでの行状からすれば開き直り以外になく、確信犯を中心とした「脱党」すらありうるのだ。
 革同のこうした動向は、革同との結託によって機関を簒奪(さんだつ)してきたチャレンジ一派の権力失陥にも連動する。チャレンジユニオンへの脱走策動もまた、激化せざるをえない。東京地本・酒田一派にとっても、革同久保一派との結託によって数々の悪行を繰り返しつつ延命してきたやり方はもう通用しなくなったということだ。
 またこの結果、8月7日の中央執行委員会では、高嶋・寺内の「鉄建公団訴訟原告闘争団員の組合員資格停止」の提案に革同は反対せざるをえず、そのことにより大会日程も決められない状態に陥った。反動どもは、こうした破局的危機からの脱出をかけて「1047人問題の本部白紙委任」を唱え、闘争団除名と国労の解体に絶望的に突進する以外にない。だが、そうした策謀が、やすやすと通用することなどありえない。

 労働運動指導が崩壊 日共組織は大動揺へ

 では、国労組合員は、日共の「路線転換」に未来を託すことはできるのか。断じて否である。
 この「路線転換」は徹頭徹尾インチキであり、追いつめられた日共中央の自己保身にほかならない。スターリン主義反革命による国鉄闘争への最後的で最悪の裏切りすら、そこには準備されている。しかしそれは、労働者階級がスターリン主義の本質を見抜き、そのくびきから自らを解き放って階級的労働運動の再生に決起する合図ともなるものだ。
 前記の「メモ」は、「2000年8月の『N・S』論文は、『四党合意』から80日近くも経過してから発表された、党の基本的見解を示したものであるが、これがもっと早く出されて、それに基づいて国労が実施した『四党合意』賛否の一票投票に対して反対×の態度を明確にした運動が進められていれば、『四党合意』を否決し、今日のような事態にはなっていなかったであろう。こうした点は、労働局としての指導上の反省点である」と、ペテン的に自己批判めいたことを述べている。だが、そのすぐ後には、「ただ『四党合意』が公表された当時、党としては適切に対処するために必要な『四党合意』が生まれる詳細な経過について知らされていなかったという事情があった」と、とんでもない居直りと責任逃れの言辞を連ねている。ここに、日共中央のウソとペテンは凝縮されている。
 そもそも4党合意から80日近くも経過してからようやく見解を出すなどということ自身、日共スターリン主義の反革命性・反労働者性を示して余りある。
 彼らは、「N・S論文」があたかも4党合意に反対するものであったかのように言い、日共中央は4党合意に一貫して反対してきたかのように振る舞っている。だが、これこそ完全な居直りだ。「N・S論文」はペテン的に「具体的な中身が何もないまま、『法的責任なし』の承認をおしつけること……では問題の解決をいっそう困難にさせる」などと述べてはいた。だがそれは、国労解体攻撃に踏み込んだ4党を真正面から弾劾するものではなく、またそれに屈した国労中央を批判するものでもなかったのだ。だからこそ上村(当時副委員長)などは、むしろ「(4党合意推進は)党中央の了解ずみ」と公言していたのである。
 「解決の中身があれば、4党合意推進は正しい」というペテン的論理を反動革同に与えたのは、ほかならぬ「N・S論文」であった。解決案=ゼロ回答であることが明白であるにもかかわらず、反動革同は「4党合意に賛成すれば2千万、3千万の解決金とJR復帰がある」というでたらめを吹聴し、闘争団員に分断を持ち込み、とてつもない苦難を強いてきた。その責任は完全に日共中央にある。また、「4党合意受諾は苦渋の選択」なるごまかしの論理を蔓延(まんえん)させたのも「N・S論文」だ。それは、反動革同のみならずチャレンジどもが数々のペテンと反動的暴挙によって国労の団結を破壊してきた悪行の出発点をなしている。
 さらに、01年1・27臨大直後の2・2付『赤旗』に「N」署名の「JR採用差別問題と国労大会」なる解説を掲載し、機動隊を導入しての4党合意受諾決定を「団結の方向を示した」などと全面賛美したのは日共中央にほかならない。
 日共中央が今になって「党はもともと4党合意に反対していた」などと言おうとも、彼らが現実に4党合意賛成の立場を一貫してとってきたことはごまかせない。しかも、日共中央にとって深刻なのは、革同主流派、圧倒的多数派こそが4党合意を最先頭で推進してきたという事実である。
 そのことへの自己批判もなしに、「路線転換」や「国鉄闘争再構築」などあるはずがない。日共中央の「路線転換」は、その一点をとってもペテンであることは明白だ。有事立法攻撃のただ中で、その一環としてある国労解体攻撃と立ち向かおうともせず、むしろ国労と国鉄闘争を崩壊の寸前にまで追いやってきたのは日共中央なのだ。このことを真に自己批判するならば、日共は今すぐ解散を宣言してしかるべきだ。
 日共は今日、「『与党三党声明』の根本的弱点を批判し、これを最大限に使って路線転換のチャンスとする」「労働組合運動の原理、原則に立ち返る」などとうそぶいている。だが、自らの反階級的裏切りを総括も自己批判もしない「路線転換」は、その本質において権力・資本に対する一層の屈服路線への「転換」となることは明らかだ。
 だが、それがどのように動揺的・破綻的であろうと、日共中央の「路線転換」は革同組織の分解をもたらさずにはおかない。日共の労働運動指導は、闘う者と裏切り者を容赦なくふるいにかける国鉄決戦のただ中で決定的な破産を露呈した。もはや日共中央に労働運動を語る資格はない。反革命的裏切りを深める日共中央の労働運動支配を断ち切るべき時が到来した。国鉄闘争勝利の道はここから始まるのだ。

 チャレンジと革同の本部打倒、国労再生へ

 9・11に始まる世界史の大転換のもとで、有事立法と資本攻勢が一体となって襲いかかっている。この中で、日共スターリン主義は権力・資本へのさらなる屈服を深めている。今回の日共中央によるペテン的な「国鉄闘争の路線転換」は、有事立法におけるペテン的「反対」とまったく同じ構造をなしている。
 「資本主義の枠内での改革」を路線とし、安保も自衛隊も容認した日共には、資本攻勢や有事立法攻撃と闘うことなど断じてできない。日共が唱える「反対」は、それらの攻撃を裏から支え、推進するものでしかない。ペテン的であれ闘うポーズをとらなければ、労働者階級の日共からの離反は急速に進む。だから「反対」を口にはするが、日共にとってそれは、労働者階級の決起を根底的なところで鎮圧・圧殺するためのものなのである。
 日共の「路線転換」は、5月16日の「有事関連3法案に対する連合の見解」と一体のものだ。いずれも、有事立法情勢という巨大な激動の中で、帝国主義的労働運動とスターリン主義反革命が延命のために必死にあがいているのである。
 だが今日、労働者階級は有事立法への危機感と怒りを燃やして闘いに立ち上がっている。陸・海・空・港湾労組20団体を先頭に、全労連傘下の労働者も、日共中央の思惑を超えた根底的な決起を始めている。
 さらに、国鉄闘争を最先頭で牽引(けんいん)してきた動労千葉の闘いが、国鉄闘争の1047人闘争としての新たな発展の道を力強く切り開いている。
 こうした中で、日共の全労連支配・労働組合支配は根底から崩壊しつつある。そのため日共中央は、今回の国鉄闘争の「路線転換」決定を、7月24〜26日の全労連第20回大会前に急きょ打ち出したのだ。2年前の全労連大会(隔年で行われる)では、4党合意をめぐって大変な反乱が起こり、日共の全労連支配は一挙に危機にたたき込まれた。日共中央は、それがもっと深刻かつ全面的な形で再現されること、国鉄闘争をめぐる危機が全産別に波及して全労連の失陥に至ることに恐怖した。日共が「路線転換」の表明を迫られた直接的な原因はそこにある。
 日共は国労問題の論議を封ずることでひとまず全労連大会をのりきった。
 だが、国鉄決戦という戦場においては、日共中央が夢想するような安易なごまかしは通用しない。いかなるペテンであれ、彼らがひとたび「路線転換」を口にした以上、それは国鉄闘争の巨大な分岐と再編を引き起こす。そして、それは必ず全労働運動に波及する。
 今こそ連合の帝国主義的労働運動と日共支配下のスターリン主義労働運動を打倒し、有事立法−国鉄決戦の爆発をかちとろう。階級的労働運動の再生へ一大飛躍を実現しよう。反動革同とチャレンジの反階級的大罪を暴きつくし、徹底弾劾して、執行部から引き下ろそう。「裏切り者をたたき出せ」「闘う国労の旗を守ろう」をスローガンに国労代議員選挙に勝利しよう。闘争団の除名を許さず、闘う国労の旗を死守しよう。

〈資料〉 日本共産党の国鉄闘争再構築路線について

【メモ】

日本共産党の国鉄闘争再構築路線について
 日本共産党中央委員会は、2002年7月18日とその後の二回に分けて、国鉄闘争との関わりをもつ全国30都道府県の労働組合部長会議を開催した。そこでは2000年5月のいわゆる「四党合意」問題が表面化して以降、今日にいたる二年間の国労闘争の経過と問題点を総括的に調査、分析し、「与党三党声明」後に重大な岐路に立たされている現状認識の上に、国鉄闘争を労働組合運動の原点に立った再構築していくための基本的方向について論議を行なった。そしてさまざまな議論を通して、1047名の雇用問題の解決のためには、従来の「四党合意」依存路線では解決しないとの立場を鮮明にし、党としては「労働組合運動の原点に立った路線の確立」をめざして、職場から多くの労働者とともに全力をあげて奮闘していくことを確認したとのことである。以下は、関係者からの聞き取り内容のメモである。
《国鉄闘争再構築路線の基本的考え方と方向のポイント》
(1)「四党合意」以降二年間の教訓
 @党の「四党合意」批判論文などについて
 2000年8月の「N・S」論文は、「四党合意」から80日近くも経過してから発表された、党の基本的見解を示したものであるが、これがもっと早く出されて、それに基づいて国労が実施した「四党合意」賛否の一票投票に対して反対×の態度を明確にした運動が進められていれば、「四党合意」を否決し、今日のような事態にはなっていなかったであろう。こうした点は労働局としての指導上の反省点である。
 ただ「四党合意」が公表された当時、党としては適切に対処するために必要な「四党合意」が生まれる詳細な経過について知らされていなかったという事情があった。
 A「四党合意」受諾以降の推移と教訓
 国労の「四党合意」に依存する路線は、雇用問題の解決がまったく示されないなかで、組合内に対立が生まれ、「闘う闘争団」の結成など諸矛盾が噴出することになったのは当然である。それでも2001年1月の国労大会は「四党合意」受け入れと同時にILO勧告にそった「早期解決」の方針を決定した。
 しかし、四党は「四党合意」受け入れを決定した国労に対して、雇用問題解決の責任を何ら果たそうとしないばかりか、最高裁訴訟の取り下げや闘い続ける闘争団への組織統制強化、処分など国労に屈伏路線の実行だけを迫り続けたのである。これは国労の「四党合意」依存路線の破綻を示す以外のなにものでもない。
 B「与党三党声明」のもつ不法かつ重大性と根本的弱点
 こうした経過のなかで4月26日、国労に全面的屈伏を迫る期限を切った自民、公明、保守の「与党三党」の声明が突き付けられた。これは政府与党としての自らの責任を投げ捨て、労働組合の団結自治に対して一方的に不法、不当な要求を持ち出して、訴訟の取り下げと闘争団員の処分の実行が「解決条件」の前提条件だとしたのである。声明の根本的弱点はここにある。
 C二年間の事実経過が示す教訓
 第一は、「四党合意」に依存する路線では、1047名の採用差別問題は解決しないということである。
 第二は、労働組合運動を前進させるためには、要求で団結し、資本と闘うことを抜きにしては考えられないということである。これは労働組合の原点に立った路線の確立の重要性が改めて浮き彫りになったことである。
 D国鉄闘争の労働組合運動の原点に立った路線の再構築の方向
 採用差別問題解決の展望を切り開く闘争の基本は何か。それはこれまでの「四党合意」依存路線ではなく、採用差別における不当労働行為に対する対政府闘争をはじめとする大衆闘争を広範な国民世論を結集して粘り強く展開することである。
 E路線の転換を実践的に図ることのポイント
 第一に、団結自治への不法、不当介入の「与党三党声明」の根本的弱点を批判し、これを最大限に使ってこれを路線転換のチャンスとすることが必要である。この取り組みでは「四党合意」に賛成した者、闘いの展望を見い出せないでいる者を含めて多数者の支持による転換をかちとることが可能となるであろう。
 第二に、不当労働行為に対する対政府闘争を強化し、国民世論を結集すること。そうしたなかで、「四党合意」以降の国労の混乱のなかで、闘争支援の組織や労働者の間に生じた分散状況を克服して民主勢力の連帯、支援の再構築を可能とするであろう。
 第三に、国労は、救済訴訟をおこし、雇用問題の解決をめざしている組合員を査問に付し、大会で統制処分を行なおうとしているが、これは労働組合として本末転倒というべきであり、こうしたことで国労の団結を実現させることなど出来るものではない。国労が労働組合としてとるべき道は、労働組合運動の原理、原則に立ち返って闘いの路線を転換させ、雇用問題の解決をめざす大衆闘争を強めるなかで、まず闘争団との話し合いを行なうことである。
 第四に、「四党合意」に基づき国労に屈伏のみを迫り、解決への政治的責任を果たそうとしなかった四党に対して厳しくその責任を追求すると同時に、これまで確認し堅持してきた雇用問題の解決要求の実現を強めることである。この闘いから手を引き、「与党三党声明」に屈伏する道を歩むならば、さらに追い打ちをかけられるであろう。
 第五に、以上のような路線の転換は、何よりも職場における論議を深め、発展させるなかで実現させていくことが重要である。例えば、職場で「与党三党声明」をめぐる討議を通して「三党声明に異議あり」といった決議を広げ、そうした運動を積み上げて、10月大会に反映させていくといった取り組みなどが考えられる。
 F当面の「合理化」反対闘争の思い切った組織化と採用差別反対闘争との結合
 JR各社で現在進められている多種多様な「合理化」攻撃の特徴は、公共性と安全性が無視されているところにあり、その厳しさから国労のみだけでなくJR連合、JR総連など各労組もそれに対する要求を掲げて運動を進めている。こうしたなかで、JRで働く全労働者の共通要求を掲げて闘い、職場のルールを確立して公共交通の確立をめざす「合理化」反対の闘いを思い切って組織化していくことが必要がある。
 そうした要求として重視する必要があるのは、安全問題では、要員協定の締結、長時間過密労働の規制、不払いサービス残業の是正、配転、出向、応援等人事移動における本人同意の確立など、賃金問題では、賃金の底上げと企業間格差の是正などがある。
 職場において「合理化」反対闘争をどのように創造的に組織化していくかについては、いろいろの角度から経験と知恵を出しあいみんなで研究していくことが必要であろう。
 そしてこの「合理化」反対闘争と採用差別反対闘争を結合して進めていくことが重要であることはいうまでもない。
 G党勢拡大
 政党として重要なJR職場における党勢の拡大は、以上のように国鉄闘争をきちっと原点に立って積極的に進めていくとき前進していくと考える。
 以上

【別紙】

 @この討議の過程ではいろいろの意見が出され、そのなかから確認されたものであることはいうまでもない。
 A確認された国鉄闘争の認識と今後の方向に関する方針は、労働局から当然国労内の中央、エリアのグループには報告、説明されている。これまでの国労方針の推進に深く関わってきて、反対派と長く対立してきただけに、いろいろの意見があり状況は単純ではないが、そうしたなかでもグループにも党の提起の方向に対する「反対意見」はない。
 7月27日の国労革同の会議の模様は聞いているが、方針を持てないなかでは、あのような放心状況に陥り、四党に未だ可能性ありなどと受けとめ、こだわり、社民党OBの動きに引っ張られることになるのだろう。
 B現在、都道府県レベルを通して、それ以下の関係組織には徹底をはかる取り組みが行なわれている。国労大会の代議員選挙を前進させるためにも、職場レベルでの意思統一は特に重視されなければならない。この分野の取り組みに全力をあげている。
 C路線転換の取り組みが強められていくなかで、国労内の推進派の分裂、脱落の動きが出てくるだろうし、また党からの離党といった「血」が流れることは考えられる。
 D基本的な考え方や路線のポイントなどは関係単産やナショナルセンターの幹部などには伝えているが、国会関係者も含めて、国労状況を見て順次説明していく。
 E「与党三党声明」については、党自体『しんぶん赤旗』でも一般的に知らされていないなかで、それへの批判、反対の重要性が強調されているが、そのためには適切な時期に解説論文を発表することが必要である―との意見は重要な意義あるものとして考慮したい。

 四党合意以降の経過

00年
5月30日
4党合意の締結
7月1日
第66回臨時大会 4党合意受諾の決定を阻む
8月19、20日
 『赤旗』にN・S論文
8月26日
続開大会
9月26〜29日
一票投票の実施
10月28、29日
第67回定期大会
01年
1月27日
続開大会 機動隊を導入して4党合意受諾決定を強行
2月2日
『赤旗』N署名の解説で「団結の方向を示した」と評価
4月26日
闘争団が採用差別事件で最高裁に訴訟参加申し立て
10月13、14日
第68回定期大会
12月24日
チャレンジが分裂組合
12月26日
国労本部が大阪・岡山の採用差別事件につき上告放棄
02年
1月28日
闘争団が鉄建公団訴訟
2月3日
第172回中央委員会 闘争団への査問委設置を決定
4月26日
与党3党声明
5月27日
第69回臨時大会 次期大会で闘争団を統制処分に付すと決める
6月6日
甘利が記者会見で国労本部に闘争団の除名を強要
7月11日
甘利が「ゼロ回答」明言

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週刊『前進』(2066号3面1)

 8・4東京革共同集会 天田書記長が大号令

 この一年間決戦が勝負

 有事立法粉砕へ総決起誓う

 8月4日、東京・目黒公会堂で革共同政治集会が開催され、970人が結集し大成功した。集会は警視庁公安部の240人もの公安刑事による会場包囲の大弾圧を粉砕し、ここ数年来の最大結集としてかちとられた。会場ロビーにはパレスチナと南朝鮮・韓国の闘う労働者人民の写真パネルが張り出され、自国帝国主義打倒への決意をかき立てた。天田三紀夫書記長の基調報告を軸に、全党が一丸となって今秋有事立法−国鉄決戦に突入することを誓い合う画歴史的な集会となった。

 報告に大拍手

 今秋有事立法決戦への大号令を発した天田書記長の基調報告は、三里塚反対同盟を始め来賓の方々へ、ともに闘う決意を熱烈に表明することから始まった。
 天田書記長は、第一に、有事立法粉砕決戦を戦後史のすべてをかけた大決戦として、党の根底的飛躍をかけて闘う戦闘宣言を発した。そして、北朝鮮・中国侵略戦争法である有事立法粉砕の決戦を戦後史上最大・最高の政治決戦として、これからの一年間を徹底的に闘うことを熱烈に訴えた。この一年間の決戦に党と革命運動の勝敗がかかっているのだ。
 そして、その前提として、世界史が世界大恐慌と第3次大戦過程へ突入したこと、そのことを革共同が断定したことの重さを真っ正面から提起した。さらに、その実践的な帰結とは何かと問いかけ、それは、革命的祖国敗北主義のもとで自国帝国主義打倒の闘いに決起し、革命に勝利することが待ったなしに求められていること、そのためには今までのわれわれのあり方の一切合切を変革し、新たな時代に必死になって対応しなければならないと、全党員の奮起を促した。
 第二に、有事立法3法案が三つにして一つの北朝鮮・中国侵略戦争法案であることを、逐条的に明らかにし、この逐条批判をもって労働者階級人民の根こそぎの総決起を実現することを訴えた。全参加者はこの提起に万雷の拍手でこたえ、逐条批判を自らのものにする決意を固めた。
 天田書記長は、武力攻撃事態法第二条の「おそれ」と「予測」の概念導入のでたらめさを「武力攻撃事態に関する政府見解」を具体的に引用して批判した。
 その上で、「個人情報保護法案」が有事立法第4法案ともいえる内容であることを暴露した。
 第三に、29年型世界大恐慌の過程に突入したことの重さと、それに対応した国際的内乱の不可避性を明らかにした。9・11−10・7情勢の中、米帝のイラク侵略戦争の切迫と、そのもとでの名護への普天間基地移設攻撃は、名護基地をめぐる大決戦の開始であることを明らかにした。
 第四に、今秋有事立法闘争へ巨万人民の決起をかちとるための具体的方針を提起し、8・16米原子力空母エイブラハム・リンカーン佐世保入港阻止闘争を突破口に闘おうと呼びかけた。
 さらに、有事立法攻撃と一体の一大資本攻勢に国鉄決戦を基軸に反撃し、11月労働者集会の成功に向かって奮闘することを訴えた。
 とりわけ世界戦争情勢下でさらに激烈な攻防に突入した国鉄決戦の重大性を提起し、与党3党声明を受け入れた国労5・27臨大と、有事立法に賛成した連合5・16見解が、二つにして一つの労働組合による戦後労働運動史上最悪の大裏切りであることを暴露、連合中央を打倒して職場からの根こそぎの総決起を実現しようと熱烈に訴えた。
 さらに「北朝鮮・中国侵略戦争はない」と叫び、有事立法闘争に敵対する反革命カクマル打倒の展望を提起した。カクマルの大分裂をかちとった地平をふまえ最後的に粉々に解体・一掃しようと熱烈に訴えた。
 第五に、世界革命を担う前衛党の建設を提起し、実践的結論が党勢倍増闘争であることを提起した。党中央を先頭に全党員の命がけの飛躍を訴える画歴史的な基調報告が満場の大拍手で確認された。

 三里塚、国鉄、獄中奪還へ

 集会は最初に、「2002年春〜夏の激闘−開始された有事立法決戦」と題する前半戦の激戦激闘を描いたビデオが大きなスクリーン一杯に大迫力で上映され、雰囲気を盛り上げた。
 続いて有事立法攻撃下で情勢が激変した三里塚から駆けつけた反対同盟の北原鉱治事務局長、萩原進事務局次長、敷地内の市東孝雄さん、木内秀次さん、伊藤信晴さんが登壇し、会場は一気に熱気に包まれた。
 北原さんは57年前の第2次世界大戦を想起することを訴えて有事立法決戦への決意を語り、三里塚が37年間、反戦・反核闘争の砦(とりで)として闘い抜いてきたことを強調した。
 萩原さんは、「暫定滑走路攻撃を空爆だと言ったが大げさではない」と、騒音地獄の現実を暴露し、三里塚から見れば有事立法の先取りとして民有地接収の攻撃が始まっており、暫定滑走路北側延長攻撃に対して「来るなら来い」と徹底的に闘い抜く決意を語った。
 さらに、北富士忍草母の会からの「入会権を抹殺する有事立法に反対し国会座り込み、演習場前での座り込みを行ってきた」とのアピールが読み上げられた。
 部落解放同盟全国連合会中央執行委員の小林あや子さんは、狭山差別裁判糾弾闘争を基軸に、本部派に取って代わる全国連5万人建設の闘いに決起し、有事立法闘争を全力で闘うことを決意表明し、10・27狭山闘争総決起を呼びかけた。
 沖縄民権の会代表の座覇光子さんは、有事法制攻撃下でこそ基地労働者の闘いと米軍基地撤去闘争との連帯が重要であると提起し、古波津英興さんの闘いから学び、歴史に責任をとろうと呼びかけた。
 全力で獄中同志を奪還しようと、革共同救対部の3人の同志が発言した。
 まず星野文昭同志奪還の訴えが行われ、昨年12月の革共同集会で打ち固めた獄中同志奪還の決意で、家族の闘いに学び、10万人署名に総決起をと訴えられた。
 続いて、迎賓館・横田爆取4同志奪還の訴えが行われた。須賀武敏同志、十亀弘史同志、板垣宏同志が16回目、福島昌男同志が10回目の夏に立ち向かっており、この長期未決勾留は権力犯罪だ、9月に新たな保釈要求を提出する、として10万人署名の実現が呼びかけられた。
 3番目に、まったく無実であるにもかかわらず不当逮捕されて2年目の酷暑を迎える水嶋秀樹同志の無罪判決をかちとり、最高裁での闘いを貫いている神藤猛雄同志の無罪確定と、私文書弾圧のM同志の奪還を実現することが訴えられた。

 産別から発言

 いよいよ、各産別の労働者からの発言だ。
 まず、国鉄戦線を代表して国労の闘う労働者が発言し、春闘ストライキを引き継いで闘う動労千葉との連帯と、正念場中の正念場に突入した国鉄決戦で、国労中央の闘争団切り捨て策動を許さず、代議員選勝利の闘いに全国で突入し、国労大会に向けて闘い抜くことを決意表明した。
 続いて全逓の闘う労働者が発言し、700万労働者を組織する連合が有事立法に賛成した5・16見解に危機感を表明、同時にその弱点が傘下の労働者の断固反対にあることを暴露し、弱点を突きまくって有事法制反対と資本攻勢反対を結合し、連合支配を食い破って下からの根こそぎの決起を実現する決意を語った。
 3番目に闘う教育労働者が有事立法決戦への決意と「日の丸・君が代」闘争の獲得地平を報告した。特に、自らの「日の丸・君が代」闘争への決起によってともに立ち上がる仲間が次々と生まれたこと、職場に風穴をあけ、「解放区」にする闘いを実現していることを生き生きと報告した。
 産別報告の最後に自治労の闘う労働者が発言し、6・16の6万人集会を頂点に20労組陣形に参加して闘ってきた今春有事立法粉砕闘争の地平と、自治労中央の有事立法賛成を鋭く弾劾し、全国に20労組的闘いを広げ、連合・全労連をのりこえて党建設を死活的に推し進める決意を表明した。
 ここで決意表明に移った。最初に民間の闘う青年労働者がマル青労同再建の決意を鮮明に語った。青年労働者にマルクス主義・レーニン主義を持ち込み、獲得していくこと、反革命カクマルを打倒・一掃して3・14復讐戦を貫徹することを力強く訴えた。
 続いて、全国沖縄青年委員会の新城峯子委員長が決意表明。臨戦態勢下にある沖縄の現実を明らかにし、9・8沖縄地方選必勝と、有事立法粉砕闘争への決意を明らかにした。
 全体の最後を全学連の決意表明が締めくくった。大山尚行委員長は、全学連が実力闘争を爆発させ、逮捕・流血をおそれず秋の闘いの最先頭に立つことを決意表明した。さらに「連帯し侵略を内乱へ」を貫く学生運動の爆発と国会闘争で、労働者階級全体の国会包囲闘争実現の展望をこじ開ける決意を明らかにし、9・22闘争への総決起を訴えた。
 鮮明な決意表明を全体の圧倒的な拍手で確認。最後に、全員でインターナショナルを力強く斉唱した。戦後最大の政治決戦としての有事立法決戦の爆発を全党一丸となってかちとることを誓い合った。

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週刊『前進』(2066号3面2)

 8・6千葉 成田高速アクセス 役員宅に爆破戦闘

 県・堂本の農民圧殺に鉄槌

 完全空港化の暴挙許さぬ

 革命軍軍報

 革命軍は三里塚闘争勝利へ戦略的価値絶大な戦闘を貫徹し、以下の軍報を発表した。
 8月6日、わが革命軍は千葉市緑区鎌取町118の8、「成田高速鉄道アクセス」監査役、佐藤厳宅に対する爆破攻撃を敢行した。
 この戦闘は、日帝・空港公団と千葉県が4・18暫定滑走路開港を強行し、殺人的な騒音・ジェット噴射で三里塚・敷地内農民の生活を破壊し、さらに北側300b延長をもって農民のたたき出しを策動していることに対する怒りの鉄槌である。革命軍は、農民たたき出しを狙う極悪非道の策動を絶対に許さない。
 革命軍戦士は、敷地内農民への熱い連帯の気持ちと公団・県当局への激しい怒りをもってこの戦闘に決起した。必ず勝利する万全の作戦計画を立てて出撃し、計画どおりに佐藤宅に爆破装置をセットした。午前3時20分、装置は大音響をたてて佐藤宅の車庫と乗用車を爆破した。戦闘は断固貫徹され、勝利したのだ。すでにこの時、革命軍戦士は撤収を完了しており、日帝権力にどのようなデッチあげ弾圧の口実も与えない戦闘として闘い抜かれた。
 佐藤厳は、堂本知事のもとで千葉県幹部を務めた後、今年4月に千葉県や空港公団が出資してつくった第3セクター「成田高速鉄道アクセス」の初代監査役に就いた人物である。佐藤自身が「警戒はしていたが」と言っているとおり、農民圧殺の張本人であり、鉄槌が下されて当然の人物である。
 8・6戦闘は、何よりも第一に、4・18「暫定」開港と、その後の滑走路延長策動をもってする敷地内農民圧殺、農地強奪策動に対する怒りの反撃である。
 日帝権力・空港公団と千葉県当局はこれまで、あらゆる卑劣な暴力的手段で敷地内農民に屈服を迫り、追放を策動してきた。このために「ワールドカップのため」などと大うそをついて暫定滑走路を着工し、「軒先まで工事を進める」(公団総裁)と公言して農民の追い出しを狙ってきた。だが、敷地内農民はこの国家暴力に断じて屈しなかった。この農民たちに対して4・18開港後、彼らはさらに攻撃を強め、警察の日常的な監視・検問と暴力を繰り返し、ジェット機による殺人的騒音とジェット噴射、振動、大気汚染をまき散らして迫害を続けている。
 こんな暴虐をどうして許せるか! 敷地内農民のみならず、全国の労働者人民が「農民圧殺の暴挙をやめよ」と抗議の声を上げているにもかかわらず、彼らは攻撃を続けているのだ。
 日帝・国土交通省、公団、千葉県が農民への攻撃を続ける限り、革命軍は徹底的・永続的に攻撃を継続することを宣言する。
 8・6戦闘は、第二に、成田新高速鉄道に対する怒りの戦闘である。「都心と成田空港を30分台で結ぶ」と宣伝して計画が進められている成田新高速鉄道は、暫定滑走路の延長=B滑走路完成による完全空港化と一体のものである。日帝は、都心と結ぶ新たなアクセスを完成させて、「便利」さを売り物にして、完全空港化を進めようとしている。成田新高速鉄道は、農民圧殺そのものだ。
 われわれは、成田新高速鉄道を絶対に許さない。「05年度着工、10年度開業」を掲げる建設工事の全過程と、工事に関わるすべての関係者、機関、企業を革命軍の攻撃対象とする。
 8・6戦闘は、第三に、千葉県当局とりわけ知事・堂本に対する怒りの戦闘である。堂本は歴代の千葉県知事の中でも、最も悪質で許し難い人物である。堂本は積極的・能動的に「成田空港の完全空港化」を提唱し推進している。農民をたたき出し、B滑走路を完成させるために立ち回っている。そのために地元業者や周辺自治体をかき集めて今年1月、「2500b平行滑走路の実現」をめざす「魅力ある成田空港推進協議会」を発足させ、その会長におさまった。さらに「成田高速鉄道アクセス」を4月に発足させ、その取締役会長に就任した。そして、佐藤厳を常勤の監査役として送り込んだのだ。
 そればかりではない。堂本は、革命軍の戦闘で長期の解体状況にある千葉県収用委員会について、「このままにしておくつもりはない」と、JR常磐新線の建設を口実として「再建」を公言している。収用委を再建し、むきだしの国家暴力、機動隊暴力を発動して、敷地内農民から家と土地を奪い去ろうとしている。
 堂本知事による、三里塚農民圧殺のための収用委員会再建策動を絶対に許すな! 千葉県よ、堂本知事よ。88年9・21戦闘(千葉県収用委会長せん滅)を忘れるな! 三里塚闘争36年間の歴史は、農民と労働者・学生が受けたおびただしい負傷・迫害・虐殺に対して、断固たる反撃でこたえてきた〈血で刻まれた歴史〉なのだ。革命軍は、あらゆる手段で収用委再建策動を粉砕する。
 そして8・6戦闘は第四に、日帝・小泉政権による北朝鮮・中国侵略戦争法=有事3法案の制定策動に対する断固たる反撃の闘いである。日帝は、有事立法制定によって、全国の空港や港を基地化し、すべての労働者人民を朝鮮・中国−アジア人民を虐殺する侵略戦争に強制的に協力させ、動員しようとしている。有事法で三里塚農民の農地・家屋を強制収用し、成田空港を軍事基地化することを狙っている。絶対に許してはならない。
 革命軍は有事3法案阻止の今秋決戦に総決起し、「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の闘いを最先頭で推し進める決意である。
 すべての労働者人民の皆さん! 同志諸君! ともに闘おう。
 2002年8月6日
 革命軍

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週刊『前進』(2066号3面3)

失業労働者の団結へ 被災地・神戸からの報告  (1)

 有事立法攻撃下の反失業闘争

 組織化する路線を確立

 7年前の1995年に阪神大震災の被災地・神戸で、被災した失業労働者の救援運動をもって開始された失業労働者組織化の闘いは、苦闘に満ちた闘いであった。有事立法と大失業攻撃に直面した今日こそ、本格的な地域合同労働組合の闘いに発展している被災地・神戸の闘いに学び、階級的労働運動の復権へと闘うことが求められている。関西合同労組被災地現地闘争本部と、被災地で闘う人びとからの報告をシリーズで紹介する。(編集局)

 失業者の怒りは爆発寸前だ

 今年5月の完全失業者数は375万人で、完全失業率は5・4%に達した。就職をあきらめた中高年失業者を加えると失業者は500万人とも言われており、有効求人倍率は0・53倍で職安に押しかける失業労働者の半数にしか求人がない状態だ。再就職の道も厳しく、パートや派遣でしか就職できず、今や雇用労働者の29%が不安定雇用労働者化している。
 この膨大な失業労働者の不安や怒りがどれほど巨大なものか。連合や全労連など既成の労働組合が何ひとつ支援も組織化もしない中、一人ひとりバラバラにされて路頭に放り出されている失業労働者の、闘う労働組合運動への期待はますます増大している。この期待にこたえることは急務であり、これにこたえられない時にファシズムによる組織化を許すことになる。
 日帝・小泉は、有事立法攻撃の一環として「外への侵略戦争」と同時に「内への階級戦争」として、労働者支配の転換をかけて戦闘的労働運動の圧殺と、労働者階級総体の不安定雇用化=終身雇用制の解体、低賃金社会化への攻撃をしかけ、労働者の戦争動員をとおした戦時体制突入を狙っている。そのために闘う労働組合の一掃を狙って国鉄労働組合と、闘う闘争団を解体しようとする大攻撃を加えているのだ。国鉄1047人闘争、国労闘争団の解雇撤回・原職復帰闘争の勝利を突破口に、今こそ帝国主義を打倒する労働者階級の闘いの一角を担う階級的な失業労働者の巨大な隊列をつくりださなければならない。組織労働者と未組織労働者、失業労働者の団結をつくり上げよう。被災地の失業労働者組織化の7年間の闘いは、その端緒をなしている。

 雇用保険廃止の攻撃強まる

 日帝・小泉の有事立法攻撃は侵略戦争を行うための攻撃である。これと一体で大恐慌にあえぐ日帝・資本による一大資本攻勢、大失業攻撃が加えられている。
 日帝は、大失業攻撃の結果である「雇用保険財政の逼迫(ひっぱく)」を理由に、戦後失業保険制度の廃止を狙った攻撃にのり出している。保険料の値上げだけでなく、次期通常国会での給付制限や特例制度の廃止を狙っている。さらに失業認定を厳格にして給付制限や支給打ち切り、「不正受給」への厳罰化などを強行しようとしている。資本主義が失業労働者を食わせることができなくなっているということだ。増大する失業労働者の不安と怒りの爆発は不可避である。
 労働者階級にとって大失業問題とは、生きる権利を奪われるという根底的問題であり、階級的労働運動の働きかけがあるならば、資本主義の限界とその打倒の必要性を自覚する契機となる決定的事態である。失業労働者の階級的組織化の闘いは、戦時と戦後のプロレタリア革命にとって戦略的な課題なのだ。雇用保険打ち切り攻撃はこのことを鋭く示している。
 阪神被災地の関西合同労組成友印刷分会にかけられた大弾圧は見事にはねかえされた。この弾圧は、倒産争議を闘う組合がかちとってきた失業手当仮給付の廃止を狙って、警察権力と職業安定所が一体となって「不正受給」刑事事件をデッチあげた大弾圧であり、争議闘争をも一掃しようとする大攻撃であった。それと同時に、戦時下での労働運動圧殺攻撃である。

 労働権を掲げ失対事業要求

 400万とも500万とも言われる失業労働者は今、組織的な結集も労働者的な団結の方法もなく個々バラバラにされ、失業が個人の責任や力量の問題であるかのように言う権力・資本の世論操作の中で、怒りをためながら必死に生き抜いている。賃金が半額になり不安定雇用の理不尽さに憤りながら、闘う労働運動の呼びかけを待っている。
 われわれが、失業労働者と結合していくためには、運動の側に明日の仕事を確保する力と闘いを持たなければならない。そうでないと、中長期の団結を確保することができないという困難さが横たわっている。
 戦後労働運動の戦闘的爆発を切り開いた全日本自由労働組合(全日自労)は、国による失業対策事業を開始させ、職安を雇用主とする就労事業に就労することを基礎にして労働組合的団結をつくりだして闘いぬき、失業対策事業開始と失業保険制度確立に勝利したことで知られている。日帝は制度確立を認めざるを得なかったのである。
 ところが、全日自労は、国による失業対策事業打ち切りが本格化した70年代以降、攻撃に屈服して地域事業団や高齢者事業団、労働者供給事業などに転換を図る部分が発生し、失業労働者の大団結を維持できず、内部腐敗を深め、今日の大失業攻撃に有効な闘いを組織できなくなっている。
 階級的な失業労働者の大運動にとって、いかなる要求のもとに団結をつくりだすのかという戦略方針が問われている。それは、全日自労の闘いの教訓に学び、労働者として根源的な働く権利、生きる権利を要求し、戦後憲法で保障された労働権を掲げて、国と行政と資本家団体に失業対策事業の再開を要求して闘う道である。
 失業対策事業への就労を基礎に組合的団結をつくりだし、闘う労働組合とともに戦争反対・失業反対の階級的労働組合へと飛躍していく闘いである。その苦闘の中で労働者企業組合や労働者供給事業などの実践活動も広め、闘う拠点をつくり上げていく闘いである。
 被災地の反失業闘争は、その7年間の試行錯誤と苦闘をとおして、このような階級的な失業労働者組織化の路線を確立してきた。被災地の闘いを防衛し引き継ぎ、階級的労働運動の前進へ転化しよう。
 そのためには、失業労働者の不安と生活の実態や、彼らはどのような要求をもって闘おうとしているのか、リストラ解雇された人びと、定年退職後の中高年労働者たちはどうやって生き抜いているのか、パートや派遣や不安定雇用の労働者の苦闘などを知らなければならない。次回から阪神大震災下の被災失業者の実態と組織化の教訓を明らかにすることで、これらの点に肉薄していきたい。
 (投稿/落合良雄)

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週刊『前進』(2066号4面1)

 8・6−8・9全国統一実 ”小泉帰れ”被爆地の怒り

 有事法阻止へ連続闘争

 被爆から57年、米帝ブッシュの核先制攻撃宣言、日帝・小泉政権による有事法・核武装化攻撃に反撃する闘いが爆発した。「再びヒロシマ・ナガサキをくり返すのか!」――街中に充満した怒りの最先頭で8・6広島−8・9長崎反戦反核闘争全国統一実行委員会は、広島、長崎での小泉の祈念式典出席を弾劾し、実力デモに立ち上がった。6日朝、広島では全学連、全国被爆者青年同盟が機動隊と激突、突破して平和公園に迫った。午前中には二つの集会をかちとり、同時に紙屋町交差点で街頭宣伝を展開、正午からの8・6ヒロシマ大行動に参加した。さらに8・8長崎集会、8・9祈念式典弾劾デモを闘いぬいた。秋の有事立法決戦の展望を切り開いた。

 式典会場へ実力デモ 全学連 機動隊の壁破る

 6日午前7時半、全国統一実行委員会は、広島市・東千田公園から侵略翼賛の祈念式典に出席する小泉首相を糾弾する早朝デモに決起した。
 「小泉は帰れ! 被爆者の英霊化を許さないぞ!」「有事立法粉砕!」――午前8時10分、全学連と被爆者青年同盟を先頭とするデモ隊350人は、平和公園に向かう人波であふれる白髪神社前交差点に差しかかった。その瞬間、デモ指揮者の「いくぞ!」の掛け声とともに、全学連と被爆者青年同盟のデモ隊はスクラムも固く、電車通りを席巻するジグザグデモを開始した。後方のデモ隊からは、侵略翼賛の祈念式典糾弾・小泉首相出席弾劾のシュプレヒコールが響き渡り、実力デモに決起した仲間を激励した。
 慌てふためいた広島県警は、機動隊の壁をつくりなんとかジグザグデモを規制しようとするが、一瞬のうちに粉砕された。平和公園入り口を警備していた機動隊も動員されるが、デモ隊の勢いに圧倒され、まったく対応できない。全学連と被青同は、有事法制の制定をたくらむ小泉の来広を糾弾する実力デモを断固として貫徹した。
 原爆が投下された時刻である8時15分、全国統一実のデモ隊は、元安川東岸から対岸の平和公園に向けて、有事立法粉砕・日本の核武装阻止・小泉戦争内閣打倒のシュプレヒコールをたたきつけ、原爆ドーム前までのデモを貫徹した。沿道でデモ隊とともにシュプレヒコールをあげる青年労働者や、デモに合流する若者たちも。8・6ヒロシマは怒りの街と化した。

 被青同と解同全国連が集会 

 「被爆57周年 有事立法阻止! 被爆者解放! 狭山再審勝利! 8・6ヒロシマ総決起集会」が6日午前、広島市内で開かれた。部落解放同盟全国連合会、反戦被爆者の会、全国被爆者青年同盟が主催し、120人が集まった。
 解同全国連広島支部の三浦文夫支部長は自らの被爆体験から有事法制反対を語り、被青同の友野幽委員長が「小泉は被爆者の怒りを恐れ被爆者との会合をボイコットした」と弾劾、反戦被爆者の会の大槻泰生会長は「有事立法は国家総動員法そのもの」と訴えた。全国連の中田潔書記長が「差別糾弾闘争を解体する人権擁護法案を有事立法とともに阻止しよう」と提起した。
 全国連広島支部の金平通雄書記長が基調報告を行い「今秋、有事立法制定を絶対阻止し、人権擁護法案阻止、狭山10万人決起へ闘おう」と力強く訴えた。高校生、中学生も発言、団結ガンバローを行った。

 ヒロシマ学生集会かちとる

 6日午前に開かれた8・6ヒロシマ全国学生集会には、全国から100人余の学生が集まり、反戦被爆者の会の大槻会長から被爆体験を聞き、二度と侵略の銃はとらないと誓い合った。広島大学の学生が、今こそ帝国主義の新たな世界戦争−核戦争と対決し、有事立法を廃案に追い込もうと基調を提起。大山尚行全学連委員長の行動提起を受け、闘いの決意は高まった。

 被爆者英霊化許さぬ 爆心地に向けデモ

 8・9長崎反戦闘争は、午前10時から浦上天主堂下の天主公園で全国統一実行委員会主催の集会を開き、約100人が小泉の式典出席を弾劾する怒りのデモに決起した。
 デモは祈念式典が行われている平和公園のすぐ近くを通った。「小泉の式典出席弾劾! 有事立法粉砕!」のシュプレヒコールがひときわ高く響き、被爆地・長崎の怒りが小泉を直撃した。午前11時2分、原爆の投下時間だ。その時、デモは爆心地公園前を通過した。立ち止まって爆心地に向けシュプレヒコール。それは「今は黙とうしている時ではない。怒りを込めて有事立法を阻止しよう」という呼びかけとなって、原水禁大会参加者や長崎市民の共感を集めた。
 デモに先立つ決起集会の冒頭、全国被爆者青年同盟の友野幽委員長が「被爆者の英霊化を狙う小泉の式典出席を弾劾し、有事立法粉砕決戦そのものとして今日のデモに立とう」と特別アピールを発した。もうひとつの特別アピールを部落解放同盟全国連合会が行い、「狭山差別裁判を押し通して戦争と差別の攻撃を強める国家権力を徹底糾弾し、有事立法粉砕決戦への300万部落民の総決起をかちとる」と宣言した。
 九州大学学生自治会が「本日の長崎反戦闘争で日帝の侵略戦争を絶対に阻止する決意を固め、秋の臨時国会−有事立法決戦の突破口を開こう」と全面的に基調を提起した。特に「米空母リンカーンの佐世保寄港阻止の8・16佐世保現地闘争、9・22有事立法粉砕闘争に決起しよう」と総決起を呼びかけた。
 全国の学生が次々に決意表明、さらに動労千葉とス労自主が決意を述べた。

 8・9長崎反戦集会 ”侵略の歴史くり返すな”

 全国統一実行委員会が主催する「ヒロシマ・ナガサキ、オキナワを忘れたのか? 戦争法=有事立法絶対粉砕! 被爆57周年8・8長崎反戦集会」が8月8日午後5時から長崎県勤労福祉会館大ホールで行われ、200人が参加し、絶対廃案の決意を固めた。
 全国統一実行委の入江史郎さんが「今日の闘いを突破口に有事立法廃案への闘いのうねりをつくりだそう」と主催者あいさつした。
 続いて「とめよう戦争への道! 百万人署名運動」呼びかけ人で福岡県連絡会の世話人である梶村晃さん、反戦共同行動・福岡代表の石崎昭哲さん、部落解放同盟全国連合会の村上久義副委員長が連帯のあいさつを述べた。
 梶村さんは「すでに戦争に突入していることをはっきりと認識すべきだ。もっとリアルな危機感を持とう」と警鐘を鳴らした。石崎さんは「有事立法を廃案に追い込み、2度と出せない状況をつくろう」と訴えた。村上さんは「今年の8月9日で最高裁の狭山上告棄却から25年目になる。特別抗告審闘争の勝利をかちとる。有事立法と人権擁護法案の廃案へ全力で闘う」と宣言した。
 元沖縄県教組委員長の石川元平さんが沖縄戦の実態を具体的に話し、全参加者の胸を打った。石川さんは「自民党の石破茂衆院議員が沖縄戦を引き合いに出して『国民保護法制があれば犠牲は少なかった』と言うのはデマだ」と有事立法攻撃を弾劾し、9月沖縄地方選などへの連帯を呼びかけた。
 国労小倉地区闘争団日豊オルグ班が「闘いの現場からの報告」を行い、「自民党が国労に闘争団を除名せよと圧力をかけているのは有事立法と一体の攻撃だ」と弾劾し決意を述べた。
 基調報告は福岡県労組交流センターが行った。「イラク侵略戦争は大規模な戦争であり、北朝鮮・中国侵略戦争とも連なっている。
゛広島・長崎をくり返さない″という誓いを有事立法阻止の行動にしていこう。8・16米原子力空母リンカーン佐世保寄港を阻止しよう。9・22闘争に立ち上がろう」と提起し、大きな拍手で確認された。
 エジンバラ大学客員教授の國弘正雄さんが「アメリカ社会自体が暴力指向の強い社会であるが、ブッシュ政権は特に際だっている」とブッシュを批判した。
 元長崎市長の本島等さんが「日本は侵略戦争の歴史と向き合わない不思議な国だ。原爆被害ばかりを話してもアジアには通用しない」と、侵略の加害責任を明確にすることを訴えた。
 さらに山口大学人文学部教員の纐纈(こうけつ)厚さんが講演し、「武力攻撃事態法の首相の゛指示″は国家総動員法に出てくる規定であり、強制的な動員、徴用の意味である」と有事3法案を批判した。
 長崎被爆者青年同盟の柴田利明さんが「広島・長崎をくり返さないという誓いは有事立法粉砕に貫かなければならない」とナガサキ・アピールを発した。
 決意表明は労組交流センター九州地方協議会と全学連が行った。地元・長崎県労組交流センターの国労闘争団員は「差別・排外主義や祖国防衛主義と対決し、イスラム諸国人民やアジア人民と連帯し労働者が立ち上がれば必ず勝利できる」と決意表明した。
 全学連を代表して九州大学学生自治会が「青年・学生は自分たちの実力闘争で帝国主義を倒そう」と力強く訴えた。
 最後に、全国統一実行委の三角忠さんが「9・11の1周年をもテコに米帝がイラク侵略戦争へ向かうのは必至だ。イラク侵略戦争阻止・有事立法廃案へ全力をあげよう」とまとめた。

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週刊『前進』(2066号4面2)

 国際連帯と団結の力で有事法制を廃案に!

 ヒロシマ大行動集会アピール

 本日私たちは、中国・重慶市からの訪問団の皆さんと韓国の闘う仲間を迎え、そして全国の仲間と共に、被爆57年目の「8・6ヒロシマ」を、戦争を許さない大行動として成功させました。
 しかし世界は、この瞬間にもアフガニスタンへの戦争やパレスチナでの虐殺が行われています。また、アメリカによる世界中を巻き込んだ戦争=核戦争が計画される中、イラクへの攻撃も極めて切迫した状況にあります。
 私たちは、今あらためて「ヒロシマ・ナガサキ」の教訓を胸に刻もうではありませんか。天皇制軍国主義の下、皇国臣民として、朝鮮・中国・アジアへの侵略戦争を担わされ、多くのアジア民衆に犠牲を強いたことを反省せずにはおれません。そして、「被爆」という人類史上初めての惨禍の中から、人間の命と尊厳をかけて、核と戦争を絶対に許さない――「過ちはくり返さない」という誓いが生まれたのです。
 ところが今、この誓いが有事法制によって踏みにじられようとしています。しかも、政府は「非核三原則の見直し、日本の核武装は可能」などと言い、日本によって「ヒロシマ・ナガサキ」がくり返されかねない危機に至っています。「アジア侵略、ヒロシマ・ナガサキ、オキナワをくり返さない」ために、有事法制を成立させるわけにはいきません。本日この場に結集した私たちは、二度と侵略戦争をくり返さないことを誓います。
 今春以来の労働者・市民の闘いが、有事法制の強行成立を阻んできました。団結と闘いの力で、戦争への道はとめることができるのです!
 課題は鮮明になりました。私たちは戦争につながるもの全てを許しません。沖縄県民と共に名護への新基地建設を阻止しましょう。「日の丸・君が代」強制、靖国神社公式参拝など心の戦争動員を許さず、教育基本法改悪、そして憲法の改悪を阻みます!
 朝鮮・中国・アジア、パレスチナ、世界の民衆と固く連帯して、核と戦争、差別のない平和な世界を創りましょう!
 さらにたたかいの輪を拡げ、何よりも有事法制を廃案に追い込むために、全力を尽くしましょう!
 2002年8月6日
 −被爆57周年−再び戦争をくり返すな! 8・6ヒロシマ大行動 参加者一同

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週刊『前進』(2066号4面3)

 宮岡政雄さん逝去20年

 反戦誓い砂川集会

 8月11日東京・立川市の砂川公民館で、「宮岡政雄氏逝去20年砂川から有事立法・改憲を撃つ! 8・11集会」が行われました。
 砂川町米軍基地拡張反対同盟の副行動隊長として砂川闘争を先頭で闘われた宮岡政雄さんが、82年8月に亡くなられて20年目です。集会は、砂川闘争と宮岡さんの闘いを振り返るとともに、今秋の有事立法粉砕決戦に向けて三多摩の地から反戦・反基地闘争を燃え上がらせていこうとの趣旨で開催されました。
 若い仲間たちの有事立法反対の歌と演奏で幕を開け、1956年10月の強制測量阻止闘争の模様を記録した映画「流血の砂川」の上映です。闘う学生に警棒を乱打する警察・機動隊、「お前らそれでも人間か!」「税金泥棒!」という地元農民の怒声。警察の「立ち退き命令」にひるまず「自分の畑に立って何が悪い」と抵抗を続ける農民たち。そして阿豆佐味天神社での勝利集会と五日市街道まで「ワッショイ、ワッショイ」と歓呼のデモ――これらのシーンが今も脳裏に焼き付いています。
 とめよう戦争への道! 百万人署名運動三多摩連絡会の西山勲さんが、砂川闘争の精神とも言える「土地に杭は打たれても心に杭は打たれない」の至言を紹介して「今立たずにいつ闘うのか」と有事法廃案を真剣に訴えました。
 続いて宮岡キヌ子さんが登壇し、「もし生きていたら、今年89歳ですが、今も第一線で頑張っていたと思います」と亡き夫・政雄さんの思い出を語りました。
 講演は、葉山岳夫弁護士です。当時19歳で砂川闘争に初参加し、警棒で頭を割られ不当逮捕された獄中で勝利のニュースを聞いたこと、かの「米軍駐留は違憲」という伊達判決のことなどを懐かしそうに語り、「宮岡さんの闘いを引き継ぎ、有事立法反対の闘いに立とう」と、有事立法批判を全面展開しました。
 講演に先立つ連帯のあいさつでは、横田基地や米軍厚木基地の公害と闘い続ける住民の代表、三里塚芝山連合空港反対同盟の北原鉱治事務局長、反戦自衛官の小多基実夫さん、革共同の代表などが発言しました。
 北原事務局長は、「宮岡さんの闘いは『権力との話し合い絶対拒否』『農地死守・実力闘争』として三里塚に引き継がれている。暫定滑走路の供用が強行されて、三里塚は今が正念場。宮岡精神を引き継ぎ闘う」と訴えました。
 革共同の藤原慶久さんが「宮岡さんのお陰で革共同は、三里塚と共闘することができた。今秋有事立法廃案のため、総決起する」と熱烈に訴えました。
 集会アピール採択・団結ガンバローのあと、自衛隊・立川駐屯地北側の米軍拡張予定跡地をぐるりと一周するデモ行進しました。「自主耕作地破壊を許すな」「自衛官は侵略出兵を拒否しよう」の声が、砂川に響きわたりました。
 (投稿 木庭昌也)

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週刊『前進』(2066号4面4)

 継続審議阻止デモ

 7・28福岡

 7月28日、福岡市天神の警固公園で「有事立法成立阻止の4・28集会実行委員会」主催の「有事立法絶対反対! 継続審議阻止! 廃案へ!」集会が開かれ、110人が集まった。
 郡島恒昭さん(小泉首相靖国神社参拝違憲九州・山口訴訟団団長)が主催者あいさつ、実行委から梶村晃さん(元福岡県教組委員長)が基調の訴えを行い、国会闘争、キャラバン隊などの闘争報告で盛り上がった後、天神一周のデモに立った。街宣で知り合った中学生もデモに参加し、通行人から次々に頑張れの声援。総括集会では、反戦共同行動・福岡の石崎昭哲さんが「秋の臨時国会決戦へ隊列を2倍にしよう」と提起した。
 (投稿/福岡A)

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週刊『前進』(2066号4面5)

日誌 '02  7月31日〜8月13日

 「対テロ戦」強調の防衛白書

 住基ネット=背番号制強行

●有事3法案、継続審議に 第154通常国会が、192日間の会期を終え閉会した。有事3法案、個人情報保護法案、人権擁護法案、心神喪失等医療観察法案などが継続審議となった。(31日)
●米軍機事故が激発 米軍嘉手納飛行場で、F15戦闘機の後部から炎が噴き出す事故があった。8月1日も同飛行場でF15のエンジン部分で火災が発生。2日、宜野座村松田の住宅から約100b離れた海岸に米軍の大型ヘリが不時着。7日には嘉手納基地のヘリが不時着。9日にも嘉手納基地でFA18ホーネット戦闘攻撃機など3機が緊急着陸した。(31日)
●米軍ヘリが漁船威嚇 7月末、沖縄の久米島北方の米軍提供水域外のパヤオ(浮き漁礁)で操業していた漁船に、演習目的の米海軍ヘリが低空まで接近して退去を求め、漁民の操業を中止させていたことが分かった。その後も同様の行為が続いた。(1日)
●有事立法検討7チーム設置 政府は、国民保護など5つの法制の検討と、「テロ対策」と「不審船」対策を検討する計7項目の作業チームを設けることを決めた。(1日)
●防衛白書、閣議で了承 中谷防衛庁長官が閣議で、02年版「防衛白書」を報告し了承された。「大規模テロなど新たな軍事的脅威への備え」を強調している。(2日)
●住基ネットが稼働 すべての国民に11ケタの番号(住民票コード)をつけ、個人情報を一元管理する「住民基本台帳ネットワーク」(住基ネット)が稼働した。6自治体400万人以上が参加せず。(5日)
●イラク攻撃計画提出 フランクス米中東軍司令官が、イラクを攻撃する場合の作戦計画をブッシュ大統領に提出した。(5日)
●広島・長崎、被爆57年 被爆から57年を迎えた広島・長崎で平和祈念式が開かれ、小泉首相らが参列した。伊藤一長・長崎市長は平和宣言の中で、米国の核政策を「独断的な行動」と名指しで批判。(6、9日)
●「サウジは最も危険な敵」
米ランド研究所の中東専門家が7月、国防総省が専門家らを集めた非公開の国防政策諮問委員会で「テロの計画者として、また財政面での支援者として、幹部から末端の兵卒まで、サウジアラビア出身者はテロ活動で暗躍している」と指摘。サウジを「中東における米国の最も危険な敵」と位置づけたという。ワシントン・ポスト紙が報じた。(6日)
●KEDO、原発建屋を着工 朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が提供する軽水炉型原発の建屋本体部分の建設工事が、建設予定地の琴湖で始まった。(7日)
●首相公選制の報告書提出 小泉首相の私的諮問機関「首相公選制を考える懇談会」が、@大統領制型、A議院内閣制型、B現行憲法の枠内での改革案−の3案を併記した報告書を首相に提出した。(7日)
●愛媛県教委、つくる会教科書採択へ 愛媛県教委が来春新設する県立中学3校で「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーらが執筆した扶桑社の中学歴史教科書を採択する見通しであることが分かった。(7日)
●「普天間」合意撤回案めぐり名護市議会が流会 普天間代替施設の基本計画合意に対し、「白紙撤回」を求める意見書の採択を予定していた名護市議会は、提案委員が次々辞退し、意見書案が上程されず、本会議を開けないまま流会した。(8日)
●小泉、秋の訪中延期 小泉首相は国交正常化30周年に合わせて検討していた秋の訪中の延期を決めた。2年連続の靖国神社参拝の問題で調整がつかないため。(9日)
●米・イラク反体制6派会談 ブッシュ米政権が、イラクの反体制組織6派の代表を初めてワシントンに集め、「打倒フセイン会議」を開催した。(9日)

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週刊『前進』(2066号5面1)

 有事立法3法案を全面的に暴露する〈下〉

 最高戦争指導会議設置と絶大な自衛隊権限強化で侵略戦争突入

 安全保障会議設置法改悪案 戦争方針策定と最高指導会議の設置で首相が戦争大権を発動

 軍事方針を具体的かつ迅速に策定

 安保会議設置法改正案は第一に、今回の改正の「理由」として「武力攻撃事態等への対処における安全保障会議の役割を明確にし、かつ、強化するため」ということをあげている。つまり、安保会議は一般的な「安保方針」や「国防計画」を審議する機関にとどまらず、武力攻撃事態に対処して具体的な戦争方針・軍事方針を審議・策定する機関、すなわち首相を議長とし最高指導者とする戦争方針策定の最高指導会議へと役割を明確化し強化することを宣言しているのだ。
 第二に、そのために内閣総理大臣による安保会議への諮問事項そのものを大きく改変している。これは第2条(内閣総理大臣の諮問等)でなされていることだが、現行の第2条での諮問事項は「国防の基本方針」や「防衛計画の大綱」「関連する産業等の調整計画の大綱」などが前面におしだされ、四番目に初めて「防衛出動の可否」があらわれるが、きわめて一般的に規定されているだけである。
 これに対して改正案では、「武力攻撃事態への対処に関する基本的な方針」「武力攻撃事態への対処に関する重要事項」がむしろ中心におしだされている。戦争は、対北朝鮮・対中国を措定してきわめて具体的に実践的に切迫した問題として提起されている。つまり、戦争方針・軍事方針の具体的策定が、百パーセント前面に出てきているのである。
 第三に、この目的のために、安保会議の議員構成そのものも大きく見直している。一方で総務大臣、経済産業大臣、国土交通大臣なども新しく議員として加えて、戦争遂行方針策定上の体制を強化するとともに、常置の議員以外の国務大臣を随時、議員として組み込めるようにしている。さらに、審議を集中的にするためとして、総務大臣、経済産業大臣、財務大臣を抜きにしたコンパクトな会議も設定している。大きく集まったり、小さく集まったりして、機動的に運用することを狙っている。
 さらに安保会議に「事態対処専門委員会」を設置して、分析・調査等を集中的に行う体制をとり、会議としての戦争指導方針策定と意見具申の迅速化をはかるとしている。
 以下、改正案の条文を軸にこうした諸点をより具体的に見ていこう。
 @第2条(内閣総理大臣の諮問等)第1項は改正案で、内閣総理大臣が会議に諮問しなければならない事項として以下、第一号「国防の基本方針」、第二号「防衛計画の大綱」、第三号「前号の計画に関連する産業等の調整計画の大綱」、第四号「武力攻撃事態への対処に関する基本的な方針」(現行では、第四号「防衛出動の可否」となっている)、第五号「内閣総理大臣が必要と認める武力攻撃事態への対処に関する重要事項」(この第五号は新設された項目)、第六号「その他内閣総理大臣が必要と認める国防に関する重要事項」と続いている。
 さらに、第七号として「内閣総理大臣が必要と認める重大緊急事態(武力攻撃事態及び前号の規定により国防に関する重要事項としてその対処措置につき諮るべき事態以外の緊急事態であって、我が国の安全に重大な影響を及ぼすおそれがあるもののうち、通常の緊急事態対処体制によっては適切に対処することが困難な事態をいう)への対処に関する重要事項」がくる。
 この第七号は、現行の第2条第2項と基本的に同じ文言(一定の調整的変更はある)だが、第1項へとランクアップの変更が行われている。第1項は「会議に諮らねばならない」となっている諸項目であり、第2項は「諮るものとする」という項目となっている。
 なお、この「重大緊急事態」とはどのようなことをさすのか。内乱的事態や9・11ゲリラ戦型の事態の発生、ハイジャック、いわゆる「不審船」、巨大規模の災害などであろう。つまり、武力攻撃事態とは言えないが、単に警察的対処の対象とも言えない問題が対象となる。

 すべての国政部門をあげて戦争体制構築

 第5条(議員)第1項は改正案で以下のよう安保会議のメンバーを規定している。第一号「内閣法第9条の規定により(臨時内閣総理大臣代理として)あらかじめ指定された国務大臣」、第二号「総務大臣」、第三号「外務大臣」、第四号「財務大臣」、第五号「経済産業大臣」、第六号「国土交通大臣」、第七号「内閣官房長官」、第八号「国家公安委員会委員長」、第九号「防衛庁長官」。
 法律改正のややこしい形式で書かれているが、新しく総務大臣と経済産業大臣、国土交通大臣を加えている。要するに平時型の編成から、戦争遂行上、戦争動員体制づくり上必要な議員構成にしたということである。
 改正案で新設される第5条第2項には、「議長(=内閣総理大臣)は、必要があると認めるときは、前項に掲げる者(前述した防衛庁長官などのメンバー)のほか、同項に掲げる国務大臣以外の国務大臣を、議案を限って、議員として、臨時に会議に参加させることができる」としている。これはすべての国政部門をあげて戦争体制を構築するという狙いであり、会議が計画・方針の作成即実践=実戦化をテーマとして開催されることを規定している。
 同じく改正案で新設される第3項は、「議長は、前2項の規定にかかわらず、第2条(内閣総理大臣の諮問等)第1項第四号から第七号までに掲げる事項に関し、事態の分析及び評価について特に集中して審議する必要があると認める場合は、第1項第一号、第三号及び第六号から第九号までに掲げる議員によって事案について審議を行うことができる」としている。この第3項の新設は注目すべきものである。要するに、武力攻撃事態などへの対処措置、すなわち戦争方針・軍事方針の策定については、会議を実務的に、よりコンパクト化して開催することを確認しているのだ。つまり、総務大臣、経済産業大臣、財務大臣を抜きにして会議をもつと言っているのである。
 第7条は、改正案で見出しが「関係国務大臣等の出席」から「関係者の出席」へと変更され、「議長は、必要があると認めるときは、統合幕僚会議議長その他の関係者を会議に出席させ、意見を述べさせることができる」となっている。これは現行の第7条との条文的整合によるものだが、会議が一般的な安保方針・国防方針といったテーマを対象とするにとどまらず、武力攻撃事態などへの対処措置=戦争方針・軍事方針の策定へと重点が変化している中で、統幕議長などの出席の意味は大きい。今回の安保会議設置法改正が戦争指導方針策定上の最高会議の設立を意図することを示す。
 第8条(事態対処専門委員会)は、改正案で条文全体が新設される。第1項は「会議に、事態対処専門委員会を置く」、第2項は「委員会は、第2条(内閣総理大臣の諮問等)第1項第四号から第七号までに掲げる事項の審議及びこれらの事項に係る同条第2項の意見具申を迅速かつ的確に実施するため、必要な事項に関する調査及び分析を行い、その結果に基づき、会議に進言する」。第3項は「委員会は、委員長及び委員をもって組織する」。第4項は「委員長は、内閣官房長官をもって充てる」。第5項は「委員は、内閣官房及び関係行政機関の職員のうちから、内閣総理大臣が任命する」となっている。
 武力攻撃事態などに際して、基本方針の審議と方針の策定を迅速に実施するために、官房長官を長とした事態対処専門委員会を設置するというのである。常置性と実践性の向上のためである。
 安保会議設置法改正案の狙いは何か。安保会議を武力攻撃事態に対応して、実践的=実戦的に、また迅速かつ機動的に「対処基本方針」を作成・策定するための会議として強化し、これを受けて内閣総理大臣はただちに武力攻撃事態を宣言し、武力攻撃事態法に規定されている「武力攻撃事態対処基本方針」を決定して、戦争遂行体制へと突入していく。安保会議とは、首相(内閣総理大臣)がかつての天皇大権に等しい戦争大権を発動するための前提的な機関である。北朝鮮・中国侵略戦争突入・遂行の戦争方針策定のための最高会議にほかならない。

 自衛隊法改悪案 自衛隊の権限拡大で武力行使と生産過程含め社会を軍事支配へ

 これは自衛隊法の単なる一部改正案ではない。これは有事=戦時=武力攻撃事態に対応する自衛隊の権限拡大法案である。有事または戦時自衛隊権限法案と言うべきものである。
 自衛隊が実際の戦争に出動することを想定して、その時に必要とする各種の権限を自衛隊に与えるという法案である。本来独立の法案として、例えば有事自衛隊権限法といったものとして提出されるべきものである。今次自衛隊法改正案の基本的な内容は、武力攻撃事態法案=侵略戦争法案に対応して、自衛隊が実際に出動し、行動を起こすことを想定して、その際の自衛隊の権限をはっきりと拡充している。

 第103条を実戦に向けて圧倒的に強化

 自衛隊法改正案の第一の柱はまず、自衛隊法第103条(防衛出動時における物資の収用等)がより実戦に向けて圧倒的に拡充されたことである。
 この第103条の第1項では、自衛隊法第76条(防衛出動)第1項の規定により、内閣総理大臣が自衛隊に防衛出動を命じた時、防衛庁長官などの要請にもとづき、都道府県知事(緊急時は防衛庁長官)は「当該自衛隊の行動に係る地域において」「病院、診療所その他政令で定める施設を管理し、土地、家屋若しくは物資を使用し、物資の生産、集荷、販売、配給、保管若しくは輸送を業とする者に対してその取り扱う物資の保管を命じ、又はこれらの物資を収用することができる」としている。
 また、第2項においては、当該地域以外でも「施設の管理、土地等の使用若しくは物資の収用を行」うことができること、また「当該地域内にある医療、土木建築工事又は輸送を業とする者に対して、当該地域内においてこれらの者が現に従事している医療、土木建築工事又は輸送の業務で長官又は政令で定める者が指定したものに従事することを命ずることができる」とされている。
 さらに新たに改定される第103条第3項では、第1項、第2項の規定により土地を使用する場合、立木等(実はこれは立ち木その他、土地に定着する物件のこと。ただし家屋は除く)の移転または処分を行うことができるとしている。
 この第103条第1項と第2項、第3項をあわせてみるとき、防衛出動時における自衛隊は恐るべき権限が与えられていることが明白となる。
 要するに、自衛隊は防衛出動時には必要とするどんな施設でも、土地・家屋でも管理し使用できるのだ。また、必要とする軍需物資については、生産、集荷、販売、配給、保管、輸送の全過程をとおして、それぞれの物資の保管を命令し、収用することができるのだ。
 マスコミなどで言っている保管命令うんぬんは詳しく説明しなければ、実にささいなことのように歪曲されて理解されてしまう。実際には保管命令というのは、生産過程の全段階での物資の保管を指しているのであり、生産過程そのものも含めて支配するのである。
 今ひとつは、自衛隊はこの第103条第2項によって、当該地域において、医療、土木、建築工事、輸送の業務に携わっている者に対して、同種の業務について、指定された場所で働くことを強制できるのである。
 ところで、自衛隊法改正案では、この第103条について圧倒的な拡充を図っている。すなわち、第103条第13項という新しい項をつくり、都道府県知事は、施設を管理し、土地等を使用し、取扱物資を保管を命じ、物資を収用する場合には、当該施設、土地、家屋に立ち入り、状況検査させることができるとしている。同じく第14項では、保管させた時は、保管を命じた者に必要な報告を求め、当該物資を保管させてある場所に立ち入り、当該物資の保管状況を職員に検査させることができるとしたのである。
 これだけではない。第124条、第125条、第126条が新設されて、違反した者には重い罰則が科せられることになった。すなわち、@立入検査を拒んだり、妨げたり、虚偽報告をすれば、20万円以下の罰金が科せられる(第124条)。A保管物資を隠匿、毀棄(きき)、搬出した者は、6カ月以下の懲役または30万円以下の罰金が科せられる(第125条)。B前記の124条、125条の違反の場合、直接の違反者のみならず、法人そのものも罰金が科せられる(第126条)。
 こうして、保管命令(くり返すが、生産、集荷、販売、配給、保管、輸送の全過程における物資の保管である。製品だけのことではない)は、完全に強制力を持つものとなる。
 今回は従事命令違反については罰則規定が見送られたが、現実の資本制社会の企業を前提とする時、保管命令の罰則規定はここでも同じような迫力で強制力をもってくるのである。このように、保管命令、従事命令の問題というのは、戦争動員体制の中では、まさに圧倒的な中軸にあるものであって、そこでこうした大改悪が強行されることは重大きわまりないことなのである。

 防衛出動待機の段階から戦争行動に突入

 自衛隊法改正案の第二の決定的な柱は次の点にある。武力攻撃事態法で言う「予測されるに至った事態」と自衛隊法の「武力攻撃が予測される場合」とはほぼ対応しているが、この時、内閣総理大臣の命令で(国会の承認なしに)発せられるのが防衛出動待機命令である。今回の改正案においては、この防衛出動待機命令下令(かれい)の時点で、これまではできなかったさまざまな軍事活動がただちに実行できるようにされているのである。
 この点でまず出発点となるものが、第77条の2(防御施設構築の措置)という新しい1条の新設である。武力攻撃事態法案によって自衛隊法第77条(防衛出動待機命令)は、「武力攻撃が予測されるに至った事態」における内閣総理大臣の権限で出される防衛出動待機命令を規定するものとなる。これまではこの規定は基本的に自衛隊を待機態勢に入れることとしてあった。ところが、今回の改正案では、この時点で、自衛隊は戦争行動に突入できることになったのだ。
 新設される第77条の2(防御施設構築の措置)は、防衛出動待機命令下(=「武力攻撃が予測されるに至った事態」にほぼ対応している)において、部隊を展開し、陣地その他の「防御施設」を構築することができるとしたのである。自衛隊の戦争行動というのは、直接の戦火を交えるまでは、いわば基本的に「防御施設」の建設などが大きな任務となる。北朝鮮・中国との関係では、それは大きな戦争重圧を加える明瞭な軍事行動である。それは戦争の開始にほかならないのである。
 実際、これが戦争行動そのものであることを示しているのが、第92条の3(展開予定地域内における武器の使用)の1条の新設である。これは第77条の2によって、展開予定地域内で陣地等防御施設の建設の任務にあたる者は、自衛のためなら「武器を使用することができる」としているのだ! 防御施設づくりに抵抗する者には必要な武器を使用して排除せよとしているのだ!
 また、第103条の2(展開予定地域内の土地の使用等)という新しい1条においても第77条の2(防御施設構築の措置)にもとづく任務遂行のために、「土地を使用することができる」「立木等(土地の定着物件)を移転または処分することができる」ということが確認されている。
 防衛出動した自衛隊が(あるいは防衛出動待機命令下の自衛隊が、防衛出動時と同じように)、防御施設をつくり、道路工事を行い、土地・河川等を利用できるようにするために、今回の改正案では、第115条の3以下に18の条文が追加されて自衛隊への法律の適用除外や特例措置が圧倒的に拡充されている。すなわち、以下の諸条文の新設である。
 消防法の適用除外(第115条の2第3項、第4項)、墓地、埋葬法の適用除外(第115条の4)、医療法の適用除外等(第115条の5)、漁港漁場整備法の特例(第115条の6)、建築基準法の特例(第115条の7)、港湾法の特例(第115条の8)、土地収用法の適用除外(第115条の9)、森林法の特例(第115条の10)、道路法の特例(第115条の11)、土地区画整理法の適用除外(第115条の12)、都市公園法の特例(第115条の13)、海岸法の特例(第115条の14)、自然公園法の特例(第115条の15)、道路交通法の特例(第115条の16))、河川法の特例(第115条の17)、首都圏近郊緑地保全法の適用除外(第115条の18)、近畿圏の保全区域の整備に関する法律の適用除外(第115条の19)、都市計画法の適用除外(第115条の20)、都市緑地保全法の特例(第115条の21)
 以上に列挙した新設の条文は、これまでの規定と合わせてすべて防衛出動時だけではなく、防衛出動待機命令下において、すでに自衛隊が陣地・軍事施設の構築や各種工事その他の活動をどんどん進めることを許可するものである。
 ここで再び注意しておきたいことは、「陣地などの構築」ぐらいというようなとらえ方をしてはならないということである。自衛隊が直接の戦火を交える前の大半の活動はこうした陣地や道路の建設、物資の備蓄などのことがらであって、今回の改正案によって、これがいわゆる「予測される事態」という段階で完全にできるということだ。いわば戦争体制の準備がほぼ全面的にできることを意味しているのだ。
 以上が今回の自衛隊法改正案の意義と主な内容であるが、重要なことはこの改正こそ、自衛隊がただちに北朝鮮・中国侵略戦争の発動に向かって動き出すことを可能にする有事自衛隊法であり、戦時自衛隊権限法だということだ。要するに、武力攻撃事態法にもとづき、武力攻撃事態対処基本方針にそって、武力攻撃の排除=武力行使に突入することを可能にする軍事立法なのである。つまり、戦争突入のための有事法制として、自衛隊をめぐっては決定的に整備されるのである。

 おわりに

 有事立法3法案を逐条批判的に見てきたが、われわれは、この3法案が一体であること、一体となって日帝による北朝鮮・中国侵略戦争を可能とする法案であることを全面的に暴露していこうということである。日帝・小泉の「備えあれば憂いなし」「日本が攻められたらどうする」という反革命ペテンとその帝国主義的反動的イデオロギーを、まさにこの有事立法批判の中身をもって断固打ち砕いていこうということである。米帝の対イラク攻撃が切迫し、それと連動して北朝鮮空爆―北朝鮮侵略戦争、ひいては中国侵略戦争が展開されようとしている。だからこそ日帝は、激化する帝国主義間争闘戦での生き残りをかけて、米帝の世界戦争路線に全面協力する形で自己自身の北朝鮮・中国侵略戦争遂行とそのための戦時体制を一挙につくりあげようというのだ。今秋の有事立法粉砕の闘いを戦後最大の政治決戦としてなんとしても戦闘的・大衆的に大爆発させよう。

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週刊『前進』(2066号5面2)

改憲阻止決戦シリーズ 今、問い直す侵略と戦争の歴史 第3部 植民地支配の歴史(17)

 朝鮮G 皇民化政策

 「天皇に忠誠」強要する暴虐

 帝国主義の危機が29年世界大恐慌として爆発し、全世界で植民地再分割の強盗戦争が展開される中、日帝は31年9・18柳条湖事件を皮切りに中国侵略戦争に突き進んでいく。30年代の朝鮮植民地支配は、侵略戦争への総動員体制を形成するものとして展開された。
 その柱は、朝鮮半島の兵站(へいたん)基地化と皇民化政策である。総督府の『新しき朝鮮』(44年刊)には、兵站基地化について「戦争の勝敗を決する重大な一要件が前線補給の確保にある……戦場に最も近く、しかもその基地自体として自活しつつ同時に前線への補給をも確保し得る、というところが兵站基地として最も理想的」と述べている。
 日帝は、民族抹殺戦争として中国侵略戦争を強行したばかりか、その「戦場に最も近い」朝鮮と朝鮮人民を自己の利害のために利用しつくしたのだ。「基地自体として自活」など真っ赤なウソである。朝鮮人民は貧窮のどん底に突き落とされ、民族的人間的在り方を完全に否定・抹殺する攻撃にさらされた。

 「食糧供出」強制

 兵站基地化という点では、まず宇垣一成が行った「農村振興運動」がある。20年代の産米増殖計画によって朝鮮は米作を強制され、日本への食糧供給基地の役割を担わされた。その後、この計画は29年世界恐慌―農業恐慌の中で「日本米価の安定維持」のために中止された。しかし、その矛盾は朝鮮にしわ寄せされ、「春窮」と呼ばれる貧窮農家が激増し、小作争議も一層激化したのである。
 こうした「春窮農民の解消」を掲げ、33年から「農村振興運動」が始まった。だが、結局それはより一層朝鮮の米を日本に供出させるものとなり、農民の貧窮は進んだ。さらに39年からは各農家に割当量を決めて「食糧供出」を強制した。
 さらに重化学工業化に重点が置かれた。29年世界大恐慌下の経済危機の矛盾が朝鮮に押しつけられ、日帝資本が朝鮮にどんどん侵略していった。とりわけ新興財閥の日本窒素が決定的な役割を果たした。日本窒素は、水俣病を発生させ日本人民を苦しめたチッソの前身である。社長の野口は、朝鮮の豊かな水力資源に目をつけ、26年に朝鮮水力発電株式会社を設立し、鴨緑江水系に数々の発電所をつくった。興南(フンナム)にこれらの電力を利用する巨大な人造肥料工場をつくり、産米増殖計画の中でばく大な利益をあげた。しかも、発電所や工場の建設では朝鮮人民から土地を取り上げ、低賃金・強労働を強制したのだ。

 抗日パルチザン

 こうした中でも朝鮮の労働者農民はくり返し大闘争を爆発させていった。朝鮮総督府は25年、治安維持法を朝鮮に施行し、あらゆる運動体を非合法化して大弾圧を加えた。しかし、30年代に入って賃上げ、8時間労働制などを求めた釜山紡績労働者2千人のストライキ(植民地支配下では最大級の闘い)が爆発し、また炭鉱や発電所などでストライキが闘われた。
 一方、中国東北部の抗日パルチザン闘争は、30年5・30間島蜂起を始めいよいよ苛烈になっていく。これに対し日帝は、「五族協和」の侵略イデオロギーをあおって朝鮮人民を中国侵略に動員しようとした。さらに、様々な卑劣な手口で朝鮮人民の屈服を迫った。だが、朝鮮人民は屈服することなく、中国人民とも統一戦線をつくって日帝の敗戦まで敢然として闘いぬいた。そして戦後今日に至るまで多くの人びとがこの地に住みついている。

 民族の言葉奪う

 36年8月、総督に就任した南次郎は抗日解放闘争を根絶し、朝鮮人民を侵略戦争に動員するために、「内鮮一体」を叫んで皇民化政策を本格的に開始した。皇民化とは、朝鮮人民の民族性を抹殺し、天皇に忠誠を誓う皇国臣民になれと強制するものである。
 皇民化政策は戦争協力体制づくりから始まった。国民精神総動員朝鮮連盟などがつくられ、「国策の遂行」があおり立てられた。
 まず神社参拝が強要された。日帝は、ソウルの朝鮮神宮建立(25年)を始め朝鮮全土に多くの神社を建てた。国家神道の注入による同化政策である。南はさらに各村に必ず1神社を建てて参拝することを強いたのだ。その一方で神社参拝を拒否するキリスト教徒に対して、教会や神学校を閉鎖し、最後まで抵抗した牧師・教徒約2千人を検挙し、約50人を獄死させた。
 さらに37年10月、「皇国臣民の誓詞」を定め、学校や職場で日常的に斉唱することを義務づけた。これは「我等ハ皇国臣民ナリ、忠誠ヲ以テ君国ニ報ゼン」と天皇への忠誠を誓わせるものであり、宮城遥拝とあわせて強制した。
 また、朝鮮人民から民族の言葉を奪い去った。38年3月、教育令を改悪し朝鮮語教育を廃止し、日本語の常用を強要した。学校で朝鮮語を使えば体罰が加えられ、役所では日本語しか受け付けなくなった。40年8月には『東亜日報』『朝鮮日報』という三一独立運動の流血でかちとられた朝鮮語の新聞が発行停止にされた。さらに42年10月、朝鮮語学会会員33人を治安維持法で検挙し(2人獄死)、朝鮮語辞典の編集作業を暴力的に圧殺した。
 そして40年2月からの創氏改名である。朝鮮民族固有の姓名を奪って、日本式の氏名を押しつけたのである。日帝は「一視同仁の発露」とうそぶき、警察を動員して強制した。創氏改名をしなければ子どもが学校に入れない、役所に行っても手続きができない、食糧・物資の配給がもらえないなど生活の全場面で差別され、さらに「非国民」「不逞(ふてい)鮮人」として警察が弾圧するなど、すさまじい迫害が襲いかかった。こうして実施から六カ月で約8割の人が創氏改名を強要された。
 こうした中で、朝鮮独立運動は「国体の変革」であるとして治安維持法で弾圧された。さらに朝鮮思想犯保護観察令(36年)や朝鮮思想犯予防拘禁令(41年)を加えて、日帝は思想弾圧を徹底的に強化した。
 こうした植民地支配の歴史に対し、戦後の日帝支配階級は65年日韓条約でも居直り、その後も「日韓併合(ママ)は正当だ。朝鮮人にも責任はある」とか、「植民地化によって朝鮮は近代化した」などと許しがたい暴言を吐き連ねている。歴史的事実のわい曲を許してはならない。
 (五十嵐茂生)

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週刊『前進』(2066号6面1)

 9・8沖縄地方選勝利へ

 名護新基地建設阻止の正念場

 革共同沖縄県委員会

 9月8日投開票の沖縄地方選挙まで3週間。現在の沖縄闘争の最大の対決軸=名護新基地建設阻止闘争は重大な決戦局面を迎えた。95年に開始された沖縄の「新たな人民反乱」から97年名護市民投票の歴史的勝利をへて、今年2月の名護市長選での岸本の再選という中で、名護の闘いは着工段階への突入か、それとも建設不可能情勢にたたき込むか、激しいせめぎ合いの過程に突入した。その一切の核心は「絶対反対派」の鮮烈な登場かその一掃かとして進んでいる。われわれは21世紀の沖縄闘争の勝利の展望を切り開くために、名護市議選を先頭とする沖縄統一地方選における闘う議員の全員当選を実現しなければならない。

 巨大軍事基地の基本計画決定は重大情勢

 名護新基地建設阻止闘争は、7月29日の第9回代替施設協議会で「リーフ上・2500b滑走路・埋め立て方式」という基本計画が決定されたことにより、完全に決戦過程に突入した。それは96年SACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)最終報告の「1500b滑走路・撤去可能」という規模をはるかに上回る巨大な軍事基地の建設である。これは県民の「普天間基地の返還」という願いを逆手に取った代替施設の建設というSACO路線、さらには稲嶺知事・岸本市長らの「軍民共用」というペテン的言辞をも悪用した攻撃である。21世紀も沖縄を「基地の島」とし続けるという極悪の沖縄差別攻撃である。稲嶺・岸本らは「15年使用期限」など完全に投げ出し、「毒を食らわば皿まで」とばかりに完全に日帝に屈服し、この「基本計画」を丸のみした。
 昨年9・11反米ゲリラ戦争の爆発と米帝の世界戦争計画の開始と発展、そのもとへの日帝の共同的=競合的参戦に向けた有事立法攻撃の中で、日帝は名護新基地建設攻撃をその全体重をかけて暴力的に強行することを決断したのである。
 自民党の麻生政調会長は「(代替施設の使用期限が)15年で(建設費)1兆円も使えるのか」「今秋の県知事選で(期限条件付きの容認という)ごまかしがまた通用するのか」と、日帝の本音をあけすけに語り、稲嶺・岸本らに全面屈服を要求した。
 小泉自身もこの発言にノーコメントという形でこれが自らの考えであることを示した。
 このことに対していわゆる「誘致派」のみならず既成左翼も完全に屈服し、稲嶺・岸本らも政府案(リーフ上埋め立て・建設費3300億円)を完全に丸のみした。
 このあまりの露骨な政府案丸のみに対し、「地元の意向を反映していない」として名護市議会の軍事基地等対策特別委員会が8月1日、基本計画の白紙撤回を求める意見書案を臨時議会に上程することを全会一致で決定した。ところが8日の臨時議会では意見書の提案者が次々に離脱し、軍特委の正副委員長も辞任し意見書が上程できず臨時議会が流会となるという事態に至った。地元と軍特委の議員に対しては、「電話が一日中鳴りっぱなし」「暴力団の脅しそのもの」というような、日帝と県選出の国会議員からの恫喝と圧力がかけられたのである。それは日帝自身がブルジョア的な民主主義すら蹂躙(じゅうりん)するという、極悪の沖縄差別攻撃として展開されたのだ。

 9・11情勢下の沖縄で相次ぐ米軍事件・事故

 日帝対沖縄・名護という非和解的な対決構図は7・29をもって激突過程に突入した。名護の闘いの危機と好機が同居する中で今次名護市議選が闘われているのである。今次名護市議選は、一地方議会の選挙戦という枠を超えて、21世紀の沖縄闘争と日本階級闘争の行く末を決する決戦場において、「絶対反対派」の新たな闘いの展望をこじ開けるか否かをかけたものとなっている。
 今日の名護の闘い、さらには沖縄闘争を規定しているのは、9・11情勢であり、米帝の世界戦争計画の全面的発動であり、日帝の有事立法攻撃である。
 昨年9・11以降、在沖米軍は臨戦態勢に突入した。9・11直後のような「物々しさ」は一見見られなくなっているが、しかし実際は在沖米軍基地の防衛体制は着実に強固なものとなっている。それは完全に米帝の全面的な侵略戦争に対する「反撃」を想定した体制なのである。さらに基地の機能そのものも大幅に強化されている。嘉手納基地報道部は第18航空団の遠征能力を強化する大幅な組織再編を実施する(8月15日)と発表。原潜は通信傍受などのため9・11以前より任務が3割増加していると米海軍幹部が明らかにしている。
 米国防総省は精密誘導弾の増産体制に入り、中国の軍事動向に関する年次報告書で「中国の改良型短距離ミサイルが沖縄も射程内に」ということを初めて記した。米軍は対イラクへの侵略戦争、さらには対北朝鮮・中国への侵略戦争に向けた準備を進めつつある。
 このような情勢の中で沖縄はすでに「有事体制下」の状況にある。米軍による事件・事故も頻発している。6月に県警が窃盗容疑で逮捕した男が米軍の「急使=密使」として地位協定に基づいて釈放された。米軍人・軍属による犯罪は96年以降増加の一途をたどっている。
 7月23日には名護市数久田で農作業中の男性の間近に演習の銃弾が着弾、22日から30日にかけて米軍ヘリが久米島沖で漁船をくり返し威嚇、7月31日、8月1日と相次いで嘉手納基地でF15が火災を起こし、8月2日には宜野座で民家から100bの海岸にヘリコプターが不時着、9日には嘉手納基地で米軍機3機が相次いで緊急着陸し、キャンプ・ハンセンでは実弾演習に伴う火災が発生した。
 米軍の事件・事故の増加は、侵略戦争に向けた実戦訓練の激化と正比例する。戦後沖縄の歴史は一貫して「有事体制下」であったのだが、9・11以降沖縄はベトナム侵略戦争時以上の激しい有事体制下にたたき込まれているのである。日帝が有事立法を制定して侵略戦争を行うということは、この沖縄の現実が日本の労働者階級人民の「日常」となることを意味するのである。

 沖縄戦の歴史を学び有事立法絶対阻止へ

 小泉政権は通常国会での有事立法の「継続審議」を受けて、閉会中に「国民保護法制」の作業を進め、臨時国会での強行成立を狙っている。小泉の「備えあれば憂いなし」などというペテン的言辞にだまされてはいけない。「国民保護法制」は労働者階級人民を「守る」ための法律ではない! それは、侵略戦争のための法律だ。しかも、「軍隊は住民を守らない」―これが沖縄戦が教える歴史の真実である。「軍隊は住民を守る」どころか、軍隊が存在したために基地の建設に土地を奪われ、県民は根こそぎ戦争動員され、物資はすべて強制徴発され、そして戦場となり、軍隊によって自宅や壕(ごう)から追い出され、あげくの果てに「集団死」を強制されたり、殺されたりしたのだ。
 今こそ沖縄戦が教える歴史の真実を日本労働者階級人民の闘いの武器として、有事立法阻止決戦への労働者階級人民の巨大な決起へと転化していかなければならない。沖縄闘争は有事立法阻止決戦の最前線の闘いであると同時に、有事立法そのものとの闘いである。したがって沖縄闘争は、「闘うイスラム諸国人民と連帯し、帝国主義のアフガニスタン・中東侵略戦争を国際的内乱に転化せよ」「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の最前線の闘いである。9月統一地方選挙において闘う議員の全員当選をかちとり、今秋有事立法阻止決戦の勝利へ沖縄から闘いの爆発をかちとろう!

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週刊『前進』(2066号6面2)

 医療制度改悪法の成立弾劾

 労働者、高齢者から医療奪う

 7月26日、参議院本会議で自民、公明、保守の与党3党は、健康保険法など医療制度改悪関連法案の採決を野党の欠席の中で強行した。有事立法をめぐる国会攻防の中での強行採決であった。介護保険制度導入に続く日帝の医療制度改悪、社会保障制度解体を激しい怒りを込めて弾劾する。
 今回の重大な医療保険制度改悪の第一点は、来年4月から健康保険本人の医療費自己負担を、これまでの2割から3割に引き上げることである。健保本人の自己負担は97年に1割から2割に引き上げられたばかりである。もともと健保の本人負担はゼロだったものが84年に1割負担となり、今回ついに3割負担となった(健康保険の家族の入院の負担も2割から3割に引き上げられた。外来はすでに現行3割)。
 改悪点の第二は、高齢者医療の対象を75歳以上に段階的に引き上げることを決め、さらに高齢者の医療費自己負担を引き上げたことである。高齢者医療の対象年齢の引き上げは、今後高齢者から医療や介護を奪っていくという政策路線を敷いたものにほかならない。
 その攻撃の一つとして、今回の改悪では今年10月から70歳以上の高齢者の医療費について1割を本人負担とする完全定率制が導入された。一定以上の所得がある高齢者については本人負担が2割となる。
 これによって毎月限度額までは一定割合の負担をしなければならなくなる。例えば、外来の医療費の自己負担限度額は、今年3月までは3000円だったものが、10月からは低所得者で8000円、一般の場合では1万2000円になるのだ。しかも、自己負担限度額があるとはいえ、窓口ではいったん一定割合の全額を払い、限度額を超えた分は後で償還払いになる。いったん一定割合の自己負担ということ自身が高齢者から医療を奪っていくことになる。
 改悪の第三に、保険料負担が引き上げられたことである。被用者保険料は、これまでの月収ベースからボーナスを含めた年収ベースに変更された。中小企業などの政府管掌健保では7・5%から8・2%に引き上げられた。例えば、これまで年額の本人負担が15・5万円だった人が17・1万円になるというほどの保険料値上げである。
 日帝・小泉は、医療制度改悪関連法の成立について「患者負担を引き上げなかったら国民に痛みはないか、というとそうじゃない。もっと大きな痛みは皆保険制度が壊れること」と凶暴な恫喝で居直った。医療や福祉を保障するという国の責任を真っ向から否定して一切の犠牲を労働者人民に転嫁し、さらに医療や福祉を資本の利潤追求の場にしようとするものだ。
 労働者人民から医療・福祉を奪う小泉政権を打倒しよう。医療制度改悪への怒りを爆発させ、北朝鮮・中国侵略戦争に医療の軍事動員を図ろうとする有事立法3法案を廃案に追い込もう。

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週刊『前進』(2066号6面3)

無実の星野同志を取り戻そう (2)

 70年安保沖縄闘争

 三里塚・沖縄に心寄せ

 返還協定批准阻止を闘う

 闘いの軌跡

 星野文昭同志は、1946年4月27日、北海道札幌市に生まれた。現在56歳。ビデオ『ある冤罪』では、母・美智恵さんが「小さなころからまじめな性格で、大人のようだった」と語っている。広島の惨状を知ったのが、社会問題に関心を持つきっかけだった。
 66年に高崎経済大学に入学した星野同志は、不正入学阻止闘争に参加した。ベトナム反戦闘争が高揚していく中、学生運動に積極的に参加し、全学連の中心的活動家になった。70年7・7自己批判を全身で受けとめ、この思想的立場を貫いて三里塚闘争、沖縄闘争に向き合っていった。
 71年、三里塚は最大の決戦局面を迎えていた。農地の強制収用を振りかざし、一切を機動隊の暴力で突破しようとする日帝・国家権力との死闘の時期だった。星野同志は三里塚現地に常駐して闘い、反対同盟農民の大きな信頼を得た。彼は、7月仮処分粉砕闘争と9月強制代執行粉砕闘争の先頭で闘い、2件の指名手配攻撃を受けた。映画『第二砦(とりで)の人々』に、若き星野同志の姿が写っている。
 指名手配攻撃を受けながら、星野同志は沖縄人民との連帯を満身に込めて、11・14渋谷突入の先頭に立った。それは、日帝・佐藤政権のペテン的返還政策を粉砕するための渾身(こんしん)の決起だった。

 沖縄差別政策

 沖縄は戦前から日帝の差別的政策のもとにおかれた。第2次大戦末期の「国体護持」=天皇延命のために行われた沖縄戦は、日帝の沖縄差別政策の極致であった。日本で唯一の地上戦(約3カ月の戦闘)が強制され、地獄絵のような戦場で沖縄県民の4分の1が殺された。日本軍・米軍を含む全体の死者は約23万人。強制連行された1万人とも言われる朝鮮人も多大な犠牲を強いられた。
 戦後は、「天皇メッセージ」によって米帝に売り渡され、日米安保体制の「かなめ石」として27年間、米軍支配下におかれた。米軍は、基地建設のために銃剣とブルドーザーでほしいままに土地を強奪した。
 本土復帰闘争は、この現実の根底的変革を求める沖縄人民の血の叫びだった。孤立無縁の中で米軍の弾圧を打ち砕き、くり返し立ち上がり、ついに日帝を従来の沖縄政策を維持できないところに追い詰めた。
 これに対して日帝・佐藤政権は、沖縄人民の願いを受け入れるかのような態度を取りながら、実際には基地と戦争の島としての現実を維持・強化していくというペテン的な沖縄「返還」政策を強行した。しかも日帝はこれをもって70年安保闘争を圧殺・解体し、「沖縄は終わった」として、再びアジア侵略の道に突き進もうとしたのである。
 昨年9・11−10・7への突入という情勢の中で迎えた「復帰30年」目の沖縄の現実は、72年5・15本土「復帰」をもってする日帝の沖縄返還政策がいかにペテン的で反人民的なものであったかを示している。星野同志がすべてを投げ打って決起した沖縄返還協定批准阻止闘争は、まさに正当な、これ以外にない闘いであったのだ。

 「革命の現実性」

 革命的共産主義運動は、70年闘争において初めて沖縄闘争と正面から向き合った。沖縄人民が何を求め、何を訴えて闘っているかを階級的自己批判を込めてとらえ返すことに全力を注いだ。星野同志も、この課題に懸命に取り組んだ。
 沖縄米軍基地は日米安保の最大の実体であり、沖縄人民は、日帝を追い詰める歴史的な大闘争として本土復帰闘争を爆発させていた。われわれは、米軍基地撤去を絶対的に要求し、安保粉砕・日帝打倒へと突き進む以外に真の本土復帰はかちとれないし、沖縄と日本の人民の差別・抑圧的分断を真に突破する道はないことを確認し、「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の戦略的スローガンを確立した。そして、これを貫徹するには「返還協定批准」を実力で阻止する以外にないと固く決意したのである。
 星野同志は、この呼びかけを全身で受けとめた。三里塚で指名手配を受ける身でありながら、自己のすべてをかけて批准粉砕の闘いに決起した。
 機動隊暴力の壁に生身をさらして突撃する闘い、それが11・14渋谷闘争だった。すさまじい弾圧と犠牲をのりこえて空前のスケールで展開されたのである。騒乱罪も破防法も、労働者階級人民の決起の前には無力であった。日本階級闘争はこの闘いをとおして、まったく新しい段階に突入したのである。この闘いが、カクマルを最後的に反革命に転落させたのである。
 星野同志は、この闘いを「沖縄と本土、アジアと日本の労働者人民が連帯結合してたたかう力を回復・形成し、日帝のアジア侵略を内乱に転化して、日帝を打倒し、日本とアジア、世界の労働者人民の解放を勝ち取っていくことを力強く開始するものだった」と語っている。(パンフ「総括と展望」より)
 なんとしても星野文昭同志を取り戻そう。

 ◎星野文昭同志 略歴

1946
4.27
 札幌生まれ
66
4  
 高崎経済大入学
71
 三里塚に常駐
11.14
 渋谷闘争を闘う
75
8. 6
 不当逮捕される
79
2. 3
 死刑求刑
8.21
 一審懲役20年
83
7.13
 二審無期懲役
86
9.17
 暁子さんと結婚
87
7.17
 上告棄却
10.30
 徳島刑務所移監
90
9.27
 父・三郎氏逝去
91
5  
 再審弁護団結成
96
4.17
 再審請求書提出
2000
2.22
 再審請求棄却
24
 異議申立

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週刊『前進』(2066号6面4)

 公判日程

☆迎賓館・横田裁判
須賀・十亀・板垣同志裁判
8月28日(水)午前10時
福嶋同志裁判
8月30日(金)午後1時15分
☆水嶋同志裁判
9月3日(火)午後1時30分
☆6・12私文書弾圧裁判
8月27日(火)午後1時15分
※いずれも東京地裁

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