耕作権裁判 市東さんの意見陳述(要旨)「不法耕作」デマを許さない 農地はかけがえない私の命

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週刊『前進』06頁(2687号05面02)(2015/06/29)


耕作権裁判
 市東さんの意見陳述(要旨)
「不法耕作」デマを許さない
 農地はかけがえない私の命

(写真 耕作権裁判の報告会で決意を述べる市東さん【6月15日 千葉市】)


 6月15日に千葉地裁民事第2部で開かれた耕作権裁判での三里塚反対同盟・市東孝雄さんの意見陳述の要旨を紹介します。(編集局)

 空港会社の本件提訴によって、私は新聞に「不法耕作の男」と書かれました。その南台の畑は、祖父の代から百年近く耕し続けてきた畑です。私は誠実に農業を続け、消費者との間にも信頼関係を作ってきました。まったく不当に訴えられ、誹謗(ひぼう)中傷されたことを考えると、今も、夜も寝られないほど悔しさがこみ上げてきます。
 他方、空港会社はこれまでの裁判で、契約地の場所をめぐって証拠を偽造したことが発覚しました。そしてその偽造文書に関する記録を隠し続けています。裁判所による文書提出命令に応じず、「ない」の一点張りで提出しようとしません。

全て私の賃借地

 私は、空港会社の無法をあばき、「不法耕作」のデマをぬぐい去り、祖父の代から耕し続けてきた畑を守るためにこの場に立っています。
 東京高裁第19民事部で審理されていた関連裁判が3月4日に、突然、打ち切られました。審理を尽くさないまま下した判決の誤りを正すためにも、私はこの裁判に勝利したいと強く願っています。
 いま南台で私が耕作している畑は、すべて私の賃借地です。父・東市から、畑を守れと言われて相続し、有機農業を続けてきたのです。
 畑の場所をめぐって地主と争いになったというようなことを、父から聞いたことはありません。
 私は1966年4月に家を離れ就職しました。折に触れて帰省すると、父・東市はいつも額に汗して畑で働いていました。99年1月21日に父が亡くなり、私は家に帰り農業を引き継ぎました。この年の前年から毎年暮れに、地代を地主の自宅に届けに行きましたが、耕作場所を問題にされたことはありません。
 そもそも南台の畑は農地改革で解放されるべき畑です。戦地からの父の帰還が遅れて解放から取り残されましたが、自作地と同様に農地法によって保護されてきました。ところが、いつの間にか空港会社が地主だというのです。父・東市に秘密にして耕作地を買収し、その事実を隠し続け、登記もせず、地代をだましとってきたことこそ、違法・無法です。

空港会社が偽造

 審理が中断する前の法廷で、空港会社が契約畑を特定した唯一の証拠が、偽造だということが明らかにされました。
 私は、父・東市が署名したという「境界確認書」「同意書」添付図面の存在を知らなかったのでビックリしましたが、同時に不審に思いました。「南台41―9」の土地が契約畑だというのは明らかに違うからです。
 そして筆跡鑑定の結果、これが偽造と分かってさらに驚きました。事業認定の期限切れで土地収用できなくなるという事情があったとはいえ、どうしてこんなことができるのか、公団用地部の闇(やみ)を見たように感じました。
 これらの書類はどういう経過で作られたのか。それまでの図面や耕作実態とも明らかに違うのはなぜか、空港会社ははっきりさせるべきです。

有機農業に誇り

 私は農業に誇りをもっています。本格的な有機農業と産地直送を始めて以降、延べ3千軒以上の消費者宅に野菜を届けてきました。有機農業は土作りがすべてです。畑を守ることは、土壌微生物が生息できる豊かな土を毎日の作業を通して作り続けることなのです。
 農地と農業はかけがえのないものであり、私たちの命です。いま、家族農業が切り捨てられ、利益を追い求める企業の農業参入が進められています。私の農地問題の背景には、空港を優先して農地をつぶし、住民の命を削り、地域を破壊する実態があることもこの場を通して訴えたい。

不当提訴棄却を

 裁判長!
 ある日突然空港会社が地主として現れて、「不法耕作だ」「契約解除だ」「明け渡せ」と言われても、私は納得できません。私は不法耕作などしていません。
 私はこの裁判で真実を明らかにしたい。このことは関連裁判の誤りを正すためでもあります。農地法による農地取り上げと、私は闘います。
 空港会社は「不法耕作」呼ばわりを謝罪し、訴えを取り下げるべきです。裁判所には空港会社の不当な訴えを棄却するよう求めます。「国策」を盾に農地を取り上げることを、私は絶対に認めることができません。

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