派遣法廃止へ闘おう 春闘をストライキで闘い労働法制の大改悪阻止を

週刊『前進』02頁(2726号02面01)(2016/02/25)


派遣法廃止へ闘おう
 春闘をストライキで闘い労働法制の大改悪阻止を


 安倍は昨年秋の労働者派遣法の大改悪に続き、労働時間規制を撤廃して残業代をゼロにする労働基準法の改悪や、金銭解雇制度の導入をたくらんでいる。さらに、「同一労働同一賃金」を掲げて全労働者を非正規職にしようと狙っている。16春闘はこれらの攻撃と対決する決戦だ。(16春闘論については『国際労働運動』vol6をぜひ参照してほしい)

制定以来の抜本的大改悪

 昨年9月、安倍は戦争法とともに労働者派遣法の大改悪を強行した。改悪の核心は、派遣労働を「例外的・一時的」なものとしてきた建前を最終的に捨て去ったことだ。
 改悪前までは、資本が派遣労働を使用できるのは、「専門26業種」を除いて3年に制限されていた。改悪でその制限は取り払われ、資本は派遣労働を永遠に使用することが可能になった。
 3年の期間制限があったのは、恒常的な業務に就く正規労働者を派遣労働者に置き換えることは禁止するという原則(常用雇用代替禁止の原則)が、建前としては存在していたからだ。だが、今回の改悪で派遣労働は例外的なものではなく、恒常的・常態的なものに位置づけられた。
 他方で、この改悪により、同じ派遣労働者を3年以上、使い続けることは禁止された。資本は、労働者を入れ替えれば永久に派遣労働を使えるが、労働者は3年ごとに必ず解雇されるのだ。
 85年に制定された派遣法は、当初は「専門的」とされた13業種に限って派遣労働を解禁した。その後の度重なる改悪で、派遣労働の対象業種は拡大され、派遣期間も延長されてきた(年表参照)。しかし、「派遣は例外的・一時的なもの」という建前さえ解体した点で、昨年の改悪はこれまでとは抜本的に異なるすさまじいものだ。

労働基本権の解体を狙う

 85年の派遣法制定で、戦後労働法制の根幹にあった「労働者供給事業の禁止」「中間搾取の禁止」の大原則は解体された。戦前、建設業などで労働者は「人貸し業」「募集人」などと呼ばれた者たちにピンはねされ、きわめて劣悪な労働を強いられた。中間搾取禁止は、これを防止するために定められた。同時にそれは、団結権・団体交渉権・争議権を中身とする労働基本権の保障と一体のものでもあった。
 派遣労働者は、派遣先の資本の指揮命令のもとで働いている。にもかかわらず雇用主は派遣元とされ、派遣先の雇用責任を追及することは著しく困難にされている。派遣労働者の賃金は、派遣元と派遣先との派遣契約によって実質的に決まっている。派遣先での仕事がなくなれば派遣労働者は簡単に解雇されるし、派遣元と派遣先とが取り交わす派遣契約が打ち切られれば、やはり派遣労働者は解雇される。
 労働基準法第2条は「労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである」と定めている。これも現実には建前に過ぎない。とはいえ、労働者は労働組合に団結してこそ、資本が劣悪な労働条件を一方的に押し付けてくることに対抗できる。ところが派遣労働者は、あらかじめ労働条件の決定から排除されている。
 これは、外注先の労働者の場合も同じだ。勤務シフトなどの労働時間や実際の働き方は、委託元の生産計画などによって完全に決定されている。賃金も、実際には委託元と外注先が取り交わす請負契約で決まってしまう。請負契約が解消されれば、外注先の労働者は職を失い解雇される。
 派遣先や委託元は、派遣労働者や外注先の労働者を低賃金でこき使い、強労働・長時間労働を押し付け、労災の危険にさらし、都合が悪くなれば安易に解雇する。その責任を追及すれば、派遣先・委託元は「雇用主ではない」と言って逃げ回る。労働者からのピンはねで利潤を上げる派遣元や外注先も、「契約が解除されたから仕方がない」として何の責任もとらない。どれだけの労働者が、この現実に悔しい思いをしてきたことか。

国鉄決戦を軸に反撃へ!

 国鉄分割・民営化による解雇もまったく同じ構造で行われた。被解雇者の選別を国鉄に行わせた上で、「国鉄とJRは別法人」という虚構をしつらえ、JRに解雇の責任・不当労働行為の責任を負わせないとしたのが、国鉄改革法だった。
 派遣労働が拡大し、業務の外注化が急速に進行したのは、国鉄分割・民営化が国家政策として強行されたからだ。
 しかし、動労千葉の闘いは、ついにこの攻撃の根幹を食い破った。国鉄解雇をめぐる裁判で、動労千葉は最高裁に被解雇者の選定基準(不採用基準)の策定自体が不当労働行為だと認定させた。その不採用基準の策定にJR設立委員長が関与していた事実も暴いた。
 2・14国鉄集会は、この勝利の上に、新署名を武器としてJRに対して直接、解雇の撤回を迫る新たな闘いを宣言した。「国鉄とJRは別法人」という、国鉄分割・民営化攻撃の根幹が打ち砕かれたのだ。
 これは派遣法撤廃、外注化粉砕の闘いにとっても決定的な勝利だ。派遣労働者が派遣先に対し、外注先の労働者が委託元に対して団結して立ち上がり、非正規職を撤廃させ、派遣法を粉砕する水路はこじ開けられた。動労千葉に続き春闘をストライキで闘い、労働法制大改悪を阻止しよう。

(年表)労働者派遣法の改悪
1985年 労働者派遣法制定
86年 (ソフトウェア開発、事務用機器操作、通訳、秘書、添乗、建築物清掃、案内・受付・駐車場管理など)13業務を対象に派遣法が施行(4カ月後に16業務に)
96年 派遣対象を26業務に拡大
99年 対象業務を原則、自由に。26業務は期限の制限なく、それ以外は1年を上限に
2004年 派遣期間の上限を、1年から最長3年に延長。製造業の派遣も1年を上限に解禁
07年 製造業派遣の制限期間を1年から3年に
08年 「派遣切り」が社会問題に
15年  改悪派遣法が成立・施行。業務と期間の制限を撤廃し企業は最長3年ごとに人を替えれば派遣労働者をずっと使い続けられる。労働者は最長3年で首を切られる
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