SANRIZUKA 2001/06/15(No585 p02)

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週刊『三里塚』(S585号1面1)

堂本千葉県知事に告ぐ 「収用委再建」は断じて許さぬ

 「強制手段放棄」の確約はどうなった
 市町会で「再建」建議 ゼネコン利権 堂本が代弁者 血の代執行「反省」なく

 県町村会(会長、遠藤一郎・富浦町長)の定期総会が六月一日、千葉市内で開かれ、成田空港問題で委員全員が辞任したまま機能が停止している「県収用委員会」の再建を求める提案を全会一致で採択した。あまりの不正義ゆえに県庁内部でも「タブー」扱いされてきた収用委再建問題が、成田暫定滑走路軒先工事の進行と堂本知事就任のなかで動き出したことを絶対に許してはならない。成田空港の事業認定は反対同盟のたたかいで消滅、土地収用法は適用できないのが現状だ。しかし県収用委の崩壊と十三年にもわたる空白(機能停止)には強制収用攻撃への着手(一九七一年と一九八八年)と人民の反撃という歴史的根拠がある。政府・公団が平行滑走路建設の農地強奪政策を続けるかぎり、つまり成田空港建設から政府が完全に撤退しない限り、収用委再建への着手は断じて認めることはできないのである。堂本知事はこの問題で、みずからの反動的本質(保守利権政治家)を最後的にさらけ出そうとしている。

 成田の事業認定は消滅

 市町村会が「収用委再建」を言い出した背景には、同問題に対する堂本知事の姿勢がある。堂本は成田空港問題、三里塚闘争の歴史的経緯をまったく無視して「収用委は必要」との態度を周囲に振りまいているからだ。
 また堂本の言動の背景には、県選出自民党国会議員団の言動もある。昨秋、自民党県連の国会議員団会議で「(羽田との関係で)成田の地位を維持するためにも平行滑走路は暫定滑走路ではなくフル滑走路にすべきだ。そのためには収用委を復活させる必要があるとの複数の意見がだされた」(東京新聞5・24)との経緯もある。こうした自民党議員団の意向と堂本知事の姿勢は一致している。
 自民党から知事選に立候補(落選)した岩瀬良三も「収用委の再建」を公然と選挙公約に掲げていた。自民党議員団や県幹部のいいなりに(まさに「言いなり」との評価が高まっている)なっている堂本知事が「再建」をいいだすのは時間の問題ではあった。その意味で市町村会が今回、収用委の再建を持ち出したのは堂本知事本人の意向を明確に反映している。
 しかし県収用委員会の再建は、現在も引き続き闘われている三里塚闘争の歴史的経緯に照らして断じて許されない問題である。公共事業の必要性うんぬんの次元で語れない問題なのだ。代執行権を司る県(知事)として、三里塚農民・人民に多大な流血を強制してきた歴史は今も現在進行形で生きている。
 成田空港については事業認定が消滅し、強制収用はできい状態にある。この点で前述の国会議員団の発言は全く的外れだ。それでも県収用委の再建は、国家による暴力的農地強奪宣言に等しい。そうした歴史が、いまだ未決着の問題としてせめぎあっている。だからこそ前知事の沼田も十三年間にわたり収用委再建問題には手をつけられなかったのだ。
 「収用委は必要」という堂本知事は、以上のような問題についての定見も見識も持ち合わせていない。「成田空港問題の早期解決」をいの一番に掲げる知事として完全に失格といわなければならない。

 国家暴力むきだし 軒先工事のなかで乾坤一擲の反撃 崩壊の経過

 県収用委員会問題のことの始まりは、一九八八年春に秋富公団総裁(当時)が「二期工事用地内の未買収地を土地収用法で取得する時期にきた」(『ジスイズ読売』八八年五月号)との強制収用宣言をぶち上げたことだった。当時の運輸大臣は現都知事の石原慎太郎である。運輸省は当時、土地収用法発動の方針を決断、千葉県に対して収用審理再開の準備に入るよう、具体的な指示も行っていた。
 この事実について当時の新聞は「運輸省と新東京国際空港公団は七月十四日、成田空港二期工事の対象区域内にある未買収地二十一・三ヘクタールの収用あっせん審理を今秋、千葉県収用委員会に要請する方針を固めた」(八八年七月十五日付産経新聞全国版一面)と大きく報道した。これを受けて千葉県知事と収用委員会は収用審理再開の準備作業に入った。七一年の審理中断以来十七年ぶりのことである。
 当時、運輸省・公団は滑走路予定敷地内に多くの未買収農家を残したまま一九八六年十月、二期工事を見切り発車していた。公団幹部は強制収用の発動をいたるところで公言しながら、「農家の軒先まで工事を進めお見せすることでご理解いただく」(松井副総裁=当時)と言い放った。これが「軒先工事」と命名された。生活環境を徹底的に破壊して追い出す。地上げ屋と同じ発想だ。天神峰・東峰の二期工事敷地内は連日のように機動隊が制圧、公団は買収済み用地との境界線に次々とフェンスを打ち込んでいった。そのなかで秋富総裁の「強制収用宣言」が出されたのだ。
 運輸省も公団も、そして代執行権者の千葉県知事も、七一年の「血の代執行」を何一つ反省していなかった。反対農家の目の前で一方的に工事をスタートさせつつ、国家権力による問答無用の強制収用を再び実行過程に移したのである。ごう慢にも「軒先で工事をお見せする」と公言しながら。
 運輸省・公団は「一九九〇年度二期工事概成」のタイム・スケジュールに何の疑念も持たなかった。あとは「粛々と警察権力の力で農地を取り上げる」だけだった。反対同盟から分裂した脱落派は方針を失い、敗北主義を決め込んでいた。過去の歴史上、権力の強制収用攻撃とたたかって最後まで勝ちぬいた事例は、砂川闘争などごくわずかな例外を除いて存在しない。
 強制収用手続きのかぎを握る県収用委員会は「粛々と」収用のための御用事務(収用裁決)をこなすだけだ。地権者は法律上、自分の土地・財産が収用されることに反対できない仕組みになっている。最終段階の強制代執行を行うのは国家の武装部隊である。このように土地収用は「民主主義」が自ら仮面を脱ぎ、国家支配の実体たる暴力装置をむき出しにする過程だ。
 これに対する、まさに人民の英知あふれる、これ以外にない乾坤一擲(けんこんいってき)の反撃として、一九八八年九・二一戦闘(県収用委員会会長・小川彰のせん滅)があった。そして強制収用を繰り返そうとする県に対する批判の嵐の中、収用委員会の委員全員が辞任(同年十月)、収用委員会はその機能を完全に停止する事態に追い込まれた。以来十三年間、県収用委は再建できないまま空白状態が続いている。【※九・二一戦闘の「実行犯」としてさる五月二十二日に逮捕された水島秀樹同志への「容疑」は完全にデッチあげである。水島同志はこの戦闘とはまったく無関係で一切関与していない。当然だが証拠もない。国家権力の完全なデッチ上げ報復弾圧だ。詳しくは『前進』二〇〇八号参照】
 これが権力発動機関たる収用委員会の崩壊という、歴史的事態がうまれた経過の概略である。

 再建は対農民宣戦布告 「公共事業」と別次元  堂本の姿勢が最後的に問われる

 これらの経過が何を意味するか、堂本知事はまったく理解していない。
 運輸省(当時)と空港公団は、成田二期工事について軒先工事の一方的強行とともに、国家権力による問答無用の強制収用に訴えた。そしてこの暴政に千葉県は追随し、収用委員会での審理再開手続きを実際に開始していた。この経緯を千葉県は現在まで完全に開き直っている。
 そうである以上、収用委員会の再建は三里塚闘争と反対同盟農民にたいする反動的宣戦布告以外の何ものでもない。彼らは収用委員会が人民の実力で崩壊するという事態がなければ、三里塚農民の農地を問答無用で取り上げていたのだ。
 この関係は、成田空港建設に関する事業認定(土地収用法に基づく)が失効・消滅し「成田には現状で土地収用法は適用できない」問題とは別次元の問題である。政府は収用委員会の長期崩壊という現実の中でやむなく脱落派との政治的談合取引(シンポ・円卓会議=九一〜九四年)に応じ、「一切の強制的手段を放棄する」との確約を行った。しかしこの「確約」なる行為のペテンは暫定滑走路への計画変更で早くも露呈している。
 公団は農家の軒先まで滑走路を造って追い出しにかかるという暴力行為に早くも手を染めた。さらに東峰部落が所有(総有関係)する東峰神社の立木を強制伐採すると公言している。こうした暴挙を「第三者」の立場で「監視」するはずだった共生委員会(円卓会議で設置)は貝のように沈黙を決め込んでいる。政府や公団の「確約」とはそういうものなのだ。
 こうした現実を踏まえれば、収用委員会再建という千葉県の策動が、将来の事業認定「再認可」などを含む強権発動に道を開くものであることも火を見るより明らかである。
 仮にこうした現実を自覚した上で収用委再建を強行するというなら、それは堂本知事が自ら「民主主義」を放棄し、三里塚闘争との力ずくの全面戦争を自分から仕掛ける問題であることを自覚してもらわなければならない。
 収用委員会再建攻撃を断固として粉砕しよう。

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週刊『三里塚』(S585号1面2)

検証・収用委員会はなぜ崩壊したのか
 「民主主義」の底が抜けた空港 強権かざして「言論」を説く欺瞞

 千葉県収用委員会の「再建」は絶対に許されない。この問題を語る場合の重要な視点をいくつか押さえておこう。

●「暴力による解決」に訴えたのは小川氏本人

 第一に、成田空港建設のすべての過程がブルジョア民主主義的規範や建前を完全に踏み破ってきた(現在も)事実である。
 最近の新聞紙上で元千葉県収用委会長の小川彰氏は「反対意見があるなら言論などで主張すればよい。暴力で解決しようというのは許せない」などというコメントを発表している。まったく噴飯もの。本末転倒である。
 「暴力で解決しようとした」のは小川氏をはじめとする収用委員会自身ではないか。「反対意見」を完全に封殺し、地権者が泣こうがわめこうが警察権力による強制収用にお墨付きを与えようとしていたのは小川氏自身だ。あの時小川氏ら県収用委は、運輸省・公団が決めた強制収用方針をそのまま実行に移したではないか。この事実を忘れたとでもいうのか。力ずくで未買収地問題を「解決」しようとしたから実力で
反撃された。その逆ではない。だから゛文句は言えない″のである。
 収用対象となっていた三里塚農民たちが「言論による主張」なる領域から完全に排除されてきた歴史は検証ずみだ。これは運輸省と脱落派の政治的談合「公開シンポジウム」ですら確認された事実だ。強制収用が「国の一方的暴力」であった事実を、政府・運輸省(当時)は収用委の崩壊といういかんともしがたい現実を突きつけられて初めて認めたのだ。
 であるとするなら、国の一方的暴力(暴政)に対して人民が革命的暴力を対置してたたかうことは、ブルジョア民主主義的規範においてすら許される。人民の抵抗権が担保されていることがブルジョア民主主義の根本原理なのである。
 代執行権者たる県と収用委は、国の暴政に追随した責任を問われて当然だ。彼らこそが「言論による主張」を封殺し「民主主義」を破壊した張本人だ。

●社会的確約を平然と破る政府・空港公団の悪らつ

 第二の問題は、「今後あらゆる強制的手段を放棄する」と政府・運輸省が公の場で確約した(シンポ・円卓会議)ことが、その舌の根も乾かぬうちに踏みにじられた暫定滑走路建設の現実である。
 その確約がいかに運輸省と脱落派の政治的取引と談合の場であったとしても、政府の名において公の場で社会的に確約した問題をこうも簡単に踏みにじることが許されるわけがない。
 あの共生委員会も「地権者が反対している段階で軒先工事は認められない」と公式に声明したのだ(九八年十一月)。この場には運輸省と公団の責任者(審議官と副総裁)も同席していた。運輸省も公団も、地権者への脅迫となる軒先工事は「行わない」と社会的に疑問の余地のない形で確約したのだ。
 そのわずか半年後の九九年五月二十一日、運輸省は暫定滑走路計画を発表、「年内にも着工する」と一方的に通告し、同十二月、軒先工事の見切り着工を強行したのである。
 共生委員会(山本雄二郎・代表委員)はこの問題について完全に沈黙を決め込んでいる。何が「第三者機関による監視」か。反対同盟農民と人民をあまりに愚ろうしている。
 県収用委員会の再建攻撃は、こうしたあからさまな暴挙、ブルジョア民主主義的規範すら完全に踏み破る暫定滑走路建設の暴挙を開き直るものだ。最終的には文字通りの力ずくの農地強奪に道をひらく問題であることは歴史的に明らかなのである。
 結論。収用委再建は断じて認められない。

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週刊『三里塚』(S585号1面3)

 ピンスポット

石原都知事が収用法改悪要請
 「今国会中に通せ」 反対運動潰し目的に

 東京都の石原慎太郎知事は六月一日の記者会見で、国土交通省が今国会に提出している土地収用法改正案について今国会中の成立に期待を示した。同会見で石原は「都市の再生を進める場合、現行の土地収用法の手続きには問題がある」と、都市再開発のための収用手続き迅速化と反対運動つぶしが法改悪の目的であることを公然と語った。
 石原都知事は昨年春、建設省に土地収用法改悪のための「研究会」設置を要求した張本人。現在は小泉極右政権と組んで、「東京都大改造」に乗り出している。
 これは「政府・与党三党緊急経済対策」と銘打った大規模公共事業とその柱をなす「都市再生本部」の政策の核心部をなす。小泉や石原の意図は「競争力ある東京」。欧米帝国主義諸国に対抗してアジアの勢力圏化を進めることがポイント。その中心が空港建設、鉄道敷設、道路整備による軍事都市建設だ。
 土地収用法改正案の成立を絶対に阻止しよう。

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週刊『三里塚』(S585号1面4)

 団結街道

 三里塚の畑は豆の季節(新じゃがや新たまねぎ、新なす、新きゅうりもあります)。今食べられる豆は、えんどうとそらまめ▼えんどう豆はここ十数年、グリーンピースのように豆が大きくさやごと食べられる品種が流行。ただし在来種も作る。市東さん方ではかつて、さやが十センチを超えるものを栽培していた。親せきが自家採集した種をもらったと故・東市翁は語っていた▼美味しい豆を後悔するほど食べる。現闘の数少ない特権かも。特にそらまめはここ三年、大豊作。日本人の平均的生涯そらまめ摂取量を超える(?)ほど食べた。それが今年は見る影もない。例の四月霜のせいか「成りもの野菜」がだめだ。自然相手は難しい▼地域差もあるが今年は虫が多い。非常に多いと嘆く同志もいる。そらまめにも大きな茶色の毛虫がたくさん! カメムシも多い。芝山町で「オウガ」と呼ぶ。攻撃されると臭いにおいで反撃。そもそも枝豆はカメムシに樹液を吸われ色落ちするのが通例だが「今年は作付けをあきらめべえか」との声も▼三里塚の代表的な豆といえばやはり落花生。今ちょうど作付けを終えた。サツマイモとともに三里塚の基幹作物の一つだ。これらが実る秋の頃、公団はこの畑のすぐ上にジェット機を飛ばすという。カメムシどころの話ではない。これが「話し合い」の結末だ▼これほどの暴政は必ず民衆の暴力で反撃される。彼らは必ずや痛い目に合う。あわねばならぬ。これは共産主義的規範にかなうが、ブルジョア民主主義の原理においておや「公権力の暴政には暴力」(J・ロック)なのである。

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週刊『三里塚』(S585号1面5)

 闘いの言葉

 パリが戦えたのは軍隊を労働者からなる国民軍にしたからだ。コンミューン成立後、最初の政令は「常備軍を人民軍に取り換える」となった。
 一八七一年マルクス
 『フランスの内乱』

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週刊『三里塚』(S585号1面6)

 「小泉極右政権打倒」鮮明に

 反戦共同行動委主催の5・27総決起闘争。小泉極右政権、石原都政との真っ向からの対決を掲げ千五百五十人が参加した。反対同盟から北原鉱治事務局長らが参加、全国の仲間に連帯をアピールした(東京・芝公園)

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週刊『三里塚』(S585号2面1)

 日の出ゴミ処分場建設弾劾する

 昨年十月に強制収用が強行された日の出ゴミ処分場建設問題が、現在の土地収用法改悪策動をスタートさせる一つの契機となった。都知事・石原慎太郎は「(日の出処分場建設では)五千七百万円の補償金を払うのに七億円も使うようなバカ(ママ)なことをやっている」「収用法を改正してトラスト運動を制限すべきだ」と石川延嘉静岡県知事ともども旧建設省に要求した。石原の要求が建設官僚の利益に合致し、法改悪への引き金を引いたのだ。日の出ゴミ処分場問題とは、例によって例の如く、自民党や地元保守政治家のボスどもが、巨大利権のために住民の生命すら踏みにじる、悪らつな公共事業のゴリ押しである。事業の中身が住民の健康に直接かかわるだけに問題は深刻だ。この中で、裁判所命令まで拒否してデータを隠しつづけた廃棄物処分組合の住民無視と法律違反は度外れている。また建設推進や反対運動の弾圧には元首相の中曽根康弘や元建設大臣の金丸信の名前までが登場している。一坪共有運動・トラスト運動と連帯して国会闘争に決起し、土地収用法改悪策動を粉砕しよう。
  *    *
 東京都西多摩郡日の出町に計画されてきた日の出一般廃棄物処分場は、二つのエリアからなる。一九八四年に開業し一九九八年に埋め立てが終了した第一処分場と一九九二年以来建設の是非が争われてきた第二処分場である。(地図参照
 第二処分場(左写真)は、第一処分場の容量が九六年に限界に達する見通しであることから計画された。
 しかし、第二処分場計画が本格化したころ、第一処分場を発生源とする数々の環境汚染が発覚したため日の出ゴミ処分場建設反対運動が始まった。
 汚染の一つが同処分場の底に施してあるビニールシート(遮水シート)の破損による汚水漏れである。
 九二年二月、処分場近くに住む住民の井戸に高い濃度の化学物質が混ざって使用不能になった。
写真=すでに一部開業している第二処分場(二つ塚処分場。面積60ヘクタールで巨大なダムのようだ。 毎日東京都民の飲み水を汚染している

 ●「凍結を」

 処分場を管理・運営する三多摩地域廃棄物広域処分組合(注1)が、第一処分場の遮水シートが破損している事実を公表し、新聞報道もなされた。
 第一処分場ではかなりの範囲にわたって遮水シートが破れ、ここから猛毒物質が漏れ出し、地下水を汚染していたのである。
 たたかいに立ち上がった住民たちの要求は二つ。第一処分場からの汚水漏れの有無を調査し、データを公表し、漏水していれば対策を講じるとともに、それまで営業を停止すること。そして、第一処分場の安全性が確認されるまでは、第二処分場計画を凍結することであった。
 ところが、住民が立ち上がった瞬間、それまでは一部データなどを見せていた処分組合の態度が一変した。住民が日の出町当局や処分組合を訪れ、ゴミ搬入中止を申し入れ、組合が保管している排水データの開示を求めても拒否した。
 理由は「処分組合の調査では環境に影響ない。被害が出ていない以上データ公表の必要なし」という住民を愚弄したものだった。
 同年十、十一月には日本環境学会が独自の現地調査を行って化学物質や重金属を検出、「汚水漏れは間違いない」と発表した。環境破壊は事実だった。

 猛毒物質タレ流し 命令拒みデータ隠し 処分組合 払った”罰金”何と2億円!

 組合当局と反対住民の対立の焦点は、処分組合が隠し持っているデータを公開するかどうかに絞られていった。中でも電気伝導度という重金属漏れを示すデータの開示が最大の攻防点になった。(注2
 住民側は処分組合にデータを開示させるため、まず東京都の公害審査会に訴えた。一九九三年八月から九四年十月まで、八回の調停が行われたが、処分組合はデータ開示を頑強に拒んだ。東京都調停委員の一人はあきれて「住民がこんなに不安だと言っているのだから、データを見せたら良いじゃないの。どうして見せられないの」と迫るほどだった。
 データを開示すれば、処分場の汚水漏れの事実が判明してしまうため、操業ストップに追いこまれ、第二処分場計画も挫折することから、ただひたすら「開示拒否」の態度に出ていたのだ。
 しかし日の出の森は東京都民の水源地の一つである。汚水漏れの放置は東京都民全体の問題である。何をおいても実態を解明し、対策がとられなければならい。水俣病やイタイイタイ病の教訓が生かされるべき問題なのだ。
 実は、処分組合や日の出町当局の理不尽な対応の裏には、官僚の自己保身というレベルを超えて、後述するように、地元ボス、元首相の中曽根康弘や元建設大臣の金丸信人脈までが暗躍していた。
  *    *
 闘争の舞台は法廷へと移った。九五年二月、反対住民は、第一処分場の操業停止と第二処分場の建設差し止めを提訴、三月には「資料閲覧、謄写権保全」を求めて仮処分の申し立てを行い裁判所の決定を勝ち取った。
 ところがここで前代未聞の事が起きた。
 組合と町当局が裁判所命令を拒否したのだ。公的団体が裁判所命令を聞き入れないなどという例は聞いたことがないとマスコミも報じた。
写真=東京都が第二処分場の事業認定を行った事に対して記者会見を行う住民(95年12月21日)

 ●前代未聞

 住民側はただちに「間接強制=罰金」の申し立てをし裁判所決定を勝ち取った。組合がデータを開示しなければ一日につき十五万円を「日の出の森・水・命の会」に支払わなければならない。
 常識では“罰金゜一日十五万円よりもデータ開示の方を選ぶだろう。まして地方公共団体なのである。明らかに税金のむだ使いだ。ところが三多摩処分組合は驚くべきことに罰金を払いデータを隠す方を選んだのだ。
 住民側はただちに罰金を二倍の三十万円に上げることを申し立てて圧力を加えたが、それでも組合はデータ開示に応じなかった。結局、処分組合は一九九七年まで、一日三十万円の罰金を払いつづけ、総計実に二億円という税金のムダ遣いを行った。
 ここまでデータ開示を拒否した事で、処分組合は、ゴミ処分場がいかに有毒物質を撒き散らす危険な存在であるかを全社会に自白したのである。

 利権談合事業の典型 トラスト運動に敵意あらわ

 住民側は法廷闘争と並行して九四年より土地と立ち木のトラスト運動を開始した。住民の一人が第二処分場予定地の一部四百六十五平方bを地権者から譲り受け、それをトラスト用地としたのだ。
 根拠もなく「環境に影響はない」とウソをつき「罰金を払ってでもデータはあくまで隠す」という組合の理不尽な態度は、マスコミでも大きく報道され、全国の反響を呼んだ。トラスト参加者はついに二千八百二十九人までに達した。これは過去最高規模である。
 徹底した住民敵視の対応をする処分組合は九五年九月、事業認定を東京都に申請、都は十二月、事業認定を告示した。(写真右下)
 ここから土地収用法とのたたかいに入っていった。処分組合と都を悩ませたのは二千八百人というトラスト運動参加者の数である。九六年三月には立入調査、十月には土地物件調書への署名押印強要|拒否|代理署名という攻防が続いていったが、その都度の事務量が膨大なのである。

 ●責任転嫁

 昨年建設省が作った土地収用制度調査研究会の会合で収用委員会代表委員が「職員が毎晩徹夜で参ってしまう」と嘆いたと記されているが、まさに日の出処分場トラスト運動を指して言っている。
 それでも東京都収用委員会は、同年十二月処分組合による裁決申請を受理。九七年五月から九九年三月にいたる十一回の収用委員会審理をへてついに同年十月収用裁決を下した。
 九九年十一月から翌年三月にかけて行われたのが補償金払い渡し手続きである。この時の費用が前述した「むだな金七億円だ」(石原)と言うのである。
 一坪共有運動、トラスト運動は、三里塚闘争から発達したものだが、しかし、抵抗手段を奪われた住民が、行政当局や収用委員会の手続きに対する唯一の合法的対抗手段である。石原らに「事務量が膨大になる」「金がかかりすぎる」と悲鳴を上げさせるためにやっているのだ。当該公共事業が一部政治家の利権目的であり、住民を無視し犠牲を強いるからトラスト運動が爆発する。
 ところが、事業の遅れを「土地収用法の欠陥」に責任転嫁し、より強権的な内容に改悪するのが今の収用法改悪策動だ。
 日の出処分場では、ついに二〇〇〇年十月、行政代執行が強行された。しかしトラスト運動が第二処分場建設を五年以上も阻止したのである。

 ●中曽根ら

 ところで第二処分場と利権の問題について、用地買収をめぐっては九四年頃から住民の間に黒い噂が広まっていた。架空のダミー会社が土地の買い占めを行っており、これに自民党大物政治家の人脈がからんでいると言うのである。
 第二処分場は用地費と工費だけで五百億円、エコセメント工場(注3)など付帯工事を含めれば一千億円に近い巨大利権工事である。大成建設、大林組、飛島建設、三井建設などそうそうたる大手が受注した。この工事に有象無象(うぞうむぞう)の利権屋が群がっていることはまちがいない。 
 また元首相・中曽根康弘の名前も登場する。日の出町には中曽根の別荘である日の出山荘が存在しており、一九八三年にはレーガンとの“ロン・ヤス会談゜が開かれた。その縁で影響力が強く、中曽根人脈も利権にからんでいるという。
 他方、利権屋のボス・金丸信に連なる地上げ屋や暴力団右翼が用地買収にからみ、住民運動へのいやがらせに町を徘徊している。
 処分組合の“異常゜とも言える「データ開示拒否」「住民敵視」の態度は、官僚特有の自己保身というレベルを超えて、こうした自民党大物ボスどもの暗躍によるものだった。
 やはり利権のために住民の命まで犠牲にしてボロもうけし、自民党支配を支えようとする最悪の公共事業だったのだ。
 処分場反対住民は行政代執行にも負けず粘り強い反対運動を続行することを宣言している。
 住民独自の力で、地下水だけでなく処分場状から飛散するダイオキシンなどの汚染調査を行い、処分組合を追及する準備を進めている。小泉や石原らによる土地収用法改悪策動にたいして、一坪共有・トラスト運動と連帯した国会闘争の強化で応えていこう。

(注1)三多摩処分組合
正式名称は東京都三多摩廃棄物広域処分組合で、多摩地区の二十六市、一町三百六十万人の一般ゴミを処理する廃棄物処分場の運営団体。法律上は特別地方公共団体で本部は府中市。日の出町はこの組合には属しておらず、他地域のゴミを一方的に受け入れる立場だ。
(注2)電気伝導度 電流が水中を通る値の大きさを示すのが電気伝導度で、値が大きいほど電気が通りやすい事を示し、重金属分などが含まれている指標となる。
(注3)エコセメント工場
 廃棄物を利用してレンガやセメントを作るための施設。約二百七十億円。

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週刊『三里塚』(S585号2面2)

「改正反対8割」握りつぶす 「意見聴取」はアリバイ 収用法で国交省
 “お手盛り収用”に住民の批判が噴出

 国土交通省は、今回の土地収用法改悪案をまとめるにあたって「意見募集」(一月十五日〜二十九日)なるものを行ったが、法案作成にはまったく反映されていないことが明らかになった。「住民の意見を聞く」という美辞麗句が単なるお題目でしかないことが改めて明確になった。
 国土交通省によれば、百八十一件の意見が寄せられているが、その大半が法改悪案に反対するものとなっている。
 「事業認定以前の計画段階」については八十八件の意見が寄せられ、八十六件が「住民参加を強めるべき」「公益性について討議している段階では、用地取得・事業実施を中断せよ」と要求している。
 「事業認定段階」にかんしては寄せられた百八十四件(重複意見があるため総数と一致しない)の内、八割(百四十六件)が「住民参加を強化する方向で考えるべき」と述べ、中でも三割以上が「事業認定の申請者と認定者が同一官庁であるのはおかしい」と答えて身内同士で手続きを行う“お手盛り収用゜の不当性を指摘している。
 さらに「収用裁決段階」についても百十八件の意見があり「収用委員会審理で地権者に主張制限を課すのは反対だ」(四十一)「補償金払い渡しを簡略化するのには反対」(三十五)など土地収用法の強権化に八割が「ノー」と訴えている。

 強権的内容で

 また収用適格事業の拡張にたいしても七割が「反対」だ。
 要するに住民の声は八割〜九割が「強権的な方向での土地収用法改悪には反対」というものなのだ。
 ところが「住民の意見を踏まえて」出されてきたはずの土地収用法「改正」案には住民の声は反映されず、「一坪共有運動禁止」「収用法手続き簡略化」「収用委員会での主張制限」「収用適格事業の拡大」という当初の内容のままで閣議決定、国会提出がなされた。
 予想どおり「住民の声を聞く」はお題目に過ぎなかった。しかしこれは「住民からの意見」の取り扱いにとどまらない問題を含んでいる。
 改悪案には“イチジクの葉゜として「事業認定段階での公聴会」や「第三者機関からの意見聴取」の規定が盛られ、これを国土交通省は「民主的な改正」などとキャンペーンしているが、その実態が単なる“通過儀礼゜でしかないことを今回の「住民からの意見」問題は改めて明らかにしたのだ。
 土地収用法改悪を許してはならない。委員会での審議入りを阻止し、法改悪案を廃案に追い込もう。

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週刊『三里塚』(S585号2面3)

 投稿 家族増えた喜び共感 反対同盟に援農に入って

 二月二十一日、小林なつさん宅に援農に入った。作業はハウス内でのホウレンソウの選別でした。選び出したホウレンソウは折れた葉などをもぎり取り、またはさみで根っこを切り落として、出荷できる状態に整える、という作業をなつさん、一夫さんと三人で会話しながら行いました。
 なつさん宅は昨年まではスイカを主に生産していましたが、収穫時の重労働に加えて、施設費、燃料代及び輸送費など経費がかかるにもかかわらず、値段は一時の半値ほどにしかならないため、今年からホウレンソウに換えたということでした。
 ホウレンソウ栽培はまだ慣れないことが多く、苦労が多いそうですが、それでもスイカより収入は良いと、なつさんが笑顔で話してくれました。
 政府の農業(破壊)政策の下、どこでも将来に明るい展望が持てず、農家には嫁の来手がないといわれている中で、小林家では昨年末、一裕さんが久美子さんと結婚されたのですが、「とても働き者で思いやりのある良い娘だ」となつさんも非常に喜んでいました。

 大地に根はり

 いつだったか一夫さんは、一裕さんが農業を継いでくれて、闘争勝利の確信をより強めた旨発言されていましたが、今日の作業中の会話を通して、久美子さんを家族に迎えて、なおその意を強めている様子を伺うことができました。
 ここに、大地に根を張った三里塚闘争の本当の強さを改めて見た思いです。
 農家や農地また農道を、身長をはるかに超える高いフェンスで取り囲み、軒先工事で生活破壊を強制しつつ強行されている暫定滑走路建設工事は絶対に許せない。
 反対同盟の闘いに応え、土地収用法改悪阻止、東峰神社立木伐採粉砕・暫定滑走路今秋完成阻止の闘いに全力で決起していきたい。 (東京・労働者)

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週刊『三里塚』(S585号2面4)

 北総の空の下で 印度風と英国風 カレー別物

 六月を前にして、梅雨入りしたような天気が続きました。十年単位で見ていくと、五月の日照時間はだんだん少なくなっているそうです。今年も五月(さつき)晴れと言えるさわやかな日はあまり多くありませんでした。もっとも陰暦の五月は今の暦とずれがあることも事実です。
 六月に入って、ジャガイモ、タマネギ、ニンジンの収穫が始まりました。遅霜(おそじも)の被害をはね返して立派に育ったジャガイモ。寒中、草取りや欠株の移植をして手をかけたタマネギ。保温トンネルで温度を調整しながら出荷にまでこぎつけたニンジン。料理には欠かせない最強の根菜トリオです。
 この三つがそろって、まず思い浮かぶ料理がカレーライスではないでしょうか? 農作業の賄(まかな)い料理で人が大勢集まる時の定番人気メニューでもあります。
 私たちが子どもの頃から親しんできたカレーはジャガイモ、タマネギ、ニンジン、肉を煮込んだものにカレールウを加えて作ります。しかしこれはインドの人には“どろどろした得体の知れない食べ物゜らしいのです。
 インドにはカレー粉もカレールウもありません。たくさんのスパイスを配合してその都度すりつぶし、それぞれの家庭の味を作ります。
 ナスのカリーとか豆のカリーとか言うように、多種類の食材がいっしょに入っているのもインド風ではないようです。
 日本のカレーはイギリス人がインド風のスパイスで味付けした、シチューを起源としているとか!
 ナスなど夏野菜を使ってカレーを作った時のこと、故市東東市さんに「こんなのはカレーじゃない」と嫌われことが懐かしくよみがえってきます。 (北里一枝)

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週刊『三里塚』(S585号2面5)

三芝百景 三里塚現地日誌2001 5月23日(水)〜6月5日(火)

●5・27集会に反対同盟多数が参加 東京・芝公園で行われた反戦共同行動委員会の全国総決起闘争に反対同盟から北原鉱治事務局長、市東孝雄さんをはじめ多数が参加、北原事務局長が「小泉内閣はあの大戦がまちがいではなかったと教育内容を変え、有事立法、改憲を狙っている」と発言し、「戦争のための暫定滑走路を許さない」「7・15集会に大結集を」と訴えた。(27日=写真
●三里塚教会員と意見交換
三里塚教会が定期的に開催している宣教と平和委員会に、全学連三里塚現闘員が招かれ「マルクス主義の視点から見た現代について」をテーマに小泉反動政権の批判を展開した。委員会は活発な意見交換の場になった。(27日)
●市東ときさん誕生会 市東孝雄さん宅で毎年恒例となっている母親のときさんの84歳の誕生会が開かれ(誕生日は29日)、現地支援者多数が集まって長寿を祝った。介護に携わっている人たちから素敵な花柄のブラウスがプレゼントされると、あふれる笑顔で応えていた。(28日)
●畑見学の感想文 5月20日、萩原進さん、市東孝雄さんの畑見学に来た人から感想文が寄せられた。「萩原さんのキャベツ畑では、外側の葉が青虫にやられていました。子供の頃キャベツ畑のモンシロチョウは大好きでしたが、野菜作りの苦労を考えると喜んでばかりもいられません」「市東さんのキャベツ畑は車で二、三分の距離なのに、植えたのがちょっと遅めだというだけで、ほとんど被害にあっていませんでした。少しの時期の違いでこんなにも違うのかと驚きました」(30日)
●市東さん宅に援農 市東さん宅に東京の労働者が援農に入り、家の前の大看板のある畑でキュウリの草取りを行った。7・15現地集会の成功にむけて労農連帯の交流を深めた。(6月4日)
●虫が大発生 今年の春は虫が大発生しているとM君。ソラマメには毛虫が発生し、土中にはセンチュウ。この他アブラ虫、テントウ虫などが目につく。夜になると羽虫が窓にびっしり。「何より困るのがオウガ(カメ虫)の大発生」との事。オウガが発生すると枝豆の樹液を吸ってしまうため、味が落ちて商品にならなくなるという。「空港による環境汚染が原因なのか」。苦闘の日々が続く。(5日)

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