ZENSHIN 2009/10/12(No2411 p06)

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週刊『前進』(2411号1面1)(2009/10/12 )

 職場の団結の力を地域の団結拡大へ

 全国で11・1結集のうねりを

 労組破壊の一斉弾圧粉砕せよ

 国鉄1047名解雇撤回・JR体制打倒 10・16JR本社緊急抗議行動へ

(写真 青年を先頭に1万人結集へ熱気 10・3東京集会には260人の労働者・学生が結集。集会全体を青年労働者がリードし、残り1カ月の猛然たる組織戦に突入する決意をうち固めた【10月3日 杉並区】=記事3面)

 10・11三里塚全国闘争の爆発から、いよいよ全国の全職場・全戦線で11・1労働者集会1万人大結集に向けて、3週間の嵐のような一心不乱の闘いに全面突入しよう。動労水戸の3波のストに続く、動労千葉幕張支部の10・1全1日ストは、11・1への感動的な号砲だ。民主党・連合政権と、それに総屈服したすべての体制内指導部を先兵とする、戦争・改憲と民営化・労組破壊、首切り・賃下げと大失業の攻撃に、国鉄1047名解雇撤回を真っ向から掲げて1万人総決起の力をたたきつけるのが11・1だ。10・16のJR東日本本社弾劾闘争と法大解放集会を圧倒的に爆発させ、11・1へ攻め上ろう。

 体制内との党派闘争貫こう

 全国の職場・街頭・地域で今、11・1労働者集会への大結集運動がひとつの「うねり」となりつつある。国鉄1047名闘争こそ民主党・連合政権への最大の対抗基軸であり、世界大恐慌下の大失業攻撃を打ち返す階級的水路だ。攻めて、攻めて、攻めて、いま勝利を開いているのはわれわれだ。動労千葉派であり、11月集会派だ。
 戦後の2・1ゼネストに示された革命的高揚を、1947年5月の社会党・片山内閣成立で圧殺しようとした「二番せんじ」など絶対に許さない。民主党政権の帝国主義的労働運動のダラ幹や旧社会党の帝国主義社民に、自民党を倒した労働者の決起を抑圧することなどできない。
 11・1大結集の「うねり」に恐怖する日帝権力とブルジョアジーは、9月29日以降、不当な逮捕攻撃、全国一斉の家宅捜索、さらに動労千葉や合同労組へのかつてない不当極まる捜索と弾圧に出てきている。これは大恐慌と自民党崩壊下で、闘う労働組合を圧殺し、プロレタリア革命への前進を阻止しようとする許し難い暴挙だ。この組合つぶしの不当弾圧を、逆に11・1総決起の階級的なバネに転化して闘おう。
 革共同は、綱領草案採択(本紙前号掲載)の歴史的地平に圧倒的な確信を持ち、すべての闘う労働者、労働組合とともに11・1への全国総結集の「うねり」を3週間決戦として拡大し闘いぬく。

 日共と社民は資本の共犯者だ

 民主党政権の連合ダラ幹や帝国主義社民、そして「閣外協力」の日共スターリン主義の反階級的犯罪と対決し、徹底弾劾する党派闘争が、職場を活性化させている。
 JR西日本と国交省による尼崎事故調査報告書の改ざん策動の共犯者は、遺族が「労使ともに腐敗の極み」と弾劾したように、国労西日本エリア本部の革同=日共スターリン主義だ。JR東日本による信濃川盗水問題(280億円分!)についても、国労本部派の日共と社民はJR資本の共犯者である。
 さらに、市東孝雄さんの農地の強奪、国鉄1047名闘争解体、日航大リストラに突き進む国交省の副大臣・辻元清美は社民党であり、107人を殺したJR西日本前社長・山崎を在宅起訴で済ます一方、星野文昭同志や法大闘争の8人の学生を獄に閉じこめ、さらに裁判員制度を強行している法務大臣・千葉景子は旧社会党ではないか。不当逮捕や全国一斉捜索を自由にやらせておいて、どこが「人権派」の弁護士閣僚だ!
 体制内勢力との党派闘争は国際的になり、国鉄分割・民営化の最大の裏切り者=JR総連・松崎も引きずり出された。これはファシストどもを打倒する絶好機だ。現場の闘い、労働組合をめぐる攻防がすべてを決する。
 職場の闘いを軸に、動労千葉、動労水戸、法大裁判の勝利判決・無罪判決をも武器に、11・1へ大進撃しよう。 

 第2の尼崎事故阻止する力

 国鉄分割・民営化の帰結こそが尼崎事故だ。今やJR東日本では、それ以上の大事故がいつ起きてもおかしくない状態にある。
 全国で唯一、8年間にわたり業務外注化を阻止している幕張車両センターは首都圏の列車検査・修繕(検修)の拠点であり、安全を守る砦だ。「JRは列車を走らせてメシを食っている」(『日刊動労千葉』)にもかかわらず、JR東日本は2001年以降、その核心である保線・検修などの全面的な外注化を、安全をまったく無視して強行してきた。動労千葉のみがこれを阻止してきた。
 この外注化の結果、JR東日本では08年9月末と12月に連続して新幹線総合システムがダウン。今年7月には、京葉線変電所火災で運転が7時間ストップした。9月10日には、新幹線仙台駅構内で下請けの労働者が作業中の事故で殺された。今やJRの輸送障害事故は大手私鉄の11倍という異常事態だ。
 千葉では他の支社から回ってきた車両も検修するが、「高崎では7人を5人体制に減らされて」(『俺たちは鉄路に生きる3』)、まともな検査もできなくなり、今や幕張車両センターには使用限度を割り込んだ車両が次々に入ってきている。特にスピードを出す特急車両では、車輪転削に入った時点ですでにフランジ(車輪の縁にある出っ張り)が規定値を超えて減っており、脱線の危険のある車両が増えている。理由は検修周期を14〜15万`から22〜23万`に延伸したからだ。
 それでも、動労千葉の熟練した労働者が当局とケンカしながら誇りをもって作業をしてきたから、なんとか事故は起きなかった。この職場でベテランの動労千葉の組合員全員が、最も中心的な検査である交番検査業務から外され、平成採の青年だけで車両の検修が行われている。そして今度は副支部長と書記長の強制配転だ。「第2の尼崎事故」を阻止する力と日本労働者階級の未来は、幕張車両センターでの攻防にかかっている。

 1万人決起へ3週間の決戦 

 民主党・連合政権を構成している閣僚はみな、国鉄分割・民営化や労働者派遣法を推進した連中だ。1989年の「連合の進路」は、資本主義を救済し、階級的労働運動や共産主義と闘う帝国主義的労働運動の宣言だ。
 鳩山政権の「補正予算の見直し」とは、「行政の無駄遣いの排除」と称し、財源確保に公務員労働者へ徹底的な民営化と賃下げ・大量解雇の攻撃を強制して、ブルジョアジーを救済するためのものだ。労働者の08年の年間平均賃金は前年より7万6千円も下げられた。今年冬の一時金支給も東証上場企業平均でさえ約10万円減額で労使妥結となっている。公務員職場では、道州制攻撃の先取りとして8月11日の人事院勧告で「国家公務員は平均15万4千円賃下げと住宅手当廃止」とされ、地方自治体ではさらに拍車がかかっている。
 こうした賃下げ・解雇と、世界大恐慌下で過去最悪を更新する大失業の攻撃が、労働者階級の生活を根底から破壊している。

 賛同署名を訴えチケット売ろう

 この情勢と対決し、今年1月以来、動労千葉派・11月集会派は、2〜3月の「生きさせろ!」ゼネストに果敢に挑み、職場実践を積み重ねてきた。労学共闘の醍醐味(だいごみ)も味わい、職場の仲間と討議を重ね、地域ぐるみ、家族ぐるみで闘いを切り開いてきた。青年と古参の労働者が一体で、路線で団結した時に発揮する地区党の底深い力もつかんできた。何よりも動労千葉と三里塚反対同盟、そして革共同による国鉄・三里塚決戦の勝利が、国際連帯をも発展させてきた。
 この地平から、国鉄1047名闘争を最大の基軸にすえて11・1労働者集会1万人大結集へ、最後の3週間を、闘って、闘って、闘いぬこう。
 第一に、11・1大結集の大きな「うねり」を全国の職場と地域でつくり出し、職場の団結を地域全体に拡大しよう。 
 第二に、職場の全員にビラを渡し、賛同署名をとり、チケットを売ろう。『前進』や国際連帯パンフで組織しよう。工場から工場へ全職場を総ローラーしよう。物販や全国署名運動、百万人署名はその絶好の武器だ。
 第三に、全戦線の闘いの中で蓄積されている全名簿に会おう。手紙を書き、夜は電話しよう。街頭宣伝などで出会った人に、その場で闘いの方針を提起しよう。次の街宣を一緒に取り組もう。さらにその人が職場や地域の仲間を誘おう。
 自分と仲間と階級を圧倒的に信じ、思い切って大胆に、11・1大結集を組織しよう。

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 週刊『前進』(2411号1面2)(2009/10/12 )

10・16JR本社前に結集を
 動労千葉など3労組呼びかけ

 動労千葉、動労水戸、動労連帯高崎の3労組が10・16JR東日本本社緊急抗議行動の呼びかけを発した。11・1労働者集会の爆発を切り開く決定的闘いだ。全力で集まろう。(編集局
 すべての闘う仲間の皆さん!
 私たち三組合は10月16日、国鉄1047名解雇撤回を求め、卑劣な組合潰し、業務外注化、安全崩壊の現実と闘うために、JRに対する緊急の抗議行動に立ちあがります。
 JRの職場では、今も露骨な不当労働行為、団結破壊攻撃が続いています。私たちは、運転士の国家資格をもちながら、動労水戸や動労千葉の組合員であるというだけの理由で20年以上も運転士に発令しないという露骨な差別事件で、最高裁の勝利判決をかちとりました。ところがJR東日本は、判決を守るどころか、それを逆手にとって、動労水戸の組合員を通勤に4時間もかかる職場で運転士に発令しようとしています。千葉では、動労千葉の車両検査係を業務から外し、組合役員を狙い撃ちで配転する攻撃がかけられています。こんな卑劣なやり方は絶対に許せない。私たちは、この攻撃に対し水戸、千葉で何度ものストライキに立ち上がりました。しかし、闘いはこれからが正念場です。
 尼崎事故をめぐり、事故調査委員会の委員に飲食接待等を繰り返し、報告書を改ざんさせようとしていたことが明らかになりました。107名の乗員・乗客の生命を奪っておきながら事実を隠ぺいすることしか考えていなかったのです。信濃川での不正取水問題など、違法行為が平然と繰り返されています。事故や車両故障が多発し、安全は崩壊しようとしています。これが民営化の結果もたらされたものです。
 われわれは闘い続けます。なぜなら、国鉄分割・民営化が戦後最大の労働運動解体攻撃だったからです。その結果もたらされたのは1000万人をこす労働者が非正規職に突き落とされる現実でした。そして今また、道州制導入をめぐり、「国鉄方式」で公務員労働者360万人を一旦解雇し、選別再雇用するという究極の民営化=労組破壊攻撃がかけられようとしています。
 私たちはすべての労働者の怒りの声の先頭に1047名闘争の旗をおし立てる決意です。10・16抗議行動から11・1労働者集会に攻めのぼろう。ぜひとも多くの仲間の結集をお願いします。

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週刊『前進』(2411号1面4)(2009/10/12 )

 日程 法大集会、JR東日本本社緊急抗議行動

★飲酒規制、企画つぶしを許すな!
自主法政祭を学生の手に取り戻そう!
★獄中8学生を今すぐ釈放しろ! 不当処分を撤回しろ!

10・16法大集会

10月16日(金)昼休み 法政大学市ヶ谷キャンパス
呼びかけ/文化連盟、3・14法大弾圧を許さない法大生の会
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10・16JR東日本本社緊急抗議行動

10月16日(金)
〔抗議行動〕 午後5時〜 JR東日本本社前(JR新宿駅南口)
〔集会・デモ〕午後6時半 新宿中央公園・水の広場
午後7時  抗議デモ出発
■国鉄1047名解雇撤回!
■JRは運転士登用差別事件最高裁判決を守れ!
不当配転、組合つぶしを許すな!
■車輌検修業務外注化阻止! ライフサイクル制度白紙撤回!
■JR−事故調による尼崎事故隠ぺい工作弾劾! 運転保安確立!
■派遣撤廃! 道州制−公務員労働者360万人首切り攻撃粉砕!
呼びかけ/国鉄千葉動力車労働組合、国鉄水戸動力車労働組合、国鉄高崎動力車連帯労働組合

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週刊『前進』(2411号2面1)(2009/10/12 )

 動労千葉物販を1047名闘争の柱に

 物販は職場に入る最強の武器4大産別を軸に陣形広げよう

 11月オルグと一体で取り組みを

 今こそ1047名闘争の責任勢力へ

 労働者の怒りの爆発で自民党政権は打倒された。動労千葉は10月1日、不当配転粉砕のストライキに立ち上がった。
 労働者階級にとって歴史的なチャンスが到来した。新自由主義への怒りは自民党政権の打倒で止まることはない。資本主義の打倒まで突き進む闘いとなって爆発する。
 9月10日、仙台駅構内で工事作業中の労働者が殺された。この現実をもたらしたものこそ国鉄分割・民営化だ。安全の崩壊が端的に示すように、今やJR体制は大破綻に突入している。
 貧困や職場の現実に根ざした労働者の具体的な怒りが、さまざまな要求の形をとって噴出している。この具体的な労働者の怒りと切り結び、怒りを階級的決起へ結びつけていくことが問われている。
 時代は革命党に、労働者階級まるごとの組織化に踏み出すことを要求している。組合・職場全体に責任を取り、組合・職場まるごとを獲得することが要求されている。その基軸が1047名解雇撤回闘争だ。
 4者4団体路線は完全に破産した。動労千葉と動労千葉派が1047名闘争の責任勢力として登場するときだ。国労5・27臨大闘争弾圧粉砕の闘いを軸に1047名闘争の大飛躍を実現しよう。そのためにも、政治和解を柱とした4者4団体の1047名闘争から、物販闘争を柱にした動労千葉の1047名闘争への転換をかちとろう。
 動労千葉物販こそ1047名闘争を職場生産点に持ち込み、労働者の怒りの爆発を階級的に組織する最大の武器だ。

 分割民営化阻止の教訓を全国へ

 韓国双龍(サンヨン)自動車労組の77日間におよぶ工場占拠闘争は、労働者階級の歴史的反撃の開始を告げ知らせた。双龍自動車労組の闘いに対する支持声明で動労千葉は次のように言っている。「労働者を本当に殺すのは、解雇そのものではなく、解雇をとおした団結破壊なのです」と。
 国鉄分割・民営化は「20万人首切り」の攻撃だった。しかし、実際に解雇になったのは、1047名とストライキで公労法解雇になった動労千葉の28名だけだ。残りの約20万人の労働者は、解雇ではなく依願退職なのだ。200人もの仲間が自殺に追い込まれ、20万人の労働者とその家族が路頭に放り出されたにもかかわらず、手続上は「依願退職」、つまり「自ら願い出て」退職したことになっている。こんな屈辱があるのか。
 解雇ですらない。解雇撤回を闘う資格すらあらかじめ奪われた上でたたき出されたのだ。これが「労働者を本当に殺すのは、解雇そのものではなく、解雇をとおした団結破壊」だということだ。
 JR総連カクマルは、首切り攻撃の先兵になり、自らの組合員に対して「自ら願い出て」退職するよう暴力的に強要した。また国労本部は、この攻撃と一度も闘うことなく、国労組合員を見殺しにしたのだ。
 いま本当に国鉄分割・民営化攻撃と闘いぬいた動労千葉の勝利の教訓が、全世界の労働者階級に求められている。この勝利の教訓を全国の職場生産点に持ち込むものが動労千葉物販闘争だ。

 動労千葉の団結はいかに守られたか

 「解雇をとおした団結破壊」に対して動労千葉はどう闘って団結を守りぬいたのか。ひとつはストライキを頂点とした職場生産点における闘いであり、もうひとつが1047名解雇撤回闘争における物販闘争だ。
 動労千葉の物販闘争は、全金本山労組の物販闘争から学び、その切り開いた地平を継承して開始された。
 本山物販は、1975年に開始された。当時の全金や総評の物販というのは、全金中央から物販取り組みの文書が出され、その文書が他の産別や各県評に回されて、全金の地方本部なり各産別の地方本部なりが、本山支部の物販を受けるという格好になっていた。
 しかし本山支部は、半数の組合員が総評全国金属を除名され、1980年に全金本山労働組合を結成することになる。全金を除名されるなかで全金本山労組の組合員は、総評の組織系列を頼らず、自らの足で全国の労組をまわり物販の取り組みを訴えるという、前人未到の闘いに立ち上がっていった。
 ここで何より重要なことは、この全金本山労組の独自物販という闘いを全国の労働者はけっして見捨てなかったことだ。こうして全金本山労組は、まったく新しい物販闘争のあり方を切り開き、全国に「本山陣形」と呼ばれる独自の支援陣形をつくりあげていく。
 動労千葉が物販闘争を全国的に開始したとき、動労千葉の物販を受け入れるナショナルセンターや産別本部は、どこにも存在しなかった。分割・民営化をとおした総評解体―連合結成という中で、動労千葉は連合からも全労連からも全労協からも排除されたのだ。
 こうした状況の中で動労千葉は、全金本山労組のように組合員が自らの足で全国を回り、物販の取り組みを訴える闘いに立ち上がっていった。そして日本の労働者階級は、クビをかけてストライキを闘った動労千葉をけっして見捨てなかった。現場の労働者は、動労千葉の闘いを自らの闘いととらえ、上部団体の締め付けに屈することなく、動労千葉の物販の訴えに応えていったのだ。
 それは全国の労働者の支援によって、動労千葉の団結が守られたというだけではない。連合が結成され総評が解散するという中で、日本の労働者階級の団結は解体の危機に瀕(ひん)していた。しかし物販をとおして1047名闘争を支援することで、労働者階級自身も自らの団結を守ることができた。この階級的団結こそが1047名闘争そのものなのだ。

 物販闘争と職場闘争を両輪に

 4者4団体による政治解決路線は、最後的に破産した。
 国労本部は、全国100万の労働者の支援を受けながら、ここに依拠し展望を見出すことができなかった。そして、職場生産点の闘いと無関係な、霞が関の裁判所や永田町との政治取引にのめり込んでいった。その結果、4者4団体へ転落していった。物販闘争は4者4団体派との闘いであり、4者4団体派の政治解決路線を最後的に粉砕し尽くす闘いだ。
 動労千葉は、物販闘争を職場闘争として位置づけ、物販闘争を1047名闘争の柱に据えきり、総評解体下の危機に瀕する労働現場に入っていった。物販闘争を被解雇者だけの闘いとせず、現場の組合員が年休を取って全国の労働現場をひとつひとつ歩いてまわった。また動労千葉の組合員は全員、夏冬の物販で年間4万円を自分の給料で買い続けた。
 文字どおり組織の総力をあげた闘いだった。動労千葉は、1047名闘争における物販闘争と、JR本体における職場闘争を車の両輪にして国鉄闘争を23年間にわたって闘いぬいてきたのだ。
 政治和解を柱に闘うのか? 物販を柱に闘うのか? その瞬間に路線が問われた。物販闘争を柱に闘うとは、1047名闘争を職場生産点に依拠して闘う路線的あり方を意味する。だから物販問題は路線問題なのだ。

 労働者階級丸ごとの獲得へ闘う時だ

 1047名闘争は、全国の労働者がともにつくり出した闘いだ。動労千葉の被解雇者や組合員が全国の職場にオルグに入るとき、車を運転し組合名簿を作り、ともにオルグを担い続けてきたのは誰だったか。多くの仲間が、動労千葉とともに年休を取って組合オルグをやってきた。なによりも、党も動労千葉も、物販闘争をとおして地域の労働者から本当に多くのものを学んできた。
 だからわれわれ一人ひとりが1047名闘争の共同主体なのだ。いまこそ、物販闘争の本格的展開による労働者階級まるごとの獲得へ全力で打って出よう。
 すでに動労千葉を支援する会は、7月の総会で「全国に支援する会を結成する」という大方針を打ち出している。物販が1047名闘争の運動的表現なら、「支援する会」は1047名闘争の組織的表現だ。動労千葉を支援する会の全国的結成と動労千葉物販を一体的に闘おう。
 全国100万といわれる1047名闘争支援陣形の中心は4大産別の労働者であり、同時に物販勢力だ。ここに動労千葉物販をもって分け入り、中央共闘会議や国鉄闘争共闘会議に代わり、100万物販勢力に責任を取りきる全国支援組織を建設していく。ここに4大産別決戦の戦略的環がある。

 1047名闘争の正義は圧倒的

 われわれは、自分の職場に断固として旗を立てる闘いをやりぬいてきた。その勝利の地平の上で、さらに一歩進んで次の段階に踏み出そう。8・30総選挙情勢は、組合・職場まるごと組織することを要請している。
「一人の獲得」も、「まるごとの獲得」も両方やらなければならない。そのためには、職場に立てた旗に旗印が必要だ。その旗印が国鉄1047名解雇撤回だ。
1047名闘争ほど正義性、大衆性、党派性、組織力をもった闘いは他にない。動労千葉の物販担当者会議で、先進的に闘っている地区が次のように報告している。「春闘にストを打ったが、その後の展望が見えてこなかった。しかし動労千葉物販で、国鉄分割・民営化攻撃と自分の職場がつながった。国鉄分割・民営化攻撃があったから自分たち非正規職の現実もあることが分かった。動労千葉はその分割・民営化とストで闘って、23年間も解雇撤回を闘っている。1047名闘争の普遍性でオルグしたら予想をも超えて、1日で3万円も売れた。自分の職場と動労千葉がつながった。自分の職場だけで闘っているときは見えなかった展望が見えた」
資本の側が日本経団連のもとに団結して、国家権力と一体となって襲いかかってくるのに、労働組合の側が個々バラバラに闘っていては勝ち目はない。だから、1047名闘争を結集軸にして階級として団結して闘い、階級として勝利するのだ。ここに展望がある。
物販闘争を柱に据えた1047名闘争への転換をただちにかちとろう。動労千葉物販闘争の力で11月1万人決起を実現しよう。
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◇販売品目◇ (円)
1  天津甘栗       500
2  焼カシューナッツ   650
3  特選甘納豆      500
4  もずくスープ     550
5  種ぬきプルーン    900
6  ポケットチーズ    900
7  丹波種の黒豆     650
8  にしん昆布巻     700
9  松前漬        750
10  貯金カレンダー    1700
11  北海道レアチーズケーキ950
12  パスタとソースセット 3200
13  薩摩のいも焼酎 2900
14  山梨ワイン 2900

15  グリコハムセット 3500
16  落花生 1500
17  アソートチョコレート 1500
18  あさりの佃煮 1300
19  どんこ 1000
20  即席みそ汁 1300
21  野菜たまごスープ 1300
22  コンソメスープセット 1250

23  さつま芋甘納糖 500
24  おつまみ3点セット 750
25  われせんべい 500
26  のど飴  650
27  小魚の二名煮 1100
28  静岡茶 650
29  ブレンドコーヒー 850
30  博多ラーメン 1200
31  寒干し味噌ラーメン 1300
32  北信濃手折りそば 1700
33  讃岐うどん 1550
34  はちみつ 1700
35  梅にんにく 1300
36  日高昆布 1000
37  ひじき 650
38  根昆布しょうゆ 600
39  天然だしパック 1300
40  ナガイの焼のり 1700
41  紀州南高梅 1700
42  ビーフカレー 3100
申込先/動労千葉協販部 TEL 043(227)7833 FAX 043(227)8125

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週刊『前進』(2411号2面3)(2009/10/12 )

 運転士登用差別高裁逆転勝訴 JR体制打倒への号砲

 不当労働行為を明快に認定

 東京高裁は9月30日、動労千葉組合員に対する運転士登用差別事件について、1審判決と中労委命令を取り消し、組合側完全勝利の判決を出した(前号速報)。判決は「JR東日本は所属組合を理由に当該組合員を不利益に扱い、動労千葉の弱体化を図った」と不当労働行為を明快に認定し、「1998年1月1日付けで運転士に発令したものとして取り扱わなければならない」とJR東日本に命じた。
 これは、動労千葉の団結と、不当労働行為根絶の不屈の闘いがもぎりとった成果であり、同じ運転士登用差別事件を巡って昨年12月に出された動労水戸の最高裁勝利判決と一体の大勝利だ。

 極悪の組合差別

 この事件は1980年、81年、82年に国鉄に採用された動労千葉組合員を、国鉄時代に運転士免許を取得していたにもかかわらず、動労千葉の組合員であるというだけの理由でJRになってからも運転士に登用してこなかったというものだ。“ストをやるような組合にいたら運転士にはしない”という極悪の不当労働行為だ。
 動労千葉は、1047名解雇撤回闘争、反合・運転保安闘争と一体で、百人に及ぶ組合員の強制配転と、運転士登用差別の解決を最重要課題に位置づけてきた。
 今回の高裁判決文は、以下のJR東日本幹部の発言を引用している。
 「会社にとって必要な社員、必要でない社員のしゅん別は絶対に必要なのだ。会社の方針派と反対派が存在する限り……おだやかな労務政策をとる考えはない。反対派はしゅん別して断固として追及する。処分、注意、処分、注意をくり返し、それでも治らない場合は解雇する」(松田昌士常務取締役=当時、87年5月)。「このような人たち(分割・民営化に反対する人たち)が残っているということは非常に残念だ。このような迷える子羊を救っていただきたい。皆さんがこういう人たちに呼びかけ、話し合い、説得し、皆さんの仲間に迎え入れて頂きたい」(住田正二代表取締役=当時、87年8月、JR東労組定期大会でのあいさつ)。
 まさに怒りなしに読めない。国鉄分割・民営化攻撃の過程で20万人の労働者が職場を追われ、7628人がJR不採用となった。90年には1047名が国鉄清算事業団からも解雇された。動労本部カクマル(現JR総連カクマル)と結託した当局は「血の入れ替え」と叫んで広域配転で動労の運転士を首都圏に送り込み、東京管内ではほとんどの国労組合員を運転職場から排除した。
 動労千葉に対しては、運転業務7千`を東京に移管して仕事を奪い、強制配転、組合脱退強要、相次ぐ拠点職場の廃止、運転士登用差別などを続けてきた。当局・カクマルが結託した異常な労務支配のもと、あらん限りの不当労働行為の山の上に民営化体制はかろうじて成り立ってきたのだ。

 階級的団結守り

  動労千葉は、こうした攻撃に一人ひとりの組合員が激しい怒りを燃やして立ち向かい、労働者としての誇りを貫き、階級的団結を守ってきた。
 その対極で、JR体制はその矛盾を爆発的に噴出させ、新自由主義攻撃の破綻を満天下にあらわにしている。どちらが勝利者かは明らかだ。
 動労千葉は、07年定期大会で「国鉄分割・民営化攻撃に対する勝利宣言」を発し、本格的な組織拡大に踏み出すとともに、1047名闘争の責任勢力として登場しようとしている。今回の勝利は、こうした動労千葉の前進の中でかちとった勝利であり、いかなる国家的不当労働行為も階級的団結の力で必ずぶち破れることを示した。労働者階級の側から、国鉄分割・民営化攻撃にいよいよ革命的決着をつける時が来たことを告げ知らせているのだ。
 11・1労働者集会への1万人結集こそ、その巨大な扉を開く闘いだ。
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 “スト闘う組合の勝利” 当該の内田晃さんが発言

 本部のみなさん、支援のみなさん、ありがとうございました。本当に動労千葉で闘ってきて良かったです。
 ストライキをできない組合は腐敗していくしかない。やっぱりストライキを始めとする闘いによって勝利判決もかちとれたんだと思います。
 この運転士登用差別は国鉄分割・民営化の過程で国労をつぶし、動労千葉をつぶし、日本の労働運動をつぶそうという攻撃の中でかけられた攻撃でした。まだ高裁段階ですが、これに対して勝利判決が出たことは、当時の中曽根内閣、そして現在の政府に対しても一矢報いることができたのかなと思っています。
 いま、すごい失業率じゃないですか。自分たちは運転士に登用されなかっただけですが――これも簡単なことじゃないんですが(笑)、世の中には派遣切りにあって飯も食えない人たちが、すごいたくさんいます。そういう人たちに少しでも希望を与えることができたんじゃないか。
 これは単に一地域の、一個人に対する勝利判決ではありません。この間、政府がやってきた国鉄労働運動に対するすごい攻撃に対して、ストライキを構えて闘ってきた動労千葉があったから勝利判決が出たんだと思います。
 そうは言っても、その行間には、つめの間から血が流れ出てくるような悔しさ、語り尽くせないこともあるんですが、これからもともに闘っていきたいと思います。(10・1スト貫徹!動労千葉総決起集会での発言)
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運転士登用差別事件の経過

87年4月1日 国鉄分割・民営化
90年3月30日 千葉地労委申立
93年6月1日 地労委で勝利命令
(※会社側、再審査申立)
06年7月19日 中労委、地労委命令
を取り消す反動命令
11月22日 動労千葉が中労委命
令の取り消しを求め
東京地裁に提訴
08年3月3日 東京地裁、動労千葉
の請求を棄却
3月13日 動労千葉、東京高裁
に控訴
09年9月30日 東京高裁で逆転勝利
判決

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週刊『前進』(2411号3面2)(2009/10/12 )

 北島区議の報告

 山田杉並区長を答弁に引き出す

 民営化・賃金未払を追及

 世界大恐慌と「8・30」総選挙情勢は、戦争・改憲と民営化・労組破壊の最先兵となってきた山田区政にも、すさまじい衝撃を与えています。危機にかられた山田宏・杉並区長は、右翼ファシストとしての本性もあらわに、労働者人民への攻撃を激化させています。杉並で今年4回目となる田母神俊雄・前航空幕僚長との講演会を10月には2回も企画するなど、戦争をあおり立てる突撃隊となっています。
 また、区議会本会議における私の一般質問に対して、「北島議員の話を聞いていると1848年の『共産党宣言』から時間が止まっているようだ。支配する者と団結した労働者とか、そんな時代ではない。北島議員が理想とする社会は、必ず独裁と大虐殺をもたらすと確信している……」などと答弁し、共産主義とプロレタリア革命への恐怖と敵対を公言しています。
 一方で世界大恐慌は、山田区長が進めてきた「杉並丸ごと民営化」攻撃の大破綻を表面化させています。民営化の現場ではそれが衝撃的に突き出されています。
 杉並区高円寺地域区民センターの受付業務を受託していた東宝クリーンサービスが、契約期間中であるにもかかわらず事業からの撤退を区に申し入れました(他の自治体でも10カ所以上そういう事態を生じさせているようです)。
 しかも、50人の労働者には2カ月の賃金未払いが発生していました。現場で話を聞いたところ、すでに新たな事業者が業務を引き継ぐことになっており、労働者はそのままの労働条件で新しい事業者に継続して雇用され、未払い賃金は撤退する事業者から支払われる約束をとった、とのことでした。「物」のように扱われてきた委託労働者が、団結してその怒りを爆発させました。
 しかし、今回の事態についての区当局の責任は重大で「杉並丸ごと民営化」政策の矛盾・破綻が突き出されたのです。すでに今年3月から賃金の遅配が発生しており、労働者の訴えを受けて、区は業務改善命令を出していました。
 けれども、さしたる事態の改善が見られないにもかかわらず、区は事業者に委託料を支払い続けました。私たちがくり返し議会の内外で弾劾・追及してきたように、民営化にともなう民間労働者の労働条件について区は責任をもたないという問題が、ついに暴かれたのです。議会答弁で、区は「それぞれの事業者は法令を遵守してやっているので問題ない」と、何度も開き直ってきました。その結果がこれです。区はただちに民営化政策をやめよ!
 事態の発生を知りながら実効性のある措置を何もとらなかったにもかかわらず”事態収拾”に向けた区の動きはきわめてすばやいものがありました。「杉並丸ごと民営化」の破綻の始まりに追いつめられ、何がなんでも労働者の怒りを鎮め、口を閉ざさせることに意を注いだ結果です。労働者が東京西部ユニオンに加盟し、受託事業者ではなく区当局の責任を追及し始めたらどうなるか? そのことに区当局は心底から恐怖したに違いないのです。
 私たちはこの事態を民営化された事業で働くすべての労働者に伝え、正規職・非正規職の分断を超えた杉並区職労働者の団結をつくりだして、11・1労働者集会への大結集をかちとることこそ、「杉並丸ごと民営化」攻撃への最大の反撃になると確信して闘っていきます。(杉並区議会議員・北島邦彦)

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週刊『前進』(2411号6面1)(2009/10/12 )

 天野美恵さんを追悼する

 米軍演習をゲリラで実力阻止 北富士闘争に全生涯ささげる

 北富士現地闘争本部

 北富士忍草母の会事務局長の天野美恵さんが、2年余の闘病生活の末、10月4日に逝去されました。「もう一度北富士に帰って闘いたい」という美恵さんの願いはかないませんでしたが、85年の鮮烈な生涯でした。
 1923年に天野美恵さんは、忍野村忍草に生まれました。忍野村は富士山麓(さんろく)の950bの高冷地で火山灰のやせた土地の村です。ここで生きていくために忍草の農民は狭い村内の土地だけでなく、富士山麓の入会地(いりあいち)である梨ケ原から馬草や肥料として草を刈り、燃料の薪(まき)を採り、養蚕のための桑やソバを植えて、生活の8割を入会地に依存して生きてきました。
 第2次大戦後、米軍に入会地・梨ケ原を接収され、生活の道を断たれた農民は、1947年忍草入会組合を結成して故天野重知(しげのり)組合長の指導下、「村中一心梨ケ原を守る」の旗を掲げて米軍から入会地を奪い返す闘いに決起しました。若き天野美恵さんもこの闘いに参加し、1960年には忍草農民のデモ隊の一員として安保闘争に参加しました。そこで樺美智子さんの闘いと死に触れ、入会組合の婦人行動隊として忍草母の会が結成されると、渡辺喜美江会長のもと事務局長に就任しました。
 以来50年間、北富士闘争の専従の活動家として、闘いの拠点・忍草区会事務所を住居とし、北富士の先頭で闘いの生涯を貫かれました。
 米軍に奪われた入会地を奪還するために、北富士農民は「入会地無断使用の米軍演習反対」の旗を立て、演習場内に入会小屋を建てて座り込んだり、あるいは演習場内の着弾地に農民ゲリラとなって突入し、「米軍演習実力阻止」の激しい闘いを展開してきました。
 1965年、米軍が東富士から北富士に撃ち込んだ地対空ミサイル・リトルジョンを着弾地に座り込んで実力阻止した母の会は、さらにベトナム戦争の最中の1967年7月、演習場のど真ん中に入会小屋を建てて座り込みを開始し、3年3カ月にわたって北富士での米軍の実弾演習を阻止してきました。
 ベトナム侵略戦争の遂行のために、米軍と日帝国家権力は70年10月27日、機動隊1000人を動員して、母の会が立てこもる入会小屋を撤去し、この弾圧を突破口に入会組合・母の会の切り崩しと第二組合の育成、北富士闘争の圧殺に打って出ました。
 革共同は、この10・27入会小屋撤去を契機に、忍草農民の要請を受けて現地闘争本部を設置し、それ以来、忍草区会事務所で天野美恵さんと寝食をともにして闘ってきました。
 北富士闘争は、これ以降、激化する組合切り崩しに対し、母の会の団結を守り、演習のたびに着弾地に潜入し、狼煙(のろし)を上げ、座り込んで闘いぬきました。逮捕を恐れず決起する中で、演習阻止闘争は継続・強化され、発展してきたのです。これらの決死の闘いは、母の会の豪快な武勇伝に彩られています。
 同時にこの過程は、反革命カクマルとの激烈な内戦の過程でした。母の会は権力や裏切り者=第二組合との厳しい闘いを身をもって闘いぬく中で、即座にカクマルの本性を見抜き、私たちの戦いを支持し、血盟をより強固に固めて闘いぬきました。
 さらに私たちは、忍草農民が入会地奪還闘争の中で権力から奪い返した精華である「桧丸尾(ひのきまるび)入会林」の強奪に権力が出てくる中、革命軍のゲリラ戦闘の爆発と戦闘的大衆闘争の強化・拡大をもって北富士闘争を守り、ともに闘ってきたのです。
 また母の会は「北富士は権力に奪われた入会地を奪い返す闘い。三里塚は農地を権力に渡さない闘い。同じ闘いだ」と、闘いのたびに三里塚に駆けつけ、三里塚農民との連帯を固めてきました。
 忍草農民が梨ケ原に持つ権利を奪わない限り闘いは続き、演習場の安定的な使用はできないと見た国家権力は98年、最高裁判決で「桧丸尾(県有地)に忍草農民の入会地はない」「正当な入会組合は第二組合」という判決を下しました。
 しかし、それにも屈服せず、2003年に渡辺喜美江・母の会会長、天野重知入会組合長が次々と逝去された後も天野美恵さんは、その遺志を断固受け継いで国有入会地奪還の闘いを継続し、生涯をかけて絶対反対・非妥協の北富士闘争を貫いたのです。
 天野美恵さんと母の会が権力と第二組合との闘いの中で示されたことは何か。それは体制内派と激しく闘う現代の青年労働者、学生の闘いに通じるものがあります。
 今日、世界大恐慌が爆発する中、11月集会1万人結集の力でプロレタリア世界革命の突破口を切り開く決意です。そしてプロレタリア革命勝利の中で、北富士闘争の勝利も必ず実現します。
 北富士闘争が生んだ鋼のように強固で心優しい女性闘士・天野美恵事務局長。その生きざまに心から感動するとともに、限りない尊敬と感謝を込めて誓います。美恵さんがめざした北富士演習場撤去・入会地奪還の課題は、われわれ革共同と労働者階級がしっかりと受け継ぎます。
 美恵さん、長い間ありがとうございました。そしてご苦労さまでした。
(写真 85年5・17北富士桧丸尾死守戦の先頭で闘う天野美恵事務局長。左は渡辺喜美江会長、右は天野くま子さん)

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週刊『前進』(2411号6面2)(2009/10/12 )

 弔辞 農地死守の三里塚闘争と入会地奪還の北富士闘争

 三里塚芝山連合空港反対同盟事務局長 北原鉱治

 10月4日、天野美恵さんの訃報(ふほう)に接し、反対同盟は心から追悼の意を表します。
 美恵さんの生涯を振り返ってみるに、ひとしお私の心に感動を禁じえません。言葉が適切ではないかもしれませんが、もったいないことをしたという一念を感じています。春夏秋冬、北富士闘争の母の会として、事務局長就任以来49年間、生涯かけたその闘いの一念が私の心中に想起されてなりません。
 終始一貫、入会権闘争の闘いを貫き通してきた信念は、偉大な先駆者の一人として高く評価されるものと思います。忍野村に生まれ、育ち、ひとしお郷土愛の深いものがあったのだろう、ということも感じます。
 三里塚闘争との連帯、命がけで着弾地に座り込んで軍事演習をくいとめた忍草母の会の闘い、特に「富士を荒らすな!」と闘い、さらに全国の基地反対闘争に取り組んで闘った姿は、偉大な歴史の証人として社会の人びとに伝わっています。
 女性解放の闘いにおいても、一人の闘う女性の生きざまであったと理解を深めております。その闘いは三里塚の女性たちにも大きな教訓となり、現在の三里塚に引き継がれています。
 1971年三里塚闘争の第1次代執行の時、美恵さんが多くの忍野村の女性たちを引き連れ、反対同盟とともに先頭に立ち闘った姿は、今なお強烈な印象として残っていると思います。
 生前、美恵さんが語っていた簡潔な三里塚連帯の言葉を紹介したいと思います。
 「三里塚は自分の土地だよ」「自分の土地を売らない闘いだよ」「北富士は奪われた土地を取りもどす闘いです」「ただそれだけの違いっきり、権力と闘うのは同じだから一緒にがんばろう」
 三里塚全国集会には欠かさず参加され、いつも歯切れのよい声で、反対同盟を叱咤(しった)激励してきた闘争者でした。
 病(やまい)に倒れ、一人娘の国立市に居を移して、リハビリを行い、もう一度戦線復帰を念願しつつ療養に励まれましたが、人の命ははかないもので、とうとう帰らぬ人となりました。
 北富士闘争の完全勝利を思いとして残し、その心境を考えてみた時、無念という言葉を残しつつ去っていったのではないかと思われます。しかし反対同盟は、北富士闘争と三里塚闘争、すべての住民闘争の勝利を必ずや実現する決意であることをご霊前に誓います。それが故人の遺志を引き継ぐ者の使命であると深く肝に銘じるものです。
 さあ、もういいんだよ! 何もしなくてもいいんだよ!
 あなたの思いは、三里塚の大地に残されていきますよ! 安らかにお休みください。
 以上をもって追悼の言葉といたします。
 2009年10月7日

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週刊『前進』(2411号6面3)(2009/10/12 )

 “忍草の夜明け信じ”

 天野豊徳さんら3人が弔辞

 美恵さんを偲び告別式

 10月7日、10月4日に急逝された天野美恵忍草母の会事務局長の告別式が山梨県・富士吉田で、北富士闘争に生涯をささげた天野さんの闘いをたたえるにふさわしい内容で行われた。
 忍草入会組合の天野豊徳さんが弔辞を述べた。豊徳さんは故天野美恵さんを「姉」と呼んで、「事務局長として北富士梨ケ原への入会権の確立、平和利用の最終目的に向かってありとあらゆる手段をもってその目標に挑戦してきたよなあ」と故人に語りかけた。そして「北富士忍草に母の会あり」とその名をとどろかせた奮闘を語り、「波瀾万丈の姉の一代記は一言では言い表せません」とたたえ、「忍草の夜明けを信じながら活動の途中であの世へ行った数々の仲間たちに、最後までがんばり抜いた忍草の女集団・母の会の生きざま、死にざまをよーく話してくれ」とはなむけの言葉を贈った。
 次に弔辞に立った三里塚芝山連合空港反対同盟の北原鉱治事務局長は「反対同盟は、北富士闘争と三里塚闘争、すべての住民闘争の勝利を必ずや実現する決意です」と誓った。(別掲)
 続いて婦人民主クラブ全国協議会代表で相模原市議の西村綾子さんが弔辞を述べた。「美恵さんが生涯かけて貫いた戦争も差別もない社会の建設、基地を完全になくす悲願を今度こそ実現するために、私たちもがんばります」
 3人の弔辞は参列者に亡き美恵さんの姿をまざまざと想起させ、誰もが涙を抑えることができなかった。
 最後に遺族が、「皆様が語られたように強い母でしたが、私たち家族にとってはとても優しい母でした。孫もよくかわいがってくれました」と家族愛にあふれた一面を語り、お礼を述べた。
(写真 「美恵さんの思いは三里塚が引き継ぐ」と弔辞を述べる北原鉱治事務局長【10月7日 富士吉田】)

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