ZENSHIN 2009/04/27(No2389 p10)

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(写真 “裁判員制度5・21実施阻止を” 「裁判員制度はいらない!大運動」主催の日比谷全国集会と銀座デモに、激しい風雨をついて1850人が結集した。参加者は“制度は絶対につぶせる”という確信を深め、5月21日からの実施阻止に向けた「1カ月決戦」を力強く宣言した【4月21日 銀座)=記事3面)

週刊『前進』(2389号1面1)(2009/04/27 )

 マル青労同に結集し闘おう

 09年メーデー 青年労働者に訴える

 闘う労働組合とマルクス主義の時代

 大恐慌をプロレタリア革命へ

 マルクス主義青年労働者同盟

 「戦争・改憲と民営化・労働組合破壊を許すな!」「資本主義を打倒しよう!」――これが今、全世界の労働者の共通のスローガン、行動方針だ。世界大恐慌に対する労働者階級の回答は、資本主義・帝国主義打倒の世界革命だ。腐りきった資本主義の救済・立て直しなど冗談ではない。私たち青年労働者が先頭に立ち、闘う労働組合とマルクス主義の復権をかちとる時代がやってきた。戦争・改憲と民営化・労働組合破壊に突き進む麻生・御手洗らと手を結ぶ連合中央・全労連中央をぶっ飛ばそう。国鉄1047名解雇撤回=第2次国鉄決戦を突破口に、国鉄・全逓・自治体・教労の4大産別の労働組合をめぐる決戦に勝利しよう。すべての青年労働者は、マルクス主義青年労働者同盟に結集し、ともに闘おう。

 資本主義は終わりだ革命勝利の好機到来

 世界大恐慌が本格化する中、全世界の労働者が資本主義・帝国主義に対する積もりに積もった怒りを爆発させて、スト・工場占拠・街頭デモに続々と立ちあがっている。闘いはこれからが本番だ。米オバマ政権にしても、麻生政権や日本経団連・御手洗ら資本家階級にしても、確固たる展望や確信など何ひとつ持っていない。「労使共同宣言」を結んで、現場労働者が団結して資本の攻撃と非和解に闘うことに敵対し、資本の延命に率先協力する連合や全労連の体制内労働運動指導部も、それは同じだ。闘う労働組合をよみがえらせる絶好のチャンスがやってきた。
 アメリカでは、巨額の公的資金を投入したオバマ政権の資本救済に対し、「ウォール街と戦争にこれ以上金をつぎ込むな!」と百万人以上の労働者が全米各地で街頭デモに立ちあがっている。仕事を奪われ、住宅からも追い出された労働者たちが、何十億ドルもの「報酬」を受け取っている金融機関の経営者の自宅にデモで押しかけ、怒りの声をあげている。カリフォルニア州では、財政破綻を口実にした教育労働者2万6000人の大量解雇攻撃に対して、UTLA(ロサンゼルス統一教員組合)が5月ストライキに立ち上がることを宣言している。
 欧州でも、イギリスで開かれたG20金融サミットに対して、「反資本主義」を掲げる数千の青年労働者・学生が、警察・機動隊をけ散らし、ロンドンの金融街を席巻する実力デモを闘い抜いた。フランスでは、一部操業停止と賃金カットに怒るトヨタ工場の労働者が、工場の入口を封鎖し完全に生産をストップさせる実力闘争に決起している。アジアでも、タイの反政府派の労働者・農民の決起を含む集会・デモによって、ASEAN首脳会議や日中韓首脳会談が完全に粉砕された。韓国では、イミョンバク政権と御用組合幹部による「労使共同宣言」体制形成の動きに対して、民主労総ソウル地域本部の現場労働者を先頭にした反撃が開始されている。
 資本主義・帝国主義の発展は完全に終わり、もはや資本主義は労働者を食わせていくことができなくなった。こうした中で、資本主義の救済に走る体制内労働運動と、資本主義の打倒をめざして闘う階級的労働運動との分岐がどんどん鮮明になっていることは決定的なことだ。革命勝利のためには労働者階級の党が求められていること、労働者階級の革命的決起の最大の妨害物である体制内労働運動指導部と徹底的に闘うことは世界共通の課題だ。

 労働者階級は団結し麻生と御手洗を倒せ

 今日の世界大恐慌は、民営化・規制緩和―労働組合破壊の新自由主義で一切の犠牲を労働者に強制してきた資本主義・帝国主義体制そのものの総破産だ。しかも、破産した新自由主義以外に資本家どもには何の方策もない。
 日本共産党は「資本主義の枠内でギリギリまで『ルールある経済社会』をつくって、矛盾を解決するような努力をやります」(4月17日付『赤旗』)などと言うが、大恐慌の根本にあるのは戦後60年以上にわたって労働者を搾取し蓄積してきた巨大な過剰資本・過剰生産力の矛盾だ。資本主義・帝国主義は、破産した新自由主義のもとで、大失業と貧困、格差という激しい階級戦争とともに、むき出しの保護主義と新たな侵略戦争・世界戦争へ急速に突き進みはじめている。
 何よりも日本帝国主義は、帝国主義の「最弱の環」として脆弱(ぜいじゃく)な姿をさらけ出し、激しい体制的危機にのたうち回っている。動労千葉を先頭にした職場生産点での資本との非和解の闘いが麻生、経団連・御手洗、連合・高木の「政労使合意」体制を完全にガタガタにしている。
 こうした中で日本帝国主義は、戦争・改憲と民営化・労組破壊の攻撃を絶望的に激化させている。北朝鮮の「人工衛星ロケット」発射を口実にした北朝鮮侵略戦争の臨戦態勢突入と、国鉄1047名解雇撤回闘争の解体を狙う鉄建公団訴訟控訴審3・25反動判決だ。
 4月5日の北朝鮮「ロケット」発射以降、「日本の核武装」や「集団的自衛権の行使」「敵基地攻撃能力の保有」「国連脱退」など、改憲と戦争突入へのすさまじい反動的衝動が自民党内から噴出している。ソマリア沖への自衛隊派兵が強行され、23日には「海賊対処法」という名の派兵恒久法案の衆院通過が強行された。社民党も日本共産党も「北朝鮮非難決議」に全会一致で賛成し、「海賊行為は国際犯罪だ」などと言って帝国主義の侵略を擁護している。
 連合中央は「北朝鮮のミサイル発射に断固抗議する」という談話を出した。経団連・御手洗が「日本国民を大変な不安に陥れた行為であり断じて容認できない」と表明したことに応え、「政労使合意」で北朝鮮侵略戦争の策動に「労働組合」の名で率先協力しようというのだ。絶対に許せない!
 そして、国鉄1047名闘争解体のための3・25反動判決は、北朝鮮侵略戦争の策動と完全に一体だ。「国労をつぶし、総評・社会党を解体して新しい憲法を制定する」という狙いをもって強行された国鉄分割・民営化を「正しい」と居直り、分割・民営化に反対した労働者の差別・選別と解雇を「当然」とする超反動判決だ。そこには、1047名闘争の解体と、4大産別の労働組合の改憲勢力化という権力・資本の意志が明確に貫かれている。なによりも権力も資本も、大失業と戦争に対する6千万労働者階級の怒りが、動労千葉を先頭にして不屈に発展している1047名闘争に結びつくことを死ぬほど恐れているのだ。

 国鉄軸に4大産別に強大な拠点つくろう

 国鉄1047名解雇撤回闘争は、戦争・改憲と民営化・労組破壊という世界的規模で繰り広げられてきた新自由主義攻撃にとどめを刺し、労働運動の新たな時代を切り開く最先端の闘いだ。
 日本階級闘争は今、国鉄闘争を軸に大きな分岐を迎えている。87年の国鉄分割・民営化をとおして20万人に及ぶ国鉄労働者の首切りと労働組合つぶしが行われ、総評は解体され連合が発足した。ここから労働組合指導部の急激な右旋回が始まり、その中で労働者の階級的なものの見方が奪われてきた。その行き着いた先が、05年尼崎事故を始めとする安全の崩壊であり、幾度もの派遣法改悪と2千万青年労働者の非正規職化・貧困、有事法制定と海外派兵、社会保障の全面的切り捨てだ。すべては国鉄分割・民営化から始まっている。青年労働者が今、自らが置かれている現状と闘うためにもその原点である国鉄闘争を闘うことがかぎになっている。
 国鉄1047名闘争は、労働運動の路線をめぐる大党派闘争だ。動労千葉は、国鉄分割・民営化に対して唯一「絶対反対」を掲げてストライキで闘い、40人の解雇者を出しながらも団結を守り抜き、1047名解雇撤回の原則を貫いてきた。この闘いの中から、運転士を駅業務に強制配転するライフサイクルを粉砕し、組織拡大をかちとっている。この動労千葉の勝利の地平こそ、「戦争・改憲と民営化・労組破壊」絶対反対路線のもとに団結し、闘う労働組合をよみがえらせることができる時代がやって来たことを示している。
 これに対して4者4団体派は、動労千葉を排除し、1047名解雇撤回の旗を下ろし、青年労働者を絶望に組織している。4者4団体派の幹部は、日本共産党や社会主義協会派など、まがりなりにも「社会主義」や「共産主義」を掲げてきた連中だ。それがこの大恐慌情勢下で、資本主義を支える勢力へと転落している。それはなぜか。「闘争団はこれ以上もたない」「労働者はどうせ闘えない」という労働者蔑視の思想があるからだ。国労本部は、闘争団を「お荷物」扱いし、JR現場の国労組合員自身の闘いにしない。労働者の誇りをかけた22年もの闘いを屈服的「政治和解」路線で切り捨て、連合に合流しようとしているのだ。彼らは、1047名闘争を基軸にして日本階級闘争を発展させることができるなどとは夢にも思っていない。
 3・25反動判決が出された中で、闘争団と、闘争団を支えてきた百万人と言われる国鉄闘争支援陣形の中にも分岐が始まっている。それは“今の時代にあって労働組合がいかにあるべきか”をめぐる大路線闘争だ。
 新自由主義の総破産の中で進められている大量解雇と大幅賃下げ、JPエクスプレス子会社化と強制出向という「第2の郵政民営化」、道州制・民営化―自治労・日教組解体といった攻撃は、国鉄1047名闘争解体と一体だ。勝利の展望は連合・全労連支配を4大産別の職場からひっくり返し、「第2、第3の動労千葉」をつくり出すことだ。4大産別にマル青労同の拠点をつくろう。
 道州制絶対反対の5・9全都労働者総決起集会、5・15沖縄闘争に立とう。裁判員制度の5・21実施を粉砕しよう。不当処分撤回・監獄大学粉砕の法大闘争に勝利しよう。青年労働者の団結した力で6・14全国総決起集会への5000人結集をかちとり、日本労働運動を革命的に塗り替えよう。革命勝利に向けてマル青労同1000人建設をともに実現しよう。

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週刊『前進』(2389号1面2)(2009/04/27 )

 法大解放へ1500人立つ

 正門前で権力と内乱的激突

(写真 6学生逮捕に怒り爆発 集会弾圧に襲いかかる警察権力を撃破し法大解放集会をかちとる。法大暴力職員たちの妨害をはねのけて続々と法大生が合流した【4月24日 法政大学市ケ谷キャンパス正門前】)

 法政大生の歴史的決起が始まった! 4月24日、市ケ谷キャンパスで行われた法大解放総決起集会に、6学生の逮捕を打ち破り、法大生、全国の学生、動労千葉と青年労働者など1500人が大結集した。
 大学に抗議すると処分、逮捕。「営業権」を掲げ学生がビラを取ることも禁止。公開質問状も無視。我慢の限界だ!
 文化連盟の斎藤郁真委員長は「学生諸君! これが法大の姿、学生を商品として扱う新自由主義だ。こんな社会に可能性はない。社会を変革しよう。自由を取り戻そう。集会やるぞ! デモに出よう!」と呼びかけた。
 法大当局はこの日も正門とキャンパス中央を封鎖。しかも学生・労働者の決起に震え上がった法大当局・国家権力は、「無届け集会」なる公安条例違反容疑をデッチあげ、正門前の集会さえ禁止し、300人の警察権力が学生らに襲いかかってきたのだ。
 ふざけるな! 警察権力との大激突が始まる。この中で闘いの先頭に立つ文化連盟副委員長の恩田亮君、倉岡雅美さんら5学生が逮捕。さらに怒りは爆発。内乱的状態となった正門前に、どんどん法大生が合流してくる。校舎からも身を乗り出して皆が注目。新入生を始め学生・労働者は法大当局・警察権力を徹底弾劾し、実力で集会をうちぬいた。
 総長室デモには500人が決起。デモ終了後の麹町署への当然の抗議行動でも警察権力は1人の学生を不当逮捕した。
 内乱的決起が始まった法大闘争は革命的労働者も結集し、日本革命・世界革命の最先端の闘いに躍り出たのだ!

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週刊『前進』(2389号4面1)(2009/04/27 )

 道州制粉砕へ5・15闘争に立とう

 戦争・改憲・民営化攻撃と闘う沖縄―本土の労働者の団結を

 革共同沖縄県委員会

 09年5・15沖縄闘争は、世界大恐慌下の5・15闘争として闘われようとしている。それは、全世界で巻き起こる労働者階級の「生きさせろ!」の闘いの最先頭に「革命の火薬庫=沖縄」の労働者階級が立ちゼネストを実現するという、プロレタリア世界革命勝利への飛躍をかけた新たな沖縄闘争を切り開く闘いである。それは沖縄と本土の労働者の団結をつくり出していく闘いである。その核心は、第2次国鉄決戦を先頭とする4大産別決戦で沖縄と本土の労働者がひとつになって闘っていくことである。具体的には、道州制攻撃粉砕の闘いを、3・6大阪―5・9東京の闘いを引き継ぎ発展させていくということだ。道州制攻撃を5・15沖縄闘争の爆発で粉砕せよ! 沖縄「単独州」攻撃こそ、敵の道州制攻撃の最弱の環だ。青年労働者を先頭に5・15沖縄闘争を闘い、11月1万人結集の血路を切り開こう!
 (写真は昨年の5・15県民大会)

 沖縄労働運動解体狙う「単独州」攻撃

 道州制攻撃の狙いは、新自由主義を絶望的に凶暴化させ、「究極の構造改革」=国家丸ごとの分割・民営化を行い、もって公務員労働者360万人の全員いったん解雇・選別再雇用をとおした自治労・日教組の解体、全労働運動の根絶にある。この攻撃は、新自由主義=国鉄分割・民営化と闘い今日も勝利し続けている動労千葉の闘いによってすでに破産を突きつけられている。しかしなおかつこの攻撃にのめり込まざるを得ないところに日帝のどん詰まりの危機がある。
 この攻撃に勝利する道は何か? それは国鉄分割・民営化と闘い勝利してきた動労千葉の闘いを今こそすべての労働者階級の闘いとしていくということである。その場合、何よりも第2次国鉄決戦を先頭とする4大産別決戦で闘いぬくということである。この闘いこそ、沖縄と本土の労働者の団結を形成していく具体的な水路をなす。
 沖縄「単独州」攻撃とは、まず第一に、戦後沖縄の労働運動の主軸をなしてきた自治労・教労を壊滅させる攻撃としてかけられている。07年9・29県民大会の12万人決起は、沖縄社会を事実上の「ゼネスト状態」にたたき込んだ。この闘いの基軸を担ったのが自治労であり、教労(沖教組・高教組)だ。「役場」と「学校」が県民大会結集・動員の拠点となった。4大産別決戦の戦略的意義を沖縄の労働者階級が現実の闘いで開示したのである。
 さらに、米軍再編下での基地労働者の闘いという問題がある。戦後沖縄の矛盾を体現してきた基地労働者の存在と闘いこそ、沖縄の労働運動・階級闘争の基軸をなす存在である。「基地が動くとき基地労働者が動く」「基地労働者が動くとき沖縄の労働運動が動く」――道州制攻撃は、基地労働者への大量解雇攻撃をも意味する。
 全駐労中央の体制内指導部は、一昨年のストライキを「あってはならないこと」と総括し、道州制攻撃のお先棒を担いでいる。道州制攻撃は、沖縄の労働運動の主軸をなす自治労・教労・全駐労をめぐる大決戦を引き寄せるのだ。
 世界大恐慌突入という今日の時代において、プロレタリア革命の現実性を端緒的に示した沖縄の闘いを圧殺する攻撃として、道州制攻撃が開始されているのである。道州制攻撃の重大な攻防の環として沖縄「単独州」問題があるのは、この沖縄の労働運動の存在と闘いゆえなのである。

 辺野古新基地建設絶対阻止 

 第二に、「基地の島」としての沖縄の持つ戦略的意味である。オバマ政権はその軍事外交政策の柱に「日米安保体制」の護持と強化をすえている。その場合、在沖米軍基地の維持と強化がその実体をなすことになる。事実、イラク侵略戦争からアフガニスタン侵略戦争へののめり込みは、在沖米軍基地の存在価値を高めていく。F22の嘉手納基地への再度の「一時配備」は在沖米軍基地の強化そのものである。F22は約3カ月の「一時配備」の過程で外来機(嘉手納以外の在日米軍基地に配備されている戦闘機)との訓練や、自衛隊那覇基地に新たに配備されたF15との共同訓練を連日繰り返した。オバマ政権は「対沖縄シフト」とでもいうべき人事体制をとり、米軍再編攻撃を決定的に推し進めようとしている。クリントン国務長官の来日と「日米グアム移転協定」調印は、辺野古新基地建設を促進するための攻撃である。国会での協定承認を粉砕しよう。
 日帝・麻生政権もまたこの米帝の日米安保重視路線のもとで、今日の大恐慌下での帝国主義としての延命を策している。米軍再編=辺野古新基地建設推進は、日帝の至上命題と化している。その場合、これを阻み続けてきた沖縄の労働運動を、今直ちに圧殺することが求められているのである。
 さらに、道州制のもとでは、安保・外交は国家の専権事項となる。沖縄を「基地の島」として再編・強化するためにも、道州制攻撃は日帝にとって待ったなしの攻撃なのだ。辺野古新基地建設阻止の闘いは環境アセスが終了し、いよいよ本格的な実力攻防に突入する。いまだ辺野古移設を阻んでいるのは沖縄の労働運動の力である。道州制決戦は、まさにここをめぐる決戦である。
 勝利の道筋は、SACO(沖縄に関する特別行動委)最終報告以来12年余り辺野古移設を阻み続けてきた勝利の地平であり、絶対反対をあくまでも貫く現地の闘う体制を再構築することだ。それは道州制攻撃の先兵と化し、自治労・教労つぶしと闘うことなく屈服し、今やオバマへの幻想や「民主党への政権交代」などに沖縄の労働者階級の闘いを引きずり込もうとしている体制内指導部を打倒して、沖縄の労働者階級の本来的な荒々しい闘いを復権していくことである。

 「革命の現実性」は団結求める闘いに

 第三に、なぜ沖縄「単独州」なのかという問題がある。昨年11月、経団連は「沖縄固有の基地問題、琉球王国や戦後の米軍統治などの歴史的事情に鑑(かんが)み、沖縄単独州を認め」るとし、沖縄道州制懇話会の「沖縄の『特例型』単独州に関する第1次提言」(08年5月13日)と相呼応するものとして「単独州」攻撃を進めている。
 しかし、そもそも沖縄を「基地の島」としてきた連中が「沖縄固有の」うんぬんと語ること自身がふざけきった話ではないか。「基地」も「米軍統治」も沖縄の労働者階級が望んだことなど一度もない。あたかも「沖縄の思い」をくみ取るかのような言辞は許されない。
 また、「単独州」を「自治権の拡大」などと言って推進する連中こそ、最も断罪されなければならない。労働者階級の闘いに絶望した「沖縄独立論」者がこぞってこの「単独州」を持ち上げていることに、その核心問題がある。「単独州」攻撃とは、07年12万人決起を「あってはならないこと」として沖縄の労働者階級を全世界の労働者階級の闘いと分断し圧殺する攻撃なのだ。
 しかし、ここに敵が何に恐怖しているのかを見て取ることができる。沖縄の労働者階級の闘いが本土と全世界の労働者階級とつながることに、敵は革命の現実性を見ているということである。米軍政下から72年のペテン的「返還」=5・15体制をもってしても、日米帝国主義による沖縄の労働者階級の分断支配はついに貫徹しなかったのだ。07年12万人決起こそ、日米帝国主義による沖縄の労働者階級の分断支配を最後的に打ち破り、4大産別決戦の革命的意義を開示した21世紀の新たな沖縄闘争の号砲であった。帝国主義による分断を打ち破り、団結を求める沖縄の労働者階級の闘いの中に革命の現実性が宿っている。

 青年労働者を先頭に4大産別決戦へ

 重要なのは、いわゆる「沖縄独立論」者といった労働者階級への不信と絶望で凝り固まった連中ではなく、かつての労働運動の指導者や体制内指導部が「単独州」推進役を買って出ていることである。革命の現実性に対してそれに恐怖し、闘いの圧殺を自らの使命とする連中は、「4者4団体派」とまったく同じ存在である。
 労働運動における「社会主義と帝国主義の分裂」というテーマが、道州制攻撃=沖縄「単独州」をめぐる攻防として展開されるということである。われわれは、沖縄の労働者階級の未来をかけた決戦として、道州制攻撃=沖縄「単独州」攻撃粉砕を宣言する。
 その最大の戦場が4大産別である。とりわけ沖縄においてはすでに述べたように自治労・教労・全駐労が決定的な位置をもつ。したがって21世紀、世界大恐慌の時代の沖縄闘争の戦略的基本路線は「戦争と改憲、民営化と労働組合破壊」と対決する国際的な労働者の団結を形成していく闘いとして闘われなければならない。
 「基地の島」の労働者が全世界の労働者階級との団結を求めて闘っているがゆえに、沖縄は21世紀もまた「世界革命の火薬庫」たりうるのである。
 それはかつて全軍労牧港支部青年部の青年労働者が、動労千葉地本青年部の青年労働者の闘いと、分断をのりこえ相呼応して闘った歴史を、この世界大恐慌の時代によみがえらせていく闘いでもある。そしてこの労働者の「戦争と改憲、民営化と労働組合破壊」と闘う国際的団結の中に、「基地の島」の現実を変革していく、すなわち米軍再編=辺野古新基地建設阻止と米軍基地撤去の具体的な道筋もあるのだ。
 09年5・15沖縄闘争は、「戦争と改憲、民営化と労働組合破壊」と対決する沖縄と本土の労働者の団結を第2次国鉄決戦を先頭とする4大産別決戦の鉄火の中で形成し、21世紀の新たな沖縄闘争を世界革命の勝利までともに闘いぬくことを宣言する闘いである。
 この闘いの先頭に、青年労働者と学生は断固として決起しよう。沖縄の青年労働者と学生はマル青労同・マル学同と革共同沖縄県委員会に結集し、全世界の労働者とつながろう。4月総力戦の勝利から5・15沖縄闘争を闘い、一路11月労働者集会1万人決起へと09年を全力でともに闘いぬこう!

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週刊『前進』(2389号7面1)(2009/04/27 )

 6・14大結集で麻生打倒へ

 戦争・改憲と民営化・労組破壊粉砕

 国鉄軸に4大産別決戦の前進で日本革命勝利の扉を押し開こう

 坂本千秋

 大恐慌をプロレタリア世界革命へと転化すべき時代がついに来た。革共同は本年1・1アピールをもって、革命を実際にやりぬくために、闘う労働組合とマルクス主義をよみがえらせる闘いに全力で突入することを宣言した。そして、昨年11・2労働者集会が切り開いた地平の上に立ってこの1〜4月、青年労働者を先頭に、職場と街頭でその闘いを全力で実践してきた。それは、日帝権力・資本との真っ向からの激突であると同時に、世界大恐慌下で資本の最後の防波堤、革命の絞殺者として登場した体制内労働運動との非和解的激突として進行した。ここで一歩も引かずに闘いぬいたことが、党と階級を革命に向かって圧倒的に打ち鍛えるものとなっている。だがこの間の激闘は、これから迎える未曽有の歴史的大激動のほんの始まりにすぎない。今始まった革命と反革命の壮大な激突に断固として勝ちぬき、プロレタリア革命の勝利へと上りつめていくために必要なことは何か。それは、革共同の時代認識と路線を一個の革命戦略として明確化し、そのもとに党と階級の不抜の団結をかちとることだ。日帝の〈戦争・改憲と民営化・労組破壊〉の攻撃との全面対決を第2次国鉄決戦を基軸とする4大産別決戦として貫くことこそ、日本革命―世界革命の勝利をたぐり寄せる決定的な戦略方針である。世界大恐慌を革命に転化するかぎはここにある。この革命戦略のもと、党の飛躍をかけた一大蜂起戦に打って出よう! 米帝・オバマ政権と日帝・麻生政権打倒の6・14渋谷大デモー中央政治闘争をその跳躍台として、全国から総力で大結集をかちとろう!

(写真 【左】3月17〜19日、3日間の春闘ストライキに突入した動労千葉の総決起集会【3月17日 千葉】 【右】豊中市職女性部が呼びかけた「道州制反対!橋下打倒!3・6府庁前行動」【3月6日 大阪】)

 T 世界大恐慌下で凶暴化するオバマと麻生を打ち倒せ!

 (1) 〈階級戦争と侵略戦争〉の攻撃を強める米帝オバマ

 世界大恐慌はますます激化している。一昨年夏のサブプライムローンの破綻を引き金に始まった世界金融大恐慌は、リーマン・ショック後の昨秋から一気に加速し、実体経済の大崩落へと突き進み、今や1929年をその質においても規模においてもはるかに超えるとてつもない世界大恐慌となって、爆発の一途をたどっている。
 世界の株式時価総額は07年10月のピークから55%も減少、この1年半で約3400兆円が吹き飛んだ。昨年の米国への資金流入は前年の30%以下、米の対外投資は5%以下に急減した。国際的な資金の流れが一気に縮小しただけではない。同時に生産が全世界的規模で急降下した。ほとんどの企業が軒並み赤字に転落し、その赤字が月を追うごとに膨れ上がっている。さらに、世界の貿易がすさまじい勢いで縮小し始めた。09年は、第2次大戦後初めて世界経済が縮小再生産に陥り、経済成長率が全世界的にマイナスに転じるとされている。
 全世界のブルジョアジーは、この事態に震え上がっている。彼らが恐慌からの脱出を求めてあがけばあがくほど、事態はますます深刻化していく。いま現在も、新たな不良資産が続々と明るみに出て、金融システムの崩壊状態が一層深刻化し、アメリカ自動車産業のビッグスリーを始め世界有数の大企業が倒産の危機に直面している。出口などまったく見えないばかりか、ドルの大暴落と世界経済の全面崩壊の危機がますます切迫してきている。
 資本家階級は今や唯一の頼みの綱として、巨額の財政出動にすがりついている。アメリカでも欧州諸国でも、日本でもどこでも同じだ。すでに事実上破綻している金融機関や大企業に次から次へと膨大な公的資金=税金を湯水のように注入し、その救済を図っている。銀行の不良資産や暴落寸前の企業の株を国家に買い取らせて金融資本や大独占資本の損失を肩代わりさせる。その財源として大量の国債を増発し、それを各国の中央銀行に実質的に引き受けさせるという実にデタラメなことがやられている。
 貧困に苦しむ労働者人民には「自己責任」などと言ってわずかな社会保障も奪い取ってきたブルジョアジーが、自分が危機に陥った途端に税金による救済を当然のように要求する。ふざけるなということだ。そもそもこの大恐慌は、これまで「市場の自由」に一切を任せよと叫び、経済のバブル化のもとでひたすら暴利をむさぼってきた資本家階級が自ら引き起こしたものだ。ところがそれを自然災害ででもあるかのように振る舞い、何の責任もとらず、国家財政を破産にたたき込んでも彼らの延命を助けるために金を回せと要求している。その金とは労働者や農民から搾り取った血税だ! さらに天文学的に拡大する財政赤字のツケはすべて、大増税などの新たな収奪となって労働者階級に襲いかかるのだ。
 しかも他方では、労働者の大量解雇と大幅賃下げを続々と強行し、労働者階級を犠牲に資本の延命を図ろうとしている。首切り・リストラ、賃下げ、非正規職化、労働条件の劣悪化の嵐が全世界を覆っている。ILO(国際労働機関)の報告によれば、世界の失業者は昨年末に過去最高の1億9000万人に達し、09年中にさらに4000万人増えるという。実際にはこの数字にとどまるわけがない。
 だが世界のブルジョアジーがどんなにあがいても、現在の大恐慌からの経済の回復などありえない。資本主義の命脈はもうとっくに尽きているのだ。今日の世界大恐慌は、29年大恐慌から第2次大戦を経て今日まで延命してきた資本主義・帝国主義の全矛盾の爆発であり、その最後の末期的な延命形態であった新自由主義の全面破産の結果である。巨額の財政投入はせいぜい一時的なカンフル注射でしかなく、むしろ恐慌をますます長期化し泥沼化させる。追加投入に次ぐ追加投入は不可避だ。国家財政の破綻と金融大恐慌の一層の激化、大不況化、ドル暴落と国際通貨体制の崩壊、インフレの爆発、総じてこれまでをはるかに上回る一大破局への突入は避けられない。
 この中で、収縮する世界市場をめぐって、巨大独占体間、帝国主義国家・大国間での激しい争闘戦、市場再分割戦が一挙に激化している。保護主義が急速に台頭し、資源・市場・勢力圏の猛烈な奪い合いと囲い込みが始まっている。WTO(世界貿易機関)は露骨な保護貿易措置の導入が全世界で急拡大していると報告。件数は1月末の調査から2カ月間で4倍の85件にはね上がった。4月のG20金融サミットは、各国の利害がむきだしにぶつかり合う場となった。
 その引き金を引いたのは、米帝のオバマ新政権の登場だ。オバマは就任後直ちに米資本救済のために巨額の公的資金の追加投入を決定すると同時に、自国製品の購入を義務づけるバイアメリカン政策に公然と踏み込んだ。さらにぐらぐらになった米帝の世界支配の立て直しを狙ってアフガニスタンへの大量増派を強行し、イラク、アフガニスタンやパレスチナでの侵略戦争の継続と強化・拡大に必死になっている。
 米帝は、今やドル防衛のためにも、世界を軍事的に制圧してきたその力を緩めることはできない。米帝の強大な軍事力こそ崩壊しかけたドルの基軸通貨体制を支える最大の、そして最後の力だ。オバマはブッシュの行ったイラク侵略戦争の破産の上に七転八倒しながら、ブッシュよりもっと凶暴で一層絶望的な侵略戦争の拡大に、あらゆる形で突っ込んでいこうとしてきている。
 オバマによる「核廃絶」演説やステルス戦闘機F22の生産中止も、大軍拡路線からの転換などでは断じてない。逆に争闘戦を強め、実際の戦争に勝ちぬくことのできる、より効率的で実戦的な体制をつくり上げるためである。
 この米帝に対抗して、他帝国主義やロシア、中国などの大国も一斉に、中東を始め世界への新たな侵略と侵略戦争に本格的に走り出そうとしている。「海賊対策」を名目としたソマリア沖への強大国の相次ぐ派兵もその一環だ。世界大恐慌下の資源・市場の再分割戦と結合したこの侵略戦争の激化こそ、世界経済のブロック化と新たな帝国主義戦争への扉を開くものである。労働者階級の世界史的な決起による帝国主義ブルジョアジーの打倒なしには、究極的には新たな世界戦争、第3次世界大戦にまで突き進んでいくものだ。
 こんな資本主義・帝国主義は、もはや一刻も早く打ち倒す以外ない! 大恐慌をプロレタリア世界革命に転化することだけが、われわれが生きているこの世界を破滅のふちから救い出す唯一の道だ。一切は、労働者階級の階級的=国際的に団結した決起とその力の発展にかかっている。

 (2) 大恐慌の直撃受け総破産する「最弱の環」=日帝

 日本帝国主義は、世界大恐慌下で、国際帝国主義の「最弱の環」として最も絶望的な体制的危機にのたうち回っている。日帝の打倒こそ、21世紀のプロレタリア世界革命の突破口を開く決定的な位置をもっている。
 第一に、大恐慌は日帝を文字どおり直撃している。昨年9月以来の日本経済の急転直下の落ち込みは、米欧よりも一段と激しい。何よりも最大の柱であった輸出が昨年9月以降急減した。本年1月には前年同月比45・7%減、2月には49・4%減とすさまじい勢いで下落している。とりわけ自動車輸出の下落率は70%を超えた。米欧への輸出が半減しただけでなく、アジア諸国との間の工業製品の輸出入も急減している。米欧市場への輸出とアジアの低賃金労働力の搾取を収益拡大の基盤に据えてきた日帝資本の生産体制そのものが、根底から動揺し始めた。
 戦後の日帝を支え続けた「輸出立国」のその柱が、土台から崩れ落ちる事態を迎えたのだ。しかも日帝の財政赤字はGDP(国内総生産)の1・7倍という世界最悪の水準に達している。すでに国家破産に近い状態にあり、内需拡大のための財政出動の余地などそもそもない。完全な袋小路に追いつめられている。
 第二に、このことと一体で、戦後一貫して日帝の帝国主義的国家戦略の基本であり続けた日米安保同盟政策が、根幹から揺らぐ時代に突入した。
 世界大恐慌の爆発とは、世界の巨大金融資本・独占資本が、収縮する世界市場の独占的支配権をめぐって真っ向からのつぶし合いに入ることだ。労働者人民を搾取して肥え太ってきた世界の強盗どもが、それぞれの生き残りをかけて究極の弱肉強食の争いに突入することだ。それは結局は、世界の一握りの強国同士の国家対国家のむきだしの対立と激突に集約される。その最終的な爆発が帝国主義戦争である。
 日米同盟はその最初から、戦後の米帝と日帝がそれぞれの帝国主義的利害を貫くために結んだ帝国主義強盗同盟である。米帝は日米同盟を米軍のアジア・中東への展開を支える不可欠の柱とし、日帝はその米帝による世界支配に依拠することで自らの「経済大国」的突出を可能にしてきた。70年代以降、日米の経済対立が加速度的に深まる中でも、EUという形をとった独仏帝国主義の対米対抗的な動きを前に、逆に日米枢軸を形成して表面的には日米の政治的軍事的一体化をむしろ強めてきた。
 その基本構造は現在も依然として継続しており、また日本経済はドルと命運をともにする関係に深々と縛りつけられている。だがしかし、今日の世界大恐慌の爆発は、日米の同盟の基底にあって実際にはますます先鋭化している両者の絶対的な利害の対立を、一挙に沸騰点に押し上げずにはおかない。それは経済対立だけでなく、政治・軍事面での対立をも含むものとして不可避に発展する。すでにその緊張はぎりぎりまで高まっている。
 第三に、最も決定的なのは、日帝の政治支配が今やとどまるところを知らない総崩壊過程に突入したことだ。
 安倍、福田、そして麻生と続く自民党政権の末期症状は、日帝の政治委員会がすでに統治能力を喪失していることを示している。戦後憲法体制のもとでの階級支配、議会制度をつうじたブルジョア独裁が全面破産し、もはやまったく機能しなくなったということだ。その根底には、日帝による労働者支配の歴史的大崩壊がある。
 日帝は、1980年代の国鉄分割・民営化攻撃をとおして戦後労働運動の中心であった総評を解散させ、連合を発足させた。そして資本と結託した連合の帝国主義労働運動による職場支配のもとで、労働者の怒りの決起を抑え込み、終身雇用・年功賃金の解体と非正規職化に始まる新自由主義攻撃を満展開してきた。だがこの連合支配は、労働者階級の階級的背骨を完全にたたき折った上に成立したわけではない。実際には旧総評系組合幹部や既成の野党勢力を丸ごと帝国主義のもとに総屈服させて取り込み、一種の総翼賛体制をつくり出すことに支えられて成り立ってきたものだ。本質的にはきわめて脆弱(ぜいじゃく)な体制だ。
 大恐慌への突入と階級対立の決定的な非和解化・先鋭化は、この連合支配を一挙にぐらぐらの状態にたたき込んでいる。数百万、1千万という失業者が路上にあふれ、労働者階級の中から「生きさせろ!」の叫びがせきを切って噴出するのはもはや時間の問題だ。しかも、動労千葉を先頭とする階級的労働運動の隊列がその結集軸としてすでに確固として登場していることが、何よりも決定的である。6000万労働者階級、とりわけ2000万青年労働者の底の底からの決起が本格的に始まった時、日帝にとって、これを抑え込む手段はどこにもない。

 (3) 政治支配の崩壊で反革命クーデター=改憲狙う麻生

 こうした中で今や日帝ブルジョアジーは、絶望的な危機感に駆られたすさまじいまでの反革命的突出を開始した。戦争と改憲への衝動が、労働者階級の闘いに対する恐怖と憎悪、その根絶への欲求と一体となって、資本家階級とその手先である政治家どもを激しく突き動かしている。
 4月5日の北朝鮮の「人工衛星ロケット」発射に対して麻生政権が自衛隊に「迎撃」態勢突入を命じたことは、この点で、絶対に許すことのできない重大事態である。これは北朝鮮への事実上の侵略戦争発動だ。自治体やマスコミをも総動員し、日本が攻撃されるかのような排外主義的デマ宣伝で恐怖と不安をあおり、日本全土を意識的・計画的に臨戦態勢に入れたのだ。まさに「開戦」の予行演習そのものだ。
 さらに、日帝の極右反動勢力の中から「敵基地攻撃」論が一斉に飛び出している。「日本の安全」を守るためには北朝鮮の基地を先制攻撃せよ、というのだ。「国連で日本の主張が通らなければ国連からの脱退を」「日本も核武装を」などという主張が自民党議員の中で公然と横行している。日帝の侵略戦争史を正当化した田母神前空幕長の突出した行動に続く、戦後憲法体制転覆の反革命クーデターへの突進だ。
 ソマリア沖派兵や「海賊対処」派兵新法案もこれと一体のものだ。自衛隊の侵略出兵をどしどし進め、武器使用への留め金を完全に外し、出兵した部隊を実際の戦闘行動にたたき込んでいこうとしている。憲法9条の枠を一気に、実力で踏み越える攻撃である。既成の野党や、革命を掲げることのできない体制内的な護憲運動・平和運動は、もはやこれと何ひとつ対決できない。逆に国会議員を先頭に、帝国主義的民族排外主義・愛国主義の大合唱にこぞって唱和している。
 西松建設の献金事件を使った民主党代表・小沢への攻撃も、こうした中で起きている。これは、麻生と日帝権力中枢が検察権力を直接動かして、政敵である小沢・民主党の「政権獲得」を阻むために仕掛けた恐るべき強権発動である。特に連合との間にクサビを打ち込むことを狙ったものである。これは本質的に労働者階級への攻撃だ。
 労働者階級の反乱を死ぬほど恐れている日帝には、今日の情勢下で与野党の政権交代が起きること自体が、労働者の階級的決起への引き金を引くものとして絶対に許せないことなのだ。
 このことは、今日の日帝ブルジョアジーが政治支配力を完全に喪失し、末期的危機の中で支配階級内部での分裂と暗闘を激しく繰り広げるにいたっていることをも意味している。その根本には、プロレタリア革命の現実性へのますます高まる恐怖がある。かつて1929年の世界大恐慌突入後、30年代の日本において、当時の天皇・軍部・財界は日帝の陥った内外にわたる危機からの脱出をめぐって、支配階級を真っ二つに割る激烈な抗争を繰り広げた。それを上回る大激動の渦中に、今や完全に入ったということだ。
 これは、革命情勢の決定的な成熟である。日本の労働者階級が革命に向かって総蜂起を開始すべき情勢に完全に入ったということである。革共同と動労千葉派の巨大な飛躍が今まさに求められている。
 何よりも日帝権力は、法大闘争に対するこの間の常軌を逸した弾圧のエスカレーションに示されるように、ひたひたと迫る革命の足音におびえ、革命を未然に圧殺することに一切をかけた行動を開始している。これと真っ向から激突し、密集した反革命を打ち破って、革命派の固く団結した圧倒的な大隊列を形成し、プロレタリア日本革命―世界革命の実現に向かって猛然と進撃を開始しなければならない。

 U 国鉄を先頭に4大産別での反革命との激突に勝ちぬけ

 (1) 第2次国鉄決戦・4大産別決戦が日本革命勝利の道

 今や、階級情勢はどんどん成熟し、急速に煮詰まっている。革命と反革命との激突はすでに始まっている。ここで事態が右に動くか左に動くか、その分かれ目を左右するのは何よりも労働組合の存在と闘いである。日本の労働組合と労働運動を階級的に復権させること、この一点に労働者階級の未来の一切がかかる情勢に突入した。
 そのかぎを握るのは、動労千葉を先頭にした第2次国鉄決戦と、これを基軸に据えた4大産別(国鉄・郵政・教労・自治体)の労働運動だ。日帝はここを反革命的に制圧し、国労や自治労や日教組など4大産別の全労組を破壊し侵略戦争の先兵とすることを狙っている。それをテコに「労働組合」「労働運動」と名のつくものすべてを一掃し、資本に対する労働者階級の抵抗の基盤を壊滅にたたき込んで革命を未然に圧殺しようと必死になっている。また、それをとおして朝鮮侵略戦争を始めとする対外戦争に本格的に突っ込んでいこうとしているのだ。
 だがこれに対して、第2次国鉄決戦を基軸に、4大産別の現場労働者が自分自身と全労働者階級の生き死にをかけて総決起し、屈服と変質をきわめる既成指導部を怒りを込めてぶっとばし、自らの職場を革命への闘いの拠点に変えて立ち上がるならば、事態は180度逆転する。闘う労働者が4大産別の職場を制圧することは、日帝権力の支配を転覆していくアルキメデスのテコを握るものになる。
 なぜ4大産別をめぐる攻防が決定的な焦点になるのか。それは、4大産別の労働者が日帝にとって「獅子身中の虫」に等しいからである。
 帝国主義は、29年恐慌から第2次大戦を経て戦後の労働者支配を確立していく過程で国家独占資本主義政策を採用し、いわゆる「大きな政府」をつくり出した。鉄道や通信などの経済社会の動脈を、戦時体制を引き継ぐ形で国家の直接管理のもとに置いた。また革命に対抗して労働者階級の不満を体制内改良主義のもとに吸収するために一定の社会政策を展開し、そのための行政部門を肥大化させた。
 しかしそれは同時に、膨大な公務員・公共部門労働者を国家機構の内側に抱え込むことを意味した。資本主義の転覆者=墓掘り人であるプロレタリアートが、ブルジョア独裁の権力機構そのものの内部に、きっかけさえあればいつでも大反乱を引き起こす可能性をもって存在することになったのである。
 実際に、日本の戦後労働運動の歴史は、4大産別の労働者の階級的決起とその圧殺をめぐる大激突を軸に展開してきた。戦後革命期の1947年2・1ゼネストの司令塔となったのは、官公労働者が組織した全官公庁共闘会議であり、その主力は国鉄と全逓だった。総評労働運動の中軸を担ったのも、国鉄・全逓を中心とする公労協や日教組、自治労だ。日帝の新自由主義攻撃の開始は80年代の国鉄分割・民営化だったが、それは国鉄労働運動をたたきつぶすことで4大産別の労働運動全体をつぶし、さらに総評をつぶして戦後の階級関係の全面的な反革命的転覆を狙うものだった。
 今日、総評を解体して20年がたつにもかかわらず、4大産別は依然として日帝の労働者支配の最大の弱点である。元首相の森や安倍らが改憲をやるために、「日教組、自治労の解体」を声高に叫んできたのは理由がある。日帝が再びかつての中国侵略戦争や第2次大戦規模の大戦争に突っ込んでいくためには、自治体労働者や教育労働者が率先して国家権力の手先となり、逆に労働者人民を戦争に動員することを自己の使命としていく必要があるのだ。それなしに実際の戦争体制はつくれない。
 そして4大産別の労組幹部がどれほど屈服と変質を深めていても、現場には労働者の抵抗力がなおも破壊されずに脈々と受け継がれ、残っている。「日の丸・君が代」強制に対する教育労働者の不起立闘争はその明白な現れだ。ここをたたきつぶさない限り、日帝は次には進めない。
 それだけではない。今や新自由主義の全面破産が大恐慌として爆発し、階級対立の非和解化が一挙に、激烈に進行している。この中で4大産別の労働者が階級的立場を堅持して闘いぬくならば、現在まだ表面的にはどんなに遅々とした歩みに見えようとも、それが6000万労働者の総反乱への引き金となり結集軸となって、日本労働運動が不死鳥のようによみがえってくる可能性が明白にある。それが再び、62年前の2・1ストのような「生きさせろ!」の一大ゼネストへと発展していく展望も大いにある。
 何よりもブルジョアジー自身がそのことをひしひしと感じとり、震え上がっている。
 1月15日、日本経団連会長・御手洗と連合会長・高木は「労使共同宣言」を締結した。続いて3月23日には、御手洗・高木・麻生首相の3者による「政労使合意」が行われた。その最大の狙いはストライキを絶対にやらせないという点にある。日帝が何を恐れているかが明らかではないか。現場労働者の怒りがせきを切ってあふれ出る前に、それを阻む防波堤をできるだけ高く築くことに必死になっているのだ。高木ら連合の労働貴族はその先兵役を買って出、4大産別の腐敗した労組幹部らはこれに呼応してその変質を一層深めている。
 この労使共同宣言体制を怒りを込めて粉砕しよう! 「労使一丸」を掲げたこの反革命的結託体制の粉砕こそが、日本革命勝利への扉を大きく開け放つものとなるのだ。巨大な階級決戦のゴングはすでに鳴っている。4大産別の労働者が今こそその先頭に立って闘う時が来た。

 (2) 国鉄分割・民営化以来の闘いと動労千葉の前進

 4大産別決戦は、日帝ブルジョアジーと連合の労使共同宣言体制(大恐慌下での労働者の決起を圧殺する体制)を実力でぶち破り、連合支配を下から覆していく闘いである。それをとおして日本の労働運動を再生させる闘いだ。その爆発を切り開く最大の突破口は、第2次国鉄決戦である。
 第2次国鉄決戦とは、1980年代の国鉄分割・民営化以来の二十数年にわたる闘いに、労働者階級の側から今こそ革命的決着をつける決戦である。
 国鉄分割・民営化は、今日の世界金融大恐慌へと行き着いた新自由主義攻撃の出発点だ。アメリカではレーガン、イギリスではサッチャーが、規制緩和・民営化をテコに労働組合への襲撃を仕掛けて労働運動を破壊・解体し、資本のむきだしの弱肉強食の論理が全社会を覆う状態にたたき込んでいった。日本では中曽根が、戦後労働運動の最も強力な中心部隊だった国鉄労働者の闘いをつぶすために国鉄分割・民営化攻撃を仕掛け、総評を解散に追い込んだ。これと連動して労働者派遣法の制定に始まる戦後労働法制解体攻撃に乗り出し、今日の労働者の非正規職化、無権利化、貧困化と過労死の続出という強搾取への道を開いた。
 それは、資本家階級の側から労働者階級に対して仕掛けられた一個の激烈な階級戦争だった。労働者階級が第2次大戦後はもとより、19世紀以来の長期にわたる血みどろの闘争によって闘いとってきた地平をすべて奪い、まさに「工場法以前」の資本の奴隷そのものの地位にたたき落とすことを狙う攻撃だった。
 実際に、40万人いた国鉄労働者は分割・民営化によって20万人に減らされた。20万人が首を切られたのだ。しかも、いったん全員解雇して新会社=JRに選別再雇用するというやり方をとって、資本と政府に恭順を誓わない者は容赦なく排除することにより、労働運動圧殺を狙った。採用差別の対象とされた労働者は「余剰人員」として「人材活用センター」という名の収容所に、JR発足後は清算事業団に送られて徹底的なイジメを受けた。それは労働者から人間としての誇りをもすべて奪うような、あまりにも陰湿かつ暴力的な攻撃だった。この過程で実に200人を超える労働者が自殺に追い込まれた。
 この攻撃にどう立ち向かうかは、当時の労働運動の全党派、全潮流をいや応なしにふるいにかけた。最も悪質だったのが動労(今日のJR総連)を牛耳るカクマル松崎明だ。松崎は攻撃が避けられないとみるや、逆に日帝の懐に飛び込んで分割・民営化の推進役を買って出た。そして国労つぶしや動労千葉への敵対に全力を挙げ、自分自身の生き残りと引き換えに、同じ職場に働く労働者の首を切れと要求して回ったのだ。松崎がこの時にやった悪行は、何十年たとうが絶対に忘れ去ることのできない階級的大罪として、歴史に記録されなくてはならない。
 他方で、国労の指導部を占めていた社会主義協会派や日本共産党・革同は、分割・民営化と真正面から対決して闘うことを回避した。いわば、穴の中に逃げ込んで嵐が過ぎ去るのをひたすら待つという態度をとった。唯一、死活をかけて立ち向かったのが動労千葉である。動労千葉は、分割・民営化絶対反対を掲げて85年と86年の2波のストを全組合員がクビを覚悟で闘い、さらに清算事業団に送られた労働者が最終的に解雇される90年3月には84時間の大ストライキを敢行した。この闘いは全国鉄労働者を奮い立たせ、ついに1047名の国鉄労働者が「解雇撤回」を断固として掲げて不屈の闘争に決起する地平を切り開いた。
 この国鉄1047名闘争は、日帝ブルジョアジーが国鉄分割・民営化にかけた狙いを根本のところで破産に追い込むものとなった。分割・民営化との闘いは1047名闘争という形で永続化した。国労をつぶし、総評をつぶして改憲へとまっしぐらに突き進むとしていた日帝・中曽根の当初のプランは、国鉄闘争の永続化によって最後まで貫徹できずに挫折した。
 総評を解散させて連合が発足しても、国鉄労働者の闘いが続く限り、階級的な労働運動を根絶することはできない。90年代以降、動労千葉と1047名闘争の圧殺は日帝にとって第一級の課題となった。だが動労千葉は、絶対反対を貫いて闘い続けたことで組合の団結を守り、強化し、その後の攻撃をも団結の力でことごとく突き破って進んできた。この動労千葉と100万人の支援陣形をもつ1047名闘争が完全に結合すれば、JR体制を打倒し、連合支配を下から転覆し、日本の労働運動全体を階級的によみがえらせていく決定的な力が生まれてくる。
 1047名闘争の大発展か、その解体か。焦点はまさにこの一点に絞り上げられている。だからこそ、1047名闘争の破壊を狙って90年代半ば以来あの手この手の攻撃が繰り出され、まず国労本部の屈服・転向、次には闘争団の切り崩し、そして今日の4者4団体のもとでの「政治解決」の名による闘争解体策動へと行き着いた。この間の動労千葉と4者4団体一部幹部との激烈な対立は、1047名闘争のもつ日帝との非和解的激突性と死活性から不可避に生じたものにほかならない。
 東京高裁による鉄建公団訴訟の3・25判決は、この激突がいよいよ相互に決着をつける決定的段階に入ったことを示すものだ。国鉄労働者を先頭に、すべての闘う労働者の総決起で1047名闘争を守りぬき、その大発展を闘いとらなくてはならない。

 (3) 1047名闘争解体策す4者4団体路線粉砕せよ

 勝利のかぎは、4者4団体路線の粉砕にある。この路線は、国労本部の路線とも今や完全に一体である。
 それは一言でいえば、1047名闘争をJR本体での闘いと切り離し、前者をむしろ後者にとっての「お荷物」扱いしてその一刻も早い幕引きを図る路線である。闘争団の存在と闘いをJR資本との最先端の闘いとして、すなわち全国鉄労働者の死活のかかった闘いとして位置づけるのではなく、単なる「救済の対象」に切り縮めるものだ。動労千葉のように、首を切られた仲間の怒りを共有し、解雇撤回をともに一丸となって闘うことでJR資本と日帝権力を追いつめ、職場支配権を労働者の手に奪い返そうとするのではさらさらない。
 したがって、「政治解決」の中身も最初から、分割・民営化の承認を前提とした取引である。敵に頭を下げることと引き換えに、最低限の「救済」を願い出るものでしかない。当然にも敵は、頭を10度下げれば次には30度、45度下げよ、ついには土下座して地面にはいつくばれと言ってくる。今進行しているのはまさにそうした事態だ。これは労働者の誇りを自ら投げ捨てるものだ。こんなことをやっていたら闘争団員はとことん翻弄(ほんろう)されずたずたにされていくだけである。

 3・25判決の超反動性

 日帝はこのことを見透かし、ここぞとばかり、1047名闘争の解体を狙って全力を挙げて襲いかかっている。3・25判決がそれだ。この判決は、05年の東京地裁による9・15判決を踏襲し、その反動性をさらにエスカレートさせた許しがたいものである。
 そこでは、労働者の団結権を守るために不当労働行為による解雇は無効としてきた戦後労働法制が、根幹から否定されている。採用差別の存在を認めるかのような態度をとりながら、「不当労働行為がなければ本件解雇もなかったということはできない」などと主張し、原状回復=解雇撤回はあくまで拒否した。そして「採用の可能性が侵害されたこと」への慰謝料と称して、9・15判決の500万円に50万だけ上乗せした550万円の支払いを命じた。解雇撤回がない以上、年金もない。わずかな涙金だけ受け取って闘争の幕を下ろせというのだ。実にふざけきっている。
 しかも悪質なのは、9・15判決が国鉄時代に6カ月または2回以上の停職処分を受けた者について一切の訴えを棄却したことを踏襲し、棄却対象者の範囲をさらに拡大していることだ。1047名の中に徹底的に分断を持ち込んで切り崩すことが狙いなのだ。
 これは、国鉄分割・民営化という国策に反対した労働者を憎悪の対象として職場から追放することを完全に合法化するものだ。首切りは資本の自由だと言っているに等しい。不当労働行為があっても「解雇は有効」と平然と言う。裁判所が自ら憲法の破壊をやっている! こんなことを少しでも認めたら、労働者の権利も労働組合の存在意義も何ひとつないということになる。
 重大なのは、東京高裁・南裁判長がこの極反動判決を言い渡した上で、最後に「判決を機に早期解決を望みます」と異例のコメントを付け加えたことだ。4者4団体の一部幹部はこれに飛びつき、「判決は政治解決のチャンスを与えた」などと3・25判決を逆に美化し、これまで以上に屈辱的な「政治和解」路線にのめり込んでいる。
 だがこれはとんでもない幻想をあおり、1047名闘争の自己解体に走るものだ。3・25判決の核心は、国鉄分割・民営化をあらためて全面的に正当化したことにある。それは同時に、これから本格化する道州制攻撃のもとでの公務員労働者の大量首切りを正当化するという日帝の明白な政治的意思に貫かれている。国鉄でやったと同じように、360万人の公務員労働者を全員解雇・選別再雇用する攻撃だ。だからこそ「解雇の自由」を公然と認めた今回の3・25判決が必要だったのだ。
 これを真っ向から弾劾して闘ってこそ、勝機はつかめる。今、「派遣切り」を始め資本のやりたい放題の大量解雇に対する怒りの声は、全社会に満ち満ちている。新自由主義攻撃は完全に破産し、これを賛美し推進してきた政治家どもは人民の憎悪の的になっているではないか。1047名が今こそ分割・民営化絶対反対派として全労働者の前に登場し、解雇撤回の旗を高々と掲げて非妥協の闘いを貫くならば、膨大な労働者が必ずそのもとに続々と結集してくる。その団結した闘いの力こそが、敵との力関係を根本からひっくり返すものになる。
 実際に、動労千葉によるライフサイクル粉砕の闘いと平成採の青年労働者の獲得は、JR体制打倒への圧倒的な展望をすでに切り開いている。JR体制下での極限的な要員削減、業務の外注化、超長期にわたる低賃金の強制、そして何よりも安全の崩壊などに対する職場の怒りは我慢の限界に達している。尼崎事故から4年が過ぎても、資本の安全無視の犠牲となって殺される労働者が後を絶たない。しかもJR資本はそれをすべて労働者の責任にしている。これへの怒りは全国で爆発寸前だ。JR資本と日帝は今や、JR本体労働者の決起にいつ火がつくかと戦々恐々となっている。
 4者4団体路線はこの決定的な時に、こともあろうに「解雇撤回」を投げ捨てて政府・自民党との取引に走り、腐った妥協をどこまでも追い求めている。それは1047名の団結を内側から破壊し解体するだけではない。闘争団の20年にわたる血と汗と涙の、しかし闘う労働者の輝かしい誇りに満ちた闘いを足蹴にし、階級的原則を踏みにじって恥じないものだ。1047名の格闘を「明日のわが身」と受け止めて支援しともに闘ってきた全国の労働者に背後から石をぶつけるものだ。
 その先に待っているのは、闘争団の解散に続く国労の解散と連合への吸収、つまり資本・権力のあからさまな手先への百パーセントの転向があるだけだ。そしてそれこそ、JR資本や政府・自民党やJR総連カクマルなどの、労働者階級に敵対する全勢力が待ち望んでいることである。まさに大裏切りの路線である。
 この4者4団体路線を徹底的に弾劾し粉砕して、1047名闘争の再確立をかちとり、第2次国鉄決戦の勝利へ進撃しよう。2・16集会と3月動労千葉ストはその突破口を切り開いた。国労5・27臨大闘争弾圧の7人の被告団と弁護団は、その先頭に立っている。動労千葉派が今こそ国鉄労働運動の主流派に躍り出よう。

 V 体制内勢力との党派闘争を貫き道州制攻撃絶対阻止へ

 (1) 民営化をテコに統治形態の反革命的転換狙う攻撃

 4大産別決戦の勝利を切り開く今ひとつの決定的な闘いは、道州制粉砕の大決戦への突入である。ここにおいても最大の問題は、体制内の労働組合幹部との激突である。
 道州制とは、直接には現憲法下の地方自治制度の解体をとおして戦後的な労働者支配のあり方を一掃し、まったく新たな仕組みに改編していく攻撃である。具体的には現在の47都道府県を廃止して、全国を10ないし13の「道州」に置き換え、この道州を一つの独立した地方政府としていく。それをテコに従来の政治・経済・社会の仕組みをいったんすべて暴力的にたたき壊し、その上に一握りの大資本による無制限の独裁支配を可能にする新たな体制をつくり出すことを目指している。
 この攻撃は、小泉政権時代に「構造改革」攻撃の重要な柱として準備され、安倍政権の登場後に改憲攻撃と一体となって一気に本格化した。麻生政権と日本経団連は昨年秋の世界金融大恐慌の全面的爆発の中で、道州制導入を危機にあえぐ日帝ブルジョアジーの「起死回生」をかけた最大の突破策とあらためて位置づけ、前倒しして実施することを決断した。関西経済同友会と大阪府知事・橋下はその先陣を切ることを自認し、政府に先駆けて反革命的突撃に出てきている。
 それは第一に、「国のかたちを変える」という大攻撃だ。9条改憲、侵略派兵、戦争体制づくりの攻撃と完全に連動した攻撃である。これ自体が改憲攻撃そのものだ。
 日本経団連はその提言で道州制導入を「究極の構造改革」と言い、「国の役割を必要最小限のものに限定したうえで、これまで国家が担ってきた内政上の役割の多くを地方に委ねる」と言っている。国の役割は軍事・外交・治安と「国家戦略上不可欠の課題」に限定し、それ以外は一切責任を持たない。福祉や教育といった人民の日々の生活にかかわることは、すべて地方が「自己決定・自己責任」の原則に基づき「自主財源」で賄えとする。つまり全面的に切り捨てる。
 さらに、800兆円を超える国の債務もすべて地方に移管させる。大銀行や大資本の救済に巨額の財政投入をして作った借金をことごとく労働者人民の肩に背負わせるのだ。そして「身軽」になった国家のもとでいよいよ本格的に大軍拡と対外戦争に突進する体制を築くということである。
 第二に、その上で、規制緩和・民営化の全面展開によって、教育や医療や社会福祉の一切を資本のあくどい金もうけの手段に変える。保育所も学校も、水道もごみ収集も、病院も福祉施設も、図書館や公民館も、自治体のあらゆる業務が丸ごと民営化され、資本の弱肉強食の論理のもとに置かれる。金のない者は学校に通うな、病院にも来るな、生きられないなら死ねという社会にしてしまう。小泉政権下で一気に進んだ労働者階級の貧困化と格差社会の拡大を、極限まで推し進める攻撃だと言える。
 そして、東海ならトヨタ、関西ならパナソニックなどの巨大独占資本が道州を支配し、地域全体を自己の「独裁王国」に変えて君臨する。道州には国の法律を超える独自の徴税権や立法権も認められ、どんな強権やデタラメも平然とまかり通る世界がつくられる。
 第三に、最大の核心として、労働者階級に対してあらゆる団結破壊、労組破壊をむきだしの暴力をもって強行することだ。これまでの行政改革・公務員制度改革攻撃や教育基本法の改悪によっても成し遂げられなかった自治労と日教組の解体を、道州制導入によって貫徹する。そして4大産別の労働運動全体を壊滅に追い込んで、連合の産業報国会化を最終的に完成させることを狙っている。
 ここで持ち出されているのが国鉄分割・民営化の時とそっくり同じ手法である。すなわち現在の都道府県と市町村の機構を全部丸ごと解体して、道州とその下にある基礎自治体という新組織に移行させる。その過程で公務員労働者をいったん全員解雇し、徹底的な選別をやって資本・権力の意にそわない者を排除して、残った者だけを再雇用する。それまで結んでいた労働協約や合意はすべて破棄され、賃金その他の労働条件は再雇用と同時に大幅に切り下げられる。
 80年代の国鉄では、当時の国鉄労働者の約半数、20万人がこれによって職場を追われた。道州制攻撃では、現在410万人いる国家と地方の公務員のうち、警察や自衛隊などの50万人を除いた360万人全員が解雇される。そのうち教育労働者と現業労働者126万人の職場は完全に民営化され、いつでも首が切れる非正規職に置き換えられる。残る234万人は「国家に忠実な下僕となり、今までの半分の人員で倍の仕事をやれ」という要求を突きつけられ、これに無条件に従うと誓った者だけが再雇用される。
 しかもこの攻撃は、道州制導入が国会で正式に決定されてから始まるのではない。今すでに、民営化をどんどん先行的に進める中で、まず徹底的な人員削減と賃金破壊の攻撃として労働者に襲いかかっている。それは一人ひとりの労働者をあらゆる手段を使って追いつめ、職場から無理やり排除し、あるいは奴隷的な屈服を強要していく実に凶暴な攻撃である。
 そのために財政赤字問題、「自治体破産」を叫び、公務員労働者が「怠けている」ことが赤字の原因だなどという極悪のデマを流してファシスト的なバッシングをあおるやり方も、国鉄の時と同じだ。絶対に許せない。ここで労働者が本気で怒って反撃しなかったら、本当にたたきつぶされる。ここまで踏みにじられてストの一つも打てないような組合は、もはや組合ではなくなるのだ。それが攻撃の最大の狙いだと言っていい。

 (2) 「松崎」に学び解雇攻撃の先兵となる体制内指導部

 この大攻撃を前にして、今や自治労本部や日教組本部を先頭に、すべての体制内勢力が急坂を転げ落ちるように果てしない屈服と変質を深めている。
 そもそも連合中央と民主党は道州制賛成にとっくの昔に完全にかじを切っている。日本共産党や社民党は、表向きはまだ「道州制反対」を口にしているが、絶対反対を貫き通すつもりなど最初からない。むしろ日本経団連や政府・自民党の案では「真の地方分権」にならず、「より良い公共サービス」の確保ができないことを「反対」の理由に挙げているのだ。実際には「より良い道州制」を要求する立場だ。現に始まっている自治体労働者や教育労働者への首切り・賃下げ攻撃とも一切闘わない。
 とりわけ日本共産党は、新自由主義攻撃への「批判」のポーズをとりながら、その元凶である資本の支配と全面対決することを真っ向から拒否している点で許しがたい。共産党委員長の志位は、「資本主義が健全に発展していくことが次の社会を準備する」などと言って、「大企業との共存」を公然と打ち出してさえいる。今この瞬間にも職も家も奪われて路頭にほうり出されている労働者と、労働者を犠牲にして自分は億単位の金を懐にしているような連中との「共存」がどうして成り立つのか!
 要するにこれは、現在のような大恐慌の時代には、資本主義が生き延びるために労働者が犠牲になるのはやむをえないという思想だ。ただそれが「行き過ぎない」ように最低限の「セーフティネット」をつくれと要求するものでしかない。だがこの要求は実際には労働者を守るものでは断じてなく、逆に労働者階級の反乱を防ぐための、すなわち資本を守るための「セーフティネット」となるのだ。そして教育労働者や医療・福祉労働者の「聖職」論を振り回し、労働者階級の闘いに敵対するスターリン主義反革命の本性をますますむきだしにしてきている。

 自治労本部の裏切り

 こうした日本共産党の動向に加えて、さらに一層重大なことは、自治労本部などの中から今や、闘争放棄や単なる屈服といった次元を超えて、日帝の攻撃に積極的にさおさしていく露骨な動きが現れていることである。
 道州制攻撃の一大突破口である公立病院の民営化に対し、自治労本部の衛生医療評議会が出した指針はその典型例だ。そこでは、民営化攻撃に対して闘っても無駄だ、絶対反対の闘争を組むことなどできないと言う。生き残るためには「むしろ組合側からの逆提案」が「望ましい」と、組合の側から先手を打って民営化を積極提案し、推進すべきだと言っているのだ。自治労本部はこれを「攻めの民営化対応」と名づけ、民営化攻撃に対する最も現実的な対応だと言って全面的に方針化してきている。
 これは組合指導部が自ら労働者への首切り・リストラ攻撃の先頭に立つということだ。日帝・総務省は今日、赤字にあえぐ全国の公立病院に3年間で黒字に転換せよと迫り、それができなければ病院を閉鎖するか民間資本に売却せよという攻撃を仕掛けている。このもとで病院の統廃合や独立行政法人化、指定管理者制度への移行が急ピッチで進み、「経営優先」への転換のもとで「赤字解消」を絶対命題とした激しい合理化攻撃がすでに展開されている。正規職の人員削減と非正規職への置き換え、賃金を半分にする攻撃、すさまじいまでの労働強化の進行だ。
 自治労本部の言う「攻めの民営化対応」とは、現場の労働者に対するこの攻撃を労組幹部が率先して担うことにほかならない。これはかつての国鉄分割・民営化時に動労カクマル松崎がやったこととまったく同じだ。松崎は自ら「働こう運動」を提案して、当局の合理化攻撃に率先協力した。当局と資本の手先となって国労組合員を始めとした労働者の首を次々と切っていくことに全力を挙げた。そのことによって自分の「利用価値」を日帝支配階級に売り込み、JR資本との異様なまでの結託体制を築いて、現場労働者の犠牲の上に労働貴族として君臨してきたのが松崎だ。
 JP労組中央が今、郵政資本の完全な手先となって行動しているのもこれと同じだ。彼らは大恐慌下でその破綻が全面暴露されるにいたった民営郵政の救済を組合自身の第一の課題に掲げ、一切の賃金要求を放棄した。そしてJPエクスプレス(JPEX)の子会社化と大規模強制出向という、郵政資本の生き残りをかけた一大合理化攻撃を率先して受け入れ、現場労働者に押しつけるその先頭に立っている。
 日教組本部もまた、2月教研集会で「日の丸・君が代」攻撃と不起立で闘う労働者を排除するために機動隊を差し向けたことが示すように、今や明白にこの道を歩んでいる。国鉄での4者4団体の「政治和解」路線への転落も、最後はそこに行き着くのだ。
 彼らがこぞって叫んでいるのは、「国労のようになるな」ということだ。総評労働運動の主力であり国鉄最大の組合だった国労は、国鉄分割・民営化で徹底した労組破壊攻撃を集中的に加えられ、22万人いた組合員が数年間に4万人へと激減した。その失敗を繰り返すなと言っているのだ。「カクマル松崎のように当局と資本の先兵にくら替えすれば生き残れる。松崎に学べ」というわけだ。
 だが国労は、分割・民営化と「闘った」から負けたのでは断じてない。まったく逆に、指導部が実際には闘いを回避してきたからこそ、団結を破壊されてずたずたにされ、解体寸前のところまで追い込まれたのだ。その証拠に動労千葉は真っ向からストで闘うことで団結を守りぬき、強化し、今日に至る22年間の闘いに勝利し続けているではないか。自治労本部らの思想の背後にあるのは、日共スターリン主義と同様に、「資本主義にとって代わる体制などない」「革命など不可能だ」「闘っても勝てない」ということだ。骨の髄までの奴隷の思想である。
 こうした中で、JR総連・カクマル松崎も自らの「復活」のチャンスとばかりに必死のうごめきを開始した。そしてこれらの体制内の全勢力が一体となり、民営化絶対反対を貫く動労千葉派を憎悪・敵視し、闘いをつぶそうと襲撃を開始している。また、革共同と動労千葉の破壊を唯一の目的とするまでに転落した日帝権力への投降集団=塩川一派らが、そのしっぽにくっついて動き回っている。

 団結すれば勝てる!

 だが敵の攻撃はその根本において最初から破産している。道州制攻撃、民営化・労組破壊の攻撃は、労働者をバラバラに分断して個別につぶしていくところに一切がある。橋下などのファシスト的突出は、労働者が反撃しないことを前提にしてまかり通っているにすぎないのだ。一見どんなに凶暴に見えようとも、労働者階級が実際に団結して、実力で決起した瞬間に砕け散ってしまう「張り子の虎」のようなものなのだ。
 体制内労組指導部のやっていることは、その意味で本当に極悪だ。労働者に敗北意識を植えつけ、絶望にたたき込み、闘う者に襲いかかることで団結破壊の先頭に立っている。こいつらの存在があるからこそ日帝は、次々とかさにかかった攻撃に出ることが可能になっているのだ。まさに革命への防波堤、資本家階級の最後の救済者だ。
 今、世界の労働者が直面しているのもまったく同じ問題だ。アメリカでは、AFL−CIO(米労働総同盟・産業別組合会議)などの体制内労働運動が米の金融大独占ブルジョアジーとともにオバマ政権を支える2大支柱になっている。それはもはや一般的な「労資協調」ではない。崩壊のふちに立つ米帝国主義を労働者階級による革命から救うために、既成労組幹部が先頭に立って、闘う現場労働者に襲撃を仕掛ける体制として形成されている。
 これら体制内労組幹部を全員打倒して職場に階級的団結を取り戻すことが、民営化を粉砕し、道州制攻撃を粉砕して逆に革命勝利への展望を切り開いていく最大の突破口である。
 豊中市職女性部の呼びかけでかちとられた3・6大阪府庁前行動は、その最初の扉をついにこじ開けることに成功した。この闘いに続き、全国の労働者は今こそ体制内指導部打倒、民営化・道州制粉砕へ総決起しよう。敵の凶暴化は彼らの絶望的危機の現れだ。動労千葉の3月ストは、今こそ闘う労働者が決起する決定的なチャンスが訪れていることをはっきりさせた。職場の仲間はわれわれの呼びかけを待っている! 確信をもって立ち上がろう。
 今日、4大産別の全職場で襲いかかっている攻撃は、すべて道州制攻撃の先取りだ。その一つひとつを打ち破る中で職場の怒りと団結を組織し、道州制粉砕決戦の大爆発へ攻め上ろう。
 特にこの間の森精機での闘いに始まって、医療・福祉職場や民間の合同・一般労組を先頭に全国で激しく闘われている労働者のストライキや工場占拠闘争は、4大産別の労働者にとってかけがえのない援軍となっている。自らの職場での闘いを4大産別決戦の前進と固く深く結びつけ、全労働者階級の総力決起で体制内勢力を打倒し、日本労働運動の革命的階級的再生をかちとろう。それをとおして数百万、数千万労働者の「生きさせろ!」の壮大なゼネスト決起への道を切り開こう。

 (3) 沖縄・三里塚など全戦線で道州制攻撃粉砕へ総決起を

 道州制攻撃粉砕の闘いは、4大産別の労働者にとってだけでなく、全労働者階級にとって、さらには全人民にとって死活をかけた闘いである。そこには労働者人民のいのちと生活がじかにかかっている。道州制との決戦は、改憲阻止決戦そのものだ。
 これを粉砕しなかったら、労働者人民は日帝資本の搾取と収奪によって飢餓状態にまで追いつめられ、さらには再び戦争に総動員されて殺される。だが逆にここで全階級・全人民が4大産別の闘いと一体となって総蜂起すれば、日帝打倒、日本革命への巨大な戦略的前進が切り開かれる。ブルジョアジーの支配の打倒とプロレタリア独裁樹立に向けたソビエトの形成が現実のものとなってくる。
 道州制攻撃は沖縄を重大焦点にしている。日帝は沖縄を「単独州」にして本土から切り離し、沖縄の特殊性を生かした経済発展を目指すなどとふざけたことを言っている。「自立」「自己決定権」などの言葉を乱発し、あたかも沖縄が中央政府から「独立」して、米軍基地の撤去や縮小も沖縄の意思だけで可能になるかのような幻想を振りまいているが、とんでもない。逆に沖縄の経済と社会を米軍基地ぬきでは成り立たない状態にますますたたき込み、基地のもとに永久に縛りつける攻撃だ。
 これは明治政府による琉球処分、第2次大戦後の米帝への売り渡し、72年5・15体制形成に続く第4の琉球処分である。沖縄の労働者を本土と全世界の労働者階級から分断し、団結を阻むための攻撃だ。これに幻想を持ち、道州制を美化して日帝の攻撃に翼賛していく一切の動きと徹底的に闘い、5・15沖縄闘争を突破口に沖縄から道州制粉砕ののろしを上げていこう。
 日帝はまた、道州制攻撃の一環として、農地法の改悪を最重要課題の一つに押し上げている。戦前の地主制度を解体して実際に土地を耕す農民を保護するためにつくられた農地法の原理そのものを破壊して逆転させる攻撃だ。資本や国家がほしいままに農民から土地を奪い、自由に処分することを可能にしようと狙っている。農業と農村を独占資本の完全な支配下に置き、家族経営の農家はすべてつぶしていく攻撃だ。また軍事基地建設、戦時の土地強制収用と直結した攻撃でもある。
 三里塚での市東孝雄さんへの農地強奪攻撃との闘いは、その最先端の攻防だ。労農同盟の巨大な発展をかちとり、全国に三里塚現地への結集を呼びかけて絶対に勝利をもぎとろう。
 部落解放闘争や障害者解放闘争、女性解放闘争など諸戦線の闘いも、道州制攻撃との対決を避けたところでは闘いそのものがもはや成り立たない。道州制のもとではこれまで以上に極限的な競争社会にたたき込まれ、資本による労働者階級への差別分断攻撃は最も激しくなるのだ。これを打ち破るには労働者階級が一つに団結し、西郡住宅闘争のような闘いに決起していくことが絶対不可欠だ。
 在日朝鮮人・中国人を始めとする在日・滞日の労働者人民や外国人労働者に対する日帝の入管体制強化の攻撃との闘いも、道州制決戦の中でとらえ返す時、その決定的な位置と展望が見えてくる。

 法大闘争は最前線だ

 とりわけ重要なのは大学だ。学生戦線はすでに民営化・道州制攻撃との最前線の攻防に深々と突入し、画期的な大勝利の地平を切り開いている。現在の大学は、あらゆる面で新自由主義のおそるべき腐敗と破産の極致、その縮図だ。教育の民営化の最先端だ。大学当局にとって教育とは、もはや資本による金もうけの手段、それも学生をとことん食い物にした実にあくどいボロもうけの手段でしかない。この新自由主義大学を守るために警察権力がキャンパスを日常的に監視し、少しでも抵抗しようとする学生には暴力職員が襲いかかる。そこには学問の自由も、思想や言論の自由ももはや存在しない。
 だがそのど真ん中から、大学の本来の主人公である学生が自分たちの手にキャンパスを奪還しようと立ち上がった。それが法政大学での闘いだ。そして退学・無期停学処分や3年間で88人ものデッチあげ逮捕、22人の起訴にもひるまず断固として闘い続けている。この不屈の闘いは、全国の学生はもとより全労働者階級人民を心の底から励ますものとなっている。09年はこの闘いがいよいよ300万学生に本格的に波及する時を迎えた。4・24法大1000人集会の大爆発を新たな起点に、日帝を揺るがす戦闘的学生運動の大衆的復活、全国的発展へと攻め上ろう。

 裁判員制度絶対阻止

 裁判員制度の導入、司法改革攻撃も、道州制攻撃の中であらためて日帝にとって絶対不可欠の攻撃として位置づけ直されている。ここでも闘いの火は弁護士戦線を先頭にすでに激しく燃え上がっている。「裁判員制度はいらない!大運動」主催の4・21全国集会・デモの大高揚を引き継ぎ、巨万の人民の怒りの重包囲をもって5月裁判員制度実施を大破産に追い込もう。
 侵略派兵と闘う全国での反戦・反基地闘争、8月広島・長崎を始めとする反戦反核闘争、自衛隊兵士獲得の反軍闘争、9条改憲阻止闘争を、この決戦の中でこそ大前進させよう。反戦闘争は、それが労働者階級の国際的団結を強化し拡大していくものとして闘われる時こそ最も爆発的に発展する。戦争と民営化攻撃の激化に対し、ストライキや街頭での実力闘争に続々と決起している全世界の労働者階級と団結し、米帝・オバマと日帝・麻生政権の侵略戦争への凶暴な突進を真っ向から粉砕する闘いとしてかちとろう。
 これら一切の闘いの当面する最大の結集軸は6・14大闘争だ。国鉄決戦勝利・道州制攻撃粉砕、7月帝国主義サミット粉砕へ、オバマと麻生の打倒を掲げて6・14渋谷に全国から大結集し、首都を揺るがす戦闘的デモに立ち上がろう。
 本章の最後に、今日の情勢下で、革命的議員の役割はますます決定的であることを押さえておきたい。革共同政治局の09年1・1アピールで「革命的議会主義の再確立」として提起されていることを原則的に再確認し、この大恐慌情勢の中でこそ、革命的議員は労働者階級の最先頭に立って闘おう。ブルジョア議会の内外で起きるすべてのことを「攻めの改憲阻止決戦」の立場からとらえ返し、戦争・改憲と民営化・労組破壊の攻撃との具体的な激突の最先端に身を置いて闘うことが重要だ。それは同時に地区党建設の先頭で闘うことである。

 W 闘う労働組合を甦らせ党を建設し、革命の突破口開こう

 (1) 日本革命勝利の戦略方針は4大産別決戦である!

 革共同は、創立以来半世紀にわたる闘いを、「反帝国主義・反スターリン主義プロレタリア世界革命」の旗を掲げて不屈に闘いぬいてきた。さらに党の第6回大会で70年安保・沖縄闘争以来の闘いで樹立してきた路線を再整理し、「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」「戦争国家化阻止=改憲粉砕・日帝打倒」を日本革命の戦略的総路線として打ち立てて闘ってきた。
 その上で今日、重要なのは、階級的労働運動路線と11月集会の実践をとおして確立された「戦争と民営化・労組破壊粉砕」というスローガンの決定的意義である。これは、今日の新自由主義攻撃の破産と世界大恐慌の爆発を、労働者階級の国際的=階級的な一斉蜂起によってプロレタリア世界革命に転化していくための、きわめて実践的で戦略的なスローガンだ。戦争・民営化攻撃との路線的対決こそ全世界の労働者の共通課題であり、帝国主義との最も非和解的な激突点である。
 とりわけ日本階級闘争において、日帝の戦争・改憲と民営化・労組破壊攻撃、道州制攻撃に全面対決する4大産別決戦は、今日の日帝の矛盾の集中点を突く闘いとして、日本革命勝利への戦略的位置をもった闘いである。世界大恐慌の爆発という巨大な革命情勢のもとで、6回大会の戦略的総路線を、プロレタリア革命の主体である労働者階級が権力奪取に向かって攻め上っていくための、最も具体的で現実的な戦略方針へと発展させるもの――それが〈戦争・改憲と民営化・労組破壊粉砕>を中心スローガンとし、国鉄を基軸とする4大産別決戦だ。
 塩川一派は、4大産別決戦を「経済主義」と言って否定し、それとは別のところで「侵略阻止」「改憲決戦」の空叫びをやることが戦略的総路線の実践だなどと思い込んでいる。だがそれは、日本階級闘争の革命的内乱的発展を実際に闘いとることとはまったく無縁な、きわめて観念的な小ブル革命主義でしかない。彼らの「政治闘争」は実際には、革命とはおよそ無縁な既成野党や市民団体の後ろにくっついて、形だけの「反戦」スローガンなどをアリバイ的に叫ぶものだ。闘うアジア人民との連帯を、労働者階級の国際的団結の力で帝国主義を打ち倒していく闘いとして現実に貫くのではまったくない。実に腐敗した運動なのである。
 革共同は91年、労働者階級本隊の一斉武装蜂起を革命運動の基軸においた5月テーゼ路線への転換を行った。それは国鉄分割・民営化粉砕決戦を闘った動労千葉労働運動との結合・一体化を死活をかけて求めた。それはまた、マルクス主義の労働者階級自己解放思想の全面的な復権をかちとるための闘いでもあった。そして今日、06年の「党の革命」を転換点に塩川一派らの血債主義と小ブル革命主義を自己の内側からたたき出し、日本革命勝利への決定的な戦略方針を手にしたのだ。

 (2) 国際労働者階級の団結で帝国主義打倒をやりぬけ

 この闘いは同時に、世界革命への現実的突破口を開く闘いである。今日の世界大恐慌の中で日本の労働者階級が立っている世界史的位置は、かつての第1次大戦時に、ロシアのプロレタリアートが立っていた歴史的位置に匹敵する。このことを、身のひきしまるような決意をもって、深く確認して進まなければならない。
 革命が勝利するためには、資本主義・帝国主義の危機が全面的に爆発し、支配階級がもはや従来どおりのやり方では支配を維持できなくなるという客体的条件と、この社会を転覆する労働者階級の側の主体的準備が結びつくことが必要である。1917年のロシア革命はこの二つの条件を併せ持っていた。当時のロシア帝国主義が陥っていた危機の深さは他のどこよりも深刻であり、まさしく「国際帝国主義の最弱の環」であった。他方では、ロシアの労働者階級は長期にわたる血みどろの闘いをとおして自らを一個の革命的階級へと鍛え上げていた。その結晶が、ボルシェビキ党である。
 この主体的準備とは、単に真の革命党=ボルシェビキ党がそこに存在していたという単純な問題では断じてない。この党が労働者階級と深く結びついていたこと、そして労働者階級とともに幾多の試練をくぐりぬける中で徹底したマルクス主義の党として自己を打ち鍛えていった点にある。レーニンは後にこのことを総括し、ロシアのプロレタリアートは「ただ一つの正しい革命理論であるマルクス主義を、真に苦しんで闘いとったのである」(『共産主義における左翼空論主義』)と語っている。
 ひるがえって、今日の日本プロレタリアートはどういう位置にいるのか。現在の日帝は1917年のロシアと同じ、否、それ以上に決定的な帝国主義の「最弱の環」だ。そしてわが革共同は、スターリン主義によるマルクス主義の歪曲を半世紀にわたる苦闘をとおして打ち破り、今日、動労千葉に代表される闘う労働組合の階級的実践と固く深く結合して、21世紀の革命に向かって断固とした挑戦を開始している。日本階級闘争こそまぎれもなく、世界革命への新たな突破口を押し開く、現代の国際階級闘争の最先端である。
 11月労働者集会の国際連帯として切り開かれてきた地平は、アメリカや韓国の闘う労働者の動労千葉に対する限りない期待として、そのことを明白に提起している。これに断固として応え、全世界のプロレタリアート人民の未来をかけて、その先頭で資本主義打倒の突撃路を開く闘いをやりぬこう。
 求められていることはただ一つだ。現にある革共同と動労千葉のこの存在と闘いは、たとえまだ小さな一つの点にすぎないとしても、日本プロレタリアートの中に不抜の確固たる革命の拠点として存在している。この「点」を6000万労働者階級の中に無数に拡大し、さらに面へと押し広げることだ。そして闘う農民との労農同盟を強め、帝国主義と闘うあらゆる人民をプロレタリア世界革命の旗のもとに獲得し、資本主義・帝国主義打倒の総蜂起を本気で準備することだ。
 日帝資本、国家権力、あらゆる反革命勢力の密集した敵対を打ち破り、全戦線での体制内派との大党派闘争に勝ちぬいて、「組織! 組織! 組織!」を合言葉とする一大決戦に突入しよう。すべての職場、地域に党の細胞を建設しよう。動労千葉に続く闘う労働組合、闘う労働運動を、4大産別を始めとするあらゆる職場によみがえらせよう。この闘いの中で、何よりもブルジョア的体制内的イデオロギーとの非和解的な党派闘争を貫く中でこそ、われわれ自身を本物の革命の指導部に鍛え上げていこう。
 一切は、マルクス主義青年労働者同盟1000人とマルクス主義学生同盟1000人の建設にかかっている。情勢は待ったなしである。青年を先頭に09年の決戦を全力で闘い、世界革命への巨大な展望を押し開こう。

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週刊『前進』(2389号10面1)(2009/04/27 )

 『資本論』に挑戦しよう ヨハン・モスト原著『資本と労働』を学び

 資本主義社会の仕組み暴き労働者自己解放の道照らす

 畑田 治

 全世界で労働者階級が立ち上がっている。資本主義は「死の苦悶(くもん)」にのたうっている。ヨーロッパは巨大なゼネスト情勢だ。そうした中で、マルクス『資本論』が青年労働者・学生の心を再びとらえ始めた。『資本論』が労働者・学生に読まれる時代、それは〈嵐の時代〉〈革命の時代〉だ。このたび『資本論』学習テキストとして、ヨハン・モスト原著/新訳『資本と労働』が新訳刊行委員会から発行された。この本を手がかりに『資本論』に挑戦しよう。それは階級的労働運動―プロレタリア革命の強力な武器となる。
(写真 カール・マルクス【1818〜1883】)

 マルクスが心血を注ぎ完成させた「革命の書」

 餓死とストライキ

 『資本論』第1巻が出版された1867年頃はどういう時代だったか。ヨーロッパ、イギリスで資本主義の発展が頂点に近づいていたが、それは同時に資本主義の矛盾が全面的にあらわになる過程であった。1864年に、世界初の労働者の国際組織、国際労働者協会(第1インターナショナル)が設立された。その創立宣言には次のように書かれている。
 「人を酔わせるこの経済的進歩の時代に、餓死はイギリス帝国の首都ロンドンで、ほとんど名物の一つに数えられるほどになった」「いたるところで労働者階級の大多数は、彼らの上に立つ人びとの社会的地位が高まるのと少なくとも同じ割合で、低い深みに沈んでいった」
 まさに資本主義の発展が、労働者階級を一層の貧困にたたき落とす過程が進行していたのである。これに対して、労働者階級はけっして黙っていなかった。資本家に対して怒りを爆発させ、ストライキ、暴動に立ち上がっていた。その闘いは嵐のようにヨーロッパ大陸を席巻した。1848年の革命の敗北でいったん後退したプロレタリアートの闘いは1860年代に再びよみがえり、その中で第1インターナショナルが結成された。
 「ヨーロッパ大陸では、このところ、ストライキがほんものの伝染病のように猛威を振るい、賃上げを要求する叫びがいたるところに上がっている」(『賃金・価格・利潤』、1865年)
 ストライキは大陸からイギリスやアメリカにも広がった。1869年にはベルギーの製鉄所と炭坑の労働者がストライキに入った。資本家はこれに軍隊を差し向け、多くの労働者が殺され、傷つき、逮捕された。第1インターナショナルは「ベルギーの虐殺」を徹底弾劾し、連帯と救援のカンパを呼びかけた。
 「プロレタリアートのブルジョアジーに対する闘争は、その存在とともに始まる」(『共産党宣言』、1848年)
 まったく、そのとおりだ。労働者階級はどんなに弾圧されても闘いをやめることはない。偉大な勝利と無念の敗北を繰り返しながら前進し、今日まで継続している。この事実そのものが、資本主義社会が矛盾をいっぱい抱えた歴史の通過点にすぎないこと、労働者階級が自らを解放するためには資本主義を打倒しなければならないことを示している。(ブルジョア国家の暴力と資本主義社会の存立は不可分一体だ。経済的論理だけで資本主義社会が成り立っているわけではない)

  第1インターと共に

 『資本論』第1巻が発刊されたのはこのような時代だった。マルクスは「創立宣言」を起草するなど第1インターナショナルの重要な仕事を担いつつ『資本論』第1巻を完成させた。だから、『資本論』は国際プロレタリアートの流血の闘いと一体の書だ。マルクスは第1巻の扉に「忘れられないわが友、勇敢で誠実で高潔なプロレタリアートの前衛ヴィルヘルム・ヴォルフに捧げる」と記した。ヴォルフは1848年の革命をマルクスとともに闘い、その後も弾圧と闘いながら労働者階級の組織化に一生を捧げた革命の闘士だ。
 強調したいことは、『資本論』はいわゆる学術書ではない、闘いの書だということだ。そこには多くのプロレタリアートの血が流れ、革命への熱い思いが込められている。そこではマルクスの筆を借りてプロレタリアートが叫んでいる。プロレタリアートが資本主義社会の搾取の構造を暴き、ブルジョアジーを激しく弾劾し、革命を呼びかけている。だから、労働者がこれを読んで、理解できないことはない。
 21世紀の私たちの世界はどうか。ILO(国際労働機関)の発表でも世界の雇用人口の45%、14億人が、1日2j以下で暮らす「ワーキングプア」だという。世界の資本家階級は、このように労働者から搾り取っている。マルクスの時代と何が変わったのか? 『資本論』は鋭く現代の世界を告発している。
 マルクスは、自分の生命のエネルギーのすべてを注ぎ込んで『資本論』を書いた。ようやく第1巻がまとまって、その原稿が出版社に送られた直後に友人あての手紙でこう述べている。
 「この著作のために私は健康も人生の幸福も家族も犠牲にしてきたのです。……もし人が牛のようなものでありたいと思えば、もちろん人類の苦しみに背を向けて、自分のことだけ心配していることもできるでしょう。しかし、私は、もし私の本を少なくとも原稿としてでも、完全に仕上げないでくたばるようなことがあれば、本当に自分を非実際的だと考えたでしょう」(1867年4月17日付、ジークフリート・マイアーあての手紙)
 30年間のマルクスの理論的探求の全成果が、『経済学批判』(1859年)を経て『資本論』に結実した。マルクスは、自分の命と引き替えに『資本論』を著した。だから、私たちは真正面から『資本論』と向き合い、格闘すべきだ。それほどの価値がある。

 搾取を目的として生産を行う転倒した社会

 「労働者階級の理論」

 労働者階級は『資本論』で自分の理論、「労働者の理論」を持ったのだ。このことは労働者階級が、資本家階級と闘って真に勝利できる力を獲得したということだ。
 マルクスを全面的に支えたエンゲルスは『資本論』第1巻英語版序文(1886年)で次のように言っている。
 「『資本論』は大陸ではしばしば『労働者階級の聖書』と呼ばれる。この著作の中で到達された諸結論が……日ごとにますます労働者階級の大きな運動の基本的な原理となりつつあること、どこでも労働者階級はますますこれらの結論のうちに自分の状態と大きな希望の最適の表現を認めるようになっている」
 だが、その後の歴史を見ると、本来労働者のものである『資本論』が肝心の労働者から遠ざけられてきたきらいがある。労働者が「『資本論』こそ自分たちの聖書」として読んできたとは言い切れない歴史と現実がある。
 また日本共産党スターリン主義は、「暴走する資本主義から節度ある資本主義へ」「大企業は敵ではない、共存する」と言い、それがまるで『資本論』の結論であるかのような主張をしている。だがそんなものは、銀行家を「大盗賊」と弾劾したマルクスの革命的精神とは縁もゆかりもない。日本共産党議長・不破哲三は『資本論』をテーマに学者ぶった議論を展開しているが、その作業はすべて『資本論』の革命的核心を解体し、資本主義と共存できるものにするための反革命的な作業だ。労働者階級を革命から遠ざけるためにやっているのだ。
 ニセモノのマルクス主義や一切の体制内労働運動と対決し、『資本論』を労働者の手に取り戻そう。転向スパイ集団=塩川一派を打倒し、階級的労働運動の大前進を切り開こう。

 社会の常識と闘って

 『資本論』にはどのようなことが書いてあるのか。
 『資本論』でマルクスは、資本主義社会が労働者階級から搾取することで成り立っていることを暴き出した。資本主義社会が剰余労働の搾取を唯一の動機・目的として社会的生産が組織される、実に転倒した社会であることを暴き出した。この社会では、労働者階級はすべての生産手段を奪われているがゆえに、自分の労働力を資本家に切り売りする以外に生きられないのだ。
 当時のブルジョア経済学者は、資本家・地主・労働者はそれぞれ資本・土地・労働を持ち寄って生産を行い、その役割に応じて収入を受け取るのであり(「三位一体の定式」)、そこには、なにひとつ問題はないという主張を行っていた。それは、資本家や地主の利益に合致する理論だった。彼らは、“労働者が貧しいのは食糧生産の伸びよりも労働者の人口増加が多いからだ。だから労働者は産児制限をしろ、そして勤勉に働け、そうすれば労働者の取り分も増えて生活は豊かになるぞ”というような資本主義擁護論を振りまいていた。(今の連合中央の「企業は労働者のがんばりに見合った成果配分を」というのも、基本的にこうした主張と変わらない)
 マルクスはブルジョア社会の「常識」にまでなっているこうした資本主義擁護論と徹底的に対決した。剰余労働が搾取される秘密を解き明かし、労働者が受け取る賃金は生産物の分け前ではなく労働力商品の代価であること、それは労働者がかつかつに生きていくだけの「えさ代」でしかないこと、資本家は労働者の必要労働(賃金分)以上に労働者を働かせ、その剰余労働を搾取すること、したがって資本家の利潤も、土地所有者の地代も、その根源は労働者の剰余労働にあること――こうしたことを鮮やかに暴き出したのだ。
 商品価値の実体が労働であることを見抜いたのはマルクスが初めてではないが(古典派経済学)、労働力の商品化をつうじて剰余労働が搾取される仕組みを解明したのはマルクスが初めてだ。
 さらにマルクスは、プロレタリアートがストライキや暴動に立ち上がっている事実を背景に、プロレタリアートこそ資本主義をひっくり返す主体であり、革命的階級であることをはっきりさせた。資本家は、今の社会はすべて自分たちが仕切っているかのように振る舞い、「資本主義よ、永遠なれ」という神話にしがみつくが、実際にこの社会を動かしているのは労働者なのだ。労働者が働くことをやめれば、資本主義社会は完全に止まる。資本家は労働者に寄生して搾り取っているだけであり、労働者階級が団結して闘えば必ず資本家階級を打倒し、階級のない共同社会をつくりだすことができる。『資本論』はそのことを、圧倒的な迫力をもって労働者階級に説いている。
 『資本論』の中身は140年たった今もけっして古くない。逆に世界大恐慌の時代だからこそ、生き生きと私たちに迫ってくる。

 労働者のために第1巻のダイジェストを作る

 監獄の中で執筆

 『資本論』は第1巻だけでも大部であり、労働者にとって読みとおすことは確かに一苦労だ。それでも、どれだけ時間がかかろうとも読み通す価値がある。マルクスは、誰よりも「労働者に読んでもらいたい」という思いでこれを書いた。
 『資本論』を読み進める手がかりになるのがヨハン・モスト著『資本と労働』だ。この本は『資本論』第1巻の分かりやすい要約だ。モストはドイツ社会民主党の活動家だった(注参照)。
 1860年代、ヨーロッパで労働者のストライキが各地で闘われた。闘争は時には暴動となって爆発した。71年3月、普仏戦争のさなかにパリの労働者が蜂起し、パリ・コミューンを樹立した。マルクスはこれを「史上初のプロレタリア独裁」と積極的に意義付けた。コミューンは資本家の軍隊の襲撃で72日間で敗北したが、コミューンの衝撃はヨーロッパの全資本家階級を震え上がらせた。第1インターナショナルは「パリ・コミューンの首謀者」と見なされ、各地で弾圧された。ドイツでも反動の嵐が吹き荒れ、モストは72年9月(26歳の時)、反戦デモを組織して逮捕された。
 モストは73年2月から8カ月間投獄されたが、『資本論』第1巻を読んで圧倒的に感動していたモストは、これを労働者の中に広めたいと、投獄の機会にノートを取り、『資本論』のダイジェストをつくった。出獄後それを『資本と労働――マルクス「資本論」のわかりやすいダイジェスト』という表題で出版した。
 モストは、マルクスだからといって絶対視しない。自分は労働者だという意識を強く持って、「これは大切だ」と思ったところをズバリと抜き書きした。読んで理解できないところは、ほかの労働者も分からないだろうと大胆に省いた。そして、モスト自身の考えで第1巻全25章を12の表題(章)に整理してダイジェストをつくった。
 モストは「はじめに」で『資本論』の意義を次のようにまとめている。
 「カール・マルクスの『資本論』が出版されて、近代の社会主義は確固とした基礎を、無敵の武器を手に入れた。この著作は、どんな社会も、個人が案出したいろいろな計画にしたがってつくりだされうるものではないということを明らかにしているので、たしかにすべての楽観的な幻想をうち砕いてしまうが、しかし他方でそれは、資本主義が社会主義ないし共産主義の萌芽(ほうが)を自分のなかに秘めていること、そして資本主義は自然法則的な必然性で、また、それ自身の諸法則によって、社会主義ないし共産主義へと発展していかざるをえないことを証明しているので、明晰(めいせき)に物事を考えられるすべての社会民主主義者に、勝利へのゆるぎない確信を与えている」
 これは『資本論』の核心を的確に述べていると思う。
 モストの本は、『資本論』の単なる抜粋ではなく、わかりにくいところは言い換えて、重要な部分をわかりやすく労働者に伝えようとしている。たとえば、次のところだ。第1巻の第24章「いわゆる本源的蓄積」のむすびの部分、ここは資本主義から社会主義への移行はみんなが考えるほど困難で長期にわたるものではない、ということを語っているのだが、原文はかなり分かりにくい。それをモストは次のように言い換えている。
 「分散的な所有の資本主義的所有への転化は、非常に長期にわたるものである。なぜなら、この場合に問題になったことは、少数の権力者による民衆の所有の取得だからである。(それと比べて)資本主義的所有の社会的所有への転換はもっと急速になしとげられる。なぜなら、この場合に問題になることは、民衆による少数の権力者……の排除だけだからである」

 マルクス自身が加筆

 モストの本は当時、『資本論』第1巻の内容を労働者に分かりやすく伝える唯一の手引き書だった。だからドイツ社会民主党の幹部は、マルクスに若干の加筆を要請した上で、76年に改訂第2版を発行した(この時、モストはパリ・コミューンをたたえた演説で再び逮捕され、投獄されていた)。私たちは今、この改訂第2版を読むことができる。
 「商品と貨幣」「労働賃金」の章は、モストの要約ではまったく不十分であるとして、マルクス自身がほとんど全部書き直した。マルクスは、資本主義の理解のためには商品と貨幣、賃金についての正確な階級的認識が不可欠であり、ここを簡単にパスするわけにはいかないと思ったのだ。
 ともあれマルクスが加筆して第2版が刊行されたことは、マルクスがモストによる要約を“これでよし”と認めたことを意味する。だから、私たちはモストの本を読むことで『資本論』第1巻の核心部分をつかめるのだ。

 マル青労同・マル学同1千人組織建設の武器

 「賃金」は奴隷の鎖

 私がモストの『資本と労働』を読んで、強く印象に残ったところを記しておきたい。
 賃金労働者は一切の生産手段を奪われているので、自分の労働力を資本家に売って賃金を得なければ生活できない。それを繰り返さなければ生きていけない。モストは、「賃金」が果たしているこの「鎖」の役割について、「検事・政治家・兵士たちの全部を合わせても、この形態すなわち労働賃金が果たしているほど大きな役割を果たしてはいない」と言っている。それほど強い力で「賃金」は労働者を資本家につないでいるということだ。
 そして、続けてこう言っている。
 「他の人間のために無償でおこなわなければならないどんな労働も、本来強制労働なのであって、この強制労働は、この人間が他の個々の人間なり、ある階級なりに対する隷属関係にあるということ、したがって彼は事実上奴隷であって、けっして自由人ではない、ということを示している」
 この本当の事情が、労働賃金というありふれた形態によって覆い隠されるのだ。「外見上は、労働者は彼の労働のどの1分間といえども無償でおこなったわけではない。このように、彼の強制労働の、したがってまた彼の隷属関係の痕跡はあとかたもなく消えてしまっている」「ローマの奴隷は鎖によってその所有者につながれていたが、賃金労働者は見えない糸によってその所有者につながれている」
 さらに、資本の生産過程は、資本と賃労働の階級関係そのものを再生産する過程である。
 「資本主義的生産過程はそれ自身の進行によって、労働力と労働条件との分離を再生産する。したがってそれは、労働者の搾取条件を再生産し永久化する。それは、労働者には自分の労働力を売って生きていくことをたえず強要し、資本家にはそれを買って富をなすことをたえず可能にする」
 「一方の極での資本の蓄積は、同時に反対の極での、すなわち自分の生産物を資本として生産する、まさにこの階級の側での困窮・労働苦・奴隷状態・無知・粗暴・道徳的堕落の蓄積なのである」
 このようにモストは『資本論』第1巻のポイントを実に分かりやすく説いていく。学習会に格好のテキストだ。
 マルクスは近代的資本の形成の歴史を、第1巻24章「いわゆる本源的蓄積」で、さまざまな歴史的事実を引いて克明に暴き出した。資本主義の成立過程が、資本家が言うような「勤勉に働いた者が財産をつくって資本家となり、怠け者が財産を失って無産労働者になった」というような「牧歌的」なものではけっしてないこと、イギリスの「土地囲い込み」による農民の暴力的追放や、各国が莫大(ばくだい)な利益を上げた奴隷貿易など、「征服や暴力」が資本の本源的蓄積の歴史的条件となったことを暴いた。
 しかし、資本がおびただしい労働者の血を吸って大きくなっていることは、けっして過去の資本主義の生成期だけではない。マルクス当時も、そして今も同じだ。だから、資本についての断罪は、過去形ではなく現在形で書かれている。「資本は、頭からつま先まで、毛穴という毛穴から血と汚物とをしたたらせながら生まれてくる」
 今、大恐慌のもとで、労働者に一切の犠牲を押しつけて延命を図る資本のありようを見た時、労働者の血と汗、あぶらを搾り取って生き続けようとする資本の本性は、まったく変わらないではないか。

 革命の炎を広げよう

 この書を締めるにあたって、モストは次のように言う。
 「読者は、これまで抜粋によってお伝えしてきたマルクスの論述に教えられて、資本主義的生産様式はもともとひとつの過渡形態にすぎないこと、それはそれ自身の機構によって、もっと高度な生産様式に、協同組合的生産様式に、社会主義に行きつかないではいないのだ、ということをすでに認識されていることだろう」
 「こんにちの社会はいずれ倒れて、もっと高度な、もっと高潔な社会に席を譲らないではいないのだという確信、そして労働者階級こそ政治権力という強大なテコによって現在の社会構造を根本的に変革する資格をもっているのだという確信、この確信をもった人ならだれでも、次のこと以外にいかなる生涯の使命をももつ必要がない。すなわち、自分の信条を他の人びとにも伝え、たえまなく宣伝の太鼓をたたき続け、全人類をきょうだいにするシンボル・赤旗のまわりに社会革命の兵士たちを次つぎに連れてきて、理想の達成をめざして燃えあがるような熱情を彼らの心に移植する、ということである」
 「工場でも作業場でも、屋根裏部屋でも地下の住居でも、食堂でも散歩のときでも、要するに労働者のいるすべてのところで、宣伝が行われなければならないし、都市から農村へと認識が広められていかなければならない」「万国のプロレタリア、団結せよ!」
 青年労働者モストの情熱は、いま革命をめざして闘う私たちの心にも熱いものを伝える。モスト『資本と労働』は、マル青労同1000人建設、マル学同1000人建設の重要な武器だ。学習しよう。そして、『資本論』そのものに挑戦しよう。マルクス主義と動労千葉労働運動で、圧倒的な労働者階級を組織し、組織し、組織しぬこう。
 勝利はわれわれのものだ。
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 ●ヨハン・モスト略歴

 1846年、ドイツ南部の古都アウグスブルクに生まれ、渡り製本職人として各地を歩いた。21歳の時スイスで社会主義的な労働運動に接し、25歳で社会民主労働者党に入党。情熱的な演説で繰り返し投獄された。労働者出身であることと投獄回数が多いことで労働者の尊敬を集めた。1872年9月、反戦デモを組織したかどで逮捕され、73年2月から8カ月間、ツヴィカウの監獄に抑留された。74年4月から再び26カ月間投獄された。ビスマルクの「社会主義者取締法」が発布されると、ドイツを追放されてロンドンに亡命した。社会民主党の指導部と対立し除名された。その後アメリカに渡り、1906年死去。

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週刊『前進』(2389号A面2)(2009/04/27 )

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