ZENSHIN 2005/05/16(No2197 p06)

ホームページへ週刊『前進』月刊『コミューン』季刊『共産主義者』週刊『三里塚』出版物案内販売書店案内連絡先English

週刊『前進』(2197号1面1)(2005/05/16)

 分割・民営化がJR事故の元凶

 「運転士の資質が問題」と叫ぶ石原 都議選に勝利しファシスト打倒へ

 4月25日午前9時18分、兵庫県尼崎市のJR福知山線(宝塚線)で快速電車が脱線・転覆し、107人の死亡、500人以上の重軽傷者を出す大惨事が発生した。JR史上最悪のこの大事故は、国鉄分割・民営化の必然的な帰結にほかならない。一切の責任はJR西日本と分割・民営化を強行した日帝政府にある。「闘いなくして安全なし!」 本当に労働組合が闘わなかったら、乗客の安全も労働者の命も守れないのだ。動労千葉に続き運転保安確立に向け労働者は闘おう。(2面に動労千葉の声明を転載)

 第1章 労組が闘わなければ鉄道の安全は守れない

 事故によって殺された高見隆二郎運転士と、命を奪われた乗客、その家族の怒りと悲しみを思う時、分割・民営化体制=JR体制を覆す闘いに立つことこそ、労働者階級がとるべき道であることは明らかだ。
 そもそもJR西日本は事故直後、置き石があったかのように主張して責任逃れを図った。さすがにそれが通用しなくなると、今度は一切の責任を運転士に転嫁しようと企てている。このJRの卑劣な居直りを断じて許してはならない。
 事故原因についてさまざまに議論されているが、そこに欠落しているのは、国鉄分割・民営化がなければこれほどの大惨事は起こらなかったという核心点だ。
 分割・民営化が必ず大事故を発生させることは、つとに警告されてきた。
 JR体制下で安全の崩壊は激しく進行した。すでに200人もの下請け労働者が殺されている。この事態を前に、多くの労働者が「このままでは大事故が起こる」と要員配置や安全対策を求めて声を上げてきた。にもかかわらず、それを握りつぶしてきたのが、JR資本とその手先となったJR総連カクマルやJR連合ダラ幹だ。事故の責任の一切は、国鉄分割・民営化を強行した日帝権力・JR資本とJR総連・JR連合指導部にある。
 今回の事故は、1962年の三河島事故、63年の鶴見事故以来の大惨事である。三河島・鶴見の事故は、国労や当時の動労が、安全確立のために職場支配権を握る闘いに立ち上がる決定的な転機となった。労働組合の闘いがあったからこそ、国鉄時代、労働者は安全を無視した不当な業務指示をきっぱりと拒否することができたのだ。
 ところが国家権力や国鉄当局が目の敵にしたのは、労働組合が職場に支配力を持ち、安全確立の立場から労働者の働き方を規制していた事実だった。分割・民営化は、こうした職場のあり方を破壊した。
 労組解体と20万人首切りの国家的不当労働行為として強行された分割・民営化こそ、尼崎事故をもたらした最大の元凶なのである。

 利潤を求めて無謀なダイヤ

 分割・民営化で「民間会社」となったJRは、競争場裏に身を投じた。JR西日本のみならずすべてのJR会社は、安全無視と営利追求にひた走っている。それは、分割・民営化によって必然化したのである。
 事故を起こした快速電車は、制限速度をはるかに超える108`のスピードで事故現場のカーブに突入したと言われている。この事故の背景に、阪急と競争し乗客を奪うために設定された無謀きわまる過密ダイヤとスピードアップがあったことは明白である。
 JR西日本の中期経営計画「チャレンジ2008」には「列車の遅れはお客様の信頼を裏切るものです」と書かれている。JR西日本は、もともと無理な過密ダイヤを「定時運転」するよう運転士に強いていた。事故の2週間前には、尼崎駅発着の全列車について、1秒単位で遅れを報告させていたという。国鉄時代であれば、スピードアップで「私鉄と競争する」ことなど問題にもならなかったはずだ。
 しかもJR西日本は、わずかな遅れを出したり、ささいなミスをした運転士に、「日勤教育」という名の制裁を加えていた。トイレにも行かせず反省文を書かせ、草むしりや窓ふきをさせる。果ては、ホームに立たせて入って来る電車ごとに自分のミスを復唱させることまであったと報じられている。高見運転士にとって、それがもたらす苦悩と精神的重圧はいかばかりだっただろうか。
 これはまさに、国鉄分割・民営化を前にして闘う組合員を大量に閉じ込めた人材活用センターで行われたやり口と同じだ。こうした人権じゅうりんの横暴が分割・民営化から今日まで続いてきた。根本的なところで安全を破壊しているJRにとって、労働者を締め付けることだけが「安全」と「定時運転」を担保する唯一の手段だったのだ。

 「規制緩和」が被害拡大した

 マンションに激突し大破した快速電車は、「く」の字型に曲がり、アルミ缶のように押しつぶされた。それが107人もの死者につながった。高見運転士は、押しつぶされた運転台でブレーキを握ったままの姿勢でいたという。
 強度に欠ける軽量車両の導入は、コスト削減を目的とした線路の保守・点検の切り捨てや、検修合理化の結果だった。安全はどこまでもないがしろにされた。
 それは、民営化と同時に進められた規制緩和がもたらしたものだ。線路や車両の検査周期の延伸を始め、安全基準を次々と取り払ってきた国土交通省も、重大な責任を負っている。

 20万人首切りと「技術断層」

 国鉄分割・民営化によって20万人もの国鉄労働者が職場を追われた。新規採用は長期にわたって停止された。国労・動労千葉の解体を意図した不当労働行為により、ベテラン運転士や熟練技術を持つ労働者は解雇され、本務を奪われた。
 それが今日、「技術断層」と言われる深刻な問題を生んでいるのだ。運転、保線、検修など全域にわたり、国鉄時代に培われた技術の継承は、JRになって阻害された。それが今回の事故の遠因となっている。

 第2章 資本=カクマルの結託体制が安全崩壊させた

 しかも国鉄分割・民営化は、JR総連カクマルがそのファシスト先兵となることで初めて可能となった。資本=カクマル結託体制こそ、鉄道の安全を根底から崩壊させた元凶だ。
 JR東日本と異なりJR西日本では分割・民営化から数年してJR総連は資本から切り捨てられた。だが、彼らの階級的大罪は断じて消えない。
 今日、JR西労カクマルは「安全を軽視するJR西日本の企業体質」の「告発者」のように振る舞っている。だが、JR西日本の今日の現実は、分割・民営化での資本=カクマル結託体制にこそ源流がある。
 さらに許しがたいのは、JR総連カクマルが、JR東日本は西日本とは異なり「労使の協力によって安全を築いている」かのように強弁していることだ。
 今回の事故は、分割・民営化の必然的帰結であり、それは西も東も異ならない。事実、JR東日本こそメンテナンス部門の外注化を始めとする安全破壊を、どのJR会社にも先んじて強行しているではないか。それを「国労対策の目玉」などと称して率先推進してきたのは、ほかならぬ東労組カクマルではないか。この間、頻発しているレール破断は、メンテナンス外注化こそが原因だ。JR総連カクマルを打倒してこそ、鉄道の安全は守られる。

 JRの責任を免罪する革同

 JR東海以西で、カクマルに成り代わって資本の手先となってきたJR連合も、JR総連と同罪だ。
 国鉄分割・民営化は国労の壊滅を狙って強行された。だから本来ならば国労は、今回の事故を引き起こした分割・民営化体制と徹底対決すべき立場にある。
 ところが、酒田=革同執行部も上村革同に牛耳られた西日本本部も、今や完全にJRとの闘いを投げ捨てている。事故直後に国労西日本本部が出した見解に至っては、JR体制にはいつくばり、それを擁護する許しがたいものだ。
 そこには、「たとえ一人の労働者によるミスであってもそのミスが原因で重大事故に至ってはなりません」と書かれている。これは“事故の責任は労働者にある”ということだ。JR資本の言い分といったいどこが違うのか。こんなものは、労働組合ならば絶対に認めてはならないのだ。
 さらに許しがたいのは、「『日勤教育』について国労は否定しません」と言っていることだ。「日勤教育」とは、国鉄時代とは比べものにならない超過密ダイヤを労働者に強制するための、恐怖支配そのものではないか。上村革同はこれを全面的に肯定した。
 それは、上村革同が1047名闘争解体の最先兵に転落したことと一対をなしている。彼らは、JRの首切り責任を免罪しただけでなく、JRの事故責任も免罪した。JR連合とともに「1047名はイラクに行け」と叫ぶ上村革同は、労働者階級の敵にほかならない。安全問題で闘えない労組指導部は、侵略戦争にも平然と協力するのだ。

 第3章 動労千葉の運転保安闘争に続いて闘おう!

 動労千葉は「闘いなくして安全なし」を掲げ、営々と反合・運転保安闘争を闘いぬいてきた。その歴史的地平の上に、相次ぐレール破断への抜本的対策などを求めて05春闘72時間ストライキを打ちぬいた。こうした闘いこそ、ぎりぎりのところで事故を防ぎ、労働者と乗客の命を守りぬいているのである。
 階級的に団結し、誇りを堅持していればこそ、労働者は安全を無視した資本の理不尽な命令・指示を拒むことができる。動労千葉のストライキが巨大な意義をもっているのは、こうした力関係をJR資本に強制しているからだ。
 労組が闘わなければ労働者の命は守れない。今こそすべての労働者は動労千葉のように闘おう。労働組合をよみがえらせよう。職場に山積する安全無視や事故要因を摘発・暴露し、改善を求め、闘いに立とう。
 国鉄1047名闘争の発展と勝利も、この闘いを貫くことの中にある。

 小泉=奥田=石原と対決を

 今回の事故は、小泉政権が4年目を迎える中で発生した。小泉=奥田は、労働者を無権利状態に突き落とすとともに、日米枢軸を形成して世界戦争への道を突き進んでいる。
 この小泉=奥田の戦争と民営化攻撃の激化こそ、国鉄分割・民営化以来の積もりに積もった安全の崩壊と結合して、尼崎事故の引き金を引いたのだ。事故直後の4月27日、小泉政権は郵政民営化法案の閣議決定を強行し、介護保険制度のさらなる改悪案を衆院厚生労働委員会で押し通した。民営化がどれほどの惨事を引き起こし、どれほどの人命を奪おうとも、あくまでも民営化路線を突き進もうとしているのだ。
 ファシスト石原は、小泉=奥田路線の最先兵だ。石原は「公共事業なんてみんな民営化したらいい」と言っている。尼崎事故後の記者会見では、したり顔に「運転士の資質の問題だと思いますよ。私は車庫の中で電車の運転てのを体験させてもらったけど、そんなに難しいもんじゃない」とうそぶいた。この石原が、医療や福祉、都営交通の民営化を強行しているのだ。
 民営化による大事故は戦争の惨禍にもつながっている。戦争を賛美し改憲をあおる「つくる会」教科書の杉並での採択絶対阻止へ、この5月、総決起しよう。ファシスト石原打倒へ、6月都議選で長谷川英憲氏の勝利を実現しよう。
 今回の事故は、歴史の分岐点において発生した。それが労働者階級に問うていることは、小泉=奥田=石原の民営化攻撃に対し退路を断って反撃に転じよということである。107人の犠牲者を出したこの事故はあまりに痛ましく重い。
 だからこそ労働者階級は、これを小泉=奥田路線への巨大な反撃の転機にしなければならない。戦争と民営化攻撃に、階級的団結を固めて大反撃しよう。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2197号1面2)(2005/05/16)

杉並先頭に採択絶対阻止へ 「つくる会」教科書を暴く(1)科学の否定

 ●世界史は基本的に抹殺

 万世一系の天皇中心史観

 「新しい歴史教科書をつくる会」が作成した中学校用の「歴史」と「公民」の教科書は、侵略戦争を肯定し、子どもたちに“お国のために命を捧げよ”と教える教科書だ。その正体を5回にわたって核心的テーマにしぼって暴いていく。

 再び戦争に動員

 「つくる会」の歴史教科書は、他の教科書とどこが違うか。この教科書を開いてまず気づくのは、非科学的で特異な歴史観である。
 「つくる会」教科書はその冒頭で、歴史を学ぶとは「みなさんと血のつながった先祖の歴史」を学ぶことだと書いている。しかも必要なのは日本の歴史だけであり、「世界で最も安全で豊かな今日の日本」が、「先祖のたゆまぬ努力」によって築き上げられてきた、その歴史を学ぶことだと言うのである。そこには日本の国土が大昔から育んできた固有の文明と伝統があったとして、その「独自の伝統」を学ぶこと、言い換えれば日本がどんなに「優れた国」であるかを教えることが、歴史教育の最大の目的とされている。
 したがって、他の中学校用歴史教科書ではその3分の1を占めている世界の歴史が、この教科書にはほとんど何も書かれていない。ギリシャ・ローマの古代文明も、中国文明やイスラム文明の発展も、ルネサンスの美術も出てこない。フランス革命や、アメリカの独立戦争も、イギリスの産業革命についても、ほんの一言ふれているだけだ。
 だが世界史をまったく学ばずに、どうして日本の歴史を正しく理解することができるだろうか。そもそも歴史を学ぶとは、人類の歩みを学び、その発展を科学的につかんで、そこから現在の日本と世界をとらえ返すことにあるはずだ。この教科書はしかし、日本の歴史をそうした人類史(世界史)の一環としてとらえることを拒否し、世界と切り離された自国だけのきわめて独善的な「日本国家の歴史」にすり替える。戦前の「国史」と同じである。
 その究極的な狙いは戦前の教科書と同様に、日本は天皇中心の「神の国」であり、日本人は「世界の指導者となるよう運命づけられた民族」なのだというファシスト的価値観を教育の場に持ち込むことにある。かつての「皇国史観」と実質的に同じような選民思想を子どもたちの頭と心にたたき込み、新たな侵略戦争・世界戦争に総動員しようとしているのだ。

 天皇神話ねつ造

 実際に、この教科書で最も強調されているのは、日本は「天皇の国」だということだ。「神武天皇の東征神話」の紹介に始まって、昭和天皇ヒロヒトをたたえる人物コラムで終わっているのがこの教科書だ。そこでは古代から現代に至る日本史の一切を、天皇・皇室が常に国家の中心にいた歴史として描き出す。万世一系の天皇中心史観なのである。01年版と比べてもこの点がより際立っている。
 「政治の実力者は時代によってかわったが、天皇にとってかわった者はいなかった。日本では、革命や王朝交代はおこらなかった」「(鎌倉幕府から江戸幕府に至る武家政治の時代にも)全国の武士は、究極的には天皇に仕える立場だった」「天皇の地位は、皇室の血すじにもとづいて、代々受けつがれた」
 これは事実としてまったく誤った、非科学的なとんでもない作り話だ。実際には、古代貴族にとって代わった武士のもとで朝廷の権力は粉砕され、天皇は幕府のお情けにすがって細々と生きながらえていたのが中世・近世の歴史の真実ではないか。武士が仕えたのは封建領主であり、天皇ではない。内乱・革命や王朝交代もなかったとか、天皇の地位が代々安定的に受け継がれたと言うのもでたらめだ。それどころか、古代以来、「壬申の乱」や南北朝の対立にもみるように、皇室の歴史自身が皇位継承をめぐる血みどろの抗争の歴史だったのだ。
 これらの事実を塗り隠し、天皇が昔から一貫して国家の最高の地位にあり続けたかのように描き出すのは、ひとえに天皇を時代や階級を超越した、神聖不可侵の存在として再び押し出すためである。そして、この天皇のもとにある日本という国は「世界に類例のない特別な国」であるとして、国のために死ぬことを最高の美徳とする価値観を再び子どもたちに植え付けようとしているからだ。

 事実を学ばない

 こうした天皇中心史観を合理化するために、「つくる会」は、「歴史は科学ではない」と主張する。封建制度や資本主義という科学的な時代規定も追放する。そして過去の出来事を事実として明らかにすることは意味がない、大事なのは、過去に何があったかという事実を知ることにあるのではなくて、その当時「過去の人がどう考え、どう悩み、問題をどう乗り越えてきたのか」を学ぶことこそが重要だ、それが歴史教育だと言うのだ。
 ここで「過去の人」とは誰を指すのか。農民や労働者などの人民、民衆ではない。その時代の支配階級、権力者のことを指しているのだ。
 彼らにとって、中国侵略戦争から第2次大戦に至る15年戦争の歴史も、この戦争が朝鮮・中国・アジア人民をどれだけ虐殺し苦しめたか、日本の労働者階級人民をどんな地獄にたたき込んだかを教える必要は一切ない。天皇ヒロヒトを始めとする当時の国家指導者が、日本が帝国主義として生き残るために必要な戦争と考え、「アジア解放のための戦争」と強弁し合理化して戦ったことだけを教えればいいのだ。
 これが「つくる会」の主張であり、それを百パーセント実践しているのがこの教科書なのである。

(検定合格した05年版「つくる会」歴史教科書より)
▼「(中国では)皇帝は、力のある者が戦争で旧王朝をたおし、前の皇帝を亡きものとする革命によってその地位についた。それに対し、天皇の地位は、皇室の血すじにもとづいて、代々受けつがれた」
▼「政治の実力者は時代によってかわったが、天皇にとってかわった者はいなかった。日本では、革命や王朝交代はおこらなかった」

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2197号2面1)(2005/05/16)

 二度と繰り返させてはならない

 JR尼崎事故 動労千葉が声明

 4月25日、JR西日本の福知山線大事故の元凶は、国鉄分割・民営化にほかならない。事故を引き起こしたJR体制を弾劾し、運転保安確立に向けて動労千葉が出した声明を、日刊動労千葉6068号(4月27日付)から転載し紹介します。(編集局)

 尼崎事故/闘いなくして安全なし! 二度と繰り返させてはならない

 民営化の帰結!

 危惧し、警鐘を鳴らし続けてきたことが、JR史上最悪の大惨事というかたちで現実となってしまった。
 現時点では、必要な情報の開示があまりにも少なく、事故の真因がどこにあるのかを特定することは難しい。しかし、明らかにされているわずかな事実関係からも、今回の事故の背後には、安全を軽視して効率化と営利のみを追求し続けるJR西日本の経営姿勢があることは明らかである。
 これは国鉄民営化そのものの必然的帰結だ。今回の惨事は偶発的なものでもなければ、JR西日本だけの問題でもない。
 JR東日本も03年12月、国土交通省から「重大事故の発生が懸念される」とする「事業改善命令」をだされ、JR北海道にも、たび重なる事故に対し、この2月16日に北海道運輸局から指導文書がだされている。
 20万人の労働者の首切りと激しい組合潰(つぶ)しによって強行された国鉄分割・民営化は、18年を経て「安全の崩壊」という危機的現実に行き着いたのだ。

 責任転嫁を許すな

 これだけの重大な事故を引き起こしておきながら、JR西日本の対応は不誠実極まりないものだ。明らかにされているのは「速度オーバー」や「処分歴」など、当該運転士に一切の責任を転嫁しようとするものや、線路上の「粉砕痕」など、事故を不可抗力にすり替えようとするものばかりである。
 だが、事故責任をすべて運転士におし着せ、その本質を闇から闇に葬ってしまうことだけは絶対にしてはならないことだ。
 東中野駅事故にしろ、大月駅事故にしろ、この間の重大事故のすべてが「運転士の過失」のひと言で処理されてきた。JRのこのような体質そのものが安全の崩壊をもたらしたのだ。

 労務支配の現実

 制限速度を超えていたことが注目されている。だが、速度超過は直ちに脱線につながるものではないし、置き石が脱線につながるなど、まず例のないことだ。問題はもっと本質的な部分にある。
 JR西日本は事故前の二週間、1秒単位で遅延状況を把握するという調査を実施していたと言われている。1秒単位で遅れを報告させるなど、信じられない調査だ。
 東日本でも同様だが、日常的にも些細(ささい)なミスで見せしめ的に乗務停止にされ、処分、何度か続けば運転士から降ろされるという労務管理の現実が、精神的負担となって、運転士に重くのしかかっている。
 そのようななかで発生したひと駅前のオーバーラン。しかも運転士は未だ11カ月の経験しかもっていなかった。こうしたなかで当該の運転士がどれほどパニックになったかは想像に難くない。指令はどのような対応をしていたのか、会社にとって都合のいい断片だけは伝えられるのに、なぜ無線の交信記録が明らかにされないのかも疑問である。
 しかもJR西日本の場合、すでに成果主義賃金制度が導入されており、今、それをさらに改悪するかたちで、昇進試験に受からない限り基本的に一切昇給しないという賃金制度が提案されている。現場の労働者はこうしたなか団結を破壊され、がんじがらめにされている。
 こうした現実に加え、組合潰しにだけに腐心するJRの異常な労務支配が職場を支配している。国鉄時代のように「安全は輸送業務の最大の使命である」とする感覚は、JRの職場からは完全に失われてしまっているのが現実である。

 競争原理の強制

 「私鉄との競争に勝つ」という名目で無理なスピードアップと過密ダイヤが強制されていたことも明らかだ。
 JR西日本は、わずか25q余りの宝塚−大阪間で、平行して走る阪急より7分も早いダイヤを設定し、集客していたのである。もともと福知山線はローカル線に過ぎなかった。それが87年の民営化から90年代にかけて、競争原理の名のもとに急速な過密化とスピードアップが図られたのである。
 120q/hの直線から70q/hのカーブに一気に減速しなければならないという事故現場の現実そのものが、無理なスピードアップが行なわれていたことを物語っている。
 保安設備の強化が置き去りにされてきたことも指摘されているとおりだ。JR東日本の中期経営計画にもうたわれているような「冷徹な優勝劣敗の市場原理」などという軽薄な認識のもとに、安全が無視され、現場の労働者をしめあげることだけが安全を担保する唯一の手段となるという歪(ゆが)んだ現実が今回の事故の背景にあるものだ。

 軽量化車両と安全

 経費の節減やスピードアップのための車両の軽量化が事故をより悲惨なものとしたことも間違いない。
 われわれはかつて列車が無理に踏切に突っ込んだコンクリートミキサー車と激突し、われわれの組合員であった運転士の命が奪われるという忌わしい事故の経験にふまえ、何度となく軽量化車両の強度について会社に質(ただ)してきた。だが、人命のかかった問題であり具体的なデータを示してほしいというわれわれの要求に対し、会社は「充分な強度は確保されている」と無責任に繰り返すだけであった。
 車両の軽量化が安全にどのような影響をもたらすのかなど何ひとつ検証しないままひたすらコスト削減につき進んでいるのが現在のJRの姿である。

 線路は?車両は?

 さらに、線路状態はどうだったのか、車両はどうだったのか、最も重要な要素について、何ひとつ情報が明らかにされていないという重大な疑問が残る。線路の保守・点検の経歴や、車両検修の経歴はコンピューター管理されており、直ちに明らかにできることである。
 いま東日本では、民営化とその後の丸投げ的な業務外注化の結果、レールが破断する、枕木がずれるなどの事態が続いている。運転時分を短縮するために急加速、急減速を強いられる運転方法が導入された結果、車両検修職場では、毎日車輪の転削を行なわなければならない現実になっている。
 しかも、規制緩和によって、線路や車両の検査周期や安全に関する規程などは、どんどん延伸され、緩和されているのである。

 闘いなくして安全なし!

 資本による利潤追求はつねに安全を脅かし続けるものである。二度と悲惨な事故を許さないために、「闘いなくして安全なし」のスローガンに込めたわれわれの原点を今一度胸に刻まなければならない。二度とこのようなことを起こさせてはならない。乗客とJRに働く労働者の生命を守るために闘いにたちあがらなければならない。それは労働者としての誇りをかけた責務でもある。
 亡くなられた方々のことを思うとき、今回の事故は、警告というにはあまりに重く、とり返しようのないものだ。だが、JRの現実を考えればこれは警告である。黙っていれば、第二第三の尼崎事故が起きる。
 われわれは、今春闘でも、レール破断の続発という危機的現実に対し、安全運転闘争−ストライキにたちあがった。だが、闘いはこれからである。JRの経営姿勢、社会的な競争原理の蔓延(まんえん)、安全の分野にまで及ぶ規制緩和を根本的に変えさせるだけの闘いが必要だ。われわれは運転保安確立に向け、新たな決意で闘いを強化する。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2197号2面2)(2005/05/16)

 “闘いなくして安全なし!”

 戦争・民営化と対決

 4・29 4大産別軸に労働者集会

 4月29日、「戦争と民営化に反対する4・29労働者集会」が東京・文京区民センターで開かれ、380人が結集した。この集会は、動労千葉の呼びかけのもとに実行委員会が主催した。
 日帝は「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書を検定合格させた。107人の命を奪ったJR西日本の尼崎事故は、国鉄分割・民営化の必然的な結果だった。さらに小泉政権は4月27日、郵政民営化法案の閣議決定を強行した。
 こうした情勢下で開かれた集会は、全逓、教労、自治労、国鉄の4大産別を先頭に労働者が階級的団結を固め、戦争と民営化の大攻撃と対決する橋頭保を築くものとなった。
 動労千葉の田中康宏委員長が基調報告を行った。まず尼崎事故を弾劾し「小泉=奥田の民営化という犯罪的政策とそれを容認した労組指導部がこの事故をもたらした」と声を強め、「尊厳を守る、命を守るためには闘う以外にない。あらためて反合・運転保安闘争に立ち上がる」と宣言した。
 次に、「『日の丸・君が代』強制、独島・釣魚台略奪、靖国参拝、『つくる会』教科書への中国・朝鮮・アジアの労働者の怒りは当然だ。中国の労働者は日系企業でストライキに入っている。これを支持して闘う」「今、一夜にして戦争に転落しかねない状況にある。労働者の階級的団結以外に国益主義・排外主義と闘う道はない」と訴えた。
 また、郵政民営化や公務員制度改革との闘い、日教組・自治労を改憲派に転向させる攻撃との闘いを強調した。さらに、当面最大の課題は「つくる会」教科書の採択阻止にあるとし、ファシスト石原打倒へ都議選での長谷川英憲氏の勝利を訴え、「連合、全労連を下から食い破り、戦争と民営化を打ち破ろう。05年後半戦へ」と報告を結んだ。
 都高教の教育労働者が連帯のあいさつに立ち、今春の卒入学式で六十数人の教育労働者が「日の丸・君が代」強制に不起立を貫いたことを誇り高く報告した。
 関西から駆けつけた全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部の高英男副委員長が「どれほど逮捕者が出ても運動を維持し組織を拡大する」と述べ、関生支部にかけられた弾圧と立ち向かう戦闘宣言を発した。
 全金本山労組の青柳充書記長は「粘り強く闘い、ついに敵の胸ぐらをつかんで勝利した。地域に打って出、統一戦線で闘えば勝利できる」と、34年の闘いの末、解雇撤回をかちとった闘いの教訓を語った。
 憲法と人権の日弁連をめざす会の鈴木達夫弁護士は、共謀罪新設との闘いを訴えた。
 都議選に挑戦する都政を革新する会の長谷川英憲氏が発言し、「都議会に乗り込み、石原に労働者の怒りを突きつけるのが私の任務だ」と言い切り、全参加者が拍手で確認した。
 特別報告に立った全逓労働者は、郵政民営化法案の閣議決定を徹底弾劾し、「改憲派に転落した全逓本部を打倒し、現場組合員の怒りにこたえる闘いを貫徹する」と宣言した。
 自治体労働者は、公務員労働者を襲う激しい攻撃と対決し、自治体民営化を打ち破ろうと力強く訴えた。
 国労5・27臨大闘争弾圧被告団の松崎博己団長は、「中国人民の抗日運動と連帯し闘う。尼崎事故を徹底弾劾し、1047名闘争に勝利する」と表明した。
 東京交通労組の青年労働者が「尼崎事故に衝撃を受けた。命を守るためには民営化に反対しなければならない」と訴え、東京の教育労働者は排外主義に屈した連合幹部を弾劾した。
 動労千葉の長田敏之書記長は、「動労千葉は今春闘で『闘いなくして安全なし』と決起した。闘いはこれからだ。平成採の青年労働者にともに闘おうと訴え、組織拡大闘争に打って出る」と決意を表明した。
 集会後、参加者は神保町・錦華公園までのデモに出た。「尼崎事故弾劾・JRは責任をとれ」「中国人民の抗日デモに連帯し闘うぞ」のシュプレヒコールがこだました。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2197号3面1)(2005/05/16)

 長谷川氏先頭に石原打倒へ

 「尖閣諸島に自衛隊派兵を」「米巻き込み中国攻撃せよ」

 『週刊文春』で石原が大暴言

 東京都知事・ファシスト石原が『週刊文春』の5月5・12日特大号で、「いまこそ尖閣諸島に自衛隊を派兵せよ」、「アメリカを日本の対中国戦略に巻き込」んで中国に戦争を仕掛けよ、と叫んでいる。「緊急提言」と銘うち「腰抜け小泉首相を一喝」「中国許すまじ!」などの見出しが躍る石原インタビューは、その一言一句が断じて見過ごすことができない、許しがたい内容だ。現職の都知事が公然と対中戦争を扇動する事態を、東京と全国の労働者階級人民は絶対に放置せず、怒りを爆発させ、ファシスト石原弾劾・打倒闘争に決起しなければならない。石原に真っ向から挑戦状をたたきつける都革新の長谷川英憲氏を都議選で絶対に勝利させよう。

 中国へのファシスト的憎悪

 石原は日帝・小泉=奥田路線の最先兵であり、労働者階級の力で即刻、打倒しなければならないファシストである。中国やアジア人民を尊大に見下し蔑視(べっし)する、極悪の排外主義者、帝国主義的民族主義者である。この石原が新たに巻き起こった中国人民の抗日闘争の高揚に恐怖し、打撃を受け、中国への敵意と民族的差別をむき出しにしてきたのだ。
 石原は、中国人民が日帝と資本の再侵略と、かつての侵略戦争を正当化し美化する「つくる会」教科書や国連安保理常任理事国入りの帝国主義的策動を糾弾して決起しているのだということを棚に上げ、「日本人は中国の本性を思い知った……民度の低さと言ってもいい」と傲慢(ごうまん)にもうそぶいている。
 そしてそんな中国に日本を糾弾する「資格」はないと公言し、逆に「こちらも共産党主義史観で塗り固められた中国の国定教科書に文句を言えばいい」などと、小泉政権をより右からけしかけている。
 石原は日帝の侵略戦争と植民地支配の歴史を、まったく反省も謝罪もしていない。そして傲然と中国を敵視し、こうした排外主義的暴言を吐くばかりか、今再び「中国と戦争しろ」と扇動し始めたのである。

 “北京も三峡ダムも破壊する”

 第一に石原は、中国領・釣魚台(ちょうぎょだい、ティアオユイタイ、「尖閣諸島」)に日本の自衛隊を派兵せよと叫んでいる。
 「いま日本がなすべきことは、尖閣諸島に自衛隊を常駐させることです。海上保安庁ではなく、武装した自衛隊を駐留させて尖閣諸島の実効支配を進めることが、中国に対する我が国の明確な意思表示になる」「日本の領土、領海なのだから、自衛隊を送ることは国際的に全く問題はない」
 だが釣魚台は歴史的にも(日清戦争で略奪)、地理的にも(中国の大陸棚)、中国の領土である。石原はこの釣魚台にこれまでも右翼結社と結託して灯台を建てるなど、日帝の領土略奪攻撃の先兵となってきた。そこに今度は武装した自衛隊を派兵して「実効支配」し、「中国に武力で国家の意志を表示」せよと扇動するにいたったのだ。
 第二に石原は、日米帝国主義が一体となって中国と戦争しろと叫んでいる。
 「もし中国の艦船が領海内に侵入し、警告しても退去しないならば、撃沈すればいい。それで中国との摩擦が生じて紛争が起きたならば、日米安保に則ってアメリカが出てくるだろう」「日本は〔沖縄基地で〕アメリカに恩を売りつつ、バーターでアメリカを日本の対中国戦略に巻き込むべきでしょう」
 「中国がいくら軍事力を増強しているといっても、米軍の誇る最先端技術にかなうわけがない。……〔米原潜の巡航ミサイル「トマホーク」で〕ひとたび撃ち合いになれば中国は防ぎようがなく、三峡ダムも北京も破壊されるだろう」
 なんと石原は、まず日本の「独自」の軍事力で「尖閣諸島」を防衛せよ、それで中国が反撃してきたらアメリカを巻き込み、その「最先端技術」の軍事力で中国を攻撃し、北京も三峡ダムも破壊せよと公言しているのだ。今日、米帝ブッシュは米英日枢軸、日米枢軸のもとで世界戦争路線を突き進み、イラクからイラン、シリアや北朝鮮・中国に侵略戦争を拡大しようとしている。石原はまさにこれと対応し、その先を行く形で、米日帝の対中戦争を扇動しているのだ。

 “中国分裂させて侵略すべき”

 第三に石原は、中国を分裂させ、分裂した各地域に帝国主義が侵略していくべきだと叫んでいる。
 「あと十年もすれば中国は分裂国家になるでしょう。……我々はその歩みを早める努力をするべきで、そのためには〔かつて日本がアメリカ西海岸にそうしたように風船爆弾でも飛ばして〕民主主義陣営の情報を流すことです」「そして分裂した各地域に狙いを定めて先進国が進出し、彼らと共に経済効率を上げつつ自らの利益も上げるという形になっていく」
 石原はかねてから「中国を分裂させよ」と公言してきた。石原はかつて日帝が第2次世界大戦、アジア・太平洋戦争で中国を始めアジアの民族解放闘争によっても敗北させられたことに恐怖と憎悪を抱いており、中国を分裂させその力を弱体化せよというのは、石原のファシスト的願望そのものとしてあるのだ。
 しかし石原のこうした言いたい放題の暴言は、今や浮き上がった極右分子の荒唐無稽(こうとうむけい)な絵空事ではない。帝国主義自身が今や米帝ブッシュを先頭に世界戦争過程に突入し、イラクに続いて北朝鮮・中国侵略戦争をやろうとしているのだ。米軍再編(トランスフォーメーション)は何よりもそのための大攻撃である。
 石原はこの米日帝の世界戦争攻撃をファシスト的な最先兵として体現し、それなしに資本主義・帝国主義は延命できないと叫んでいるのだ。そのことによって第2次世界大戦でアジア人民2000万人を虐殺し、日本の労働者人民310万人を犠牲にした破滅の歴史を、再び繰り返そうとしているのだ。

 労働者の決起で石原打倒を

 ところが現職の都知事が中国と戦争をやれと公言しているのに、『週刊文春』はもとよりマスコミはそれを批判しない。それどころか石原を称揚さえしている。自民、公明、民主は石原に拍手喝采(かっさい)し、日本共産党などの野党勢力もファシストを恐れ、まったく対決できない。それが石原を増長させ、「東京から日本を変える」という戦争国家化の大反革命をやらせているのだ。
 ファシストを打倒する最大の力は労働者階級の団結であり労働組合の闘いだ。首都の労働者と労働組合は既成指導部をのりこえ、卒・入学式での「日の丸・君が代」強制拒否の闘いに続いて、今こそ階級的戦闘的に決起する時である。
 石原に挑戦状をたたきつけ、ファシスト打倒へ闘う長谷川英憲氏を絶対に都議会に送ろう。「つくる会」教科書採択阻止、都議選勝利へ総決起しよう。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2197号3面2)(2005/05/16)

 今、杉並があぶない!

 「つくる会」教科書 区長が採択要綱改悪

 「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史、公民の教科書採択を阻止する闘いの最大の焦点になっているのが東京・杉並区である。
 杉並はファシスト石原の手先である山田宏が区長である。山田区長は今年の杉並区の成人式で特攻隊を賛美する発言を行い、アジア・太平洋戦争を「大東亜戦争」と言って全面肯定する超反動的人物である。山田はすでに「つくる会」系の人物を教育委員に選任するなど「つくる会」教科書の採択に向かって準備を進めてきた。杉並で「つくる会」教科書の採択を強行することによって今回は全国で10%の採択を実現しようと策動している(4年前は0・03%)。“いま杉並が危ない”のだ。
 (1)4年前、山田は「つくる会」教科書を採択するために霊感商法で悪名高い統一協会(勝共連合)の新聞の主筆である大蔵雄之助と宮坂公夫を教育委員にした。山田は「つくる会」系の3人を選任しようとしたが、佐藤欣子は労働者人民の反対で阻止された。そして、多くの人民の決起で区教委を追いつめ、3対2で「つくる会」教科書採択を阻んだ。そうした中で新たに杉並区教育長になった納富善朗も山田区長の息のかかった人物だ。このままでは3対2で採択されかねない状況にある。
 (2)さらに杉並区は今年の教科書採択に当たって、区立中学校教科書の採択手続き(調査事務処理要綱)を改悪し、4月19日の杉並区議会文教委員会で報告した。都政を革新する会の新城節子区議がこの問題を鋭く追及し、暴露した。
 要綱改悪のポイントは、旧採択要綱には第2条「採択の基本方針」の第3項に「区民の意見を可能な限り参考にすること」とあったのを削除したことである。区は「規則で同趣旨のことを定めた」と答弁したが、その内容は「区民の意見の把握につとめる」というもので、要するに区民の意見は何も反映されない。
 (3)山田区長は4年前の教科書採択に当たって「採択要綱に関する細目」で、各学校が提出する「調査研究報告書」について「特定の教科書を採択すべき教科用図書として表記したり、他の教科用図書との比較をする表記をしたりしてはならない。また、順位も付してはならない」と定めた。現場教員の意見が反映することを排除したのだ。教育現場の声も住民の声も抹殺して「つくる会」教科書を採択しようとしている。
 5月17日(火)午後1時から杉並区議会文教委員会が開かれ、新城区議が追及する。傍聴・監視に詰めかけ、要綱の大改悪を阻止しよう。教育労働者や地域住民の大衆的決起が求められている。杉並区議会を包囲する数百、数千の決起で「つくる会」教科書の採択阻止は絶対に可能だ。学校を戦争教育の場に大転換させる「つくる会」教科書の採択を阻止しよう。

------------------------TOPへ---------------------------