映画「サンドラの週末」 資本による卑劣な分断攻撃をうち破る労働者の必死の抵抗

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週刊『前進』06頁(2687号06面03)(2015/06/29)


映画「サンドラの週末」
 資本による卑劣な分断攻撃をうち破る労働者の必死の抵抗

(写真 「サンドラの週末」の1場面)

 映画「サンドラの週末」を見ながら強い怒りに駆られ続けました。作品に対してではありません。映画に登場する労働者たちを追い詰め、分断し、過酷な苦しみを強いる新自由主義の攻撃に対してです。
 サンドラは、飲食店で働く夫と2人の子どもとともに暮らし、ベルギーの小さなソーラーパネル製作会社で働く労働者です。うつ病での休職の後、さあ復職という金曜日にいきなり解雇を通告されます。
 会社は「アジアとの競争に敗れそうで厳しい。みんなに1千ユーロ(約14万円)のボーナスを出すが、代わりに誰か1人に辞めてもらいたい」と主張し、工場で働く(サンドラを除く)16人に投票を迫り、結果は14票対2票で、サンドラを犠牲にしようとしたのです。その職場に労働組合はありません。
 知らせを聞いたサンドラは泣き崩れますが、1人の同僚と夫に励まされて社長に掛け合い、月曜日に再投票させるところにまでこぎつけます。そしてサンドラは、土曜と日曜をかけて同僚の説得に駆けまわります。それは、「1千ユーロのボーナスではなく、私の就業を選んでほしい」という説得です。
 映画の筋立てはきわめてシンプルです。観客はサンドラと一緒に同僚の家を訪ね歩き、一人ひとりの反応につぶさに直面することになります。映画音楽を一切排した緊迫感に満ちた画面が続きます。
 移民労働者や非正規雇用の人たちを含む同僚は、光熱費も払えない者、子どもの学費に悩み抜いている者、ダブルジョブを続けざるを得ない者など、誰もがぎりぎりの貧しい暮らしを強いられています。みんなのその苦しみを知るサンドラは、説得を放棄したくなり、一瓶の安定剤全錠を一度に飲み込んでベッドに倒れ込んだりします。しかし、仲間との絆(きずな)を一気に深められる感動的な反応にも出合います。
 ここに描かれている突然の解雇、まともに暮らしていけない低賃金、非正規雇用、資本による卑劣な分断攻撃、そしてそれらへの必死の抵抗は、いま世界中の無数の労働者が経験していることです。監督のダルデンヌ兄弟は、インタビューを要約すると「08年の恐慌後に労働の基盤となるはずの連帯が崩れ始めているなかで、それとは逆の物語を提示したかった」と述べています。
 理不尽な仕打ちに対して、同僚との新たな連帯を懸命に築いていこうとするサンドラは日本のどこにも現に生きています。
 映画の結末(月曜日の投票の結果)は書くのを控えます。ただ私たちは、最後のサンドラの確かな前進の後にこそ、労働者としての本当の闘いが始まるし、始めなければならないということを知っています。本当の闘いとはすなわち労働組合の結成です。「ボーナスか1人の同僚の解雇か」などという露骨きわまる分断攻撃自体に絶対に反対し、同じ苦しみと怒りを分かち合う仲間との新たな持続的な団結を築くことです。
 いま私たちのすぐ近くに実際にそのように闘い抜く多くの〈サンドラを超えたサンドラ〉がいることを何よりも心強く感じさせる映画です。
(十亀弘史)

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▼2014年のベルギー・フランス・イタリアの合作映画。監督は、カンヌ国際映画祭で最高賞を2度受賞したベルギーのジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟。95分。
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