70年闘争を闘い獄中42年 沖縄の力で星野さん解放を

週刊『前進』02頁(2824号02面01)(2017/03/02)


70年闘争を闘い獄中42年
 沖縄の力で星野さん解放を

(写真 2月17日の徳島刑務所行動に駆けつけた和田さん【左】)

 星野文昭さん(札幌生まれ。70歳)は1971年11月14日、沖縄返還協定批准阻止の東京・渋谷闘争にデモ隊のリーダーとして決起しました。当時、沖縄は米軍支配下でベトナム戦争の出撃基地となり、米軍兵士による女性暴行や米軍機墜落で沖縄の人びとの怒りは高まり、「核も基地もない沖縄を」と本土復帰闘争が激化しました。日米政府はこの闘いをつぶすために、形だけの「沖縄返還」を決定しましたが、その内実は基地強化・固定化でした。これに対し沖縄で基地労働者を先頭に商店主・学生などあらゆる人びとが参加し、11月10日、全島ゼネストが闘われました。これに連帯して星野さんたちは集会・デモ禁止を打ち破り11・14渋谷闘争に決起しました。
 このデモで機動隊員が1人死亡し、星野さんはその「実行犯」にデッチあげられました。警察権力がデッチあげたウソの「共犯者」の供述だけで87年に無期懲役が確定し、徳島刑務所に収監されました。供述者は裁判で「警察・検察がつくり上げたストーリーに沿って供述を強いられた」と証言しています。不当逮捕以来42年間、星野さんは無実を訴えて不屈に獄中闘争を続け、再審無罪での解放を求めています。
 星野さんは辺野古や高江の新基地建設強行、オスプレイ墜落、元海兵隊員による女性暴行など、現在の朝鮮戦争前夜の沖縄の現実と怒りを見通し、沖縄とともに日々闘い続け獄外に希望を発信しています。星野闘争は、現在の戦争・非正規職化を推進する日米韓政府の新自由主義と全面的に闘い、「誰もが人間らしく生きられる社会をつくろう」という豊かな内容をもった闘いです。だからこそ国家権力は、無実を百も承知で星野さんを獄から出さないのです。
 星野さんは刑務所で水彩画を描き、86年に獄中結婚した暁子さんは詩をつくり、全国で星野絵画展が開かれています。2万人もの人びとが参加し、「励ますつもりが生きる力をもらった。人間はこんな生き方ができるんだ」と感動を語っています。沖縄でも絵画展を開催してきました。
 全国に33の星野救援会ができ、「沖縄万人(うまんちゅ)の力で星野さんを取り戻す会」はその中軸を担っています。星野闘争はアメリカやドイツ、トルコ、そして韓国の闘いと合流しています。労働者民衆の国際連帯が星野さん解放の力となり、戦争阻止の力となります。今年こそ星野さんを絶対に取り戻そう!
 星野さんの無実の証拠は検察官が隠しもっています。「全証拠開示・再審無罪」の100万人署名にご協力ください。
 沖縄こそ星野さん解放の先頭に立とう。沖縄の闘いが星野さん解放をたぐり寄せます。暁子さんも講演する3・19「国際連帯・共同行動沖縄」の結成総会に、ぜひご参加ください。
(沖縄万人の力で星野さんを取り戻す会・和田邦子)
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