福島シンポが大成功 医師ら200人超える参加で 被曝・医療テーマに報告と質疑

週刊『前進』06頁(2673号04面01)(2015/03/16)


福島シンポが大成功
 医師ら200人超える参加で
 被曝・医療テーマに報告と質疑

(写真 ふくしま共同診療所の活動を軸に真剣な討議【3月8日 福島市】)

 3・11反原発福島行動'15を3日後にひかえた3月8日、被曝・医療/福島シンポジウム「いま、福島で何が起こっているのか?」がふくしま共同診療所などで構成する実行委員会の主催で開催された。福島市内の会場は、福島市を始めとした県内、東北各県、首都圏などから詰めかけた200人を超える参加者で満席となり大成功した。
 診療所医師で本町クリニック院長の杉井吉彦さんがコーディネーターを務め、シンポジウムが開始された。まず診療所名誉院長の松江寛人さんが「ふくしま共同診療所は、放射線を心配する地元のお母さん方が立ち上がり、私たち医師が賛同してつくられた。これからもご支援、ご協力をお願いします」と主催者あいさつを行った。
 4人の医師による講演が始まった。
 診療所の布施幸彦院長は、「放射能による小児甲状腺がんの多発と原発再稼働」という演題で、診療所が「避難・保養・医療」の原則を掲げて行っている活動、仮設住宅での健康相談から報告。続けて「小児甲状腺がんが疑いを含めて117人となった」として、放射線の影響を否定する県を放射能汚染の濃度によって発症率に差があることを示し批判した。結論として「今後、福島県だけでなく宮城県や群馬・栃木・茨城・千葉県でも小児甲状腺がんの増加が懸念される。がんだけでなくさまざまな病気も増えていく」と危機感を表明し、「福島を含めた多くの県で早急な対策が必要」と呼びかけた。
 子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワークの山田真さんは「福島駅周辺で放射線量を測ったところ、最大0・67㍃シーベルトあった。年間に換算すると5㍉シーベルトです。チェルノブイリで言えば、福島は今も避難地域に当たる」と警鐘を鳴らした。さらに長年かかわってきた森永ヒ素ミルク中毒事件や水俣病との闘いの経験を詳しく報告しながら「『放射能の影響ではない』と言える病気とか症状はないと思う」と語り、国の「安全」キャンペーンを批判。「原発をなくすこと、国と東電に責任をとらせるために闘うことが大事」と訴えた。

韓国から脱原発運動報告

 韓国東国大医学部教授で韓国反核医師の会運営委員の金益重(キムイクチュン)さんは「韓国の脱原発運動の現状―放射能と健康を中心に」という演題で講演した。金さんは日本の汚染地図を紹介し、日本全土が放射能で汚染されていると指摘。「『放射能は基準値以下なら安全だ』という主張はうそだ。それは世界の医学の教科書にも書いてある」と言い切り、「韓国での甲状腺がん裁判で、原発周辺の一人の患者が原発会社の賠償責任を認める判決をかちとった」と報告した。続けて「原発は事故が起こらなくても放射能を出している」「日本と韓国は一日も早く脱原発を実現すべきだ」と強調した。
 元国会事故調査委員で医師の崎山比早子さんは「放射線による非がん性疾患―免疫系への影響」という演題で講演し、チェルノブイリ原発事故被曝者の例をひいて「甲状腺などに自己免疫疾患が起こる。全般的に骨髄や胸腺などの機能が低下。全体的に免疫の破壊が起こって、急性、慢性の疾患が増加する」と語った。さらに原爆被害者、1950年代初めに旧ソ連のマヤーク核施設から排出された核廃棄物で被曝させられたテチャ川流域住民、アメリカのハンフォード原子力施設周辺住民などの疫学調査から「放射線ががんだけでなく免疫や心臓血管系などの疾患も生じさせる科学的な根拠があることを理解しておくことが必要」と注意を喚起した。

放射能の危険を次々訴え

 続いて、福島の状況を会場の2人の参加者が報告した。川俣町から福島市に避難している佐藤幸子さんは「福島市のど真ん中に、放射能で汚染された土砂などを入れた土嚢(どのう)が大量に積み重ねられている」「原発事故後、成人の知り合いが何人か甲状腺がんの手術をした。転移が早く亡くなった人もいる」と政府・県や東電への深い怒りを語った。
 休憩をはさんで後半の冒頭、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)ドイツ支部会長代理アレックス・ローゼンさんからのビデオレターが上映された。
 次に、講演者と参加者が一体となり、活発な報告や意見表明、質疑・応答を行った。終了の時間が迫る中、「避難できない人たちに助言をお願いします」という会場からの声に4人の医師が思いを込めて意見を述べた。
 布施さんは「避難が一番ですが、できない方には保養を勧めています。被曝の健康への影響を少しでも少なくするために、知恵を出し合ってともに学んでいきたい」と福島の地で人びととともに被曝と闘う医療の意義と決意を語った。崎山さんは「我慢(がまん)し続けるのは、自分の健康だけでなく子孫にも影響が出る。自分たちで社会を変えることで避難も簡単になると思うし、それが子孫への責任の取り方と思う」と訴えた。
 山田さんは「被曝の危険への監視が薄れてきている。より安全を求め、政府や県を監視し続けることが大切」と提起した。金さんは「『復興』の名のもとに行われる政策が住民の被曝を増やしている。『復興』運動を中断させるべき。食品などの国の基準値を下げる運動もできると思う」と呼びかけた。
 最後に、杉井さんが「『避難・保養・医療』の原則の持つ意味が本当に自分のものになった。さらにこういうシンポジウムや講演会を何度も行うことが必要と思った」とまとめ、「200人を超える参加者、賛同金をいただいた多くの医師や人びとによってこのシンポジウムが成功しました」と報告して締めくくった。
(本紙・北沢隆広)
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