「50年史」と私 『現代革命への挑戦』を読んで 激動期の感動よみがえる 三里塚野戦病院 大熊寿年

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週刊『前進』06頁(2675号06面03)(2015/03/30)


「50年史」と私 『現代革命への挑戦』を読んで
 激動期の感動よみがえる
 三里塚野戦病院 大熊寿年

(写真 1968年3月10日、成田市営グラウンドで農民・学生・青年労働者が機動隊と激突。空港絶対反対の声を圧殺する政府・空港公団に怒りが爆発)

 50年史を読んで、国家権力や反革命カクマルなどとの壮絶な闘いに勝利してきたからこそ今日の2010年代中期革命情勢をたぐりよせる地平にきたことにあらためて感動をおぼえた。現在に到達するまでの苦闘と課題等々も躍動感をもって生き生きと語られている。

偉大な党の革命

 とりわけこの本を読んで痛感したことの一つは、革命にむけ最も原則的かつ核心的問題である「労働者階級の解放は、労働者自身の事業である」という壮大な闘いのもつ重みとその本格的実践の重要性だった。
 「党の革命」は、われわれが本物の革命党へと飛躍・成長していくために不可避の苦闘であったし、試練であった。労働者階級本体の決起をいかにつくり出すのかが問われた中で、91年5月テーゼへの挑戦が開始された。他方で革命への恐怖と危機感にかられた帝国主義・国家権力の攻撃も激化し、労働者階級本体の組織化にむけた核心的闘いを実践することから脱落・逃亡した分子がわが戦列から生まれた。地区党の中で身近に直面した闘いであった。
 この革命党をつぶそうとした国家権力と脱落分子が一体となった攻撃との闘いに勝利した「党の革命」がいかに大きかったかは、本書の中で赤裸々に語られている。彼らは、革命の核心的問題である労働者階級自己解放の闘いに基軸を置かず軽視した。動労千葉を始めとする労働組合・階級的労働運動を蔑視(べっし)し、それどころか誹謗(ひぼう)・中傷さえした。そして革命を放棄して権力に屈服し、体制内運動に逃げ込んだ。
 いま新自由主義的帝国主義の矛盾が全世界で革命の炎となって爆発し、全世界労働者人民の共通の闘いとなっている中で、本書は、革命に勝利する道が何かを鮮明に提起している。

激しい党派闘争

 私が初めて闘争に参加したのは64年の原潜寄港阻止闘争だった。その後、ベトナム侵略戦争反対闘争、日韓闘争、沖縄奪還バリケード封鎖ストなどの中で激しい党派闘争に入る。民青は、その頃強行された中国核実験に対して「アメリカの核実験は悪いけど、中国のは抑止力になるからいい」と、「集団的自衛権は抑止力になる」と居直る安倍とまったく同じことを言っていた。諸々の党派闘争を経て、反帝・反スタ世界革命こそが革命勝利の道であることに確信を打ち固めていった。
 三里塚闘争への参加は68年の2・26闘争が初めてだった。当時、三派全学連(秋山勝行委員長)として参加し、機動隊と激しくぶつかった。集会場は、今回3・29に全国集会が行われた栗山公園(当時の成田市営グラウンド)だった。この2・26闘争は三派全学連が三里塚で初めて国家権力・機動隊と激突した日となっているが、実は他の党派は「農民闘争は闘争にならない」と言ってネグレクトして参加しなかった。2・26闘争が爆発したので、その後、三派として合流するようになった。革命運動にとって不可欠の労農同盟論がなかった彼らならではのことだったと思う。
 この年、三里塚では2・26、そして3・10、さらに3・31とわずか1カ月の間に3回も機動隊と激突した。しかし、3・8に米軍王子野戦病院建設阻止闘争で激突し300人余が逮捕され(私も逮捕)、さらに3月28日にも王子で激突した。したがって、実はこの1カ月間だけで5回も機動隊と激突した大闘争を実行している。文字通り67年10・8羽田闘争に始まる「激動の7カ月」は、息つぐ間もない、ということがピッタリの激動過程であった。今にして思えば、よくやれたものだと驚いている。

労農連帯へ決意

 「激動の7カ月」は50年史のほんの一部ではある。10・8羽田闘争の直後、全学連は「暴徒だ。暴力集団だ」などというキャンペーンが張られ、厳しい状況に直面した。国論を二分するほどの大論争になった。しかし、他方で『前進』号外が飛ぶように売れ、私も学内で150部ほど売ったことを記憶している。日本共産党・民青の「暴力」キャンペーンも激しくなるが、次第に労働者人民、市民の共感と支持を広げていった。それは、その後の三里塚闘争で反対同盟が全学連との共闘を選択し、闘わない日本共産党をたたき出したことに示されている。
 振り返ってみると本当にあの頃の感動がよみがってくる。三里塚闘争の今日の勝利は、日共、カクマル、右翼の敵対・破壊策動を粉砕して闘いぬいたからこそかちとったものである。
 いま、新たな世界革命の時代を迎え、闘う労働組合の建設、党と労働組合の一体的建設に全力で決起することが不可欠の課題となっている。三里塚闘争も、動労千葉のジェット燃料貨車輸送阻止ストライキによって労農同盟の萌芽(ほうが)をかちとって以来、本格的に労農連帯のきずなを深めてきた。三里塚闘争の勝利も、階級的労働運動を基軸とした労働者階級人民との固い労農連帯闘争の発展の中にある。
 50年史を読んで、三里塚闘争の勝利のためには新たな労働組合・労働者階級人民との連帯・合流を切り開く闘いに決起しなければならないことを痛感し、決意を新たにしている。
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