SANRIZUKA 2002/07/15(No611
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週刊『三里塚』(S611号1面1)
“産土様を冒涜するとは”
東峰神社裁判第1回公判 村の神社は売買できぬ
公団の盗伐 違法承知の確信犯
六月二十四日、東峰神社の所有権移転裁判(所有権移転の無効確認訴訟)の第一回公判が千葉地方裁判所で行われた。同裁判は、昨年六月に空港公団が暫定滑走路開港のために東峰部落の所有物(部落の総有)である東峰神社境内の立木を勝手に盗伐した事件で、神社の土地が部落の総有関係であることの確認と立木の原状回復を公団に請求するもの。萩原進さんら東峰部落住民全戸が原告となり、今年四月に提訴していた。公判は反対同盟や支援団体などが多数傍聴するなか、原告全員の冒頭意見陳述が勝ち取られた。今年四月の暫定滑走路開港は、東峰部落の財産を強奪することで初めて可能となった。神社の土地の総有関係は明白で、この裁判自体が暫定滑走路の運用を脅かすものとなっている。
(公判終了後の記者会見と報告集会。弁護団が裁判の争点を解説した【6月24日 千葉市】)
原告全員が陳述
法廷は午後一時に開廷し、訴状の内容確認がなされた後、原告全員の意見陳述が行われた。
陳述者は石井恒司さん、川嶌みつ江さん、小泉英政さん、島村昭治さん、萩原進さん、樋ケ守男さん、平野靖識さんの七人。このなかで萩原進さん(反対同盟事務局次長)は「鎮守の杜(もり)という言葉どおり、社殿と境内、立木は一体のもの。部落の産土(うぶすな)様を破壊することは、村を村として存続させないとするものだ。私は立木伐採に抗議して逮捕されたが、部落や多くの人の激励を受け、正しかったと確信している」などと述べた。川嶌さんは「原野をトンビ鍬ひとつで開墾した当時は神社もなく、道陸様(どうろくさま=道祖神)に手を合わせていた。部落総出で建てた神社の土地を、勝手にお金で売り買いするなんて信じられない」(書面代読)と訴えた。
公判終了後、弁護士会館で記者会見をかねた報告集会が行われた。大口昭彦弁護団長をはじめとする弁護団は、この裁判の焦点について「東峰神社の土地が村の総有関係にあるという歴史的事実を証明することだ」と述べ、「便宜的な名義人に過ぎない浅沼輝男氏(元東峰部落住民)から公団が土地を「買収」し登記したことには法的根拠がない」と強調、立木伐採が盗伐そのものであることを厳しく弾劾した。
公団は一九六九年に浅沼氏から神社周辺の土地を買収した際、神社は部落の総有であると認識していたため、神社の土地だけを分筆して買収しなかった(個人的買収は不可能)経緯がある。神社の土地はもともと浅沼氏の前の地権者・寺田増之助氏が神社建立のために東峰部落に寄贈したもので、この時点から神社の土地は部落の総有関係に移行していた。これは不動産売買のプロの間では常識に属する問題だ。
次回公判は八月二十六日と決まった。
(東峰神社の頭上をかすめる着陸機。飛行高度はわずか20メートル程度だ。部落住民が新たに植えた白カシの木が伸びる
)
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週刊『三里塚』(S611号1面2)
公団も「総有」を認識していた
1953年11月23日 東峰神社を東峰部落の共同事業として建立。土地は寺田増之助氏(戦後入植)が部落に寄贈。祭神は旧伊藤飛行機の社員で構成した恵美開拓組合が津田沼の航空神社を移遷、「勤労の神」二宮尊徳神と合祀した。この時、神社林も部落で植林(建立式=写真)。この時から神社の土地所有権は部落の総有関係に
61年12月13日 寺田氏が村から転出。宅地、耕作地、山林など所有地を一括して浅沼輝男(東峰部落の外の住人)氏に譲渡。この時、地目が山林となっていた神社の敷地も、登記簿上は便宜的に浅沼氏の名義に書き換えられた。(※現行の登記法制には総有の登記方法はない)
66年7月4日 「三里塚空港」設置の閣議決定
69年3月19日 空港公団が浅沼氏の東峰所有地を買収。その際、神社敷地分は部落の総有関係ゆえに買収できず分筆し、浅沼名義のままにした
78年5月20日 一期暫定開港(A滑走路一本で)
86年10月27日 二期工事の見切り着工
2000年12月1日 暫定滑走路の工事着工
01年6月15日 公団が急きょ浅沼氏から「神社の敷地を買収した」として「所有権移転登記」をねつ造
6月16日 公団が東峰神社の立木盗伐を強行した
02年4月18日 滑走路南端に反対農家を残したまま暫定滑走路の供用開始
(写真 総有関係を証明する東峰神社建立式の写真。血の滲む厳しい開拓を乗り越えた東峰部落住民全員の希望の結晶だった【53年11月23日】)
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週刊『三里塚』(S611号1面3)
公団主張の論理破綻ありあり
社殿の「総有」認め境内を抹殺の空論
公団の答弁書の論旨は、@神社の社屋が東峰部落の総有であることは認めるA神社の土地が部落の総有とは認めないB公団の土地買収と登記は無効とする原告側主張とは争うC伐採した樹木が神社を構成する神社林であったとの原告側主張とは争う、というもの。
公団の主張は、神社の社屋が東峰地区の総有関係なのに、土地は売買可能な個人所有だとの主張だ。共同体所有の神社が個人の土地に建っている例はまず見られない。一族だけの氏神を祭る個人所有神社をのぞき、地域共同体や氏子で成立する神社(これも氏神という)の土地所有権は基本的に総有関係だ。
総有という所有概念は近代の登記とはなじまない。登記できない所有権なのである。したがって登記簿上の名義は、あくまで便宜的なものとなる。
戦後、政府は土地登記を徹底させる目的で、伏見稲荷(ふしみいなり)大社などを例外に、全国ほとんどの神社を神社本庁名義として登記させる指導を行った。しかしこれも法的には便宜的で、所有権はあくまで氏子の総有関係にある。
七七年にたたかわれた産土参道破壊阻止闘争(岩山部落=A滑走路南端付近)の産土神社も、名義は神社本庁だったが、所有権は岩山部落の総有関係だった。そのため、神社の移転には岩山地区全員の承認が必要だった。しかし当時の反対同盟行動隊長・内田寛一(岩山部落)は「神社本庁の名義なので反対しても意味はない」といいくるめ、全員の承諾印を取った。
また今回公団側は、立木が神社林だった場合は、仮に土地が公団のものでも伐採する権限はないので、「神社林ではない」と主張することにやっきとなっている。これも無理を承知の主張だ。神社にはかならず境内があり、植生している樹木は神社林である。境内がない神社などという設定自体がありえない。
公団にとって神社の立木伐採は暫定路開港の絶対条件だった。法的権限がないことを承知で伐採したのだ。
公団による「買収」と土地登記は無効だ。伐採は犯罪行為であり、暫定滑走路自身が無法なのである。
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週刊『三里塚』(S611号1面4)
神社敷地の「総有」は争う余地なし 萩原進さんに聞く
土地も社殿も一体
公団の“盗伐”明らか
六月二十四日に始まった東峰神社裁判で、たたかいの先頭にたった萩原進さんんに、同裁判の意味と空港公団側の主張のデタラメさについて伺った。暫定滑走路開港後の新たな三里塚闘争にとって、空港公団に反撃するたたかいの場として東峰神社裁判の持つ意義は大きい。この点についてもあわせて語って頂いた。
(萩原進事務局次長【東峰部落】)
◇ ◇
――裁判の話に入る前に部落にとって東峰神社の持つ位置の大きさについて伺いたいのですが。
「農村の部落にとっての神社というのは、あらゆる生活にかかわる中心的な位置を占めている。おれのおやじ(故作治さん)なんかの世代は『心のよりどころ』という言い方をする。
正月の初詣、子どもが生まれた時はお宮参り、三歳、五歳、七歳になればヒモ解き(七五三)の祝い。十五歳の祝い。全部神社にお参りする。うちでは今年ばあさん(哲子さん)が米寿を迎え、その祝いをしたんだけど、その時もこの神社にお参りをした」
――三里塚の開拓部落で神社のある部落はないですね。
「そうなんだ。おやじらの世代にとっての愛着はおれらの想像以上だよ。今度の裁判で陳述書が川嶌みつ江さんらから出されているけどその中にも『神社は部落の人と一緒に年を重ねてきたのです』『空港問題が起きて部落の姿が変わっても神社だけは昔のまま農民を見守ってくれていた』などの言葉が語られている。
だから去年六月の立ち木の伐採は本当に部落の心を踏みにじるものだった。あれは部落の破壊と同じ事なんだ。東峰をもはや部落としては認めないという抹殺行為だった。」
◇ ◇
――誰が見ても理不尽な公団の暴挙に対して、ついに部落として提訴に踏み切りましたね。
「部落にとっちゃかけがえのないご神木を見るも無残な形で切り倒し破壊したわけだから、部落のみんなが立場を超えて怒った。一つのまとまりができた。
おれも『法も正義もないのか』という思いのあまり、激しく抗議して逮捕されたけど正しかったと思っている。皆の気持ちが大きな流れとなって四月九日に提訴にこぎつけた」
――だれが見ても部落の総有ですが、公団は裁判の中でどう言っていますか。
「総有とは認めない、盗伐した立ち木は神社林やご神木ではなく、ただ神社の周辺に生えている雑木に過ぎない、と言ってきた。
敵がいかに苦しい立場に追い込まれているかが歴然としている。元々盗伐した時に『裁判で負けてもかまわないから切る』と言っていた。何でもいいから暫定滑走路を開港させる。立ち木さえ切っちゃえば、飛行機は飛ばせるから後はどうとでもなる、という方針だった。だから今言ったようなデタラメ答弁になる。
「総有じゃない」という公団の主張自体はあまりにも常識はずれだ。いかに苦しいかを示している。部落は五十年前に寺田増之助さんから神社の土地として寄贈を受けた。こんな事は議論の余地がない。『登記は問題にならなかった。名義書き換えも寺田さんにかえって失礼になるので話にでなかった』と古老が語っている。これは全国どこの産土神社でも同じ事。神社の土地は登記したくたって登記の方法がない。
そして神社林を部落全体で植林した。記念写真も残っている。要するに神社が建てられた時点で、典型的な部落の総有になったということだよ。これが総有でないというのなら、総有とはどういう事ですかと、逆に問いつめてやりたい。
全国のどこに借地に建てた産土神社があるか。実際、寺田さんは一九六一年に出て行く時に、浅沼輝男さんに土地を譲ったわけだけど『神社は部落のものだからしっかり守ってほしい』と申し送ってくれた。
その後部落の管理として今日まで運営されてきた。公団が六九年に浅沼さんから買収した時も、神社の敷地だけは移転登記できなかった。部落のものと公団も認識していたからだ。こうした経緯を見れば東峰神社が土地、建物、ご神木など全体として部落の総有である事は争う余地がない。
「立木が神社林じゃない? 冗談いうな」 勝てる裁判だ
『盗伐した立ち木が神社林でなく周辺に生えているもの』と言うにいたっては噴飯ものだよ。立ち木の場所が神社でないというなら、神社の境内はどこになるのか。境内のない神社など聞いた事がない。社殿、鳥居、ご神木が一体となって神社なんだよ。『神社は鳥居と社殿』だけなんていうのは話にならない。
二十四日の公判では、公団の主張があまりに荒唐無稽かつ貧弱なので、裁判長から『主張はこれだけですか』と催促されていた。この裁判は勝てるよ」
――開港後の三里塚闘争にとって、神社裁判の意義は大きいと思いますが。
「何より、部落がまとまって空港公団に対決する構図ができた事が、奴らにとって打撃だろう。暫定路は今のままじゃ使いものにならず、奴らの立場からすれば延長しなけりゃならない。読売などが社説で開港の日に『早く二五〇〇bにしろ』とわめいていた。
しかし、延長するためには空港反対農民を屈服させ、闘争を解体し、用地を取得しなけりゃならない。これがますます絶望的になるという事だ。
そして三里塚闘争の発展にとっても重要な機会を提供してくれる。神社の所有権を争う裁判ではあるが、暫定路と切り離せない。まして意識的な盗伐だ。空港公団のやり方がいかにデタラメで法も正義も信義も無視した、正に農民殺しであるかを徹底的に突き出して行きたい。神社裁判の公判を一大焦点にさせていく。そうする中で暫定路建設の名分とされている『公共の利益』論や読売が持ち出す『国民的迷惑』論を正面からうち返すたたかいと論理を磨いて行きたい」 (7月1日談)
(田植え作業を行う萩原進さん【5月4日】)
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週刊『三里塚』(S611号1面5)
赤字当たり前!? の芝山鉄道
「見返り」根本矛盾 大赤字分は住民負担に
空港反対運動を「止める」見返り事業としてスタートした芝山鉄道(東成田駅―芝山千代田駅二・二`)の十月開業が正式に決まったが、大赤字必至の同鉄道の実態が浮き彫りになった。
芝山鉄道会社は、空港公団や県、芝山町、京成電鉄などが出資する第3セクター。ルートは現行の京成線東成田駅から空港整備地区までの二・二`のみ。事実上空港の中を走る電車だ。元々採算を度外視して、芝山町の空港反対派を買収するために計画された「見返り事業」である。
芝山町の総人口がわずか八千人に対し、鉄道の採算ラインとなる一日乗降客数が五千四百人。実際の需要はその半分にも満たず、開業前から大赤字必至という異例の鉄道となった。
町長の相川は反対派からの転向分子。二十六日に行われた記者会見で「見返り事業だから赤字は当然」と開き直り失笑を買った。膨大な赤字のツケは住民に回る。この不況下で、開業は自殺行為に等しい暴挙だ。
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週刊『三里塚』(S611号1面6)
空港包囲のデモ
反対同盟緊急闘争 「暫定路閉鎖に追い込む」
六月三十日、暫定滑走路開港後初めての現地集会が東峰十字路北側の開拓道路で行われた。集会には反対同盟を先頭に動労千葉、婦人民主クラブ全国協議会、全学連など百五十人が参加し、暫定路開港による騒音やジェット噴射被害による叩き出し攻撃を弾劾した。
冒頭、北原鉱治事務局長が発言。「国家暴力としかいいようのない暫定滑走路による叩き出し攻撃を弾劾する。そこに住んでいるのが悪いとばかりに殺人的な生活破壊を強制している」「三里塚は血を流し逮捕を恐れず三十七年間たたかいぬいてきた。私は生涯をこのたたかいに捧げる」と檄を発した。
動労千葉の代表は「暫定滑走路開港攻撃のひどさを体で実感した。住民と空港は共存できない」と訴え、「労働者は労働者らしく有事立法攻撃と対決する」と発言した。また婦民全国協は「なぜこんなひどい事がまかり通るのか、怒りで身が打ち震える」と激甚騒音の現実を弾劾、「相模原では戦争負傷者の合同救援訓練が行われた。戦争が切迫している。有事立法の攻撃を三里塚先頭に粉砕しよう」と訴えた。
最後に全学連の大山尚行委員長が「東峰神社立ち木の盗伐と居直りは部落の歴史を抹殺する攻撃だ。全学連は反対同盟と固く連帯し、実力で国家暴力とたたかいぬく」としめくくった。
集会の間も多数のジェット機が頭上で離陸・着陸をくり返し、騒音のすさまじさを参加者に印象づけた。部隊は東峰部落を横断して空港を包囲する戦闘的なデモを行い、農民たたき出し攻撃に反撃する決意を政府・公団に突きつけた。
(「暫定滑走路を直ちに閉鎖せよ!」緊急闘争で空港を包囲する反対同盟のデモ隊【6月30日 成田市天神峰】)
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週刊『三里塚』(S611号1面7)

六月半ばから本格的な梅雨入り。わが天神峰・東峰界隈の田んぼの水も増えた。とはいえ空港周辺の開発で水が抜けやすくなって十分ではなく、畑に生える雑草が田に生えた。他方、保水力のある田では「泥負い虫」が発生。もっとも泥負い虫が実際どんな害を及ぼすかは諸説あり不明▼三里塚界隈の農家には、昔ながらの田んぼ用除草機がある。刃のついた縦二輪の手押し車だ。この除草機の原理は、草を泥の中にめり込ませ溺死させるもの。水が田に満ちていることが要件だ。素人が聞くと「そんなものか」と感心させられる。稲刈り時に草に悩まされることもあるが、この時期の草取りを丹念に行うと後が楽になる▼畑に生えるような雑草が田に生えたせいか、本コラムでもおなじみの害虫を田で見かけるようになった。油菜科野菜を食べる「カブラハバチ」という黒っぽい紺色の小さな青虫だ。田に生えたナズナその他の雑草に大発生し、草が穴だらけのレース状になっている。本来は「害虫」だが、この場合は雑草退治の先兵▼惜しむらくは偏食なので、油菜科以外の雑草を無傷で残し、好きな草だけを食べること。草がなくなると畦シートを越えて他の田へ移ろうとする。が、たいてい途中ですべり落ちて越えられない。そうするうちに草取りなどで田に水が入り溺死する。溺死した虫は腐って養分となり土に還る▼農業では、このように虫や雑草、そして水と人間の複雑で奥の入り組んだ営みが日々進行している。国の経済利益だけを絶対視して強制収用を叫ぶ読売新聞(社説)の感性とは相容れない。
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週刊『三里塚』(S611号1面8)
闘いの言葉
社会は一個の名君によって組織・統治されるのではない。人民の境遇の適否によって盛衰する。健全な社会のためには社会主義に走らなければならない。
幸徳秋水・一九〇四年十月『平民新聞』
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週刊『三里塚』(S611号2面1)
町の声
暫定滑走路開港で新たに騒音地区にされた南北地域で怒りの声が高まっている。騒音地獄にさらされた人びとの声を紹介する。
◇ ◇
とても住める環境じゃない 成田市小泉部落・男性
この部落は根っからの空港反対じゃない。だけど飛行機から出る騒音は何とかしてくれと、ずーっと以前から市、県、公団には要求してきた。だけど何にもしちゃくれねえよ。この場所は人が住める環境じゃないよ。
おれみてえに不規則な時間で仕事をやっている者にとっちゃ、朝六時から夜十一時までゴーゴー飛ばれるっていうのはたまんないよ。早朝出勤だってあるわけだから、夕方から寝なきゃいけない時もある。体調を崩しちゃう。
農家にとったって大変だよ。これから夏の暑い時期に入って、炎天を避けるために昼飯後はみんな昼寝をするんだけど、寝てなんか居られないよ、うるさくて。久住地区の総会を毎年六月にやる。公団はそこで「騒音は空港の中で吸収されてしまいます」なんてふざけた事を言ってたよ。ほんと腹が立つ。
暫定滑走路なんかとんでもない。止めろったって止めるわけにはいかないだろうけど、騒音対策は要求して行きたい。
こういう騒音の中で敷地内の人はよくがんばっているよ。頭が下がる。
* *
反対同盟がんばってほしい 成田市土室部落・男性
うるさいよ。覚悟はしていたけど想像以上だよ。だいたい暫定滑走路なんて造るべきじゃなかった。農民を追い出すための滑走路なんだろ。ひどい話だ。今からでもやめるべきだ。落下物や大気汚染だって心配の種だよ。
部落でもアンケートを取って、被害状況を成田市の空港対策部に出すらしいけど、天神峰や東峰の人は大変だろうね。市東さんや島村さんにはがんばってほしい。同盟のおかげで飛行機の便数も抑えられているんだから。
* *
北側への延長など論外だ 成田市小泉部落・女性
家は防音工事をやってあるので、家にいる時はまだがまんできるんだけど、外で農作業する時がたまらないね。たまたま田んぼが飛行直下にあたっている。飛行機が見えるとなんか墜落してきそうで恐いくらいだよ。
落下物だって減らないと言うしね。この上北側に延長された日には暮らして行けない。絶対にごめんだね。
* *
ジェット噴射の被害許せぬ 成田市十余三部落・男性
家の部落は暫定路のすぐ北。うるさいのなんの。空港の近くの畑で仕事をしているとすぐ真上を飛んでゴムの焼ける匂いがする。自宅は国道51号線沿いにあるけど、風向きにより石油のような匂いがする。ジェット噴射だろう。
51号線を迂回させて、滑走路を延長するという噂は昔からあった。絶対反対だ。開港後カラスがめっきり減った。騒音に参ったのだろう。
* *
「真上を飛ぶ」と公団に抗議 芝山町宿部落・男性
ここは本来飛行コースの谷間になるはずの地区だったけど、いざ開港してみると真上を飛んでるじゃないか。公団に電話で抗議した。俺のほかにも抗議した人が大勢いる。
すると公団は「飛行コースのレーダー画面を見るとコースは外れていない。真上を飛んでいると感じるのは何かの間違い」なんて回答をよこしやがった。冗談じゃないよ。
頭の上を飛ばれているのはこっちなんだよ。ここに住んで真上を飛んでいるのを見て抗議しているのに、ふざけた回答をよこしやがって。人を愚弄している。怒りが二倍になったよ。これからも抗議していく。
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週刊『三里塚』(S611号2面2)
葉山岳夫弁護士に聞く H
”闘いに生きる”三里塚
「高度経済成長の終着駅…核保有まで」
国家は人民の利益守らない
「国益」は人民の利益か? 農民(人民)の生を奪って貫かれる「国益」とは? 「法」は何を守っているか?――三里塚闘争は、疑いもなく戦後日本最大の民衆的抵抗闘争である。きわだった特徴は、流血を恐れぬ実力抵抗であろう。さまざまな甘言を弄し、最後は「法」を盾に暴力を行使する国家権力。農民たちにとって「法」は暴力だった。「国益」は自分たちと無縁の支配者の利益だった。
三里塚農民が権力との妥協を拒み、たたかい続ける根拠について、かつて反対同盟委員長・戸村一作氏は「『闘いに生きる』あくなき生命の所在こそ三里塚闘争だ」と語った。
本連載では、三里塚闘争を法廷闘争面から支えつづける顧問弁護団の葉山岳夫さんに、この闘争の核心に切り込んでもらった。最後に、氏のまとめを二回にわたり掲載します。
――三里塚闘争が三十七年間のたたかいを通して明らかにしてきたものは何でしょうか?
葉山「国家とは何かという問題、そして人間が生きるために譲れないものは何かという、根本的な問題ですね。何冊もの本になると思います。
大きく分けると三つありますが、一つは『国家は最終的に人民の利益、人民の命を守らない』ということですね。成田空港建設の歴史は、通常はオブラートで包まれている国家の本質的な問題をあらわにしました。
二つ目は人民の権利にとって、『闘う』ことの意味。三里塚闘争はこれを身をもって教えてくれたわけです。
そして三つ目は『法』とは何かという問題。現代に生きるわれわれが『法』といかにかかわるか、という問題です。
第1章 ●抵抗者踏み潰し
まず第一の『国家は最終的に人民の利益を守らない』という問題ですが、成田空港建設の歴史は、まずこの視点から総括されるべきだと思います。
政府が、抵抗する農民を押しつぶしてでも新しい国際空港を造ろうとした大義名分は、高度経済成長というスローガンです。いわゆる公共事業が疑いようもない〃善”であるとして、各地で大々的にスタートしていました。中でも空港建設は高い価値が主張されたわけです。日本経済が海外、外へ向けて発展していく不可欠な社会基盤だと宣伝されました。
(富山保信さんの再審を求める集会で発言する葉山岳夫弁護士【2001年6月30日】)
だから政府は農民の土地を取り上げるのに躊躇しなかったし、『法』という名の暴力を行使した。抵抗する農民を『死んでもかまわない』と圧殺したわけです。『経済成長』と『公共の利益』というスローガンで、農民の身体の一部ともいうべきぬ土地を収奪して農民たちを生きられなくしてもいいと。
地下壕に立てこもって抵抗する農民を生き埋めにするようなことを平気でやった。抵抗者を踏みつぶしてまでも空港づくりを優先した。これが成田空港建設です。
それで一部の人たちは潤ったでしょう。経済の規模も成長した。しかし底辺で農地を死守して生きる農民たちを犠牲にし、押しつぶした。この絶対矛盾を覆い隠したところに『経済成長』も『公共の利益』もありました。しかしその正体がいま、ついに明らかになってきたと思うわけです。
『経済成長』や『公共の利益』の終着点は何だったか。いま膨大な労働者が『不要になった』といわれて首を切られ、職場を追われています。農業では生計が成り立たなくなった。安全な食べ物がなくなってしまった。穀物さえ自給できない。政治家や巨大資本は潤って、庶民は家のローンも払えなくなった。
あげくの果てに有事法制。戦争ですね。これに国民を強制的に動員する。そのために憲法も改悪する。ふたたび国民を盾にして国家機構と権力者が生き延びようとしている。政府は、核爆弾を保有しても違憲でないと言いだしました。これが『経済成長』の終着点です。あの敗戦から何も学んでいない。完全に〃いつかきた道”です。戦前へ舞い戻ってしまいます。
三里塚闘争は実は、国家のこういう悪矛盾、本質的な問題をえぐりだしてきた。三十七年たってそのことがきわめて鮮明になったと思います。
第2章 ●財産権も奪われ
三里塚の農民たちは当初、政府が自分の土地を土地収用法という『法律』で取り上げる姿を見て驚きました。法は暴力だと思い知らされました。日本は資本主義国ですから、私有財産の保護が国家成立の原理です。財産権ほど確かなものはない、土地ほど確かなものはないと信じて疑わなかった。
農地は売り物ではなく生きるために不可欠な財産なのです。それがある時、一片の通告で国に取られてしまう憂き目にあった。
この土地収用法に『公共』の名目で独占資本の利益を守る国家の本質を見たわけですね。『公共の利益』なる物言いのウソを見抜いたのです。彼らは体を張ってお上に歯向かい、抵抗した」
――ひどい弾圧が襲いかかりました。
葉山「抵抗した農民への弾圧はすさまじいものでした。東峰十字路事件では、三里塚と芝山の村中の青年男子を、ほとんど全員『見込み捜査』で逮捕し監獄に放り込んだ。のべ百人以上をデッチ上げで逮捕した、歴史上空前の弾圧ですね。
農民が生きる拠り所たる農村共同体は破壊され、家族・親戚の絆もズタズタにされた。札束と欲望の渦が持ち込まれ、裏切りや疑心暗鬼、苦悩と絶望が日常となった。それでもたたかいの中に未来を見出し、仲間を信頼し、新しい次元の団結を作り出しつつ、血みどろでがんばってきたわけです。
そして三十数年。抵抗と不屈の精神を燃やし続けてきた事に対して、追いつめられた権力の回答が東峰神社立木盗伐と無用な暫定滑走路の開港だった。反対農家の軒先まで滑走路を造って頭上四十bを飛ばすという暴挙です。
合意なき建設は以後一切やらないと政府は確約(*注)したのに、いとも簡単に反故にされた。『出て行かないなら騒音で死ぬほど苦しんでも知らんぞ』という最後通牒です。憲法も法律も、民主主義も人権も、すべてが無視されたわけです。これが国家の正体だった。まさに国家は最終的に人民の利益を守らない、ということが証明されたのです」(つづく)
(注)シンポ・円卓会議での確約 一九九一年から九四年まで行われた成田シンポ・円卓会議では、空港公団が今までの空港建設のやり方を謝罪し、「今後地権者との合意なしに滑走路建設はしない」事を最終合意で明記した。ところが暫定滑走路建設では、「合意」どころか説明もなかった。国土交通省と空港公団は、いとも簡単にシンポ・円卓会議の確約を破り、再び従来の強権的な空港建設のやり方に舞い戻った。
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週刊『三里塚』(S611号2面3)
生き証人
神社は村のものだ
梅雨真っ最中。カッパ、長靴で泥まみれの畑仕事が続きます。
久々の晴れ間には仕事を少しでも先に進めておこうと夢中になるので、日暮れに腰を伸ばすと、ギシギシときしむようです。一年で一番日の長い季節なんだと、今更のように気付く瞬間でもあります。
<地下足袋の軽さうれしい梅雨晴れの畑>
昨年六月、東峰神社の立木に手をかけた権力の暴挙に対して、東峰区住民の怒りが裁判提訴という形で結実しました。
空港公団は、神社、鳥居は部落のものだが、土地と立木は含まれないと強弁しています。神社の総有権は認めざるを得ないわけですから、境内の立木は別というのは誰が考えてもこじつけです。
反対同盟の川嶌みつ江さんの陳述書の一部を紹介します。
「神社創建の時の写真に当時の部落の人が皆写っています。(中略)お祝い事があれば感謝し、願い事があれば願をかけました。子どもが生まれた時、紐(ひも)解きの時、十五の祝いの時、子供を連れてお参りしました。(中略)祭りは部落の大仕事で、神社に集まって、広場に櫓を建てて踊りました。映画もかかりました。そうやって部落の者と一緒に年を重ねてきたのです。大きく育った神社のヒノキは、部落の者が手を合わせるのを見下ろしてきました」
これは川嶌さんが、萩原哲子さん(萩原進さんの母)と話しながらまとめたものです。
家の周りの仕事を見つけて体を動かし、昼休みには庭先でめがねもなしに新聞を読む萩原哲子さん。自家用の野菜畑で鍬をふるい、自転車で部落の中を行き来する川嶌みつ江さん。二人は八十を越えてなおかくしゃくとした、神社の歴史の生き証人です。(北里一枝)
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週刊『三里塚』(S611号2面4)
三芝百景 三里塚現地日誌 2002
6月19日(水)〜7月2日(火)
●3回目の市役所前ビラまき 市東さん宅のジェット噴射対策フェンス設置問題で、5月30日に申し入れてから20日間も回答のない成田市当局に対して、三里塚闘争現地支援連絡会議は3回目の市役所前ビラまき闘争に決起して、回答を要求した。(21日)
●東峰神社裁判に多数の傍聴 東峰部落が原告となって提訴した東峰神社敷地の登記移転請求訴訟の第1回公判が開かれ、反対同盟および労農学多数が傍聴にかけつけ、原告と共に闘った。(24日)
●北原事務局長、市役所に抗議 ジェット噴射対策フェンス問題で、北原事務局長は成田市の空港対策部に電話して、回答を急ぐよう要求した。「空対部は腰を入れて空港公団にフェンス設置を要求せよ」と3回目の抗議を行った。(25日)
●天神峰の看板に新たな同盟旗 「Down With Narita Airport」と大書された大看板に新たな反対同盟旗が取りつけられた。同看板と同盟旗は、誘導路を自走する航空機の目に飛び込むのと同時に、小見川県道を東に向かって天神峰トンネルに向かう車からもよく見えアピールしている。(25日=写真)
●開拓道路封鎖問題で東峰部落が申し入れ 東峰部落は東峰十字路北側開拓道路を公団がコンクリートブロックで封鎖している問題で、ただちに撤去するよう申し入れ書を郵送した。(27日)
●開港後第1波の現地闘争 暫定路開港後初めての現地闘争が150人の労農学の参加で闘い取られた。(30日)
●公団が対策フェンスの設置拒否の暴挙 ジェット噴射対策フェンス問題で、公団が市を通じて回答を寄こし、フェンス設置を拒否する態度を明らかにした。「現在のフェンスで対策は十分」などと言っているが、市東さん宅では現実に被害が発生している。ジェット噴射で叩き出す、という公団の意図が改めて鮮明となった。市東さん始め反対同盟の怒りを買っている。(7月2日)
●鈴木さん宅でカボチャ豊作 梅雨寒の多い今年の入梅。それでも鈴木幸司さん宅ではカボチャが豊作。「早めに作付けしたのがよっかったようだ」と謙太郎さん。(2日)
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