避難指示区域を訪ねて 「希望の牧場」吉沢代表と共に(中) 行き場ない放射性廃棄物

週刊『前進』08頁(2710号04面03)(2015/12/14)


避難指示区域を訪ねて 「希望の牧場」吉沢代表と共に(中)
 行き場ない放射性廃棄物

原発建設を阻んだ町・浪江

(写真 原発マネーで建てられた棚塩集会所)

(写真 屋上から小高・浪江原発建設予定地だった丘が見える【写真中央から左手】)



 福島県双葉郡の海岸に接する6町のうち5町に発電所がある。福島第一原発(大熊町、双葉町)、福島第二原発(楢葉町、富岡町)、広野火力発電所(広野町)である。浪江町は唯一、発電所がない町だ。半世紀近い闘いをとおして原発建設を阻んだからだ。
 「希望の牧場」代表の吉沢正巳さんに、小高・浪江原発建設予定地だった浪江町棚塩(たなしお)地区を案内していただいた。「98%まで土地の買収が終わっていたけど、最後まで『土地は絶対売らない』という地権者が2人残った。計画が先送りになっていたところで3・11が起きて、最終的に計画は白紙撤回された。最後の2人が頑張らなかったら、小高・浪江原発も本当に危なかった」(吉沢さん)
 東北電力が浪江町棚塩地区と南相馬市小高区に小高・浪江原発を建設すると発表したのは1968年。45年後の13年3月、東北電力は計画取り止めを正式に発表した。
 棚塩集会所を訪れた。「ここは原発マネーで造られた集会所だ。1階、2階とも集会室にはステージがあり、立派なものだった。15㍍の津波が突き抜けて、すべて壊れちゃったけどな」
 屋上に上がると、北側に原発立地予定地だった小高い丘が見える。地域住民を買収するために、この地域の農地整備は農家の負担ゼロで行われたという。原発建設を阻んだ町が、大量に降り注いだ放射能によって「死の町」とされた。その現実が目の前に広がる。

建設費500億円の焼却炉

 同じ屋上から南側を望むと、巨大な工場のような施設が目に入る(写真左上)。「あれが浪江の焼却場。津波のがれきの木材やプラスチックなどを24時間、燃やしている。2年間だけ使って、あとは解体・撤去する。建築費は500億円。プラントメーカーやゼネコンは濡れ手に粟でぼろもうけだ。富岡町の焼却場は600億円。南相馬市にも飯舘村にもある。除染も焼却場建設もみな、ゼネコンや巨大企業のためのものだ」
 浪江町の観光名所として有名だった「マリンパークなみえ」が大津波で壊されたため、その町有地に建てられた。受注したのは安藤ハザマと日立造船、神戸製鋼所だ。

セシウム古墳地帯になる

(写真 南相馬市小高区の仮置き場。砂利を敷き舗装した上にフレコンバッグを積む)

(写真 その海側では仮置き場の造成工事が延々と続き、何百台もの車が動く)

 南相馬市小高区の仮置き場の造成工事現場を訪れた。ビニールシートの上にフレコンバッグを積むほかの仮置き場と違い、30㌢ほど砂利を敷き詰めた上に舗装工事を行い、その上にフレコンバッグを積んでいる。
 「ほかと違い、相当がっちりした造りの仮置き場だ。仮置き場って名前だけど、そのうち『ごめんなさい。運び出しができないから、ここを暫定中間貯蔵施設にします』と言い出すんじゃないか? 県内あちこちにフレコンバッグを5段、6段と積んだ仮置き場がある。次の行き場が決まらず、フレコンバッグの巨大な山が大きくなるばかり。県は2800万袋になると計算している。こうして福島県のいたるところが『セシウム古墳地帯』になるんだ」。
 作業している除染労働者は極めて軽装だ。マスクは付けていても、防護服でもなく、普通の作業服姿。どれほど被曝させられているのだろうか。
 「除染なんて無理なんだ。浪江町の帰還困難区域、とりわけ山間部には毎時15㍃シーベルトや20㍃シーベルトの放射能が残っている。山間部には除染の機械も人も入れない。町の水源である大柿ダムは汚染地帯のど真ん中で、ダムの底にセシウムが沈澱(ちんでん)している。町の水道をみんなが安心して使える時が来るのか。ダムの水を使った農業も米づくりも再開できないだろう」
 そもそも「除染」とは「移染」、つまり場所を移動させるだけで、放射性廃棄物はけっしてなくならない。その上で3・11から5年近くたち、政府の「除染」計画の破綻があらわになっている。放射性廃棄物の行き場がどこにもないのである。
 政府の方針は、自治体・行政区ごとに区内の仮置き場で3年保管し、3年以内に中間貯蔵施設へ移動、さらに30年以内に県外の最終処分施設に移動するというものだ。しかし今、仮置き場はあふれかえり、中間貯蔵施設建設もまったく進んでいない。最終処分場建設にいたっては何の見通しもない。
 また仮置き場は3年で中間貯蔵施設に移動させることが前提でつくられた。フレコンバッグも3年を目安とした強度しかない。そのため各地でフレコンバッグが劣化し、破れ、雑草が生えたり汚染土が漏れ出したりして大問題となっている。

中間貯蔵施設も行き詰まり

 政府は仮置き場の次の保管先として、大熊町と双葉町に中間貯蔵施設を建設する方針を決めている。面積は羽田空港に匹敵する16平方㌔、保管量は東京ドーム18杯分に相当する約2200万立方㍍の予定だ。
 しかしこれも完全に行き詰っている。地権者2365人のうち半数の連絡先が判明していない。そのうち600人近くがすでに死亡し、相続手続きが行われていないこともわかった。相続権を持つ人を探して、全員から承諾を得る必要がある。明治時代などに死亡した人の場合、それが100人を超えることも少なくない。これまでに政府が同意を得られた地権者は14人だけだ。吉沢さんは「中間貯蔵施設はできないよ」ときっぱり言う。

ここに子ども達を戻すのか

 南相馬市原町区では、仮置き場に土地を貸していた住民たちが「農地に戻して農業を再開したい」と、来年3月で期限が切れる契約を更新しないと決めた。そのため市当局は、小高区に移動することを決めた。
 「南相馬市の仮置き場を小高区に集約するつもりなんじゃないか。フレコンバッグの漂流だ。だけど南相馬市は、小高区の避難指示を来年4月に解除しようとしている。中学校と小学校は元の校舎で授業を再開すると言っている。『子どもを戻せば親も帰ってくるだろう』という上からの人質作戦だ。フレコンバッグがせめぎあう中で子どもたちを生活させるのか」
 原発事故がつくり出した大量の放射性汚染物質の行き場所はどこにもない。仮置き場、中間貯蔵施設、最終処分場のすべてが行き詰まっている現実こそ、原発・核と人類は絶対に相いれないことを示している。すべての原発をただちに廃炉にする以外の選択はない。
(本紙・里中亜樹)

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