「御用組合だ」の内部批判で東労組が分裂・抗争へ 今こそ動労総連合建設の時だ

週刊『前進』08頁(2697号02面02)(2015/09/14)


「御用組合だ」の内部批判で東労組が分裂・抗争へ
 今こそ動労総連合建設の時だ

浅野と水沢の執行部批判に「弾劾決議」

 JR体制が崩壊する中で、その反革命的支柱となってきたJR総連カクマルはついに公然と分裂し内部抗争に突入した。
 2月21日に開かれたJR東労組東京地本の第38回定期委員会は、昨年7月に行われたJR総連カクマル幹部・浅野孝の「講演」を「東労組への組織破壊攻撃」だとする弾劾決議を上げた。浅野の講演は「敬松(けいしょう)塾」で行われた。「敬松塾」とは「松崎明さんの意思を受け継ぎ闘う」として、浅野孝、水沢隆らを中心に結成されたJR総連カクマルのフラクションだ。東労組は、「二人は、自らが前面に立つことなく、裏で操るかたちで」隠然と組織化を進め、平成採組合員も組織されていることに危機感を強めた。
 講演で浅野は、「東労組は御用組合になった」「東京地本の闘いを突き動かしているのは会社だ」と、京浜東北線の乗務員基地再編に対する東労組の対応などを批判した。特に、東労組を実質的に牛耳り、その路線形成の中心にいる東京地本委員長の鳴海恭二を名指しで批判した。さらに浅野は、自身がカクマル派に結集したことを正当化した上で「それぞれの場で議論を深め心を一つに」などと意思統一した。東労組は、「組織性を持った会議の場が存在している」と、浅野らに同調するグループの広がりに警戒を強めた。
 一方の水沢隆も明示な形で東労組執行部批判を行った。昨年12月、水沢はJR総連・東労組の衆議院選挙方針に関して「批判メール」を八王子地本に送りつけた。民主党、生活の党を推薦した選挙方針に関するものだが、直接には現在、JR総連が熱中している田城郁(たしろかおる)の選挙運動を批判したのだ。
 浅野に関して東労組は、「3年前に配布された文書」も同質の問題をはらむと指摘する。数年前から浅野らと東労組・鳴海らの路線的対立は深まり、非和解的関係に入っていたのだ。
JR総連内の反革命分子が大動揺し対立
 東労組は、浅野孝、水沢隆の2人を一貫して「東労組一部OB会員」などとしている。しかし2人は、JR総連カクマルの中枢に位置する人物である。
 浅野孝(76)は、田町電車区出身で国労新橋支部のカクマル派キャップだったが、86年にカクマルが国労を分裂させてデッチあげた真国労の副委員長に就任。その後、「トラジャ」と呼ばれるカクマル中央労働者組織委員会の常任指導部となり、鳴海などの現執行部クラスを指導していた。00年にJR総連から九州労が集団脱退した際、JR総連カクマル中枢幹部の坂入充が拉致・監禁された事件では、カクマル西条武夫(=木下宏)とともに実行に関与した。
 水沢隆(69)は大宮操駅(貨物)出身で国労上野支部に所属していたが、86年に真国労の書記長となり、JR総連書記長などを歴任したカクマル分子だ。この2人は、07年に松崎明がJR総連内に設立した国際労働総研(総研)の「主任研究員」となり、機関誌『われらのインター』発行の中心にいた。水沢は総研共同代表にも就任した。総研は、カクマル中央派から分裂したJR総連カクマルが、新たな「党的」結集軸を求めて設立したものだ。
 今回の事態はすなわち、JR総連カクマル内部での対立・抗争であり、実態としては総研・浅野グループと、鳴海を軸とするJR総連・東労組実権派との対立・抗争である。
 浅野は講演で「東労組は御用組合になった」と批判しているが、その根幹にはJR大再編情勢があり、それに対する東労組の度し難い屈服と路線的混迷、組織的危機と弱体化の進行がある。この事態に総研・浅野グループは根底から動揺を深めた。何よりも対極に動労千葉労働運動の確固とした前進があり、彼らの裏切りを弾劾し続けているからだ。

資本の軍門に下った労組の惨めな末路

 10年秋以降、JR大再編を視野にJR東日本はJR総連カクマルとの結託体制の破棄に乗り出した。首都圏の運輸職場を中心に、会議室の使用に制限を加えるなど、「ローカルルール是正」の動きを強めた。東労組を軸にしてきた労務政策からの明確な転換である。
 これに対して東労組は、「労働三権」だとか「ストライキ権」などと騒ぎ立てるが、具体性はなく屈服的対応に終始した。それは、資本の施設管理権を認めた上で新たな労使協約の締結を懇願するものでしかなかった。資本の軍門に下った労働組合の惨めな末路を示すものである。
 京浜東北線の乗務員基地再編もJR大再編の中で打ち出された。これは下十条運転区、浦和電車区など東労組カクマルの「拠点」職場を廃止し、カクマル活動家の配転にも手を着けるというものだ。これに対して東労組は、「施策そのものには反対しない」(吉川英一委員長)として根本的に屈服した。
 14年1月、JR東日本は組合員との直接面談で異動を進めようとした。これに対しても東労組は有効な組織方針を出せなかった。5月の東京地本執行委員会では「ストライキの戦術行使」を決定し、6月の東労組定期大会に「ストライキ方針の決定」を要請したが、大会ではストライキ方針など採決にも付されていない。東労組にストライキを打てる組織体制などそもそもない。
 定期大会を受けて、資本と東労組の間に「施策実施に関する確認メモ」が締結された。そこには「会社の発展を基礎とし『労使共同宣言』を遵守(じゅんしゅ)する」とあらためて明記されている。この「確認メモ」の締結を機に、妥結協議の流れが一挙に加速した。浅野の「東労組は御用組合になった」「東京地本の闘いを突き動かしているのは会社だ」という言辞は、この過程を指したものだ。
 だが浅野も新自由主義反革命という点では一貫しており、妥結そのものに異議を唱えてはいない。浅野らの批判は、彼ら総研グループが「松崎の意思」としてきたものからさえ離反して、資本にとことん付き従おうとする鳴海ら東労組実権派に対して向けられている。

資本と一体化するJR総連カクマル打倒

 つまり、JR大再編を絶賛し、第2の分割・民営化攻撃の先兵として名乗りを上げるJR総連・東労組にとって、総研の存在は足かせ以外の何ものでもなくなったのだ。東労組は資本と一体化すること以外に延命の道はない。鳴海ら現執行部はそのことを徹底的に自覚している。だからこその両者の対立・抗争だ。
 これは始まりであり、今後あらゆる場面で噴出する。8月下旬に4カ所で開かれたブロック別地本OB三役会議でも、「浅野講演は絶対に許さない」とする弾劾が上げられた。
 分割・民営化の破綻はついにJR体制の崩壊に行き着いた。JR総連カクマルもまたJR体制の崩壊とともに組織的危機を深め、分裂と崩壊に向かって突き進む以外にない。9月決戦を突破口とする今秋決戦のただ中で、全国で動労総連合の建設を推し進め、JR体制ともどもJR総連カクマルを打倒しよう。
〔矢剣 智〕
このエントリーをはてなブックマークに追加