ZENSHIN 2005/10/31(No2220 p06)

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週刊『前進』(2220号1面1)(2005/10/31)

 11・6 日米韓労働者の大合流を

 改憲・戦争、民営化攻撃の小泉を労働者の団結の力で打倒しよう

 労組弾圧法=「共謀罪」を廃案へ

 小泉政権のファシスト的独裁的な戦争・改憲と民営化攻撃に怒りをもつすべての労働者のみなさん。革共同は、闘う3労組が呼びかける11・6全国労働者総決起集会への大結集を心から訴えます。11・6労働者集会には韓国とアメリカから闘う労働者が大挙やってくる。日本労働運動の階級的再生、日本労働運動の夜明けを開く重大な国際連帯の闘いだ。日本帝国主義・小泉と資本家階級の頭目・奥田の日本経団連は、戦争・改憲と民営化(労働組合破壊)の攻撃を居丈高に推進している。危機を深める帝国主義の凶暴な攻撃に総反撃し、帝国主義の打倒に向かって総進撃する時だ。「日の丸・君が代」強制と「つくる会」教科書攻撃と闘う教育労働者、公務員制度改革攻撃と闘う自治体労働者、郵政民営化攻撃と闘う全逓労働者、1047名解雇撤回を闘う国鉄労働者の4大産別決戦と改憲阻止決戦をひとつのものとして結合し、全労働者階級の怒りを11・6集会への1万人大結集で解き放とう。

 第1章 郵政民営化粉砕の闘いはこれからだ

 政府・与党は、14日に郵政民営化法案を参議院本会議で成立させた。8月8日には17票の大差で否決された同じ法案が、同じ議員構成の参議院で今度は34票という圧倒的大差で可決された。小泉は、議会制民主主義を自ら破壊して、ファシスト的政治クーデターとして解散・総選挙を強行した。その結果が10・14郵政民営化法成立だ。労働者は、こんなものを絶対に認めることはできない。
 しかし、小泉と日本帝国主義の凶暴化は、敵が盤石だからではない。それどころか、体制的危機を深め、まったく余裕がなく支配が脆弱(ぜいじゃく)だからなのだ。そのことを見抜いて労働者の根源的な力を自覚して闘いに立ち上がるならば、労働者は必ず勝つ。11・6集会は、そのような労働者の総決起の場だ。
 国家財政破綻(はたん)の責任は大銀行・大企業救済のために湯水のように赤字国債を発行してきた日帝と小泉にある。また不況による税収減は帝国主義の体制の問題だ。その責任を労働者に押しつけるな。
 郵政民営化とは、いったん全員解雇・選別再採用であり、公務員身分の剥奪(はくだつ)と大量首切りだ。こんな攻撃は実力で粉砕しなければならない。
 JPU(旧全逓)中央本部は、9月30日「郵政民営化に対する考え方」を出し、そこで「4分社化による民営化を現実のものと受けとめる」とする態度表明をした。これは、法案成立を前にして、闘わない、完全屈服するということである。ここまで来たら、組合員を挙げて職場から反対と徹底対決の闘いを開始する以外にいかなる道もないではないか。その闘いを放棄して、小泉=奥田に屈服し、延命しようというのか。こんな恥ずべき屈服を遂げたJPU中央は、即刻退陣すべきだ。職場から郵政民営化に対する実力反撃の闘いを巻き起こそう。
 非正規職労働者が3割を超え、長時間労働、サービス残業が恒常化し、過労死や自殺者(7年連続で3万人以上!)が続出するというとんでもない状態を積極的につくり出しているのは誰か。奥田・日本経団連であり、日本の大ブルジョアジーだ。そうして、公務員労働者への憎悪をあおり、労働者の中に分断を持ち込み、公務員労働者の団結と組織を破壊し、権利を剥奪しようとしているのだ。
 「公務員が悪の元凶」かのような悪宣伝は、すべての労働者・労働組合に対する攻撃だ。これを許したら、次はすべての産別と民間労働者の生活も権利もずたずたに破壊されるのだ。
 郵政民営化法が成立したといっても、闘いはこれからだ。労働者の力でこんな攻撃は土台からひっくり返すことはできるのだ。
 小泉=奥田の戦争・改憲と民営化(労組破壊)の攻撃に対し、民主党の新しい代表になった前原は、「官公労との関係見直し」「公務員の採用を3分の1に」「郵政8万人リストラ」など次々と反労働者的発言を繰り出している。また、民主党と「一線を画す」としている社民党や日本共産党も、戦争や民営化と闘えない。つまり、労働者階級の利益を正面から押し出す政党が存在しないのだ。
 すべての労働者が、郵政民営化に反対し、公務員制度改革に反対して、これを自分のこととして総決起することが必要だ。そうすれば必ず道は開かれる。労働者階級の力で帝国主義を打倒する突破口を開こう。

 第2章 改憲と戦争の攻撃に労働者の反撃を

 11・6集会は、同時に、小泉政権の改憲と戦争への攻撃に対する労働者階級の総反撃の闘いだ。
 小泉は、10月17日、靖国神社参拝を強行した。首相就任以来5年連続5回目の暴挙だ。小泉は平服で、「昇殿せず、記帳せず」と「私人」を強調し、「二度と戦争をしないために」などと弁明しているが、靖国参拝が「次の戦争(新しい戦死者)のため」のものであることは明白である。朝鮮・中国・アジア人民に対する再侵略宣言であり、日本の労働者人民を戦争に駆り立てるための行動だ。北朝鮮・中国侵略戦争に向けての戦争挑発だ。戦時下の日帝・支配階級の憲法改悪に向かっての大攻撃である。絶対に許せない。
 小泉は、対テロ特措法の1年延長に続いて、12月に期限の切れるイラク特措法に基づくイラク派兵の延長を強行しようとしている。日帝は日米枢軸を強め、泥沼化するイラクの戦場に今やますます深くのめり込みつつあるのだ。不屈のイラク人民の民族解放闘争に対する日帝の侵略戦争のエスカレーションを許すな。
 トランスフォーメーション=米軍再編は、沖縄・普天間基地の移設先をめぐって、沖縄人民に対する攻撃として襲いかかっている。日米帝は、辺野古の海と陸での実力阻止闘争、沖縄人民の大多数の反対によって現行の海上基地建設計画を打ち砕かれる中で、日米帝間の矛盾を深めつつ、一切を沖縄に対する新たな基地の押しつけとして何がなんでも貫徹しようとしている。日米帝は、新たな移設先を、浅瀬にするか、それとも沿岸にするか、と対立しつつ、とにかく辺野古のどこに犠牲を押しつけるかを10月29日の日米安保協(2プラス2)までに決定し、11月16日のブッシュ訪日・日米首脳会談で決着しようとしているのだ。
 沖縄に差別的に襲いかかっているこのすさまじい攻撃に怒りを爆発させて粉砕しなければならない。沖縄人民の不屈の闘いと連帯して立ち上がろう。11・6日米韓労働者の国際連帯闘争は、沖縄への差別的な基地押しつけの攻撃に対する共同の決起の場である。
 自民党は結党50年の11月党大会で新憲法草案を決定するとして、それを今月中にもまとめようとしている。それは、1月の日本経団連の改憲提言の内容と完全に一致した大攻撃だ。
 特別国会で憲法調査特別委員会が設置され、来年通常国会には改憲のための国民投票法案が提出されようとしている。改憲が完全に政治日程に上った。11・6集会は、4大産別決戦と改憲阻止決戦を掛け合わせた一大政治闘争となった。
 さらに、特別国会に提出された共謀罪新設法案との闘いが重大だ。実行行為がなくても「話し合い」「会議」だけで罰するという、治安維持法以上の悪法である。共謀罪の恐るべき狙いに対する怒りと危機感、闘いが広がっている。この大悪法の継続審議を許さず、廃案にたたき込もう。
 「障害者」切り捨ての「自立支援法案」を衆議院段階の闘いで粉砕しよう。

 第3章 動労千葉―3労組とともに闘おう!

 11・6労働者集会は、日本、韓国、アメリカの労働者が一堂に会する国際連帯集会である。昨年の11月労働者集会に参加した韓国民主労総ソウル地域本部とアメリカ・ILWUを軸に、今年はさらに多数の労組と労働者が参加しようとしている。彼らは、幹部同士の交流ではなく、現場労働者の交流をもっと進めたいと熱望しており、自ら集会の成功に責任をとる主催者として訪日しようとしているのである。なんとしても彼らの熱意にこたえて、日比谷野音を満杯にする労働者の大結集で連帯しようではないか。
 韓国とアメリカの戦闘的労働組合が、動労千葉などの闘いに合流してきているのは、動労千葉の労働運動に対する共感と信頼、自らの勝利のために動労千葉との連帯が必要であるとする意志の現れだ。「動労千葉は日本で民営化反対の代表」(スティーブ・ゼルツァーさん)だからである。
 動労千葉は、1987年の国鉄分割・民営化に対して、どう闘ったか。カクマル松崎明に率いられた動労(今のJR総連)は、自分たちの組織維持のために分割・民営化に全面屈服し、中曽根政権に協力して国労と動労千葉つぶしの先兵になった。国労はこれに対して何も闘えなかった。動労千葉は、こうした裏切りと闘争放棄をのりこえて、2度のストライキを始め、全力でこの攻撃と対決し、大量処分の攻撃を受けたが、闘って生き残った。
 そして今、動労千葉は、国鉄1047名解雇撤回の闘いの先頭に立ち、また分割・民営化の結果もたらされたJR尼崎事故に対する弾劾の闘いを、反合理化・運転保安闘争として貫徹し、大きな成果をかちとっている。動労千葉が掲げる「闘いなくして安全なし」は、すべての労働者にとって切実なテーマなのだ。
 動労千葉は、最も階級的で原則的な、労働組合として当然の闘いを不屈に闘い、他の労組との共闘、国際的な連帯闘争を闘いぬいている。日本のすべての労働者が進むべき道、闘いの展望を指し示している。この闘いに、米韓の労働者が固く連帯しているのだ。
 今こそ日本のすべての闘う労働者、労働組合が、動労千葉のように闘おう。動労千葉を始めとする闘う3組合とともに闘おう。
 闘いを求めるすべての労働者人民のみなさん。11・6労働者集会に総結集しよう。1万人の団結の力で小泉を打倒し、改憲と戦争、民営化攻撃を粉砕しよう。

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週刊『前進』(2220号1面2)(2005/10/31)

 小泉の靖国参拝を直撃 全学連が決起 “侵略戦争の美化許さぬ”

 小泉は、10月17日午前10時過ぎ、靖国神社への参拝を強行した。5年連続5度めの暴挙である。断じて許すことはできない。
 全学連(織田陽介委員長)は朝8時前の発表に直ちに対応し、織田委員長を先頭に雨を突いて東京・九段の靖国神社に進撃した。
 全学連の学生や部落解放同盟全国連など闘う労働者人民は午前10時前、厳戒態勢の靖国神社の大鳥居前に結集、警察・機動隊と対峙した。「小泉の靖国神社参拝弾劾! 小泉は直ちに辞任しろ」「自衛隊兵士の新たな英霊化攻撃を許さないぞ!」「労働者、学生はアジア人民と連帯して闘うぞ!」。小泉への怒りのシュプレヒコールが靖国神社内外に響き渡った。
 小泉が公邸を出て靖国神社に入ったことが伝えられる中、織田委員長は「小泉の靖国参拝は、何よりもわれわれ学生や労働者一人ひとりを日本帝国主義の侵略戦争に動員するための攻撃である。これは改憲攻撃そのものだ。靖国神社とは、日帝の侵略戦争の歴史を肯定し、その戦死者を『英霊』として祭り、賛美し、再び日本の労働者・学生・人民をアジア人民虐殺の侵略戦争に動員し、自らも死ぬことを強制する装置にほかならない。このような靖国神社に首相の小泉が参拝することを絶対に許してはならない」と激しく熱い戦闘宣言をたたきつけた。
 小泉は抗議行動の直撃を受けてあたふたと5分足らずで参拝を切り上げて逃げ帰るように退出した。さらに弾劾行動を展開していると、韓国のマスコミ2社が本殿方向から移動してきて、織田委員長にインタビューした。織田委員長は韓国やアジアの人民に向かって、日本の労働者・学生の熱烈な連帯を表明した。
 その後、10時45分、大勢の機動隊が大鳥居前に駆けつけ、小泉参拝に抗議する全学連と労働者人民を包囲し、靖国神社から九段下へと暴力的に押し出し、排除した。全学連は最後まで小泉の靖国参拝を徹底弾劾し、約1時間、闘いをやりぬいた。道行く人びとも、全学連の体を張った闘いに注目した。
 同日、中国・韓国の人民が、日本大使館前で、小泉の靖国参拝に怒りの抗議闘争をたたきつけた。日本の全学連と労働者人民の参拝弾劾の現場決起は中国・韓国―アジア人民と連帯する国際主義的な闘いである。
 小泉は靖国参拝後、「総理大臣である小泉純一郎がひとりの国民として参拝する」だとか「二度と戦争はしないという決意を表明した」と説明した。ふざけるな! 8・8衆院解散―9・11総選挙反革命をもって9条改憲を軸とする改憲攻撃を決定的に強め、まさに改憲攻撃―ファシスト的国家づくりとして今回の靖国参拝を強行したのだ。
 日帝・小泉は、アジア人民と日本の労働者人民の怒りに包囲され追いつめられている。参拝形式を簡略化したのはそのためだ。しかし、追いつめられながら小泉は、日本帝国主義の生き残りのためには北朝鮮・中国侵略戦争に絶望的に突き進むしかないと決断している。だからこそ中国・韓国との関係悪化は承知の上で参拝を強行したのだ。
 11・6集会への1万人大結集をかちとり、日帝・小泉打倒へ進撃しよう。

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週刊『前進』(2220号3面1)(2005/10/31)

 11・6日比谷へ! 日米韓3カ国労働者の訴え

 動労千葉など闘う3労組が呼びかける11・6全国労働者総決起集会は、アメリカと韓国の闘う労働者が大挙結集し、歴史的・画期的な国際連帯集会としてもたれようとしている。3カ国の労働者の訴えの核心部分を紹介します。呼びかけにこたえて、全国から総結集しよう。(動労千葉発行の『世界に翔びたとう5』より抜粋しました。編集局)

 小泉超反動内閣打倒を 国鉄千葉動力車労働組合委員長 田中康宏さん

 われわれは尼崎事故に対する4カ月にわたる安全運転闘争を闘いぬき、大きな勝利をかちとりました。
 日本の労働者はいま暴風雨の中にいます。しかし、労働運動再生への胎動は、動と反動が逆巻く激しい分岐と流動の中からしか生まれません。一人ひとりの労働者が持つ無限の可能性、その力が団結した時に持つさらに大きな可能性に確信を持って、今こそ、戦争と民営化−労組破壊の大攻撃に立ち向かう労働者の国際的団結をつくりあげよう。
 11・6労働者集会は、「9・11」(総選挙)情勢下で日本の労働者の未来を左右する位置におし上がりました。1万人の結集で、小泉超反動内閣を打倒しよう。

 東京とソウルで会おう 民主労総ソウル地域本部長 コジョンファンさん

 民主労総ソウル本部としては、今年の日本の11月労働者集会に、これまでとは違った形で参加したいと思っています。その軸は現場労働者同士の交流です。
 ソウルから20名近い代表団を編成して参加したい。内訳は、鉄道、地下鉄、公務員、医療など各産別のソウル本部と、六つの地区協議会から代表1名ずつ。それと、律動グループ3名と労働歌手1名です。
 民主労総の全国労働者大会は11月13日に行われます。35年前にチョンテイル烈士が焚(ふん)身決起した日です。日本の労働者同志たちも、ぜひ大挙して韓国の労働者大会に参加されるよう呼びかけます。11月労働者の怒り逆巻く東京とソウルで会いましょう。

 世界の労働者の団結軸 アメリカ・運輸労働者連帯委員会 スティーブ・ゼルツァーさん

 アメリカでは、組合を組織しようとしたとして毎年2万人の労働者が解雇されています。
 いまノースウエスト航空の労働者がストライキに入っています。ストライキに入ったAMFA(航空整備士友愛組合)は整備工組合で、AFL−CIOから追い出された独立組合です。
 彼ら(会社)の主要なもうけは、日本と韓国から上げられているのですから、日韓との団結が重要です。ILWUローカル10と運輸労働者連帯委員会は、すべての労働者にこのストライキを支援するための共同行動を呼びかけています。
 労働者階級の権力のための闘いに世界中の労働者階級を団結させる結集軸を建設しましょう。

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週刊『前進』(2220号3面2)(2005/10/31)

 「共謀罪」に反撃広がる 労働者の闘いで絶対廃案に

 政府は共謀罪・サイバー弾圧法案を03年、04年に続いて3たび国会提出した。14日から衆院法務委員会で審議入りし、総選挙での小泉自民党圧勝の勢いをテコにして、小泉翼賛国会というべき今国会で成立させようとしている。重大な局面に突入した。
 一部では「政府・与党は共謀罪新設を断念」「今国会成立困難に」と報道されている。この間の闘いがギリギリのところで問答無用の強行を阻み、自公与党間の矛盾をもつくりだしてきた。だが情勢は予断を許さない。たとえ特別国会で不成立の場合でも、政府は民主党を修正協議に引き込むために会期末(11月1日)ギリギリまで審議を進め、衆院での継続審議手続きをして来年通常国会での成立を狙っているのだ。
 現代の治安維持法=共謀罪の制定を断じて許してはならない。労働者階級の力で絶対廃案に追い込もう。

 思想・言論処罰する治安立法

 共謀罪とは、4年以上の懲役・禁固にあたる619の罪について、実行しなくても会話やメール、会議だけで処罰できるというものだ。
 政府・与党は、「国際テロ対策」とか「暴力団などの犯罪集団による犯罪を抑止するため」などと立法の狙いを説明している。だが、真の狙いは、労働運動や革命運動、反戦運動などに対する治安弾圧である。共謀罪は、戦前の治安維持法の復活そのものである。
 共謀罪の新設は、ひとつ新たな罪種が増えるというレベルの問題ではない。組織犯罪対策法のひとつの条文を変えるだけで619もの共謀罪が新設される。犯罪の実行がなくても、またその準備行為すらなくても単なる「話し合い」や「合意」だけで処罰するというのだ。これはこれまでの日本の刑法の原則すら根本から覆すものである。思想・言論・表現の自由は完全に侵される。核心は革命党のあらゆる行動と思想の弾圧である。
 これが成立すれば、たとえば労働組合の会議で、「首切り撤回まで徹夜になっても社長と交渉を続けよう」と話し合ったことが「逮捕監禁の共謀罪」に問われたり、「退職金の上積みや解決金の支払いを強く要求しよう」と話し合ったことが「恐喝の共謀罪」に問われる。とんでもない弾圧が可能になるのである。
 あるいは改憲のための国民投票法の強行と結合して、改憲反対集会や改憲反対の宣伝について、話し合っただけで「国民投票法違反の共謀罪」として弾圧することが可能になる。
 捜査機関が大衆運動団体や革命党にスパイを送り込めば、その組織に壊滅的弾圧を加えることもできる。情報を提供したスパイは免罪される。法案には、「自首した者はその刑を減軽し、または免除する」との規定を盛りこんでいるのだ。これは警察がスパイを使うということである。

 労働者階級の力で廃案へ

 自民党法務部会長の平沢勝栄(元警察庁幹部)は「外国の捜査当局と比べると、日本の捜査当局はきわめて手足が縛られ、歯ぎしりしてきた。犯罪の形態が悪質化、巧妙化、国際化するなど大きく変容する中で、共謀罪は捜査当局の新たな武器となるだろう」と公言している(10・17付「毎日」)。
 実際、米英では共謀罪は労働運動・市民運動の弾圧に多用されてきた。アメリカではマフィアだけでなく労働運動を弾圧するために”おとり捜査”や盗聴を駆使してきた。日本でも共謀罪制定を機に、それを一挙に拡大しようとしている。共謀罪はそのための「捜査当局の新たな武器」だ。
 労働組合や大衆運動を闘う人びと、学者、弁護士、言論・情報に携わる人びとの間に怒りと危機感が広がり、反対運動が大きく燃え上がっている。出版労連は10月13日の定期大会で「言論・出版、表現の自由を侵害する憲法改悪のための国民投票法案、共謀罪新設に反対する」という特別決議を採択した。日本ペンクラブ(井上ひさし会長)は17日、「共謀罪新設に反対し、廃案を求める声明」を発表した。闘いはこれからだ。改憲阻止闘争と一体の闘いとして取り組もう。
 破防法・組対法に反対する共同行動は次の方針を提起している。全力で決起し、さらに11・6労働者集会に総結集しよう。
▲国会前1日行動(議員会館前)
 10月25日(火)朝ビラ8時半〜。昼集会12〜13時。座り込み〜17時。
 10月28日(金)昼ビラ12〜13時。集会13時半〜。
▲国際共同声明集会
 10月25日(火)午後6時〜。弁護士会館10F。

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週刊『前進』(2220号3面3)(2005/10/31)

 ビラまき不当逮捕で労組交流センターなど捜索

 11・6集会への弾圧許すな

 警視庁公安部は、10月12日の東京・江戸川区役所前での全国労組交流センターのビラまきに対し「公務執行妨害」をデッチあげ、Aさんを不当逮捕した(前号既報)。これに続き、このデッチあげ弾圧を口実にして、10月17日にAさんの自宅(都内)と全国労組交流センター(台東区元浅草)など、19日には前進社と都政を革新する会(杉並区上高井戸)に不当捜索を行った。また裁判所は13日、Aさんの勾留を決定した。
 これらの逮捕、勾留、捜索すべてが人権侵害であり、違憲・違法行為であり、絶対に許せない暴挙だ。警視庁は直ちにAさんを釈放せよ。
 あらためてはっきりさせよう。10月12日の江戸川区役所前でのAさん逮捕はまったく正当なビラまき宣伝活動に対する不当な弾圧である。「公妨」は完全なデッチあげだ。Aさんは、警官らに取り囲まれてビラまきを妨害され引き揚げたのだ。そこへ警官らが「押したな」「公務執行妨害だ」と言って襲いかかった。暴力を振るったのは私服・制服警官の方であり、Aさんはまったく無実である。
 今回のビラまき弾圧は第一に、動労千葉を始めとする闘う3労組が呼びかけている11・6全国労働者総決起集会(日比谷野音)の1万人結集へ奮闘する全国労組交流センターに対する妨害、弾圧である。
 デッチあげ「公妨」でビラまきを弾圧し、11・6集会結集運動を妨害するのは、警視庁がいかに11月労働者集会の成功を恐れているかを示している。11・6集会が「小泉政権打倒」「公務員労働者への攻撃をはね返そう」「民営化は首切りと戦争への道」「郵政民営化反対!」を掲げる闘う労働者の集会だからである。
 前進社への捜索では、警視庁は11・6集会への結集を呼びかけるビラばかり押収した。警視庁の11・6集会成功への恐怖、集会圧殺の衝動は普通ではない。不法・不当な人権侵害、集会妨害に猛然たる怒りを爆発させ、11月6日、日比谷野音への1万人の労働者の大結集で弾圧を粉砕しよう。
 今回のビラまき弾圧は第二に、日帝・小泉による「改憲反対運動はしてはいけない」という「国民投票法案」の先取り攻撃であり、地方公務員の政治活動禁止・罰則制定策動と一体の改憲攻撃そのものだ。
 労働者人民は、闘いの中で、自由に意見や思想を表明する権利、それをビラで多くの人に伝える権利をかちとってきた。日本国憲法も基本的人権として、「思想及び良心の自由」「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」を保障している。
 支配階級みずからそれを踏み破る今回の弾圧は小泉政権の憲法改悪策動と戦争国家化攻撃、共謀罪導入の動きと完全に軌を一にしている。改憲攻撃を先取りするビラまき弾圧を許してはならない。
 不当弾圧に対する回答は11・6集会への1万人結集だ。全力で11・6の大成功へ闘おう。

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週刊『前進』(2220号4面1)(2005/10/31)

 9条破棄・戦後民主主義解体し戦争へと進む自民党新憲法草案

 11・6大結集で小泉を打倒しよう

 はじめに

 05年11・6労働者集会の1万人大結集を、4大産別決戦と改憲阻止決戦をしっかり結合し一体化して闘いとらなければならない。
 11・6を頂点とするこの秋から年末にかけての過程は、郵政民営化法案の強行突破を基軸に、公務員(制度)への激しい攻撃が、全逓・自治体・教労・国鉄の4大産別全体への「戦争と民営化」攻撃として展開されていく過程である。これと同時に、イラク侵略戦争への参戦、米軍再編(トランスフォーメーション)などによる米帝ブッシュの世界戦争計画への協力・加担という、現実の戦争への参戦攻撃がますます激化していく。
 こうした中で日帝は、9・11総選挙での小泉による政治クーデターをテコに、ついにこの秋を期して改憲に向かっての本格的な攻撃を開始した。
 特別国会冒頭の9月22日には、早くも衆議院に憲法調査特別委員会が設置された。改憲のための国民投票法案を早期に作成し、国会で成立させるための特別委である。特別委というのは、一定のテーマで、それが法的に制定されるまで継続する委員会である。しかもこの特別委の設置については、ジグザグがありながら、民主党の前原体制が成立した途端に、自公民3党の合意によって一気に行われた。
 重要なことは、すでに2001年、自民・民主両党など超党派の改憲派議員でつくる憲法調査推進議員連盟(改憲議連)によって、国民投票法案の草案が作成されていることである。前原はこの議連のメンバーである。この国民投票法案が成立すれば、いつでも改憲を現実に発議できることになる。実際にはこの国民投票法案をめぐる過程は、ほとんど同時に、改憲の内容上の攻撃が一挙に具体化してくる過程となる。
 こうした中で、自民党は10月28日に自民党としての新憲法草案を最終的に確定したものを発表し、11月22日の結党50周年の党大会で正式に採択しようとしている。この草案の内容は、すでに第1次案と第2次案が出されているが、日本経団連が05年1月18日に発表した改憲提言の内容とほぼ百パーセント一致したものとなっている。草案の作成過程で小泉・自民党と日本経団連・奥田の間ですり合わせが行われ、意見の一致を見たことは明らかである。その意味では、この草案の方向で日帝支配階級の階級意志がほぼ確定していることは間違いない。
 これは連合の「7・14国の基本問題に関する見解案」として明らかになった、05年10月連合大会への改憲方針提起の策動(いったん粉砕されたが)とも通底している。また、民主党が前原体制のもとでの改憲方針の貫徹をめぐって、05年から06年にかけ、すさまじい激烈な分裂と解体をかけた党内闘争に突入することは不可避である。
 ここでは、自民党の新憲法草案について、その徹底した暴露と批判をしていきたい。なお、改憲攻撃の全体像と憲法問題に関する基本的な階級的視点については、今秋、前進社から発刊された『改憲攻撃と労働者階級』(坂本千秋・野沢道夫・大谷一夫著、2200円)をぜひ参照していただきたい。

 第1章 現憲法を丸ごと焼き払い破棄し新憲法づくり狙う

 10月12日、自民党の新憲法起草委員会(委員長=森前首相)は新憲法草案の第2次案を発表した。これは、今年8月1日に発表された第1次案に部分的な追加と修正を行ったものである。自民党はこの第2次案に、さらに憲法前文の書き換えなどを加えて、10月28日には最終案を完成して発表する予定である。だがその基本線は、すでに8・1案(第1次案)の段階でほぼ出されていると言っていい。
 朝日新聞などマスコミは、この第1次案が憲法第9条と第96条(改正条項)以外はおおむね現行憲法に重大な変更を加えるものではないかのように解説してきた。しかしこれはとんでもない誤りだ。日帝にとっては、第9条の破棄こそが目下の火急で切迫した絶対的な階級的必要としてあり、他のことは先送りしてもまずここで突破するということである。しかも第96条を根本的に改変して、今後はいつでもたやすく改憲できるようにすることで、第二、第三のより反動的な改憲への道は担保されているのだ。
 逆に自民党草案では、憲法9条については現行憲法の徹底的な破壊・破棄、一木一草残らずの焼き払いを行っている。また第96条の改正条項は、実際には隠れた第9条とも言うべきもので、めったなことでは9条を改正できないようにしているという側面をもっているのだ。この第96条でも、草案はやはり徹底的な破壊・破棄・焼き払いという百パーセントの反革命を実行している。
 さらに、草案全体でも、外見上は現憲法を踏襲すると見せかけて、実際の内容は徹底的に転覆するということが重要なポイントではすべて貫かれているのだ。
 憲法の基本原理自体が根本的に変えられているのだ。「憲法改正」などというものではなく、現憲法破棄・新憲法制定そのものだ。だからこそ自民党草案は自ら「新憲法草案」と称しているのである。
 この点で決定的なのは、憲法前文が丸ごと書き換えられることである。前文については最後まで検討事項として残り、第1次案にも第2次案にも含まれていないが、その原案は、天皇制イデオロギーと「戦争のできる国家の憲法」という精神を強力に、濃厚に押し出すものとなっている。
 そこでは「日本国民は……天皇を国民統合の象徴として古(いにしえ)より戴(いただ)き、和を尊び……独自の伝統と文化を作り伝え多くの試練を乗り越えて発展してきた」と、天皇を国家の中心に真っ向からすえて、その日本の「歴史・文化・伝統」「国柄」を冒頭からゴリゴリと押し出している。その代わりに、現行憲法の前文の戦争否定、主権在民、基本的人権と民主主義の要素はすべてざっくりと削除されているのである。
 ここで押さえておきたいことは、今回の自民党草案は、天皇についての条文は形式的には現行憲法と同じとされているが、実際には正面から天皇制の存続と重要視(神聖視)をあらためて人民(「国民」)に問うものであって、日本が天皇制と天皇制イデオロギーを「戴く」国家であることの是か非かを問うものでもあるということだ。のちに若干言及するように、戦後革命において、また、戦後の階級闘争史全体の中で、日本の労働者階級が天皇問題を真っ向から対象としてすえきれず、やりすごしたり、すりぬけたりしてきたことの否定面はやはり大きなものがある。「つくる会」などのファシスト勢力との対決を軸に、全面的にのりこえなければならない課題なのである。

 第2章 「自衛」の名による軍隊の保有と対外戦争の合法化

 次に、最大の核心である憲法第9条の破棄・破壊について具体的に見ていこう。
 自民党草案の第2章は「安全保障」というタイトルになっていて、現行憲法の「戦争の放棄」を真っ向から否定している。草案の第9条は以下の三つから成っている。
 第9条【安全保障と平和主義】(=9条の一に当たる)
 9条の二【自衛軍】
 9条の三【自衛軍の統制】

 「平和の理念」は戦争の理念

 自民党案の第9条(9条の一)は、現行憲法の「平和主義の理念」を引き継ぐなどという解説が行われている。しかし、まずこれ自身がとんでもないすりかえである。現行憲法の第9条@項は、単に平和主義の理念をうたっているものではない。現実の国際関係の中で、実際に日本という国が戦争や武力行使を「永久に放棄する」と言っているのだ。日本の実際のあり方を定めている規定なのだ。だからこそ、現行憲法第9条のA項は、「前項の目的」を達するため、戦力の不保持と交戦権の否認を規定しているのだ。
 ところが自民党案ではこれを、国家が有する「平和主義の理念」とか、「国際平和を誠実に希求する……理念」などとすりかえてしまっている。これでは国家の実際のあり方をなんら規定しない。それどころか、彼らの言う理念も内容が百八十度違ったものでしかない。実際には武装していて、さらに戦争をしたとしても、国家の理念は実は平和を志向しているのだ――こういうたぐいの理念だ。これはブッシュやブレアだって、さかんにのたまっている理念だ。帝国主義的軍事力で全身武装し、民族解放闘争などを世界平和に対するテロ的挑戦だなどといって戦争的に圧殺し、ねじ伏せ、帝国主義の支配の中でおとなしくさせる。これが彼らの言う平和であり、平和の理念なのだ。
 だから、自民党案の「第9条(9条の一)」の2では、「前項の理念を踏まえ」(「前項の目的を達成するために」とは大いに違う!)、「国際紛争を解決する手段として」は「戦争」や「武力行使」を「永久に行わないこととする」などとしているのだ。ここでは戦争のできる巨大な軍事力をもった国家が堂々と措定されている。
 しかも「国際紛争を解決する手段としては」などという得手勝手な条件を付与している。彼らにとっては自衛戦争は国際紛争ではないのだ。また、国連決議や「国際協調」という名の多国籍軍形成のもとで行われる戦争は「国際紛争」ではないのだ。しかし、これまでのどんな戦争も、明々白々な侵略戦争でさえも、「自衛のための戦争」と主張されなかったものはない。戦前の日帝やナチス・ドイツが掲げた「生命線」論も、侵略戦争を国家にとって生死のかかった「やむを得ざる自己防衛」として位置づけられるものだったのだ。
 実際、今日、「つくる会」派の連中は、日清戦争・日露戦争も自衛戦争と言い、そして何より第2次世界大戦(太平洋戦争)自体をABCD包囲網に対する自衛戦争と平然と言っているではないか!
 自民党案「第9条(9条の一)」の3はなんと、この「平和の理念」なるものを世界に広げていくものと規定されている。つまり、「国際社会の平和」のために「国際的に協調して行われる活動(これは戦争のことだ)に積極的に寄与するものとする」などとしている。つまり、自民党案が言う「平和の理念」とは、91年1・17のイラク侵略戦争や今日のイラク侵略戦争などに積極的に加担することで、その理念を広めていくといったタイプのものなのである。

 なぜ戦争を放棄したのか

 自民党案の「第9条の二」においては、こうした「平和の理念」と称する戦争の理念に基づき、現行憲法の第9条の@項もA項も真っ向から否定した規定を昂然(こうぜん)と打ち出している。すなわち、自民党案の「第9条の二」はその1で、「侵略から我が国を防衛し、国家の平和及び独立並びに国民の安全を確保するため、自衛軍を保持する」としている。
 革共同は、労働者階級の先頭に立って、ここで当然の自明の真理のように打ち出されている国家の自衛権とか、そのための自衛軍とかについて、真っ向から反撃し、批判し、粉砕しなければならない。そもそも国家一般を設定して、外敵の侵略なるものも何か得体の知れないものとして設定して議論を進めていくやり方に、実は大きなペテンが潜んでいるのだ。
 なぜ1946年制定の現行憲法の第9条で日本が戦争放棄を宣言したのか。それは日本が明治期から15年戦争、第2次世界大戦に至る過程で、帝国主義国家(大日本帝国!)としてアジアへの侵略と侵略戦争を行い、ついにはアメリカとの帝国主義間戦争にまで突き進んだこと、最後には中国・朝鮮などの人民の民族解放闘争によって打ち破られ、アメリカに決定的に敗北したことが基底にある。そして、アジア人民の日帝へのすさまじい怒りの爆発と、さらに帝国主義戦争に加担者として動員された上に自らも大量に死を強制された日本の労働者人民の怒りの爆発が戦後革命となって発展することを恐れた日米帝国主義により、第9条の戦争放棄が先制的予防反革命として憲法の中に盛り込まれたというのが歴史の真実だ。
 さらに言えば、当時のマッカーサー・GHQ当局や日帝政府・吉田らは、戦後革命をのりきるためには天皇制の護持が不可欠と考え、東京裁判での天皇の戦争責任の免除を狙い、予想されるアジア太平洋諸国人民の怒りをかわすために、憲法第9条による戦争放棄をうたい上げることを決めたのである。
 もちろん、戦後の革命の恐怖が去ったと見るや、米帝も日帝も〈9条〉を桎梏(しっこく)とし、さまざまに改正を追求したし、憲法のデタラメな解釈を破廉恥に行いつつ、自衛隊の創設とその増強へと突き進んでいった。
 しかし、〈9条〉は労働者階級にとってみれば、戦後の革命を鎮めるテコとして登場したとしても、日帝が戦後的に立ち直っていく中では、日帝が再び侵略戦争を大っぴらに遂行することを阻止する法的武器となったのである。また、日帝ブルジョアジー自体にとっても、日米安保体制によって軍事体制を維持しつつ、しかし、自前の軍隊については〈9条〉の歯止めによって対外侵略の武器としては一定の制動がかかっていることが、戦後的な世界=アジア諸国との経済関係などを発展させていく上で一定の条件を与えるものとなったのである。
 このように、現行憲法第9条の背後には、実は戦前から第2次世界大戦に至る日本帝国主義の侵略戦争があり、これへのアジア人民と日本の労働者人民の、日帝の再軍備とアジア侵略は絶対に再びさせてはならないという怒りと要求があったのである。
 したがって、自民党新憲法草案の「我が国」「国家」「侵略」「防衛」などの言葉についても、現実の世界史と日本史に即して階級的現実的に見なければならない。「我が国」とか「国家」とか言っているが、そういう一般的抽象的なものは実は存在しないのだ。実際に今日の世界に存在するのは帝国主義国家と被抑圧国家(民族)なのだ。また、現代世界は、帝国主義とスターリン主義の戦後体制が崩壊し、帝国主義が主動軸となり、そのもとで崩壊したスターリン主義国家や残存スターリン主義国家(中国・北朝鮮など)が世界体制に組み込まれているものとしてあるのだ。その中に日本は帝国主義国家として存在している。だから、侵略なども一般的なものとしては論じられない。基本的には、アジアで言えば、米帝・日帝こそが決定的な侵略国家なのだ。
 今ひとつ重要なことは、「我が国」「国家」と言っても、超階級的な国家、階級を本当に超越した国家などというものは存在しない。国家と言い民族と言っても、決定的に階級的に分裂しているのだ。国家はブルジョア階級、今日的には帝国主義的ブルジョアジーが労働者階級をねじ伏せるためのものとして存在し、国家は日帝ブルジョアジーの利害に従って行動しているのである。帝国主義は戦前・戦後をとおして、あたかも〈国民〉全体の利害を代表し、それを守るかのようにイデオロギー的に民族主義やナショナリズムをあおり立ててきたが、実は帝国主義の利益のために〈国家〉の名で〈国民〉=実は労働者階級を動員していたにすぎないのだ。
 戦前から1945年の敗戦に至る過程で、このことはいやというほど明らかになった。日本の労働者人民は、帝国主義のための戦争を自らも含む〈国〉のための戦争と思い込まされ、アジア人民を殺すという行動に駆り立てられたのだ。しかし、それは実は帝国主義のための不正義の侵略戦争だったのだ。だからこそさんざんに反撃され、自らも本当に犬死にでしかない死を強制されたのだ。
 また、同じ侵略者の米帝と日帝の戦争の中で労働者同士の殺し合いを強制された。ヒロシマ・ナガサキも強制された。われわれは日本帝国主義こそ侵略の源泉だと断言する。それは米日帝がイラクでやっていることを見ても明らかだ。
 だから、憲法第9条が日本の軍備と戦争をすべて否定しているのはむしろ喜ぶべきことであったのである。国家には自然権として自衛権があるとか、だから自衛隊が必要だというようなことは断じて認められない。侵略の源泉である日帝を打倒するためには、日帝の軍隊など弱体であればあるほどいい。労働者階級にとっては、ない方がいいのだ。
 このような考察の上に立って、今一度、歴史的視野に立ち、現実の内外情勢の中で9条改憲問題を考えてみよう。するとはっきりしてくることは、自民党案の「第9条の二」は、まさに〈自衛〉に名を借りて対外戦争のできる軍隊をなんとしても持つことを狙っているということだ。
 この間、91年の第1次イラク侵略戦争で金だけ出しても国際的にはなんら評価されなかった、血を流してこそ発言権が得られると言われ続けてきた。そして、小泉内閣はアフガニスタン侵略戦争に参戦し、イラク侵略戦争に参戦してきた。今や世界の帝国主義(大国)は国家間で激しい石油・天然資源の争奪戦を繰り広げている。世界市場をめぐる帝国主義間の死闘戦が相互のつぶしあいとして遂行されている。
 一言でいえば、今や日本は自前で対外侵略戦争をしないと帝国主義としてやっていけなくなっているのだ。これこそが自民党案「第9条の二」の1への「自衛軍」の明記の理由なのだ。自衛権というのはいくらでも〈のびる〉。個別自衛権は集団自衛権にいくらでも変貌(へんぼう)できる。要するに自衛軍というのは帝国主義の国防軍なのだ。
 それは、自衛権一般のペテンで人びとをだまし、対外侵略戦争をやるための自衛軍=国防軍を建設しようとする条文以外の何ものでもない。このことが自民党案「第9条の二」の2で明記されている。
 「自衛軍」は「国際社会の平和と安全の確保のために国際的に協調して行われる活動……を行うことができる」
 ここで重要なのは、自衛権=自衛軍として規定された軍隊をいわばテコとして、自衛権概念をはるかに超えて「国際社会の平和と安全」などというとてつもない広い概念を法制化していることである。しかも「国際的協調」という、きわめてあいまいでどこまでも拡張できる枠組みさえ設定すれば、世界中どこの地点へも自衛軍を派遣できるのである。このように、自民党案「第9条の二」の1と2を合わせると、どんな形の対外侵略戦争をも日帝は遂行できるということである。
 自民党案「第9条の三」は「自衛軍の指揮監督」は「内閣総理大臣に属する」というものである。再び大規模な侵略戦争、帝国主義戦争を実際に遂行するために、軍隊の最高指揮権に関する規定が憲法に必要とされているのである。

 改憲を容易にする96条改悪

 次に、とてつもない大攻撃としてある憲法第96条の改悪について見てみよう。自民党案ではこの条文は、 「第96条 この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議に基づき、各議院の総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票において、その過半数の賛成を必要とする」となっている。
 これは大変な大改悪である。この改悪がいったん成立すれば、憲法は一般の法律と何ひとつ変わらないものとなる。両院での過半数でいくらでも可決できる。しかもよく見ると、発議自体がとてつもなく簡単にできるようになっている。現行憲法では発議自体が各議院(つまり衆議院でも参議院でも)の総議員の3分の2以上の賛成がないとできないとされている。しかし自民党案の「第96条」では、国会議員であれば誰でも発議できる。そして衆参両院の審議にかけられるのである。つまり、改憲の議論をいつでも、いくらでもできる状態に国会自体がたたき込まれる。
 この第96条問題は、国民投票のあり方の問題と密接に結びついている。自民党が国会に提出しようとしている「国民投票法案」は、広範な政治活動規制とメディア規制を盛り込むことによって改憲反対の声を一切上げられない状態に人民をたたき込むものだ。これと第96条改悪が結合すれば、改憲を阻む壁などなくなるに等しい。
 要するに、自民党案の「第96条」が意味するものは、もはや憲法が憲法として国家と国家権力を規定し規制する存在ではなくなり、国家権力・行政権力がボナパルティックな指導者のもとで、憲法とその改正行為をも自在に利用し操って国家を統治する体制へと移行するということだ。天皇制的強権的統治形態(天皇制ボナパルティズム)への移行も、この改悪憲法下でなら一挙に進むことが可能であろう。改悪した「第9条の一、二、三」自体も自在に変更されていくであろう。

 第3章 民主主義圧殺へ古色蒼然たる姿をむきだす天皇制

 自民党が天皇制の条項について元首規定などは避け、基本的に現行憲法と同じとしている(実はこれ自体うそだが)ことに、安易に屈服してはならない。
 まず何よりも、〈主権在民〉〈基本的人権〉〈法のもとの平等〉などと言っても、現行憲法に続いて新憲法草案の第1章が再び「天皇」で始まっていること自体、しかもそれがほとんど議論の余地のないこととされていること自体が、本来許せないことなのだ。
 その上で第一に、自民党草案の「第1章 天皇」のところも、よく見ると第1条に重大な変更が加えられている。現行憲法の場合、六法全書などでは第1条の見出しを「天皇の地位、国民主権」としているのが一般的だが(注)、自民党案は「天皇」としか書いていない。これは一見小さいことのようだが、実は天皇の地位との関係で国民主権が意識的に削除されているということにほかならない。
 現行憲法では、国民主権(本質的には人民主権)がまずあって、そのもとで天皇の地位が決まってくるとなっている。ところが自民党案の見出しでは、天皇の地位は「国民の総意に基づく」と言っても、明らかに国民主権から離れて国民の上にそびえる象徴というニュアンスを強める。
 第二に、明治から第2次世界大戦にかけて天皇制と天皇が果たした帝国主義侵略戦争の最大の責任者、張本人という問題である。現在の天皇も、明治・大正・昭和の天皇を美化し肯定し継承している。日帝政府の内外でのあらゆる悪行を肯定し、鼓吹している。
 第三に、基本的人権・主権在民・法のもとの平等などの民主主義の基本理念と天皇の存在は真っ向から対立する。一切の封建的・身分制的な特権から人間が完全に解き放たれ、人間が人間という権原で個人として尊重されるという理念(イデー)なしに、民主主義は根本的に成り立たない。フランス革命は、まさにこれをやりぬいたことで全人類の歴史を大きく塗り替え、民主主義を地上に到来させたのだ。
 したがって第2条の、皇位は世襲のもので皇室典範の定めるところにより継承される(すなわち男系男子)などという規定は、特定の個人(天皇)や家族(皇室)に驚くべき特権を与える、基本的人権とか平等とかの基本理念を百万遍も踏みつけるものでしかない。こんなデタラメがまかり通る限り、憲法に規定するあらゆる民主的条項は最も核心的なところで、真の人間的権原に属する不可侵のものではなくなる。
 そこでは、ブルジョア民主主義が持っている形式民主主義性が、実質的な階級的・階層的な差別・抑圧の前に自由自在に踏みにじられるものとなる。天皇と天皇制を民主主義を踏みつけてそびえ立つ存在として認めることを許すなら、憲法で与えられた基本的人権の享有(第11条)、個人の尊重(第13条)、法のもとの平等(第14条)、思想の自由(第19条)、信教の自由(第20条)、集会・結社・言論・表現の自由(第21条)、居住・移転・職業選択の自由(第22条)、学問の自由(第23条)、家族生活における個人の尊厳と両性の平等(第24条)などは、その根本的な価値の核心において蹂躙(じゅうりん)されてしまう。
 第四に、自民党案は、条文の位置や組み立てを巧みにいじることで、天皇の国事行為にかかわる一切の権能が内閣の助言と承認のもとにあることや純粋に形式的権能であることについて塗り隠している。天皇が大切な国事を行う存在であることを最大限アピールするように改竄(かいざん)している。
 例えば、現行憲法の第3条は、天皇の国事行為における内閣の助言と承認の決定的重要性を強調している条文だが、なんと自民党案はこの第3条を廃止してしまって、第6条の4項と5項に追いやっている。また現行憲法の第4条には普通「天皇の権能の限界、天皇の国事行為の委任」というタイトルがつけられているが、これが自民党案では単に「天皇の権能」となっている。これも「限界」という厳粛な文言を意図的に抹殺しているのだ。要するに、あらゆる形で天皇の地位や権能を自立的で大きなものに見せようと(しようと)懸命になっている。
 第五に、その上であらためて、天皇の任命権や国事行為というものがありとあらゆる国家的重大事項に関して存在することには驚くばかりだ。国家のあらゆる重大事項はすべて、形式行為の形こそとっているが、天皇が任命したり公示したりすることになっている。現行憲法自体がとんでもない天皇制規定で覆われているということだ。自民党案はその上に全力を挙げて、天皇の地位や権能が天皇に固有の自立的なものであるかのようにもっていこうとしている。天皇の元首規定への過渡的綱領として今回の新憲法草案があることは明らかだ。

 「万世一系」論の八木と奥田

 第六に、再び第2条の皇位の継承問題について。女性天皇・女系天皇を認めるか否かをめぐって「皇室典範に関する有識者会議」がすでに積み重ねられ、小泉政権は今秋の意見集約と来年通常国会への皇室典範の改正法案提出を準備している。注目すべきは、日本経団連の奥田がここに参加して活発に動いていることである。しかもこの会議には、「つくる会」会長の八木秀次が「意見聴取」の召喚に応じて、「男系男子以外は絶対に認めるべきでない、神武天皇以来の男系遺伝子を絶ち切るな」などとぶちまくっているのだ。
 八木は男系男子を維持する方法として、戦後になって皇籍を離脱した旧皇族の復帰(旧宮家の再興)を提案している。そして経団連・奥田もまた、「天皇家は世界で唯一男系でつないできた珍しい家系」「女系にすることは世界で唯一の家系を切ってしまうことになる」と福岡県での講演で述べている。日帝ブルジョアジーを代表する人格が八木と同じ「万世一系」の天皇制論者であることを断じて看過してはならない。
 「有識者会議」の結論は女性天皇・女系天皇を容認する方向だと報道されているが、これは「男系男子」論への激烈な志向と矛盾しない。むしろイデオロギーはあくまで「男系男子」だが、現実に皇位継承者がゼロになる危険があるという事態を前に、女性でも何でもかまわない、ひとまず天皇家の血筋がつながればいいとしよう、ということである。天皇制をなんとしても維持しようと、支配階級が超反動的に執着していることが示されたのだ。
 皇位継承問題をめぐるこのような動きを見る時、天皇制と天皇制イデオロギーが古色蒼然(そうぜん)の姿をむきだしにして戦後民主主義に襲いかかり、根本から覆すテコとして働き続けていることを、われわれは今こそ直視すべきである。
 天皇家という特別の家族を天まで祭り上げる天皇制攻撃(民主主義的諸権利=労働者運動=革命運動への圧殺攻撃)が05〜06年の反動過程の一連の動きの一環として登場してくることをはっきりさせ、改憲阻止闘争の一環として、強力にこれに反撃しなければならない。

 第4章 「国家・公共」ふりかざし人民の自由と権利を侵害

 自民党草案の第3章は「国民の権利及び義務」であるが、ここで実際には現行憲法の重要な諸条項の根底的な転覆が行われている。現行憲法と比較してみれば、その差異がきわめて大きいことが分かる。
 第11条は「基本的人権の享有」のタイトルを含めて現行憲法と同じであるが、重大なのは第12条である。
 自民党案では、「第12条(国民の責務)この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、保持しなければならない。国民は、これを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う」となっている。
 まず、条文の見出しを「国民の責務」としていることの問題である。現行憲法ではこの第12条には普通「自由・権利の保持責任とその濫用の禁止」といった見出しがつけられる。これを意識的に「国民の責務」としたことは、この条文の本質的性格にかかわるものだ。
 さらに、自民党の条文には「自由を享受し」と、基本的人権の「享有」に替えて「享受」という言葉が出てくる。この両者はまるで意味が違う。享有とは、権利・能力などを生まれながらに身に受けて持っていることだ。享受は、「受けおさめて自分のものにすること」である。享有には、人間にそもそも備わっているものという強固な内在性がある。それに対して享受は、外からのものを「享受」するのである。
 これは単なる日本語の問題ではない。現行憲法はフランス革命以来の基本的人権論の流れを導入している。つまり「基本的人権は侵すことのできない永久の権利」とされ、国家・政府などはこれを保障するもの、これを侵すものを許さないためのものと位置づけられるのが古典的な本来の民主主義なのだ。
 だから現行憲法の第12条は、この基本的人権について「国民は不断の努力によってこれを保持しなければならない」と言っている。責任とはまず、この権利の保持責任のことを言っているのだ。その上で「濫用の禁止」を規定している。そして、権利は「公共の福祉のために利用する責任を負う」としているのだ。
 この「公共の福祉」は、本来的・原理的には、基本的人権は他の人びとの基本的人権を侵さない、他の人びとの権利とともに立つものであるべきだという意を含んでいる。もちろん戦後の日帝権力・ブルジョアジーは、「公共の福祉」の「公共」を個人に対立し自立した存在としての国家・公共へと歪曲してしまい、「公共の福祉」を「国家・公共」の利益とする方向に常にねじ曲げて解釈しようとしてきた。しかし、第12条の内容それ自体の否定や破壊を意味するものではなかった。
 自民党案の「第12条」はこうした現行憲法の基本的内容、その思想を根本から、正面からひっくり返すものだ。ここでは、基本的人権の貫徹のあり方としての「公共の福祉」という概念は百パーセント粉砕されている。逆に基本的人権に真っ向から対峙・対決する外的存在として、「公益及び公の秩序」というものがそれ自身で独自の価値をもって立つ存在とされている。はっきり言えば、「公益及び公の秩序」とは自立化した国家・国益ということである。しかもそれが基本的人権の上に立つ、基本的人権に優先するものとして措定されている。
 国家・政府は基本的人権を保障するものとしてあるべきだというのが現行憲法の原理であるのに対し、自民党案では、国家・政府があってこそ基本的人権が与えられると百八十度ひっくり返しているのだ。そこでは、人民が「公益及び公の秩序」(=国家・公共)への責任と義務を果たすことが第一であり、一切の根源とされてしまうのだ。これは、階級国家さらには帝国主義国家(しかも危機に立つそれ)のむきだしの論理が前面に出てきて、まかり通るということである。

 ボナパ体制やファシズムへ

 そもそもブルジョア革命(その古典的形態)は、「基本的人権とその保障としての政府」という政治理念を掲げて遂行されるが、実は人権を有する「人間」は抽象的人間としては存在せず、階級に分裂し、ブルジョア階級の利害とプロレタリア階級の利害は非和解的に対立し、それを疎外的に止揚するものとして国家が措定される。そして、ブルジョア階級は支配的階級として国家権力を握り、国家をあたかも階級を超越した社会の全体利害を代表するもののように打ち出して、国家・政府の名のもとに人民(労働者階級)を支配するのである。
 帝国主義の時代には、階級対立は革命と反革命、内戦を内在し、さらに帝国主義間の争闘と戦争が常態となる。こうした中では、国家(公共)はさらに肥大化し、自己絶対化を強める。国民は国家のために命をかけろ、国のために死んでこそ“国民”と言える、などというむきだしの国家主義、帝国主義的ナショナリズムが台頭してくる。ボナパルティズム的強権支配体制やファシズムがかま首を持ち上げてくる。自民党案は、まさにその方向に大きくかじを切るものである。
 自民党案の第3章では以下、第13条(個人の尊重等)でも、第22条(職業選択等の自由)でも、第29条(財産権)でも、「公益及び公の秩序に反しない限り」という条件が厳しく付加されている。また思想の自由や集会・結社及び言論・出版など表現の自由を始め、その他一切の自由についての条項にも、この制限が原理として覆いかぶさっている。すなわち「国家・公共」を名乗った日帝権力・日帝ブルジョアジーの利害に沿って、好き勝手にこの自由を侵害する権利があることがうたわれているのである。
 第20条の「信教の自由」の条項でも、現行憲法の「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」というB項がストレートに破壊される。「いかなる」が削られ、「社会的儀礼の範囲内にある場合を除き」という文言が挿入されて、靖国神社への公式参拝を始めあらゆる神社への参拝・寄付行為が自由化・合憲化されようとしている。
 これは、「つくる会」教科書などでの天皇制イデオロギーと結びついた神道の一大宣伝や、靖国神社を肯定・賛美する一大キャンペーンと合体して、天皇制攻撃が一気に進む突破口となる。この点でも、第96条の憲法改正手続きの安易化は恐ろしい意味をもってくる。
 10月12日発表の第2次案は、ここにさらに、@個人情報の保護(プライバシー権)A国の説明義務(国民の「知る権利」)B環境権C「障害者」と犯罪被害者の権利D知的財産権――の五つのいわゆる「新しい権利」を盛り込んだ。だがこれらは本質的に、労働者人民の権利の拡張とはおよそ無縁なペテンである。「知る権利」は、「国は、国政上の行為につき国民に説明する責務を負う」(第21条の2)としただけで、国家権力・行政権力に人民への情報開示を義務づけるものではまったくない。プライバシー権の新設が表現の自由を抑制する狙いを隠し持っているのと同じように、むしろ基本的人権を制限する手段ともなることを狙ったものである。
 また、この間策動されていた「国防の義務」などの明文化は、いったん見送られたものの、「自由及び権利には責任及び義務が伴う」という文言を第12条に挿入することで、「国民の責務・義務」条項の今後の拡大への道を開いている。

  「国会」など各章での改悪

 このほかにも、第4章「国会」、第5章「内閣」、第6章「司法」、第7章「財政」、第8章「地方自治」などの各章すべてにわたって重大な改悪が行われている。詳しい内容は省略するが、最も重要な点をいくつか列挙する。
 第56条。現行憲法では、国会の両議院はそれぞれその総議員の3分の1以上の出席なしには「議事を開き議決することができない」とされている。ここから「議事を開き」を削り、3分の1以下でも議会は開ける、議決の時だけ3分の1以上いればよい、と改悪した。
 第64条の2として政党に関する規定を新設。政党について、「その活動の公明及び公正の確保並びにその健全な発展に努めなければならない」とし、政党の活動を国家権力の全面的な監視と統制下に置いた。
 第72条。内閣総理大臣の権限について、行政各部の指揮監督とともに「その総合調整を行う」とし、総合調整権という強大な権限を新たに付与した。首相に独裁的権限を与えることに道を開くものである。
 司法の章では、第76条の3として「軍事裁判所の設置」を規定。さらに第2次案では、第77条の2で、検察官だけでなく弁護士にも最高裁判所の定める規則に従うことを義務づけた。
 財政の章では、第86条の2で、予算案が期限内に成立しなかった時の対処法について、自由度を拡大した。また第89条で、宗教上の組織・団体への公金の使用について、「社会的儀礼の範囲内」なら許容するとしているのは、第20条の政教分離規定の緩和と一体であり、超重大である。
 さらに、地方自治の章は、文字どおりの全面的改悪となっている。現行憲法が地方自治に国家行政からも独立したきわめて重要な価値を置いているのとは逆に、地方自治をあくまで国家行政のもとに置いて、「地域における住民に身近な行政を自主的に実施する」といった内容に切り縮めている。
 「地方自治の本旨」として戦後明確にされたことは、地方の行政や立法はその地域の住民の意思に基づいて行われる(住民自治)という原理を基礎に、地方行政において国から独立した法人格を有する地方公共団体の存立を認め、その団体が自主的自律的に地方行政を処理する(団体自治)ということである。国の下位単位としての地方自治体という戦前のあり方を否定して、地方公共団体・住民が一定の“自己権力”として振る舞うことが想定されたのである。自民党案はこれを真っ向から変更しようとしているのだ。
 特に、現行憲法第95条の住民投票の規定を完全削除していることは決定的だ。原発阻止などで住民投票の果たした大きな役割を日帝ブルジョアジーが苦々しく思ってきたことをはっきり示す。その一方で、第91条の3では地域行政における「住民の協働」を強調し、戦争中の「隣組」的なエネルギーを国家の体系に吸収しようとしている。
 なお、この地方自治問題に関しては、『改憲攻撃と労働者階級』の第U部をぜひ参照してほしい。

 結語

 以上で「自民党新憲法草案(第1次・第2次案)」についての検討・分析をひとまず閉じる。
 最終案は10月28日に発表されるが、自民党はすでにこの第1次・第2次案の内容で大筋において意思統一したと言っていい。最終案は、第2次案に新たな前文を付け加え、9条の文案にも細部にわたる検討を加えて表現上の最終確定を行ったものになると言われている。
 また、今回はひとまず見送ったとされる「国防の責務」などについても、復活を狙う策動がぎりぎりまで続けられている。しかしながら若干の修正がありうるにしても、11月22日の党大会で採択される公式草案の内容はほぼこうしたものになるだろう。
 国民投票法案は、衆院の憲法調査特別委員会がそのために設置されて動き出している。9月25日には自民党の中川国対委員長が、国民投票法案は遅くとも06年の通常国会で必ず成立させると言明した。
 今、日帝ブルジョアジーと自民党が狙っていることは、自民・公明の与党による改憲を自公民3党による改憲にもっていくことである。とりわけ連合での改憲提言の採択や自治労、教労など産別レベルでの改憲論による制圧に全力を挙げている。そのために日帝・小泉=奥田は、4大産別(労組)を狙い撃ちにして、労働運動の破壊と改憲の強行を一体的に推進している。
 革共同は、そして闘う労働者は、今こそ4大産別決戦(それは同時に全産業の労働運動破壊をめぐる攻防である)と改憲阻止決戦(プラス教育基本法改悪阻止、「日の丸・君が代」攻撃粉砕と「つくる会」教科書粉砕)をしっかりと結びつけ、両者を一体化して闘いぬくことが必要だ。それを11月1万人集会として実現し、一個の大きな物質力として日帝・小泉にたたきつけ、全日本−全世界の労働者の決起の突破口を切り開こう。


 (注)
 現行憲法の各章のタイトルは条文同様に「法」として定められているが、各条文の見出しは、六法全書などの編集者が憲法解釈にのっとって便宜的につけたもの。

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 9条−現行憲法と自民党新憲法草案

【現行憲法】

 第二章 戦争の放棄
第九条(戦争放棄、戦力及び交戦権の否認) 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
A 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

【自民党新憲法草案(第一次・第二次案)】

 第二章 安全保障
第九条(安全保障と平和主義) 日本国民は、諸国民の公正と信義に対する信頼に基づき恒久の国際平和を実現するという平和主義の理念を崇高なものと認め、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する平和国家としての実績に係る国際的な信頼にこたえるため、この理念を将来にわたり堅持する。
2 前項の理念を踏まえ、国際紛争を解決する手段としては、戦争その他の武力の行使又は武力による威嚇を永久に行わないこととする。
3 日本国民は、第一項の理念に基づき、国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動に主体的かつ積極的に寄与するよう努めるものとする。
第九条の二(自衛軍) 侵略から我が国を防衛し、国家の平和及び独立並びに国民の安全を確保するため、自衛軍を保持する。
2 自衛軍は、自衛のために必要な限度での活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動並びに我が国の基本的な公共の秩序の維持のための活動を行うことができる。
3 自衛軍による活動は、我が国の法令並びに国際法規及び国際慣例を遵守して行わなければならない。
4 自衛軍の組織及び運営に関する事項は、法律で定める。
第九条の三(自衛軍の統制) 自衛軍は、内閣総理大臣の指揮監督に服する。
2 前条第二項に定める自衛軍の活動については、事前に、時宜によっては事後に、法律の定めるところにより、国会の承認を受けなければならない。
3 前二項に定めるもののほか、自衛軍の統制に関し必要な事項は、法律で定める。

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