団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』06頁(2699号06面04)(2015/09/28)


団結ひろば 投稿コーナー

徳島刑務所デモを闘って

66年以来の友 必ずとり戻す
 群馬星野文昭さんの再審を実現する会 伊藤成雄

 9月6日、全国から720人が徳島刑務所包囲行動に決起し、私も「群馬星野文昭さんの再審を実現する会」のノボリを持って参加しました。
 私は1966年以来の友人ということで、一昨年4月、昨年6月と、星野文昭さんと友人面会を実現するために徳島刑務所に行きましたが、不当にも徳島刑務所長は面会を不許可にしました。
 2006年に明治41年制定以来の監獄法が変わり、親族以外の友人面会ができるようになり、私も06年12月に85年以来約21年ぶりに星野さんと面会しました。その後、刑務所長の「裁量」で友人面会が実質的に不可とされ、現在友人面会はできない状態です。
 今回の刑務所包囲デモはこのような中で、星野さんとの「集団面会」として実現されました。
 星野文昭さんは71年春、三里塚に常駐し、全学連現地行動隊として活動するようになる前、群馬の地で高崎経済大学、群馬大学、群馬高専の学生とともに活動し、大学闘争、70年安保・沖縄闘争を中心で担いました。
 三里塚闘争が大決戦となり現地におもむき、その実直で誠実な人柄で三里塚農民の信頼を厚く受けながら活動を続け、71年7月と9月の闘いで指名手配を受けている中で、11・14渋谷の闘いに決起しました。75年デッチあげ逮捕され、最高裁で無期懲役が確定し、現在再審請求をしていますが、41年もの超長期の拘置は絶対に許せません。
 即時釈放を実現することは絶対的課題です。今回の刑務所包囲デモは星野さんと熱く交流し、解放に向けた重要な一歩を開いたと思います。
 全証拠開示大運動と絵画展をもって運動を広げ、全国で救援会をつくり1日も早く星野さんを取り戻しましょう。群馬では10月16日から20日まで高崎市シティギャラリーで絵画展を行います

動労総連合を宮城につくる
 宮城 青柳葉子

 5度目の徳島。星野全国総会の会場に着いたところで「明日の刑務所包囲デモの途中で呼びかける一人になってください」と言われてから、「なんて叫ぼうか」と考え続けました。
 総会の間、交流会で飲みながら、ホテルで寝付けず、「新町温泉」(銭湯)で朝風呂に入りながら、希望バスに揺られて、鮎喰川河原の大声大会で笑いながら、デモコールに合わせながら...。
 悩んで徳島刑務所前の坂を上っていたら、デモ指揮姿の星野さんの大きな写真が正門前に掲げられていました。「誰がこんな...反則でしょ...」。いきなり涙が止まらなくなりました。
 さらに、デモの先頭の暁子さんがマイクを握って「文昭〜、みんなで迎えに来たよ〜」と呼びかけたのには参りました。
 41年間、塀の内で革命を実現するために闘い生きる星野さん。「刑務所の壁が薄くなったと感じる」と言う星野さん。私もそうです。特にこの1年ほど前から、沖縄、安保、星野絵画展、大恐慌、ゼネスト情勢......どんどん加速度的に、星野さんと一緒に同じものを感じて闘っている一体感を感じます。絶対に取り戻さねばなりません。
 私は自分の決意をシンプルに語ろうと決めました。「星野さーん、宮城の青柳でーす。私の決意を述べまーす。神奈川、新潟、福島に続いて、宮城に動労総連合を必ずつくりまーす。体に気をつけてともに闘いましょう」。小雨の空気をつたって真っすぐに刑務所の中へ響き渡った気がしました。
 あの門前の星野さんの大きな写真は徳島の青年労働者の皆さんのアイデアだと聞きました。感謝です。

扇町公園集会署名100筆
 大阪・星野文昭さんを取り戻す会 吾郷春代

 「星野さ〜ん! 元気ですか〜!」。胸に熱いものを感じながら、力の限りに呼びかけた9・6徳島刑務所包囲闘争。
 この日の闘いが、戦争法案粉砕の先頭に位置する闘いとして勝利したことに確信を持ちました。8・30国会前12万人の闘いと連帯した大阪の扇町公園2万5千人の結集の場で街宣をし、1時間余りで100筆以上の星野署名が集まった中に、星野さんがともに闘いを牽引(けんいん)し、ともに闘っているということが表れています。
 また全国50カ所以上で成功した星野絵画展の中で、星野さんの存在と闘いが多くの人びとの心を動かしたことにも明らかです。自らの生き方を問うた人、労働組合の闘いの中でなかなか越えられなかった壁を一気に越えた労働者など、星野絵画展によって情勢が切り開かれ、星野さんと一緒に闘いを構築していることの中にも表れています。
 ゼネストと国際連帯で戦争を止めましょう。その闘いの中で星野さんを奪還しましょう。

八尾から23人がデモに参加
 大阪・星野文昭さんを取り戻す会 桂幸一

 9月5日の星野全国総会では、30に迫る救援会結成と絵画展の成功の報告が行われ、全国津々浦々に星野闘争を闘う仲間ができると確信しました。
 9月6日の現地闘争には、八尾から7・31〜8・2八尾星野絵画展実行委員会の八尾北医療センター労組を先頭とする7団体、23人が参加しました。初めて参加する八尾北命と健康を守る会の高齢者のみなさんが、足場の悪い河川敷の集会にも、「無実の星野さんを取り戻したい」という思いで参加されました。
 刑務所に向かってマイクを持ち、大阪市職の労働者は「橋下を打倒したぞ」と勝利を報告し、全国水平同盟西郡支部の青年労働者は「全国水平同盟の闘いは高槻、京都へと広がっています。西郡は、星野さんの闘いと一つの闘いとして国賠闘争に決起しました」と熱烈にアピール。まさに獄壁が薄くなったと思います。
 そしてこの闘いを国会闘争、9〜10月国鉄決戦、11月集会、星野全国集会につなげていきたいと思います。
 最後に地元徳島の仲間の準備・企画、本当にご苦労様でした。特に刑務所への「大声大会」は闘志を盛り上げました。

「街」弾圧粉砕し徳島闘争に
 東京北部 りつ子

 8月14日、不当逮捕・勾留されていた私たち「オープンスペース街(まち)」の2人は、労働者のもとに実力で奪還されました。
 この勝利は、星野文昭さん奪還に向けた大きな勝利です! 星野さんを奪還する日の具体的イメージができました。
 ホームグラウンドである「街」に戻ると、星野暁子さんや仲間たちと抱き合い、喜びを分かち合いました。星野さんがいたから完全黙秘で闘えたし、「これで一歩、星野さんに近づいた」と実感しました。
 それから3週間後、私たちは徳島刑務所前に立ち、力いっぱい「星野さんに届け」と叫びました。国家権力に勝利したからこそ徳島闘争に参加できた、という感激でいっぱいでした。
 「街」弾圧との闘いで、1千万労働者と結びつく闘いが本格的に開始されました。8月冒頭から開始した東京都内250カ所の作業所訪問で「生きさせろ」の怒りと結合しました。87年の国鉄分割・民営化から始まった攻撃は、今、新自由主義のもとで社会保障解体攻撃として、作業所に襲いかかっています。動労千葉の田中康宏委員長は、「都内に1千カ所もこういう福祉作業所があることを初めて知りました。すべて、民営化の問題です」と言っています。この民営化攻撃と闘う以外に作業所を守ることはできないし、生きることもできない。「街」への弾圧を許したら、すべての作業所がやっていけなくなります。生きることは闘うことであり、現に多くの作業所が必死に闘っています。
 国鉄・星野・水平同盟・沖縄・三里塚・西郡・八尾北、すべての怒りと同じです。
 今回の「街」の闘いは、この方向を指し示す突破口を切り開きました。それは団結です。団結してこの社会をひっくり返すことです。
 1千万労働者との結合と拠点建設に「ゼネストと革命へ進撃」する道があります。ゼネストと革命で星野文昭さんを取り戻しましょう!

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国会正門前で『前進』がどんどん売れる!
 東京 万野旗幟

 9月16日の夕方、私は国会正門前で『前進』販売に決起しました。
 この日は雨の中、戦争法案の強行採決を阻止するために万余の労働者人民が結集していた。街灯に照らされた場所で同志が色鮮やかなノボリを持ち、私も彼の隣で『前進』を広げて「1千万人の怒りで安倍を打倒しよう! 戦争法案を葬り去ろう!」と元気よく呼びかけた。2時間で22人が買ってくれました。
 大半の人が語ったことは、学生運動への熱烈な支持です。20代の3人組の労働者が「法大闘争を知っているんで...」と全員が買っていった。また別の学生は、「僕は表立ってやれないのですが、これ読んで勉強させてください」と買っていった。
 皆、雨に濡れた『前進』を闘いの決意を込めて買っていった。
 その後も続けていると、6人の若い男が「中核! 人殺しは出て行け!」と迫ってきた。私が「革命を訴えて何が悪い」と言うと、一人が「革命なんかやられちゃ、困るんだよ!」と叫んだ。私は「安倍の方こそ人殺しじゃないか! 安倍のところに行って来い」と言った。男は「うるせえ!」としか言えなかった。
 私たちは最後まで明るく楽しくやりきった。この国会前であらためて、1千万の労働者人民と『前進』で固く結びつき、ゼネスト・革命に向かって突き進むことができるということを感じた。今こそ『前進』をどんどん拡大しよう!

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