東京北部の星野絵画展の教訓 星野さんの闘いに熱い共感 地区の総力で取り組み成功

週刊『前進』06頁(2671号06面04)(2015/03/02)


東京北部の星野絵画展の教訓
 星野さんの闘いに熱い共感
 地区の総力で取り組み成功


 1月9日〜11日、東京北部での初の星野文昭さんの絵画展を開催しました(写真)。予想を上回る150人以上が来場し、全証拠開示署名が43筆、そして新しいつながりが生み出されました。
 今回の教訓は、安倍の7・1集団的自衛権閣議決定情勢下で、中東侵略戦争への日帝の参戦という事態の中での絵画展としてとらえ、戦時下の反戦闘争に本気で屹立(きつりつ)する勢力として登場し、その先頭に70年安保・沖縄闘争を闘った星野文昭同志をとらえたことです。ここをチャンスとして星野闘争に集中しよう!と地区の決起が貫徹されたことです。
 今回の絵画展で圧巻だった様子を紹介します。会場前の歩道で6人でチラシを配っていました。区職のOB会のウォーキングクラブの一行20人が通りました。一斉にビラまき隊が群がると、誰一人いやな顔も見せず、休憩も兼ねてかニコニコと会場に入ってくる。一枚一枚絵を見ていく方をコーヒーでもてなす。会場の中も外も、ギャラリーの主宰者も星野で団結し、星野闘争の拠点ができた瞬間でした。

沖縄に応えて70年安保闘う

 準備段階の論議が決定的でした。星野さんを「美しい絵を描く、冤罪に苦しむ人」ではなく、「獄中40年、戦争反対を貫く無実の政治犯」として何のちゅうちょもなく打ち出し、それに沿った絵を選んでチラシを作成しました。
 そして北部労組交流センターの例会で大衆的に論議しました。そこで「70年闘争の記録映画『進撃の論理』を見たい」と青年がリクエストしました。11・14渋谷闘争とは何だったのか。そして今何が求められているか? 7・1以降の反戦闘争を模索し、現代革命の実現に向け、70年安保・沖縄闘争を再確認する必要がありました。そのど真ん中に星野さんがいたのです。71年10月、ベトナム戦争下の沖縄での全島ゼネストは、基地労働者を先頭とする沖縄労働者階級の渾身(こんしん)の決起でした。それに真っ向から応えたのが、11・14渋谷闘争だったのです。幸いにも「進撃の論理」、「沖縄・炎の記録」、さらに「星野文昭/獄中36年」という貴重な映像記録があります。絵画展ではこれらのDVDを繰り返し上映し、好評でした。
 そして展示方法も、星野さんの無実を証明する服の色の間違い、声、Kr供述の変遷、車のフロントガラスの光などのパネルを、絵と一緒に展示することで、絵画展が全証拠開示運動の現場へと変わりました。

星野闘争を革命の水路に

 元NHK労働者が来場した時のことです。一通り絵を見終わって、もう一度「車のフロントガラス」のパネルに戻り、何か確信した様子でうなずいている。感想を求めると、「私、この場所を知っています。NHKから坂を下り、また上ると西陽でフロントガラスが光る。事件現場にいたら見えるはずがない。星野さんが無実だと確信しました」。
 展示パネルを見てすぐに「星野は無実」と言った人は初めてです。
 星野さんは三里塚闘争などで二つのデッチあげ指名手配を受けながらも、デモ隊のリーダーとして、渋谷闘争の先頭に立ち、機動隊の阻止線を突破した。十字路に立ち、150人のデモ隊を渋谷へと合流させる一点に星野さんの神経は集中し、機動隊が配備を始めたNHK方向に目を凝らした。だから「車のフロントガラスが光ったのを見た」という星野さんの証言は合理的です。
 そして、星野さんは労働者階級のリーダーです。その生き方、闘いは誰の心をも打ち、あらゆる労働者に通用します。戦争か革命かの時代に、労働者階級のあるべき姿を示しています。
 安倍は本気で戦争に突入しています。私たちは本気で革命へ闘う時です。その武器・水路として、星野闘争を位置づけて闘いましょう。
(東京北部 あららぎ遊子)
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