映画 「ティエリー・トグルドーの憂鬱」 働けば働くほど奪われる誇り―普遍的な問いかけ

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週刊『前進』04頁(2775号04面03)(2016/08/29)


映画 「ティエリー・トグルドーの憂鬱」
 働けば働くほど奪われる誇り―普遍的な問いかけ

 労働法制改悪に反対する学生・労働者の闘いが燃え上がり、非常事態宣言を突き破って何波ものゼネストが闘われているフランス。そのフランスで昨年、100万人もの人びとが本作を鑑賞しました。ミニシアター向けに作られた静かなこの映画が、なぜこれほど多くの人びとを引きつけたのでしょうか?
 「研修を受けたのに仕事がない」----不当な解雇を受け1年半もの間求職活動を続ける51歳の労働者・ティエリーのせりふから、まるでドキュメンタリーのようにこの映画は始まります。職安のカウンター越しの「採用条件を決めるのは雇用者です。われわれは雇用市場に合う研修を行うしかありませんし......」という担当者の回答に冒頭から胸がザワザワし、いや応なしに引き込まれます。
 しかしながら、裁判闘争を構えて集会への動員計画を話し合う被解雇者の仲間たちに「失業したことで心が裂けちまった」と話すティエリーは、すぐさま闘争に参加する道を選ぶことはしませんでした。障害をもつ一人息子を何よりも優先し、家族との穏やかな生活・日常を大切にしたいと考えての選択でした。
 その後、念願かなって職を得たティエリーの姿が映し出されます。しかし、大きなスーパーマーケットでのその業務はといえば......なんと、ひたすら客と同僚を監視するというものなのです。モニターを眺め、あるいは巡回して万引きやレジの労働者の不正行為がないかをチェックする彼の姿と、帰宅し一家団らんする姿とが交互に流れていきます。万引きをした客に淡々と対応し、警察に通報することも辞さないティエリーの瞳に、この時点で激しい感情の起伏をみてとることはできません。
 しかしある日とうとう、職場で取り返しのつかない事件が起こってしまうのです。「皆さんにはなんの責任もないのです」と強調する人事部長の言葉はむしろ、労働者がばらばらに分断された現実の空しさを強く印象づけ、強烈な違和感を残します。働けば働くほどに自らがおとしめられ、誇りが奪われてゆく。自らの労働が同僚や人びとを苦しめ、追いつめるものとなっている----資本主義のもとで生きるすべての労働者の普遍的な現実が、払拭(ふっしょく)できない憂鬱(ゆううつ)となってティエリーにのしかかります。
 「労働者にとっては日常そのものが戦争だ」。昨年の民衆総決起闘争に際して韓国の仲間が訴えた言葉が、あらためて思い出されました。守るべき「日常」などもたない労働者は、労働を、そして人間の共同性をその手に奪い返してこそ人間らしく生きることができる! その闘いはすでに、全国・全世界で力強く切り開かれています。
 「分からない」という言葉を残して画面から去るティエリー。観客全員に例外なく突きつけられる「さあ、あなたならどうする?」という問いかけ----不屈に続くフランス労働者の闘いは、この問いへの答えでもあるのではないでしょうか。
(佐々木舜)

 2015年のフランス映画。監督はステファヌ・ブリゼ、主演は15年カンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞したバンサン・ランドン。92分。8月27日公開。

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