9・10星野徳島闘争へ② 5度目の刑務所デモ 獄壁を打ち破る時が来た!

週刊『前進』04頁(2871号04面02)(2017/08/28)


9・10星野徳島闘争へ②
 5度目の刑務所デモ
 獄壁を打ち破る時が来た!

(写真 昨年の9・4徳島刑務所包囲デモ)

 9月10日、5度目の徳島刑務所包囲デモが闘われます。獄中43年目に突入した無実の星野文昭同志を労働者民衆の手に取り戻そう。同時に、指名手配46年、デッチあげ起訴された無実の大坂正明同志を奪い返そう。

デモの声が届いた

 初めての包囲デモは、2012年2月5日でした。全国労組交流センターが徳島で定期総会を開催し、これと一体で星野再審連絡会議が決起しました。労働者階級の怒りがついに600人の決起となって、徳島刑務所を包囲したのです。
 灰色の塀を目の前にして、「星野さんがこの中にいる。絶対に取り戻そう」という熱い思いが沸き上がりました。声を限りに叫び、涙を流しながら行進しました。その思いは獄壁を越えて星野同志に届きました。
 翌日の面会で、星野さんは「最初はかすかに聞こえていた声がだんだん大きくなり、最後ははっきり聞こえたよ」と話しました。この報告が伝えられると、歓喜の声が全国に広がりました。文字通りの「集団面会」を実現したのです。
 これはまさに、営々と積み上げられてきた戦後の労働者民衆の闘いが生み出した階級の叫びです。安倍政権の不正義を許さず、改憲・戦争を阻止する労働者民衆の闘いは、今や全国の街角にやむことなく、数十万、数百万の決起となっています。
 この怒りと一つになって闘い、星野同志を取り戻そう。これは労働者民衆の叫びであり、正義の声です。この声は、労働者階級が一つに結びつき、立ち上がる力になります。

友人面会を認めろ

 2006年以降、94人が星野同志と面会し、星野闘争は飛躍的な前進をかちとりました。多くの人が「面会して励ますつもりだったのに、逆に星野さんから励まされ、力をもらった」と語っています。獄の奥にいる抽象的な人ではなく、生きた言葉で交流し、熱い思いが交差し、人と人が直に向き合うことが実現されたのです。
 闘いの発展を恐れた国家権力は、10年以降、家族以外の面会を認めなくなりました。刑務所長の恣意的な判断で、友人との交流が奪われ、旧監獄法以前に戻っています。
 国家権力の分断を打ち破り、絶対に友人面会をかちとろう。
 面会室はアクリル板で仕切られていて、獄中結婚して31年、星野同志と暁子さんは手も握れない状態が続いています。手紙や機関紙の墨塗りも続いています。星野同志が発信する年賀状には、ありきたりの定型文しか書くことができません。
 酷暑の徳島刑務所でエアコンはおろか、上の窓を開けて空気の流通を良くするとか、ぬれたタオルで体を拭くという、最低限の措置すら取れません。氷点下の日もある冬に、ポケットカイロの購入ができません。アレルギー食の提供も行われていません。
 9・10徳島刑務所デモで、劣悪で非人間的な獄中処遇を打ち破り、星野同志の健康と権利を守ろう。

星野さん解放せよ

 新自由主義攻撃の中で、国家権力は「司法改革」や「裁判員制度」を強行し、「被害者感情」なるものを前面に押し出して重罰重刑化を進めてきました。04年には刑法を改悪し、有期刑の上限を20年から30年に引き上げました。これにより無期懲役の終身刑化が進みました。今では、無期刑受刑者はほとんど釈放されず、高齢となるなど身動きできない受刑者を別の受刑者が介護するような状況まで生まれています。
 法務省は09年3月に、「無期刑受刑開始から30年経過した場合、地方更生保護委員会は仮釈放審理を開始する」という通達を出しました。国家権力の矛盾に満ちた対応です。
 労働者民衆の総決起で獄壁を打ち破る時が来ました。9・10徳島刑務所包囲デモに全国から結集して、「無実の星野さんを直ちに出せ」の声を突き付けよう。今こそ、星野文昭同志を取り戻そう。
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☆星野文昭さんに激励の手紙・はがきを送ろう!
あて先/〒779―3133 徳島市入田町大久200―1 星野文昭様

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9・10徳島刑務所包囲デモ
 9月10日(日)午後1時30分 集会開始(鮎喰川春日橋たもと河川敷)/2時30分 デモ出発
 主催 星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議

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