ZENSHIN 2002/09/02(No2067 p06)

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週刊『前進』(2067号1面1)

9・22 連合見解弾劾・有事立法粉砕へ

日共「路線転換」のペテン暴き闘う国労の再生をかちとろう

 沖縄地方選に全国から支援を

 反戦共同行動委員会は8月16〜17日、全学連を先頭に、米原子力空母リンカーンの佐世保寄港を阻止する闘いを、海上と陸上で戦闘的に打ち抜いた。8・6―8・9反戦反核闘争、8・15闘争の高揚に続いて、今秋有事立法粉砕決戦への火ぶたは切られた。本紙夏季特別号論文(天田三紀夫論文)と有事立法3法案の逐条批判の無署名論文(上、下)、清水丈夫選集第5巻序文を全党全人民が全力で学習し、それらで武装して、今秋有事立法決戦を戦後最大の政治闘争として大爆発させよう。9・22全国結集闘争にまなじりを決して総決起せよ。有事立法粉砕の闘いそのものとして9・1防災訓練粉砕闘争に立とう。9・8沖縄選挙での闘う候補の勝利へ全国から支援を強め、米帝ブッシュの世界戦争戦略と対決する拠点、有事立法を粉砕する拠点を打ち固めよう。9・11一周年闘争・小泉訪米阻止闘争に立とう。国鉄決戦は日本共産党中央がたび重なる裏切り路線の完全破産によって「国鉄闘争再構築路線」を敷いたことが鋭く示すように、重大情勢に突入した。今こそ勝利に向け勇躍して大攻勢に出る時だ。チャレンジと反動革同を打倒し、闘争団への査問・統制処分を粉砕して、闘う国労の再生をかちとれ。有事立法決戦と国鉄決戦を結合し、大有事立法決戦として闘いぬこう!

 第1章 対イラク攻撃緊迫

 われわれは日帝・小泉が、米帝の対イラク、対北朝鮮・中国侵略戦争の切迫に激しく対応し、有事立法3法案と個人情報保護法案の成立に体制の死活をかけていることを見据え、9・22有事立法粉砕闘争に総決起しなければならない。
 1年前の9・11反米ゲリラ戦と10・7アフガニスタン侵略戦争をもって世界史は一変した。帝国主義の世界危機が世界戦争に転化していく歴史的過程が始まったのである。これはもはや後戻りできない過程だ。
 米帝の世界戦争計画の次の展開は、今や対イラク侵略戦争として超切迫している。米帝はブッシュ政権も、議会も、マスコミも、対イラク攻撃一色となっている。しかも米帝のアフガニスタン、パレスチナ、イラク―中東での侵略戦争の果てしない拡大は、ただちに東アジアに連動して、あるいはこの1〜2年のうちにも北朝鮮・中国侵略戦争へと拡大する。それは必ず帝国主義間矛盾の爆発、帝国主義間戦争へと発展し、文字どおり第3次世界大戦へと転化していく。
 日帝・小泉はこの情勢に激しくつき動かされ、帝国主義としての延命をかけて、米帝の北朝鮮・中国侵略戦争に共同的=競合的に参戦していくために、有事立法成立に全力で突き進んでいるのである。
 米国防総省は8月15日、議会に02年国防報告を提出した。それは米帝ブッシュが9・11―10・7以後の世界戦争過程への突入情勢を総括し、01年QDR(4年ごとの国防政策見直し)やNPR(核戦力見直し)などを一つに融合して作成した世界戦争計画の集大成であり、きわめて重大な文書だ。
 それは、米帝が「悪の枢軸」と決めつけてきたイラク、イラン、北朝鮮への侵略戦争を「対テロ戦争」の名のもとに先制攻撃や核兵器使用も辞さずに強行すること、中国スターリン主義への「脅威論」と侵略戦争の野望をむき出しにしていること、対日帝を始めとした帝国主義間争闘戦と帝国主義間戦争をも明らかに想定していることなど、完全に米帝の世界戦争計画そのものである。米帝は「20世紀の脅威」「20世紀の戦争」から「米国の国益」と「米本土」を防衛するためには、完全に世界戦争―第3次世界大戦に訴える道を突き進んでいるのだ。
 米帝ブッシュは今、この反革命的な世界戦争路線のもとにイラクに「大量破壊兵器」の査察再開を要求し(だが応じても攻撃は中止しない!)、北朝鮮にKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)の軽水炉建設の一定の進展の中で核査察要求を突きつけ(応じなければ工事は中止!)、戦争重圧を強めている。また米中関係・中台情勢の緊張を激化させている。対イラク、対北朝鮮・中国の侵略戦争を明日にも強行しようと構えているのである。

 第2章 臨時国会成立狙う

 日帝・小泉が秋の臨時国会で有事立法を成立させるために全力をあげているのは、こうした米帝動向に完全に連動したものだ。
 小泉は通常国会が終わった7月31日には、直ちに「大規模テロや不審船対策」を法案に盛り込むよう強い修正指示を出した。そして同時に、「国民保護」「自衛隊の行動円滑化」「米軍の行動円滑化」など、関係省庁による7つの作業チームを発足させ、夏休み返上で追加法案づくりを推進してきた。さらに自民党幹事長・山崎は8月17日、バリ島での記者懇談で「個人情報保護法案も有事関連法案も成立を目指す。そのための臨時国会だ」「民主党が修正協議に応じない場合は与党単独でも修正を提案する」と述べ、強行採決も辞さず成立させる強硬な意思を表明した。
 有事立法とは何か。本紙夏季特別号論文や逐条批判の無署名論文(上、下)があらためて暴露し、批判しきっているように、北朝鮮・中国への米・日帝国主義の侵略戦争発動をきわめて具体的に想定した、実戦のための侵略戦争法案だ。日帝・小泉やマスコミは「備えあれば憂いなし」とか「日本が外から攻められたらどうするのか」と大宣伝し、有事立法は必要だと言っているが、問題はまったく逆なのである。
 米帝と日帝はアフガニスタンやイラクへの侵略戦争と同じように、北朝鮮や中国にこの1〜2年のうちにもありとあらゆる侵略攻撃を行うつもりでいる。それへの必死の反撃の結果として当然にもミサイル発射や小規模ゲリラや「不審船」的事態が起きることを想定しているのが「武力攻撃事態」である。だから日帝はすでにある周辺事態法に続いて有事立法3法案と個人情報保護法案を成立させようと必死なのだ。
 それゆえ日帝・小泉は「テロ攻撃」や「不審船」への対策なるものも「武力攻撃事態」に加える必要があるのであり、武力攻撃事態の「おそれ」や「予測」の段階であらゆる口実を設けて、侵略戦争突入、国家総動員体制突入をはかろうとしているのだ。
 そのために「対処基本方針」を定め、「対策本部」を組織し、その本部長である首相に独裁的な戦争権限を与え、そのもとですべての国家機構、地方自治体、公共機関、そして「国民」を強制動員しようとしているのだ。自衛隊と米軍の行動や通行、作戦行動はすべての法律で「特例」「適用除外」とし、私権を制限して軍事最優先の戦争体制をつくり、戦争に突入しようとしているのだ。また通信や言論・マスコミを統制し、労働組合や人民の反戦闘争・反対運動はことごとく治安弾圧の対象とし、処罰し、たたきつぶそうとしているのである。
 米帝は最凶悪の基軸帝国主義であり、世界のスーパーパワーである。日帝は世界第2位の規模をもつ帝国主義国家である。その米日帝がアフガニスタンに続きイラク、北朝鮮、中国に攻めかかろうとしている。9・11―10・7を転機に、世界史は完全に世界戦争情勢に突入したのだ。この北朝鮮・中国侵略戦争攻撃の切迫は、97年9月締結の新ガイドライン(日米防衛協力指針)と99年5月成立の周辺事態法(および船舶検査法)を、今回の有事立法3法案と結合してみるといよいよはっきりする。

 第3章 周辺事態が即波及

 新ガイドラインでは、@「日本に対する武力攻撃」(日本有事)には日米で「共同作戦計画」を、A「日本周辺地域における事態で日本の平和と安全に重要な影響を与える場合」(周辺事態)には「相互協力計画」を作成しておくと規定されている。Bしかも@とAの間での「整合を図るよう留意する」「日米間の調整メカニズムを平素から構築」して日米の軍事活動の「調整」を行うと規定されている。また新ガイドラインでは「周辺事態」が「日本有事」(武力攻撃事態)に「波及する可能性」と「両者が同時に生起する場合」が想定されている。つまり有事立法と周辺事態法は完全に一体、ワンセットである。
 そればかりか「対テロ特措法」と「改正PKO法」もすでに成立し、今や通常戦力で世界第2位の侵略型軍隊となっている自衛隊は、恒常的に海外派兵・海外展開している状態にある。以上のように見てくると、有事立法粉砕の闘いは「連帯し侵略を内乱へ」の貫徹をかけた戦後史を決する最大の政治決戦であることはいよいよ明白だ。
 「周辺事態」とは何か。米帝・米軍が「テロ」とか「核査察」とか中台情勢などあらゆる口実を設けて、北朝鮮・中国に侵略戦争を発動した事態である。その時、日帝・自衛隊は周辺事態法と船舶検査法に基づき、「後方地域支援」「後方地域捜索救助活動」「船舶検査活動」「その他の必要な措置」を行うために、米軍と一体となって侵略戦争に突入する。つまり北朝鮮・中国とその周辺海域で米軍への給油や物資補給、掃海(機雷除去)、船舶検査(臨検)、米兵救難、在外日本人救助などの侵略軍事行動を展開する。
 そして同時に有事立法3法案により、「武力攻撃事態」の発生やその「おそれ」「予測」などのあらゆる口実を設けて、「対処基本方針」を定め、「対策本部」の本部長である首相に独裁的な戦争権限を与え、日本全体を憲法停止の超軍事国家化し、侵略戦争突入体制、国家総動員体制にたたき込もうとしているのである。まさに最大最高の決戦が到来しているのだ。
 開始された米帝(国際帝国主義)の世界侵略戦争―世界戦争情勢と対決して闘い勝利する道は、レーニンの提起した「帝国主義戦争を内乱に転化する」「自国政府の敗北を希望し促進する」という戦略に立って、闘うアジア人民、闘うイスラム諸国人民と連帯し、世界戦争を国際的内乱に転化するために闘うことである。これを帝国主義足下の労働者階級がやりぬくことである。帝国主義戦争に賛成した既成労働運動を下から断固のりこえ、レーニンの革命的祖国敗北主義に立ちきり、有事立法粉砕、自国帝国主義打倒=日帝打倒に総決起することである。
 「備えあれば憂いなし」などという小泉の大ペテンを粉砕し、9・22全国結集闘争―今秋有事立法粉砕決戦にうなりをあげて総決起しよう。
 労働組合のナショナルセンターとして「緊急事態の法整備は基本的に必要」と有事立法に賛成した5・16連合見解への弾劾・撤回の決議を上げ、組合の中から闘いを組織しよう。逐条批判に精通し、職場、学園、街頭で猛然と大衆的討論を巻き起こそう。とりわけ有事立法反対署名運動を労組に積極的に持ち込もう。大衆決起を組織し、9・22へ有事立法決戦の大爆発をつくりだそう。

 第4章 国鉄決戦重大情勢

 有事立法攻撃と一体のものとして、29年型大恐慌―世界戦争情勢下で一大資本攻勢が吹き荒れている。これと闘い勝利できる最先端の闘いが国鉄決戦だ。
 国鉄決戦は日本共産党中央の「国鉄闘争再構築路線」への転換が示すようにかつてない重大情勢に突入した。日共=反動革同はこの間、チャレンジや酒田一派と結託して、国鉄闘争を圧殺し闘争団を切り捨てる大裏切りを重ねてきた。だがそれは今や完全に行きづまり破産した。この転向=裏切り路線を続けるならば国鉄戦線はおろか全労連や日共組織そのものの大動揺、大分裂に発展しかねない事態に立ちいたった。その追い詰められてのアクロバット的なあがきが、今回の「路線転換」である。
 だが、それが根底的な自己批判を欠落したいかにペテン的本質をもつものであっても、日共は中央委員会として「路線転換」を決定しただけでなく、「国鉄闘争を労働組合運動の原点に立って再構築していく」「従来の『四党合意』依存路線では解決しないことを鮮明にし」と述べ、闘争団への査問・統制処分は「労働組合として本末転倒」と宣言せざるをえなくなったことが重要なのである。
 国鉄分割・民営化以来の営々たる不屈の闘い、動労千葉や闘争団の闘い、それを基礎とした革共同19全総以来の国鉄決戦への取り組みが、カクマルを大分裂に追い込み、ついに日共を決定的破産に追い詰めたのだ。それは日共の国鉄闘争路線の破産のみならず、「資本主義の枠内での民主的改革」という綱領的路線そのものの破産である。
 国労を始めすべての国鉄労働者、労働者階級人民は、日共中央に全面的な自己批判要求を突きつけると同時に、日共スターリン主義の綱領・路線では労働運動の勝利も階級闘争の展望もないことを鮮明にさせて、今こそ闘う国労の再生へと勇躍決起していかなければならない。
 とりわけ国鉄闘争において「闘争団への除名処分絶対阻止」「チャレンジ・反動革同打倒」「闘う国労の旗を守りぬけ」のスローガンを高く掲げ、1047人闘争勝利と国労の戦闘的再生へ、画然と決起していこう。定期大会に向けた代議員選挙の絶対勝利へ全国で大攻勢を展開しよう。
 9・22−今秋有事立法粉砕闘争と、国鉄決戦への決起を結合し、それを大有事立法決戦として闘いぬくことを重ねて訴えたい。

 第5章 防災訓練粉砕せよ

 9・8沖縄地方選勝利と名護新基地建設阻止を当面の大焦点とする沖縄闘争は、米帝ブッシュの世界戦争政策と闘い、日帝の有事立法攻撃を粉砕する最前線の闘いである。革命の拠点を守り、さらに強化する闘いである。秋のこの緒戦でなんとしても勝利をかちとり、今秋決戦の爆発的な突破口を切り開こう。
 空港公団新総裁・黒野の暫定滑走路北側300b延長宣言と対決する三里塚闘争は、有事立法決戦の不動の砦(とりで)である。10・13三里塚現地大闘争の爆発へ闘いを強めよう。
 9・1防災訓練粉砕闘争は、有事立法との闘いそのものであり、自衛隊の防衛出動・治安出動、労働者と住民の戦争動員を粉砕する闘いだ。総決起しよう。
 9・11反米ゲリラ戦1周年を革命的に迎え撃ち、小泉訪米阻止とブッシュの対イラク侵略戦争宣言弾劾に立とう。
 超長期獄中闘争を闘う同志の保釈・奪還へ、10万人署名運動と1億円基金運動を全力で推進しよう。
 社・共に代わる労働者党、レーニン主義的革命党の建設が待ったなしだ。今秋大有事立法決戦のただ中で、機関紙拡大、党勢倍増の闘いをなんとしても前進させようではないか。

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週刊『前進』(2067号1面2)

佐世保 米空母の進路阻む 全学連先頭に実力阻止行動 “イラク・北朝鮮攻撃許さぬ”

 反戦共同行動委員会は8月16日、米原子力空母「エイブラハム・リンカーン」佐世保寄港阻止の闘いに海陸で決起した。全学連を先頭に全国から180人が結集。海上デモ船はリンカーンに肉薄する激しい闘いを、約3時間展開した。
 佐世保に寄港した空母リンカーンは全長332b、満載排水量10万dを超え、5350人が乗り込む世界最大の原子力空母だ。アフガニスタン侵略戦争のためインド洋に出撃する作戦行動中の寄港だ。甲板には、1月に配備された核爆弾も搭載可能という最新鋭戦闘攻撃機FA18スーパーホーネットなど約60機が臨戦態勢で並んでいる。この黒い殺人機が明日にもアフガニスタンやイラク人民を虐殺するのだ! 怒りに身の震える思いだ。
 早朝5時過ぎ、九州大学自治会や中核旗など十数本の旗を林立させた2隻の反戦共同行動委員会のデモ船が出港した。船体には英文で「日・米帝国主義は、アフガニスタン人民虐殺を直ちに止めよ」と大書された横断幕も。約60人が乗り込み、佐世保湾のはるか沖合の東中国海でリンカーンを迎え撃った。
 午前7時30分、黒島の先でリンカーンの艦影を発見した。見る間に世界最大の原子力空母の巨大な全貌(ぜんぼう)が現れた。海上デモ船はただちに闘争態勢をとった。
 「この空母がアフガン人民やイラク人民を虐殺するのだ。絶対に許せない。命がけの実力闘争で闘おう」と船上の学生から声があがる。海上保安庁の巡視船を巧みにかわしてデモ船がリンカーンの前に出た。巨大な空母が減速する。あわててデモ船を追いかける巡視艇。シュプレヒコールがリンカーンの巨大な灰色の壁に当たりこだまする。甲板には多数の乗組員が立ち、デモ船を見ている。
 デモ船は3時間近く、リンカーンの前や横を並走、弾劾を続けた。港では、佐世保地区労などの抗議船十数隻が、「佐世保の出撃拠点化反対」などとシュプレヒコールをくり返しながらリンカーンを周回。佐世保港には、全港湾などの赤旗が林立し、歓迎ムードなどひとかけらもない。激しい抗議行動の中、9時36分、リンカーンは佐世保港中央部の停泊海域に投錨した。
 陸上では佐世保地区労などが「迎え撃ち集会」を開き、陸上から「核艦艇の入港反対」「有事法制反対」と気勢をあげ、海上デモ隊の奮闘に連帯して闘った。
 今回の原子力空母リンカーンの佐世保寄港は、イラク攻撃をにらんだものである。さらに、リンカーンの佐世保入港に伴って、随伴艦のイージス巡洋艦シャイローが民間港の博多港に入港した。米空母機動部隊の艦船が、朝鮮半島に近い博多港に入るのは初めてだ。佐世保・博多を、北朝鮮・中国侵略戦争の拠点にする攻撃だ。佐世保闘争の意義はますます大きい。
 午後からは佐世保市内の中央公園で反戦共同行動委員会主催の弾劾集会とデモを行った。反戦共同行動・福岡の石崎昭哲代表が「佐世保を人殺しの出撃基地にしてはならない」「有事法案を廃案へ」と訴えた。
 集会後、ただちにデモに出発した。全学連を先頭にジグザグデモをくり返しながら、米軍佐世保基地に近付いていく。基地のゲート前にいた数百人の長崎県警機動隊はデモが近づくと大動揺。「入港弾劾」「イラク侵略戦争阻止」。押しあいが続き、全学連が機動隊に激突する。ゲート前が騒然となった。デモ隊はさらに激しく弾劾を続け、デモを貫徹した。

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週刊『前進』(2067号1面3)

2千人が集会 米空母反対で

 「有事立法絶対粉砕! ムスリム、アジア人民と連帯し、日帝・小泉政権を打倒するぞ!」。前日の海上デモに引き続き全学連を先頭とする反戦共同行動委員会は佐世保市松浦公園に断固として登場した。
 8月17日午後1時から長崎県平和運動センターと原子力空母リンカーン入港反対現地闘争本部が主催する「来るな! 原子力空母、許すな! 有事法制」全国集会が開催され、北海道から九州各県・沖縄まで全国から2000人の労働者、学生、市民が結集した。
 集会は「米ブッシュ政権、小泉内閣が進める戦争政策や原子力空母の佐世保寄港に断固反対するとともに、有事法制化を許さず」とする決議案を採択。米海軍佐世保基地に向かってデモ行進に出発した。
 基地ゲート前の平瀬ロータリーでは怒りのシュプレヒコールを上げ、佐世保市の中心・四カ町商店街を力強くデモ行進した。

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週刊『前進』(2067号2面1)

闘争団を守りぬく強固な団結形成を
路線的に大破産した日共中央の労働運動支配を打ち破ろう
 除名許さず国労の階級的再生へ

 日本共産党中央委員会は7月、「全国30都道府県の労働組合部長会議」を開催し、「4党合意に依存する路線では、1047名の採用差別問題は解決しない」として、「国鉄闘争再構築路線」と称する「路線転換」を打ち出した(前号既報)。この「再構築路線」なるものは、反動革同による4党合意推進路線を積極的に擁護してきた日共中央が、ついにその大破産を突きつけられて強いられたものであり、自己批判を欠落したスターリン主義反革命の延命をかけた必死のあがきである。闘争団を始めとする国労組合員の闘いは、国鉄闘争を死に追いやろうとしてきた反動勢力の一角にすさまじい打撃を与えている。15年に及ぶ国鉄闘争は、有事立法をめぐる労働者階級の根底的流動と結びつき、ついに巨大な勝利の展望をこじ開けた。国鉄闘争は、国労と国鉄闘争の解体を貫こうとする日帝権力、その攻撃に全面屈服したチャレンジと反動革同によって、闘争団の国労からの除名という労働運動史上最悪の裏切りが強行されかねない重大な危機に直面していた。だが、その土壇場で、反動の側こそが大分解・大瓦解(がかい)を始めたのだ。今こそチャレンジと反動革同を打倒し、日共スターリン主義による労働運動支配を断ち切って、国労の階級的再生をかちとることを訴える。

 裏切り者追いつめた力で攻勢に転じる時

 国鉄闘争は、有事立法攻撃そのものとして国鉄闘争の解体をもくろむ権力・資本との熾烈(しれつ)な攻防のただ中にある。
 9・11反米ゲリラ戦と米ブッシュ政権による10・7アフガニスタン侵略戦争の突入をもって世界情勢は一変した。世界戦争の過程がすでに開始されている中で、日帝は有事立法の制定に全力をあげ、労働組合破壊の攻撃を一層激化させている。他方、これに対する労働者階級の反撃が、陸・海・空・港湾労組20団体の闘いを先頭に大きく巻き起こっている。こうした階級攻防の最先端での死闘戦を貫く国鉄闘争は、国鉄労働者のみならず全労働者階級の命運を決める位置にある。だからこそ敵の攻撃は容赦なく、それは闘う者と裏切り者を厳しく峻別(しゅんべつ)するのである。
 日共中央の「再構築路線」は、国鉄闘争の持つこうした全階級性と死闘性に規定されている。彼らはそのただ中で決定的な路線的破産を露呈した。国鉄闘争で起きたこの事態は、直ちに全産別・全労働者階級に波及するものとなる。
 国労を内部から破壊しようと企ててきたチャレンジや反動革同を打倒する闘いは、いまだ決着がついたわけではない。しかし、今起きている事態は、国労解体攻撃との死闘戦の貫徹こそが、反動を締め上げ、彼らに矛盾と破綻(はたん)を強制したということだ。闘う側が攻勢に転ずべき、勝利の情勢が到来したのだ。
 チャレンジや東京地本・酒田一派もまた、反動的結託体制の一角を崩され、権力失陥の危機におびえている。国鉄闘争は、ここに一大転機を迎えた。
 日共中央にこうした「転換」を強制したのは、何よりも闘争団を先頭とする国労組合員の闘いであった。98年5・28反動判決以降激化した権力の国労解体攻撃、それに全面的に屈服したチャレンジと反動革同の暴圧に抗し、あくまでも解雇撤回・地元JR復帰を掲げる闘争団の闘いが、裏切り者を裏切り者としてあぶり出したのだ。
 数年にわたるこの死闘戦を牽引(けんいん)してきたのは、動労千葉の存在と闘いだ。国鉄闘争をめぐる鋭い分岐は、1047人闘争としての国鉄闘争の新たな発展を切り開いている。
 さらに、革共同の19全総−20全総以来の国鉄決戦への突入が、この過程を根底において支えぬいた。チャレンジや日共が日帝に屈服し、国鉄闘争の内部からの解体を陰に陽に策動する中で、革共同は国鉄闘争の勝利に責任をとる党派であることを真っ向から宣言し、その実践に突入した。それが、カクマルに大分裂を強制するとともに、国労内の反動分子をも徹底的に追いつめたのである。
 こうした闘いは、日共中央もくみした、反動革同とチャレンジによる闘争団除名の策動をぎりぎりのところで阻止したのだ。闘争団と国労組合員の原則的な闘いは、その対極にある反動分子どもの不正義を暴き、労働者階級の激しい怒りを引き出した。日共中央も、全労連傘下の労働者を含む全労働者の怒りの標的となる中で「転換」に踏み切らざるをえなかったのだ。
 国労組合員は、反動どもをがたがたに揺さぶった力を手に、今こそ反転攻勢に立たなければならない。

 日共路線を実践した反動革同の罪は重大

 既報のように、日共中央が決定した「再構築路線」の内容は、次のようなものである。
 @4党合意依存路線では1047人問題は解決しない。「労働組合運動の原点に立った路線の確立」を図る。A与党3党声明の根底的弱点を批判し、これを最大限に使い路線転換のチャンスにする。B闘争団への統制処分は、労働組合として本末転倒であり、国労の団結は実現できない。国労は大衆闘争を強めて、闘争団と話し合うべきである。
 この「再構築路線」がいかなる思惑によるものであれ、日共中央が「4党合意依存路線は破綻した」と明言したことは、きわめて重大な意味を持っている。それは、結果として国労本部の方針とは真っ向から対立する。中央本部、エリア、地本において「4党合意依存路線」を最先頭で推進してきた反動革同指導部は窮地に追い込まれた。
 反動革同は、チャレンジと結託して4党合意受諾の1・27大会決定を暴力的に強行した張本人だ。しかも、闘争団の糧道を断つ生活援助金の打ち切りという卑劣な所業にまで及んだのだ。4月26日の与党3党声明に全面的に屈服し、闘争団の除名を最も声高に叫び続けてきたのも彼らである。反動革同指導部は、今さら手のひらを返したように「4党合意に反対」などと言うことができない恐るべき不正義の現実を自らつくり出してしまっている。日共中央の「再構築路線」は、革同内部の混乱・対立・分裂を必ず引き起す。
 日共中央は、「路線転換の取り組みが強められていくなかで、国労内の推進派の分裂、脱落の動きが出てくるだろうし、また党からの離党といった『血』が流れることは考えられる」とまで言っている。彼らは、いわば最も忠実なスターリン主義反革命として振る舞ってきた反動革同を切り捨ててでも、「再構築路線」を貫徹せざるをえないのだ。そうしなければ延命できない、絶体絶命の危機に立たされているのである。

 「ゼロ回答」でウソを暴かれ

 有事立法下の激しい国労解体攻撃は、ペテンやごまかしが通用しないことを日共中央に突きつけた。与党3党声明と6月6日の自民党副幹事長・甘利明の記者会見で、権力は国労本部に闘争団の除名を露骨に要求した。国労本部は、権力の意志を忠実に体現して、5月27日の臨時大会で「次期大会での闘争団への統制処分」を暴力的に決定した。
 だが、権力はゼロ回答以外にないことを明言した。
 それは、「4党合意だけが唯一の解決策」などという暴論を振り回して反対派圧殺の先頭に立っていた反動革同のペテンを権力の側から容赦なく打ち砕いた。「4党合意を受け入れれば2千万、3千万の解決金と3けたのJR復帰がある」というデマで闘争団員を分断し、闘争団の団結を引き裂いてきた反動革同は、ここに至ってその犯罪を全面的に暴かれる絶体絶命の危機に陥った。有事立法攻撃下で、そんなペテンは通用するはずがなかったのだ。
 敵権力の居丈高な国労解体攻撃を裏から支えたのは、反動革同を擁護し続けた日共中央である。
 日共中央は、今になって〃2000年8月の『赤旗』に掲載された「N・S論文」で党の基本見解を示していた”などと言い、「日本共産党は常に無謬(むびゅう)であった」という厚顔無恥な居直りの論理とともに、反革命的な延命を追い求めている。
 だが、「N・S論文」こそ、「4党合意は苦渋の選択」などというペテン的論理を反動革同に与えた元凶だったのだ。

 戦後労働運動を圧殺してきた日共の歴史

 反動革同をして「4党合意依存路線」の最先端を突っ走らせてきた日共中央は、まず何よりも自らの犯した反階級的大罪を全面的に自己批判しなければならない立場にある。だが、日共中央はそのことには知らぬ顔を決め込んで、〃党としては国労の運動路線を転換させるために奮闘する”などとして、上記のような決定を行った。
 「4党合意依存路線」は、日共中央と無縁なところで発生したものでは断じてない。それは、日共中央自身の「国鉄闘争路線」=国鉄闘争解体路線だったのだ。そのことを総括も自己批判もせず、「路線転換」だの「国鉄闘争再構築」だのと唱えること自体に、日共中央の「路線転換」のペテン性は決定的に露呈している。そもそも、闘争団の生命を断つに等しい生活援助金の打ち切りに対しても、日共中央は何ひとつ態度表明をしていないのだ。
 日共中央のこうした「再構築路線」に国労組合員の未来を託することなど断じてできない。そもそも、日共は階級闘争において裏切りと自己破産を繰り返してきた党派である。
 1945−50年における戦後革命の裏切り、57年の国労新潟闘争の最後的圧殺、64年4・17ストへの全面敵対という反革命的所業によって、日本共産党は労働者階級にとって裏切り者の代名詞となった。さらに日共は、76年の第13回党大会でプロレタリア独裁の概念を放棄し、「自由と民主主義の宣言」で反レーニン主義、反マルクス主義へと公然と踏み切った。91年のソ連スターリン主義の崩壊以降、日共の帝国主義への屈服と転向は急速に進行した。94年の第20回党大会では「資本主義の枠内での改革」路線を打ち出し、98年第3回中央委総会では安保容認を決め、00年第22回党大会で「自衛隊活用論」を唱えるに至って、改憲勢力として帝国主義の最後の番兵化に突き進んだのだ。
 この日共の路線を忠実に体現したものこそ、チャレンジ一派と結託しての反動革同による闘争団圧殺の裏切りだったのである。彼らは、国鉄・分割民営化攻撃に階級決戦として対決することを否定し、1047人の国鉄清算事業団からの解雇に際しても、解雇撤回闘争の原則的な貫徹を内側から押しつぶそうと企てた。生活援助金打ち切りの暴挙に手を染め、ついには国労からの闘争団の除名にまで突き進もうとした。帝国主義と対決して闘いを貫こうとする国鉄労働者に一貫して敵対してきたのが日共と反動革同なのである。
 この事実こそ日共の綱領と路線の大破産を示して余りある。日共のもとでは絶対に勝利できないのだ。
 日共中央の「転換」は、有事立法をめぐる階級決戦が開始される中で生起した。連合は、5・16見解で有事立法攻撃の先兵となることを宣言したが、日共中央は決定的な裏切りに突き進むことにたじろいで「転換」に踏み切った。しかし、両者はともに戦後体制を転覆しようとする支配階級のすさまじい攻撃の中での、反動的延命をかけたあがきなのだ。
 こうした日共中央=スターリン主義による労働運動支配を断ち切って、労働者自己解放闘争の最先頭に立つ国労の路線を確立することが、国鉄闘争勝利の道を開くのだ。敵の狙いは、国労と国鉄闘争を絶滅し、あらゆる労働運動−労働組合を鎮圧し翼賛化することによって、有事体制を確立することにある。これと全力で対決し、労働者の階級的団結をなんとしても守り抜くことこそが、勝利の絶対的な条件なのである。この闘いを正面に据えることなく、国労が存立する道はありえない。
 今こそチャレンジと反動革同の執行部を打倒するとともに、日共スターリン主義の労働運動支配を全面的に一掃しよう。闘争団除名の策動を粉砕して、国労の階級的再生をかちとろう。

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週刊『前進』(2067号2面2)

教育現場からの報告 関東C県 「日の丸・君が代」強制と闘い職場が「解放区」になった!
 教育労働者は有事法阻止に立つ

 侵略戦争阻止は教労運動の原点

 世界恐慌の爆発が迫る中で、米帝ブッシュ政権は、体制的危機を世界核戦争の発動をもってのりきろうとしている。一方、日帝・小泉政権は、対米対抗的に戦争国家体制づくりに死活をかけてきている。有事立法はまぎれもなく日帝の北朝鮮・中国侵略戦争攻撃であり、国家総動員体制づくりにほかならない。
 いみじくも福田官房長官は、「有事立法のもとでは思想・良心・信仰の自由は制限される」と答弁した。〃日本人なら戦争に協力し、国家のために進んで命をささげよ”と言っているのだ。まさに「人の生き死に」に至るまで国家が支配する教育勅語・靖国の論法の再来である。
 今、有事立法攻撃と一体で、教育基本法改悪が進められ、すさまじい教組つぶしと教育労働者への攻撃が加えられている。それは教育労働者を国家意志の忠実な体現者=「死の手配師」へとつくり変えようとするものである。有事立法攻撃との全面的対決なくして教育労働者に未来はない。
 ところが日教組本部は、「有事立法必要論」を打ち出した5・16連合見解に、あろうことか支持を表明した。文科省とのパートナー路線をさらに純化させ、「教え子を再び戦場に送るな」の原点をかなぐり捨てて、帝国主義的教育労働者運動への道を突き進もうとしているのだ。
 有事立法とは、侵略戦争法案であり、労働者から階級的団結を根こそぎ奪い取る攻撃である。これに対して闘う原点を失った労働運動が行き着く先は、自滅の道にほかならない。侵略戦争阻止をあいまいにした日教組本部の階級的犯罪を徹底的に弾劾し、日教組運動を階級的に再生させるためにも、今秋の有事立法決戦に教育労働者の総決起をかちとろう。

 日教組の再生へ広がる闘いの炎

 学校現場では有事立法攻撃の先取りである「教育改革」攻撃が、さまざまな形で加えられてきている。その核心が「日の丸・君が代」強制である。80年代以降、改憲への突破口として「教育改革」攻撃が猛威を振るってきたが、特に99年の新ガイドライン関連法と連動した「国旗・国歌法」成立以降、「日の丸・君が代」強制攻撃はますます凶暴化している。
 「日の丸・君が代」攻撃は天皇制国家主義に基づいた「国民教化」の手段であり、戦争動員の道具でもある。前述の福田官房長官発言が示すように、有事立法と「日の丸・君が代」強制は、その本質において一体なのである。
 それゆえ、「日の丸・君が代」闘争を、今や単に教育労働者固有の課題にとどめずに、全人民的な階級的共同闘争の課題に押し上げていかなければならない。また「日の丸・君が代」拒否の論理も、市民的権利(思想・良心の自由)に軸を置くのではなく、血債の思想に立脚した国際的連帯の視点から組み立て直す必要がある。
 さらに教育労働者にとっては、「日の丸・君が代」闘争は職場支配権をめぐる闘いに直結する第一級の闘争課題でもある。職場(教組)の団結の解体こそが「日の丸・君が代」攻撃の真の狙いであることを肝に銘じる必要がある。闘う日教組運動再生の突破口は、「日の丸・君が代」闘争の大爆発にあると言えよう。
 〃闘う教組を解体せよ”とばかりに、広島を始め全国各地で「日の丸・君が代」攻撃が猛威を振るい、すでに250人以上の教育労働者が処分されている。文科省は〃百パーセント完全実施”と豪語しているが、被処分者は処分撤回闘争に決起し、多くの職場では処分の恫喝に屈せず、さまざまな抵抗闘争が地道に続けられている。
 日教組本部が闘う方針を提起せず屈服する中で、現場では怒りと危機感、反撃への思いが高まっている。いまだ背骨はたたき折られていないのだ。闘いの炎をさらに燃やし、保護者や地域と一体となった階級的共同闘争へと発展させた時、「日の丸・君が代」闘争は日教組運動を揺さぶり、さらには有事立法攻撃との一大対決軸となるであろう。

 処分の脅しにも屈せず抵抗貫く

 関東C県でも今春、ついに「日の丸・君が代」処分が発動された。C県教委は今年の入学式での抗議闘争に対して、2人の教育労働者に「文書訓告」を発令した。A氏に対しては「年休を取り、校門でビラをまき、ゼッケンをつけて式に参加した」として、またB氏に対しては「式場で左こぶしをあげて強制に反対する趣旨の発言を続けた」ことが「職務命令違反であり、教育公務員としての職の信用にかかわる不祥事である」とするものであった。両氏は、いかなる処分も許さぬ決意を固め、報告交流集会や文書公開請求などを行い、抗議・撤回への取り組みを進めている。
 A氏はかつては組合活動家であったが、日教組の連合加盟後は組合運動に距離を置いてきた。しかしこの間の戦争国家化の動きの中で、教組が底なしに右傾化していくのを目の当たりにし、「このまま黙って教師人生を終わらせるわけにはいかない」と、ついに決断したのであった。処分に動じないA氏の毅然(きぜん)たる決起と行動は、閉塞感の漂う職場に風穴を開けた。職員会議が文字どおり復権し、職場が「解放区」になりつつあるという。
 一方B氏は、分会長を歴任して、職場闘争の最先頭に立ってきた。「日の丸・君が代」問題では職員会議で論陣を張り、各種の資料を配付して学習会を開くなど職場の組織化に力を注ぎ、粘り強く校長交渉や抗議行動を重ねていった。その結果、式場に「日の丸・君が代」が導入されたとはいえ、起立も斉唱も完全に阻み続けてきたのである。しかしB氏はこれでも納得できなかった。「日の丸・君が代」導入を黙認することは、生徒や保護者を「日の丸・君が代」の前に放置することであり、教育労働者の職務放棄となり、無責任な背信行為を重ねることになる。B氏は「日の丸・君が代」拒否を宣言すべく、この3年間、計6回にわたって式場での抗議闘争を続けてきた。B氏の決起は大きな波紋を呼んだ。生徒からは「自分たちは何をしたらいいのか」という質問も出始め、保護者からの激励の手紙も寄せられた。
 B氏の闘いは、当局にとっては今や黙認の域を越えたのであろう。年度末の管理職人事では、新校長に県教委高校教育課長補佐が着任するという異例の事態が生じたのである。そして着任早々、新校長は「服務と国旗・国歌に関しては話し合いの余地はない」と主張し、県教委通知を振りかざして「日の丸・君が代」の完全実施を宣告してきた。しかしB氏を始め分会員からの激しい抗議が集中して、ついに翻意せざるをえなくなり、職場は沸き返った。団結に裏打ちされた行動こそが、職場に活性化をもたらすことを実践をもって証明したのである。

 分会の団結力が本部を動かした

 「日の丸・君が代」処分への反撃のためには、何よりも自らの教組を突き動かさなければならない。
 日教組本部は、95年の路線転換により、とりわけ「日の丸・君が代」闘争や主任制闘争を始めとする職場闘争の放棄を文部省に誓うという大裏切りを働いてきた。そして、99年の「国旗・国歌法」制定攻撃に対して反対闘争を呼びかけることすらしなかった。以後はさらに屈服を深め、「組織防衛」に名を借りて「日の丸・君が代」反対闘争を一切放棄し続けている。
 C県教組は日教組の中でも「左派組合」と目されてはいる。しかし日教組本部の屈服の中で、C県教組も「日の丸・君が代」強制に対して「生徒の思想・良心の自由を保障する取り組み」「『日の丸・君が代』が果たしてきた歴史的事実を教える運動」を軸に据えたものに方針を後退させてきた。そして戦術的には「物理的抵抗や混乱戦術はとらず、処分を誘発させない取り組みを基本とする」として、教育労働者に〃抵抗闘争はするな”と制動をかけてきている。一歩後退どころではない。無力感をますます増幅させる元凶そのものである。
 こうした状況の真っただ中での定期大会は、まさに決戦場だった。B氏は何本もの修正案をもって討論に参加し、有事立法闘争への決起を本部に迫り、その結果、「戦時立法である有事法制は廃案あるのみ」との本部見解を再確認させた。
 他方、「日の丸・君が代」処分に対しては、本部はこの間、一貫して処分事実すら明らかにせず、大会議案書には一言半句の記載もなかった。
 これに対してB氏は、定期大会に向け、処分に対する抗議と撤回を求める分会決議と分会修正案をかちとった。県下の全分会に周知させるための郵送や手渡しも行われた。大会当日、A氏は独自ビラをまいて支持を訴えた。B氏と分会代議員の訴えは多くの代議員の支持を集め、本部を追いつめ、本部はついに「(処分に対して)何らかの取り組みをする。10月の中央委員会で再度方針論議をする」と答弁したのだった。
 今、新潮流運動に求められているものは、自らを少数批判派にとどめず、組織を動かす牽引(けんいん)勢力として登場することである。情勢と鋭く対決して組織化に取り組めば山をも動かすことができること、職場闘争に責任をとって団結を強化すれば勝利の展望がかちとれることを両氏の闘いは証明している。
 「日の丸・君が代」闘争は有事立法決戦のかなめである。日教組運動を突き動かす突破口でもある。今秋の有事立法決戦の大爆発をなんとしてもかちとり、新潮流運動の力で日教組運動の階級的発展と再生をつくり出そうではないか。
 (投稿・神谷克已)

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週刊『前進』(2067号2面3)

職場、地域に運動拡大を 動労千葉を支援する会 総会開き方針確認

 動労千葉を支援する会は7月27日、DC会館で2002年度の総会を開催した。動労千葉組合員と支援する会会員の労働者ら80人が参加した。今春闘における動労千葉のストライキ―春闘総行動への総決起の意義をあらためて確認し、国鉄闘争勝利へ支援運動の拡大・前進を誓い合う場となった。
 採択された運動方針は、動労千葉の闘いから本当に学んでいるかを問いかけ、動労千葉の思想、路線、労働者観、一人ひとりの組合員の生き方、そして団結とは何かを学び尽くし、自らの職場で実践することを訴えている。
 また、国労に対する4党合意をめぐる重大な情勢の中で、動労千葉を支援する会の登場が求められていること、それが1047名闘争の原動力であることなどを提起している。
 具体的には次のような方針を確認した。
 @動労千葉を全力で支援し、ともに闘う。とりわけ会員拡大―支援基金運動を推進し、地域・職場に支援する会をつくる。物販運動を一層推進する。
 A動労千葉に学び、動労千葉とともに闘う労働組合をつくる。
 討論では、「動労千葉は組合員と家族を守り、有事法制と闘う組合だ。この質を職場に持ち込む必要がある」「動労千葉の支部との交流会がよかった」「地域にもう一度物販を広めたい」などの意見が出された。
 懇親会では、動労千葉の中村栄一書記長が「支援に元気づけられて闘ってきた。団結を守り、JRの仲間を結集する。支援運動を広げて新潮流をつくってほしい」と訴えた。
 田中康宏委員長がお礼の言葉を述べ、「有事立法を阻止し、労働運動を再生させることが動労千葉の責任だ」と決意を表明した。
 総会のもう一つの柱は、中野洋前委員長の「有事法制下の労働運動」と題する講演だった。
 中野前委員長は、有事立法阻止のために「全精力を傾けて闘おう」と訴えた上で、「01年9・11〜10・7で歴史は変わった」とアメリカ・ブッシュ政権の「テロ根絶」を口実にした世界戦争政策や大恐慌必至の情勢を説き明かし、「情勢を正しく労働者の目で階級的に認識することが重要だ」と述べた。
 また、「小泉政権の『聖域なき構造改革』とは、平和憲法体制と終身雇用制を軸とする労資関係を解体することにある」として、特に有事3法案について、「そのターゲットは北朝鮮と中国である」と法案の本質を明らかにした。
 その上で、「有事体制下では戦後の55年体制下の労働運動は通用しない。闘う労働組合は根絶の対象になる。焦点は国鉄闘争だ。そして連合の有事法制賛成見解をひっくり返すことだ。激動の時代には労働者・労働組合が流動化し、必ず変わることに確信を持とう。新潮流運動のさらなる発展をかちとろう」と訴えた。

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週刊『前進』(2067号3面1)

5・16連合見解撤回の大運動を 「緊急事態の法整備必要」は有事立法賛成=戦争協力だ
 職場から総反撃まき起こせ

 日帝・小泉政権は、民主党などの野党を巻き込み、有事立法3法案を秋の臨時国会で何がなんでも成立させようとしている。戦後最大の政治闘争を爆発させ、絶対に粉砕しよう。そのために反戦共同行動委が呼びかける9・22全国闘争への総決起とともに、連合の5・16「有事立法賛成」見解を撤回させる労働者・労働組合の決起を訴えたい。単産、単組、支部、分会などあらゆるレベルで連合派幹部と徹底対決し、大会などの機関会議で大論争を巻き起こし、有事立法廃案、連合見解撤回の決議を上げよう。

 連合路線を覆す力が廃案の情勢をつくる

 有事3法案とは北朝鮮・中国侵略戦争法案であり、自衛隊が侵略戦争に突入していくための法案である。それは、地方自治体や指定公共機関で働く労働者の協力・動員を始めとする国家総動員体制を構築する以外になし得ない。
 だからこそ日帝は、それらの労働者の大半を組織する日本最大のナショナルセンターである連合を戦争翼賛勢力として取り込み、その支持政党である民主党を「修正協議」に引き込んで成立を図ろうとしているのだ。ここで連合の5・16見解が果たした犯罪的役割はきわめて大きい。700万人余を擁するナショナルセンターがついに侵略戦争に賛成したのだ。この重大事態を真正面から見据えなければならない。
 したがって、今秋の有事立法粉砕決戦において、この連合見解を撤回させる労働者の決起が決定的に重大だ。主要な労働組合が有事立法反対を鮮明にし、連合見解を覆したなら、有事立法を葬り去る決定的な情勢をつくり出すことができる。そして、その労働者・労働組合の巨大な分岐と流動化をつくり出す中でこそ、被抑圧民族人民と連帯して日本帝国主義の侵略戦争突入を阻止する労働運動の階級的うねりと「社・共に代わる労働者党」をつくり出すことができる。今秋決戦における労働者の任務はきわめて重いのである。
 すでに通常国会の闘いの過程で、連合傘下からも連合指導部の制動を打ち破って20労組陣形に合流する決起が開始されているが、それはほんの始まりに過ぎない。もっともっと連合をガタガタに揺さぶる激しい決起が必要なのだ。そのために、あらためて5・16連合見解を徹底批判したい。

 侵略戦争を容認して労働者動員誓う見解

 5・16連合見解は第一に、「憲法の枠内での法整備は必要」と言って、あからさまに有事立法賛成を打ち出している。
 有事3法案が「武力攻撃の予測・おそれ」を口実にして、「自衛戦争」の論理で日帝が北朝鮮・中国に対する侵略戦争を行うための法案であること、このことについて連合見解は一言も批判せず、完全に承認しているのだ。
 「日本が武力による侵略を受けないという保証はなく、……現行の対応システムによっては対処し得ない緊急事態が発生した場合には……それらの緊急事態を速やかに排除し、国民の生命及び財産を守り、基本的人権を尊重するため憲法の枠内での法整備は、基本的には必要である」
 これは小泉の言う「備えあれば憂いなし」とまったく同じ論理だ。あらゆる事態を想定し、それを排除するための法整備を要求しているのである。
 だが、連合が言う「緊急事態」とは、どういう場合に起こるのか。それは、米帝や日帝が北朝鮮・中国への侵略戦争の重圧を強め、北朝鮮・中国がそれに対する必死の反撃態勢をとるということだ。そして、その動きをとらえて武力攻撃が「予測される」「おそれがある」と称して、相手を壊滅的に粉砕するための先制攻撃=侵略戦争に突入するというのが武力攻撃事態法を始めとする有事3法案なのだ。
 連合見解は、この侵略戦争法案としての理念を完全に認め、しかも「大規模テロ」など、武力攻撃事態法案以上に具体的な「緊急事態」を規定しているのだ。
 第二に、連合見解が「本法案は不完全なもの」と言って、あたかも有事法案に反対するかのように言っているのは、実は゛もっと完全な法案をつくれ″ということである。
 「この法案では、あらゆる緊急事態に対して国の独立と主権を守り、国民の存立を保全するという理念が見えず、全体的な法体系が示されていない。とくに、有事における国民の自由と権利がどこまで保障されるのか全く不明」「その点から本法案は不完全なものであり、全体像が明確になっていない中では、総合的な評価も判断もできない」
 だから連合は、「(国民の)どのような権利がどの程度制限されるかについて、明確にすべきである」と要求するのだ。
 この点で、与党3党が継続審議を決めるにあたって、「国民保護法制などの作業を進め、臨時国会において必ず成立を期す」と合意したことは重大である。小泉政権は、「国民保護法制」と称して、「国民」を保護するものであるかのように装いつつ、実際には労働者人民の自由と権利をすべて奪い、在日朝鮮人・中国人を始めとした在日・滞日外国人を徹底的に弾圧し、国家総動員体制を築き上げようとしている。そのための法案の概要を示すことで、民主党を「修正協議」に引き込み、有事3法案の成立を図ろうとしているのだ。
 連合は、政府がこうした連合の要求にこたえ、挙国一致で労働者が積極的に戦争に協力する体制をつくるべきだ、そのための役割を連合にも与えろと要求しているのである。
 第三に、実践的結論として、そうした体制をつくるならば、連合傘下の労働者を積極的に動員すると誓っているのだ。
 連合見解は、「法案は、構成組織の組合員の生命、身体、生活に極めて重大な影響を与え、また組合員が働く職場についても緊急的対処を余儀なくされる性格をもつ」として、協力を義務づけられる指定公共機関などについて列挙している。だが、戦争動員に反対するという言葉はどこにもない。要するに、戦争動員の手続きを明確にしてくれれば、積極的に協力するということなのだ。
 労働者を戦争に動員する国家総動員体制は、労働者の権利や闘いを全面的に圧殺することなしには貫徹できない。職場でストライキやサボタージュなどあらゆる形態の抵抗闘争が起これば、戦争体制はガタガタになる。連合は、政府が連合の役割を認めてくれるなら、こうした闘いを抑え労働者を戦争に動員する積極的役割を果たすと誓っているのである。

 21世紀臨調提言「憲法の枠内で」論が下敷き

 連合見解の「憲法の枠内」の言葉は、自動車総連や造船重機労連、電機連合などの改憲賛成派の強硬論に対して、自治労などがこれを入れることで連合見解をまとめたものである。
 「戦争放棄」の憲法と、戦争のための有事立法が矛盾することは言うまでもない。しかし「憲法の枠内」が何か歯止めにでもなるかのような印象を与えているのだ。改憲派がばっこする連合内で「憲法の枠内」を入れたのだから、少しはましではないかと。
 だが、この「憲法の枠内」論こそが、有事立法推進の最も悪質な論理なのである。その下敷きになったのが、「新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)」の「国の外交・安全保障・危機管理に関する基本法制上の課題」(今年2月)と題する報告である。
 21世紀臨調は、社会経済生産性本部に事務局を置き、得本元金属労協議長や草野連合事務局長(いずれも自動車総連出身)が参加している。
 この報告は、「戦後日本の最大の欠陥は、総合的な国家戦略が欠落していること」として、その国家戦略にとって「最優先の安全保障上の課題は、まず、憲法の枠内で行いうる諸改革を実行に移すこと」と言う。次に「憲法をはじめとする法的・政治的な制約について国民的な議論を促し、その見直しを始める」と言っている。
 このように「憲法の枠内」と称して有事法制を通してしまい、こうして改憲も進めると言っているのだ。まさに「憲法の枠内」論は、実は資本家どもと一体となった有事立法の現実的推進論であり、国家主義、祖国防衛主義の許しがたい主張なのである。
 「憲法の枠内」という主張は断じて許せない。絶対に撤回させよう。職場から有事立法絶対反対、連合見解撤回の決議運動を大々的に進めよう。そうして絶対に戦争動員を拒否する労働者の力を示す時、有事立法攻撃を根幹において打ち砕くことができるのだ。

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週刊『前進』(2067号3面2)

史上初の「月例給」引き下げ マイナス人勧弾劾する

 人事院は8月8日、国家公務員給与について、1948年に勧告制度が始まって以来初めて、月例賃金を引き下げる「賃下げ勧告」を、内閣と国会に対して行った。勧告は、今年4月の国家公務員の月例賃金が民間を2・03%、7770円上回る官民逆較差を是正するためと称して、俸給表の俸給月額を平均2・0%(行政職)引き下げるほか、一時金(期末・勤勉手当)を0・05カ月分引き下げ、配偶者に係る扶養手当を削減する。4月に溯(さかのぼ)る減額分については12月期の期末手当からカットして調整する。これで年間賃金は平均15万円(2・3%)減となり、4年連続マイナスで史上最大の引き下げである(過去3年は一時金の減額)。
 公務員労働者の生活を破壊する、この史上最悪のマイナス人勧を煮えたぎる怒りで弾劾し、賃下げ阻止に向けて公務員労働者の総力を結集した闘いを訴える。
 何よりも、今回の勧告が「民間準拠の原則」をふりかざして、大幅賃下げに踏み込んだことを徹底弾劾しなければならない。
 人事院の勧告は、直接には一般職の国家公務員を対象としたものであるが、国営企業や地方自治体などの公務員労働者、特殊法人労働者や公務関連労働者など「約750万人に影響」(人事院)を及ぼす。地方自治体の人事委員会が、直ちにこれに追随して賃下げ勧告を行おうとしている。
 これは、今春闘において歴史的な分水嶺(ぶんすいれい)を越えた日帝総資本の賃下げ攻撃を、国家総がかりで一層推進する大攻撃である。今春闘のベアゼロ―賃金カットの攻撃を口実に公務員賃金を引き下げ、さらに今度は公務員の賃下げを口実にして、来春闘における資本の賃下げ攻撃に拍車をかけ、一挙に低賃金社会化を進めようとする許しがたい攻撃だ。
 しかも勧告は、今春闘での賃下げの実態をも上回る大幅引き下げである。
 確かに今春闘ではほとんどの企業がベアゼロで、定期昇給の延伸やカットなどが相次ぎ、日本経団連(旧日経連)の最終集計では主要企業の賃上げ率は1・59%(定昇込み)で、定昇分を下回った。厚生労働省の毎月勤労統計調査による4月の所定内賃金は前年比マイナス1%だった。
 ところが今回の勧告は2%を超える引き下げ率で、定昇(約1・7%)を含めてもマイナスになるのだ。
 これは、日帝・小泉政権の総額人件費引き下げ方針に沿って、意図的に民間賃金の調査方法が改悪されたことによるものである。
 さらにまた、この攻撃は有事立法攻撃下での公務員労働運動破壊攻撃である。
 日帝は戦後、公務員労働者の労働基本権剥奪(はくだつ)の代償措置として、人勧制度を設け、民間に準拠した賃上げを行ってきた。それ自体、賃金を抑制するものであったとはいえ、そのもとで公務員労働者は秋季確定闘争を焦点に統一的な賃金闘争を闘ってきた。ところがマイナス人勧となれば、人勧完全実施の要求は、組合自らが賃下げを要求することになる。マイナス人勧は、戦後的な人勧制度―賃金闘争への解体攻撃なのだ。
 一方で、小泉政権は公務員制度改革攻撃で、公務員の労働基本権を剥奪したまま、人事院機能の縮小や現行の俸給制度の解体―能力・業績・職責を反映した新給与制度の導入、降格や免職=首切りの自由などを狙っている。今回の勧告は、この公務員制度改革攻撃そのものとしてある。
 これに対して、自治労など公務員労組連絡会は、「現下の厳しい社会経済情勢や民間賃金の動向と実勢を正確に反映したものであれば、われわれとしてもこの水準勧告については受け止めざるを得ない」とする見解を出した。4月に溯る減額調整については「不利益不遡及(そきゅう)の原則に抵触」と批判するが、賃下げそのものには全面屈服しているのだ。
 マイナス人勧に対する闘いの原則は、絶対に賃下げを許さない立場で闘い抜くことである。勧告の実施強行粉砕―賃下げ阻止へ、今秋有事立法粉砕決戦と一体の闘いとして秋季賃金闘争を闘おう。

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週刊『前進』(2067号3面3)

失業労働者の団結へ 被災地・神戸からの報告 (2)

 被災地反失業闘争の出発点 失業手当て獲得が信頼に

 震災で壊滅した長田の産業

 95年1月17日未明に起こった阪神大震災は、一瞬にして6000人にのぼる労働者人民を犠牲にした。そして生き延びた労働者を失業地獄へ追いこんだ。震災直後、仕事を失った労働者は10万人と言われる。全国に先駆けて、一足早く来た大失業が被災地神戸の労働者を襲ったのだ。
 神戸市長田区を中心とするケミカルシューズ産業で働く労働者は、地震と火災で産業丸ごとが壊滅的な被害を受け、就労先すべてが奪われた。在日の人びとや被差別部落の人びとの生業としてあった産業そのものが震災直後途絶したと言っても過言ではない。
 関西合同労働組合は、震災直後からの現地調査を踏まえて中小零細企業の密集する、もっとも被害の大きかった長田区の長楽公園にテントの労働相談所を開設して、95年2月5日から労働相談を始めた。

 雇用保険未加入でも支給へ

 ほとんどの相談が一般的な労働相談ではなく、職場がなくなり、「食っていけない、生きていけない、何とかならないか」という相談だった。長田の零細企業ではほとんどの雇用主が雇用保険に加入しておらず、雇用保険未加入の労働者は、失業手当を受給できないと思っていた。だが雇用保険は生命保険などと違って、加入して保険料を納めていることが受給要件ではなくて、雇用関係にあったことが要件であり、行政が認めさえすれば失業手当は支給される。このことをわれわれはつかんでいた。
 そこで、雇用保険の失業手当をかちとる闘いが開始された。2月26日、被災地雇用保険給付要求者組合を立ち上げ、労働省、兵庫県労働部(いずれも当時)や職安との交渉によって、雇用保険未加入労働者の確認請求を、簡易申請方式(事業主の雇用保険加入手続きを省略して、いきなり被保険者資格を認める方式)として認めさせた。これは、震災で大多数の雇用主が行方不明という現実の中で、失業手当をかちとるために絶対に必要な方法だった。
 この闘いは、失業者が結集して対行政闘争に決起し、集団で申請を行ったことにより勝利した。震災で失業した膨大な労働者が押し寄せ、職安は暴動寸前だった。このままでは生きていけないという労働者の実力行動が行政に集団での簡易申請を認めさせたのだ。この集団申請によって1500人の雇用保険未加入の労働者が失業手当の受給をかちとった。
 この勝利において決定的だったのは「要求者組合」という団結体を立ち上げたことである。いきなり労働組合というかたちをとらずに、「生きるための要求」をそのまま組織にした。要求を組織しながら階級的に発展させていくことに大胆に踏み切ったのだ。
 避難所や区役所などでまく労働相談のビラやポスターに、「雇用保険に入っていなくても金が出るぞ」「パート・アルバイトでも失業手当がもらえるぞ」などの大きな見出しをつけた。これによって、失業者が労働相談所に殺到した。
 失業手当を実際に受給できたことによって、被災失業者の要求者組合に対する信頼は強まった。受給をかちとった失業者がまわりの労働者へ口コミで要求者組合の存在を知らせ、さらに多くの失業者が確認申請を行った。それらの人々の中から、定例の役員会に参加する組合の中心的な活動家が生み出されていった。

 多様な団結体へと運動発展

 失業手当は、震災特例の60日延長を加えて最低150日分の基本手当が受給できた。失業者のだれもが、5カ月もたてば、仕事につけると考えていた。しかし、ケミカルシューズ産業は震災前から中国への生産拠点の移転などによって神戸における生産が減少していた。私たちは要求者組合の組合員に、さらなる大失業が襲うこと、失業給付が切れた後の生活をどうやって確保するのか、ともに考えようと提案した。
 役員会などの決定をへて6月17日に雇用保険給付要求者組合を発展的に解消して、雇用と生活要求者組合を500人の組合員や支援の労働者を結集し、総会を開いて結成した。組合は代表の長谷川正夫さんを中心に、その後、行政に失業対策の諸方策を求めて闘い続けている。
 被災地の闘いは、「中高年齢失業者等求職手帳」発給要求とその敗北など7年間のさまざまな苦闘を経て、現在では雇用と生活要求者組合を中心軸に、しごと開発就労者組合、被災地労働者企業組合、労働者供給事業部など、さまざまな団結体を結成し、被災地を超えて関西合同労組兵庫支部として発展しつつある。
 失業労働者の団結をつくりだす闘いは困難を極める。なぜなら、失業労働者は個々バラバラであり、多くの組織労働者のように職場というあらかじめの団結のための袋がなく、収入が途絶したことで、財政的な壁がたちはだかるからだ。だから失業労働者の組織化のためには、組織労働者の支援は不可欠である。それと同時に、組織労働者も、反失業闘争をともに闘うことで本物の階級的団結が形成されていくのだ。
 私は、右も左もわからないまま被災地の労働者の中に入って、労働者とともに悩み苦しみ、喜びをわかちあいながら闘う中で、労働者の自己解放の力に確信が持てた。労働者の中に入り、まず自らが実践すること、そうすれば道は開かれる。これが私の被災地7年間の闘いの結論である。
  (投稿/田中文夫)

被災地・神戸 闘いの歴史

95年1月 阪神大震災発生(17日)
  2月 労働相談所設置(5日)
     雇用保険給付要求者組合結成
  6月 雇用と生活要求者組合結成
     第1次中高手帳申請
  11月 全国労働者集会に80人参加
     翌6日、労働省交渉
96年1月 阪神大震災1周年集会
  5月 労働省交渉でゼロ回答
97年4月 被災地しごと開発事業開始
     第1回被災地反失業総行動
98年2月 しごと開発就労者懇談会結成
     宮武書記長不当逮捕、奪還
99年2月 第2次中高手帳申請
  3月 中高手帳申請却下
00年10月 しごと開発就労者組合結成
02年3月 しごと開発事業打ち切り

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週刊『前進』(2067号3面4)

資本攻勢&労働日誌 7月24日〜8月15日
 国家公務員に2%賃下げ勧告 経済問題で自殺が過去最多/審議会 最賃据え置き答申

●7月24日 警察庁のまとめによると昨年1年間の全国の自殺者は3万1042人。経済・生活苦問題が6845人と過去最多を記録した。
●25日 日本経団連公表の大手企業の夏季一時金妥結状況(最終集計)では、今夏の一時金は、昨夏より1.02%少ない76万9564円。
●26日 中央最低賃金審議会は、02年度の最低賃金の目安について「現行水準の維持を基本とし、引き上げ額は示さないことが適当」との見解を坂口力厚労相に答申した。据え置き答申は初めて。
◇労働者本人の医療費の自己負担比率を現在の2割から3割に引き上げるなどの医療制度改革関連法が参院本会議で可決、成立した。引き上げは来年4月から実施。
●29日 社会経済生産性本部の研究委員会は「日本型成果主義」の導入について報告。能力主義の長所を残しつつ成果主義を取り入れた日本型成果主義を主張。
●30日 総務省発表の4・5月期「就業希望状況調査(速報)」で失業労働者の厳しい実態が明らかになった。(要旨別掲確報
◇総務省発表の労働力調査(速報)では6月の完全失業率は5月と同じ5.4%、完全失業者は前年同月より30万人も多い368万人に達した。地域別では近畿6.8%、九州6.3%、東北6.4%などが高い。厚労省発表の6月の有効求人倍率(季節調整値)は0.53倍と前月と同水準となった。
●31日 厚労省発表の6月の毎月勤労統計調査(速報)では常用労働者総数は前年同月比0.6%減。製造業は4.9%減で、いずれも過去最大の減少率になった。(確報
◇日本医労連が8月2日まで定期大会を開いた。有事法制反対など5つの重点を決めた。
●8月2日 厚労省は凍結されてきた公的年金の物価スライド制を一部解除し、今年の物価下落分だけ来年度の年金給付を引き下げる方針を固めた。
◇国営4企業職員の賃金改定をめぐり、中央労働委員会は労使調停を実施したが、賃金水準を巡る対立では異例の打ち切りになった。
●6日 連合は石原東京都知事との政策協議に参加することに。
◇連合は、02年賃上げの最終集計結果を公表した。平均賃上げ率は1.72%と昨年より0.20ポイント減少。
●8日 人事院は国家公務員の月例給を行政職で平均2.0%引き下げる勧告を行った。俸給表のマイナス改定は人勧史上初めて。
●9日 厚労省発表の国民生活基礎調査では、00年の一世帯当たりの平均所得は前年比1.5%減の616万9000円で、4年連続のマイナス。生活が苦しいと感じている世帯も4年連続で半数を超えた。
●15日 愛媛県教育委員会が「つくる会」の中学歴史教科書を採択した。愛媛県教組や全教が抗議。

 総務省「就業希望状況調査」に見る失業労働者の実態

●収入ゼロが半数の160万人
 完全失業者の半数(160万人)は失業期間中に雇用保険(失業手当)などを含めた収入がまったくない。雇用保険の受給期間(90−330日)が終了した長期失業者などが含まれているため。
●世帯主失業で2割が預貯金取崩し
 世帯主が完全失業者である世帯の1ヵ月の主な収入源は年金・恩給が23.9%、雇用保険の失業給付22.5%、預貯金等財産の取り崩しが21.1%。
●潜在失業者923万人、失業率19%
 非労働力人口4082万人のるち職を「探す予定・探す可能性があると失業率は18.9%にもなる。「近々探す予定」の人に限っても178万人で失業率は8%に跳ね上がることになる。

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週刊『前進』(2067号4面1)

「謀略論」本で恥さらすカクマル
革命軍の戦闘に圧倒されて黒田が逃げ込んだデマ物語
 滝沢 輝規

 今年5月、カクマル出版社=「あかね図書販売」から『ドキュメント資料 内ゲバにみる警備公安警察の犯罪』(上・下)なる「謀略論」本が発行された。編著者は玉川信明なるカクマル組織外の人物となっているが、内容から見て、カクマル頭目・黒田寛一の指示のもとで編集・出版の全過程をカクマル自身が行ったものである。これまでのカクマルデマ物語=「謀略論」のゴミくずを集めたものである。上・下巻で1000ページを超える内容の9割以上は、過去の反革命通信『解放』に掲載されたデッチあげ「謀略物語」(1974年以来のわが革命軍による対カクマル赤色テロル戦を「権力の謀略」と宣伝するデマ)の記事を寄せ集めたものである。

 出版自体が「謀略論」の大破産の墓標

 すでに色あせてしまっている「謀略論」を今になってまとめて出版しなければならなくなっていること自身に、黒田とカクマルの組織事情がある。つまりこの本の出版目的は、「神戸謀略論」(*)をもってカクマル組織内でも最後的に破産してしまった黒田主導の「謀略論」をなんとか救い出そうとするところにある。カクマルにとって、謀略論の破産を認めてしまえばすべては終わり、組織はまったく成り立たない切羽詰まった状態にあるのだ。
 *「神戸謀略論」 97年の神戸小学生連続殺傷事件について、犯人はA少年ではなく、CIAのしわざであるとしてカクマルが展開したデマ運動。
 しかし、いくらうずたかく積み上げても、デマはデマでしかない。ゼロは何百倍してもゼロでしかない。カクマルが二十数年にわたってデタラメなデマを並べ立ててきたことを自己暴露するガラクタの山、恥さらしの集大成である。
 70年安保・沖縄決戦で、中核派は端緒的な武装闘争で階級闘争の新段階を切り開いた。この現実に打ちのめされ、路線的に行き詰まったカクマルは、中核派に対して「武装蜂起妄想主義」とか「革命主義」と非難して、中核派に対する2度の破防法弾圧に乗じて、権力に対してはけっして向けない武器をもって背後から襲いかかってきたのである。警察=カクマル連合(K=K連合)と言う。
 われわれは、権力とカクマルという二重の反革命に対して、反撃しなければならなかった。戦略的防御・対峙・総反攻の段階的戦略をもって、革命軍を先頭に全力で戦った。特に、73年9月にカクマルに対する報復戦に突入して以来、戦闘につぐ戦闘でカクマルを圧倒的に追い詰めた。「K=K連合」に依拠し、初期的奇襲性に酔っていたカクマルは、戦争指導の破綻(はたん)を突き付けられたのである。
 74年6月にカクマルが叫び始めた「謀略論」は、黒田の脆弱(ぜいじゃく)性を根拠としたものであり、黒田哲学の観念性を全面開花させたものである。それは、「中核派が行った戦闘は権力による謀略だ(襲撃者は権力で、中核派はそれを追認しているにすぎない)」というものであり、中核派との戦争に敗北したことだけは認めたくないということを動機に打ち出された荒唐無稽(こうとうむけい)なデマ物語である。
 それは、わが革命軍の索敵情報活動の素晴らしさや練り上げられた戦闘の立派さ、権力に一指も触れさせない撤収の完璧(かんぺき)さに圧倒され驚いて悲鳴を上げたものでしかない。初めから事実を直視できず、黒田の「政治的判断」に意義付与するためのデマづくりで成り立ってきたのだ。
 さて、この本の構成は反革命通信『解放』のデマ記事収録以外では、@玉川による黒田インタビュー、AJR労働者の座談会、Bコラム・関係者インタビュー、C年表、D玉川の解説などからなっている。玉川のまえがきや解説、年表も含めてすべてカクマルが書いた原稿である。
 お笑いなのは、それを玉川信明なる人物を買収し、その名義を借りて語らせなければならないほどに、黒田とカクマル指導部の権威が失われ、「謀略論」がボロボロになってしまっていることである。あらためてわれわれは対カクマル赤色テロル戦のさん然と輝く勝利の歴史、対カクマル戦30年の圧倒的勝利を、この本から確認できる。
 ところで、この玉川信明とはどのような人物か。
 玉川は、ここでは自らをアナーキストと押し出しているが、上巻のまえがきで本人の言として書いてあるように、二十歳代前半は日本共産党員であったがマルクス主義者として階級的革命的実践を貫く立場に立てずに、むしろ「マルクス主義の客観主義に、絶えず救われない自己の悲哀を感じ」、三十歳代には大正時代のニヒリスト・辻潤に傾倒、さらにその後はカルト集団・山岸会に夢中になったという小ブル的で観念的に逆立ちした人間である。「同じような視線で彼ら(梅本克己、三浦つとむ、武谷三男など)に関心を持っていたのが黒田寛一」で、そうした関心の共通性から黒田と親しくなり「なぜかウマがあうところがあって……中断時期もあったが」手紙の交換をするなど「互いの絆(きずな)を強めていった」と言っている。〃類は友を呼ぶ”とはこういうことで、黒田と玉川は階級闘争に「救われない自己の悲哀を感じ」る人間として交通していたのだ。

 「神戸謀略論」はどこへ消えた?

 下巻の表紙の帯には、この謀略本の宣伝文句が次のように記されている。 
 『「内ゲバ」時代の謀略とはどんなものだったのか?/職業的専門工作者(プロフェッショナル)の襲撃 その真相にせまる!/三里塚・サミット謀略、鉄道妨害などの事件の真実を実証と推理で暴いたドキュメント集!』
 つまり、「謀略」とは「カクマルに対する襲撃」+「三里塚・サミット謀略、鉄道妨害」だと言っているのだ。ところが、カクマルが載せている「謀略年表」には、96年以後のゲリラ戦、列車妨害事件について「謀略」とか、「〜が追認」といった記載が一切見当たらない。95年までの部分にはすべてそうした記載があるのにである。
 そしてカクマルが謀略だと叫んできた「O−157食中毒事件」「地下鉄サリン事件」「和歌山カレー事件」、そして何よりも「神戸少年事件」が単なる「事件」として記載されているだけである。玉川の「解説」でも完全に後景化している。
 つまりこの本の特徴は、カクマル「謀略」史から、これらの「謀略論」がそっくり外されているということである。「内ゲバ」襲撃=「権力の謀略」ということだけを強調する形にしている。「神戸謀略論」で破産した「謀略論」の修正を図っているのである。

 本多書記長虐殺を開き直る黒田

 この本の中で唯一、玉川が自分の心情をそれなりに表現しているのが、〈特別付録 その二〉の黒田インタビューである。
 玉川は「(カクマルによる七一年)八月十四日の法政大攻撃が『内ゲバの循環』をもたらした」と黒田を追及するのだが、黒田は言を左右にしてはぐらかし、「集団戦に次々に敗北した中核派や青解派に国家権力がテコ入れをはじめた。……謀略襲撃と、これにたいするわが特別行動隊がおこなった直接的党派闘争」は別の問題だとすりぬけ、「権力の謀略襲撃」に話をずらし、しまいには(玉川に)「あんた! 反権力の意志はなくなったのか?」と事実から逃げ出して立場性の問題に話をすりかえるのである。ここでも明らかなように「謀略論」の神髄は、事実の解明ではなく、謀略論(=黒田)を信じるかどうかという問題なのだ。
 すべて「謀略論」にもっていく黒田は、許せないことに75年3月14日の本多延嘉革共同書記長の虐殺について開き直っている。
 「七〇年安保=沖縄闘争を『日本における〇五年革命』とみたてた。こうして武井(本多書記長)自身が『破防法を引きだす』……とほざきはじめ、武闘主義に転落したのだ」「七〇年安保=沖縄闘争を前にして武装蜂起をがなりたて、この闘争の敗北の直後には『殲滅(せんめつ)の思想をもって……』とか『無制限・無差別産別戦争』とかを……呼号した」、だから殺したのだ、と言っている。これが黒田による本多書記長虐殺の心情であり、動機であり、ついに自分の口で語った白色テロル=暗殺指令の告白である。
 黒田は、62〜63年に革共同から逃亡した時から本多書記長へのコンプレックスを抱き、革共同の解体、本多書記長の虐殺を意図していたのだ。自らの政治的=組織的・イデオロギー的破産を認めようとせず、小ブル的自己保身と革命党に対する反革命心情をもって、かけがえのない本多書記長の命を奪ったのである。まぎれもない反革命そのものだ。どんなことがあっても、黒田を革命的に処刑し、恥多き死を強制しなければならない。
 インタビューの最後に、玉川が「機関紙ではずっと『勝利』だの『中核は瓦解(がかい)寸前』だのと繰りかえしている。にもかかわらず、両派とも軍団が健在なのはどういうわけか?」と質問している。これに黒田は「また同じことを繰りかえす。謀略なのだ!」といらだち、「一九九六年五月十四日の虐殺事件以降には殺人襲撃事件はおきていない。たぶんC1Aの再編成がおこなわれているからだろう」と言ってほっとしているのである。黒田が「謀略論」に固執するのは中核派との「内戦」における敗北という現実から逃れたいだけなのだ。

 デッチあげ物語が随所で大破産

 この本には上・下巻で合計31編の「関係者インタビュー」と玉川の概説が挿入されている。「謀略論」にリアリティをもたせるつもりの企画であろうが、それはいたるところで破産しているのだ。そのいくつかを暴露する。
(1)「ホヲトク印刷事件」(74年6月30日)「第一次謀略」
 カクマルが『解放』の印刷を外注していた東京商工印刷(千代田区)を74年6月20日に中核派が粉砕した後、カクマルはホヲトク印刷(新宿区)で『解放』を刷り始める。そこをわが革命軍が直ちに摘発して粉砕した。これを「権力の謀略襲撃」と言ったのが、カクマルの「謀略論」の出発点である。この件についてこの本はこう言っている。
 「この事件の発生後、革マル派は十数名の調査班を組み……調査した。その結果、なんとこの事件はホヲトク印刷のほぼ真向かいにある空き家のはずの菅井宅を諜報(ちょうほう)・出撃拠点として仕組まれたものであったことが判明し、拠点の現場責任者は四機河尻中隊長に他ならないことまで突き止められた。……ところがこの空き家については革マル派は……とうに三月以来承知していたのである。……彼らは自分たちが革マル派の逆監視下にあり……警官の実体、所属部隊までもがつかまれていたことを知らなかった」
 これは、当時の『解放』では「五月から監視下にあった」と説明している。いずれにしても6月20日にわが中核派によって東京商工印刷が粉砕されて使えなくなるはるか前から、カクマルがホヲトク印刷前の空き家を監視していたというのだ。つまり、カクマルは、「謀略部隊」=警察が真向かいにいるから安全と思ってホヲトク印刷に移ったということになるのだ。
 ホヲトク印刷の襲撃について調査する中で、「6・20東京商工印刷に対する吹きぬけ襲撃の背後にもまた国家権力の黒い手が動いていることを暴き出した」などと言っているが、自ら「謀略部隊=権力」の監視下に入るとは、そもそもの出発点からこの物語は破産しているではないか。
(2)「大井署警備課長・大巴薫が襲撃を指揮」(74年9月23日)「第二次謀略」
 カクマル「全学連」委員長(当時)の前川健をわが革命軍がせん滅した戦闘について、カクマルは「大井署警備課長・大巴」が指揮し実行した「謀略」であると主張してきた。その唯一の理由は、前川が直後に「オオトモにやられた」とうわ言のように繰り返した、という一点のみである。この点について、この本では、今日の時点で前川の回想を載せている。
 「『日光マンション』にタクシーで帰ったこと、ドアを開けた時に風呂場の電気がつけっぱなしになっており、『あれ?』と思ったことなどを思い出すことができた。だが実に情けないことに、それ以後の記憶は蘇(よみがえ)ってこない」「私は一九七三年四月二七日に……パクられ、起訴された。……ある日、四十代半ばの背丈の低い小太りの取調官が、初対面の私を、最初からガーガー恫喝しわめきたて続けた。……『取り調べをしないのなら房にもどせ』と私は抗議した。キレてしまったこのデカは怒鳴りちらしながら部屋から出ていった。……もしこのデカ野郎が別の時に『員面調書』に署名しておれば、私は確実にこの男の名前と顔を覚えたに違いない。そして事件は、この一年半後である」
 この回想では、前川は襲撃された時のことは何も思い出せないが、それ以前の記憶は失われていない。そこでは前川は、〃キレたデカ”の背格好まで記憶しているにもかかわらず、この取調官が「オオトモ」かどうかを知らない、名前も覚えていないと言っているのだ。本人が覚えていない取り調べのデカを当時の『解放』は「かつて前川君を取り調べた男」と言っている。うわ言の「オオトモ」は作り話であったことが暴露されているのだ。
(3)「三カ所同時襲撃の謀略隊員を打ち倒す」(74年12月16日)「第三次謀略」
 東京・港区、墨田区、北区のカクマルアジト3カ所を革命軍が同時攻撃した戦闘については、次のように言っている。
 「A地点の襲撃は謀略隊員と中核派と暴走族との混成部隊によりなされ、中核派の特定メンバーを生贄(いけにえ)逮捕……C地点の襲撃部隊は屋上からロープを伝わって襲撃したのであるが、活動家たちが投げつけた食器の音にあわてて……逃亡……B地点においては、襲撃部隊を迎え撃った全学連活動家が襲撃者一名を打ち倒した。この打ち倒された犯人Xが権力の特殊謀略隊員であることを、革マル派は数々の確実な証拠をもって明らかにし、暴露した」
 また別なところではこう言う。「警察権力とそれによって動員されたヤクザ・ゴロツキであったという可能性もまたきわめて大なのだ」(当時の『解放』)
 いったい「中核派と暴走族と特殊謀略部隊とヤクザ・ゴロツキ分子」がカクマルを一斉に襲撃することなど、どこをどう押したら出てくるのだ。こういう根も葉もない勝手な作り話が「謀略論」ではえんえんと並んでいるのである。
 しかも、ここで打ち倒したという「X」は病院のベッドで「暇をもて余して読む本はといえば、マンガ以外には『ゾルゲ事件』『パリは燃えているか?』といったたぐいのもの」(当時の『解放』)。「Xは若く、色白で、痩せていて、……あえていえば新米警官かなと思ったものです。(私が話しかけるとXは)言葉を濁して、ゴソゴソしはじめたと思ったら『前進』を広げて、私の質問には対応しないという態度を示しました」(関係者インタビュー)
 なんと「X」に関する記述は特殊謀略隊員→ヤクザ・ゴロツキ分子→『前進』を読む(?)やせた新米警官(なんだこれは! 病院のベッドで『前進』を読む警官がどこにいるのか!)と変化しているのだ。
 「謀略論」とはこのようにすべて実にでたらめで、一貫性のなさに満ちている。このことにあらためてあきれかえる。「第一次」から「第十二次」まですべての「謀略論」はこのようにカクマルによる底の浅いデマ物語でしかない。

 黒田とカクマルに未来はない

 カクマルにとって「謀略論」は、黒田主導による反革命基本路線であり、カクマル党組織論であり、「運動」論であり、また対革共同の戦争論である。
 そのうえ重要なことは、黒田によるカクマル組織内の権力闘争そのものだということである。
 黒田は78年、山代冬樹を書記長の座から追い落とす時に、黒田による清水同志「失脚」説に異を唱えた山代を「実感主義者」として弾劾し、更迭した。今、「失脚」物語はどこにいったのか? 口をつぐみ、いつの間にか清水議長の健在を認めている。黒田とカクマル指導部にとって問題は、真実は何かなのではなく、黒田の「政治判断」に従うかどうかなのである。黒田の組織的権威に追従するかどうかが「謀略論」のポイントなのである。
 問題は、この「謀略論」が「神戸謀略論」をもって最後的に破産してしまったことである。「謀略論」の破産はそのまま、黒田の権威の失墜であり、JR総連が離反した今のカクマル組織の唯一のよりどころの瓦解なのである。
 もはや、論文を書くことはもちろん、筋道だった話ひとつできず、自己の直観を「歌」で方針化して権威付けするしかない黒田と、それに付き従うカクマル指導部。玉川を使った「謀略本」の出版は、このカクマル組織で進行する瓦解をくい止めるための黒田とカクマル指導部の権威復活をかけたものなのである。しかし、その延命策動はまったく展望がない。
 この本に貫かれていることは、戦争に敗北しているという唯物論的事実から逃げ出し、それを防ぐ組織的闘いをせず、「権力は万能だから、やられてもしかたない」と「謀略論」−権力万能神話を極限化し、内戦における黒田の戦争指導責任をあいまいにさせていることである。ここには、わが中核派の赤色テロル戦に対する敗北というおのれの戦争指導責任から逃げ回る卑劣漢・黒田の姿がある。
 それだけではない。黒田とカクマル指導部は、赤色テロルでせん滅された78人をもちあげ、「権力に謀殺された者たちのことを考えろ!」と転倒させてメンバーを恫喝し、「謀略論を信じろ」と組織的引き締めを図る材料にしているのだ。「謀略論」の無責任性、御都合主義が現れている。
 黒田・カクマルは、玉川を買収して名義も買い取りカクマルの言うがままの本を出させた。しかし、玉川も一抹の後ろめたさを感じたのだろう。「あとがき」の中で「これでやれやれお終い……」と言ってため息をつき、また自分一人ではこんな膨大な作業はできなかった、「革マル派の組織や『あかね図書販売』の皆さん等大勢の方々」が全面的にやったんだ、と白状している。破産した「謀略論」を取り繕うためにこんな人物を利用することしかできなくなっているのだ。
 今のカクマルは、『黒田寛一のレーベンと為事(しごと)』の感想文をもって黒田帰依運動で組織を維持しているが、しかしその黒田は日本主義礼賛者になりきって階級闘争に敵対し、聞くに堪えない「歌」を詠んで指導と称しているありさまである。もはやカクマルに未来はない。有事立法粉砕闘争の爆発がカクマルをますます追いつめることは必至だ。絶望的にファシスト軍事行動に出て来ざるを得ないカクマルを革命的武装自衛態勢で粉砕し、完全打倒へ攻めのぼろう!
 第6回大会路線で武装し黒田とカクマルの最後的打倒に向かって追撃しよう!

◆対カクマル戦年表◆

62〜63
革共同第3次分裂、黒田ら逃亡
67
10. 8
佐藤訪ベトナム阻止羽田闘争
69
4.27
本多書記長らに破防法弾圧
69
11  
佐藤訪米阻止闘争
71
11  
沖縄返還協定批准阻止闘争
革共同に破防法弾圧
71
.12. 4
カクマルが関西大で武装襲撃
73
9.21
革命的報復戦に突入
74
6.30
革命軍がホヲトク印刷攻撃。カクマルが「謀略」デマ唱え始める
8. 3
戦略的総反攻突入を宣言
9.23
カクマル前川健をせん滅
「第2次謀略」唱える
12. 1
関西で3カ所同時攻撃
「第3次謀略」唱える
12.16
東京で3カ所同時攻撃
75
3.14
カクマル、本多延嘉書記長虐殺
革命軍、3・14復讐戦突入
77
1〜 
カクマルが「水本デマ」運動
80
10.30
3・14虐殺下手人5人完全せん滅
81
9  
先制的内戦戦略の第2段階突入
85
三里塚・国鉄決戦
85〜86
カクマルが国鉄分割・民営化攻撃の先兵に転落
86〜
国鉄カクマルせん滅戦
91
5  
革共同が5月テーゼを打ち出す
97
6〜 
カクマルが「神戸謀略論」運動
99
.12〜 
カクマルとJR総連分裂表面化

 

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週刊『前進』(2067号4面2)

投稿 EU首脳会議に反撃 

高揚するヨーロッパ労働運動 ゼネストのスペインから報告

 ヨーロッパの運動は、もうすごいことになっています。6月にスペインを旅行してゼネストに遭遇したのでその様子を報告します。
◆移民排斥のEU首脳会議
 スペインのセビリアで、EU(欧州連合)首脳会議が6月21日から22日にかけて開催され、15カ国の首脳が出席しました。最近のヨーロッパの政界の右傾化を反映して、初めて首脳の大半を右派が占めました。
 会議では、「移民を生み出す国々への援助は削減するべき」(ブレア・イギリス首相)、「『不法移民』の漂着を阻止するために地中海を戦艦で巡回する」(アスナール・スペイン首相)という移民排斥の提案まで議題に上りました。
 ヨーロッパ中からセビリアに集まったデモ隊は、移民との連帯を掲げ、「『不法』な人間などいない」「資本主義と戦争に反対」「われわれが望むのはアメリカ型ではなくヨーロッパ型の社会モデルだ」との声をあげて、20万人デモを貫徹しました。
◆ゼネストに1000万人
 この日にあわせて、スペインの2大労組のUGT(スペイン労働者総同盟)とCCOO(スペイン労働者委員会)が労働法制改悪反対の24時間ゼネストを呼びかけ、「サミット」開催前日の20日、公共・民間の製造・交通・輸送部門など多くの労働者が参加し「失業者保護令全面撤回・労働法改悪反対」を掲げて1000万人以上が全国一斉ゼネストに突入しました。
 アスナール首相率いる与党人民党が多くの反対を押し切って成立させた労働新法は、スペイン憲法で規定されている基本的人権と労働権を大幅に侵害して、失業者保護令も失業者の権利もないがしろにするものです。ゼネストの3日前に行われたアンケート調査では、国民の47%がゼネストを「支持する」と答えています。
 マドリッドやバルセロナなど主要都市では、空港へ通じる鉄道や道路はバリケードで封鎖され、ほとんどの駅やバス停などにピケが張られ、長距離列車は運行を全面休止し、何百人もの労働者がバスの前に座り込みを貫徹しました。市場に搬入のために出入りしようとするトラックや路線バスなどにも、組合の書記と情報ピケ隊がストライキへの参加を訴えました。
 ゼネストは大成功で、特に大きい工場や公共サービスは完全に停止しました。駅やバス停、空港のあらゆる窓には「スト貫徹」「デモに決起しよう」のポスターが張られ、地下鉄、バスなど輸送機関は完全にストップし、また広場や通りにもピケが張られたため、スーパーなども休業、レストランやパブも閉店です。
 政府はスト参加者は全労働者の16%と発表しましたが、組合の指導部はほぼ84%と発表しています。多くの移民労働者が「移民(入管)法反対」、学生は「新大学法反対」を掲げて連帯して闘いました。
◆「サミット」反対デモ
 「サミット」当日の21日からセビリアに各団体が集まり、22日の大デモの準備に入りました。デモ当日は朝8時ごろから多くの人が続々と駅につめかけ、10万人以上が参加して「資本主義と戦争に反対」「『欧州の要塞(ようさい)化』(=ブロック化)反対」を掲げてデモが貫徹されました。デモはセビリアのほかスペイン全土で行われ、マドリッドでは50万人以上、バルセロナでは30万人、ヴァレンシアでは6万人が参加しています。スペイン中の駅やバス停、街頭でビラがまかれ、壁などにスプレーで書かれたメッセージもあちこちで目立ちました。
 今回のスペインのゼネストは、4月のイタリアのゼネストを引き継ぎ、同時期の6月18日のギリシャの年金改悪反対ゼネスト、19日のヨーロッパ各国の航空管制官のストとも一体の闘いです。日本でも6月16日に6万人の有事立法反対の大集会が行われました。時代の流れが大きく変わりつつあることを実感します。
   (東京・桜田嘉則)
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週刊『前進』(2067号4面3)

日誌 '02  8月14日〜20日

 米国防報告「先制攻撃」明記 空母リンカーン佐世保入港

●アフガン駐留「数年単位」 アフガニスタンに滞在中の米政府高官が、アフガニスタンに駐留する米軍について、アルカイダ掃討戦や治安問題のために、今後も「数年単位」で駐留が続くとの見通しを示した。(14日)
●対テロ専門部隊、来年度に新設 防衛庁は、大規模テロやゲリラ、不審船対策の一環として、対テロ・ゲリラの専門部隊を来年度に新設する方針を決めた。専門部隊は300人規模で、首都圏の陸上自衛隊の中に編成される。(14日)
●「つくる会」教科書、公立中で採択 愛媛県教育委員会が、来春開校の県立中高一貫教育校に、侵略戦争賛美の「新しい歴史教科書をつくる会」主導の中学校歴史教科書(扶桑社版)を採択した。公立では昨年の東京と愛媛の養護学校などに続く採択。(15日)
●米国防報告、先制攻撃を明記 ラムズフェルド米国防長官が、02年国防報告を議会に提出した。「時には先制攻撃が必要」「あらゆる手段を行使する」などと先制攻撃や核兵器使用にも言及。(15日)
●5閣僚が8・15靖国参拝 東京・九段の靖国神社に片山総務相、武部農水相、平沼経産相、村井国家公安委員長、中谷防衛庁長官の5閣僚が参拝した。超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の54人も参拝した。(15日)
●米原子力空母が佐世保に入港 米原子力空母「エイブラハム・リンカーン」(満載排水量10万2千d、5350人乗り組み)が、長崎県佐世保市の佐世保港に入港し、港の中央付近に停泊した。インド洋に向かう途中の寄港。普天間飛行場や嘉手納基地へ艦載機のFA18ホーネットなどが編隊で、相次いで飛来した。19日出港。(16日)
●米兵引き渡し拒否で、日本に協力要請 米政府が、日本政府に対し、国際刑事裁判所(ICC)に米国の将兵を引き渡さないと定める2国間協定を結ぶよう要請した。日本外務省は「緊密に協議を続けることで合意した」と説明している。(16日)
●「PKO、アジア太平洋優先」 東ティモールを訪問中の中谷防衛庁長官は、東ティモールへの自衛隊派遣を04年春まで継続する考えを表明するとともに、国連平和維持活動(PKO)への日本の参加について、今後は、司令部要員などより高いポストに自衛官を送り込む一方、部隊の派遣先は日本の安全保障を重視して、アジア太平洋地域を優先する考えを示した。(17日)
●自衛隊統合運用へ計画室 中谷防衛庁長官は、現在、陸海空3自衛隊でそれぞれ独立している部隊運用の命令執行権限を、統合幕僚会議(統幕)議長に一本化する「統合運用」実現のため、新たに「統合運用計画室」を設けることや、将来的に統合輸送部隊も創設したいとの考えを明らかにした。(17日)
●与党単独でも有事法案修正 自民党の山崎幹事長は、継続審議になった有事法案について、民主党が修正協議に応じない場合には与党3党単独で秋の臨時国会に修正案を提出し成立をめざす考えを表明した。(17日)
●組織犯罪条約、来年批准 政府は、国連国際的組織犯罪防止条約を来年の通常国会で批准する方針を固めた。同条約は、「共謀罪」や「証人買収罪」などの創設を求めていることから、法務省は組織的犯罪処罰法などを改悪する方向で検討している。(18日)
●数百人の捕虜タリバンが死亡 アフガニスタンで昨年11月、北部同盟に投降したタリバン兵を収容所まで輸送する間に、トラックのコンテナの酸欠などで数百人が死亡していた、と米ニューズウィーク誌が伝えた。国連は事件について極秘のメモを作っており、死者が1千人近くに達するという証言も盛り込まれている。(19日)

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週刊『前進』(2067号5面1)

「国家機密法」への第一歩 個人情報保護法案粉砕へ
 言論・表現を広範に規制 これは有事立法第4法案だ

 日帝・小泉政権は、通常国会で有事3法案とともに、個人情報保護法案、人権擁護法案などを継続審議とし、次期臨時国会で成立を強行しようとしている。個人情報保護法案は、人権擁護法案、青少年有害社会環境対策基本法案(未提出)とともに「メディア規制3法案」として策動されているものである。ジャーナリスト・言論人を始め大きな反対の運動が巻き起こっている。個人情報保護法案は住基ネットと一体であり、有事立法第4法案とも言うべき重大な攻撃であることを怒りを込めて暴露する。

 「保護」の名で国家による情報の管理・統制を強化

 個人情報保護法案とは、まったく新たな広範囲にわたる言論弾圧・表現弾圧法である。同時に、日帝が北朝鮮・中国侵略戦争に突入・遂行するのに不可欠の国家機密保護法の決定的な第一段階であり、明白な反戦闘争禁止法である。
 同法案は、「個人情報の保護」、「個人の権利利益を保護する」(第1条)「個人の人格尊重の理念の下に」、「その適正な取扱いに努めなければならないに努めなければならない」(第3条)という名で実は、大衆という意味での「個人」にかかわる情報についてではなく、国家・行政機関の膨大な情報あるいは企業の内部情報について、それらを〈機密情報〉として労働者人民から秘匿・防衛すること、国家機密のいかなる流出をも防止することを狙いとしている。
 もともとは、99年の住民基本台帳法改悪(02年8月施行)にともなって、その「歯止め」をかけるものとして個人情報の流出の防止が公約された。ところが、今回の個人情報保護法案の実態は、いわゆるプライバシーの侵害からの諸個人の保護、その情報の保護ではまったくなくて、国家機密とその保護にまるですり替わっているのである。
 「個人情報の適正な取扱い」という言葉がこの法案のかなめにあるキーワードであるが、それは〈国家機密防衛〉という意味以外の何ものでもないのである。防衛庁が関連情報の管理にピリピリし、その情報開示の請求者や入手情報の使用目的を掌握しようと動いた問題は、実は個人情報保護法案の狙いを裏書きするものである。
 帝国主義にとって国家機密のうち軍事機密、軍事外交情報が最大の秘匿情報であることは明白である。多くのジャーナリストがこの法案に対して「巨悪スキャンダル防止法案」と命名して弾劾していることはまったく正しいのである。
 法案の内容を具体的に検討する。
[第1章:総則]
●第1条:目的
 「この法律は…個人情報の適正な取扱いに関し、基本原則及び政府による基本方針の作成その他の個人情報の保護に関する施策の基本となる事項を定め、国及び地方公共団体の責務等を明らかにするとともに、個人情報を取り扱う事業者の遵守すべき義務等を定めることにより、個人情報の有用性に配慮しつつ、個人の権利利益を保護することを目的とする」
●第2条:定義
「この法律において『個人情報』とは、生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるものをいう」
「『個人情報データベース等』とは、個人情報を含む情報の集合物であって、次に掲げるものをいう。
一、特定の個人情報を電子計算機を用いて検索することができるように体系的に構成したもの」 
「『個人情報取扱事業者』とは、個人情報データベース等を事業の用に供している者をいう。ただし、次に掲げる者を除く。
1、国の機関
2、地方公共団体
3、独立行政法人のうち別  に法律で定めるもの
4、特殊法人のうち別に法  律で定めるもの」
[第3章:国及び地方公共団体の責務等]
●第9条:国の責務
「国は…個人情報の適正な取扱いを確保するために必要な施策を総合的に策定し、及びこれを実施する責務を有する」
●第10条:地方公共団体の 責務
「地方公共団体は…個人情報の適正な取扱いを確保するために必要な施策を策定し、及びこれを実施する責務を有する」
[第5章:個人情報取扱事業者の義務等]
 第20条から第54条まであり、最も長く、この法案の本体をなす。また第7章:罰則(第61条から第64条)は、第5章を受けて第5章の各条項違反に対する罰則を規定している。
 第一の問題点は、この法案で規制の対象となっている「個人情報取扱事業者」とは何かということだ。それは第2条に明白に示されている。そこでは、国家行政機関の保有する情報とその取り扱いについては、あらかじめ規制の対象からすっぽりと抜けている。
 すると後に残るのは何か。インターネットなどで情報発信するすべての労働者・学生・人民とその運動団体〈労働組合・同活動家、学生自治会、学生サークル、地域住民運動団体、大学や民間の研究グループ・研究者、言論・報道機関、表現者・ジャーナリスト、ボランティア活動家、オンブズマン、宗教者など〉ということだ。
 しかも、第5章では「個人情報取扱事業者の遵守すべき義務」を細かく規定し、それに違反した場合の「罰則」まで厳しく定めているのである。
 つまり、この法律の規制の対象は明らかに労働者・学生・人民に向けられており、まさに治安弾圧立法としてつくられているのだ。
 第二の問題点は、第1条、9条、10条に示されている「国や地方公共団体の責務」と「個人情報の適正な取扱いを確保する」とは何かということだ。
 まず、第2条で言われている「個人情報」について、いわゆる市民としての個人を指すだけでなく、前述したように国家行政機関の保有する情報を指しているのである。問題はこの情報の内容である。いわゆる国家機密に当たるものが当然含まれるのだ。
 つまり、国及び地方公共団体の「個人情報の適正な取扱いを確保する」こととは、国家機密防衛を「責務とする」ということだ。そのために、この法律で、国家機密を階級闘争の中での階級的・人民的追及から守ることを完全に合法化しようとしているのだ。武力攻撃事態法案の中にある第4条「国の責務」、第5条「地方公共団体の責務」を想起してほしい。
 したがって、重要なことは、個人情報保護法案は有事立法3法案と一体となって、日帝の北朝鮮・中国侵略戦争の遂行のための体制づくりを行うものであるということだ。住民基本台帳ネットワークによる「国民総背番号制度」の導入と表裏一体となって、戦時型治安弾圧体制を強化するものである。まさに武力攻撃事態法などの有事3法案とともに〈有事立法第4法案〉と位置づけ返すことが必要である。

 国家機密を優先し刑罰で反国家的言動取り締まる

 個人情報保護法案は「個人情報の適正な取扱い」を押し出し、その「5原則」(第4条から第8条)なるものを定め、戦時の想定のもとに徹底的に国家機密を保護するために、反政府的性格をもつ一切の告発、暴露、宣伝、運動など〈とりわけ核心的には反戦闘争〉にがんじがらめに規制のしばりをかけ、強権的に弾圧するものとなっている。まさに戦時治安立法と言うべきものである。
[第2章:基本原則]
●第4条:利用目的による制限
「個人情報は、その利用の目的が明確にされるとともに、当該目的の達成に必要な範囲内で取り扱われなければならない」
●第5条:適正な取得
「適法かつ適正な方法で取得されなければならない」
●第6条:正確性の確保
「その利用の目的の達成に必要な範囲内で正確かつ最新の内容に保たれなければならない」
●第7条:安全性の確保
「個人情報の取扱いに当たっては、漏えい、滅失又はき損の防止その他の安全管理のために必要かつ適切な措置が講じられるように配慮されなければならない」
●第8条:透明性の確保
「本人が適切に関与し得るよう配慮されなければならない」
[第5章:個人情報取扱事業者の義務等]
●第20条:利用目的の特定
「個人情報取扱事業者は、個人情報を取り扱うに当たっては、その利用の目的(以下「利用目的」という。)をできる限り特定しなければならない」
「利用目的を変更する場合には、変更前の利用目的と相当の関連性を有すると合理的に認められる範囲を超えて行ってはならない」
●第21条:利用目的による制限
「あらかじめ本人の同意を得ないで、前条の規定により特定された利用目的の達成に必要な範囲を超えて、個人情報を取り扱ってはならない」
●第22条:適正な取得
「偽りその他の不正の手段により個人情報を取得してはならない」
 第一の問題点は、国家の情報を暴露することに対して、「利用目的を特定せよ」「利用目的を勝手に変更するな」(第20条)としているばかりか、「あらかじめ本人の同意を得ないで取り扱ってはならない」(第21条)としていることである。国家機密と言っても機密情報がひとり歩きしているわけではなく、実際には○○省の○○部長がどういうことをやったのかということとしてある。したがって、ここで「本人」というのは国家行政機関の要人・関係者ということであり、利用目的を特定するという形で、情報を反国家的活動に使ってはならないということを意味している。
 しかも、この「本人の同意」ということが「個人情報の取扱い」において必要というだけではなく、利用目的の特定にもかかる仕組みとなっている。他方で、利用目的についての規定がまったく何もないのである。すなわち本人(=実は国家)の同意を得た利用目的だけが認められ、本人(国家)が同意しない利用目的は認められないという仕組みとなっている。
 それは、侵略戦争前夜あるいは戦時となった際には、日本を守れ、国家の機密を漏らすな、敵を利する反国家的言動は許されない、それを守らないものは非国民だという国家主義・愛国主義・排外主義のすさまじいキャンペーンの中で、利用目的が帝国主義的祖国防衛と戦争翼賛以外は認めないというものとして決定的に制限されるものとなる。
 それに違反すると「利用停止」(第32条)が強制される。そしてまたそれに違反すると6月以下の懲役または30万円以下の罰金(第61条)に処せられるのである。
 第二の問題点として、さらに重大なことは、内部告発、独自の調査・分析による政治的暴露を全面禁止していることである。「偽りその他不正の手段により個人情報を取得してはならない」(第22条)と、まずはっきりと国家機密のさまざまな階級的入手を禁止している。そして、取得にあたっては利用目的をあらかじめ「本人に通知し明示」(第23条)しなければならないというのである。機密情報の取得の段階でも、利用目的の特定にかかっている「あらかじめの本人の同意」が事実上かぶさっているのである。それでは国家機密は分厚い壁に阻まれ、労働者人民はどのようにしても知り得ないということになる。
 それでも階級的入手を行うと利用停止あるいは提供停止を強要され、そして6月以下の懲役または30万円以下の罰金という罰則(第61条)が待ち受けているのである。
 第三の問題点は、個人データは正確かつ最新の内容にしておかなければならない、漏洩(ろうえい)や滅失や毀損(きそん)はしてはならない、第三者に提供する場合はあらかじめ本人の同意を得なければならないなどと、どこまでも国家機密防衛のための規制の網を掛けていることである。
 そしてそれに違反すると「第三者への提供停止」が強制される(第32条第2項)。そしてそこでも6月以下の懲役または30万円以下の罰金(第61条)の刑が加えられるのである。
 第四の問題点は、主務大臣の強権発動が、国家の不正・腐敗を示す情報の流出を防止するために位置づけられていることである。
 主務大臣は、先の5原則を貫徹するために、すなわち国家機密を階級的に入手しているかどうかなどを報告させることができ(第37条)、助言することができる(第38条)となっている。また全般的に、「勧告」「命令」「中止・是正のための措置の実施」(第39条)ができるという広い権限を与えられている。要するに、国家機密の取り扱いについては、すべて主務大臣=国家権力の直接の管理・監督のもとに置かれることとなるのである。
 そして、主務大臣の指示に違反すれば、罰則の導入を受ける。
 主務大臣による改善・中止命令、違反への罰則など政府の情報支配の権限を強め拡大している。個人情報保護法案は、主務大臣の強権のもとでの義務と罰則の法体系となっているものなのである。
 第五の問題点は、ある意味で最も卑劣なことであるが、管理・監督強化のために自主規制の強要があることである。
 個人情報取扱事業者の一定の団体化したものについて、主務大臣の認定を受けよ、「認定個人情報保護団体」となれとしている(第5章第2節:第42条〜第54条)。それは、先の5原則を自主的に忠実に守り実行する団体となれということであり、その構成員の名簿提出をも義務づけている。ジャーナリスト、ボランティア、オンブズマン、労働組合運動の活動家、学生のサークル員などさまざまな民間の活動家をすべて「認定個人情報保護団体」すなわち御用団体化しようということにほかならない。特に労働組合が、資本にかかわる情報を系統的につかむことは労働組合の団結権、争議権の基礎をなすものとしてきわめて正当な活動であるにもかかわらず、それを法的・形式的・実質的に禁止するものとなるのである。

 報道機関の御用化を進め大本営発表の復活を狙う

 個人情報保護法案は、取材の自由、報道の自由、言論・表現の自由を侵害するものだという強い批判に対して、「適用除外がある」としているが、まったくの大ペテンである。
●第55条:適用除外
「次の各号に掲げる者については、前章の規定は適用しない。ただし、次の各号に掲げる者が、専(もっぱ)ら当該各号に掲げる目的以外の目的で個人情報を取り扱う場合は、この限りではない」
 放送機関、新聞社、通信社、大学・学術研究団体、宗教団体、政治団体がそれぞれ「報道の用に供する目的」「学術研究の用に供する目的」「宗教活動の用に供する目的」「政治活動の用に供する目的」のものは義務規定=罰則規定を適用しないとなっている(第55条)。ところが同時に、「当該各号に掲げる目的以外の目的」で行ったものは「この限りでない」と明記している。
 報道関係についてみると、まず重大なことは、出版社やフリージャーナリストは適用対象に含めているのである。
 次に、「報道の用に供する目的」というのは、第一に、そもそも非常に狭い範囲であり、報道目的であるかどうか、報道目的以外の目的であるかどうかは何の基準もない。第二に、報道目的以外のすべての表現活動、製作活動を国家行政機関が監督し、統制のもとに置くということである。記者や活動家に対して、政府が取材の目的や取材源の開示を求めることができ、それを拒否すれば6月以下の懲役か30万円以下の罰金が科せられる。第三に、「事実と異なる」と判断されると「報道」であるという認定を外され、それゆえ適用除外から外される。
 つまり、いったいこのどこが適用除外と言えるのかということである。
 また同条第2項では、先の5原則に基づく「個人情報の適正な取扱いを確保するために…必要な措置を自ら講じ、かつ、当該措置の内容を公表するよう努めなければならない」と規定している。要するに、報道機関も学術研究団体も宗教団体も政治団体も、御用団体となれ、政府翼賛に努めよということである。
 とくに政治団体にとっては、この第2項は、自己規制せよ、一切の反政府言動をするな、ということしか意味しない。個人情報保護法案はこの適用除外の条文をもつことによって、むしろ政治団体〈労働運動・学生運動・部落解放運動、何よりも革命党〉の反政府・反戦闘争を締め付け、禁圧し、弾圧する狙いを貫くことができるものとなっているのである。
 以上のことから、個人情報保護法案が国家機密法、すなわち国家機密漏洩防止・スパイ防止法の決定的第一歩であることは明らかだろう。そこでは、知る権利を剥奪(はくだつ)し、内部告発を弾圧し、取材・報道の自由を抑圧している。報道機関とそれを始めとする一切の言論・表現活動を15年戦争下の大本営発表のための機関のように変質させようとしている。
 とりわけ核心的な問題は帝国主義の侵略戦争突入あるいはその前夜段階でそれを内乱に転化しようと戦略的に準備し、レーニン主義の〈三つの義務〉の遂行を階級的任務として構えている革命党である革共同の存在、その宣伝・扇動、政治的暴露の闘いはまさに個人情報保護法案をもって徹底弾圧し、活動禁止、ひいては団体解散にまでもっていかなければならない主対象としてあるということである。その点で、主務大臣の絶対的権限、義務と罰則の法体系という同法案の特徴は重大であり、戦前の治安維持法の再来ともいうべきものだ。有事立法3法案もろとも断固粉砕しよう。

 この間の治安立法法攻撃

99年8月 組対法3法(盗聴法など)制定
     住民基本台帳法改悪
  12月 団体規制法(第2破防法)制定
00年11月 国際的組織犯罪条約調印
     警察法改悪(拳銃使用規制緩和)
01年3月 個人情報保護法案国会提出
  6月 司法審最終答申
  10月 テロ対策特措法、自衛隊法一部改悪、海上保安庁法改悪の参戦3法成立
  11月 爆弾テロ防止条約批准
02年1月 盗聴法を初適用
  4月 個人情報保護法案が内閣委に付託
     人権擁護法案国会提出
     保安処分新法国会提出
  5月 前進編集長呼び出し攻撃
  6月 カンパ禁止法成立
     テロ資金供与防止条約批准
     さらぎ氏破防法最高裁有罪判決
     迷惑防止都条例への「つきまとい行為禁止」条文導入策動を阻止
     電子政府関連3法案国会提出
  8月 改悪住民基本台帳法によるネットワークシステム稼働
03年1月 政府、国際的組織犯罪条約の批准
     国内法案の国会提出の方針
     司法改革関連法案の通常国会提出
     企業秘密漏洩罪の新設

住基ネット闘争スローガン

 ☆住民基本台帳ネットワーク=国民総背番号制反対!
 ☆ICカードによる住民支配反対!
 ☆自治体は住基ネットから離脱せよ!
 ☆個人情報保護法案粉砕・抱き合わせ導入を許すな!

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週刊『前進』(2067号5面2)

沖縄地方選 名護新基地阻止・有事立法反対へ 闘う全候補の当選を

 9月8日投開票の沖縄地方選が目前に迫った。この選挙は、名護新基地建設強行を許すかどうかの決定的に重要な決戦となった。この選挙で、名護市議選の宮城康博氏を始め、名護新基地建設に絶対反対する議員、有事立法に反対する議員の全員当選をかちとることは、絶対的な課題だ。全国の力で必ず勝利しよう。
 7月29日の普天間代替施設協議会での名護新基地建設基本計画決定は、沖縄県民に対する許すことのできない超ど級の攻撃であり、労働者人民は全身に怒りをたぎらせて決起しなければならない。7・29決定に対する最初の対決となる今回の選挙は、今秋有事立法決戦の緒戦であり、今秋の全攻防の帰すうを決する位置をもつ闘いとなった。
 「リーフ(さんご礁の浅瀬)上を埋め立て2500b滑走路」という7・29決定は、97年の市民投票で明確に「ノー」と審判の下った時の案よりはるかに巨大である。移設の名で新鋭の恒久基地が新設されようとしているのである。
 稲嶺知事や岸本名護市長が言ってきた「条件」なるものがまったくインチキだったことがさらけだされたのだ。市長の7条件「@安全性の確保、A自然環境への配慮、B既存の米軍施設等の改善、C日米地位協定の改善および使用期限、D基地使用協定、E基地の整理・縮小、F持続的発展の確保」などすべてが破産してしまっている。
 しかしながら、現在の名護市議会は、特別委員会で計画「白紙撤回」要求決議の提出を全会一致で決定したにもかかわらず、政府の議員各個撃破の恫喝に屈服し、この代替施設協決定に対する抗議も白紙撤回要求の意見書も出せない状況だ。本当に新基地建設絶対反対を掲げて闘う議員が求められている。2月名護市長選で奮闘し1万余の基地絶対反対派を結集した宮城康博氏が、再び市議に当選し登場することが絶対に必要だ。

 米軍事件事故続発を許すな

 最近のあいつぐ米軍による事件事故は、まったく許しがたいものだ。この1カ月間をとっただけでも次のようなものだ。
▼7月22日〜30日、久米島沖で操業中の漁船を米軍ヘリが威嚇。
▼同23日、名護市数久田で農作業中の男性の至近距離に米軍キャンプ・シュワブ演習場から銃弾が着弾。
▼31日と8月1日と続けて嘉手納基地のF15戦闘機のエンジン後部で出火事故。
▼2日、宜野座村の民家近くに海兵隊所属CH53輸送ヘリが不時着。
▼7日、海兵隊所属ヘリが嘉手納基地から離陸直後に緊急着陸。
▼9日、嘉手納基地で、FA18戦闘攻撃機、C130輸送機など3機が連続して緊急着陸。
▼21日、嘉手納基地第44戦闘中隊所属のF15戦闘機1機が沖縄本島の南約100`の海上に墜落。墜落現場は、日常的にマグロはえ縄漁船が操業している海域。
▼この日、別のF15戦闘機1機が嘉手納基地に緊急着陸した。
 まさに、尋常ではない、これまでにもなかった危険な状態に沖縄全体がたたき込まれているのだ。沖縄県民は、いつ民家や農地にジェット機が落ちてくるか分からない中での生活を強いられているのだ。
 米帝ブッシュの世界戦争路線によって、アフガニスタン侵略戦争が続行され、
イラク侵略戦争の準備が進められ、北朝鮮・中国侵略戦争が策動されている。米帝は「悪の枢軸」ときめつけた国々への先制攻撃も広言し、核兵器さえ使用しようとしているのだ。こうした戦争路線が、基地沖縄の重要性をいよいよ高めているのであり、現実に9・11―10・7情勢のもとで、問答無用の基地強化が進められているのだ。事故が頻発しているのは、侵略戦争のための演習が激化しているからだ。
 事故を起こしている戦闘機は、朝鮮・中国・アジア、イスラム諸国の被抑圧民族人民を虐殺する侵略機だ。闘うアジア人民、イスラム諸国人民との連帯をかけて、米軍基地撤去と演習阻止の闘いを強めなければならない。
 このような動きを見る時、辺野古への新基地建設はますます許せないものだ。もしこれを許せば、沖縄県民は戦後初めて「強制的でない」形で米軍基地建設を受け入れることになる。これはアジア人民、イスラム諸国人民に対する敵対を意味してしまうのだ。

 戦争と対決する最前線沖縄

 名護新基地建設阻止と一体の問題として、有事立法絶対反対を貫く議員を押し出さなければならない。沖縄こそ、有事立法が何をもたらすかを集中的に体験してきた島であり、闘う沖縄人民が声を大にしてその危険性を訴えてきているのである。日本で唯一地上戦が戦われた沖縄戦が、有事法制の結末である。また、戦後の米軍統治下の農地接収や戦場への動員、灯火管制や言論統制の歴史が有事法制が施行された状態を示している。
 このような戦争への道を沖縄人民は全力で跳ね返してきた。87年の読谷村の知花昌一氏の「日の丸」焼き捨ての決起、95年以来の米軍基地に対する新たな人民反乱、97年の新基地建設反対の名護市民投票の勝利、そして今年の6・23慰霊式典で「有事法制は許さんぞ」と叫んで小泉を弾劾した北中城村議の宮城盛光氏の決起。日帝権力とカクマルの制圧をはね返して、沖縄人民は立ち上がっているのである。有事立法粉砕の拠点、日本革命、世界革命の拠点を建設する壮大な展望を開く闘いとして、9・8沖縄地方選はあるのだ。
 全国の力を結集し、宮城康博氏を始め名護新基地建設絶対反対、有事立法反対の全候補の当選をめざして全力で闘いぬこう。

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週刊『前進』(2067号6面1)

有事法先取りの防災訓練 9・1関東大震災から79年
 練馬区での防衛出動と戦争動員の演習粉砕を

 関東大震災から79年めの9月1日、日帝・小泉政権と東京都・石原知事は、「練馬区・東京都合同防災訓練」を計画、この2年間の「ビッグレスキュー東京〜首都を救え〜」を踏まえ、有事立法を先取りした防衛出動と戦争動員の訓練を実施しようとしている。それは、9・11反米ゲリラ戦争に恐怖した日帝が、「大規模テロ」の発生をも視野に入れて行う実戦演習としてあり、文字どおり有事立法攻撃そのものだ。有事立法粉砕、9・1防災訓練粉砕に総力で立ち上がろう。

 「大規模テロも視野に」

 今回の「練馬区・東京都総合防災訓練」は、「『ビッグレスキュー東京』の成果を踏まえた実践的な訓練」として、統一テーマに「連携と協働」を掲げた「『自分たちのまちは自分たちで守る』を原則に住民主体の訓練」とされる。これは、「区・都・各防災機関・住民のそれぞれの役割分担と協働に基づく連携能力の向上を目指した訓練」として、「住民が現に生活している街」「区内の高層ビル、駅、道路などさまざまな市街地」で実践的な訓練を行う(岩波練馬区長)というものである。
練馬区全域で戦争訓練の地図 さらに、この2年間、自衛隊3軍を軸に展開してきた「ビッグレスキュー東京〜首都を救え〜」を軸とする、「7都県市合同防災訓練」の一環としてある。今年も東京・練馬、千葉・柏を拠点に、きわめて広域の治安出動訓練が計画されている。
 元陸自北部方面総監であり、「ビッグレスキュー東京」のプランナーである志方俊之は、「石原慎太郎都知事は、東京都が大規模な総合防災訓練と本部運営訓練により、この二年間で都市における防災訓練の『フォーマット(標準的な実施要領)』を創り上げた。これからは、大規模テロの発生も視野に入れた『広域な相互支援の危機管理体制』を」つくるとして、「02年度には、都市部における実働訓練、……7都県市を連接した全国初の本部運営訓練を計画している」と明らかにしていた(『都政研究』02年2月号)。有事立法成立を見越した、戦時実働訓練が準備されていたと言っても過言ではない。
 この視点から「防災訓練」の内容を見てみよう。
 練馬区では練馬地区、光が丘地区、石神井・大泉地区に区分される。「道を開く」「助け出す」をテーマに「住民と防災機関による初動対応」が行われる練馬地区では、都庁防災センターと直結する24時間の監視体制をもつ要衝=練馬区役所防災センターと練馬駅前を軸に陸上自衛隊が出動する。練馬区総合運動場までの区画街路1号線で障害物除去訓練が実施される。石原は総合運動場にヘリコプターで飛来、視察・指揮にあたる。
 光が丘地区は「要援護者を助ける」「救援物資を送る」がテーマ。米軍飛行場跡地の光が丘公園では、避難民支援、災害医療・傷者搬送訓練(トリアージ)、物資運搬・集積、給食・入浴支援など自衛隊車両・兵員が全面展開する。光が丘体育館では、実際に死者をどう扱うかなどの検視・検案訓練も行われる。
 「命を救う」「火を消す」「水を確保する」などがテーマの石神井・大泉地区では、小・中・高校を会場に避難拠点訓練、IT活用訓練、電源確保訓練など「防災住民組織」の動員が予定されている。
 練馬区は小中学校を「避難拠点」に指定し、この運営には地域の避難拠点連絡会があたって自主訓練などを繰り返してきた。区内の小学校などが避難拠点訓練の会場となり、南町小学校、光が丘第八小学校などでは訓練特別登校が実施され、「入浴・給水支援」「中層ビルからの救出・援助訓練」などでは陸上自衛隊が展開する。さらに病院、特養ホームなどが訓練会場となり、バイク便業者やペット業者も訓練に組み入れられている。
 8月5日スタートした住民基本台帳ネットワークシステムによる住民管理のもと、戦前・戦中の「隣組」「自警団」の復活が狙われている。
 そして、軍事の論理が最優先される中、災害対策本部には陸自第1師団第1普通科連隊が参加し、首相・都知事が自治体への指揮権を振るう。まさに有事立法の先取りそのものだ。

 「連携と協働」のペテン

 統一テーマの「連携と協働」とは何か。連携とは、広域にわたる諸自治体が自衛隊の戦時権限のもとに組み入れられることであり、協働とは、自衛隊の指揮下での労働者人民の戦争動員そのものだ。労働者人民に戦争への協力を要求(強制)し、「国民の生活・経済生活」を戦争に従属させ、統制支配しようというのである。生活の隅々からすべての人間的なものを奪おうというのだ。
 住民の戦争動員が実現できなければ、有事体制は完成しない。それがなければ自衛隊も米軍も「円滑かつ効果的な行動」など不可能だ。「連携と協働」とは、そのための自治体・住民の戦争動員訓練である。
 秋の臨時国会に継続審議となった有事法制関連3法案(武力攻撃事態法案、自衛隊法改悪案、安全保障会議設置法改悪案)は、有事の際の避難・誘導、輸送・通信、生活安定などの「国民保護法制」について「2年以内を目標」に整備するとされたが、8月8日に小泉政権はこれを前倒しし、「テロ・不審船対策」とともに今秋臨時国会に概要を提出することを決めた。
 「国民保護法制」では、「イ 警報の発令、避難の指示、被災者の救助、消防等に関する措置/ロ 施設及び設備の応急の復旧に関する措置/ハ 保健衛生の確保及び社会秩序の維持に関する措置/ニ 輸送及び通信に関する措置/ ホ 国民の生活の安定に関する措置/ヘ 被害の復旧に関する措置」(武力攻撃事態法案第3章第22条1項)などを定めるとされ、従わない者に対する罰則規定も明記される。
 7月24日には福田官房長官が「(有事においては)思想、良心、信仰の自由が制限を受けることはあり得る」との政府見解を示し、さらに30日には片山虎之助総務相が、有事における民間防衛では@町内会、自治会、A自主防災組織、B消防団――の3者が核になると表明した。
 この「国民保護法制」の内容とは、自衛隊及び米軍の戦時権限の拡大の一方での「国民の自由と権利」の圧殺なのである。それと9・1「防災訓練」の内容はぴったりと重なる。
 9・1「防災訓練」は災害時の人命救出を目的としたものではない。沖縄戦の教訓が示すように絶対に「軍隊は住民を守らない」。ここで要求されているのは、自らの危険も冒して自衛隊、米軍の行動を支え、銃後を守ることなのだ。その柱として「防災住民組織」という名の民間防衛組織、排外主義的な「自警団」と「隣組」を復活させようとしているのである。

 自警団が朝鮮人大虐殺

 1923年9月1日、マグニチュード7・9の激震が関東地方を襲ったのは午前11時58分、早くも午後には「朝鮮人が来襲、井戸へ投毒」などのデマが飛び出し、駐在所には「朝鮮人暴動」の張り紙、警察がメガホンで触れ回るなど、デマは増幅されて全国に広まった。軍隊が出動、2日には戒厳令が出された。その中で軍隊を先頭に警察、自警団による無差別の朝鮮人虐殺が始まった。6千人以上とも言われる朝鮮人、600人もの中国人、そして日本人の社会主義者、労働者が無残に殺された。
 当時の警視総監・赤池濃は警察力だけでは治安維持が困難だと出兵を要請、内務大臣・水野錬太郎は被災地一帯に戒厳令を敷いた。この中で関東全域に3689もの自警団が組織され、日本刀、竹ヤリ、木刀、トビ口、猟銃などで武装し、朝鮮人と見ると有無を言わせず、殴殺、刺殺、焼殺、さらにはノコギリを引くなど残酷な蛮行が繰り広げられた。この歴史を繰り返すのか。絶対に繰り返してはならないのだ。
 1917年ロシア革命、続く朝鮮での19年3・1独立運動、アジア全域に波及する民族解放闘争の波におびえ、その危機を日本人民の排外主義的動員、朝鮮人・中国人大虐殺でのりきろうとしたのだ。この排外主義扇動にのみ込まれ、恐るべき大罪を犯してしまった事実を見据え、歴史の教訓としなければならない。この歴史を繰り返すことなど絶対に許されない。
 2000年4月9日、石原は練馬駐屯地で自衛隊員を前に、「この9月3日に陸海空3軍を使って、東京を防衛する大演習をやっていただく」と言い、それに続けて、「東京では不法入国した三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している。大きな災害が起きた時には大きな騒擾(そうじょう)事件すら想定される」と言い放った。「三国人」という差別語を意図的に用いて在日・滞日外国人へのすさまじい排外主義を扇動したのだ。
 まさに9・1「防災訓練」は、在日外国人に対する排外主義的扇動を行い、自衛隊3軍による首都治安出動訓練という物質力をもって労働者人民を帝国主義的愛国主義・排外主義に取り込む大攻撃なのだ。
 9・1防災訓練を絶対に許すな! 防衛出動と戦争動員の演習粉砕へ、闘う在日朝鮮人・中国人を始めとする在日・滞日人民と連帯して決起し、今秋臨時国会決戦−有事立法粉砕へ猛然と闘い進もう。

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週刊『前進』(2067号6面2)

無実の星野同志を取り戻そう (3)

 無期懲役との闘い 11・14渋谷闘争に報復
 戦後初の死刑求刑と対決

 日帝権力の恐怖

 星野文昭同志は、28年目の獄中闘争を徳島刑務所で闘っている。
 彼が受けている無期懲役とは、言葉どおり期限のない懲役刑である。満期を迎えれば釈放される、有期の懲役とはまったく質が違う。しかも、それは政治犯に対する無期懲役であり、死刑求刑を受けた上での無期懲役である。われわれはこの現実を徹底的に見すえ、星野同志を実際に奪還するために力の限り闘いぬかなければならない。
 日帝・国家権力は、何に恐怖して星野同志に死刑を要求したのか? なぜ無期懲役を宣告したのか? それは71年11月決戦に革命の現実性を見たからだ。
 71年11・14渋谷暴動闘争は、70年安保・沖縄闘争の頂点として闘われた。われわれは70年7・7自己批判に立って沖縄人民の叫びに全力で向き合い、日本革命をやり抜くことをとおして差別・抑圧的分断を真に打破して、沖縄人民との革命的合流をかちとることを決意した。星野同志は、この決意で満身武装して11・14闘争の先頭に立ち、機動隊を突破して渋谷に突入した。そこで実現された闘いに、敵も味方も日本革命の無限の可能性を見た。日本帝国主義と革命的共産主義運動は、倒すか倒されるかの対峙関係に入ったのである。それが、死刑求刑−無期懲役を根本的に規定しており、今も彼我の関係を規定している。

 安保・沖縄闘争

 70年安保・沖縄闘争は、67年10・8羽田闘争から72年5・15沖縄「返還」に至る、約5年間の壮大な闘いであった。
 70年闘争は、激化するベトナム侵略戦争との闘いを第一のテーマとして展開された。ベトナム侵略戦争は、スターリン主義の指導下で歪曲を受けつつも大爆発したベトナム人民の民族解放・革命戦争を圧殺するための、世界史的な大戦争だった。アメリカ帝国主義は、のべ260万人、最大時54万人(69年6月)の軍隊を投入し、ベトナム国土の破壊と人民の殺戮(さつりく)を強行しながら歴史上初めての敗北を喫した。帝国主義とスターリン主義の戦後世界体制が動揺と崩壊の過程に進み、ついに世界革命によって打倒される展望が示されたのだ。
 ベトナム反戦を大きく掲げた安保・沖縄闘争、反基地闘争を中軸に、大学闘争、三里塚・北富士闘争、狭山闘争、入管闘争、差別・排外主義との闘い、さらに反軍闘争、弾圧粉砕・救援運動などがものすごい勢いで高揚し、戦闘的に爆発した。それが70年闘争である。戦後の階級闘争における社・共指導部の体制内的制動は突破され、広範な労働者・学生・人民が「日本帝国主義を打倒せよ」のスローガンを自らのものとして闘いに立ち上がった。
 われわれは、階級闘争の革命的・武装的発展を公然と訴え、綱領的にも実践的にも大きな前進をかちとった。また、二度にわたる破防法攻撃をはね返して、非合法・非公然体制を確立する闘いを開始した。

 国家権力と死闘

 日帝・国家権力は、戦後の大衆運動に対して初めて死刑求刑を決断した。11・14闘争への報復弾圧は、この観点から組み立てられた。闘争参加者にウソの供述を強要し、どんなに無理があろうが、それを唯一の「証拠」として79年2月、星野同志に死刑を求刑したのである。
 その当時、われわれは二重対峙・対カクマル戦を必死で闘っていた。その中で、12万人の署名を集めて死刑判決を阻止した。いま振り返っても、総力で決起したと評価できる。しかし裁判内容では、星野同志が機動隊員の殺害に関与したという認定を、一審判決において許してしまった。二審裁判長・草場は、これを足掛かりにして「確定的殺意」を認定し、無期懲役を宣告したのである。
 星野同志の闘いは、まさに生きる闘いそのものだ。死刑求刑から無期懲役が確定するまでの数年間、星野同志は拘禁症を発症し、獄中で苦闘しぬいた。面会に訪れた同志が、見ていて苦しくなるような苦闘の日々であった。彼は、長い年月をかけて病を克服していった。そして、86年9月、暁子さんと獄中結婚した。
 星野同志は、「総括と展望」の中で次のように提起している。「私たちの全てを奪おうとする星野無期弾圧と対決し、自己と階級の全てをかけて真正面から格闘するたたかいは『死から生へ転換していく』真に創造的闘いです」
 星野同志の言葉を全身で受けとめよう。革命家として、非転向の政治犯として無期懲役と闘う日々、それは「死から生へ転換していく」闘いそのものである。星野同志と家族は、すべてを奪われたところから、すべてを奪い返す闘いを繰り広げているのだ。
 再審開始、無罪獲得。これが一切の基軸である。星野同志、家族、弁護団、「救う会」と固く連帯し、なんとしても確定判決を覆そう。劣悪で非人間的な獄中処遇を弾劾し、具体的な改善をかちとろう。
 星野同志奪還は、最終的には階級的力関係に規定される。あらゆる闘いで、われわれの戦列を強化し、星野同志を取り戻そう。

◎パンフレット「総括と展望/70年闘争とそれ以降の闘い−星野弾圧との闘いの総括と展望」

 星野デッチあげ無期とのたたかいは、重圧、困苦が極限的ということとのたたかいだ。だからこそ屈せず諦めず、その現実と向かい合い立ち向かえば、生き、たたかい、未来を開くために最も大切で必要なものを獲得できる。……どんなに困難でも、またそうであればあるほど、それを跳ね返し、自らを解放しようとする魂と力は強くなるという深い確信を得るものだった。(14n)

 星野文昭同志から妻の暁子さんへの手紙をまとめたもの。星野同志が語る星野(=暁子)闘争論であり、必読文献。2001年3月/刊行委発行/カンパ500円/申し込みは前進社

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週刊『前進』(2067号6面3)

弾圧と闘う 迎賓館・横田爆取裁判
 捜索状況を偽証 岩手県警の元技官追及

 7月19日、東京地裁刑事11部(木口信之裁判長)で迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判の第167回公判が行われた。
 冒頭、15年という超長期の未決勾留と闘いぬいている須賀武敏同志、十亀弘史同志、板垣宏同志が意見陳述を行った。須賀同志は、東京拘置所のデタラメな「医療」によって、4年半も車イスで出廷せざるをえない健康状態を強いられていることを怒りを込めて弾劾した。板垣同志は、後頭部や腕の痛みやしびれ、原因不明のノドの痛み、めまいなどの診断を求めて、医療鑑定を請求している。「直ちに医療鑑定を認めよ」と強く要求した。十亀同志は、逮捕警官の偽証を弾劾し、真偽を明確にするために逮捕状況を撮影したビデオテープの証拠開示を理路整然と求めた。
 今回の証人は、1986年当時岩手県警で火薬関係の業務を行っていた宮野孝一という技官である。現在は警察を退職している。弁護側は、岩手県警による捜索差し押さえの違法な実態を明らかにするために宮野を証人申請し、前回公判から尋問を行っていた。
 宮野は、別件岩手爆取裁判の控訴審で弁護側証人として証言している。この時、宮野は、岩手借家の捜索・押収には、最初の日(10月12日)の午前中だけ加わった、その時、倉庫で鉄パイプ爆弾のようなものを見たり、2階の部屋でダンボール箱に入った火薬類の袋を見たと証言した。
 しかし、倉庫の捜索を担当した別の警察官は、倉庫の捜索・押収は13日から行ったと証言しており、捜索差押調書の記録にも12日付の写真は1枚もない。
 別件岩手爆取裁判での宮野の証言どおりであれば、岩手県警の倉庫担当警官はウソをついていることになるし、12日に立会人もなしに記録も残さず、警察官らが勝手に倉庫の中をあさった事実が明らかになるのである。
 今回の法廷で弁護人が尋問を開始するや、宮野はとんでもない偽証を始めた。検察官は、岩手県警の捜索押収の違法・無法な実態を隠蔽(いんぺい)するために、宮野にウソの証言をするように強要したのだ。
 宮野の偽証は見え見えだ。以前の証言では、゛1階を見た。その後2階を見て回った。その時下から呼ばれて倉庫に行き、鉄パイプ爆弾のようなものを点検した″と、行動の流れに沿ってごく自然に証言していた。それを今回突然、倉庫に呼ばれて行ったという部分だけを強引に「間違いだった。翌日の行動だった」と主張した。それも、前回公判の後で岩手県警本部に出向いて写真を見たら13日付になっていて、「ああそういえば…」とひらめいたというのである。どうして写真の日付を見て自分の行動の記憶が「間違い」だったと思ったのか、まったく合理的な説明はできない。
 弁護団に続いて、3同志が尋問を行い、宮野を徹底的に弾劾した。
 迎賓館・横田爆取裁判のデッチあげ「証拠」は、岩手借家から不当に押収した物のみである。ところが、それら「証拠物」が、岩手借家のどこから、どのように押収したのか厳密に証明できないのだ。そればかりか、捜索の違法性が明らかになれば、そもそもデッチあげの「証拠」とすることもできなくなってしまう。それを3同志と弁護団は、一貫して弾劾してきた。
 検事は窮地に立つたびに警視庁公安刑事・星隆夫を始めとする偽証で取り繕ってきた。宮野も、岩手借家の捜索のデタラメさ、違法性を押し隠すために、倉庫の検査を12日から13日に突然変更してきたのだ。
 板垣同志を公妨デッチあげで逮捕した津志田の偽証に続く、立て続けの偽証を粉砕して、弁護側立証に勝利しよう。次回8月28日も宮野への弾劾尋問が続く。傍聴に結集しよう。
 10万人保釈署名の貫徹、1億円基金の貫徹で3同志を奪還しよう。

 公判日程

☆迎賓館・横田裁判
須賀・十亀・板垣同志裁判
8月28日(水)午前10時
福嶋同志裁判
8月30日(金)午後1時15分
☆水嶋同志裁判
9月3日(火)午後1時30分
☆6・12私文書弾圧裁判
8月27日(火)午後1時15分
※いずれも東京地裁

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