萩原進さん偲び集う 〝これからも私たちと共に〟

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週刊『前進』12頁(2663号03面02)(2015/01/01)


萩原進さん偲び集う
 〝これからも私たちと共に〟

(写真 市東さんの音頭で献杯し、萩原進さんの遺影に農地死守・空港廃港を誓った【12月20日 成田市】)

 12月20日、三里塚芝山連合空港反対同盟が主催する「萩原進さんを偲(しの)ぶ会」が成田市で開かれ、全国から90人が参加した。
 会に先立つ午後2時、東峰墓地で萩原家と反対同盟の案内でお墓参りが行われた。1年前の12月21日に急逝した反対同盟事務局次長・萩原進さんは、両親や大木よねさんらとともに、暫定滑走路の南への延伸をここで阻んでいる。参加者が列をつくり、手を合わせた。
 成田山新勝寺に程近い会場で、午後3時から「偲ぶ会」が開かれた。開会前にビデオが流された。闘争初期の青年行動隊を率いるデモから、2013年11・4全国労働者集会での発言まで、萩原さんの映像記録が上映され、その生涯は反対同盟の歴史そのものであると全員が実感した。
 伊藤信晴さんの司会で黙祷(もくとう)を行ったあと、北原鉱治事務局長が主催者あいさつに立ち、「萩原さんは命をかけ、三里塚を全国農民の闘いとして発展させるために力を尽くした」とたたえた。
 続いて天神峰の市東孝雄さんが、「進さんの遺志を継いで闘うことが私たちの務めと信じ、1年間がんばってきた。進さんはこれからも私たちとともにある」と述べ、献杯の音頭を取った。
 参加者のあいさつの最初に、動労千葉の田中康宏委員長が立った。互いに組合青年部、青年行動隊の時代からの付き合いであることを述べ、ジェット燃料貨車輸送阻止闘争の思い出を語った。
 1978年、国鉄当局と動労カクマルが結託してのスト破りに対し、動労千葉は「いったんハンドルを握っても、三里塚に連帯する動労へと大変革する」との決意で、「輸送拒否から輸送阻止へ」戦術を転換した。当時の青年行動隊の大半が「結局運ぶのか」と反発する中で、萩原さんは「動労千葉は本気で闘っている」と理解と支持を表明した。そして、動労千葉は動労本部から分離独立し、81年に燃料貨車輸送阻止の5日間のストを闘った。萩原さんはそこで再び、動労千葉の闘いを高らかに称賛した。この経過を振り返り、田中委員長は「労農連帯は、必ず階級的労働運動の再生につながる」との確信を表した。
 反対同盟顧問弁護団の葉山岳夫弁護士は、常に実力闘争の先頭に立っていた萩原さんの生涯を振り返り、農地裁判控訴審勝利を約束した。
 全国農民会議共同代表の小川浩さんは、70年に千葉県の農村青年の組織化をめぐって萩原さんと一緒に日本共産党と闘った思い出を語り、安倍農政と闘う全国農民の決起をつくることを誓った。
 革共同の深谷邦男同志は、「1期開港の既成事実をはね返した萩原さんの三里塚勝利論こそ彼の真骨頂」とたたえ、「労働者・農民が革命の扉を開く。三里塚の勝利はその一環だ」と訴えた。
 さらに多くの発言で、萩原さんの類いまれな指導力と温かい人柄が浮き彫りになった。
 家族からのあいさつとして、連れ合いの萩原静江さんが、進さんと悔し涙も喜びも共有してきたことを語り、「原則を守り家族ぐるみで闘ったことが、反対同盟の歴史をつくった」として、参加者にお礼を述べた。萩原富夫さんは「頑固なおやじ」との日々を語り、「萩原進の魂は皆さんと私たち家族の中に生きている。私は同盟の最先頭で闘う」と胸を張り大きな拍手を浴びた。
 司会の伊藤さんが最後に、1・11旗開き、3・4農地裁判控訴審弁論、3・29全国集会の日程を伝え、特に3・29を成田市中心部で開催することを発表して奮起を要請し、会を締めくくった。
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