団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(2821号04面04)(2017/02/20)


団結ひろば 投稿コーナー

前双葉町長の話聞き帰還強制に怒り新た
 埼玉 森田 蓮

 2月5日、NAZEN埼玉主催の「帰還と被曝の強制に反対する集い」で双葉町から埼玉に避難している井戸川克隆・前双葉町長は語りました。
 「福島県は限界放射線量だと前から知っていた。事故が起きたらすぐに限界量を隠してしまった。隠しておいて県民に県内に戻れというのは汚職だ。帰還政策の20㍉シーベルトは空論だ。なぜ県民が自殺したり家庭崩壊したりしているのに知事は笑っているのか」
 井戸川さんは、自治体の首長として双葉町民を強制避難させたことから、一番の責任は福島県がすべての情報を隠し続けていることにある、と鋭く批判しました。また、福島に戻ろうとしている人に「まだ早いよ、帰らなくていいよ、と声をかけてください」と訴えました。この言葉は、住宅支援打ち切りで「埼玉に住み続けること」自体が闘いになっている避難者にどう声をかければいいのか悩んでいた私の心に深く響きました。被曝と帰還の強制反対署名もその場で集められ、「署名を集めるので用紙をください」と持って行く人も数人出ました。
 会場は、高木美佐子代表をはじめとした仲間3人の不当逮捕への怒りに満ちあふれ、「割り勘で何が悪い!」「反原発闘争への破壊攻撃だ!」との声が上がりました。
 午前の集会の熱気を引き継ぎ、午後の浦和デモは怒りのるつぼと化しました。3・11の反原発福島行動の大高揚こそ埼玉県警の前代未聞の大弾圧に対する回答です。郡山市・開成山公園野外音楽堂を埋め尽くそう!

ふくしま共同診療所の杉井医師招き集会
 東京南部 南 絵里

 1月28日、「被ばくと帰還強制反対の大運動を!」集会がなんぶユニオン、中部ユニオンなどの主催でもたれ、40人が結集した。
 なんぶユニオン代表のあいさつ、福島現地調査の報告の後、動労東京が帰還強制反対と被曝労働拒否の立場から、常磐線の運行を強行したJR本社に抗議闘争を行ったことを報告した。
 ふくしま共同診療所の杉井吉彦医師が講演を行い、以下の点を訴えた。
 一つ目は、被曝を強制する帰還政策をやめろということ。福島県の避難者9万人のうち自主避難者5万人が4月から住宅補助を打ち切られる。
 二つ目は、放射能による健康被害を認めろということ。甲状腺がんは一般的に10万人に1人だが、福島の子ども約40万人のうち175人が甲状腺がんないし疑いとなった(昨年6月)。県医師会は原発爆発のためと認めず、検査の縮小すらもくろんだが、患者家族の怒りで継続になった。
 三つ目は、避難が最重要ということ。1986年のチェルノブイリ原発爆発からロシアは、①年1㍉シーベルト以上の地域は避難の権利を認める、②保養(19万人/年)、③医療----を30年近くやっている。しかし福島は年20㍉シーベルトまでは避難解除・強制帰還の対象だ。誰が年20㍉シーベルトまで安全と同意したのか。帰還者はこれまで1割しかいない。
 質疑応答の後、3・11反原発福島行動が呼びかけられた。これを大成功させ、恒常的に闘おう!

『月刊労働運動』で職場闘争の組織化を
 千葉 仲本権一

 2月4〜5日、全国労働組合交流センター第24回定期総会が東京都内で行われた。動労総連合建設と都労連決戦を闘う布陣をつくり、2日間で実践的な内容を議論できた総会になったと思う。ゼネストを組織する労組交流センター建設へ、参加者はみな気持ちを新たにしたのではないだろうか。
 「闘う中で労働者の話を聞き、議論し、方針を作り、団結する」と議案書にある。それは簡単なことではないが、その方向性が見える総会になったと思う。
 今回初めて「全国機関誌担当者会議」が開催され、編集人から「全国で『月刊労働運動』を1部の拡大から大胆に組織拡大へ取り組もう」と檄(げき)が飛ばされた。
 議論の中では、「労働組合活動の実践や苦闘をどんどん載せよう」「職場の活動を投稿して、周りに広める。みんなで機関誌をつくろう」「写真や表を大きく載せてほしい」と具体的な意見が多数出された。
 ちなみに2月号は東京都の学校事務の共同実施に反対する闘いや、鈴コンなど現場からの記事も満載している。自分の職場の記事が載っていればみんなも読むし、意見も出てくる。
 『月刊労働運動』で職場闘争を組織していくことにより、党建設も具体的に進むと思う。多忙な中と思うが、ぜひ『月刊労働運動』の拡大にも総決起してほしい。

韓国の「影の実力者」を暴いたテレビ番組
 東京 新谷洋介

 インターネットで韓国のテレビのドキュメンタリー番組「影の実力者・金淇春(キムギチュン)―捏造(ねつぞう)と真実」を見ました。
 キムギチュンは若くして朴正煕(パクチョンヒ)の「維新憲法」起草に加わったのを振り出しに、軍事独裁政権のもとで出世街道を歩み、パクチョンヒの娘のパククネの大統領秘書室長を務めた人物です。「王室長」とか「大院君」という異名を持つ、文字通りの影の実力者でした。
 その当人がチェスンシルゲートで追及され、チェスンシルを「知らないし、会ったこともない」と言い逃れ、責任回避に躍起になっています。その一事だけで、どんなに卑劣漢か分かります。
 パクチョンヒの時代、1975年の「在日韓国人留学生スパイ団事件」デッチあげの総責任者がキムギチュンでした。拷問の現場にはいないが、モニターで取り調べの様子を逐一把握し、係官を呼び出して指示していたことを、当時の取調官が証言しています。この事件は再審ですべて無罪になっています。
 この弾圧事件の当事者である金元重(キムウォンジュン)さんは、この番組の中で、「後悔することではない。今考えても(韓国留学は)良かったと思います」と語っています。独裁と闘う最前線に身を置いていたことをそう総括する姿は、今厳寒の中で闘うすべての労働者につながっています。この番組はユーチューブで見られます。

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