奥深山幸男同志を追悼する 71年沖縄闘争の地平で闘病貫き革命に生きる 革命的共産主義者同盟

週刊『前進』04頁(2827号04面02)(2017/03/13)


奥深山幸男同志を追悼する
 71年沖縄闘争の地平で闘病貫き革命に生きる
 革命的共産主義者同盟


 2月7日、埼玉弾圧の3人が完全黙秘・非転向を貫いて奪還された知らせに喜んでいた午後7時30分、奥深山幸男同志の主治医である春日功医師から「奥深山氏心肺停止」という急報が入りました。病院の方々の懸命の治療と、同志の生への格闘で一時蘇生したものの、午後10時8分、奥深山同志は帰らぬ人となりました。
 奥深山同志のあまりに突然の訃報(ふほう)にその死が信じられませんでした。その瞬間から、毎日、心の中で流している涙が、同志の遺影の前で、同志を偲(しの)ぶ話の中で、皆の目から流れ落ちてやみませんでした。

高経大での闘い

 奥深山幸男同志は1948年6月14日、11人兄弟の末子として生まれました。戦前の日本帝国主義の残酷な収奪の中で、兄弟の4人はごく小さなうちに命を奪われ、その後も戦争の中で奪われました。しかし、奥深山同志のご家族はそれをはね返して、同志を高崎経済大学に送り出してくれました。
 私たちは奥深山同志の実家にお盆とお正月には毎年、一緒に何泊もさせていただき、お父さん、お兄さん夫妻、おいの安男君に歓待してもらいました。その温かさは忘れません。
 しかし、国鉄分割・民営化の中で地方切り捨てが進み、仕事を奪われ、それでも奥深山同志に思いを寄せ、そのご苦労の中で今はその全員が鬼籍に入っています。
 同志はそんな社会の本当の変革を求めて、まず自分の足場の高崎経済大学の不正と闘いました。星野文昭同志らとともに学生大衆を組織して自治会執行部として闘い、国会の場で「高経大の学長室に暴力団組長が出入りして毎年大量の不正入学が行われている」事実を認めさせ勝利しました。

沖縄闘争に決起

 戦争と貧困と腐敗の根は、日米安保とその実体である沖縄米軍基地にあります。だから、奥深山同志が星野文昭同志とともに闘った71年11月14日の沖縄「返還」協定批准阻止闘争にこそ正義があります。先日、米国防長官マティスが辺野古新基地建設を叫び、トランプ・安倍の日米共同声明で「核兵器使用」を明言しました。原発再稼働も核武装のためです。46年前から激突しているこの闘いの巨大さゆえに必死で妨害したスパイ荒川を最も憎み、弾劾に立ったのも奥深山同志でした。
 72年2月2日に不当逮捕された奥深山同志は、再逮捕による40日間もの拷問的取り調べで病気になりましたが、全身全霊で闘い、それを46年間貫きました。それは革共同の歴史そのものです。
 遺影の前に奥深山同志の学習ノートとこの40年余りの手帳がありました。びっしりと書き込まれた一ページ一ページに闘病と、不正への怒りをもって、学習を積みながら毎日闘いぬいてきた彼の姿が表れています。

星野同志奪還へ

 奥深山同志の人柄と闘いの正義性は、多くの人をひきつけました。同志の命を守るために生涯を捧げてくださった主治医の先生と、ふくしま共同診療所への赴任を決断された布施幸彦医師。献身的な弁護団の方々、奥深山農園の農地の提供、28年にわたる援農の方々。
 それは、労働者が労働を自分に取り戻して奥深山同志とともに歩む「労働の奪還」そのものでした。奥深山同志も「戦争は二度と繰り返さない」先人の意志を引き継いで闘いました。そして今、彼の生身の姿はありませんが、彼の遺志ははっきりと革共同と日本の労働者階級人民に受け継がれています。
 それは何よりも星野文昭同志を取り戻すことです。星野闘争の中に戦後72年の日米政府の不正義が暴かれています。星野同志を取り戻すことが、日本と世界の人民の未来を取り戻す国際連帯の実現です。私たちは星野同志奪還の先頭に立って闘います。
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