鈴木勇次同志を悼む 細胞の団結に賭けきり個に死して類に生きた 革共同東京西部地区委員会

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週刊『前進』04頁(2731号04面03)(2016/03/14)


鈴木勇次同志を悼む
 細胞の団結に賭けきり個に死して類に生きた
 革共同東京西部地区委員会


 12月16日午後10時56分、2年間、がんと闘いぬいた鈴木勇次同志が家族と同志に看取られて息を引き取った。この日は民主労総ゼネスト連帯デモの夜だった。享年71。地区委員会のかけがえのない指導部として党の革命の先頭に立った鈴木同志が、2016年の革命と戦争の大激動の現場にいないことは悔しい限りである。しかしその存在と闘いは今もわれわれとともにある。

過半を非公然で

 静岡に生まれた鈴木同志は、法政大学在学時から闘いに立ち、卒業後静岡でマル青労同、革共同に結集し、数年で県反戦・県狭支連(「狭山差別裁判を徹底糾弾し、石川一雄氏の闘いを支援する会・全国連絡会議」)の責任者となった。そして50年近い革命運動の過半を費やして非公然活動を担った。
 その不屈性と蓄積は、2000年以来の東京都委員会・西部地区委員会の闘いの中で、国鉄決戦を柱とする階級的労働運動、生きたマルクス主義復権の闘いに生かされた。一切をプロレタリア革命に賭けた人生は、鈴木同志個人の生涯を超えて、わが革共同と日本プロレタリアートの勝利性の証しである。
 大恐慌の本格的爆発と朝鮮侵略戦争が急切迫している。青年をはじめ次々と労働者が人生をかけた決断をする時代であり、団結に賭けて生きぬく革命家の魂が輝く時代だ。鈴木同志は、病いとの闘いが中心になっても常に同志との細胞的団結を求め続け、逝去の数日前に入院する直前まで細胞会議に出席し、力を振り絞って自らの歴史を革共同の「50年史」と重ね合わせた。この生き方をまっとうした鈴木同志との団結を貫いたことを地区委員会は誇りに思う。

血債主義に勝利

 鈴木同志は06年年頭、党の革命の直前に東京西部地区委員長となり、3・14決起に真っ先に応え、岸・水谷、結柴・新城らの脱落・敵対・逃亡との闘いに非妥協的に原則を貫いた。常に党員全体の団結を訴え、血債主義・糾弾主義と粘り強く闘った。選挙闘争の歴史的な総括の先頭に立ちつつ選対事務局を担い続けた。党の革命は重大な党建設の闘いとして発展した。

総連合を東京に

 鈴木同志は貫徹の人だった。どんなに華々しい闘いや活動も、勝利するための準備と計画、討論と団結強化が命だが、彼はそれをいとわずに黙々とやりぬいた。財政管理やあらゆる整理整頓など目立たない縁の下の活動を率先して担い、同志や大衆の信頼を得た。個に死して類に生きぬいた。彼は言うだろう。「それは闘いと組織に身を委ねれば誰でもできる。1人ではけっしてできないこともできる」と。
 鈴木同志の存在と闘いは、これからもわが西部地区委員会・都委員会の前進を見守るだろう。動労総連合・東京の建設をはじめとする階級的拠点建設、指導部建設をもって、安倍打倒・プロレタリア革命勝利への力に転化することが、鈴木同志への最大の追悼であると確信する。いつまでもわれわれとともにあれ!

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