SANRIZUKA 2001/07/15(No587 p02)

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週刊『三里塚』(S587号1面1)

 堂本の「収用委再建」爆砕せよ 石原構想追随、土地強奪の先兵に

 成田農民殺しの挑発 堂本「私は沼田とは違う」

 千葉県知事・堂本彰子は六月一日の日本記者クラブでの会見で収用委再建問題に触れ、「(解体状況が続いている)現状のまま放置するようなことはしない」と明言、委員の再任命を強行する意向であることを強く示唆した。成田空港建設での強制収用は不可能だが(土地収用法による事業認定が時効消滅)、知事就任以来の成田空港建設問題への「積極関与」発言とあわせ、収用委再建はそれ自身が三里塚闘争への真っ向からの反動的挑戦である。堂本は石原都知事が進める大規模首都再開発の尖兵も自任し、改悪土地収用法(6・29成立)下の反人民的土地強奪の先頭に立とうとしている。わが中核派と三里塚闘争は、堂本知事の収用委再建攻撃を絶対に許さないことを厳粛に宣言するものである。
 千葉県収用委員会の「再建」は絶対に許されない。同収用委は八八年十月に委員全員が辞任してから、まる十三年も再建できず、機能停止状態を続けている。権力機関のひとつが十三年間も崩壊を強制されるという事態は、ブルジョア国家としてまさに「異常」事態ではある。
 しかし十三年も再建できない現実の背後には、階級的に再建を許さない根拠がある。ことは千葉県が問答無用の強制収用攻撃に手を染めた(八六〜八八)ことに端を発している。代執行権者たる千葉県が、政府・運輸省の意を受け力ずくで三里塚農民の土地を取り上げようとして、逆に実力で反撃され、収用委を崩壊させてしまったのだ。
 この三里塚闘争の歴史と現実は現在進行形で継続している。ゆえに収用委再建は許されないのである。
 また強制収用という政策手段を粉砕されてしまった政府・運輸省は、反対同盟と人民の怒りに包囲される中、脱落派の取り込みと成田空港建設を続行する方便として「強制手段の行使を永久に放棄する」(シンポ・円卓会議)と社会的に確約するハメに陥った。しかもこのシンポの「確約」について、「他の公共事業一般にも適用されるべき」との確認もなされた。
図 @滑走路南端部分,延長前提で補強舗装がない。このすぐ南側に東峰神社(約60m地点)と農家(約400m地点)が。A問題の誘導路工事。現闘本部、市東さんの畑の強奪を前提にした工事。B今年3月に公団がフェンスで封鎖した一坪共有地。C反対同盟の一坪共有地。着陸帯幅を致命的に狭めている。D東峰部落所有の開拓道路。

 この経緯を舌の根も乾かぬうちに反故にし、強制収用政策の復活のために知事が収用委再建をいいだすこと自体が許されない。
 県収用委再建問題に関して前知事の沼田氏は、「公共事業は話し合いで進められる故、収用委再建は不必要」との態度をとり続けてきた。みずからが強制収用攻撃の主体としてかかわった三里塚闘争の歴史と現実をふまえた、当然の帰結といわなければならない。
 今回の堂本知事の収用委再建発言は、こうした三里塚闘争の歴史と現実に対する真っ向からの挑戦だ。「成田問題の解決」と称する反動的介入を知事就任以来一貫して公言、「環境派」として選挙公約に掲げた「三番瀬埋め立ての白紙撤回」も翻し、いまや埋め立て反対の市民運動を破壊するために動き出しているのが堂本知事だ。
 また石原都知事の尖兵と成り果てて大規模首都再開発の先頭に立つと公言していることも見逃すことができない。
 「市民派」を標榜して市民運動に支えられ当選した堂本だが、知事就任からわずか二、三カ月で看板を架け替え、大資本と大銀行の救済を本義とし、開発推進の自民党会派の研究会と一体化するに至ったことはあまりにあくどい。さらには、ついに収用委再建にまで手をつけると公言した。
 この堂本の態度は、三里塚闘争のみならず千葉県下のすべての労働者人民の利益に完全に敵対するものである。断固として粉砕すべくあらゆる手段で戦いぬかなければならない。

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週刊『三里塚』(S587号1面2)

 誘導路、軒先ぎりぎり

 現闘本部市東方 「たたきだし」前提に

 暫定滑走路計画が地元天神峰・東峰地区農民を力ずくでたたき出すことを前提に設計され、そのために住民への脅迫を旨とする軒先工事として進められている現実が改めて浮き彫りとなった。
 問題箇所は暫定滑走路の未買収地で誘導路予定地を寸断している反対同盟の天神峰現闘本部、同市東孝雄さん方の畑、および同一坪共有地付近の工事だ。暫定滑走路計画を策定した当時の運輸省の発表では、誘導路の設計自体を「く」の字型にカーブさせ、上記未買収地を避けるとしていた。設計自体の変更だとされたのである。
 しかし実際の工事は、現闘本部や市東孝雄さん方の畑を両側から挟撃する形で進められ、境界ぎりぎりまですでに一方的にコンクリートで固められていた。現闘本部北方の同盟一坪共有地を公団がフェンスで囲い込んだ(今年三月)のも、この工事を強行するためだった(写真)。
 これこそ「反対派の軒先まで工事を進め、お見せすることでご理解いただく(たたき出す)」(二期着工後の公団総裁発言=八八年)とした「軒先工事」の典型だ。国土交通省・空港公団は現闘本部と市東さんの畑を手段を選ばず強奪しようと考えているのだ。
 共生委員会が「声明」した「軒先工事は不適切」(九八年十一月)もへったくれもない。東峰神社の立ち木伐採(6・16)が満天下に示したように、彼らは最後は法律さえ無視する。反対派農民は力でねじふせる対象としてしか考えていない。まさに農民無視。これが政府・公団の本質なのである。
 (写真 現闘本部の目の前に伸びる軒先工事。土地強奪が前提の公示だ(団結街道北側から撮影))
     *
 今回指摘した天神峰地区の軒先工事は、本紙583号で暴露した暫定滑走路南端の非コンクリート化(延長前提の設計で強化舗装されていない)工事と同じ問題である。現住する東峰区住民を追い出すことを前提に、まさにそのための軒先工事として暫定滑走路建設自体が進められているのである。
 国土交通省は、成田空港建設の手法を完全に「力の政策(暴力主義)」に舞い戻らせた。公権力がむき出しの暴力に訴えてくるとき、人民の回答は断固たる革命的暴力でなければならない。

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週刊『三里塚』(S587号1面3)

 「実力闘争の勝利性実感」 全学連激励行動 3ヵ所でミニ交流会

 六月二十五日、全国九大学の学生二十人による反対同盟激励現地行動が行われた。六月十六日に強行された東峰神社立ち木伐採に抗議し、緊迫する三里塚現地を見聞しつつ反対同盟との交流を深めることが目的。
 マイクロバスで現地に到着した学生たちは、まず立ち木が伐採された東峰神社へ。゛ご神木″が無残に切り倒された現場を目の当たりにして立ちすくんだ。
 「根こそぎかよ」「これはひどいね」「まさに国家の犯罪だ」と口々に怒り。
 フェンスで取り囲まれ収容所と化した東峰部落内を見聞、同じくフェンスで囲い込まれた天神峰の一坪共有地など暫定滑走路工事による生活破壊の実態をつぶさに見て回った。
 昼休み。不当逮捕をものともせずたたかった萩原進さん宅へ。庭には゛戦車″と化し機動隊に突進したトラクターがあった。「大きいトラクター!」「このバケットで車止めを突破したんだ」と感心しきり。

 スイカ振舞われ

 萩原さん夫婦が出迎えてくれた。全学連が檄布を手渡した。静江さんから三里塚名物のスイカがふるまわれ、一同舌鼓をうつ。
 「当日、伐採強行はまさかと思った。それーっと緊急動員かけて現場に行ったら、神社入り口で阻止線張られてにっちもさっちも行かない。それでトラクターで出直した」「東峰十字路で検問の車止めをはじき飛ばして突進した。機動隊があっけにとられていた」「神社入り口の検問で機動隊が運転席の両側から飛び掛かってきた。奴らのあわてぶりは滑稽だったよ」
 心配顔だった全学連の表情が晴れた。同盟に敗北感は微塵もなく、すがすがしい闘志に満ちていた。
 「こっちは逮捕覚悟だったから留置されても平気の平左」「一日で釈放に追い込まれた警察の態度にも伐採の不当性が表れている」と萩原さん。「暫定滑走路建設のデタラメをあらためて天下に示した。必ず使い物にならない滑走路にしてやる」と話してくれた。
 中には三里塚現地が初めてという学生も。将来、闘いの先頭を担う若い力だ。ある学生は「噂には聞いていた三里塚の実力闘争の思想にじかに触れて大いに納得」と語ってくれた。
(写真 萩原進さんを囲んでミニ交流会。熱心に意見交換(6月25日))

 三里塚実力闘争をついに実体験

 つづいて天神峰の市東孝雄さん宅へ。市東さん自身、九九年十二月に現地に戻ってから今回のような激しい闘争は初体験だ。
 「私も三里塚の実力闘争とはこういうものかと興奮しちゃって。公団職員の中に条件派で公団に雇われた同級生の顔を見つけたんで『ふざけるな!』と胸倉つかんで引きずり倒してやったよ」「家の前でも誘導路の工事がどんどんやられてる。やがてジェット機が自走する。地上げ屋みたいなやり方に本当に腹が立つけど、立ち木闘争で同盟のたたかいの心意気を実感できた」と語ってくれた。
     *
 学生たちはこの後、工事を一望できる同盟監視台に上がり、軒先工事の現状を確認。さらに現地調査に移り菱田、横堀、木の根、岩山記念館と見て回り、北原鉱治事務局長宅へ。
 全員奥座敷に上がって事務局長と一問一答。「呉服店をされている北原さんがなぜ農民と一緒に空港反対闘争に立ち上がったのですか」という問いに「当時地域のまとめ役をやっていたので事務局長に推された」「二、三年でカタがつくと思ったら三十五年もたたかうことになった」「日本の空が米軍に占領されている実態も知り衝撃を受けた。海軍で職業軍人だった体験から軍事使用される空港と確信、二度と戦争をやってはならないという信念も加わりたたかいに没頭した」等々。めったに聞けない個人史も語られ、学生たちも感銘を受けていた。
 「学生は大いに勉強して欲しい。社会状況への関心を忘れず、社会に役立つ勉強というのが私の信条だ」と事務局長は強調した。
 最後に記念撮影。「7・15闘争には大勢の学生を連れてきます」と約束して現地行動を締めくくった。

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週刊『三里塚』(S587号1面4)

 写真

 

 

 東峰行動で激励行動
激励行動に訪れた全学連の学生たちとミニ交流会。「地上げ屋みたいなやり方に本当に腹が立つけど、同盟の団結と心意気を実感した」と市東孝雄さん(天神峰 6月25日)

 

 

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週刊『三里塚』(S587号1面5)

 ピンスポット 公団総裁が「違法伐採」を認識

 事実上「総有」認め 「社は部落に所有権」!

 公団の中村総裁は会見で東峰神社立ち木伐採に関連し「残る神社について公団の所有権はない。(神社の所有者である)東峰区住民に移転をお願いする」とした。
 決定的発言である。神社(やしろ)が部落の所有(総有)なら土地も百%部落の総有だ。逆に土地が個人所有なら、神社も個人所有物だ。問題は神社建立時(一九五三年十一月)の法的所有権に遡る。
(写真 丸裸になった東峰神社。公団は「総有」を認識していた)
 公団の立ち木伐採の「根拠」は、神社の土地を登記簿上の名義人・浅沼から「購入」したという設定。神社の土地がもともと「個人所有」との立場だ。でなければ「浅沼名義」は成立しない。いったん総有に移行すると個人売買はできない。
 公団の強引な解釈に従えば、神社も最初の土地提供者でありご神体も提供した伊藤音次郎氏(戦後入植者)以来の「個人所有」となる。
 ところが総裁は、正しくもやしろは部落総有と認めた。つまり土地も部落総有と認めてしまったのである!

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週刊『三里塚』(S587号1面6)

 団結街道

 萩原進さんの知りあいの梨農家で梨の実が大量に落ちたそうだ。残念ながら、今年は不作とのこと。市東さん宅ではユズの実が少ないと懸念。ユズは春に白く小さな筒形の花が咲く。花は咲いたが実が少ない。不思議なサイクルを感じる▼一方この六月、市東宅ではグミの実がたくさん実った。グミは渋いとの通念があったが、よく熟した実は全然渋くない。渋いグミを大量に食べると口がまっ赤になるが、自分の口が自分の口でないような感覚に陥る。「それでこそグミ」と言い張る人も▼知りあいの甘党にケーキをご馳走になったら、クリームの上にグミの実が乗っていた。こんなものを出荷している農家もあるのかと驚いた。ケーキ屋が自分の庭にグミを植えていただけかも。と思う間にグミの季節も終わり浮世から消えた▼「今年は成りものが悪い」と本欄で報告したが、なす・きゅうり・とうもろこしなど、夏の成りもの野菜は別問題。花が咲くのはこれから。春に実をつける成りものとは違う様相であって欲しい。稲やカボチャの諸君も頼むよ!▼梅もダメだったというが、山のような梅の実が届いた。例年のことだが、志の篤い同志が仕事の合間を縫って何樽も漬けてくれた。〈梅干は漬けては干すの繰り返し〉骨の折れる作業だ。食欲増進、整腸、夏バテ防止など不思議な効能。一粒口に。あのすっぱさをご想像あれ。唾がジワッと沸いてくるでしょう▼というわけで今年も暑い暑い夏の到来。目の前の軒先工事の暴挙と対峙しつつ、汗の噴き出す畑で格闘。資本主義はこの心意気を決して理解しない。

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週刊『三里塚』(S587号1面7)

 闘いの言葉

 軍事力の歴史的な水準は天才的な将軍の才能や英知にではなく、経済的進歩・産業の水準と交通連絡の発達とに依存している。
 一八七七年
 エンゲルス
 『反デューリング論』

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週刊『三里塚』(S587号2面1)

 破れん恥 堂本知事の裏切り

 都市再生で石原の先兵 第2湾岸で三番瀬潰し

 公約ホゴ、自民の言いなり

 労農学の力で堂本知事を打倒しよう!

 「環境派」「市民派」を掲げて千葉県知事に当選した堂本暁子の正体があらわになってきた。小泉純一郎・石原慎太郎連合の推し進める「都市再生」政策の先兵を務め、成田完全空港化、成田新高速鉄道推進を最大の政策課題に設定し、千葉県収用委員会再建まで打ち出した。また、最大の公約であった東京湾三番瀬埋め立て白紙撤回をホゴにして、同干潟を破壊して造られる第二湾岸道路積極推進の立場を表明した。このほか、沼田前知事の開発計画の継承を明らかにし、外郭環状道路、首都圏中央連絡道路、第二アクアライン(湾口道路)推進も鮮明にしている。堂本知事は最悪の保守政治家であり、開発優先主義者である。人民の力で今こそ打倒すべきだ。
 堂本知事の正体が全面的に明らかになってきている。その最たるものが千葉県収用委員会の再建表明である。
 堂本知事は千葉県市町村会による「収用委員会再建要求」(六月一日)に応えて同六日の日本記者クラブでの会見で「どうにかしなくてはいけない。ほうっておくつもりはございません」と答えた。
 保守政治家の典型であった沼田武前知事ですら着手できなかった収用委再建問題について、堂本知事は「再建に取り組む」と表明したのだ。
 収用委員会再建の表明は、何よりも三里塚闘争にたいする真っ向からの敵対である。現在、成田空港二期工事に関しては、事業認定そのものが失効していて土地収用法の適用は不可能だが、三里塚闘争の歴史は土地収用法による農地強奪攻撃との歴史であり、収用委員会の存在自体が強制収用の象徴として、三里塚農民への威圧となるのだ。

 立ち退き

 そして、収用委員会の再任命は、土地収用法改悪とセットになって前述の「都市再生」計画推進の意図を明白に持っている。今回の土地収用法改悪は、公共事業の都市への重点投資=土地流動化(都市再生計画)を実現するための「武器」として、小泉じきじきの指示で強行された。意図は成田空港完成、羽田空港再拡張を柱とするハブ空港建設計画と三環状道路を中心とする巨大道路建設である。
 これらの政策実現にとって千葉県の位置が決定的なのである。アクセス強化と称する成田新高速鉄道の整備が成田空港建設と一体で行われているが、新高速鉄道には未買収地が膨大に残っており、土地収用法による早期取得を狙っている。
 他方の重要政策である三環状道路の内、外郭環状道路(外環道)では松戸|市川間で三十年以上にわたる強固な反対運動が展開され、予定の半分以上が未買収である。外環道建設を強行すれば東京・世田谷なみの二千七百戸立ち退き問題が火を噴く。東京と同様に、外環道路問題の突破を収用委再建攻撃はもくろんでいる。
 同様に首都圏中央連絡道路(圏央道)についても、茂原|東金間で住民の怒りが噴出し、計画地域が広がるにつれ反対運動が拡大するのは必至だ。
 これらの反対運動を力で押さえ込み、小泉・石原の主導する「都市再生」「首都圏メガポリス構想」を先頭で推進するための収用委員会再建なのだ。

 「第2横断道」!? 沼田の政策を継承

 堂本知事の“背信゜、公約違反についても驚くべきものがある。
 堂本は自分でも「私の専門は環境問題」「生物多様性の意義を広めるのが使命」などと語っている。(著書『無党派革命』『立ち上がる地球市民』『生物多様性』など)
 また地球環境国際議員連盟(GLOBE)の世界総裁を務め世界自然保護連合(IUCN)の副会長をやっていたと誇らしげに語ってもいる。
 そして勝手連式の住民運動によって知事選挙候補にかつぎ出された時の公約は「三番瀬埋め立ての白紙撤回」「巨大公共事業の見直し」「常磐新線沿線開発、外郭環状道路、第二湾岸道路、首都圏中央連絡道路、湾口(第二アクアライン)道路、首都圏第三空港の凍結」などであった。
 ところが知事に就任したとたん、これら公約の大半を覆したのである。堂本をかつぎ出した知事選の支援者は絶句状態だ。
 まず堂本は、県議会の所信表明において、開発行政をしゃにむに進めてきた沼田前知事の「新世紀ちば5か年計画」を全面的に受け継ぐ方針を表明した。自民党県議から「話の分かる人が知事になってくれた」などと持ち上げられるほどだった。
 「新世紀ちば5カ年計画」とは、堂本が公約で見直しないし凍結を打ち出した巨大公共事業をすべて含んでいる。外環道しかり、圏央道しかり、第二湾岸道路・三番瀬埋め立てしかり、常磐新線しかりである。
 この時点で、堂本は公約のほとんどを事実上放り投げた。
 そして堂本は就任以来、公約維持か破棄かで揺れていた三番瀬埋め立て問題でも方針転換を表明したのだ。
 堂本知事は六月二十二日の定例県議会代表質問への答弁で三番瀬埋め立てについて「埋め立てるか埋め立てないかどちらとも言えない」と発言し、事実上公約破棄を言明した。
(図 三番瀬を破壊して造られる第二湾岸道路や外環道,首都中央連絡道、湾口道路(第二アクセスライン)など堂本知事が推進する道路建設)
 後述するが、堂本は三番瀬を通過しなければ建設できない第二湾岸道路の必要性を明言しており、このことから言っても三番瀬埋め立ての白紙撤回をホゴにしたことになる。
 三番瀬とは船橋・市川市の沖合いに広がる千二百ヘクタールの干潟と浅瀬で、東京湾奥の最後の自然と言われている。
 多数の渡り鳥が稚魚を求めて飛来し、東京湾の海水浄化にも重要な役割を果たしていると言われている。

 勝手連をも排除 県民に怒りうずまく

 三番瀬問題への態度が三月千葉県知事選のきわめて重要な争点になっていた。 ここで「環境問題専門家」堂本は白紙撤回を公約し、多くの「無党派」県民の支持をえて当選した。「三番瀬は千葉の問題であると同時に東京湾全体の問題」「地球環境にとってもかけがえのない存在だから凍結・白紙撤回する」などと語っていた。
 だがその最大の公約をいとも簡単にホゴにしたのだ。まさに人間性まで疑わせる背信行為である。堂本を必死に応援した市民団体の間からは落胆と共に怒りの声が渦巻いている。

 官僚抜擢

 さらに三番瀬埋め立てと一体不可分の事業である第二湾岸道路建設についても「必要であり国と協議していく」と答弁し、完全に公約を踏み破った。
 第二湾岸道路は、右の地図にあるように現在の湾岸道路の海岸側に造る計画の高速道路で、東京都大田区から千葉県市原市にいたる総延長五十キロの「ムダな公共事業」の典型だ。
 この道路は三番瀬を直撃し同干潟を避けてはルートが成立しない。堂本知事が「第二湾岸道路は必要」という以上、三番瀬「白紙撤回」はホゴにするということだ。自民党関係者も「知事は白紙撤回しないんじゃないか」「沼田知事のいい後継者だよ」と堂本知事の開発政治を誉めている。
 このほか「新世紀ちば5か年計画」にある外環道、圏央道、湾口道路なども積極推進である。また「成田」と「幕張」をIT特別経済区に採択するよう都市再生本部に働きかけていく方針を明らかにした。「巨大公共事業の見直し」という公約は一体どこへいったのか。「環境派」はとんだ食わせものだった。堂本は知事に就任したとたん勝手連の市民を排除し、副知事には典型的官僚を抜擢した。そしてわずか三カ月で本性を現したのだ。

 三里塚農民殺し 本性見抜き弾劾

 小泉・石原連合は「都市再生」と言う名の第二バブル誘発政策で、土地流動化、ハブ空港建設、大規模道路開発、臨海副都心開発(記事別掲)に走っている。都市に予算を投入する事で都市住民への選挙対策にすると共に、地価を人為的に吊り上げることで「不良債権処理」のウルトラCを狙っている。
 堂本はこの小泉・石原連合と一体となりそのお先棒をかつぐ保守政治家に成り下がっている。先の記者クラブとの会見では「石原都知事と似た感性かもしれない」と、ファシスト石原との一体性を恥ずかしげもなく語った。

 罪は深い

 成田空港建設を推進し、三番瀬を埋め立て、第二湾岸、外環道、圏央道、IT経済区を展開する堂本は、千葉県の財政を取り返しのつかないところにまで悪化させ破壊するであろう。(解説)
 選挙運動の過程で「千葉から日本を変える」「二一世紀型の新しい政治を」「公共事業ストップへ大英断と勇気が必要」などとリップサービスに努めてきたが、一切がウソだった。「環境派」「市民派」を騙って県民をだました分だけ罪は深い。
 三里塚は堂本当選の瞬間からその正体を見ぬき、三里塚闘争破壊者として警鐘を乱打してきた。堂本が収用委員会再任命へ動き、空港完成や成田新高速鉄道の推進に出てくるならば、三里塚闘争に結集する労農学は、怒髪天をつく苛烈な反撃で応えるであろう。
 小泉・石原の先兵=堂本千葉県知事を全人民の力で打倒せよ。

 解説

 日本の有料道路建設システムは、道路公団や首都高速道路公団の建設といっても自治体の負担がゼロになるわけではない。公団は独自の予算を持たずすべて借入金でまかなう。したがって第一に当該公団が、交通量予測と料金設定の積で、負担できる予算額を決める。これを直轄負担と呼ぶ。全体の建設費から直轄負担を除いた部分の三分の一を県が負担することとなる。
 千葉県の赤字税制は現在一兆九千億円。年間予算の一兆七千億を超える金額だが、堂本知事が進める第二湾岸道路、外環道路、首都圏中央連絡道、湾口道路のすべてに千葉県が財政負担を負うことになる。このままでは千葉県の財政再建団体転落は必至である。

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週刊『三里塚』(S587号2面2)

 石原「臨海副都心」の超デタラメ

 台所火の車で”防災基地に”丸投げ

 小泉・石原の「都市再生」計画の第一次プロジェクトに、臨海副都心開発が「防災基地計画」の名の下に組み入れられた。これは臨海部を有事の際の軍事基地とする狙いと同時に、臨海部開発を促進することで「低未利用地」の流動化を促進し、地価を上げて不良債権処理を行おうとするものである。

 金丸・中曽根ライン

 その裏側には行きづまった臨海副都心計画を、国の公共事業に転換し、政府の予算を投入することで破たんを隠蔽しようとする意図もあわせ持つ。苦肉の石原都政救済策でもある。 
 臨海副都心計画は一九八六年十一月、当時の東京都知事・鈴木俊一が作った「第二次東京長期計画」で打ち出した。それは“臨海部を七番目の副都心にする゜と称する典型的なゼネコンのための利権事業だった。
 事業を仕切ったのは金丸信元建設大臣ー中曽根康弘元首相ー鈴木東京都知事という利権ラインだった。九〇年四月には「臨海副都心・まちづくりガイドライン」が出され、この計画に基づいて工事が着工された。
 同ガイドラインでは東京港埋立地四百四十八ヘクタールに就業人口十万六千人の大規模な国際ビジネスセンターを二十一世紀初頭までに造るとされた。「職住接近の都市」であり、情報通信施設、コンベンション(会議場)施設と住宅・文化・スポーツ・レクリエーション施設の近接がうたい文句だった。
 東京都がライフラインなどの基盤を整備し、都と民間からなる第三セクターが高層ビルを建設し、それを民間企業や個人に貸し付ける計画だった。当初の事業費は三兆四千二百億円だったが、計画はどんどん拡大されて九一年には十兆円にまで膨らんだ。
 ところが九〇年に入ってバブルが崩壊したこと、計画そのものが過大でずさんだったことのツケで一九九〇年代前半には計画の大幅見直しを余儀なくされた。それでも開発は続行され、青島幸男知事時代を経て事態はどんどんひどくなっていった。
 一九九七年には臨海部で開発した土地の投げ売りにまで追い込まれ、すでに一部進出していた企業に権利金の一部返還、地代の特別割引まで行った。これらがすべて都民の税金で賄われたのである。
 現在、計画が始まって十五年もたっているが都市基盤整備が八割完成しているのに、用地の利用はわずか四割、住宅建設についても二割以下しか行われておらず、十万六千人とされた就業人口も二万五千人でしかない。そして計画推進のために東京都が造った第三セクターが軒並み大赤字である。

 贈収賄の違法行為

 赤字の第三セクターランキングという表があるがこの上位に臨海副都心の「東京臨海副都心建設」(四位)「竹芝地域開発」(七位)「東京テレポートセンター」(九位)「東京ファッションタウン(十位)」「東京臨海高速鉄道」(十四位)と五社も名を連ね、今も赤字を垂れ流しつづけている。
 そして最初三十年間で約七兆円の収入があるとされていたものが、実際には一兆円にも満たないという惨状である。しかし一九九九年に当選した石原都知事は「公共事業は計画決定後でも再評価する」という公約を踏みにじり「首都東京を再生させる起爆剤にする」とのかけ声で、小泉とともに第二バブルの誘発をもくろんで、さらに巨大な事業にのめり込んでいる。
 臨海副都心開発をめぐっては、前述の第三セクター群に大半の大手ゼネコンが社員を送り込み、その規模に応じて工事が受注されるという贈収賄にかぎりなく近い違法行為が行われていた。また臨海副都心構想が当時の民間活力推進担当大臣だった金丸や首相だった中曽根じきじきの介入で拡大されていった経緯が当時の都幹部の証言などで明らかになっている。

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週刊『三里塚』(S587号2面3)

 北総の空の下で

 同盟の底力 忘れちゃ困る女衆

 六月十六日、東峰神社に手をかけた権力の暴挙にたいして、萩原進さんが身をもってたたかい、切り開いた地平は実に大きなものでした。反対同盟の逮捕は八七年耕運機デモ以来のことだけに、全国の支援勢力に与えた衝撃と怒りは大変なもので、進さん奪還後も電話、ファックス、檄布、手紙が次々と寄せられ、全関西実行委員会の永井満さんや群馬県実行委員会の青柳晃玄さんらが取るものも取りあえず現地に駆けつけてくれました。
 進さんが決戦局面で遺憾なく権力とぶつかることができたのは、反対同盟の絆と家族の支えあってこそ、と強く感じました。
 進さんがトラクターから引きずり下ろされた瞬間、同盟員の怒りが爆発、機動隊と大乱闘になりました。翌日、「体のあちこちが痛いよ、おもいきりやったからなあ」と市東孝雄さん。あわや逮捕というところまでいった鈴木謙太郎さん等々同盟の団結の力を敵・権力にまざまざと見せつけました。
 逮捕の一報後、萩原家の女性たちのテキパキとした対応も、さすが! と感心するものでした。まず母親の哲子さんが家宅捜索を想定した弾圧対策を指示。静江さんは差し入れの衣類などを手際よく準備しながら、逮捕報道をテレビで見た親戚や闘争関係者からの電話、訪問客や弁護士との対応に大忙しです。この時とばかり、家族の動揺を引き出そうとする警察の動きにも毅然として動じませんでした。
 翌日の進さん奪還報告集会には静江さんも参加して挨拶。スイカや漬物などを持参する気配りに皆恐縮することしきりでした。
 これが三里塚闘争三十五年の底力です。
(北里一枝)

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週刊『三里塚』(S587号2面4)

 三芝百景 三里塚現地日誌 2001 6月18日(月)〜7月3日(火)

●群馬実行委の青柳さん同盟を激励 6月16日に東峰神社立ち木が盗伐された事にたいして、群馬県実行委員会の青柳晃玄さんが現地を訪れ反対同盟を激励した。(18日)
●全関西実行委の永井代表もかけつける 「東峰神社立ち木の伐採」にたいして全関西実行委員会の永井満代表も三里塚現地にかけつけ反対同盟各戸を回って激励した。(19日)
●反撃のデモを展開  反対同盟は東峰神社の立ち木伐採に反撃するため敷地内デモを展開した。(24日)
●全学連が反対同盟激励行動
 東峰神社立ち木の強行伐採の報を聞き、全国9大学の学生が行動団を組織して反対同盟激励行動を展開した。「若い学生が来てくれるのは本当に勇気づけられる」と反対同盟各氏。(25日)
●小林さん宅でトマトの定植作業 小林なつさん宅でトマトの定植作業が行われた。20棟以上あるハウスのうち3棟を使って成長したトマトの苗を植えつけた。(28日)
●改悪土地収用法が国会通過
 一坪共有運動の禁圧などを内容とする土地収用法の改悪案が参議院で可決され成立した。労農学の怒りが頂点に達している。(29日)
●関西新空港反対集会に鈴木さん 大阪府泉佐野市で開かれた関西新空港反対集会に反対同盟の鈴木幸司さんが参加してあいさつした。「東峰神社立ち木の伐採も土地収用法改悪・教育3法改悪と同じ流れ」「小泉政権による反動政策に戦争前夜のような怒りと危機感を感じる」と述べて関西新空港2期工事・成田暫定滑走路工事粉砕の決意を示した。泉佐野住民の会との交流会では率直な意見の交換が行われた。「なぜ脱落派と決別したのか」との問いに「彼らとは闘いの根本が違う。『空港反対』を唱えて結局見返り条件を引き出すのが彼らの運動だ」と答え、「三里塚から外に出て多数の人と接触し学ぶのが大事」と成果を強調していた。(7月1日=写真)
●解同全国連茨城県連大会に伊藤さん 茨城県古河市で開かれた部落解放同盟全国連合会茨城県連の第10回大会に反対同盟から伊藤信晴さんが参加して東峰神社立ち木の伐採に実力決起で反撃した闘いを生々しく報告。部落差別と闘う三里塚の決意を明らかにすると共に7月15日に三里塚現地で闘われる決起集会への大結集を呼びかけた。(1日)

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週刊『三里塚』(S587号2面5)

 《訂正》

 586号2面「環状3道路で10倍以上」の記事で首都圏中央連絡道路の延長三十キロ、開業十キロとなっているのはそれぞれ四十六キロ、二十キロの間違いでした。

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