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SANRIZUKA 2001/05/01(No582
p02)
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第二に、堂本は「成田空港問題」を盾にして国や県の財政を食い物にする利権集団の意向を承知のうえで、巨大公共事業をはじめとす旧来の利権構造を無条件に後押しする姿勢を明確にした。
「成田新高速鉄道」の推進表明が典型だが、堂本はゼネコン利権を背景にした県幹部の意向を最初から無批判的に受け入れた。「市民派知事」の体裁はすでに跡形もない。
堂本が提唱した「四者協議会」は、それ自体が三里塚闘争破壊のために機能するが、もうひとつの重要な側面は「国費獲得」のためにするトンネル機関というところにある。
そもそもこの四者協議会なるものは長年の小川国彦プラン。予算上乗せ要求組織としての意図が露骨で、運輸省(当時)はこのプランを一貫して拒否し続けてきた。堂本の登場は国彦にとってプラン復活の渡りに船だったわけだ。
そして早速、「成田新高速鉄道」の復活である。計画は二〇一〇年度開通予定で建設費は千三百億円。一説では二千億を超えるという。よくある話ではある。この鉄道は京成線やJRと競合し、採算性などがいまだに危ぶまれている計画でもある。この財政危機の下で、ブルジョア経済的にいっても強行するのは暴論に近い。
そんな詳細展望は検討もせず、堂本は当選の勢いと県幹部の言いなりでこの計画実施を首相本人に「飲ませて」しまった(九日の堂本・森会談)。相手が倒れる寸前の森政権とはいえ県幹部はニンマリである。
このほかにも県の狙いは成田財特法(新東京国際空港周辺整備のための財政上の特別措置法)の再延長がある。成田財特法は「成田空港」による騒音などの見返りとして、県内の公共事業に国の補助金が上乗せされるもの。
七〇年に十年間の時限立法として制定され、九八年段階までに四千九百五億円の国費が投入された。かなりの額だ。その後二度も延長され、九九年三月に五年間延長が決まった。
やりたい放題の成田関連利権だが、国の財政危機でさすがにこれ以上の延長はないと言われていた。
それをさらに延長しようと県幹部や成田市などは全力をあげている。それがこのかんの県の「羽田国際化反対」要求の最大の動機だ。
補助金獲得で赤字公共事業もなんのそのという体質は堂本県政で加速されている。怒りをもって対決しなければならない。
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反対同盟と顧問弁護団の共催で行われた「2・28土地収用法改悪阻止シンポジウム」の趣旨に踏まえ、同シンポジウム名によるホームページが三月三十一日から開設されている(写真)。
ページ上ではシンポ当日の講演や発言が詳しく紹介され、収用法改悪問題の資料も豊富だ。三月二日に法案が国会提出されて以降の動向なども随時紹介されている。
土地収用法改悪攻撃は、次期国会に提出確実となった有事法制の核心部を先取りする内容をはらむ。戦前なみの収用権強化をめざし、一坪共有運動の実質的禁止措置も盛り込まれている。改悪法案を作成した国土交通省は今国会の「最重要法案」に位置付けている。
読者の意見や主張をメールで受け付けています。これらも随時掲載予定。運動を広げるために多くの読者諸氏の協力を要請します。 (シンポ事務局)−−−(2001年10月末に閉鎖:『前進』HP編集委員会)
URL・・http://homepage2.nifty.com/totisosi2001/
メール・・ totisosi2001@hotmail.com
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以下は革命軍から発表された軍報速報の要旨。
革命軍は、四月十八日午前三時、千葉県流山市西初石四丁目にある千葉県企画部理事・石塚碩孝宅と車両に対して、火炎攻撃を敢行した。この戦闘は、千葉県知事に就任するや「二五〇〇b滑走路建設」を宣言し三里塚闘争解体・農地強奪の先頭に立っている堂本暁子への反撃の戦いである。
四月十八日 革命軍
(詳細は次号)
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公共事業は、公共投資とも言われ、その定義は次のようにされている。「国・地方公共団体、公社・公団・営団・公庫等の政府機関、水道・交通・発電・病院事業を営む地方公営・準公営企業等広義の政府が自ら直接行う投資」(『社会資本と公共投資』)
具体的には四つの分野に分かれる。
@国・自治体の一般会計から直接支出される事業−−道路、港湾、政府住宅、国土保全、土地改良事業、環境衛生、文教施設、厚生福祉など
A特別会計など一般会計に含まれないもの−−道路整備、治水整備、港湾整備、空港整備など
B公団など特殊法人によるもの−−道路公団、鉄道建設公団、住宅都市整備公団、本四架橋公団、空港公団など
C政府・自治体関係機関、公営企業など−−地下鉄、市電・バス、水道、電源開発、その他地方公営企業、準公営企業(第三セクター)、
この公共事業費の総額が、怪物のように巨大化しているのだ。
国家予算について見ると、@の一般会計の公共事業費にあたる公共事業関係費が約九兆四千億円である。予算総額八十三兆円の一一lになるが、これは国の行う公共事業全体(三九兆円)の四分の一にすぎない。
公共事業では、一般会計予算よりも特別会計や特殊法人予算の方がはるかに巨額で、上記AとBとCを足したものが一般会計の三倍=二十九兆円という大きさだ。この巨大な公共事業の伏魔殿にいかがわしい政治家や官僚が巣くっているのだ。
一般会計以外はよく知られているように、一般庶民・労働者が貯金したり積み立てたりしている郵便貯金や国民年金・厚生年金の掛け金および政府の特別会計の余裕金などからなる財政投融資の原資から借りている。
以上の国の公共事業に加え、地方自治体の予算による公共事業費が約十一兆円もある。これらの大半は国からの補助金政治で、事実上強制に近い形で造らされているものであり、大半の地方自治体を財政危機に追い込んでいるものである。
こうして国・地方あわせた公共事業費は約五十兆円にも達する。国家予算に迫ろうという金額である。
そして九〇年代の長期不況も加わって「景気対策」の名の下での伸び率もすさまじい。
自治省発行の『行政投資』によれば一九七五年に一六兆五千億円だった公共事業総額は、一九九九年には約五十兆円へと三倍にも膨れ上がっている。
一九八七年から一挙に増え始め九〇年代をとおして、七から一〇lの増加を続けている。(橋本龍太郎政権が財政構造改革をとなえた一九九四年だけ例外=表参照)
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【公共事業費の推移】(単位億円)
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年度
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国民総生産
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公共事業額
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1966
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396.989
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31.388
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1967
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464.454
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35.269
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1968
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549.470
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41.043
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1969
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650.614
|
48.470
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1970
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752.985
|
59.111
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1971
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828.993
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76.212
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1972
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964.863
|
93.208
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1973
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1.167.150
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106.924
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1974
|
1.384.511
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142.043
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1975
|
1.523.616
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165.137
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1976
|
1.712.934
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175.980
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1977
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1.900.945
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208.684
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1978
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2.086.022
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243.725
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1979
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2.252.372
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261.104
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1980
|
2.455.466
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278.765
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1981
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2.608.013
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287.934
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1982
|
2.733.224
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287.621
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1983
|
2.855.934
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279.873
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1984
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3.051.441
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276.401
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1985
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3.242.896
|
265.055
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1986
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3.393.633
|
278.608
|
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1987
|
3.555.218
|
304.116
|
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1988
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3.796.568
|
316.790
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1989
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4.064.768
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338.276
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1990
|
4.388.158
|
367.937
|
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1991
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4.631.744
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403.362
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1992
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4.719.257
|
463.373
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1993
|
4.767.461
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511.270
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1994
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4.790.264
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478.287
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1995
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4.885.225
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508.944
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この結果が、国・地方合わせて六六〇兆円という天文学的な借金なのである。
しかし一九九三年、治水の利益を受ける人吉市民の間から、川辺川ダム見直しの署名運動が起こり、有権者三万人のうち一万九千人の署名が集まった。
川辺川ダムの目的は治水に加えて農業用水の供給にもあったが、人吉市隣の相良村など灌漑事業の対象となった農民からも灌漑事業の中止を求める運動が盛り上がった。事業対象の四千軒のうち二千百戸が原告となって、一九九五年、事業の中止を求める裁判闘争を提起したのである。
要するに洪水の被害を受けるとされる人吉市民からも農業用水の利益を受ける農民からも「ダムはいらない」「ダム建設は中止せよ」との要求が公然と起きたのである。川辺川ダムは建設目的を失ってしまった。
しかしこれであきらめるような利権屋たちではない。ダム建設事業のスピードを上げ始めたのである。灌漑事業中止要求の裁判は昨年九月、国側に勝訴の判決が出された。建設省はこれを楯に、川辺川ダム建設の最大の障害になっている漁業権問題をめぐってついに昨年十二月、事業認定の認可を下ろした。
こうして、川辺川ダム建設への全国的な反対運動の高まりに抗するかのように法的にはいつでも漁業権を収用し、ダム本体工事に着工できる状態に入っている。(解説2)
国土交通省の河川局長はあせりのあまり「体を張ってでも川辺川ダムは造る」などと息巻いているほどである。すべては政・官・財の利権のためなのである。最初から「ダム建設ありき」で、理由は後からでっち上げるのだ。現在問題になっている諫早湾干拓にしても最初は農業用干拓地の造成だったのが、減反政策で農地は不要となり、現在は「防災」を前面に押し出しているのと同じである。
以上のような公共事業利権を中心に形成されてきた“鉄のトライアングル゜が、揺らぎ始めている。三里塚闘争を先頭とする全国住民運動が一坪共有運動・トラスト運動の形態や住民投票条例運動など、さまざまな方法を駆使して日帝の延命のためのムダな公共事業に反乱を開始したのだ。
三里塚闘争を背景としつつ、“ムダな公共事業反対゜の最初のノロシとなったのが一九八八年に始まった岐阜県長良川河口堰建設反対運動だった。金丸信が深くからんでいた同建設工事は、大義も理由も失われたにもかかわらず「土木利権護持」の一点で、水門封鎖が強行された。
つづいて川辺川や岐阜県の徳山ダム、徳島県木頭村の細川内ダム、岡山県の苫田ダム、長野県の淺川、蓼科ダムなど百害あって一利もないダム建設にたいして全国で反対運動が噴出し始めたのである。
(図 年間50兆円にも上る公共事業費を食い物にする”鉄のトライアングル”)
そして空港をめぐっては、成田の暫定滑走路阻止闘争を先頭に、関西新空港、静岡空港、神戸空港、びわ湖空港反対運動が、あまりにも理不尽な空港建設と対決している。
デタラメな公共事業の推進に対し、ようやく住民の怒りに火が付き、自民党・公明党・保守党政権の足元を揺るがし始めたのだ。昨年、自民党の亀井静香政調会長による「公共事業見直し」のペテンも、住民のこうしたうねりに追いつめられた苦肉の策である。
以上のような「見直し」の逆風の中で、公共事業推進の切り札として行われようとしているのが、今回の土地収用法改悪である。
国土交通省は、一坪運動やトラスト運動によって、ダム建設や道路建設が反対運動の焦点となってしまったという点に失政の責任を転嫁しようとしている。問題を焦点化させず、計画から建設まで一気に走ってしまうこと、反対運動の武器となる一坪運動自体が成立する余地をなくし、運動を無力化することが必要と土地収用法改悪に乗り出してきたのだ。
(つづく)
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(1)道路建設が無限に続くカラクリ 道路建設は、ガソリン税、軽油税、自動車諸税という特定財源が大きな予算のベースとなっているため、永遠に続く仕組みになっている。ガソリン税は総額で二・七兆円。軽油引き取り税は一・四兆円だ。自動車諸税では、自動車取得税が一・四兆円、自動車重量税は一・一兆円である。(いずれも一九九八年)
欧米諸国でもガソリン税は道路建設の特定財源だったが、近年は地下鉄の建設、街路電車の維持、バス路線の拡充などにも使えるようになっている。アメリカなどは一般財源に組み入れている。日本でも「道路建設は格段に進んだのだから特定財源を廃止すべきだ」という議論が時折起きているが、その度に国会の道路族議員、建設省、ゼネコン、地方自治体の首長、地方議員から反対の大合唱が巻き起こり道路利権に群がる者どもによって闇に葬られてきた。
(2)ダム建設推進の口実 建設省がダム建設を野放図に展開する常套手段は、工業用水の需要予測を過大に見積もることである。一九九六年九月に三重県三島町で開かれた「国際ダムサミット・イン長良川」で東京都環境科学研究所の嶋津輝之研究員が発表したグラフが反響を呼んだ。そのグラフは建設省が長期予想した工業用水の量と、現実に必要となった工業用水の量を図示したものだが、現実の需要量の方が長期予測よりも半分も少なかったことが示されていた。建設省は長期予測を元に実際に必要な数よりも二倍も多いダムを造ってきたことになる。これは建設省が誤った予想をしたのではなく最初から確信犯として行ったことなのだ。ごうごうたる弾劾が起きたのは当然である。
さらに建設省は治水を口実としてダム建設をする場合には、川に流れ込む流量予想を意図的に過大に設定して、必要のない規模のダムを造ったりすることを常套手段として使っている。しかも造ったダムによっても洪水は防げずという逆に洪水被害が悪化するのだ。
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