SANRIZUKA 日誌 HP版   2000/08/01〜31      

ホームページへ週刊『前進』月刊『コミューン』季刊『共産主義者』週刊『三里塚』出版物案内販売書店案内連絡先English

 2000年8月1日〜31日                                         

                             〔週刊『三里塚』編集委員会HP部責任編集〕

                                    週刊『三里塚』
日誌各月分のバックナンバーへ 

(8月1日) 中部国際空港着工

 2005年3月開港を目指す中部国際空港が1日、愛知県知多半島の常滑沖で着工された。総事業費は7680億円。3500メートルの滑走路一本を整備する。現在の名古屋空港はビジネス機などの小型機専用空港とし、国際、国内線を中部国際空港に一本化する計画。
 愛知県漁連との漁業振興費をめぐる協議の最終決着を先送りしての見切り着工である。着工を急ぐ理由は、愛知万博の開催直前の2005年3月19日に開港を目指していること。また、愛知、三重の両漁連との漁業補償交渉が難航したために、着工はすでに予定より半年以上も遅れていること。しかし、環境庁からの工事規制、監視が強まり、予定時期の完成は無理との見方が強い。
 それ以上に問題なのは、完成5年後で単年度黒字という計画の中身である。国際的な空港間の競争があり国内的にも成田、関空との競争で黒字化など不可能との見方が有力だ。

【本紙の解説】
 工期内の完成は無理である。埋め立て方式のため環境破壊対策もあり、予算内での完成も不可能だ。さらに、完成しても関空と同じように営業的に永久に赤字の空港である。運輸省は赤字を承知で国際空港や地方空港整備を再び大々的に認可している。神戸空港、静岡空港、能登空港などである。これは朝鮮・中国―アジア侵略のための軍事空港としての整備である。現代戦争は航空戦力の規模が決定的な位置を占める。米軍の場合、軍用機の展開は1空港50機以内と決められている。滑走路を破壊された場合、そこに駐機している軍用機は滑走路が修復されるまで使用できないからである。米韓連合軍の対北朝鮮侵略戦争計画「5027作戦」では、作戦機1600機とされている。日本がその軍事空港の中心である。そのために日本全土に30以上の軍用飛行場が必要となる。その点ではまだ飛行場が少ないのである。そのために、運輸省は、赤字必至の「民間空港」を採算度外視で認可しているのである。

(8月2日) 成田空港の今年前半期貿易額 輸出入とも好調

 東京税関によると、今年前半期の成田空港貿易概況は輸出が4兆5820億円で前年同期比23・2パーセント増、輸入が4兆3114億円で同14・9パーセント増で、いずれも半期ベースで過去最高となった。主な増加品目は、輸出では集積回路(IC)、カメラやコピー機などの光学機器、通信機など。輸入はIC、コンピューター、通信機など。地域別には、輸出はアジア向けが32・5パーセント増の2兆574億円。輸入もアジアからが31・8パーセント増の1兆5384億円。アジア経済の活況が成田の貿易額を押し上げている。
 全国空港別のシェア(占有率)は、成田が輸出で66・6パーセント、輸入で76・4パーセントで大半を占め、他を大きく引き離している。

(8月3日) 全日空、アシアナと共同運航 羽田―関空―ソウルが有力

 全日空は韓国第2位の航空会社のアシアナ航空と共同運航を開始することで基本合意し、具体的な交渉を開始した。対象路線は羽田―関空―ソウル線が有力で、年内にも開始する見通し。両社は2002年のW杯をにらみ、共同運航による輸送力を強化する狙いだ。アシアナの乗り入れが実現すれば、国内専用と位置付けられている羽田の国際化に弾みがつきそうだ。
 今年の6月の政府間交渉で、共同運航(コードシェア)が新たに羽田発着の国内線について認められた。全日空とアシアナはこうした環境整備を受け、共同運航の実現に向け協議を開始した。
 これまでに、全日空がユナイテッド航空、日本航空とアメリカン航空が関西空港で共同運航を手掛けている。しかし、国内線は共同運航を認められていなかったため、関空―羽田は、全日空、日航の飛行機が運航していた。国際線が外国航空の時は、関空で飛行機を乗り換える必要があった。しかし、今回の全日空とアシアナは国内線も共同運航になるために、入管手続きだけで、飛行機の乗り換えは必要なくなる。

【本紙の解説】
 千葉県の羽田国際化「絶対反対」の声に対して、運輸省は共同運航(コードシェア)で実質的に羽田国際化の定期便を運航させようとしている。今年の春に国際線の共同運航を認可し、羽田発―関空経由―アメリカ線がつくられた。しかし羽田―関空は日航機、全日空機が飛び、国内線の料金分が割安になる国際線であった。また、飛行機の乗り換えが必要であった。国内線も含む共同運航だと飛行機の乗り換えはなくなる。そのうち、入管手続きも羽田でやるようになるのではないか。

(8月4日) 航空3社 羽田再拡張を提案へ

 日本航空、全日空、日本エアシステムの3社などでつくる定期航空協会(会長・兼子勲日航社長)は、羽田、成田に次ぐ首都圏第3空港問題について実務者によるプロジェクトチームをつくり、新空港建設よりも羽田を再拡張するよう提案する方向で調整に入った。建設費がかさんで高い着陸料や施設使用料を払わされている関西空港などの二の舞いにならないよう、金のかからない手法を求めるものだ。航空会社が空港計画に注文をつけるのは異例で、規制緩和にともなう競争激化によりコスト削減を迫られるなか、静観できないと判断したということである。
 首都圏第3空港は、第7次空港整備計画で「調査検討を進める」とされたが、候補地選定は遅れていた。新空港の候補地としては、東京湾の湾奥、本牧沖、観音崎沖、富津沖、九十九里沖などが上がっていた。浮体工法で木更津沖に設置し東京湾岸道路につなぐ案も出ていた。
 定期協議会がチームを設けたのは、新空港建設だと何兆円もの建設費がかかり、着陸料などに跳ね返ると懸念したためだ。これまでの検討では、いまある滑走路の有効利用と再拡張の二段構えにより、年間27・5万回(2002年段階)の発着回数を40万回まで引き上げられると推定。新滑走路の位置は、新A、新C滑走路と平行に設置するA案と、新B滑走路と平行に設置するB案がある。
 運輸省はこれまで、(1)船舶の航路の障害になる、(2)東京上空を通過する飛行経路が認められない限り発着回数はあまり増えない、として再拡張には慎重姿勢だった。しかし、4日の衆院運輸委員会では、泉信也運輸総括政務次官が「ひとつの重要な候補地として検討したい」と述べ、有力候補地として扱う考えを示した。

【本紙の解説】
 首都圏第3空港問題に関しては、羽田の再拡張がもっとも経済的リアリズムがある。日帝の空港整備計画が全面的に破産しているなかで、周辺のアジアの空港整備が日本の数倍の規模とレベルで進展している。2002年に日本の国際航空路線の規制緩和が始まる。それまでに首都圏の離発着枠(スロット)を整備することが日帝の国際公約になっている。この国際公約は、「2000年平行滑走路完成」計画を国際公約としたことにつづく二度目の公約。2002年に間にあわなければ2度目の公約不履行になる。これは日米航空交渉において非常に不利な立場におかれる問題だ。
  また、アメリカ東海岸から、ハワイ、成田での途中給油がなくても、ダイレクトにソウル空港、新香港空港にいける機種も増え出している。その結果として、アジアの拠点(ハブ)空港はソウル(新ソウル=仁川)や、新香港に奪われ、成田はローカル空港化しかねないのである。そのことに恐怖した日本の航空大手3社は、離発着料の安い、そして完成時期の早い方法を提案せざるを得なかった。成田の平行滑走路が暫定計画で終わる危険が高く、羽田国際化も進まなければ、首都圏第3空港が十数年後に完成しても日米競争で完敗し、航空会社は消滅しかねないほどの危機に陥ることが避けられない。
 今回の計画では、滑走路を1本増やし、運用の効率化で年間40万回の発着と計算している。これは東京上空を飛ばさない条件での試算である。東京上空を飛ばし、オープンパラレル方式管制(新Aと新Cの同時離発着の方式)でかつ24時間空港として使用すれば、滑走路を増やさなくても40万回は可能である。
 運輸省は成田平行滑走路の破産のために、東京上空に騒音を撒き散らしても羽田国際化に踏み切ることが基本方針である。航空3社も第3空港問題の提言とともに、この羽田国際化を強く要求しているのである。

(8月5日) ベトナム航空が成田に 日航との共同運航(8/6毎日)

 ベトナム航空が海外航空会社として11年ぶりに成田空港へ新規乗り入れすることが5日明らかになった。運輸省とベトナム航空当局は7月、成田暫定滑走路が使用できる2002年5月以降の乗り入れに合意していたが、日本航空との共同運航の形で、今秋にも前倒しで実現したい考えで、両社で協議していた。両社はホーチミン―関空で共同運航をしているが、日航はこのうち週2便を成田発着に変更し成田―ホーチミン便とする。機体は日航機だがベトナム航空は自社便としてチケットを販売する。
 成田空港は発着枠に余裕がないため、1989年のトルコ航空以後、新規の乗り入れは認められておらず、91年以降は発着枠も凍結され、既存の乗り入れ会社に対する拡大も認めていなかった。

【本紙の解説】
 日航が就航を取りやめた中国便の空きスロットをベトナム便として、ベトナム航空と共同運航で開始したもの。日航の赤字路線撤収にともなう経営リスクを、新規路線での共同運航によって回避するねらい。
 ベトナム航空が新規スロットを確保したわけではない。ベトナム航空は2002年5月供用開始予定の暫定滑走路への乗り入れを合意した唯一の航空会社である。実際の運航では、暫定滑走路の短さゆえにベトナムまでのジェット燃料を満載することはできない。2180メートルの暫定滑走路では直行便は不可能で、途中給油(関空か香港など)が必要である。その点を考慮し、空港公団と日航が共同運航という形で成田乗り入れを決めたのではないか。

(8月8日) 邦人救出に自衛隊輸送機(8/9東京)

 海外の邦人救出に関する政府の危機管理マニュアルの全容が8日、明らかになった。政府は既に極東有事に伴う大量難民の受け入れ方策をまとめており、これにより海外の非常事態に関連した政府の緊急対応に関する施策が整った。
 救出には、まず民間チャーター機や臨時便を検討している。現地情勢でそれが困難になった場合は、閣議決定を経て政府専用機や自衛隊の輸送機(C130)や船舶、ヘリコプター、海上保安庁巡視船などを利用する。

【本紙の解説】
 自衛隊の海外派兵にともなう民間航空の動員問題である。武器の携帯・使用が政治問題となっているが、在外日本人救出の場合、基本は民間機や定期便、臨時便であり、その起点は成田空港になる。成田空港が軍事的に機能する画期をなす。

(8月9日) 羽田沖合展開の跡地 3分の1に縮小(8/10日経)

 羽田空港の沖合展開にともなう跡地利用について、運輸省は9日、東京都と大田、品川区に対して、これまで約200ヘクタールとされていた計画を約70ヘクタールに縮小したいと提案した。
 9日に開いた「羽田空港移転問題協議会」で運輸省が正式に提案した。駐機場を137機から165機に増やし、小型機用施設も増設する。跡地を産業振興拠点などに活用する計画を練っていた大田区は強く反発している。

【本紙の解説】
 羽田空港は、国際化に伴うオープンパラレル方式の離着陸導入で便数も激増するので、国際化問題が浮上した時から跡地利用は縮小する計画だった。これを運輸省が正式に提案してきた。これは、運輸省が羽田国際化に本格的に着手する証しである。また、小型機の駐機場も増設するということは、離島などローカル線の増便はないので、ビジネス機の受け入れ体制の整備である。

(8月9日) 郡司とめさん死去

 反対同盟婦人行動隊長・郡司とめさんが9日午後3時59分、脳血栓のため逝去された。亨年80歳。
 10日午後7時通夜法要、11日午後1時葬儀・告別式、光町の光セレモニーホールにて。(詳しくは本紙参照)

(8月10日) 成田空港でジャンボ機のワイヤが切られる/システム精通者関与か(8/11千葉日報)

 成田空港で日本航空の国際線就航のボーイング747−400型機が、故意とみられるワイヤ切断に見舞われていたことが10日に発見された。日航では7月にも羽田空港で同様の電線切断が発見されている。飛行には支障がないといわれている。システム精通者が関与していると見られ、事実調査を行うほか、羽田、成田の両空港に夜間駐機する航空機への警備・監視を強化する。

(8月10日) 天神峰団結街道の付け替え道工事始める
 暫定滑走路の地下を横断する小見川県道トンネル化工事にともない、天神峰団結街道を破壊する付け替え道路の工事を開始した。

(8月11日) 婦人行動隊長・郡司とめさんの葬儀・告別式

 250人が参列し最後の別れを惜しんだ。(本紙参照)

(8月11日) 天神峰団結街道の付け替え道路が完成

【本紙の解説】
 運輸省・公団・警察権力は8月10〜11日、郡司とめさんの通夜と葬儀の日に天神峰の団結街道のう回道路工事を2日間で行った。郡司さんの通夜と葬儀のために、同盟も支援もいない時を選んで、こそ泥的に工事をやったのである。また、通行地役権者の市東孝雄さんに一言の通告もなく工事を行った。卑劣なやり方である。
 成田空港建設をめぐる過去の攻撃の多くは、このような形で行われてきた。70年8月の天神峰の強制測量も天神峰住民の葬式当日に行った。71年9月の大木よねさんの自宅の強制代執行は、公団は記者会見までやって「今日は代執行はやらない」と宣言、同盟・支援がいなくなるのを見計らって強行した。また、岩山大鉄塔の撤去(77年5月)、天神峰現闘本部の強制封鎖処分(90年1月)も、捜索令状で同盟・支援を排除したうえで、途中で強制執行に切り替えるやり方で行った。
 公団は、空港建設の反人民性ゆえ、闘争に火が付くことを恐れている。そのために、攻撃はこそ泥的・奇襲的に行うことを常としている。今回の天神峰の団結街道付け替え道路も同じである。この工事の後に、市東さんの自宅裏をトンネル化する工事が始まる。本格的な軒先工事を始めるにあたって、その切り口をつくるために今回の卑劣な手法を採用したのである。
 しかし、反対同盟が「団結街道破壊・封鎖策動を許さない」という闘いを展開してきた結果、団結街道そのものの存続は認めざるをえなくなった。これは反対同盟と三里塚闘争の勝利である。
 そもそも公団は、小見川県道トンネル化のために天神峰の団結街道を封鎖する計画だった。その場合、市東さんが畑(現闘本部の裏にある)に行く時には家の前からいったん取香方面へ(西側)に出て、大きく遠回りすることになる。公団には、敷地内は「買収予定地」であるがゆえに、敷地内農民の生活や営農を尊重する考えはない。
 反対同盟はこの間、天神峰の生活防衛闘争として、「団結街道の破壊阻止」「誘導路を自走するジェット騒音攻撃を許すな」「警察機動隊の検問、尾行、監視行動を許すな」の3点を中心に闘ってきた。
 その結果、公団はいったんう回路をつくり、その後団結街道を存続せざるをえなくなった。それは当然である。そもそも団結街道は天神峰部落所有の「私道」であった。それを成田市に提供して「市道」になった経緯がある。天神峰部落の許可なく空港公団に売却した成田市の姿勢は問題である。現在の団結街道の所有者は公団であるが、民法280条以下に規定された地役権(ちえきけん)がある。天神峰部落の住人はかなり強固な通行地役権をもっている。
 地役権とは、ある土地の利用のために他の土地を一定の方法で支配する用益物権である。たとえば、甲地(要役地)を利用するために、乙地(承役地)を通行したり、乙地から水を引いたり、あるいは乙地に高い建築物を建てさせなかったりする権利である。
 公団はこの権利を侵害し、団結街道が「公団所有」であることを口実に破壊しようという計画だった。反対同盟はこの悪らつな攻撃を粉砕しつつある。
 反対同盟は、市東さんへの空港警察・機動隊の検問、尾行、監視の実態を全人民に明らかにし、それへの反撃を大衆闘争としてたたきつけ、法的措置を含め遂行する決意を明らかにしている。

(8月12日) 東峰神社の掃除に東峰住民全員が参加

 東峰神社恒例の行事である盆(一月遅れ盆)前の草刈りと掃除に、東峰地区の15人が参加、親睦をかねた食事会も行われた。掃除の方は、例年は各戸の婦人だけで行われていたが、今年は夫婦総出で行われた。
 昨年12月に着工された暫定滑走路が、東峰神社の立木の影響で実質440メートルもの短縮を余儀なくされる事態が生まれたことがきっかけ。
 2180メートルの暫定滑走路は、滑走路南端に隣接する神社の立木の影響で、なんと1740メートルに短縮されてしまう(国際空港としての機能を完全に失う)。公団はこの事態に驚がくし、神社が部落の「総有」(部落所有)であることを知りながらそれを隠し、立ち木伐採は可能だと強弁し始めた。法を無視した強権発動を早くも公言しているのだ。「一切の強権手段は放棄する」という、あのシンポ・円卓会議の確約(大ウソ)も公然と反故にする方針である。農民殺しのためなら何でもありの例のパターンである。
 この公団の暴挙を許さないために、東峰地区では神社が部落の産土神(=総有関係)であることを改めて示そうと、全戸夫婦総出での掃除作業となった。

(8月15日) 羽田空港、地方便の着陸料3分の2に /路線維持へ運輸省方針(8/15朝日)

 運輸省は、羽田空港の着陸料のうち、札幌、大阪、関空、福岡、沖縄と結ぶ幹線以外の地方路線について、来年春から現行の3分の2に引き下げる方針を固めた。運輸省は規制緩和で路線の決定に口をはさめなくなったため、利益の出にくいローカル路線網を維持するには、新たな誘導策が必要と判断した。
 規制緩和以降、羽田空港の地方路線は、全日空が山形路線で99年6月から1日2便を1便に減らしたり、岡山路線でも99年夏に一時的に減便したりする動きがでている。また、日本エアシステムが今年の7月から羽田の増便にともない、関空―旭川、関空―新潟を運休にするなど、全体に採算性の低い路線から高い路線へ移行する傾向が強まりつつある。
 このほか、運輸省は不人気の関空についても、韓国などのアジア各地の大規模空港に便が逃げないよう、航空会社に課している地代などを軽減する方向で検討している。

【本紙の解説】
 航空規制緩和の弊害がすでにでている。営業利益の高い幹線に便が集中し、不採算の地方路線からの航空会社が総撤退するという動向である。経済を市場原理に委ねて自由競争にまかせた方が経済は活性化するという考えで、規制緩和を進めてきた。しかし航空路線は、採算とは別に公共交通としての側面がある。代替交通機関がある地方路線はまだいい。問題は、離島その他の路線からの撤退である。規制緩和の「先進国」であるアメリカではこれが徹底的に進行し、公共的交通手段がなくなった地域や、競争の末にひとつの航空会社の独占路線になり法外な運賃に跳ね上がった路線などの例は多い。さらに、規制緩和の最大の弊害は、航空機事故の多発である。採算重視で整備不良や人件費削減のために、クルーの労働条件が悪化しているからである。運輸省がその弥縫策として羽田の着陸料を引き下げても、採算を競い合っている航空会社にとっては焼け石に水でしかない。

(8月18日) 自衛隊機、羽田を利用 /都の防災訓練に自衛隊員7100人(8/19各紙)

 東京都は18日、9月3日に陸海空の3自衛隊と合同で実施する総合防災訓練「ビッグレスキュー東京2000」の訓練内容を発表した。
 防災訓練では初めて羽田空港に自衛隊の輸送機が着陸し、銀座で自衛隊ヘリコプターが「人員救助」(石原は「市街戦」と公言。治安出動演習である)の模擬訓練を行う。森喜朗首相が国の緊急災害対策本部長、石原慎太郎都知事が都災害対策本部長で指揮する。自衛隊から7100人、警視庁、東京消防庁など約100機関の1万8000人と一般都民7000人が参加する過去最大規模の訓練となる。
 羽田空港には午前7時台に、自衛隊の輸送機C130が3機着陸する。陸路が遮断されたとして、福岡県の芦屋基地から1機、愛知県の小牧基地から2機が、自衛隊員や警察の広域救急援助隊ら160人を輸送する。埼玉県の入間基地にも地方からの輸送機2機が着陸するが、都心に遠いとして羽田空港を利用することにした。

【本紙の解説】
 現代の戦争の輸送手段は人員の9割が空輸であり、物資も燃料・弾薬以外はほとんど空輸である。航空運輸が戦争の準備とその継続の生命線になっている。攻撃手段も航空戦が中心をなす。さらに、現代の戦争は総力戦であり、人員や物資の輸送は民間機が利用される。アメリカの航空会社はその契約を軍と結んでいる。開戦となると同時に、民間空港が最大の軍事空港となる。9月3日の「ビッグレスキュー東京2000」では、国内の自衛隊輸送のために羽田空港を利用するが、朝鮮有事(侵略戦争)の際は、成田空港が最大の米軍受け入れ空港になる。羽田も成田も民間専用空港とされるが、戦時には一夜にして軍事空港になる。今回の9・3の防災訓練はこのことを証明するものだ。

(8月22日) 第7回成田市円卓会議、騒音対策で厳しい意見(8/24千葉日報)

 成田市が成田空港問題の解決、空港と地域の共生を目指して設立された「成田市円卓会議」(座長・小川国彦市長)が22日、久住公民館で開かれた。久住地区の住民から、騒音対策などで厳しい意見が相次いだ。
 久住地区は、4000メートル滑走路の運用の騒防法第一種地区(防音家屋の補償がある地域)があり、さらに平行滑走路の運用で小泉、成毛、土室、大室などの地域が騒特法の防止地区、防止特別地区として線引きされている。成田空港北側における最大の騒音地区のひとつである。
 今月8日の雷雲発生で7便が通常コースを外れて、久住地区の上空を飛行した。このことに触れ、「人命尊重のために、着陸はしかたないが、なぜ離陸させたのか。経済優先ではないか」と指摘。コンコルドの墜落事故も引き合いに出して、騒音地区に住み続ける住民不安も強調された。「騒特法の防止特別地区として都市計画決定がされると、土地用途が制限され資産価値がゼロにひとしくなる」として、土地の買い上げなどを要求した。「大気汚染や環境汚染の問題がある」「土地改良事業の負担金を成田空港からの税収で予算措置してほしい」「公団所有地に緊急時に対応できる病院などの施設をつくってほしい」などの意見がでた。

【本紙の解説】
 成田市円卓会議は、成田空港の平行滑走路完成の推進を目的につくられた。また、飛行機騒音と空港への不満を吸い上げ、成田市が見返り事業や予算要求のテコにしていく目的でつくられた会議である。にもかかわらず、騒音と飛行機事故の不安、環境汚染を激しく訴える意見がでる。このことは、空港の存在が周辺住民の生活と相いれない存在であることを示している。

(8月23日) 関空「二期」抜本見直し/工事の凍結・縮小含め(8/23読売)

 公共事業の見直しを進めている自民党は23日、関西空港二期工事について、凍結、縮小を含めて抜本的に見直す方向で検討に入った。航空事業の落ち込みが続き、新たな投資をしても採算の見通しが立たない上、現在の滑走路の地盤沈下対策を優先すべきだとの判断を強めているためだ。自民党は今後、大蔵、運輸両省などと調整した上で、28日にも発表する公共事業の見直しリストに盛り込みたい考えだ。
 二期工事は2007年に4000メートル滑走路を完成させる計画。総事業費1兆5600億円を見込んでおり、昨年7月に着工された。

【本紙の解説】
 日帝が空港整備計画の失敗を認めた。成田空港の破綻、また羽田国際化の見通しの不透明さ、中部国際空港も完成しても完全に赤字。さらに、成田、関空、羽田も離着陸料が国際的レベルの3倍であり、アジアの周辺諸国の空港整備で、日本の空港はアジアの乗り継ぎ便から取り残されつつある。
 関空は、ハブ・アンド・スポークのハブ空港として、国内線と国際線が乗り継げる空港として鳴り物入りで開港したが、数年で破綻した。地盤沈下もその大きな理由のひとつだが、根本的にはハブ空港としての位置をソウル、新香港、台北に奪われ競争に負けたことが問題。関空のスロット枠(離発着枠)が満杯であれば、地盤沈下の補修費用その他もでる。しかし、今や国際線は関空から撤退し、減便につぐ減便である。さらに、韓国の仁川、タイのバンコク、シンガポールのチャンギなどで巨大なハブ空港の整備が進んでいる。この現実に関空の二期工事は競争力を失い、撤退の道を進んでいる。
 中部国際空港も関空と同じ運命をたどりつつある。

(8月24日) 「東峰神社の立ち木伐採強行」を公団が決定

 運輸省と公団は、東峰神社の立ち木伐採を強制手段に訴えて強行することを決定した。今年の秋から東峰地区の各戸に立ち木伐採の同意書を取りに入る予定である。同意書が拒否された場合は、来年の夏頃に航空法49条で裁判=仮処分による強制除去を行うことを策動している。
 東峰神社の立ち木に関しては、すでに本紙562号、564号、HP版三里塚日誌「6月17日 新滑走路を通せんぼ 鎮守の杜」で詳しく紹介し解説もしているが、三里塚闘争の最重要課題として焦点化してきたので、もう一度簡単に解説しておく。
 東峰神社の立ち木の高さは約10メートル。その影響で2180メートルの暫定滑走路は、完成しても南側からの離発着について約1740メートル分しか使用できない。東峰神社と着陸帯末端の間の距離は60メートルで、滑走路の進入表面は着陸帯末端から50分の1の勾配。つまり立ち木が10メートルの高さなので、着陸帯末端は立ち木から500メートル以上離れた地点でなければならない。立ち木を切らない場合、着陸帯の末端は、いまより500−60=440メートル北側にずれることになる。したがって、実質的な滑走路は2180−440=1740メートルとなる。滑走路北側も進入灯用地が確保できず、北側から着陸する時には1790メートルしか使えない。
 結論として、北側の着陸も南側からの着陸も、1800メートル以下しか使えないのである。この滑走路長は第三種空港のレベル。使用できる飛行機は国内線の小型機とビジネス機ぐらいしかない。
 なぜこういうことになったのか。なぜこのような杜撰な計画で暫定滑走路は着工を強行したのか。そのひとつは、公団は暫定滑走路計画を提示し工事を開始すれば、敷地内農民、天神峰・東峰の農民は崩れると考えていた。いわゆる軒先工事の考え方である。「軒先まで工事を進め、お見せして、空港の必要性を理解してもらい用地を譲ってもらう」(公団総裁・松井一治、1988年)という考え方である。地元農民を無視して工事を推し進め、工事の既成事実と圧力で切り崩しをねらうという卑劣なやり方である。
 もうひとつは、成田市長の小川国彦が、運輸省と公団に対して「東峰は堀越昭平切り崩しをテコにすれば全体が崩せる」とデタラメな情報を流したことにある。しかし、この過程で脱落したのは堀越ただ1人であった。
 着工しても三里塚闘争は一歩も引かないことが明白になった。それで今回、東峰神社の立ち木伐採に躍起になりはじめたのである。
 しかし、暫定滑走路南側の用地確保は絶対に不可能である。神社も墓地も開拓組合道路も、東峰地区全員が空港推進に回らなくては公団は用地を確保できない。暫定滑走路は暫定に止まり、その暫定滑走路も1800メートルクラスのローカル空港並の滑走路になってしまう。そのために公団は暫定滑走路の2180メートルを手段を選ばず確保し、近距離の中型機の離着陸を何としても確保する攻撃にでてきたのである。
 運輸省と公団は、91〜94年のシンポ・円卓会議での確約として、「空港建設にかかわる一切の強制手段を放棄し、住民の納得の上で進める」とみずからを縛っている。今回の立ち木強制伐採という事態は、この運輸省と公団の「誓約」を踏みにじるものであり、さらにシンポジウム・円卓会議があくまで空港建設のための方便であること、「空港と住民の共生」なるものは絶対的に成立しない戯言であることが明白になった。
 東峰神社の立ち木について、公団は航空法49条第3項で除去できるといっているが、法的に無理がある論理である。航空法49条第3項では、飛行場の告示以前から進入表面などの上にでているもの対して「通常生ずべき損失を補償して、当該物件の進入表面、転移表面又は水平表面の上にでる部分をを除去すべきことを求めることができる」としている。しかし、所有者が拒否した場合は、除去による損害分を供託し、裁判に訴えることになる。これ自体は長期裁判になる。
 また日本において、墓地や神社などの信仰にかかわる物件の強制収用は稀な事態であり、極力避けることになっており、裁判でも「和解」で解決してきた。そのために、運輸省・公団は、滑走路が完成直前になる2001年夏以降に緊急事態による「仮処分」としてやるつもりである。このような卑劣な攻撃に対しては、法的手段は当然のこと、いかなる手段、実力闘争をもって粉砕しても許されるということである。
 公団は「東峰神社の土地は元の所有者から買収しており、伐採可能である」との言辞を弄していたこともあった。この点は、われわれが「東峰神社は、東峰地区の産土(うぶすな)神であり、その土地所有は部落の『総有(そうゆう)』であり、一切の契約事項を無効にする所有形態である」と暴露してきた。公団もこの点は認めざるをえなくなり、「同意書を取り付ける」といっている。
 暫定滑走路をめぐる最大の決戦がこの東峰神社の立ち木をめぐって到来している。反対同盟はすでに、立ち木に身体を鎖で縛り付けても、強制伐採を阻止する実力闘争に決起する決意を打ち固めている。また法的手段をも行使して伐採を粉砕する準備も始めた。

☆☆ 週刊『三里塚』のある編集委員の薀蓄(うんちく)講座 ☆☆

 以下の文章は、暫定滑走路建設決戦の最大の戦場である東峰神社のいわれを理解してもらうためにまとめた。

 東峰神社の祭神について
 東峰は戦後開拓であり、オガミという掘っ建て小屋での生活から始まった。旧来の村落共同体的な性格は部落にはなかった。その東峰部落に神社を建立しようとなったのは、1953年頃である。開拓が一段落し農村集落として成り立ち始めた頃である。
 恵美、駒頭、松翁の三つの開拓組合が入植していた。そのうちの恵美開拓組合は、伊藤音次郎が率いる株式会社・伊藤飛行機の従業員で構成されていた。
 日本の航空産業は敗戦で壊滅し、他の産業に転換した。精密機械や自動車産業など、航空機産業に参入する前の事業に戻ったものもいる。しかし、それは戦後不況のなかで資金力に余裕のある資本に限られていた。資金力のない個人の企業はほとんどが解散した。
 伊藤飛行機は例外的であった。民間航空小資本の独力で「恵美号」を設計・製作し、社長の伊藤音次郎がその飛行機の操縦までやっている。従業員全員が飛行機づくりが好きだったのだろう。戦後もしばらくすれば、飛行機づくりは始まるだろう、それまで従業員は一緒に農業開拓をやり、食いつないでいこうというつもりだったのか。
 東峰部落で神社を建設したいという話になり、伊藤音次郎は、津田沼にあった伊藤飛行機の工場においてきた「航空神社」を部落に寄贈した。航空神社は、会社の景気がよかった1940年の「皇紀2600年(昭和15年)」に建立したものであった。

 東峰神社が「航空の神」といういわれについて
 飛行機会社であったので、神社の祭神は天鳥船神(あまのとりふねのかみ)である。以下は神話の世界だが、しばらくつきあっていただきたい。
 天鳥船神とは「出雲国譲りの神話」――国津神(くにつかみ)の天津神(あまつかみ)への随順を語った神話にでてくる神である。天孫降臨の前に、高天原(たかまがはら)から出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)に国土の支配権委譲を求める使者が派遣された。その3番目の使者が建御雷神(たけみかづちのかみ)である。建御雷神は経津主神(ふつぬしのかみ)と天鳥船神らを率いて、出雲の大国主命に降伏と服従を迫ったのである。
 大国主命の子、事代主神(ことしろぬしのかみ)は委譲すべきと答え、建御名方神(たけみなかたのかみ)は力くらべを挑んだが敗れて諏訪湖に逃げ降伏し、かくして国譲りが決定する。
 なお、事代主神は出雲の言代(ことしろ=託宣)の神であり、大和(やまと)の葛城(かつらぎ)の神でもある。建御名方神は諏訪湖の新しい神である。建御雷神は、鹿島神宮(茨城県鹿島市)の祭神である。経津主大神は、香取神社(千葉県佐原市)に鎮座する祭神である。天鳥船神は神崎神社(千葉県神崎町)の祭神であり、天を翔け海を走る様が疾く鳥のような神であったという。香取神宮と鹿島神宮という二大武将の神のもとで、「航空、海運」をつかさどった神である。そのために航空の神、空軍の神になった。

 東峰神社の設立
 この天鳥船神を祭神とする航空神社を、67戸の東峰部落で合議して1953年11月23日に、部落の人たちが津田沼まで迎えにいき、東峰に移したのである。その際に部落の鎮守の神にするので、祭神は勤労の神である二宮尊徳にして、部落の産土(うぶすな)神社にした。名前も東峰神社に変えたのである。東峰神社は、こうした経緯で二宮尊徳と天鳥船神の2神を合祀していた。また、場所は、当時の部落の中心に位置していた寺田増之助の土地に建立した。寺田増之助は、その土地を部落に寄贈したのである。
 二宮尊徳の思想は戦前、静岡と神奈川を中心に広まり、「勤労、分度、推譲を徳行の原則とし、個人や社会の衰貧復興計画など」を行うというもの。そのために報徳社が組織された。その報徳社が「報徳二宮神社(ほうとくにのみやじんじゃ)」を神奈川県小田原に建立している。また栃木県今市にも報徳二宮神宮があり、二宮尊徳が神として祀られている。このいずれかの神社、神宮から神を東峰にもって来たのであろう。戦後開拓として苦労してきた農家として、二宮尊徳を祀るのは自然のことであった。
 伊藤音次郎は移転の時に、航空神である天鳥船神は、移転先の三里塚に移している。現在の三里塚十字路の西にあるエミ写真館である。現在では、伊藤家の氏神になっている。したがって、現在の東峰神社は二宮尊徳の一神を祀っているだけである。あらゆる意味で、東峰神社は部落の産土神社なのである。

 産土神社について
 産まれた土地の守り神を「うぶすな」神という。「うじがみ」は氏の守り神である。双方とも守護を受ける側の人を氏子とよんでいるので、混同していることも多い。子どもの誕生後32〜33日目に行われる宮参りには、産土神に詣でるという風習がある。この場合は、土地の守護神に参詣する。その神様を産土様と呼ぶのが普通である。
 「うぶすな」は鎮守という別称もある。土地とか村とかいう地域的な守護神である。氏神のように個々の家庭や家族にまで深くかかわってくるような神ではない。
 東峰神社は、移設して産土神社として「村」として祀っている。東峰で生まれた子どもは皆、お宮参りを東峰神社でやっている。三里塚周辺では部落で産土神社を持つ例が多い。
 以上から、東峰神社は、部落全体の所有、総有関係にあったことは明確である。

 総有について
 総有とは、多数の者が同一の物を共同で所有する場合のひとつの形態である。総有では、その物の管理・処分などの権限は、多数の者で形成する団体自体に属し、各団体員はその物を使用・収益する権限を有するにとどまる。民法で定められている共有と比べると、各構成員は持分(もちぶん)を有せず、また分割請求権もない。
 江戸時代における村落の共同所有は総有であったといわれ、現在も残存する入会(いりあい)はその後身としてやはり同じ性格をもつ。団体員は、この団体のメンバーたる資格を取得することによって使用・収益の権利を取得し、メンバーたる資格を失うことによって当然にその権利も消滅する。
 また、総有や入会権は、土地の近代的所有形態が確立する以前の所有形態であり、近代の登記に適せず、登記がなくとも第三者に対抗できると解されている。 したがって、総有や入会権の取得はすべて慣習により、契約による取得は認めない趣旨と解されている。
 東峰神社は、寺田増之助の土地の寄贈で立てられた。その時から、神社の土地は総有になり、一切の登記、契約は無効になっているのである。しかし、この頃の慣習で分筆はしなかった。そのために、寺田が移転し、浅沼輝雄に家・畑などすべてを売却した時に、そのまま、神社の土地も浅沼名義に変わっている。部落の総有であるという理解もなく、そのまま登記したのである。
 この浅沼は1969年に空港公団に所有権を売り渡したが、この時には、譲渡できない神社の土地は、分筆し、現在もそのまま浅沼名義になっている。公団用地課は、神社が総有であり、売買できず、また一切の登記や契約になじまないことを知っていたのでそうしたのである。

☆☆ 終わり ☆☆

(8月25日) 成田空港の概算要求発表 空港整備に2354億円(8/26各紙)

 成田空港関連の概算要求総額は2354億円。うち総建設事業費が1036億円、償還費が1318億円。
 建設事業費のうち空港機能整備が704億円で、その内訳は、暫定滑走路の整備費が230億円、旅客施設の整備費が273億円、空港基本施設の整備費が89億円、貨物施設の整備費が35億円、その他77億円である。
 次に、建設事業費のうち共生事業費が191億円で、その内訳は集団移転の代替地取得費が77億円、防音家屋の再助成が27億円、テレビ受信難対策費が5億円、防音堤と防音林の整備費が74億円、その他が8億円。
 さらに、建設事業費では管理費などが141億円。
 平行滑走路整備では来年度は暫定滑走路の整備分だけを要求。2500メートルの当初計画については、未買収地取得のめどがつくなど対応が可能になった場合は、速やかに別途予算措置を取ることを検討している。
 暫定滑走路の整備費は、来年度要求の230億円のうち、滑走路整備分が115億円で、他は暫定滑走路東側に建設する第2給油センター建設費の初年度分が115億円である。第2給油センターは、4年間の工期で2003年完成予定。暫定滑走路整備費は、115億円に繰越金104億円を合わせた219億円で、来年2001年11月に完成させる予定。
 また、運輸省の概算要求で成田空港以外で注目される点は、首都圏第3空港では、調査費が本年度の4倍にあたる12億円を盛り込んだこと。減便が続く関空が、着陸料引き下げのために45億円の減収となる。それを補てんするために20億円の支出案を盛り込んだ。また、百里基地を軍民共有化するための事業費として11億5100万円を計上した。

【本紙の解説】
 2001年度の概算要求で平行滑走路については暫定滑走路整備分だけを要求している。「未買収地取得のめどがついた」時には「別途予算措置を検討」としているが、2002年5月20日の暫定滑走路供用開始までは完全に間に合わないことを認めた要求だ。
 今年7月5日、新任の森田運輸相が「2002年W杯に供用を間に合わせるのは難しい」「間に合う可能性はゼロに近い」と発言し問題化したが、森田の言葉通りの概算要求である。暫定滑走路案の提示と工事の開始(軒先工事)で敷地内農民・地権者の屈服をねらった計画が全面的に破産したのだ。

(8月26日) 革命軍、運輸省幹部宅に爆破戦闘
 (『前進』『週刊三里塚』などでの報道記事を参照のこと)

(8月27日) 米軍の衛生野外演習「メデックス2000」始まる(8/28東京)

 神奈川県相模原市の在日米軍相模総合補給廠で27日、ベトナム戦争以来の大規模な衛生野外演習「メデックス2000」が始まった。メデックス2000は、補給廠内のコンテナにつまっている野戦病院セットを展開し、太平洋地域の有事・災害や人道的援助を想定し、医療用機器や負傷者の輸送訓練を行う。在日米軍だけでなく米本土から約350人、在韓米軍からも患者役のボランティアとして約100人が参加する。訓練は28日午前0時すぎから始まり、24時間体制で9月2日まで続く。

【本紙の解説】
 朝鮮侵略戦争を本格的に準備する一環としての野戦病院演習である。ベトナム戦争時に米軍部隊の派兵や傷病兵の日本への輸送のため、羽田は米軍チャーター機で満杯になった。それで新国際空港の必要性が急浮上したことが成田空港建設の発端である。
 当時のベトナム(前線)と日本(後方)との空輸体制は、当初は横田などの在日米軍基地が中心だったが、戦局が激しくなると軍用機だけでは間に合わなくなり、民間チャーター便が急増した。羽田は米軍チャーター便で満杯になった。
 66年に成田空港建設が決定した時、反対同盟は羽田空港を視察に行った。この時、米軍チャーター機で埋まった羽田の現実を目の当たりにした。米軍兵士の遺体袋が羽田で積み降ろされたりしていた。「成田は民間専用」という政府説明のウソを直感した。
 この反対同盟の直感が現実のものとなりつつある。傷病兵の輸送は大半は民間機だ。朝鮮半島から成田を経由し、横田―相模補給廠という一大兵站ラインが形成される。傷病兵対策や衛生野外演習は、米軍の後方支援体制の重要な一環としてある。

(8月28日) 空港公団 8年連続の赤字

 空港公団は28日、1999年度の決算を発表した。収支は過去最高となった業務収入などで経常ベース48億円の黒字になった。しかし、過去6年間の警備費などを一括処理したため、全体の損益は3億円の赤字に。損失分は準備金から繰り入れた。
 公団によると、99年度は航空機の発着回数が過去最高の約13万3000回だったことから、国際線旅客数も約2520万人で開港以来最高となった。このため業務収入も1415億円で過去最高となり、収入総額は前年比21億円アップの1425億円となった。
 支出総額は前年比12億円増の1428億円。このうち業務費は前年度より23億円増えて997億円。また93年度から98年度までの平行滑走路周辺の空港警備費など計51億円を特別損失として99年度決算で一括処理したため、業務外費用は326億円となった。

【本紙の解説】
 過去最高の発着回数でようやく業務ベース収支が「均衡」したという。しかし、借入金返済や特別損失の処理で全体損益は8年連続赤字。今後の見通しとしては、一期分の施設が開港20年を過ぎ改修費用が増えることが大きい。それ以上に、暫定滑走路が供用されると運用費用がかさみ、かつ収入は増えない。今回、業務ベースで「均衡」というが、将来の見通しはかなり暗い。
 成田空港では、発着回数をマキシマムまで運用して業務ベースでトントン、全体損益は赤字という基調はここ数年変わらない。これで羽田空港が国際化し、近距離便が羽田に移れば赤字ベースはさらに膨らむ。さらに、アジア近隣諸国の空港整備が進んだことで、太平洋便は着陸料の高い日本を「スルー」する傾向にあり、これが進めば成田空港の収益基調は大赤字となる。

(8月29日) 運輸省、羽田発―ホノルル行チャーター便を認可(8/30各紙)

 運輸省は29日、東京都大田区の羽田空港近くの地元住民が9月に計画していた羽田発ホノルル行きの国際チャーター便を認可した。運輸省がこの3月に羽田国際化を打ち出して以来、初めてのチャーター便となる。今回、運輸省が1便ごとに検討すると「柔軟作戦」に転じたことから千葉県もしぶしぶ了解した。
 今回認可されたチャーター便は、大田区民350人が9月15日〜20日のハワイ・アロハフェスティバルに参加するために利用する。
 羽田国際化に反対している千葉県に対して、運輸省は「羽田の地元の要望として特別的に扱う」「羽田国際化の論議とは切り離す」「千葉県の上空は飛ばさない」「羽田空港の利用時間は成田空港がクローズしている午後11時台」―などの譲歩を行ったことから、千葉県の沼田知事も「今回に限り、理解せざるを得ない」となった。

【本紙の解説】
 羽田の地元商店街がハワイのフェスティバルで神輿(みこし)を担ぐといって最初に羽田発ホノルル便を飛ばしたのは1998年9月であった。これは羽田国際化論議を推進する目的で行われた行事であった。この時も千葉県の猛反対のなかで「今回限りの特例」として認可した経緯がある。今回は深夜早朝の羽田国際化が認可され、大田区民は大手を振ってホノルルへ行く予定であった。運輸省が春にそのことを約束しチャーター便を募集、それに応募したのが今回のハワイ行きであった。
 千葉県の絶対反対で羽田国際化がいったんは頓挫し、募集したチャーター便は断るか成田空港その他に回したが、東京サイドの執拗な攻勢を拒みきれず、今回のチャーター便を例外的に認める結果になった。
 利権がらみの千葉県の抵抗で、運輸省の羽田国際化政策は現段階では具体的な見通しは立っていない。

(8月29日) 上海空港 成田発日航機が照明灯に接触事故

 29日午後0時50分ごろ(日本時間)、中国・上海空港で、成田空港発の日本航空791便(ボーイング747―200型)が地上走行中に駐機場の照明灯に接触、右主翼の先端部分を破損した。乗客・乗員363人にけがはなかった。

(8月30日) 成田空港、滑走路の表面はがれ一時閉鎖(8/31読売)

 成田空港で30日午後4時25分ごろ、滑走路北端に小石が散乱しているのを離陸前の大韓航空機の操縦士が発見、公団が点検したところ、滑走路の表面が約2・5メートル、幅1・5メートル、深さ5センチにわたってはがれ、小石状になっていた。暑さのためにアスファルトが劣化したらしい。
 公団は滑走路北端につながる誘導路の使用を停止し、この誘導路から滑走路に入ろうとした同機と中国国際航空機が立ち往生して出発が約1時間20〜40分遅れた。滑走路閉鎖の間、着陸待ちで付近の上空を旋回していたサンフランシスコ発ノースウエスト航空27便など3便が羽田空港に臨時着陸した。

(8月31日) 東京・特別区議会議長会 羽田空港の国際化要望

 東京都23区の区議会議長でつくる特別区議会議長会は31日、羽田空港の国際化を推進するよう森喜朗首相や森田一運輸相らに要望した。要望は、成田空港は国際線、羽田空港は国内線という従来の役割分担に固執せず、羽田の効果的運用、国際線利用者の利便性向上のために国際化を図ることが必要としている。

【本紙の解説】
 千葉県側は、県議会や各市町村議会、議長会などが「羽田国際化反対」の決議をあげ、国や運輸省に陳情している。一方、東京都では都議会や特別区議長会が羽田国際化推進の決議や要望をあげている。国際空港の建設は地元利害にもつながるが、国策的事業である。この東京都と千葉県の対立、自民党の東京都連と千葉県連の対立と支配者内部の対立が深刻化している。
 成田空港の位置決定とその後の農民無視の建設強行が一切の原因である。日帝の空港整備計画はこの34年間、完全に失敗である。その結果が東京都と千葉県の対立である。さらに、関西空港の経営的破綻、これから建設される中部国際空港の先行き不安となっている。

(8月31日) 成田市、変更の公示せず工事強行/天神峰「団結街道」を封鎖
         反対同盟の公開質問状で住民無視の事実が発覚 

 公団が団結街道を無断で封鎖し迂回道路建設を強行したことに対し、反対同盟は顧問弁護団の葉山岳夫氏、足立満智子成田市議ともに8月31日、成田市役所に行き、手続きに違法の疑いがあるとする公開質問状を手渡した。
 追いつめられた成田市当局は違法の事実を認め、抗議行動終了直後に道路区域変更の公示を市役所掲示板にはってとりつくろうという醜態を演じた。
 団結街道をめぐる行政の不法行為は住民無視の象徴ともいうべき問題。″天神峰は地図になく住民もいない″といわんばかりの成田市と公団の暴挙を許してはならない。
 団結街道の封鎖は市東宅先から北へ約400mの区間。住民への公示を行わないまま市の許可によって空港公団が郡司とめさんの通夜と葬儀の最中に強行した。
 抗議行動は、足立満智子市議の立ち会いのもと葉山弁護士が同行し、北原事務局長、三浦五郎さん、小林なつさんらが行った。北原事務局長が趣旨説明し、葉山弁護士が公開質問状を読み上げ、黒田重行・土木部道路維持課長に手渡した。9月11日までに回答を要求した。
 その後全体で天神峰に移動、市東孝雄さんと木内秀次さんも加わり、迂回道路を歩いて封鎖状況を確認、記者会見を行った。会見では市東さんが、封鎖の暴挙だけにとどまらず「直後に始まった封鎖部分の工事の騒音がひどい」と訴えた。 暫定滑走路はそれ自体、住民の存在を無視し、工事を強行することで追い出そうとする攻撃だ。団結街道の封鎖と廃止の策動はその一環。団結街道破壊攻撃を粉砕し暫定計画を粉砕しよう。成田市と公団は即刻工事を中止し、団結街道を原状にもどせ。(『日刊三里塚』)

【資料】公開質問状

 成田市ならびに新東京国際空港公団は、8月10日と11日の両日、成田市天神峰地先の成田市道(十余三−天神峰線 通称・団結街道)の道路区域変更工事を無断で強行した。同市道は小見川県道と国道51号線を結び、天神峰から岩ノ台、堀之内などの近隣地区にもつながる不可欠の生活道路である。とりわけ天神峰地区住民である市東孝雄氏は同市道を530m北上した地点に位置する耕作地(天神峰字天神峰78−2)に通う農道としてこれを日常的に利用している。
 さらに空港反対同盟においては同市道天神峰口から約470mに位置する天神峰現闘本部に往来する道路であり、また反対同盟員が共有する一坪共有地(天神峰字奥之台15−3、天神峰字南台36)を結ぶ道路でもある。
 同市道は明治から大正時代の部落形成期に、住民の先祖ら当時の入植者が私有地を出し合って造成したものである。
 突然の道路の区域変更によって造成された迂回道路は、小見川県道トンネル工事のための仮設道路としては不必要に長く、一部は空港外周線(予定)に重なるなど、一時的な道路とは思えない形状を呈している。封鎖した区域の廃止(団結街道破壊)を懸念せざるを得ない。工事計画を周知させることなく、道路の区域変更を強行したことは、その意図によるものと推断せざるを得ない。
 この住民無視の暴挙は、「生殺与奪の権利は行政にあり」とする態度であり、住民に保障された憲法上の権利を侵害するばかりか、道路法等に違反する疑いがある。
 よって書面をもって厳重抗議するとともに、以下の諸点について質し回答を要求するものである。
1、十余三−天神峰線の道路区域変更は、今後において封鎖区間を廃止する計画によるものではないのか、明確にせよ。
2、道路の区域変更の公示(道路法第18条、同法施行規則第2条)は、いつ、どのような形態をもって行ったか。
3、空港公団もしくは千葉県は、小見川県道トンネル工事のため、道路占用許可申請(道路法第32条等)を、成田市に対して出しているのか。それはいかなる内容のものか。
4、住民ならびに利害関係人に対して区域変更計画を周知させるため公示を行ったか。行ったとすればいかなる方法によってか。行わなかったとすれば、それはいかなる理由によるものか。
5、道路区域の変更はその計画手続きにおいて住民の存在を無視し、人権を侵害するものであるから、即刻原状に復することを要求する。
 以上、回答は書面にて9月11日までに、下記連絡先に届けられたい。
2000年8月31日

成田市役所土木部長 殿
 同 道路維持課長 殿

三里塚芝山連合空港反対同盟
三里塚芝山連合空港反対同盟顧問弁護団

【本紙の解説】
 成田市の土木部市道路線維持課の課長・黒田重行は、報道陣の質問に対して「告示が必要だったが、付け替え道路を建設することで住民に影響がないため、告示していなかった」「認識不足で告示していなかった」「暫定的な切り回し(付け替え)道路で、いずれは現状復帰するので必要ないと考えた。道路法に基づく道路区域変更の公示をしなかったのは、こちらのミス」と答えたと報じられている。これは真っ赤なウソである。
 「認識不足」とか「住民に影響はない」という言い訳は、あり得ないことである。成田の一般的な道路工事では、公示もやり、回覧板その他で付近の住民にその工事期間その他を周知させ、さらに工事現場にも「道路占用申請許可」の看板も立てることが通例である。
 それを天神峰の団結街道の封鎖の時だけは意図的にやらなかった。それも工事強行の9日と10日には、千葉県警の私服警察十数人と機動隊の1小隊を率いて工事をやったのである。
 その理由は以下の2点である。ひとつは、反対同盟が「団結街道封鎖絶対反対」をこの3月集会から掲げているからだ。反対同盟の実力闘争を恐れ、抜き打ち的に工事をやるためである。三里塚空港建設で30数年間常態化している卑劣なやり方である。いかに空港建設が不正義かを示している。
 もうひとつは、卑劣な工事を強行し、軒先工事で敷地内農民である市東孝雄さんをたたき出すためである。これは、市東さんが記者会見で「直後に始まった封鎖部分の工事の騒音がひどい」と訴えたことにも示されている。暫定滑走路建設で天神峰がどうなるのかについて公団は何も計画を公表していない。誘導路と市東さんの自宅の距離は何メートルなのか。騒音はどのくらいなのか。ジェットブラスト(ジェットエンジンの音)を防ぐ防音壁は造るのか造らないのか。まったく公表していない。そのうえ団結街道封鎖と迂回道路工事で、4メートルフェンスのなかで生活し、農作業をすることを強要されている。つまり天神峰の生活と営農を破壊する目的で団結街道の道路工事を公示しなかったのである。
 成田市は、公団とともに、ある意味でそれ以上に農民切り崩しの役割を担っている。その責任は厳しく追及していかなければならない。

 

 

TOPへ  週刊『三里塚』