ZENSHIN 2010/12/06(No2467 p08)

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 日米合同演習弾劾・朝鮮侵略戦争阻止
 日米韓・日朝中労働者の団結で戦争と大失業の攻撃に総反撃を
 外注化阻止へ動労千葉ストに続こう

440人が渋谷デモに立つ 反戦共同

12月3日夕、東京渋谷の神宮通公園に440人の労働者・学生が結集し「朝鮮侵略戦争阻止!」「大失業と戦争の菅政権打倒!」を掲げ、集会と渋谷の街を席巻するデモを闘いぬいた=詳報次号)

動労千葉がストライキ 3人が新たに加入!

(写真 動労千葉がストライキ 3人が新たに加入! 動労千葉は3〜4日、検修職場を対象にストライキを貫徹した。スト拠点の幕張車両センターには3日午前、他支部の組合員と支援が多く駆けつけた【写真】。組合員は正午からストに突入、支援の仲間と合流した。幕張と京葉で3人の組合加入が報告されると、歓声がわき上がった=詳報次号)

週刊『前進』(2467号1面2)(2010/12/06 )

 北小路敏同志が逝去

 偉大な革命家の業績しのび お別れ会など1千人が送る

 革命的共産主義者同盟副議長で、一貫して先頭で革共同を指導してきた北小路敏同志が、敗血症で11月13日、逝去した。74歳だった。16日に通夜、17日に告別式がそれぞれ都内で催され、28日にはお別れの会が東京・杉並の西荻勤労福祉会館で行われた。延べ千人を超える同志、友人、知人が弔問に訪れ、偉大な革命家の業績をしのんだ。(2面に革共同の追悼文とお別れ会の報道、3面に北小路同志の略歴など)
 北小路同志は、高校生時代に共産主義運動に目覚めて以来、生涯を通じてプロレタリア革命の勝利のために闘い続けた。60年安保闘争の頂点をなした6・15国会突入闘争を全学連委員長代行として最先頭で指揮し、さらに70年安保・沖縄決戦の突破口を開いた67年10・8羽田闘争の先頭に立った(両闘争で逮捕・起訴)。
 戦後階級闘争史を画する二つの大闘争の先頭に立ったことに示されるとおり、北小路同志は誰よりも激しく帝国主義権力とその暴圧を憎み、労働者階級の怒りを体現してまっすぐに闘い抜いた。
 それだけではない。70年安保・沖縄闘争に対して革命の危機を感じた日帝権力が破壊活動防止法を発動し、本多延嘉書記長、藤原慶久東京地区反戦青年委員会世話人らを逮捕する攻撃に打って出てきた時、党の非合法・非公然体制をつくる先頭に立ち、自らは公然面で全重圧を引き受けて闘った。
 さらに、権力の手先となったファシスト・カクマルが71年12・4反革命をもって革共同壊滅の武装襲撃に出てきたのに対し、身を挺(てい)して闘い抜いた。カクマルはとりわけ北小路同志を憎み、彼に対する白色テロ襲撃を繰り返した。74年2月には重傷を負わされた。だが、北小路同志は不死鳥のごとく立ち上がり、同年8月の革共同政治集会では、火を吐くような勢いで二重対峙・対カクマル戦の総反攻突入を宣言した。
 75年3・14本多書記長暗殺の大反革命に対し、敢然と立って、70年代、80年代の闘いを勝利に導いた。三里塚闘争、動労千葉を先頭とする国鉄闘争の先頭に立った。東京、大阪などで開かれた革共同政治集会では、少なくとも70年代に30回、80年代に20回の基調報告を行っている。最も厳しい闘いの時期に文字どおり仁王立ちして、全党員、支持者、全労働者階級に向かって勝利の大道を示し、獅子吼(ししく)してやまなかった。この時期の革共同を政治的人格的に代表する存在だった。北小路同志の粉骨砕身の闘いなしに今日の革共同はなかった。
 その燃える情熱、裂帛(れっぱく)の気迫、しかも味方勢力に対する深い愛情にあふれた演説は聴衆の心をわしづかみにした。どんなに激しい闘争方針も、大衆的説得力を持って打ち出された。
 北小路同志は、91年5月テーゼ、06年「党の革命」から今日に至る闘いを断固支持し、病を抱えながら全力で応えきろうとたゆまぬ努力を重ねた。最期まで闘いの現場に戻ることを願い、その革命家としての人生を全うした。
 北小路同志の闘魂、革命精神は、今、マルクス主義青年労働者同盟の青年労働者や全学連の学生にも連綿と受け継がれ、大恐慌を革命に転化する闘いの中に生き続けている。北小路同志を指導者に持ったことは、われわれ全員の誇りである。その革命への確信を自らのものとして一層打ち固め、反帝・反スターリン主義プロレタリア世界革命の勝利まで闘い抜くことを誓う。

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週刊『前進』(2467号1面3)(2010/12/06 )

日程 国労5・27臨大闘争弾圧控訴審公判

国労5・27臨大闘争弾圧
12・21控訴審第2回公判
12月21日(火)午後1時傍聴券交付
東京高裁102号法廷

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週刊『前進』(2467号1面4)(2010/12/06 )

前進速報版から 前進速報版から

▼双龍自動車家族が駆けつけ、現代車非正規職家族対策委員会と交流▼現代車工場占拠スト11日目/「この案はゴミだ。廃棄しよう」

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週刊『前進』(2467号2面1)(2010/12/06 )

 不屈の情熱引き継ぎ革共同は世界革命勝利へ前進する

 北小路敏同志の逝去を悼む

 60年-70年安保闘争、非合法・非公然党建設と対カクマル戦争を指導した偉大な革命家

 革命的共産主義者同盟政治局

 (一)

 北小路敏同志。あなたは多くの同志を残して、眠るがごとくに、闘いの人生の舞台から逝ってしまった。われわれは、北小路同志が常に全党の先頭で獅子吼(ししく)していた、あの姿、あの声をまざまざと思い出す。北小路同志を喪(うしな)ったその事実の大きさに、しばし我を忘れている。しかし革命運動もまた、最も豊かで人間的な営為であるがゆえに、生と死の冷厳な現実から逃れることはできない。
 しかし革命運動の豊かさと根底性は、プロレタリア自己解放、人間の全人間的解放、共同性の奪還を求めて、陸続と決起する膨大な労働者階級と人民を生み出す。あなたの60年安保闘争以来の学生運動と革命運動へのひたむきな決起と情熱は、日本革命運動の躍動性と大衆性と根底性を階級闘争の歴史に刻み込んだ。これは誰もができることではない。あなたの堅忍不抜の精神が、新たな力を生みだし、革命運動を発展させた。革共同は、この素晴らしくも偉大な現実と地平を、闘いの糧としてさらに力強く前進する。
 北小路同志。あなたが求めてやまなかった世界史的な階級対階級の激突情勢、革命情勢が急速に接近している。大恐慌は、米帝基軸の帝国主義戦後体制の解体を一挙に進めている。大恐慌は全世界に大失業を生み出し、労働者階級を食べさせることができなくなった資本主義は、ついに終わりを迎えた。また大恐慌は、領土・資源・市場の分割・再分割戦、侵略戦争・世界戦争へと転化し始めている。だがそれは全世界で、労働者の「生きさせろ!」の叫びと決起を生みだしている。
 今こそ「大恐慌をプロレタリア世界革命へ」の闘いを発展させることが死活的になってきている。階級的労働運動の創造と発展は、労働組合の力、労働者階級の階級的団結をもって世界革命へと躍り出ることを可能にした。
 この世界史的現実こそ、北小路同志が何よりも希求した現実だ。階級対階級の激突に勝利し、労働者階級が社会の真の主人公となるために、あなたの労働者階級の決起への限りない確信を胸に、われわれもまた万里の波涛(はとう)をのりこえ、プロレタリア解放への道をしっかりと切り開いていく。このことこそ、あなたを尊敬し慈しむ革共同の最高の任務だと思う。

 (二)

 北小路同志は、全身全霊を傾けて革共同を守り、闘い、革共同の前進の基礎を築いた。それは何よりも現代のナチス、ファシスト・カクマル打倒に向けて最先頭で闘ったことである。
 日本階級闘争がかつて経験したことのなかったことが、現実の階級闘争の前面に登場してきた。それは階級闘争の発展に恐怖し、革命闘争を破壊するために、白色テロルをもって革共同に襲いかかってきたファシスト集団、カクマル反革命との戦争であった。
 革共同の多くの労働者・学生の同志が、武装自衛の精神で、白色テロと闘う建軍闘争に決起した。全党が一丸となって、70年安保・沖縄闘争の爆発に対する反革命として登場したカクマル白色テロ集団と闘った。北小路同志を先頭に、71年12・4反革命、75年3・14反革命と闘った。反戦派労働者は自ら決起し、70年闘争を切り開いたその力を、現代のナチス=カクマル反革命完全打倒の戦いへと注ぎ込んだ。そして革共同とカクマル反革命の、血で血を洗う20年間の激しい激突を通して、ついに階級的力関係を変えたのだ。
 われわれは、この二重対峙・対カクマル戦争とその勝利を誇りに思う。あの時、カクマル反革命との闘いにちょっとでもひるんでいたら、革共同は存在しなかった。大恐慌を世界革命の時代へと転化する情勢を迎えることができなかった。階級的労働運動に全精力を投入することもできなかった。
 このことへの心の底からの激しい喜びは、北小路同志が最も深く理解し、共有してくれていたことだと思う。

 (三)

 あなたは、革共同への国家権力の破防法(破壊活動防止法)攻撃を徹底的に粉砕するために、非合法・非公然体制建設の闘いを貫徹し、最も国家権力とファシスト・カクマルから恐れられ憎悪された、最高指導部であった。
 国家権力は、騒乱罪でデモの爆発を鎮圧し、大衆集会の演説に破防法扇動罪を適用して逮捕する。革共同の全同志を対象に不当な家宅捜索を行ったり、事務所の封鎖を画策する。許し難いデッチあげ弾圧を次々に強行する。
 これらと闘い勝利してきたのは、革共同が先制的に非合法・非公然体制確立の闘いをやってきたからだ。この闘いは、帝国主義国家権力との死闘に勝利し、労働者党を建設する闘いそのものである。それはまた国際共産主義運動の総括でもあり、戦前・戦後の日本革命運動を総括し発展させる、本質的な闘いだった。わが革共同は、階級の大地に根を張り、労働者階級と一体となって、不撓(ふとう)不屈にこの偉大な闘いをやり抜いてきた。大恐慌時代への本格的突入、戦争と大失業の時代の到来は、こうした闘いをますます求めている。
 非合法・非公然体制確立の闘いにおける北小路同志の闘いは傑出していた。このことをあなたの霊前で、ともにしっかりと確認したいと思う。

 (四)

 74〜75年世界恐慌は、戦後帝国主義の転換点であった。それは帝国主義の本質的危機、過剰資本・過剰生産力の問題を衝撃的に突き出した。帝国主義がこの危機を突破するために繰り出したもの、それが新自由主義だった。徹底的な団結破壊、闘う労働組合の解体によるむきだしの労働者支配という新自由主義攻撃を、米・英・日帝国主義が先頭となって強行してきた。
 この日帝の新自由主義攻撃の突破口が国鉄分割・民営化だった。それは「血の入れ替え」と言いなし、JR総連カクマルを先兵として、そのファシスト支配を認めないものは一切排除する攻撃としてあった。国鉄分割・民営化の攻撃は、JR資本とJR総連カクマルの結託体制のもとに展開された。
 これに対し動労千葉は、1100名組合員の団結をかけて、分割・民営化攻撃に総反撃し、85年〜86年の大ストライキを打ち抜いて闘った。しかもこの動労千葉の決起は、空港建設の攻撃と闘う三里塚芝山連合空港反対同盟との強い階級的一体感、労農同盟の絆(きずな)のもとに闘われた。
 北小路同志は、この1980年代の新自由主義攻撃と闘う国鉄・三里塚決戦に断固決起し、日本階級闘争の前進を不屈に切り開く先頭に立った。
 これはまさに、80年代の闘いで革共同が胸を張って誇れる偉大な階級決戦であった。とりわけ労働者と学生の三里塚十字路決戦と浅草橋戦闘は、動労千葉の戦闘的組合の闘い、三里塚農民の農地死守の闘いに断固として連帯し、守り抜く、革命的な決起だった。
 この80年代の勝利は、89年〜91年の東欧・ソ連スターリン主義の崩壊、89年総評解散・連合結成という情勢に対し、闘う労働者階級がスターリン主義を徹底的に断罪し、マルクス主義を復権して、革共同が91年の5月テーゼ路線をもって労働運動に戦略的に体重をかけることを可能にした。北小路同志はその先頭で革命の大旗を振った。

 (五)

 北小路同志。あなたは疾風怒涛(どとう)の革命家人生を生き、かつ闘った。その精神は、60年安保闘争を継承し、発展させ、のりこえるものとしてあった。
 安保ブンドは、反帝・反スターリン主義の影響を受けて日本共産党から決別し、反スターリン主義の運動をつくりだすべく闘った。それはプロレタリア世界革命と暴力革命を立脚点にして、60年安保闘争という巨大な大衆闘争をつくりだした。しかし、革共同はこの60年安保闘争を切り開いた安保ブンドの大半を組織できなかった。
 それは、革共同の内部にあった小ブルサークル主義と同時に、安保ブンドの思想的基盤の脆弱(ぜいじゃく)性にも根拠があった。「社・共に代わる労働者党建設」「反帝・反スターリン主義世界革命」は、少なくともブンドの一定の指導部においては共通の認識であった。
 その中で北小路同志は、これらの事がらを思想的に必死で総括しつつ愚直に実践し、ブンドから革共同に革命的に結集する闘いの先頭に立った。60年安保の精神を継承し、発展させ、のりこえる苦闘をやり抜いた。
 革共同はこの間、青年労働者が階級の指導部として労働者自己解放の闘いを開始すると同時に、学生運動の再生をかけて、強力な指導部建設の闘いを断固として前進させてきた。
 日韓米を軸に打ち固めてきた国際連帯闘争は、動労千葉労働運動が切り開いた革命的地平である。この闘いは共産主義インターナショナル建設の闘いとして不可避的に発展していく。
 革共同は『綱領草案』を、闘病中の北小路同志に送り届けることができた。このことは無上の喜びでもある。
 50年余の不屈の革命家人生は、その後に続く多くの同志を生み出した。階級的労働運動路線は、全世界のプロレタリアートの団結を基礎にして発展する。われわれは労働運動の前進で革命を主体的にたぐり寄せるのだ。
 北小路同志。われわれはあなたを失った深い悲しみの中から、しかし再び三たび不屈に立ち上がる。悲しみを階級的怒りに替えて突き進む。プロレタリア世界革命に勝利することが、あなたへの最大のはなむけだと思う。
 北小路同志。大きな風となって天空を舞いながら、ともにプロレタリア世界革命の勝利へ前進しよう!
 2010年11月28日

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週刊『前進』(2467号3面1)(2010/12/06 )

 不屈の情熱引き継ぎ革共同は世界革命勝利へ前進する

 60年-70年安保闘争の先頭に/対カクマル戦の勝利へ闘う/三里塚・国鉄決戦を指導

 北小路敏同志 闘いの軌跡

1936年8月4日 京都に生まれる
1954年 日本共産党に入党
1956年4月 京都大学入学
1959年9月 共産主義者同盟に加盟、日共京大細胞を解散
1960年 60年安保闘争で全学連委員長代行となり、国会南通用門で樺美智子さんが虐殺された6・15闘争の先頭に立つ
1961年6月 革命的共産主義者同盟全国委員会に加盟
全学連17回大会で委員長に
1962年 京都大学経済学部を卒業
革共同機関紙『前進』編集局員
1963年 黒田寛一らカクマルの分裂・逃亡と闘う。「中核派」と名乗ることを提案
1965年7月 都議会「黒い霧」解散に際し、杉並から都政刷新運動を起こし都議会議員選挙に初挑戦
1967年 革共同政治局員
4月 都議会議員補欠選挙で4万を超える票(共産党候補の倍)を得票。このとき区議に初当選した長谷川英憲氏とともに杉並革新連盟を結成し、社・共に代わる新たな政治潮流をつくりだす闘いを開始
10月 佐藤首相の南ベトナム訪問阻止の10・8羽田闘争で、機動隊の山崎博昭君虐殺を弾劾し、装甲車を乗り越えて闘う。以後、佐世保・王子・三里塚など「激動の7カ月」から68年10・21新宿闘争(騒乱罪発動)を経て、70年安保・沖縄闘争に至る闘いの先頭に立つ
1969年2月 杉並公会堂で野坂昭如氏、小田実氏とともに講演
4月 革共同に破防法発動。本多延嘉書記長、藤原慶久東京地区反戦青年委員会世話人らの逮捕に屈せず4・28沖縄闘争を爆発させる
6月 杉並公会堂で大島渚氏、荒畑寒村氏とともに講演
都議会議員選挙に三度挑戦
著書『歴史選択としての七〇年闘争』(自由国民社)を出版
1970年6月 60年安保闘争10周年集会(日比谷野外音楽堂)で記念講演
1971年11月 沖縄返還協定批准阻止の渋谷暴動闘争を、星野文昭さん(権力の報復によるデッチあげ弾圧を受け、現在獄中36年)らとともに闘う
1972年6月 5・15「返還」直後の沖縄で初めて開かれた革共同政治集会(那覇市民会館)で基調報告
1973年12月 国家権力の破防法弾圧と一体となったファシスト・カクマルの白色襲撃に対し、革共同集会で基調報告を行い断固たる戦闘宣言
1974年2月 カクマルの襲撃を受け、重傷を負う
1975年3月 カクマルによる本多延嘉書記長虐殺をのりこえ、70〜80年代を通して、権力・カクマルとの二重の内戦を革共同の前面に立って指導し抜く。革共同政治集会での基調報告は少なくとも70年代に30回、80年代に20回に及ぶ
1977年 三里塚開港阻止の決戦を反対同盟・戸村一作委員長とともに闘う。動労千葉のジェット燃料輸送阻止闘争を全力で支援し、ともに闘う
1979年 動労千葉の分離・独立に際し、動労本部カクマルの襲撃から動労千葉を防衛するために闘う
1985年 中曽根政権による三里塚二期攻撃の激化と国鉄分割・民営化攻撃に対し、全国の学生・労働者の力を結集して一大決戦を爆発させる。その後も一貫して、日帝の戦争・改憲攻撃との対決、とりわけ三里塚・沖縄闘争と国鉄闘争の前進と勝利のために心血を注ぐ
1989年 長谷川英憲氏の都議選勝利に杉並区民の先頭に立って奮闘
1997年 革共同の新指導体制(清水丈夫議長、天田三紀夫書記長)確立。副議長に就任
1999年3月 三里塚反対同盟・市東東市さんの逝去を悼み、現地集会で追悼演説を行う
2002年3月 革共同政治集会で、党を代表して長期獄中同志奪還への決意を述べる
2006年3月 階級的労働運動路線を断固支持し、革共同の変革と飛躍への新たな挑戦を開始
2007年始め 闘病生活に入る。革命家として再び最前線に立つことを願い、壮絶な闘いをやりぬく
2010年11月13日 永眠

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週刊『前進』(2467号3面5)(2010/12/06 )

 大恐慌と戦争情勢に勝つ労働者党建設へカンパを

 すべての皆さん! 本格的な大恐慌と戦争情勢に打ち勝つ強大な労働者党建設のために、皆さんからの圧倒的なカンパを呼びかけます!
 11月23日午後に朝鮮半島軍事境界線付近で起きた南北両軍による砲撃戦は、階級情勢を一変させています。大恐慌下における帝国主義の生き残りをかけた争闘戦が、ついに具体的な軍事行動として始まったのです。戦後65年にわたる帝国主義とスターリン主義による戦後支配体制とその崩壊のすべての矛盾がこうした形で爆発を開始したのです。
 その真っただ中で、全世界の労働者階級が帝国主義とスターリン主義の分断支配をうち破り一つの軍勢となって立ち上がっています。労働者の団結した闘いこそが戦争を止め、歴史を動かし、未来を切り開きます。11・7集会でつくり出した労働者の国際的団結を拡大することこそ、戦争に対する私たちの回答です。
 戦争情勢下で繰り広げられる帝国主義ブルジョアジーや右翼ファシズムによるデマ宣伝にうち勝つ宣伝戦・扇動戦を繰り広げるために、国際連帯の闘いをさらに拡大するために、戦争情勢と対決する巨大な政治闘争を準備するために、また戦時体制に対応した非合法・非公然体制の確立のために多くの資金が必要です。ぜひ圧倒的なカンパを呼びかけます!

 焦点は労働組合

 11・7をもって本格的に始まった国鉄闘争全国運動による階級的労働運動の拡大こそ、大恐慌・戦争をプロレタリア世界革命へと転化する最大の闘いです。
 重大攻防に入ったJR検修業務全面外注化との闘いに絶対に勝利しましょう。JR外注化阻止の攻防は、労働者階級の未来をかけた決戦です。動労千葉はストライキに立ち上がり、外注化阻止の総力体制に入っています。決戦過程に入った動労千葉・動労水戸とともに、外注化阻止の大闘争に打って出ましょう!
 そして全国のすべての職場・産別に動労千葉を支援する会を組織し、各地に国鉄闘争全国運動の拠点をつくり出しましょう!
 あらゆる職場や労組に分け入り、組織し、拠点をつくり出していくために、多くの資金が必要です。皆さんの圧倒的なカンパをお願いします!

 青年の未来かけ

 2010年の激しい攻防の中で、青年労働者・学生の根底的な決起が始まっています。4・9政治和解と真正面から激突する国鉄職場を先頭に「闘う労組青年部をよみがえらせよう」といううねりがついに始まりました。また法政大学での激しい死闘の中から1年生たちが続々と決起を始めています。
 今年闘い始めたばかりの青年労働者や学生の間で革共同の『綱領草案』や『最前線』復刻版が瞬く間に広まり、「自分たちの手で革命的労働者党をつくろう」という意欲がかつてなく高まっています。今年惜しくも亡くなられた中野洋同志や北小路敏同志が心血注いで育ててきた青年労働者や学生の同志たちが、いよいよ革共同の指導部となって党を牽引(けんいん)し始めています。最末期帝国主義によるすさまじい搾取と分断が襲いかかる中で、革共同の路線と闘いに獲得された青年労働者・学生が、ついに歴史を動かす力となって根底的な闘いを始めているのです。
 すべての皆さん! 青年労働者・学生の未来をかけた闘いに、ぜひとも圧倒的なカンパを寄せてください。青年労働者学生とともに戦時下にうち勝つ革命党を建設し、世界革命を切り開きましょう!

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週刊『前進』(2467号4面4)(2010/12/06 )

 日程 第7波法大包囲デモ

 倉岡処分阻止! 戦争反対!
 第7波法大包囲デモ
 12月9日(木)12時40分
 法政大学市ケ谷キャンパス正門前集合 ※12時55分にデモ出発

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週刊『前進』(2467号5面4)(2010/12/06 )

 新刊紹介 国際労働運動 1月号

 国鉄全国運動発展を

 民主党政権は、4・9政治和解で1047名闘争を解体し、動労千葉を壊滅し、階級的労働運動を一掃しようと図った。これに対して「国鉄分割・・民営化反対、1047名解雇撤回」を掲げた6・13大集会がかちとられ、動労千葉を柱に階級的労働運動をつくる国鉄闘争全国運動が始まった。
 本号の特集は、国鉄闘争全国運動を発展させるための三つの提起をしている。これまでともすれば前提化されあいまいだった事柄について、具体的な資料を使い理解の手助けとなるよう心がけた。
 第1章は、「国鉄改革25年問題」と言われる国鉄分割・民営化の大破綻の内実、特に三島(JR北海道・JR九州・JR四国)・貨物の経営破綻に焦点を当てた。資料「国鉄分割・民営化後の組織形態の変化」図や「三島・貨物の経常損益の推移」図などを通して、これらは実に鮮明だ。日帝は、「国鉄改革の完遂」を叫ぶが何の展望もないのだ。
 第2章は、2000年以後のJR東の外注化攻撃の実態を詳しく展開している。この攻撃に対して反合・運転保安闘争路線を貫き外注化を阻止してきた動労千葉の闘いの意義を明らかにした。
 第3章は、4・9反革命とは何かを明らかにしつつ、国鉄闘争全国運動の課題と勝利の展望を力強く提起している。

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週刊『前進』(2467号6面2)(2010/12/06 )

 沖縄の労働運動の再生と労働者国際連帯の発展を

 沖縄県知事選の結果と革共同の決意

 <力対力>の激突段階に突入した

 11月23日の北朝鮮軍と韓国軍による延坪島での砲撃戦は、米帝による北朝鮮への戦争挑発がついに軍事的な衝突にまで発展したことを告げ知らせた。米帝は11月28日から4日間、黄海に原子力空母ジョージ・ワシントンを送り込み、米韓合同軍事演習を強行。3日からは「尖閣奪還作戦」という日米合同軍事演習を行っている。朝鮮半島を最大の火点としたアジアの戦争情勢は抜き差しならない事態を迎えている。
 「大恐慌と世界戦争の時代」の到来を告げるこのような情勢のもとで11月28日に行われた沖縄県知事選挙は、現職の仲井真候補が新人の伊波候補に3万8626票の大差をつけて再選された。この沖縄県知事選の結果をどのようにとらえ、どのように総括するか。このことが労働者階級に問われている。
 結論的に言えば、沖縄の労働者階級の闘いが「選挙」という枠組みを超えて、力対力の激突段階に突入したということである。
 「県知事選挙では何も決まらないし、何も変わらない」。このことが完全にはっきりした以上、闘いは次の段階に発展していかざるを得ない。それは菅民主党・連合政権と沖縄の労働者階級が真正面から激突する情勢の到来である。「沖縄革新共闘」は最後的に崩壊した。そして、戦後沖縄の労働者階級の闘いの戦闘性を継承し、階級的に発展させていく闘いがついに始まったのだ。
 今回の県知事選の最大の争点とされたのは普天間基地の辺野古移設問題であった。もともと県内移設を容認していた仲井真が「県外移設」を主張し、伊波は「国外移設=グアム移設」を主張する形となった。そして伊波は、それが米軍の既定方針であるという訴えで自らの主張の「現実性」をアピールしようとした。
 しかし、96年SACO(沖縄に関する日米特別行動委)報告以来、もっと言えば戦後半世紀以上の沖縄の闘いの歴史が示していることは、両者の主張そのものがまったく現実性も説得力もなかったということである。
 実際に今日、大恐慌情勢がさらに進行し、その中で沖縄の失業率はまったく好転することもない。そして釣魚台をめぐる日中の争闘戦の激化と、なによりも南北朝鮮情勢を見たときに、再び戦争の時代が到来していることがすべての労働者階級にひしひしと迫っている。この大恐慌と大失業、そしてなによりも戦争の時代が実際に到来している情勢において、沖縄の米軍基地の「移設」など問題にもなるはずがないということ、ましてや選挙=県知事選が何かを「変革」する力になるとはもはや誰も信じていないのである。「誰に入れても変わらない」――これが今回の県知事選の核心なのだ。
 だから結局のところ、体制内の全勢力はこの選挙戦で労働者をまったく組織できなかったし、動員できないことを示した。つまり、「伊波勝利で辺野古問題に終止符を」という主張は労働者階級の心をとらえることはなかったのである。

 労働者の怒りは体制内を超える

 「それでは勝てない」という沖縄の労働者階級は、伊波と彼を担ぎあけた既成政党を最後的に見限った。伊波候補は、「革新のホープ」としていわば最後の切り札的存在として今回の県知事選に登場してきた。もともと宜野湾市職労委員長・中部地区労事務局長として、その後は県議会議員・宜野湾市長と歩んできた伊波を立てた今回の選挙戦は、体制内勢力にとって絶対に負けられない選挙戦であった。その意味で今回の県知事選は「沖縄革新共闘」の最後のあだ花となったともいえる。大恐慌情勢下で、ついに沖縄革新共闘は最後的に崩壊したのだ。
 それは、沖縄の労働者階級の闘いを常に体制内的に制動をかけてきた「重し」がついに吹っ飛んだということである。つまり沖縄の労働者階級の闘いの荒々しい時代が今次県知事選をもってついに幕を開けたということである。戦後沖縄の労働者階級の闘いの歴史は、米軍政下のまったくの無権利状態から、ただ労働者の団結(労働組合)のみに依拠して闘いを開始した歴史である。そしてその闘いが米軍基地を文字通り揺るがす闘いに発展しようとした時、これを体制内的に集約しようとしたのが、かつての総評であり同盟だった。この体制内勢力と闘い、打ち破っていくことが「復帰」以降の長きにわたる沖縄の労働者階級の課題だったのである。

 労働運動こそが沖縄の未来開く

 世界大恐慌と世界戦争の時代に、「基地の島」=革命の火薬庫・沖縄の労働者階級の闘いの抑圧物が吹っ飛び、労働者階級の団結した闘いが一切を切り開く時代が到来した。それは、労働者階級の闘いで基地を実力で撤去していくという、沖縄の階級闘争・労働運動の本来の姿を、今こそよみがえらせていくということである。
 基地労働者を先頭とした沖縄労働者階級の「解雇撤回」「基地撤去」の全島ゼネストこそ最も現実的な闘いなのだ。この力だけが普天間基地を撤去し、辺野古新基地建設を阻止するのである。
 そしてこの沖縄の労働者階級の闘いは、菅民主党政権を打倒する最先頭の闘いであり、なによりも、日朝中の労働者階級人民の国際連帯の要をなす闘いであり、米帝の朝鮮侵略戦争を直接に阻止する闘いである。基地の島の労働者階級が反戦闘争に立ち上がった時の威力は、ベトナム侵略戦争との闘いですでに実証済みだ。それは帝国主義の世界支配そのものを根底から揺るがすものである。だから、沖縄の労働者階級こそが全世界の労働者階級の先頭で、「大恐慌をプロレタリア革命へ」の闘いに立ち上がろう。辺野古新基地建設絶対阻止! 「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の闘いへ全力で決起していこう!
 〔革共同沖縄県委員会〕

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週刊『前進』(2467号7面5)(2010/12/06 )

法大裁判に集まろう!

★暴処法裁判
 第21回公判 1月14日(金)午後1時30分

★5・28暴行デッチあげ裁判(控訴審)
 第6回公判 12月22日(水)午後1時30分
 いずれも東京地裁429号法廷 12時30分に傍聴券配布所に集合

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週刊『前進』(2467号8面4)(2010/12/06 )

 日程 前進社不当捜索国賠訴訟

 第4回弁論 12月10日(金)午前10時30分
 東京地裁415号法廷

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