3労組と国鉄全国運動を軸に階級的労働運動つくり出そう 10・17関西国鉄集会 富田益行さんの基調報告

週刊『前進』06頁(2655号02面01)(2014/11/03)


3労組と国鉄全国運動を軸に階級的労働運動つくり出そう
 10・17関西国鉄集会
 富田益行さんの基調報告


 10月17日に大阪市で行われた関西国鉄集会は320人の結集で画期的成功をかちとり、全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部、全国金属機械労組港合同、動労千葉の3労組の団結はさらに固められました。集会で国労近畿地本の富田益行さんが行った基調報告の抜粋(ばっすい)を紹介します。残念なことに富田さんは11・2労働者集会を目前にした10月29日、激闘のさなかに急逝されました。国鉄分割・民営化と対決しぬいた富田さんの遺志を継ぎ、階級的労働運動の復権へ闘いましょう。写真は3労組共闘の歴史的必然性とその展望を解き明かした富田さんの基調報告に聴き入る集会参加者。(編集局)

国鉄闘争全国運動関西を本格的に立ち上げ、戦争・改憲、民営化・非正規職化と闘う階級的労働運動をつくりだそう

 まず第一に訴えたいことは、本日の集会をもって国鉄闘争全国運動関西を本格的に立ち上げ、戦争・改憲、民営化・労組破壊と闘い、これらを打ち破る階級的労働運動を、全国の仲間と団結してつくり出そうということです。
 7・1安倍政権の集団的自衛権閣議決定と、これと一体となった民営化・非正規化・規制緩和攻撃は、労働運動を根絶する大攻撃です。
 象徴的事態として、国労の全国大会で自ら全国単一体を解体し、各社バラバラにする、つまり国労解散・連合移行を組織決定するということが起こっています。この既成労組の解体情勢をどう見るのか。日本の労働者階級が連合や全労連の既成の労働運動をのりこえて、「生きさせろ!」の嵐のような決起が巻き起こる新しい時代の始まりです。
 私たち国鉄闘争全国運動関西は、国鉄1047名解雇撤回闘争において2010年4月9日、国労が「解雇撤回なき和解」で終息したことをのりこえて、2010年10月に結成されました。
 以来、4年の討議を重ねてきました。全国金属機械労組港合同、全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部、動労千葉の3労組共闘のうち、関西の港合同と関生支部の二つの労働組合を柱にして、動労総連合・動労西日本を切っ先にして、関西の労働運動を階級的に塗り替える闘いに打って出ていくことを宣言したいと思います。
 3労組が呼びかける11・2全国労働者総決起集会に結集し、全国・全世界の労働者と団結し、新自由主義を打ち倒し、労働者が社会の主人公になる世界をつくろう!

国鉄分割・民営化が一切の始まりだった。3労組共闘は労働組合の存亡をかけた闘いとして始まった

 1981年暮れから、政府・マスコミ・裁判所という国家権力総がかりによる国鉄労働者に対する攻撃が始まりました。当時の労働組合のナショナルセンターである総評の中心をなす国鉄労働運動を壊滅させる、まさに国家的不当労働行為として強行されたのです。国労や動労千葉を根絶やしにしようとしたのです。解雇された1047名はその生き証人でした。
 3労組共闘は、労働組合根絶攻撃であった国鉄分割・民営化による1047名解雇撤回闘争に対する1998年5月28日の東京地裁反動判決を契機に始まりました。
 それは、国家権力による解雇が正当だ、という反動判決を許すならば、日本のすべての労働組合は一掃されてしまうという共通する危機感からでした。「こうしたむちゃくちゃな労働組合破壊がまかり通るなら労働者は生きていくことはできない」と3労組共闘が発足し、以降、毎年の11月集会が開催され、闘う労働組合が次々とつくり出され、日米韓の国際連帯闘争として発展してきたのです。
 ここで、あらためて国鉄分割・民営化攻撃とは何だったかを明らかにしなければなりません。
 1980年前後、世界的規模で、新自由主義による労働者階級への大攻撃が始まりました。それまでの資本の支配のやり方が完全に行き詰まったからです。日本では中曽根が国家をあげた攻撃に打って出てきたのです。
 中曽根は、国鉄分割・民営化を「戦後政治の総決算」(新たな戦争を準備する)と位置づけ、「国労をつぶし総評をつぶして立派な憲法を安置することを自覚してやった」と1996年に公言しています。まさにそれは国家的不当労働行為、国家による国鉄労働者への襲撃でした。40万人労働者を半分にする20万人首切り攻撃でした。
 国労・動労千葉などへの労組破壊は、熾烈(しれつ)を極めました。国鉄分割・民営化に反対する労組に所属する組合員は、全国1400カ所の「人材活用センター」送りにされ、来る日も来る日も草むしりや竹細工など苦役に従事させられ、いじめ抜かれました。現在の「追い出し部屋」の走りです。
 国労や動労千葉にいたら新会社にいけないと、国鉄当局は総力をあげた組合破壊を繰り広げ、20万人にいた国労は3万人にまで激減させられたのです。そのもとで、200人の国鉄労働者が自殺に追いやられたのです。まさに国家に殺されたのです。
 こうした激しい攻撃が吹き荒れ、1987年に国鉄分割・民営化が強行され、90年に1047名解雇が行われました。
 98年5・28反動判決は、以上のようなすさまじい労働組合つぶしを合法と認めるとんでもないものでした。これを認めたら労働組合は成り立たないという思いは、当然のことです。労働組合の存亡をかけた闘いとして、3労組共闘が始まったのです。

国鉄分割・民営化を打ち破ることなしに労働運動を甦(よみがえ)らせることはできない。新自由主義を打ち破った3労組こそが日本労働運動を甦らせることができる

 国鉄分割・民営化は、新自由主義の始まりでした。国鉄分割・民営化以降、労組破壊、民営化・外注化・非正規化・規制緩和が推し進められていきます。
 国労に存在した社会党・共産党などの既成勢力は、国鉄分割・民営化攻撃の激しさ、非和解性に震えあがり「嵐の過ぎるのを待つ」という「たこつぼ方針」をとってズタズタにされ、一方、動労本部を筆頭に「資本の軍門にくだり」、率先協力し、国労・動労千葉の組合員の首を切って自分たちだけが生き延びるという労働組合が登場しました。このように、労働組合の協力なしに国鉄分割・民営化の強行はありえませんでした。
 しかし、この激闘の中から国鉄分割・民営化を打ち破った労働組合が断固として登場しました。動労千葉は、徹底的な組合での討議と一致をつくり出し、満を持し、首をかけて1985年11月の72時間ストライキ、86年の第2波ストライキを闘いぬき、大量解雇処分をのりこえて、闘い抜いてJRに乗り込むことに成功したのです。
 「資本と労働者は非和解だ」と団結をつくってきた動労千葉の路線が生み出した大勝利でした。動労千葉はJR体制下で外注化・非正規化と真っ向から対決し、分断をはねかえす団結の拡大をつくり出し、新自由主義の根幹をたたきつぶす闘争を展開しています。1047名解雇撤回闘争では「JR不採用は不当労働行為」と東京高裁に認定させ、最高裁で解雇撤回の判決をもぎりとる闘いを繰り広げています。
 新自由主義への転換は、国鉄だけではありませんでした。労働時間規制の解体、解雇の自由化、賃金の大幅引き下げが「規制緩和」「民営化」をテコに全社会的に強行されました。そして、1986年の労働者派遣法施行を契機に〝非正規労働〟という資本主義の勃興(ぼっこう)期に引き戻すような過酷な労働形態がつくり出されました。それは社会的紐帯(ちゅうたい)をズタズタにし、安全を崩壊させ、とんでもない社会を生み出しました。
 国家はその貫徹のために、資本の支配を吹き飛ばす力のある労働運動をつぶす攻撃を一斉にかけてきました。労働者自主生産闘争を生み出し闘う港合同への田中機械倒産攻撃、産業別政策闘争で集団交渉方式を確立し、日経連に「資本主義の根幹にふれる闘争」と言わしめた関西地区生コン支部への1980年〜82年の大弾圧、これら港合同、関西生コン支部への攻撃は、国鉄分割・民営化と一体の新自由主義攻撃だったのであり、これらを突き破った3労組の共闘は歴史的必然だったのです。ここに労働者階級が勝利を切り開く地平があります。
 動労千葉が切り開いた反合・運転保安闘争、港合同が切り開いた自主生産闘争、関西地区生コン支部が切り開いた産業政策闘争は新たな時代の労働運動の展望です。
 まさに、国鉄分割・民営化が明らかにしたことは、戦後労働運動にとって代わって3労組を軸にした階級的労働運動が6千万労働者の最前線に躍り出る時代が始まったということです。

国鉄闘争全国運動で闘う労働運動をつくれば勝利できる

 国鉄闘争でかちとってきた地平は、社会に全面化する新自由主義を打ち破る力を与えています。
 そのことを全面的に明らかにしたのは、橋下打倒闘争です。橋下の登場にあらゆる既成の政治勢力は震え上がり闘わずに屈服しました。大阪市職を中心とする公務員労働組合が標的にされ、大阪市労連の委員長が橋下に直角お辞儀する写真が流されました。
 しかし私たちは、この攻撃は打ち破ることができると確信をもって闘いを始めることができました。なぜなら、敵と絶対に妥協を許さず、絶対反対で闘うなら、敵の攻撃を団結の拡大で打ち破ることができることを、国鉄闘争の教訓からつかんでいたからです。
 職員アンケートや入れ墨調査に絶対反対で立ち向かい、入れ墨処分を引き出し、それが労働者の新しい決起と団結をつくり出していきました。大阪市職の労働者を軸に3労組共闘の橋下打倒陣形がつくられ、橋下打倒情勢が引き寄せられてきたのです。今や橋下はグラグラです。絶対反対で立ち上がった労働者が、橋下打倒情勢をつくったのです。これは同時に、既成勢力から大阪市の労働運動の主導権を奪い返す情勢をつくり出しています。このように国鉄闘争でつながる時、すべての産別・職場で資本の攻撃を、団結の拡大に転化して勝利していくことができるのです。
 この橋下打倒闘争では、港合同は南大阪平和人権連帯会議という官民共闘組織を通して、橋下と闘ってきました。産別を越えた「地区労」的団結で大阪市職の現場の闘いを支えました。国鉄闘争をわがことのように闘ってきた大和田幸治委員長の教えが、この勝利を導き出したのです。
 労働者にとって国鉄闘争は決定的闘いです。関生支部の故高英男副委員長は「国鉄闘争は労働者の階級的自覚を育てる」と私たちに説いてくれました。まさに国鉄闘争に、資本と労働者との非和解性、国家と労働者との非和解性、そして労働者こそ社会の主人公であることが詰まっているのです。
 関生支部の指導を受けた東京の鈴木コンクリート工業分会の解雇撤回闘争は大勝利し、首都圏の産業別的組織拡大が生み出されています。
 最後に国鉄闘争全国運動の目的を提起します。
 一つは、1047名解雇撤回闘争に勝利することです。10万筆署名を貫徹しよう。
 二つに、JR体制の中からJRを打倒する労働者の団結をつくり出そう。JR体制は崩壊過程に入っています。とりわけ外注化による安全崩壊はとどまることはありません。労働組合の復権だけが労働者の回答です。動労西日本・動労総連合をJRの全職場につくろう。
 三つに、戦争・改憲、民営化と真っ向から闘い抜き、職場・産別に階級的労働運動をつくり出し、労働組合の拠点を建設しよう。
 四つに、こうした一切の闘いを国鉄闘争全国運動に集約し、新たな産別労働運動、新たな労働組合の地域共闘をつくり出し、階級的労働運動の全国的台頭を果たそう。
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