団結ひろば・投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(2871号04面03)(2017/08/28)


団結ひろば・投稿コーナー

動労総連合がバーベキュー
 東京 霧山明彦

 8月18日に動労総連合の合同バーベキューに参加しました。なんとか雨が降らずに曇り空。会場はJR東日本大井工場の最寄り、大井町駅からバスで数分の所です。動労東京となんぶユニオンの仲間がかなり準備をしてくれました。
 動労東京、動労連帯高崎、動労神奈川、そして支援の仲間を加え25人で盛り上がりました。最初に、主催者として動労東京の金子浩書記長が「闘いも重要ですけど、闘うために今日は存分に交流しましょう!」とあいさつ。
 牛肉、玉ねぎ、ピーマンを串に刺して炭火であぶった、テレビのCMで見るような一品も出てきました。ラム肉の厚切りは、弱火でじっくり焼かれ、やわらかくて絶品でした。次々に焼ける料理を食べながら、組合員があいさつしました。
 動労神奈川の時廣慎一書記長は、本人が働く箱根登山鉄道トータルサービス(小田急電鉄の孫請けで清掃業務)から先日、解雇予告されたと報告し、「解雇を絶対に撤回させる」と決意表明しました。
 動労東京の吉野元久委員長が「これから大量首切りの2018年問題との対決に入る。小さい組合でも、資本と紛争状態に入ればやれることはいっぱいある」と語りました。
 最後に、動労千葉OB会の永田雅章会長が「何かあればお互いにかけつける。束になって闘えば勝てる。そういうことを周りに見せていこう。どんどん輪を広げていこう」と、全体を激励しました。
 みんながお腹いっぱいになりお開きになりました。片付けは、清掃職場の労働者が「プロのウデを見せてやる」と機敏に動いてあっという間でした。動労総連合の組合員と交流し、秋からの闘いへ入ります。まずは時廣くんの解雇撤回へ!

労働者・農民を核で殺すのか
 反戦被爆者の会(被爆2世) 中島 健

 核・ミサイル開発に突進する北朝鮮・金正恩(キムジョンウン)は朝鮮戦争の一方の推進者だ!
 朝鮮戦争=核戦争が急切迫している。北朝鮮による2度のICBM(大陸間弾道ミサイル)発射を受け、米日韓は強力な経済制裁を国連で採択した。トランプは8月9日「世界が見たこともないような炎と怒りを解き放つ」、翌10日「『炎と怒り』という表現では甘過ぎた」、11日「米軍は戦闘準備が完了した」と戦争の言葉を吐いている。31日まで米韓軍事演習「ウルチフリーダムガーディアン」のただ中にある。
 朝鮮戦争が勃発(ぼっぱつ)すれば、それは間違いなく核戦争であり、絶対に始まる前に止めなければならない。ヒロシマ・ナガサキの惨劇をくり返してはならない。
 朝鮮戦争突入を狙う米日帝国主義に対して、ゼネラルストライキでトランプと安倍政権を打倒する国際連帯の発展が待ったなしだ。米日韓の支配者階級は、韓国の労働者革命がパククネ打倒を超えてソビエトの形成に向かうことを死ぬほど恐怖している。米日帝国主義の戦争策動を絶対に阻止しなければならない。
 「北朝鮮の核・ミサイル開発はアメリカの『作戦計画5015』への対抗であり、リアルポリティックスではやむを得ない」との意見がある。そうだろうか? そうではなく、米日韓の労働者に「戦争する自国の政府をともに打倒しよう」と訴えることこそ、レーニン主義の立場だ。それを北朝鮮は、「ソウルを火の海にする」だとか、「アメリカ本土も射程にある」などと核と戦争をもてあそんでいる。北朝鮮に向けられるサード配備阻止を命がけで闘っているソンジュ農民や民主労総の労組員を放射能で焼き殺すと言うのか! 絶対に許されない。
 北朝鮮の労働者も韓国の労働者革命に励まされて決起すると信じたい。

「徴用工像」が訴えるもの
 東京 佐々木舜

 この間、韓国や日本などに相次いで「少女像」や「徴用工像」が建立されています。その背景をあらためて考えてみました。
 昨年来、ストライキに立った民主労総を先頭とした1700万人もの人びとが生きていけない労働者の現実、一方での政権と財閥の不正・腐敗に対して立ち上がり、パククネを監獄へとたたきこみました。45年に日帝からの解放をかちとり、87年の軍事独裁政権打倒により民主化をかちとっても、親日派を中心とした「1%」の支配は温存されてきた。15年末の日本軍軍隊慰安婦をめぐる「日韓合意」も、この流れの中にあった----あらゆる人びとが闘いの中で、こうした支配構造、まさしく「積弊」そのものを実感としてつかみとったのだと思うのです。
 民主労総の委員長代行チェジョンジンさんが「徴用工像は単なる象徴ではない」というように、それらの像には、労働者の側から歴史をとらえ返し、現在まで続く支配構造の総体を打ち砕かなければならないという決意がこめられているのだと思います。新たな戦争阻止とも一体です。
 日本でもまったく同じです。最大の戦争犯罪人=天皇は生き延び、労働者や学生を戦場に送った連中は、敗戦を迎えてもなんら戦争責任を問われることなく再び権力の中枢に納まりました。そうした意味において、戦前と戦後との間に断絶などなかったのです。
 今こそ、労働者の側から決着をつけましょう。

友人と草津温泉で英気養う
 迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧当該  福嶋昌男

 7月13日に府中刑務所を満期出獄しました。
 少し落ち着いてきた先日、友人が草津温泉に2泊で連れて行ってくれ、英気を養うことができました。
 その折り、草津温泉からさらに奥に入った六合村(くにむら)で車を止めました。場所は幕末の「蛮社の獄」で弾圧され、脱獄した高野長英がかくまわれた赤岩の湯本家の所でした。
 3階建ての土蔵風の家で、白壁がはがれ「土」が見え、時代を感じさせました。友人が、長英をかくまった湯本俊斎の何代目かの子孫が同級生だと話してくれました。当時、湯本氏は村の「名士」で、一つの思想を持って長英をかくまったとのことです。
 長英の逃亡にはいくつかの説がありますが、ここから、多くの支援者の力を得て、今のJR上越線の通る清水峠をぬけて、新潟、そして米沢の母を訪ね、約6年間、闘い続けました。
 翌日、草津白根山の火口の見えるところまで歩き、健康も確認できました。最終日に、私が小学校4年生までいたこの地の小学校跡を訪ね、そのころ見た草軽電鉄の「デキ12型」を思い出しました。今あったら鉄道マニアの大注目ですね。
 このように元気に出獄できたのは全国の皆さんからのハガキ・手紙によってです。あらためて御礼申し上げます。

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